View
2
Download
0
Category
Preview:
Citation preview
- 19 - 高校講座・学習メモ
ラジオ学習メモ
[体育]理論
保健体育
今回の学習内容
▼
第11回
自分にとってのオリンピックとは
アトランタ大会から北京大会まで4度参加したオリンピックのそれぞれの思い出オリンピックを目指すようになったきっかけなど
オリンピックの意義
クーベルタンが考案した五輪のシンボルの意味とは近代オリンピック開催の目的である「オリンピズム」と「オリンピックムーブメント」
これからのオリンピックに期待すること
オリンピックに棲む魔物と応援してくれる人たちの力ライバル同士の友情や尊敬の気持ちと世界平和への期待
オリンピックの意義と役割
4 年に一度開催される「スポーツの祭典」であるオリンピックの理念は、「スポーツを通して文化や国籍などの違いを越え、フェアプレイの精神を培い、平和でより良い世界を目指す」ことです。今回は、オリンピックに4度出場され、北京オリンピック陸上男子400Mリレーでメダルを獲得された朝原宣治さんから、オリンピックに参加された経験をもとにアスリートから見たオリンピックの印象やその魅力、そして参加して得たこと、これからのオリンピックに期待することなどについてお聞きしながら、オリンピックについて考えていきましょう。
壇蜜 先生(学習メモ執筆)
講師
杉山正明
ゲスト講師
朝原宣治
- 20 - 高校講座・学習メモ
保健体育 11 [体育]オリンピックの意義と役割
▼
【オリンピックのエピソード】 ①オリンピック復興のねらいクーべルタンによって始められた近代オリンピックは、古代ギリシアで4年ごとに開
催されていた古代オリンピックにおける「エケケイリア」という「オリンピックによる休戦」、つまりその期間は戦争をしないというモデルがきっかけでした。その理由としては、近代オリンピックは1896年に初めて開催されましたが、当時19世紀末のヨーロッパでは、国家間の紛争が絶えず、多くの若者が戦争に駆り出されていく現状があったのです。クーベルタンは、イギリスの教育現場を視察に行ったときに、パブリックスクールの学生たちが積極的、かつ紳士的にスポーツに取り組んでいる姿に感銘を受け、スポーツを取り入れた教育改革を推進する必要があると考え、オリンピックの復興を思いついたと言われています。そこで、クーべルタンは古代オリンピックにおける「エケケイリア」をモデルにしつ
つ、世界の若者にスポーツに限らず幅広い文化、芸術活動を推進し、これらによる交流の機会を設けることによって次の世代の平和教育の基礎を築き、国家紛争の根を取り除こうとしたのです。このような平和を目指すオリンピック運動の哲学を、「オリンピズム」といいます。
②「オリンピックは参加することに意義がある」1908年の第4回ロンドン大会では、アメリカとイギリスとの対立が絶え間なく起こ
り、両国選手団の関係が悪化してしまいました。そのときに行われた教会の礼拝で、アメリカ・ペンシルベニアのエチェルバート・タルボット司教が「このオリンピックで重要なことは、勝利することより、むしろ参加することであろう。」という戒めのメッセージを述べたのです。このメッセージを聞いたクーベルタンは感銘を受け、大会のパーティーのスピーチで引用して「人生にとって大切なことは成功することではなく、努力することである」という趣旨のスピーチを行い、それ以来、オリンピックの理想を代表する有名な言葉として知られるようになりました。
《ゲスト講師プロフィール》
朝原 宣治(あさはら・のぶはる) 大阪ガス株式会社、北京五輪メダリスト
1972年生まれ 同志社大学→大阪ガス株式会社(近畿圏部地域活力創造チームマネジャー)* * *
同志社大学3年生の国体100mで10秒19の日本記録樹立。その加速力から「和製カール・ルイス」と呼ばれた。大阪ガス株式会社に入社後、アトランタオリンピック 100m出場。日本人選手として準決勝に 28年ぶりに進出した。オリンピックには 4回連続出場。自己最高記録は 10秒 02の日本歴代3位。2008 年北京オリンピック 4× 100mリレーでは、悲願のメダル獲得。現在は、陸上競技クラブ「NOBY T & F CLUB」の主宰者、一般社団法人アスリートネットワークの副理事長としてスポーツを通じたまちづくり活動を推進している。
column
- 21 - 高校講座・学習メモ
保健体育 11 [体育]オリンピックの意義と役割
▼
③オリンピックと嘉納治五郎柔道の講道館の創設者である嘉納治五郎は、国際オリンピック委員会からの要請をう
け、アジアで初の IOC委員となりました。ここから日本がオリンピックムーブメントにかかわるようになりました。このとき、嘉納治五郎は、クーベルタンから「オリンピックの心をアジアと日本に伝えてほしい」と頼まれたといわれています。嘉納治五郎は、第5回ストックホルム大会に初めて日本代表団を送り、開催はされなかったものの、1940年の第 12回東京大会の招致を取り付けました。彼は民間の国際外交と言われるオリンピックによって、日本人の目を世界に開かせ、
選手の活躍を通して、日本人に誇りを持たせるとともに、スポーツによる世界平和の運動を日本に定着させることに大きく貢献したのです。
column
Recommended