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(5) 2019年 4月 25日発行 第三種郵便物認可 千 葉 県保 険 医新 聞 (毎月 2回 10‐ 日、25日 発行 ) 第 688号
主張し行動する世代の
一人として
.
3
月
13
日付
朝
日新
聞
夕刊
に
「あ
のとき
それか
‐ら 東大安
田講堂事件
」
と
いう
記
事
が掲
載
さ
れ
た。その中
で、1月12日に
同講堂
で開かれた在宅医
療
のシ
ンポ
ジ
ウ
ム
に触
.れ
ている。〈フ回登場
いた
だ
いた堂垂伸治先生
は、
そ
の実
行
委
員
長
と
し
て
記事
の中
にも出
ていた。
「2019
団塊
。君た
ち
・未来」と題されたそ
のシン
‐ポジウム
(在宅ケ
アを支え
る診療所
・市民
全国ネ
ット
ワーク主催
)
の模
様
はす
で
に冊
子
に
まとめられ
ている。冊子
の
「はじめに」の中
で、堂
垂先生
は
「(団塊
の世代
は)『主張し行動
す
る大
量
の若者
たち』
でした。
医療制度を含む社会
のあ
り方
を根
源
的
に問
う
と
いう発想がありました」
と述
べている。そし
て話
は
5。年前
にさか
のぼ
る。
■
東
大
闘
争
の
中
で
1
9
6
0
年
代
後
半、
熱
い
政
治
の
時
代、″学
生
運動
″
は頂
点
に達
し
て
い
た。全
共
闘
の
一人
と
し
て、そ
の
真
只
中
に
堂
垂
先
生
も
い
た。
「東大
工学部
で自治委
員をや
っていました」と
話す先生。
68年、新たに祝
日とな
つた建国記念
の日
には、戦前
の紀元節
の復
活だ、と
し
てク
ラス討論
を行
い自主登校。9月
に
は工学部
で1000人規
模
の学
生
大
会
を
行
い
ス
ト
ライキ、そし
て翌年
1
月
の安田講堂
「攻防戦」に
至
っていく。「当日、私
は
安田講堂
の中
にはいなく
て、
『街頭闘争』
でした」
と話
す先生、「やりき
っ
た、という思
いはな
い」と
当時
を振
り返
る。そし
て
次
の道を模索することと
な
った。
■ 千葉大医学部
ヘ
東大卒業後、大手自動
車
メ
ー
カ
ー
の下
請
け
で
工場労働者
とな
るも、1
年半
で退職。友人
ら
のア
ドバイ
スと、それま
での
勉強が
「錆び
ついていな
か
った)」ともあり、千葉
大医学部
へと進学した。
卒業後、千葉西総合病
院
の開
設
の時
か
ら
関
わ
り、病院
では地域
医療部
長としても5。人ぐら
いの
在宅患者
を診
て
いた。そ
し
て99年、松戸市内
で開
業した。
■ 日々、カルテの復習
「カルテの復習」と
いう
言葉
が出
た。毎
日
のカ
ル
テをその日に見直し
「こ
の患者をどうするか」を
考
え
次
の診
療
へ
つなげ
ている。地域
医療
へも貢
献
し、松戸市内
の高齢者
向
け電
話
安
否
確
認
サー
ビ
ス
「あんじん電話」
の
構
築
も
手
が
け
て
き
た。
■
団塊
の世
代
と
し
て
そう
した先生
の、〈フの
若
い先
生
方
に向
け
る目
は厳
し
い。「患者
の訴え
に対
し冷
静
な
目
で分
析
を」、「患者
への共感力が
少
な
く
な
って
いる
の
で
は」等
々。その目は現代社
会
へも。「子ど
もを育
て
づ
ら
い社
会
にな
って
い
る」、「反戦平和を守
るに
は、小
異を捨
て大
同に
つ
く、手を携
え
ての大連合
が必要」と、その思
いはど
ど
ま
ると
こ
ろを
知
ら
な
い、団塊世代
の
一人
であ
る。
Q員を地ずねて堂垂 伸治 先生 目 272目どうたれ しんじ
東大・安田講堂で開かれた在宅医療のシンポジウム。当日は全国から500人 ほどが集まった=1月 12日