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便9 小松崎茂

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Page 1: 009 merged009_merged.pdf Author YAMAUCHI Created Date 11/18/2010 12:35:13 PM

第1章

私が年賀状を友人と交換し始めたの

は、昭和二十四、五年、だったかと思

う。昭和二十六年(一九七〇)三月に

小松崎茂先生が千葉県の柏に転居して

来た。私が高校一年を迎える春休みの

ことで、待ちに待った引越の夜、さっ

そく遊びに行き、先生とお会いした。

実は先生と私は東京荒川区南千住の、

それもごく近くの生まれだった。

私は、先生と初対面だったが、先生

は私の小さい時から知っていてくれ

て、「ペンキ屋(私の家の家業)の圭ちゃ

んかい。大きくなったなァ」と大歓迎

してくれた。

正式に弟子入りして住み込むのは高

校の卒業式(昭和二十八年)の翌日だっ

たが、二十六年の三月から私は小松崎

家へ入りびたりとなった。

それ以来、当時全盛で多忙をきわめ

た先生の手紙類の代筆を引きうけるよ

うになり、ファンレターの返事はもと

より、年賀状はほぼ全体にわたって私

があて名書きをした。

一方、小松崎家へ来る年賀状の数は

想像をはるかに超える量で、郵便局で

も小松崎家のために特別配達してくる

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■小松崎茂■

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くらいだった。

忘れもしない私が書生として住み込

んでいた昭和二十九年の元旦、その日

も例外ではなく、徹夜明けで初日の出

が昇ってからの就寝となったが、寝入

りばなに「小松崎さあん、電報です

よー」という声と、犬達のけたたまし

い声で夢を破られた。

二人いたお手伝いさんも起きてくる

気配がなく、「元旦早々に電報とは何

事だろう」と少し不吉な予感を抱きな

がら勝手口から顔を出した。

私は吠え続ける犬を家の中に入れ、

勝手口の扉を開けて電報を受け取って

みると、差出人はテヅカオサム  年

賀電報とあった。

かなり長文の電報で、「今年は私も

勝負の年。先生を目標に頑張ります!」

といった内容だった。

後年手塚先生と親しくなった折り、

その話をしたところ、「あー打ちまし

た。なつかしいなあ。でもあの電報で

根本さんを起こしてしまったんです

か。ゴメンナサイ」とベレー帽をとっ

て丁寧に謝ってくれて大笑いとなっ

た。あの時の手塚先生のいたずらっ子

みたいな温かい笑顔が、なつかしく思

い出される。

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■小松崎茂■

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ところで多忙すぎた小松崎先生は、

年賀状を書くということには当然のこ

とながらほとんど関心がなかった。

ただし仕事の合間に興にのってほん

の何枚か、日本画、それも花鳥画でき

たえた腕で、美事な手描きの年賀状を

描いてくれた事もあった。

かと思うと、じゃがいもを輪切りに

し、あやしげなイモ判を作り、ペタペ

タ押した下へ例の横文字のサインを入

れた年もあり、受取った人から、「あ

れは何の絵ですか?」と聞かれたこと

もあった。

最盛期の小松崎家には何枚ぐらいの

年賀状が来たか……私は全部に目を通

している筈だが、すごい量だった! 

としか覚えていない。

とに角忙しく、記録として残ってい

る七十二時間  三昼夜ノンストップ

で仕事を続けた事もあり、私は二昼夜

目にダウンしてしまった。

正月の年始客に会う時間がないと

言って、玄関脇に書き初め用紙に大き

く〝正月はやめた〞と書いて貼りだし

たこともあり、私は親類の人達を含め

年始客との板挟みで苦労した。

それでも、先生に〝正月早めた〞っ

て読めますよ、と嫌味を言うのが精一

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杯だった。

小松崎家へ来た年賀状は、私が一通

り目を通し返事を出す分をチェックし

た後、奥様に渡してしまうので、そ

の後それらの年賀状はどのように管

理されたか私は全くしらない。おそ

らくどこかへ仕舞われて、平成七年

(一九九五)の失火による自宅全焼の

際、灰燼に帰したものと思われる。興

に乗って描いてもらった数枚の手描き

の年賀状は、私が大事に保管していた

が、熱心なファンの懇望に負けて、一

枚一枚と差し上げてしまい、今は手許

に二枚程残るのみとなった。

何年位まえになるだろうか、知らな

い人から、「私が子どもの頃、小松崎

先生から年賀状をいただき嬉しくて嬉

しくて、今も大切にしています……」

という便りとともに当時の年賀状のコ

ピーが同封されてあった。宛名書きは

勿論私の文字でなつかしい思いをし

た。年

賀状ではないが、ファンレターの

返事を私が出したのが縁で、相手が本

田宗一郎さんのお嬢さんだった  と

いうことで本田氏と先生の対面、工場

見学、仕事を依頼されるという運に恵

まれたこともあった。

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■小松崎茂■