8
La J90使1 iil!!iO!OHP200 2世紀52号(1978年2月)

花森安治 人間の手について

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暮らしの手帖 花森安治の最後の原稿:「人間の手のわざを、封じないようにしたいというのは、つまりは、人間の持っているいろんな感覚を、マヒさせてしまわないように、ひいては、自分の身のまわり、人と人とのつながり、世の中のこと、そういったことにも、なにが美しいのか、なにがみにくいのか、という美意識をつちかっていくことになるからです。」

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Page 1: 花森安治 人間の手について

L

あるいは、

いまや日本中のたいて

いの小学校が、

各教室ごとに、

台も二台もの鉛筆削り器を備えて

いることについて

a

ぜ什し

東京に誠之小学校という、

あります。

東京になん年か住んでいる人なら誰でも

知っている、控史のある、いわゆる名門の

小学校です。東京には、千校ぐらい小学校

がありますが 、そのなかでも 、五本の指に

かぞえられる小学校です。

この学校は、生徒数が千四百名もいて、

いまの時代には、こんなに生徒が多い小学

校は、そういくつもありません 。

したがっ

て、学級の数も三一一一学級もゐり

まJ9 0

古い小学校が

この学校は、どんな道具を持っているか

間単に唱しいいてみましょ

う。

いま、あなたのお子さんが 、どこかの小

学校に通っているときは、その小学校と 、

くらべてみてください。あなたが 、もう小

学校を卒業しているのなら 、自分がいた墳

の小学校とくらべてみてください。小学生

にはもうなんの縁もない、明治もずっと昔

に生れたお年寄り

は、自分の小学校時代を

おもいだしてみてください。

この学校には、ピアノが五台あります。

ふつうのオルガンが一一台あります。そ

して、音楽教室には、一人が一台は能える

ように 、四五台のデスクオルガンがありま

す。デスクオルガンというのは、机のブタ

をあげたら 、鍵盤があらわれてオルガンに

なる、フタを閉めたら 、ふつうの杭として

使えるというものです。

1森

テレビは、各教室に一台ずっ 、白同然です

が 、一二三台あります。それからカラー

は、

視聴覚教室に二台あります。オiパiヘッ

ドプロジェクタl

は、十一一 、一二台あるはず

です。各教室には、電動の鉛川市中削り

器が一

台ずっそなえつけられています。そのほか

ドッジボー

ル用のボ!

ルが百コ以上 、サッ

ヵ!

用のボi

ルが四Oコあります。

ここで 、オーバーヘッド 。プロジェクタ!

といっ

たのは、つづめてOHP 、つまり 、

幻域機を大型にしたようなもので 、票箱は

先生 、が自分で作れまずから 、いちいち黒板

に書いて説明する時間がはぶける、という

ものだそうです。値段は一台七万円から九

万円ぐらいだといいます。

さすがに由緒ある名門校だから 、こんな

200 2世紀52号(1978年2月)

Page 2: 花森安治 人間の手について

に潤沢にいろんな教育器材を持っている

だな

あ、と思われる方も

あるでしょう。

るいは、これくらいは、生徒

の数が多いん

だから

あたり

前だ 、とおっしゃる方も

ある

でしょう。

b

北海道

の、もう少しで日本

のいちばん

ぞうやさるふつ

端になる、宗谷

郡猿払村に、猿払小学校、が

あります。ここは、いま

の誠之小学校とは

まるで対照的で 、生徒

の数は二ハ人、学級

ば三つしか

ありまぜん 。

ところが、こ

の猿払小学校にどんなも

があるか問調べてみると 、ピアノが一台 、教

宗一月

のオルガンが一台 。ということは、誠

之小学校では、生徒二八O人にピアノが一

台 、それから教室用

のオルガンは、誠之小

学校では、生徒二一七人に一台 。ところが

この北海道

の北の果て

の猿払小学校では、

ピアノも教室用

のオルガンも 、一六人に一

ムハずつ

あります。音楽教室

のデスクオルカ

ンも二O台と 、生徒に一台ずつ

あてがって

も 、まだ余る計算になります。そして、テ

レビは自黒は一台ですが、カラー

は三台

で 、各学級ごとに

あるし、刑判

のOHPも一一一

台あ

ります。鉛筆削り

絡は電

動式

のが一台

あるだけですが 、いろんなボi

ルの数ば合

せて七コ 、なにかこ

の数字は、ずっと背に

小学校を出たも

のにとっては、やっと安心

ぞ覚える数字です。

C

を見徳て 島み 県ま のし 名fよ泊さ、う 郡。 石γこ 井ふこ 吋は. fこ

生あ徒 る

の浦;数庄Iは 小 7=コ ι4ーナー 校

二名、学級は一二 、そしてピアノは一一台 、

教室用

のオルガンは、一年から三年まで

各クラスに一台ずつ六台 、音楽室

のデスグ

オルガンはざっと一ニO台くらい。テレビは

白黒がなくて、カラー

が一四台

あります。

ということは、各クラスに一台以上

あると

いうことでしょう。OHPは一三台か一四

台 、これも各クラスに一台以上

あることに

なります。そして電

動式

の鉛筆削り

器が、

各教室に一台ずつ備えつけて

あります。

いろんなボi

ル類は、さすが

の先生も 、

ハッ

キリ

数を覚えていないという話でした

が、とにかく一クラス

の一人に一コはじゅ

うぶんに

ある筈だ 、ということでした 。

d かみにいかわおおやま

富山県

の上新川郡大山

町は、

北アルプス

おみ

立山連峰

のふもと

の町です。小児小学校は

この町の山寄りに

あり 、極楽坂スキ!

場の

近くです。

ここは、児童一O一一一人、学級数六 、とい

うことは一学年一学級 、平均一クラス一七

名です。ピアノは二台 、教室用

のオルガン

は、低学年

の各教室に

あわせて三台

ありま

す 。デスクオルガンは二二台 、テレビは白

黒六台 、カラl

ニム口です。OHPは二台で

す 。鉛筆削り

器は各教室ごとに電

動式

のが

備えられています。ボi

ルはざっと三 、四

十コあ

ります。e

る 館ヰ玉2町東dtZ ま 北小 で 自学 問動校 通 事は しj菖

て は児 い室まい

の す ま数 。 宮が こ 域ーの9芸七 町の二の栗;人南京2

に郡七あ築Z

学級

あります。

この学校には、ピアノが一台 、ふつうの

オルガンが十台

あります。各クラスに一台

ずつのほかに三台

あまる計算です。デスク

オルガンが一一一O台ありますから 、これも生

徒の数より

多くなっています。テレビはカ

一フー

が九台

あります。OHPはニ台 、鉛筆

削り

器は全部電

動式で 、各教室に一台ずっ

と 、職員室に一台備えつけて

あります。ボ

ールはニOコくらい

あります。

f

たんぱ

京都から山陰根で

北へ六0キロ 、丹波の

山間

の和知

町に、和知第一小学校が

ありま

す。児童

の数は二間七名 、入学級です。

この学校にもピアノが一一台 、教室用オル

ガンが八台 、そして音楽室には、デスクオ

ルガンが五O台

あります。ということは、

一グラス

の人数分以上

のデスクオルガンが

ある計算になります。テレピは八台で 、各

クラスに一台ずつ 、しかも 、全部カラー

す。OHPは四台で 、これはニ学級に一台

ということでしょう。それに、手まわし

鉛筆削り明日も 、各クラスに一台ずつ

ありま

す。ボi

ルは、ドッ

ジボー

ルが、全校用に

ニOコくらい

あります。

g

沖縄

の那覇から 、南ヘパスで四十分ほど

こちんどそん

行ったところに、

東風一千村が

あります。こ

の村

の東風平小学校は、児童数が千三百名

学級が三三も

ある大きな小学校です。

ここには、ピアノが一一一ム只デスクオルガ

ンは、音楽室に四五台 、ほかに一ニ年以下の

201

Page 3: 花森安治 人間の手について

λザ長室にありまず 。目アνバニItクラス巳カ

ラー

が備えられてしますし 、OHPもほと

んどのクラスに一台ずつ 、全部で三O台は

あるはずです。鉛筆削り

器は、手まわし式

が 、これも一クラスに一台ずつ偽っていま

す。ドッ

ジボー

ルも 、一二つのクラスがいっ

しょ

にやっ

てもじゅう

ぶんな数がありま

Jf 。

h

東京の西のはずれに、たった一つ残った

にしたまコのばら

ひゐなら

村 、西多摩

郡桧原村という山間地に、桧原

小学校があります。

この学校は、生徒数が一一人名 、学級の

数ば 、一学年一学級で 、六学級です。

この学校にも 、ピアノが二台あります 。

デスクオルガンは、四年以下の各教室ι一

台ずつあるほか 、音楽室用に二Oムはぐらい

あるはずです。テレビは、白黒が五台 、教

内全においてあり 、カラー

は図書室と理科室

に一台ずつあります 。カラ!

テレどを見に

図書室にいくことも多いのです 。OHPは

五台です。JZJまわしの鉛筆削り器が各教室

に二台ずつ置いてあります 。ボー

ルは二O

つぐらいぽ 、いつでも使えるように空気を

入れてあります。

し、、 浮つ

来日ゎH勺l主

島担県の酉の端 、山口県に近

山に囲まれた古い城下

町です。

浮和野小学校は、児童数回一一…二名、

純ですc

そこの,'l!.

J-

この学校には 、ピアノが一一一台 、ふつうの

オルガンば山年以下の各教室に一ムけずつ八 向、21 、J、昭A�" �

台 、デスク才ルガンは音楽室に二五台くら

いふのります。テレピは白黒が各教室とほか

に一一台あって一四台 、カラー

がこム口 、OH

Pは八台あります

。鉛筆削り

器は、各教室

に電動と手まわしが一台ずつおいてありま

す。体育の時聞に使うボl

ルは、ドッ

ジボ

ールが一Oコくらい 、サッ

カi

ボ1

ルは三

Oコくらいあります。

のぎわ野沢小学校は、青森駅から南へ 、パスで

約三十分 、平野のはずれの農村地帯にあり

ます。こ

の学校の生徒数は七O名で 、学級ば二

年生と三年生をいっしょ

にして一学級にし

ているから 、全部で五学級です。

ピアノが一台 、ふつうのオルガンが各学

級に一台ずつで五台 、デスクオルガンが二

O台ぐらいあります。OHPは五台で 、各

学純に一台ずつわりあてられます。テレビ

は一一一台しかありませんが 、ぜんぶカラー

す。手まわしの鉛筆削り

器が各学級に一台

ずつ 、そなえてあります。体育用のボ!

も一Oコ以上はあるはずです。

k

とうえλ

大限市南区の桃盟小学校は、

町なかの学

校です。ここは、兎章の数五一O名で 、一

回学級あります。

ピアノが三台 、教室照のオルガンは五

台 、デスクオルガンは、五O台はあるでし

ょう 。テレビは全部カラ!

で 、二二台 、全

教室に一台ずつの抱に、家庭科室やm料室一

などの特別教室にも置いてあります。OH

Pもおなじでやはり

二二台はあるでしょ

う 。鉛州事一十郎り

器も電動が全クラスにある

也 、職員室その他をみんな合せると二二 、

三台あります。ボー

ルは、体育の時間には

一人一コが当る数があります。

202

阿蘇山の高 、熊本市から東ヘパスで一時

間二十分 、九州の脊、梁山脈に分けいってい

くと 、宮崎県との県境に矢部

町がありま

崎地念品一撃a・hv

す。この

町の浜

町小学校内児章数が五人

O名で 、一入学級です。

ここには、ピアノが三台 、ふつうのオル

ガンが一O台 、デスクオルガンが一一一一一台あ

ります。テレビは各教室においであって 、

一年生のニ台だけがカラー

ですが 、あとは

白黒です。

鉛筆削り

訟は、この学校では、備えてな

い教室が多く 、おくか 、おかないかは、担

任の先生にまかされています。だから 、ク

ラスによっ

て 、肥後守や小万がそなえであ

ったり 、

家からもってこさせたりと 、さま

ざまです。

体育の時間に能うボi

ルは、ドッ

ジボー

ル 、ハンド

ボー

ル 、サッ

カi

ボ!

ルなど 、

それぞれ一Oコはあります。

ロ1

ほんhu本名小学校は、福島県西部 、越後山脈の

ただみ

かねやま

深い谷間を流れる只克川にそった 、金山町

にあります

。児童数九五名、六学扱です。

この学校には、ピアノが一台 、教室用の

オルガンもア山口です。しかし 、音楽室には

デスクオルガンが 、一クラスのひとり

ずっ

Page 4: 花森安治 人間の手について

にあたる一一O台あります。一アレピは、

白黒

とカラーが、

それぞれ一

台ずつあります。

カラーは視聴覚室、

白黒テレビは小型で、

必要なときに教室へ持ち運ばれています。

OHPは二台です。

これも交互につかいま

す。

鉛筆削り器は電動式が、

各クラスに一

台ずつあります。

ボールは、

全部でこCコ

あまりあります。

問題にしたいのはオルガンやOHPではない

ここにあげたのは、

全部でたったの十一一一

校です。

日本中の小学校は、

ざっと二万四千七百

校あるといいます。

それからみると、

この

十三校は、

まるで大海のひとしずくといわ

なければならないでしょう。

しかし、

この十三校のなかには、

北海道

の北のはしの小さな小学校から、

沖縄の南

のはしの大きな小学校までふくまれていま

す。

そういうつもりでみてゆくと、

じつは

僻地の分校とか、

交通の不便な学校も、

都会の真中にある大きな学校も、

だいたい

同じように、

いろんな教育器材をもってい

ることに気がつくのです。

つには、

文部省がこれとこれと、

あれ

とあれは買って備えたらよい、

という基本

の一

覧表を作っているからです。

そして呂本中の小学校をめがけて、

ここ

にあげたような教育器材、

あるいはここに

あげなかったけれども、

テープレコーダー

とか、

ビデオカメラとか、

出ミリ映写機、

8ミリ撮影機とその映写機など、

もうメー

カーが火花を散らして、

売り込みに歩いて

いるのだろう、

ということが想像できるの

です。そ

ろいうことにも、

大きな問題がないと

はいいません。

しかし、

ぼくはここでは、

まず、

ほとんどの学校がもっている、

この

ボlルの数の多さが気になるのです。一

に一コ

以上のボ!ルをもっている、

という

ことはどういうことでしょうか。

本当の教

育という意味からいって、

果してそれだけ

のボlルの数がいるのでしょうか。

もう五十年も六十年も背の話ですが、

くが小学校に通っていたころには、

サッカ

ーのポールでも、

ニコしかありませんでし

た。

それを大切にゆずり合って使い、

終っ

たらきれいにふいて、

元へもどせ、

としつ

けられたものです。

たぶん、

こんなことをいうと、

昔と今は

時代がちがう、

とおっしゃるかもしれませ

ん。

たしかに時代は閉じではありません。

しかし、

時代がちがうから、

ボiルがた

くさんいるのだという理屈は、

成立たない

ように思います。

そんなにたくさんボiル

があれば、

遠くへけとばしたりした場合、

いちいち拾うのがめんどうで、

またべつの

ボiルを出して使う、

ということはないで

しょうか。

なんでも時代のちがいに寄せつ

けてしまうのは、

ずるいとおもうのです。

しかし、

ぼくがここで、

とりわけで問題

にしたいのは、

そのボiルの数でもないの

です。も

し、

あなたが若いお父さんやお母さん

だったら、

なんの気もなく、

当り前のこと

として、

見過されてしまったかもしれませ

ん。

もう一

度、

aからmまで、

十一一一の学校の

備品をざっと読みなおしてみて下さい。

ぼくがいいたいのは、

鉛筆削り器のこと

です。

この十三校のうち、

鉛筆削り器がほ

とんどないというのは、

熊本県の浜町小学

校たった一

校でした。

あとの十二校のうち、

八校までは、

電動

式の鉛筆削り器をそなえているのです。

かには、

電動式と手まわし式と、

合せて二

台の鉛筆削り器を、

各教室、ことにもってい

203

Page 5: 花森安治 人間の手について

る学出も 、

しかも 、

ありました 。

そのうち 、ナイフを学校へ持っ

てくることを禁止している学校さえありま 酌、、、、、

ナ 。東京の誠之小学校と 、富山の小見小学

校 、大阪の桃園小学校 、沖縄の東風平小学

校の四校です 。

早く削れて能率的だからよいと先生はいうが

いっ

たい 、この鈴筆削り

訴は、

同本に入ってきたのでしょう 。

ぼくのおぼろげな記躍では、小学校の四

年か五年に 、つまり

大正の十年か十一年に

友だちが学校へもってきたのを見たのが 、

はじ

めての鉛筆削り器との出合いでした 。

鉛筆を削る理屈は、たぶん 、いまのとあ

きり

変りはなかっ

たようにおもいますが 、

削ったカスをためるのは、いまのような四

いつごろ

角い大きな箱ではなく 、小判型のオレンジ

色のセルロイド

でできていました 。そして

そのオレンジ色のうえに 、くっきりとした

丸い書体で 、

。己gm。と印刷してあったの

が 、とてもハイカラで 、しゃ

れた感じでし

hEQ

φjh

それをシカゴと読めたのは、

もっとあとで 、中学へ入ってから 、

町の大

きな文房具屋さんの店先で 、おなじような

鉛筆削り器を見かけるようになってからで

す 。そのころ 、小学生は、ロー

マ字など読

めないのがふつうでした 。

もちろん 、それまで 、鉛筆はナイフで削

るもの 、とおもっていたぼくたちは、この

もちろん 、

道具のハンド

ルをまわすと 、

拾が削れていくというのが 、

しかっ

たのです。

さっ

そく 、何人かの級友が 、じ

ぶんの鉛

筆をもって行って 、交る交る削らせてもら

いました 。

どんなに 、きれいに削れるだろう

か 、と

いう

期待が 、あまり

大きすぎたのでしょう

か 、削られた鉛筆を見たぼくたちは、これ

じゃ

あしかたがないよという 、

結論を出し

ました 。その道具で削った鉛筆は、ナイフ

で削ったのとちがっ

て 、全体にきれいに丸

みをおびて削られています。しかし 、その

丸みが 、第一に見なれないという

か 、鉛鮮半

らしくないということが一つ 、そして 、も

っと評判の悪かっ

たのは、その丸い表面が

なんとなくザラザラとして粉っぽく 、ナイ

フで削ったような 、あの木の肌の 、なめた

ような美しさなど 、どこにもなかっ

たから

です 。た

またま今度 、いくつかの小学校を取材

したとき 、先生のなかには、なんといっ

も鉛筆削り器のほうが 、早く削れて 、能率

的だから 、という

人も 、ひとりやふたりで

はありませんでした 。

皮肉ないいかたをすると 、いまの先生が

たの美意識は、五O年以上も昔の 、小学生

の美意識にも劣っていると 、いわなければ

ならないのでしょう

か 。

もちろん 、その先生がたの考えかたが異

常だと 、いう

わけにはまいらないのです 。

いまは、なんでも能率が上ればよい 、なん

でも便利でさえあればよい 、なんでも手が

宅けたらよいという

時代です 。そういう

204

ひとりでに鉛

非常にめずら

Page 6: 花森安治 人間の手について

代に生きている先生がたとしては 、

考えかたかも知れません 。

ナイフで鉛筆を削るのは 、ある程度 、技

術がいります。はじめてナイフをもった子

が 、その日から上手に 、削れるということ

円 、考えられないことです。

当然の

そこへいくと 、鉛筆削り器は 、

あのハンド

ルをまわした子でも 、

つうに削れるのです。

だからといって 、鉛筆削り

器を 、各教室

にそなえておかなければならないのでしょ

〉同ノムμ 。

はじめて

まず 、ふ

なぜ小学校はナイフを使うのを禁止するのか

ぼくたちが小学生のころ 、一年生になっ

たしぼらくは 、毎朝 、ほ裂が二本か一二本の

釘茶を 、きれいに削っておいてくれたもの

です

。しかし、一年生のはじめての夏休み

がすぎたころには 、もうたいていの子 、か 、

まがりなりにも 、ナイフを使って鉛筆を削

ることができました 。

もちろん 、それは 、なんとなくぎこちな

〈 、ナイフで木肌をむしったようになった

り 、どう見ても 、上手に削れたとはいえた

ものではないのですが 、それが 、二年生に

なり 、ゴ一年生になるにつれて 、鉛筆の削り

かたも 、だんだんかたちになってきたので

す 。そうなると 、今度は 、ただ削れたという

だけでなく 、もっと拡大しく削りたいという

気持が 、おこってきます。ぼくたちは 、部

った而が六つになるように 、そしてその函

と面が 、ぴちっと一直線になるように 、削

ろうとしさした 。

なかなか 、これはむつかしいことで 、い

まのように 、家でも学校でも 、鉛筆をガラ

ガラ 、鉛筆削り

器で削っている子には 、お

そらく 、できないことかも知れません 。

まず 、六つの白を 、ほぼおなじ

大きさに

出るには 、一つの題を一度部りはじめたら

芯のところまで 、ナイフをとめてはいけな

い 、一気に削ってしまう。そして 、つぎの

面もおなじように 、一気にさきまで削って

しまう。そして六つの出ができ上っ

たとき

に 、どの簡も 、まずおなじ

大きさで 、削り

ロが 、ほぽおなじ

位置から出発していて 、

どの国も 、ピカピカと光っている、そうい

うふうに削りたかっ

たのです。しかし、そ

れができたのは 、たぶん 、六年生になって

からかも知れません 。

そんなことは 、どうだつていいじゃない

か 、鉛川市十は書けたらいいので 、どんなふう

に削ろうと 、勉強には関係がないはずだと

おっしゃるかたも 、けっして少なくはない

とおもっています。

だからこそ 、それをいわなければならな

いのです。そんなふうにおっしゃるかたの

〈勉強〉とは 、いっ

たいなんでしょうか 。

ぼくがいま、くどくどと 、いかにしてナイ

フで一本の鉛筆を削るか 、につレていって

きた 、それも大きな〈勉強〉なのです。そ

れは 、人間の手の勉強です。あるいは 、人

こころの勉強記

間の手の勉強をとおして 、

と思うからです。

もちろん 、小さな子どもが 、ナイフをも

つのですから 、ぼく

個人の経験でも 、間円度

か指さきに 、小さなケガをしました 。そう

いうとき 、母親はその傷を見て 、そんなも

のは 、ちょっと口で吸ってじっと押えてお

けば 、すぐ

治るといっ

たものです。たしか

に 、それでなおる程度の傷でした 。いまの

ように 、ゃれパンドエ

イド

がどうのと 、大

騒ぎなどしなくても 、すんだ時代なので

す。小学校や中学校の義務教育で 、必要なの

は 、いわゆる読み書き算盤はもちろんです

が 、こういっ

た人間の手を 、大切に育て上

げる教育ではないでしょうか 。

ナイフが使えない無器用な手 、ひもが結

べない手 、紙の枚数が数えられない手 、箸

がきちんと持てない手 、いまの世の中は 、

どれだけ人間の手を 、圧殺しようとしてい

ることでしょう。

ところが 、現実には 、各教室に鉛筆削り

器を備えるだけでなく 、いまいっ

たように

ナイフを持ってくることを禁止している小

学校が 、いくつもあります。あるいは 、表

向きは禁止していなくても 、持ってきた子

がいると 、教室には鉛筆削り

器があるのだ

から 、不必要なものは 、もってこないよう

に 、と先生が〈指導〉する学校も 、またい

くつもあるようです。

一九六O年に 、社会党の浅沼委員長が 、

少年に刺殺される、という

事件がありまし

た 。その後 、警視庁はすぐに〈刃物をもた

ない運動Vをはじめ 、学校には 、ナイフで

205

Page 7: 花森安治 人間の手について

鉛筆を削らせないように、

鉛築制り器を使

うように、

連絡指導事項として、

つよく要

請したのです。

これは、

戦後警視庁がやったおせっかい

のなかでも、

もっともまずかったことの一

つです。

いまは警視庁自身も、

なにぶん古

いことで、

詳しいことはよくわからないが

などといっています。

それなのに、

学校によっては、

いまだに

ナイフをもつのを、

はっきり規則として禁

止している学校があるのですから、

これは

お上からの通達というよりは、

もっと、

つの理由があると考えたほうがよさそうで

す。ある先生は、

こんなふうに話してくれま

した。「

学校で、

ナイフで鉛筆を削らせると、

なかには指にちょっとしたキズをつくるこ

とだってあります。

ところが、

いまの父母

のなかには、

そんなことでも居丈高になっ

て、

学校へのり込んでくる、

あるいは、

校ではらちがあかないとみると、

教育委員

会に問題をもっていく、

ということが、

常にさかんなのです。

私たち教師は、

ほん

とうは子どもたちに、

ナイフを使うことな

どをいろいろ教えたいとおもうのですが、

こういう風潮のなかでは、

ついニの足をふ

んでしまうのです」

ぼくは、

もともとナイフで鉛筆を削るこ

とや、

箸をちゃんと持つことや、

ヒモをき

ちんと結べることなどをしつけていくのは

家庭の仕事だとおもっています。

ぼくたちが小学生だったころは、

家庭で

しつけるもなんにも、

鉛筆削り器というも

のがありませんでした。

だから、

こどもた

ちはだれにも教えてもらわないで、

自分で

工夫をして、

生懸命、

鉛筆を削ってきま

した。今

はそうはいきません。

ちょっと手をの

ばせば、

ガリガリと鉛筆を削る道具が、

っぱい出ています。

家庭によっては、

お兄

ちゃんに一

台、

弟さんに一

台、

というふう

に、

あてがっているところもあるくらいで

す。そうすることで、

こどもがすこしでも、

勉強ができるとカンちがいしている時代で

すから、

こういう時代に、

親が、

人間の手

わざをいろいろと教えていくのには、

そう

とうな覚悟がいるとはおもいます。

しかし、

それは、

親がしなければならな

い、

とても大きな仕事です。

ぼくの知っている家庭では、

幼稚闘ぐら

いから、

こどもに、

ナイフを持たせていま

す。

鉛筆を削らせたり、

台所でじゃがいも

や、

にんじんを切らせたりしています。

箸をきちんと持たせることは、

おもった

ほどむつかしくはありませんでした、

のお母さんは話していました。

とそ

人間は、

道具をつかう動物だ、

といわれ

ています。

ここで、

はっきりしておきたい

のは、

人聞は、

道具につかわれる動物では

ないということです。

道具をつかうのは、

人間の手です。

ある

いは、

人鵠の自や、

耳や、

鼻といった感覚

です。

こういった感覚は、

訓練なすればす

るほど、

鋭くなっていきます。

たとえば、

昔、

海軍の水兵たちは、

暗閣

でものを見る訓練を、

そうとう痛烈にやら

されたということです。

その結呆、

本来な

ら見えないはずのものが、

水兵たちは見る

ことができた、

といいます。

この話は、

レーダーのなかった日本軍の

苦しいあまりの一

策だった、

といわれてい

ます。

しかし、

もしも、

レーダーがこわれ

たとき、

そういう訓練ができているのと、

いないのとでは、

たいへんな違いがおこり

ます。

鉛筆削り器にしても、

こわれること

はよくあります。一

度こわれた旬、

新しい

のを買うまで、

だれも鉛筆を削ることがで

きないのでしょうか。

そんなバカげたこと

は、

ありますまい。

人間の手のわざを、

封じないようにした

いというのは、

つまりは、

人聞の持ってい

るいろんな感覚を、

マヒさせてしまわない

ように、

ひいては、

自分の身のまわり、

と人とのつながり、

世の中のこと、

そうい

ったことにも、

なにが美しいのか、

なにが

みにくいのか、

という美意識をつちかって

いくことになるからです。

ここでは、

もっともわかりやすい例とし

て、

鉛筆削り器をとりあげました。

しかし

問題は、

これまで学校を取材した範囲でも

206

Page 8: 花森安治 人間の手について

まだまだたくさんありますQ

どうして生徒一

人一

人に、

ボールが一コ

以上必要なのでしょうか。

どうして生徒一

人一

人に、

デスクオルガンが一

台ずつ必要

なのでしょうか。

先生たちのなかには、

ごく単純に、

これ

からの世の中では、

ナイフをつかう仕事な

んて、

考えられませんからね、

といった人

が、

なん人かい・ました。

ナイフは鉛筆を削るだけではなく、

庖丁

もナイフの一

種です。

いまの若いお母さん

たちの、

庖丁づかいの危っかしい手つきを

見ていると、

わたしたちが戦後、

おかして

きた一

つの大きな過ちに気がつきます。

しかも、

この先生のいい方をまねると、

オルガンをこれからの世の中でっかうこと

は、

そんなにないとおもいますね、

という

ことにもなるでしょう。

なんのためにオル

ガンを教えるのか、

ときいてみたら、

文字

どおり、

十人十色、

容はみんなちがってい

ました。

ぼくが考えるのに、

オルガンをひかせる

ということは、

自分の手で、

自分の知って

いる一

つのメロディiをひくことができる

という、

あの喜びではないのでしょうか。

人間の手わざは、

みんな自分でなにかを

作り出す喜びというものに、

つながってい

ます。

ところが、

いくらよくできた鉛筆削

り慌でも、

それを使って

鉛筆を削ったと

き、

なにかを作り出したというよろこびが

あるでしょうか。

鉛筆の芯がまるくなったから、

鉛筆の芯

が折れたから、

新しい鉛崇をおろさねばな

らないから 、

そうしったときに 、

、まるでヒ

ジネスのように、

鉛筆削り器を使っていま

す。

料理ひとつ作るにしても、

じぶんの手

で材料を洗い、

切り、

煮炊きし、

味をつけ

て、

ひとつの料理に仕上げていく、

そこに

こそ、

じぶんで作り出すというよろこびが

学校に本来は道具などいらぬ

学校の教育については、

いろいろのこと

がいわれています。

しかし、

いちばん提本

の、

人間を作っていくということについて

は、

どれほどの論議が、

これまでつくされ

たでしょうか。

その証拠に、

全思ほとんど

の小学校の教室に、

平然と、

鉛築削り器が

そなえつけられてあるからです。

ある先生に、

どうしてこんなにいろんな

道具がいるのですかと開いたら、

昔とちが

っていまは、

教えることがいっぱいあるか

らだよ、

という返事でした。

どうしてそんなに教えることが、

いっぱ

いあるのでしょうか。

教えることがいっぱ

いあると、

文部省が通達してきたからでし

ょろか。

先生たちは、

ほんとうに、

こんな

にたくさんのことを、

小学生に教えなけれ

ばならないとおもっているのでしょうか。

結論をいいます。

学校には、

本来、

道具

はいりません。

黒板ひとつあれば、

立派に

教育してゆくことができるでしょう。

その

黒板さえなくても、

教育は、

できるはずで

す。これは、

家庭にでもいえることです。

にか、

いろんな凶鑑を買ってやったり、

科事典を買ってやったりすれば、

それが勉

あるのです。

なんでもかでも、

即席食品を買ってきて

一一一分でオiヶーなどというのでは、

もちろ

ん、

じぶんで作り出すなんのよろこびもな

いでしょう。

もう増やすな

強だと思っている親がいます。

小学校一

や二年の子どもに、

勉強机がなければ、

強はできないものだと一信じている親がいま

す。

子どもに、

子ども部屋を作ってやらな

ければ、

勉強できないと思いこんでいる親

がいます。

戦後一一一十年たちぎした。

そろそろここで

文部省も、

先生がたも、

世の中のそのほう

の偉い人たちも、

親も、

みんなで、

この問

題を考えなおしてみるべ

きときだと、

おも

います。

そして、

教育機法庭菜などというものを

これ以とふとらせないためにも、

数はあっ

てもじっさいには、

あまり活用されていな

い諸々の器材を、

これ以上そなえつけない

ようにする。

そして先主ひとりひとりが、

本当の教育とはなにかを、

考えてもらわな

ければならないときです。

もちろん先生も人間です。

暮していかな

ければなりません。

しかし、

先生という仕

事は、

ほかの仕事にくらべて、

もう少し弱

腰でない、

もう少し殺にも校長にもいいた

いことをはっ

きりいえる人に、

やってもら

いたレと、

おもうのです。