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インスリン 製剤の 変遷をたどる 埼玉医科大学内分泌・糖尿病内科 粟田 卓也 監修・執筆 発行 株式会社メディカル・ジャーナル社 〒102-0073 東京都千代田区九段北1-12-4 TEL(03)3265-5801(代) FAX(03)3265-5820

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インスリン製剤の変遷をたどる

埼玉医科大学内分泌・糖尿病内科粟田 卓也監修・執筆

インスリン製剤の変遷をたどる

発行 株式会社メディカル・ジャーナル社 〒102-0073 東京都千代田区九段北1-12-4 TEL(03)3265-5801(代) FAX(03)3265-5820

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インスリンの発見�

序文�

インスリン発見以前�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

DITN鼎談�インスリン製剤の変遷をたどる~過去、現在、そして未来~�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

治療薬としてのインスリンの誕生�

インスリンとノーベル賞�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

プロインスリンの発見�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

ヒトインスリンを目指して~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

ヒトインスリン遺伝子のクローニング�ミニコラム�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

インスリン遺伝子と糖尿病�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

新たなインスリンを求めて~単量体インスリンの開発~�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

インスリンの立体構造�ミニコラム�

超速効型インスリン製剤の誕生~インスリンアナログの時代へ~�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

インスリンスーパーファミリー�ミニコラム�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

ソモジー効果と暁現象�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

脂肪酸が付いた持効型溶解インスリン製剤の誕生�

妊娠とインスリンアナログ製剤�

谷 健先生(自治医科大学 名誉教授)�

岩本 安彦先生(東京女子医科大学 常務理事・名誉教授)�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

新世代の持効型溶解インスリン製剤の誕生�・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリン注入デバイスの変遷�

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・�

ミニコラム�

ゲスト�

粟田 卓也先生(埼玉医科大学 内分泌・糖尿病内科)�司 会�

ゲスト�

 医学史の中でも特筆される出来事であるインスリンの発見から92年が経ちました。イ

ンスリンは異例の速さで臨床に応用され、また異例の速さでその発見に対してノーベル

賞が授与されました。しかし、それはインスリン製剤開発の始まりに過ぎなかったので

す。インスリン治療は最も難しいホルモン補充療法です。過剰投与による低血糖を回避

しながら、ダイナミックに変動する生理的なインスリン分泌を皮下注射で再現するため

に、次々と新しいインスリン製剤が開発されてきました。�

 インスリンの発見とその後の物語については、多くの著作で語り尽くされています。

そうした中、大きく進化してきたインスリン製剤にスポットを当てて、「インスリン製剤

の歴史をたどる」という企画をメディカル・ジャーナル社から頂き、2011年6月号から

2013年5月号の約2年間にわたりDITNに連載することができました。連載では、主だっ

た製剤を(中には発売に至らなかった製剤もありますが)、開発の経緯を含めて紹介する

とともに、インスリンについての興味深い余談をミニコラムとして紹介しました。幸い、

好意的なご評価を頂き、今回、2013年8月号の 谷健先生、岩本安彦先生との鼎談を含め

て、若干の修正・加筆を加えて冊子として発行することになりました。私自身が医師に

なってしばらくして、待望のヒトインスリン製剤が発売されました。その頃には、その

後のインスリンアナログ製剤の隆盛は思いもよらぬものでしたが、インスリン製剤の進

化は今後も止まることはないでしょう。本書が糖尿病診療に携わる人に少しでもお役に

立てれば幸甚です。�

平成25年10月吉日�

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1.インスリンの発見

54 インスリン製剤の変遷をたどるインスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見�

膿瘍が生じた。しかし、1月23日にコリップの作った新し

い抽出液をトンプソン少年に再度注射したところ、血糖

は520mg/dLから120mg/dLまで下がり、尿糖はほとん

ど消失した(図2)。さらに6人の患者に投与して良好な結

果を得られ、マクラウドは1922年5月にアメリカ内科学会

で糖尿病患者の治療に有効な膵臓抽出物をバンティングと

ベストが名付けたアイレチンではなく、インスリンと命名し

て発表した。ミニコラムにあるように、すでにシェーファー

がインスリンという名前を提案していたが、英文の綴り

では語尾のeは除かれていた(insuline→insulin)。ミニコ

ラムにある糖尿病の飢餓療法で著名であったアレンも発

表を聞き、現代医学で最も偉大な功績の一つであるとし

て賞賛した。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)マイケル・ブリス(堀田饒訳): インスリンの発見. 朝日新聞社, 1993.2)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.3)二宮陸雄 : インスリン物語. 医歯薬出版株式会社, 2002.4)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.

はじめに

最初のインスリン治療はインスリンが発見された年の

翌年の1922年にさかのぼるが、90年を経た現在では日本

だけでも約100万人以上の糖尿病患者に使用されるに至っ

ている。多くの糖尿病患者を死の淵から救ったインスリン

の発見物語とその後の発展の歴史は、医学史の中でも特筆

されるものとして大きな注目を集め、すでに多くの書籍・

著述にまとめられている。

本連載では、動物インスリンからヒトインスリン、さら

にはインスリンアナログへと大きく進化してきたインスリ

ン製剤にスポットを当てて、そうした90年にわたるイン

スリンの歴史をたどり、患者、医療現場にもたらされたメ

リットやデメリット、さらには今後の展望を述べたい。

トロントの奇跡

ペニシリンの発見などと並ぶ20世紀最大の医学上の発

見と言われるインスリンの発見は、1921年にカナダのトロ

ントでなされた。主役となったのは、こうした偉大な発

見などしそうもないカナダのオンタリオ州の小都市ロン

ドンの外科開業医フレデリック・バンティングであった。

1920年10月30日の夜、犬の膵管を縛れば外分泌細胞が萎

縮・退化し、残った膵島細胞から糖尿病の血糖を下げる

内分泌物質が得られるのではないかとのアイデアを得て、

バンティングは11月7日にトロント大学生理学のマクラウ

ド教授と面会した。マクラウドはあまり乗り気ではなかっ

たものの、膵管を縛って変性した膵臓を移植するという

新しい試みに興味を持ち、学生のベストが助手として加わ

り、1921年5月17日に実験が開始された。彼らにとって幸

運なことに、1918年に少量の血液からの血糖測定が可能

となっていた。膵管結索は当初はうまくいかなかったが、

7月30日にようやく十分に変性した膵臓を取り出すことが

できた。予定していた移植は取りやめて、氷冷したリン

ゲル液の中ですりつぶして得た膵臓抽出物を糖尿病犬に

投与してみたところ、血糖が200mg/dLから110mg/dLに

まで低下した(図1)。その後2匹の犬でも血糖降下作用を

確認し、彼らはその抽出物をアイレチン(isletin)と名付

けた。マクラウド教授が夏期休暇で不在の間の出来事で

あり、まさに真夏のトロントの奇跡であった。生化学者コ

リップもチームに加わり、アイレチンの検討はさらに進め

られた。12月には変性した膵臓でなくともアルコールを用

いて抽出できることもわかった。ちなみに、アイレチンを

投与され70日以上も生存した膵全摘除犬マージョリーの

名は後に有名になる(写真1)。

1922年1月11日にいよいよヒトの糖尿病に試すことに

なった。トロント総合大学に入院していた14歳のトンプ

ソン少年の両方のおしりに牛の膵臓からの弱酸性エタノー

ル抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最

初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

糖尿病の病変の座が膵臓であることが判明したのは

最近のことである。17世紀にブルンネルは膵臓の役割

を調べるために犬の膵臓を切除する実験を行ったが、犬

たちは3カ月から1年も生きた。実際には膵管を切断す

るのが手術の主な内容であったためらしいが、膵臓は不

要な臓器であるとして、その後200年近く膵臓への関心

は薄れることとなった。

糖尿病の歴史の中で大きなブレークスルーが、1889年

にミンコフスキー(写真2)とメーリングによる膵臓摘出

実験における偶然の観察からもたらされた。彼らは膵臓

の酵素が脂肪の消化に必要かどうかを調べるために犬の

膵臓の全摘出術を行ったが、著しい頻尿を認めたことか

ら尿糖を測定し重症糖尿病が発症していることを発見し

た。1916年にイギリスのシェーファーは1869年に20歳

の医学生であったランゲルハンスが発見した膵島から内

分泌される仮想ホルモンが糖尿病の原因になるとの推論

を発表し、それをインスリンと命名した。

インスリン発見以前の重症糖尿病患者(現在の1型糖

尿病)の運命は過酷であった。発症後数年以内にケト

アシドーシスによる昏睡で死亡し、3年以上生きながら

えるのはまれであった。唯一の治療法はアメリカのア

レン(写真3)が行った飢餓療法であるが、飢えによる

死を選ぶか糖尿病による死を選ぶかのようなものであ

り、患者の寿命を数年延ばすのがせいぜいであった。

糖尿病犬410号 1921年7月30日の血糖値�

1 3 5 7 9 11 1 3 5 7 9 11時�

②変性した膵臓の抽出物5mLを静脈内に注入�③水200mLに溶かした糖20グラムを胃管を通して投与�

血糖値�(mg/dL)�

250

200

150

100

300

②�②�

②�

②�②�

②�

③�

210

110

200

1921年7月30日�

図1

実験ノートから�

医学部棟屋上のバンティング(右)、�ベスト(左)と膵摘犬マージョリー�

写真1

膵抽出物によるレナード・トンプソンの尿糖の変化�

6

220

1月� 2月�

尿糖�(グラム)�

200

180

160

140

120

100

80

60

40

20

7 8 9 10 11 12 13 14 15 7 8 9 10 11 12 13 14 1516 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6

図2

The Canadian Medical Association Journal 1922年�

写真2 写真3

オスカー・ミンコフスキー� フレデリック・M・アレン�

インスリン発見以前

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2.治療薬としてのインスリンの誕生

7インスリン製剤の変遷をたどる6 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

治療薬としてのインスリンの誕生�

初期のインスリン製剤

インスリンの発見が新聞報道によって全世界に知られてか

ら、インスリンを懇願する手紙がバンティングやマクラウド

に殺到した。今や、インスリンを大量生産する必要性は明ら

かであったが、トロントの研究室ではうまくいかなかった。

トロント大学は1922年5月、アメリカ・インディアナポリス

のイーライ・リリー社にアメリカ大陸におけるインスリンの

独占的製造許可を与えた。ほどなくして、家畜の膵臓から

工業スケールの大量のインスリンが抽出可能となり(写真1)、

1923年の終わりには「アイレチン」の商品名で2万5,000人の

患者がインスリンの治療を受けるにいたった。インスリンの

製造はまたたくまにヨーロッパでも広まり、1923年に発売

されたノルディスク社の「レオ」(写真2)をはじめとして、

多くの製薬会社がインスリン製剤を発売した。

日本においては、1923年に日本の数カ所で「アイレチン」

が輸入されて、インスリン治療が行われ始めたようである。

1924年3月に発行された「糖尿病のインスリン療法」という

書籍の中に輸入インスリンの広告があるが、100単位8円で

あり、教員の初任給が当時50円程度であったことを考えれ

ばきわめて高価であった(写真3)。

初期のインスリンは、精製が不十分で汚い茶色の外観を

していた。また、インスリン注射には、ガラスの注射器お

よび針を煮沸消毒して繰り返して使っていた(写真4)。そ

のため、インスリン治療は煩雑で、太い針と製剤への不純

物の混入のためかなりの痛みを伴っていた。それでも、イ

ンスリンによる治療は死の淵にあった多くの1型糖尿病患者

の命を救い、劇的に栄養状態を改善した(写真5)。マイケ

ル・ブリスの「インスリンの発見」には、回復が特にすばら

しかった症例として、エリザベス・ヒューズ(写真6)のこと

を細かく述べている。エリザベスはニューヨーク州知事か

ら最高裁判所長官にまでなったアメリカ政府要人の娘で

あったが、1918年に1型糖尿病を発症した。アレン医師の

飢餓療法を忠実に守り、何度かの生命の危機を脱しては

いたが体重は減少する一方であった。ようやく、インスリン

の大量生産が可能となってきた8月15日にトロントにやっ

てきて治療を受けることができた。あと3日で15歳になる

ところであったが、極度にやせ衰え身長152cmに対して

体重は20kgしかなかった。ただちにインスリンを1日2回

1mLずつ注射したところ、すぐに尿糖が消失し、食事は

889kcalから翌週には2,200~2,400kcal、さらには2,500~

2,700kcalとなり、毎週1kgずつ体重は増えた。秋にはすっ

かり元気で健康的な身体になり、映画やコンサート、さら

にはドライブや旅行にも出かけられるようになった。エリ

ザベスの驚異的な回復ぶりに、トロントを訪問した医師は

驚嘆した。その後、エリザベスは73歳で亡くなるまでイン

スリン注射を続け、法律家として活躍するとともに結婚し、

3人の子どもの母親ともなった。エリザベスの治療経過は、

インスリンの劇的な効果を示す実話としてアメリカ各地の新

聞記事で報道された。

熱狂を過ぎて

インスリン治療が広まるにつれて、糖尿病性昏睡で死亡

することはまれになり、アレンの飢餓療法は行われること

はなくなった。糖尿病患者の寿命は延長し、エリザベス・

ヒューズのように、社会生活や結婚生活を享受することも

可能になった。しかし、インスリンは糖尿病治療の問題点

をすべて解決したわけではなかった。インスリン注射に伴

う低血糖やアレルギー反応などの副作用のみならず、イン

スリンの注射量と注射回数、食事とインスリン量のバランス

などが、まず解決すべき点として浮き彫りになった。さら

に、インスリン治療により昏睡をまぬがれても、罹病期間が

長くなると網膜症、腎症、動脈硬化症が高頻度に現れてく

ることが明らかとなり、糖尿病治療の焦点は昏睡との闘い

から慢性合併症との闘いに移ることとなった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)マイケル・ブリス(堀田饒訳): インスリンの発見. 朝日新聞社, 1993.2)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.3)二宮陸雄 : インスリン物語. 医歯薬出版株式会社, 2002.4)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ, 講談社, 1996.5)日本糖尿病学会 : 糖尿病学の変遷を見つめて 日本糖尿病学会50年の歴史. 社団法人日本糖尿病学会, 2008.

6)Diabetes Journal編集委員会編 : 日本における糖尿病の歴史, 山之内製薬, 1994.

エリザベス・ヒューズ�(1907-1981)�インスリン投与前後の患者(1922年)�

インスリンレオ(デンマーク発の�インスリン製剤)�

アイレチン発売当時の注射器(1923年)�

1922年当時のアイレチン製造のために必要であったブタ膵臓の山。この膵臓の山から手前のボトル1本分のインスリンしか抽出できなかった。�

大正時代のインスリンの�広告�

写真1 写真2

写真3 写真4

写真5 写真6

インスリンとノーベル賞

奇跡の治療薬であるインスリンの発見は数々の栄誉を

もたらしたが、1923年10月25日には最高の栄誉である

ノーベル賞(医学生理学賞)が授与された。バンティング

はカナダ人としては最初の受賞者であった。受賞者はバ

ンティングとマクラウドの2人と発表されたが、バンティ

ングはベストが受賞できなかったことに憤慨し、賞金

の半額をベストに分けると声明し、一方マクラウドはコ

リップと折半すると表明した。2人はノーベル賞授賞式

にも出席せず、そのあとに別々に行った受賞講演の中で

も、互いの反目と不信をあらわにしている。しかし、受

賞に漏れたベストは若くしてマクラウドの後任のトロン

ト大学生理学教授になり、また1941年に飛行機事故で

亡くなったバンティングの後任としてバンティング・ベ

スト研究所所長も務め、1978年に亡くなるまでに研究

者として卓越した業績を上げている。後に、ノーベル賞

史編集委員会もベストにもノーベル賞が与えられるべき

であったと発表した。

インスリンの発見という医学史上の一大

金字塔のあとも、その奇跡的な効果を解明

しようとする研究は科学に多大な貢献をも

たらし、インスリンはノーベル賞の歴史にた

びたび登場した。ケンブリッジ大学のサン

ガーは、インスリンのアミノ酸配列を決定

し、蛋白質がアミノ酸の連結した確固たる

化学構造を持つことを初めて示したことで、

1958年のノーベル化学賞を受賞した。イン

スリンの立体構造は、1964年にノーベル化

学賞を受賞したオックスフォード大学の女性X

線結晶学者ホジキンにより解明され、インスリンは構造

が確定した最初の蛋白質になった。インスリンのアミノ

酸配列が明らかになると、人工的にインスリンを作り出

そうとする研究が盛んに行われた。ロックフェラー研究

所のメリーフィールドが開発した固相法によるペプチド

合成機は、インスリンを画期的に早く合成できた。彼の

固相法は核酸の合成にも利用され、1984年のノーベル

化学賞を受賞した。また、ホルモン、ビタミン、酵素な

どの血液中の微量物質を測定する画期的手法として広く

用いられているラジオイムノアッセイ(RIA)は、ブロン

クス在郷軍人病院放射線医学部門のバーソンとヤーロウ

が、インスリン治療中の患者にインスリン抗体を発見し

たことをきっかけに開発された。ヤーロウは1977年の

ノーベル医学生理学賞を受賞したが、残念なことにバー

ソンはその5年前に心臓発作で急死したため受賞できな

かった。

バンティング� マクラウド� コリップ� ベスト�

サンガー� ホジキン� バーソン� ヤーロウ�

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3.動物インスリンとハーゲドンの時代

9インスリン製剤の変遷をたどる8 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

インスリン結晶の発見

発売当初のインスリン製剤は不純物の多いレギュラーイ

ンスリンといったものであり、90%以上が不純物であった。

そのため、局所の発赤・腫脹などのアレルギー反応が高率

に見られ、皮膚がやけどのようになったり(insulin burns)、

皮下に無菌性膿瘍が生ずることもあったようである。

インスリン純化のブレークスルーとなったのは、1926年の

エイベルによるインスリンの結晶化の成功である(写真1)。

インスリンの結晶には亜鉛が重要であるが、エイベルの成

功はたまたま使った容器に微量の亜鉛が入っていたためで

あった。

持続性製剤の開発

もう1つのインスリン製剤の改良は、作用時間の長いイン

スリンの開発であった。尿糖の陰性化のためには1日に3~

4回の注射が必要であったが、当初のインスリンは酸性で

注射針も太く強い注射痛を伴った。また、皮肉なことに、

インスリン純度の向上によりインスリンの作用時間は短縮し

た。インスリンの作用時間を延長しようとして、アラビア

ゴム、レシチン、アドレナリンなどを混ぜることが試みら

れたがうまくいかなかった。

ハーゲドンの時代

デンマークのハーゲドンは、1918年に初めて実用的な血

糖測定法をイェンセンと共同開発したのみならず、1923年

にノルディスクインスリン研究所からヨーロッパ初のイン

スリン製剤を発売し、1932年に糖尿病治療中心のステノメ

モリアル病院を開設するなど国際的に注目されていた医師

であった(写真2)。1932年のクリスマス前後にハーゲドン

は塩基性蛋白質に思い当たる。インスリンは酸性で溶けに

くくなる性質があるが、塩基性蛋白質に結合させれば、中

性の組織液で溶けにくくなるのではないかと考えた。ヒス

トンなども検討されたが、最終的にニジマスの精子から抽

出したプロタミンに到達した。

1936年の論文で、従来のレギュラーインスリンをプロタミ

ンインスリンに変更することにより(朝夕の2回打ちの夕の

インスリンを変更)、血糖の変動幅は大幅に縮小した(図1)。

さらに、注射部位の痛みや炎症反応はなく、低血糖の回数

は減少し、起こったとしても症状の発現が緩やかであり対

処する余裕ができた。新しいインスリンの評判はすぐに高

まり、アメリカの糖尿病治療の権威であったジョスリン

(写真3)は、糖尿病治療の新時代として「ハーゲドンの時

代」が到来したと称賛した。

当初のプロタミンインスリンは使用前に緩衝液と混合し

なければならないという欠点があったが、カナダのスコッ

トらが亜鉛を加えたプロタミン亜鉛インスリン(protamine

zinc insulin : PZI)を開発した。しかし、PZIは効果は長い

ものの、吸収が不安定で重症低血糖を起こしやすいという

欠点があった。1946年にノルディスクインスリン研究所は

インスリンとプロタミンが過不足なく結合して結晶を作る中

間型インスリンを開発し、Neutral Protamine Hagedorn

(NPH)と命名した(写真4)。一方で、やはりデンマークの

ノボ社が1953年に持続型亜鉛懸濁インスリン製剤「レンテ®」

シリーズを開発した(写真5)。プロタミンを含まないためア

レルギー反応が少ないという特徴があった。さらに、1959

年には無晶性ブタインスリンと結晶性ウシインスリンを混合

した二相性インスリンである「ラピタード®」も発売された。

なお、日本ではもともと畜産が少なかったことと戦争のた

め、1941年から1968年まで、マグロなどの魚や鯨からイン

スリンが抽出され市販されていた(写真6)。

高純度インスリンの開発とヒトインスリン製剤への期待

結晶化によるインスリン純度の向上後もアレルギー反応

はなくならず、インスリン抗体が高頻度に検出されること

が明らかになった。結晶化されたインスリン製剤でもプロ

インスリンなどの不純物を含むことが明らかになり(ミニ

コラム参照)、それらを除いたモノコンポーネント(MC)

インスリンが主流になり、アレルギー反応やインスリン抗

体によるインスリン抵抗性は減少したが完全にはなくなら

なかった。根本的な問題としてインスリンの種差があり、

ヒトと比べて、ウシでは3個、ブタでは1個のアミノ酸が

異なっており、ヒトインスリンを望む声は日増しに高まっ

ていった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)トルステン・デッカート(大森安恵、成田あゆみ訳): ハーゲドン 情熱の生涯理想のインスリンを求めて. 時空出版, 2007.

2)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.3)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.4)葛谷健 : 糖尿病の歴史(連載). 雑誌「肥満と糖尿病」, 丹水社.5)後藤由夫 : 私の糖尿病50年. 創新社, 2009.さまざまなインスリン結晶�

dは正方晶系NPHインスリン結晶、eは菱面体系インスリン亜鉛結晶�

a b c

d e f

ハンス・クリスチャン・ハーゲ�ドン(1888-1971)�

エリオット・P・ジョスリン�(1869-1962)�

NPHインスリン�図1 プロタミンインスリンの最初の論文�

プロタミンインスリンは丸印で示す。レギュラーインスリンでは夜間に血糖が低下し早朝に著明な高血糖となっているが、プロタミンインスリンでは著明に改善し、1日尿糖量(g)も著明に減少した。�

4日�

(mg/dL)�

1.44アンモニア�33

1.1617

1.6348

1.1420

0.680.5

0.480尿糖�

2432 322436 2436 2236インスリン単位�

12†� †�

1824 6 12†� †�

1824 6 12†� †�

1824 6 12†� †�

1824 6 12†� †�

1824 6 12†� †�

1824 6時刻�

5 6 7 8 92236 20

36歳, 女性�

40035030025020015010050

血糖値�

写真2 写真3 写真4

写真1

JAMA 1936; 106: 177-180.

葛谷健編 : インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.

レンテインスリン� 市販された魚インスリン�写真5 写真6

プロインスリンの発見

現在では、インスリンの合成・分泌の詳細は明らかに

されている。すなわち、小胞体でまずプレプロインスリ

ンが合成され、ゴルジ装置を経てプロインスリンとして

分泌顆粒(β顆粒)に入り、β顆粒内でインスリンとCペ

プチドに分解されて、エクソサイトーシスにより膵島の

β細胞外に分泌される。成熟したβ顆粒ではインスリン

はさまざまな形の結晶様構造を示し、その周囲に明るい

空隙が見られる(図2)。

しかし、当初はインスリンを構成するA鎖とB鎖が

別々に合成されてからS-S結合で組み合わされるという

考え方もあった。インスリンが一本鎖の前駆ペプチドを

経て合成されることは、ほぼ同時期に2つのアプローチ

から解明されることになる。

シカゴ大学のスタイナーは(写真7)、インスリン産生

腫瘍(インスリノーマ)の手術標本の解析からインスリン

前駆体の存在を1967年の論文に発表し、プロインスリ

ンと名付けた。一方、チャンスらは、1968年にブタイ

ンスリン製剤の不純物の解析からプロインスリンを発見

した。インスリンを抽出する過程で出てくるグルカゴン

やCペプチドなどは結晶化により除かれるが、プロイン

スリンおよびプロインスリンからインスリンへの中間生

成物はインスリンと共結晶を作るために結晶化を繰り返

しても除けなかったのである。

ドナルド・スタイナー�(1930-)�

ヒト膵島の隣接したβ細胞(左)とα細胞(右)�に見られるβ顆粒のインスリンとα顆粒のグル�カゴン�

図2 写真7

Page 7: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

ヒトインスリン遺伝子のクローニング

4.ヒトインスリンを目指して~半合成ヒトインスリン製剤の開発~

11インスリン製剤の変遷をたどる10 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

ヒトインスリン製剤が登場する前に使用されていたイン

スリンは、もっぱら家畜であるブタやウシの膵臓から抽出

していた。連載第3回(p8~9)で紹介したように、1970年

代に発売された高純度のインスリン製剤でもアレルギーや

抗体の産生はなくならず、ヒトの糖尿病にはヒトのインス

リンを使うべきだという声は高まっていった。また、家畜

からのインスリン抽出では、糖尿病患者の増加により早晩

インスリンが足りなくなることも危惧されていた。しかし

ながら、ヒト膵臓から抽出するわけにもいかず、人工的に

合成する方法がいろいろ試みられた。

化学合成によるヒトインスリン

サンガーが1956年にインスリンのアミノ酸配列とS-S結合

の位置を決定すると(連載第2回〔p7〕ミニコラム参照)、人

工のインスリンを化学的に作り出そうとする研究が競っ

て行われ、1960年代にアメリカ、ドイツ、中国でほぼ同

時に独立して最初の化学合成が報告された。インスリン

は、アミノ酸がそれぞれ21個と30個のA鎖、B鎖と3個

のS-S結合でできている。そのため、合成したA鎖とB鎖

の混合物を空気酸化することにより作られた。しかし、ア

ミノ酸がつながったペプチドの合成に多大な手間がかかる

とともに、6個のSH基がいろいろな組み合わせで結合する

可能性があるので(図1)、インスリンの収量は2%程度と

少なかった。その後、ペプチド合成はメリーフィールド

の固相法により画期的に効率的になり、S-S結合形成の効

率も50%以上に向上したが、多数の合成過程が必要で費

用がかかることもあり化学合成によるヒトインスリン製

剤の作製は実用化には至らなかった。

ブタインスリンからの半合成

次に試みられたのは、ブタインスリンを改変してヒトイ

ンスリンを作ることである。ウシインスリンがヒトインスリ

ンと3個のアミノ酸が異なっているのに対して、ブタイン

スリンではB鎖C末端がヒトインスリンでのトレオニンか

らアラニンに置換しているのみであり、ヒトインスリンへ

の転換は比較的容易と考えられた。塩野義研究所の森原

和之(写真1)は、日本で単離された酵素アクロモバクター

プロテアーゼにより、ブタインスリンのB鎖C末端のアラ

ニンを特異的に取り除いた後、トレオニンを結合させるこ

とにより高い回収率でヒトインスリンを合成することに成

功し(図2)、1979年のNature誌に発表した。しかし、そ

の後製剤化されることはなかった。一方、デンマークのノ

ボ社はトリプシンを用いたペプチド転移反応法により、ブ

タインスリンのB鎖C末端のアラニンをトレオニンに直接

交換する方法を開発し、世界最初のヒトインスリン製剤

(半合成ヒトインスリン製剤:写真2)として1982年10月に

発売を開始することになる。しかし、この手法では危惧さ

れていた将来のインスリン不足を根本的には解消できな

い。半合成インスリン製剤の開発が成功した頃、熾烈な競

争の末にヒトインスリン遺伝子もクローニングされた(ミニ

コラム参照)。結局、半合成ヒトインスリンは、その頃に

台頭してきた遺伝子工学の最初の応用として出てきたヒト

インスリン製剤にまもなく取って代わられることになる。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.2)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.3)葛谷健 : 糖尿病の歴史(連載). 雑誌「肥満と糖尿病」, 丹水社.

ヒトインスリン遺伝子は長さが約1,400塩基対、成熟

mRNAにして400塩基対足らずの比較的小さな遺伝子

である。最終的にその全塩基配列は1980年に決定され

たが、それにいたる経緯は単純ではなかった。学問的な

興味はもとより、遺伝子操作技術で作るヒトインスリン

の将来の需要を見込んで、激しい競争がなされた。

まず、膵臓より抽出したメッセンジャーRNAよりの

cDNA(相補鎖DNA)クローニングが試みられたが、膵臓

のβ細胞含量が微量であること、また膵臓はRNA分解

酵素が豊富であることより困難をきわめた。 カリフォ

ルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のウールリッヒ、

ラッター、グッドマンらは、膵臓をコラゲナーゼ処理後

に密度勾配遠心により膵島を濃縮し、また強力なRNA

分解酵素阻害薬であるチオシアン酸グアニジンによる

RNA抽出法を開発することによりこれらの難点を克服

し、ラットインスリン遺伝子(cDNA)のクローニングに

初めて成功した。やや遅れて、ハーバード大学のギル

バート(塩基配列決定のマキサム-ギルバート法で名高

く1980年にノーベル化学賞をサンガーと同時に受賞;

写真3)らはラットインスリノーマ細胞よりRNAを抽出

しcDNAクローニングに成功した。その後、両グループ

は得られたcDNAをプローブとしてゲノムライブラリー

をスクリーニングすることによりラットインスリン遺伝

子(2種類あり、インスリンⅠ、インスリンⅡと呼ばれ

る)のクローニングを行いその塩基配列を決定した。ヒ

トインスリン遺伝子については、やはりUCSFのベル

(写真4)、ラッター、グッドマンらがヒトインスリノー

マ細胞からまずcDNAクローンを単離し、その後ヒトゲ

ノムライブラリーよりヒトインスリン遺伝子をクローニ

ングし塩基配列を決定した(図3)。

図3

グレエム・ベル�ウォルター・ギルバート(1932-)�

1980年3月6日のNature誌に発表されたヒトインスリン遺伝子の塩基配列(3個のエクソンと2個のイントロンで構成されアミノ酸配列はエクソン2とエクソン3にコードされる)�

写真3 写真4

図1

図2

半合成ヒトインスリン製剤�

インスリンの化学合成で生じる種々のS-S結合の例(一番上が正しい組み合わせ)�

ブタインスリンからヒトインスリンへの酵素変換(But:保護基)�

森原和之(1926-)�

写真1 写真2

Page 8: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

インスリン遺伝子と糖尿病

5.遺伝子工学によるヒトインスリン製剤

13インスリン製剤の変遷をたどる12 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

動物インスリン製剤では、もっぱらブタとウシの膵臓か

らインスリンが抽出されていたが、インスリンを産生する

β細胞は少なく、1人の糖尿病患者が1年間に使用するイ

ンスリンをまかなうには約70頭のブタを必要とした。糖尿

病患者は増加しつつあり、遅からず危機的な状況が到来す

ることが危惧されたが、1970年代になって飛躍的に進歩し

た遺伝子工学技術が救いとなった。遺伝子組み換えによる

ヒトインスリンが激しい競争の末に、数年の間に製品とし

て発売されることになる。それは、新たな遺伝子工学産業

の先駆けでもあった。

人工遺伝子によるヒトインスリン製剤

連載第4回ミニコラム(p11)で紹介したように、カリ

フォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)のグッドマン

研究室とハーバード大学のギルバート研究室が、ラットイ

ンスリン遺伝子(cDNA)のクローニングに成功するが、そ

の少し前の1976年にUCSFの別のグループのボイヤーは

サンフランシスコの投資会社で働いていたスワンソンに誘

われて、遺伝子組み換え技術の臨床応用を目指したベン

チャー企業ジェネンテク社を創設した。ボイヤーらはその

当時規制が厳格であったヒト遺伝子そのものの使用を避

けて化学合成したDNAを、自らが開発したプラスミド

pBR322に組み入れて大腸菌の中で発現させることを試み

ることにし、DNAの化学合成に卓越したシティ・オブ・

ホープ国立医療センターのリッグスと板倉啓壱(写真1)に

協力を求めた。

彼らはまず、14個のアミノ酸か

らなるソマトスタチンの発現に成功

し、世界で初めての組み換えDNA

によるペプチド合成として1977年

に発表した。ヒトインスリン合成プ

ロジェクトは翌年早々に開始され、

1978年8月には合成した63個のヌ

クレオチドからなるA鎖DNAと90

個のB鎖DNAをプラスミドpBR322

に組み入れて大腸菌でA鎖とB鎖を

別々に作ることができた。その後は、

連載第4回(p10~11)でも述べたA

鎖とB鎖をS-S結合で組み合わせることで、8月下旬にヒト

インスリンを作成することに初めて成功した。その時の収

量はわずかに20ngであったが、9月6日にシティ・オブ・

ホープで記者会見が行われ、遺伝子工学の初の実用化とし

て世界中に報道された(図1)。

世界初のインスリン製剤「アイレチン」を発売したイーライ

リリー社は(連載第2回〔p6~7〕)ヒトインスリン作製の成

功が明らかとなった翌日にジェネンテク社と契約し、改良

されたプラスミドを用いて大腸菌の大量培養によるヒトイ

ンスリン製剤の生産を開始した。製剤化に当たっては、特

に大腸菌由来の不純物を除くことに細心の注意が払われた

が、1980年からの臨床治験を経て、1982年にFDA(アメリ

カ食品医薬品局)で認可され、1983年から「ヒューマリン®

(Humulin®)」として発売された(写真2)。日本では1985年

に認可された。遺伝子組み換え技術により作られた最初の

医薬品であったが、同じ技術により成長ホルモン、インター

フェロンなどの医薬品が続々と登場することになる。

プロインスリンを介したヒトインスリン製剤

ハーバード大学のギルバート研究室は、1978年5月にラッ

トインスリン遺伝子(cDNA)のクローニングと大腸菌での

発現に成功しヒトインスリンの作成を目指していたが、ジェ

ネンテク社の記者会見を聞いて落胆することとなった。

一方、遺伝子組み換え実験の規制が緩いフランスで、ヒ

トインスリン遺伝子のクローニングを行っていたUCSFのウ

インスリンは血糖を下降させる唯一のホルモンである

ため、ヒトインスリン遺伝子が同定される前から、糖尿病

ではインスリン遺伝子、あるいはその調節領域に異常が

あるのではないかと考える人も少なくなかった。1980

年にグレエム・ベルらによりヒトインスリン遺伝子が同

定されると(連載第4回ミニコラム〔p11〕)、糖尿病の遺

伝素因における役割が実際に検討されることとなった。

糖尿病の遺伝因子研究の歴史において、インスリン遺伝

子は主役ではないものの三たび登場するに至っている。

まず、異常インスリンや異常プロインスリンが分泌さ

れる糖尿病症例が1979年以来報告され、1983年以降に

インスリン遺伝子変異が明らかとなった。患者は変異の

ヘテロであり、正常なインスリンが半分しかないため健

常者の2倍のインスリン分泌を強いられ、その他の発症

要因も加わり発症するものと考えられている。日本でも

筆者を含めて数種類の変異の報告はあるが、きわめてま

れな疾患である。

次に、インスリン遺伝子上流の多型と1型糖尿病との

関連が明らかとなった。インスリン遺

伝子の約400ヌクレオチド上流に著

明な多型が存在することが、やはりベ

ルにより1982年に報告された。この部

位は繰返し配列であり、その長さによ

りクラス1、クラス2、クラス3に分類

される(図2)。この多型は転写調節部

位に近接していることから、インス

リン遺伝子発現への影響が考えられ、

当初は2型糖尿病との関連の可能性が

注目された。しかし、イギリスのジョン・トッド(写真3)

らによる白人における詳細な解析により、HLAに次ぐ2

番目に重要な1型糖尿病感受性遺伝子であることが判明

した。日本人ではこの部位はほとんどがクラス1であるた

め解析が困難であったが、国内多施設共同研究により筆

者らは日本人1型糖尿病との関連を明らかにしている

(J Clin Endocrinol Meteb誌、2007年)。関連の理由と

して、胸腺におけるインスリン(プロインスリン)に対

する免疫寛容への多型の影響が示唆されている。

最後に、生後すぐに発症する新生児糖尿病においてイ

ンスリン遺伝子変異が発見された。ごく最近の2007年

のことであるが、永続型の新生児糖尿病において2番目

に多い変異であることがその後判明し、まれではあるが

MODY(若年発症成人型糖尿病)と呼ばれる病型や自己

免疫陰性の1型糖尿病などにおいても同定されている。

構造異常のプロインスリンが小胞体に蓄積することによ

りβ細胞がアポトーシスを起こすことなどがその病因と

考えられている。

ルリッヒらは、ヒトインスリンの作製で先を越されたあとで

ジェネンテク社に移ることになる。1979年末に、ウルリッ

ヒは大腸菌でのヒトインスリン遺伝子(cDNA)の発現に成

功する。その後、イーライリリー社はヒトインスリン遺伝子

を組み込んで作成したプロインスリンから二本鎖ヒトイ

ンスリンを作製する方法に切り替えている。一方、ノボノ

ルディスク社は独自のミニプロインスリン遺伝子をパン酵

母で発現させることにより、ヒトインスリンの大量生産を

行っている。

新たな時代の幕開け

ヒトインスリンが製剤化されると、またたく間に臨床に使

用されるインスリンのほとんどがヒトインスリン製剤となっ

た。その前に発売されていたモノコンポーネントインスリ

ンの純度は高く、ヒトインスリン製剤の登場により糖尿病

治療が著しく改善することにはならなかったが、遺伝子組

み換え技術でのヒトインスリンの出現は、インスリン製剤

開発の終焉ではなく新たな始まりであった。皮下注射によ

るインスリン投与という制約のために、ヒトインスリンで

は生理的なインスリン分泌を模倣することは困難であり、

新たなインスリン製剤を開発する必要性が明らかとなって

いった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.2)葛谷健 : 糖尿病の歴史(連載). 肥満と糖尿病. 丹水社.3)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.4)ロバートLシュック : 新薬誕生 100万分の1に挑む科学者たち. ダイヤモンド社, 2008.

図1

インスリン合成を伝える新聞記事�組み換えDNAによる最�初のヒトインスリン製剤�

板倉啓壱�

写真1 写真2

図2

ジョン・トッド�

ヒトインスリン遺伝子およびその上流の多型性部位�Diabetes 1984; 33: 176-183.

写真3

Page 9: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

インスリンの立体構造

6.新たなインスリンを求めて~単量体インスリンの開発~

15インスリン製剤の変遷をたどる14 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

インスリンアナログ製剤開発の幕開け

1980年代前半の遺伝子工学技術によるヒトインスリン製

剤の生産は、安定したインスリンの供給を可能にした点で

は大きな進歩であったが、臨床的にはさほど大きなメリッ

トはもたらさなかった。ヒトインスリンの皮下注射では、生

理的なインスリン分泌を再現できないことが明確となり、

遺伝子組み換えによる新たなインスリンを作ることで、その

点を克服する試みがなされることとなった。インスリンアナ

ログ製剤開発の幕開けである。

新たなインスリンの必要性

ヒトインスリンは高濃度の状態では、6量体を形成する

性質がある。皮下注射で投与した場合は、皮下組織でし

だいに希釈されることで解離し、分子量が小さい2量体あ

るいは単量体になってから毛細血管から血中に吸収される

(図1)。したがって、速効型インスリンといっても、生理的

な食後のインスリン追加分泌と比較して、その作用のピー

クは遅く持続時間も長い。

1985年にモナコで行われた国際若年糖尿病財団(JDF)

とWHOが共同で開催した国際会議において、ヒトインスリ

ン製剤の限界を克服するためには、食後の生理的なインス

リン分泌動態をより模倣でき、かつ食事直前に注射できる

ような単量体インスリンが必要であることが提言された。

ちょうど、その数年前から、人工的に導入した遺伝子変異

によって改変した蛋白質を作製する技術(蛋白質工学)が確

立してきたところであり、インスリンについても、蛋白質工

学技術により多くの改変インスリン、すなわちインスリンア

ナログが作製されることになった。

ちなみに、世界で最初に報告された異常インスリン症例

の1982年の報告では、B鎖25位のフェニルアラニンがロイ

シンに置換した異常インスリンが化学的に合成され、活性の

低下が検証されている。

インスリン6量体

連載第2回ミニコラム(p7)で紹介したように、インスリ

ンのアミノ酸配列は、サンガーらにより1955年に解明され

たが、図2に示すように、A鎖とB鎖、3個のS-S結合で構

成された分子量が6,000にも満たないペプチドである。イ

ンスリンの立体構造は、1969年に最初のインスリン結晶モデ

ルが作られたが(ミニコラム)、インスリンは高濃度の溶液

中では亜鉛イオンとともに6量体を形成する。インスリン分

子のB鎖C末端部分は、逆平行βシート構造を形成する性

質があり、別のインスリン分子と水素結合により2量体を

形成する。さらに、2つの亜鉛イオンとともに2量体が3個

集まり安定した6量体を形成する。

インスリン分子の2量体および6量体形成に関与するアミ

ノ酸部位は三次元構造解析から明らかにされている(図2)。

なお、亜鉛イオンは、B鎖10番目のヒスチジンに結合する

が、モルモットなどの一部の齧歯類ではこの部位がアスパ

ラギンに置き換わっているために6量体を形成せず、結晶

も生じない。

インスリンの立体構造の決定は、ホジキン(写真)、

ブルンデルらによりX線結晶解析を用いて35年の歳月

をかけて成しとげられたが、蛋白質構造研究の歩みその

ものでもあった。

連載第3回(p8~9)で述べたように、インスリンの結

晶は1926年にエイベルによって初めて得られたものの

収量が十分ではなく、1934年にスコットによりインス

リンの結晶に微量の亜鉛が必要であることが発見され、

同年にホジキンらによりインスリン結晶のX線回折写真

が撮影された。その結果、インスリンの結晶は蛋白質結

晶であることが明らかとなり、当時蛋白質は不安定なコ

ロイドであるという考え方が強かったため、大センセー

ションを巻き起こしたと伝えられている。その後、大き

な進展はなかったが、1955年にインスリンの1次構造

(アミノ酸配列)の決定により、大きな手がかりがもた

らされ、それから14年をかけて、1969年にインスリン

の立体構造が初めて明らかにされた。その後、中国と日

本の研究室も加わって、分解能が徐々にひき上げられ、

より詳細な立体構造が決定さ

れた。

インスリン6量体当たり亜

鉛イオンが2個含まれる結晶

(2亜鉛インスリン)は、2量体

が3個集まった構造をとり、

内径約1 nm、外径約5 nm、

厚さ約3.5nmのドーナツ型を

している(図3)。その中心線は3回回転軸と一致してお

り、この軸に沿って上下に亜鉛が約1.5nm離れて配置

されている。インスリン2量体の1つは上の亜鉛と、他の

1つは下の亜鉛とB鎖10番目のヒスチジンで結合し、各

亜鉛原子はインスリン3分子と結合している。インスリ

ン単量体では、B鎖は右のN末端のフェニルアラニンか

らゆるいカーブをなして分子中央部に3回転のαヘリック

スを形づくる。それから鎖は曲がって左上方へとβ構造

が伸びている。A鎖はU字型構造をしており、S-S結合

でB鎖と連結されている。すでに述べたように、インス

リン2量体形成の際には、インスリン2分子のB鎖のC

末端部のアミノ酸残基が互いに逆平行βシート構造を形

成し、両者の間にいくつかの水素結合が作られる。

X10インスリンとインスリン製剤の安全性

モナコでの国際会議のあと、すでに遺伝子組み換えヒト

インスリン製剤を発売していたノボノルディスク社とイーラ

イリリー社が中心となって単量体インスリンの開発が進めら

れていった。先行したのはノボ ノルディスク社であった。

1988年のNature誌には、デンマーク・ノボ研究所のブレン

ジらにより、B鎖9、10、12、26、27、28番目のいずれかの

アミノ酸を置換したインスリンアナログでは、皮下吸収が

ヒトインスリンよりも格段に速いことが報告され、1990年の

Diabetes Care誌には、さらに多数のインスリンアナログ

の結果がまとめられている(図2)。このなかで、亜鉛イオ

ンが結合するB鎖10番目のヒスチジンを、アスパラギン酸

に置換したインスリンアナログ(AspB10インスリンあるいは

X10インスリン)は、皮下吸収が速いだけでなく脂肪細胞に

おける生物活性もヒトインスリンよりも高いことが注目さ

れ、臨床応用が進められていった。しかし、長期投与した

ラットに乳腺腫瘍の発生が見られたため、臨床試験は急遽

中止になった。

ヒトインスリンと比べて、X10インスリンはインスリン受容

体からの解離が悪くIGF-1受容体への親和性が高い。その

ために細胞増殖活性が高いことが腫瘍発生の理由と考えら

れている。X10インスリンの開発中止はインスリン製剤開発

の歴史のなかで大きな教訓を与えた事例として重要であ

り、その後のインスリンアナログ製剤の開発では、その安全

性について、さらに細心の注意が払われることになった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.2)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.3)ロバート L シュック : 新薬誕生 100万分の1に挑む科学者たち. ダイヤモンド社, 2008.

図3

ドロシー・ホジキン�

インスリンの立体構造�

インスリンのA鎖とB鎖� 亜鉛で安定化されている�インスリン6量体�

インスリン6量体�

S S

S S

SS

N末端�

N末端�

A鎖�

C末端�

C末端�

B鎖�

生物活性に重要な部分�

3回回転軸�

3.5nm

5.0nm

Zn

Zn

2量体�間の軸�

2量体の�中央を通る�2回回転軸�

丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人. 1992.

写真�

図1 図2

Diabetes Care 1990; 13: 923-954.� Diabetes Care 1990; 13: 923-954.�

� 印内のアミノ酸はヒトインスリン配列、下に示したものは置換されたアミノ酸。�●:2量体形成に関与するアミノ酸、 :6量体形成に関与するアミノ酸、�↓:インスリン受容体結合に関与するアミノ酸。�

Gly

Glu

Glu Glu Glu GluGln Gln Gln

GluHis

His HisHis

Ser Asp

Asp

AsnArgAsp

Glu GluIle

ThrArgHis

GluAsn

AspAspAspSer Asp Asp His

Ser Ser

s

s

s

1

Ile

2

Val

3

Glu

4

Gln

5

Cys

6

Cys

7

Thr

8

Ser

9

Ile

10

Cys

11

Ser

12

Leu

13

Tyr

14

Gln

15

Leu

16

Glu

17

Asn

18

Tyr

19

Cys

20

Asn -COOH

21

Phe

1

Val

2

Asn

3

Gln

4

His

5

Leu

6

Cys

7

Gly

8

Ser

9

His

10

Leu

11

Val

12

Glu

13

Ala

14

Leu

15

Tyr

16

Leu

17

Val

18

Cys

19

Gly

20

GluNH2-

21

Arg

22

Gly

23

Phe

24

Phe

25

Tyr

26

Thr

27

Pro

28

Lys

29

Thr

30

s

s

s

A鎖�

B鎖�

皮下組織�

インスリン濃度�

毛細血管�

10-3

Zn2+

10-4 10-5 10-8

6量体� 2量体� 単量体�

?

(M)�

インスリンの吸収� インスリンの1次構造(アミノ酸配列)�

Page 10: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

7.超速効型インスリン製剤の誕生~インスリンアナログの時代へ~

17インスリン製剤の変遷をたどる16 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

インスリンスーパーファミリー

インスリンとIGF-1

連載第6回(p14~15)で紹介したように、先行していた

単量体インスリンであるX10インスリンは、動物実験で乳

腺腫瘍の発生を認めたために臨床開発が中止された。一

方で、イーライリリー社も単量体インスリンの開発を進めて

いた。ヒントになったのは、イーライリリー社で行っていた

遺伝子組み換えによるヒトIGF-1(Insulin-like growth

factor 1)の開発である。IGF-1は成長ホルモンの刺激によ

り主に肝臓から分泌されるが、その立体構造はインスリン

およびプロインスリンと非常に似ている(図1)。インスリン

とIGF-1は同じ祖先遺伝子から進化したものと考えられ、

IGF-2などとともにインスリンスーパーファミリーと呼ばれて

いる(ミニコラム p17 参照)。IGF-1はプロインスリンと同

様にCペプチド(C鎖)でつながっており、A鎖につながる

D鎖があるという違いはあるが、A鎖とB鎖では約50%の

アミノ酸が一致し、S-S結合も同様に認められる(図2)。

インスリン リスプロの誕生

1986年に、イーライリリー社のチャンスらはインスリン

B鎖28位のプロリンと29位のリジンに注目する。IGF-1で

はこの部位が逆になっている。つまりリジン-プロリンに

なっているが(図2ではK-P:K、Pはそれぞれリジン、プ

ロリンの1文字表記)、自己凝集性がほとんど認められない。

インスリンでも、この部位をリジン-プロリンとすること

で、自己凝集が抑制された単量体インスリンを作れるので

はないかとの仮説のもとに、スーパーコンピュータによる

分子構造解析と実際にこの部位を置換したインスリンアナ

ログの解析により、最終的にB鎖28位がリジンであり29位

がプロリンであるインスリンアナログ(一般名:インスリン

リスプロ)が望ましい性質を持っていることが確認された。

ヒトインスリンと比べて、インスリン リスプロの2量体

形成能は約1/300であり、皮下注射したインスリンの吸収

される時間が約1/2であるため、作用の発現が速やかであ

り持続時間も短い。X10インスリンで認められたような腫

瘍発生のリスクも認められなかった。ヒトインスリンとア

ミノ酸組成が同じであり、B鎖C末端部の3つのアミノ酸配

列が自然界に存在するIGF-1と同一である点も好ましいも

インスリン様物質、すなわちインスリンスーパーファ

ミリーは動物界に広く存在し、脊椎動物ではインスリン、

IGF-1、IGF-2、リラキシンがそれに属するが、軟体動

物などに見られるインスリン様ペプチド(ILP)、あるい

は蚕のホルモンであるボンビキシンもその一員であると

考えられている。これらの物質の構造は類似しているが、

インスリンとIGF(IGF-1、IGF-2)との間には相違点も

見られる。すなわち、IGFの前駆体はC末端側に余分な

D鎖、E鎖を含むP-B-C-A-D-Eの構造をとり、最終産物

では一本鎖のポリペプチドB-C-A-Dとなる。

興味深いことに、軟体動物のILPでは前駆体にD鎖、

E鎖はなく最終産物ではC鎖が除かれることからインス

リンと類似するが、脊索動物であるナメクジウオのILP

では前駆体にIGFと同様D鎖、E鎖を持つにもかかわら

ず、インスリンと同様にC鎖が除かれる。このことから、

進化のかなり古い段階で発生したと想定される原始イン

スリン遺伝子は、軟体動物のILPに反映されるように現

在のインスリン遺伝子と似た構造を持ったこと、原始

IGF遺伝子は原始インスリン遺伝子より脊索動物で見ら

れるようなILPを経て生じ、その後遺伝子重複により

IGF-1遺伝子、IGF-2遺伝子に進化したことが推測され

ている(図3)。

のと思われた。その後、イーライリリー社は多くの症例で

の臨床試験を経て、1996年にヒューマログ®(Humalog®)

の商品名で世界最初のインスリンアナログ製剤の発売にこ

ぎつける。日本では2001年に発売が開始された(写真)。

超速効型インスリン製剤のラインナップ

X10インスリンの開発を中止したノボ ノルディスク社

も、B鎖28位のプロリンをアスパラギン酸に置換したイン

スリン アスパルトの臨床開発に成功し、ノボラピッド®の

商品名で、1999年に発売を開始した。皮下吸収はインスリ

ン リスプロとほぼ同様に迅速であり、これらのインスリ

ンは超速効型インスリンと呼ばれることになった。

また、2004年には、サノフィ・アベンティス社(現サノ

フィ社)から3番目の超速効型インスリン製剤であるイン

スリングルリジン(商品名アピドラ®)が発売された。

なお、欧米のレギュラーインスリンは日本では速効型イ

ンスリンと呼ばれており、日本の超速効型インスリンは欧

米では速効性のインスリン(rapid-acting insulin)として位

置づけられていることに注意する必要がある。

糖尿病治療の新たな時代へ

生理的な食後のインスリン分泌の再現に優れた超速効型

インスリン製剤の登場により、より良い食後血糖の制御が

可能となった。また、速効型インスリンで認められること

が少なくなかった食間や夜間の低血糖も減少することと

なった。しかし、インスリン治療中の患者にとっての大き

な福音は、超速効型インスリンでは速効型インスリンのよ

うに皮下注射後に食事を30分~45分待つ必要がなくなっ

たことである。インスリンに振り回されない自由度の高い

生活が可能となったのである。

しかし、1型糖尿病患者などで、従来の毎食前の速効型

インスリンが超速効型インスリンに切り替わることで、基

礎インスリン分泌補充に用いられていたNPHインスリン

の限界がさらに明白となった。超速効型インスリンの持続

時間が短いことで、NPHインスリンの持続時間の短さや

効果の不安定性のために血糖コントロールがむしろ悪化す

る症例も多く、新たな持続性インスリンアナログを求める

声は強まっていった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.2)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.3)ロバート L シュック : 新薬誕生 100万分の1に挑む科学者たち. ダイヤモンド社, 2008.

4)Chance E(金澤康徳監訳): インスリンリスプロの開発と製剤化. DiabetesFrontier 2001; 12(Suppl): 4-8.

図3 想定される原始インスリン遺伝子からIGF-1、IGF-2遺伝子�への進化�

S C AB C

S C AB C D E

S C AB D E

原始インスリン�

ILP

原始IGF

S C AB D EE IGF-1、IGF-2

Proc Natl Acad Sci USA. 1990; 87: 9319-9323.

図1 インスリンスーパーファミリーの立体構造�

A鎖�

B鎖�

インスリン� プロインスリン�

IGF-1 IGF-2

丸山工作 : 新インスリン物語. 東京化学同人, 1992.

図2 IGF-1の1次構造(アミノ酸配列)�

G P E T L C G A E L V D A L Q F VCG

D

R

G

F

Y

FNKPTGYGSSSRRAPQ

T

G

I

VDECC F

R

SC

DL R

RLEM Y C

APL

KPAKS

A

NH2

10

20

60

70

COOH

3040

50

V N Q H S H E Y L

Q

Q

Q

NE

E

F

Y

T

TPK

S

S Y

I

A鎖�

C鎖�

D鎖�

B鎖�

Biopoly 1997; 43: 339-366.

インスリンの対応するアミノ酸残基で、IGF-1と異なるものは青字で示す。� 最初のインスリン�アナログ製剤

写真�

Page 11: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

8.持効型溶解インスリン製剤の誕生

19インスリン製剤の変遷をたどる18 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

ソモジー効果と暁現象

新たな持続性製剤の必要性

連載第3回(p8~9)で紹介したように、塩基性蛋白であ

るプロタミンを含むNPH製剤や亜鉛懸濁製剤であるレン

テ型インスリンなどが、生理的なインスリン基礎分泌を補

充する目的で長らく使われてきた。

しかし、NPH製剤では持続時間が比較的短く、作用に

ピークがある。さらに、懸濁製剤であるために入念な混和

が必要であり、皮下からの吸収に個体内および個体間での

変動が大きい。この傾向は、結晶サイズがNPH製剤より大

きなレンテ型製剤でさらに顕著であり、持続型インスリン

と呼ばれていたウルトラレンテ型製剤の吸収は特に不安定で

あった。こうした問題点を解決するために、再懸濁を必要

としない溶解型で作用持続時間が十分に長いインスリン製

剤の開発が望まれていた。

プロインスリン製剤への期待と挫折

ブタインスリン製剤の副産物としてプロインスリンが得ら

れていた頃から、プロインスリンの製剤化は考えられていた。

プロインスリンは86個のアミノ酸から成るインスリンの前駆

物質であり、図1に示すように、N末端側からB鎖、Cペプ

チド、A鎖がつながった構造をとるが、B鎖とCペプチドの

間およびCペプチドとA鎖の間には2個の塩基性アミノ酸が

介在している(それぞれ、Arg31-Arg32、Lys64-Arg65)。

プロインスリンは膵β細胞の分泌顆粒内で、2種類の転化

酵素とカルボキシペプチダーゼによりインスリンとCペプチ

ドに分解されるが、プロインスリンあるいは中間体も血液

中に少し分泌される。特に、2型糖尿病などで膵β細胞に

負荷が加わった場合に、その割合が増加する。プロインス

リンは分子量が大きいために、インスリンと比べて皮下吸収

が緩徐であり、血中のプロインスリンは主として腎臓で代

謝され、半減期はインスリンの数倍であるため、プロイン

スリン製剤の持続効果が期待された。

イーライリリー社は、1984年に遺伝子組み換えヒトプロイ

ンスリン製剤の多施設での臨床試験を開始した。上述した

ように、生体にも存在する分子であることも魅力的であっ

た。しかし、NPH製剤に対する明確な臨床的優位性は認

められず、プロインスリン使用患者で心筋梗塞が多く発生

し、プロインスリンの動脈硬化促進効果が懸念されたこと

などから1987年に開発は中止された。

最初の持効型溶解インスリン製剤

蛋白質を構成するアミノ酸側鎖やアミノ末端、カルボ

キシル末端の電荷の総和がゼロになるpHである等電点で

は、極性を持つ水への溶解度は最小になる。ヒトインスリ

ンの等電点は酸性(pH5.4)であるため、原理的にはインス

リン分子の修飾により等電点を中性の方に移すことで、生

理的pHでは難溶性となるインスリンを作ることができる。

1980年代には、酸性、中性アミノ酸をそれぞれ中性あるい

はアルカリ性アミノ酸で置換したり、末端のカルボキシル

基を除いたインスリンアナログが作成された(GlnB13,

ArgB27, ThrB30-NH2など)。しかし、持続性は認められた

ものの血糖降下作用が弱く実用化には至らなかった。

B鎖のC末端に2個のアルギニンが結合したジアルギニル

インスリンは、プロインスリンからインスリンへの中間体の1

つであり、微量ではあるが血液中にも存在する。ジアルギ

ニルインスリンも中性では難溶性であるが、皮下に投与す

ると大部分が吸収される前に分解されてしまう。そのため、

1型糖尿病など、内因性インスリン分泌が枯渇あるい

は極端に低下した糖尿病患者の空腹時血糖制御は重要な

テーマであるが、中間型のNPHインスリンや持続型の

ウルトラレンテインスリンしか使用できなかった時代で

は非常に困難であった。本文に述べたような製剤の限

界とともに、以下の「ソモジー効果」、「暁現象」が立ち

はだかっていたからである。

1938年、アメリカのマイケル・ソモジーは、インス

リン治療中の患者の一部において、ごく短時間の尿糖陰

性のあとにケトン尿すら伴う著しい尿

糖排泄が見られることを学会で報告し

た。すなわち、この現象は低血糖に引

き続くアドレナリンなどのインスリン

拮抗ホルモンの分泌増加による高血糖

を反映するものであり、空腹時高血糖

をみてインスリンの投与量を増やすこ

と自体が、低血糖を介したさらなる高

血糖をもたらす場合があることを警告

した。インスリンの減量により血糖値

の変動が安定化するという、一見逆説

的な現象が注目を集め、今日までソモ

ジー効果と呼ばれることになる。

一方で、マリア・シュミットは、1型糖尿病患者の血

糖値を綿密に測定し、夜間低血糖を伴わなくとも、空腹

時血糖値が上昇することを認め、1981年の論文で暁現象

と呼ぶことを提唱した(図3)。この現象は、早朝に分泌

が増加するインスリン拮抗ホルモン(特に成長ホルモン)

による血糖上昇作用を、内因性および外因性のインスリ

ンが十分に代償できないことが主な原因であるものと考

えられている。

ジアルギニルインスリンのA鎖21位のアスパラギンをグリシ

ンに置換したインスリンが開発された(図2)。

この置換によりアスパラギン側鎖の脱アミド化が抑制さ

れ、安定性が著しく改善した。ヘキスト社(現サノフィ社)

により開発されたこのインスリンは、グリシン(glycine)

とアルギニン(arginine)で修飾したインスリンアナログで

あることから、インスリン グラルギン(glargine)と名付け

られ(商品名ランタス®)、2000年に初の持効型溶解インス

リン製剤として発売されるこ

ととなった(写真)。

グラルギンは酸性(pH4)の

製剤中では無色透明に溶解し

ているが、中性の皮下では不

溶性の等電点沈殿を生じ緩徐

に溶解吸収されるために持続

的なインスリン作用を示す。

なお、皮下および血中におい

て、注射されたグラルギンの

一部はB鎖C末端の2個のアル

ギニンが除かれた中間代謝物M1およびB鎖30位のトレオニ

ンまで除かれた中間代謝物M2などとなり、これらも活性を

持つことが知られている。

さらなる持続性製剤

インスリン グラルギンは、NPHインスリンと比較して、

より生理的な基礎分泌の補充が可能となったことによる血

糖コントロールの改善と低血糖の減少のみならず、注射時

間の自由度とインスリン製剤混和が不要になった点などに

よる患者QOLの改善をもたらすこととなった。しかし、

皮下における不溶性沈殿にもとづくインスリン作用の不安

定性は残存しており、皮下でも可溶性の持続性インスリン

製剤がその後実現することになる。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)葛谷健編 : インスリン分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996.2)河盛隆造 : インスリン治療の新時代ーグラルギン登場がもたらす新たな展望ー.エムディエス, 2003.

3)粟田卓也 : インスリンアナログ製剤の薬理学的特徴と有効性, 安全性. 月刊糖尿病 2010; 2(6) : 21-32.

4)戸塚康男 : 暁現象とSomogyi効果. カラー版 糖尿病学 基礎と臨床. 西村書店,2007; 636-639.

図3 暁現象の最初の報告�

1型糖尿病11症例の血糖曲線(平均±標準誤差)。� Diabetes Care 1981; 4: 579-585.

この時間帯にインスリンを�注射している患者数�→�

0 2:00 4:00 6:00 8:00 10:00 12:00時間�

14:00 16:00 18:00 20:00 22:00

300

200

100昼食�

夕食�

(9)� (1)�(3)�(11)�Ⅰ� Ⅰ�Ⅰ�Ⅰ�

眠前補食�

朝食�

(mg/dL)�

血糖値�

図1 プロインスリンの1次構造(アミノ酸配列)�

図2 インスリン グラルギンの1次構造(アミノ酸配列)�

PheValAsnGlnHisLeuCysGlySerHisLeu Val Glu Ala Leu Tyr Leu Val Cys

Gly GluArgGly

PhePhe

TyrThrProLysThrArgArgGluAla

Glu

Asp

Leu

Gln

ValGly

GlnVal

GluLeu

GlyGlyGlyProGlyAlaGlySerLeuGlnProLeuAla

LeuGlu

GlySer

LeuGln

LysArg

Gly

Ⅰle

ValGluGlnCysCysThr SerⅠle Cys SerLeu Tyr

GlnLeuGluAsnTyrCysAsn

Cペプチド�

A鎖�

インスリン�B鎖�

NH2--COOH

SS

S

S

S

S

64

65

31

32

S S

S

S

S

S

NH2

A鎖�

B鎖�

NH2

Gly Ⅰle Val Glu Gln Cys Cys Thr Ser Ⅰle Cys Ser Leu Tyr Gln Leu Glu Asn Tyr Cys Gly

Phe Val Asn Gln His Leu Cys Gly Ser His Leu Val Glu Ala Leu Tyr Leu Val Cys Gly Glu Arg Gly Phe Phe Tyr Thr Pro Lys Thr Arg Arg

最初の持効型溶解�インスリン製剤�

写真�

Page 12: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

9.脂肪酸が付いた持効型溶解インスリン製剤の誕生

21インスリン製剤の変遷をたどる20 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新たな持効型溶解インスリンを求めて

連載第8回(p18~19)に紹介したインスリン グラルギ

ンはヒトインスリンアミノ酸配列の改変により中性環境下

では難溶性の沈殿となることから持続的な効果を示すこと

に成功したが、別の方法による持続性製剤の開発も進めら

れていた。3価コバルトインスリンと脂肪酸を付加したイ

ンスリンである。

3価コバルトインスリン

原子番号が27の遷移元素であるコバルトは、生体ではビ

タミンB12に含まれている。連載第6回(p14~15)で紹介

したように、ヒトインスリンは3個の2量体が集まった6量

体の結晶を形成するが、2価の陽イオンである亜鉛イオンが

2個配位することで安定化する。ノボ ノルディスク社・ノボ研

究所のクルツハルスらは、亜鉛をコバルトに置換したインス

リン結晶の可能性に注目する。2価亜鉛イオンを2価コバル

トイオンで置換した6量体結晶を、さらに酸化することに

より作出される3価コバルトインスリン結晶は、きわめて安

定である(図1)。

3価コバルトインスリンは中性溶液で可溶性であり、皮下

注射後でも沈殿しないが持続性効果を示す。2価コバルト

インスリンは2価亜鉛インスリンとほぼ同様の薬物動態を示

すことや、3価コバルトインスリンがインスリン受容体と結

合しないことから、3価コバルトインスリンが2価に還元さ

れる段階および血中半減期の延長により持続性効果がもた

らされるものと考えられた。しかしながら、NPHインス

リンに優る利点は認められず製剤化には至らなかった。

アルブミンとの結合と持続性効果

アルブミンは細胞外液に最も豊富に含まれるタンパクで

あるが、微量元素・脂肪酸・酵素・ホルモンなどの内因性

物質や外因性の薬物などを吸着し運搬する。1995年に、ク

ルツハルスらは、B鎖29位リジンのεアミノ基に炭素数10~

16の直鎖飽和脂肪酸を付加したインスリンアナログにつ

いて検討し、アルブミンとの結合度が動物における効果

の持続性と強く相関することを見いだした。その中で、

炭素数14のミリスチン酸を付加しB鎖30位のトレオニンを除

いたインスリンアナログ(図2)の効果が最も遅延することが

注目され、新しい溶解性の持続性インスリンアナログとして

開発が進められることとなった。なお、このインスリンア

ナログは、トレオニンを除いて(des threonine)ミリスチン

酸<myristic(mir)acid>を付加してあることから、デテ

ミル(detemir)と命名された(図2)。

脂肪酸が付いたインスリン製剤の誕生

非臨床試験において緩徐で持続的な薬理作用と安全性が

確認された後に、ヨーロッパおよび日本において行われた

臨床試験において、NPHインスリンと比べて、よりピーク

が少なく、より持続性の高い製剤であることが認められ、

インスリン デテミル(商品名レベミル®)は2004年(国内では

2007年)に発売された(写真)。

製剤は無色透明の中性溶液であり、注射後の皮下組織に

おいても沈殿せずに溶解したままである。ミリスチン酸部

分の接触により6量体が2つ結合したダイヘキサマーが形成

されることと(図3)、ダイヘキサマー、6量体、2量体、単量

体の各段階の状態で、皮下組織液中のアルブミンとミリス

チン酸が結合することによる血液中への吸収遅延のために

効果の持続性がもたらされる。血液中ではインスリン デテ

ミルは98%がアルブミンと結合しているが、血液中での結

合は作用の遅延には少ししか影響しない。なお、血液中の

アルブミン分子の数万分の1程度にしか結合しないため、

低アルブミン血症患者における効果の不安定性といったこ

とは生じない。

臨床試験においては、インスリンレベミルの特徴として、

持続性とともに効果の安定性が認められた。基礎インスリ

図1 3価コバルトインスリン6量体の立体構造�

図2 インスリン デテミルの1次構造�

インスリン1分子を除いて表示してある。2個の3価コバルトイオンが、それぞれ3分子のインスリンとB鎖10位のヒスチジン部位(Nとして表示)で水素結合を形成する。また、上下各3個の疎水性ポケットには溶液由来の水分子や塩素イオンなどのリガンドが結合する(Lとして表示)。�

Diabetes 1995; 44: 1381-1385.

17A

L

LLL

LL

Co

N

N

N

N

N

N

50A

35A

Co

A21

A1

B1

B29 Asn CysTyr

Asn

Glu

Leu

Gln

TyrLeu

SerCysⅠleSerThrCysCys

Gln

Glu

Val

Ⅰle

Gly

ThrLysPro

ThrTyr Phe

Phe Gly ArgGlu

GlyCys

Val

Leu

Tyr

Leu

Ala

Glu

Val

Leu

HisSer

GlyCysLeuHisGlnAsnValPhe

C14直鎖飽和脂肪酸�

(ミリスチン酸)�

脂肪酸を付加した持効型溶解インスリン製剤�

図4 2種類の持効型溶解インスリンおよびNPHインスリンの個体内変動の比較�

図3 インスリン デテミル6量体とダイヘキサマー�

インスリン デテミル6量体� ダイヘキサマー�

右に代表的な症例におけるインスリン効果のプロファイルが示されているが、1型糖尿病患者における皮下注射後24時間のインスリン効果(ブドウ糖注入率、GIR)の曲線下面積を4日間測定した時の個体内変動(変動係数、CV)は、インスリン デテミル(18例)、インスリン グラルギン(16例)、NPHインスリン(17例)の順に大きくなり、有意差が認められた。�

Diabetes 2004; 53: 1614-1620.

*p<0.05

80(%)�

70

60

50

40

30

20

10

0

個体内変動�

0 6 12 18 24

8.0

6.0

4.0

2.0

0

ブドウ糖注入率�(mg/kg/min)�

*�

*�

インスリン デテミル�

0 6 12 18 24

8.0

6.0

4.0

2.0

0

インスリン グラルギン�

0 6 12時間�

18 24

8.0

6.0

4.0

2.0

0

NPHインスリン�

インスリン デテミル�

インスリン グラルギン�

NPHインスリン�

写真�

Page 13: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

9.脂肪酸が付いた持効型溶解インスリン製剤の誕生

23インスリン製剤の変遷をたどる22 インスリン製剤の変遷をたどる

ン分泌補充として従来用いられてきたNPHインスリンでは、

効果の個体内変動による不安定な血糖変動が大きな問題で

あった。インスリン デテミルでは、インスリン効果の個体内

変動がNPHインスリンの半分以下であり、インスリングラル

ギンよりも優れていた(図4)。国内の1型糖尿病を対象とし

た臨床試験でも、NPHインスリンと比較して、空腹時血糖

の低下とともに個体内変動の有意な低下が認められた。皮

下組織で沈殿が生じない点と、血中でのアルブミン結合に

よるバッファリング効果(遊離インスリン濃度の変動が減少)

のためと考えられている。個体内変動の少なさはインスリ

ン効果の予測性を高め、血糖コントロールの改善に寄与す

るだけでなく、予期しない高血糖や低血糖を少なくすること

ができるので、患者QOLの改善にもつながる。それ以外に

も、インスリン デテミルは、インスリン治療における重要な

問題である体重増加が他の基礎インスリンに比べて少ない

という利点も認められる。

さらなる改良を目指して

生理的なインスリン基礎分泌補充を目的とした、理想的

なインスリンアナログ製剤に期待されることとして、少な

くとも24時間以上の持続性、ピークのない平坦な効果、個

体間および個体内変動が少ないことなどがある。しかし、

持効型溶解インスリン製剤として登場したインスリン グラ

ルギン、インスリン デテミルともに、NPHインスリンに対

する優越性は超速効型インスリンとの組合せによるHbA1c

の改善や夜間低血糖の減少などとして認められたが、その

限界も次第と明らかとなってきた。そのため、ノボ ノル

ディスク社は、さらに安定して長い持続時間を持つインス

リンアナログ製剤の開発を進めることとなった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)粟田卓也 : インスリンアナログ製剤の薬理学的特徴と有効性, 安全性. 月刊糖尿病 2010; 2(6) : 21-32.

2)小坂樹徳, 門脇孝 : 糖尿病診療の歩みと展望. 文光堂. 2007; 337-349.3)Kurtzhals P: Int J Obes 2004; 28(Suppl 2) : S23-S28.4)Russell-Jones D: Int J Obes 2004; 28(Suppl 2) : S29-S34.

妊娠とインスリンアナログ製剤

妊娠時には母体および胎児の合併症を防ぐために厳格

な血糖コントロールが必要であり、生理的なインスリン

分泌をうまく再現するインスリンアナログ製剤のほうが

適している。しかしながら、ヒトインスリンと異なる細

胞増殖活性や免疫原性が胎児に悪影響を及ぼす懸念もあ

り、インスリンアナログ製剤についての妊娠への安全性

は個々に検討されなければならない。ヒトインスリン、

インスリンアナログともに、非生理的な血中濃度に至ら

なければ胎盤は通過しないと考えられてはいるものの、

インスリン抗体とそれに結合したインスリンは胎盤を通

過することが認められ(図5)、巨大児の成因となってい

る可能性も指摘されている。

アメリカ食品医薬品局(FDA)の分類では、胎児に対

する薬剤の危険度はA(ほぼ安全)からX(禁忌)まで5つ

のカテゴリーに分かれる(表)。インスリンアナログ製

剤に関しては、従来は超速効型インスリンのインスリン

リスプロおよびインスリン アスパルトのみがヒトイン

スリンと同等のカテゴリーBであったが、最近のNPH

インスリンを対照とした前向きランダム化比較試験の結

果を受けて、持効型溶解インスリンのインスリン デテ

ミルは従来のカテゴリーCからカテゴリーBに引き上げ

られた。耐糖能異常妊婦にとっては朗報である。

図5

表�医薬品の胎児危険度分類(FDA)�

N Engl J Med 1990; 323: 309-315.

0 50403020インスリン抗体(%結合率)�

動物インスリン�

相関係数0.76�p<0.001

10

4000

3000

2000

1000

0

(pmol/L)�

カテゴリーA ヒトの妊娠初期3カ月間の対照試験で、胎児への危険性は証明されず、またその後の妊娠期間でも危険であるという証拠もないもの。�

カテゴリーB 動物実験では胎仔への危険性は否定されているが、ヒト妊婦での対照試験は実施されていないもの。あるいは、動物実験で有害な作用が証明されているが、ヒトでの妊娠期3カ月の対照試験では実証されていない、またその後の妊娠期間でも危険であるという証拠はないもの。�

カテゴリーC 動物実験では胎仔に催奇形性、胎仔毒性、その他の有害作用があることが証明されており、ヒトでの対照試験が実施されていないもの。あるいは、ヒト、動物ともに試験は実施されていないもの。注意が必要であるが投薬のベネフィットがリスクを上回る可能性はある。�

カテゴリーD ヒトの胎児に明らかに危険であるという証拠があるが、危険であっても、妊婦への使用による利益が容認されることもありえる。�

カテゴリーX 動物またはヒトでの試験で胎児異常が証明されている場合、あるいはヒトでの使用経験上胎児への危険性の証拠がある場合、またはその両方の場合で、この薬剤を妊婦に使用することは、他のどんな利益よりも明らかに危険性の方が大きいもの(事実上の禁忌)。�

1型糖尿病母体からの出生児45例における臍帯血血清中のインスリン抗体と動物インスリンの検出濃度との相関�

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10.新世代の持効型溶解インスリン製剤の誕生

25インスリン製剤の変遷をたどる24 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

従来のベーサルインスリンの問題点

生理的なインスリン基礎分泌を補うベーサルインスリンとし

て従来使用されていた製剤は十分なものではなかった。中

間型製剤であるNPHインスリンでは作用時間が短く作用に

ピークがあるため、1日に2回の投与でも血糖コントロール

は困難であり、眠前の注射ではソモジー効果による夜間低

血糖と早朝からの高血糖をきたしやすいことが大きな問題

点であった(p18~19)。さらに、インスリン効果の個体内

変動に基づく予測不可能な血糖の不安定性も患者を苦し

めていた。持効型溶解インスリン製剤として登場した、イン

スリン グラルギン(p18~19)およびインスリン デテミル

(p20~23)では格段の改善が認められた。しかし、1日1

回の注射では24時間安定した効果が得られない症例も多

く、インスリン作用のピークや個体内変動も無視できるも

のではなかった。

アシル化の改良とGLP-1アナログ製剤の誕生

さらなるブレークスルーはインスリン デテミルに用いられ

た技術を改良することによりもたらされることになった。実は、

ノボ ノルディスク社はインスリン デテミル発売後に糖尿病新

薬の開発に成功していた。GLP-1アナログ製剤であるリラ

グルチド(商品名ビクトーザ®)である。現在ではインスリンと

並んで糖尿病治療における重要な役割を確立している

GLP-1であるが、製剤化には苦労がつきまとった。きわめ

て線維化しやすく、豊富に存在するDPP-4という分解酵素

のために血中半減期は静注で1.5分、皮下注で1.5時間と短

い。そのため、ノボ ノルディスク社はインスリン デテミルで

用いられたリジンのεアミノ基に脂肪酸を付加する技術(ア

シル基R-CO-を供給する反応であることから一般的にはア

シル化と呼ばれる)を応用することになった。その際に、

グルタミン酸の「スペーサー」を介在させた方がアルブミン

との結合力が増強することが判明し、最終的に図1に示す

GLP-1アナログ化合物が製剤化され、国内では2010年1月

に認可された。なお、ヒトGLP-1にはアシル化されるリジン

残基は26位と34位に2つあるが、34位のリジンはアルギニ

ンに置換され26位のみがアシル化され炭素数16の飽和脂肪

酸であるパルミチン酸が付加している。なお、リラグルチ

ドは7量体を形成し、そのことが効果の持続性に重要であ

ることも明らかになっている。

新世代の持効型溶解インスリン製剤

インスリンについても、グルタミン酸をスペーサーとする

アシル化が検討された。当初は代表的な胆汁酸であるコー

ル酸の誘導体でアシル化したインスリン(NN344)の持続効

果が発見され臨床応用も期待されたが、その後開発は中止

された。しかし、NN344では6量体が会合した可溶性で高

分子量の構造(マルチヘキサマー)の形成が持続効果をもた

らしていることがわかり、アシル化に用いる側鎖の検討が

さらに進められた。その結果、脂肪酸の末端をカルボキ

シル基とした脂肪二酸で炭素数が16以上である側鎖では

高分子量のマルチヘキサマーが形成されることが判明し、

最終的に炭素数16のヘキサデカン二酸を結合させたイン

スリンアナログが選択され開発が進められた(図2)。なお、

B鎖30位のトレオニンを除き(des)、グルタミン酸(glu)をス

ペーサーとして、ヘキサデカン二酸を付加してある

(hexadecandioyl)ことから、インスリン デグルデクと命名

された。臨床開発は2006年から始まり、2012年9月に世界

に先駆けて日本で商品名トレシーバ®として製造販売承認

を受け、2013年3月に発売された(写真)。

インスリン デグルデクの特徴と作用機序

2個の亜鉛イオンを含むインスリン6量体(ヘキサマー)は、

通常は亜鉛イオンを両極ともに露出する緊張(tense)形態

であるT6立体配置にあるが、塩素イオンとフェノールを加え

ることにより、両極が閉じた弛緩(relaxed)形態であるR6

立体配置あるいはその中間のT3R3立体配置に変化する(図

3)。通常のフェノールが高濃度なインスリン製剤(ヒトイン

スリンやインスリン デテミルなど)ではR6立体配置の6量体

になるが、インスリン デグルデクではT3R3が安定した構造

であるためにT3R3立体配置の6量体が側鎖を介して2つ結

合したダイヘキサマーを製剤中で形成している。皮下注射

後は速やかにフェノールが外れることでT6立体配置の6量

体に変化し、さらに側鎖のヘキサデカン二酸と露出した亜

鉛イオンとの結合が数珠つなぎに作られることにより数百

以上もの6量体がつながったマルチヘキサマーが皮下に形

成される(図4)。マルチヘキサマーから徐々に亜鉛イオン

が遊離するとともに個々の6量体がはずれ、さらに2量体

から単量体となり血液中に吸収される。これらのメカニズ

ムにより安定した持続効果を発揮することになるが、イン

スリン デテミルと同様にアルブミンとの結合も持続効果に少

し寄与している。血中のアルブミン結合によるバッファリン

グ効果と上述のユニークな作用持続効果によってインスリ

ン効果の個体内変動が減少するものと考えられている。

インスリン デグルデクの臨床的有用性と期待

白人糖尿病患者において、インスリン デグルデクは血中半

減期が約25時間であり、24時間を通してほぼ平坦な血糖降

下作用を示し、作用持続時間は42時間を超えていた。また、

個体内変動も24時間を通して一貫して少なく、平均すると

インスリン グラルギンの約4分の1であった(図5)。また、

海外の第3相臨床試験において(1型糖尿病患者および2型

糖尿病患者における長期投与)、従来の持効型溶解インスリ

ンに対するHbA1cでみた血糖コントロールの非劣性と夜

間低血糖の有意な減少が認められた。日本人でも同様の成

績が報告されている。平坦で日間の変動が少ない血糖降下

作用を反映しているものと考えられる。また、インスリン

デグルデクに対する抗体産生の増加も認められていない。

臨床試験では同様の血糖値を目指すプロトコールであっ

たことから、実臨床(いわゆるリアルワールド)では血糖コ

ントロールの改善ももたらされるものと思われ、インスリ

ン治療に革新をもたらす理想に近いベーサルインスリン製剤

として期待されている。さらに、インスリン デグルデクが

製剤中では非常に安定したダイヘキサマーを形成すること

で、長らく待ち望まれていた可溶性の二相性インスリン製剤

がその後実現することになった。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)Knudsen LB, et al. : J Med Chem 2000; 43: 1664-1669.2)杉井寛 : 新しい持効型溶解インスリンアナログ注射液トレシーバ®(インスリンデグルテク)の開発経緯とその特徴, BIO Clinica 2012; 27: 1363-1368.

3)Jonassen I, et al. : Pharm Res 2012; 29: 2104-2114.4)加来浩平 : 超持効型インスリンによる新たなインスリン療法の可能性, 内分泌・糖尿病・代謝内科 2011; 33: 384-388.

5)Heise T, et al. : Diabetes Obes Metab 2012; 14: 859-864.6)Heise T, et al. : Diabetes Obes Metab 2012; 14: 944-950.

図1 リラグルチドの1次構造� 図2 インスリン デグルデクの1次構造�

7位�

34位� 26位�Gln

Ser Ser

ⅠleLeu

GluAspSerHis Val

ValArgArg

GluAla

AlaAlaAlaTrp

Leu

Gly

Gly

GlyGly GluPhe

Phe TyrThrThr

Lys

パルミチン酸� L-γ-グルタミン酸�

OO

H�N

CO2H

H3C

H

S S

S

S

A1 A21

B1 B29

ヘキサデカン二酸� L-γ-グルタミン酸�

Gly Ⅰle Val Glu Gln Cys Cys Thr Ser Ⅰle Cys Ser Leu Tyr Gln Leu Glu Asn AsnTyr Cys

Phe Val Asn Gln His Leu Cys Gly Ser His Leu Val Glu Ala Leu Tyr Leu Val Cys Gly Glu Arg Gly Phe Phe Tyr Thr Pro Lys

S

S

OO

H�N

CO2H

HO2C

H

0-2 22-242-4 20-224-6 18-206-8 16-188-10 12-14 14-1610-12 (時)�時間間隔�

020406080100120140160180200220

(%)�

日間の個体内変動�

インスリン デグルデク�インスリン グラルギン�

新世代の持効型溶解インスリン製剤� 図4 インスリン デグルデクの持続化機序の模式図�

図5 インスリン デグルデクとインスリン グラルギンの�24時間にわたる日間の個体内変動(CV%)の比較�

図3 インスリン-亜鉛6量体(ヘキサマー)立体配置の模式図�

インスリン-亜鉛6量体�

上面�

側面�

2量体� 単量体�

下面�

R6立体配置� T3R3立体配置� T6立体配置�

塩素イオン�亜鉛イオン�

フェノール�

デグルデク ダイヘキサマー�(T3R3立体配置)�

デグルデク マルチヘキサマー�(T6立体配置)�

デグルデク 2量体�

デグルデク 単量体�

亜鉛イオン�

フェノール�

フェノール�遊離�

亜鉛イオン�遊離�

吸収�

皮下�

製剤�

Pharm Res 2012; 29:2104-2114.

Pharm Res 2012; 29:2104-2114.

Diabetes Obes Metab 2012; 14:859-864.

個体内変動としてはインスリン効果(ブドウ糖注入率)の曲線下面積の変動係数(CV%)を用いた。インスリン デグルデクの個体内変動は、24時間を通し、一貫して低値であった。�

写真�

Page 15: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

11.理想的な二相性インスリン製剤を目指して~配合インスリンアナログ製剤の誕生~

27インスリン製剤の変遷をたどる26 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

インスリンの発見� インスリンの発見�

治療薬としてのインスリンの誕生�

動物インスリンとハーゲドンの時代�

ヒトインスリンを目指して�~半合成ヒトインスリン製剤の開発~�

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤�

新たなインスリンを求めて�~単量体インスリンの開発~�

超速効型インスリン製剤の誕生�~インスリンアナログの時代へ~�

持効型溶解インスリン製剤の誕生�

脂肪酸が付いた�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

新世代の�持効型溶解インスリン製剤の誕生�

理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�理想的な二相性インスリン製剤を目指して�~配合インスリンアナログ製剤の誕生~�

二相性の動物インスリン製剤

NPHインスリンやレンテインスリンなどの中間型インスリ

ンが1940年代以降に登場した後は(p8~9)、中間型イン

スリンを1日1~2回投与する方法が標準的なインスリン治

療として普及していた。しかし、中間型インスリンでは食

後高血糖をきたしやすく、1959年にはラピタードインスリ

ンが初めての二相性インスリンとして発売された(写真1)。

速効成分としての25%のブタインスリン溶液を75%の結

晶性ウシレンテインスリンに混合した製剤であり、当時と

しては画期的な製剤であったが、1980年代後半よりヒトイ

ンスリン製剤が使用されるようになってからは次第に使わ

れなくなった。

二相性のヒトインスリン混合製剤の誕生

ヒトインスリン製剤の普及と同時期に、生理的なインス

リン分泌が食後の急速な追加分泌と持続的な基礎分泌から

なることが明らかとなった。そのため、従来の1日1~2回

のインスリン注射療法よりも、毎食前のボーラス(追加)イン

スリンと1日1~2回のベーサル(基礎)インスリンを投与す

る頻回注射療法が、特に1型糖尿病では望ましいのではな

いかと考えられるようになってきた。さらに、1990年代に

発表されたDCCT(Diabetes Control and Complications

Trial)や熊本スタディなどの臨床研究により強化インスリ

ン療法(頻回注射療法あるいはインスリンポンプ療法)が糖

尿病合併症予防に有効であることが明らかになり、強化イ

ンスリン療法がインスリン療法のゴールドスタンダードと考え

られるようになった。

しかしながら、インスリンポンプ療法はコストなどの点

で難があり、頻回注射療法では注射の回数が多いことによ

り、インスリン分泌が残存している2型糖尿病患者などで

は強化インスリン療法は実際的でないことも多い。そのた

め、速効型インスリンと中間型インスリンの混合注射が広

く行われるようになった。使い捨てのプラスチックシリン

ジが使われていた時代は、注射の回数を減らすためにシリ

ンジ内での混合が行われていた。しかし、まず中間型イン

スリンの入ったバイアルに必要とするインスリン量と同量

の空気を注入し、バイアルに入った速効型インスリンと中

間型インスリンをこの順に吸引する(逆だと懸濁性の中間

型インスリンが速効型インスリンのバイアルに混入する)

という煩雑な手順が必要であり、実際上は多くのトラブル

やエラーを伴っていた。こうした背景のもと、1989年に速

効型インスリンとNPHインスリンが混合された二相性の

ヒトインスリン製剤が初めて発売され、患者にとって福音

となった。ちなみに、レンテインスリンは速効型インスリ

ンと混合すると、過剰に含まれている亜鉛が速効型インス

リン成分と結合しその効力を損なうことから、混合製剤は

作成できない。そうした点や、ペン型注入器においてイ

ンスリン結晶がガラス球による混和の際に潰れやすいこと

などにより、レンテインスリンは市場から撤退していくこ

ととなった。混合製剤のデメリットとして速効型と中間

型の比率が固定していることがあるため、個々の患者に

合った製剤を選択できるように種々の割合の混合製剤が

その後発売された。

二相性の超速効型インスリンアナログ混合製剤の開発

超速効型インスリンアナログの登場後は、超速効型イン

スリンと中間型インスリンの混合製剤の開発が進められ

た。当初は、超速効型インスリンと従来のNPHインスリ

ンの混合製剤が試みられたが、プロタミンと共結晶を作っ

ていたヒトインスリンが溶液中の超速効型インスリンと

徐々に入れ替わり、製剤としての安定性が確保できないこ

とが判明した。そのため、ノボ ノルディスク社は超速効

型のインスリン アスパルトにプロタミンを混ぜることによ

り一部結晶化した中間型画分と超速効型画分の割合を種々

に調整した製剤を2003年以降に発売した(写真2)。一方、

イーライリリー社はインスリン リスプロが過不足なくプロ

タミンと結合した中間型インスリン リスプロを開発し、さ

らにインスリン リスプロを異なる割合で混合することによ

り、日本では2005年3月にインスリン リスプロ混合製剤を

発売した(写真3)。

超速効型インスリンアナログ混合製剤の有効性

二相性の超速効型インスリンアナログ混合製剤が発売さ

れると、食直前注射という利便性に加え食後血糖改善効果

に優れ重症低血糖も少なくなることから、従来のヒトインス

リン混合製剤は次第にとってかわられることになった。さ

らに、1日1~2回投与以外に1日3回投与という選択肢が

実際的となった。超速効型インスリン成分を50%か、そ

れ以上含むいわゆる「ハイミックス」製剤の1日3回注射は生

理的なインスリン分泌をよく再現していることから「準強

化療法」とも呼ばれるが、注射の回数が少なく1つの製剤

で行える利点があり、通常の超速効型インスリンと持効型

インスリンを用いた強化療法の継続が困難な症例には有用

なインスリン療法である。

2種類のインスリンアナログを含有する初めての配合製剤の誕生

その後、基礎インスリン分泌補充に優れた持効型溶解イ

ンスリンであるインスリン グラルギンやインスリン レベ

ミルを超速効型インスリンと混合した二相性インスリン製

剤を作成することが試みられたが、予期した効果が得られ

ることはなかった。酸性で溶解性のインスリン グラルギ

ンと、中性で溶解性の超速効型インスリンの混合は困難で

ある。インスリン デテミルと超速効型インスリンの混合で

は、2種類のインスリンアナログが混在した不安定な6量

体が製剤中で形成されてしまう。

しかし、連載第10回(p24~25)で紹介した持効型溶解

インスリンであるインスリン デグルデクでは、超速効型イ

ンスリンであるインスリン アスパルトを混合しても、各々

のインスリンの効果は保たれており、インスリン アスパル

ト混合製剤と比べても2つの画分の効果が明確に区別され

ていた(図)。前回に説明したように、インスリン デグル

デクは製剤中ではT3R3立体配置の6量体が2つ結合したダ

イヘキサマーとして非常に安定した構造をとり、インスリ

ン アスパルトがダイヘキサマーのインスリン デグルデク

図�インスリン デグルデク/インスリン アスパルト(IDegAsp)�のインスリン作用プロファイル�

A:インスリン アスパルト由来の超速効型画分とインスリン デグルデク由来の持効型画分の効果が各々保持されている�B:IDegAspと30%インスリン アスパルト混合製剤(BIAsp 30:ノボラピッド¨30ミックス)の比較�

Expert Opin Biol Ther 2012; 12: 1533-1540.

インスリン アスパルト混合製剤�

超速効型インスリンの割合は全体の30、50、70%�

インスリン リスプロ混合製剤�

超速効型インスリンの割合は全体の25、50%�

0時間�

2420161284

10

8

6

4

2

0

ブドウ糖注入率�

(mg/kg/min)�B

インスリン デグルデク/インスリン アスパルト(IDegAsp)�30%インスリン アスパルト混合製剤(BIAsp 30)�

0時間�

2420161284

8

6

4

2

0

ブドウ糖注入率�

(mg/kg/min)�A

インスリン デグルデク/インスリン アスパルト(IDegAsp)�

超速効型画分�(インスリン�アスパルト)�

持効型画分�(インスリン デグルデク)�

写真2

写真3

動物インスリン製剤�

速効型のアクトラピッドインスリン(左)、二相性のラピタードインスリン(右)�

写真1

Page 16: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

11.理想的な二相性インスリン製剤を目指して~配合インスリンアナログ製剤の誕生~

29インスリン製剤の変遷をたどる28 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリン注入デバイスの変遷

と入れ替わるといったことがないためと考えられる。

インスリン デグルデクとインスリン アスパルトを7:3の

モル比で含有する溶解インスリン製剤インスリン デグルデ

ク/インスリン アスパルト(IDegAsp)は、日本で2012年

12月に製品名ライゾデグ®配合注として製造販売承認を受

けた。超速効型と持効型の2種類のインスリンアナログを含

有する初めての配合インスリン製剤である。また、注射前

の混和が不要な初めての溶解性二相性インスリン製剤であ

る。2型糖尿病を対象としたアジア共同臨床試験における

日本人集団での夜間低血糖の有意な減少(30%インスリン

アスパルト混合製剤(BIAsp 30)との比較)、日本人2型糖

尿病におけるHbA1cの有意な低下(インスリン グラルギ

ンとの比較)などが認められた。

連載のおわりに

動物インスリンから最新のインスリンアナログ製剤に至

る、90年を超えるインスリン製剤の変遷と発展についての

約2年間にわたる連載をひとまず終わりとしたい。インスリ

ン製剤の進歩は糖尿病治療に変革をもたらし、糖尿病患者

にとって大きな福音となった。しかしながら、解決が望ま

れる課題も少なからず残っており、今なお新たな製剤が開

発されつつある。そこで、次回「インスリン製剤の変遷をた

どる~過去、現在、そして未来~」と題したDITN鼎談を本

連載の番外編として行いたい。

参考書籍・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1)松田文子 : インスリン療法の進歩, 診断と治療 1985; 73: 1763-1766.2)粟田卓也 : インスリンアナログ製剤の薬理学的特徴と有効性、安全性, 月刊糖尿病 2010; 2(6): 21-32.

3)Jonassen I et al. : Pharm Res 2012; 29: 2104-2114.4)Ma Z et al. : Expert Opin Biol Ther 2012; 12: 1533-1540.

世界初のインスリン専用注射器�

使い捨てのプラスチック製注射器� ノボペン¨

ノボシリンジ�

さまざまなインスリン注入器�(一部は販売中止となっている)� フレックスタッチ¨

写真4 写真5

写真6 写真7

写真8 写真9

最後のミニコラムでは、インスリン注入デバイスにつ

いて取り上げる。インスリン療法はホルモン補充療法の

中でもその投与の仕方が最も難しい。生理的なインスリ

ン分泌である追加分泌と基礎分泌をタイミングよく再現

することが困難であることはもとより、過剰投与による

低血糖のリスクが常につきまとい、それは生命にもかか

わる。現在に至るまで、インスリンの実用的な投与法は

皮下注射であり、インスリン療法を有効かつ安全に実施

することを目指して、インスリン製剤と注入デバイスは

車の両輪のように進歩してきた。

連載第2回(p6~7)で紹介したように、1923年に最

初のインスリン製剤であるアイレチンが発売された頃

は、ガラスの注射器と鋼鉄製の針を煮沸消毒して繰り返

し使っていた。1924年には、初のインスリン専用注射

器がベクトン・ディッキンソン社により製造され(写真

4)、1925年に現在のペン型インスリン注入器の原型と

いうべき「ノボシリンジ」が作られた(写真5)。

1954年の使い捨てのガラス製注射器を経て、1961年

に使い捨てのプラスチック製注射器が発売され(写真6)、

ようやく面倒な煮沸消毒から糖尿病患者は解放されるこ

とになった。その後、中間型インスリンが登場し注射の

回数が1日1~2回と少なかったこともあり、デバイス

の進歩はなかった。しかし、p26でも述べたように頻回

注射による強化インスリン療法の必要性が明らかとな

り、簡便なインスリン注入デバイスに対するニーズが高

まっていった。

そうした中、ノボノルディスク社は1985年に世界初の

ペン型のインスリン注入器「ノボペン®」を発売した(日本

では1988年)(写真7)。インスリン製剤は取り替え式の

カートリッジとし、注射針は使い捨てとすることで、イン

スリンが入ったバイアルをプラスチック製注射器を使っ

て注射することと比較して、インスリン注射は著しく簡

便になり、携帯性も飛躍的に向上した。初代の「ノボペ

ン®」はワンプッシュ2単位の注入ボタンを必要な回数だ

け押すという使い方であったが、その後改良が重ねられ、

1単位あるいは0.5単位刻みで注入インスリンの単位を

決定することが可能となり、カートリッジの容量も150

単位から300単位に増えるなど、利便性が増している。

さらに、ノボノルディスク社は1989年に世界で初めて

カートリッジ交換の必要がないプレフィルドタイプの注

入器「ノボレット®」を発売した(日本では1994年)。その

後、プレフィルドタイプの注入器は、使い捨ての注射

針だけを取り替えて空になれば注入器ごと廃棄すると

いう簡便性から、インスリン注入デバイスの主流となっ

ていった。

現在では、インスリン製剤メーカー各社がカートリッジ

タイプあるいはプレフィルドタイプの多様なインスリン

注入器を販売している(写真8)。2013年、トルクスプリ

ングを用いているために注入ボタンが注入量に応じて伸

びず、注入ボタンが軽くて押しやすいという特長を持つ

プレフィルドタイプのインスリン注入器「フレックスタッ

チ®」がノボノルディスク社から発売された(写真9)。

Page 17: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

鼎 談

31インスリン製剤の変遷をたどる30 インスリン製剤の変遷をたどる

インスリンの発見から動物インスリンの時代

粟田●インスリンの歴史は、1921年にバンティングとベス

トが膵臓からの抽出物が血糖を下げることを発見したこ

とから始まります(図)。92年が経過した現在では、日本

だけでも100万人以上の糖尿病患者に使用されています。

インスリンの発見について、いかが思われますか。

葛谷●糖尿病の治療の研究でいろいろな薬が発見されまし

たが、インスリンは最大の発見だったと思います。

インスリンの発見については、『インスリンの発見』(朝日

新聞社、1993年)という本に詳しく書かれており、誰がイン

スリンを発見したか論争になりました。血糖を下げる物質を

取り出したのはバンティングとベストですが、臨床応用し

て製剤にまでしたのは、マクラウドとコリップの功績が大

きいです。4人全員が発見に貢献していて、1人欠けてもう

まくいかなかったのは事実だと思います。ベストがノーベ

ル賞を受賞できなかったことでもめてスキャンダルになっ

たという実情がありました。興味ある方はその本を読んで

いただくとよいと思います。

岩本●命を長らえることが難しかった1型糖尿病患者の予

後が、インスリンの登場によって著しく改善しました。そ

ういう意味において、奇跡的な薬であったことは間違いな

いと思います。

粟田●1922年にイーライリリー社が世界で初めてインス

リンの安定した製造に成功し、1923年にインスリン製剤

「アイレチン®」が発売されました。日本では発売後、すぐに

使用されたのでしょうか。

葛谷●インスリンは瞬く間に広まり、まずカナダとアメリカ

で使用され、1923年に日本にも「アイレチン®」が輸入され

て使われています。

粟田●そして1930年代に持続性のプロタミンインスリン、

1946年にNPHインスリンが開発されますが、その経緯は

どのようなものだったのでしょうか。

葛谷●初期のインスリンは不純物が多く、食事のたびに注

射しないと血糖管理ができなかったため、長く効くインス

リンが求められ研究されました。いろいろな工夫が行われ

ましたが、デンマークのハーゲドンが魚から抽出した塩基

性蛋白のプロタミンをインスリンに添加すると、皮下から

の吸収が遅れて作用時間が持続できることを発見し、1936

年にプロタミンインスリンを最初に開発しました。

そして、1946年にノルディスク社がインスリンとプロタ

ミンが過不足なく結合して結晶を作る中間型インスリンを

開発し、Neutral Protamine Hagedornの頭文字をとって

NPHと命名しました。

私が糖尿病の診療にたずさわるようになった頃(1950年

代)は、もっぱら動物インスリンが使われていました。も

う少し以前、日本ではウシやブタの膵臓が手に入らなかっ

た戦時中や戦後の話ですが、魚や鯨のインスリンが使われ

ていた時代がありました。硬骨魚の膵島は、外分泌と独立

していて肉眼でも選り分けることが可能で、それをたくさ

ん集めるとうまく抽出できます。しかも、ウシやブタのも

のとはアミノ酸構造が違うわりに比較的活性が高く、1mg

当たり17~18単位あります。

粟田●岩本先生が医師になられた頃はどのインスリンを使

用されていましたか。

岩本●私が医師になって糖尿病患者の治療を始めた頃は、

まだ動物インスリンを使用していた時代でした。

研修医の頃、インスリンアレルギーに苦しんでいた患者

に、魚のインスリンを使ってみたことがあります。

その頃から、インスリンの純度が低いため抗体産生が起

こるというインスリン治療の副作用がありました。また当

時は、インスリン注射をする患者は注射部位が陥凹するイ

ンスリンリポアトロフィーが高頻度にみられました。

葛谷●外来で診ていると、インスリン治療中の患者の1/3

くらいにリポアトロフィーが見られましたね。ちょうどそ

の頃、インスリン製剤中の不純物が問題となり、やがてプ

ロインスリンが発見されました。

不純物が多いインスリン製剤を純化しようと結晶化が試

みられました。しかし、プロインスリンはインスリンと

共結晶を作るので何回結晶化しても、完全にプロインス

リンを除くことはできず、アレルギーを完全に防止でき

ませんでした。そういう背景もあり、動物インスリンで

はなくヒトインスリンを開発しようという話になってい

きました。

遺伝子工学によるヒトインスリン製剤

粟田●1970年代に純度が高いモノコンポーネントインス

リンが開発され、その後しばらくして、1982年に世界最初

のヒトインスリン製剤(半合成ヒトインスリン製剤)が発売

されました。しかし、半合成ヒトインスリン製剤ではその

当時に危惧されつつあったインスリン原料の不足を解消で

きないことから、その頃台頭してきた遺伝子工学の最初の

応用としてヒトインスリン製剤が登場し、動物インスリン

製剤に取ってかわりました。

当時の開発でインパクトがあったことは何でしょうか。

葛谷●いかにして遺伝子工学によるインスリンを先に作り

出すか、当時の競争は激しいものだったようですね。ヒトイ

ンスリンが作られても、ブタインスリンとは作用の上では大

きな違いはありませんでしたが、そういう遺伝子工学の技

術ができたおかげで、インスリン製剤を量産することが可

能になったことと、アナログを作る道が開けたことが、一

番インパクトとして大きいのではないかと思います。

岩本●ブタインスリンでは、1人の糖尿病患者1年間のイン

スリンをまかなうには70頭ものブタが必要でした。ちょうど

糖尿病が世界的に増えつつある時期に、膵臓資源の不足を

克服する技術が開発されたことは一番大きな進歩だと思い

ますね。

粟田●それからは本当に大量生産の時代になります。

図�インスリン製剤の歴史 1

1921年�インスリン製剤の黎明期�

インスリンの発見�

1922年�

世界初のインスリン投与�

1924年�

世界初のインスリン専用注射器を製造(ベクトン・

ディッキンソン社)�

1925年�

シリンジタイプの「インスリン

ノボ ®」発売(ノボ社)�

1926年�

インスリンの結晶化に成功�

1929年�

インスリン結晶化には亜鉛が必要であること�

� (アーネスト・

ライマン・スコット)�

1923年�

インスリン製剤化に成功、インスリン製剤発売�

「インスリン

ヘキスト ®」(ヘキスト社)�

「インスリン

レオ ®」(ノルディスク社)�

「アイレチン ®」(イーライリリー社)�

インスリンレオ®(デンマーク発の�インスリン製剤)�

1922年当時、アイレチン製造のために必要であったブタ膵臓の山。�これからボトル1本分しか製造できなかった。�

医学部棟屋上の�バンティング(右)とベスト(左)�

さまざまなインスリン結晶�

(J.�J.エイベル)�

膵臓抽出物から精製されたイン

スリンは、正規インスリンまたは

レギュラーインスリンと呼ばれ、そ

の後Regularの頭文字をとって

Rと称される�

ジェームズ・バートラム・コリッ

プが分離した膵臓抽出物が、

1型糖尿病の少年レナード・ト

ンプソンに初めて投与されて

劇的な効果を示し、その抽出

物を「インスリン」と命名�

カナダ・トロント大学の

フレデリック・バンティン

グとチャールズ・ベストが

膵臓からの抽出物が血

糖を下げることを発見�

インスリン純化のブレー

クスルーとなる�

を発見�

社名は当時のもので、インスリンの発売年は世界で最初に発売された年号を記載。�

インスリン製剤の変遷をたどる�~過去、現在、そして未来~�インスリン製剤の変遷をたどる�~過去、現在、そして未来~�

理想的なインスリン製剤を目指して�

粟田●1921年にカナダ・トロント大学のバンティングとベストがインスリンを発見してから92年が経過しました。インスリンの発見は、ペニシリンの発見などと並ぶ20世紀最大の発見と言われ、その後、糖尿病治療は飛躍的に進化し、さらに糖尿病の成因や病態についての研究は、インスリンの発見から始まったといっても過言ではないと思います。インスリンの発見とその後の発展の歴史を、「インスリン製剤の変遷をたどる」というテーマでDITN2011年6月号

から2013年5月号まで連載しました。本連載の締めくくりとして、本日は、インスリン製剤に造詣の深い葛谷 健先生(自治医科大学 名誉教授)と、岩本 安彦先生(東京女子医科大学 常務理事・名誉教授)をお招きして、インスリン製剤開発の歴史と、現在の課題、さらには今後の展望および方向性について、お話を伺いたいと思います。

DITN鼎談�DITN鼎談�

岩本 安彦先生(東京女子医科大学常務理事・名誉教授)

葛谷 健先生(自治医科大学名誉教授)

粟田 卓也先生(埼玉医科大学内分泌・糖尿病内科)

司 会ゲストゲスト

Page 18: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

鼎 談

33インスリン製剤の変遷をたどる32 インスリン製剤の変遷をたどる

頻回インスリン注射療法の普及

粟田●1960年に微量ホルモンの定量が可能なラジオイムノ

アッセイが開発され、インスリンが測定されはじめてから、

実際に生理的なインスリン動態がわかってきました。当時の

お話で何かございますか。

葛谷●プロタミンインスリンなどが1936年に出て、その後普

及して20年ぐらいたった1950年~60年代に糖尿病の合併

症である細小血管障害が大きな問題になっていた時期があ

ります。

中間型インスリン1日1回注射で治療していた時代では、

1日3回注射と比較すると合併症が多いことが、レトロスペ

クティブな統計の比較で報告されています。その時代のこ

とを「ダークエイジ(暗黒時代)」と、タッタザールが表現し

ています。それで、1日1回注射は1日3回注射に比べて、

血糖コントロールや合併症を防ぐ上では劣るのではないか

と言われ始め、大規模スタディで確かめようということに

なり、いくつかの小規模な研究のあと、DCCTや熊本スタ

ディが行われました。

岩本●インスリンが注射製剤であるという問題は今でもあ

るわけです。できるだけ回数を減らしてQOLを高めると

いう考え方で、持続型製剤が開発され、いまの中間型製剤

なども出てきました。私が医師になりたての頃は、それ

がまだ全盛の時代で、そういった治療によって、いまの

「ダークエイジ」と言われたような結果が明らかになって、

命は長らえるけども合併症の発症は防げなかったことが明

らかになったわけですね。

それで、また頻回注射法に戻っていった経緯があります。

葛谷●1970年頃、インスリンは1日1回か2回注射という

人が大部分でした。2回注射は、例えば、二相性のインス

リンの2回注射など、いろいろな方法がありましたが、そ

れだけではどうも不十分だという考えが1980年代頃から

徐々に普及していきました。注射のデバイスの進歩、例

えば使い捨ての注射器が開発されたことの影響は大きい

ですね。

粟田● 1日に何回も注射する必要があるということがわ

かって、ペン型の注射などデバイスも進歩していったわけ

ですね。そういった背景で、インスリンの治療、注射の仕

方も変わってきました。

インスリンアナログ製剤の誕生

粟田●次にインスリンアナログ製剤の話に移りたいと思い

ます。ヒトインスリンが治療の中心となり、注射回数が多

い強化インスリン療法が盛んになってきました。しかし、

そういう状況でも、なかなか血糖コントロールは難しく、イ

ンスリンが高濃度の状態では6量体を形成する性質を持っ

ているために、注射してから効き出すのに時間がかかるこ

とが障害であることがわかってきました。

まず6量体の結晶をつくりにくいインスリン製剤を作ろ

うという動きが出てきたのですが、その辺はいかがでしょ

うか。

葛谷●インスリンの立体構造がわかってきて、最初から6

量体になりにくいインスリンを作ったら、もっと速く効く

のではないか、それで6量体を作るときに関係のあるアミ

ノ酸を修飾したインスリンを作ろうというのが超速効型イ

ンスリン開発の発想です。

そして最初に開発された超速効型インスリン「X10イ

ンスリン」は、そういう性質を備えているけれども、動物

実験で発癌性があることがわかり、開発が中止になりま

した。

岩本●今でもよく覚えていますが、治験が日本でも始まる

ことになり、プロトコールもできあがって、これからとい

うときの突然の中止でしたね。

粟田●癌を促進する可能性が認識され、それ以後のインス

リンアナログ製剤の開発の重要なチェックポイントになりま

した。

そして新たな超速効型インスリンが開発されて、1996年

にインスリン リスプロ、1999年にはインスリン アスパル

トが発売されました。

持効型インスリンについては、その後、少し遅れて開発

されましたね。

葛谷●最初は、アルギニンを付加したり、アミノ酸の一部を

入れ換えて、等電点を酸性領域から中性へもってくるとい

う発想で開発され、インスリン グラルギンが成功したわ

けです。

それから、ノボ ノルディスク社は発想を変えて、遊離

脂肪酸を1つ結合させて、それが皮下や血中のアルブミン

と結合することを利用して、作用を遅くしようということ

でインスリン デテミルが開発されましたね。発想として

面白く、よく考えたと感心します。さらに新世代の持効型

インスリンであるインスリン デグルデクが2013年に登場

しています。この場合は、グルタミン酸をスペーサーとし

て、脂肪二酸を付加することにより、皮下でマルチヘキサ

マーを形成し、作用が持続化します。

インスリン製剤の未来

粟田●最後に、インスリン製剤の未来についてお話しいた

だきたいと思います。

インスリン製剤の課題として注射剤であることがあり、

経口インスリンなどが開発されつつあるようですが。

葛谷●インスリンが発見されて間もない頃から、経口や点

眼、吸入など、さまざまな方法が試みられてきました。吸

入で用いる製剤が一時期発売されましたが、使い勝手が悪

く発売中止になりました。

経口インスリンは見込みなきにあらずだと思いますし、

門脈領域から吸収させる利点はありますが、難しいですね。

粟田●今インスリンポンプとリアルタイムCGMを併用す

ると血糖コントロールが大変良くなり低血糖が減少する

ことから、その方面の開発が進んでいます。血糖値から

自動的にインスリンを投与する人工膵臓を作れる可能性

があるということで、北米やヨーロッパで盛んに開発が行

われているようです。血糖と皮下で測定したブドウ糖との

タイムラグやインスリンの投与が皮下であるということ

で、多少限界はあるようですが。そのため、従来の超速効

型インスリンよりもさらに効果が迅速なインスリン製剤や

室温で安定なグルカゴンアナログ製剤の開発も行われてい

るようです。

葛谷●CGMで長時間の血糖の連続測定ができれば、その

先の進歩はテクノロジーとしてそれほど難しいことではな

いと思います。あとはいかに、患者が使用するのに抵抗が

ないような機器を開発するかですね。

こういった人工膵臓は古くから研究が行われています

図�インスリン製剤の歴史 2

インスリン製剤の進歩期�

プロタミン亜鉛インスリン(PZI)発売(ノボ社)�

魚のインスリン発売�

中間型イソフェンインスリン(NPH)開発�

持続型亜鉛懸濁インスリン「レンテ ®」シリーズ発売(ノボ社)�

ブタ精製中性インスリン注「アクトラピッド ®」発売(ノボ社)�

二相性インスリン「ラピタード ®」発売(ノボ社)�

1936年� 1938年� 1941年� 1946年� 1953年� 1959年� 1967年�1973年� 1974年�

持続性プロタミンインスリンの開発(ハンス・クリスチャン・ハーゲドン)�

モノコンポーネントインスリンを開発(ヘキスト社)�

高度精製「モノコンポーネント(MC)インスリン」発売(ノボ社)�

高度精製ブタインスリン「インスリン

インスラタード

ノルディスク ®」発売�

ハンス・クリスチャン・�ハーゲドン�(1888-1971)�

動物インスリン製剤�速効型のアクトラピッドインスリン(左)�二相性のラピタードインスリン(右)�

イスジリン「シミズ」�

NPHインスリン�

レンテインスリン�

(ノルディスク社)�

(ノルディスク社)�

(清水製薬株式会社)�

プロタミンインスリンにより、

血糖の変動幅は大幅に縮

小。さらに注射部位の痛み

や炎症も減少し、アメリカ糖

尿病治療の権威であったジョ

スリンは「ハーゲドンの時代

が到来した」と称賛�

プロタミン

を含まない

持続型製剤�

社名は当時のもので、インスリンの発売年は世界で最初に発売された年号を記載。�図�インスリン製剤の歴史 3

遺伝子組み換え技術を用いたヒトインスリンを生産�

大腸菌を用いた遺伝子組み換え技術によるヒトインスリン製剤を発売�

脂肪酸を付加した持効型溶解インスリンアナログ製剤�

新世代の持効型溶解インスリンアナログ製剤�

ヒトインスリン製剤およびアナログ製剤登場�

1979年�

インスリン自己注射保険適用(国内)�

1981年�

血糖自己測定保険適用(国内)�

1986年�

半合成ヒトインスリン製剤発売(ノボ社)�

1982年�

超速効型インスリンアナログ製剤「ヒューマログ ®」発売�

1996年�

「レベミル ®」発売�

持効型溶解インスリンアナログ製剤�

2004年�

超速効型インスリンアナログ製剤「ノボラピッド ®」発売�

1999年�

持効型溶解インスリンアナログ製剤「ランタス ®」発売�

2000年�

ペン型注入器「ノボペン ®」と専用カートリッジ「ペンフィル ®」発売(ノボ社)�

1985年�

酵母菌を用いた遺伝子組み換え技術によるヒトインスリンを生産(ノボ社)�

1987年�

強化インスリン療法の普及�

1990年代�1983年�(イーライリリー社)�

(アベンティス社)�

超速効型インスリンアナログ製剤「アピドラ ®」発売�

2004年�(アベンティス社)�

(ノボ

ノルディスク社)�

(ノボ

ノルディスク社)�

持効型溶解インスリンアナログ製剤「トレシーバ ®」発売�

2013年�(ノボ

ノルディスク社)�

(イーライリリー社)�

世界最初の

ヒトインスリン

製剤�

インスリンアナログ

製剤の開発と使い

捨てインスリン注入

器の開発につながる�

1979年�

ブタインスリンからヒトインスリン(半合成)の合成に成功(ノボ社)�

社名は当時のもので、インスリンの発売年は世界で最初に発売された年号を記載。�

鼎 談

Page 19: インスリン製剤の 変遷をたどるƒ«抽出液を7.5mLずつ、合計15mLが注射されたが、最 初の注射では血糖は少ししか下がらず注射部位の一方に

鼎 談

34 インスリン製剤の変遷をたどる

が、やっと少し見込みが出てきたところだと思います。

粟田●コンピュータテクノロジーやアルゴリズムの進歩が

著しいことも人工膵臓の進歩を早めていますね。

日本では人工膵臓の対象となる1型糖尿病患者が少なく

市場としてかなり小さいのですが、将来的には妊婦や血糖

コントロールが困難な2型糖尿病患者などにも人工膵臓の

適応が拡がっていくことも考えられます。

一方で、SMBGによる日常生活における血糖測定は進歩

したインスリン製剤を活用する上で重要だと思います。

葛谷●SMBGも数秒で結果が出るような迅速な機器も出

てきましたし、患者が理解して使いこなせるようになれば

いいですよね。

粟田●そうですね。CGMは日本でもようやく普及してき

ていますが、コストの問題があるので、SMBGとうまく使

い分けていくことが必要だと思います。

今後の糖尿病治療

粟田●次に、移植・再生医療について膵臓移植中央調整委

員会の委員長をされている岩本先生いかがでしょうか。

岩本●ご承知のように、臓器移植法の改正以降、ドナー

が徐々に増えつつあり、1型糖尿病患者に、膵臓が提供さ

れる機会が少し増えました。1型糖尿病の根治的な治療と

して、移植後に免疫抑制療法を続ける必要はあるものの、

膵臓移植をした患者のCGMデータを見ると、血糖値が完

全にフラットになり正常化しているので、素晴らしい治療

だと思います。しかし、全体としてみると、海外と同じく

らいに飛躍的に数が増えているわけでは決してありませ

ん。日本においてはドナーがまだ少ないこともあり、今後

も膵臓移植の恩恵を受ける患者が多くなるとは言えないで

しょう。欧米の膵移植の患者数に比べたら、大変少ない状

況です。

一方で、膵島移植は1回の移植では必ずしもインスリン

離脱ができず、2~3回の移植でも確実に離脱できるわけ

ではありません。ドナーが出たときに、効率的に良質な膵

島を分離できる拠点がいくつかできれば、インスリン離脱

といった恩恵を受けられる患者が増えてくるのではないか

と思っています。

再生医療の分野では、iPS細胞とは別に、東京女子医科

大学の医工連携の大きな拠点である先端生命医科学研究所

で、細胞シート工学を用いた移植が重要な研究テーマに

なっています。岡野光夫所長が膵臓にも強い関心を持って

いて、糖尿病センターの若い医師が指導を受けて研究を始

めています。いろいろな臓器、例えば心臓や消化管など、

将来の夢としてはiPS細胞から分化した細胞シートを作って

植えるという形になると思います。動物実験の段階です

が、意欲的に研究に取り組みつつあるところです。

粟田●インクレチン療法が数年前から臨床に入ってきて、

2型糖尿病に使われています。そういった状況の中で、イ

ンスリン療法はどのようなポジショニングで考えればいい

でしょうか。

岩本●この3年間のわが国におけるインクレチン関連薬の登

場と進展は、過去の経口薬をはるかにしのぐ勢いで拡がっ

てきたと思います。それだけ2型糖尿病の治療にフィット

する薬剤だったと思いますが、今後、また作用機序が異な

るSGLT2阻害薬や、グルコキナーゼ活性化薬などが出て

くる予定です。今までとは異なる作用機序を持つ薬剤が登

場して、選択の幅が拡がることは大変良いことですが、逆

に、そういう新薬を次々と使用することで、本当にインス

リンが必要なケースでインスリン導入が遅れることがあっ

てはならないと思います。

せっかくインスリン製剤とデバイスが進歩してきている

ので、それらを生かせるようにしないといけないと思いま

す。少なくとも医師は、そういう考えを持たないといけま

せん。

粟田●インクレチン療法にも限界があり、生活習慣の乱れ

などで血糖が上昇する状況が続くと糖毒性を来たし、その

有効性が維持できなくなるようです。そうした場合に、糖毒

性を解除するのに一番よい薬剤は、やはりインスリンだと思

いますね。

葛谷●そうですね。一番確実に効くというということで

すね。

粟田●本日はインスリン製剤の歴史から、最近の話題、今

後の展望についてお話しいただきました。

今後、インスリン療法にどのような進歩が見られるのか

興味が尽きない点はありますが、インスリン療法のさらな

る発展を期待して、この話を終わりにしたいと思います。

本日はどうもありがとうございました。

(2013年5月収録)

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2013年12月16日発行  第1版第1刷�

発 行 所  株式会社メディカル・ジャーナル社�       〒102-0073 東京都千代田区九段北1-12-4�       TEL 03-3265-5801(代) FAX 03-3265-5820

監修・執筆  粟田 卓也�

粟田 卓也�

<非売品>�

®The Medical Journal Co., LTD. 2013�All rights reserved. No part of this publication may be reproduced�in any means without permission in writing from the publisher.�

本書の内容を発行者の許可なく引用,複製することを禁じます。�

1981年 東京大学 医学部医学科 卒業�

1986年 自治医科大学 内分泌代謝科 助手�

1993年 マサチューセッツ大学 病理学教室 博士研究員�

1995年 埼玉医科大学 第四内科 講師�

1999年 埼玉医科大学 中央研究施設RI部門主任 兼 第四内科 助教授�

2005年 埼玉医科大学 中央研究施設RI部門主任 兼 第四内科 教授�

2008年 埼玉医科大学 内分泌・糖尿病内科 教授�

現在に至る�

著者プロフィール�

あわた� たくや�