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, Ð C { w C å t K h l o - 日本弁護士連合会 · , Ð C {w CåtKhlo µ µ, Ð C { w C å t K h l o ù÷øû å þ Dz B $×ôVwæ 0 Ýb ³^> Us^ zù÷øü å Dtxz è ¶ O M

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  • 基調報告書の発刊にあたって

    -1-

    基調報告書の発刊にあたって

    2014 年 7 月、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定がなされ、2015 年 9 月には、平和安全法制整備法及び国際平和支援法が国会で採決されました。またこれに先立つ 2013年 12 月、秘密保護法が制定されました。この間、日弁連、各弁護士会は、安保法制が、内容において立憲主義、恒久平和主義及び国民主権に反しているうえ、その成立過程も民主主義に反していること、さらに、秘密保護法により、安保法制に基づく政府の判断の是非や検証のために必要な情報の秘匿が強く危惧されることなどを、会長声明、意見書などにより意見表明してきました。また、シンポジウムを開催したり、街頭宣伝活動を行うなどして、多くの人々とともに、全国各地で様々な活動を行ってきました。日弁連では、これまでの人権擁護大会においても、憲法問題をテーマとするシンポジウムを繰り返し開催し、2005 年第 48 回人権擁護大会では「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」を採択し、さらに、2008 年の第 51 回大会においては「平和的生存権及び日本国憲法 9条の今日的意義を確認する宣言」を、2013 年の第 56 回大会においては「恒久平和主義、基本的人権の意義を確認し、「国防軍」の創設に反対する決議」を採択しました。あらためて憲法の立憲主義と民主主義を取り上げた本シンポジウムの意義は、安保法制と秘密保護法の理論的検討や、2014 年からの安保法制の成立阻止そして廃止等への活動を総括し、さらに今後の取組の方向性を探り、これまでの活動を維持・発展させるための結節点とすることにあります。基調報告書は、本実行委員会の意見として、以上のような観点から取りまとめたもので、立憲主義と民主主義の観点から安保法制と秘密保護法の問題点を検討し、さらに、明文改憲問題のなかでも立憲主義・民主主義との関係で重要な問題である国家緊急権を取り上げて検討しています。これらの問題に関する活動は、立憲主義と民主主義を回復することに他ならず、基本的人権の擁護と社会正義の実現を使命とする弁護士、弁護士会の重要な責務です。日弁連、各弁護士会は、さらに一層この責務を果たすべく活動に取り組む必要があると考えます。この基調報告書が、今後、立憲主義と民主主義の回復を求め、さらにその新たな在り方を求める活動の一助となることを心より願います。

    2016 年(平成 28 年)10 月 6 日日本弁護士連合会 第 59 回人権擁護大会シンポジウム

    第 1分科会実行委員会委員長 水 地 啓 子

  • 目 次

    -2-

    目 次

    序章 本シンポジウムの意義 9

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か13

    第 1 立憲主義とは何か131 はじめに132 立憲主義の多義性133 欧米主要諸国の立憲主義144 日本の立憲主義165 「個人として尊重」とは166 法の支配197 結論19

    第 2 民主主義とは何か191 はじめに192 国民代表論と民意の形成・反映203 立憲民主主義23

    第 3 立憲主義と民主主義の危機の時代241 全体主義の時代242 ドイツの全体主義-ヒトラーとナチスドイツ253 日本の全体主義-軍部の独走と国体思想27

    第 4 日本国憲法の誕生と試練のとき291 立憲主義の復活強化292 日本国憲法の平和主義303 再び試練のとき-問われる国民の態度31

    第 2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊37

    第 1 安保法制の違憲性と平和主義の危機371 安保法制の基本的内容・性格と危険性372 政府の憲法解釈と安保法制の違憲性393 「存立危機事態」と集団的自衛権の行使について404 重要影響事態法と国際平和支援法について42

    5 PKO協力法改正と任務遂行のための武器使用について436 米軍等他国軍隊の武器等防護のための武器使用など44

    第 2 日本国憲法の平和主義451 アジア・太平洋戦争の被害と加害452 日本国憲法の恒久平和主義463 日本の防衛力の強化と憲法 9条の現実的機能47

    第 3 安保法制の制定経過471 閣議決定に至る経緯472 閣議決定による解釈改憲483 ガイドラインによる米国との先行合意494 国会審議の特徴495 国会の強行採決による民主主義の蹂躙506 国民・市民の広汎な反対とその運動517 弁護士会及び日弁連の取組52

    第 4 安保法制の適用と国の在り方の変容の危険531 安保法制の実施がもたらす事態と国民・市民の権利制限532 軍事と国家の論理が優先する国と社会と国民生活553 軍需産業と軍事研究の拡大564 PKOの変質・変遷-憲法 9条と国際法から考える改正 PKO協力法適用の危険性585 後方支援活動の危険性-イラク派遣の実態に照らして646 明文改憲への動き65

    第 5 安保法制と「日米同盟」661 安保法制と日米同盟662 日米同盟と在日米軍723 沖縄における在日米軍の問題754 小括78

    第 3章 秘密保護法87

    第 1 はじめに87

    第 2 秘密保護法制定に至る経緯871 はじめに872 従前の秘密保護規定883 秘密保護強化の動き88

    目 次

    -3-

    目 次

    序章 本シンポジウムの意義 9

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か13

    第 1 立憲主義とは何か131 はじめに132 立憲主義の多義性133 欧米主要諸国の立憲主義144 日本の立憲主義165 「個人として尊重」とは166 法の支配197 結論19

    第 2 民主主義とは何か191 はじめに192 国民代表論と民意の形成・反映203 立憲民主主義23

    第 3 立憲主義と民主主義の危機の時代241 全体主義の時代242 ドイツの全体主義-ヒトラーとナチスドイツ253 日本の全体主義-軍部の独走と国体思想27

    第 4 日本国憲法の誕生と試練のとき291 立憲主義の復活強化292 日本国憲法の平和主義303 再び試練のとき-問われる国民の態度31

    第 2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊37

    第 1 安保法制の違憲性と平和主義の危機371 安保法制の基本的内容・性格と危険性372 政府の憲法解釈と安保法制の違憲性393 「存立危機事態」と集団的自衛権の行使について404 重要影響事態法と国際平和支援法について42

    5 PKO協力法改正と任務遂行のための武器使用について436 米軍等他国軍隊の武器等防護のための武器使用など44

    第 2 日本国憲法の平和主義451 アジア・太平洋戦争の被害と加害452 日本国憲法の恒久平和主義463 日本の防衛力の強化と憲法 9条の現実的機能47

    第 3 安保法制の制定経過471 閣議決定に至る経緯472 閣議決定による解釈改憲483 ガイドラインによる米国との先行合意494 国会審議の特徴495 国会の強行採決による民主主義の蹂躙506 国民・市民の広汎な反対とその運動517 弁護士会及び日弁連の取組52

    第 4 安保法制の適用と国の在り方の変容の危険531 安保法制の実施がもたらす事態と国民・市民の権利制限532 軍事と国家の論理が優先する国と社会と国民生活553 軍需産業と軍事研究の拡大564 PKOの変質・変遷-憲法 9条と国際法から考える改正 PKO協力法適用の危険性585 後方支援活動の危険性-イラク派遣の実態に照らして646 明文改憲への動き65

    第 5 安保法制と「日米同盟」661 安保法制と日米同盟662 日米同盟と在日米軍723 沖縄における在日米軍の問題754 小括78

    第 3章 秘密保護法87

    第 1 はじめに87

    第 2 秘密保護法制定に至る経緯871 はじめに872 従前の秘密保護規定883 秘密保護強化の動き88

  • 目 次

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    目 次

    序章 本シンポジウムの意義 9

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か13

    第 1 立憲主義とは何か131 はじめに132 立憲主義の多義性133 欧米主要諸国の立憲主義144 日本の立憲主義165 「個人として尊重」とは166 法の支配197 結論19

    第 2 民主主義とは何か191 はじめに192 国民代表論と民意の形成・反映203 立憲民主主義23

    第 3 立憲主義と民主主義の危機の時代241 全体主義の時代242 ドイツの全体主義-ヒトラーとナチスドイツ253 日本の全体主義-軍部の独走と国体思想27

    第 4 日本国憲法の誕生と試練のとき291 立憲主義の復活強化292 日本国憲法の平和主義303 再び試練のとき-問われる国民の態度31

    第 2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊37

    第 1 安保法制の違憲性と平和主義の危機371 安保法制の基本的内容・性格と危険性372 政府の憲法解釈と安保法制の違憲性393 「存立危機事態」と集団的自衛権の行使について404 重要影響事態法と国際平和支援法について42

    5 PKO協力法改正と任務遂行のための武器使用について436 米軍等他国軍隊の武器等防護のための武器使用など44

    第 2 日本国憲法の平和主義451 アジア・太平洋戦争の被害と加害452 日本国憲法の恒久平和主義463 日本の防衛力の強化と憲法 9条の現実的機能47

    第 3 安保法制の制定経過471 閣議決定に至る経緯472 閣議決定による解釈改憲483 ガイドラインによる米国との先行合意494 国会審議の特徴495 国会の強行採決による民主主義の蹂躙506 国民・市民の広汎な反対とその運動517 弁護士会及び日弁連の取組52

    第 4 安保法制の適用と国の在り方の変容の危険531 安保法制の実施がもたらす事態と国民・市民の権利制限532 軍事と国家の論理が優先する国と社会と国民生活553 軍需産業と軍事研究の拡大564 PKOの変質・変遷-憲法 9条と国際法から考える改正 PKO協力法適用の危険性585 後方支援活動の危険性-イラク派遣の実態に照らして646 明文改憲への動き65

    第 5 安保法制と「日米同盟」661 安保法制と日米同盟662 日米同盟と在日米軍723 沖縄における在日米軍の問題754 小括78

    第 3章 秘密保護法87

    第 1 はじめに87

    第 2 秘密保護法制定に至る経緯871 はじめに872 従前の秘密保護規定883 秘密保護強化の動き88

    目 次

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    目 次

    序章 本シンポジウムの意義 9

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か13

    第 1 立憲主義とは何か131 はじめに132 立憲主義の多義性133 欧米主要諸国の立憲主義144 日本の立憲主義165 「個人として尊重」とは166 法の支配197 結論19

    第 2 民主主義とは何か191 はじめに192 国民代表論と民意の形成・反映203 立憲民主主義23

    第 3 立憲主義と民主主義の危機の時代241 全体主義の時代242 ドイツの全体主義-ヒトラーとナチスドイツ253 日本の全体主義-軍部の独走と国体思想27

    第 4 日本国憲法の誕生と試練のとき291 立憲主義の復活強化292 日本国憲法の平和主義303 再び試練のとき-問われる国民の態度31

    第 2章 安保法制による立憲主義・民主主義の蹂躙と恒久平和主義の破壊37

    第 1 安保法制の違憲性と平和主義の危機371 安保法制の基本的内容・性格と危険性372 政府の憲法解釈と安保法制の違憲性393 「存立危機事態」と集団的自衛権の行使について404 重要影響事態法と国際平和支援法について42

    5 PKO協力法改正と任務遂行のための武器使用について436 米軍等他国軍隊の武器等防護のための武器使用など44

    第 2 日本国憲法の平和主義451 アジア・太平洋戦争の被害と加害452 日本国憲法の恒久平和主義463 日本の防衛力の強化と憲法 9条の現実的機能47

    第 3 安保法制の制定経過471 閣議決定に至る経緯472 閣議決定による解釈改憲483 ガイドラインによる米国との先行合意494 国会審議の特徴495 国会の強行採決による民主主義の蹂躙506 国民・市民の広汎な反対とその運動517 弁護士会及び日弁連の取組52

    第 4 安保法制の適用と国の在り方の変容の危険531 安保法制の実施がもたらす事態と国民・市民の権利制限532 軍事と国家の論理が優先する国と社会と国民生活553 軍需産業と軍事研究の拡大564 PKOの変質・変遷-憲法 9条と国際法から考える改正 PKO協力法適用の危険性585 後方支援活動の危険性-イラク派遣の実態に照らして646 明文改憲への動き65

    第 5 安保法制と「日米同盟」661 安保法制と日米同盟662 日米同盟と在日米軍723 沖縄における在日米軍の問題754 小括78

    第 3章 秘密保護法87

    第 1 はじめに87

    第 2 秘密保護法制定に至る経緯871 はじめに872 従前の秘密保護規定883 秘密保護強化の動き88

  • 目 次

    -4-

    4 自衛隊法の改正885 秘密保護法制定の契機886 秘密保護法の制定へ89

    第 3 秘密保護法の制定経緯における問題点891 報告書の発表892 法案の概要公表と強行採決893 小括90

    第 4 秘密保護法の内容における問題点901 はじめに902 「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であること903 「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が極めて広いこと924 処罰範囲が広く、かつ、刑罰が重いこと925 適性評価制度によるプライバシー侵害が著しいこと93

    第 5 秘密保護法施行後の運用の現実とその問題点951 情報監視審査会の設置952 内閣府独立公文書管理監953 国連特別報告者の指摘954 国際 NGOの指摘955 小括96

    第 6 安保法制と秘密保護法の関係961 はじめに962 秘密保護法の規定と国会法の規定963 「特定秘密」に指定された情報は事後的にも検証することができなくなるおそれがあること974 小括97

    第 7 情報自由基本法制定の必要性及び秘密保護法の廃止又は抜本的見直し981 公的情報は市民の情報である982 公的情報保存の重要性983 公的情報開示の必要性984 情報自由基本法制定の必要性995 まとめ99

    第 4章 国家緊急権条項について101

    第 1 国家緊急権とは101

    目 次

    -5-

    4 自衛隊法の改正885 秘密保護法制定の契機886 秘密保護法の制定へ89

    第 3 秘密保護法の制定経緯における問題点891 報告書の発表892 法案の概要公表と強行採決893 小括90

    第 4 秘密保護法の内容における問題点901 はじめに902 「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であること903 「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が極めて広いこと924 処罰範囲が広く、かつ、刑罰が重いこと925 適性評価制度によるプライバシー侵害が著しいこと93

    第 5 秘密保護法施行後の運用の現実とその問題点951 情報監視審査会の設置952 内閣府独立公文書管理監953 国連特別報告者の指摘954 国際 NGOの指摘955 小括96

    第 6 安保法制と秘密保護法の関係961 はじめに962 秘密保護法の規定と国会法の規定963 「特定秘密」に指定された情報は事後的にも検証することができなくなるおそれがあること974 小括97

    第 7 情報自由基本法制定の必要性及び秘密保護法の廃止又は抜本的見直し981 公的情報は市民の情報である982 公的情報保存の重要性983 公的情報開示の必要性984 情報自由基本法制定の必要性995 まとめ99

    第 4章 国家緊急権条項について101

    第 1 国家緊急権とは101

    第 2 憲法に国家緊急権条項を創設しようとする流れ-明文改憲への道筋101

    第 3 日本国憲法に国家緊急権を規定することの積極論と必要性論1021 積極論1022 必要性論102

    第 4 諸外国の緊急権制度1021 ドイツ1022 フランス1043 イギリス1064 アメリカ1065 諸外国の国家緊急権に共通するもの107

    第 5 大日本帝国憲法の国家緊急権1071 4 つの緊急権1072 大日本帝国憲法下における国家緊急権の本質109

    第 6 日本国憲法の立場-立憲主義と徹底した恒久平和主義109

    第 7 国家緊急権の本質的な問題-憲法内での立憲主義の破壊、基本的人権抑圧の許容、我が国の場合は恒久平和主義の破壊110

    第 8 日本国憲法に国家緊急権を規定することは必要か1111 「有事」へ対処するという面からの検討1112 テロ等「内乱等による社会秩序の混乱」へ対処するという面からの検討1123 「地震等による大規模な自然災害」へ対処するという面からの検討1124 緊急事態における国会の活動の問題114

    第 9 自民党改憲草案の緊急事態条項について1151 自民党改憲草案の「緊急事態」(第 9章)1152 自民党改憲草案の緊急事態条項の不要性・危険性115

    第 10 まとめ118

    終章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて119

    第 1 弁護士及び弁護士会の役割1191 現行弁護士法制定以前の弁護士と弁護士会1192 新(現行)弁護士法の制定1193 日弁連、弁護士会の活動と課題120

  • 目 次

    -4-

    4 自衛隊法の改正885 秘密保護法制定の契機886 秘密保護法の制定へ89

    第 3 秘密保護法の制定経緯における問題点891 報告書の発表892 法案の概要公表と強行採決893 小括90

    第 4 秘密保護法の内容における問題点901 はじめに902 「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であること903 「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が極めて広いこと924 処罰範囲が広く、かつ、刑罰が重いこと925 適性評価制度によるプライバシー侵害が著しいこと93

    第 5 秘密保護法施行後の運用の現実とその問題点951 情報監視審査会の設置952 内閣府独立公文書管理監953 国連特別報告者の指摘954 国際 NGOの指摘955 小括96

    第 6 安保法制と秘密保護法の関係961 はじめに962 秘密保護法の規定と国会法の規定963 「特定秘密」に指定された情報は事後的にも検証することができなくなるおそれがあること974 小括97

    第 7 情報自由基本法制定の必要性及び秘密保護法の廃止又は抜本的見直し981 公的情報は市民の情報である982 公的情報保存の重要性983 公的情報開示の必要性984 情報自由基本法制定の必要性995 まとめ99

    第 4章 国家緊急権条項について101

    第 1 国家緊急権とは101

    目 次

    -5-

    4 自衛隊法の改正885 秘密保護法制定の契機886 秘密保護法の制定へ89

    第 3 秘密保護法の制定経緯における問題点891 報告書の発表892 法案の概要公表と強行採決893 小括90

    第 4 秘密保護法の内容における問題点901 はじめに902 「特定秘密」の範囲が広範であり極めて曖昧であること903 「特定秘密」の指定に当たって行政の恣意が働く余地が極めて広いこと924 処罰範囲が広く、かつ、刑罰が重いこと925 適性評価制度によるプライバシー侵害が著しいこと93

    第 5 秘密保護法施行後の運用の現実とその問題点951 情報監視審査会の設置952 内閣府独立公文書管理監953 国連特別報告者の指摘954 国際 NGOの指摘955 小括96

    第 6 安保法制と秘密保護法の関係961 はじめに962 秘密保護法の規定と国会法の規定963 「特定秘密」に指定された情報は事後的にも検証することができなくなるおそれがあること974 小括97

    第 7 情報自由基本法制定の必要性及び秘密保護法の廃止又は抜本的見直し981 公的情報は市民の情報である982 公的情報保存の重要性983 公的情報開示の必要性984 情報自由基本法制定の必要性995 まとめ99

    第 4章 国家緊急権条項について101

    第 1 国家緊急権とは101

    第 2 憲法に国家緊急権条項を創設しようとする流れ-明文改憲への道筋101

    第 3 日本国憲法に国家緊急権を規定することの積極論と必要性論1021 積極論1022 必要性論102

    第 4 諸外国の緊急権制度1021 ドイツ1022 フランス1043 イギリス1064 アメリカ1065 諸外国の国家緊急権に共通するもの107

    第 5 大日本帝国憲法の国家緊急権1071 4 つの緊急権1072 大日本帝国憲法下における国家緊急権の本質109

    第 6 日本国憲法の立場-立憲主義と徹底した恒久平和主義109

    第 7 国家緊急権の本質的な問題-憲法内での立憲主義の破壊、基本的人権抑圧の許容、我が国の場合は恒久平和主義の破壊110

    第 8 日本国憲法に国家緊急権を規定することは必要か1111 「有事」へ対処するという面からの検討1112 テロ等「内乱等による社会秩序の混乱」へ対処するという面からの検討1123 「地震等による大規模な自然災害」へ対処するという面からの検討1124 緊急事態における国会の活動の問題114

    第 9 自民党改憲草案の緊急事態条項について1151 自民党改憲草案の「緊急事態」(第 9章)1152 自民党改憲草案の緊急事態条項の不要性・危険性115

    第 10 まとめ118

    終章 立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて119

    第 1 弁護士及び弁護士会の役割1191 現行弁護士法制定以前の弁護士と弁護士会1192 新(現行)弁護士法の制定1193 日弁連、弁護士会の活動と課題120

  • 目 次

    -6-

    第 2 安保法制の廃止と立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて1231 民主主義の再生への胎動1232 憲法秩序の破壊に対する法曹と司法の役割・責務124

    ◆ 資料編127

    資料 1 日弁連宣言・決議・意見書等一覧129資料 2 各弁護士会意見書・声明等一覧132資料 3 日弁連・各弁護士会イベント等一覧143資料 4 安保法制の検討資料「安保法制改定法の検討-改定前規定と対照して」156資料 5 安全保障法制改定法案に対する意見書(2015 年 6 月 18 日)197資料 6 日弁連が考える情報自由基本法の骨子236資料 7 情報自由基本法の制定を求める意見書(2016 年 2 月 18 日)228資料 8 日本国憲法・自由民主党「日本国憲法改正草案」対照表238

    ※ 本基調報告書は、本実行委員会の意見にとどまり、日弁連の意見ではない点も含まれております。

    目 次

    -7-

    第 2 安保法制の廃止と立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて1231 民主主義の再生への胎動1232 憲法秩序の破壊に対する法曹と司法の役割・責務124

    ◆ 資料編127

    資料 1 日弁連宣言・決議・意見書等一覧129資料 2 各弁護士会意見書・声明等一覧132資料 3 日弁連・各弁護士会イベント等一覧143資料 4 安保法制の検討資料「安保法制改定法の検討-改定前規定と対照して」156資料 5 安全保障法制改定法案に対する意見書(2015 年 6 月 18 日)197資料 6 日弁連が考える情報自由基本法の骨子236資料 7 情報自由基本法の制定を求める意見書(2016 年 2 月 18 日)228資料 8 日本国憲法・自由民主党「日本国憲法改正草案」対照表238

    ※ 本基調報告書は、本実行委員会の意見にとどまり、日弁連の意見ではない点も含まれております。

    【法律等の題名の略称】

    (第 189 回国会で題名が改正されたものは、特記以外は改正後の題名である。)・ 安保法制=平和安全法制整備法(案)及び国際平和支援法(案)。これらにより新設・改正された制度。・ 平和安全法制整備法(案)=我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(案)・ 国際平和支援法(案)=国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(案)・ 武力攻撃事態対処法(改正前)=武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律・ 事態対処法=武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律・ 国民保護法=武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律・ 周辺事態法(改正前)=周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律・ 重要影響事態法=重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律・ 国連平和維持活動協力法、PKO 協力法=国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律・ 秘密保護法=特定秘密の保護に関する法律・ テロ特措法=平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議に基づく人道的措置に関する特別措置法・ 日米安保条約=日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約

  • 目 次

    -6-

    第 2 安保法制の廃止と立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて1231 民主主義の再生への胎動1232 憲法秩序の破壊に対する法曹と司法の役割・責務124

    ◆ 資料編127

    資料 1 日弁連宣言・決議・意見書等一覧129資料 2 各弁護士会意見書・声明等一覧132資料 3 日弁連・各弁護士会イベント等一覧143資料 4 安保法制の検討資料「安保法制改定法の検討-改定前規定と対照して」156資料 5 安全保障法制改定法案に対する意見書(2015 年 6 月 18 日)197資料 6 日弁連が考える情報自由基本法の骨子236資料 7 情報自由基本法の制定を求める意見書(2016 年 2 月 18 日)228資料 8 日本国憲法・自由民主党「日本国憲法改正草案」対照表238

    ※ 本基調報告書は、本実行委員会の意見にとどまり、日弁連の意見ではない点も含まれております。

    目 次

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    第 2 安保法制の廃止と立憲主義・民主主義・平和主義の回復・実現に向けて1231 民主主義の再生への胎動1232 憲法秩序の破壊に対する法曹と司法の役割・責務124

    ◆ 資料編127

    資料 1 日弁連宣言・決議・意見書等一覧129資料 2 各弁護士会意見書・声明等一覧132資料 3 日弁連・各弁護士会イベント等一覧143資料 4 安保法制の検討資料「安保法制改定法の検討-改定前規定と対照して」156資料 5 安全保障法制改定法案に対する意見書(2015 年 6 月 18 日)197資料 6 日弁連が考える情報自由基本法の骨子236資料 7 情報自由基本法の制定を求める意見書(2016 年 2 月 18 日)228資料 8 日本国憲法・自由民主党「日本国憲法改正草案」対照表238

    ※ 本基調報告書は、本実行委員会の意見にとどまり、日弁連の意見ではない点も含まれております。

    【法律等の題名の略称】

    (第 189 回国会で題名が改正されたものは、特記以外は改正後の題名である。)・ 安保法制=平和安全法制整備法(案)及び国際平和支援法(案)。これらにより新設・改正された制度。・ 平和安全法制整備法(案)=我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律(案)・ 国際平和支援法(案)=国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律(案)・ 武力攻撃事態対処法(改正前)=武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律・ 事態対処法=武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律・ 国民保護法=武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律・ 周辺事態法(改正前)=周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律・ 重要影響事態法=重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律・ 国連平和維持活動協力法、PKO 協力法=国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律・ 秘密保護法=特定秘密の保護に関する法律・ テロ特措法=平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議に基づく人道的措置に関する特別措置法・ 日米安保条約=日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約

  • 序 章 本シンポジウムの意義

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    章序 章 本シンポジウムの意義

    1 秘密保護法と安保法制の制定は、日本社会にかつてない規模の極めて緊迫した憲法論議と政治状況を惹き起こした。なぜ、ここまで緊迫した憲法論議と政治状況が生じたのか。それは、これらの法律の内容及び制定経緯に、以下で述べるような立憲主義と民主主義を揺るがす大きな問題があったからである。

    2 まず、安保法制の制定に至る経緯から振り返ると、政府はそれに先立ち、戦後の歴代内閣が一貫して憲法違反だとして禁じてきた集団的自衛権の行使を容認する等の閣議決定を行った。これは憲法改正手続をとることなく内閣の一存で憲法の内容を変えてしまうものであり、「解釈改憲」と呼ばれるべき暴挙である。このような暴挙、すなわち「これまで憲法違反とされていた事柄も、時の内閣による憲法解釈の恣意的変更によって合憲とすることができる」というようなことがまかりとおるようになれば、憲法の最高法規性(98 条)、硬性憲法性(96 条)及び公務員の憲法尊重擁護義務(99 条)も骨抜きにされてしまい、立憲主義の理念は死滅することになりかねない。ところで、日本国憲法の三大原理は、基本的人権の尊重、国民主権及び平和主義である。とすれば、立憲主義の危機はこれら三大原理の危機をも意味するのであり、これを放置することは、将来にたいへんな禍根を残すことになる。かつてのドイツにおけるヒトラーとナチスの歴史はこの点に関し大きな教訓を与えてくれる。ナチスは、政権を握るや、当時最も「先進的」と評価されていたワイマール憲法の下、立憲主義を否定する政策を推進していった。基本的人権の保障と民主主義が失われてしまったドイツが戦争へと突き進むことになったのはそのわずか数年後のことだったのである。こうした歴史は決して繰り返されてはならない。弁護士会や大多数の憲法学者は、こうした憲法に違反する閣議決定や安保法制法案による立憲主義の蹂躙、それが日本の国にもたらす結果に対して、大きな危機感を抱いていた。法案審議開始から間もない時期に衆議院憲法審査会の参考人として呼ばれた 3名の著名な憲法学者全員が、法案について憲法違反であると断じたことは、大きなインパクトを与えたが、その当然の表現でもあった。さらに、何人もの元内閣法制局長官や元最高裁長官を含む複数の元最高裁判事もまた、法案の違憲性を指摘した。こうして世論に安保法制の問題の大きさが共有され、一般市民の間でも、「憲法を守れ」「立憲主義を守れ」という声が広がり、高まることとなったのである。

    3 民主主義との関係では、安保法制の制定経緯に大きな問題がある。まず、安倍内閣は、2014 年 7 月の閣議決定後、国会審議や民意を問う前に、まっさ

    きにアメリカに対し安保法制を制定させることを約束した。それが、2015 年 4 月 27 日に合意された日米防衛協力のための指針(いわゆるガイドライン)の改定である。これは、安倍内閣が当初から民主主義を軽視していたことの如実な現れである。また、安保法制は、合計 10 件もの法律の大幅改正と 1 件の法律の新規制定からなっ

  • 序 章 本シンポジウムの意義

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    章序 章 本シンポジウムの意義

    1 秘密保護法と安保法制の制定は、日本社会にかつてない規模の極めて緊迫した憲法論議と政治状況を惹き起こした。なぜ、ここまで緊迫した憲法論議と政治状況が生じたのか。それは、これらの法律の内容及び制定経緯に、以下で述べるような立憲主義と民主主義を揺るがす大きな問題があったからである。

    2 まず、安保法制の制定に至る経緯から振り返ると、政府はそれに先立ち、戦後の歴代内閣が一貫して憲法違反だとして禁じてきた集団的自衛権の行使を容認する等の閣議決定を行った。これは憲法改正手続をとることなく内閣の一存で憲法の内容を変えてしまうものであり、「解釈改憲」と呼ばれるべき暴挙である。このような暴挙、すなわち「これまで憲法違反とされていた事柄も、時の内閣による憲法解釈の恣意的変更によって合憲とすることができる」というようなことがまかりとおるようになれば、憲法の最高法規性(98 条)、硬性憲法性(96 条)及び公務員の憲法尊重擁護義務(99 条)も骨抜きにされてしまい、立憲主義の理念は死滅することになりかねない。ところで、日本国憲法の三大原理は、基本的人権の尊重、国民主権及び平和主義である。とすれば、立憲主義の危機はこれら三大原理の危機をも意味するのであり、これを放置することは、将来にたいへんな禍根を残すことになる。かつてのドイツにおけるヒトラーとナチスの歴史はこの点に関し大きな教訓を与えてくれる。ナチスは、政権を握るや、当時最も「先進的」と評価されていたワイマール憲法の下、立憲主義を否定する政策を推進していった。基本的人権の保障と民主主義が失われてしまったドイツが戦争へと突き進むことになったのはそのわずか数年後のことだったのである。こうした歴史は決して繰り返されてはならない。弁護士会や大多数の憲法学者は、こうした憲法に違反する閣議決定や安保法制法案による立憲主義の蹂躙、それが日本の国にもたらす結果に対して、大きな危機感を抱いていた。法案審議開始から間もない時期に衆議院憲法審査会の参考人として呼ばれた 3名の著名な憲法学者全員が、法案について憲法違反であると断じたことは、大きなインパクトを与えたが、その当然の表現でもあった。さらに、何人もの元内閣法制局長官や元最高裁長官を含む複数の元最高裁判事もまた、法案の違憲性を指摘した。こうして世論に安保法制の問題の大きさが共有され、一般市民の間でも、「憲法を守れ」「立憲主義を守れ」という声が広がり、高まることとなったのである。

    3 民主主義との関係では、安保法制の制定経緯に大きな問題がある。まず、安倍内閣は、2014 年 7 月の閣議決定後、国会審議や民意を問う前に、まっさ

    きにアメリカに対し安保法制を制定させることを約束した。それが、2015 年 4 月 27 日に合意された日米防衛協力のための指針(いわゆるガイドライン)の改定である。これは、安倍内閣が当初から民主主義を軽視していたことの如実な現れである。また、安保法制は、合計 10 件もの法律の大幅改正と 1 件の法律の新規制定からなっ

  • 序 章 本シンポジウムの意義

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    ている。その分量は大部のものであるうえ、内容も複雑にして多岐にわたる。ところが、具体的法案が公表されたのは国会審議直前であった。それをわずか一会期における審議だけで「成立」させたのである。しかも、国会での首相答弁・閣僚答弁は、決して誠実なものではなく、法案の文言解釈から考えられる危惧について質問されても、「ホルムズ海峡以外に外国の領域への派兵は、現在念頭にない」とか、「安全確保措置をとるので自衛官のリスクは増大しない」等の代表的な答弁にみられるように、回答にならない答弁が何度も繰り返された。しかも国会審議の終盤では、首相が立法事実として当初あれほど強調していた「お母さんと子供」が乗った米艦船の自衛艦による防護の話も、ホルムズ海峡封鎖のために敷設された機雷掃海も、想定事例から実質上撤回された。立法事実、立法の必要性自体が疑わしいことになったのである。それでも法案は撤回されなかった。これでは、「説明が不十分だ」という世論が多数を占めたのは当然である。しかもその採決はかつてない異常な混乱の中で強行されたのであり、それは言論の府としての国会の自己否定であったと言わざるを得ない。

    4 次に、その安保法制よりも前に制定された秘密保護法について考察すると、まず何よりも立憲主義にとって不可欠な恒久平和主義との観点から重大問題を含んでいることが明らかになる。戦前の日本では、多くの重要な情報が政府によって国民に対し隠蔽され、報道機関も政府に追随し、国民の知る権利が侵害された。そのことが、当時の日本が誤った戦争への道を選ぶこととなった大きな原因の一つであったことは明らかである。秘密保護法とは、こうした歴史的教訓をも顧みず、またしても重要情報を隠し、報道の自由を委縮させ、国民の知る権利を大幅に制約しようとするものである。これが集団的自衛権の行使を容認する安保法制とあいまって運用されれば、それは極めて危険であり、立憲主義の不可欠な基礎であり、現在の私たちが享受している平和が、容易に危機にさらされかねないのである。また、民主主義の観点からも問題がある。そもそも国民主権の下において、公的情報は本来、国民の情報であるとともに公的資源であり、この公的情報を適切に公開、保存することが市民の知る権利に資し、民主的な政治過程を健全に機能させることになるのである。しかし秘密保護法はこうした理念に真っ向から反する法律である。しかも、この法律の制定は、長年にわたり政府が水面下で検討していたにもかかわらず、その検討過程の資料は公表されず、国会審議直前のパブリックコメントにおける多くの国民の反対意見も無視され、強行採決によって制定された。すなわち、秘密保護法は、その内容はもとより制定経緯においてすでに民主主義を軽視していたのである。

    5 さらに、憲法の中に、「緊急」時に憲法の定める基本的人権の保障をも停止してしまう「国家緊急権」を定めようとする議論もなされている。しかし、このような主張には、歴史的教訓の忘却と立憲主義の重大性についての自覚の欠如が明らかに認められる。

    序 章 本シンポジウムの意義

    -11-

    6 以上で述べてきたように、立憲主義と民主主義はいま、死滅への道を歩みはじめたといっても過言ではない危機的状況にある。しかしいまならまだ、引き返すことも、進路変更することも十分に可能である。いやそれどころか現在のこの危機的状況の試練を乗り越えることで、一皮むけた立憲民主主義を手にするきっかけにすることさえできるかもしれない。このような観点から、今回のシンポジウムのテーマは、「立憲主義と民主主義の回復」なのである。

  • 序 章 本シンポジウムの意義

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    ている。その分量は大部のものであるうえ、内容も複雑にして多岐にわたる。ところが、具体的法案が公表されたのは国会審議直前であった。それをわずか一会期における審議だけで「成立」させたのである。しかも、国会での首相答弁・閣僚答弁は、決して誠実なものではなく、法案の文言解釈から考えられる危惧について質問されても、「ホルムズ海峡以外に外国の領域への派兵は、現在念頭にない」とか、「安全確保措置をとるので自衛官のリスクは増大しない」等の代表的な答弁にみられるように、回答にならない答弁が何度も繰り返された。しかも国会審議の終盤では、首相が立法事実として当初あれほど強調していた「お母さんと子供」が乗った米艦船の自衛艦による防護の話も、ホルムズ海峡封鎖のために敷設された機雷掃海も、想定事例から実質上撤回された。立法事実、立法の必要性自体が疑わしいことになったのである。それでも法案は撤回されなかった。これでは、「説明が不十分だ」という世論が多数を占めたのは当然である。しかもその採決はかつてない異常な混乱の中で強行されたのであり、それは言論の府としての国会の自己否定であったと言わざるを得ない。

    4 次に、その安保法制よりも前に制定された秘密保護法について考察すると、まず何よりも立憲主義にとって不可欠な恒久平和主義との観点から重大問題を含んでいることが明らかになる。戦前の日本では、多くの重要な情報が政府によって国民に対し隠蔽され、報道機関も政府に追随し、国民の知る権利が侵害された。そのことが、当時の日本が誤った戦争への道を選ぶこととなった大きな原因の一つであったことは明らかである。秘密保護法とは、こうした歴史的教訓をも顧みず、またしても重要情報を隠し、報道の自由を委縮させ、国民の知る権利を大幅に制約しようとするものである。これが集団的自衛権の行使を容認する安保法制とあいまって運用されれば、それは極めて危険であり、立憲主義の不可欠な基礎であり、現在の私たちが享受している平和が、容易に危機にさらされかねないのである。また、民主主義の観点からも問題がある。そもそも国民主権の下において、公的情報は本来、国民の情報であるとともに公的資源であり、この公的情報を適切に公開、保存することが市民の知る権利に資し、民主的な政治過程を健全に機能させることになるのである。しかし秘密保護法はこうした理念に真っ向から反する法律である。しかも、この法律の制定は、長年にわたり政府が水面下で検討していたにもかかわらず、その検討過程の資料は公表されず、国会審議直前のパブリックコメントにおける多くの国民の反対意見も無視され、強行採決によって制定された。すなわち、秘密保護法は、その内容はもとより制定経緯においてすでに民主主義を軽視していたのである。

    5 さらに、憲法の中に、「緊急」時に憲法の定める基本的人権の保障をも停止してしまう「国家緊急権」を定めようとする議論もなされている。しかし、このような主張には、歴史的教訓の忘却と立憲主義の重大性についての自覚の欠如が明らかに認められる。

    序 章 本シンポジウムの意義

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    6 以上で述べてきたように、立憲主義と民主主義はいま、死滅への道を歩みはじめたといっても過言ではない危機的状況にある。しかしいまならまだ、引き返すことも、進路変更することも十分に可能である。いやそれどころか現在のこの危機的状況の試練を乗り越えることで、一皮むけた立憲民主主義を手にするきっかけにすることさえできるかもしれない。このような観点から、今回のシンポジウムのテーマは、「立憲主義と民主主義の回復」なのである。

  • 第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    第1章

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か第 1 立憲主義とは何か1 はじめに日弁連は、2005 年人権擁護大会で採択した宣言(鳥取宣言)において、日本国憲法

    の理念および基本原理として、以下の 3点について確認した。(1)憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を

    制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立すべきこと。(2)憲法は、主権が国民に存することを宣言し、人権が保障されることを中心的な原理とすべきこと。

    (3)憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこと。(1)は日本国憲法における立憲主義を意味し、それは近代立憲主義の考え方を継承

    し発展させ、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念であり、基本的人権の尊重、国民主権(2)、恒久平和主義(3)などの基本原理を支えている。その目的は「すべての人々の個人としての尊重」である。憲法 97 条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試錬」に耐えてきたものであると規定しているが、歴史を顧みると、基本的人権だけではなく、本シンポジウムのテーマである立憲主義や民主主義、さらには恒久平和主義もまた同様に「過去幾多の試練」に曝されてきた。したがって、これらの理念や概念は、先人たちの多年にわたる自由獲得のための努力と試練の成果として具体的に理解されねばならないのであって、時の政府による恣意的な解釈を許すような単なる抽象概念として理解されてはならない。そしてもちろん、この努力や試練はまだ終わりを告げたわけではなく、私たちは今もまだ「不断の努力」(憲法 12 条)が必要とされる途上にあるということも忘れてはならない。以上のような観点を踏まえ、この章では近代立憲主義の考え方を継承、発展させた日本国憲法の立憲主義、その中核である「個人の尊重」と「法の支配」を明確にし、立憲主義が支える基本原理である国民主権、恒久平和主義についても、自由獲得を目指した先人たちの努力と試練の歴史的成果として、具体化したい。

    2 立憲主義の多義性「立憲主義」という言葉は、欧米の言葉(注1)を直訳すれば「憲法主義」であって、概ね次の 3種の意味で語られることが多いとされている(注2)。① 政治権力を制限し、正義を実現しようとする思想。② 近代主権国家の成立を前提とし、政治権力を憲法によって制限し、国民の権利・自由を確保しようとする思想。③ ②の思想を前提とし、その実効性を担保するために違憲立法審査の制度・機関を設けるべきとする思想。「法の支配」原理と相関する。

    これらのうち①の思想はそもそも近代憲法がなかった古代ギリシアや中世ヨーロッパに

  • 第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    第1章

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か第 1 立憲主義とは何か1 はじめに日弁連は、2005 年人権擁護大会で採択した宣言(鳥取宣言)において、日本国憲法

    の理念および基本原理として、以下の 3点について確認した。(1)憲法は、すべての人々が個人として尊重されるために、最高法規として国家権力を

    制限し、人権保障をはかるという立憲主義の理念を基盤として成立すべきこと。(2)憲法は、主権が国民に存することを宣言し、人権が保障されることを中心的な原理とすべきこと。

    (3)憲法は、戦争が最大の人権侵害であることに照らし、恒久平和主義に立脚すべきこと。(1)は日本国憲法における立憲主義を意味し、それは近代立憲主義の考え方を継承

    し発展させ、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念であり、基本的人権の尊重、国民主権(2)、恒久平和主義(3)などの基本原理を支えている。その目的は「すべての人々の個人としての尊重」である。憲法 97 条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試錬」に耐えてきたものであると規定しているが、歴史を顧みると、基本的人権だけではなく、本シンポジウムのテーマである立憲主義や民主主義、さらには恒久平和主義もまた同様に「過去幾多の試練」に曝されてきた。したがって、これらの理念や概念は、先人たちの多年にわたる自由獲得のための努力と試練の成果として具体的に理解されねばならないのであって、時の政府による恣意的な解釈を許すような単なる抽象概念として理解されてはならない。そしてもちろん、この努力や試練はまだ終わりを告げたわけではなく、私たちは今もまだ「不断の努力」(憲法 12 条)が必要とされる途上にあるということも忘れてはならない。以上のような観点を踏まえ、この章では近代立憲主義の考え方を継承、発展させた日本国憲法の立憲主義、その中核である「個人の尊重」と「法の支配」を明確にし、立憲主義が支える基本原理である国民主権、恒久平和主義についても、自由獲得を目指した先人たちの努力と試練の歴史的成果として、具体化したい。

    2 立憲主義の多義性「立憲主義」という言葉は、欧米の言葉(注1)を直訳すれば「憲法主義」であって、概ね次の 3種の意味で語られることが多いとされている(注2)。① 政治権力を制限し、正義を実現しようとする思想。② 近代主権国家の成立を前提とし、政治権力を憲法によって制限し、国民の権利・自由を確保しようとする思想。③ ②の思想を前提とし、その実効性を担保するために違憲立法審査の制度・機関を設けるべきとする思想。「法の支配」原理と相関する。

    これらのうち①の思想はそもそも近代憲法がなかった古代ギリシアや中世ヨーロッパに

  • 第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    も存在した思想であり、現在の憲法主義としての立憲主義とはやや距離が認められる考え方である(注3)。②の思想と③の思想については、②の思想が歴史的に先行し、続いて③の思想を採用する国が現れ、日本国憲法も③の思想を採用していることは明らかであるが、どちらの思想に重点をおいた制度を採用しているのかは、各国が経験した歴史的試練の結果という側面が大きい。

    3 欧米主要諸国の立憲主義(1)イギリス近代立憲主義の淵源が、市民革命を最初に実現したイギリスである点については

    ほとんど争いをみない。それはイギリスにおいてはじめて「国民の権利・自由を守るために」、国王の「権力を制限」するという思想が生まれたからである。しかし、そのイギリスには現在も最高法規としての成文硬性憲法がない。また、

    近代イギリスで発展したのは「女を男にすること、あるいは男を女にすること以外はあらゆることをなしうる」とまでいわれたほどの議会万能主義あるいは議会主権と呼ばれる制度であった。そのイギリスにおいて議会や国王の権限の抑制をはかっている「法」は、コモンローと呼ばれる慣習法である。そのため、イギリスでは立憲主義よりも「法の支配」という概念が強調されることが多い。イギリスでは市民革命以降、国王と議会とがお互いにコモンローを破らないとの事実を歴史的に積み上げてきた。イギリス現代立憲主義のあり方は、このイギリス独自の歴史的事実に支えられた人権尊重のあり方といえる。(2)アメリカ歴史上、③の思想に基づく立憲主義が最初に生じたのは、イギリスの議会万能主

    義の横暴の被害を受け(注4)、イギリスからの独立を果たしたアメリカであった。アメリカは、その独立宣言の思想にイギリスの政治哲学者ジョン・ロック(注5)の影響が認められるなど、リベラリズムについてはイギリスの思想を受け入れながらも、立憲主義については、イギリスとは正反対に議会権力に対する不信を顕示したのである。もっとも合衆国憲法には違憲立法審査制に関する明文規定はなく、それは判例に

    よって認められているにすぎない(注6)。また、その性質は具体的争訟解決を主要目的とする付随的違憲審査制であって、憲法秩序を保障することを主要目的としたものではない。したがって、違憲判決の効力もあくまでも当該事件にしか及ばないとされており、そのような意味では、後述するドイツほどに厳格な立憲主義を採用するには至っていないといえるであろう。(3)フランスフランスの場合、1789 年の人権宣言以後、イギリスと異なり様々な憲法が作られ

    た。しかし、その人権宣言第 6条の「法律は一般意思の表明である」の影響が強かったため、徹底した議会中心主義が採用されることとなった。そのため、議会が制定した法律の違憲性を審査することはむしろ国民主権原理に反するとの考え方が根強く(注7)、長い間にわたって裁判所による違憲立法審査制度は認められてこなかった。また、司法は行政に関与してはならないとされたため、行政裁判に関する権限も認

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    められなかった(注8)。そのフランスでも、1958 年憲法においてやっと法令の違憲審査を行う権限をもつ憲法院が設けられることとなった。しかしその権限は法律が施行される前に実施される事前審査にすぎず、違憲な法律が施行されてしまってからの市民の申立てによる事後的違憲審査制度については 2010 年まで存在しなかった(注9)。フランスにおいてこれほどに司法権の権限が縮小されたのは、フランス革命前のアンシャン・レジームにおける司法機関であったパルルマンが強大な権限をもち行政や立法に関与したこと(とりわけ課税制度改革)がフランス革命勃発の一因になったためであるといわれている(注10)。しかし、最近になってその傾向には明らかな変化が生じており、事後的違憲審査制が認められることになったことからも、同国の立憲主義のあり方は③の思想に近づきつつある。(4)ドイツドイツの場合、当時のイギリスやフランスとは異なり、19 世紀後半になっても議

    会の力が弱かったため、議会中心主義による政治権力の制限は実現できず、議会と国王権力の相互抑制を図ることを目指した欽定憲法が 1871 年に制定された。この憲法は、政治権力の制限に一定の成果は上げたものの、国民の権利・自由の保障を目指したものではなかったため、外見的立憲主義とも呼ばれる。これに対し、第一次大戦敗戦後に制定されたワイマール憲法(1919 年)は、国民主権原理や社会権が規定されるなど当時最も「先進的」と評されたものであったが、ナチスが制定した全権委任法などによりワイマール憲法はその機能を果たすことができなくなり、ドイツはまたしても戦争に突き進むことになった。戦後のドイツはこの反省を踏まえ、とりわけ厳しい③の思想に基づく立憲主義を

    採用している。具体的には憲法判断を行う専門機関としての連邦憲法裁判所が設けられ、通常裁判所が具体的事件の審理において憲法解釈上の疑義が生じた場合にはただちに審理を中止して、連邦憲法裁判所の判断を求めねばならないとされているだけでなく、行政・立法機関が法律の合憲性判断を申し立てることも認められている。また、一般市民が公権力により人権が侵害された場合にも出訴が認められており、これは憲法訴願(憲法異議)と呼ばれる。また、判決の効力も強力で、連邦憲法裁判所がある法令に対して違憲判断を下した場合、アメリカや日本の場合と異なり、その法令の効力は立法機関の廃止手続を踏むことなく失効する。さらにドイツの場合、自由で民主的な基本秩序の侵害、除去等を目指す政党を違憲であると明言し(ボン基本法 21 条 2 項)、連邦憲法裁判所はこの政党の違憲性についても審査する権限をもつなど、フランスの憲法院とは異なり、政治部門に対するきわめて強力な権限が与えられている。このようにドイツが連邦憲法裁判所に強大な権限を与えたのは、後述するワイマール憲法体制を崩壊させたナチスの暴走に対して、当時の国民主権に基づく議会制民主主義がまったく制御できなかったという歴史的経験による。実際、ナチスの時代の「民意」は、選挙、国民投票、喝采等を通じてナチス支配の正当性にかえってお墨付きを与える材料とされたのであった。こうした歴史的経験を踏まえたドイツは、政治状況や感情に流されにくい裁判所の判断に基づく徹底した憲法秩序の維

  • 第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    も存在した思想であり、現在の憲法主義としての立憲主義とはやや距離が認められる考え方である(注3)。②の思想と③の思想については、②の思想が歴史的に先行し、続いて③の思想を採用する国が現れ、日本国憲法も③の思想を採用していることは明らかであるが、どちらの思想に重点をおいた制度を採用しているのかは、各国が経験した歴史的試練の結果という側面が大きい。

    3 欧米主要諸国の立憲主義(1)イギリス近代立憲主義の淵源が、市民革命を最初に実現したイギリスである点については

    ほとんど争いをみない。それはイギリスにおいてはじめて「国民の権利・自由を守るために」、国王の「権力を制限」するという思想が生まれたからである。しかし、そのイギリスには現在も最高法規としての成文硬性憲法がない。また、

    近代イギリスで発展したのは「女を男にすること、あるいは男を女にすること以外はあらゆることをなしうる」とまでいわれたほどの議会万能主義あるいは議会主権と呼ばれる制度であった。そのイギリスにおいて議会や国王の権限の抑制をはかっている「法」は、コモンローと呼ばれる慣習法である。そのため、イギリスでは立憲主義よりも「法の支配」という概念が強調されることが多い。イギリスでは市民革命以降、国王と議会とがお互いにコモンローを破らないとの事実を歴史的に積み上げてきた。イギリス現代立憲主義のあり方は、このイギリス独自の歴史的事実に支えられた人権尊重のあり方といえる。(2)アメリカ歴史上、③の思想に基づく立憲主義が最初に生じたのは、イギリスの議会万能主

    義の横暴の被害を受け(注4)、イギリスからの独立を果たしたアメリカであった。アメリカは、その独立宣言の思想にイギリスの政治哲学者ジョン・ロック(注5)の影響が認められるなど、リベラリズムについてはイギリスの思想を受け入れながらも、立憲主義については、イギリスとは正反対に議会権力に対する不信を顕示したのである。もっとも合衆国憲法には違憲立法審査制に関する明文規定はなく、それは判例に

    よって認められているにすぎない(注6)。また、その性質は具体的争訟解決を主要目的とする付随的違憲審査制であって、憲法秩序を保障することを主要目的としたものではない。したがって、違憲判決の効力もあくまでも当該事件にしか及ばないとされており、そのような意味では、後述するドイツほどに厳格な立憲主義を採用するには至っていないといえるであろう。(3)フランスフランスの場合、1789 年の人権宣言以後、イギリスと異なり様々な憲法が作られ

    た。しかし、その人権宣言第 6条の「法律は一般意思の表明である」の影響が強かったため、徹底した議会中心主義が採用されることとなった。そのため、議会が制定した法律の違憲性を審査することはむしろ国民主権原理に反するとの考え方が根強く(注7)、長い間にわたって裁判所による違憲立法審査制度は認められてこなかった。また、司法は行政に関与してはならないとされたため、行政裁判に関する権限も認

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    められなかった(注8)。そのフランスでも、1958 年憲法においてやっと法令の違憲審査を行う権限をもつ憲法院が設けられることとなった。しかしその権限は法律が施行される前に実施される事前審査にすぎず、違憲な法律が施行されてしまってからの市民の申立てによる事後的違憲審査制度については 2010 年まで存在しなかった(注9)。フランスにおいてこれほどに司法権の権限が縮小されたのは、フランス革命前のアンシャン・レジームにおける司法機関であったパルルマンが強大な権限をもち行政や立法に関与したこと(とりわけ課税制度改革)がフランス革命勃発の一因になったためであるといわれている(注10)。しかし、最近になってその傾向には明らかな変化が生じており、事後的違憲審査制が認められることになったことからも、同国の立憲主義のあり方は③の思想に近づきつつある。(4)ドイツドイツの場合、当時のイギリスやフランスとは異なり、19 世紀後半になっても議

    会の力が弱かったため、議会中心主義による政治権力の制限は実現できず、議会と国王権力の相互抑制を図ることを目指した欽定憲法が 1871 年に制定された。この憲法は、政治権力の制限に一定の成果は上げたものの、国民の権利・自由の保障を目指したものではなかったため、外見的立憲主義とも呼ばれる。これに対し、第一次大戦敗戦後に制定されたワイマール憲法(1919 年)は、国民主権原理や社会権が規定されるなど当時最も「先進的」と評されたものであったが、ナチスが制定した全権委任法などによりワイマール憲法はその機能を果たすことができなくなり、ドイツはまたしても戦争に突き進むことになった。戦後のドイツはこの反省を踏まえ、とりわけ厳しい③の思想に基づく立憲主義を

    採用している。具体的には憲法判断を行う専門機関としての連邦憲法裁判所が設けられ、通常裁判所が具体的事件の審理において憲法解釈上の疑義が生じた場合にはただちに審理を中止して、連邦憲法裁判所の判断を求めねばならないとされているだけでなく、行政・立法機関が法律の合憲性判断を申し立てることも認められている。また、一般市民が公権力により人権が侵害された場合にも出訴が認められており、これは憲法訴願(憲法異議)と呼ばれる。また、判決の効力も強力で、連邦憲法裁判所がある法令に対して違憲判断を下した場合、アメリカや日本の場合と異なり、その法令の効力は立法機関の廃止手続を踏むことなく失効する。さらにドイツの場合、自由で民主的な基本秩序の侵害、除去等を目指す政党を違憲であると明言し(ボン基本法 21 条 2 項)、連邦憲法裁判所はこの政党の違憲性についても審査する権限をもつなど、フランスの憲法院とは異なり、政治部門に対するきわめて強力な権限が与えられている。このようにドイツが連邦憲法裁判所に強大な権限を与えたのは、後述するワイマール憲法体制を崩壊させたナチスの暴走に対して、当時の国民主権に基づく議会制民主主義がまったく制御できなかったという歴史的経験による。実際、ナチスの時代の「民意」は、選挙、国民投票、喝采等を通じてナチス支配の正当性にかえってお墨付きを与える材料とされたのであった。こうした歴史的経験を踏まえたドイツは、政治状況や感情に流されにくい裁判所の判断に基づく徹底した憲法秩序の維

  • 第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    持を重視する③の思想に基づく立憲主義を採用したのである。

    4 日本の立憲主義以上のように立憲主義のあり方は現代の欧米主要諸国においてさえ多様であるが、そのことを根拠に、立憲主義の理念を恣意的解釈可能な曖昧な抽象概念と把握することは早計である。すでにみてきたように、現代立憲主義のあり方の多様性は、各国が経験した歴史的試練の差異に基づくものであって、いずれの立憲主義のあり方においてもその根底に、「個人の権利・自由を守ることを目的として、国家権力を法の力によって制限する」という普遍的理念が認められる。すなわち、ここに立憲主義の本質があるのである。したがって、あらゆる国に共通な立憲主義のあり方はないとしても、それぞれの国の多様な立憲主義のあり方の根底には普遍的な立憲主義理念が存在しているのであって、それは日本の立憲主義においても同様なのである。とすれば、日本の立憲主義のあり方が議会不信に基づくアメリカあるいはドイツ型となった歴史的事情は明らかであろう。日本の戦前の議会もまた後述するように、治安維持法等の制定等により国民の表現や思想の自由を弾圧し、政府の権限濫用を制御できなかった。また、戦前の日本の場合、ドイツと異なりとりわけ軍部の独走が特徴的であったのだが、これに対しても議会はまったく無力だったのであり、国家総動員法等の制定等によってむしろ追随してしまい、その結果、日本が戦争へと突き進むことを止めることはできなかったのである。こうした歴史的経験から私たちが学んだことは、国家権力は、それが政治状況や感情さらには私益に流されやすい「人」によって行使されるものである限り、たとえそれが民主的に選ばれた代表者で構成される議会権力であったとしても、常に濫用されたり暴走したりすることにより国民の人権を侵害する危険があるということであり、その人権侵害が行き着くゴールには戦争があるということである。だからこそ、戦後の日本の憲法は、憲法という「法」の力によって立法権も含むあらゆる国家権力を制限し、人権保障を目指すという立憲主義(法の支配)の理念を基盤としたのであって、憲法の最高法規性、公務員の憲法尊重擁護義務そしてアメリカ型の違憲審査制を明文で定める現行憲法はまさにそのような意味で、日本独自の歴史を踏まえた立憲主義理念を基盤としている憲法といえるのである。日本国憲法の根本にある立憲主義は、こうして近代立憲主義の考え方を継承し発展させ、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念であり、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義などの基本原理を支えているのである。そして、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の尊重も、ともに「個人の尊重」に由来しており、さらに、個人の自由と生存は平和なくしては確保されないという意味において、平和主義も「個人の尊重」に由来するとともに国民主権及び基本的人権の尊重と密接に結びついている。

    5 「個人として尊重」とは(1)はじめに立憲主義の目的は、鳥取宣言の言葉によれば、すべての人々が「個人として尊重

    第 1章 立憲主義、民主主義とは何か

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    される」ことであるが、これは、憲法 13 条前段に規定されている「すべて国民は、個人として尊重される。」という憲法の根本理念を確認したものである。この理念は、論者の好みなどによって、「個人の尊重」、「個人の尊厳」、「人間の尊厳」などと簡潔に表現されることがあるが、これらの言葉あるいは理念の淵源はおそらくドイツの哲学者カントの「人間の尊厳」概念であろう(注11)。しかし、その概念があまり知られていない我が国においては、「個人」という言葉が曖昧かつ抽象的に理解され、国家権力によっても不可侵な個性を有するかけがえのない主体的な個人という意味ではなく、個性を度外視した「人一般」のような個々人の同等性を根拠づける抽象概念のように語られることさえある。この立場に立つことを明確に示したものが、自民党日本国憲法改正草案 13 条前段であり、そこでは「全て国民は、人として尊重される。」とされている。しかし、このような解釈は、憲法 13 条前段の理念を没却することにもつながることから、その理念の淵源にあった思想を踏まえておくことは重要であろう。そこで、以下において、その淵源と思われるカントの「人間の尊厳」概念について説明することとする。(2)イギリス経験論の人間観カントの「人間の尊厳」論は、ジョン・ロックやデイヴィッド・ヒューム(注12)に代表されるイギリス経験論哲学者の哲学あるいは人間観の批判から生まれたものである。そこでまずその経験論哲学の考え方に簡単に触れておこう。経験論哲学とは、真理とは客観的なものであって、人間は経験を通じてしかそれ

    に接近できないという立場をいう。すると世界中に歴史的に起こるすべてのことを経験することなどできるはずのない不完全な人間が認識する法や道徳や自然科学の法則はすべて仮象(確固たる根拠のない認識)あるいは仮説にすぎないという意味で、みな不完全だということになる。したがって、経験論者が国王や多数派の専制を否定する根拠は一般に人間の不完全性に求められ、そのコインの裏表の関係として、個人の個性は客観的真理に対する見解や感じ方の主観的多様性として尊重されるべきものとされることとなる。(3)カントの「コペルニクス的転回」と「人間の尊厳」カント哲学は上記のような経験論を以下のような考え方によって批判した。経験論者は、何でもかんでも経験しなければ知ることができないというが、すると私たちが「真の立憲主義」について何かを語ろうと思えば、この世のどこかに「真の立憲主義」が実際に出現するまでできないということになってしまう。また、自然科学が成功するためには、たとえば因果関係の客観的実在性が経験によって証明されなければならなくなるが、それではいつまでたっても自然科学が成功する日は来ないであろう。にもかかわらず、私たちが理想を抱いたり真理を獲得したりでき、それらを目指

    して主体的に生きることができるのは、カントによれば、人間が経験にただ従い続けるからなのではなく、経験から学びつつも、逆に経験の方を規定する必然性や普遍的な法則を見出すことによるからであるとされるのである。これが、有名な「コペルニクス的転回」と呼ばれる考え方であって、自律的個人にとって自由で幸福な生き方と真実が一つに決まるための仕組みを明らかにした考え方なのである。

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    持を重視する③の思想に基づく立憲主義を採用したのである。

    4 日本の立憲主義以上のように立憲主義のあり方は現代の欧米主要諸国においてさえ多様であるが、そのことを根拠に、立憲主義の理念を恣意的解釈可能な曖昧な抽象概念と把握することは早計である。すでにみてきたように、現代立憲主義のあり方の多様性は、各国が経験した歴史的試練の差異に基づくものであって、いずれの立憲主義のあり方においてもその根底に、「個人の権利・自由を守ることを目的として、国家権力を法の力によって制限する」という普遍的理念が認められる。すなわち、ここに立憲主義の本質があるのである。したがって、あらゆる国に共通な立憲主義のあり方はないとしても、それぞれの国の多様な立憲主義のあり方の根底には普遍的な立憲主義理念が存在しているのであって、それは日本の立憲主義においても同様なのである。とすれば、日本の立憲主義のあり方が議会不信に基づくアメリカあるいはドイツ型となった歴史的事情は明らかであろう。日本の戦前の議会もまた後述するように、治安維持法等の制定等により国民の表現や思想の自由を弾圧し、政府の権限濫用を制御できなかった。また、戦前の日本の場合、ドイツと異なりとりわけ軍部の独走が特徴的であったのだが、これに対しても議会はまったく無力だったのであり、国家総動員法等の制定等によってむしろ追随してしまい、その結果、日本が戦争へと突き進むことを止めることはできなかったのである。こうした歴史的経験から私たちが学んだことは、国家権力は、それが政治状況や感情さらには私益に流されやすい「人」によって行使されるものである限り、たとえそれが民主的に選ばれた代表者で構成される議会権力であったとしても、常に濫用されたり暴走したりすることにより国民の人権を侵害する危険があるということであり、その人権侵害が行き着くゴールには戦争があるということである。だからこそ、戦後の日本の憲法は、憲法という「法」の力によって立法権も含むあらゆる国家権力を制限し、人権保障を目指すという立憲主義(法の支配)の理念を基盤としたのであって、憲法の最高法規性、公務員の憲法尊重擁護義務そしてアメリカ型の違憲審査制を明文で定める現行憲法はまさにそのような意味で、日本独自の歴史を踏まえた立憲主義理念を基盤としている憲法といえるのである。日本国憲法の根本にある立憲主義は、こうして近代立憲主義の考え方を継承し発展させ、「個人の尊重」と「法の支配」原理を中核とする理念であり、国民主権、基本的人権の尊重、恒久平和主義などの基本原理を支えているのである。そして、憲法の基本原理である国民主権と基本的人権の尊重も、ともに「個人の尊重」に由来しており、さらに、個人の自由と生存は平和なくしては確保されないという意味において、平和主義も「個人の尊重」に由来するとともに国民主権及び基本的人権の尊重と密接に結びついている。

    5 「個人として尊重」とは(1)はじめに立憲主義の目的は、鳥取宣言の言葉によれば、すべての人々が「個人として尊重

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    される」ことであるが、これは、憲法 13 条前段に規定されている「すべて国民は、個人として尊重される。」という憲法の根本理念を確認したものである。この理念は、論者の好みなどによって、「個人の尊重」、「個人の尊厳」、「人間の尊厳」などと簡潔に表現されることがあるが、これらの言葉あるいは理念の淵源はおそらくドイツの哲学者カントの「人間の尊厳」概念であろう(注11)。しかし、その概念があまり知られていない我が国においては、「個人」という言葉が曖昧かつ抽象的に理解され、国家権力によっても不可侵な個性を有するかけがえのない主体的な個人という意味ではなく、個性を度外視した「人一般」のような個々人の同等性を根拠づける抽象概念のように語られることさえある。この立場に立つことを明確に示したものが、自民党日本国憲法改正草案 13 条前段であり、そこでは「全て国民は、人として尊重される。」とされている。しかし、このような解釈は、憲法 13 条前段の理念を没却することにもつながることから、その理念の淵源にあった思想を踏まえておくことは重要であろう。そこで、以下において、その淵源と思われるカントの「人間の尊厳」概念について説明することとする。(2)イギリス経験論の人間観カントの「人間の尊厳」論は、ジョン・ロックやデイヴィッド・ヒューム(注12)に代表されるイギリス経験論哲学者の哲学あるいは人間観の批判から生まれたものである。そこでまずその経験論哲学の考え方に簡単に触れておこう。経験論哲学とは、真理とは客観的なものであって、人間は経験を通じてしかそれ

    に接近できないという立場をいう。すると世界中に歴史的に起こるすべてのことを経験することなどできるはずのない不完全な人間が認識する法や道徳や自然科学の法則はすべて仮象(確固たる根拠のない認識)あるいは仮説にすぎないという意味で、みな不完全だということになる。したがって、経験論者が国王や多数派の専制を否定する根拠は一般に人間の不完全性に求められ、そのコインの裏表の関係として、個人の個性は客観的真理に対する見解や感じ方の主観的多様性として尊重されるべきものとされることとなる。(3)カントの「コペルニクス的転回」と「人間の尊厳」カント哲学は上記のような経験論を以下のような考え方によって批判した。経験論者は、何でもかんでも経験しなければ知ることができないというが、すると私たちが「真の立憲主義」について何かを語ろうと思えば、この世のどこかに「真の立憲主義」が実際に出現するまでできないということになってしまう。また、自然科学が成功するためには、たとえば因果関係の客観的実在性が経験によって証明されなければならなくなるが、それではいつまでたっても自然科学が成功する日は来ないであろう。にもかかわらず、私たちが理想を抱いたり真理を獲得したりでき、それらを目指

    して主体的に生きることができるのは、カントによれば、人間が経験にただ従い続けるからなのではなく、経験から学びつつも、逆に経験の方を規定する必然性や普遍的な法則を見出すことによるからであるとされるのである。これが、有名な「コペルニクス的転回」と呼ばれる考え方であって、自律的個人にとって自由で幸福な生き方と真実が一つに決まるための仕組みを明らかにした考え方なのである。

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    こうしてカントによれば、私たち人間が築いてきた科学や道徳や法は経験論哲学とは違って仮象ではなく、人間が経験から導いた、経験を規定する法則によって成立している確固たる真理ということになる。ところで、このような経験を規定する法則は、「法則」と呼ばれるからには普遍性を本質としている。そこで、カントはこの法則定立のことを「普遍的自己立法」と呼び(注13)、これに基づいて自分らしい生き方や真実を獲得する人間の主体性において、「人間の尊厳」を見出したのである。(4)カントの「自律」以上のような人間観に基づいてカントが道徳論において強調した概念が「自律」

    である。これは日本では「自己決定」と同視されることが多いが、不正確である。前述のとおりカントは、人間が経験から学びながらも経験を規定する法則を生み出す点に人間の尊厳を求めたのであるから、尊厳の重点は、決定能力よりむしろ経験に基づいて普遍的な法則を定立する能力、先述した「普遍的自己立法」に基づく自己決定と解すべきであって、それはつまり、経験から学ぶことにより、自分が従うあるいは目指すべき自分らしい生き方の法則や理想を発見する人間の主体性のことである。(5)「人間の尊厳」の不可侵性以上のようなカントの思想を踏まえた場合、以下に述べるような時折見かける

    「個人」や「個性」の解釈は憲法 13 条前段の理念に反するものといえるであろう。それは、私もあなたも「みんな同じ個人