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西 欧 政 治 史 Ⅱ ( 2015 年 度 第 2 期 、 兵 藤 )
Ⅰ オ リ エ ン テ シ ョ ンイ
0. 概 要
0.1 講 義 ス ケ ジ ュ ー ル
0.1.1 本 講 義 の 授 業 内 容 は 西 欧 政 治 史、 Ⅰ と は 独 立 し て いる 。 従 っ て 、 一 部 西 欧 政 治 史 Ⅰ の 内 容 を 加 え て い る 。 諸 般の 事 情 に よ り 、 2009 年 度 か ら 再 び 、 原 則 隔 年 で 本 講 義 を 担当 す る こ と に な っ た が 、 今 回 も 前 回 2013 年 度 の 講 義 内 容 を全 面 的 に 改 訂 す る 時 間 的 余 裕 が な か っ た こ と を 予 め 了 承 され た し 講 義 の 構 成 と し て は 、 4 の 「 3 つ の 政 治 」 を 1 回。に し て ( 講 義 プ リ ン ト の 量 が 多 い の で 大 半 を 資 料 に 回 す ) 、そ の 代 わ り 、 5 の 「 簡 略 な 現 代 政 治 前 史 」 を 2 回 に 分 け るか 、 9 の 「 戦 後 体 制 」 を 3 回 に 分 け る か 、 あ る い は 、 1 0の 「 新 し い 政 治 」 を 3 回 に 分 け る あ た り が 代 案 と な る 。 要す る に 、 講 義 回 数 が 足 り な い 。 欧 州 は 数 十 国 が あ る た め 、回 数 の 不 足 は ご 理 解 し て い た だ け る だ ろ う 。 や は り 、 他 大学 の よ う に 、 3 0 回 ぐ ら い 時 間 を も ら え れ ば 、 一 通 り の 話が で き る よ う に 思 う が 、 仕 方 な い 。
0.1.2 本 講 義 で は 、 現 代 と 呼 ば れ る 時 期 の 、 主 と し て 英 、仏 、 独 な ど 主 要 国 の 政 治 史 を 素 材 に 、 欧 州 政 治 の 特 色 を 論じ る 。 講 義 の 内 容 か ら み る と 「 西 洋 / 西 欧 」 「 現 代 」 「 政治 」 「 歴 史 」 か ら 構 成 さ れ て い る が 、 主 題 は 政 治 で あ る 。本 来 、 政 治 史 は 、 個 別 事 例 を 詳 し く 述 べ て 、 歴 史 の 面 白 さを 語 る べ き な の だ ろ う が 、 上 述 の よ う に 2 単 位 と い う 時 間的 制 約 も あ り 、 他 の 政 治 と は 異 な り 、 欧 州 と い う 多 く の 国の 歴 史 を 講 義 し な け れ ば な ら な い の で 、 学 生 が 社 会 人 と なる 上 で 必 要 な 「 常 識 」 の 提 供 を 1 つ の 目 的 と し て い る 。
0.1.3 本 講 義 は 、 3 部 ( 数 え 方 に よ り 4 部 ) 構 成 と する こ と と し た 。 欧 州 現 代 政 治 史 は 1870 年 / 1880 年 あ た り か ら始 め る か 、 第 1 次 大 戦 か ら 始 め る の が よ く あ る 行 き 方 で ある 。 本 講 は 「 長 い 19 世 紀 ( 1789 ~ 1914 ) 」 ( エ リ ッ ク ・ ホ ブズ ボ ウ ム の 定 義 で い え ば 、 1789 ~ 1848 は 革 命 の 時 代 、 1848 ~1875 は 資 本 の 時 代 、 1875 ~ 1914 は 帝 国 の 時 代 と な る が 、 他 にも 考 え 方 は 色 々 あ る 。 こ の 長 い 19 世 紀 に つ い て は 、 西 欧 政治 史 Ⅰ を 担 当 す る 場 合 に 扱 う を 近 代 に 含 め る こ と と す る 。従 っ て 本 講 で は 、、 「 短 い 」 20 世 紀 ( 1914 ~ 1989 / 1991 ) を 中心 に 扱 う が 、 第 14 回 目 で 1989 / 1991 年 以 降 を 扱 う 。 そ の 後 も
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す で に 2 0 数 年 経 っ て い る か ら で あ る 。 な お 、 E U の 政 治に つ い て は 、 時 間 の 都 合 上 、 説 明 の 多 く を 省 略 せ ざ る を えな い が 、 興 味 の あ る 人 は 特 殊 講 義 ( E U の 政 治 ) を 聴 講 され た し 。
0.1.3.1 Ⅰ の 「 オ リ エ ン テ ィ シ ョ ン 」 ( 第 1 回 ・ 第 2 回 )で は 、 欧 州 と 歴 史 に つ い て 簡 単 に 述 べ る 。 「 ヨ ー ロ ッ パ とは 何 か 」 は 、 E U が 発 展 す る に つ れ 、 何 度 も 問 い 直 さ れ てい る か ら で あ り 、 ま た 歴 史 に つ い て は 、 学 生 の 間 に 相 当 な誤 解 が あ る よ う に 思 う か ら で あ る 。
0.1.3.2 Ⅱ の 「 ( ヨ ー ロ ッ パ の ) 近 代 政 治 と 現 代 政 治 」 ( 第3 回 ~ 第 5 回 ) で は 、 欧 州 現 代 政 治 の 特 色 を 近 代 政 治 と 対比 さ せ な が ら 述 べ る 。 現 代 史 の 理 解 に は 近 代 史 の 理 解 が 必要 だ か ら で あ り 、 西 欧 政 治 史 Ⅰ を 履 修 し て い な い 学 生 が 少な く な い か ら で も あ る 。 そ の 際 、 Ⅲ の 政 治 史 ( 過 程 ) を 理解 す る 上 で 必 要 な 道 具 立 て ・ 言 葉 も 説 明 す る 。 通 常 の 政 治史 と い う よ り は 、 歴 史 社 会 学 と 政 治 過 程 論 を あ わ せ た 考 察と な る 。 社 会 変 動 と 統 治 構 造 の 変 化 と の 関 係 ( 権 力 の 循環 ) や 政 治 争 点 ・ 行 政 需 要 の 変 化 に 着 目 し て も ら え る と よい 。
0.1.3.3 Ⅲ の 「 ( ヨ ー ロ ッ パ の ) 現 代 政 治 史 ( 1914 年 ~ ) 」 ( 第 6 回 ~ 第 14 回 ) で は 、 第 1 次 世 界 大 戦 か ら 現 在 ま で の政 治 史 を 、 以 下 の よ う な 時 期 区 分 に 従 っ て で き る だ け 、narrative ( 物 語 ) に 述 べ る 。 こ の 時 代 区 分 は 時 間 の 制 約 と 説明 の 便 宜 に よ る 1 が 、 誰 が 区 分 し て も 、 多 か れ 少 な か れ 、本 講 義 と 似 た も の に な る だ ろ う 。 少 々 欲 張 り だ が 、 上 手 くい け ば 、 Ⅱ と Ⅲ は 欧 州 現 代 政 治 史 の 経 糸 と 緯 糸 に な る 。 Ⅱを 読 み 始 め て 難 し け れ ば 先 に、 Ⅲ を 読 ん で も ら う と 良 い な。お 、 第 15 回 で 講 義 の ま と め を す る 。
0.1.3.4 取 り 扱 う 事 例 は 主 と し て 英 、 仏 、 独 と し 、 露 ( ソ連 ) 、 墺 、 伊 な ど に つ い て も 必 要 で 可 能 な 限 り 補 足 す る( 墺 は Habsburg帝 国 あ る い は 墺 = 洪 帝 国 と 呼 ぶ べ き 場 合 も ある が こ こ で は 墺 と 統 一 表 記 す る ) 。 英 、 仏 、 独 を 主 に 扱、う 理 由 は 、 第 1 に 、 「 政 治 」 と 呼 ば れ る 現 象 が 他 の 地 域 より も 広 く 見 ら れ 、 「 政 治 」 に つ い て の 考 察 が 様 々 に な さ れた こ と 、 第 2 に 、 幕 末 期 ・ 明 治 期 以 降 の 日 本 政 治 に 及 ぼ した 影 響 が 大 き い こ と 、 第 3 に 、 国 家 の サ ィ ズ や 政 治 課 題 がも つ 特 色 の 点 で 日 本 の 比 較 対 象 と し て 適 し て い る こ と で ある ( こ の 3 カ 国 に 伊 を 加 え る べ き も 知 れ な い と 考 え 始 め て
1 第二次大戦後については、例えば、トニー・ジャットはヨーロッパ戦後史を、第1部「戦後・1945年~1953 年」、第2部「繁栄と不満と・1953 年~1971 年」、第3部「景気後退期・1971 年~1989年」、第4部「崩壊の後で・1989 年~2005 年」と分けている(トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上、森本醇訳、下、浅沼澄訳(みすず書房)。
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い る 。 こ の 点 も 今 後 の 課 題 で あ る ) 。 こ の 3 国 に 限 っ て も 、各 国 の 政 治 ( 統 治 ) の 違 い は 小 さ く な い が 、 各 国 共 通 の 政治 課 題 が あ り 、 共 通 点 と 相 違 点 を で き る だ け バ ラ ン ス よ く扱 い な が ら 述 べ る 予 定 で あ る 。 1 つ の 時 代 区 分 の 中 で は いく つ か の 争 点 ご と に 述 べ る こ と が 多 く な る の で 、 多 少 時 間の 順 序 が 入 れ 替 わ る 。 ま た 、 で き る だ け 内 政 と 外 交 ・ 国 際関 係 を 分 け て 説 明 す る 。 以 下 は 、 講 義 予 定 の お お よ そ の 目安 に 過 ぎ な い 点 を 了 承 の こ と 。
0.1.3.5 と も あ れ 、 欧 州 各 国 が 、 日 本 の 格 好 の 比 較 対 象 で あ る こ と ( こ の 点 が ア メ リ カ や 中 国 の 研 究 と は 異 な っ て いる ) を 念 頭 に 置 き な が ら 、 「 国 家 を 安 定 し て 運 営 す る 」( 「 よ く 支 配 し て い た だ く 」 と い う ) 視 点 で 講 義 を 聴 い てい た だ け れ ば 理 解 が 進 む と 思 う 。
0.1.3.6 講 義 予 定 ( な る べ く 毎 回 区 切 り の い い と こ ろ で 終わ る よ う に 話 す つ も り だ が 、 扱 う 分 量 が 各 回 相 当 に 異 な るの で 必 ず し も 各 回 と 予 定 と が 対 応 し な い 場 合 が あ る こ と、を 了 解 の こ と 。
Ⅰ オ リ エ ン テ ィ シ ョ ン第 1 回 ( 10/02 ) 1 ヨ ー ロ ッ パ第 2 回 ( 10/09 ) 2 歴 史
Ⅱ 近 代 政 治 と 現 代 政 治第 3 回 ( 10/16 ) 3 社 会 変 動 と 政 治 争 点第 4 回 ( 10/23 ) 4 3 つ の 政 治 ① ( 政 治 の 諸 相 、 権 勢
の 政 治 ) 4 . 1 ~ 4 . 3 . 2第 5 回 ( 10/30 ) 4 3 つ の 政 治 ② ( 利 益 の 政 治 、 正 論
の 政 治 ) 4 . 3 . 3 ~ 4 . 4 . 5Ⅲ 現 代 政 治 史 ( 1914 ~ )
第 6 回 ( 11/06 ) 5 簡 略 な 現 代 政 治 前 史第 7 回 ( 11/13 ) 6 ' The Great War ' ( 1914 ~ 1918 )第 8 回 ( 11/27 ) 7 「 危 機 の 20 年 」 ① : 没 落 と 復 興
( 1919 ~ 1929 ) 「 希 望 の 前 半 」 ( E . H . カ ー ) 7 . 1~ 7 . 2
第 9 回 ( 12/04 ) 7 「 危 機 の 20 年 」 ② : 混 迷 と 模 索( 1929 ~ 1939 ) 「 絶 望 の 後 半 」 ( E . H . カ ー ) 7 . 3~ 7 . 5
第 10 回 ( 12/11 ) 8 第 2 次 世 界 大 戦 ( 1939 ~ 1945 )第 11 回 ( 12/18 ) 9 戦 後 体 制 ① : 冷 戦 と 再 復 興 ( 1945
~ 1955 / 1960 ) 9 . 1 ~ 9 . 2 ・ 9 . 3第 12 回 ( 1/08 ) 9 戦 後 体 制 ② : 統 合 と 模 索 ( 1955 /
1960 ~ 1970 / 1980 ) 9 . 3 ・ 9 . 4 ~ 9 . 5第 13 回 ( 1/22 ) 1 0 新 し い 政 治 ① : ポ ス ト 産 業 社
会 ( 1970 / 1980 ~ 1989 / 1991 ) 1 0 . 1 ~ 1 0 . 2 第 14 回 ( 1/29 ) 1 0 新 し い 政 治 ② : ポ ス ト 冷 戦 ( 1989/ 1991 ~ ) 1 0 . 3 ~ 1 0 . 4
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Ⅳ ま と め 第 15 回 ( 2/05 ) 1 1 ヨ ー ロ ッ パ 政 治 の 特 色 と そ の「 将 来 」
第 16 回 ( 2/12 ) 学 期 末 試 験
0.2 成 績 評 価
学 期 末 の 定 期 試 験 に よ る 。 過 去 の 問 題 は H P を 参 照 の こと 。 な お 、 慣 例 に よ り 、 第 14 回 ( 1/29 ) に 「 世 論 調 査 」 を行 う 予 定 で あ る が 、 テ ス ト の 出 題 形 式 如 何 で は 、 第 13 回 ある い は そ れ 以 前 に 行 う か も 知 れ な い 。 な お 、 当 然 の こ と なが ら 年 号 な ど の 暗 記 は 、 ク ィ ズ 番 組 の 解 答 と 同 様 、 調 べ れば 分 か る こ と だ か ら 重 要 で な く ( 知 っ て い る こ と は 偉 い、が 、 so what? ) 、 求 め な い 。
0.3 オ フ ィ ス ア ワ 他
0.3.1 オ フ ィ ス ア ワ は 金 曜 日 12:30 ~ 14:00 ( F 棟 281号 室 ) 。で き る だ け ア ポ ィ ン ト メ ン ト を と っ て 欲 し い ( e-mail: [email protected] ) 。 e-mail で の 質 問 は 随 時 受 け 付 け る 。 ただ 、 大 学 の 研 究 環 境 の 変 化 ( 全 面 禁 煙 ) に よ り 毎 日 朝 か ら夜 ま で 研 究 室 に い る 生 活 を 止 め た 。 従 っ て 大 学 に は 毎 日 来な い た め 、 返 事 は 遅 れ 気 味 と な る 点 を 了 解 し て ほ し い 。 講義 プ リ ン ト ( こ れ は レ ジ ュ メ で は な い ) は ま だ ま だ 完 成 度が 高 く な い の で 、 講 義 中 に 加 筆 訂 正 し 、 参 考 文 献 も 補 足 する ( プ リ ン ト の 量 が 多 い と い う 批 判 が 授 業 評 価 ア ン ケ ー トに 登 場 す る が 、 こ れ で も 2 1 万 字 強 程 な の で 、 せ い ぜ い 教科 書 1 冊 分 で あ る ) 。 知 識 や セ ン ス に 自 信 の あ る 人 は こ のプ リ ン ト を 読 む 必 要 も な い が 、 事 前 に プ リ ン ト を 読 ん で おく と 、 少 な く と も わ か ら な い 点 が は っ き り す る だ ろ う 。 なお 、 こ の プ リ ン ト を 講 義 の 際 に 紙 媒 体 で 配 布 し な い の は 、時 間 の 節 約 に 加 え 、 予 習 し た い と い う 希 望 や 各 自 の 好 み のレ ィ ア ゥ ト に 合 わ せ て ノ ゥ ト を 作 り た い と い う 要 望 に 応 える た め で あ る 。 講 義 プ リ ン ト で 紹 介 す る 参 考 文 献 は 、 邦 訳が あ る も の に な る べ く 限 定 し た 。 興 味 関 心 が あ る 分 野 で 原書 に 挑 戦 す る 人 は 連 絡 さ れ た し 。 適 宜 紹 介 す る 。 公 務 員 試験 向 け を 含 め 多 少 な り と も 「 実 用 的 な 」 言 葉、 ( 特 に 外 国語 ) は 、 ブ ロ ク ( ブ ロ ッ ク ) 体 and/or イ タ リ ク ( イ タ リ ック ) 又 は 下 線 部 に し て あ る 。
な お 、 プ リ ン ト を ノ ゥ ト 代 わ り に す る 場 合 、 フ ァ イ ルの 左 側 が 表 に 来 る よ う に 並 べ て 、 例 え ば 、 1 頁 の コ メ ン トは 2 頁 の 裏 に 書 く よ う に す る と い い 。 そ の 際 、 プ リ ン ト の印 刷 は 逆 順 に す る と 楽 ( ワ ー ド 2010 だ と 、 「 フ ァ イ ル 」 タブ → 「 オ プ シ ョ ン 」 → 「 詳 細 印 刷 」 の 「 印 刷 」 オ プ シ ョ ンに あ る 「 ペ ー ジ の 印 刷 順 序 を 逆 に す る 」 を オ ン に す る ) 。
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講 義 中 の 私 語 は 厳 禁 。 携 帯 電 話 の 使 用 も 同 様 ( 場 合 に より 没 収 し 、 「 処 分 」 す る 。 と こ ろ で 、 威 力 業 務 妨 害 で 告 訴す る 可 能 性 は あ る の だ ろ う か 、 単 な る マ ナ 違 反 で 処 理 さ れる の だ ろ う か 、 わ か ら な い )。 出 席 は と ら な い の で 、 お しゃ べ り 好 き の 人 や 、 携 帯 ・ ス マ ホ 中 毒 と い う 「 心 の 病 」 のあ る 人 は 、 そ の 種 の 病 は 伝 染 性 が 高 い こ と も あ り 、 出 席 しな い で ほ し い 。 出 席 し な く と も 、 通 常 の 理 解 力 が あ り 、 プリ ン ト と 過 去 問 を 勉 強 す れ ば 、 単 位 は 取 れ る 。 大 学 は 大 人の 世 界 で す 。「 ガ キ 」 の い る 場 所 で は あ り ま せ ん 。
0.3.2 欧 州 の 地 理 が 浮 か ば な い と わ か り づ ら い 部 分 が あ るの で 、 地 理 に 自 信 の な い 人 は 講 義 に 際 し て 地 図 を 用 意 し た方 が い い か も し れ な い 。 地 図 は ま ず 自 分 で 描 い て み る こ とが 重 要 で あ る 。 ま た 、 高 校 で 使 っ て い た 歴 史 地 図 も 役 に 立つ と 思 う 。 地 図 が 手 元 に な い 人 の た め に 、 別 途 い く つ か の地 図 を フ ァ ル の 形 でイ 掲 載 し て お い た ( 白 地 図 の 配 布 はhttp://www.freemap.jp/blankmap/ よ り 。 こ の サ ィ ト は 便 利 ) 。 適 宜 、 こ の地 図 を 活 用 の こ と 。 な お 、 国 境 線 な ど は 現 在 の も の な の で注 意 す る こ と 。 ま た 、 地 図 の 後 に 簡 単 な 経 済 統 計 を 掲 載、し て お い た 。 人 口 に つ い て は 桁 数 に 注 意 。 G D P に つ い ては 、 そ の 絶 対 額 の 格 差 と 、 一 人 あ た り の 東 西 格 差 、 南 北 格差 に 注 意 。
0.3.3 プ リ ン ト の 分 量 を 減 ら す た め ( 数 頁 減 る よ う で ある ) 、 引 用 部 分 や 表 題 な ど を 除 き 、 ま た 誤 解 が 生 じ な い 範囲 で ( ベ ル ギ ー 人 を 白 人 と 書 く と 混 乱 す る ) 、 国 名 や 都 市名 な ど の 表 記 で 略 語 を 用 い る 場 合 も あ る 。 漢 字 表 記 に も いろ い ろ あ る が 、 こ こ で は 以 下 の よ う に 用 い る ( 必 要 に 応 じて 「 国 」 を 補 っ て い る ) 。 欧 ( 州 ) = ヨ ー ロ ッ パ 、 英 ( 英吉 利 ) = イ ギ リ ス 、 仏 ( 仏 蘭 西 ) = フ ラ ン ス 、 普 = プ ロ イセ ン 、 独 ( 独 逸 ) = ド イ ツ 、 墺 ( 墺 太 利 ) = オ ー ス ト リ ア 、露 ( 露 西 亜 ) = ロ シ ア 、 伊 ( 伊 太 利 亜 ) = イ タ リ ア 、 西( 西 班 牙 ) = ス ペ イ ン 、 葡 ( 葡 萄 牙 ) = ポ ル ト ガ ル 、 羅 =ラ テ ン 、 蘭 ( 和 蘭 ほ か ) = オ ラ ン ダ 、 白 ( 白 耳 義 ) = ベ ルギ ー 、 丁 ( 丁 抹 ) = デ ン マ ー ク 、 諾 ( 諾 威 ) = ノ ル ウ ェ イ 、瑞 ( 瑞 典 ) = ス ウ ェ ー デ ン 、 芬 ( 芬 蘭 ) = フ ィ ン ラ ン ド 、波 ( 波 蘭 ) = ポ ー ラ ン ド 、 洪 ( 洪 牙 利 ) = ハ ン ガ リ ー 、 愛蘭 = ア イ ル ラ ン ド 、 希 ( 希 臘 ) = ギ リ シ ア 、 土 ( 土 耳 古 )= ト ル コ 、 ソ ( 連 ) = ソ ヴ ィ エ ト 、 米 ( 亜 米 利 加 ) = ア メリ カ 、 加 ( 加 奈 陀 ) = カ ナ ダ 、 豪 ( 濠 太 剌 利 ) = オ ー ス トラ リ ア 、 印 ( 印 度 ) = イ ン ド 。 基 督 教 = キ リ ス ト 教 、 公 教会 = ロ ー マ ・ カ ト リ ク 、 倫 敦 = ロ ン ド ン 、 巴 里 = パ リ 、 伯林 = ベ ル リ ン
0.3.4 こ の プ リ ン ト で の 西 洋 系 の 外 来 語 の カ タ カ ナ 表 記 につ い て は 、 そ の 一 部 を 一 般 の 表 記 と は 変 え て い る ( ノ ー トで は な く 、 ノ ゥ ト 。 た だ 、 イ メ ー ジ な ど 僅 か な 語 に つ い て
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は イ ミ ジ な ど に は 変 え て い な い 。 慣 性 ・ 惰 性 ・ 習 慣 の 強 さで あ る ) 。 そ の 理 由 に つ い て は 、 最 後 の 参 考 資 料 を 参 照 のこ と 。
1. ヨ ー ロ ッ パ 2
1.0 ヨ ー ロ ッ パ ( 地 理 )
地 理 は 、 大 雑 把 で も い い か ら 、 一 度 地 図 を 描 い て み る と頭 に 入 り や す い 。 欧 州 で は 、 東 経 0 度 ( 倫 敦 、 グ リ ニ ッ ジ天 文 台 ) 、 東 経 10 度 ( 独 中 央 ~ 伊 半 島 西 部 ) 、 東 経 20 度( ワ ル シ ャ ワ ~ ブ ダ ペ ス ト ) 、 東 経 30 度 ( キ エ フ ~ イ ス タン ブ ー ル ) 、 東 経 40 度 ( モ ス ク ワ ) 、 北 緯 40 度 ( マ ド リ ード 、 ナ ポ リ ) 、 北 緯 50 度 ( 倫 敦 と 巴 里 の 間 ~ プ ラ ハ ) が ポィ ン ト だ ろ う 。 経 度 ・ 緯 度 の 違 い で 多 少 の 距 離 の 違 い が 生じ る が 、 日 本 で 言 え ば 、 経 度 10 度 の 差 は 、 博 多 ( 東 経 130度 ) ~ 東 京 ( 東 経 140 度 ) 、 緯 度 10 度 の 差 は 、 関 東 平 野 南 端( 北 緯 35 度 ) ~ 稚 内 の 南 ( 北 緯 45 度 ) 。 大 雑 把 な が ら 、 倫敦 ~ 独 中 央 部 は 東 京 ~ 博 多 、 し か も そ の 間 に ベ ネ ル ク ス 三国 や 仏 ( 南 ) が あ る 。 そ れ に し て も 、 モ ス ク ワ は 遠 い 。 4倍 の 距 離 で あ る ( 緯 度 の 違 い は あ っ て 単 純 で は な い が 、 経度 20 度 東 京 ~ 上 海 ) 。 単 純 に 距 離 だ け を 考 え て も 、 ナ ポ レオ ン に せ よ 、 ヒ ト ラ ー に せ よ 、 モ ス ク ワ 攻 撃 が い か に 大 変だ っ た か が わ か る だ ろ う 。
2 近年EUの拡大もあり、欧州論ブームである。欧州全般の参考文献としては、テリー・G・ジョーダン、ベラ・ビチコヴァ・ビチコフ共著『ヨーロッパ』山本正三、石井英也、三木一彦共訳(二宮書店)、リチャード・ホガート、ダグラス・ジョンソン『ヨーロッパの理解』大島真木訳(晶文社)、フェデリコ・シャボー『ヨーロッパの意味』清水純一訳(サイマル出版社)、ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー『ヨーロッパ半島』石黒英男他訳(晶文社)、増田四郎『ヨーロッパとは何か』(岩波新書)、谷川稔『歴史としてのヨーロッパ・アイデンティティ』(山川出版社)、エドガール・モラン『ヨーロッパを考える』林勝一訳(法政大学出版局)、マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅰ、Ⅱの上、Ⅱの下、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)、フレデリック・ドリューシュ総合編集『ヨーロッパの歴史 欧州共通教科書』花上克己訳(東京書籍)、吉田健一『ヨオロッパの世紀末』(筑摩叢書他)、タキ・テオドラコプロス『ハイ・ライフ』井上一馬訳(光文社)、ヴェルナー・レーゼナー『農民のヨーロッパ』藤田幸一郎訳(平凡社)、堀田善衛『歴史の長い影』(ちくま文庫)、犬養道子『ヨーロッパの心』(岩波新書)、饗庭孝男『ヨーロッパとは何か』(小沢書店)、堀米庸三『中世の森の中で』(河出文庫)、シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』上下、原田義人訳(みすず書房)、南直人『ヨーロッパの舌はどう変わったか』(講談社選書メチエ)、中沢新一他『ヨーロッパとは何か』(藤原書店)、エミール・バンヴェニスト『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』1・2、蔵持不三也他共訳(言叢社)、樺山紘一『西洋学事始』(中公文庫)あたりがいいと思う。なお、ここでの欧州とは何かに関する説明の仕方と異なるものとして、オスカー・ハレツキ『ヨーロッパ史の時間と空間』鶴島博和訳者代表(慶應義塾大学出版会)。この本(訳注が充実している)を読むと、欧州とは何かが歴史(地理)学の議論の形をとりながら、その内実はすこぶる政治論であることがわかる。まさに、歴史学こそ、政治闘争である。
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こ れ と 同 様 に 重 要 な の は 、 距 離 で あ る 。 た だ 、 距 離 は直 線 距 離 な ど 様 々 な 距 離 が あ る 。 こ こ で は 、 一 般 の 都 市 間距 離 を 参 考 に 挙 げ て お く 。 1 つ の 目 安 だ と 思 っ て も ら え れば い い 。
東 京 ~ 大 阪 が 400㎞ 、 東 京 ~ 札 幌 が 800㎞ 強 、 東 京 ~ 福 岡が 900㎞ 弱 、 東 京 ~ 沖 縄 が 1500 ㎞ 強 。 従 っ て 、 大 体 の イ メ ージ と し て は 、 東 京 を 描 き 、 そ の 北 1000 ㎞ が 北 海 道 、 そ の 西( 西 南 西 ) 1000 ㎞ が 九 州 、 そ の 1500 ㎞ が 沖 縄 と 考 え れ ば い い 。ち な み に 、 東 京 ~ 新 潟 は 250㎞ 程 度 。
東 京 ~ 北 京 が 2000 ㎞ 強 、 東 京 ~ 上 海 が 1700 ㎞ 強 、 東 京 ~香 港 が 3000 ㎞ 弱 。 大 陸 ま で は 2000 ㎞ と い う の が 目 安 で あ る 。
こ れ に 対 し 、 欧 州 の 場 合 は 、 巴 里 を 中 心 に 考 え る と 、巴 里 ~ 倫 敦 ( 北 北 西 ) が 300㎞ 強 、 巴 里 ~ 伯 林 ( 東 北 東 ) が900㎞ 弱 、 巴 里 ~ ロ ー マ ( 南 東 ) が 1100 ㎞ 、 巴 里 ~ モ ス ク ワ( 東 北 東 ) が 2500 ㎞ 。 こ こ で 重 要 な 点 は 、 巴 里 ~ 倫 敦 の 近さ ( 東 京 ~ 仙 台 ぐ ら い ) で あ り 、 巴 里 ~ 伯 林 の 遠 さ ( 東 京~ 北 海 道 ・ 九 州 ) で あ り 、 露 西 部 に 位 置 す る に も 関 わ ら ず 、モ ス ク ワ の 信 じ ら れ な い 遠 さ ( 東 京 ~ 中 国 内 陸 部 ) で あ る 。陸 路 と 海 路 な ど の 違 い は あ っ て も 、 記 憶 し て 置 く こ と 。
1.1 欧 州 と は 何 処 を 指 す の か
1.1 .1 ユ ー ラ シ ア ( Eurasia ) と は 、 欧 州 ( Europe ) と ア ジ ア ( Asia ) の 合 成 語 ( 混 成 語 ) で あ り 、 欧 州 は 大 陸 と いう よ り は 大 陸 の 半 島 に 過 ぎ な い よ う に 思 え る 。 し か し 、 欧州 は 元 々 地 中 海 世 界 を 念 頭 に 、 ア ジ ア 、 ア フ リ カ と 対 比 され た 概 念 で あ る 。 Occident ( 西 洋 ) と は 太 陽 が 沈 む 所 、 Orient ( 東 洋 ) と は 太 陽 が 上 る 所 を 指 す 欧 州 か ら 見 れ ば ア ジ ア。 、の 西 端 は 「 近 東 」 又 は 「 中 近 東 」 で あ り 、 日 本 な ど は「 極 」 東 で あ る 。 な お 、 中 国 か ら 見 れ ば 、 日 本 ( 日 の 本 )が 東 で ( 歴 史 上 、 東 洋 と 呼 ば れ た 3 ) 、 欧 州 は 泰 西 ( = 極西 ) に な る 。
◎ 欧 州 は 流 動 的 な 概 念 だ か ら 、 「 欧 州 と は 何 か 」 、「 欧 州 と は ど こ を 指 す の か 」 と い っ た 議 論 が 起 こ る 。も ち ろ ん 、 日 本 に つ い て も 、 ど こ か ら ど こ ま で が 日 本な の か と い う 議 論 は あ る 。 中 世 以 来 、 こ の 点 で 問 題 にな っ た の は 、 蝦 夷 ( 北 海 道 ) と 沖 縄 だ ろ う ( 他 に も 北海 道 周 辺 の 島 々 、 小 笠 原 諸 島 4 な ど が あ る ) 。 占 領 終了 ( 1952 年 4 月 28 日 ) と い う の は 、 沖 縄 な ど を 無 視 し
3 松本健一『日本のナショナリズム』(ちくま新書)33頁4 周知のように、沖縄は琉球という独立国で、明治時代以降「併合」される。小笠原諸島の歴史は面白い。そもそも日本なのか、米なのか。Cf.田中弘之『幕末の小笠原』(中公新書)
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た 発 想 で あ る ( 奄 美 群 島 は 1953 年 、 小 笠 原 諸 島 は 1968 年 、沖 縄 は 1972 年 ) 。
1. 1 .2 英 が 欧 州 に 属 す る と す れ ば 、 「 英 と 欧 州 、Britain vs Europe 」 と い う 頻 繁 に 登 場 す る 対 比 表 現 は 何 を 含 意 する の か 。 こ の 場 合 欧 州 と は 欧 州 大 陸、 、 ( Continent ) を 指 す 。英 は 、 Commonwealth ( 英 連 邦 ) ・ 欧 州 大 陸 ・ 米 の 3 つ と 連 携す る 政 策 を 継 続 す る 。 し か し 、 優 先 順 位 の 明 示 を 強 い ら れた 場 合 、 ど れ を 優 先 す る の か が 、 英 の 外 交 政 策 の 基 本 問 題で あ る 。
1.1.3 独 5 が 欧 州 に 属 す る と す れ ば 、 「 独 vs 欧 州 」 と いう 対 比 表 現 は 何 を 意 味 す る の か 6 。 独 は 、 「 中 欧 」 に 位 置し 、 西 欧 ( 英 仏 の 「 文 明 」 ) と 東 欧 ( 露 の 「 野 蛮 」 ) の 架け 橋 だ と い う 理 解 も 根 強 い 7 。 す な わ ち 、 「 独 vs 欧 州 」 の場 合 の 欧 州 は 英 、 仏 な ど の 「 西 欧 」 を 指 し て い る 。 独 に は 、仏 な ど に 較 べ 、 ロ ー マ 帝 国 に 「 征 服 さ れ な か っ た 負 い 目 」( と お そ ら く 自 負 ) が あ る ( ロ ー マ 世 界 は ゲ ル マ ン 世 界 との 間 に 国 境 の よ う な 防 衛 戦 ( リ ー メ ス ) を 築 い た ) 。 ロ ーマ 帝 国 に よ る 征 服 は 文 明 化 を 意 味 し た か ら で あ る ( ゲ ル マン 民 族 に よ る 大 移 動 に よ っ て ロ ー マ 帝 国 は 滅 ん だ と い う のは 神 話 に 近 い だ ろ う ) 。
1.1.4 仏 と 西 の 「 自 然 国 境 」 ( 国 境 は 人 為 的 な も の だか ら 、 こ れ 自 体 面 白 い 表 現 で は あ る ) と な っ て い る ピ レ ネー 山 脈 ( → 地 図 ) 以 南 の イ ベ リ ア 半 島 ( 西 、 葡 ) は 欧 州 に属 す る の だ ろ う か 。 あ る い は 、 「 ユ ー ロ ・ ア フ リ カ 」 な いし 「 ア フ リ カ ン ・ ユ ー ロ 」 だ ろ う か 。 イ ベ リ ア 半 島 は 、 長年 イ ス ラ ム 等 に 占 領 さ れ 、 1492 年 に よ う や く 「 解 放 ( 欧 州側 は 奪 還 = レ コ ン キ ス タ と 呼 ぶ が 、 イ ス ラ ム 側 か ら 見 れ ば侵 略 = コ ン キ ス タ に 過 ぎ な い ) 」 さ れ る ( 同 時 に ユ ダ ヤ 人も 追 放 さ れ る ) 8 。 換 言 す れ ば 、 そ れ ま で イ ベ リ ア 半 島 は 、 そ の 芸 術 や 建 築 を 、 あ る い は ス ペ イ ン 人 の 顔 立 ち を み れ ばわ か る よ う に 、 基 督 教 徒 、 イ ス ラ ム 教 徒 、 ユ ダ ヤ 教 徒 の 混在 す る ( 共 存 共 栄 が 相 当 に 可 能 な ) 土 地 だ っ た 。 ピ レ ネ ー山 脈 は 、 フ ラ ン ク 王 国 が ( か ろ う じ て ) イ ス ラ ム 勢 力 の 侵入 を 排 除 し た ト ゥ ー ル ・ ポ ワ テ ィ エ ( 732 年 ) の 戦 い 以 来 、
5 独は15世紀以降土地を指すという(Cf. 犬養道子『ヨーロッパの心』(岩波新書)。なお、独については、エルンスト・モーリッツ・アルント「ドイツ語の響くところ、すべて独なれ」がナショナリズムに関連してよく引用される。6 トーマス・マンは、文化国家に独のアイデンティティを求めるが、作品の一部を仏語で書く点に「屈折」があるように思える。7 「民主主義度」を「文明度」の指標と考える傾向は衰えない。とりわけ、独政治研究者にはその傾向は強い。Cf. ユルゲン・コッカ編著『国際比較・近代ドイツの市民』望田幸男監訳(ミネルヴァ書房)8 一定の領域があれば、都鄙の区別が生じる。例えば、日本では「白河以北一山百文」 といった「文明⇔野蛮」の区別がある。Cf. 河西英通『東北 つくられた異境』(中公新書)
8
長 ら く 欧 州 ( 基 督 教 世 界 ) に と っ て 対 イ ス ラ ム 世 界 の 砦 だっ た 。
1.1.5 露 は 欧 州 に 属 す る の だ ろ う か 。 欧 州 と の 親 近 を 強 調す る 西 欧 派 は そ の よ う に 主 張 す る が 、 露 自 体 が ( 単 に 面 積が 大 き い と い う 理 由 だ け で は な い が ) 1 つ の 世 界 ( 西 欧 とは 距 離 を 置 く ス ラ ヴ 派 ) だ ろ う か 。 13 世 紀 来 の 「 タ タ ー ルの 軛 」 ( モ ン ゴ ル 帝 国 = キ プ チ ャ ク ・ ハ ン 国 の 支 配 ) も あり 、 東 ロ ー マ 帝 国 ( 第 2 の ロ ー マ ) 崩 壊 後 に 初 代 露 皇 帝 とな る イ ヴ ァ ン 4 世 ( イ ワ ン 雷 帝 ) が 「 第 3 の ロ ー マ 帝 国 」を 自 称 し て も 、 露 は 18 世 紀 あ た り ま で 、 欧 州 と 見 な さ れ な か っ た と い っ て も い い ( す な わ ち 、 「 半 ア ジ ア 」 で あ っ て 、こ の 場 合 の ア ジ ア は 蔑 称 で あ る ) 。 欧 州 の 「 文 明 」 地 域 の東 端 は 、 チ ェ コ の 首 都 プ ラ ハ や 墺 の 首 都 ウ ィ ー ン あ る い は波 の 首 都 ワ ル シ ャ ワ で あ り 、 こ れ が 20 世 紀 の 冷 戦 を 象 徴 する 「 鉄 の カ ー テ ン 」 の 位 置 と 関 連 し て く る 。 現 在 で は 、 ウラ ル 山 脈 ( 東 経 60 度 ) ま で が 「 欧 州 の 共 通 の 屋 根 」 ( ド ・ゴ ー ル な ど ) で あ る ( ヨ ー ロ ッ パ ロ シ ア ) と い う 理 解 が 流通 し て い る 。 も ち ろ ん 、 こ の 理 解 は す こ ぶ る 政 治 的 で あ る 。
1.1.6 ト ル コ ( 小 ア ジ ア ) は 欧 州 だ ろ う か 。 ト ル コ は欧 米 の 軍 事 組 織 で あ る N A T O ( 北 大 西 洋 条 約 機 構 ) に 加盟 し て い る 。 一 方 で 、 か な り 以 前 か ら E U に 加 盟 申 請 中 だが 、 認 め ら れ な い 。 欧 州 で は な い と い う 感 じ が 残 る よ う であ り 、 そ の 背 景 に は 、 宗 教 ( イ ス ラ ム ) の 問 題 が あ る 。 なお 、 現 在 ト ル コ を 指 す 地 理 的 領 域 は 、 欧 州 の 古 典 を 生 み 出し た 地 域 で も あ っ た 。 そ れ は 、 ま た ロ ー マ 帝 国 分 裂 後 、 希語 を 公 用 語 と し た 「 ロ ー マ 人 の 帝 国 」 = ビ ザ ン ツ ( ビ ザ ンテ ィ ン ) 帝 国 の 中 心 地 域 で も あ り 、 15 世 紀 半 ば 以 降 、 オ スマ ン 帝 国 9 の 中 心 地 域 ( イ ス ラ ム 世 界 ) と な る 。 こ の 地 域で は 、 黒 海 と 地 中 海 の 間 に あ る ボ ス ポ ラ ス 海 峡 ( そ の 「 欧州 側 」 の 部 分 も ト ル コ の 領 土 で あ る こ と に 注 意 ) と 、 そ こに 位 置 す る イ ス タ ン ブ ー ル ( コ ン ス タ ン テ ィ ノ ー プ ル 、 ビザ ン テ ィ ン / ビ ザ ン テ ィ ウ ム / ビ ザ ン テ ィ オ ン ) が 地 政 学( geopolitics ) 上 重 要 で あ る 。
な お 、 そ れ 以 前 を オ ス マ ン と 呼 ぶ 。 「 オ ス マ ン 帝 国 をト ル コ 帝 国 と 呼 ん だ り 、 オ ス マ ン ・ ト ル コ と 言 っ た り す るこ と は 正 し く な い [ 中 略 ] 『 あ の 帝 国 』 に 名 を 付 け る と すれ ば 、 そ れ は 『 オ ス マ ン 』 で あ り 、 そ こ で 活 躍 し て い た のは 、 ト ル コ 系 や ギ リ シ ャ 系 、 ア ル バ ニ ア 系 や セ ル ビ ア 系 の『 オ ス マ ン 人 』 だ っ た 」 10 と い う 指 摘 は も っ と も だ と 考 える か ら で あ る 。 そ し て 、 ト ル コ 人 と は 、 ア ナ ト リ ア の 農 民な ど で オ ス マ ン 人 エ リ ー ト か ら み れ ば 蔑 称 だ っ た 11 。
9 オスマン帝国については、鈴木薫『オスマン帝国』(講談社現代新書)、鈴木薫『オスマン帝国の解体』(ちくま新書)が入りやすい。10 Cf.新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』(青土社)24頁以下。好書である。11 Cf.新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』(青土社)
9
◎ 一 般 の 日 本 人 に は ト ル コ ・ ト ル コ 人 ・ ト ルコ 語 は 馴 染 み が 薄 い 。 し か し 、 ト ル コ ( テ ュ ル ク )系 の 民 族 は 多 い 。 現 在 イ ン ド = ヨ ー ロ ッ パ 語 族 の スラ ヴ 語 族 に 分 類 さ れ る ブ ル ガ リ ア ( ブ ル ガ ー ル 人 )も 元 は テ ュ ル ク 系 だ っ た 。 さ ら に は 、 主 権 国 家 だ けで も 、 ア ゼ ル バ イ ジ ャ ン 、 ト ル ク メ ニ ス タ ン 、 カ ザフ ス タ ン 、 キ ル ギ ス タ ン 、 ウ ズ ベ キ ス タ ン の 主 要 言語 ・ 民 族 は テ ュ ル ク 系 で あ り 、 さ ら に は 、 露 連 邦 内部 の い く つ か の 共 和 国 や 中 国 の 新 疆 ウ ィ グ ル 自 治 区も そ う で あ る 。 ま た イ ラ ン な ど の 周 辺 諸 国 に も 数 多く 居 住 す る 。 ト ル コ か ら 中 国 の 西 側 ま で ユ ー ラ シ ア大 陸 中 央 部 を 東 西 に ( シ ル ク ロ ー ド ) テ ュ ル ク 系 民族 ・ 言 語 が 拡 が っ て い る 。 テ ュ ル ク 系 言 語 を 話 す 人は 1 億 人 を 優 に 超 え る 。 特 色 は 国 境 を 越 え て い る こと で あ る 。 ソ 連 解 体 後 、 ト ル コ 主 導 の 下 、 テ ュ ル ク系 の 連 帯 が 訴 え ら れ た こ と は 新 し い 時 代 の 到 来 を 示し た 。 な お 、 そ の テ ュ ル ク 系 の 帯 の 中 に 、 ペ ル シ ャ系 が 数 多 く い る の も 面 白 い ( イ ラ ン の 他 、 ア フ ガ ニス タ ン 、 タ ジ キ ス タ ン な ど が そ の 代 表 で あ り 、 ク ルド 人 も そ う で あ る ) 。 容 易 に 想 像 で き る よ う に 、 そし て 、 欧 州 で も 東 欧 で 頻 発 す る よ う に 、 周 辺 諸 国 にも 一 定 数 存 在 す る か ら 、 こ う い う 所 で 国 境 を 引 く と 、か な ら ず 民 族 問 題 や 国 境 問 題 が 生 じ る 。
◎ 地 理 環 境 が 政 治 に 及 ぼ す 影 響 は 重 要 だ が 、 地 政 学 ( geopolitics ) は 軍 事 や 権 力 政 治 の 議 論 を 多 く 含 ん だ
た め に 、 一 般 の ア カ デ ミ ズ ム か ら 見 放 さ れ て き た 印象 が あ る 。 し か し 、 現 実 政 治 を 考 え る 上 で は 、 そ の重 要 性 は 無 視 で き な い 。 机 上 の 平 和 論 は 時 に 有 害 です ら あ る 12 。 隣 国 関 係 が 国 際 関 係 の 基 本 で あ る 。 例 えば 、 波 近 現 代 史 の 苦 労 は 、 露 ・ 独 ( ・ 墺 ) と い う 大国 に 挟 ま れ た 環 境 に あ る ( 緩 衝 国 と し て 「 た ま たま 」 生 き 残 る か 、 分 割 さ れ る か の 選 択 し か な い ) 。日 本 が 、 朝 鮮 な ど と は 異 な り 、 中 国 の 歴 代 政 権 ( 皇帝 ) の 支 配 を 受 け ず に 、 程 よ い 文 明 需 要 で 「 済 ま せら れ た 」 一 因 に は 海 峡 の 存 在 が あ る だ ろ う 。 そ う いえ ば 、 日 本 で は 、 外 国 の こ と を 「 海 」 外 と い う 。
◎ サ ッ カ 好 き の 学 生 な ら 、 ト ル コ が ワ ー ル ド カ ップ 予 選 で 欧 州 に 入 っ て い る こ と を 知 っ て い る だ ろ う 。な お 、 イ ス ラ エ ル が 欧 州 予 選 に 入 る の は 、 イ ス ラ ム諸 国 と の 対 戦 を 避 け る た め と い う 政 治 的 配 慮 に よ る 。ス ポ ー ツ の 背 後 に は 、 い つ も 政 治 が 潜 ん で い る 。
12 内容には議論があろうが、林信吾『反戦軍事学』(朝日新書)の示すように、反戦だからこそ軍事学は重要のはずである。
10
1.1.7 仏 は 欧 州 だ ろ う か 。 面 白 い こ と に 、 仏 に つ い て は 、上 述 の よ う な 「 欧 州 」 と の 対 比 が な さ れ な い 。 そ れ は 何 故か 。 地 政 学 上 の 理 由 も あ り 、 ま た 「 文 化 ・ 文 明 の 中 心 」 とい う 側 面 も あ る 。 例 え ば 、 巴 里 大 学 は 、 皇 帝 ・ 法 皇 と 並 んで 、 中 世 三 大 権 威 で あ っ た 。 ま た 、 近 代 で は 、 羅 語 は 知 識人 の 共 通 言 語 で あ り 、 仏 語 は エ リ ー ト ( 王 侯 貴 族 や 外 交官 ) の 共 通 言 語 だ っ た と い う 歴 史 が あ る 。 東 ア ジ ア に お ける 漢 字 ・ 漢 文 ( 漢 籍 ) に 対 応 13 し 、 文 明 の 利 器 で も あ っ た 。
1.2 地 理 ( 人 文 地 理 ) 概 念 と し て の 欧 州
1.2.1 「 欧 州 は 欧 州 半 島 を 主 と す る 地 域 で あ る 」 は 、 同 語 反 復 ( ト ー ト ロ ジ 、 tautology ) で あ り 、 説 明 に は な っ て い ない 。 ど こ ま で が 半 島 と 言 え る の か が 不 明 確 だ か ら で あ る 。
1.2.2 「 欧 州 人 が 住 む と こ ろ が 欧 州 」 と い う の も 同 語 反 復で あ る 。 こ れ よ り は 、 「 白 人 ( コ ー カ ソ ィ ド ) 」 の う ち 、印 = 欧 語 族 の 住 む 所 が 欧 州 だ と す る 理 解 の 方 が ま だ し も 妥当 か も 知 れ な い が 、 印 = 欧 語 族 の 住 む イ ラ ン 14 や 印 の 一 部は 通 例 ア ジ ア に 区 分 さ れ 、 ま た 洪 や 芬 は 「 ア ジ ア 系 」 の 住民 が 住 ん で い る ( こ れ に つ い て は 、 最 近 疑 問 が 呈 せ さ れ てい て 、 そ の 疑 問 の 方 が 正 し い よ う で あ る ) 。 そ れ に 、 加 や豪 、 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド ( 「 原 住 民 」 を 除 く ) な ど と の 区 別も 付 か な く な る の で 、 人 種 概 念 も 用 い づ ら い 。
◎ 民 族 が 文 化 概 念 で あ る の に 対 し 人 種 は 生 物 学、風 の 議 論 な の で 注 意 を 要 す る 。 ど ち ら の 概 念 も そ もそ も 怪 し い が 、 わ か り や す さ が あ る せ い か 、 人 気 は衰 え な い 。 な お 、 「 民 族 」 と い う 言 葉 に は 否 定 的 ニュ ア ン ス も あ る た め 、 ethnicity な ど が 用 い ら れ る が 、「 中 立 の 」 概 念 に よ っ て 、 か え っ て こ う し た 概 念 の「 怪 し さ 」 や 「 い か が わ し さ 」 が 見 失 わ れ る だ ろ う 。
1.2.3 欧 州 内 部 に は 相 当 な 多 様 性 が あ っ て 、 共 通 点 を 見 出す 方 が 難 し い 。 そ れ で も 、 北 欧 、 西 欧 、 南 欧 、 中 欧 、 東 欧と い う 下 位 概 念 は 比 較 的 安 定 し て 用 い ら れ る 。
13 Cf. 斎藤希史『漢文脈の近代』(名古屋大学出版会)、京都大学人文科学研究所附属漢字情報研究センター編『漢籍はおもしろい』(研文出版)14 イランはイスラム教徒の国だが 中近東の中で非アラブの代表国である。だから、イランは、 OPEC(石油輸出国機構)のメンバではあっても、OAPEC(アラブ石油輸出国機構)のメンバではない。
11
1.2.3.1 北 欧 と は 、 ス カ ン ジ ナ ビ ア 半 島 を 中 心 と す る 地 域で あ り ( 丁 、 瑞 、 諾 、 芬 、 ア イ ス ラ ン ド 等 。 最 初 の 3 国 には 歴 史 上 統 一 と 分 裂 を 繰 り 返 し た 歴 史 が あ り 、 ス カ ン ジ ナビ ア 諸 国 と 呼 ぶ ) 、 ゲ ル マ ン 系 ( 芬 な ど を 除 く )、 プ ロ テス タ ン ト ( ル タ ー 派 が 多 い ) 、 寒 冷 気 候 な ど が 比 較 的 共 通し て い る 。 国 の 産 業 構 造 な ど の 違 い は 意 外 に 大 き い が 、 現代 で は 、 い ず れ も 社 会 福 祉 の 充 実 で 知 ら れ て い る 。
1.2.3.2 西 欧 と は 、 狭 義 に は 、 英 、 愛 蘭 、 ベ ネ ル ク ス 3 国( 蘭 = ネ ー デ ル ラ ン ド 、 白 、 ル ク セ ン ブ ル ク の 頭 文 字「 ベ 」 「 ネ 」 「 ル ク ス 」 ) 、 仏 を 含 む 地 域 を 指 し 、 ゲ ル マン 系 と ラ テ ン 系 が 主 だ が 、 欧 州 の 「 原 住 民 」 で あ る ケ ル ト系 が 住 む 点 も 特 色 で あ る ( 愛 蘭 島 の 他 、 グ レ イ ト ブ リ テ ン島 の 西 部 や 北 部 、 仏 の 西 部 な ど 。 隅 に 追 い や ら れ た と い うこ と で あ る 。 ア イ ル ラ ン ド 語 、 ス コ ッ ト ラ ン ド ・ ゲ ー ル 語 、ウ ェ ー ル ズ 語 、 ブ ル ト ン 語 な ど ) 。 宗 教 は 、 プ ロ テ ス タ ント ( 国 教 会 ・ カ ル ヴ ァ ン 派 ) と 公 教 会 が 多 い 。 気 候 ( 西 岸海 洋 性 ) と 比 較 的 豊 か な 土 壌 に 恵 ま れ 、 商 工 業 も 早 く か ら発 達 し て い る 。 遅 く と も 17 世 紀 以 降 20 世 紀 初 頭 に 至 る ま で 、欧 州 の 、 さ ら に は 世 界 の 中 心 で あ り 続 け た 。 欧 州 中 の 欧 州で あ る 。 広 義 の 西 欧 は 、 20 世 紀 の 冷 戦 体 制 下 に お い て 、 北 欧 、 南 欧 お よ び 中 欧 の う ち の 西 独 を 含 め て 、 東 欧 に 対 抗 する 地 域 概 念 と し て 用 い ら れ る 点 が 重 要 で あ る 。
1.2.3.3 南 欧 と は 、 地 中 海 北 側 の 沿 岸 地 域 を 指 し 、 イ ベ リア 半 島 ( 西 、 葡 ) 、 伊 、 希 な ど を 指 す ( 広 義 の 西 欧 の う ちの 南 側 ) 。 ラ テ ン 系 、 公 教 会 が 多 く ( い ず れ も 希 は 例 外 ) 、地 中 海 性 気 候 で あ り 、 平 地 に 乏 し く 、 欧 州 文 明 の 揺 籃 の 地( ギ リ シ ア = ロ ー マ ) と し て 古 く か ら 発 達 し た が 、 総 じ て近 代 化 が 遅 れ 、 近 代 以 降 の 政 治 的 変 動 ( 革 命 騒 ぎ ) が 多 い地 域 で あ る 。 伊 を 除 け ば ( 仏 独 な ど と 戦 後 早 く か ら 共 同 体を 築 こ う と し た こ と の 反 射 的 利 益 だ ろ う ) 、 戦 後 も 独 裁 政権 ( 軍 事 政 権 ) が 続 い た 点 、 国 民 所 得 の 低 さ や 文 盲 率 の 高さ の 点 で 、 到 底 広 義 の 西 欧 に 所 属 す る と は 見 ら れ な か っ たの も 事 実 だ ろ う 。 な お 、 上 述 し た よ う に 、 ピ レ ネ ー 山 脈 は地 政 学 上 重 要 で あ る 15 。
1.2.3.4 中 欧 と は 、 少 々 厄 介 な 概 念 か も し れ な い 。 現 在 の 、独 、 波 、 チ ェ コ 、 ス ロ バ キ ア 、 ス イ ス 墺 、 洪 な ど の、 欧 州中 央 に 位 置 す る 地 域 や 国 々 を 指 し 、 ゲ ル マ ン 系 と ス ラ ヴ 系が 多 い ( 洪 は 異 な る ) 16 。 こ の 中 欧 に 属 す る ス ラ ヴ 系 諸 国
15 仏西の境界線であるピレネー山脈の大西洋側に山脈をまたがるような形で、系統不明が謎とされる民族バスク人が存在する。少数民族ながら(といっても人口は数百万人を数える)、日本人に馴染みのあるフランシスコ・ザビエルなど著名人も多い。Cf.渡部哲郎『バスクとバスク人』(平凡社新書)16 ドボルザークやカフカを思い出せば、スラブ地域における独語の影響力の高さがわかるだろう。ま
12
の う ち 、 波 や チ ェ コ に つ い て は 露 と の 関 係 よ り は 仏 や 独 との 関 係 が 濃 厚 で あ り 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 台 頭 す る 19 世 紀 以降 に あ っ て も 、 汎 ス ラ ヴ 運 動 が 起 こ り に く か っ た 政 治 風 土が あ っ た 。 民 族 よ り 文 明 と い う こ と で あ る 17 。 ワ ル シ ャ ワや プ ラ ハ が 欧 州 ( = 西 欧 ) ら し い 、 つ ま り 露 ら し く な い とさ れ る 理 由 で あ り 、 波 ・ チ ェ コ ・ 洪 は 「 誘 拐 さ れ た 西 欧 」( チ ェ コ の 作 家 ク ン デ ラ ) 18 と い う 主 張 も 同 様 で あ る 。 中欧 で は 、 プ ロ テ ス タ ン ト と 公 教 会 の 人 口 が 比 較 的 バ ラ ン スが よ く 、 狭 義 の 西 欧 と 並 ん で 商 工 業 が 発 達 し た 地 域 で あ る 。中 欧 は 、 西 欧 対 東 欧 と い う 図 式 が 圧 倒 し た 冷 戦 の 影 響 で しば ら く 用 い ら れ な か っ た が 、 冷 戦 が 終 わ る と こ の 概 念 が 復活 し て い る と い っ て い い 。 独 が 西 欧 な の か 中 欧 な の か は 、取 り 上 げ ら れ る 文 脈 に よ る 。 ま た 、 第 一 次 大 戦 前 ま で の 墺の 領 土 と の 関 連 に 注 意 が 必 要 だ ろ う 。
な お 、 こ の 中 欧 概 念 と は 少 し 異 な っ た 中 欧 概 念 が 最 近用 い ら れ て い る 。 波 、 チ ェ コ 、 ス ロ ヴ ァ キ ア 、 ス イ ス 、 墺 、洪 は 共 通 し て い る が 、 独 を 含 ま ず 、 そ の 代 わ り 、 旧 ユ ー ゴス ラ ビ ア の 一 部 ( ス ロ ベ ニ ア 、 ク ロ ア チ ア ) 及 び 旧 ソ 連 のバ ル ト 三 国 ( エ ス ト ニ ア 、 ラ ト ビ ア 、 リ ト ア ニ ア ) を 含 める 。 上 の 中 欧 概 念 に 較 べ 、 バ ル ト 3 国 を 除 け ば 、 ま さ に ハプ ス ブ ル ク 帝 国 の 版 図 で あ る 。
1.2.3.5 東 欧 と は 、 狭 義 に は 露 及 び バ ル カ ン 半 島 ( バ ル カン は ト ル コ 語 で 山 ) 東 南 部 を 指 す 。 ソ 連 邦 及 び ユ ー ゴ ス ラビ ア 崩 壊 後 、 こ の 地 域 の 国 の 数 は 大 幅 に 増 え た 。 ウ ラ ル 山脈 ( 東 経 60 度 ) よ り 西 部 の ヨ ー ロ ッ パ ロ シ ア 19 、 ウ ク ラ イナ 、 ベ ラ ル ー シ 、 エ ス ト ニ ア ・ ラ ト ビ ア ・ リ ト ア ニ ア の バル ト 3 国 、 ク ロ ア チ ア 、 ス ロ ベ ニ ア 、 ボ ス ニ ア ・ ヘ ル ツ ェゴ ヴ ィ ナ 、 セ ル ビ ア 、 モ ン テ ネ グ ロ 、 マ ケ ド ニ ア 、 ア ル バニ ア 、 ル ー マ ニ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 モ ル ド バ が 当 た る が 、 上記 の よ う に 、 一 部 に つ い て は 中 欧 に 含 め る 場 合 も あ る 。 スラ ヴ 系 が 多 く 居 住 す る が 、 ラ テ ン 系 な ど も 多 く 、 し か も 各民 族 が 極 度 に モ ゥ ゼ ィ ク 状 に 居 住 す る 特 色 が あ る 。 宗 教 は公 教 会 か 、 正 統 派 ( オ ー ソ ド ク ス ) ( 各 国 別 に 分 か れ る )が 多 く ( オ ス マ ン 帝 国 の 支 配 も あ っ て 、 イ ス ラ ム 教 徒 も 少
た、Cf.福田宏『身体の国民化』(北海道大学出版会)17 ここでは民族という概念を使用するが、この種の概念を用いる上では、小坂井敏晶『民族という虚構』(東京大学出版会、ちくま学芸文庫は増補)を是非読んでほしい。民族ほど取り扱いの注意が必要な概念もないからである。18 武蔵大学人文学部ヨーロッパ比較文化学科編『ヨーロッパ学入門(改訂版)』(朝日新聞社)62頁19 欧州の範囲についてウラル山脈以西を基準とする考え方がある一方で、(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなどはともかく)、カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス(キルギスタン)といった「中央アジア」の国を、日本の外務省が欧州に分類しているのは面白い。旧ソ連邦に属していたことから、官僚制によくある慣性・惰性に基づく分類だとすれば、外務省の戦略欠如を象徴している。外務省と関連の深い JICA (国際協力機構)が、ウズベ キスタン、キルギス、タジキスタンをアジア(中央アジア・コーカサス)に区分していることと対照的である。サッカで当該諸国がヨーロッパかアジアのいずれに属するのかも面白いテーマだろう。
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な く は な い ) 、 豊 穣 な 黒 海 周 辺 な ど を 除 け ば 農 業 は そ れ ほど 発 達 せ ず 、 全 般 に 工 業 も 西 欧 に 較 べ れ ば そ れ ほ ど 発 達 しな い 。 こ の 東 欧 で は 、 露 と そ の 西 側 の 地 域 と の 区 別 が 重 要で は あ っ た が 、 広 義 の 東 欧 は 、 第 2 次 大 戦 後 、 欧 州 に お ける ソ 連 の 勢 力 圏 内 地 域 を 指 し 、 中 欧 の 東 側 、 つ ま り 、 東 独 、波 、 チ ェ コ 、 ス ロ バ キ ア 、 洪 を 含 め た 地 域 を 指 し た ( 歴 史家 ジ ャ ッ ト な ど の 言 葉 を 用 い れ ば 、 こ の 地 域 は 「 中 東 欧 」と な る の だ ろ う 20 ) 。 従 っ て 、 こ れ ら の 国 は 中 欧 と 東 欧 の間 で ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 模 索 す る こ と に な る 21 。 そ し て 、い わ ゆ る 東 欧 革 命 ( 1989 ) 後 、 つ ま り 欧 州 で の 冷 戦 が 終 了後 、 新 た な ア イ デ ン テ ィ テ ィ の 模 索 が 始 ま っ て い る 。 そ れが E U 加 盟 申 請 と 結 び つ く 。
な お 、 狭 義 の 東 欧 を さ ら に 小 さ く し た 東 欧 概 念 も あ る 。ヨ ー ロ ッ パ ロ シ ア 、 ウ ク ラ イ ナ 、 ベ ラ ル ー シ な ど で あ る 。従 っ て 、 こ の 場 合 に は 、 中 欧 に も 狭 義 の 東 欧 に も 属 さ な い地 域 を 東 南 欧 と す る 。 ル ー マ ニ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 セ ル ビ ア 、ボ ス ニ ア = ヘ ル ツ ェ ゴ ヴ ィ ナ 、 モ ン テ ネ グ ロ 、 ア ル バ ニ アに 、 ( 上 記 は 南 欧 に 含 め て い る ) 希 を 加 え た も の で あ る 。オ ス マ ン 帝 国 に 長 く 支 配 さ れ て い た 地 域 と い う 共 通 点 が あり 、 バ ル カ ン ( 諸 国 ) と い え ば こ の 地 理 区 分 を 指 す 。
◎ ス ラ ヴ は 、 言 語 分 類 ( ス ラ ヴ 語 派 ) で は 、 東ス ラ ヴ 語 群 ( 露 語 、 ウ ク ラ イ ナ 語 、 ベ ラ ル ー シ 語 など ) 、 西 ス ラ ヴ 語 群 ( チ ェ コ 語 、 ス ロ ヴ ァ キ ア 語 、波 語 ) 、 南 ス ラ ヴ 語 群 ( ブ ル ガ リ ア 語 、 セ ル ヴ ィ ア語 ) に 分 類 さ れ る 。 た だ 、 こ の 言 語 分 類 よ り も 、 西ス ラ ヴ 語 群 が カ ト リ ク で 羅 文 字 ( 露 語 な ど は キ リ ル文 字 ) を 使 っ て い る 点 が 重 要 で あ る 。 西 欧 と 同 じ だか ら で あ る 。 な お 、 ゲ ル マ ン 、 ロ マ ン ス 、 ス ラ ヴ とい う 大 別 は 言 語 分 類 を 基 本 と す る 22 。
1.2.4 欧 州 内 部 で も 経 済 発 展 の 度 合 い は 相 当 に 異 な る 。 欧 州 の 発 展 の 中 心 地 は 、 歴 史 的 に は 地 中 海 か ら イ ベ リ ア 半島 、 蘭 ( ベ ネ ル ク ス 三 国 ) 、 仏 英 、 独 な ど へ と 移 動 す る、 。現 在 の 欧 州 で 発 達 し て い る の は 、 北 伊 か ら 独 西 部 、 仏 北 部 、ベ ネ ル ク ス 三 国 を 経 て 、 英 倫 南 部 に 至 る 「 バ ナ ナ 型 」 の 地域 ( 「 黄 金 の バ ナ ナ 」 と も い う ) で あ る ( → 地 図 ) 。 逆 に言 え ば 、 経 済 的 に は 、 新 聞 報 道 に あ る よ う に 、 P I G S ( Portugal, Italy, Greece, Spain の 南 欧 4 カ 国 ) あ る い は P I I G S ( P
20 Cf.トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上、森本醇訳、下、浅沼澄訳(みすず書房)21 オスカー・ハレツキ『ヨーロッパ史の時間と空間』鶴島博和訳者代表(慶應義塾大学出版会)は、この地域(ロシアより西側とい意味ではもう少し広い地域)の歴史が軽視されてきたことを告発する。とりわけ、この地域こそが、ヨーロッパを「アジアから守り抜いた」からである(第6章)。22 三省堂から、清水誠『ゲルマン語入門』、町田健『ロマンス語入門』、三谷惠子『スラブ語入門』のシリーズが出ている。清水著は入門ではなく、本格的で、三谷著はやは本格的、町田著はまさに入門書。清水著は歴史、政治への配慮があって、ゲルマン研究らしさがある。町田著は系統への言及が少ないといった特徴がある。
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I G S に Ireland を 加 え る ) が E U の お 荷 物 と な っ て い る( 現 在 は 特 に 希 に 注 目 が 集 ま っ て い る ) が 、 今 後 も 拡 大 につ れ 、 お 荷 物 は 増 え る 。
◎ 「 発 展 す る 欧 州 」 と 「 停 滞 す る ア ジ ア 」 と い う 図 式 は 、 マ ル ク ス や ウ ェ ー バ ー に も 見 ら れ る 23 。 18 世
紀 に は 、 ヴ ォ ル テ ー ル や モ ン テ ス キ ュ ー な ど 、 宗 教 と道 徳 あ る い は 文 化 や 統 治 倫 理 の 点 で 東 洋 民 族 が 優 る とい う 議 論 が 一 時 期 流 行 し た こ と も あ る が 、 1500 年 以 降を 考 え れ ば 、 欧 州 は 先 進 地 域 の 1 つ と な り 、 と り わ け19 世 紀 以 降 は 世 界 を 席 巻 す る た め 、 発 展 す る 欧 州 と いう イ メ ー ジ は 近 代 以 降 の 欧 州 人 に と っ て は 自 然 で は ある 24 。 但 し 、 国 民 総 生 産 で は 、 少 な く と も 19 世 紀 中 頃ま で 、 中 国 と 印 が 総 量 で は 欧 州 を 圧 倒 し て い た 25 。
1.2.5 欧 州 が 地 理 上 ど こ を 指 す の か は 、 詰 ま る と こ ろ 、 時代 に よ り 論 者 に よ り 異 な る 。 欧 州 は 動 く 。 地 理 的 概 念 だ けで は 欧 州 が 決 ま ら ず 、 次 の 文 化 的 概 念 と あ わ せ て 考 察 す る必 要 が あ る 。
1.3 文 化 的 概 念 と し て の ヨ ー ロ ッ パ
1.3.1 よ く 用 い ら れ る 文 化 的 定 義 に 従 え ば 、 欧 州 と は 、( 1 ) ギ リ シ ア = ロ ー マ の 文 明 ・ 文 化 継 承 、 ( 2 ) 基 督教 、 ( 3 ) ゲ ル マ ン 社 会 の 3 つ の 要 素 か ら な る 地 域 で ある ( 3 に つ い て は 異 論 が あ り う る ) 。
1.3.1.1 第 1 の 「 ギ リ シ ア = ロ ー マ ( 古 典 ) の 文 化 継 承 」は 、 正 当 化 イ デ オ ロ ギ で あ る 26 。 多 か れ 少 な か れ 、 ギ リ シア = ロ ー マ 文 明 ・ 文 化 ( ク ラ シ ク = 古 典 と は 、 希 ・ ロ ー マの 文 芸 な ど を 意 味 す る ) の 継 承 と い う 点 で は ’、 putative heir’ ( putative : 推 定 の 、 想 像 上 の 、 heir : 相 続 人 ) だ か ら で あ る 。
23 Cf. フレデリック・シャボー『ヨーロッパの意味』清水純一訳(サイマル出版社)24 欧州中心史観への批判・問題提起では、エドワード・E・サイード『オリエンタリズム』今沢紀子訳(平凡社)がよく読まれている。尤も、日本にも同様の発想があった。Cf.武藤秀治郎『近代日本の社会科学と東アジア』(藤原書店)、欧米列強が掲げる国際政治ゲィムの「文明国標準」に従えば、日本は他のアジア諸国との差異化を図らざるを得ないからである。Cf. 酒井一臣『近代日本外交とアジア太平洋秩序』(昭和堂)、なお、松田宏一郎『江戸の知識から明治の政治へ』(ぺりかん社)は学生時代に読んでほしい1冊である。25 マイケル・マン『ソーシャルパワー:社会的な<力>の世界歴史Ⅱ 階級と国民国家の「長い 19世紀」上』森本醇・君塚直隆訳(NTT出版)268頁、表8-126 「黒いアテナ」が話題となっている。歴史的事実かどうかは検証を待つよりないが、白人優位型の人種差別論の中和剤としての意味はある。Cf. マーティン・バナール『黒いアテナ』上下、金井和子訳(藤原書店)
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も ち ろ ん 、 背 景 に は 希 ( デ ィ モ ク ラ シ ) 対 ペ ル シ ャ ( 専 制政 治 ) と い う 政 治 神 話 も あ る 。 オ リ エ ン ト ( ペ ル シ ャ ) との 覇 権 争 い と い う 歴 史 的 背 景 も あ る が 、 オ リ エ ン ト と の 対比 で 欧 州 概 念 が つ く ら れ た 側 面 は 強 い 。 ま た 、 中 世 で は 、ギ リ シ ア = ロ ー マ の 古 典 は ア ラ ビ ア 世 界 で 読 ま れ 、 十 字 軍を 通 じ て 欧 州 に 伝 播 さ れ た の も 事 実 で あ る 。 と も あ れ 、、英 国 の 大 学 の 伝 統 に は 、 「 地 中 海 文 化 と 結 び つ く も の だ けが 、 学 問 の 対 象 と な る 」 27 が あ る が 、 ま さ に イ デ オ ロ ギ であ る 。 夷 荻 の 王 朝 で あ る 清 朝 時 代 に 朝 鮮 や 日 本 で 古 典、 、( 儒 教 ・ 儒 学 ) = 中 華 の 正 統 な 継 承 者 争 い が あ っ た こ と と似 て い る だ ろ う 28 。
1.3.1.2 第 2 の 「 基 督 教 」 は 、 欧 州 の 地 で 生 ま れ て は い ない ( ヘ ブ ラ イ ズ ム ⇔ 希 を 指 す ヘ レ ニ ズ ム ) の に 、 何 故 欧 州的 な の か は あ ま り 問 わ れ な い 。 こ の 点 に つ い て は 、 ロ ーマ ・ カ ト リ ク 教 会 と 東 方 教 会 と の 覇 権 争 い も 関 係 し て い るが 、 「 基 督 教 共 同 体 」 ( あ る い は 「 基 督 教 共 和 国 」 ) と して の 欧 州 と い う イ メ ー ジ は ( 18 世 紀 以 降 、 世 俗 化 = 脱 宗 教化 が 進 行 し 、 と り わ け 第 二 次 大 戦 後 、 そ の 度 合 い は 相 当 に高 ま る ) 濃 厚 に 残 る 。 こ の 概 念 は 、 一 方 で 「 社 会 主 義 」 陣営 に 対 す る 象 徴 と し て 機 能 し ( 特 に 1945 年 以 降 ) 、 他 方 で 、長 ら く オ ス マ ン 帝 国 に 対 す る 、 現 在 で は イ ス ラ ム 世 界 に 対す る 象 徴 と し て 機 能 し て い る 。 「 基 督 教 共 同 体 」 と し て 欧州 社 会 は 一 体 的 で あ り 続 け て い る と い え そ う で あ る 。
1.3.1.3 第 3 の 「 ゲ ル マ ン 社 会 」 と は 、 欧 州 の 下 地 とな っ た 社 会 を 指 す 。 英 に し て も 仏 に し て も ゲ ル マ ン 系 住、 、民 が 「 先 住 民 」 を 押 し の け な が ら 移 住 し そ の ゲ ル マ ン 系、住 民 が ロ ー マ 化 し て 欧 州 の 原 型 が 作 り 出 さ れ た そ の 点 で。は ロ ー マ に 征 服 さ れ な か っ た 独 が 、 神 聖 「 ロ ー マ 」 帝 国、を 名 乗 る ( 962 年 オ ッ ト ー 1 世 が ロ ー マ 教 皇 よ り 皇 帝 位 を 戴く ) こ と の 象 徴 的 意 味 も 重 要 で あ る 。
1.3.2 こ う し て 作 ら れ た 欧 州 社 会 は 特 に 近 代 以 降 、 非 欧、州 地 域 に 進 出 し 、 世 界 を 席 巻 す る 29 。 20 世 紀 に な る と 、 欧 州の 「 鬼 っ 子 」 た る 米 と ソ 連 が 欧 州 に 代 わ っ て 世 界 を 主 導 する こ と に な る 。 欧 米 と い う 言 葉 が あ る が 、 欧 州 と 米 は 相 当に 異 な る 構 造 を 持 つ 社 会 で あ る 。 と り わ け エ リ ー ト の 間 で
27 Cf. 和田俊『ヨーロッパを織る』(中公新書)、吉田健一『ヨオロッパの世紀末』(筑摩叢書他)28 日本政治思想史については、渡辺浩『日本政治思想史』(東京大学出版会)が入りやすい。他には、Cf.宮村治雄『日本政治思想史』(NHK出版)、渡辺浩『近世日本社会と宋学』(東京大学出版会)などもお薦めである。最近の方が良書が多いという印象が強い。29 物から歴史を見るというのも洒落た方法だろう。Cf.角山栄『茶の世界史』(中公新書)、臼井隆一郎『コーヒーが廻り 世界史が廻る』(中公新書)、川北稔『砂糖の世界史』(岩波書店)、武田尚子『チョコレートの世界史』(中公新書)、伊藤章治『ジャガイモの世界史』(中公新書)はそれぞれ面白い。なお、竹田いさみ『世界史をつくった海賊』(ちくま新書)もいい。
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は 、 双 方 必 ず し も 好 意 を 持 っ て い る わ け で は な い 点 に 注 意を 要 す る 。 米 は 欧 州 の 歴 史 に 憧 れ な が ら 、 そ の 封 建 的 な 社会 の あ り 方 を 否 定 し 、 欧 州 は 米 の 豊 か さ に 憧 れ な が ら そ、の 単 純 な 社 会 の あ り 方 を 小 馬 鹿 に す る 両 者 の 関 係 を 近 親。憎 悪 と い え ば 怒 ら れ る だ ろ う が 、 総 じ て 当 た っ て い る だ ろう 。
問 題 ) そ も そ も 日 本 は ア ジ ア か 。 何 故 そ う 言 え るの か 、 誰 が 分 類 し た の か 。 日 本 に と っ て 中 国 は 、欧 州 に と っ て の ギ リ シ ア = ロ ー マ の よ う な 存 在 だと い え る か 。 日 本 は 、 東 ア ジ ア で は な く 、 太 平 洋地 域 = オ セ ア ニ ア ( 島 嶼 地 域 、 オ ー ス ト ロ ネ シア ) の 中 で 、 そ の オ セ ア ニ ア の 中 で 、 ( 比 較 的 近年 の 台 湾 を 除 き ) 随 一 と い っ て い い ほ ど 「 中 国化 」 さ れ た 地 域 と い う 特 殊 性 が あ る 。 な お 、 琉 球( 王 国 ) は 、 日 本 以 上 に 中 国 化 さ れ て い る だ ろ う 。儒 教 文 化 圏 な ど と い う 議 論 と は 別 に 、 文 化 人 類 学と し て の 島 嶼 文 化 ・ 文 明 を 考 え て も い い 。
2 歴 史 30
2.1. 歴 史 と 歴 史 家
2.1.0 歴 史 は 歴 史 家 の 描 く よ う に は 進 ん で い な い こ と が 実は 多 い 。 史 観 は わ か り や す い の で 人 気 が あ る し 、 説 明 に は何 か と 便 利 な の だ ろ う が 、 近 代 主 義 的 な 進 歩 史 観 で あ れ 、皇 国 史 観 や 唯 物 史 観 で あ れ 、 弊 害 が 大 き い だ ろ う 。 特 に 、一 旦 、 史 観 が 受 け い ら れ る と 、 多 く の 学 者 や 歴 史 好 き の 間で 蔓 延 り 、 ( 弟 子 を 含 め ) 再 生 産 さ れ る だ け に 、 厄 介 で あ
30 「歴史とは何か」は論じ続けられてきた問題である。理屈を考えずに古典・名著を読むのもいいが、以下の文献を参照(邦訳のない名著が多くて紹介できず残念)。エドワード・ハレット・カー『歴史とは何か』清水幾太郎訳(岩波新書)、デイヴィッド・キャナダイン『いま歴史とは何か』平田雅博、岩井淳、菅原秀二、細川道久訳(ミネルヴァ書房)、(サー)・ジョフリー・ルドルフ・エルトン『政治史とは何か』丸山高司訳(みすず書房)、シュテファン・ツヴァイク『歴史の決定的瞬間』辻ひかる訳(白水社)、シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』1・2、原田義人訳(みすず書房)、レオンハルト・ライニッシュ編『歴史とは何か』田中元訳(理想社)、升味準之輔『なぜ歴史は書けるか』(千倉書房)、岡田英弘『世界史の誕生』(筑摩書房)、岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書)、三谷博『明治維新を考える』(有志舎)序章他…。また、近年の歴史教科書の変化については、山本博文ほか『こんなに変わった歴史教科書』(新潮文庫)が便利かも知れない(面白いことに、記述のあちこちが講座派風である)。磯田道史『歴史の愉しみ方』(中公新書)は歴史好きらしいエセィである。なお、読むのが苦手なら、写真がある。Cf.ニック・ヤップ著、ナショナル ジオグラフィック/ゲッティ イメジズ写真『世界を変えた100日』村田綾子訳(日経ナショナルジオグラフィック社)
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る 。 史 観 は 所 詮 過 度 の 単 純 化 に 過 ぎ な い 。
◎ 歴 史 は の 面 白 さ は 若 い と き に は 分 か り づ らい か も 知 れ な い ( 戦 国 武 将 や 新 撰 組 が 好 き だ と い う のは こ こ で い う 歴 史 好 き で は な い ) 。 し か し 、 加 齢 に 伴い 、 歴 史 が 面 白 く な る 。 お そ ら く は 、 自 分 に 歴 史 が 作ら れ て い き 、 他 人 の 生 き 様 ・ 死 に 様 に 関 心 を 抱 き 、 世の 中 と 距 離 を お い て 物 事 を 観 ら れ る よ う に な り 、 さ らに は 責 任 あ る 立 場 や 地 位 に 就 任 し て 、 歴 史 上 登 場 す る人 物 に 共 感 を 抱 け る よ う に な る か ら だ ろ う 。
2.1.1 「 歴 史 と は 何 か 」 に つ い て は 、 古 来 よ り 現 代 ま で様 々 な 議 論 が あ る 。 歴 史 は 神 や 人 権 な ど の 「 社 会 的 事 実 」を 含 む 過 去 の 事 実 を 扱 う に し て も 、 す べ て の 「 事 実 」 が 歴史 な い し 歴 史 学 の 対 象 と は な ら ず 、 完 全 な 再 現 は 不 可 能 であ る 。 そ こ に は 歴 史 家 に よ る 事 実 の 取 捨 選 択 が あ る 31 。「 す べ て の 歴 史 は 現 代 史 で あ る 」 32 と い え る か ど う か は わか ら な い に し て も 、 「 歴 史 を 知 る 前 に 、 歴 史 家 を 知 れ 」 33
と な る 。
◎ 適 切 な 例 で は な い か も 知 れ な い が 、 歴 史 書 は プロ 野 球 ニ ュ ー ス に 似 て い る 。 実 際 の 試 合 は 編 集 さ れ て 、提 供 さ れ る か ら で あ る 34 。 プ ロ 野 球 ニ ュ ー ス で は 、 ホゥ ム ラ ン や ピ ッ チ ャ の 好 投 、 逆 転 シ ー ン な ど が 中 心 に報 道 さ れ る 。 歴 史 に も そ う い う と こ ろ が あ る 。 だ か らこ そ 、 一 般 人 の 日 常 生 活 ( 野 球 で い れ ば 、 ピ ッ チ ャ の一 球 一 球 、 打 者 の 一 振 り が 忘 れ ら れ や す い 。
2.1.2 歴 史 が 学 問 で あ る 限 り 、 歴 史 家 が 歴 史 を 書 く 上 では 主 題 が あ り 、 ま た 主 題 に 基 づ い て 物 語 る 側 面 は 否 定 で きな い 。 逆 に 言 え ば 、 歴 史 家 は 歴 史 を 書 く 際 に 、 事 実 の 取 捨選 択 に よ り 多 く の 事 実 を 省 略 す る 。 書 か れ な い こ と 、 語 られ な い こ と は 存 在 し な か っ た の で は な く 、 一 方 で 、 書 か れ
31 Cf. 樺山紘一『地中海』(岩波新書)第1章32 Cf. ジェフリ・バラクラフ『現代史序説』中村英勝、中村妙子訳(岩波書店)33 Cf. エドワード・ハレット・カー『歴史とは何か』清水幾太郎訳(岩波新書)。岡田英弘『歴史とは何か』(文春新書)は、好みもあろうが、岡田さんの史料の読み方は面白い。岡田英弘『倭国』(中公新書)もなるほどと思う部分が多くて、参考になる。なお、最近「中国化する日本」(中味よりもネーミングが先行した嫌いがあり、議論も少々雑に思える)で注目されている與那覇潤の対談・対論は面白かった。與那覇潤『史論の復権 與那覇潤対論集』(新潮新書)は対談の相手次第で玉石となっている。それよりも東島誠、與那覇潤『日本の起源』(太田出版)の方が考えるヒントに溢れているだろう。座談の名手というよりは情報処理の名手という印象である。34 例えば、中高生向けの書かれた本に、マンフレッド・マイ『50のドラマで知る ヨーロッパの歴史』小杉尅次訳(ミネルヴァ書房)がある。読みやすいのだろうが、欧州統合、ナショナリズム、ディモクラシについては賛美などの単純なストーリが目立つ(訳者解説にあるほど、ユニークな本はない)。著者は本来小説家ということだが、それにしても単純な歴史観である。
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て い る こ と 、 語 ら れ る こ と が 事 実 だ と は 限 ら な い 。 ま た 、歴 史 に 限 ら ず 、 一 般 に 、 史 料 ・ 資 料 は 作 成 者 の 利 益 に な るよ う に 作 成 さ れ 、 利 益 に な る 人 の 手 元 に 残 る 点 に も 注 意 が必 要 で あ る 。
◎ history は 希 語 で 知 る こ と 、 学 ぶ こ と で story と 同 源で あ る 。 こ れ に 対 し 、 独 語 の Geschichte ( 歴 史 ) は geschehen ( = 起 こ っ た ) こ と を 指 す 。
2.1.3 歴 史 が 歴 史 家 に よ っ て 作 ら れ る と わ か っ た と し ても 、 客 観 的 事 実 の 存 在 に 悲 観 的 に な る よ り は 、 独 り よ が りな 主 観 的 事 実 の 回 避 、 す な わ ち 事 実 へ の 敬 意 ( = 断 定 の 回避 ) が 求 め ら れ る 。 良 い 歴 史 家 、 よ く 勉 強 し て い る 歴 史 家は 、 間 延 び は す る に し て も 、 必 ず 留 保 条 件 を つ け な が ら 叙述 す る も の で あ る ( understatement = 緩 叙 法 の 美 学 。 こ の 場 合は レ ト リ ク で は な く 、 表 現 の 文 体 ぐ ら い の 意 味 ) 。 そ う いえ ば 、 玄 人 が 沈 黙 す る と こ ろ 、 素 人 が 断 定 す る ( ハ バ カク ) と い う の が あ る 。 記 憶 に 値 す る だ ろ う 。
◎ 歴 史 は 時 系 列 に 書 か れ る A が あ っ て B が 起 こ っ。た と す る A は B の 原 因 だ と 考 え ら れ る 場 合 も 、。 A か
ら B が 生 じ た こ と と 、 A か ら B が 必 ず 生 じ た は ず だ と い う こ と と は 異 な る 。 前 後 関 係 は 必 ず し も 因 果 関 係 で は な い 。 C か ら A が 起 こ り 次 に C か ら B が 起 こ っ た、
場 合 C に 着 目 し な け れ ば 、 A か ら B が 生 じ た よ う に、見 え る か ら で あ る こ の 場 合 A と B は せ い ぜ い。 、 相 関 関
係 に 、 そ し て し ば し ば ( 紙 お む つ が 売 れ る と こ ろ で はビ ー ル が 売 れ る と い っ た ) 偽 り の 相 関 関 係 に あ る だ けで あ る 。 相 関 関 係 を 因 果 関 係 に 読 み 替 え る の は 、 人 間の 認 識 パ タ ン が も た ら す 癖 な の だ ろ う 。
2.1.4 歴 史 家 は 多 く の 史 料 ・ 資 料 か ら 事 実 を 選 択 し 、 事実 を 並 べ 直 し て 歴 史 を 書 く 。 そ の 際 、 「 来 歴 」 35 、 す な わち 、 そ の 集 団 の 「 本 来 あ る は ず の 姿 」 、 「 由 緒 」 を 特 に 抽出 し 、 叙 述 の 柱 に し て 述 べ る 傾 向 が あ る 。 例 え ば 、 ア メ リカ は 、 迫 害 を 受 け た 自 由 人 が 契 約 に よ っ て 造 っ た 国 だ 36 とす る 。 こ こ に 、 歴 史 は 神 話 と 接 近 す る 。
◎ 現 在 で も 、 中 国 や 韓 国 に は 、 日 本 や 欧 州 で 一 般 に 想 定 さ れ る よ う な 歴 史 は 存 在 し な い と 考 え た 方 が い い か も し れ な い 。 存 在 す る の は 、 歴 史 で は な く 、 「 正 史 」 ( だ け ) な の だ ろ う 。 す な わ ち 、 歴 史 が 、 あ る い
35 Cf. 坂本多加雄『象徴天皇制度と日本の来歴』(都市出版)36 Cf. ハンナ・アレント『革命について』志水速雄訳(中央公論社他)
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は 歴 史 学 が 、 政 治 ( 要 す る に 、 権 力 = 政 府 ) に 従 属 す る 。 日 本 に せ よ 、 欧 州 、 米 に せ よ 、 同 様 の 偏 り が あ る
こ と は 否 定 で き な い が 、 政 権 と 歴 史 家 と の 距 離 は 一 定程 度 置 か れ て い る 。 日 本 と 中 国 や 韓 国 の 間 の 歴 史 認 識の 違 い は 、 ま さ に 事 実 を め ぐ る 議 論 で は な く 、 認 識 の違 い で あ り 、 政 治 的 認 識 の 違 い で あ る 37 。 塩 野 七 生 がい う よ う に 、 日 韓 ・ 日 中 の み な ら ず 、 日 米 、 日 英 、 日豪 な ど で も 歴 史 共 同 研 究 を 行 え ば 、 日 韓 や 日 中 の 共 同研 究 を 相 対 化 で き 、 「 比 較 す る こ と で よ り 明 ら か に なっ て く る 実 態 を 、 日 本 人 だ け で な く 、 韓 国 人 も 中 国 人も 自 ら の 眼 で 直 視 で き る 、 と い う メ リ ッ ト 」 が 生 ま れる 。 「 [ 日 韓 や 日 中 の ] 会 議 で は 怒 号 と 卓 を は げ し くた た く 音 で 終 始 す る の に 、 な ぜ 別 の 会 議 で は 、 話 が 静か に 学 問 的 な 雰 囲 気 の う ち に 進 む の か 」 が わ か る 利 点で あ る 。 そ れ に 、 も ち ろ ん 、 「 わ れ わ れ 日 本 人 が 成 熟す る 」 と い う メ リ ト も 生 ま れ る こ と に な る 38 。
2.1.5. 何 か の 基 準 を 立 て る と 、 歴 史 は 安 定 と 変 化 の 繰 り返 し に 見 え る 39 。 歴 史 は 固 有 現 象 だ ろ う が 、 人 間 は 一 般 化す る 言 葉 で 固 有 現 象 を 理 解 す る か ら 、 そ の 固 有 性 も 程 度 問題 で は あ る 。 一 般 性 の 中 の 固 有 性 で あ り 、 固 有 性 の 中 の 一般 性 で あ る 。 た だ 、 歴 史 に 科 学 を 見 い だ し た い 人 は 、 法 則の 発 見 に 固 執 す る 。 一 方 で 、 歴 史 叙 述 で は 、 安 定 ( 構 造 ) よ り も 変 化 ( 過 程 ) が 好 ま れ る 。 お そ ら く 、 変 化 ( 過 程 )の 方 が 、 そ し て そ の 変 化 が 革 命 と も な れ ば 、 な お さ ら 、 面白 い か ら で あ る 40 が 、 後 者 の 方 が 大 切 で あ る わ け で は な い 。革 命 に 血 湧 き 肉 躍 る の は 、 一 面 で 自 己 満 足 で あ り 、 革 命 は 、 革 命 家 で あ れ 、 知 識 人 で あ れ 、 エ リ ー ト の 所 産 で あ っ て 、ど れ ほ ど 学 者 や マ ス コ ミ が 「 民 主 化 」 と 呼 ん で も 、 結 局 、振 り 回 さ れ 、 迷 惑 を 蒙 る の は い つ も 庶 民 で あ る 。
◎ The past does not repeat itself, but it rhymes. ( Mark Twain 、 よ く 引 用さ れ る の だ が 、 出 典 が わ か ら な い よ う で あ る )
2.2. 時 代 区 分
37 櫻井よし子他『日中韓 歴史大論争』(文春新書)を読むと、日本と中国・韓国の論者の議論のズレがよくわかる。ただ、それでも、双方に相当辛辣な言葉を浴びせかけているにも拘わらず、対論が続いたことに意義があるのだろう。38 塩野七生『日本人へ 国家と歴史篇』(文春新書)47頁以下39 安定( stability と equilibrium の異同)については、Cf. エドモンド・R・リーチ『高地ビルマの政治体系』関本照夫訳(弘文堂)の序文(Cf.政治学)。なお、Cf.M.ブキャナン『歴史の方程式』水谷淳訳(早川書房)40 Cf.エドワード・ハレット・カー『歴史とは何か』(岩波新書)
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2.2.1 歴 史 が 連 続 し た 時 間 を 扱 う 限 り 41 、 時 間 に は ど こ にも 物 理 的 な 区 切 り 目 な ど な い は ず で は あ っ て も 、 昔 と 今 とで は や は り 何 か が 、 ど こ か が 異 な っ て い る こ と は 了 解 さ れや す い か ら 、 時 代 区 分 は 肯 定 さ れ る 42 。
2.2.2 歴 史 家 は そ の 主 題 や 主 張 に 応 じ て 、 時 間 を 時 代と し て 区 分 す る 。 従 っ て 、 標 準 的 な 時 代 区 分 は あ り え て も 、決 定 版 と な る 時 代 区 分 は 存 在 し 得 な い 。 例 え ば 、 「 人 類 の歴 史 は 、 原 爆 が 誕 生 し た 1945 年 の 前 後 で 分 け ら れ る 」 と いう 考 え 方 が あ っ て も い い 43 。
2.2.3 革 命 や 政 権 交 替 が あ る と 、 新 し い 統 治 者 は 時 代が 変 わ っ た こ と を 強 調 し 、 ま た 多 く は 革 命 や 政 権 交 替 以 前が 暗 黒 の 時 代 で あ り ( 福 沢 諭 吉 風 に 言 え ば 、 封 建 制 は 親 の仇 ) 、 今 や 良 い 時 代 に な り 始 め た と 主 張 す る 。 例 え ば 、 仏革 命 は 革 命 の 代 表 だ ろ う が 、 行 政 上 の 構 造 を 変 え て い ない 44 な ど 政 治 構 造 上 の 変 化 は 見 ら れ な い 。 仏 国 人 の 革 命 贔屓 か ら 距 離 を 置 く の は 簡 単 で は な い 。 そ れ で は 、 仏 革 命 の何 が 革 命 に 値 す る と い え る の だ ろ う か 。
問 題 ) 革 命 が 構 造 の 変 化 を 意 味 す る の な ら 、 社会 や 政 治 ( 統 治 ) の 構 造 が 短 期 的 に 変 わ る と い う意 味 で の 革 命 は 果 た し て 存 在 す る の だ ろ う か
2.2.4 「 社 会 が 進 歩 す る 」 と い う 考 え 方 に 多 く の 人 はカ タ ル シ ス を 得 る の で 、 そ の 種 の 言 説 ( discourse ) に 魅 了 され る が 、 証 明 さ れ な い 命 題 で あ る 。 自 分 に 責 任 の な い ( 自分 が 選 択 し て い な い ) 事 柄 を 根 拠 に 差 別 さ れ る こ と が な くな る / 減 る 、 あ る い は 不 利 益 を 被 る こ と が な く な る / 減 るこ と が 、 歴 史 の 進 歩 を 示 す ( 市 井 三 郎 ) 45 と い う の は 相 当魅 力 的 な 考 え 方 だ が そ れ で も 、、 こ の 測 定 基 準 と し て 有 力な 候 補 で す ら 、 歴 史 の 進 歩 を 測 定 す る 一 般 基 準 と は 言 い 難い 。
41 時間の観念については、Cf.真木悠介『時間の比較社会学』(岩波書店)、最近岩波現代文庫から出たようである。また、アダム・ハート=デイヴィス『時間の図鑑』日暮雅通訳(悠書館)のような本はヒントに溢れている。同書第2章のタイムとテンスの区別、あるいは第7章の「昔」と「古」の区別は歴史叙述に参考になる。42 井上章一『日本に古代はあったのか』(角川選書)の議論をそのまま受け入れられないとしても、時代区分を考える上で参考になる。43 Cf.ハンナ・アーレント『人間の条件』志水速雄訳(ちくま学芸文庫)の最初の部分。国民にとってかどうかはわからないが、昭和 45 年 11月 25日(三島由紀夫が自決した日)も衝撃的だった。Cf.中山右介『昭和45年11月25日』(幻冬舎新書)44 Cf. アレクシス・ドゥ・トクヴィル『旧体制と大革命』小山勉訳(ちくま学芸文庫)45 Cf. 市井三郎『歴史の進歩とは何か』(岩波新書)
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2.2.5 歴 史 を 知 る 利 点 が あ る と す れ ば 、 異 な る 時 代 異、な る 場 所 に は 、 異 な る 社 会 の あ り 方 が 存 在 し た こ と を 知り 自 省 の 素 材 と す る こ と だ ろ う 。、 歴 史 を 教 訓 と せ よ と いう 本 が 、 俗 っ ぽ い も の か ら 学 術 書 46 ま で 毎 年 の よ う に 出 版さ れ る が 、 歴 史 は 教 訓 に は な ら な い だ ろ う 。 そ れ で も 、 自省 に は 歴 史 を 学 ぶ よ り な い 。
2.3. ヨ ー ロ ッ パ 政 治 史 の 特 色
2.3.1 欧 州 政 治 史 の 特 色 は 、 何 よ り も そ の 歴 史 が 他 地 域 の歴 史 の 模 範 事 例 ( モ デ ル ) あ る い は 進 歩 や 発 展 の 測 定 基 準と 見 な さ れ て き た 点 に あ る 。 換 言 す れ ば 、 欧 州 の 歴 史 の 固有 性 が 人 類 の 歴 史 の 普 遍 性 と し て 理 解 さ れ て き た 。 だ か ら 、例 え ば 、 日 本 史 に も 、 古 代 、 中 世 、 近 代 と い う 区 分 が 割 り当 て ら れ る 。 と り わ け 、 明 治 時 代 以 降 西 洋 化 こ そ が 近 代、化 だ と し 、 日 本 の 学 者 の 多 く は 日 本 に も 欧 州 同 様 の 発 展、の 可 能 性 が あ る こ と を 証 明 し よ う と し て 欧 州 を 発 展 さ せ、た 要 素 を 日 本 の 歴 史 に 見 い だ す こ と に 尽 力 し て き た 47 。 ある い は 、 そ の 反 動 で 、 皇 国 史 観 の よ う に 、 日 本 の 固 有 性 を強 調 す る こ と に 固 執 し て き た 欧 州 史 の 価 値 を 相 対 化 す る。た め に も 、 欧 州 の 歴 史 を 考 え る 際 に 、 日 本 で は ど の 時 代 にあ た る か を 意 識 し 、 比 較 し て み る と 、 面 白 い 発 見 が あ る もの で あ る 48 。 例 え ば 、 太 陽 王 ル イ 14 世 の 時 代 は 日 本 の ど の時 代 に 当 た る だ ろ う か 、 1789 年 に 仏 で は 革 命 ( 騒 ぎ ) が 始 まる が 、 日 本 で は 何 が あ っ た の だ ろ う か 。 ナ ポ レ オ ン は 日 本で は い つ 頃 の 人 だ ろ う か 。
2.3.2 欧 州 は 、 希 ロ ー マ を 除 け ば 世 界 の 歴 史 の 中 で、 、は 、 15,16 世 紀 あ た り か ら 急 速 に 発 展 し た 新 興 地 域 で あ る 。 現在 の 欧 州 の 姿 か ら は 想 像 し づ ら い か も 知 れ な い が 近 代 以、降 で す ら 、 長 ら く 人 び と の 暮 ら し は 、 上 流 階 級 を 含 め か、な り 不 衛 生 で あ り 、 と て も 「 文 明 的 」 と は 言 え な か っ た 。農 業 生 産 性 も か な り 低 く 米 と 小 麦 と の 違 い は あ る に し て、も 、 仏 革 命 時 、 最 も 豊 か な 仏 北 部 で も 、 小 麦 の 取 れ 高 は 、対 種 籾 で 4 ~ 5 倍 、 19 世 紀 で も 10 倍 に 過 ぎ な か っ た と いう 49 こ の 生 産 性 の 低 さ は 容 易 に は 信 じ が た い が。 、 15 世 紀 の末 の 新 大 陸 「 発 見 」 以 降 、 欧 州 に 入 っ て き た ジ ャ ガ イ モ と
46 Cf.アーネスト・E・メイ『歴史の教訓』進藤栄一訳(岩波現代文庫)47 マルク・ブロック『封建社会』1・2、新村猛等訳(みすず書房) 堀米庸三監訳(岩波書店)がいうように、西欧と日本だけに封建制が見られる(中国の封建は意味が異なる)というような共通事例はある。ユーラシア大陸の両端には、色んな共通点がある。日本が「アジア」らしくないところである。日本の学者は日本と欧州との共通点を見いだすのに懸命になってきた側面があって、その結論がこじつけになっている事例も少なくないが、その前提には封建制度などの類似点の存在がある。48 Cf. 水谷三公『江戸は夢か』(筑摩書房)49 Cf. 後藤明「イスラム世界の理念」朝日新聞社編『古代史を語る』(朝日新聞社)、マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅰ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)
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ト ウ モ ロ コ シ 50 が 食 糧 生 産 上 で 画 期 的 な 貢 献 を な し 、 産 業の 工 業 化 、 医 療 技 術 の 発 達 な ど と 並 ん で 、 「 マ ル サ ス の罠 」 51 、 つ ま り 、 農 業 文 明 が 衰 退 す る 一 因 と し て 、 人 口 は2 、 4 、 8 倍 、 食 糧 は 2 、 3 、 4 倍 に 増 え る か ら 、 食 糧 が人 口 を 制 限 す る ( 傾 向 が あ る ) と い う 罠 か ら 、 欧 州 社 会 を解 放 す る 要 因 と な っ た 。
◎ 日 本 の 米 は 1 株 1,300 粒 前 後 で 、 ち な み に 、お に ぎ り 1 個 は 2,000 粒 前 後 と い う が 数 え る ま で 信 じ がた い 。 と は い え 、 数 え る 気 に は な ら な い 。 ト ウ モ ロコ シ 1 本 に 何 粒 あ る だ ろ う か 。 3 桁 で あ る こ と に は間 違 い な い 。 優 れ た 作 物 で あ る 。
◎ 穀 物 に も あ る 種 の 順 位 が あ り そ う で あ る 。 例 えば 、 作 付 け を す る 場 合 、 日 本 で 言 え ば 、 ま ず 米 あ り きで 、 米 が ダ メ な ら 、 麦 類 、 そ れ も ダ メ な ら 、 蕎 麦 、 サツ マ イ モ 、 ト ウ モ ロ コ シ ( 後 は 、 ヒ エ や 粟 … ) と な るの だ ろ う 。 欧 州 で い え ば 、 何 よ り も 「 白 パ ン 」 で あ り 、小 麦 が ダ メ な ら 、 次 は 大 麦 や 「 黒 パ ン 」 の 材 料 と な るラ イ 麦 ( 後 は エ ン 麦 … ) だ ろ う ( 言 う ま で も な く 、 パン と ワ ィ ン は イ エ ス ・ キ リ ス ト の 体 と 血 を 意 味 す る ) 。小 麦 が あ ま り と れ な い 独 な ど で の 「 白 パ ン 」 へ の あ こが れ は 、 日 本 で 米 が と れ に く い 地 域 で の 「 銀 シ ャ リ 」「 握 り 飯 」 へ の 拘 り に 近 い も の が あ る 。 も っ と も 、 小麦 な ど の 穀 類 の 生 産 に 向 か な い と こ ろ で は 、 ジ ャ ガ イモ の 生 産 52 ( 処 に よ れ ば 、 ト ウ モ ロ コ シ ) が 盛 ん と なり 、 こ れ が 各 地 の 食 糧 事 情 を ま か な っ た と 言 え る 。 ジャ ガ イ モ や ト ウ モ ロ コ シ が 新 大 陸 原 産 で あ る こ と を 考え る と 、 新 大 陸 の 「 発 見 」 は 欧 州 の 社 会 生 活 を 一 変 した と い え る 。
◎ 人 口 ボ ゥ ナ ス ( ⇔ 人 口 オ ゥ ナ ス 53 ) と は 、 生 産 年齢 人 口 の 増 大 を 指 す 。 人 口 減 少 社 会 を 迎 え て い る 現 代の 先 進 国 か ら み れ ば 、 一 見 望 ま し い 話 に も 思 え る が 、歴 史 上 は 、 過 剰 人 口 の 「 処 理 」 に 苦 し む こ と が 多 か った ( → 3.1 ) 。
50 欧州史において、ジャガイモの重要性は特記すべきだろう。Cf. 山本紀夫『ジャガイモのきた道』(岩波新書)。高野潤『新大陸が生んだ食物 ― トウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ』(中公新書)はカラー写真が強烈で読んでいて楽しい。51 トーマス・ロバート・マルサス『人口論』永井義雄訳(中公文庫)(他にも邦訳多数)、Cf. アラン・マクファーレン『イギリスと日本:マルサスの罠から近代への跳躍 』船曳建夫監訳(新曜社)52 日本についても、じゃがいもの存在は大きかったが、当初はえぐみが強くて食べられず、普及は「男爵」以降だという。宮本常一『塩の道』(講談社学術文庫)138頁53 人口オゥナスについては、Cf.小峰隆夫『人口負荷社会』(日経プレミアシリーズ)
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2.3.3 欧 州 政 治 史 で は 、 近 代 以 降 も 土 地 の 政 治 的 意 味 が 重要 で あ る 。 長 ら く 所 有 権 が 主 権 を 決 め 、 従 っ て 、 王 位 の 継承 を め ぐ る 戦 争 ( 継 承 戦 争 ) が 起 こ る 。 国 王 が 他 国 の 王 位を 継 承 す る 事 態 と な れ ば 、 両 国 を 1 つ の 国 と す る の か 、 それ と も 別 の 国 と す る の か と い っ た 議 論 が 起 こ る 。 こ の 継 承に よ る 領 土 変 更 と そ れ を め ぐ る 戦 争 も あ っ て 、 欧 州 で は 国境 の 変 更 が 激 し く 、 ま た 中 小 国 家 が 多 数 発 生 す る ( 18 世 紀末 で は 国 の 数 え 方 に よ る が 、 独 だ け で も 2,000 弱 ! ) 。 そ して 、 19 世 紀 以 降 、 近 代 国 家 国 民 国 家 へ の 整 備 が 進 む に つ、れ て 国 家 の 数 が 急 速 に 減 少 す る 。 い ず れ に し て も 、 中 国、と 称 さ れ る 東 ア ジ ア の 地 域 と は 異 な り 欧 州 地 域 が 「 統、一 」 さ れ た こ と は い ま ま で な い 。 E U が 注 目 さ れ る 理 由 の1 つ が あ る 。
2.3.4 欧 州 史 の 問 い か け は 、 「 何 故 欧 州 が 世 界 を 席 巻 で きた の か 」 54 、 「 欧 州 が い つ か ら 発 達 し 、 世 界 の 中 心 と な った の か 」 な ど で あ る 。 前 者 は 軍 事 革 命 や 、 い わ ゆ る 「 産 業革 命 」 と の 関 連 が 問 わ れ 、 後 者 に つ い て は 、 大 き く 2 つ の議 論 が あ る 。 1 つ は 近 代 ( 15,16 世 紀 ) 以 降 、 欧 州 が 世 界 シス テ ム を 創 出 し た と す る 主 張 で 、 も う 1 つ は 欧 州 の 覇 権 は19 世 紀 以 降 で あ り 、 そ れ ま で は 中 国 な ど も 世 界 経 済 の 中 心だ っ た と す る 主 張 で あ る 55 。
2.3.5 欧 州 は 17,18 世 紀 に は 、 軍 事 革 命 ( と そ れ を 可 能 に し た財 政 革 命 ) を 経 て 、 武 力 で 他 の 地 域 を 圧 倒 し 始 め 、 19 世 紀後 半 の い わ ゆ る 帝 国 主 義 の 時 代 に は 世 界 の 大 半 を 植 民 地 化す る 。 帝 国 主 義 は 国 民 国 家 の 延 長 で あ る 56 。 例 え ば ア フ リ、カ 大 陸 は 、 1876 年 に は 植 民 地 率 は 1 割 程 度 で あ っ た が 、 1900年 頃 に は 9 割 と な る 。 18 世 紀 後 半 の 第 1 次 産 業 革 命 ( 産 業革 命 の 名 前 に 値 し た の か ど う か 、 少 々 疑 わ し い が ) 、 19 世紀 後 半 の 第 2 次 産 業 革 命 が そ の 覇 権 的 地 位 の 獲 得 を 可 能 とし た 。 欧 州 の 特 色 は 、 市 場 の 活 用 ( 個 人 の 所 有 権 の 保 障 、資 本 の 流 動 性 の 担 保 ) に よ る 産 業 育 成 に あ り 、 19 世 紀 後 半に は 覇 権 を 背 景 に 、 国 家 に よ る 民 政 部 門 へ の 投 資 ( 教 育 、道 路 、 鉄 道 、 港 湾 … ) が 充 実 し 始 め る 。
2.4 近 代 ( modern ) と 近 代 化 ( modernization )
54 色々な説明があるが、その代表として、Cf. マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』梶山力、大塚久雄訳(岩波文庫)、イマニュエル・ウォーラーシュタイン『世界システムⅠ・Ⅱ』川北稔訳(岩波現代選書)…。また、バリントン・ムーア、ジュニア『独裁と民主政治の社会的起源』宮崎隆次他訳(岩波現代選書)、シーダ・スコチポル『現代社会革命論』牟田和恵監訳、中里英樹、大川清丈、田野大輔訳(岩波書店)、ジョン・ブリュア『財政=軍事国家の衝撃』大久保桂子訳(名古屋大学出版会)55 Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱの上、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)56 Cf. ハンナ・アレント『全体主義の起原2 帝国主義』大島通義・大島かおり訳(みすず書房)
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2.4.1 欧 州 近 代 ( 15,16 世 紀 あ た り 以 降 ) の 特 色 は 、 近 代 一般 と 同 一 視 さ れ る 点 に あ る 。 つ ま り 、 西 洋 化 = 近 代 化 で ある 。 従 っ て 、 欧 州 近 代 の 特 色 で あ る 個 人 主 義 の 重 視 、 自 由や 平 等 あ る い は ( 思 想 ・ 信 条 上 の ) 寛 容 精 神 の 尊 重 、 所 有( 財 産 権 ) の 保 障 と 契 約 の 神 聖 化 ( 市 場 の 整 備 と 活 用 ) 、法 治 主 義 や 立 憲 主 義 の 重 視 な ど が 近 代 の 特 色 と み な さ れ 、欧 州 以 外 の 地 域 が 近 代 化 を 進 め る 上 で の 模 範 ・ 規 範 と さ れて き た 。
2.4.1.1 ( 欧 州 ) 近 代 の 人 間 像 は 、 主 体 性 と 理 性 ( 合 理性 ) を も つ ( 自 律 し た ) 個 人 で あ り 、 さ ら に は 「 教 養 と 財産 」 を 身 に つ け た 存 在 が ( 政 治 ) 社 会 の ア ク タ ( 行 為 者 )と し て 設 定 さ れ る 。 教 科 書 風 に い え ば 、 こ の 人 間 像 の 典 型は ブ ル ジ ョ と い う こ と に な る が 、 実 際 に そ う し た 資 質 をア備 え て い た の は ( 国 に よ る 違 い が 大 き い が ) 、 む し ろ 貴族 57 で あ っ た と い え る 。 す な わ ち 、 貴 族 を 近 代 化 の 「 敵 」扱 い し て 、 そ の 内 実 を 考 察 す る こ と を 怠 れ ば 欧 州 近 代 は、理 解 で き な い 。 理 屈 と 現 実 は 違 う 。
2.4.1.2 私 有 財 産 権 の 保 障 を 背 景 に 、 特 段 の 中 心 的 存 在 をも た ず 、 市 場 ( 競 争 ) 原 理 に 基 づ き 、 自 由 人 た る 個 人 が 自ら の 意 思 に 基 づ い て 関 係 を 結 び あ う 社 会 を 「 市 民 社 会 」 58
と 呼 ぶ こ と が し ば し ば あ る 。 こ れ は 、 理 念 型 ( 独 語 : Idealtyp ) で あ り 、 そ れ 以 上 の も の で は な い が 近 代 を モ デ ル、と し た 制 度 ( 学 問 ) は 、 こ の 市 民 社 会 を 基 本 に 設 計 さ れ てい る こ と が 少 な く な い 。 市 民 社 会 と い う 言 葉 を 、 そ の 内 容を 吟 味 す る こ と な く 用 い て い る 本 は 大 抵 怪 し い 。
2.4.1.3 近 代 化 は 本 来 多 義 的 で あ る 。 こ こ で は 、 ひ とま ず 、 社 会 の 近 代 化 と 国 家 の 近 代 化 の 2 つ の 側 面 に 分 け る 。も ち ろ ん 、 両 者 は 相 互 に 関 連 し 、 影 響 し あ う か ら 、 綺 麗 に区 分 で き る わ け で は な い 。
2.4.2 社 会 の 近 代 化 と 現 代 化
57 ヨーロッパの貴族は多様である。Cf.マイケル・L・ブッシュ『ヨーロッパの貴族』指昭博、指珠恵訳(刀水書房)、マイケル・L・ブッシュ『貧乏貴族と金持貴族』永井三明監訳、和栗了・和栗珠里訳(刀水書房)。貴族と密接な関わりのある決闘については、和仁陽「決闘の法史と社会史」西川洋一他編『罪と罰の法文化史』(東京大学出版会)、山田勝『決闘の社会文化史』(北星堂書店) 。日本と欧州に共通する紋章については、森護『紋章学辞典』(大修館書店)、森護『ヨーロッパの紋章』(河出書房新社)、森護『ヨーロッパの紋章・日本の紋章』(河出書房新社)、浜本隆志『紋章が語るヨーロッパ史』(白水社)、アラン・ブーロー『鷲の紋章学』松村剛訳(平凡社)58 市民社会(論)については、Cf.森政稔『変貌する民主主義』(ちくま新書)、古賀敬太編著『政治概念の歴史的展開』(晃洋書房)第1巻、植村邦彦『市民社会とは何か』(平凡社新書)、佐藤正志・添谷育志編『政治概念のコンテクスト』(早稲田大学出版部)第6章
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2.4.2.1 社 会 の 近 代 化 の 指 標 と し て は 、 都 市 化 と 工 業 化 、世 俗 化 な ど が 挙 げ ら れ る ( → 3 社 会 変 動 と 政 治 争 点 ) 。現 実 社 会 は 過 去 の 積 み 重 ね ( 地 層 ) で あ り 、 短 期 的 に ( 革命 が 起 こ っ た 程 度 の こ と で は ) 社 会 の 性 質 が 変 化 す る こ とは な く 、 近 代 社 会 は 必 ず し も 上 述 の 市 民 社 会 で は な い 。 事実 と 願 望 や 規 範 と を 峻 別 す る こ と は い つ で も 重 要 で あ る 。分 別 ( ブ ン ベ ツ ) が 分 別 ( フ ン ベ ツ ) の 始 ま り だ と い う 。
2.4.2.2 欧 州 の 近 代 社 会 、 さ ら に は 現 代 社 会 の 特 色 を 考 える 上 で は 、 身 分 社 会 、 階 級 社 会 、 大 衆 社 会 の 3 類 型 が 参 考に な る 。
2.4.2.2.1 身 分 社 会 と は 、 構 成 員 を 身 分 ・ 生 ま れ ( by birth ) で 分 別 し 、 編 成 す る 社 会 で あ り 、 欧 州 の 場 合 、 そ の 区 分は 「 祈 る 人 、 戦 う 人 、 働 く 人 」 、 つ ま り 聖 職 者 、 貴 族 、農 民 他 と い う 三 分 割 ( こ の 順 番 も 重 要 ) を 基 本 と し た 。 そし て 、 こ の 身 分 秩 序 の 論 理 が 政 治 秩 序 を 支 え て い た 。 欧 州の 身 分 社 会 で は 、 社 会 制 度 と し て 封 建 制 と 領 主 制 が 柱 と なっ て い る 。 封 建 制 ( feudal system ) と は 、 土 地 ( fief, 独 語 :Lehen ) を 媒 介 と し た 恩 顧 ・ 忠 誠 の 主 従 ( 契 約 ) 関 係 で あ り 、領 主 制 ( seignorial system ) と は 、 土 地 や 人 間 ( 一 般 人 ) に 対 する 支 配 関 係 を 指 す 。 身 分 社 会 が 支 え る 政 治 秩 序 の 中 心 は 君主 で あ り 、 構 成 員 は 身 分 の 維 持 に 固 執 す る 59 。
◎ 君 主 は 国 王 と は 限 ら な い 。 君 主 に も 皇 帝 を 頂 点と し た 序 列 が あ る 。 例 え ば 、 ル ク セ ン ブ ル ク は 「 大 公国 」 で あ る 。 ま た 、 貴 族 と 云 っ て も 、 様 々 で あ る 明。治 時 代 日 本 を 訪 れ た 独 貴 族 に よ れ ば 、 国 別 の 違 い は 、「 イ ギ リ ス は 生 ま れ や 家 柄 、 オ ー ス ト リ ア は 階 級 と 貴族 特 権 、 ロ シ ア は 職 務 上 の 地 位 だ け 、 プ ロ イ セ ン は 職務 上 の 地 位 、 功 績 が 家 柄 に 由 来 す る 位 階 と 並 ん で 評 価さ れ る 」 60 で あ る 。 大 雑 把 な が ら 、 わ か り や す い 。
2.4.2.2.2 階 級 社 会 は 、 人 を 階 級 ( classes ) 、 す な わ ち生 活 や 行 動 の 様 式 を 含 め た 利 害 関 係 ( interests ) を 共 有 す る社 会 集 団 に 分 別 し 、 編 成 す る 社 会 で あ る 。 階 級 の 定 義 次 第で は あ る が 、 す べ て の 社 会 に は 階 級 は あ っ て も 、 こ こ で いう 階 級 社 会 で あ る と は 限 ら な い 。 階 級 区 分 は 多 種 多 様 で あっ て 、 資 本 家 階 級 や 労 働 者 階 級 と い っ た 大 き な 括 り 方 ( Class ) は 現 実 社 会 に は 見 あ た ら な い 。 社 会 は そ れ ほ ど 単 純に 編 成 さ れ ず 、 資 本 家 に せ よ 、 労 働 者 に せ よ 、 そ の 多 く が
59 Cf. デイヴィッド・キャナダイン『虚飾の帝国』平田雅博、細川道久訳(日本経済評論社)60 Cf. オットマール・フォン・モール『ドイツ貴族の明治宮廷記』金森誠也訳(新人物往来社)
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階 級 意 識 を 共 有 す る こ と は 稀 で あ る 。 例 え ば 、 英 で は 保 守党 を 支 持 す る 労 働 者 ( working Tory ) が あ る 。 一 部 の 学 者 はこ の 労 働 党 を 支 持 し な い 労 働 者 の 存 在 を 訝 り 、 そ の 原 因 を何 と か 探 ろ う と す る が 、 事 実 に 対 し て 素 直 に な っ て 考 え れば 理 由 は 簡 単 で あ る 。 こ れ も 、 現 実 と 理 屈 が 異 な る 好 例 だろ う ( C f . 政 治 学 、 2 . 集 団 ) 。
◎ マ ル ク ス 主 義 の 影 響 に よ り 、 階 級 を 生 産 の 観 点か ら 定 義 す る 方 法 が し ば し ば 用 い ら れ る 。 そ の 際 、 生産 手 段 た る 資 本 と 土 地 の 所 有 の 有 無 が 基 準 と な り 、 いず れ も 持 た な い 者 は 労 働 力 の み に 依 拠 す る こ と に なる 61 。
2.4.2.2.3 身 分 社 会 と 階 級 社 会 は 、 両 方 と も 人 間 を い く つか の 集 団 に 区 分 し 、 上 下 関 係 ( 序 列 や 階 序 、 hierachy ) を 想定 す る 点 で 共 通 し て い る が 、 身 分 社 会 が 秩 序 の 「 自 然 性 」を 基 本 と し て い る の に 対 し 、 階 級 社 会 は 資 本 主 義 ( 市 場 経済 ) に よ る 生 産 様 式 が 進 み 、 社 会 的 流 動 性 が 高 ま っ て 、 利害 関 係 が 多 様 化 す る 中 で 生 ま れ 、 政 治 秩 序 が 階 級 と い う 社会 秩 序 を 維 持 ・ 管 理 す る 側 面 を 有 す る 。 身 分 社 会 は 前 近 代的 、 階 級 社 会 は 近 代 的 で は あ る が 、 欧 州 の 近 代 社 会 は 、 身分 社 会 と 階 級 社 会 が 混 在 し て お り 、 国 に よ る 違 い も 小 さ くな い 。
◎ ウ ェ ー バ ー な ど は 、 身 分 社 会 は 身 分 ( status ) が 富 ( wealth ) と 権 力 ( power ) を 与 え 、 階 級 社 会 で は 富 が 身 分 と 権 力 と を 与 え る と い う の だ ろ う 62 。 こ の 説 明 で は 、身 分 社 会 で は 、 身 分 が 法 的 ・ 社 会 的 に 保 護 さ れ 、 階級 社 会 で は 、 市 場 か ら 得 ら れ る 富 が 優 越 す る 。 こ れも 相 当 説 得 力 あ る 説 明 で あ る 。 こ の 説 明 と 本 講 義 での 説 明 と を 整 合 で き れ ば 、 よ り 説 得 力 の あ る 説 明 とな る だ ろ う 。
2.4.2.2.4 大 衆 社 会 は 、 エ リ ー ト と 大 衆 か ら 構 成 さ れる と 見 な さ れ る 社 会 で あ る 。 大 衆 ( mass ) に は 、 近 代 社 会が 想 定 す る 自 律 し た ( 主 体 性 と 合 理 性 を 備 え た ) 個 人 ( 市民 ) イ メ ー ジ は 求 め ら れ な い 。 従 っ て 、 大 衆 の 政 治 舞 台 への 「 登 場 」 は 衝 撃 と な っ た ( Impact of Labour : 労 働 者 の 政治 的 登 場 で あ り 、 労 働 党 の 衝 撃 で あ る ) 。 大 衆 は 、 群 衆 とし て の 行 動 様 式 を 持 ち 、 し ば し ば 暴 徒 ・ 群 盲 ( mob ) と 蔑称 さ れ る 。
61 資本・土地と市場との関係については、金子勝『市場と制度の政治経済学』(東京大学出版会)が参考になる。62 Cf.M.L.Bush ed., Social Orders & Social Classes in Europe since 1500 (Longman, 1992), chap.1。この本は翻訳されるべきだろう。なお、Cf.ウィリアム・ドイル『アンシャン・レジーム』福井憲彦訳(岩波書店)第2章
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◎ 大 衆 社 会 に は い く つ か の 類 型 が あ る と 考 え た 方が 良 さ そ う で あ る 。 身 分 社 会 を 知 ら な い 米 ( 型 大 衆 社会 ) は 、 原 型 と し て は ピ ュ ー リ タ ン = 政 治 的 に 迫 害 され た 集 団 が 社 会 を 作 っ た と い う 神 話 に 基 づ き 、 自 由 や豊 か さ を 求 め た 欧 州 か ら の 大 量 の 移 民 が 流 入 し 、 形 成し た 。 日 本 型 の 大 衆 社 会 で は 、 統 治 層 に 至 る ( 出 世の ) 可 能 性 は 、 教 育 、 学 歴 を 獲 得 す れ ば 期 待 で き る 63 。産 業 革 命 Industorial Revolution と い う よ り 、 勤 勉 革 命 Industrious
Revolution ( 速 水 融 ) で あ る 。 な お 、 生 得 で は な く ( ascribed ) 、 取 得 に よ っ て ( achieved ) 地 位 を 獲 得 し た リー ダ に よ る ビ ッ グ マ ン ・ シ ス テ ム は メ ラ ネ シ ア を 典 型例 と す る が 、 こ の モ デ ル を 加 工 す れ ば 他 の ア ジ ア な どの 諸 国 の 分 析 に 役 立 つ よ う に 思 え る 。
◎ 最 近 の 各 国 の 動 向 を 見 て い る と 、 大 衆 社 会 と 競 争 原 理 と が 直 結 す る 例 が 多 い よ う に 思 え る 。 確 か に 、身 分 や 家 柄 に よ り 、 立 身 出 世 の 可 能 性 が 閉 ざ さ れ る 事態 は 好 ま し い と は い え な い だ ろ う 。 そ れ で も 、 自 分 を
売 り 込 ま な い と 、 自 分 の 存 在 意 義 を 認 め て も ら え ず 、 競 争 の 結 果 、 発 生 す る 多 く の 「 敗 者 」 が 「 ダ メ 人 間 」 と さ れ る 米 型 の 社 会 ( 総 サ ラ リ ー マ ン 社 会 ) が 望 ま し い と も 思 え な い 。
2.4.2.2.5 20 世 紀 に 入 り 、 教 育 水 準 ( 識 字 率 ) の 向 上 、 人間 の 平 等 イ メ ー ジ の 普 及 、 一 般 人 の 政 治 的 価 値 の 増 大 な どに よ り 、 参 入 障 壁 の 高 か っ た 身 分 社 会 や 階 級 社 会 の 時 代 とは 異 な り 、 社 会 的 上 昇 ( 立 身 出 世 ) の チ ャ ン ス が 高 ま っ た 。大 衆 社 会 化 は 現 代 社 会 化 の 特 色 で あ る が 、 欧 州 で は 大 衆 社会 化 は 遅 れ て い る 。 例 え ば 高 等 教 育 機 関 へ の 進 学 率 は 、、現 在 も な お 高 く な い 64 教 育 が 遅 れ て い る の で は な い 。 国 民。が 大 学 に 、 あ る い は 学 歴 獲 得 に よ る 立 身 出 世 に そ れ ほ ど の価 値 を 置 か な い か ら で あ る 。
◎ 昔 の 独 裁 は 、 大 衆 の 無 知 を 前 提 と し て い る のに 対 し 、 現 代 の 独 裁 は 、 一 定 程 度 の 教 育 あ る 大 衆 の 支持 を 前 提 と し て い る 。
◎ 日 本 欧 州 米 の 三 つ の 地 域 の 大 雑 把 な 社 会 イ メ、 、63 Cf. アール・H・キンモンス『立身出世の社会史』広田照幸他訳(玉川大学出版部)、また、ロナルド・フィリップ・ドーア『学歴社会 新しい文明病』松居弘道訳(岩波現代叢書)、竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』(中央公論新社)64 歴史統計が手元にないこと、各国の制度が相当に異なり比較が難しいこともあるので、ひとまず、現在については、Cf.文部科学省「教育指標の国際比較」(平成 18 年度版)( http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/03/06032718.htm )
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ー ジ の 比 較 が 可 能 か も 知 れ な い 。 統 治 者 と 被 治 者 の 分離 を 是 と す る 欧 州 ・ 日 本 は 身 分 社 会 イ メ ー ジ が 残 り 、米 で は 統 治 者 と 被 治 者 と の 一 体 性 が 強 調 さ れ る 。 ま た 、支 配 と 所 有 の 一 致 は 、 欧 州 や 米 に 共 通 し ( 理 屈 の 上 では 自 由 主 義 時 代 は 、 政 治 と 経 済 の 分 離 を 掲 げ た が こ、 、れ は 機 能 的 分 離 で あ っ て 、 両 分 野 の エ リ ー ト は 重 な って い た ) 、 支 配 と 所 有 の 早 期 の 分 離 は 日 本 の 特 色 で ある 。 大 衆 社 会 化 が 早 い の は 日 本 や 米 で あ り 、 欧 州 で は大 衆 化 が 遅 れ る 。 例 え ば 、 芸 術 や ス ポ ー ツ を 財 政 的 に支 え る 社 会 層 は 、 相 対 的 に は 、 日 本 や 米 で は 大 衆 、 欧州 で は 貴 族 ・ ブ ル ジ ョ ジ ー で あ る ( 歌 舞 伎 と オ ペ ラアの 違 い ) 65 。 な お 、 機 会 の 平 等 を 重 視 す る 大 衆 社 会 の国 で あ る 米 も 現 実 に は 所 得 格 差 を 考 え れ ば と う て い 平等 社 会 と は 言 い 難 い が 、 人 間 の 平 等 性 を 強 調 す る 文 化や 政 治 神 話 が あ る 場 合 、 階 級 社 会 の 現 実 を 指 摘 す る こと は タ ブ ー と な る 66 。
◎ S . ハ ン レ ー に よ れ ば 、 「 生 ま れ が よ け れ ばヨ ー ロ ッ パ 、 庶 民 に 生 ま れ る の な ら 日 本 」 と な る 67 。同 じ 身 分 社 会 で も 、 そ の 格 差 は 日 本 で は 緩 や か だ った 尤 も 、 身 分 社 会 ・ 階 級 社 会 で は 貧 し い 場 合 に も 貧。し い 集 団 の 中 で 生 活 す る 智 恵 や 方 法 が 作 ら れ て い る のに 対 し 、 大 衆 社 会 で は 国 民 均 一 の 基 準 が と ら れ や す いた め に 、 か え っ て 努 力 や 勤 勉 あ る い は 能 力 が 強 調 さ れて 出 世 の 機 会 を 持 た な い 者 は 救 済 が な い 気 分 に 陥 る、こ と も あ る 。 個 人 の 努 力 を 出 世 に 必 ず し も 結 び つ け てく れ な い 身 分 社 会 ・ 階 級 社 会 に は 、 居 心 地 の よ さ が ある だ ろ う 。 集 団 や 社 会 の 中 に 「 失 敗 者 」 や 「 落 伍 者 」
が 生 ま れ る の が 社 会 の 生 理 で あ る と す れ ば 、 自 分 に 帰 責 さ れ な い 理 由 で の 挫 折 と 、 そ の 挫 折 を 共 有 し て く れ る 仲 間 の 存 在 は 救 い と な る か ら で あ る 。
2.4.3 国 家 の 近 代 化 と 現 代 化
2.4.3.1 欧 州 世 界 の 帰 趨 を 決 め た 出 来 事 の 1 つ が 、 17 世 紀前 半 の 30 年 戦 争 を 終 結 し た ウ ェ ス ト フ ァ リ ア 条 約 68 の 締 結 ( 1648 年 ) で あ る ( た だ し 、 少 々 政 治 神 話 で あ っ て 、 現 在そ の 一 部 が 見 直 さ れ て い る ) 。 宗 教 世 界 が 世 俗 世 界 を 支 配す る と い う 従 来 の 基 本 的 な あ り 方 が 修 正 さ れ 、 世 俗 世 界 が
65 これと関連して社会階層とネットワークとの関係については、小林章夫他『クラブとサロン』(NTT出版)が面白い。66 Cf. ポール・ファッセル『階級』板坂元訳(光文社)67 Cf. スーザン・B・ハンレー『江戸時代の遺産』指昭博訳(中公叢書)68 Cf.明石欽司『ウェストファリア条約―その実像と神話』(慶應義塾大学出版会)。この本は、かなり前から発表されていた論文の集大成でもあり、内容からすれば広く読まれることはないのだろうが、問題の原点に立ち返って、原典を丁寧にチェックし、欧州近代の国際関係を誕生させたというウェストファリア神話を再検討する姿勢は本当に立派だと思う。
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ロ ー マ 教 皇 を 頂 点 と す る 宗 教 世 界 か ら 独 立 し た 論 理 、 す なわ ち 国 家 理 性 ( 仏 語 : レ ゾ ン ・ デ ー ト ル 、 raison d'État ) で 測ら れ る 国 益 ( national interest ) で 国 事 を 決 め る 傾 向 が 強 ま り 始め た 。
一 方 で 、 こ の 国 益 は 君 主 の 意 思 な ど を 超 え た 独 自 の 価値 を 持 つ と み な さ れ た 点 も 重 要 で あ る 。 い わ ば 国 家 の 独 立で あ る 。 ま た 、 個 々 の 国 家 で は 、 君 主 の 宗 派 選 択 が 住 民 の宗 派 を 決 め る ( 羅 語 : cuius regio, eius religio ) と い う 従 来 の ル ー ルが 確 認 さ れ る 。 す な わ ち 、 公 教 会 以 外 の 信 仰 が 認 め ら れ 、そ の 信 仰 に 基 づ い た 国 家 経 営 が 認 め ら れ る と 同 時 に 、 一 国内 で は 、 そ の ル ー ル に 反 す る 信 仰 を 持 つ 自 由 が 次 第 に 認 めら れ 始 め た こ の 国 家 の 世 俗 化 と 自 立 化 に よ り 、 国 家 と 国。家 と の 関 係 が 整 理 さ れ 始 め る 。 そ れ 以 前 の 国 家 間 関 係 は 、国 家 を 代 表 す る 君 主 の 間 の 関 係 と い う 側 面 が 強 か っ た ウ。ェ ス ト フ ァ リ ア 条 約 で も 、 君 主 が 個 人 の 資 格 で 条 約 に 署 名し て い る 点 で 、 君 主 権 と 国 権 と の 分 離 が 達 成 さ れ て い る とは 必 ず し も い え な い が 、 自 立 し た 国 家 間 の 条 約 で あ る と いう 点 で 、 国 際 主 義 ( inter - nation - al - ism : 「 間 」 + 「 国 家 ・ 国民 」 + 「 形 容 詞 語 尾 」 + 「 主 義 」 ) 、 す な わ ち 、 国 家 の 代表 者 た ち が 会 議 に 参 集 す る 慣 例 が 生 ま れ 、 国 家 と 国 家 と の関 係 、 す な わ ち 君 主 な ど の 個 人 関 係 を 超 え る 近 代 的 な 国 際関 係 が 成 立 す る 契 機 と な っ た 。
2.4.3.2 近 代 国 家 と は 、 近 代 戦 争 を 遂 行 で き る 体 制 を 整 備し た 国 家 で あ り 、 近 代 国 家 の 誕 生 は 軍 事 革 命 と そ れ を 可 能に す る 財 政 革 命 を 端 緒 と す る 。 近 代 戦 争 遂 行 に は 、 徴 税 制度 と 徴 兵 制 度 の 整 備 が 必 要 で あ り 、 17 世 紀 の 「 蘭 」 で は 公債 の 引 き 受 け 制 度 が 生 ま れ 、 ま た イ ン グ ラ ン ド で は 1694 年に イ ン グ ラ ン ド 銀 行 が 誕 生 し て 戦 費 調 達 の た め に 中 央 ( 政府 ) が 一 元 的 に 信 用 を 供 与 す る 仕 組 み が 生 ま れ た 。 ま た 、国 民 軍 は 17 世 紀 瑞 に 始 ま り 69 、 仏 革 命 時 以 降 、 一 般 化 し 始め る 。 欧 州 で は 、 近 代 国 家 の 論 理 が 政 治 社 会 の 論 理 と し て通 用 し 、 政 治 制 度 の 近 代 化 に よ っ て 社 会 の 近 代 化 、 あ る いは 現 代 化 が 図 ら れ た 。 こ れ に 対 し 、 日 本 は 社 会 の 近 代 化 が国 家 の 近 代 化 に 先 行 し た 点 が 特 色 で あ る 。
2.4.3.3 現 代 国 家 は 、 国 民 が そ の 福 祉 向 上 ・ 幸 福 追 求 ( welfare ⇔ warfare ) の 上 で 国 家 へ の 依 存 を 高 め 、 政 府 活 動 へ の 期待 を 強 め る 国 家 シ ス テ ム ( 給 付 国 家 、 行 政 国 家 ) で あ り 、大 衆 の 政 治 参 加 を 承 認 す る と い う 政 治 運 営 方 式 を 特 色 と する 。 そ の 際 、 福 祉 や 幸 福 と は 何 か を 国 家 が 確 定 す る 必 要 が起 こ り 、 幸 福 は 定 ま ら な く と も 、 不 幸 を 定 め て ( 国 家 に よる 幸 福 の 定 義 は に パ タ ー ナ リ ズ ム ( 温 情 主 義 ) が 過 ぎ る だ
69 瑞は軍制などをみると、封建制度を欠く点が独特であり、この点は独自の王制概念とも関連する。瑞などの身分(制)は、「職分」(Cf. 尾藤正英『江戸時代とは何か』(岩波現代文庫))に近いのかも知れない
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ろ う か ら ) 、 そ れ を 除 去 す る こ と が 要 請 さ れ る 。 す な わ ち 、19 世 紀 後 半 か ら 20 世 紀 初 頭 に か け て み ら れ た 大 衆 の 登 場 とそ れ へ の 対 応 が 現 代 政 治 の 始 ま り で あ る 。 な お 、 当 然 の こと な が ら 、 現 代 国 家 の 正 統 性 は 、 国 民 福 祉 の 増 進 に あ る が 、近 代 国 家 と し て の 特 色 ( 戦 争 遂 行 装 置 ) が 消 失 し た わ け では な い 。
2.4.3.4 近 代 国 家 と 現 代 国 家 で は 、 国 家 の 役 割 や 正 統 性 がか な り 異 な っ て い る 。 近 代 国 家 で は 、 資 源 の 獲 得 上 、 権 力( 政 府 ) か ら 一 定 の 独 立 性 を 確 保 す る こ と が 重 要 と さ れ19 世 紀 の 国 家 観 は 夜 警 国 家 ( 独 の 労 働 運 動 の 指 導 者 ラ サ ール ) と 呼 ば れ る 。 尤 も 、 「 夜 警 」 は 必 要 で あ り 、 ア ダ ム ・ス ミ ス も 最 低 限 の 公 共 事 業 や 政 府 に よ り 産 業 育 成 を 認 め るの で あ っ て 、 レ セ ・ フ ェ ー ル ( 仏 語 laissez - faire 、 直 訳 は 「 なす が ま ま に せ よ 」 ) は 相 対 的 に 過 ぎ な い 70 。 ま た 、 市 場 にし て も 結 局 は 市 場 が 機 能 す る た め に 度 量 衡 の 統 一 な ど の 制度 を 国 家 が 整 備 し て ( こ れ が 進 め ば 、 経 済 的 公 序 の 議 論 とな る ) 、 こ れ を 支 え る の で あ っ て 、 貨 幣 が 貨 幣 で あ り 続 ける の は 、 市 場 の 力 学 よ り は 政 治 の 作 用 に よ る 71 。
2.4.3.5 近 代 国 家 と 現 代 国 家 と の 違 い は 、 消 極 的 自 由 ( 国家 ・ 権 力 か ら の 自 由 ) か ら 積 極 的 自 由 ( 国 家 ・ 権 力 へ の 自由 ) 72 へ の 重 点 移 行 に 対 応 す る と 云 え そ う で あ る 。 現 代 国家 は 、 例 え ば 、 貧 困 を 個 人 の 怠 惰 で も 、 単 な る 不 幸 ・ 不 運で も な く 、 そ の 原 因 を 社 会 構 造 に 求 め ( 社 会 問 題 の 発 生 ) 、対 応 を 図 ろ う と す る 。 救 恤 ( poor relief = 貧 し い 者 の 援 助 や救 済 ) は 、 有 徳 で 富 裕 な 個 人 の 慈 善 事 業 で は な く 、 公 的 な支 援 体 制 の 整 備 を 要 す る 問 題 だ と さ れ る 73 。 1919 年 ワ イ マ ール 共 和 国 憲 法 の 社 会 権 ( 日 本 の 憲 法 第 25 条 の モ デ ル の 1つ ) や 、 1940 年 代 の 英 ・ ベ ヴ ァ リ ッ ジ 報 告 に よ る 社 会 保 障制 度 整 備 ( 国 民 保 健 サ ー ビ ス N H S は 有 名 だ ろ う ) が そ の画 期 で あ り 、 国 家 活 動 の 拡 大 に は 人 員 と 予 算 が 拡 大 74 す る 。
2.4.3.6 国 家 に よ る 社 会 サ ー ヴ ィ ス の 拡 充 と そ れ に 充 当 され る 財 政 支 出 の 要 請 に よ り 、 国 民 総 生 産 に 占 め る 国 家 財 政の 割 合 が 増 大 し 、 健 康 保 険 や 労 働 保 険 ( 地 方 政 府 へ の 交 付金 ) 関 連 の 支 出 が 増 大 す る 75 。 ま た 、 従 来 の 鉄 道 な ど の 交
70 そもそもスコットランド啓蒙(主義)にあるから、単純な国富推奨者というアダム・スミスのイメージは、さすがに現在では支持されない。Cf.堂目卓生『アダム・スミス』(中公新書)…71 尤も話はそれほど単純ではない。貨幣は貨幣として外部に依存していないからである。Cf.岩井克人『貨幣論』(ちくま学芸文庫)72 Cf. アイザイア・バーリン『自由論』小川晃一他共訳(みすず書房)73 米では自助・自力救済( self - help )が強調され、自助の努力を惜しまない者には、公的な機関や有徳者の善意による支援がなされる。God helps those who help themselves. という。74 シリル・ノースコート・パーキンソン『パーキンソンの法則』森永晴彦訳(至誠堂)によれば、「公務員数は仕事の量とは無関係に増大する」。75 社会保障制度が軍人(や公務員)に対する給付として始まったことは忘れられやすい。
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通 / 運 輸 関 係 の イ ン フ ラ 整 備 に 加 え 、 教 育 ・ 住 宅 な ど の 社会 サ ー ヴ ィ ス も 増 大 す る 。 こ の 要 請 に 応 じ る た め に 、 新 たな 収 入 源 ( 租 税 ) の 開 発 が 求 め ら れ て 、 所 得 税 や 相 続 税 の導 入 な ど 、 税 制 の 大 幅 な 変 化 が 生 じ た 。 こ の よ う に し て 、国 家 経 済 に お け る 国 家 財 政 や 地 方 財 政 が 占 め る 割 合 は 、 国家 間 で 多 少 の 際 は あ っ て も 、 全 体 と し て 次 第 に 増 え て いく 。
Ⅱ 近 代 政 治 と 現 代 政 治
3 社 会 変 動 と 政 治 争 点
3.0 こ の 回 は 歴 史 社 会 学 風 で あ る 。 社 会 変 動 と 政 治 争点 と の 関 係 を 大 雑 把 に 述 べ れ ば 、 以 下 の よ う に な る だ ろ う 。
人 口 の 増 減 と 移 動 、 都 市 化 、 工 業 化 、 世 俗 化 、 科 学 技術 の 発 達 な ど の 社 会 変 動 に 対 応 し て 、 社 会 の 利 益 は 一 層 分化 し 、 多 様 化 す る 。 そ し て 、 そ の 分 化 や 多 様 化 を 表 す 象 徴( 言 葉 ) が 選 択 さ れ 、 そ の 象 徴 を 用 い て 利 益 実 現 が 図 ら れ る 。 社 会 が 変 わ る と 、 権 力 ( 政 府 ) の 仕 事 が 変 わ り 、 権 力( 政 府 ) の 仕 事 が 変 わ る と 、 社 会 が 変 わ る 。 社 会 か ら 生 まれ る 問 題 を 社 会 が 自 律 し て 解 決 で き な い 場 合 、 社 会 の 安 定し た 運 営 を 図 る 上 で 、 分 化 し 、 多 様 化 し た 利 益 の 調 整 は 、国 家 ( 権 力 な い し 公 的 部 門 ( public sector ) ) に 期 待 さ れ る 。こ う し て 質 量 と も に 社 会 問 題 は 増 加 ・ 拡 大 し 、 一 方 で は 政治 的 ア ク タ が 取 捨 選 択 す る 政 治 争 点 と し て 、 他 方 で こ の 意味 で の 政 治 争 点 と は 一 応 独 立 し て 対 応 す べ き 行 政 課 題 ( どの 政 治 家 や 政 治 勢 力 が 政 権 を と ろ う と も 、 多 か れ 少 な か れ果 た さ な け れ ば な ら な い 課 題 ) と し て 理 解 さ れ 、 こ こ に 広義 の 政 治 的 課 題 は 、 狭 義 の 政 治 的 課 題 と 行 政 ( 政 治 的 中 立性 ) 的 課 題 へ と 分 け ら れ て 理 解 さ れ 始 め る 。 と い う の も 、社 会 問 題 の 解 決 を 図 る 政 策 形 成 に は 立 案 と 実 施 の 2 つ の 過程 や 側 面 が あ り 76 、 前 者 に は 社 会 の 構 成 員 の 価 値 実 現 の み な ら ず 、 不 公 平 感 の 解 消 な ど へ の 配 慮 が 、 後 者 に は 資 源 の 効 率 的 活 用 を 可 能 と す る 技 術 能 力 が 求 め ら れ る か ら で あ る 。こ こ に 、 人 の 管 理 と 物 の 管 理 と の 調 整 を 、 誰 が ど の よ う な制 度 ( 手 続 ・ 方 法 ) を 通 じ て 実 施 す る の か と い う 問 題 が 、国 家 を 舞 台 と し た 争 点 ・ 課 題 と な る 。 そ し て 、 社 会 問 題 への 対 応 過 程 で 生 じ る 政 治 的 ア ク タ の 盛 衰 、 創 出 さ れ る 政 治制 度 や 政 治 組 織 の 変 化 が 、 新 た な 社 会 変 動 を も た ら す 。 ま
76 Plan (立案・立法)、Do (実施・行政)、See (評価・司法)という三段階モデルとその循環がわかりやすいかもしれない。例えば、評価を中心にサイクルを考えれば、 See → Plan → Do → See となる。最近は、plan-do-check-act (PDCAサイクル)が事業活動における管理の指針として用いられることも多いが、両者に大した違いはない。
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た 、 こ う し た 社 会 変 動 と 政 治 争 点 と の 相 互 作 用 に 対 応 し て 、 利 益 を 表 出 す る 象 徴 の 創 造 と そ の 制 御 を め ぐ る 政 治 が 繰 り広 げ ら れ 、 そ の 象 徴 が 新 た な 権 力 関 係 を 作 り 出 す ( → 4 .3 つ の 政 治 ) 。
3.1. 人 口 の 増 減 と 移 動
3.1.1 社 会 変 動 の 主 要 原 因 は 人 口 の 急 激 な 増 減 あ る い は 移 動 で あ る 。 欧 州 で は 、 1750 年 以 降 人 口 が 増 加 し 始 め 、 革命 と 戦 争 に よ る 中 断 を 経 て 、 19 世 紀 に 増 加 傾 向 は 続 く 。 19世 紀 以 降 の 英 の 人 口 増 加 は 驚 異 的 で あ る 仏 革 命 後 、 英 独。 、に 較 べ て 、 仏 の 停 滞 が 際 だ つ 。 革 命 以 前 、 仏 は は ハ プ ス ブル ク 帝 国 と 並 び 、 自 他 と も に 認 め る 大 国 だ っ た 。 独 は ま だ多 数 の 国 家 に 分 か れ て い た か ら で あ る 。
◎ 国 家 統 計 を 扱 う に 際 し て は 、 領 土 の 変 更 に 注 意す る 。 な お 、 統 計 が 整 備 さ れ る こ と の 政 治 的 意 味 は 重要 で あ る 。 そ の 背 景 に は 、 政 府 の 管 理 能 力 、 官 僚 制の 整 備 、 統 計 学 の 発 達 が あ り 、 ま た 、 統 治 を 数 値 で 評価 す る 発 想 が 根 付 く こ と で も あ る 。 こ こ に 、 政 治 算
術 と い う 発 想 が あ る 77 。 と も あ れ 、 一 定 程 度 以 上 正 確 な 統 計 が 整 備 さ れ て い る こ と は 、 立 派 な 国 家 の 指 標 だ ろ う 。 国 民 が 国 家 を 最 低 限 信 頼 し な い と 整 備 で き な い か ら で あ る 。
1801 年前 後
1851 年 前後
1901 年前 後
1951 年前 後
英 8,893,000 100 15,914,000 179 32,528,000366
43,758,000 492
仏 27,349,000 100 35,783,000 131 38,451,000141
42,781,000 157
独 22,377,000100
33,413,000 149 64,926,000290
69,175,000 309
( B . R . ミ ッ チ ェ ル 編 『 イ ギ リ ス 歴 史 統 計 』 中 村 寿 男訳 ( 原 書 房 ) よ り 。 前 の 数 字 は 人 口 の 概 数 。 後 の 数 字、は 、 1801 年 前 後 を 100 と し た 場 合 の 人 口 の 変 動 の 割 合 を 示 す 。な お 、 各 国 と も 植 民 地 ( 海 外 領 土 ) を 含 ま な い ま た 、 統。
77 Cf. ウィリアム・ペッティ『政治算術』大内兵衛、松川七郎訳(岩波文庫)、ダニエル・ドーリング、スティーヴン・シンプソン編『現代イギリスの政治算術』岩井浩他監訳(北海道大学図書刊行会)
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計 処 理 上 、 独 は 統 一 以 前 も 独 諸 国 の 人 口 を 合 計 し て い る ) 。な お 19 世 紀 半 ば ま で の 日 本 の 人 口 は 3,000 万 人 前 後 だ っ た と考 え て い い 。
3.1.2 人 口 増 加 は 「 マ ル サ ス の 罠 」 か ら の 解 放 を 示 し て いる 。 人 口 の 停 滞 や 減 少 は 、 結 婚 条 件 ( 相 続 条 件 ) の 制 限 、避 妊 法 や 中 絶 の 普 及 ( 19 世 紀 に な っ て 女 性 の 平 均 寿 命 が 男性 を 上 回 る ) 、 天 候 不 良 な ど に よ る 食 糧 問 題 に 、 内 乱 や 戦争 の 発 生 、 疫 病 の 蔓 延 が 重 な っ た 場 合 、 大 き く な る 78 。 戦争 や 内 乱 が 人 口 減 少 を 伴 う の は 自 明 で あ る が 、 男 性 ・ 女 性の 人 口 比 率 、 年 代 別 の 人 口 比 率 な ど に も 影 響 す る こ と に 注意 が 必 要 だ ろ う ( 参 考 ま で に 、 1792 年 ~ 1815 年 で 仏 の 戦 没 者は 130 ~ 150万 人 。 も っ と 多 か っ た と い う 歴 史 家 も い る ) 。 19世 紀 の 人 口 増 大 は 、 農 業 社 会 か ら 工 業 社 会 へ と 移 行 と 並 んで ( 直 感 的 に は 不 思 議 な こ と だ が 、 都 市 や 工 業 は 多 く の 人口 を 養 え る 。 食 糧 を 生 産 す る 農 民 の 数 が 減 る の に 人 口 が 増え る ) 、 出 生 率 の 増 大 か 死 亡 率 の 減 少 に よ る が 、 後 者 は 、1815 年 ~ 1914 年 の 「 平 和 な 100 年 」 、 医 療 技 術 の 発 達 ( 疫 病 の克 服 や 乳 幼 児 の 生 存 率 の 向 上 ) 79 、 食 糧 増 産 ( 農 業 の 集 約化 ) 、 公 衆 衛 生 の 推 進 ( 下 水 道 の 整 備 ) 、 労 働 条 件 の 改 善な ど に よ る ( 乳 幼 児 の 死 亡 率 低 下 も あ っ て 平 均 寿 命 も 延 びる ) 。 仏 革 命 な ど 暴 動 が 都 市 で 起 こ り や す い の は 食 糧 問、題 が 単 な る 絶 対 量 の 確 保 の 成 否 だ け で な く 、 配 分 や 流 通 機構 の 問 題 だ か ら で も あ る 。 パ ン 価 格 の 上 昇 が 都 市 住 民 に とっ て は 、 政 府 の 失 策 か 商 人 の 悪 巧 み だ と 理 解 さ れ や す い 80 。現 代 で も 災 害 時 や 開 発 途 上 国 へ の 援 助 ニ ュ ー ス で 取 り 扱 われ る よ う に 、 食 糧 が 山 積 み と な る ( そ し て 捨 て ら れ る ) のは 、 輸 送 手 段 を 欠 い て い る 場 合 が 多 い 。 不 作 や 食 糧 不 足 は 、農 村 ( 農 民 ) に と っ て は 天 災 で あ り 、 住 民 ( 都 市 ) に と って は 人 災 で あ る 。 従 っ て 、 権 力 は 都 市 を 優 先 的 に 保 護 す る 。
◎ 17 世 紀 か ら 19 世 紀 前 半 は 、 一 般 に 寒 冷 化 で あ った 。 現 在 温 暖 化 が 騒 が れ て い る が 、 温 暖 化 よ り も 寒 冷
化 の 方 が は る か に 深 刻 な 結 果 を も た ら す 。
◎ 第 1 次 大 戦 中 に 、 イ ン フ ル エ ン ザ が 流 行 し 、 それ に よ る 死 者 は 戦 死 者 よ り 多 か っ た ( 5,000 万 人 前 後 )
78 人口学(歴史人口学)は、人口の変動が社会を確実に変えることから、社会変動を考える上で必須である。Cf.、速水融『歴史人口学の世界』(岩波書店)、鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫)、河野稠果『人口学への招待』(中公新書)、ピーター・ラスレット他著・斎藤修編著『家族と人口の歴史社会学』(リブロポート)などが入りやすい。また、速水融・小嶋美代子『大正デモグラフィー』(文春新書)、速水融・鬼頭宏・友部謙一編『歴史人口学のフロンティア』(東洋経済新報社)、速水融篇『歴史人口学と家族史』(藤原書店)などはワクワクするほど面白い。79 Cf. ダニエル・R・ヘッドリク『帝国の手先』原田勝正他訳(日本経済評論社)、見市雅俊『コレラの世界史』(晶文社)80 Cf. 藤田弘夫『都市の論理』(中公新書)
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こ と は 知 ら れ て い る ( し か し 、 戦 死 者 に は 名 誉 が 与 えら れ て も 、 病 死 に は 与 え ら れ な い ) が 、 注 目 す べ き はそ の 「 ス ピ ー ド 」 で あ る 。 人 の 移 動 や 交 流 が 盛 ん に なる と 、 蔓 延 ま で の 時 間 は 短 い 。 そ し て 、 対 策 を 立 て る時 間 が な く て 、 防 ぎ よ う が な い 。 そ の 意 味 で 病 気 は 人災 で も あ る 81 。
◎ 欧 州 は 日 本 に 較 べ 、 降 水 量 が 少 な い こ と も あ って 、 上 下 水 道 は ( 地 域 に よ り 時 期 の 差 は あ る が ) 1 9世 紀 後 半 に な っ て 整 備 が 進 ん だ 82 。 従 っ て 、 都 市 部 では 、 人 口 密 集 で あ る こ と と 相 俟 っ て 、 一 旦 疫 病 が 流 行る と 、 蔓 延 し や す か っ た ( 農 村 部 は 自 然 の 浄 化 シ ス テム が あ る ) 。 欧 州 の 歴 史 で 、 定 期 的 に ペ ス ト な ど の 伝
染 病 で の 大 量 死 が 発 生 す る 理 由 で あ る 。
◎ 都 市 は 当 初 、 男 性 の 数 が 女 性 の 数 を 大 き く 上 回る こ と が 多 い 。 従 っ て 、 結 婚 で き な い 若 い 男 性 が 多 くな り 、 そ の 分 、 性 犯 罪 が 増 え れ ば 、 売 春 の 公 認 な ど の対 策 が 図 ら れ る 。 こ の 種 の 「 統 治 の リ ア リ ズ ム 」 を どの よ う に 理 解 す る 上 で 、 単 純 な 正 義 論 を 持 ち 込 ん で も 、問 題 が 拡 大 す る だ け だ ろ う 。
3.1.3 人 口 増 加 は 、 余 剰 人 口 ( 人 口 圧 力 ) を 作 り 出 す 。 余剰 人 口 は 失 業 者 対 策 だ け で な く 、 生 き 甲 斐 対 策 を 緊 急 の 課題 と す る 。 余 剰 人 口 を 農 業 、 工 業 な ど の 産 業 分 野 、 あ る いは 軍 人 な ど へ の 登 用 に よ っ て 吸 収 で き な い 場 合 、 都 市 へ の流 入 、 入 植 地 の 開 発 、 外 国 へ の 移 民 ( 奨 励 ) な ど に つ な がる 。 人 口 移 動 を 可 能 に す る 条 件 は 、 人 身 の 自 由 ( Habeas Corpus < 羅 語 ) で あ り 、 そ の 導 入 は 西 欧 で 早 く 、 東 欧 で 遅 れる 。 都 市 へ の 流 入 ( 都 市 化 ) は 都 市 問 題 を 生 み 出 し 、 次 第に 地 方 ( こ の 場 合 は ジ カ タ と 読 む ) 行 政 よ り 町 方 行 政 が 重要 に な る 。 入 植 地 の 開 発 は 、 し ば し ば 先 住 民 や 隣 国 と の 紛争 を 作 り 出 す 。 人 間 は モ ノ と 違 っ て 、 強 制 排 除 し づ ら い から 社 会 問 題 に な り や す い 。
外 国 へ の 人 口 移 動 は 、 出 稼 ぎ や 移 住 で あ り 、 特 に 19 世紀 以 降 、 米 へ の 移 民 が 多 い ( 5,000 万 人 以 上 。 米 の 推 定 人 口は 1800 年 に 約 600万 人 、 1850 年 に 約 2,350 万 人 、 1900 年 に 約 7,600 万人 。 3.1.1 の 英 仏 独 の 人 口 を 見 て も 、 米 の 急 激 な 膨 張 が わ かる ) 。 そ れ は 「 自 由 の 国 」 と い う イ メ ー ジ の 産 物 で あ り 、ま た 、 土 地 の 獲 得 が 比 較 的 容 易 で あ り 、 税 金 が 比 較 的 安 く 、カ リ フ ォ ル ニ ア で の 金 鉱 発 見 ( 1849 年 ) の よ う な 豊 富 な 天然 資 源 の 発 見 と も 関 連 す る 。 米 へ の 移 民 は 、 ア フ リ カ か らの 奴 隷 や 19 世 紀 末 か ら 問 題 と な る ア ジ ア 系 の 移 民 を 除 け
81 Cf.トム・クイン『人類対インフルエンザ』(朝日新書)82 Cf.鯖(旧字)田豊之『都市はいかにつくられたか』(朝日選書)
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ば 当 初 は 英 、 次 第 に 独 、 さ ら に 愛 蘭 、 波 、 伊 な ど 公 教 会、系 諸 国 が 目 立 ち 始 め る 。 移 民 の 中 に は 、 宗 教 的 難 民 、 政 治的 難 民 ( 1848 年 革 命 の forty - eighters ) な ど が 混 在 し て い る が 、当 然 一 部 は 「 便 乗 組 」 で あ る 。 米 が 市 民 権 と い う 国 家 原 理を 採 用 し 、 米 で 生 ま れ た 子 供 を 米 人 だ と 認 め れ ば ( 出 生( 地 ) 主 義 ⇔ 血 統 主 義 ) 、 不 法 移 民 の 子 ど も は 米 国 人 と なる 。
◎ 米 に お け る フ ロ ン テ ィ の 消 滅 はア 1890 年 代 で あり 、 そ れ ま で は 西 へ と 発 展 す る 。 発 展 の 手 法 は 、 土 地の 租 借 や 買 上 、 ネ ィ テ ィ ブ ・ ア メ リ カ ン ( イ ン デ ィ アン ) の 駆 逐 で あ り 、 19 世 紀 の 二 大 政 治 勢 力 の 一 方 を 代表 す る ジ ャ ク ソ ン 大 統 領 は 、 自 営 農 民 の 国 を 謳 っ た 。
◎ 軍 事 国 家 で は 人 口 に お け る 兵 士 の 割 合 が 増え る 。 当 然 な が ら 、 民 主 化 す れ ば 、 兵 士 の 多 く は 解
任 さ れ る 。 戦 時 体 制 が 終 わ っ て も 同 様 の 事 態 が 生 じる 。 し か し 、 大 量 の 「 元 兵 士 」 は 、 戦 場 で の 「 非 人間 的 な 」 体 験 を 心 理 的 に 克 服 し づ ら く 、 ま た か り に克 服 で き て も 、 そ の 青 年 時 代 ( 10 代 後 半 か ら 20 代 に
か け て ) に 職 業 訓 練 を 受 け て お ら ず 、 「 社 会 復 帰 」 は 難 し い ( 人 生 設 計 が 台 無 し に な る ) 。 国 の た め に
生 死 を か け た の に 、 そ の 後 、 放 置 さ れ れ ば 、 「 や って ら れ な い 」 気 持 ち に な る の は 当 然 だ ろ う 。 し か も 、兵 士 が 受 け た 軍 事 教 育 の 影 響 は 平 時 に も 残 存 し 、 家庭 や 会 社 で の 生 活 を 難 し く す る 。 こ こ に 脱 軍 事 国 家の 民 主 化 や 戦 後 の 平 時 へ の 切 り 替 え の 難 し さ が あ る 。19 世 紀 の 独 で 、 兵 士 を 優 先 的 に 鉄 道 建 設 に 登 用 し た 83
の は 、 こ の 意 味 で の 対 策 で も あ っ た だ ろ う ( 日 本 だと 、 炭 鉱 や 新 聞 社 だ っ た の だ ろ う か ) 。 こ の 種 の 研究 が 民 主 化 論 で 行 わ れ な い の は 、 研 究 の 欠 陥 だ ろ う 。こ う い う 議 論 が あ っ て は じ め て 、 民 主 化 論 は 机 上 の空 論 を 脱 す る こ と が で き る 。
3.2. 都 市 化
3.2.1 農 業 社 会 か ら 工 業 社 会 へ の 移 行 は 、 就 業 人 口 で みれ ば 、 英 を 除 き 、 19 世 紀 後 半 な い し 20 世 紀 前 半 の 現 象 で ある 。 19 世 紀 の 特 色 は 、 全 人 口 に 占 め る 都 市 人 口 の 割 合 が 増え 、 同 時 に 首 都 が 質 量 と も 拡 大 す る こ と で あ る 。
1801 年 1851 年 1901 年 1951 年
83 鴋澤歩『ドイツ工業化における鉄道業』(有斐閣)第8章
36
倫敦
1,117,000 ( 100)
2,685,000 ( 240)
6,586,000 ( 590)
8,348,000 ( 747 )
12.6% 16.9% 20.2% 19.1%
巴里
547,000 ( 100)
1,053,000 ( 193)
2,714,000 ( 496)
2,850,000 ( 521 )
2.0% 2.9% 7.1% 6.7%
伯林
172,000 ( 100)
419,000 ( 244)
1,889,000 ( 1098 )
3,337,000 ( 1940 )
0.8% 1.3% 2.9% 4.8%
( B . R . ミ ッ チ ェ ル 『 ヨ ー ロ ッ パ 歴 史 統 計 』 ( 東 洋書 林 ) よ り 作 成 。 表 の 上 段 の 括 弧 は 1801 年 を 基 準 と し た 比率 。 括 弧 の 後 の % は 、 首 都 が 全 人 口 に 占 め る 割 合 を 指 す 。都 市 人 口 の 増 大 は 市 町 村 合 併 に よ る 部 分 も あ り 、 注 意 を 要す る 。 巴 里 は 行 政 区 画 の 関 係 で か な り 小 さ め に な っ て い る 。1801 年 は 革 命 以 前 よ り も 人 口 が 減 少 し て い る 。 と も あ れ 、当 初 か ら の 倫 敦 へ の 人 口 集 中 、 伯 林 の 急 速 な 拡 大 な ど が 顕著 で あ る 。 ま た 、 江 戸 時 代 1 9 世 紀 前 半 の 三 都 の 人 口 に つい て は 所 説 あ る が 、 お お よ そ 江 戸 が 100万 人 強 、 大 坂 が 30 ~40 万 人 、 京 都 が 30 万 人 前 後 と 考 え て い い ) 。
3.2.2 農 村 は そ の 多 く が 、 誰 か の 所 領 ( estate ) に 帰 属 する 。 従 っ て 土 地 の 所 有 形 態 ( 自 作 農 が 小 作 農 か ) 、 土 地、と 農 民 と の 関 係 ( 農 民 は 自 由 民 か 農 奴 か ) 、 相 続 制 度 ( 単子 相 続 制 か 均 分 相 続 制 か ) 、 作 物 の 種 類 ( 小 麦 、 葡 萄 、 じゃ が い も … ) に よ っ て 、 地 方 行 政 の あ り 方 は か な り 異 な る 。
◎ 農 業 の 生 産 性 は 直 接 に は 天 候 に 左 右 さ れ る が 、西 欧 と 東 欧 で は 事 情 が 異 な る 。 西 欧 と 違 っ て 、 東 欧 では 労 働 力 の 投 入 が 生 産 量 の 上 昇 に 直 接 結 び つ い た の で 、人 口 圧 力 は 農 村 部 で 吸 収 さ れ や す か っ た 。 な お 、 土 地の 生 産 性 を 表 す の は 通 例 、 作 物 の 取 れ 高 ( 日 本 で 云、え ば 石 高 ) だ が 、 東 欧 で は 労 働 力 で 表 す 。 つ ま り 、、そ れ だ け 土 地 が 痩 せ て お り 小 作 人 労 働 に 全 面 的 に 依、存 す る 農 業 経 営 で あ る こ と が わ か る 。 従 っ て 小 作 人、( 農 奴 ) の 逃 散 こ そ が 、 領 主 に と っ て 最 大 の 悩 み だ った 。
◎ 日 本 語 で の 本 百 姓 と 水 呑 百 姓 の イ メ ー ジ も あっ て 、 少 々 誤 解 し や す い が 、 自 作 農 の 方 が 小 作 農 よ り豊 か と は 言 え な い 。 土 地 を 借 り て 、 生 産 性 を 上 げ る 小作 農 の 例 も 少 な く な い か ら で あ る 。 日 本 で は 、 表 向 き
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小 作 農 が 少 な く な い 。 ま た 、 小 規 模 経 営 だ か ら と い って 貧 し い と は 限 ら な い 。 家 計 を 支 え る 「 副 業 」 が あ るか ら で あ る 。 現 代 で は 、 兼 業 農 家 が そ れ に 当 た る だ ろう 。 農 家 へ の 補 助 金 獲 得 に 熱 心 な の は 、 そ う し た 人 たち で あ る 。
3.2.2.1 英 の よ う に 、 少 数 者 ( 貴 族 ) へ の 土 地 集 中 が 顕 著で あ り 、 土 地 貴 族 が 所 領 経 営 に 熱 心 で あ る 場 合 ( 大 規 模 な農 地 経 営 、 単 子 相 続 制 ) 、 農 村 は 貴 族 の 所 領 と い う 政 治 的意 味 を 持 ち 、 country は 中 央 ( 宮 廷 、 court ) に 対 す る 存 在 と して 位 置 づ け ら れ る 。 従 っ て 、 中 央 政 府 が 地 方 行 政 に 乗 り 出す こ と は 、 貴 族 統 治 へ の 干 渉 と 理 解 さ れ る 。 中 央 地 方 関 係は 、 何 よ り も 身 分 間 の 「 力 関 係 」 に 左 右 さ れ る 。
◎ 英 の 所 領 は 大 陸 の 数 倍 か ら 数 十 倍 84 で あ り ( 露 など は 除 く ) 、 し か も 、 英 国 貴 族 の 地 位 の 上 下 は 、 土地 の 広 さ と 、 さ ら に は 財 産 や 識 字 率 と も 相 関 し て いる 。 そ の 土 地 の 広 さ は 、 日 本 で は 想 像 し が た い 。 五爵 の ト ッ プ に あ る 公 爵 は 「 平 均 」 143,000acre ( 572平 方 ㎞= 17,300 万 坪 ) 、 侯 爵 は 平 均 48,000acre ( 192平 方 ㎞ ) 、 伯爵 は 平 均 30,000acre ( 120平 方 ㎞ ) で あ る 。 ち な み に 、 新潟 大 学 五 十 嵐 キ ャ ン パ ス は 60ha で 、 公 爵 は 950倍 、 伯 爵で も 200倍 、 公 爵 は 合 併 後 の 新 潟 市 と ほ ぼ 同 じ 面 積 であ る 。 つ ま り 、 17 世 紀 に 、 貴 族 の 没 落 と か 、 ブ ル ジョ 革 命 が あ っ た と か が 神 話 だ と わ か る 。ア 1880 年 代 にな っ て 、 よ う や く 土 地 貴 族 社 会 が 弱 ま り 、 所 領 が ほぼ 単 な る 不 動 産 に 成 り 下 が る 。 日 本 の 土 地 所 有 ( 大地 主 ) 85 に つ い て は 、 新 潟 は 豪 農 が 多 か っ た ( 市 島 家 、伊 藤 家 な ど ) こ と で 知 ら れ る が 欧 州 に 較 べ れ ば 、 農、地 経 営 は 小 規 模 で あ り 、 日 本 の 最 大 の 土 地 持 ち で も「 わ ず か 」 280平 方 ㎞ で あ り 、 そ れ も 中 国 地 方 の 「 山林 」 王 で あ る 。
3.2.2.2 日 本 が し ば し ば 糸 魚 川 静 岡 構 造 線 な ど に よ り 東 西で 分 け ら れ る よ う に 86 、 仏 で は 、 ロ ア ー ル 川 ( → 地 図 ) の南 北 で 農 村 の あ り 方 が 異 な り 、 北 部 の 巴 里 周 辺 で は 小 麦 など の 大 規 模 経 営 が 盛 ん で あ る の に 対 し 、 中 南 部 で は 歴 史 的に は ラ テ ン 諸 国 に 広 く 存 在 し た 分 益 小 作 制 ( 典 型 は 伊 中
84 Cf. 水谷三公『英国貴族と近代』(東京大学出版会)85 Cf. 角田夏夫『豪農の館』(北方文化博物館)86 実際には、東日本と西日本という2分法は単純すぎるのだろう。Cf.赤坂憲雄『東西/南北考』(岩波新書)、宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)、宮本常一『塩の道』(講談社学術文庫)、野地恒有『漁民の世界』(講談社選書メチエ)、福田アジオ『番と衆』(吉川弘文館)、大野晋・宮本常一『東日本と西日本』(日本エディタースクール出版部)、赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』(ちくま学芸文庫)、梅棹忠夫『日本探検』(講談社学術文庫)、宮本常一『民俗のふるさと』(河出文庫)、大林太良『東と西 海と山 ― 日本の文化領域』(小学館ライブラリー)、いずれも読んでいて楽しい本である。
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部 ) 、 す な わ ち 、 地 代 を 現 物 で 支 払 い 、 収 穫 高 に 対 す る 比率 が 決 定 ( 平 等 分 配 ) す る 方 式 が 見 ら れ る 。 こ こ で は 土 地所 有 者 は 不 在 で あ り 、 そ の 後 小 規 模 な 自 営 農 民 を う み だ した 後 も 、 政 治 的 に 急 進 化 し や す い 傾 向 が あ る 。
3.2.2.3 独 で は 、 エ ル ベ 川 の 東 ( 伯 林 の 位 置 に 注 意 ) と 、ラ イ ン 川 で 異 な る ( → 地 図 。 独 南 部 に は 、 欧 州 の 国 際 河 川ド ナ ウ 川 の 上 流 が あ る ) 。 し ば し ば 用 い ら れ る 表 現 で い えば 、 「 葡 萄 ( = 文 明 ) の と れ る ラ イ ン 川 」 と 「 じ ゃ が い もを 栽 培 す る ( そ の 程 度 の 文 明 度 で あ る ) エ ル ベ 川 の 東 側 地域 」 の 対 照 で あ り 、 後 者 で は 農 民 が 土 地 に と い う よ り は 領主 ( ユ ン カ ) に 所 属 す る と い う 「 農 奴 制 」 が 長 ら く 続 い た 。尤 も 、 ユ ン カ の 農 場 経 営 は 資 本 主 義 に 対 応 し て い た と は いえ る 。
3.2.3 農 村 と 都 市 と の 区 別 は 、 ま ず は 人 口 の 多 寡 で あ る( も ち ろ ん 、 欧 州 と ア ジ ア の 人 口 規 模 の 違 い に 注 意 す る 。欧 州 で は 、 長 ら く 2 ~ 3 万 人 も い れ ば 立 派 な 都 市 だ っ た ) 。中 世 以 降 、 「 緑 の 海 の 中 に 浮 か ぶ 島 」 87 が 欧 州 の 都 市 だ とい う 外 見 上 の 違 い が あ り 、 欧 州 の 都 市 に は 、 市 庁 舎 と 教 会と 広 場 が あ っ て 、 城 壁 に 囲 ま れ て い る の が 典 型 で あ る 。 遠く か ら 教 会 の 塔 が 見 え る と 都 市 で あ り 、 門 を く ぐ る と 入 市税 を 払 う と い う の が 通 例 で あ っ た 。 欧 州 都 市 の 特 色 は 法 律上 の 存 在 で あ る こ と 、 市 民 は 市 民 と い う 資 格 を も っ た 存 在( 1 年 と 1 日 以 上 の 滞 在 ) で あ る こ と に あ る 88 。 従 っ て 、 都市 住 民 の 資 格 条 件 と し て は 、 都 市 の 自 主 的 な 維 持 管 理 ( 自治 ) へ の 参 加 義 務 が あ り 、 こ れ が 公 共 精 神 を 涵 養 す る と して 、 し ば し ば 望 ま し い 政 治 モ デ ル と さ れ て き た 。 都 市 で ある 資 格 は 、 君 主 か ら の 特 許 状 ( charter = 設 立 許 可 書 で し ばし ば 特 権 が 付 与 ) が 多 い 。 「 都 市 の 空 気 は 自 由 で あ る 」( 独 語 : Stadtluft macht frei. ) と は 、 領 主 の 支 配 か ら 自 由 、 信 教の 自 由 、 農 民 ・ 農 奴 身 分 か ら の 自 由 を 指 す 。 そ し て 、 こ うし た 「 城 壁 」 都 市 は 、 1 9 世 紀 を 通 じ て 、 従 来 の 市 壁 が 破壊 さ れ る こ と に よ っ て 拡 大 し て い く 。
◎ 都 市 の 定 義 は セ ン ス が 問 え る 好 い 問 題 で あ る 。 「 い い 医 者 が い る の が 都 市 」 ( 岡 義 達 ) と い う
の は 、 都 市 は 不 衛 生 で あ り 、 永 住 で き る 条 件 に は 不可 欠 だ と い う 理 由 か ら で あ る 。 他 に は 、 飲 み 屋 、 遊女 ( 網 野 善 彦 ) な ど が あ る 。
◎ か な り 乱 暴 に 要 約 す れ ば 、 通 行 税 か ら の 解 放 は 、都 市 自 体 の 監 督 を 必 要 と し 、 こ れ が 属 地 主 義 の 発 展 を
87 Cf. 堀米庸三『中世の森の中で』(河出文庫)88 Cf. フランソワ・オリヴィエ=マルタン『フランス法制史概説』塙浩訳(創文社)
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促 し 、 ま た 、 独 自 の 租 税 制 度 を 持 ち た い 欲 求 が 市 壁 の建 造 へ と つ な が っ た 。 都 市 は 貨 幣 経 済 の 中 心 地 で あ り 、国 王 や 貴 族 の 借 金 の 肩 代 わ り ・ 保 証 人 と な る こ と に よっ て 、 発 言 権 を 獲 得 し 、 中 欧 で は 君 主 か ら 独 立 し た 法的 地 位 を 獲 得 し た 。
3.2.4 農 村 で 一 生 を 過 ご す と い う こ と は 、 共 同 体 、 職 住 接近 の 中 で 暮 ら す こ と で あ り 、 閉 鎖 イ メ ー ジ が あ る 。 こ れ に対 し 、 都 市 に は 各 地 か ら 異 な っ た 価 値 観 や 職 業 を も っ た 人間 が 流 入 す る た め 、 開 放 イ メ ー ジ が あ る 。 都 市 で は 、 人 間関 係 に お い て 選 択 肢 が 増 え る 。 こ こ か ら 選 択 が で き る 人 間関 係 = 社 交 ( society < sociable ) が 発 達 し 、 社 会 ( society < social )が 生 ま れ る が 、 同 時 に こ れ は 人 が 人 間 関 係 を 選 択 せ ざ る を得 な い 状 況 に 置 か れ る こ と で も あ る 。 こ う し た 都 市 の 開 放イ メ ー ジ は 、 都 市 の 自 由 に よ る も の だ が 、 都 市 へ の 居 住 条件 が 緩 和 し と り わ け 、、 19 世 紀 に な っ て 各 都 市 が 人 口 を 吸収 す る た め に 、 都 市 へ の 流 入 を 制 限 し て き た 壁 を 破 壊 し 始め て 以 降 一 層 そ の 傾 向 は 強 ま っ た 。 一 方 で 「、 都 市 は 墓場 」 と い わ れ る よ う に 、 農 村 か ら の 人 口 流 入 が な け れ ば 、都 市 の 人 口 維 持 は 困 難 だ っ た ほ ど 、 そ の 衛 生 環 境 は 悲 惨 で 、疫 病 が 蔓 延 し や す く 死 亡 率 も 高 か っ た こ の 点 で は 、 江 戸、 。の 上 下 水 道 シ ス テ ム は 先 駆 的 で あ る 。
3.2.5 都 市 へ の 移 住 と は 、 見 知 ら ぬ 土 地 へ の 流 入 で あ り 、都 市 社 会 の 特 色 は 「 根 無 し 草 」 に あ り 、 徂 徠 風 に い え ば「 旅 宿 の 境 遇 ( 涯 ) 」 89 で あ る 。 都 市 で は 自 由 度 は 高 い が 、孤 独 な 生 活 が 強 い ら れ 、 か え っ て 疑 似 共 同 体 を 求 め て 徒 党が 発 生 す る 。 同 じ 身 分 や 階 級 、 職 業 が 集 ま り 、 孤 独 な 集 団を 政 治 資 源 と し て 組 織 化 す る 集 団 が 発 生 す る 。 例 え ば 、 米で 都 市 部 の 選 挙 民 を 組 織 化 す る 方 法 ( コ ー カ ス ) が 、 英 でも 19 世 紀 後 半 、 保 守 党 ・ 自 由 党 に 導 入 さ れ る 。 ま た 、 都 市住 民 の 組 織 化 を 図 ろ う と す る 社 会 主 義 政 党 は 、 生 活 団 体 を形 成 し て 組 織 化 を 図 っ た 90 。 こ う し て 、 都 市 が 発 達 し 、 都市 行 政 ( 貧 民 救 済 ・ 衛 生 ・ 治 安 ⇔ 地 方 行 政 ) が 緊 急 の 課 題と な る 91 。 こ れ に よ り 、 行 政 負 担 が 増 大 し 、 地 方 政 府 の あり 方 が 見 直 さ れ る 契 機 と な る 。 な お 、 こ の よ う な 「 社 会 政策 」 は 、 社 会 主 義 政 党 よ り も 保 守 政 党 が 主 導 す る こ と も 少な く な い 。
3.3. 工 業 化
89 Cf. 荻生徂徠『政談』(岩波文庫、中央公論社他)90 これにより「サブカルチャ」が形成される。例えば、コーラス団体、体操クラブなどである。91 但し、フェルナン・ブローデルによれば、1750 年代まで経済の支配的中心は常に都市であり、その後国家財政となる。Cf . エドガール・モラン『ヨーロッパを考える』林勝一訳(法政大学出版局)
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3.3.1 industrialization と 呼 ば れ る 現 象 は 、 都 市 化 と 並 ん で 近代 化 の 代 表 的 な 指 標 で あ る 。 訳 語 は 面 倒 だ が 、 ひ と ま ず 工業 化 と し て お く 92 。
3.3.2 い わ ゆ る 産 業 革 命 ( Industrial Revolution ) 」 ( 現 在 で は 、産 業 革 命 の 革 命 性 を 否 定 す る 学 者 が 多 い ) は 、 工 業 の 誕 生で は な く 、 産 業 の 工 業 化 に あ る 。 農 業 の 発 明 も 遊 牧 の 発 明も 産 業 革 命 だ か ら で あ る 。 18 世 紀 後 半 に 始 ま る と さ れ る 第一 次 産 業 革 命 で は 、 ワ ッ ト ( 1765 年 ) の 蒸 気 機 関 の 発 明 など が 特 色 と し て 挙 げ ら れ 、 農 業 中 心 社 会 か ら 工 業 中 心 社 会へ の 変 化 を 促 す 。 儲 け る た め の 生 産 ( 商 業 生 産 ) 、 大 量 化 、 規 格 化 、 標 準 化 93 が 進 み 、 次 第 に 農 産 物 で さ え も 工 業 製 品と な る 。 土 地 も 所 領 か ら 不 動 産 ( 財 産 ) へ と 変 わ り 始 め る 。工 場 が 自 然 の 動 力 を 利 用 し な く と も 立 地 可 能 に な る 94 。 また 、 農 産 物 の 販 売 価 格 に 占 め る 非 農 業 分 野 の 収 入 が 増 大 する 傾 向 に あ り 、 第 一 次 産 業 分 野 か ら 第 二 次 産 業 、 第 三 次 産業 へ と 就 業 人 口 が 移 動 す る ( 産 業 の 高 度 化 ) 。 第 二 次 産 業革 命 ( 1880 年 ~ 1920 年 ) は 、 鉄 鋼 、 金 属 、 化 学 分 野 の 産 業 が急 速 に 発 展 し 、 経 済 が 組 織 化 ・ 集 中 化 さ れ 、 職 人 世 界 が 衰退 し 、 米 式 生 産 方 式 ( 20 世 紀 ) の 導 入 が 見 ら れ る 。
3.3.3 英 は 18 世 紀 に こ の 意 味 で の 工 業 化 を 始 め 、 仏 独 で、は 19 世 紀 後 半 以 降 、 工 業 化 は 顕 著 に な る 。 農 民 ( 専 業 農家 ) が 減 少 し 、 労 働 者 が 、 さ ら に は 20 世 紀 に な る と サ ラ リー マ ン ( ホ ワ ィ ト ・ カ ラ ) が 増 大 す る 。 産 業 の 高 度 化 に 従い 、 豊 か と な る 都 市 や 工 業 部 門 へ の 課 税 ( 所 得 税 の 導 入 )が 検 討 さ れ 、 相 対 的 に 生 産 性 が 低 い 農 村 や 農 業 の 保 護 ( 保護 関 税 の 導 入 ) が 重 要 な 政 治 課 題 と な る 。
◎ 最 近 は 、 ホ ワ ィ ト ・ カ ラ と ブ ル ・ カ ラ と い う 区 別の 他 に 、 両 者 の 中 間 的 な 「 グ レ ィ ・ カ ラ 」 と い う 概 念も 用 い ら れ る よ う で あ る 。 さ ら に は 、 農 業 従 事 者 な どを 「 グ リ ー ン ・ カ ラ 」 と 呼 ぶ こ と も あ る ( カ ラ は 「 色( color ) 」 で は な く 、 「 襟 ( collar ) 」 で あ る ) 。 また 、 「 専 門 職 よ り 給 与 の 低 い 事 務 職 で 女 性 に 多 い 職 種と し て 」 、 「 ピ ン ク ・ カ ラ 」 が 使 わ れ る よ う で あ る 95 。こ の 最 後 の 例 に つ い て は 、 色 に 関 す る ジ ェ ン ダ ・ バ ィア ス が 濃 厚 で あ る 。
92 工業化をはじめとする経済については、Cf. アンガス・マディソン『世界経済 2000 年史』金森久雄監訳、政治経済研究所訳(柏書房)、マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅰ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)93 Cf.橋本穀彦の『標準の哲学』(講談社選書メチエ)が、その内容を一部新たにして、『「ものづくり」の科学史 ― 世界を変えた《標準革命》』として講談社学術文庫に入った。このあたりの事情を知るには格好の一冊である。94 Cf. 川勝平太『日本文明と近代西洋』(日本放送出版協会)95 宮本倫好『メディア英語表現辞典』(ちくま学芸文庫)183頁
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3.3.4 工 業 部 門 へ の 影 響 、 こ う し た 急 速 な 工 業 化 へ の 反発 は 、 1810 年 代 英 の ラ ッ ダ イ ト 運 動 ( 手 工 業 者 な ど に よ る機 械 破 壊 ) な ど に 見 ら れ る 。 労 働 問 題 、 工 業 労 働 者 の 孤 独と 組 織 化 、 都 市 暴 動 と が 関 連 し あ う 。 労 働 条 件 は 一 般 に 劣悪 ( 工 業 労 働 者 の 平 均 寿 命 は 20 歳 代 ) で あ り 、 一 連 の 社 会労 働 立 法 が 制 定 さ れ る 。 一 方 、 労 働 者 側 で も 組 織 化 が 進 み 、労 働 者 は 諸 団 体 に と っ て 有 力 な 資 源 と な る 。 こ れ が 組 合 や政 党 の 拡 大 へ と つ な が る 。 19 世 紀 後 半 は 各 分 野 で 組 織 化、が 進 む 労 働 運 動 は し ば し ば 社 会 主 義 運 動 と 結 び 付 く が 、。各 国 の 労 働 運 動 と 社 会 主 義 運 動 と の 関 係 は 、 そ の 発 生 の 前後 関 係 、 運 動 の 強 弱 関 係 に よ っ て 異 な っ て い る 。
3.3.5 産 業 革 命 は 統 治 構 造 に 変 化 を も た ら す 。 「 身 分 から 契 約 へ ( 英 法 学 者 メ ー ン 、 from status to contract ) 」 あ る い は「 土 地 か ら 資 本 へ 」 と い う の が 近 代 化 の 特 色 だ と す れ ば( さ ら に 、 19 世 紀 後 半 か ら は 組 織 の 時 代 へ ) 、 産 業 革 命 によ り 、 人 間 関 係 = 社 会 関 係 を 金 銭 関 係 で 測 る こ と が で き ると い う 了 解 が 次 第 に 受 容 さ れ る こ と に な る 。 こ う し て 、 近代 は 利 益 の 多 様 化 に よ り 序 列 が 数 多 く 発 生 し 、 序 列 間 の 調整 が 不 断 に 要 求 さ れ 、 そ の 調 整 が 近 代 的 な 意 味 で の 政 治 と し て 理 解 さ れ る 。
3.3.6 第 一 次 産 業 革 命 は 、 鉄 道 施 設 、 道 路 整 備 、 度 量衡 の 統 一 、 中 央 銀 行 の 設 立 、 法 典 の 統 一 な ど を 求 め 、 市 場の 整 備 と 拡 大 が な さ れ る 。 こ う し て 市 場 ( 「 イ チ バ 」 か ら 「 シ ジ ョ ウ 」 へ ) が 成 立 し 、 こ の 市 場 の 整 備 と 国 家 統 一 とが 連 動 す る 。 商 品 経 済 が 拡 大 す る と 、 障 碍 の 除 去 ( 関 税 の引 き 下 げ ほ か ) が 要 求 さ れ る 。 そ こ で 、 政 府 の 介 入 を 忌 避す る 自 由 な 市 場 を 維 持 す る た め に 政 府 の 介 入 が 必 要 と な る 。す な わ ち 、 自 由 貿 易 は 管 理 貿 易 と 同 様 に 不 断 の 調 整 が 必 要( 自 由 貿 易 は 強 者 の 論 理 ) と な る 。 一 方 で 、 工 業 生 産 に は過 剰 生 産 傾 向 及 び 製 品 価 格 の 低 廉 化 傾 向 が あ る た め 、 同 時に 外 国 市 場 へ の 参 入 要 求 、 商 品 販 売 ・ 資 本 投 下 の 確 保 が 植民 地 政 策 ( い わ ゆ る 帝 国 主 義 ) へ と 結 び 付 い た 。
3.3.7 植 民 地 は 農 業 ( 入 植 ) と い う 意 味 で も 用 い ら れ る が 、と り わ け 19 世 紀 に お い て は 領 土 拡 大 の 意 味 で の 植 民 地 が 顕著 な 現 象 と な る 。 従 来 、 東 印 会 社 な ど 「 私 的 」 団 体 に 委 ねら れ て い た ア ジ ア な ど で の 植 民 地 経 営 は 、 国 家 に よ る 直 接統 治 へ と 変 化 す る 。 そ の 代 表 例 が 英 に よ る 印 の 直 接 統 治 であ り 、 英 の 東 印 会 社 が 解 散 さ れ ( 1858 年 ) 、 ヴ ィ ク ト リ ア女 王 が 印 皇 帝 と な る ( 1877 年 ) 。
3.3.8 政 府 が 支 出 す る 金 の あ り 方 ( 財 政 ) が 変 化 す る 。 一
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般 に は 、 交 換 手 段 ( 通 貨 ) は 金 属 貨 幣 か ら 紙 幣 、 信 用 へ、と 発 展 す る こ と に な る が 、 例 外 も あ る 96 。 金 貨 は 金 属 と して の 価 値 を 有 し て い る の に 対 し 、 紙 幣 は 「 タ ダ の 紙 切 れ 」で あ り 、 流 通 す る 保 証 が 必 要 と な る 97 。 従 っ て 、 金 本 位 制の 確 立 は 通 貨 政 策 の 安 定 条 件 と な る 。 し か し 、 市 場 に 資 金 需 要 が 発 生 し 、 か つ 金 属 貨 幣 の 在 庫 が 欠 け て い る 場 合 に 通貨 発 行 は 急 務 と な る が 、 金 本 位 制 を 保 持 す れ ば 相 対 的 に、は 金 に 対 し て 通 貨 の 価 値 が 下 落 す る た め 、 イ ン フ レ 対 策 や財 政 赤 字 へ の 対 応 が 重 要 と な る 。 こ れ は 第 1 次 大 戦 後 に 深刻 な 問 題 と な る ま た 、。 19 世 紀 に 顕 著 と な っ た 鉄 道 建 設 など 、 巨 大 プ ロ ジ ェ ク ト へ の 対 応 に は 国 債 な ど の 信 用 が 利 用さ れ 、 資 金 需 要 と 物 価 操 作 、 信 用 成 立 な ど 政 治 と の 関 係 が重 要 な 政 策 課 題 と な る 。
3.4. 世 俗 化 ( 教 会 と 宗 教 )
3.4.1 科 学 と 宗 教 を 対 比 し 、 「 近 代 は 科 学 の 時 代 」 と 見 なす の は 単 純 な 図 式 化 で あ り 、 科 学 も 当 初 は 神 が 創 り 給 う た世 界 の 仕 組 み を 理 解 す る こ と を 目 標 と し て い た 98 。 世 俗 化が 進 ん だ 1 つ の 理 由 は 、 18 世 紀 仏 を 中 心 と し た 「 啓 蒙 ( enlightenment ) 」 運 動 に あ る 99 が 、 だ か ら と い っ て 人 間 が 科学 的 な 意 味 で 合 理 的 に な っ た わ け で は な い 。 少 な く と も 19世 紀 ま で 、 宗 教 問 題 ( 神 の 存 在 証 明 や 神 の 子 と し て の キ リス ト の 正 当 性 ) は 、 欧 州 政 治 の 主 要 な 争 点 で あ り 続 け た 。科 学 は 人 生 や 世 界 の how を 説 明 し て も 、 why を 説 明 し て く れ な い 100。
3.4.2 基 督 教 101 の 分 類 は 難 し い 。 一 般 に は 、 正 統 派 ( オ ー
96 日本は中世から信用経済が発達している(中世ではむしろ通貨が発達しなかった)。江戸時代、大坂の両替商は 事実上の紙幣(手形)を運用していた。尤も、ヨーロッパでも異なる形で信用経済、が発達していた。その中心に、ユダヤ人商人や公教会教会のネットワークがある。また、塩野七生さんの描くイタリア都市もある。Cf.塩野七生『海の都の物語』1~6(新潮文庫)97 この点では 江戸時代、紙幣に近い金属貨幣の運用(天保一分銀)がいち早く発達したことが注目さ、れる Cf。 . 村井淳志『勘定奉行荻原重秀の生涯』(集英社新書)、佐藤雅美『将軍たちの金庫番』(新潮文庫)98 この辺りの説明は、やっぱり日本では村上陽一郎が優れている。『奇跡を考える ―科学と宗教―』は最近文庫になった(講談社学術文庫)。99 Cf. 川出良枝『貴族の徳、商業の精神』(東京大学出版会)100 Cf.池内了『物理学と神』(集英社新書)101 欧州を知るには、基督教の知識が欠かせない。ただ、分かりづらいのも確かである。池澤夏樹『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(小学館)は一通りの知識を知るにはいい。最近出た手頃な入門書としては、田川健三ほか著『はじめて読む聖書』(新潮新書)がいい。色んな聖書の読み方がわかるし、第Ⅴ章など優れている。橋爪大三郎・大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)は売れたようだが、それを読んだ後で、ふツ一連・編『ふしぎな「ふしぎなキリスト教」』(慧文社)を読むと、二度楽しめる(といえば言い過ぎだろうか)。どちらの方が正しいのかは判断できないが、批判書を読む限りでは、批判する側の方が大半が正しいように思える(若干気になる部分があった。例えば、148頁の、「キリスト教を理解する」ための本であるなら、「キリスト教での理解を述べるべき」で
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ソ ド ク ス 、 正 教 会 ) 、 普 遍 派 ( カ ト リ ッ ク 、 公 教 会 ) 、 抗議 派 ( プ ロ テ ス タ ン ト ) の 3 大 宗 派 が あ る 。 た だ し 、 プ ロテ ス タ ン ト と い う 個 別 の 宗 派 は 存 在 し な い 。 プ ロ テ ス タ ント と は 、 ル タ ー 派 ・ カ ル ヴ ァ ン 派 ・ 改 革 派 な ど 広 義 の 福 音主 義 = 反 公 教 会 勢 力 の 総 称 だ と ひ と ま ず 考 え て い い 。 プ ロテ ス タ ン ト の 中 で は 、 ル タ ー 派 = 福 音 主 義 と カ ル ヴ ァ ン 派が 政 治 史 に 頻 繁 に 登 場 す る 。 プ ロ テ ス タ ン ト の 反 抗 は 、 国内 に 内 乱 を も た ら し ( 例 と し て ユ グ ノ 戦 争 ) 、 国 家 間 に 戦争 を も た ら し た 。 こ こ か ら 、 戦 争 回 避 の た め の 寛 容 ( 信 教の 自 由 ) と い う 発 想 が 生 ま れ た ( 1555 年 ア ウ グ ス ブ ル ク の和 議 な ど ) 。 な お 、 プ ロ テ ス タ ン ト も 相 互 に 協 調 関 係 に ある わ け で は な い 。 例 え ば 、 国 王 が カ ル ヴ ァ ン 派 、 土 地 貴 族が ル タ ー 派 で 、 紛 争 が 続 い た 事 例 も あ る 。
宗 派 は 、 個 人 に と っ て 生 ま れ な が ら に 与 え ら れ る も ので あ り ( 幼 児 洗 礼 を 否 定 す る 再 洗 礼 派 と い う 考 え 方 も ある ) 、 迫 害 を 受 け れ ば 、 そ の 運 命 に 甘 ん じ る か 、 他 国 へ と逃 げ る よ り な い 。 一 方 で 、 宗 派 も 次 第 に 個 人 が 選 択 で き るも の だ と い う 理 解 も 進 む 。 そ し て 、 迫 害 を 避 け る た め に 、改 宗 す る 例 だ け で な く 、 「 出 世 」 の た め に 改 宗 す る 例 も みら れ る よ う に な る 。 さ ら に は 、 知 識 人 や 芸 術 家 の 間 に は 、特 に 、 パ ト ロ ン と の 関 係 で 「 進 ん で 」 改 宗 す る 例 が 数 多 く知 ら れ て い る 102。
教 義 の 内 容 を 考 え る と 、 公 教 会 と プ ロ テ ス タ ン ト と の違 い は 別 の 宗 教 と 思 え る ほ ど 大 き い ( 測 定 方 法 ・ 判 断 基 準次 第 だ が 、 公 教 会 と 正 統 派 ( オ ー ソ ド ク ス ) の 方 が 近 い だろ う 。 も っ と も 、 英 国 国 教 会 は そ の 成 立 の 経 緯 か ら は プ ロテ ス タ ン ト 風 だ が 、 中 味 は 公 教 会 に 近 い だ ろ う ) が 、 と りわ け 、 第 2 次 大 戦 後 の ソ 連 支 配 下 に あ る 東 欧 と の 対 比 で 、西 欧 で は 基 督 教 と し て の 共 通 性 が 強 調 さ れ る 。 公 教 会 が 教会 ( 教 皇 ) に よ る 救 済 を 唱 え る の に 対 し プ ロ テ ス タ ン ト、は 聖 書 主 義 ( 聖 霊 主 義 と い う の も あ る ) で あ り 、 万 人 司 祭主 義 で あ る 。 だ か ら 、 プ ロ テ ス タ ン ト 地 域 で は 、 一 般 に 識字 率 が 高 い 。 ま た 、 同 じ プ ロ テ ス タ ン ト で も 、 例 え ば 、 18世 紀 普 で は 、 国 王 は カ ル ヴ ァ ン 派 、 土 地 貴 族 は ル タ ー 派 で対 立 す る 例 が あ る 。 一 方 で 、 公 教 会 も 一 枚 岩 で は な い 。 仏の ガ リ カ ニ ズ ム の よ う に 、 ロ ー マ 法 皇 か ら 独 立 す る 傾 向 が見 ら れ る か ら で あ る な お 、 公 教 会 の 本 山 は ロ ー マ で あ る。た め 、 し ば し ば 公 教 会 は 、 外 国 の 手 先 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の敵 と 見 な さ れ る こ と が あ る 。 社 会 主 義 者 が モ ス ク ワ の 手 先と 見 な さ れ や す い こ と と 似 て い る 。
◎ プ ロ テ ス タ ン ト を 新 教 、 公 教 会 を 旧 教 と 略 す 習慣 が あ る 。 新 約 聖 書 と 旧 約 聖 書 と の 対 比 も あ る の だ ろう が 、 新 教 ・ 旧 教 と い う 呼 称 は 適 切 で は な い 。 進 歩 史
あるとする点である。さすがに、そうとは言えないだろう)。ともあれ、大衆社会における有名人の信頼の高さ、日本のキリスト教「業界」のあり方など、この騒動から再確認できるものも多い。102 佐藤満彦『ガリレオの就職活動 ニュートンの家計簿』(中公新書)は数々の事例があって楽しい。
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観 の 残 滓 で あ る 。 プ ロ テ ス タ ン ト は 、 神 話 や 慣 習 を 基本 的 に 破 壊 す る 傾 向 が あ る 。 公 教 会 は 、 神 話 や 慣 習 を生 か す 方 向 で 布 教 を 行 う か ら 、 異 教 の 様 々 な 祭 り や 慣習 ( カ ー ニ バ ル ) を 組 み 込 む 。 だ か ら 、 公 教 会 諸 国 の方 が 儀 式 や 儀 礼 が 発 達 し て い る 。 ま た 、 公 教 会 の 地、域 は 母 系 ( 双 系 ) 制 社 会 が 多 い こ と も あ っ て 、 聖 母 マリ ア 信 仰 が 強 い ア ル プ ス 以 北 の ゲ ル マ ン 社 会 は 総 じ。て 父 系 社 会 で あ る 。 こ の 辺 り も 、 キ リ ス ト 教 の 適 応 能力 の 高 さ を 示 し て い る 。
3.4.3 世 俗 化 の 指 標 と し て 政 教 分 離 が あ る が 、 日 本 と の 違い は 、 政 教 分 離 は 政 治 と 宗 「 教 」 と の 分 離 で は な く 、 政 治と 「 教 」 会 と の 分 離 を 指 す 点 に あ る ( 政 治 と 教 会 と の 分 離に も ニ ュ ア ン ス が 異 な る 。 ド ゥ ブ レ に よ れ ば 、 米 で は 、 教会 を 国 家 か ら 守 る 点 に 、 仏 で は 、 国 家 を 教 会 か ら 守 る 点 に 、 そ れ ぞ れ 重 点 が あ る 103。 な お 、 仏 は こ の 点 1905 年 の 政 教 分 離法 制 定 以 来 政 教 分 離 を 徹 底 し て い る 。 C f、 . 憲 法 基 礎Ⅰ ・ Ⅱ ) 。 換 言 す れ ば 、 欧 州 で は 、 統 治 の 正 統 性 か ら 宗 教 は 完 全 に は 排 除 さ れ な い 。 と は い え 、 世 俗 化 に よ り 、 宗 教の 言 葉 を 用 い ず に 統 治 の 正 統 性 を 説 明 す る と い う 傾 向 は 次第 に 高 ま る 。 例 え ば 、 公 務 員 試 験 の 際 、 信 じ る 宗 派 が 問 われ な く な る 。 欧 州 の 世 俗 化 は 、 政 治 と 宗 教 と の 関 係 で は 20世 紀 初 頭 前 後 、 一 般 人 が 教 会 に 行 く 頻 度 が 下 が る と い う 意味 で は 、 1960 年 あ た り 以 降 に 急 速 に 進 展 す る 。
3.4.4 世 俗 化 が 進 行 す れ ば 、 そ れ だ け 教 会 の 統 治 に 及ぼ す 影 響 力 は 減 少 す る が 、 特 に 公 教 会 教 会 が 最 後 ま で 固 執す る の は 、 学 校 教 育 と 家 庭 、 婚 姻 の 分 野 で の 影 響 力 保 持 であ る 。 「 360 の 宗 教 と 1 つ の ソ ー ス 」 と い わ れ る 英 で は 、 国教 会 を 中 心 と し な が ら も 多 種 多 様 な 宗 教 が あ り 、 伝 統 的 に王 位 継 承 問 題 、 愛 蘭 問 題 な ど で は 対 公 教 会 対 策 が 問 わ れ る 。「 1 つ の 宗 教 と 360 の ソ ー ス 」 と 呼 ば れ る 仏 で は 、 む し ろ 政治 と 宗 教 が 社 会 福 祉 政 策 や 民 法 ( 家 族 法 ) の 分 野 で 真 正 面か ら 衝 突 す る 。 公 教 会 が 少 数 派 で あ る 独 で は 、 公 教 会 が 中央 党 と い う 独 自 の 政 党 を 創 出 し 、 勢 力 維 持 を 図 る 。 な お 、こ の 公 教 会 の 「 政 治 化 」 は 、 1870 年 代 以 降 、 政 治 的 決 定 にお い て 次 第 に 選 挙 の 比 重 が 高 ま る に つ れ 欧 州 で 広 く 見 ら、れ る 現 象 で あ る 。 ま た 、 第 二 次 大 戦 後 は 、 冷 戦 の 発 生 ・ 深刻 化 ( 共 産 主 義 = 無 信 教 ) や ヴ ァ チ カ ン 第 二 次 公 会 議( 1962 ~ 1965 ) に よ る 両 宗 派 の 和 解 も あ り 、 「 基 督 教 」 と いう シ ン ボ ル が 流 通 し た 点 に 注 意 す る 。 基 督 教 民 主 主 義 と いう 象 徴 の 普 及 が そ の 典 型 例 で あ る そ し て 、 現 在 の 争 点 は。イ ス ラ ム 教 と の 関 係 で あ る 。
103 Cf.レジス・ドゥブレ他『思想としての<共和国>』樋口陽一・三浦信孝・水林章訳(みすず書房)
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◎ 基 督 教 徒 と イ ス ラ ム 教 徒 、 ユ ダ ヤ 教 は 相 互 の 対立 が 目 立 つ た め に そ の 違 い が 強 調 さ れ や す い が 、 元 は同 じ 宗 教 の 流 れ を 汲 ん で い る 。 聖 書 と コ ー ラ ン を 較 べて み る と 良 い 。 正 統 ・ 異 教 関 係 で は な く 、 正 統 ・ 異 端の 関 係 で あ る ( C f . 政 治 学 ) 。
3.5. 科 学 技 術 の 発 達
3.5.1 科 学 技 術 は 、 交 通 輸 送 ・ 通 信 手 段 を 急 速 に 発 展 させ 、 人 々 の 交 流 、 物 流 、 戦 争 の 形 態 な ど 、 そ の 影 響 力 は 多岐 に 及 ぶ 。 も ち ろ ん 、 交 通 輸 送 の 動 力 源 の 変 化 も 重 要 で ある 。 石 炭 は 古 く か ら 利 用 さ れ て い た が 、 18 世 紀 後 半 の い 恵慧 わ ゆ る 産 業 革 命 以 降 、 利 用 が 大 幅 に 進 み 、 鉄 道 や 船 の 蒸気 機 関 の 燃 料 と な る が 、 19 世 紀 後 半 に ガ ソ リ ン で 動 く 内 燃機 関 が 発 明 、 実 用 化 さ れ 、 1 9 世 紀 後 半 に は 自 動 車 が 、 20世 紀 初 頭 に は 飛 行 機 が 生 ま れ 、 船 舶 も 次 第 に 石 油 製 品 を 燃料 と す る よ う に な る ( そ の 画 期 は 第 1 次 大 戦 あ た り ) 。 しか も 、 石 油 は 石 炭 に 較 べ 、 生 産 地 が 地 理 的 に か な り 偏 っ てい る こ と が 特 徴 で あ り 、 そ の 点 で も 戦 略 物 資 と し て の 確 保が 戦 争 原 因 と な り や す い 。 な お 、 電 気 工 学 の 発 達 は 1 9 世紀 後 半 で あ り 、 こ れ が 第 二 次 産 業 革 命 の 原 動 力 と な る 。
3.5.2 蒸 気 機 関 の 発 明 な ど 交 通 輸 送 手 段 の 発 達 に よ り 、 多数 の 人 と 物 資 が 短 期 間 に 移 動 可 能 と な る 。 欧 州 で は 一 般 に交 通 輸 送 手 段 は 、 船 舶 、 馬 か ら 、 鉄 道 ・ 自 動 車 ・ 飛 行 機 へと か わ る 。 交 通 ・ 運 輸 の 発 達 に よ り 、 市 場 は 拡 大 し 104、 産業 資 本 主 義 と 国 民 国 家 の 形 成 と が 関 連 す る 。 ま た 、 冷 蔵 方法 の 発 達 も あ っ て 、 遠 距 離 運 搬 が 可 能 と な っ た 1870 年 代 以降 、 東 欧 や 北 米 ・ 南 米 か ら 大 量 の 廉 価 な 穀 物 や 肉 が 流 入 し始 め 、 こ れ が 英 仏 独 各 国 の 農 業 保 護 を 切 迫 し た 課 題 に す、 、る 。 こ れ が 19 世 紀 後 半 、 各 国 で 関 税 が 引 き 上 げ ら れ る 一 因と な る 。
3.5.3 輸 送 手 段 が 軍 事 に 及 ぼ し た 影 響 も 大 き い 。 部 隊 や 武器 の 輸 送 に は 水 運 が 効 率 的 で あ り 、 1812 年 の ナ ポ レ オ ン やク リ ミ ア 戦 争 の 露 、 あ る い は 普 墺 戦 争 の 墺 な ど で は 、 物 資補 給 方 法 ( 兵 站 、 ロ ジ ス テ ィ ク ス ) の 劣 勢 が 敗 北 の 大 き な原 因 と な っ た 。 陸 上 輸 送 も 鉄 道 の 発 達 で 事 情 が 変 わ っ た から で あ る 。 鉄 道 は 1830 年 代 か ら 1850 年 代 に 英 を 端 緒 と し 、仏 独 は、 19 世 紀 半 ば 以 降 拡 大 す る 105。 鉄 道 に は 膨 大 な 投 資 が必 要 で あ り 、 資 金 調 達 ( 投 資 家 へ の 便 宜 供 与 ) に は 国 債 ・
104 交通手段の発達による農産物の遠距離運搬については、映画『エデンの東』( East of Eden )の冷凍レタスがわかりやすい。105 Cf. ブライアン・R・ミッチェル『ヨーロッパ歴史統計』中村宏、中村牧子訳(東洋書林)
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株 式 市 場 な ど の 整 備 が 急 務 と な り 、 こ れ に 対 応 す る 政 策 がと ら れ る 106。 ま た 、 鉄 道 は 市 場 や 都 市 を 拡 大 し 、 都 市 で は職 住 分 離 が 生 ま れ 、 団 体 旅 行 ブ ー ム 107を 生 む な ど 、 都 市 住民 の 生 活 圏 を 拡 大 す る 。 輸 送 力 か ら 言 え ば 若 干 劣 る が 、 小回 り が 利 く ト ラ ッ ク や ジ ー プ の 登 場 も 輸 送 能 力 を 大 い に 高め た 。 こ れ は 20 世 紀 の 話 で あ る 。
3.5.4 自 動 車 と は 、 ( 倫 敦 の タ ク シ に 名 残 が あ る よ う に 、馬 の い な い 馬 車 で あ っ て 運 転 手 は 御 者 ) は 、 内 燃 機 関 ( ダイ ム ラ ー 1886 年 ) に よ る が 、 仏 独 で は、 1910 年 前 後 か ら 本 格化 す る 。 モ ー タ リ ゼ ィ シ ョ ン が も た ら す 影 響 は 近 代 で は それ ほ ど 大 き く な い ( 古 い 都 市 ほ ど モ ー タ リ ゼ ィ シ ョ ン へ の対 応 に 苦 労 す る 。 米 が 車 の 国 で あ る の は 単 に 国 土 が 広 い から だ け で は な い ) 。 尤 も 、 兵 器 へ の 転 用 の 点 で は 、 大 量 殺傷 能 力 を 有 す る 動 く 要 塞 で あ る 戦 車 ( 陸 上 の 巡 洋 艦 ) が 登場 す る 第 1 次 大 戦 は 画 期 と な る 。 戦 車 と 飛 行 機 は 第、 2 次 大 戦 に は 主 要 な 兵 器 で あ る 。
◎ 戦 車 と い っ て も 、 そ の 歴 史 は 数 千 年 あ り 、 様 々な 種 類 が あ る 。 映 画 『 ベ ン ・ ハ ー ( Ben-Hur : A Tale of the Christ ) 』 の ハ イ ラ イ ト シ ー ン に 登 場 す る チ ャ リ オ ッ トも 古 代 の 馬 車 で あ る 。 第 1 次 大 戦 に 登 場 し た 戦 車 は 当
初 は 対 機 関 銃 の 兵 器 だ っ た 。 換 言 す れ ば 、 第 1 次 大 戦 こ そ 、 機 関 銃 の 戦 争 だ っ た と も い え る 。 エ リ ス に よ れ
ば 108、 米 で は す で に 南 北 戦 争 ( 1861 ~ 1865 ) に は 大 量 殺傷 兵 器 と し て 機 関 銃 が 使 用 さ れ た の に 対 し 、 欧 州 で は 、第 1 次 大 戦 も 終 盤 に な っ て か ら そ の 威 力 が 軍 部 、 と りわ け そ の 上 層 部 や 指 揮 官 に よ う や く 認 知 さ れ た 。 欧 州の 列 強 が 、 特 に ア フ リ カ へ の 植 民 地 化 に 際 し て 、 機 関銃 の 有 用 性 を 認 識 し て い た ( 多 く の 人 員 を 植 民 地 支 配に 投 入 で き な か っ た か ら 、 こ う し た 武 器 が 原 住 民 「 排除 」 に は 有 用 だ っ た 。 要 は 、 原 住 民 を 人 と 思 わ ず 片 っ端 か ら 殺 戮 し た ) に も か か わ ら ず 、 あ る い は 、 1904 年~ 1905 年 の 日 露 戦 争 で 機 関 銃 の 威 力 が 明 ら か に な っ たに も か か わ ら ず 、 欧 州 戦 線 で の 導 入 が 遅 れ た 理 由 は 、と り わ け 貴 族 の 多 い 軍 部 上 層 部 で は 、 戦 争 は ( い わ ば
ス ポ ー ツ の よ う に ) 騎 士 道 ( あ る い は フ ェ ア ・ プ レ ィ ) に 基 づ い て 行 わ れ る べ き も の で あ り 、 戦 争 に お い
て 重 要 な の は 闘 う 精 神 で あ っ て 、 そ の 精 神 を 体 現 す るの は 、 マ ス ケ ッ ト 銃 で あ り 、 銃 剣 で あ り 、 何 よ り も 馬で あ る と 考 え た か ら で あ る と い う 。 ま さ に 、 機 械 で はな く 、 人 間 が 闘 う の が 戦 争 だ と い う こ と だ ろ う 。 し か
106 例えば、ユダヤ人ロスチャイルドは墺で爵位獲得する。Cf. フレデリック・モートン『ロスチャイルド王国』高原富保訳(新潮選書)、デリク・ウィルソン『ロスチャイルド』上下、本橋たまき訳(新潮文庫)107 Cf. 本城靖久『トーマス・クックの旅』(講談社現代新書)、白幡洋三郎『旅行ノススメ』(中公新書)108 Cf.ジョン・エリス『機関銃の社会史』越智道雄訳(平凡社ライブラリー)
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し 、 そ の お か げ で 、 第 1 次 大 戦 当 初 は 、 指 令 官 が 機 関銃 の 威 力 を 馬 鹿 に す れ ば す る ほ ど 、 歩 兵 た ち を 整 列 させ 、 進 撃 ・ 突 撃 さ せ た 結 果 、 そ の 多 く が 簡 単 に 機 関 銃の 餌 食 と な る 事 態 が 頻 発 し た と い う 。 笑 う に 笑 え な い話 で あ る 。
3.5.5 飛 行 機 は 、 ラ イ ト 兄 弟 に よ る 「 発 明 」 ( 1903 年 ) 、リ ン ド バ ー グ 大 西 洋 無 着 陸 飛 行 ( 1927 年 ) で わ か る よ う に 、20 世 紀 の 話 で あ る 。 飛 行 機 の 影 響 力 は 第 1 次 大 戦 以 降 に 始ま り ( と い っ て も ま だ 機 械 も 人 も 技 術 が 低 い の で 、 戦 闘 中で は な く 、 訓 練 中 に 大 半 が 死 亡 し た ) 、 1930 年 代 の ヒ ト ラー 政 権 遊 説 の 旅 な ど が 有 名 だ が 、 も ち ろ ん 武 器 と し て の 側面 の 方 が 強 い 。 第 2 次 大 戦 で は 、 飛 行 機 は 戦 闘 機 や 爆 撃 機と な り 、 さ ら に ロ ケ ト ( 遠 距 離 爆 撃 の 実 現 ) し て 、 こ の よう な 武 器 の 性 能 向 上 は 、 都 市 爆 撃 を 可 能 と し て 、 非 戦 闘 員の 死 傷 者 を 大 幅 に 増 大 す る ( 西 内 戦 に お け る 独 ・ 伊 の ゲ ルニ カ 爆 撃 ( 1937 年 ) な ど が 嚆 矢 と さ れ る 。 バ ス ク 人 と い う一 般 の 欧 州 と は 異 質 な 民 族 の 町 で あ る ゲ ル ニ カ の 爆 撃 は 、ピ カ ソ の 『 ゲ ル ニ カ 』 が 知 ら れ て い る が 、 こ の 爆 撃 は 実 は波 な ど へ の 進 撃 の 予 行 演 習 だ っ た ) 。 あ る い は 、 も は や 非戦 闘 員 と い う 概 念 は 無 効 と な り は じ め る 。 国 民 全 員 が 戦 闘員 に な ら ざ る を え な い か ら で あ る 。 戦 争 に お け る 戦 闘 員 と民 間 人 の 死 者 の 比 率 は 、 第 一 次 大 戦 が 92 対 8 、 第 二 次 大 戦が 52 対 48 、 朝 鮮 戦 争 が 15 対 85 、 ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 が 5 対 95 であ る 109。 こ の 比 率 の 変 化 が 何 を 意 味 す る か 、 説 明 は 不 要 だろ う 。
◎ 第 1 次 大 戦 ま で は 爆 撃 な ど 卑 怯 だ と い う 議 論 があ っ た ( 1907 年 ハ ー グ 国 際 会 議 、 「 陸 戦 の 法 規 ・ 慣 例に 関 す る 条 約 。 但 し 、 空 襲 な ど は 別 110。 C f . 国 際 法概 論 ) が 、 第 1 次 大 戦 中 に は 爆 撃 の 方 が 「 人 道 的 」 だと い う 理 屈 が あ っ た と い う 。 た だ 、 当 初 は 、 報 復 を 恐れ て 無 差 別 爆 撃 を 避 け る 傾 向 が あ っ た と さ れ る 。 相 手
の 殺 害 で は な く 、 士 気 喪 失 こ そ が 、 爆 撃 の 建 前 で あ っ た 。 確 か に 、 鉄 道 、 工 場 な ど へ の 精 密 爆 撃 を 目 指 す の
だ が 、 実 際 に は 対 高 射 砲 を 避 け る た め に 、 高 い 位 置 から 爆 撃 す る こ と に な る 。 事 実 上 、 無 差 別 爆 撃 が 常 態 化し 、 歯 止 め が 利 か な く な る 111。 空 爆 は 殺 人 の 実 感 が 希
薄 だ ろ う か ら で も あ る 。 な お 、 米 は 欧 州 戦 線 よ り 遠 く 、ま た 日 本 か ら の 距 離 も 遠 い た め に 、 空 爆 を 経 験 し て いな い 。 そ の こ と も 、 「 9.11 」 へ の 過 剰 反 応 に 結 び つ いた 一 因 に 思 え る 。
109 Cf. 杉江栄一他編『国際関係資料集』(法律文化社)<玉井昇『国際関係論 24 講』(文京出版会)。尤も、現代に近づくにつれ、戦闘員と民間人との区別がつかなくなっている点に注意を要する。110 ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』下、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)15頁111 Cf.田中利幸『空の戦争史』(講談社現代新書)
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3.5.6 通 信 ・ 情 報 伝 達 手 段 の 発 達 が 政 治 に も た ら す 影 響は 云 う ま で も な い 。 通 信 ・ 情 報 伝 達 手 段 は 人 々 の ( 集 団の ) ネ ッ ト ワ ー ク の あ り 方 に 影 響 し 、 ま た 統 治 者 が 被 治 者に 伝 達 す る 手 段 や 方 法 が 変 わ る か ら で あ る 。 通 信 技 術 の 発達 に よ り 、 統 治 者 、 政 治 家 が 大 量 の 人 間 に 語 る こ と が 可 能と な り 、 統 治 技 術 に 宣 伝 の 要 素 が 大 き く な る 。 そ の 象 徴 例は 、 ヒ ト ラ ー 政 権 に お け る ゲ ッ ベ ル ス と い う 「 宣 伝 」 大 臣の 誕 生 で あ る 。
3.5.6.1 文 字 情 報 に よ る 情 報 伝 達 は 、 一 定 数 読 み 手 が いる こ と を 前 提 と す る 。 例 え ば 、 17 世 紀 英 の 内 乱 時 以 降 、 反体 制 運 動 は 各 種 の パ ン フ レ ト を 発 行 す る 。 文 字 情 報 に よ る情 報 伝 達 の 代 表 は 新 聞 で あ り 、 情 報 の 共 有 は ネ ッ ト ワ ー ク形 成 の 基 本 と な る 。 欧 州 で は 、 新 聞 は 、 特 定 の 顧 客 向 け に発 達 す る 傾 向 が あ り 、 全 国 紙 が 発 達 ( い わ ば 、 catch-all-newspaper ) す る 日 本 と の 違 い で あ る ( 日 本 の 新 聞 業 界 ) 。 特定 の 顧 客 と は 、 階 級 別 、 政 党 別 、 社 会 階 層 別 、 宗 教 別 、 地域 別 な ど で あ り 、 こ れ は 社 会 階 層 の 峻 別 基 準 ( 裂 け 目 ・ 亀裂 、 以 下 原 語 の cleavage を 用 い る ) に 対 応 す る 。 例 え ば 、 英で は 、 知 識 人 向 け の タ イ ム ズ ( quality paper ) と 、 大 衆 向 け のサ ン ( yellow journalism ) が あ り 、 後 者 は 、 3 つ の S ( scandal, sex, sports ) を 取 り 扱 う 。 活 字 メ デ ィ ア は 、 教 育 制 度 の 整 備 によ る 国 民 間 の 識 字 率 ( 読 み 書 き 能 力 ) の 向 上 に と も な い 、大 衆 の 政 治 的 意 識 を 高 め 、 言 葉 に よ る 動 員 を 可 能 に す る が 、同 時 に 権 力 に よ る 世 論 操 作 の 可 能 性 も 増 す こ と に な る 112。
3.5.6.2 郵 便 は 近 代 以 前 よ り 存 在 し た が 、 1840 年 代 頃 以 降整 備 さ れ る 。 ジ ス カ ル = デ ス タ ン 元 仏 大 統 領 風 に 云 え ば 、郵 便 制 度 の 発 達 こ そ 、 文 明 達 成 度 の 質 を 図 る 基 準 の 一 つ であ る 。 電 話 は G . ベ ル に よ り 1876 年 に 発 明 さ れ た ( こ と にな っ て い る ) 。 電 信 ( 無 線 通 信 ) も 1870 年 代 以 降 で あ る 。有 線 に せ よ 、 無 線 に せ よ 、 遠 距 離 間 で の 情 報 共 有 の 影 響 は容 易 に 推 測 さ れ る 。 19 世 紀 後 半 以 降 、 戦 争 に お け る 作 戦 行動 の 体 系 化 に も 貢 献 し て い る 。 な お 、 1962 年 の キ ュ ー バ 危機 以 降 に 創 設 さ れ た 米 ソ ( 露 ) 間 の ホ ッ ト ラ ィ ン は 直 接 には 、 開 戦 の 意 志 確 認 ( 誤 射 の 場 合 ) だ が 、 繋 が っ て い る と思 う だ け で 、 安 心 す る 側 面 も あ る 。
◎ 産 業 の 高 度 化 と 同 様 、 20 世 紀 後 半 以 降 に 発 達 する 地 域 で は 発 展 の 順 序 が 守 ら れ な い 。 例 え ば 、 社 会 資本 に 投 下 す る 資 金 に 余 裕 が な い 開 発 途 上 国 で は 、 大 量の 精 錬 さ れ た 銅 を 必 要 と す る 電 柱 ・ 電 線 を 作 る よ り 、携 帯 電 話 を 普 及 さ せ る 方 が 社 会 整 備 費 用 と し て は 相 当に 割 安 に な る か ら で あ る ( 「 リ ー プ フ ロ ッ グ 」 カ エ ル
112 Cf.ウォルター・リップマン『世論』上下、掛川トミ子訳(岩波文庫)
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跳 び ) 。
◎ 政 治 状 況 が 不 安 定 だ と 、 政 治 家 は 手 紙 な ど 文 書で 記 録 を 残 そ う と は し な い か ら 、 電 話 な ど で 連 絡 を とり あ う ( も ち ろ ん 、 こ れ は こ れ で 盗 聴 の 可 能 性 は ある ) 。 従 っ て 、 電 話 で は 、 重 要 な 政 治 的 決 定 に 関 す る情 報 が 史 料 と し て 残 ら な い た め 、 学 者 に と っ て は 迷 惑で あ る 113。
3.5.6.3 専 ら 文 字 に 基 づ く 情 報 媒 体 と 較 べ 、 視 覚 と 音 声 によ り 情 報 を 提 供 す る 映 画 は 、 動 画 の 迫 力 も あ っ て 、 政 治 的主 張 の 媒 体 と し て は 有 力 な 手 段 と な る 。 戦 意 高 揚 の た め に 、プ ロ パ ガ ン ダ 映 画 が し ば し ば つ く ら れ る 。 ヒ ト ラ ー が 作 らせ た 伯 林 ・ オ リ ン ピ ッ ク ( 1936 年 ) の 記 録 映 画 は 『 民 族 の祭 典 』 ( Olympia ) ( L . リ ー フ ェ ン シ ュ タ ー ル ) で あ る 。も ち ろ ん 、 記 録 は 宣 伝 で も あ る 。 ま た 、 反 戦 映 画 、 反 権 力映 画 も 同 じ 性 質 を 有 す る 。
3.5.6.4 専 ら 音 声 情 報 に 基 づ く ラ ジ オ は 、 政 治 家 に と っ て 格好 の 宣 伝 媒 体 と な る 。 新 聞 と 異 な り 、 同 時 間 に 大 量 の 人 間に 向 か っ て メ セ ジ を 送 れ る 点 で 画 期 的 で あ る 。 そ の 意 味 で 、ラ ジ オ が 国 民 国 家 を 作 っ た と も い え る 114。 ラ ジ オ の 利 用 は20 世 紀 に 入 っ て か ら で あ り 、 そ れ を 最 も 効 果 的 に 用 い た 政治 家 の 1 人 が こ こ で も ま た ヒ ト ラ ー で あ る 。 ま た 、 ラ ジ オに よ る 情 報 提 供 は 容 易 に 国 境 を 越 え る か ら 、 第 二 次 大 戦 中 、B B C を は じ め と し た 各 国 の ラ ジ オ 局 が 情 報 提 供 の 中 心 であ っ た こ と は 知 ら れ て い る 。
◎ ラ ジ オ に な る と 、 言 葉 遣 い を 変 え る 必 要 が 出て く る 115。 そ れ に 、 話 し 方 だ け で な く 、 そ も そ も 声 質に よ る 損 得 も 大 き く な る 。
3.5.6.5 テ レ ビ は 映 画 や ラ ジ オ の 持 つ 利 点 を あ わ せ もっ た 情 報 媒 体 で あ り 、 し か も 映 画 と 違 っ て 出 か け な く と も家 庭 で 情 報 を 消 費 で き る と い う 特 徴 が あ る 。 政 治 は テ レ ビ以 前 と テ レ ビ 以 降 で は 大 き く 異 な っ て く る 。 視 覚 情 報 の 特異 性 、 情 報 の 大 量 化 、 直 感 的 、 感 覚 的 な 情 報 処 理 が 特 色 であ り 、 い わ ば 「 見 る と 本 当 に 思 え る ( Seeing is believing. ) 」 とな る 。 ま た 、 政 治 的 ア ク タ の 容 貌 や 声 、 舞 台 装 置 と い う 演出 部 分 の 効 果 が 大 き く な る 。 欧 州 で は テ レ ビ の 発 達 は 第 二次 大 戦 後 で あ り ( 1 つ の き っ か け は 英 の エ リ ザ ベ ス 2 世 の
113 Cf. 池東旭『韓国の族閥・軍閥・財閥』(中公新書)114 Cf.武田徹『偽満州国論』(中公文庫)、兵藤裕己『<声>の国民国家』(講談社学術文庫)115 山下紘一郎『柳田国男の皇室観』(新泉社)274頁、註 16
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戴 冠 式 ( 1953 年 。 即 位 は 1952 年 ) だ っ た か も 知 れ な い 。 テ レビ の 発 達 が 比 較 的 早 い 米 で も 第 2 次 大 戦 あ た り か ら で あ る 。テ レ ビ は 、 政 治 家 が 国 民 に 日 常 的 に 観 ら れ る こ と を 意 識 し 、ま た 、 ケ ネ デ ィ 対 ニ ク ソ ン の 公 開 討 論 と 大 統 領 選 で の 成 敗( 1960 年 ) は 外 見 ( ネ ク タ ィ の 色 ) だ と さ え 云 わ れ た こ とが あ る ぐ ら い で あ る 。 テ レ ビ に よ り 、 「 臨 場 感 」 が お 茶 の間 で 共 有 さ れ 、 例 え ば 、 現 代 で は 、 米 に よ る イ ラ ク 爆 撃 では 、 「 戦 争 の 生 中 継 」 、 つ ま り 放 送 時 間 に あ わ せ て 行 わ れる 。 な お 、 イ ン タ ネ ッ ト が 及 ぼ す 影 響 は 現 在 の 処 、 わ か りづ ら い 116。
4 3 つ の 政 治
4.1 政 治 の 諸 相
4.1.1 政 治 に は 色 々 な 意 味 や 側 面 が あ る 。 本 講 で は 、こ れ を 単 純 化 し た 、 ① 権 力 を め ぐ る 政 治 ( 権 勢 の 政 治 、Politics for Power ) 、 ② 利 益 を め ぐ る 政 治 ( 利 益 の 政 治 、 Politics for Interests ) 、 ③ 正 義 を め ぐ る 政 治 ( 正 論 の 政 治 、 Politics for Justice ) の 3 つ の 側 面 117に 即 し て 、 近 代 以 降 の 欧 州 の 政 治 史に つ い て 説 明 す る 。
4.1.2 ど の 権 力 主 体 ( 国 王 、 貴 族 、 官 僚 、 職 業 政 治 家 など ) が 、 ど の よ う な 正 統 性 ( 正 当 性 ) に 基 づ き 、 ど の よ うな 手 法 や ど ん な 政 策 手 段 を 用 い て 利 益 調 整 を 図 ろ う と す るの か 、 ま た 、 上 述 し た 社 会 変 動 が 政 治 に 変 化 を も た ら し 、政 治 の 変 化 が 社 会 を 変 動 さ せ る と い う 「 権 力 の 循 環 」 が どの よ う な 特 色 を 持 ち 、 変 容 を 示 す の か 、 さ ら に 、 と り わ け近 代 以 降 、 利 益 の 分 化 ( 多 様 化 ) が 進 行 し 、 そ れ に 応 じ た 象 徴 が 選 択 さ れ る 中 で 、 統 合 の た め の 権 威 と 政 策 、 象 徴 が ど の よ う に 提 示 さ れ る の か に 注 意 し 、 注 目 す る 。
4.1.3 近 代 政 治 と 現 代 政 治 の 区 切 り 目 は 、 19 世 紀 後 半 と 第 1 次 世 界 大 戦 の 間 あ た り に あ る 。 特 に 、 第 1 次 大 戦 は は じめ て の 国 民 を 全 面 的 に 巻 き 込 ん だ 総 力 戦 ( total war ) で あ り 、ま た そ の 影 響 力 か ら し ば し ば the Great War と 呼 ば れ る 。 こ れ は 、欧 州 に 膨 大 な 犠 牲 者 を も た ら し た だ け で な く ( 「 欧 州 の 没落 」 ) 、 ロ シ ア 革 命 ( 社 会 主 義 国 家 ) の 誕 生 と ア メ リ カ( 新 世 界 ) の 台 頭 と い う 衝 撃 を も た ら す 。 統 治 の 正 統 性 や
116 Cf. 横江公美『Eポリティックス』(文春新書)117 Cf. 京極純一『日本の政治』(東京大学出版会)
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技 術 も 大 き く 変 わ り 、 と り わ け 、 ‘ Impact of Labour ’ 、 つ ま り 、労 働 者 ( 労 働 党 ) と い う 異 邦 人 の 政 治 社 会 ・ 政 治 舞 台 へ の 本 格 的 な 登 場 と い う 衝 撃 に 、 い か に 従 来 の 統 治 層 が 対 応 する の か が 問 わ れ た 。 科 学 技 術 が 発 達 す る に つ れ 、 天 災 の 多く は 人 災 と み な さ れ る 。 大 衆 化 は 、 統 治 層 に 大 衆 の 面 倒 を見 る こ と を 要 求 す る 。 そ れ は 行 政 サ ー ヴ ィ ス の 拡 大 ( 行 政国 家 ) を 招 き 、 中 長 期 的 に は 財 政 赤 字 を 生 み 出 す 。 行 政 サー ヴ ィ ス の 拡 大 に よ り 大 衆 へ の 課 税 は 不 可 避 に な る が 、 大衆 が 選 挙 権 を 獲 得 す れ ば 、 増 税 は 政 権 の 有 効 な 選 択 肢 と はな ら な い か ら で あ る 。 こ こ に 、 大 衆 デ ィ モ ク ラ シ に お け るバ ラ マ キ 構 造 ( spending policy = 量 出 制 入 ( ⇔ 量 入 制 出 ) へ の傾 斜 ) の 一 因 が あ る 。
4.1.4 よ く あ る 図 式 に よ れ ば 、 近 代 が 身 分 社 会 か ら 階 級 社会 へ の 移 行 を 、 現 代 が 階 級 社 会 か ら 大 衆 社 会 へ の 移 行 を もた ら し た 。 し か し 、 学 者 の 図 式 通 り に は 、 歴 史 は 進 ま な い 。身 分 社 会 と 階 級 社 会 の 違 い は 、 政 治 資 源 の 違 い な ど は あ るに し て も 、 一 言 で 言 え ば 、 身 分 社 会 で は 身 分 論 理 が 政 治 社会 を 支 え 、 階 級 社 会 で は 政 治 社 会 が 身 分 論 理 を 支 え る 点 にあ る 。 欧 州 で は 、 身 分 社 会 と 階 級 社 会 の 論 理 が 綺 麗 に は 入れ 替 わ ら な い た め 、 以 下 、 身 分 = 階 級 社 会 と 表 記 す る が 、こ の 身 分 = 階 級 社 会 の 論 理 は 、 例 え ば 、 王 侯 ・ 貴 族 に と って 、 自 国 の 白 人 ブ ル ジ ョ ジ ー と 他 国 の 黒 人 王 族 と で は 、ア後 者 の 方 が 身 近 だ と い う こ と を 意 味 す る 118。 付 言 す れ ば 、未 だ に 多 く の 学 者 が 捨 て き れ な い 市 民 革 命 や 市 民 社 会 論 は 、 歴 史 的 事 実 と い う よ り は 机 上 の 産 物 ・ 理 屈 で あ る 。 ま た 、20 世 紀 以 降 も 欧 州 社 会 が 単 純 に 大 衆 社 会 に 移 行 す る と は いえ ず 、 身 分 = 階 級 社 会 と し て の 特 色 を 保 持 し 続 け な が ら 、大 衆 社 会 化 が 進 む と い う 特 色 が あ る 。
4.2 権 勢 の 政 治 ( Politics for Power ) と 政 治 的 ア ク タ ( Who Governs? ) の 変 遷
4.2.1 政 治 的 ア ク タ
4.2.1.1 権 勢 の 政 治 は 、 主 要 な 政 治 的 ア ク タ 間 の 権 力 獲 得を め ぐ る 争 い で あ り 、 個 人 間 の 権 力 闘 争 で も あ り 、 ま た 、政 治 的 ア ク タ が 形 成 す る 社 会 階 層 や ネ ッ ト ワ ー ク 間 の 権 力 闘 争 で も あ る 。 各 国 で 繰 り 広 げ ら れ る 個 人 間 の 権 力 闘 争 は 、観 察 す る に は 楽 し く も あ り 哀 し く も あ る 物 語 で あ る が 、、本 講 で は 時 間 の 制 約 も あ り 言 及 を 必 要 最 低 限 に 止 め る、 。 また 、 政 治 問 題 は 、 有 力 者 が 帰 属 す る 社 会 階 層 や ネ ッ ト ワ ー
118 Cf. デヴィッド・キャナダイン『虚飾の帝国』平田雅博、細川道久訳(日本経済評論社)、井野瀬久美恵『黒人王、白人王に謁見す』(山川出版社)
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ク に よ っ て 解 決 さ れ る ・ 解 決 さ れ な い こ と も 多 い 。 政 治 的ア ク タ が 形 成 す る ネ ッ ト ワ ー ク に は 、 身 分 階 級 の 他 に 同、 、窓 、 同 志 ( イ デ オ ロ ギ 宗 教 を 含 む ) 、 地 縁 血 縁 な ど が あ、 、る 。
4.2.1.2 政 治 的 ア ク タ で 形 成 さ れ る 世 界 、 す な わ ち 「 政界 」 の 構 造 は 、 政 治 社 会 の 特 色 を 最 も よ く 表 す 。 そ し て 、政 界 の ( 文 化 人 類 学 的 な 意 味 で の ) 構 造 が 政 治 的 ア ク タ の行 動 に 大 き な 影 響 を 与 え 119、 そ の 政 治 資 源 、 す な わ ち 財 力 、地 位 、 魅 力 な ど 他 者 を 動 か す 手 段 は 社 会 構 造 と 密 接 に 関 連し て い る ( C f . 政 治 学 ) 。 ま た 、 政 治 エ リ ー ト の イ メ ージ も 政 界 の 構 造 と 関 わ っ て い る 政 治 エ リ ー ト に 必 要 と さ。れ る 能 力 や 資 質 の 点 で 、 欧 州 に は 羅 語 や 仏 語 、 リ ベ ラ ル ・ ア ー ツ ( 自 由 七 科 。 論 理 学 、 修 辞 学 、 文 法 の 三 科 は 言 葉 に関 係 し 、 聖 書 を 理 解 す る た め の 技 芸 、 天 文 学 、 幾 何 学 、 算術 、 音 楽 は 「 神 の 創 っ た 」 自 然 を 理 解 す る た め の 技 芸 。 こち ら の 共 通 基 礎 は 数 学 で あ る 。 数 学 こ そ は 神 の 預 言 ( 預 言は 予 言 で は な い ) と い う こ と だ ろ う ) の 素 養 が 求 め ら れ ると い う 共 通 点 は あ る が 、 各 国 間 の 差 は 小 さ く な い 。 総 じ て 、英 で は 歴 史 が 、 仏 で は 哲 学 ・ 文 学 が 、 独 で は 法 学 が 、 そ れ ぞ れ 統 治 能 力 の 素 養 と し て そ の 修 養 が 求 め ら れ る 。
◎ 同 じ 職 業 の 人 間 が 集 ま っ て 創 っ て い る 世 界 を 「 ○○ 界 」 と 呼 ぶ 。 政 界 、 官 界 、 財 界 ( 産 業 界 ) な ど が 例で あ る ( 日 本 で は 業 界 と い う が 、 単 に 特 定 の 産 業 界 の世 界 を 指 す だ け で な く 政 府、 ( 権 力 ) に よ っ て 「 育成 」 さ れ て い る こ と を 含 意 す る ) 。 政 界 が 自 立 し て いる こ と の 意 味 は 、 統 治 に お け る 政 界 と 官 界 と の 分 業 に対 応 す る 。 な お 、 政 界 に は 、 君 主 貴 族 、 両 者 に 仕 え、る 者 、 職 業 政 治 家 に 限 ら ず 仏 の ル イ、 15 世 の 公 妾 で あっ た ポ ン バ ド ー ル 夫 人 や ロ シ ア の 「 怪 僧 」 ラ ス プ ー チン の 例 に あ る よ う に 、 様 々 な 「 人 種 」 が 参 入 し て 、 政策 形 成 に 影 響 を 及 ぼ す こ う し た 存 在 が ま さ に 各 国 各。時 代 の 政 界 構 造 の 特 色 を 示 し て い る 。
4.2.1.3 欧 州 政 治 は 、 欧 州 社 会 の 持 つ 身 分 = 階 級 社 会 と いう 影 響 か ら 、 統 治 者 と 被 治 者 と を 分 け る 発 想 が 濃 厚 で あ る 。そ の 際 、 ( 1 ) 統 治 は 身 分 が 担 う の か 、 そ れ と も 職 業 が 担 う の か 、 ( 2 ) 統 治 は 「 国 民 」 か ら 選 出 さ れ る 議 会 政 治 家 が 担 う の か 、 非 選 出 部 分 で あ る 行 政 官 ( 官 僚 ) が 担 うの か 、 が 各 国 の 統 治 の 特 色 を 知 る 手 が か り と な る ( C f .政 治 制 度 論 ) 。
119 文化人類学を踏まえた考察の代表例として、Cf. 水谷三公『英国貴族と近代』(東京大学出版会)
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4.2.2 統 治 に お け る 身 分 と 職 業
4.2.2.1 近 代 は 、 「 身 分 か ら 契 約 へ 」 、 「 土 地 か ら 資 本へ 」 と か わ る 時 代 で あ り 、 こ れ に 対 応 し て 政 治 的 決 定 の 重点 が 「 身 分 か ら 職 業 へ 」 と 移 動 す る と い う 説 明 が 一 般 的 であ る 。 身 分 に よ る 統 治 と は 、 統 治 ( 国 家 運 営 ) が 君 主 を 代表 と す る 社 会 階 層 に 帰 属 す る 行 為 ( 役 目 ) で あ り 、 そ の 能力 訓 練 は 国 家 行 政 の み な ら ず 、、 各 人 の 所 領 ( estate ) 経 営 で も 育 成 さ れ る 。 近 代 で は 国 家 は 経 営 す べ き 対 象 と も な って い る か ら で あ る 。 こ の 基 本 に は 統 治 職 は 「 プ ロ 」 ( 専、門 職 業 従 事 者 ) で は な く 、 身 分 の 高 い 者 に よ る 無 給 の 名 誉 職 ( honorary ) だ と す る 考 え 方 が あ る が 、 近 代 で は 公 職 は 世襲 職 と し て 「 所 有 」 さ れ て お り 、 無 給 と は い え 当 然 の こ、と な が ら 「 役 得 」 は 存 在 し た 。 な お 、 君 主 さ え も 職 業 ( 職分 ) で あ る と い う 意 識 が 生 ま れ て く る こ と が 現 代 ら し さ であ る 。
◎ プ ロ と は 本 来 一 生 の 天 職 ( 神 に 呼 ば れ る こ と :vocation ) と す る こ と を 告 白 ( profess ) し た 者 で あ る 。 プロ と し て は 、 当 初 法 曹 医 師 、 牧 師 / 神 父 な ど が 誕 生、 、す る ( そ れ ぞ れ 大 学 の 法 学 部 、 医 学 部 、 神 学 部 が 対 応す る 。 そ し て こ れ に 加 え 、 い わ ば 一 般 教 養 と し て の 哲学 部 で あ る ) 120。 な お 、 政 治 に お け る ア マ チ ュ リ ズ ムアは プ ロ に よ る 政 治 を 嫌 悪 す る が 、 欧 州 で は 統 治 に 関 わる こ と で 金 を 稼 が な い 貴 族 に よ る 政 治 を 含 意 し 、 身 分制 度 を 知 ら な い 米 で は 、 一 般 人 に よ る 政 治 参 加 を 含 意す る 。 政 治 社 会 の 形 成 に お け る 歴 史 的 経 緯 の 違 い で ある 。 日 本 で は 、 ア マ チ ュ ア は 単 に プ ロ ( 職 業 と す る者 ) で は な い だ け で な く 、 プ ロ に 較 べ て 技 量 が 劣 っ てい る と 考 え ら れ て い る が 、 英 の 用 例 で は 技 量 の 優 劣 の側 面 は そ れ ほ ど 強 く な い ( 独 な ど マ ィ ス タ ー 制 度 が ある と こ ろ で は 日 本 と 似 て い る ) 。 日 本 で は プ ロ に 対 する 尊 敬 ・ 崇 拝 が 強 い か ら 、 信 頼 し て 「 お 任 せ す る 」 こと が 多 い の だ ろ う 。 英 の 用 例 を 日 本 で 見 つ け る の は 簡単 で は な い が 、 例 え ば 、 松 本 清 張 の 古 代 史 研 究 121は アマ チ ュ ア と は い え 、 そ の レ ベ ル は プ ロ を 凌 い で い た とい え る 。
4.2.2.2 「 政 治 は 政 治 家 が 担 う 」 と い う 命 題 の 成 立 は 、 身分 に よ る 統 治 が 次 第 に 否 定 さ れ る 中 で 職 業 政 治 家 が 誕 生、す る 経 緯 と 関 連 し て い る 。 身 分 に よ る 統 治 は 、 そ の 正 統 性が 神 か ら の 信 託 や 自 然 秩 序 と い っ た 「 帰 属 原 理 ( ascription
120 Cf.伊藤大一「英国官僚の職業倫理」(1)『国家学会雑誌』(第 78巻第3・4号、1964 年)、同「続・英国官僚の職業倫理」『国家学会雑誌』(第 80巻第5・6号、1967 年)121 興味のある人には、松本清張『古代史疑』(中公文庫)、同『火の路』上下(文春文庫)をお薦めする。結論はともかく、見方は大空を駆け巡るがごとく、専門家たちよりも自由で柔軟であり、かつ「実証的」である。
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) 」 に あ る た め 、 比 較 的 安 定 し て い る の に 対 し 職 業 政 治、家 の 正 統 性 は 、 選 挙 で 選 ば れ た こ と と 並 ん で 「、 業 績 原 理( achievement ) 」 に 求 め ら れ る た め 、 そ の 正 当 性 を 絶 え ず 弁証 す る 必 要 が 生 ま れ る 。 こ の 点 で は 、 ル イ 16 世 に は 失 敗 が許 さ れ る が 、 自 分 に は 失 敗 が 許 さ れ な い と い っ た 内 容 の こと を 述 べ た ナ ポ レ オ ン は 近 代 的 で あ り 、 帰 属 原 理 ( 出 生 によ る 正 当 化 ) と 業 績 原 理 ( 能 力 に よ る 正 当 化 ) の 違 い を よく 表 し て い る 。
4.2.2.3 職 業 政 治 家 の 成 立 は 、 制 度 化 さ れ た 政 治 エ リ ー トと し て の 政 治 家 の 誕 生 で あ り 、 full - time job と し て の 政 治 家( M . ウ ェ ー バ ー 風 に 云 え ば 、 「 政 治 に よ っ て 生 き る 存 在( von der Politik leben < 独 語 ) 」 ) の 誕 生 で あ る 。 そ の 際 、 政治 家 に は 、 「 politician 」 、 す な わ ち 、 保 身 や 自 身 の 利 益 追 求で 状 況 に 対 応 す る 政 治 家 ( 政 治 屋 と 呼 ば れ る こ と も 多 い 。「 カ メ レ オ ン 」 政 治 家 ) 122と 、 「 statesman 」 、 す な わ ち 、 国家 を 担 い 、 国 民 を 代 表 し 公 益 (、 public interest ) を 追 求 す る 政治 家 と い う 2 つ の イ メ ー ジ を 持 ち 始 め る が 米 と は 異 な り、 、英 な ど で は 両 者 の 違 い は そ れ ほ ど 強 調 さ れ な い 。 政 治 観 の違 い で あ る 。
4.2.2.4 職 業 政 治 家 は 様 々 に 分 類 さ れ る 。 1 つ は 、 選出 方 法 に よ る 分 類 で あ り 、 選 挙 か 、 任 命 か 、 互 選 か で あ り 、ま た 、 地 位 や 機 能 に よ る 分 類 で あ り 、 議 会 人 か 、 政 府 ( 大臣 ) か で あ る 。
4.2.2.5 政 治 家 の 棲 息 世 界 は 、 統 治 機 構 の あ り 方 に も左 右 さ れ る 。 君 主 と 議 会 と の 間 で 統 治 権 力 を め ぐ る 争 い が続 き 、 君 主 の 権 限 が 維 持 さ れ る 場 合 も あ れ ば 、 議 会 か ら 政府 を 構 成 す る ( 議 院 内 閣 制 ) の よ う な 構 成 を と る 国 も あ る 。ま た 、 君 主 制 を 廃 止 し 、 代 替 君 主 と し て 大 統 領 を 設 置 し 、大 統 領 が 任 命 す る 政 府 ( 首 相 と 大 臣 ) が 政 権 を 担 う 場 合 もあ る 。 後 者 の 場 合 、 大 統 領 の 権 限 を 縮 小 す れ ば 、 議 会 が 実質 的 に 委 員 会 制 度 を 通 じ て 、 執 行 部 の 役 割 を 果 た す こ と にな る 。
4.2.2.6 政 治 家 ( 政 治 職 ) が 高 貴 な 身 分 の 義 務 で は なく 、 職 業 だ と 理 解 さ れ れ ば 、 他 の 職 業 と の 比 較 が 可 能 と なる 123。 職 業 で あ る か ら 、 資 格 試 験 の 有 無 、 ( 事 前 の ) 職 業訓 練 な ど が 導 入 さ れ 次 第 に 公 選 で の 勝 利 を 確 保 で き る 地、位 や 評 判 の 獲 得 が 実 質 的 な 選 抜 試 験 と な る 。 自 ら 地 位 保 全を 図 れ る 程 の 政 治 資 源 を 有 す る 場 合 は と も か く 、 多 く の「 陣 笠 議 員 ( back bencher ) 」 に と っ て は 、 地 位 を 保 全 し て く
122 Cf. 塚田富治『カメレオン精神の誕生』(平凡社)123 Cf. マックス・ウェーバー『職業としての政治』脇圭平訳(岩波文庫)
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れ る 存 在 と の 関 係 を 保 つ こ と ( 長 い 物 に 巻 か れ 続 け る こと ) が 重 要 と な る 。 地 位 獲 得 は 政 治 家 に と っ て の 立 身 出 世を 顕 す 。 そ の 地 位 獲 得 を 保 障 す る 存 在 の 代 表 は 、 君 主 で あり 、 有 力 貴 族 で あ り 、 財 界 な ど の 利 益 団 体 で あ り 、 19 世 紀半 ば 以 降 発 達 し 始 め る 政 党 組 織 で あ る 。 こ の 重 点 の 推 移 は 、現 代 に 近 づ く に つ れ 、 有 権 者 の 拡 大 に 伴 い 、 組 織 の 意 味 が重 く な る こ と と 対 応 す る 。
4.2.2.7 公 務 に 携 わ る 者 は 金 の 心 配 を す べ き で は な い( 「 恒 産 な く し て 恒 心 な し 」 ) と は い え 、 一 般 人 も 職 業 政治 家 に な れ る べ き な ら ば 、 国 家 が 職 業 政 治 家 を あ る 種 の 公務 員 と し て 認 定 し 、 給 与 ( 歳 費 ) を 与 え る こ と が 必 要 に なる 。 近 代 以 降 、 議 員 歳 費 給 付 の 導 入 が 検 討 さ れ る が 、 こ れは 国 民 の 税 金 で 政 治 家 を 養 う シ ス テ ム の 誕 生 だ と も い え る 。そ の 反 面 、 権 力 ( 国 家 の 財 政 ) に 依 存 し な い こ と ( 自 前 )が 政 治 の 成 熟 度 を 測 る 指 標 だ と す れ ば 、 歳 費 を 得 る 政 治 家の 登 場 は 政 界 が 権 力 ( 君 主 や 政 府 ) に 依 存 す る 度 合 い が、増 大 し 、 政 治 の 成 熟 度 が 下 が る こ と を 意 味 す る と も 言 える 。 欧 州 の 中 で も こ の 国 家 権 力 へ の 依 存 度 の 点 で 、 英 と 大、陸 諸 国 と は 大 き く 異 な る 。 英 の 場 合 、 19 世 紀 後 半 以 降 も 、自 前 の 政 治 資 源 を 持 つ 土 地 貴 族 が 政 界 で 影 響 を 持 ち 続 け るか ら で あ る こ れ に 対 し 大 陸 諸 国 で は 政 治 家 に し て も 、。 、 、貴 族 に し て も 官 僚 に し て も 、 権 力 ( 君 主 や 政 府 ) へ の 社、会 的 ・ 財 政 的 依 存 は 伝 統 的 に 大 き い 。
4.2.2.8 政 治 家 が 職 業 と な れ ば 、 出 世 が 重 要 と な る 。 多 くの 政 治 家 に と っ て は 、 中 央 政 界 へ の 進 出 と 大 臣 就 任 が 目 標と な る 。 例 え ば 、 日 本 風 に 言 え ば 、 市 会 議 員 → 県 会 議 員 →国 会 議 員 → 政 府 の 役 職 が 1 つ の ケ ィ ス で あ り 、 陣 笠 議 員 の「 大 臣 病 」 の 扱 い が 有 力 政 治 家 に と っ て は 頭 痛 の 種 と な る 。大 臣 職 へ の 任 命 基 準 は 能 力 主 義 で あ る と は 限 ら な い 尤 も。 、日 本 の 自 民 党 に 見 ら れ る 「 当 選 回 数 主 義 」 の よ う な 制 度 化は 欧 州 で は あ ま り 見 ら れ な い 。
◎ 独 の よ う に 政 治 家 の 地 方 志 向 ( localism ) が 強 い場 合 も あ る 124。 そ の 背 景 に は 、 独 西 部 や 南 部 の 普 ・ 伯林 嫌 い が あ る 。 ロ ー カ リ ズ ム ( localism ) や サ ブ カ ル チャ の 存 在 は national authorityを 弱 め 、 中 央 政 治 の 舞 台 で 政 争の ゲ ィ ム が 機 能 し づ ら い 。
4.2.2.9 選 挙 権 が 賦 与 さ れ る 対 象 が 次 第 に 拡 大 す れ ば 、 公選 で 選 出 さ れ る 職 業 政 治 家 の 政 治 資 源 が 民 主 的 正 当 性 と なる が 、 そ の 行 動 は 選 挙 制 度 に よ っ て 異 な っ て く る 。 直 接 選出 議 員 ( 選 挙 区 選 出 議 員 ) は 、 選 挙 区 で の 人 気 が 重 要 で あ
124 Cf.ロバート・キング・マートン『社会理論と社会構造』森東吾等訳(みすず書房)第 10章他
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り 、 比 例 代 表 選 出 議 員 ( 名 簿 に よ る 拘 束 が あ る 場 合 と な い場 合 の 違 い が あ り 、 後 者 の 場 合 は 当 選 順 序 は リ ス ト の 順 位に 従 う ) で は 党 内 に お け る 評 判 が 重 要 と な る 。 国 民 志 向 型と 政 党 志 向 型 と の 区 分 も 有 用 で あ る 。
4.2.3 政 党 、 政 党 制 、 政 党 政 治
4.2.3.1 近 代 以 降 の 政 治 に お い て は 、 政 党 の 果 た す 役 割が 次 第 に 重 要 と な る 。 政 党 は 、 指 導 者 を 選 出 し 、 国 民 の 利益 を 集 約 ・ 表 出 し 、 議 会 に お い て 安 定 し た 多 数 派 を 確 保 する な ど 、 様 々 な 機 能 を 果 た す 。 も ち ろ ん 、 近 代 と 現 代 で は政 党 が 果 た す 役 割 は 大 き く 異 な っ て お り 、 現 代 政 治 は 政 党政 体 ( party polity ) で 、 政 党 政 治 ( party politics ) に よ る 統 治 が中 心 と な っ て お り ( party は 、 社 交 、 仲 間 、 集 団 、 政 党 と 同時 に 元 々 part = 全 体 の 一 部 分 を 意 味 す る ) 、 組 織 化 に よ って 統 治 主 体 と な る こ と を 目 指 す 。 政 党 政 治 の 特 徴 の 一 つ は 、 「 敗 北 」 が シ ス テ ム の 中 に 組 み 込 ま れ て い る 点 に あ る 。 例え ば 英 で は 野 党 も、 His / Her Majesty’s Opposition と し て 制 度 化 さ れ 、20 世 紀 に は 野 党 党 首 へ の 給 付 が な さ れ る ( C f . 政 治 制 度論 ) 。 議 会 政 治 の 「 健 全 な 」 発 展 に は 、 野 党 と そ の あ り 方が 重 要 だ と さ れ る 理 由 で あ る 。
◎ 特 に 1970 年 代 以 降 、 従 来 の 欧 州 に 特 有 な ( 身 分= ) 階 級 政 治 の 枠 組 み か ら 外 れ て 、 環 境 問 題 や 平 和 問題 な ど 、 特 定 の 価 値 ( 政 策 ) 実 現 を 図 る こ と を 目 的 とし 、 政 権 を 目 指 す こ と を 第 1 目 標 と し な い 政 党 も 登 場す る ( 単 一 の 争 点 で 勝 負 す る た め 、 one - point party / single - issue - party と 呼 ば れ る ) 。 一 方 で 、 1960 年 代 以 降 、 女 性 解 放を 目 指 す フ ェ ミ ニ ズ ム 運 動 が 盛 ん と な っ た が 、 興 味 深い こ と に 「 女 性 政 党 」 は 登 場 し な い 。 特 に 1980 年 代 以降 、 仏 の ル ・ ペ ン 率 い る 「 国 民 戦 線 」 な ど の よ う に 、外 国 人 や 移 民 の 排 斥 を 掲 げ る 党 首 や 政 党 が 少 な か ら ぬ支 持 を 獲 得 し て い る 点 が 注 目 さ れ る 。
4.2.3.2 政 党 は 、 政 治 家 の 集 団 意 識 ( we - they 意 識 ) か ら 生ま れ る 。 政 党 は 本 来 政 治 権 力 を 目 指 す 「 私 的 団 体 」 ( association ) で は あ る が 、 大 陸 諸 国 で は 、 次 第 に 憲 法 で そ の 存在 が 明 記 さ れ 、 議 会 選 挙 で の 得 票 数 に 応 じ た 資 金 が 提 供 され る 形 で 公 的 に 認 知 さ れ 、 国 家 と 政 党 と の 関 係 が 次 第 に 変化 す る 傾 向 125に あ る 。 と り わ け 、 比 例 代 表 制 の 導 入 は 、 選挙 民 に 候 補 者 で は な く 、 政 党 を 選 択 さ せ る こ と に よ り 、「 公 器 」 で は あ っ て も 私 的 団 体 と し て の 政 党 が 政 治 に お いて 果 た す 役 割 を 公 式 に 認 知 す る こ と に な る 。
125 Cf. ゲルハルト・ライプホルツ『現代民主主義の構造問題』阿部照哉等共訳(木鐸社)
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◎ い わ ゆ る 小 選 挙 区 制 と 比 例 代 表 制 と の 比 較 基 準 は 、前 者 が 政 権 の 安 定 に 貢 献 し や す い が 、 後 者 は 「 死 票 」が 少 な く 民 意 を 反 映 し や す い と い っ た 議 論 に 留 ま ら、な い 。 大 陸 諸 国 で 、 比 例 代 表 制 が 早 期 に 導 入 さ れ る のは 、 後 述 す る よ う に 、 大 陸 諸 国 で は 複 数 の cleavage が 存在 し 、 特 定 の 政 党 が 議 席 の 過 半 数 を 占 め 得 な い 現 実 を承 認 し た 上 で 、 政 党 の 「 棲 み 分 け 」 を 制 度 上 支 え て 、政 権 を 選 挙 で は な く 、 各 政 党 エ リ ー ト 間 の 調 整 に 委 ねる 仕 組 み を 採 用 し た た め で あ る ( consociational democracy →Cf . 政 治 過 程 論 ) 。
4.2.3.3 政 党 の 発 生 は 英 政 治 に 求 め ら れ る こ と が 多 い 。英 で は 、 ト ー リ ( Tory ) と ホ イ ッ グ ( Whig ) の 二 大 政 治 勢力 ( 政 党 ) に よ っ て 政 治 が 運 営 さ れ て き た と い う 解 釈 が しば し ば な さ れ る が 、 17,18 世 紀 の 実 際 の 政 界 で は 、 宮 廷 ( court ) 対 地 方 = 貴 族 ( country ) と の 争 い が Tory と Whig 以 上 に重 要 で あ り 、 貴 族 ( country ) は 、 そ の 時 々 の 国 王 ( court )に 対 抗 し て 集 団 を 形 成 し た ( 金 融 の 中 心 City を 加 え て 、 3つ の C の 主 導 権 争 い と な る ) 。 も ち ろ ん 、 こ れ 以 外 に も 、議 会 内 部 で 、 同 じ よ う な 世 界 観 や イ デ オ ロ ギ を も っ た 者 が集 団 を 形 成 す る と い う 側 面 も あ り 、 コ フ ィ ・ ハ ゥ ス の 普 及を 契 機 と し て 閉 鎖 的 な 会 員 制 の ク ラ ブ が 誕 生 し て 、 こ れ が政 党 を 生 み 出 す 素 地 と も な っ た と さ れ る 。 ま た 、 ジ ョ ー ジ3 世 下 ( 1760 ~ 1820 ) で 、 King's Friends と 呼 ば れ た 政 治 家 集 団 も政 党 で あ り 、 ま た 、 エ ド マ ン ド ・ バ ー ク の い う よ う に 、 公共 利 益 を 促 進 す る た め に 一 致 し た 原 則 で 相 協 力 す る 一 群 の人 々 も 政 党 だ と も い え る 。
4.2.3.4 政 党 に は 、 院 内 政 党 と 院 外 政 党 と の 区 分 が あ り( 日 本 で は 政 党 に 所 属 し て い る 国 民 が 少 な い の で 、 院 外 政党 の 実 感 は な か な か 湧 か な い だ ろ う ) 、 院 内 政 党 は し ば しば 会 派 と 呼 ば れ る 126。 当 初 選 挙 権 も 限 定 さ れ て い た 時 代 には 、 政 党 は 院 内 政 党 で あ っ た が 、 19 世 紀 後 半 、 選 挙 権 の 拡大 に つ れ て 、 選 挙 民 の 組 織 化 が 重 要 な 課 題 と な っ て 、 院 外政 党 の 重 み が 増 す こ と に な る 。 議 員 団 と 院 外 集 団 と の 関 係は 一 般 化 で き な い が 、 後 述 す る よ う に 、 政 党 組 織 の 特 色 によ り 、 い く つ か の タ ィ プ に 分 け る こ と が で き る 。
4.2.3.5 院 外 政 党 が 発 達 す る と 同 時 に 、 議 員 の 組 織 化 が 進行 す る 。 党 議 拘 束 ( 代 表 例 、 法 案 な ど へ の 賛 否 に つ い て 、政 党 が 所 属 議 員 に 対 し て 、 そ の 投 票 行 動 を 指 示 す る こ と )は い わ ゆ る 組 織 政 党 で は 強 く 、 議 員 政 党 で は 比 較 的 緩 や か
126 政党と派閥( faction )との区別もある。日本の自由民主党と似た政党である戦後イタリアのキリスト教民主党は、政党か、それとも派閥の集合体かが問題とされるが、要は政党の定義次第である。派閥については、Cf. 永森誠一『派閥』(ちくま新書)
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で あ る 。 ま た 、 議 員 は 個 々 の 選 挙 区 の 代 表 で あ る と 同 時 に 、 議 員 集 団 は 「 有 権 者 全 体 な い し 国 民 」 の 代 表 で も あ り 、 選挙 区 の 利 益 ( 委 任 命 令 : mandate ) と 国 民 の 代 表 と し て の 正当 性 の い ず れ を 優 先 す る の か が 問 わ れ る 。 多 く の 国 で は 、議 員 が 選 挙 区 の 利 益 か ら 独 立 し 国 民 の 代 表 と し て の 役 割、を 果 た す こ と を 憲 法 上 な ど で 要 請 さ れ る ( C f . 日 本 国 憲法 第 15 条 2 項 ) が 、 選 挙 区 で の 選 挙 に 勝 利 す る 必 要 が あ る限 り 国 民 の 代 表 た る 役 割 に 徹 す る こ と は 容 易 で は な い、 。
4.2.3.6 政 党 は 様 々 に 分 類 さ れ る 。 ま ず 、 議 員 の 性 質 や 政党 の 構 造 に 即 し た 分 類 が あ り 、 制 限 選 挙 の 時 代 に は 、 議 員の 会 派 形 成 を め ぐ る 離 合 集 散 が 激 し く 、 名 望 家 政 党 、 幹 部政 党 、 議 員 政 党 な ど と 呼 ば れ 、 こ れ に 対 し て 、 普 通 選 挙 の時 代 に は 、 大 衆 の 支 持 獲 得 を 目 指 し て 、 政 党 が 組 織 政 党 、大 衆 政 党 へ と 変 わ る 。 組 織 の 時 代 の 到 来 で あ る 。
4.2.3.7 政 党 が 代 表 す る 価 値 に 着 目 し た 分 類 も あ り 、 特 定の 社 会 階 層 の 利 益 や 世 界 観 を 代 表 す る 政 党 が あ る 。 民 族 政党 、 地 域 政 党 、 労 働 者 政 党 、 農 民 党 が あ り 、 こ う し た 階 層や 階 級 に 応 じ た 政 党 に 対 し て 、 20 世 紀 に は 国 民 政 党 ( さら に は 、 包 括 政 党 : catch-all-party < キ ル ヒ ハ イ マ ー ) が 登 場す る 。 ま た 、 世 俗 化 と の 関 連 で 、 宗 教 政 党 と 世 俗 政 党 の 区分 も あ る 。
4.2.3.8 欧 州 の 政 党 は 、 19 世 紀 以 降 、 国 や 時 代 で 変 化 す るが 、 保 守 ( 主 義 政 ) 党 、 自 由 ( 主 義 政 ) 党 、 社 会 ( 主 義政 ) 党 、 共 産 ( 主 義 政 ) 党 ( 20 世 紀 以 降 ) が 比 較 的 共 通 した 主 要 政 党 で あ り 、 こ れ に 宗 教 政 党 、 環 境 政 党 ( 1960 年 代 以 降 ) 、 農 民 党 、 地 域 政 党 、 中 道 政 党 、 極 右 政 党 な ど が 加わ る ( → 4.4 正 論 の 政 治 ) 。
4.2.3.9 何 故 国 ご と に 異 な る 政 党 が 存 在 す る の か 、 ま た 各 政党 の 強 さ が 異 な る の か に つ い て は 様 々 な 説 明 が 施 さ れ て きた が 、 政 党 は 他 の 政 党 と 競 争 関 係 に あ っ て 、 特 定 の 顧 客( 有 権 者 ) を 組 織 化 し て 確 保 ( = 投 票 し て も ら お う ) と する の で あ り 、 有 権 者 の 中 に あ る cleavage ( 裂 け 目 、 国 民 を 複 数 の 集 団 に 下 位 区 分 す る 境 界 線 ) に 沿 っ て 、 誘 導 し 、 組 織化 を 図 る と い う 考 え 方 が あ る 。
◎ 日 本 に は 、 欧 州 の よ う な 明 確 な cleavage が あ る の かど う か は 、 論 点 だ ろ う 。 も ち ろ ん 、 日 本 で も 、 階 級 や性 別 、 宗 教 に よ り 、 多 少 は 投 票 行 動 の 違 い が 見 ら れ るが 、 そ れ ほ ど 明 確 で は な い 。 「 地 域 や 職 業 が そ の 人 の『 書 き 方 』 に 影 響 を 与 え る と い う こ と が 、 日 本 で は <ほ と ん ど > な い 。 そ れ が 僕 に は 一 番 の 驚 き で し た 。 日
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本 は 本 当 に 均 質 的 な 社 会 な ん だ な 、 と あ ら た め て 思 いま す 。 北 か ら 南 ま で 、 中 学 生 か ら ご 隠 居 さ ん ま で 、 老若 男 女 が 『 ほ と ん ど 同 一 の エ ク リ チ ュ ー ル 』 を 共 有 して い る 。 [ 中 略 ] ヨ ー ロ ッ パ の 場 合 だ と 、 そ の 人 の 所属 す る 階 層 や 職 業 に よ っ て 、 言 葉 の 使 い 方 が 全 然 違う 」 ( 内 田 樹 ) 127。 日 本 の 政 党 論 で は 、 エ ク リ チ ュ ール な ら ぬ cleavage の 存 在 は あ る 程 度 所 与 と さ れ て い る のだ ろ う が 、 検 討 の 余 地 は あ る だ ろ う 。
4.2.3.10 欧 州 近 代 で 最 も 重 要 な cleavage は 階 級 と 宗 教 で あ り 、こ れ に 民 族 ( ethnicity ) や 言 語 が 続 く 。 cleavage に よ っ て 分 けら れ た 集 団 は 「 we - they 」 感 情 を 抱 く こ と が 前 提 で あ る 。 国民 の 間 に cleavage が 2 つ あ れ ば 、 理 論 上 4 つ の 政 党 が 生 ま れる こ と に な る 。 例 え ば 、 「 ロ ー マ ・ カ ト リ ク 対 プ ロ テ ス タン ト 」 、 「 資 本 家 ・ 中 産 階 級 対 労 働 者 」 と い う 対 立 軸 が あれ ば 、 公 教 会 系 労 働 者 政 党 、 公 教 会 系 保 守 政 党 、 プ ロ テ スタ ン ト 系 労 働 者 政 党 、 プ ロ テ ス タ ン ト 系 保 守 政 党 の 4 政 党が 誕 生 す る こ と に な る 。 蘭 ・ 白 な ど が こ れ に 近 い 例 で あ る 。
◎ ノ ル ウ ェ ィ の 学 者 ロ ッ カ ン 128は 、 各 国 の 政 治 勢 力( 政 党 配 置 ) の 違 い を 、 欧 州 全 体 の 中 で の 「 中 心 と 周辺 」 な ど の 問 題 か ら 考 察 し た 。 す な わ ち 、 欧 州 に は 、神 聖 ロ ー マ 帝 国 と ロ ー マ 教 会 と い う 2 つ の 中 心 が あ り 、こ の 中 心 地 域 は 中 央 貿 易 地 帯 と し て 、 多 く の 都 市 が 共存 し 、 そ の た め に 領 土 統 一 が 達 成 困 難 で あ っ て 、 統 一国 家 資 源 と な る 背 後 地 が 不 足 す る た め 、 中 央 貿 易 地 帯( 両 軸 に あ っ た 伊 、 独 ) で は 国 家 統 一 が 遅 れ 、 都 市 国家 連 合 が 形 成 さ れ た の に 対 し 、 中 央 貿 易 地 帯 か ら 離 れた 西 側 沿 岸 部 ( 英 仏、 、 西 ) で は 国 家 形 成 さ れ 、 遅 れ て内 陸 部 の 東 側 で は 普 な ど で 国 家 形 成 が 進 ん だ と す る( そ の 外 側 に つ い て は 省 略 ) 。 さ ら に 、 ロ ー マ 公 教 会か ら 比 較 的 距 離 が あ る 所 で 宗 教 改 革 が 起 こ り 、 遠 隔 地で 発 達 し て プ ロ テ ス タ ン ト 国 家 が 形 成 さ れ た の に 対 し 、イ ス ラ ム の 影 響 で ハ プ ス ブ ル ク と 西 で は 公 教 会 国 家 とな っ た と す る ( 仏 と 丁 は 、 中 央 貿 易 地 帯 に 接 続 し た 地点 に 国 家 形 成 が な さ れ 、 英 や 瑞 と 異 な り 、 強 い 中 央 集権 国 家 で あ る と す る が 、 疑 問 な し と し な い ) 。 続 い て 、国 家 形 成 の 骨 格 が 誕 生 す る 際 に 、 ① 宗 教 改 革 以 降 の国 家 と 教 会 の 関 係 、 ② 国 内 に お け る 公 教 会 の 強 さ 、③ 農 村 と 都 市 の 優 先 順 位 に よ り 、 8 組 の 国 家 形 成 のあ り 方 を 説 明 す る ( 国 教 会 の 優 越 ( 英 は 土 地 利 益 優 先 、ス カ ン デ ィ ナ ヴ ィ ア は 都 市 利 益 優 先 ) 、 強 力 な ロ ーマ ・ カ ト リ ク 少 数 派 ( 独 帝 国 は 土 地 利 益 優 先 、 蘭 、 スイ ス は 都 市 利 益 優 先 ) 、 国 家 と 公 教 会 と の 同 盟 ( 西 では 世 俗 革 命 で 土 地 利 益 優 先 、 仏 、 伊 で は 、 世 俗 革 命 で
127 高橋源一郎・内田樹選者『嘘みたいな本当の話』(イースト・プレス)16頁以下128 Cf. 篠原一「歴史政治学とS・ロッカン」篠原一編『連合政治』(岩波現代選書)
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都 市 利 益 優 先 ) 、 国 家 と ロ ー マ ・ カ ト リ ク 同 盟 ( 墺 は 、土 地 利 益 優 先 、 白 は 、 都 市 利 益 優 先 ) に 区 分 さ れ る ) 。そ し て 、 こ の 国 家 形 成 の 進 展 に 従 っ て 徴 兵 制 な ど に、よ る 国 民 の 創 出 、 選 挙 権 の 拡 大 に よ る 政 治 的 決 定 へ の参 加 、 給 付 行 政 ( 行 政 国 家 ) の 進 展 に よ り 、 近 代 国 民国 家 が 形 成 さ れ た と す る 。 こ の ロ ッ カ ン の 議 論 に 対 する 批 判 は 可 能 だ し 難 し く な い が 英 仏 独 に 事 例 説 明、 、 、 、が 偏 ら な い な ど の 特 徴 が あ っ て 、 壮 大 で あ る ( C f .政 治 過 程 論 ) 。
4.2.4 統 治 に お け る 選 出 部 分 と 非 選 出 部 分
4.2.4.1 身 分 政 治 も 実 は 代 表 制 を 採 る ( 身 分 制 議 会 ) が 、政 治 的 市 民 権 ( 選 挙 権 ) と 代 表 制 と が 結 び つ く と 議 会 政、治 の 比 重 が 高 ま る 政 治 的 市 民 権 の 拡 大 に 伴 い 議 会 は 身 分。 、代 表 か ら 国 民 代 表 へ と 正 統 性 / 正 当 性 を か え 始 め る そ し。て 、 君 主 に せ よ 、 官 僚 に せ よ 非 選 出 部 分 の 統 治 に 対 す る、否 定 的 な 評 価 が 高 ま れ ば 統 治 に お け る 選 出 部 分 の 役 割 拡、大 要 求 へ と つ な が り さ ら に は 、 選 出 部 分 が 非 選 出 部 分 を、ど の よ う に コ ン ト ロ ゥ ル す る か が 政 治 争 点 と な る 。
4.2.4.2 政 治 家 が 国 民 代 表 に な る に つ れ て 、 政 官 関 係 の 意味 合 い が 異 な っ て く る 。 政 官 関 係 129 の 古 典 的 イ メ ー ジ は 、 政 治 家 の 正 統 性 が 反 映 し て 、 「 政 治 家 が 政 策 を 決 定 し 、 行政 官 が 執 行 す る 」 と い う も の で あ る 。 も ち ろ ん 、 政 官 関 係に つ い て は 、 他 に も 「 政 治 家 が 利 益 を 表 出 し 、 行 政 官 が 知識 を 提 供 す る 」 と か 、 「 政 治 家 が 変 革 し 、 行 政 官 は 均 衡 を図 る 」 と い う 場 合 も あ る 130。 政 官 間 の 優 劣 関 係 は 統 治 の 民、主 的 正 統 性 と の 関 連 で 問 わ れ 続 け る が 、 話 は 単 純 で は ない 公 選 職 が 官 僚 ・ 公 務 員 の 指 揮 権 を 有 す る 方 向 に あ る と。は い え 、 仏 な ど 大 陸 諸 国 で は 、 革 命 や 動 乱 な ど 政 治 的 動 揺 が 大 き い 中 で 、 政 治 的 中 立 を 保 つ 行 政 の 有 効 性 が 強 調 さ れる 歴 史 が あ り 政 界 の 不 安 定 か ら 独 立 し た 世 界 を 官 界 は 形、成 し て き た 。 ま た 、 立 法 過 程 ( 法 案 作 成 ) 過 程 で の 官 僚 の役 割 も 大 き く 仏 に 典 型 的 な、 テ ク ノ ク ラ ト ( technocrat 、 技 術官 僚 131) の 優 位 も 見 ら れ る 。
4.2.4.3 各 国 の 現 在 の 政 官 関 係 は 、 そ の 歴 史 を 反 映 し て いる 132。 英 で は 、 上 級 公 務 員 は 比 較 的 省 庁 を わ た っ て 出 世 し 、
129 Cf.真淵勝『官僚』(東京大学出版会)にある一覧表130 Cf. 西尾勝『行政学』(有斐閣)131 Cf. 栗田啓子『エンジニア・エコノミスト』(東京大学出版会)、藤田由紀子『公務員制度と専門性』(専修大学出版局)、ロバート・マートン『社会理論と社会構造』森東吾等訳(みすず書房)。併せて、Cf.伊藤大一『現代日本官僚制の分析』(東京大学出版局)、大淀昇一『技術官僚の政治参画』(中公新書)132 バーナード・S・シルバーマン『比較官僚制成立史』武藤博己他訳(三嶺書房)は、官僚制が画一
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政 界 進 出 は ほ と ん ど な く 、 ま た 政 党 に 動 員 さ れ る が 、 専 門職 業 志 向 で あ る の に 対 し 、 仏 、 独 は 、 官 僚 制 が 政 界 か ら 一定 程 度 自 立 し て い る だ け で な く 、 一 時 的 休 職 制 度 な ど に よっ て 政 界 へ と 進 出 可 能 ( 独 で は 政 治 的 官 吏 と 呼 ば れ る ) とな っ て お り 、 政 党 に 動 員 さ れ な が ら も 組 織 志 向 を 保 持 す る 。こ う し た 違 い は 、 ジ ェ ネ ラ リ ス ト 対 ス ペ シ ャ リ ス ト 、 参 入規 制 の 時 期 と 程 度 、 官 僚 制 内 部 の 単 位 設 定 ( セ ク シ ョ ン とし て の キ ャ リ と ノ ン キ ャ リ ) 、 内 務 官 僚 の 有 無 な ど の 違ア アい と 関 連 す る ( C f . 行 政 学 総 論 ・ 各 論 ) 。
4.2.5 官 僚 制 と 公 務 員 制 度 ( C f . 行 政 学 総 論 ・ 行 政 学 各論 )
4.2.5.1 bureaucracy、 官 吏 、 官 僚 、 公 務 員 に つ い て 、 そ の 意 味の 違 い を 当 面 無 視 す る こ と と す れ ば 、 近 代 か ら 現 代 へ の 変化 は 、 奉 仕 ( service ) 対 象 の 変 化 で あ り 、 国 王 ( 君 主 ) か ら 国 家 、 国 民 へ と 移 行 す る 。 こ れ は 、 イ メ ー ジ の 変 化 で もあ り 、 ま た 国 制 上 の 位 置 づ け の 変 化 で も あ る 。 例 え ば 、 英( 語 ) の civil servantは 、 civil へ の 奉 仕 者 で あ る が 、 仏 ( 語 ) のfonctionaireは fonction ( 職 務 ) と 、 独 ( 語 ) の Beamte は Amt ( 職 務 )と 関 連 し 、 国 家 ( 職 務 ) へ の 奉 仕 と い う 非 人 格 的 側 面 が 濃厚 で あ る ( 官 吏 は も と も と 皇 帝 ( 君 主 ) に 対 す る 「 官 ( 官人 : か ん に ん ) 」 と 「 吏 ( 胥 吏 : し ょ り ) 」 ) 。
4.2.5.2 近 代 官 僚 制 は 軍 事 体 制 の 必 要 に よ り 次 第 に 整 備 され て い く が 、 そ の 成 立 以 前 は 公 職 は し ば し ば 世 襲 で 所 有、さ れ 上 位 の 公 職 保 有 者 に よ る 「、 patron - client 」 関 係 を 通 じて ま た 、 実 質 上 買 収 に よ っ て 入 手 可 能 で あ っ た 。 公 職 は、名 誉 職 と し て 観 念 さ れ て い た た め 、 正 式 の 報 酬 は 存 在 せ ず 、必 要 経 費 は 君 主 や 貴 族 が 自 前 で 確 保 す る こ と に な っ て い たが 、 も ち ろ ん 謝 金 や 手 数 料 な ど の 役 得 は あ っ た 。
4.2.5.3 近 代 官 僚 制 の 成 立 と 発 展 は 、 こ う し た 公 職 の あ り方 を 変 更 す る も の で あ り 、 ウ ェ ー バ ー が ま と め た 近 代 官 僚制 の 特 色 を 簡 略 表 現 す れ ば 133、 公 職 は 所 有 の 対 象 と は な らず ( 行 政 主 体 と 行 政 手 段 と の 分 離 ) 、 官 僚 は 給 与 を 受 け る者 と し て 位 置 づ け ら れ そ の 任 免 や 昇 進 ・ 昇 任 は 、 人 格 と、は 独 立 し た 権 限 に 関 わ る 基 準 で 行 わ れ る 。 ま た 、 官 僚 は 部局 に 組 織 化 さ れ 職 務 が 機 能 上 分 化 さ れ る と 同 時 に 単 一 の、 、命 令 指 揮 系 統 の 下 に 統 合 さ れ 、 階 序 ( hierarchy ) を 形 成 す る 。 さ ら に 、 官 僚 は 、 外 部 集 団 ( 権 力 闘 争 や 一 般 社 会 ) から 一 定 程 度 独 立 し て そ の 職 務 を 執 行 す べ き も の と さ れ る 。
的な発展をせず、英(及び米)と仏(及び日本)で異なった発展をした理由を、政治勢力の継承との関連で説明しようとする 邦訳は読みづらい。。133 Cf.マックス・ウェーバー『官僚制』阿閉吉男、脇圭平訳(恒星社厚生閣)
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4.2.5.4 官 僚 制 の 近 代 化 は 、 近 代 戦 争 遂 行 装 置 と し て国 家 の 運 営 効 率 を 高 め る べ き だ と い う 要 請 に 発 す る 効 率。向 上 を 図 る た め に 、 資 格 任 用 制 ( merit system ) の 採 用 、 公 開競 争 試 験 の 実 施 、 勤 務 評 定 な ど に 基 づ く 選 考 が 導 入 さ れ るが 歴 史 的 経 緯 を 反 映 し て 、 国 ご と の 違 い も 小 さ く な い 。、ま た 、 分 野 ご と の 差 も 大 き く 、 経 営 技 術 能 力 が 問 わ れ る 財務 部 門 で は 、 登 用 に お け る 身 分 か ら 業 績 ( 能 力 ) へ の 移 行が 17,18 世 紀 に は 始 ま っ た と い え る が 、 外 交 関 係 の よ う な 分野 で は 、 国 際 感 覚 や 教 養 の 豊 か な 貴 族 の 占 め る 割 合 は 20 世紀 に な っ て も 高 い ま ま で あ る 。 ま た 、 軍 隊 に つ い て も 、 機関 銃 の 事 例 で 前 述 し た よ う に 、 将 校 ク ラ ス で は 貴 族 の 占 める 割 合 は 、 20 世 紀 に お い て も 高 い 状 態 に 保 た れ た 。 「 貴 族= 闘 う 人 」 と い う 身 分 コ ゥ ド が 残 っ た か ら で あ る 。 こ の 点 、日 本 と の 違 い は 大 き い 。 そ し て 、 第 1 次 大 戦 で は 、 多 く の貴 族 の 子 弟 が 死 亡 し 、 社 会 階 層 と し て の 貴 族 の 衰 退 に 拍 車を か け た 。
4.2.5.5 英 で は 、 情 実 任 用 ( patronage ) = 官 職 推 薦 権 、猟 官 制 ( 米 : spoils system < To the Victor belong ( s ) the spoils. ( 戦 利品 は 勝 者 の 下 へ ) ) が 盛 ん で あ り 、 議 会 主 導 に よ り 、 1853年 ト レ ヴ ェ リ ア ン = ノ ー ス コ ー ト 報 告 書 が 出 さ れ 、 そ の 前後 の 改 革 と あ わ せ て 、 情 実 任 免 の 廃 止 、 試 験 制 の 導 入 、 独立 の 人 事 委 員 会 設 置 な ど が な さ れ た 。 参 考 ま で に 、 米 で は 、大 統 領 に よ る 政 治 的 任 用 が 多 く 、 例 え ば リ ン カ ー ン は 1639の 公 職 中 最 大 1457 を 更 迭 す る 。 こ れ に 対 し 、 1883 年 ペ ン ド ルト ン 法 ( 連 邦 公 務 員 法 ) で 人 事 委 員 会 、 公 開 試 験 、 職 階 制( の 前 身 ) 、 政 党 運 動 な ど の 禁 止 が な さ れ る 。 こ れ に 対し 、 独 ( 部 分 的 に 仏 ) で は 、 行 政 能 率 向 上 を 目 指 し 、 能 力に 応 じ て 適 材 適 所 に 人 員 配 置 す る こ と と な り 、 そ の 官 僚 制度 は 各 国 の マ ド ル ( モ デ ル ) と な る 。 普 で は 文 官 が、 17 世紀 以 降 、 独 圏 内 の 大 学 卒 業 生 か ら 任 用 さ れ 、 1770 年 か ら 試験 合 格 が 必 要 と な り 、 1808 年 将 校 任 用 に 関 す る 国 王 布 告( 身 分 特 権 の 廃 止 ) が 出 さ れ る 。
◎ 欧 州 ( 特 に 大 陸 諸 国 ) と 日 本 は closed ( -career ) -system で 、 職 員 体 系 に そ っ て 組 織 構 成 し 、 人 が 省 庁 内 訓練 を 受 け る 仕 組 み を と り 、 採 用 時 に 学 歴 や 試 験 で 潜 在的 能 力 を 判 断 し て 、 内 部 研 修 、 専 門 性 を 修 得 さ せ る ジェ ネ ラ リ ス ト 養 成 で あ る の に 対 し 、 英 米 は open ( -career ) -system で 、 職 務 体 系 に そ っ て 組 織 構 成 し 、 専 門性 や 資 格 を 定 め た 官 職 ご と に 見 合 っ た 人 材 を 広 く 社 会か ら 募 集 す る た め 、 ス ペ シ ャ リ ス ト 型 の 人 材 登 用 と なる 。 尤 も 、 近 年 英 で は HRM ( Human Resource Management ) で上 級 幹 部 職 も 公 募 制 採 用 の 動 き が あ り 、 行 政 機 関 が 自律 的 に 採 用 を 決 定 す る 点 で 米 と 異 な る 傾 向 が 見 ら れ る 。
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4.3 利 益 の 政 治 ( Politics for Intersts ) 」 と 政 策 ( How You Govern by Doing What? ) の 変 遷
4.3.1 利 益 の 組 織 化 と 制 度 化
4.3.1.1 利 益 ( interests ) は 単 な る 経 済 的 利 益 に 留 ま ら な い 。例 え ば 、 欧 州 近 代 政 治 に お い て 重 要 な landed interest vs. moneyed interest も 、 単 に 「 農 業 利 益 対 資 本 利 益 」 で は な く 、 土 地 の 支 配 を基 本 と す る 農 業 社 会 ( country ) と 資 本 に よ る 支 配 を 基 本 とす る ( 都 市 ) 社 会 ( City ) に そ れ ぞ れ 棲 息 す る 集 団 の 生 活様 式 や 名 誉 体 系 の 競 合 で も あ る 。 近 代 は 利 益 の 分 化 多 様、 、化 が 進 み 、 そ れ に 対 応 し て 象 徴 が 分 化 多 様 化 す る か ら 、、こ れ を 不 断 に 調 整 す る 必 要 が あ る 。 従 っ て 、 management of interests と government of men が 同 時 併 行 す る ( C f . 政 治 学 ) 。
4.3.1.2 利 害 対 立 と そ の 調 整 は 多 種 多 様 で あ る が 、 欧 州 近代 政 治 で は 、 農 村 対 都 市 、 中 央 対 地 方 ( あ る い は 地 方 間 対立 ) 、 国 家 と 教 会 ( あ る い は 宗 教 間 対 立 ) 、 言 語 共 同 体 や民 族 間 、 そ し て 資 本 と 労 働 な ど が 主 な 利 害 対 立 で あ る 。 現代 に 近 づ く に つ れ さ ら に ジ ェ ン ダ 問 題 や 、 開 発 対 環 境 、、生 産 者 対 消 費 者 と い っ た 対 立 軸 が 提 示 さ れ る こ う し た 利。害 調 整 は い ず れ も 特 定 の 象 徴 を め ぐ る 争 い と し て 表 象 さ れる が 実 際 に は 国 家 が 先 導 し な が ら あ る い は 国 家 を 舞 台 と、 、し て 各 分 野 の エ リ ー ト が そ の 調 整 を 図 る も の で あ り 、 各、種 の 利 害 調 整 に 対 応 し て 国 家 や 政 党 に は 問 題 を 扱 う 組 織、が 設 置 さ れ る 。 す な わ ち 、 利 益 は 具 体 化 ・ 個 別 化 さ れ る 必要 が あ り 、 議 会 に 委 員 会 、 政 府 に 省 庁 、 各 政 党 に 委 員 会 が設 け ら れ て 利 益 の 調 整 を 図 る 制 度 化 や 組 織 化 が 進 め ら れ、る ( C f . 政 治 学 ・ 政 治 制 度 論 ) 。
4.3.1.3 前 述 し た 各 種 各 様 の 社 会 変 動 の 結 果 、 大 量 の 社 会問 題 が 発 生 し 、 こ れ に 対 応 し て 統 治 す る 側 も 統 治 さ れ る 側も 、 組 織 化 が 本 格 化 す る 。 19 世 紀 ( 特 に 半 ば 以 降 の ) 欧 州政 治 の 特 色 は 、 近 代 国 家 が 軍 事 国 家 と い う 性 格 を も っ て いて も 、 平 和 の 100 年 ( 1815 ~ 1914 ) の 影 響 な ど も あ り 、 民 政 部分 が 拡 大 す る こ と に あ る 。 こ の 給 付 国 家 化 ( 行 政 国 家 化 )で は 、 国 民 生 活 に 国 家 が 介 入 す る 割 合 が 増 大 し 、 ま た 国 家に よ る 雇 用 が 拡 大 し 、 こ れ と 併 行 し て 国 家 財 政 が 増 大 する 国 家 に よ る 資 源 配 分 の 割 合 が 高 ま る こ と は 、 政 治 資 源。を 国 家 が 独 占 す る こ と で も あ り 、 ま た 同 時 に 被 治 者 が 資 源配 分 に あ た っ て 権 力 へ の 接 近 を 要 求 し 依 存 度 ・ 従 属 度 を、高 め る こ と に な る 。
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4.3.1.4 資 源 配 分 は 政 策 に よ り 実 施 さ れ る 政 策 は 、 一。面 で は 特 定 の 価 値 実 現 を 表 明 す る こ と で 象 徴 が 前 面 に 出、る 政 治 ( 正 論 の 政 治 ) で あ り 、 他 面 で は 特 定 の 価 値 実 現、を 表 明 す る 象 徴 の 下 で 、 集 団 が 利 益 配 分 を 受 け る ( 利 益 の政 治 ) で も あ る 。 現 代 の 例 を 引 け ば オ ゾ ン 層 の 破 壊 を 警、告 し て 環 境 政 策 の 重 要 性 が 指 摘 ( 正 論 の 政 治 ) さ れ る が 、米 の 会 社 が 有 す る フ ロ ン ガ ス の 特 許 が 切 れ た の で 使 用 を 制限 し た ( 利 益 の 政 治 ) だ け か も 知 れ な い 。
4.3.1.5 政 策 モ デ ル は 多 数 あ る が 、 ア リ ソ ン に よ る 政 策 形成 の モ デ ル 134の 3 つ が 参 考 に な る 。 合 理 的 行 為 者 モ デ ル 組、織 の 合 力 モ デ ル 、 政 府 内 政 治 モ デ ル で あ る 。
① 合 理 的 行 為 者 モ デ ル は 、 国 家 な い し 政 府 が 一 定の 状 況 下 で 一 定 の 目 的 と 計 算 で 選 択 し て 行 動 す る も の が 政策 で あ り 、 ア ク タ は 合 理 的 な 選 択 ( 出 力 の 最 大 化 or入 力 の最 小 化 ) に よ り 価 値 の 最 大 化 を 図 ろ う と す る と み な す 。
② 組 織 の 合 力 モ デ ル は 、 行 動 の 標 準 的 作 業 様 式 に 従っ て 機 能 し て い る 組 織 の 出 力 と そ の 合 力 の 結 果 が 政 策 ( 政府 の 行 動 ) で あ り 、 組 織 は 変 化 し 、 学 習 し て 、 ル テ ィ ー ンと し て 対 応 を 蓄 積 す る ( 標 準 作 業 手 順 ) と み な す 。
③ 政 府 内 政 治 モ デ ル は 、 指 導 者 グ ル ー プ 内 の ( 権力 ) 政 治 の 産 物 が 政 策 で あ り 、 そ こ で は 、 多 数 の ア ク タ が駆 け 引 き を 行 う と み な す 。 こ の 過 程 は 複 雑 で 入 り 組 ん で おり 、 個 人 の 選 好 や 立 場 が 強 く 影 響 す る 。
4.3.1.6 現 代 の 利 益 政 治 は 、 要 求 と 舞 台 装 置 の 制 度 化 が 進ん で い る と り わ け 、。 利 益 の 組 織 化 に よ っ て 、 組 織 間 の バー ゲ ニ ン グ ( 取 引 ) ・ ゲ ィ ム と い う 側 面 が 高 ま っ て い る 。ま た 、 現 代 の 利 益 政 治 に は 、 ゲ ィ ム ( ル ー ル ) の 整 備 と いう 側 面 が あ り 、 interests に 即 し た 組 織 化 が 図 ら れ る そ し。て 、 個 別 利 益 が 社 会 全 体 の 利 益 と な る と い う 一 般 的 社 会 的正 義 の 主 張 ( 正 論 の 政 治 ) を 装 う 必 要 が 生 ま れ て 、 修 辞( レ ト リ ク ) 上 の 工 夫 が 発 達 す る 。
4.3.1.7 利 益 集 団 に よ る 政 策 形 成 は 、 受 益 者 が 組 織 化 さ れて 、 国 家 を 仲 介 者 と す る 紛 争 解 決 の 制 度 化 に よ っ て 進 む 場合 が あ る 。 政 府 に よ る 組 織 間 利 害 調 整 が 進 め ば 、 手 間 暇 かけ て 審 議 す る 議 会 は 、 政 策 提 示 能 力 や 利 益 調 整 能 力 が 低 下し て い る よ う に 思 え 、 各 界 の 代 表 者 に よ る 協 議 シ ス テ ム が利 害 調 整 に 有 効 な 手 段 と 見 な さ れ る 。 こ れ を コ ー ポ ラ テ ィズ ム 135と 呼 び 、 第 2 次 大 戦 後 に つ い て は ネ オ ・ コ ー ポ ラ テ
134 Cf. グレアム・アリソン『決定の本質』宮里政玄訳(中央公論社)。135 Cf. フィリップ・C・シュミッター、ゲルハルト・レームブルッフ『現代コーポラティズム』1・2、高橋進他訳(木鐸社)
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ィ ズ ム と 呼 ぶ 。 労 使 関 係 に 典 型 的 に 表 れ る 調 停 方 式 が 有 効で あ る と 見 な さ れ れ ば 見 な さ れ る ほ ど 、 こ の 国 家 ・ 政 府 を媒 介 ( 調 停 者 ) と す る 組 織 間 ・ 団 体 間 の 利 害 調 整 制 度 は 、政 治 的 安 定 に 役 立 つ こ と で 承 認 さ れ る 。 各 団 体 の エ リ ー トが 協 調 し て 紛 争 の 処 理 に 当 た る と い う こ の 方 式 は 北 欧 や、独 で 広 く 見 ら れ る 制 度 で あ る 。 議 会 不 要 論 に つ な が れ ば 、第 1 次 大 戦 後 、 各 国 で 支 持 を 集 め る フ ァ シ ズ ム と 関 わ っ てく る 。 な お 、 フ ァ シ ズ ム と い う 概 念 は 、 大 戦 間 期 に お い ては 必 ず し も 否 定 的 に 捉 え ら れ て い た わ け で は な く 、 む し ろ議 会 の 機 能 不 全 に 対 し て 、 政 府 の リ ー ダ シ プ を 歓 迎 す る 肯定 的 な 言 葉 と し て 用 い ら れ る 場 合 も あ っ た こ と は 注 意 に 値す る 。
4.3.2. 中 央 と 地 方
4.3.2.1 一 定 以 上 の 面 積 を も つ 領 域 国 家 で は 、 都 ・ 鄙や 都 市 ・ 農 村 の 区 別 だ け で な く 、 多 か れ 少 な か れ 、 地 域 間に 産 業 の 発 達 程 度 の 格 差 が 存 在 し 、 言 語 、 宗 教 、 民 俗 な どの 文 化 的 相 違 と 相 俟 っ て 、 地 域 間 の 調 整 が 政 治 課 題 と な る 。特 に 近 代 化 が 進 む に つ れ 、 国 民 生 活 の 平 等 化 、 均 質 化 が 求め ら れ 、 ナ シ ョ ナ ル ・ ミ ニ マ ム ( national minimum 、 い ず れ の地 域 に 住 む 国 民 に 対 し て も 行 う べ き 最 低 限 の 生 活 ( 権 利 )保 障 ) が 設 定 さ れ 、 国 民 と し て の 意 識 創 出 が 図 ら れ る 。 面白 い こ と に 国 民 と し て の 平 等 化 均 質 化 が 図 ら れ る と 、 か、 、え っ て 地 域 間 の 格 差 が 意 識 さ れ 、 中 央 政 界 ( 政 府 や 議 会 )に 利 害 調 整 の 期 待 が か け ら れ る 。 例 え ば 公 共 事 業 は 国 土、開 発 と 地 方 経 営 と を 連 結 さ せ る 。 そ の 際 、 英 で は 貴 族 の 所領 経 営 の 伝 統 に あ る 民 営 主 導 で 進 め ら れ 、 仏 で は 地 方 官 であ る 官 選 知 事 制 と 関 連 し て 、 国 家 主 導 型 で 地 方 経 営 が 進 めら れ る 傾 向 が あ る 。
4.3.2.2 利 害 調 整 の 舞 台 で あ る 近 代 欧 州 の 中 央 政 界 は 、 君主 を 中 心 と す る 序 列 136か ら 構 成 さ れ て い た 。 そ の 典 型 例 はル イ 14 世 ( そ の 象 徴 が ヴ ェ ル サ イ ユ 宮 殿 ) で あ る 。 こ こ では 、 君 主 の 個 人 的 行 為 が 国 家 の 行 為 と 見 な さ れ 、 君 主 と の距 離 関 係 が 権 力 の 多 寡 を は か る 基 準 と な る 構 造 が あ っ て 、宮 中 と 府 中 と が 未 分 化 で あ っ た 。 宮 廷 内 政 治 が 国 家 政 治 とな り 、 宮 廷 内 の 序 列 が 儀 礼 ・ 儀 式 で 確 認 さ れ る が 、 権 力 が集 中 す れ ば 、 露 の よ う に 暗 殺 が 多 発 す る 。 頭 を 変 え れ ば 、政 治 が 変 わ る よ う に 思 え る か ら で あ る 。 従 っ て 、 宮 中 府 中の 別 、 「 王 家 」 と 「 国 家 」 と の 分 離 が 政 治 の 近 代 化 の 指 標と な る 。 こ の 点 で 、 墺 は 他 国 に 較 べ 近 代 化 は 遅 れ 、 19 世 紀に な っ て も ハ プ ス ブ ル ク 家 の 帝 国 と い う 側 面 を 濃 厚 に 残 して い た 。 19,20 世 紀 に な る と 、 各 国 で 君 主 の 政 治 的 権 力 が 次
136 Cf. ノルベルト・エリアス『宮廷社会』波田節夫他訳(法政大学出版局)、樺山紘一『宮廷びとの生活術』(王国社)
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第 に 制 限 さ れ る が 、 そ れ と 相 反 す る よ う に 、 宮 廷 を 中 心 とす る 儀 式 ・ 儀 礼 が 発 達 す る 137 。 政 治 は 効 率 的 運 用 に は な じ ま ず 、 権 力 は 権 威 を ま と う 舞 台 装 置 を 必 要 と す る か ら で ある 。 英 で は 、 政 治 秩 序 の 象 徴 的 中 心 = 君 主 と 政 治 権 力 の 中心 = 内 閣 の 分 離 と い う 体 制 を と る が 、 仏 の よ う な 共 和 制 では 代 替 君 主 と し て の 大 統 領 が 置 か れ 身 分 制 の 衰 退 に よ っ、て 生 じ る 象 徴 飢 餓 を 補 う た め に 、 国 歌 ・ 国 旗 が 法 制 化 さ れる 傾 向 に あ る 。 君 主 や 大 統 領 を 主 宰 と す る 舞 台 装 置 を 横 目に 、 議 会 や 内 閣 で 政 策 が 立 案 さ れ 、 執 行 さ れ て い く 。
◎ 君 主 の 政 治 権 力 が 圧 倒 す れ ば 、 「 絶 対 王 制 」 と呼 ば れ る が 、 当 然 の こ と な が ら 「 絶 対 的 」 権 力 な ど は存 在 し 得 ず 、 絶 対 王 制 は い わ ば 当 時 の 貴 族 な ど 関 係 者や 歴 史 家 の 印 象 論 で は あ る 。 「 絶 対 王 制 」 で は 、 君 主は 身 分 秩 序 と い う 伝 統 に 従 い 、 様 々 な 政 治 的 ア ク タ の勢 力 均 衡 の 維 持 を 図 ろ う と す れ ば 、 権 力 は 維 持 し や すい が 、 個 人 の 魅 力 に よ っ て 正 統 性 を 維 持 す る カ リ ス マ支 配 は 、 統 治 の 主 要 な 勢 力 を 権 力 の 中 心 点 で あ る 自 分や 特 定 の 政 策 争 点 に む け る と い っ た 日 々 の 努 力 を 必 要と す る 。
4.3.2.3 地 方 経 営 の 場 合 、 地 方 に 政 府 な い し 出 先 機 関 を 置く こ と に よ っ て 、 中 央 政 府 と 地 方 政 府 ・ 出 先 機 関 と の 交 渉が 図 ら れ る 。 政 府 間 関 係 ( Intergovernmental Relation ) ・ 中 央 地 方 関 係 138は 、 中 央 政 治 と 地 方 政 治 と の 関 係 で あ る 。 一 定 以 上の 領 土 を 持 つ 国 家 は 、 複 数 の 上 下 関 係 か ら な る 政 府 体 系 を持 つ だ け で な く 、 地 域 間 の 経 済 格 差 が 発 生 す る た め に 、 その 調 整 に こ の 政 府 体 系 が 活 用 さ れ る ま た 、 中 央 議 会 の 構。成 を 、 地 域 代 表 、 国 民 代 表 、 職 能 代 表 、 身 分 代 表 の い ず れに す る に よ っ て ( す な わ ち 、 ど の よ う な 選 挙 制 度 を 採 用 する か に よ っ て ) 中 央 地 方 の 利 益 調 整 機 能 が 異 な る 。 さ ら に 、社 会 の 中 に 中 央 地 方 較 差 の 調 整 シ ス テ ム が 組 み 込 ま れ て いる 場 合 も あ る 。
4.3.2.4 地 方 統 治 の 理 念 型 と し て は 英 型 と 仏 型 が あ ると い っ て い い だ ろ う 。 英 型 と は 、 地 元 出 身 、 土 地 所 有 を 基盤 と し 土 地 を 熟 知 す る 地 方 の 名 望 家 層 ( 貴 族 ) が 無 給 の、名 誉 職 と し て こ れ を 担 う 。 身 分 論 理 が 政 治 社 会 を 支 え る 仕組 み で あ る 。 こ れ に 対 し 、 仏 型 は 「 異 邦 人 支 配 」 、 職 務 ( office / function ) と す る 役 人 制 度 ( 内 務 官 僚 ) が 中 央 か ら 派 遣 され て 担 う 。 現 地 で の 土 地 所 有 な ど は 禁 止 さ れ る こ の。 仏 型支 配 の 背 景 に は 中 世 時 代 に 各 地 方 の 「 王 権 」 を 制 限 、 吸、
137 Cf. エリック・ホブスボウム他編『創られた伝統』前川啓治他訳(紀伊國屋書店)。なお、かなりレベルが高い話になるが、政治が身分から離れ、君主制を廃止しても、共和制には共和制の「宮中」が必要となる。138 行政学が(政治)制度学+(経営)管理学+政策学の複合だとされる(Cf. 西尾勝『行政学』(有斐閣))。行政現象を見る場合には、この3つの側面に注意すること。
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収 し た 経 緯 が あ る が 、 中 央 集 権 が 順 調 に 機 能 す る に は 、 中央 政 府 の 意 思 が 確 実 に 地 方 に 伝 達 さ れ る 仕 組 み が 必 要 だ から で も あ る 。 そ の 点 で は 中 央 の 議 員 が 地 方 の 議 員 や 市 長、を 兼 職 す る 仏 の 制 度 139も 、 中 央 政 府 の 意 思 を 地 方 へ と 伝 達す る チ ャ ン ネ ル と し て 機 能 し て い る 。 そ し て 、 こ の 地 方 統治 の イ メ ー ジ が そ の ま ま 植 民 地 支 配 に 反 映 さ れ る 。 な お 、独 は 国 制 上 の 歴 史 的 経 緯 を 反 映 し 、 ナ ポ レ オ ン に よ る 西独 ・ 南 独 地 域 の 支 配 も あ っ て 地 域 差 が 大 き い 。 普 に 限 っ ても エ ル ベ 川 以 東 で は 、 貧 し い な が ら も 英 型 の 土 地 貴 族、( ユ ン カ ) が 統 治 し 、 ラ イ ン 川 沿 い の 地 域 で は 仏 風 の 内 務行 政 が 進 む 。
◎ 植 民 地 に 関 し て 、 英 の 支 配 は ア マ チ ュ ( 職 業 とアは し な い = プ ロ で は な い と い う 意 味 ) で 、 仏 の 支 配 は玄 人 ( 官 僚 な ど ) だ と 言 え る か も 知 れ な い 。 英 は 強 制的 な 同 化 を 求 め ず 、 た だ 支 配 の 実 効 に 腐 心 し 、 仏 は ひた す ら 同 化 し よ う と し て 、 国 民 国 家 の 延 長 線 上 に 植 民地 を 位 置 づ け よ う と し た と い え る だ ろ う 。 た だ 、 両 国と も 、 古 い 帝 国 ら し く 、 植 民 地 に お い て 鉄 道 な ど は つく っ て も 、 産 業 基 盤 の 整 備 は 行 わ な い 。 日 本 や 米 と の違 い で あ る 140。
◎ 英 仏 が 単 一 国 家 で あ る の に 対 し 、 独 は 現 在 に 至、る ま で 国 制 と し て 連 邦 制 ( federalism ) を と る 。 ド イ ツ学 で 国 法 学 や 国 家 論 が 盛 ん に な る 理 由 で あ る 。 単 一 国家 は 、 地 方 ( 県 ) は 原 則 中 央 政 府 の 指 導 下 に あ り ( とは い え 、 上 述 の よ う に 、 英 と 仏 の 違 い は 大 き い ) 、 連邦 制 国 家 は ま ず 地 方 ( 州 ) が あ っ て こ れ ら が 連 合 し て国 家 ( 連 邦 ) を 形 成 す る と い う 理 屈 で あ る 。 現 在 の 独型 連 邦 制 は 、 立 法 は 連 邦 が 、 行 政 ( 執 行 ) は 州 が 担 う点 で 、 米 な ど と 異 な る 。 連 邦 制 に つ い て は 、 地 方 分 権の 文 脈 で 称 賛 さ れ る 傾 向 が あ る が 、 社 会 構 造 と 連 動 すれ ば 、 独 の よ う な Partikuralismus ( 分 立 主 義 ) や 伊 の よ うな カ ン パ リ ズ モ ( 郷 土 主 義 ) と な る 。 な お 、 単 一 国 家と 連 邦 制 国 家 の 差 は 、 先 進 国 で は 、 近 年 機 能 上 縮 小( 収 斂 傾 向 ) し 始 め て い る 141( C f . 政 治 制 度 論 ) 。
4.3.3 資 本 と 労 働 ( 説 明 の 便 宜 に よ り 、 正 論 の 政 治 に 含 める べ き 社 会 主 義 も こ こ で 扱 う )
4.3.3.1 労 働 問 題 は 、 都 市 化 や 工 業 化 に よ っ て 生 ま れ
139 この兼職制度については、Cf.笠京子「中央地方関係の分析枠組」『香川法学』(第 10巻第 1号、1990 年)、櫻井陽二『フランス政治体制』(芦書房)第9章140 Cf.吉見俊哉、テッサ・モーリス=スズキ『天皇とアメリカ』(集英社新書)57頁以下141 連邦制については、ひとまず、Cf. 岩崎美紀子『分権と連邦制』(ぎょうせい)、千葉眞「連邦主義」古賀敬太編著『政治概念の歴史的展開』第1巻(晃洋書房)
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や す い 。 19 世 紀 半 ば 以 降 、 資 本 と 労 働 が そ れ ぞ れ 組 織 化 され 、 階 級 政 治 が 強 調 さ れ る よ う に な る 。 労 働 組 合 は 、 労 働者 に と っ て は 互 助 組 織 で も あ り 、 ま た 生 活 共 同 体 の 一 部 をな す 。 例 え ば 労 働 者 向 け の 新 聞 に は 、 国 政 一 般 に 関 す る、記 事 と と も に 、 娯 楽 記 事 が 掲 載 さ れ る 。
4.3.3.2 各 国 の 労 働 運 動 142の 特 色 は 社 会 や 統 治 の 構 造 に よっ て 決 ま る が 、 一 般 に は 知 識 人 が 主 張 す る ほ ど 、 階 級 と して 労 働 者 が 連 帯 す る こ と は な く 、 各 国 に お い て も す べ て の労 働 者 を 包 括 す る 労 働 組 合 は 存 在 し な い 。 熟 練 労 働 者 と 非熟 練 労 働 者 、 ブ ル ー ・ カ ラ と ホ ワ ィ ト ・ カ ラ 、 宗 教 ・ 言語 ・ 地 域 、 産 業 の 種 類 、 大 企 業 と 中 小 企 業 、 支 持 政 党 の 選択 な ど に お け る 一 連 の 対 立 が 労 働 運 動 の 統 一 を 阻 碍 す る 。労 働 者 の 団 結 の 仕 方 に は 、 そ の 国 の 政 治 文 化 や 社 会 構 造 が濃 厚 に 反 映 す る 。
4.3.3.3 労 働 組 合 の 組 織 類 型 と し て は 、 一 般 に 職 能 別 組 合( craft union ) と 産 業 別 組 合 ( industrial union ) が あ る 。 日 本 に見 ら れ る 企 業 別 組 合 ( enterprise / company union ) は 欧 州 で は あ まり 見 ら れ な い 。 欧 州 は 、 身 分 = 階 級 社 会 の 特 性 を 反 映 し て 、職 能 別 組 合 の 特 色 が 濃 厚 に あ る が 、 次 第 に 産 業 別 組 合 の 編成 が み ら れ る よ う に な る 。 な お 、 欧 州 に せ よ 日 本 に せ よ、 、イ デ オ ロ ギ に よ っ て ( 例 え ば 連 帯 す る 政 党 が 共 産 党 と 社、会 党 の 違 い ) 複 数 の 労 働 組 合 が 作 ら れ る こ と が あ る 。 労 働者 の 連 帯 は 学 者 の 理 屈 ほ ど 容 易 で は な い 。
◎ 19 世 紀 は 組 織 の 時 代 で は あ る が 同 時 に 結 社 の 制、限 も あ っ た 。 英 ( コ モ ン ・ ロ ー ) で は 、 団 体 に 権 利 を認 め る こ と は 個 人 主 義 の 本 質 に 反 す る と さ れ た ( 1800年 一 般 団 結 禁 止 法 → 1824 年 団 体 禁 止 廃 止 法 、 1871 年 労 働組 合 法 は 、 民 法 上 及 び 刑 法 上 の 責 任 を 免 責 す る と い う消 極 的 な 意 味 で の み 労 働 組 合 を 認 め る ) 。 仏 で は 、ル ・ シ ャ ブ リ エ 法 ( 1791 年 ) に よ り 、 個 人 の 経 済 活 動の 自 由 を 確 保 す る と 同 時 に 、 同 業 組 合 や 労 働 者 ・ 職 人の 団 結 が 禁 止 さ れ 、 そ の 後 も 1884 年 の ヴ ァ ル デ ッ ク -ル ソ ー 法 ( 労 働 組 合 の 結 社 が 正 式 に 合 法 化 ) ま で 、 その 発 想 は 生 き 残 っ た 。
4.3.3.4 労 働 運 動 の 論 点 と し て は 、 ① 政 治 権 力 奪 取 か 経 済利 益 追 求 か 、 ② 議 会 主 義 か 直 接 行 動 か 、 ③ 階 級 連 帯 重 視 か祖 国 重 視 か 、 ④ 労 働 者 利 益 を 重 視 か 農 民 ・ 一 般 市 民 と の 連帯 重 視 か 、 ⑤ 政 党 と は 対 等 関 係 か 主 従 関 係 か 、 な ど が あ る 。ま た 、 知 識 人 が 主 導 す れ ば 、 理 論 重 視 で 、 専 従 ( 官 僚 ) が
142 労働運動については参考文献が多いが、ひとまず、G.マルチネ『七つの国の労働運動』上下、熊田亨訳(岩波新書)、ジル・マルチネ『五つの共産主義』上下、熊田亨訳(岩波新書)
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主 導 す れ ば 、 経 験 重 視 と 言 え る か も 知 れ な い 。 ま た 、 労 働運 動 内 部 で は 、 右 派 、 左 派 の 区 別 が 用 い ら れ る が 、 穏 健 派 、経 済 主 義 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム 志 向 な ど を 右 派 、 急 進 派 、 政 治主 義 、 国 際 主 義 を 左 派 と 呼 ぶ こ と が 多 い 。
4.3.3.5 労 働 運 動 は 労 働 者 の 階 級 連 帯 を 謳 う の で 、 社 会 主義 運 動 と 連 携 し 、 国 内 運 動 と 国 際 的 運 動 と が 交 錯 す る 143。第 一 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル ( 1864 年 ~ ) は マ ル ク ス を 中 心 に設 立 さ れ た が 、 政 治 闘 争 を 忌 避 す る 英 ( 代 表 ) や 個 人 の 財産 権 保 持 を 謳 う 仏 ( 代 表 ) 、 無 政 府 主 義 を 唱 え る バ ク ー ニン な ど の 主 張 に よ り 分 裂 す る 。 第 二 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル( 1889 年 ~ ) は 、 各 種 の 主 義 主 張 が 合 流 し な が ら も 、 独 系マ ル ク ス 主 義 ( 社 会 民 主 党 ) の 圧 倒 的 な 権 威 で 維 持 さ れ るが 、 20 世 紀 に は い る と 英 (、 1916 年 に 導 入 ) を 除 き 各 国 で、毎 年 10 万 人 以 上 が 徴 兵 さ れ 、 階 級 の 国 際 連 帯 は 第 一 次 大 戦参 戦 問 題 で 最 終 的 に 崩 壊 し た 。 大 義 と し て の ナ シ ョ ナ リ ズム の 社 会 主 義 に 対 す る 勝 利 と い っ て も 、 皮 肉 は 過 ぎ な い 。
4.3.3.5.1 ス ト ラ キ 多 発 で 知 ら れ るイ 英 で は 、 労 働 運 動 が協 同 組 合 運 動 と 相 俟 っ て ( 両 者 の 関 係 は 複 雑 で あ る ) 、 多数 の 労 働 運 動 ( 労 働 組 合 ) が 併 存 し 労 働 者 政 党 に 先 ん じ、て 発 達 す る ( 英 労 働 組 合 会 議 、 T U C ・ 1868 年 ) 。 19 世 紀半 ば 以 降 は 、 自 由 党 内 で の 利 益 実 現 が 図 ら れ る 。 こ の 労 使協 調 路 線 は 、 運 動 の 政 治 化 を 制 限 し な が ら 、 最 低 賃 金 の 確保 や 労 働 時 間 の 制 限 な ど を 求 め る も の で あ り 、 政 治 的 に は「 Lib – Lab 、 リ ブ = ラ ブ 」 路 線 ( 自 由 党 の 労 働 組 合 員 ) をと り 、 自 由 党 と 連 携 し て 議 会 進 出 を 図 る ( 社 会 改 良 を 図 る知 識 人 団 体 で あ る フ ェ ビ ア ン 協 会 は 1884 年 設 立 ) 。 そ の後 、 自 由 党 と の 連 携 は 第 一 次 大 戦 ま で 続 く 。 も と も と ギ ルド の 伝 統 も あ り 、 経 済 主 義 の 選 好 が 強 い こ と も あ っ て 、 労働 運 動 内 の 勢 力 に よ る 離 合 集 散 は 激 し く 、 マ ル ク ス 主 義 の影 響 も 一 時 期 濃 厚 に な る が 、 多 数 の 労 働 組 合 と 複 数 の 社 会主 義 政 党 が 合 同 す る 形 で 、 R . マ ク ド ナ ル ド を 書 記 長 と して 1906 年 に 労 働 委 員 会 が 改 称 さ れ 労 働 党 が 創 設 さ れ る 。 労、働 党 は い わ ば 寄 り 合 い 所 帯 で あ り 、 労 働 組 合 出 身 議 員 と 社会 主 義 系 議 員 と は 別 の 社 会 階 層 に 属 し て い た し か も 、 保。守 党 や 自 由 党 と は 異 な り 院 外 政 党 が 自 立 し て お り 、 労 働、党 の 求 心 力 は マ ク ド ナ ル ド の 人 柄 で し か な か っ た ( ジ ョ ージ 5 世 に 招 待 さ れ た 際 に も 正 装 し た 点 で は 異 端 で は な か った ) 。 つ ま り 、 英 で は 労 働 組 合 運 動 が 社 会 主 義 政 党 に 先、ん じ 、 政 治 闘 争 よ り は 圧 力 団 体 と し て の 機 能 が 中 心 で あり 、 労 働 組 合 、 労 働 者 政 党 と も 団 体 加 入 を 基 礎 と す る 。
143 社会主義政党と労働組合の結成(全国組織化の開始と全国組織の結成)に関する各国比較については、平島健司・飯田芳弘『新訂 ヨーロッパ政治史』(放送大学教育振興会)122頁に、研究書から引用した一覧表がある。
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4.3.3.5.2 独 の 労 働 運 動 は 英 と 同 様 に 生 活 共 同 体 で あ る が 、英 と は 対 照 的 に 、 労 働 運 動 は 政 党 主 導 型 ( 独 社 会 主 義 者 労働 党 、 1890 年 に 独 社 会 民 主 党 S P D に 改 名 ) で 進 め ら れ る 。従 っ て 、 S P D 系 の 労 働 組 合 が 第 一 勢 力 を 保 つ と は い え 、次 第 に 各 種 政 党 の 支 持 を 背 景 と す る 労 働 組 合 が 誕 生 す る 。経 緯 と し て は 、 マ ル ク ス 主 義 の 「 ア イ ゼ ナ ハ 派 」 と 穏 健 派の 「 ラ サ ー ル 派 」 の 合 同 に よ り 欧 州 最 大 の 社 会 主 義 政 党 とな る 独 社 会 主 義 者 労 働 党 が 結 成 さ れ ( 1875 年 ) 、 こ れ に より 労 働 組 合 の 全 国 組 織 化 が 進 む 。 組 合 は 一 般 に 経 済 主 義 で穏 健 路 線 を と る 。 社 会 民 主 党 系 を 代 表 と し て 、 労 働 組 合 幹部 は 「 労 働 貴 族 」 と し て 左 派 か ら 日 和 見 と 批 判 さ れ る 。 政党 ( 社 会 民 主 党 ) 主 導 に 対 し て 、 1906 年 マ ン ハ イ ム 大 会 で組 合 は 政 党 と 対 等 な 地 位 を 獲 得 す る 。 そ の 後 、 第 一 次 大 戦へ の 参 戦 承 認 を 経 て 、 経 営 で の 共 同 参 加 を 志 向 す る 。
4.3.3.5.3 仏 の 労 働 運 動 は 、 実 に 複 雑 で 政 党 の 分 裂 に 対 応し て 分 裂 を 繰 り 返 す 。 組 織 化 の 度 合 い が 小 さ い 仏 社 会 を 反映 し て い る 。 英 や 独 に 較 べ 、 工 業 化 の 遅 れ も あ っ て 、 職 人階 層 、 土 地 を 保 有 す る 農 民 の 存 在 、 仏 革 命 の 共 和 主 義 的 伝統 ( サ ン キ ュ ロ ッ ト ) な ど が あ り 、 組 合 も 小 規 模 が 多 い 。当 初 政 党 や 議 会 へ の 嫌 悪 が 濃 厚 で あ り 、 職 能 別 組 織 ( 全 国労 働 組 合 連 盟 ) と 地 域 別 組 織 ( 労 働 取 引 所 連 盟 、 職 安 ) とが 中 心 と な る 。 1895 年 に は 労 働 総 同 盟 ( C G T ) が 設 立さ れ 、 1905 年 に 仏 社 会 党 ( S F I O ) が 設 立 さ れ た 。 そし て 、 1906 年 の ア ミ ア ン 憲 章 で 、 社 会 党 に 対 し て 一 定 の 距離 を 保 っ て 経 済 主 義 と 職 場 闘 争 を 中 心 と す る 路 線 が 支 持、さ れ る ( 穏 健 な サ ン デ ィ カ リ ズ ム ) 。 一 方 で 徒 弟 制 度 で、育 成 さ れ た 手 工 業 者 が 直 接 行 動 を 指 揮 す る 戦 闘 的 な 部 分( ミ リ タ ン militantと 呼 ば れ る ) が 存 在 す る 点 に 特 色 で あ る 。山 猫 ス ト ( wildcat strike 、 組 合 指 導 部 の 意 向 に 反 し て 一 部 組合 員 が 行 う ス ト ) が 伝 統 的 に 多 い 理 由 で あ る 。
4.3.3.5.4 英 仏 独 の 労 働 争 議 へ の 対 応 は、 、 米 や 露 に 較 べる と 、 「 文 明 的 」 だ と い え る 。 「 文 明 度 」 の 基 準 と し て はデ モ な ど へ の 対 応 が 重 要 で あ り 、 群 集 統 制 を す る 場 合 に 軍隊 は 出 動 せ ず 、 警 察 が 対 応 し 、 1880 年 代 に は 「 立 ち 止 ま らな い で 歩 き 続 け て く だ さ い ( keep moving, please ) 」 と い う 統 制方 法 が 確 立 し た と さ れ る 144。 労 働 争 議 で 殺 さ れ た 労 働 者 の数 ( 1872 ~ 1914 ) は 、 英 7 、 独 16 、 仏 約 35 、 米 約 500 ~ 800 、 露約 2000 ~ 5000 で あ る 。 露 は と も か く 、 米 の 多 さ が 目 立 つ 145。南 北 戦 争 以 降 、 米 で は 機 関 銃 が 専 ら 労 働 運 動 対 策 と し て 用い ら れ た と い う 146が 、 ゾ ッ と す る 。 米 や 露 に 較 べ れ ば 、 欧
144 ウィリアム・H・マクニール『戦争の世界史』高橋均訳(刀水書房)255頁。なお、軍隊が国内の治安維持に動員される国とその動員を拒否する国との差は大きい。例えば、日本では、学生運動・大学紛争の際、自衛隊を出さなかったことは(日本は銃社会ではないなどの事情はあるとしても)記憶しておいて良い(Cf.後藤田正晴『情と理』上下(講談社))。145 Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)146 Cf.ジョン・エリス『機関銃の社会史』越智道雄訳(平凡社ライブラリー)
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州 で は 対 応 が 洗 練 さ れ た 一 方 で 、 国 家 を 仲 介 者 と し て 労 使双 方 の 話 し 合 い を 制 度 化 す る 仕 組 み が 生 ま れ る 労 働 問 題。は 上 述 の コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム が 機 能 す る 典 型 例 で あ る 。
4.3.4 社 会 主 義
4.3.4.1 社 会 主 義 147に は 様 々 な 定 義 が あ り 得 る が 、 各 種 の定 義 に 共 通 し た 部 分 を 抽 出 す る と 、 人 間 社 会 に 生 じ る 不 幸を 公 的 な 形 で ( 共 同 ・ 協 働 し て ) 解 決 す る こ と が 望 ま し いと す る 考 え 方 で あ り 、 欧 州 の 文 脈 で は 、 政 治 資 源 の 中 心 であ り 、 社 会 問 題 の 元 凶 で あ る 生 産 財 を 公 的 コ ン ト ロ ゥ ル に置 く こ と を 目 指 す 。 そ の 背 景 に は 、 所 有 ( 経 済 権 力 ) と 支配 ( 政 治 権 力 ) と が 連 結 す る 欧 州 政 治 の 特 色 が あ る 。 た だ 、公 的 コ ン ト ロ ゥ ル を 国 家 主 導 ( 国 有 化 ・ 国 営 化 ) で 行 う のか 国 家 と は 独 立 し た 組 織 や 団 体 で 行 う の か で 方 向 が 分 か、れ る な お 、 社 会 主 義 は 、 工 業 化 の 進 展 に よ り 発 展 し た と。い う 意 味 で 近 代 化 に 必 然 的 な 現 象 に 思 え る が 、 そ れ で は 何故 、 工 業 化 が 進 ん で も 米 で 社 会 主 義 政 党 が 育 た な い の か とい う 問 題 が 残 る 148。
◎ 当 初 社 会 ( social ) と 付 け ば 、 社 会 主 義 を 含 意 し 、社 会 保 障 は 社 会 主 義 と 密 接 な 関 係 が あ る も の だ と 見 做さ れ 、 警 戒 さ れ た り 、 忌 避 さ れ た 149。
4.3.4.2 社 会 主 義 に は 様 々 な ヴ ァ ー ジ ョ ン が あ る 。 政 治 運動 と し て 中 心 を な す の は マ ル ク ス 主 義 で あ る 。 マ ル ク ス 主義 は 、 サ ン ・ シ モ ン や オ ー ウ ェ ン ら の 社 会 主 義 を 空 想 的 だと し 、 自 ら は 「 科 学 的 」 で あ る こ と を 強 調 す る 。 尤 も 科 学で あ れ ば 、 科 学 的 だ と 名 乗 る 必 要 は な い は ず だ と い う 素 朴な 疑 問 も あ る 。 マ ル ク ス 主 義 は 資 本 主 義 社 会 の 本 質 を 科 学的 に 解 明 し 、 そ の 矛 盾 を 批 判 し 、 こ れ を 克 服 し よ う と す る理 論 で あ り 、 ま た 運 動 で あ る 。 マ ル ク ス の 「 共 産 党 宣 言 」 、「 資 本 論 」 を 「 聖 書 」 と し 、 第 1 イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル 結 成な ど と 運 動 が 組 織 化 さ れ て い く 。
◎ 「 関 係 者 」 は 同 列 に 並 べ る の を 憤 慨 さ れ る か も知 れ な い が 社 会 主 義 に 含 ま れ そ う な 「 主 義 」 は 、 思、い つ く だ け で も 、 フ ェ ビ ア ン 主 義 、 サ ン デ ィ カ リ ズ ム 、ギ ル ド 社 会 主 義 、 社 会 民 主 主 義 、 都 市 社 会 主 義 、 農 村
147 社会主義は readable な参考文献は多くない。主義主張が多種多様で自己宣伝が含まれるからである。社会主義が文化人や大学人に人気を博するのは、民主主義と自己実現とを結びつける理屈を提供するからだろう。148 この問題に対する答えは難しい。これまでの回答については、Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱの下、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)149 「社会」という言葉については、Cf. 市野川容孝『社会』(岩波書店)
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社 会 主 義 、 国 家 社 会 主 義 、 キ リ ス ト 教 社 会 主 義 、 オ ース ト リ ア ・ マ ル ク ス 主 義 、 無 政 府 主 義 ( ア ナ ー キ ズム ) な ど が あ る 。 ま た 、 指 導 者 な ど の 名 前 を 冠 す る もの も 多 い 。
4.3.4.3 近 代 に お い て は 、 社 会 主 義 が 工 業 化 と 密 接 に関 わ っ て い る こ と か ら 、 社 会 変 革 の 主 体 は 労 働 者 ( プ ロ レタ リ ア ー ト ) に あ り 、 そ れ を 指 導 す る の が 政 党 ( 前 衛 政党 ) と な る 。 そ し て 、 社 会 主 義 が 労 働 者 の 政 治 的 経 済 的 要求 実 現 と い う 側 面 だ け で な く 、 搾 取 か ら の 解 放 と い う 人 格完 成 の 側 面 を も 有 す る こ と で 、 運 動 目 標 と し て の 革 命 が 設定 さ れ る 。 逆 に 言 え ば 、 経 済 闘 争 と 政 治 闘 争 の い ず れ を 重視 す る の か 、 ど の よ う に 組 織 化 す る の か 、 ど の 組 織 が 主 導す る の か な ど で 様 々 な ヴ ァ ー ジ ョ ン が 生 ま れ る 。
4.3.4.4 社 会 主 義 は 経 済 の 政 治 化 ( 国 有 化 ) を は か り 、 計 画 経 済 と 知 識 人 の 政 治 参 加 ( 正 論 の 実 践 ) と を 特 色 と す る 。経 済 活 動 を コ ン ト ロ ゥ ル で き る と い う 点 で 、 ま た そ の た めの 技 術 官 僚 を 養 成 す る 必 要 か ら 党 官 僚 が 生 ま れ や す い 点 でも 近 代 的 で あ る 。 19 世 紀 後 半 に は 各 国 の 都 市 で ガ ス 、 水 道の 公 有 化 を 図 る 都 市 社 会 主 義 が 影 響 力 を 持 つ 。
4.3.4.5 社 会 主 義 運 動 と 労 働 組 合 運 動 と は 類 似 し た 目 標 を掲 げ る が 、 上 述 の よ う に 英 仏 独 で は 異 な っ た 関 係 が あ る、 、 。英 で は 労 働 組 合 が 先 行 し 、 急 激 な 改 革 = 革 命 よ り 穏 健 な 改革 を 支 持 す る こ と に な る 。 そ し て 、 運 動 は 当 初 自 由 党 内 部に 組 織 化 さ れ 、 20 世 紀 に 入 っ て 労 働 党 が 誕 生 す る 。 仏 で は 、サ ン デ ィ カ リ ズ ム と か ア ナ ー キ ズ ム 、 自 主 管 理 運 営 が 強 調さ れ る 傾 向 に あ る 。 い ず れ も 政 党 な ど の 組 織 中 心 の 運 動 を否 定 す る 。 独 で は 、 政 党 優 先 で 、 労 働 組 合 の 多 数 は 、 経 済主 義 ・ 改 良 主 義 方 針 を 保 つ と い う 傾 向 が あ る 。 い ず れ の 特色 も 政 治 文 化 の 影 響 が 強 い と い う 説 明 が 妥 当 だ ろ う 。
4.3.4.6 20世 紀 に 入 っ て 、 ロ シ ア 革 命 後 、 社 会 主 義 運 動は 、 狭 義 の 社 会 主 義 と 共 産 主 義 と に 分 か れ る こ と に な る 。何 故 、 異 な る タ ィ プ の 社 会 主 義 や 労 働 運 動 が 生 ま れ た の かに つ い て は 、 E . ト ッ ド に よ れ ば 150、 政 党 が ア ピ ー ル す る主 張 に 選 挙 民 が 反 応 す る 度 合 い に よ る の で あ り 、 選 挙 民 が反 応 す る 理 由 は 、 社 会 環 境 要 因 に あ る と す る 。 そ し て 、 その 社 会 環 境 要 因 の 代 表 例 と し て 、 家 族 形 態 と 相 続 の あ り 方に 着 目 し て 、 ① 家 族 が 核 家 族 化 傾 向 が あ る か 、 大 家 族 主 義か 、 ② 相 続 が 一 子 相 続 か 均 分 相 続 か で 、 分 か れ る と す る 。共 産 主 義 の 強 い 地 域 ( 伊 、 仏 や 独 の 一 部 ) で は 、 均 分 相 続で あ る 。 こ の ト ッ ド の 議 論 は 社 会 環 境 要 因 と 社 会 主 義 の 類
150 Cf. エマニュエル・トッド『新ヨーロッパ大全』Ⅰ・Ⅱ、石崎晴己訳(藤原書店)
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型 と の 間 に 因 果 関 係 を 認 め る と い う よ り は 、 相 関 関 係 が ある と 考 え た 方 が い い か も し れ な い が 、 結 構 な 説 得 力 が あ る 。
4.3.4.7 社 会 主 義 運 動 は 、 第 一 次 大 戦 前 に も 、 選 挙 権 の 拡 大に 伴 い 、 単 な る 反 権 力 運 動 に 留 ま ら ず 、 政 権 に 参 加 す る 機会 を 得 る よ う に な る 。 そ れ は 資 本 主 義 体 制 を 担 う 点 で 、 教義 上 の 論 争 を 生 み 出 す 。 政 権 参 加 は 、 資 本 主 義 体 制 を 支 える こ と に な る の で は な い か と い う 問 題 で あ る 。 ま た 後 述 する よ う に 、 第 一 次 大 戦 は 、 国 民 生 活 へ の 国 家 介 入 の 度 合 いを 増 し 、 大 戦 後 社 会 主 義 政 党 が 各 国 で 主 要 政 党 に の し 上 がる 。 と り わ け 、 露 革 命 = ソ ビ エ ト 誕 生 後 、 ソ 連 を 中 心 と し た 世 界 組 織 ( コ ミ ン テ ル ン ) が 樹 立 さ れ 、 露 の 勢 力 拡 大 と相 俟 っ て 、 「 革 命 の 輸 出 」 = 各 国 の 社 会 主 義 運 動 へ の 支 援が 続 く が 、 社 会 主 義 国 家 が 、 教 義 の 予 定 し て い た 資 本 主 義が 最 も 発 達 し た 国 で は な く 、 資 本 主 義 の 発 達 が 遅 れ て い た露 で 建 設 さ れ た こ と で 、 教 義 の 修 正 と 、 資 本 主 義 あ る い は資 本 主 義 国 家 と の 関 係 見 直 し な ど の 論 争 を 生 み 出 す 。 社 会主 義 の 現 実 に 対 す る 評 価 が 甘 か っ た 一 方 で 、 文 明 と い う 観点 か ら み た 露 と い う 国 へ の 否 定 イ メ ー ジ が 、 露 型 の 社 会 主義 の 導 入 、 あ る い は 革 命 と い う 手 法 に 対 す る 拒 否 反 応 を 、英 な ど の 知 識 人 や 社 会 主 義 政 党 ・ 労 働 運 動 関 係 者 の 間 に 生み 出 し た 向 き が あ る こ と は 否 定 し が た い し か も 、 公 教 会。の ロ ー マ と 同 様 、 本 部 が モ ス ク ワ だ け に 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ムの 怨 嗟 の 対 象 と な り や す い 。
◎ 社 会 主 義 国 の 現 実 に 対 し て 、 日 本 を 含 む 、 西 側 諸 国 の 知 識 人 の 多 く は 相 当 に 甘 い 評 価 を 下 し 続 け た 。
そ の 多 く は 、 1920 年 代 以 降 長 ら く 続 く ソ 連 ( 戦 後 は中 国 も 対 象 と な る ) へ の 共 感 は 今 で は 理 解 し づ ら いか も 知 れ な い ( 事 実 が わ か る と 簡 単 に 「 転 向 」 す るの も 特 徴 だ ろ う ) が 、 そ の 共 感 の 多 く は い わ ば 「 白紙 委 任 」 で 、 現 実 を 見 な い か ら こ そ 可 能 だ っ た 。 政治 参 加 に 熱 心 な 知 識 人 の 多 く が 主 義 主 張 に 「 酔 う 」か ら と い う よ り は 、 単 に も と も と 「 政 治 音 痴 」 だ とい う こ と だ ろ う 。 た だ 、 そ れ に し て も 、 「 社 会 主 義
の 銃 弾 は 痛 く な い 」 、 「 社 会 主 義 の 原 爆 は 綺 麗 だ 」 な ど と い っ た 発 言 を 聞 く と 、 呆 れ か え る と 同 時 に 、正 論 の 政 治 の 強 さ を 痛 感 さ せ ら れ る 。 こ の 傾 向 が 収ま る き か っ け は 、 や は り 1991 年 の ソ 連 崩 壊 だ っ た 。現 物 の 強 み 、 弱 み と い う こ と だ ろ う 。 だ か ら 、 西 側諸 国 の 社 会 主 義 贔 屓 の 知 識 人 が こ の 2 0 、 3 0 年 、ど の よ う な 「 転 向 」 を し て い る の か 、 し て い な い のか を 知 る こ と に は 意 味 が あ る 。
4.3.5 農 業 と 工 業
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4.3.5.1 産 業 の 工 業 化 ・ 高 度 化 が 進 め ば 、 消 費 者 に とっ て 穀 物 な ど は 輸 入 し た 方 が 割 安 で あ る 。 農 業 セ ク タ の 従事 者 は 20 世 紀 に 入 り 、 次 第 に ( 国 に よ り 、 急 速 に ) 減 少 し 、ま た 国 家 経 済 に 占 め る 割 合 は 取 る に 足 ら な い も の に な り 始め る ( こ の 点 で 、 西 欧 で は 農 業 国 仏 は 農 業 セ ク タ の 凋 落 が遅 れ る 。 ま た 非 欧 州 世 界 で は 、 米 、 加 、 豪 な ど は 農 業 国 とし て の 地 位 を 維 持 し 続 け る ) 。 従 っ て 、 農 業 従 事 者 は 国 家 に 保 護 を 求 め る よ り な い 。 そ の 際 に 掲 げ ら れ る 理 屈 の 特 色と し て 、 農 業 保 護 が 国 土 保 全 や 食 糧 自 給 率 の 確 保 と い う 国益 と し て 認 定 さ れ る こ と が あ る 。 そ し て 、 農 業 保 護 は 文 化的 ナ シ ョ ナ リ ズ ム と 結 び 付 く 。 味 覚 に 訴 え る だ け に 説 得 力は 小 さ く な い 。 日 本 の 米 に 類 し て 仏 の ワ ィ ン は 格 別 だ と、主 張 さ れ る 。 さ ら に 、 天 皇 が 田 植 え を し 、 仏 大 統 領 が 自 ら仏 ワ イ ン を 称 讃 す る 。 こ の 分 野 で は 情 緒 や 気 分 が 濃 厚 に 混入 す る 。
4.3.5.2 農 業 問 題 は 往 々 に し て 外 国 か ら の 農 産 物 輸 入問 題 で あ り 、 政 策 と し て は 、 関 税 に よ る 保 護 貿 易 を 求 め る 。こ こ に 、 農 業 問 題 は 国 際 問 題 に な り や す い が 、 競 争 力 を 有す る 工 業 セ ク タ や 、 消 費 者 ・ 都 市 住 民 と の 間 で の 確 執 が 増大 す る 。 従 っ て 、 農 業 利 益 を 保 護 し よ う と す る 政 党 や 政 府は 農 業 部 門 へ の 膨 大 な 補 助 金 を 出 す こ と に よ っ て 農 業 の、構 造 改 革 を 図 る 時 間 を 稼 ぎ な が ら 、 工 業 セ ク タ や 都 市 住 民と の 妥 協 を 探 る こ と に な る 。 現 在 の T P P 問 題 も 基 本 的 には 全 く 同 じ 構 造 で あ る 。
4.3.5.3 農 業 セ ク タ で は 、 利 益 保 全 の た め に 組 織 化 を行 い 、 利 益 を 代 表 す る 団 体 を 探 す 。 農 民 は 保 守 的 だ と い う一 般 的 な 印 象 が あ る か も 知 れ な い が 、 農 業 団 体 が 保 守 政 党に 保 護 を 求 め る と は 限 ら な い 。 競 争 力 あ る 穀 物 輸 出 国 に とっ て 自 由 貿 易 は 望 ま し い か ら で あ り 、 ま た 、 農 民 が 労 働 者と 連 携 す る 場 合 も あ る か ら で あ る 。 例 え ば 、 仏 の 場 合 、 革命 以 降 、 ロ ア ー ル 川 以 南 の 自 営 農 民 は 一 貫 し て 左 翼 政 党 をし 続 け る 。 保 守 政 党 が 大 企 業 の 利 益 表 出 を 崩 さ な い か ら であ り 、 自 営 農 民 と い う 立 場 が 個 人 主 義 の 「 標 榜 」 を 好 む 文化 と 適 合 す る か ら で あ る 。
4.3.6 民 政
4.3.6.1 国 家 規 模 は 平 和 基 調 ・ 自 由 主 義 の 進 展 も あ って 19 世 紀 に は む し ろ 縮 小 傾 向 が み ら れ る ほ ど で あ る が 、 その 中 で は 、 軍 政 に 較 べ 、 民 政 部 門 の 拡 大 が 目 立 つ 。 貧 者 救済 の み な ら ず 、 道 路 建 設 、 港 湾 整 備 、 鉄 道 建 設 と い っ た 公共 事 業 ( イ ン フ ラ 整 備 ) が こ れ に 含 ま れ 、 イ ン フ ラ 整 備 には 莫 大 な 資 金 が 必 要 と な っ て 、 信 用 制 度 や 債 券 市 場 の 整 備が 急 務 と な る 。 ま た 、 業 界 団 体 が 組 織 化 さ れ 、 中 央 政 府 に
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よ る 公 共 投 資 が 増 大 す れ ば 、 そ れ だ け 地 域 政 治 か ら の 陳 情が 盛 ん と な る 。
4.3.6.2 貧 者 な ど に 対 し て 経 済 支 援 を 行 う の は 特 に 近 代 に限 ら な い 。 近 代 以 降 の 特 色 は 、 従 来 、 縁 者 、 友 人 、 隣 人 、教 会 、 職 業 団 体 な ど を 含 め た 生 活 共 同 体 が 担 っ て い た ( セ フ テ ィ ・ ネ ッ ト の )イ 役 割 を 、 地 方 政 府 を 含 め た 国 家 の 役 割 だ と す る パ ラ ダ ィ ム の 変 更 に あ る 151 。 社 会 福 祉 ( 老 齢 年金 、 労 災 補 償 な ど に 対 す る 強 制 保 険 制 度 な ど ) は 、 軍 人 や公 務 員 に 対 す る 給 付 ( 恩 給 や 傷 害 ・ 遺 族 補 償 ) に よ り 本 格化 し 、 次 第 に そ の 対 象 が 一 般 国 民 へ と 拡 大 す る 。 労 働 組 合や 社 会 主 義 政 党 も 、 労 働 災 害 へ の 対 応 な ど を 要 求 す る が 、ビ ス マ ル ク の 社 会 福 祉 が 知 ら れ て い る よ う に 、 政 治 主 張 の左 右 を 問 わ ず 、 19 世 紀 以 降 、 各 国 政 府 の 主 要 課 題 と な る 。社 会 福 祉 の 充 実 に は 、 財 源 確 保 が 急 務 で あ り 、 ビ ス マ ル クの 年 金 政 策 の よ う に 、 受 益 者 の 収 入 な ど と リ ン ク さ せ る 方法 も あ れ ば 、 税 制 改 革 に よ っ て 財 源 確 保 を 図 ろ う と す る 場合 も あ る 。 英 自 由 党 な ど は 、 福 祉 政 策 と 累 進 課 税 と を 結 びつ け る 政 策 を と る 点 が 特 徴 で あ る ( 大 戦 直 前 に は 、 軍 事 増強 を 図 っ て 、 仏 独 で も 所 得 税 が 導 入 さ れ る ) 。、
◎ 独 で は 、 1883 年 国 民 疾 病 給 付 金 ( 法 ) 、 1884 年 事 故( 災 害 ) 保 険 ( 法 ) 、 1889 年 老 齢 ・ 障 害 保 険 ( 法 ) が導 入 さ れ る 。 こ れ は 社 会 主 義 者 鎮 圧 法 と セ ッ ト で 、 一般 に 「 ア メ と ム チ 」 と 呼 ば れ る が 、 む し ろ こ の 時 代 の
行 政 課 題 へ の 対 応 だ と 考 え た 方 が 現 実 に 近 い 。 い わ ゆ る 救 貧 事 業 が 地 方 政 府 ・ 機 関 の 裁 量 に 委 ね ら れ る 傾 向 が あ っ た の に 対 し こ の 一 連 の 措 置 は 労 災 な ど が 「 社、 、 会 問 題 」 で あ る と し て 国 家 法 に よ っ て 定 め ら れ た 点 に 特 色 が あ る ビ ス マ ル ク を 失 脚 さ せ た ヴ ィ ル ヘ ル ム 2。
世 は 、 国 民 の 父 と し て の 自 意 識 が 強 く 、 ビ ス マ ル ク 以上 に 社 会 福 祉 の 充 実 を 図 ろ う と す る 。 な お 、 独 の 社 会保 障 制 度 の 導 入 は 他 国 に 較 べ て 早 い と 云 わ れ る 制 度。の 違 い が あ っ て 、 簡 単 に は 較 べ ら れ な い が 英 の 災 害、保 険 は 1897 年 、 疾 病 保 険 は 1911 年 、 年 金 保 険 ( 国 民 福 祉年 金 で 、 国 税 に よ る 無 拠 出 の 年 金 と い う 特 色 ) は 1908年 、 仏 の 災 害 保 険 ・ 疾 病 保 険 は 1898 年 、 年 金 保 険 は 1895年 ( 強 制 保 険 と し て は 1901 年 ) で あ る 。
4.4 正 論 の 政 治 ( Politics for Justice ) と 正 統 性 ・ イ デ オ ロ ギ( Why is it You that Govern? ) の 変 遷
151 このあたりは、渡辺京二『近代の呪い』(平凡社新書)が参考になるだろう。生活の実態や「近代の呪い」の意味(世界の人工化)である。
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4.4.1 統 治 と 説 明 ( 詳 細 は 、 政 治 学 基 礎 、 政 治 学 を 参 照 )
4.4.1.1 政 治 社 会 が 誰 に よ っ て ど の よ う に 統 治 さ れ る べ き かに つ い て 、 統 治 者 は 必 要 に 応 じ て 弁 証 し 、 被 治 者 は 承 認し 黙 認 し 又 は 反 証 し よ う と す る、 、 。 統 治 の 正 統 性 に 関 す る言 説 ( discourse ) は 、 君 主 貴 族 、 牧 師 ・ 神 父 、 大 学 人 、 法、曹 な ど に よ っ て な さ れ る が 、 19 世 紀 以 降 、 統 治 に お け る 議会 の 比 重 が 高 ま り 大 学 が 整 備 さ れ マ ス ・ メ デ ィ が 発 達、 、 アす る に つ れ 、 統 治 の 弁 証 ゲ ィ ム の 演 者 と 舞 台 は 変 化 し 始 め る 。
◎ 国 ご と に 言 説 を 担 う 社 会 階 層 の 違 い が あ る 。 言説 の 影 響 を 統 計 的 に 比 較 す る こ と は 難 し い が 、 議 会 の社 会 構 成 を み る と 、 英 は 貴 族 と そ の 関 係 者 が 、 仏 は 法曹 や 知 識 人 が 、 独 は 官 僚 や 学 者 が 目 立 つ 。
4.4.1.2 統 治 は 説 明 を 必 要 と す る が 、 当 初 は 統 治 者 内 部 での 説 明 で 事 足 り て い た の に 対 し 、 次 第 に 被 治 者 か ら の 問 題提 起 を 相 手 す る 必 要 が 生 ま れ る 。 説 明 対 象 の 拡 大 と 説 得 手法 の 変 化 が 、 近 代 以 降 現 代 ま で 続 く 特 色 で あ る 。 身 分 社 会は 、 神 に よ り 創 ら れ た 「 自 然 の 」 支 配 秩 序 と し て 観 念 さ れる た め 、 統 治 の 正 統 性 の 説 明 は 、 専 ら 統 治 者 間 で の 激 し い弁 証 競 争 と な る 。 身 分 秩 序 と い っ て も 、 君 主 と 貴 族 と の 関係 は 一 様 で は な く 、 ま た 友 好 と は 限 ら ず 、 個 々 の 君 主 の 統治 実 績 に よ り 、 君 主 制 そ の も の の 正 統 性 に 対 す る 疑 問 が 貴族 か ら 提 起 さ れ る こ と も あ る か ら で あ る 。 欧 州 で は 、 貴 族の 共 和 主 義 も 根 強 い 152。 ア リ ス ト ク ラ シ は 「 優 れ た 、 最 上の ( 希 語 : αριστος , aristos ) 」 + 「 力 、 支 配 ( 希 語 : κρατος, cratos ) 」 と い う 自 負 も あ る の だ ろ う 。
4.4.1.3 体 制 の 正 統 性 を 問 い 直 す 思 想 家 や 知 識 人 、 法 曹 の言 説 に よ り 、 政 治 が 変 わ る よ う に 見 え る 時 代 が 生 ま れ る 。従 っ て 、 ロ ッ ク や ル ソ ー な ど 著 作 家 の 著 作 に よ っ て 革 命 が起 こ る と い っ た 解 釈 が 登 場 す る 。 18 世 紀 仏 で は 、 文 人 ( 知識 人 ) が 著 作 な ど で 本 来 の あ る べ き 人 間 や 社 会 の 姿 ( ユ ート ピ ) を 発 表 し て 、 そ れ を 引 照 基 準 と し た 現 状 の 権 力 批ア判 を 行 う 。
4.4.1.4 統 治 者 が 被 治 者 に 対 し て 、 自 ら の 正 統 性 を 宣 伝 ない し 啓 蒙 す る 必 要 が 誕 生 す る の は 伝 統 社 会 の 崩 壊 を 示 す 。被 治 者 が 統 治 の 説 明 を 理 解 で き る と い う こ と は 稀 で あ る 。個 々 人 が 理 性 や 知 性 を 磨 い て 、 自 己 責 任 で 世 界 解 釈 す る こと は 困 難 で あ る 。 従 っ て 、 ど の 時 代 に も 、 統 治 の 正 統 性 に
152 Cf. 小倉欣一『近世ヨーロッパの東と西』(山川出版社)
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関 す る 単 純 な 説 明 が 流 通 す る 。 特 に 大 衆 は 象 徴 を 消 費 す るの で あ り 、 世 の 中 の あ る べ き 姿 、 社 会 や 世 界 の 「 意 味 」 を求 め る 。 そ の 際 、 安 心 の 享 受 ( 脅 威 の 除 去 ) を 表 す 象 徴 が情 緒 的 に 消 費 さ れ 、 統 治 者 は 、 大 衆 の 支 持 獲 得 に レ ト リ クを 、 さ ら に は 、 演 技 に 磨 き を か け 、 演 出 ( 舞 台 装 置 ) に 工夫 を 施 す ( C f . 政 治 学 、 政 治 学 基 礎 ) 。
4.4.1.5 被 治 者 向 け の 説 明 に あ た っ て 、 共 同 社 会 や 地 方 にあ っ て は 名 士 や 名 望 家 、 組 織 に あ っ て は 指 導 者 や 幹 部 、 それ 以 外 と し て は マ ス ・ メ デ ィ を 利 用 し た 知 識 人 がア オ ピ ニヨ ン ・ リ ー ダ と し て 登 場 す る 。 こ こ に 、 正 論 の 普 及 を 生 業と す る 集 団 が 発 生 す る 。 マ ス ・ メ デ ィ は 、 知 識 人 を 利 用アし な が ら 、 世 論 形 成 と 権 力 批 判 の 正 統 性 を 獲 得 す る 。 知 識人 の 政 治 資 源 は 次 第 に 知 性 か ら 知 名 度 へ と 変 わ り は じ め 、大 衆 に 説 明 す る 知 識 人 ( マ ス ・ エ リ ー ト ) 153が 誕 生 す る 。世 論 と は 国 民 の 意 見 で は な く 、 オ ピ ニ ヨ ン ・ リ ー ダ が 形 成し 、 マ ス ・ メ デ ィ が 作 り 上 げ る こ と を 通 例 と す るア 154。
◎ 世 論 は 、 数 多 く の 「 声 な き 声 」 よ り は 、 少 数 の 「 う る さ 方 」 に よ っ て 形 成 さ れ る 。 ま た 、 マ ス コ ミ
の 正 統 性 は 世 論 を 形 成 す る こ と に あ る が 、 マ ス コ ミ が 形 成 し た も の が 世 論 で あ る と い う 論 理 の 逆 転 が 用 い ら れ る こ と が 多 い 。
4.4.1.6 知 識 人 が 権 力 に 容 易 に 参 入 で き な い 国 で は 、 政府 を 批 判 し 、 国 民 を 啓 蒙 す る こ と を 目 的 と す る イ ン テ リ が登 場 す る 。 こ の 背 景 に は 、 相 変 わ ら ず の 哲 人 思 想 ( プ ラ トン ) の 人 気 が あ る 。 こ の 反 権 力 を 売 り 物 に す る 知 識 人 ( イン テ リ ゲ ン チ ャ ) は 、 大 衆 動 員 の 点 で 統 治 者 側 と 同 じ 役 割を 果 た す こ と に な る 。 そ の 際 、 単 純 な 説 明 、 イ デ オ ロ ギ ーの 政 治 は 安 上 が り だ け に 、 結 局 は 情 緒 を 喚 起 す る 言 葉 が 濫用 さ れ 、 露 骨 な 暴 力 行 使 を 生 み 出 す 傾 向 を 生 み 出 す 。 反 権力 の イ デ オ ロ ギ は し ば し ば 自 己 欺 瞞 を 含 む 権 力 願 望 だ か らで あ る 155。
◎ ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 指 導 者 チ ト ー の 側 近 だ っ た M .ジ ラ ス は 、 自 分 自 身 の 経 験 か ら 次 の よ う に い っ た と いう 。 「 全 体 主 義 は 初 め は 熱 狂 で あ り 確 信 で あ る 。 し ばら く す る と そ れ は 組 織 の こ と に な り 、 権 威 の こ と に なり 、 出 世 の こ と に な る 」 156。 ジ ラ ス が ど の よ う な 意 図で 発 言 し た の か は わ か ら な い が 、 素 直 で あ り 、 知 的 であ る 。
153 マス・エリートについては、Cf. 水谷三公『ラスキとその仲間』(中央公論社)154 Cf. 佐藤卓己『輿論と世論』(新潮社)155 Cf. ジョージ・オーウェル『オーウェル評論集』小野寺健編訳(岩波文庫)156 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上、森本醇訳、下、浅沼澄訳(みすず書房)257頁
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4.4.1.7 メ デ ィ の 発 達 は 、ア 識 字 率 ( literacy ) の 上 昇 と 関わ っ て い る 。 欧 州 で は 、 結 婚 式 で の 署 名 が 主 な 識 字 判 定 の基 準 と な っ て お り 、 日 本 と 較 べ れ ば 、 識 字 率 は 高 め に 出 る傾 向 が あ る 。 そ れ で も 、 欧 州 は 日 本 と 較 べ 、 識 字 率 の 上 昇は 遅 れ る が 、 地 域 間 の 格 差 も 大 き い 。 歴 史 上 ( そ し て 現 在も な お ) プ ロ テ ス タ ン ト の 国 は 公 教 会 の 国 よ り も 識 字 率 は高 い 。 産 業 構 造 の 違 い な ど も あ る が 、 公 教 会 で は 神 学 上 の解 釈 権 を 教 会 エ リ ー ト が 独 占 す る の で あ っ て 、 庶 民 は 字 など 読 め な く て も 毎 週 教 会 に く れ ば 良 い と い う 理 屈 が 根 強 く残 る か ら だ ろ う 。 こ れ に 対 し て 、 プ ロ テ ス タ ン ト は 救 済 と個 人 主 義 を 連 結 し 、 救 済 に は 聖 書 を 読 む 必 要 が あ り ( 万 人司 祭 主 義 ) 、 聖 書 の 「 民 族 語 」 へ の 翻 訳 ( 旧 約 聖 書 は ヘ ブラ イ 語 、 新 約 聖 書 は 希 語 が 原 典 だ が 、 新 約 聖 書 に つ い て は羅 語 訳 が 流 通 し て い た ) と 印 刷 機 の 発 明 ( グ ー テ ン ベ ルク 157) 、 紙 の 廉 価 生 産 が そ の 傾 向 に 拍 車 を か け た 。
◎ も ち ろ ん 、 標 準 語 の 普 及 と い う 問題 も 、 識 字 率 の 地 域 間 格 差 と 関 係 し て い る 。 例 え ば 、仏 で は 、 仏 革 命 に よ り 、 仏 語 が 共 和 国 の 言 葉 と し て強 要 さ れ 、 19 世 紀 半 ば に あ っ て も 、 南 仏 で は 仏 語 が普 及 し な い た め に 、 識 字 率 が 低 く 留 ま る と い う 現 象が 見 ら れ た 。
4.4.1.8 英 で は 、 議 会 の 本 義 ( 話 す < も と は 仏 語 parler = 話す 由 来 す る 古 英 語 の parley ) の 伝 統 か ら 、 統 治 者 内 部 で 正 統性 を 競 う 言 説 が 古 く か ら 発 達 し 、 議 会 政 治 の 活 性 化 を も たら す 。 政 治 家 は 当 初 仲 間 内 や プ ロ ( 官 僚 ) 向 け の 、 や が ては ア マ ( 大 衆 ) 向 け の レ ト リ ク に 習 熟 す る こ と を 求 め ら れる 。 英 ら し く ユ ー モ や ウ ィ、 ア ッ ト が 盛 り 込 ま れ る 仏 で も。同 様 の 傾 向 が 見 ら れ る が 、 議 会 人 に 知 識 人 ・ 弁 護 士 が 多 く 、当 初 上 手 く な か っ た 弁 舌 も 訓 練 が 重 ね ら れ 、 仏 革 命 な ど に由 来 す る 標 語 を 用 い た 被 治 者 向 け の わ か り や す い レ ト リ クが 優 先 さ れ る と 同 時 に 博 識 ・ 教 養 を 誇 示 す る 傾 向 も 強 く、残 る 158 こ の 辺 り は 現 代 の 大 学 入 試 に も 名 残 が 残 っ て い る の。が 面 白 い 。 な お 、 相 対 的 に は 、 独 に つ い て は 学 者 そ し て 官僚 が 多 い 。
4.4.1.9 近 代 以 降 、 様 々 な 政 治 思 想 ( イ デ オ ロ ギ や ユ ー ト ピア 159) が 誕 生 し た 。 主 な も の に 限 っ て も 、 王 権 神 授 説 、 保 守主 義 、 自 由 主 義 、 共 和 主 義 、 デ ィ モ ク ラ シ 、 ナ シ ョ ナ リ ズ
157 Cf.マーシャル・マクルーハン『グーテンベルクの銀河系』(みすず書房)158 ヨーロッパに較べ…という議論は必ずしもいつも適切だとは言えないが、政治家の弁論術については、日本の政治家の貧困が目立つのだろう。Cf.丸谷才一『ゴシップ的日本語論』(文春文庫)159 カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』高橋徹,徳永恂訳(中央公論新社他)が古典。升味準之輔『ユートピアと権力』上下(東京大学出版会)が政治思想の構造の理解に役に立つ。
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ム 、 社 会 主 義 / 共 産 主 義 、 フ ァ シ ズ ム 、 帝 国 主 義 な ど が ある 。 哲 学 、 社 会 思 想 、 経 済 思 想 に ま で 拡 げ れ ば 、 個 人 主 義や 団 体 主 義 、 ロ マ ン 主 義 、 重 農 主 義 や 重 商 主 義 、 人 種 主 義な ど も 無 視 し が た く 、 キ リ ス ト 教 の よ う に 政 治 思 想 の 形 を直 接 と ら な い も の も あ る 。 以 下 で は 、 保 守 主 義 、 自 由 主 義 、ナ シ ョ ナ リ ズ ム 、 デ ィ モ ク ラ シ に つ い て 簡 単 に 説 明 す る 。政 党 の 正 統 性 と 直 接 結 び つ き や す い か ら で あ る ( C f . 西洋 政 治 思 想 史 、 政 治 学 基 礎 ) 。
4.4.2 保 守 主 義
4.4.2.1 保 守 主 義 ( conservatism ) 160 は 、 人 間 の 心 理 を 考 えれ ば 、 む し ろ 人 間 行 動 の 常 態 で あ る 。 保 守 主 義 は 伝 統 主 義( 守 旧 ) で は な い 。 も ち ろ ん 、 日 々 の 生 活 は 昨 日 の 繰 り 返し を 基 本 と す る が 、 社 会 変 動 が 激 し く な れ ば 、 社 会 変 動 に対 応 し て 慣 習 や 経 験 と し て 受 け 継 が れ て き た 「 伝 統 」 に 改変 を 重 ね な が ら 伝 統 の 保 持 を 目 指 す、 か ら で あ る 。 ま た 、 保守 主 義 は 、 国 家 あ る い は 国 家 権 力 の 至 上 性 を 強 調 す る 国 家主 義 で も な い 。 国 家 主 義 は 、 左 右 両 側 に 見 ら れ ( 伊 の フ ァシ ズ ム が 典 型 ) 、 ま た デ ィ モ ク ラ シ も 利 益 配 分 を 国 家 に 求め れ ば そ れ だ け 国 家 主 義 に な び き や す い 。
4.4.2.2 こ こ で い う 保 守 主 義 、 す な わ ち 、 政 治 的 な 意 味 での 保 守 主 義 ( あ る い は Old Liberalists ) は 、 直 接 に は 仏 革 命 の 急進 主 義 へ の 反 発 ・ 疑 問 か ら 生 ま れ た 。 政 治 的 保 守 主 義 の 代表 は E . バ ー ク 161で あ る 。 尤 も 、 何 に 反 発 す る か に よ っ て 、 各 論 者 の 保 守 主 義 の 内 容 が 決 ま る 。 例 え ば 、 財 産 権 の 否 定を 掲 げ る 社 会 主 義 運 動 が 広 ま れ ば 、 財 産 権 の 保 持 が 主 張 する 。 個 人 の 自 由 を 強 調 す る 運 動 が 生 ま れ れ ば 、 家 族 や 地 域あ る い は 民 族 の 価 値 が 強 調 す る 。 君 主 ( 大 統 領 ・ 皇 帝 ) の絶 対 性 を 強 調 す る 思 想 が 登 場 す れ ば 、 混 合 政 体 こ そ が 望 まし い 政 治 体 制 で あ る と 主 張 す る 。 人 間 に よ る 自 然 の 合 理 的征 服 が 主 張 さ れ れ ば 、 人 間 の 英 知 の 限 界 が 対 置 す る 。 従 って 、 保 守 主 義 は 無 定 型 、 無 原 則 で あ っ て 、 理 論 体 系 は 存 在し な い が 、 共 通 し た 特 色 は 特 定 の ド グ マ に 対 す る 懐 疑 で あり 、 白 黒 つ け な い 態 度 で あ り 、 中 庸 主 義 で あ る 162。
160 Conservativism というのもあるが、ここでは両者の区別はしない。161 Cf. エドマンド・バーク『フランス革命の省察』半澤孝麿訳(みすず書房)、解説も重要。この著作は丁度ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』桑原武夫等訳(岩波文庫)(邦訳は多数あり)と対になっている。バークの著作が難しいのは、バークが民衆を単なる mob としては考えていなかったことにあり、この著作は保守主義の聖書とされても、その中味は意外に「革新的」である。162 従って保守主義の参考文献は存在しないといえるが、入門としては、西部邁『保守思想のための39章』(ちくま新書)。仲正昌樹『精神論ぬきの保守主義』(新潮選書)も良い。仲正さんの本は安心してお薦めできる。ここでいう制度的保守主義と精神論的保守主義の対比は重要だろう。終章は独立しているが、学生にはこの部分だけでも読んで欲しい。その他の参考文献については、政治学基礎の該当箇所を参考にして欲しい。
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4.4.2.3 20世 紀 と り わ け そ の 後 半 は い ず れ の 国 も、 、 、福 祉 国 家 体 制 を 維 持 す る 。 と は い え 、 福 祉 国 家 に も 様 々 なヴ ァ ー ジ ョ ン が あ り 、 エ ス ピ ン = ア ン デ ル セ ン に よ れ ば 、3 類 型 ( 自 由 主 義 、 保 守 主 義 、 社 会 民 主 主 義 の 各 レ ジ ーム ) が あ る ( C f . 政 治 過 程 論 な い し 戦 後 政 治 ) 。 も ちろ ん 、 こ れ は 理 念 型 に 過 ぎ な い が 参 考 に は な る 福 祉 国 家、 。の 保 守 主 義 ヴ ァ ー ジ ョ ン と し て は 、 「 男 は 外 で 仕 事 女 は、家 で 家 事 」 と い う 役 割 分 担 を 基 本 形 と し て 福 祉 を 市 場 原、理 に 委 ね ず ま た 家 事 や 育 児 と い っ た 伝 統 的 に 家 族 問 題 と、さ れ て き た 領 域 に も 介 入 し な い と す る 。 そ の 典 型 例 は ビ スマ ル ク 下 の 社 会 保 険 制 度 で あ る 。 こ れ に 対 し 福 祉 国 家 の、自 由 主 義 ヴ ァ ー ジ ョ ン と し て は 、 福 祉 問 題 に 市 場 原 理 の 導入 を 否 定 し な い こ と で あ り 、 従 っ て 一 般 的 な 給 付 水 準 は、低 く な る そ の 典 型 は ベ ヴ ァ リ ジ 以 前 の 英 で あ る 。 ま た 、。 、福 祉 国 家 の 社 会 民 主 主 義 ヴ ァ ー ジ ョ ン と し て は 、 給 付 対 象が 国 民 の 相 当 な 範 囲 に 拡 大 さ れ る と 同 時 に 家 事 や 育 児 と、い っ た 伝 統 的 に 家 族 問 題 と さ れ て き た 領 域 も そ の 対 象 と する そ の 典 型 は 、 ベ ヴ ァ リ ジ 以 降 の 英 で あ る 。。
4.4.3 自 由 主 義 ( リ ベ ラ リ ズ ム と の 違 い は こ こ で は 考 えな い )
4.4.3.1 自 由 主 義 ( liberalism ) は 、 文 字 通 り 自 由 を 重 視す る 。 と は い え 、 自 由 の 内 容 は そ の 対 比 概 念 に よ っ て 決 まり 、 ま た 、 自 由 を 重 視 し て も 、 自 由 主 義 と は 言 い 難 い 点 が厄 介 で あ る 。 多 か れ 少 な か れ 、 す べ て の 政 治 思 想 は 、 誰 かの 、 何 ら か の 自 由 獲 得 や 尊 重 を 主 張 す る か ら で あ る 。 自 由を 拘 束 の 欠 如 だ と 考 え れ ば 、 何 か ら の 拘 束 を 問 題 に す る かで 自 由 の 意 味 は 変 わ る 。 自 由 が 個 人 の 自 由 を 指 せ ば 個 人 主義 と な り 、 自 由 が 団 体 の 国 家 か ら の 自 由 を 指 せ ば 団 体 主 義と な る 。 ま た 、 自 由 が 人 格 の 完 成 で 国 家 が そ の 手 助 け を する 思 想 も あ れ ば 、 国 際 社 会 に お け る 国 家 の 自 由 と な れ ば 、ナ シ ョ ナ リ ズ ム と 結 び つ く 。 政 治 が 支 配 や 強 制 の 契 機 を 含む 以 上 、 自 由 主 義 は た え ず 反 政 治 の 立 場 に 置 か れ 、 改 革 や解 放 ( liberation ) を 主 張 す る こ と に な る が 、 個 人 と 団 体 、国 家 と の 関 係 が 安 定 す れ ば 、 政 治 体 制 の イ デ オ ロ ギ と も なり 、 保 守 主 義 と 結 び 付 く 。
4.4.3.2 近 代 の 自 由 主 義 が 唱 え る 自 由 は 、 奴 隷 的 拘 束 な どを 受 け て い な い 自 由 人 の 自 由 で あ り 、 実 際 に は 特 権 と し ての 自 由 で も あ る 。 従 っ て 、 精 神 的 な 自 由 ( freedom ) と 法 的権 利 ( liberty / liberties ) と し て の 自 由 が 交 錯 し て 、 立 憲 主 義 や法 の 支 配 、 権 力 分 立 、 社 会 契 約 説 、 市 場 経 済 重 視 な ど と 結び 付 き や す い 163。
163 Cf. ジョン・スチュアート・ミル『自由論』塩尻公明,木村健康訳(岩波文庫)が古典
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4.4.3.3 近 代 政 治 に お い て は 、 自 由 主 義 は 議 会 主 義 と結 び つ き 、 デ ィ モ ク ラ シ と 対 置 さ れ た 。 自 由 主 義 は そ れ にふ さ わ し い 教 養 と 財 産 を 有 す る 人 間 に よ っ て 担 わ れ る 原 則だ か ら で あ る 。 19 世 紀 後 半 に な る と 、 貧 困 へ の 対 応 か ら 社会 政 策 を 重 視 す る 自 由 主 義 も 生 ま れ 、 社 会 ( 民 主 ) 主 義 との 区 別 が し づ ら く な る 。 ま た 、 自 由 主 義 と デ ィ モ ク ラ シ とを 結 び つ け た 自 由 民 主 主 義 ( liberal democracy ) が 主 張 さ れ る 164
が 、 自 由 と 平 等 と は 、 か な り の 条 件 設 定 を 施 し て も 、 同 時に は 成 り 立 た な い 以 上 、 両 者 は 緊 張 関 係 に あ り 続 け る 。1960 年 代 以 降 、 肥 大 化 し た 国 家 に 対 す る 批 判 と し て の 自 由主 義 165が 生 ま れ 、 そ れ を さ ら に 進 め て 、 国 家 機 能 の 最 小 化や 廃 絶 を 目 指 す も の と し て 、 リ バ タ リ ニ ズ ム が あ る 。ア
4.4.4 ナ シ ョ ナ リ ズ ム
4.4.4.1 19世 紀 は ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 時 代 と 呼 ば れ る が 、 それ は 先 進 国 の 話 で あ っ て 、 第 1 次 大 戦 後 の 欧 州 で の 帝 国 解体 に 伴 う 国 家 の 誕 生 を 、 あ る い は 第 2 次 大 戦 後 の ア ジ ア ・ア フ リ カ な ど で の 多 数 の 独 立 を 考 え る と 、 20 世 紀 の 方 が ナシ ョ ナ リ ズ ム の 時 代 だ と 言 え る か も し れ な い 。 ナ シ ョ ナ リズ ム 166は 、 ラ テ ン 語 の natio 、 つ ま り 「 生 ま れ 」 と 関 わ る 言 葉か ら 作 ら れ た 。 natio と は 、 中 世 末 期 あ る い は 近 代 初 期 に 、英 仏 独 の 学 生 が、 、 伊 の 大 学 で 出 身 地 別 分 類 に 編 成 さ れ た こと に 由 来 す る 167。 ナ シ ョ ナ リ ズ ム に は い く つ か の 類 語 が ある 。 パ ト リ テ ィ ズ ム ( patriotism 、 郷 土 愛 ) が 具 体 的 な 対 象に 対 す る 自 然 な 感 情 を 指 す の に 対 し 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 知ら な い 人 と の 連 帯 = 「 同 じ 国 民 」 と い う 意 識 を 指 す 。
164 Cf. クロフォード・ブラウ・マクファーソン『自由民主主義は生き残れるか』田口富久治訳(岩波新書)、福田歓一『近代民主主義とその展望』(岩波新書)165 Cf. ミルトン・フリードマン、ローズ・フリードマン『選択の自由』西山千明訳(日本経済評論社)、フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク『隷属への道』西山千明訳(春秋社)。なお、この自由主義では国家機能のうち、軍事の縮小を唱えるわけではない点に注意166 以下の参考文献を参照。エルンスト・ハルトヴィヒ・カントロヴィッチ『祖国のために死ぬこと』甚野尚志訳(みすず書房)、大澤真幸「ナショナリズムの由来」『本』(講談社)、橋川文三『ナショナリズム』(紀伊國屋書店)、アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』加藤節監訳(岩波書店)、リンダ・コリー『イギリス国民の誕生』川北稔訳(名古屋大学出版会)、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』白石隆訳(リブロポート)、アイザイア・バーリン『思想と思想家』福田歓一訳(岩波書店)、ジョージ・オーウェル『オーウェル評論集』小野寺健編訳(岩波文庫)、エドワード・ハレット・カー『ナショナリズムの発展』大窪愿二訳(みすず書房)、カール・W・ドイッチュ『ナショナリズムとその将来』勝村茂訳(勁草書房)、エルネスト・ルナン『国民とは何か』鵜飼哲訳(河出書房新社)、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ『ドイツ国民に告ぐ』小野浩訳(中公文庫)…、なお、nationalism は、ドイツでは 1774 年、フランスでは 1798 年に登場する。167 大学と国民国家・ナショナリズムとの関係については、吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書)。なお、もちろん、同書は、まずは大学論として読むべきである。
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◎ ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 特 色 は 政 治 思 想 と し て 体 系 性 に欠 け る 点 に あ る 。 思 想 よ り も 現 実 が 先 行 し た か ら で ある 。 邦 訳 と し て は 、 民 族 主 義 、 国 家 主 義 、 国 民 主 義 など が 充 て ら れ る こ と か ら も わ か る よ う に 、 背 景 は 多 様で あ る 。
4.4.4.2 欧 州 の 統 治 層 は 国 境 を 越 え る 共 同 体 を 構 成 す る 。欧 州 の 統 治 は 、 国 王 や 貴 族 間 の 血 縁 関 係 ( kinship ) と 、 共通 語 と し て の 羅 語 、 仏 語 に よ っ て 維 持 さ れ て き た 。 こ れ に対 し 、 民 族 の 言 葉 で 聖 書 を 訳 す こ と が 文 化 的 ナ シ ョ ナ リ ズム の 端 緒 と な る な ど 、 次 第 に ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 進 行 、 つ まり 国 際 関 係 は 国 家 を ア ク タ と し た 国 家 間 関 係 と し て 理 解 され る よ う に な る 。 す な わ ち 、 近 代 の ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 、 国家 と い う 単 位 の 重 視 か ら 生 ま れ 、 抽 象 的 な 国 家 と い う 存 在へ の 帰 属 意 識 や identity と 関 わ り 、 国 家 の 盛 衰 を 、 個 々 人 が自 分 の 幸 不 幸 の よ う に 感 じ る こ と に な る 。 国 家 が 文 化 的 基盤 に 成 り 立 っ て い る 場 合 に は 、 言 語 、 伝 統 、 歴 史 と 関 連 しや す く 、 領 土 拡 大 、 領 土 回 復 、 「 外 国 人 排 除 」 と い っ た 政策 と 結 び 付 き や す い 。 国 家 が 言 語 、 宗 教 、 神 話 な ど の 共 通し た 文 化 的 基 盤 ( ethnicity ) に 基 づ い て 建 設 さ れ な い 場 合 、国 家 統 合 が ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 代 役 を 果 た す 。 こ の 西 欧 産 のナ シ ョ ナ リ ズ ム が 、 中 欧 ・ 東 欧 の 帝 国 に 普 及 し 、 あ る い はア ジ ア や ア フ リ カ に 輸 出 さ れ た と き 、 独 立 運 動 や 植 民 地 解放 運 動 を 促 す こ と に な る 。
◎ ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 、 統 治 者 と 被 治 者 を 「 国 民 」 と い う 一 体 感 あ る 集 団 へ と 作 り 替 え 、 国 民 へ の 統 合 過 程 で 数 多 く の 国 家 象 徴 や 国 民 象 徴 が 発 達 し た 。 国 家 象徴 ・ 国 民 象 徴 の 代 表 は 国 旗 、 国 歌 ( 法 定 化 さ れ て い る場 合 も あ る 。 C f . 政 治 制 度 論 ) だ が 、 国 花 ( オ ラ ンダ の チ ュ ー リ プ 、 イ ン グ ラ ン ド の バ ラ 、 ス コ ッ ト ラ ンド の ア ザ ミ な ど は 有 名 だ ろ う ) な ど も あ る 。 さ ら に 、モ ノ で は 国 民 統 合 が 不 充 分 だ と い う こ と も あ り 、 君 主や 大 統 領 と い っ た 生 身 の 人 間 も 国 家 象 徴 ・ 国 民 象 徴 とな る 。
4.4.4.3 ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 進 行 す る と 、 従 来 の 非 ナ シ ョナ ル な 統 治 層 が 次 第 に ナ シ ョ ナ ル 化 せ ざ る を 得 な く な る 。統 治 層 に 対 す る ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 衝 撃 は 、 統 治 層 の 「 生 態系 」 を 変 化 さ せ る こ と と な る 。 こ れ が 次 第 に 、 国 王 を 国 民統 合 の 象 徴 と し て 位 置 づ け る よ う に な る 。 現 在 で も 、 欧 州の 王 族 の 結 婚 相 手 は 相 変 わ ら ず 外 国 人 が 少 な く な い が 、 例え ば 、 英 王 室 は ザ ッ ク ス = コ ー ブ ル ク = ゴ ー タ 家 と い う 独の 家 名 を 、 第 一 次 大 戦 中 の 1917 年 に 、 英 風 の ウ ィ ン ザ ー に改 名 168し 、 ジ ョ ー ジ 5 世 は 、 独 系 の 王 族 と の 結 婚 と い う 慣
168 Cf. 水谷三公『王室・貴族・大衆』(中公新書)。英王室については日本語で読める参考文献が
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行 を 変 え 、 英 国 民 と の 結 婚 も 許 さ れ る と し た 169。 家 名 と 婚姻 と い う 王 族 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ そ の も の の 変 更 は ナ シ ョナ リ ズ ム 色 の 強 い 近 代 戦 争 へ の 対 応 で あ っ た が 、 そ れ で もな お 、 第 二 次 大 戦 及 び そ れ 以 降 も 、 独 と の 関 係 を 疑 わ れ 続け る 170。
◎ 近 年 、 欧 州 の 王 族 の 結 婚 相 手 で 同 国 人 の割 合 が 増 え て い る 。 従 っ て 、 王 族 と 平 民 と の 「 身 分違 い の 」 結 婚 が 目 立 ち 始 め て い る 。 こ れ も 、 王 族 の大 衆 化 、 民 主 化 時 代 の 変 容 だ ろ う 。 も ち ろ ん 、 こ の点 で 、 日 本 の 現 天 皇 ・ 皇 后 の 結 婚 は 今 で は 想 像 も でき な い ほ ど の 「 大 事 件 」 だ っ た 。 そ の 点 で も 画 期 だろ う 。
4.4.4.4 ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 受 け 入 れ ら れ た 理 由 の 1 つ に 戦争 が あ る 。 近 代 国 家 、 す な わ ち 近 代 戦 争 遂 行 装 置 の 整 備 には 、 徴 税 と 徴 兵 の 一 元 管 理 が 必 要 と な り 、 国 王 を 中 心 と した 国 家 体 制 の 整 備 が 進 む 。 近 代 戦 争 は 当 初 傭 兵 軍 に よ り 担わ れ て い た が 、 次 第 に 国 民 か ら の 徴 兵 が 導 入 さ れ る 。 ま た 、仏 革 命 は 、 仏 の 防 衛 と と も に 、 他 国 の 抑 圧 さ れ て い る 人 間を 解 放 す る 名 目 で 侵 略 ( = 「 革 命 の 輸 出 」 ) を 行 っ た が 、国 内 で は 、 仏 全 土 が 仏 語 を 国 語 と し 、 プ ロ ヴ ァ ン ス や ノ ルマ ン ジ ー な ど の 少 数 派 が 次 第 に 無 視 さ れ る よ う に な る 。 ここ に 国 民 国 家 の 誕 生 が 謳 わ れ 、 こ れ を 模 倣 す る よ う に 、 各国 で 国 民 の 動 員 体 制 ( 徴 兵 制 ) が 整 備 さ れ る 。 徴 兵 制 は 短期 的 に は コ ス ト の 面 で 最 も 安 上 が り で あ る ( そ し て 、 中 長期 的 に は 、 経 済 的 に も 精 神 的 に も 最 も 高 く 付 く ) 。 ナ シ ョナ リ ズ ム と 軍 隊 と の 関 係 の 例 と し て は 、 1889 年 仏 で は 、 国 籍法 に 出 生 地 主 義 が 導 入 さ れ 、 移 民 の 子 な ど に 兵 役 義 務 が 課せ ら れ る 一 方 で 、 独 で は プ ロ イ セ ン 法 (。 、 1842 年 ? 未 確認 ) で 、 血 統 ・ 庶 子 の 嫡 出 子 化 ・ 婚 姻 ・ 帰 化 に よ る 臣 民 を認 め ら れ て い た が 、 1913 年 の 国 籍 法 改 正 で 血 統 主 義 が 謳 わ れた 。 こ れ は 東 欧 と 接 す る 独 の 地 政 学 上 の 条 件 も あ っ て 、 国籍 と 民 族 と を 結 び つ け て 、 国 民 国 家 を 創 出 し よ う と し た とい え る 。
4.4.4.5 ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 国 家 経 営 と 関 わ る 。 国 家 経 済 の維 持 管 理 ( 産 業 革 命 ) に よ り 、 イ ン フ ラ の 整 備 や 通 貨 お よび 度 量 衡 の 統 一 が 進 み 、 海 外 へ の 販 路 確 保 に 国 家 に よ る 支援 活 動 へ の 要 求 が 高 ま る 中 で 、 産 業 が 発 達 す る こ と は 国 富
多いが、君塚直隆『肖像画で読み解くイギリス王室の物語』(光文社新書)が肖像画付きで面白いだろう。さらに興味が湧いた人には、森護『英国王室史話』上下(中公文庫)、君塚直隆『女王陛下のブルーリボン』(NTT出版)、君塚直隆『女王陛下の外交戦略』(講談社)、小林章夫『イギリス王室物語』(講談社現代新書)などが読みやすい。また、黒岩徹『危機の女王 ―エリザベスⅡ世』(新潮選書)はいつもながら読みやすい。169 笠原敏彦『ふしぎなイギリス』(講談社現代新書)18頁170 Cf. J.コルヴィル『ダウニング街日記』上下、都築忠七他訳(平凡社)
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の 増 大 で あ り 、 国 全 体 に と っ て も 望 ま し い と い う 判 断 が 成立 す る よ う に な る 。 そ し て 、 政 府 が 産 業 育 成 の た め に 様 々な 政 策 を と る こ と が 望 ま し い と い う 判 断 が 生 ま れ 、 同 時 に農 業 社 会 か ら 工 業 社 会 へ と 産 業 の 重 点 が 移 る に 連 れ て 、 租税 の 割 合 で ブ ル ジ ョ ジ ー の 負 担 部 分 が 増 大 し 、 こ れ が 政ア治 参 加 の 要 求 を 生 む 。 こ こ に 、 政 治 単 位 、 文 化 単 位 、 経 済単 位 を 一 致 さ せ る と い う 特 色 が 生 ま れ 171、 こ れ が ナ シ ョ ナリ ズ ム を 掲 げ る 政 治 勢 力 の 主 張 と な る 。 そ し て 、 象 徴 上 の特 色 と し て 、 次 第 に 国 家 は 、 「 祖 国 」 、 「 母 国 」 と い っ たよ う な 家 族 名 称 を 伴 っ て 語 ら れ る よ う に な る 。 国 民 は 国 家の 盛 衰 を 自 分 の 幸 不 幸 の よ う に 感 じ る よ う に な る 。
4.4.5 デ ィ モ ク ラ シ
4.4.5.1 デ ィ モ ク ラ シ は 、 元 々 「 統 治 の 担 い 手 の 数 」 と「 統 治 者 の 徳 の 有 無 ( 統 治 の 有 徳 性 ) 」 と を 基 準 と し た 政体 ( polity ) の 分 類 に あ る 1 形 態 で あ っ た が 、 次 第 に 後 者の 側 面 は 薄 れ 、 被 治 者 の 政 治 参 加 と い う 部 分 が 強 調 さ れ るよ う に な る 。 そ れ は 、 邦 訳 の 問 題 と も 関 係 す る 。 デ ィ モ クラ シ と 民 主 主 義 と の 間 に は 意 味 上 の 乖 離 が あ る か ら で あ る 。他 の 政 治 思 想 が 「 ~ ~ イ ズ ム 」 で あ る の に 対 し 、 デ ィ モ クラ シ は 、 「 ク ラ シ < ク ラ テ ィ ア < ク ラ ト ス 」 、 す な わ ち「 力 で 打 ち 勝 つ 172」 こ と を 含 意 す る 。 デ ィ モ ク ラ シ の 訳 語と し て は 、 民 主 政 、 民 主 制 、 民 主 主 義 な ど が あ り 、 そ れ ぞれ 力 点 が 違 う 。 民 主 政 は 政 体 で あ り 、 民 主 制 は 体 制 概 念 であ り 、 民 主 主 義 は 価 値 や 態 度 を 表 す 。 多 元 的 な 意 味 を 持 つと こ ろ が 最 大 の 特 色 で あ る 。
4.4.5.2 デ ィ モ ク ラ シ は 統 治 者 と 被 治 者 と の 同 一 性 を 強 調す る た め 、 歴 史 的 に は 都 市 の 自 治 と 関 連 す る も の と 解 釈 され た 。 こ こ に 、 デ ィ モ ク ラ シ に 「 市 民 イ メ ー ジ 」 、 自 治 、( 市 民 ) 社 会 論 、 公 民 が 付 着 す る 理 由 が あ る 。 そ し て 、 この イ メ ー ジ を 保 ち な が ら 、 仏 革 命 前 後 か ら 国 民 国 家 形 成 で国 民 へ と 拡 大 さ れ る こ と に な る が 、 そ の 際 に も 、 第 4 階 級( 民 衆 ・ 民 草 、 populace ) は 考 慮 外 に な っ て い た 。 そ れ で も 、大 衆 173 は 次 第 に 単 な る 生 物 学 的 存 在 か ら 社 会 的 ・ 政 治 的 存 在 へ と 移 行 し 、 や が て 選 挙 権 の 拡 大 に よ り 、 従 来 と は 異 なる 価 値 観 ・ 社 会 観 を 有 す る 者 が 統 治 を 担 い 始 め る 。 統 治 層か ら み れ ば 、 「 清 水 の 舞 台 か ら 飛 び 降 り る 気 分 ( a leap in the dark ) 」 で あ り 、 誰 を 真 っ 当 な 国 民 で あ る と 認 定 す る の かと い う 問 題 が 19 世 紀 以 降 問 わ れ 続 け る 。
171 Cf.アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』加藤節監訳(岩波書店)172 Cf. 長谷川三千子『民主主義とは何なのか』(文春新書)173 群衆と公衆については、Cf. ガブリエル・タルド『世論と群集』稲葉三千男訳(未来社)、ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』桜井成夫訳(講談社学術文庫他)
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4.4.5.3 被 治 者 の 政 治 参 加 と い う 側 面 に 着 目 し た デ ィ モク ラ シ と は 別 に 、 民 主 主 義 は 統 治 者 を 選 ぶ ル ー ル ( 手 続 )だ と い う 理 解 174も 進 む 。 制 限 選 挙 は 、 要 は 同 じ よ う な 社 会背 景 や 価 値 観 を 有 す る 「 仲 間 内 の 選 挙 」 で あ る が 、 普 通 選挙 と な れ ば 、 見 知 ら ぬ 者 、 価 値 観 を 異 に す る 者 か ら 選 ば れる こ と を 意 味 す る 。 こ こ に 、 選 挙 戦 術 の 大 幅 な 変 化 が 生 まれ 、 議 会 外 政 党 組 織 ( caucus ) が 誕 生 し 、 ま た 、 宣 伝 方 法の 変 化 = デ マ ゴ ー グ ( 扇 動 ) が 発 生 す る 。
4.4.5.4 選 挙 を 通 じ た 政 治 へ の 参 加 は 、 選 挙 権 の 拡 大 ( 普選 universal suffrage ) の 要 求 に つ な が る 。 例 え ば 、 英 で は 、 男子 が 1918 年 、 女 子 が 1928 年 、 仏 で は 、 男 子 が 1848 年 、 女 子 が1944 年 、 独 で は 、 男 子 が 1871 年 、 女 子 が 1919 年 で あ る ( ち なみ に 、 日 本 は 男 子 が 1925 年 、 女 子 が 1945 年 ) 。 仏 や ス イ ス など 男 子 普 通 選 挙 制 が 早 く 導 入 さ れ た と こ ろ で は 、 女 子 の 選挙 権 が 遅 れ る 傾 向 が 見 ら れ る よ う で あ る 。 こ れ は 、 「 男 尊女 卑 型 」 の 文 化 に お い て 、 選 挙 権 の 拡 大 は 男 子 の 問 題 で ある と さ れ 、 男 子 普 通 選 挙 制 の 導 入 に よ り 、 「 市 民 」 の 政 治的 権 利 の 実 現 が 達 成 さ れ た よ う に 判 断 さ れ た か ら だ と 考 えら れ る 。
4.4.5.5 現 代 に 近 づ く ほ ど 、 デ ィ モ ク ラ シ は 被 治 者 中 心 に考 え る 発 想 を 基 軸 と す る か ら 、 国 民 に 近 い 政 治 が 求 め ら れる と い う 意 味 で の ア マ チ ュ ア リ ズ ム が 賞 賛 さ れ る 。 ア マ チュ ア リ ズ ム に は 、 身 分 社 会 に お け る 統 治 の よ う に 、 統 治 は職 業 政 治 家 で は な く 、 貴 族 な ど ア マ チ ュ が 担 う も の で あアる と い う 意 味 で 用 い ら れ る こ と も あ る ( → 4.2.2.1 ) が 、 デ ィモ ク ラ シ に お い て は 、 等 身 大 の 人 間 に よ る 政 治 社 会 の 形 成を 意 味 し 、 プ ロ に よ る 人 の 支 配 を 嫌 悪 す る こ と を 意 味 す る 。尤 も 、 被 選 挙 権 に 関 連 す れ ば 、 財 産 が な い 者 が 政 治 家 を 職業 と す る た め に は 、 給 料 ( 歳 費 ) が 必 要 と な る 。 英 で は1911 年 議 員 歳 費 法 が 成 立 す る が 、 そ れ が 遅 れ た 理 由 は 政 治家 の あ る べ き イ メ ー ジ と 関 連 す る 。
4.4.5.6 現 代 欧 州 は 、 し ば し ば 「 市 民 」 と 呼 ば れ る 大 衆 の 登 場 と 民 主 主 義 の シ ス テ ム を 特 徴 と し 、 こ こ に は 、「 市 民 」 を 貫 く 共 和 制 、 そ れ も 、 仏 革 命 の 歴 史 神 話 と 密 接に 関 わ っ て い る 。 欧 州 に 限 っ て も 、 デ ィ モ ク ラ シ の 意 味 は時 代 に よ り 、 国 に よ り 異 な っ て い る 。 仏 で 顕 著 に み ら れ るよ う に 、 デ ィ モ ク ラ シ の 運 営 の 基 本 単 位 は 個 人 で あ る と し 、個 人 と 国 家 な い し 権 力 と を 対 比 さ せ て 、 あ る べ き 政 治 体 制を 模 索 し て も 、 現 実 の 政 治 は 機 能 し な い か ら 、 統 治 者 と 被統 治 者 と の 間 を 仲 介 す る 政 党 や 教 会 、 労 働 組 合 な ど 中 間 団体 の 存 在 が 重 要 と な る 。 一 方 で 、 各 国 各 時 代 の 多 種 多 様 な
174 Cf.ジョセフ・シュムペーター『資本主義、社会主義、民主主義』上中下、中山伊知郎,東畑精一訳(東洋経済新報社)
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中 間 団 体 が 、 あ る い は 社 会 ネ ッ ト ワ ー ク が 、 デ ィ モ ク ラ シに 異 な っ た 社 会 構 成 原 理 を 付 け 加 え る 。 デ ィ モ ク ラ シ が 多様 な 理 由 で あ る 175。 従 っ て 、 デ ィ モ ク ラ シ は 、 他 の イ ズ ムと 結 び 付 き や す い 。 20 世 紀 以 降 は 、 デ ィ モ ク ラ シ と 結 び 付か な い 主 義 は ほ と ん ど 見 あ た ら な い が 、 第 二 次 大 戦 以 降 につ い て は 、 キ リ ス ト 教 民 主 主 義 ( 保 守 主 義 ) 、 自 由 民 主 主義 、 社 会 民 主 主 義 、 が 主 流 で あ る 。
4.4.5.7 デ ィ モ ク ラ シ が 自 律 し た 個 人 を 前 提 に し て 機 能 する と す れ ば 、 恩 顧 ・ 庇 護 関 係 ( clientilism ) 、 す な わ ち 、 パト ロ ン へ の 忠 誠 を 代 償 に 、 そ の 恩 顧 を う け る 関 係 が 濃 厚 な社 会 で は 、 デ ィ モ ク ラ シ は 機 能 不 全 と な る 。 こ の い わ ば「 親 分 - 子 分 関 係 」 は 、 地 中 海 諸 国 や 東 欧 に 濃 厚 に 見 ら れる 現 象 で あ り 、 ア ル プ ス 以 北 で も 名 望 家 の 存 在 は こ れ に 当た り 、 公 職 が 保 有 さ れ て い た 時 期 に は 広 く み ら れ た 。 Place is Power ( 地 位 こ そ 権 力 を も た ら す ) あ る 。 人 間 関 係 か ら 上 下関 係 を 払 拭 す る こ と は で き な い に せ よ 、 デ ィ モ ク ラ シ の 基本 原 理 は 対 等 関 係 に あ る か ら 、 こ う し た ク ラ ィ エ ン テ ィ リズ ム が 濃 厚 な 社 会 で は 、 権 威 の 存 在 が 政 治 的 決 定 に 大 き な影 響 を も た ら し 、 デ ィ モ ク ラ シ を 阻 碍 す る と み な さ れ る 。
4.4.5.8 19世 紀 後 半 以 降 、 利 益 の 組 織 化 が 進 む に つ れ 、 実際 の 政 治 運 営 で は 様 々 な 団 体 が 政 治 過 程 に 強 い 影 響 力 を 持つ 。 つ ま り 、 19 世 紀 後 半 以 降 の 組 織 の 時 代 に あ っ て は 、 国家 の 中 に は 主 権 を 持 た な い 多 数 の 権 力 セ ン タ が 存 在 し 、 それ ら の 相 互 作 用 に よ っ て 政 治 は 運 営 さ れ て お り 、 政 府 は 組織 間 の 利 害 調 整 を 図 る 役 割 を 果 た す と い う 説 明 ( 多 元 主 義( プ ル ー ラ リ ズ ム 、 pluralism ) あ る い は 利 益 集 団 自 由 主 義と い う ) が 説 得 力 を 持 つ よ う な 状 況 が 生 ま れ る 。 実 際 に は 、国 家 の 機 能 は 変 わ っ て も 、 国 家 が 占 め る 主 権 的 地 位 は そ れほ ど 揺 る が な い 。 む し ろ 、 20 世 紀 に 入 る と 、 組 織 間 の 利 害調 整 を 積 極 的 に 進 め る コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム な ど の 現 象 も 広 く見 ら れ 始 め る 。
4.4.5.9 デ ィ モ ク ラ シ は 理 念 型 と し て は 国 民 国 家 の 運 営 を前 提 と し 、 国 民 性 と で も 表 現 で き そ う な 均 質 性 を 想 定 し てい る 。 し か し 、 実 際 の 社 会 で は 、 階 級 、 民 族 、 言 語 集 団 など の cleavage が 存 在 す る こ と が 多 く 、 cleavage ご と に 、 少 数 派 の小 世 界 ( サ ブ カ ル チ ャ 、 subculture ) が 存 在 し て い て 、 国 民間 の 文 化 的 コ ン セ ン サ ス が 欠 落 し て い る ば あ い が あ る 。 特に 、 蘭 、 白 、 ス イ ス な ど で は 、 労 働 者 は 労 働 者 と 、 ロ ーマ ・ カ ト リ ク は ロ ー マ ・ カ ト リ ク と つ き 合 う 世 界 が あ り 、選 挙 制 度 も 比 例 代 表 制 を 採 用 す る こ と に よ っ て 、 小 選 挙 区制 の よ う な winner – take – all で は な く 、 適 度 な 棲 み 分 け の 合 意 が
175 習俗( moeurs )の重要性については、Cf . アレクシス・ドゥ・トクヴィル『アメリカのデモクラシー』第1巻上下、第2巻上下、松本礼二訳(岩波文庫)
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成 立 し て い る 。 こ の よ う な 状 況 に あ る 場 合 、 単 独 政 党 が 議会 の 多 数 派 を 形 成 す る こ と は 困 難 で あ り 、 理 論 上 は 政 治 的不 安 定 が 続 く が 、 実 際 に は レ イ プ ハ ル ト の 説 明 176に よ れ ば 、少 数 派 の エ リ ー ト の 協 調 関 係 に よ り 安 定 す る 。 英 の 対 決 型政 治 と 対 照 的 で あ る 。
◎ こ れ は 多 極 共 存 型 デ ィ モ ク ラ シ と 呼 ば れ る 。 少し ニ ュ ア ン ス が 異 な る が 、 コ ン セ ン サ ス ・ デ ィ モ ク ラシ で も あ る 。 な お 、 こ れ ら の 小 国 は 、 英 仏 独 な ど 大、 、国 に 囲 ま れ 、 エ リ ー ト 間 に 協 調 関 係 が 生 ま れ や す い だけ で は な い の か と い う 疑 問 も あ る 。
4.4.5.10 統 治 の 妥 当 性 や 正 当 性 を 考 え る 場 合 に 、 デ ィ モク ラ シ の 進 展 度 合 い で 政 治 体 制 の 善 し 悪 し を 測 る 習 慣 が ある 177。 と り わ け 、 独 史 に つ い て は 、 「 遅 れ て き た 国 民 」( H . プ レ ス ナ ー ) 、 「 ド イ ツ の 悲 劇 」 ( F . マ イ ネ ッ ケ )な ど と そ の 特 殊 性 が 表 現 さ れ る 。 し か し 、 歴 史 の 過 程 を みれ ば 、 英 が む し ろ 例 外 で あ り 、 し か も 社 会 の 民 主 化 と い う点 で は 英 は 遅 れ た の で あ り 、 こ れ に 対 し て 独 で は 民 主 化 が進 み す ぎ た 点 が 、 換 言 す れ ば 、 統 治 層 や 社 会 ネ ッ ト ワ ー クに ( 過 度 の ) 民 主 化 を コ ン ト ロ ゥ ル す る 手 段 が 欠 け て い た点 が 特 色 で あ る よ う に 思 わ れ る 。 民 主 化 は 現 代 政 治 の あ らわ れ で あ っ て 、 そ れ 自 体 を 統 治 の 測 定 基 準 に す る 必 然 的 な理 由 は な く 、 し か も 、 デ ィ モ ク ラ シ 自 体 は 自 己 完 結 し な い政 治 原 理 で あ っ て 、 実 際 に 民 主 国 家 と 呼 ば れ る 事 例 で は 、非 民 主 的 な 制 度 や 組 織 が 発 達 し 、 デ ィ モ ク ラ シ を 支 え て いる 。 そ の 意 味 で は 、 欧 州 に 伝 統 的 な 混 合 政 体 ( mixed polity )は 現 実 的 な 対 応 で は あ る 。
4.4.5.11 英 仏 独 で は デ ィ モ ク ラ シ の 理 解 に 違 い が あ る、 、 。英 で は 市 民 参 加 や 分 権 が 、 仏 で は 中 央 集 権 が デ ィ モ ク ラ シの 進 展 を は か る 基 準 と な る 。 後 者 は 多 少 奇 異 に 思 え る が 、仏 で は 権 力 が 集 中 す れ ば 、 個 人 生 活 か ら 国 家 の 介 入 が 減 少す る と 考 え る か ら だ と い う ( M . デ ュ ベ ル ジ ェ ) 。 従 っ て 、ル ソ ー が 全 体 主 義 者 か 民 主 主 義 者 の い ず れ か か を 問 う 理 由が 理 解 で き る 。 ま た 、 独 で は 、 英 仏 と 異 な り 、 19 世 紀 に 国家 統 一 が な さ れ る タ ィ ミ ン グ と 、 民 主 化 要 求 と が 並 行 し たこ と 、 ま た 、 国 家 に よ る 価 値 実 現 を 求 め る と い う 政 治 的 伝統 が あ り 、 国 家 と デ ィ モ ク ラ シ と が 結 び つ け ら れ や す い 。
176 Cf. アーレンド・レイプハルト『多元社会のデモクラシー』内山秀夫訳(三一書房)177 その代表例としてポリアーキ論がある。Cf. ロバート・ダール『ポリアーキー』高畠通敏,前田脩訳(三一書房)
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Ⅲ 現 代 政 治 史 ( 1914 年 ~ ) 178
5. 簡 略 な 現 代 政 治 史 前 史
5.0 本 章 で は 、 1914 年 以 降 の 現 代 政 治 史 を 述 べ る た め に 必要 な 知 識 な ど を 提 供 す る 。 5.1 は 英 、 5.2 は 仏 、 5.3 は 独 、 5.4 は 平和 な 100 年 の 国 際 関 係 を 扱 う 。 本 来 は 、 墺 、 露 ( さ ら に は 、伊 オ ス マ ン )、 も 述 べ る べ き だ が 時 間 の 都 合 上 、 省 略 す、る 。 詳 細 は 、 西 欧 政 治 史 Ⅰ を 参 照 の こ と 。
こ の 時 期 上 述 し た 大 規 模 な 社 会 変 動 を 背 景 と し て 、 統、治 す る 側 に と っ て は 、 人 口 変 動 、 都 市 化 、 工 業 化 、 世 俗 化 、 科 学 技 術 の 発 展 の み な ら ず 、 大 衆 社 会 化 あ る い は 民 主 化 の 要 求 に ど の よ う に 対 処 す る の か 、 従 来 の 統 治 シ ス テ ム が ど の よ う な 変 化 を 強 い ら れ た の か が ポ ィ ン ト と な る 。 統 治 する 側 の 気 分 や 苦 労 に も 注 意 す る こ と が 理 解 に は 肝 要 で あ る 。
5.1 英 179
178 欧州政治の概説書については、Cf. 篠原一『ヨーロッパの政治』(東京大学出版会)、山口定『現代ヨーロッパ政治史』上下(福村出版)、升味準之輔『比較政治』(東京大学出版会)、平島健司『新訂 ヨーロッパ政治史』(放送大学教育振興会)、中木康夫他『現代西ヨーロッパ政治史』(有斐閣)、渡邊啓貴編『ヨーロッパ国際関係史』(有斐閣)などが定番とされる。それぞれに一長一短あるのは、歴史観の問題以上に、1冊でまとめることが難しいからだろう。その点では、むしろ山川出版社や中央公論社などの歴史シリーズを読む方がいい。もちろん、そうはいっても、関心のある人は、トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上、森本醇訳、下、浅沼澄訳(みすず書房)、エリック・ホブズボウム『20世紀の歴史 極端な時代』上下、河合秀和訳(三省堂)、ジョージ・リヒトハイム『ヨーロッパ文明 1900-1970』1・2、塚本明子訳(みすず書房)、ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上下、長山さき訳(徳間書店)などは読まれるべきなのだろうし、エドワード・ハレット・カーやアラン・ジョン・パーシヴァル・テイラーをはじめとする歴史家の著作も同様である。179 英近現代政治史の参考文献は政治が豊かなこともあり、readable なものも数多い(特に最近英外交については、ここで挙げない論文もあって相当に充実している)。講義中に適宜補足するが、ひとまず、水谷三公『英国貴族と近代』(東京大学出版会)、水谷三公『貴族の風景』(平凡社)、水谷三公『王室・貴族・大衆』(中公新書)、塚田富治『政治家の誕生』(講談社現代選書)、塚田富治『カメレオン精神の誕生』(平凡社)、デヴィッド・キャナダイン『虚飾の帝国』平田雅博、細川道久訳(日本経済評論社)、青木康『議員が選挙区を選ぶ』(山川出版社)、アラン・マクファーレン『イギリスと日本:マルサスの罠から近代への跳躍』船曳建夫監訳、北川文美、工藤正子、山下淑美訳(新曜社)、近藤和彦編『長い十八世紀のイギリス』(山川出版社)、梅川正美『イギリス政治の構造』(成文堂)、梅川正美他『イギリス現代政治史』(ミネルヴァ書房).ピーター・ラスレット『われら失いし世界』川北稔他訳(三嶺書房)、佐々木雄太・木畑洋一編『イギリス外交史』(有斐閣)、細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)、君塚直隆『女王陛下のブルーリボン』(NTT出版)、斎藤嘉臣『冷戦変容とイギリス外交』(ミネルヴァ書房)、細谷雄一『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、J.モリス『パックス・ブリタニカ』上下、椋田直子訳(講談社)、君塚直隆『パクス・ブリタニカのイギリス外交』(有斐閣)、細谷雄一『大英帝国の外交官』(筑摩書房)、小川浩之『イギリス帝国からヨーロッパ統合へ』(名古屋大学出版会)、細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)。また、思想史の分野だが、木村俊道『文明と教養の<政治>』(講談社選書メチエ)もいい。
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5.1.1 英 は 欧 州 部 分 に 限 っ て も 、 ’ the United Kingdom ( 連 合 王 国 ) ’ で あ り 、 イ ン グ ラ ン ド に ス コ ッ ト ラ ン ド 、 ウ ェ ー ルズ 、 愛 蘭 が 加 わ る 。 人 種 ( ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン 対 ケ ルト ) 180、 宗 教 ( 英 国 教 会 対 長 老 派 や 公 教 会 ) 問 題 が 、 「 階級 」 問 題 ( 国 王 、 貴 族 、 大 衆 ) や 地 域 間 の 経 済 格 差 と 連 動す る 。 国 内 で は 、 政 治 を 育 ん で き た 貴 族 の 没 落 と こ れ に 代わ る 政 治 シ ス テ ム の 模 索 と 、 現 在 も 続 く 愛 蘭 問 題 が 深 刻 な政 治 課 題 と な っ た 。 ま た 、 対 外 関 係 で は 、 19 世 紀 以 降 、 英の 政 治 経 済 は 「 世 界 の 工 場 」 と し て 世 界 を リ ー ド す る よ うに な り 、 1846 年 穀 物 法 撤 廃 に そ の 指 導 的 地 位 は 象 徴 さ れ る 。自 由 貿 易 体 制 を 確 立 す る が 、 次 第 に 独 米 な ど の 「 新 興、国 」 の 登 場 に よ り 、 世 界 シ ス テ ム に お け る 地 位 の 「 低 下 」へ の 対 応 を 迫 ら れ た 。 こ れ と 関 連 し て 、 大 英 帝 国 の あ り 方を め ぐ っ て 、 拡 大 路 線 か 、 適 度 な 規 模 を 維 持 す る か ( 小 英倫 主 義 ) が 問 わ れ る が 、 世 界 最 大 の 帝 国 ( 世 界 の 陸 地 の 4分 の 1 ! ) と し て 、 加 や 豪 な ど の 自 治 領 、 印 ( 現 在 の 印 及び そ の 周 辺 国 を 含 む ) 、 及 び そ の 他 の 地 域 の 三 部 構 成 を 維持 し つ づ け る ( 「 白 人 植 民 地 」 は 次 第 に 自 治 権 を 獲 得 す る 。1876 年 加 、 1900 年 豪 、 1907 年 ニ ュ ー ジ ー ラ ン ド 、 1909 年 南 ア フリ カ 連 邦 、 1922 年 愛 蘭 。 愛 蘭 は 、 1866 年 、 1892 年 、 1912 年 ~1914 年 に 自 治 法 案 が 提 出 さ れ る が 、 内 乱 が 続 く 。 1876 年 に 印は 直 轄 植 民 地 と な る ) 。 印 こ そ は 、 大 英 帝 国 の 要 で あ っ た( ヴ ィ ク ト リ ア 女 王 1877 年 イ ン ド 皇 帝 ) 。
5.1.2 英 は 議 会 政 治 の 母 国 と さ れ 、 特 徴 と し て は 議 会 主 権( 特 に 名 誉 革 命 以 降 ) で あ る 。 議 会 主 権 は 国 民 主 権 で は なく 、 む し ろ 貴 族 政 治 、 エ リ ー ト 政 治 で あ る 。 し か も 、 こ の議 会 主 権 は 、 ‘ King in Parliament ‘ 付 き で あ っ て 、 ジ ョ ー ジ 3 世( 1760 ~ 1820 ) の 治 世 以 後 、 議 会 政 治 家 が 国 王 を コ ン ト ロ ゥル す る 傾 向 が み ら れ る に せ よ 、 ヴ ィ ク ト リ ア 女 王 ( 1837 ~1901 ) と 有 力 政 治 家 と の 関 係 な ど 、 「 主 権 者 」 た る 国 王 の影 響 力 は 無 視 し 得 な い 。 一 方 で 、 19 世 紀 以 降 、 制 度 と し ての 国 王 の 政 治 的 影 響 力 が 減 退 す る に つ れ 、 か え っ て 王 権 を礼 賛 す る 儀 礼 や 儀 式 が 創 出 さ れ 181、 君 主 制 が 国 民 の 政 治 ・社 会 生 活 の 前 面 に 登 場 す る 。
◎ 国 王 ・ 女 王 に よ る 政 権 介 入 の 最 後 の 例 は 、 1834 年ウ ィ リ ア ム 4 世 に よ る メ ル バ ー ン 内 閣 総 辞 職 と さ れ る
180 映画の紹介。ケルト系諸国のイングランドに対する気分を知るには『ウェールズの山』( The Englishman Who Went Up a Hill But Came Down a Moutain )。また、第一次大戦前後の愛蘭問題については『麦の穂をゆらす風』( The Wind That Shakes the Barley )。前者はウェールズらしく楽しく、後者は愛蘭らしく、ため息が尽きるほど哀しい。どちらも良い映画で、是非観てほしい。181 伝統の創出については、Cf. エリック・ホブスボウム他編『創られた伝統』前川啓治他訳(紀伊國屋書店)。日本の天皇制度についても同様である。Cf. 藤田覚『幕末の天皇』(講談社選書メチエ)、タカシ・フジタニ『天皇のページェント』米山リサ訳(NHKブックス)、『岩波講座 天皇と王権を考える』シリーズ(岩波書店)
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が 、 以 降 の 政 権 交 替 を 見 れ ば 、 疑 問 も あ る 。 第 2 次 大戦 以 降 も 、 該 当 す る 事 例 が あ る か ら で あ る ( C f . 政治 制 度 論 ) 。 な お 、 国 王 の 代 わ り に 豪 な ど に は 総 督 が置 か れ る が 、 第 二 次 大 戦 後 で さ え 、 こ の 総 督 も 国 王 ・女 王 の ご 名 代 と し て 内 政 に 関 わ る こ と が あ っ た 182。
5.1.3 英 政 治 の 特 色 は 、 ス ト ラ キ な ど に よ り 社 会 不 安イが み ら れ る も の の 、 そ の 安 定 し た 統 治 に あ る 。 と り わ け 、政 治 エ リ ー ト の 再 生 産 は そ の 供 給 源 と し て の 貴 族 制 が 安 定す る 限 り ス ム ー ズ に 運 び 、 総 じ て 大 衆 ・ 民 衆 の 圧 力 を 制 御す る こ と に 長 け て い た 。 別 の 表 現 を 用 い れ ば 、 英 の 基 本 は 、信 託 型 ( trusteeship ) の リ ー ダ シ プ と い う こ と に な る 。 つ まり 、 政 治 家 は 国 民 投 票 な ど の 手 法 を 本 来 は 用 い な く て も よく 、 ま た 用 い る こ と を 忌 避 す る エ リ ー ト 主 義 で あ る 。 と はい え 、 国 民 の 政 治 参 加 要 求 が 高 ま れ ば 、 身 分 制 度 に 依 拠 する 統 治 者 の 正 統 性 は 問 い 質 さ れ る 。 議 会 は 貴 族 院 ( House of Lords ) の み な ら ず 、 衆 議 院 ( House of Commons ) も 広 義 の 貴 族階 級 の 関 係 者 ( 所 領 経 営 で 統 治 技 術 を 磨 い た 選 挙 区 管 理 人を 含 め ) が 多 数 を 占 め 、 議 会 は 国 王 と の 関 係 を 意 識 し た 統治 ゲ ィ ム を 繰 り 広 げ る 。 首 相 の 指 名 は 、 下 院 の 支 持 を 必 要と し な が ら も 、 国 王 に よ る か ら で あ る 183。 議 会 の 委 員 会 が政 府 を 形 成 す る と い う の が 議 院 内 閣 制 の 骨 子 で あ り 、 権 力の 相 互 抑 制 は 、 三 権 分 立 で は な く 、 議 会 = 政 府 と 国 王 と の間 に あ る 。 1868 年 の グ ラ ッ ド ス ト ー ン 内 閣 か ら 1915 年 ま で 内閣 の 平 均 在 任 期 間 4 年 弱 で あ り 、 自 由 党 政 権 が 23 年 、 保 守党 政 権 が 23 年 で 、 議 会 政 治 の 黄 金 時 代 と 言 わ れ る 。 「 二 大政 党 に よ る 政 権 交 代 」 の 古 典 的 制 度 イ メ ー ジ が こ こ に あ る 。
5.1.4 政 治 体 制 の 争 点 は 、 国 王 の パ ト ロ ネ ジ を 剥 奪 す る こと 、 そ し て そ の 権 限 を 議 会 や 行 政 府 が ど の よ う に 一 元 的 に管 理 す る か で あ り 、 大 蔵 省 と 政 党 に よ る 統 合 を め ぐ る 駆 け引 き が そ れ ぞ れ 行 政 内 部 と 選 挙 区 で 続 く 。 従 っ て 、 単 純 にTory ( 保 守 党 ) と Whig ( 自 由 党 ) と の 間 で 政 権 争 奪 戦 が あ った と い う よ り は ( 前 者 は 国 教 会 、 農 業 、 商 業 資 本 の 政 党 であ り 後 者 は 、 非 国 教 会 系 、 工 業 の 政 党 で あ る と さ れ る が、 、そ れ ほ ど 単 純 で は な い ) 、 両 者 の 関 係 は 、 court ( 宮 廷 ・ 国 王 ) と country ( 地 方 ・ 貴 族 ) と の 、 国 王 と 議 会 と の 関 係 と交 錯 し 続 け る ( こ れ に 加 え て 、 金 融 の 中 心 City を 加 え る と 、3 つ の C の 関 係 が 基 本 と な っ た ) 。
1832 年 ( 第 一 次 選 挙 法 改 正 ) に は 、 議 員 の 公 職 保 有 が 禁止 さ れ る が 、 恩 顧 採 用 は 保 持 さ れ る 。 有 権 者 は 若 干 増 え 、政 党 は 名 簿 作 成 に よ り 組 織 化 ( 地 方 登 録 協 会 ) を 図 る 選。挙 法 改 革 が 重 要 な の は 、 議 会 が 統 治 の 中 心 的 存 在 だ か ら で
182 Cf.君塚直隆『女王陛下の外交戦略』(講談社)第2章183 20 世紀を扱う小説ながら、ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街 10番地』永井淳訳(新潮文庫)は参考になる。
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あ る 。 第 二 次 選 挙 法 改 正 ( 1867 年 、 全 人 口 の 8 %が 有 権 者に ) に よ る 選 挙 権 拡 大 は 政 治 シ ス テ ム の 変 更 の 契 機 と な り 、選 挙 民 を ど の よ う に manage す る の か の 対 策 が 求 め ら れ た 。 議員 ク ラ ブ と し て の 院 内 政 党 中 心 体 制 184は 、 選 挙 民 を 組 織 化( コ ー カ ス ) す る 院 外 政 党 重 視 へ の 転 身 を 強 い ら れ る こ とに な る ( バ ー ミ ン ガ ム 自 由 党 協 会 1868 年 ) 。 こ れ に よ り 、地 方 政 治 が 全 国 政 治 に 巻 き 込 ま れ る 事 態 が 生 ま れ る と 同 時に 党 首 へ の 権 力 集 中 が 見 ら れ 始 め る そ し て 、、 。 第 三 次 選 挙法 改 正 ( 1884 年 、 全 人 口 の 12 ~ 13 % が 有 権 者 に ) で 、 主 要産 業 で あ る 炭 鉱 業 の 関 係 者 が 政 治 的 発 言 を 持 つ こ と に な った 。
英 近 代 政 治 は 、 身 分 ( 地 位 ) 政 治 と 議 会 政 治 と が 連 携し な が ら 、 社 会 変 動 や 国 民 ( 大 衆 ) の 政 治 参 加 要 求 に 対 応し て い く 過 程 で あ り 、 1880 年 以 降 、 土 地 の 政 治 的 意 味 が 失わ れ は じ め ( 所 領 が 単 な る 不 動 産 へ と 変 わ り 始 め < 1894 年相 続 法 ) 、 20 世 紀 に は 下 院 の 優 越 が 制 度 化 さ れ ( 1911 年 議会 法 、 後 に 1949 年 に さ ら に 改 正 案 ) 、 や が て 自 由 党 と 労 働党 ( Lib – Lab ) の 連 携 が 崩 れ か け て 、 後 者 が 自 由 党 を 凌 ぐ 勢い で 台 頭 し 始 め る 。 そ し て 、 軍 事 体 制 の 整 備 ( 海 軍 増 強 )と 社 会 福 祉 の 充 実 と を 結 び つ け た 象 徴 例 が 、 ロ イ ド ・ ジ ョー ジ 蔵 相 ( ア ス キ ス 内 閣 ) に よ る 1909 年 の 「 人 民 予 算 」 ( People’s Budget 、 対 独 に 向 け 、 艦 隊 増 強 を 視 野 に 、 増 税 + 社 会保 障 費 の 計 上 ) で あ り 、 一 方 で 、 1911 年 に は 累 進 課 税 ( 所 得税 ) へ と 税 制 の 重 点 が 移 り 始 め 、 1911 年 に は 強 制 失 業 保 険が 、 1912 年 に は 国 民 健 康 保 険 法 が 成 立 す る 。 こ こ に 社 会 福祉 は 国 家 の 事 業 と な っ て 、 近 代 戦 争 を 遂 行 す る 装 置 と し ての 近 代 国 家 は 、 国 家 を 維 持 し 戦 争 を 遂 行 す る た め に も 、、国 民 の 福 利 を 増 進 す る 装 置 と し て の 現 代 国 家 の 装 い を ま とい 始 め る 。
5.1.5 英 の 政 治 史 を み る と 、 「 民 主 化 」 、 す な わ ち 、 被 治者 の 政 治 参 加 機 会 が 要 求 さ れ る 中 で 、 政 治 的 安 定 を 確 保 でき る か ど う か に つ い て 基 準 ( 工 夫 ) が 見 い だ せ る 。 も ち ろん 、 「 帝 国 と は 労 働 者 の 胃 袋 の 問 題 で あ る 」 ( セ シ ル ・ ロー ズ ) と し て パ ィ の 拡 大 に よ る 社 会 政 策 も あ っ た 。 し か し 、そ れ 以 外 に も 、 権 力 、 財 力 、 名 誉 な ど を 特 定 の 社 会 階 層 が独 占 ・ 寡 占 す る 現 状 に 対 し 、 そ の 再 配 分 の 要 求 が 高 ま る 中で 、 そ の 要 求 が 統 治 者 、 被 治 者 双 方 の 国 家 へ の 依 存 度 を 高め 、 貴 族 な ど 従 来 自 前 の 政 治 資 源 を も っ て い た エ リ ー ト 集団 が 弱 体 化 す る 結 果 を 招 い た 。 こ こ に 良 き 政 治 を 育 む 鍵 とな る 「 穏 健 保 守 主 義 ( moderate conservatism ) 」 の 制 度 的 育 成 の成 否 が 問 わ れ た と い え る 。 国 家 権 力 を 握 る こ と で 広 義 の 政治 資 源 の 獲 得 が 可 能 と な る な ら ば 、 選 挙 を 通 じ た 権 力 へ の闘 争 は 激 し く な る か ら で あ る 。 ま た 、 national authority の 形 成 の成 否 も 統 治 の 安 定 と の 関 係 で 重 要 で あ る 。 national authorityと は 、主 要 な 政 治 勢 力 が 国 家 の 一 因 で あ る こ と を 承 認 し ( 多 く の
184 クラブの成立と関わるコフィ・ハゥスについては、小林章夫『コーヒーハウス』(駸々堂出版他)
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国 で み ら れ る よ う に 、 分 離 独 立 運 動 を 考 え ず に 、 ま た 、 他の 政 治 勢 力 の 抹 殺 を 考 え ず に ) 、 国 家 内 で の 権 力 ゲ ィ ム に粛 々 と 参 加 し つ づ け る こ と で あ る が 、 英 で は 、 被 治 者 が 統治 者 ( エ リ ー ト ) に 対 し て 敬 意 ( reverence ) を 抱 く こ と に よ っ て 社 会 ネ ッ ト ワ ー ク が 権 威 を 創 出 し 続 け る の に 対 し 、後 述 す る 仏 独 の 場 合 、 中 央 政 界 の 権 威 創 出 が 政 治 権 力 に、よ っ て 確 保 さ れ る た め に 、 national authorityは 必 ず し も 安 定 し ない 。
5.2 仏 185
5.2.1 仏 近 代 政 治 史 は 、 仏 革 命 の 前 後 で 異 な る 。 革 命が そ の 後 の 仏 を 創 っ た か ら で あ る 。 た だ 、 革 命 が 断 絶 を 強調 し や す い だ け に 、 連 続 面 と 不 連 続 面 と を 再 吟 味 す る 必 要が あ る 。 仏 革 命 が 、 国 民 、 国 語 、 国 民 軍 、 つ ま り 近 代 国 民国 家 ( nation state ) を 創 っ た 186と も い え る 。 革 命 以 前 、 仏 は欧 州 第 一 の 大 国 で あ っ た が 、 革 命 後 社 会 経 済 は 英 に 遅 れ をと る 。 1 つ に は 、 仏 革 命 の 犠 牲 者 が 多 数 で あ り ( 100万 人 以上 ) 、 人 口 増 加 の 伸 び も 19 世 紀 後 半 以 降 で も 高 く な い 。 確か に ナ ポ レ オ ン、 187( 革 命 ) に よ っ て 、 国 内 市 場 は 整 備 ( 国内 関 税 の 廃 止 度 量 衡 の 統 一 ・ 私 有 財 産 制 ) さ れ た 。 そ れ、で も 仏 の 政 治 経 済 の 特 色 は 、 小 規 模 生 産 者 が 多 い 農 業 セ クタ の 生 産 額 が 第 一 次 大 戦 ま で 高 い こ と で あ り 、 そ の 小 規 模生 産 者 ( 自 営 農 民 ) の 政 治 的 影 響 力 が 強 い 点 で あ る ( 国 民所 得 に お け る 農 業 比 率 は 1913 年 で も 工 業 ・ 銀 行 を 上 回 る 。
185 フランス近現代史の参考文献は、以下のドイツ近現代政治研究と同様、時代やテーマにかなりの偏りがある。これが政治の貧困か、それとも政治家の貧困か、研究者の貧困かはわからない。講義中に適宜補足するが、ひとまず、アレクシス・ドゥ・トクヴィル『旧体制と大革命』小山勉訳(ちくま学芸文庫)、アレクシス・ドゥ・トクヴィル『フランス・二月革命の日々』喜安朗訳(岩波文庫)、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』半澤孝麿訳(みすず書房)、ティモシー・C・W・ブラニング『フランス革命』天野知恵子訳(岩波書店)、ウィリアム・ドイル『アンシャン・レジーム』福井憲彦訳(岩波書店)、スタンレイ・ホフマン『革命か改革か』福井憲彦訳(白水社)、ジャン・シャルロ『保守支配の構造』野地孝一訳(みすず書房)、リン・ハント『フランス革命の政治文化』松浦義弘訳(平凡社)、谷川稔『十字架と三色旗』(山川出版社)、二宮宏之他編『アンシアン・レジームの国家と社会』(山川出版社)、大山礼子『フランスの政治制度』(東信堂)、今村真介『王権の修辞学』(講談社選書メチエ)、ロジェ・シャルチエ『フランス革命の文化的起源』松浦義弘訳(岩波書店)、ミシェル・クロジエ『閉ざされた社会』影山喜一訳(日本経済新聞社)。また、渡邊啓貴『フランス現代史』(中公新書)、櫻井陽二編『フランス政治のメカニズム』(芦書房)、ピエール・ビルンボーム『現代フランスの権力エリート』田口富久治監訳・国広敏文訳(日本経済評論社)(この本は訳注が充実している)、櫻井陽二『フランス政治体制論』(芦書房)、中木康夫編『現代フランスの国家と政治』(有斐閣選書)もフランス現代政治の特色を考える上で参考になる部分が多い。ジャック・E・S・ヘイワード『フランス政治百科』上下、川崎信文他訳(勁草書房)のような本から読むのもいいだろう。186 アレクシス・ドゥ・トクヴィル『旧体制と大革命』小山勉訳(ちくま文庫)187 ナポレオンについては、長塚隆二『ナポレオン』上下(文春文庫)がよく読まれているのだろうが、ナポレオンの生の声を組み込んでいる点で面白いのは、E.ルートヴィヒ『ナポレオン』上下、北澤真木訳(講談社学術文庫)である。鹿島茂『ナポレオン、フーシェ、タレイラン』(講談社学術文庫)は読みやすく、お薦めである。他には、N.ニコルソン『ナポレオン一八一二年』白須英子訳(中公文庫)がいい。
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1913 年 1 ha 以 下 の 農 家 が 38% 、 10ha 以 下 だ と 86 % 188で あ る ) 。ま た 、 革 命 に よ り 工 業 化 が 後 れ た こ と も あ り 、 産 業 へ の 投資 よ り は 、 国 内 や 露 ( 東 欧 ) を 中 心 と し た 外 国 へ の 投 資( 公 債 の 購 入 ) が 目 立 つ 点 で あ る ( 産 業 資 本 よ り 金 融 資本 ) 。 こ れ は 、 「 高 利 貸 的 帝 国 主 義 」 ( レ ー ニ ン ) と 呼 ばれ る こ と も あ り 、 小 口 の 資 産 家 ・ 投 資 家 が 多 数 存 在 す る 。こ の 露 を 含 む 東 欧 へ の 投 資 は 、 仏 の 対 外 戦 略 と 密 接 に 関 わっ て い る が 、 一 方 で 、 経 済 が 国 際 関 係 に 左 右 さ れ や す い 体質 を 持 つ 。
5.2.2 1789 年 以 降 の 革 命 期 ・ ナ ポ レ オ ン 戦 争 期 は と も か くと し て も 、 革 命 後 も 統 治 の 不 安 定 が 目 立 つ 。 1815 年 以 降 も 、政 体 ( polity ) が 君 主 制 、 共 和 制 、 独 裁 制 の 間 で 目 ま ぐ るし く 交 替 す る 。 1848 年 の 2 月 革 命 以 降 の 混 乱 か ら 当 初 大 統領 で あ っ た ナ ポ レ オ ン 3 世 ( シ ャ ル ル ・ ル イ = ナ ポ レ オン ・ ボ ナ パ ル ト 、 ナ ポ レ オ ン 1 世 の 甥 ) は 、 ク ー デ タ( 1851 年 ) で 第 二 帝 政 ( 1852 年 ~ ) を 築 く 。 そ の 体 制 は 、様 々 な 階 級 を 超 然 し て ボ ナ パ ル テ ィ ズ ム と 呼 ば れ る が 、 ナポ レ オ ン 3 世 は サ ン ・ シ モ ン 派 の 社 会 主 義 者 ら し く 、 革 命時 の 社 会 立 法 の 要 求 ( 労 災 な ど ) や 公 共 事 業 に よ る 失 業 者対 策 を と る 一 方 で 、 内 務 省 ( 知 事 と 警 察 ) に よ る 中 央 集 権体 制 を 整 え 、 そ の 財 源 確 保 と し て 自 由 貿 易 を 推 進 す る 。 被治 者 の 胃 袋 に 配 慮 し た 「 社 会 帝 国 主 義 」 的 で あ る 。 ナ ポ レオ ン 3 世 の 仏 は 、 直 接 に は 西 の 王 位 継 承 権 問 題 ( 内 乱 に よっ て 軍 の 支 持 を 失 っ た イ ザ ベ ル 2 世 が 亡 命 、 そ の 後 イ ザ ベル 2 世 の 息 子 が 王 位 に 就 く が 、 軍 は 普 王 家 の 候 補 を 推 す 。王 位 継 承 と い う 特 殊 性 に 注 意 す る こ と ) を き っ か け と し て 、普 ( ビ ス マ ル ク ) と の 戦 争 ( 普 仏 戦 争 、 1870 ~ 18 71 ) に 破 れ 、巴 里 ・ コ ミ ュ ー ン と い う 「 壮 大 な 祭 り 」 ( ル ・ フ ェ ー ブル ) 後 に 、 1 票 差 で 第 3 共 和 制 ( 1875 年 ) が 成 立 し た 。
1879 年 に は 政 府 が ヴ ェ ル サ イ ユ か ら 巴 里 へ 移 さ れ 、 7 月14 日 ( バ ス テ ィ ー ユ 襲 撃 ) が 国 の 祭 日 と さ れ 、 ラ ・ マ ル セイ エ ー ズ ( La Marseillaise ) が 国 歌 に 制 定 さ れ る な ど 国 家 象 徴の 安 定 は 図 ら れ た 。 し か し 、 や は り 大 統 領 な ど の 独 裁 ( 及び 関 連 す る 事 件 ) 189と 議 会 独 裁 190と が 繰 り 返 さ れ 、 1870 年 から 後 年 第 3 共 和 制 が 終 わ る 1940 年 の 71 年 間 に は 108 の 内 閣 が誕 生 し 、 内 閣 の 平 均 任 期 が わ ず か 7.9 ヶ 月 で あ っ た こ と か らも わ か る よ う に 、 政 権 は と て も 安 定 し て い た と は い え ない 191。 政 治 状 況 の 変 化 に 対 応 す る 機 会 主 義 と い う よ り は 、単 な る 場 当 た り 主 義 や 日 和 見 主 義 が 蔓 延 し 、 権 力 と 権 限 の安 定 が 保 た れ な か っ た 。 し か も 、 共 和 制 は 、 ド レ フ ュ ス 事件 ( 1894 年 ~ 、 ユ ダ ヤ 人 大 尉 ド レ フ ュ ス を 対 独 情 報 漏 洩 の
188 Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)189 マクマオン大統領(1877 年~)クーデタ失敗、1886 年~1890 年ブーランジェ将軍事件(好戦的愛国主義=ジンゴイズムで知られる)など190 議会独裁の場合、議会の専門委員会が党派をこえて機能し、委員会相互の連絡・調整機能を充分に持たない。191 なお、Cf. スタンレー・ホフマン『革命か改革か』福井憲彦訳(白水社)
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嫌 疑 で 逮 捕 し た 事 件 ) 192の よ う な 冤 罪 事 件 や ブ ー ラ ン ジ ェ将 軍 事 件 ( 1886 ~ 1889 年 、 対 独 強 硬 論 に よ り 人 気 を 得 た ブ ーラ ン ジ ェ 陸 相 に よ る ク ー デ タ 騒 ぎ ) の 勃 発 と そ の 処 理 に 手間 取 り 、 ( 次 第 に 階 級 よ り も 国 民 ・ 祖 国 を 優 先 す る 社 会 党( 社 会 主 義 勢 力 ) の 内 閣 支 持 で か ろ う じ て 保 た れ て い た とい え る 。
◎ 現 在 も 用 い ら れ て い る 仏 国 歌 ( 「 マ ル セ ー ユ人 の 歌 」 ) は 実 に 仏 ら し い 「 軍 歌 」 ) で あ る ( 以 下 、1 番 の み 掲 載 、 邦 訳 は 吉 田 進 193 ) 。
Allons enfants de la patrie, Le jour de gloire est arrivé ! Contre nous de la tyrannie, L'étendard sanglant est levé ! , ( bis ) Entendez vous dans les campagnes, Mugir ces feroces soldats ? Ils viennent jusque dans nos bras Égorger nos fils, nos compagnes ! ( Refrain ) Aux armes, citoyens ! Formez vos bataillons ! Marchons ! Marchons ! Qu'un sang impur Abreuve nos sillons !
い ざ 祖 国 の 子 ら よ 。 栄 光 の 日 は 来 た れ り 、 我 ら に 向 か って 、 圧 政 の 、 血 塗 ら れ し 軍 旗 は 掲 げ ら れ た り ( 繰 り 返 し ) 聞 こ え る か 、 戦 場 で 、 あ の 獰 猛 な 兵 士 ど も が 唸 る の を ? 奴 ら は 我 ら の 腕 ( か い な ) の 中 に ま で 君 ら の 息 子 を 、 妻を 、 殺 し に 来 る ( リ フ レ ィ ン ) 武 器 を 取 れ 、 市 民 諸 君 ! 隊 伍 を 整 え よ 、 進 も う ! 進も う 、 不 浄 な る 血 が 、 我 ら の 田 畑 に 吸 わ れ ん こ と を 。
5.2.3 仏 の 近 代 政 治 史 は 、 い わ ば 共 和 制 ( 人 民 主 権 ) と 愛国 心 と い う 理 念 を 追 求 し な が ら 、 「 独 裁 と 混 乱 」 に 陥 り 続け る 歴 史 で あ る 。 英 と は 違 い 、 主 要 な 政 治 的 ア ク タ で あ る議 会 と 元 首 的 存 在 ( 国 王 ・ 大 統 領 ・ 皇 帝 ) と を 仲 介 す る 機能 的 な 政 府 の 形 成 に 苦 労 し た か ら で あ る 。 そ れ に も 拘 わ らず 、 行 政 は 安 定 し た 点 も 特 色 で あ る 194。 そ の 背 景 に は 、 アン シ ャ ン レ ジ ー ム ( 旧 体 制 ) 以 降 受 け 継 が れ て き た 内 務 行政 ( 地 方 官 、 官 選 知 事 制 度 ) の 伝 統 が あ る 。 統 治 に お い て政 治 と 行 政 を 分 離 す る 発 想 が 強 く 、 こ れ に よ り 、 行 政 の 正統 性 は 「 政 治 的 中 立 性 」 や 公 平 性 に あ る と す る フ ィ ク シ ョン が 生 ま れ る 。 こ れ が 、 官 僚 や 公 務 員 に と っ て 支 え と な る制 度 イ メ ー ジ と な る 195。 そ の 際 、 職 業 的 行 政 官 た る 国 家 官
192 文学者が深く関わったこと、新聞社が賛否両側で議論したこともあるのだろうが、ともあれ、ドレフュス事件は単なるスキャンダル以上の事件だった。参考文献は数多いが、ひとまず、Cf.大佛次郎『ドレフュス事件』(朝日選書)193 吉田進『ラ・マルセイエーズ物語』(中公新書)239頁194 共和主義との関連については、Cf.レジス・ドゥブレ他『思想としての<共和国>』樋口陽一・三浦信孝・水林章訳(みすず書房)195 Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)によれば(94頁)、仏には伝統的に2つの雇用スティタスがある。役人の大部分はオフィシエ(仏語: officier 、 保有官僚) で、通常は売買による公職の所有者であって、その所有権は社団=特権団体組織
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僚 ( technocrat ) が 統 治 を 技 術 問 題 ( 行 政 ) と し て 扱 う 傾 向 が 高 ま り 、 大 学 と は 別 に こ の 技 術 問 題 に 対 応 し た 高 等 教、育 機 関 ( 日 本 で 云 え ば 大 学 校 。 第 二 次 大 戦 後 の 代 表 は 国、立 行 政 学 院 、 Ecole Nationale d'Administration 、 E N A ) が 創 設 さ れ る 。仏 は 日 本 や 独 と 並 ん で 官 僚 国 家 で あ る 。 一 般 に は 、 政 界 及び 官 界 の 「 生 態 系 」 が 統 治 の 在 り 方 を 大 き く 左 右 す る が 、仏 で は 、 革 命 以 降 、 特 権 廃 止 へ の 執 着 か ら 、 被 治 者 の 利 益を 集 約 ・ 表 出 す る 政 治 エ リ ー ト を 安 定 し て 再 生 産 す る 社 会ネ ッ ト ワ ー ク が 機 能 せ ず 、 共 和 派 、 非 共 和 派 、 反 共 和 派 によ る 縁 故 主 義 ( clientism ) が 広 く 普 及 し て 、 そ の 掲 げ る 政 治社 会 の 共 和 制 化 は 1958 年 の 第 5 共 和 制 の 成 立 と そ の 安 定 まで は 成 功 し た と は 云 え な い 。
◎ こ の 知 事 団 に よ る 内 務 行 政 の 改 革 は 1980 年 代 の ミッ テ ラ ン 大 統 領 ( 社 会 党 ) で あ る ( C f . 政 治 制 度論 ) 。 但 し 、 ミ ッ テ ラ ン 大 統 領 も 内 務 行 政 と 深 く 関 連し て い た 点 が 特 色 で あ る 。 な お 、 こ の 大 陸 型 内 務 行 政は 、 戦 前 日 本 の 内 務 省 の モ デ ル ( 官 撰 知 事 ) と な る 。
5.2.4 仏 政 治 の 言 説 の 特 色 は 、 仏 革 命 以 降 、 個 人 と 国 家 との 関 係 を 中 心 に 政 治 社 会 を 構 成 す る 「 癖 」 が あ る こ と で あり 、 個 人 主 義 と 国 家 主 義 の 間 を 揺 れ 動 く 。 換 言 す れ ば 、 アン グ ロ ・ サ ク ソ ン 型 の デ ィ モ ク ラ シ 論 で は 重 視 さ れ る 個 人と 国 家 と の 間 に あ る 中 間 団 体 ( 政 党 、 組 合 、 教 会 ) を 政 治シ ス テ ム に 位 置 づ け る こ と に 苦 心 す る 196、 あ る い は 嫌 悪 する と い っ た 方 が い い 。 面 白 い こ と に こ の よ う な 不 安 定 要、因 が あ る に も か か わ ら ず 、 仏 の 「 政 治 地 図 」 は 、 19 世 紀 以降 非 常 に 安 定 し て い る こ と が 指 摘 さ れ て い る 。 と り わ け 、特 徴 的 な の は 、 ロ ア ー ル 川 を 境 目 と し て 、 先 進 地 域 が 保 守政 党 を 、 後 進 地 域 が 革 新 政 党 を 支 持 す る 傾 向 で あ っ て 、 特に 農 村 地 域 、 中 小 企 業 の 多 い 地 域 が 左 翼 政 党 を 支 持 し 続 ける こ と で あ る 。 保 守 と 革 新 と の 勢 力 均 衡 は こ の 200 年 間 安 定し て い て 、 両 者 の 差 は 1 % 以 内 と い う の は 、 不 思 議 な 現 象で あ り 、 社 会 現 象 と し て は 驚 異 的 で あ る 。
5.3 独 197
によって保護される。これに対し、コミッセール(仏語: commissaire 、 親任官僚) は給料を支払われる被雇用労働者である。売買対象公職は数多く 国家は私的所有権と社団的所有権に満ちあふれ、市民、社会に完全に埋め込まれていたとされる。196 Cf. 田中拓道『貧困と共和国』(人文書院)197 独近代政治史の参考文献も時代やテーマに偏りがあり、 readable なものが多くない。1つには独研究が民主化にのみ焦点を当て、政治の考察が貧困になっているからである。ひとまず、Cf.デーヴィド・ブラックボーン、ジェフ・イリー『現代歴史叙述の神話』望田幸男訳(晃洋書房)、ハンス・ウルリヒ・ヴェーラー『ドイツ帝国 1871-1918 年』大野英二、肥前栄一訳(未来社)、マックス・ウェーバー『政治論集』1・2、中村貞二他訳(みすず書房)、カローラ・シュテルン、ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー編著『ドイツ史の転換点 1848-1990』末川清他訳(晃洋書房)、
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5.3.1 こ の 時 期 の 独 の 政 治 争 点 は 、 何 よ り も 統 一 ・ 統 合 問題 で あ り 、 国 制 を め ぐ る 議 論 が 盛 ん と な る 。 そ の た め か 、国 制 の あ り 方 に 関 す る 研 究 が 進 み 、 国 制 学 ・ 国 法 学 と し ての 独 流 憲 法 学 が 日 本 を 含 め 、 そ の 後 各 国 に 流 通 す る 仏 革。命 後 に 生 じ た ナ ポ レ オ ン に よ る 「 解 放 」 と 「 侵 略 」 、 神 聖ロ ー マ 帝 国 の 崩 壊 ( 1806 年 ) と 改 編 に 続 い て 、 ウ ィ ー ン 会議 ( 1815 年 ) 後 、 欧 州 が 再 編 成 さ れ 、 諸 国 が 大 国 と 小 国 に明 白 に 分 け ら れ る 中 で 普 は 英 ・ 墺 な ど と 並 ん で 大 国、 ( 五大 国 pentarchy ) の 地 位 を 得 る 1820 年 代 後 半 以 降 、 独 諸 国 は次 第 に 関 税 同 盟 と い う 手 法 に よ り 統 合 を 見 せ 始 め る ( こ れが 20 世 紀 の 欧 州 共 同 体 の 参 考 事 例 と な る ) 。 1848 年 の 革 命/ 内 乱 の 際 に 国 家 統 一 が 目 指 さ れ た が 、 フ リ ー ド リ ヒ = ヴィ ル ヘ ル ム 4 世 普 国 王 の 個 人 的 な 問 題 ( 欽 定 憲 法 で は な い点 に 不 満 ) や 普 中 心 の 国 家 運 営 に 墺 が 反 発 し た こ と で 、 両国 の 覇 権 争 い が 明 確 と な り や が て、 普 が 墺 に 勝 利 し ( 普 墺戦 争 尤 も 墺 は 伝 統 的 に 少 し 負 け れ ば す ぐ に 和 平 を 求 め る。 、癖 が あ っ た か ら 普 は 簡 単 に 勝 利 し た と も い え る ) 、 さ らに 、 普 ・ 独 が 対 仏 戦 争 で 勝 利 し て 、 1871 年 に 墺 を 廃 し た「 小 独 主 義 」 で 統 一 を 迎 え る ( 第 二 帝 国 、 後 の ヒ ト ラ ー は第 三 帝 国 を 名 乗 る ) 。
そ れ ま で は 、 独 と い う 単 一 国 家 は 存 在 せ ず 、 英 仏 と は、異 な り 、 national authorityの 確 立 に 苦 心 す る 歴 史 で あ る 198。 そ れ でも 、 文 化 運 動 で も あ り 、 政 治 = 経 済 = 文 化 の 単 位 統 一 を 目指 す 運 動 で も あ る ナ シ ョ ナ リ ズ ム に 鼓 舞 さ れ 、 独 統 一 の 過程 で 鉄 道 を 中 心 と す る イ ン フ ラ の 整 備 が 進 み 、 各 地 域 の 歴史 や 文 化 、 言 語 の 教 育 が 標 準 化 さ れ て い っ た 。 尤 も 、 統 一が 政 治 課 題 と は い え 、 独 「 各 国 」 の 指 導 者 が 統 一 を 望 ん でい た わ け で は な い 。 独 の 統 一 は 、 直 接 に は ナ ポ レ オ ン へ の対 抗 ( ナ シ ョ ナ リ ズ ム ) に 育 ま れ 、 普 主 導 の 下 に ( 後 年 には ビ ス マ ル ク 主 導 で ) 進 め ら れ た が 、 「 ラ イ ン 川 」 、 「 エル ベ 川 」 、 「 ド ナ ウ 川 」 の 3 つ の 河 川 領 域 が 、 そ れ ぞ れ 強い 中 央 政 府 の 樹 立 を 忌 避 し 、 統 一 は 連 邦 国 家 の 形 で の み 承認 さ れ ( 後 に ヒ ト ラ ー で す ら 中 央 集 権 化 = 画 一 化 、 独 語 : Gleichschaltung に 苦 労 し た ) 、 こ の 分 権 的 な 国 制 を 是 と す る 精神 は 現 在 も 連 邦 制 な ど の 形 で 制 度 上 維 持 さ れ て い る 。
5.3.2 統 一 に 際 し 、 ま ず は 、 統 一 す べ き 国 家 の 地 理 的 範 囲が 重 要 な 争 点 と な っ た 。 「 独 語 が 響 く 処 、 独 な れ 」 ( E .M . ア ル ン ト ) と は い え 、 中 世 以 来 の 植 民 政 策 で 独 語 を 話す 集 団 は 東 欧 各 地 に 拡 が っ て お り 、 神 聖 ロ ー マ 帝 国 の よ うに 、 民 族 居 住 の モ ゥ ゼ ィ ク で あ る 東 欧 を う ま く 組 み 込 め る
飯田芳弘『指導者なきドイツ帝国』(東京大学出版会)、望月幸男『ドイツエリート養成の社会史』(ミネルヴァ書房)、ゴロー・マン『近代ドイツ史』1・2、上原和夫訳(みすず書房)、ヴルフガング・イェーガー、クリスティーネ・カイツ編著『ドイツの歴史 ドイツ高校歴史教科書』中尾光延監訳、小倉正宏、永末和子訳(明石書店)198 Cf.ジョセフ・ストレイヤー『近代国家の起源』鷲見誠一訳(岩波新書)
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か ど う か が 問 題 と な る ま た 、 独 人 が 比 較 的 多 く 住 む 地 域。に 限 っ て も 、 ハ プ ス ブ ル ク 帝 国 の 独 部 分 で あ る 墺 ( ド ナ ウ川 流 域 ) を 含 む の か 、 独 人 が 人 口 の 6 割 を 占 め る ス イ ス との 関 係 は ど う な る の か 、 さ ら に 独 語 を 話 す ア ル ザ ス = ロ レー ヌ 地 域 は 仏 か ら 奪 う べ き な の か 、 な ど が 論 点 と な っ た 。と り わ け 、 墺 を 含 む か ど う か が 主 要 争 点 と な る 。 確 か に 、ハ プ ス ブ ル ク 帝 国 は 多 言 語 社 会 で あ る 事 情 か ら そ の 独 部 分( = 墺 ) だ け を 統 一 の 対 象 と す る こ と は 、 統 一 事 業 の 障 碍だ と 見 な さ れ や す い が 、 元 来 神 聖 ロ ー マ 帝 国 自 体 、 一 種 の「 国 際 連 合 」 の よ う な 存 在 で あ り 、 そ の 「 領 土 」 内 に 「 外国 」 を 含 ん で い た こ と か ら 、 統 一 独 に 、 ハ プ ス ブ ル ク の 墺の 部 分 を 含 む 可 能 性 も ゼ ロ で は な か っ た 。
◎ 墺 の 言 語 状 況 は 、 1780 年 / 1910 年 で は 、 人 口 2,400 万人 / 5,100 万 人 ( 植 民 地 を 除 く 人 口 で は 、 独 に 次 ぎ 欧 州第 2 位 、 英 や 仏 は 4,000 万 人 台 ) の う ち 、 独 語 は ( わ ずか ) 24 % / 23 % 、 マ ジ ャ ー ル 語 ( 洪 語 ) 14 % / 20 % 、チ ェ コ 語 11 % / 13 % 、 フ ラ マ ン 語 ( 蘭 語 ) 8 % / ? 、伊 語 7 % / ? 、 ウ ク ラ イ ナ ・ ル テ ニ ア 語 7 % / 8 % 、ル ー マ ニ ア 語 7 % / 6 % セ ル ビ ア 語 ( ク ロ ア チ ア、語 ) 7 % / 9 % 、 ス ロ ヴ ァ キ ア 語 5 % / 4 % 、 波 語4 % / 10 % ( ? は 不 明 ) 199。 正 に 多 民 族 の 帝 国 で あ る 。
5.3.3 独 系 諸 国 の 中 の 二 大 大 国 で あ る 普 と 墺 は 、 統 一 の 主導 権 を 争 い 、 墺 を 含 む べ き だ と す る 「 大 独 主 義 」 と 含 む べき で な い と す る 「 小 独 主 義 」 が 主 要 な 選 択 肢 と な っ て 、 普墺 戦 争 ( 1866 年 ) の 結 果 、 後 者 が 選 択 さ れ 、 さ ら に 普 仏 戦争 の 勝 利 で 普 ( ビ ス マ ル ク ) の 影 響 力 は 決 定 的 に な っ た 。普 墺 戦 争 か ら 普 仏 戦 争 に 至 る 過 程 で は 、 ナ ポ レ オ ン 3 世 が1866 年 に 墺 へ の 支 援 を 拒 否 し 、 ま た 1863 年 波 蜂 起 を 支 持 し て露 か ら 反 発 さ れ て い た こ と が 関 係 し て い る 。 こ の よ う に して 独 は 統 一 を 達 成 す る が そ の 後 も 国 制 上 は 連 邦 国 家 を 維、持 す る 一 方 で 、 独 皇 帝 は 普 国 王 が 、 帝 国 宰 相 は 普 宰 相 が それ ぞ れ 兼 ね る こ と と な る 。 帝 国 レ ベ ル で は 、 安 定 し た 穏 健保 守 の 育 成 に は 成 功 し な い 中 で 、 普 通 選 挙 の 導 入 で 公 教 会( 中 央 党 ) や 労 働 者 ( 社 会 民 主 党 ) が 次 第 に 勢 力 を 拡 大 した こ と ( こ れ が 第 一 次 大 戦 後 、 主 要 な 政 治 勢 力 と な る ) 、ま た 、 貴 族 ( ユ ン カ ) が 経 営 す る エ ル ベ 川 地 域 の 農 業 が 輸入 穀 物 の 影 響 で 不 振 と な る 一 方 で 、 ル ー ル 地 域 を 中 心 と した 工 業 が 19 世 紀 半 ば 以 降 急 速 に 発 達 し た こ と で 、 産 業 間 の 、あ る い は 地 域 間 の 利 益 調 整 が 難 し い こ と な ど が 主 要 な 政 治課 題 と な っ た 。 従 っ て 、 貴 族 と ブ ル ジ ョ 、 労 働 者 と の 間アの 階 級 対 立 が 、 普 の 東 側 と 西 側 と の 、 さ ら に は 普 と 他 地 域と の 地 域 対 立 が 激 し い よ う に 見 え る 側 面 も あ る 。
199 Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)
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5.3.4 普 は 18 世 紀 以 降 急 速 に 発 達 す る 国 で あ り 、 「 軍 隊 を持 つ 国 家 で は な く 、 国 家 を 持 つ 軍 隊 」 と 言 わ れ る ほ ど 軍 国主 義 が 特 色 と な っ て い る が 、 近 代 国 家 建 設 以 降 、 各 国 は 多か れ 少 な か れ 軍 事 体 制 の 整 備 に 励 ん で い た 。 そ れ で も 、 普で は 、 公 職 保 有 の 禁 止 、 法 曹 資 格 の 試 験 導 入 ・ 学 歴 条 件 の設 定 な ど に よ り 、 国 家 組 織 の 近 代 化 が 急 速 に 進 め ら れ た 。た だ 、 官 庁 を 統 合 す る 制 度 化 は 進 ま ず 、 君 主 や 資 質 に 恵 まれ る 政 治 家 に よ り 、 政 治 統 合 が 維 持 さ れ て い た こ と が 特 色で あ っ た 。 す な わ ち 、 君 主 が 政 治 秩 序 の 中 心 で あ る 場 合 、誰 が 直 接 に 拝 謁 す る 権 限 を 有 す る か 否 か ( 政 治 の 儀 礼 化 が進 ん だ 江 戸 時 代 風 に い え ば 、 「 御 目 見 得 以 上 」 「 御 目 見 得以 下 」 以 上 だ が 、 こ う し た 身 分 コ ゥ ド に よ る 区 分 限 ら ず 、個 人 的 な 寵 愛 ・ 失 寵 も 重 要 だ っ た ) が 貴 族 や 行 政 官 、 あ るい は 議 会 人 に と っ て 重 要 な 関 心 事 と な っ た 。 換 言 す れ ば 、こ の 拝 謁 権 限 が 一 般 庶 民 へ と 拡 大 さ れ る こ と が 、 君 主 の 大衆 化 を 示 す 指 標 と な っ た 。
こ の 政 治 秩 序 は す こ ぶ る 君 主 の キ ャ ラ ク タ に 左 右 さ れ、た 。 従 っ て ヴ ィ ル ヘ ル ム 1 世 ( 在 位、 1871 ~ 1888 ) 、 フ リ ード リ ヒ 3 世 ( 在 位 1888 年 の わ ず か 3 ヶ 月 ) 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム2 世 ( 在 位 1888 ~ 1918 ) で は 、 政 治 秩 序 の 構 造 は 相 当 に 異 なっ た 。 特 に 英 国 王 室 出 身 で 普 嫌 い だ っ た 皇 后 ヴ ィ ク ト リ アの 影 響 で 「 リ ベ ラ ル 」 だ っ た フ リ ー ド リ ヒ 3 世 と は 異 な り 、ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 の 時 代 に は 個 人 支 配 の 様 相 が 高 ま り 、 宰相 や 主 要 大 臣 と の 関 係 や 政 策 の 選 択 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ した 200。 当 初 心 酔 し 尊 敬 し て い た は ず の ビ ス マ ル ク を 解 任 した 点 な ど 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム 1 世 と ビ ス マ ル ク と の 関 係 ( 必 ずし も 良 好 で は な か っ た に せ よ ) と は 対 照 的 で あ る 。 ヴ ィ ルヘ ル ム 2 世 は 自 ら が 敬 愛 す る ビ ス マ ル ク と な っ て 、 世 界 に君 臨 し よ う と す る 。
5.3.5 統 一 後 も 、 制 度 上 帝 国 議 会 は 協 賛 機 関 に 過 ぎ ず 、 議会 が 、 さ ら に は 政 党 が 各 集 団 や 団 体 の 利 益 を 表 出 し 、 国 家意 思 に 反 映 さ せ る こ と は 困 難 で あ り 、 帝 国 政 治 の 指 導 者 の手 法 次 第 で は 混 乱 が 生 じ た 。 そ の 混 乱 を 解 消 し た の が ビ スマ ル ク で あ り 、 ビ ス マ ル ク 在 任 期 間 中 は 、 内 政 は 安 定 し た 。そ の 後 ビ ス マ ル ク が ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 に よ り 解 任 さ れ て、以 降 ( 独 に は 内 閣 は 制 度 上 存 在 し な い 、 個 人 が 国 王 = 皇 帝に よ り 宰 相 に 任 命 さ れ る 。 こ れ は 現 在 の 制 度 に も 継 承 さ れる 。 C f . 政 治 制 度 論 ) 、 中 央 政 界 は ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 の個 人 支 配 の 様 相 を 次 第 に 呈 し は じ め 、 皇 帝 個 人 の 特 異 な 性格 ( 左 手 が 不 自 由 と い う 身 体 障 害 ) の 問 題 も あ っ て 、 内 政 、外 交 上 の 安 定 を 欠 く 状 態 に 陥 る 。 こ こ に 中 央 政 府 の 調 整 機能 不 全 が 見 ら れ る よ う に な る が 、 そ れ で も 経 済 や 軍 備 は 、英 に 迫 る 勢 い で 拡 大 し 、 新 興 国 と し て 欧 州 内 外 で の 覇 権 争い の 主 役 と な る そ し て 、 テ ィ ル ピ ッ ツ 海 軍 大 臣 に よ る 海。
200 日本語で読めるものは多くない。Cf.飯田芳弘『指導者なきドイツ帝国』(東京大学出版会)。少々「変わった」ところでは、Cf.星乃治彦『男たちの帝国』(岩波書店)
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軍 増 強 に よ っ て 、 艦 隊 協 会 、 国 防 協 会 な ど の 圧 力 団 体 が 生ま れ ( テ ィ ル ピ ッ ツ を 党 首 と す る 祖 国 党 は 100万 人 以 上 を 組織 化 し 、 社 会 民 主 党 の 党 員 数 を 上 回 っ た ほ ど で あ る ) 、 社会 の 軍 事 化 を 象 徴 す る 組 織 化 が 進 め ら れ た 。 1913 年 海 軍 予 算は 1897 年 の 2 倍 に な り 、 労 働 人 口 の 6 分 の 1 が 海 軍 と の 契約 に 依 存 し た 201と い う か ら 、 社 会 の 軍 事 化 あ る い は 軍 事 の産 業 化 の す ご さ は 想 像 で き る 。 尤 も 、 独 の 海 軍 増 強 が 英 への 牽 制 に な る と い う テ ィ ル ピ ッ ツ の 思 惑 は は ず れ 、 英 独 の対 立 を む し ろ 激 化 さ せ る こ と に な る 。
5.4 平 和 の 100 年 ( 1815 ~ 1914 ) の 国 際 関 係 ( 1890 年 あ た り まで 、 1890 年 以 降 は 6.1 へ 。 地 図 参 照 )
5.4.1 欧 州 で は 国 家 は 長 ら く 構 成 員 や 共 同 体 の 福 祉 や 繁、栄 を 促 進 す る 倫 理 的 団 体 と し て 位 置 づ け ら れ て い た 。 そ の倫 理 根 拠 は 基 督 教 に あ り 、 政 治 思 想 上 19 世 紀 前 半 ま で は 、国 家 論 と は 基 督 教 の 解 釈 論 だ と い っ て い い 。 近 代 に 至 っ ても 、 君 主 の 所 有 権 ( 家 政 ) が 国 家 の 帰 趨 ( 国 政 ) に 影 響 を及 ぼ し て い た 点 が 特 色 で あ る 。 継 承 戦 争 に よ る 領 土 変 更 は 、国 土 が 君 主 の 所 有 権 ( 相 続 権 ) に 従 う と い う 財 産 法 の 論 理に 従 う か ら で あ る 。 国 家 ( country な ど で は な く 、 state = 状 態 ) と い う 概 念 の 成 立 ( 政 治 算 術 ) 、 あ る い は 、 仏 の リ シュ リ ュ ー 以 降 の 国 益 ( national interest ) の 提 唱 は 、 国 家 か ら 道徳 的 要 素 ( ア リ ス ト テ レ ス ) や 宗 教 的 要 素 を 排 除 し 、 君 主の 所 有 権 に 左 右 さ れ な い 国 家 、 非 人 格 的 な 器 ・ 装 置 と し ての 国 家 を 作 り 出 し た 。
5.4.2 欧 州 の 国 家 秩 序 の 基 本 に は 、 国 家 の 格 付 け が あ る 。18 世 紀 ま で 欧 州 の 世 俗 秩 序 の 頂 点 は 、 神 聖 ロ ー マ 皇 帝 ( 帝国 ) が 占 め る と い う 原 則 が あ り 、 国 王 ( King ) ・ 王 国 以 下 、公 国 な ど は 皇 帝 の 下 に 位 置 づ け ら れ た 。 し か し 、 実 際 に は 、神 聖 ロ ー マ 帝 国 自 体 は 「 国 際 連 合 」 の 体 を な し て お り 、 各国 の 国 王 は 皇 帝 と 対 等 な 関 係 を 築 い て い た 。 神 聖 ロ ー マ 帝国 崩 壊 ( 1806 年 ) 、 ウ ィ ー ン 会 議 以 降 、 国 家 の 格 付 け ( 英仏 普 墺 露 の 5 大 国 ( pentarchy ) ) が 見 直 さ れ 、 次 第 に い くつ か の 大 国 は 自 ら 帝 国 ( Empire ) と 名 乗 る こ と に な る 。 一方 で 、 帝 国 ( 皇 帝 、 Emperor ) は 大 国 の み に 許 さ れ た 名 称( 称 号 ) で あ る こ と か ら 、 そ の 内 部 に は 通 例 、 複 数 の 「 民族 」 が 存 在 し て お り 、 多 民 族 国 家 と し て の 特 色 も 有 し て いた 。 さ ら に 、 こ の 時 期 、 欧 州 は 欧 州 外 に 数 多 く の 植 民 地 を築 く こ と か ら 、 帝 国 は 世 界 レ ベ ル で の 大 国 と い う 意 味 を も持 つ こ と に な る 。 な お 、 こ の 意 味 で の 帝 国 の 建 設 と 、 い わゆ る 帝 国 主 義 202と は ニ ュ ア ン ス を 異 に す る 。
201 Cf. ウィリアム・H・マクニール『戦争の世界史』高橋均訳(刀水書房)386頁202 帝国主義はその分析が評価と結びつき、多義的に用いられるが、植民地拡大、資本輸出、保護貿易、
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5.4.3 仏 革 命 以 降 、 国 民 国 家 論 は 、 独 や 伊 な ど の 地 域 で の統 一 運 動 を 支 え た 。 独 民 族 、 伊 民 族 が 「 発 明 」 あ る い は「 発 見 」 さ れ る 。 独 の 統 一 過 程 は 上 述 し た 通 り で あ る 。 伊の 統 一 は 運 動 で あ っ て 、 そ の 時 期 を 確 定 し が た い が 、 広 義に は 1815 年 の ウ ィ ー ン 会 議 か ら 1866 年 の 墺 の 対 普 敗 北 あ る いは 1871 年 の 仏 の 対 普 ・ 独 敗 北 ま で と な る 。 狭 義 に は 、 サ ルデ ー ニ ャ 王 国 ( エ マ ヌ エ ー レ 2 世 ) 主 導 で 1859 年 に 始 ま り 、伊 国 民 協 会 ( 統 一 の 「 三 傑 」 : カ ヴ ー ル 、 マ ッ ツ ィ ー ニ 、ガ リ バ ル デ ィ ) な ど に よ っ て 進 め ら れ 、 ナ ポ レ オ ン 3 世 の支 援 ( 密 約 ) を 受 け て 墺 を 駆 逐 し 1861 年 に は ロ ー マ 教 皇 領な ど を 除 き 統 一 し た ( 伊 王 国 ) こ と を 指 す が 、 他 力 の 統 一だ っ た 。 こ れ 以 降 も 伊 の 政 策 は 周 辺 大 国 に 左 右 さ れ 、 友 敵の 選 択 も 臨 機 応 変 で あ る 。 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 動 き に よ り 、帝 国 に あ る 数 多 く の 民 族 は 、 自 治 権 拡 大 ・ 独 立 を 要 求 し 、帝 国 は ナ シ ョ ナ リ ズ ム 運 動 へ の 対 応 に 苦 心 す る 。 こ の 国 民国 家 論 は 、 第 1 次 大 戦 後 に は 、 民 族 自 決 ( 民 族 に は 人 格 がな い の に 自 決 す る と い う 不 思 議 な 概 念 ) 、 「 一 民 族 一 国家 」 と い う 議 論 に 結 び 付 く が 、 ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 の 14 ヶ 条 で も 提 唱 さ れ た こ の 民 族 自 決 が か え っ て 中 欧 ・ 東 欧 で 多く の 紛 争 を 巻 き 起 こ す こ と に な る 中 欧 ・ 東 欧 で は 、 多 く。の 民 族 が 存 在 し た だ け で な く 、 モ ゥ ゼ ィ イ ク ( モ ザ イ ク )状 に 分 布 し て い た か ら で あ る 。
5.4.4 世 界 の 歴 史 を み る と 、 大 国 が 成 立 し 、 比 較 的 長期 間 政 治 的 に 安 定 す る 地 域 と 、 中 小 国 が 併 存 す る の を 常 態と す る 地 域 と が あ る 。 欧 州 で 統 一 国 家 が 生 ま れ な い 理 由 はは っ き り し な い 。 ロ ー マ 帝 国 で さ え も 、 欧 州 に 限 れ ば そ、の 過 半 で あ る ラ イ ン 川 以 西 以 南 、 ド ナ ウ 川 以 南 の 地 域 を、統 合 し て い た に 過 ぎ な い 。 ま た 、 特 定 の 国 が 他 の 地 域 を 圧倒 し て 支 配 す る こ と も な い 。 ナ ポ レ オ ン に せ よ 、 ヒ ト ラ ーに せ よ 、 帝 国 の 創 設 は 短 期 間 で あ る 。 ゆ え に こ の 地 域 の 政治 的 安 定 確 保 の 手 段 と し て は 、 複 数 諸 国 に よ る 勢 力 均 衡 に基 づ く 協 調 路 線 か 、 緩 や か な 連 合 の み と な る 。
5.4.5 欧 州 内 部 の 国 際 関 係 203は 、 1815 年 の ウ ィ ー ン 会 議 に 始ま る 。 仏 革 命 、 ナ ポ レ オ ン 戦 争 と い っ た 動 乱 は 、 正 統 主 義( 英 の カ ー ス ル レ イ と 墺 の メ ッ テ ル ニ ヒ ) の 原 則 ( 同 盟 条約 ) に よ り 静 ま り 、 多 数 の 国 家 が 数 十 の 国 家 に 整 理 さ れ て領 土 が 確 定 し 、 以 降 、 第 1 次 世 界 大 戦 が 始 ま る 1914 年 ま で 、英 の 覇 権 と 五 大 国 ( 英 仏 独 墺、 、 、 、 露 ) 間 の 均 衡 維 持 に よ り 、
経済の独占化・寡占化などの特色を持つ。参考文献の数は多い。ハンナ・アレント『全体主義の起原 2 帝国主義』大島通義、大島かおり訳(みすず書房)、ウラジーミル・イリイチ・レーニン『帝国主義論』大崎平八郎訳(角川文庫)(他翻訳多数)、エリック・ホブスボウム『帝国の時代 1875-1914』1・2、野口建彦,野口照子共訳(みすず書房)、ダニエル・R・ヘッドリク『帝国の手先』原田勝正他訳(日本経済評論社)、ジョージ・リヒトハイム『帝国主義』香西純一訳(みすず書房)…203 欧州の古典的な勢力均衡については、Cf. 高坂正尭『古典外交の成熟と崩壊』(中央公論社)
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「 平 和 の 100 年 」 を 迎 え る 。 も ち ろ ん 、 平 和 な 100 年 と は 比 喩で あ り 、 主 要 国 間 に 限 っ て も 、 英 仏 と 露 ( ク リ ミ ア 戦 争 ) 、露 と ト ル コ ( 露 土 戦 争 ) 、 普 と 墺 ( 普 墺 戦 争 ) 、 普 ( 独 )と 仏 ( 普 仏 戦 争 ) な ど の 間 で 戦 争 は あ っ た 。 そ れ で も 、 それ ま で の 100 年 間 に 較 べ れ ば 、 欧 州 国 家 間 で は 平 和 で あ っ たし 、 何 よ り も 戦 闘 は そ の 期 間 が 比 較 的 短 く そ の 被 害 も 小、 、さ か っ た か 、 欧 州 の 周 辺 地 域 で 行 わ れ た か ら で あ る 。
5.4.6 19 世 紀 欧 州 は 身 分 = 階 級 社 会 と し て の 特 色 が 濃 厚 であ る た め 、 欧 州 国 家 間 で い え ば 、 統 治 層 間 の 社 会 ネ ッ ト ワー ク ( 婚 姻 関 係 kinship ) が 欧 州 を 支 え て い た 。 外 交 と は 国 際間 の 社 交 ( Society ) 関 係 で あ り 、 国 王 に 統 治 権 の 実 権 が あっ た 時 代 、 外 交 関 係 と は 、 血 縁 と 教 養 で 結 び つ く 国 王 ・ 貴族 関 係 で あ り 、 国 王 ・ 貴 族 が 次 第 に 統 治 権 を 失 う に し て も 、国 家 間 の 協 議 は 国 王 、 貴 族 の 個 人 的 な 人 間 関 係 に よ っ て 処理 さ れ る 部 分 が 大 き く 、 外 交 団 ( diplomatic corps [k¤:r] ) は 少 なく と も 20 世 紀 当 初 ま で は 貴 族 が 独 占 204し て い た 。 例 え ば 露、土 戦 争 の 解 決 を 図 る た め に ビ ス マ ル ク が 開 催 し た 1878 年 伯林 会 議 で は 、 セ ル ビ ア 、 ル ー マ ニ ア 、 モ ン テ ネ グ ロ が 独 立す る が 、 ビ ス マ ル ク 205は 、 独 諸 邦 の 王 子 を 王 位 に つ け て 対応 し よ う と す る 。 も ち ろ ん 、 保 険 の 一 種 で あ る が 、 王 侯 貴族 の 人 的 ネ ッ ト ワ ー ク へ の 信 頼 が そ の 背 景 に あ る こ の よ。う に 、 現 在 に 至 る ま で 、 国 際 関 係 に は 単 純 な 制 度 化 に 馴 染ま な い 部 分 が 残 る 点 が 、 欧 州 内 部 の 国 際 関 係 の 特 色 で あ る 。換 言 す れ ば 、 秀 で た 能 力 や 資 質 、 あ る い は 野 心 を 抱 く 君 主や 政 治 家 が 登 場 す れ ば 、 国 際 関 係 は 容 易 に 変 化 し た 。
5.4.7 こ の 平 和 は 、 欧 州 の 協 調 ( concert of Europe ) の 産 物 であ る 。 外 交 儀 礼 ( protocol ) が 整 備 さ れ る 中 で 、 大 国 間 の 勢力 均 衡 ( b alance of p ower ) が 保 た れ て い た こ と な ど が 挙 げ ら れる 。 欧 州 は 、 英 仏 普 、 墺 、 露 の 5 大 国 の 間 に 勢 力 均 衡 が、 、保 た れ て お り 、 大 国 間 の 紛 争 は 欧 州 外 部 へ と 移 さ れ 、 主 要国 に よ る ア ジ ア や ア フ リ カ の 植 民 地 化 が 終 了 す る ま で は 、新 興 国 に も パ ィ が 残 さ れ 、 positive - sum game が 維 持 さ れ て い た 。急 速 な 工 業 化 を 進 め 世 界 の 工 場 と 呼 ば れ た、 英 が そ の 勢 力、均 衡 の バ ラ ン サ を 務 め て い た 英 は 、。 名 誉 あ る 孤 立 政 策 ( splendid isolation ) を 採 り 、 大 陸 で 覇 権 を 求 め る 国 家 や 政 治 家 が登 場 す れ ば 、 そ れ に 対 抗 す る 陣 営 に 加 わ る こ と で 平 和 を 維
204 外交技術の変化などについて、ハロルド・ニコルソン『外交』斎藤真、深谷満雄訳(東京大学出版会)。また、時期はかなり下るが Cf、 . ヘンリー・キッシンジャー『外交』上下、岡崎久彦監訳(日本経済新聞社)205 ビスマルクについては、参考文献が多い。日本語で読める伝記研究としては、エーリッヒ・アイク『ビスマルク伝』第1巻・第2巻救仁郷繁訳、第3巻・第7巻新妻篤訳、第4巻渋谷寿一訳、第5巻吉田徹也訳、第6巻加納邦光訳、第8巻小崎順(ぺりかん社)、ロタール・ガル『ビスマルクー白色革命家』大内宏一訳(創文社)、エルンスト・エンゲルベルク『ビスマルク』野村美紀子訳(海鳴社)が代表だろう(これ以外にも一般人向けに日本人が書いた本も 10冊弱はある)。ビスマルクの外交政策などに関する研究書も数多い。一例として、飯田洋介『ビスマルクと大英帝国』(勁草書房)
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持 し た 。 Pax Britan n ica ( 羅 語 : パ ク ス ブ リ タ ニ カ 。 直 訳 す る・と 英 に よ る 平 和 。 こ の 伝 で い え ば 、 20 世 紀 は 英 ソ の 国 際 政治 上 の 影 響 は 大 き く と も 、 Pax Americana パ ク ス ・ ア メ リ カ ー ナに な る だ ろ う か ) で あ る 。 英 は 海 洋 帝 国 で あ り 、 英 の 外 交基 本 政 策 は 、 英 米 の 提 携 ( い わ ゆ る 同 盟 、 the Alliance ) 、 英 連 邦 の 団 結 、 大 陸 と の 連 携 の 三 本 柱 に 基 づ き 、 欧 州 内 部 の 、あ る い は 世 界 レ ベ ル で の 勢 力 均 衡 を 保 つ こ と だ が 、 危 機 に陥 っ た 場 合 、 そ の 優 先 順 位 で 悩 む こ と に な る 。
5.4.8 英 の 覇 権 が 弱 ま る と 「 表 面 上 」 欧 州 の 平 和 は ビ スマ ル ク に よ っ て 維 持 さ れ る 。 普 仏 戦 争 後 、 ビ ス マ ル ク は 、独 と 墺 、 露 、 伊 な ど と 安 全 保 障 に 関 す る 同 盟 条 約 を 結 ぶ こと に よ り 仏 の 封 じ 込 め に 成 功 し 、 中 欧 と 東 欧 地 域 で は 、 独 、墺 、 露 の 三 帝 国 に よ る 安 定 が 維 持 さ れ る 。 独 墺 同 盟 ( 1879年 ) よ り も 独 ・ 露 間 の 条 約 の 方 が 平 和 に は 重 要 だ っ た こ とは 、 後 年 ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 が 対 露 政 策 に 失 敗 し た こ と に も現 れ る 尤 も ビ ス マ ル ク の 手 腕 ・ 功 績 が 目 立 つ と は い え 、。英 に と っ て の 脅 威 は 露 と 仏 で あ り 続 け た し 、 逆 も 真 な り だっ た 。 だ か ら こ そ 、 ビ ス マ ル ク 失 脚 後 の 仏 露 同 盟 ( 1891 年か ら 交 渉 、 1894 年 締 結 ) は 、 仏 を 対 仏 封 じ 込 め か ら 解 放 し( 仏 外 相 デ ル カ ッ セ の 戦 術 ) 英 に も 独 に も 厄 介 な 存 在 と、な り つ づ け た 。 仏 露 同 盟 は 、 単 な る 軍 事 同 盟 で は な く 、 仏の 金 融 資 金 が 露 で の 公 債 購 入 へ と 結 び つ い て い た か ら で ある 。 と な る と 、 英 独 同 盟 の 可 能 性 を 考 え た く な る が 、 両 国は 大 戦 前 ま で 相 互 に 最 も 重 要 な 貿 易 相 手 国 で あ っ た に も 拘わ ら ず 両 政 府 の 思 惑 が 一 致 せ ず に 同 盟 締 結 は 失 敗 す る 。、
露 は 皇 帝 の 個 性 ( 親 仏 路 線 と 親 独 ・ 親 墺 路 線 ) に 左 右さ れ な が ら も 、 大 陸 国 家 と し て 領 土 拡 大 政 策 を 維 持 し 、「 不 凍 港 」 を 求 め て 、 極 東 や 南 ア ジ ア へ の 進 出 を 継 続 す る 。露 は 黒 海 で は オ ス マ ン と 、 南 ア ジ ア で は 英 と 、 極 東 で は、清 及 び 日 本 と 緊 張 関 係 に あ っ た ( シ ベ リ ア 横 断 鉄 道 の 建 設は 1891 年 に 決 定 ) 。 ま た 、 仏 は 共 和 制 を め ぐ る 混 乱 に あ って 、 対 独 復 讐 を 国 民 統 合 の 象 徴 と し て 用 い 、 産 業 の 振 興 や軍 事 の 復 興 と 、 東 欧 ・ 露 へ の 投 資 に よ る 国 力 増 大 に い そ しむ こ と に な る 。 な お 、 墺 は 産 業 化 、 軍 事 拡 大 に 遅 れ 、 普 墺戦 争 敗 北 以 降 、 対 独 、 対 露 、 対 伊 関 係 を 中 心 と し て 、 多 民族 国 家 の 維 持 で 手 一 杯 の 状 態 が 続 く 。
5.4.9 平 和 の 100 年 と は い え ま た 、 欧 州 が 世 界 の 中 心 的、存 在 で あ っ た と は い え 、 経 済 に も 変 化 が 見 ら れ 、 欧 州 世 界や 各 国 の 社 会 構 造 を 変 え る こ と に な る 墺 の 証 券 危 機 を 発。端 と す る 大 不 況 ( 1873 年 ) と そ の 後 の 数 度 の 不 景 気 は 経 済、学 の 教 科 書 に 採 用 さ れ る 景 気 変 動 の 好 例 と も な っ た が 、 結局 は 19 世 紀 半 ば に 確 立 し て い た 自 由 貿 易 主 義 の 衰 退 を も たら し 各 国 は 積 極 的 で あ れ 、 消 極 的 で あ れ、 、 保 護 貿 易 政 策 を採 用 す る こ と に な る 例 え ば 独 で は。 、 1879 年 に 鉄 と ラ イ 麦 の関 税 率 が 引 き 上 げ ら れ る 仏 で は 、。 1881 年 に 工 業 製 品 に 関 す
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る 関 税 法 が 作 ら れ こ れ と 別 途 に 農 業 製 品 の 関 税 引 き 上 げ、を 図 っ て 1892 年 に は メ リ ー ヌ 関 税 が 仏 農 業 協 会 の 支 援 も あっ て 導 入 さ れ る 。 M . ポ ラ ニ ー 風 に 云 え ば 、 市 場 メ カ ニ ズム を 基 軸 と す る 19 世 紀 型 文 明 、 つ ま り 、 自 由 主 義 的 国 家 観 、 勢 力 均 衡 、 国 際 金 本 位 制 が 、 1870 年 代 か ら 変 質 し 始 め ( 「 大 転 換 」 ) 、 そ の 影 響 は 第 一 次 世 界 大 戦 を 超 え て 、 1930年 代 に 及 ぶ こ と に な る 206。
6 ' the Great War ' ( 第 1 次 大 戦 、 第 1 次 世 界 大 戦 )
6.1 大 戦 前 夜 ~ 欧 州 内 の 戦 略 と 世 界 に お け る 戦 略 ~
6.1.1 英 、 仏 、 独 、 墺 、 露 の 五 大 国 ( 19 世 紀 後 半 で は 、 伊を 加 え た 六 大 国 と い う 歴 史 家 も い る か も し れ な い が 、 や はり 伊 は 国 力 の 点 で 相 当 見 劣 り す る ) は 、 欧 州 内 部 の 平 和 を維 持 し な が ら 、 国 益 追 求 を 図 り 、 国 益 拡 大 で 得 ら れ た 利 益を 国 内 で の 再 配 分 に 充 て る と い う 「 社 会 帝 国 主 義 」 的 手 法を 導 入 す る 。 経 済 と 政 治 が 、 内 政 と 外 交 が 、 こ れ ま で 以 上に 明 確 に 密 接 に 連 動 し 始 め て い た 。 大 国 の 協 調 路 線 に よ って 維 持 さ れ た 欧 州 内 の 平 和 は 、 19 世 紀 末 に は 変 化 を 示 し 始め た 。 そ の 原 因 や き っ か け は 多 数 あ り 、 複 雑 だ が 候 補 は、い く つ か 挙 げ ら れ る 。
6.1.1.1 第 1 は 、 仏 封 じ 込 め に よ る 欧 州 内 協 調 を 維 持 し てい た ビ ス マ ル ク の 失 脚 ( 1890 年 3 月 18 日 ) で あ り 、 欧 州 は 、い わ ば オ ー ケ ス ト ラ ( 欧 州 協 調 、 concert of Europe ) の 指 揮 者 を失 い 、 独 封 じ 込 め を 基 調 と す る 関 係 構 築 へ と 変 わ り 始 め る 。そ の 端 緒 は 独 ・ 露 の 再 保 障 条 約 の 非 更 新 ( 1890 年 3 月 23日 ) で あ る 。 こ の 再 保 障 条 約 は 、 独 仏 戦 争 の 勃 発 に 際 し て露 が 中 立 を 守 り 、 代 わ り に バ ル カ ン で の 露 の 権 益 を 独 が 認め る も の だ っ た か ら で あ る 。
6.1.1.2 第 2 は 、 ア ジ ア 、 ア フ リ カ に お い て 、 獲 得 す べ き「 無 主 物 」 地 域 が な く な り 、 大 国 間 の 植 民 地 獲 得 競 争 は 、先 発 国 ( 英 や 仏 ) 間 や 、 先 発 国 と 「 陽 の 当 た る 場 所 」 ( ビュ ー ロ ー 独 外 務 長 官 207) を 求 め た 後 発 国 ( 独 伊 ) と の 間 の植 民 地 再 配 分 競 争 に つ な が っ た こ と で あ る 。 そ の 象 徴 が ア
206 Cf.カール・ポラニー『大転換』吉沢英成等訳(東洋経済新報社)207 ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』上、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)14頁
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フ リ カ の 植 民 地 化 政 策 に お け る 英 と 仏 の 衝 突 で あ る 。 英 はア フ リ カ 大 陸 の 植 民 地 を エ ジ プ ト か ら 南 ア フ リ カ ま で 南 北に に つ な ご う と し 、 仏 は 北 ア フ リ カ を 東 西 に 植 民 地 を 拡 げよ う と し た 。 英 の 縦 断 政 策 と 仏 の 横 断 政 策 と が 、 ナ イ ル 川上 流 で 衝 突 し た フ ァ ッ シ ョ ダ 事 件 ( 1898 年 ) で あ る 。 ま た 、英 の 3 C 政 策 ( エ ジ プ ト の カ イ ロ : Cairo, 南 ア フ リ カ 共 和国 の ケ ィ プ タ ゥ ン ( ケ ー プ タ ウ ン ) : Capetown, 印 の カ ル カッ タ : Calcutta ) と 独 の 3 B 政 策 ( 伯 林 : Berlin, オ ス マ ン 帝国 の ビ ュ ザ ン テ ィ オ ン ( 希 語 ) ・ ビ ザ ン チ ウ ム ( 羅 語 )( 歴 史 上 は コ ン ス タ ン テ ィ ノ ー プ ル 、 現 在 の イ ス タ ン ブル ) : Byzantium, 現 イ ラ ク の バ グ ダ ッ ド : Bagdad ) の 衝 突 であ る 。 さ ら に 、 英 は イ ラ ン か ら ア フ ガ ニ ス タ ン 、 そ し て それ 以 上 に 極 東 で 露 の 南 下 政 策 と 衝 突 し た 。 い わ ば 、 帝 国 主義 間 に は 「 ジ ー ロ ゥ ( ゼ ロ ) ・ サ ム ・ ゲ ィ ム 」 208が 発 生 し 、力 頼 み の 再 分 配 の 時 代 と な る 。
6.1.1.3 第 3 は 、 欧 州 の 協 調 路 線 を 長 ら く 下 支 え し て い た英 の 覇 権 ( 英 に よ る 平 和 : Pax Britannica ) が 1870 年 頃 か ら 相 対的 に 弱 ま り 、 鉄 鋼 や 化 学 な ど の 工 業 部 門 で は 独 や 米 が 凌 ぐよ う に な っ た こ と で あ る 。 現 在 の 南 ア フ リ カ 地 域 を め ぐ るボ ー ア ( ブ ー ル ) 戦 争 に 「 勝 利 」 し て も 、 そ の 残 忍 さ に 対す る 道 義 的 問 題 は と も か く 、 英 の 軍 事 力 の 相 対 的 低 下 か ら帝 国 維 持 の 限 界 が あ ら わ れ て い た 。 こ れ が 白 人 植 民 地 と の連 携 を 図 る 英 連 邦 の 改 組 案 に つ な が っ て い き 、 極 東 で の 対露 政 策 と の 関 連 で 日 英 同 盟 締 結 ( 1902 年 ) の 要 因 と な っ た 。
6.1.2 仏 は 、 普 仏 戦 争 で の 敗 北 来 の 宿 願 で あ る 対 独 復 讐 を果 た す べ く 、 独 包 囲 網 を 構 想 す る 。 革 命 後 し ば ら く 停 滞 して い た 工 業 も 復 活 し 始 め 、 海 軍 力 は 英 に さ え と っ て も 脅 威と な る 。 仏 は 、 独 ・ 露 関 係 の 冷 却 化 を 利 用 し 、 露 と 同 盟 を結 び ( 1894 年 ) 、 以 降 、 「 国 際 連 帯 」 を 主 張 す る は ず の 社会 党 も 共 和 国 = 祖 国 の 防 衛 戦 争 を 肯 定 す る 。 共 和 制 と い う政 体 の 擁 護 と 国 家 の 防 衛 と が 強 く 結 び つ く 点 が 特 色 で あ る 。独 は 、 対 仏 、 対 露 戦 争 に 備 え 、 戦 時 体 制 を 整 え 始 め る 。 東西 ( 仏 ・ 露 ) の 二 正 面 作 戦 ( → 地 図 ) を 回 避 す る た め に 、露 の 態 勢 が 整 う 前 に 仏 を た た く と い う 「 シ ュ リ ー フ ェ ン ・プ ラ ン 」 ( 1905 年 ) が 出 さ れ る 。 参 謀 総 長 シ ュ リ ー フ ェ ンは 「 仏 の 中 心 は ブ リ ュ ッ セ ル と 巴 里 の 間 に あ る 」 と い う、ク ラ ウ ゼ ヴ ィ ッ ツ の 教 え に 従 い 、 戦 争 の 期 間 を 6 週 間 と し 、独 軍 の 8 分 の 7 を 仏 打 倒 に 向 け 、 残 る 8 分 の 1 を 対 露 に 充て る 構 想 を 立 て る 。 露 は 面 積 が 大 き く 、 人 口 も 多 く 、 物 資輸 送 に 必 要 な 鉄 道 が 少 な い た め 、 攻 撃 に 6 週 間 か か る と した 209。 独 人 ら し い と い う か 、 そ の 実 施 計 画 は 徹 底 し て お り 、
208 ジーロゥ(ゼロ)・サム・ゲィム( zero – sum – game )とは、「あいつらが得をしているからこちらが損をしている」であり、その反対は、 ノン・ジーロゥ(ゼロ)・サム・ゲィム( non - zero - sum game )又は positive – sum - game (共存共栄)である。最近では、ウィン・ウィン( win - win )の関係とでもいうのだろう。209 Cf. バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』上、山室まりや訳(ちくま学芸文庫)
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一 旦 戦 争 が 始 ま れ ば 変 更 で き な い ほ ど 緻 密 だ っ た 。 な お 、こ の プ ラ ン に は 、 様 々 な ヴ ァ ー ジ ョ ン が あ る 。
6.1.3 こ の 時 期 の 独 は 後 年 の 印 象 と は 違 い 、 そ れ ほ ど 好 戦的 だ と は 言 え な い が 、 植 民 地 政 策 な ど で の 意 見 の 衝 突 か らビ ス マ ル ク を 解 任 し 、 「 親 政 」 を 目 指 し た ヴ ィ ル ヘ ル ム 2世 皇 帝 の 個 人 的 意 向 に 政 策 が 右 往 左 往 す る 傾 向 が み ら れ た 。確 か に ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 は い つ も 自 信 満 々 だ っ た わ け で はな い が 、 国 内 各 地 を 軍 服 姿 で 颯 爽 と 行 幸 し 、 そ の 奔 放 な 振る 舞 い を 政 治 家 や 官 僚 は 抑 え き れ ず 、 そ う し た 軍 人 皇 帝 を歓 迎 す る 雰 囲 気 が 次 第 に 高 ま っ て い く ( 後 年 の 有 名 な 例 で言 え ば 、 自 ら の 親 英 的 態 度 を ア ピ ー ル し よ う と し て 国 内 の反 発 を 買 っ た デ ィ リ ー ・ テ レ グ ラ フ 事 件 で は 、 自 己 の 失 態に 退 位 を 考 え た り も す る が 、 翌 1909 年 に は 世 間 の 追 い 風 を受 け て 、 長 ら く 支 え と な っ て い た フ ォ ン ・ ビ ュ ー ロ ー 首 相を あ っ さ り と 罷 免 し て 、 自 ら 最 上 の 外 交 官 と し て 振 る 舞 い続 け る 。 な に し ろ 主 要 国 の 王 侯 貴 族 に は 親 族 が 多 い ) 。 皇帝 は 国 内 で は 労 働 者 保 護 政 策 の 拡 充 や 農 業 保 護 関 税 の 引 き下 げ な ど の 国 内 宥 和 政 策 を と り な が ら 、 海 軍 力 の 整 備 を 推進 す る 。 国 力 は 1870 年 ~ 1914 年 の 間 に 、 仏 と 較 べ 、 工 業 生 産で は 4 倍 、 陸 軍 規 模 で は 2 倍 の 成 長 を 遂 げ て い た 。 独 海 軍に と っ て 国 内 の 「 敵 」 は 陸 軍 で あ っ た 。 独 海 軍 は こ れ 以 降も 主 力 艦 を 中 心 に 整 備 計 画 を 立 て る 。 テ ィ ル ピ ッ ツ 海 軍 大臣 は 皇 帝 の 指 示 を 受 け 、 英 独 の 比 率 を 3 対 2 に 設 定 し た( 防 禦 側 の 戦 力 は 攻 撃 側 の √2 / 2 あ れ ば い い と い う 目 安も こ の 時 代 に は あ っ た だ ろ う ) 。
英 は 自 国 の 海 軍 力 の 規 模 を 第 2 第 3 の 海 軍 国 の 合 計、 、を 上 回 る べ し と い う 「 two power standard 」 を 維 持 し て い た か ら 、独 の 海 軍 整 備 が 実 現 す れ ば 驚 異 だ っ た が 、 ド レ ッ ド ノ ー ト型 戦 艦 建 造 ( 1906 年 ) で 他 国 の 海 軍 力 に 対 す る 脅 威 は 事 実上 去 っ た と も 云 え た 英 は 、。 潜 在 的 な 最 大 の ラ ィ バ ル 露 との 関 係 で は 、 ク リ ミ ア 戦 争 ( 1854 ~ 1856 ) の 苦 々 し い 記 憶 もあ り 、 露 の 南 下 政 策 へ の 対 応 に 腐 心 す る 210。 露 と は 、 中 近東 、 南 ア ジ ア な ど で 紛 争 ・ 衝 突 が 続 く が 、 極 東 で は 日 英 同盟 ( 1902 年 ) で 露 の 進 出 を 牽 制 す る こ と に 成 功 し て い た 。
墺 は 、 停 滞 す る 経 済 よ り も 民 族 間 の 不 和 に 振 り 回 さ れて き た 。 多 く の 言 語 ・ 宗 教 を 踏 ま え た 統 合 の あ り 方 が 主 たる 課 題 で あ り 、 と り わ け 洪 の 自 治 権 問 題 が 障 碍 と な っ て いた 211。 対 普 戦 争 敗 北 で 墺 = 洪 二 重 帝 国 と な り 、 ハ プ ス ブ ルク 家 の 当 主 は 墺 皇 帝 と 洪 国 王 を 務 め る 形 で 、 洪 に 「 独 立 」
210 印露国境の「グレィト・ゲィム」は、Cf. 佐々木雄太・木畑洋一編『イギリス外交史』(有斐閣)211 Cf. 塚本健『エリザベート ハプスブルク家最後の皇女』(文藝春秋)を読めば いかに多、民族の平和を保つかが難しいかがわかる エリザベートは複数の言語を自由に扱える才女であった。。墺型の帝国支配は、民族自決などの原則よりも、統治や平和という観点からは、民族がモゥゼィイク(モザイク)状に分布する地域の国家建設のマドル(モデル)が適合的な場合があることを示唆している。
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を 認 め て 問 題 は 一 応 の 決 着 を み る が 、 各 地 の ス ラ ヴ 系 民 族の 自 治 要 求 へ の 対 応 に 苦 心 す る 212。
露 は 、 遅 れ ば せ な が ら 1860 年 代 か ら 農 奴 解 放 を 行 い 、1880 年 代 か ら 工 業 振 興 を 進 め て い た 。 対 外 的 に は 南 下 政 策で オ ス マ ン ・ 英 と の 、 バ ル カ ン 政 策 で は 墺 と の 、 そ れ ぞ れ緊 張 関 係 を 緩 和 す る た め の 世 界 戦 略 を 練 る が 、 農 奴 解 放 など の 近 代 化 策 も 有 効 と は い え ず 、 皇 帝 ア レ ク サ ン ド ル 2 世の 暗 殺 な ど も あ り 、 国 内 の 紛 争 へ の 対 応 に つ ま ず き は じ める 。 露 の 伝 統 的 外 交 政 策 は 、 不 凍 港 確 保 を 目 指 す 南 下 政 策で あ る 。 例 え ば 露 は 黒 海 ( ボ ス ポ ラ ス ・ ダ ー ダ ネ ル ス 海、峡 ) が 閉 鎖 さ れ れ ば 輸 出 入 の 95% 以 上 が 不 可 能 と な る 。 バル ト 海 東 岸 の サ ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ル ク を 拠 点 に し て 、 丁 と瑞 の 間 に あ る ス カ ゲ ラ ッ ク 海 峡 ( 現 在 で も 時 々 ソ 連 の 潜 水艦 が 話 題 と な る ) を 通 っ た 大 西 洋 に 出 る 航 路 ( 中 世 よ り 港運 は 盛 ん だ っ た ) は 現 実 味 が 薄 か っ た だ ろ う 。 残 る 港 は 、ア ル ハ ン ゲ リ ス ク ( 北 緯 65 度 、 17 世 紀 末 ピ ョ ー ト ル 大 帝 によ る 海 軍 基 地 ) か 、 極 東 の ウ ラ ジ オ ス ト ク ( 当 時 の 主 要 都市 サ ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ク ル か ら は 8,000 ㎞ ) ぐ ら い で あ る 。
6.1.4 2 つ の 事 件 が 欧 州 の 政 治 地 図 を 変 化 さ せ た 。 1 つ は英 仏 協 商 ( 1904 年 ) で あ り ( こ の 締 結 が ど れ ほ ど 実 質 的 だっ た か は と も か く 、 締 結 そ の も の が 雄 弁 だ っ た だ ろ う ) 、こ れ は 軍 事 同 盟 で は な か っ た が 、 海 洋 帝 国 英 に と っ て 懸 案だ っ た 仏 と の 建 艦 競 争 が 不 要 と な る 213。 そ れ は 日 英 同 盟( 1902 年 ) を 端 緒 と す る 伝 統 の 「 名 誉 あ る 孤 立 政 策 ( splendid isolation ) 」 の 破 棄 を 意 味 し 、 対 独 路 線 の 方 向 が 明 確 にな り は じ め る 。 も ち ろ ん 、 1905 年 以 降 政 権 を 担 当 す る 自 由党 は 、 そ の 後 も 大 陸 か ら 一 定 の 距 離 を 置 き 軍 備 よ り も 経、済 ( 自 由 貿 易 ) を 優 先 す る こ と を 忘 れ な か っ た 。 あ る い は 、上 院 改 革 や 労 働 争 議 、 愛 蘭 問 題 な ど が あ っ て 大 陸 問 題 ど ころ で は な か っ た た だ 、。 日 露 戦 争 勃 発 ( 1904 年 ) に 伴 う 露 の 英 漁 船 誤 爆 事 件 と 仏 独 が 衝 突 し た ( 第 一 次 ) モ ロ ッ コ 危 機 ( 1905 年 ) を 通 じ て 英 仏 の 友 好 関 係 が 確 認 さ れ た こ と ( 換言 す れ ば 、 独 が 対 仏 で 英 と い う カ ー ド を 失 い 始 め た こ と )は 、 そ の 後 の 同 盟 の 組 み 合 わ せ を 決 め 、 英 仏 露 の 三 国 協 商( 1907 年 ) が 欧 州 内 部 の 友 敵 関 係 を 確 定 し た と い え る 。 独露 接 近 は 、 独 か ら す る と 、 独 墺 関 係 を 損 な う こ と を 意 味 した か ら で あ る 。
も う 1 つ は 日 露 戦 争 と 露 の 「 敗 北 」 で あ る ( 日 本 で は 、伊 藤 博 文 ら の 日 露 提 携 論 と 桂 太 郎 な ど の 日 英 同 盟 派 に 分 かれ て い た 。 露 は 実 質 上 敗 北 し て い な か っ た ) 。 実 体 は 、 貧
212 Habsburg家については参考文献が多い。参考、池内紀・南川三治郎『ハプスブルク物語』(新潮社)、良知力『青きドナウの乱痴気』(平凡社)、ルートヴィヒ・アルムブルスター、コーネル・ツェーリック共編『大ハプスブルク帝国』(南窓社)、ゲオルク・マルクス『ハプスブルク夜話』江村洋訳(河出書房新社)、アーダム・ヴァントルツカ『ハプスブルク家』江村洋訳(谷沢書房)、塚本哲也『エリザベート』(文藝春秋)、江村洋『ハプスブルク家』(講談社現代新書)…213 Cf. ウィリアム・H・マクニール『戦争の世界史』高橋均訳(刀水書房)
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困 解 消 や 戦 争 終 結 を 皇 帝 に 直 訴 し よ う と し た 労 働 者 な ど が銃 弾 を 浴 び た 「 血 の 日 曜 日 」 に 象 徴 さ れ る 露 内 部 の 紛 紜 と内 乱 ( 1905 年 ) で 戦 時 遂 行 が 困 難 と な り ( そ の 後 、 水 兵 が将 官 を 殺 す と い う 戦 艦 ポ チ ョ ム キ ン 号 の 反 乱 な ど が 続 く ) 、ロ ー ズ ベ ル ト 米 大 統 領 ( 第 2 次 大 戦 の F . D . ロ ー ズ ベ ルト 大 統 領 は 従 兄 弟 ) が 仲 介 し た 「 休 戦 」 だ っ た が 、 大 国 露が 極 東 の 小 国 日 本 に 敗 れ た こ と は 、 ロ マ ノ フ 王 朝 ニ コ ラ イ2 世 ( 皇 太 子 時 代 大 津 事 件 ) の 帝 政 へ の 反 対 勢 力 と 露 の 圧力 に 苦 し む 歴 史 を も つ 周 辺 諸 国 に と っ て 、 ナ ポ レ オ ン に 勝っ た 大 国 露 も 負 け る の だ と い う 「 希 望 」 を 意 味 し た 。 こ の敗 北 で 、 露 は 極 東 か ら 東 欧 ・ 西 ア ジ ア へ と 戦 略 の 重 点 を 移し 、 英 と の 協 調 と 仏 の 財 政 支 援 で 、 バ ル カ ン の ス ラ ヴ 系 諸国 の 独 立 ・ 領 土 拡 張 を 支 援 す る 。 そ の 結 果 、 中 欧 ・ 東 欧 にお け る 墺 と 露 と の 対 立 が 「 汎 ゲ ル マ ン ( ゲ ル マ ン 民 族 の 勢 力 拡 大 ) 」 対 「 汎 ス ラ ヴ ( ス ラ ヴ 民 族 の 連 帯 と 統 一 ) 」 と い う 民 族 対 立 の 言 説 を 一 層 ま と う よ う に な る 。 独 は 三 国、協 商 に 対 抗 し て 、 墺 と 伊 と の 間 で 三 国 同 盟 を 結 ぶ が 、 伊 はほ ど な く 協 商 側 に 立 つ こ と に な る ( 参 戦 は 1915 年 ) 。 伊 の領 土 回 復 運 動 ( 伊 統 一 後 も 墺 に 残 っ た 地 域 を 指 す 、 伊 語 : Italia irredenta 、 「 未 回 収 の 伊 」 ) は 、 対 墺 へ の 要 求 ( ト リ エ ステ 、 チ ロ ル ) で あ り 、 仏 と は 中 立 協 定 ( 1902 年 ) を 、 露 とは 秘 密 条 約 ( 1909 年 ) を 結 ん で お り 、 英 仏 露 伊 の 倫 敦 秘 密条 約 ( 1915 年 ) で は 、 墺 内 の 領 土 回 復 と ア フ リ カ の 植 民 地拡 大 が 認 め ら れ た か ら で あ る 。 こ の あ た り い つ も な が ら、伊 ら し い 抜 け 目 な さ ( 伊 語 で い え ば furbo ) で あ る 。
◎ 欧 州 に は 、 日 本 人 に は 意 外 な ほ ど の 、 こ ち ら が恥 ず か し く な る ほ ど の 親 日 国 が い く つ か あ る 。 そ の代 表 が 、 芬 、 波 、 土 だ ろ う 。 そ の 理 由 は い く つ か ある が 、 地 図 を 見 れ ば 、 わ か る よ う に 、 い ず れ も 露 と接 触 す る 国 で あ る の は 偶 然 の 一 致 で は な い 。
6.1.5 バ ル カ ン 地 域 は 、 火 薬 庫 と 呼 ば れ る 主 に 墺 と オ ス。マ ン が 帝 国 シ ス テ ム に よ り 支 配 し て い た が 、 1870 年 代 か ら反 乱 が 続 い た 。 確 か に オ ス マ ン を 欧 州 か ら 駆 逐 す る と い、う 点 で 、 欧 州 諸 国 に 合 意 が な か っ た と は い え な い 。 と は いえ 、 対 墺 、 対 露 関 係 で 必 要 な ら ば 、 ク リ ミ ア 戦 争 の よ う に 、他 国 は オ ス マ ン を 支 援 す る こ と に た め ら わ な か っ た の も 事実 で あ る 。 ま た 、 墺 vs オ ス マ ン 、 オ ス マ ン v s バ ル カ ン 諸国 ( イ ス ラ ム 教 国 対 基 督 教 国 ) と い う 単 純 な 図 式 は 当 て はま ら な い 。 露 は サ ン = ス テ フ ァ ノ 条 約 ( 1878 年 ) で ブ ル ガリ ア を 支 援 し た が 、 こ の 構 想 は ビ ス マ ル ク の 仲 介 ( 伯 林 条約 ) に よ り 廃 棄 さ れ 、 セ ル ビ ア 、 ル ー マ ニ ア が 独 立 ( 1878年 ) 、 ブ ル ガ リ ア も 何 と か 失 地 を 回 復 す る 。 独 が 支 援 す るオ ス マ ン は 、 仏 が 支 援 す る バ ル カ ン 諸 国 に 敗 北 し 、 オ ス マン 帝 国 無 き 後 の 権 力 の 空 白 が 難 問 と な る 。 北 ア フ リ カ の リビ ア で オ ス マ ン が 伊 に 破 れ る と 、 セ ル ビ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、希 は 反 オ ス マ ン で 連 合 し ( バ ル カ ン 同 盟 ) 、 領 土 拡 大 を 図
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る 。 こ の 第 1 次 バ ル カ ン 戦 争 ( 1912 年 ) の 戦 利 品 は 、 倫 敦条 約 ( 1913 年 ) で 分 配 さ れ る が 、 当 然 の 如 く バ ル カ ン 同 盟各 国 に は 不 満 の 残 る 決 着 で あ っ た 。 バ ル カ ン 同 盟 も 崩 れ 、ブ ル ガ リ ア は セ ル ビ ア ・ 希 に 宣 戦 す る ( 第 2 次 バ ル カ ン 戦争 、 1913 年 ) 。 こ れ に ル ー マ ニ ア ・ オ ス マ ン が 参 戦 し 、 ブル ガ リ ア の 一 人 負 け と な る 。 相 次 ぐ バ ル カ ン の 紛 争 は 誰 にも 止 め が た い も の と な っ て い た 。 そ れ に し て も 、 第 1 次 大戦 直 前 の バ ル カ ン 戦 争 だ け を と っ て も 、 頭 が く ら く ら す るぐ ら い 複 雑 で あ る 。
6.1.6 相 次 ぐ 戦 争 に 抵 抗 す る 勢 力 は 存 在 し た 。 例 え ば 、 労働 者 団 体 で あ り 、 も し 労 働 運 動 ( 社 会 主 義 運 動 ) の 国 際 主義 ( 階 級 連 帯 ) の 理 念 に 従 え ば 同 国 人 の ブ ル ジ ョ ア ジ ー、よ り も 外 国 労 働 者 に 親 近 感 を 感 じ る は ず だ か ら で あ る 。 しか し 、 「 万 国 の 労 働 者 は 団 結 」 せ ず 、 各 国 の 労 働 者 団 体 ・政 党 は 、 意 見 対 立 は あ っ た も の の 、 結 局 は 、 独 の 「 城 内 平和 ( 独 語 : Burgfrieden ) 」 ( 戦 争 中 の 1916 年 末 に 労 働 組 合 は公 認 さ れ る ) 、 英 の 「 産 業 休 戦 」 、 仏 の 「 神 聖 同 盟 ( 仏語 : union sacré ) 」 214( 社 会 党 の 入 閣 ) で 、 各 国 と も 政 府 へ の戦 争 協 力 を 表 明 す る ( 戦 争 反 対 を 掲 げ た 仏 の 社 会 主 義 の 指導 者 ジ ャ ン ・ ジ ョ レ ス は 大 戦 勃 発 後 、 暗 殺 ) 。 各 国 で 「 海軍 連 盟 」 「 植 民 地 協 会 」 と い っ た 団 体 が 国 民 の 間 に 支 持 者を 増 や し た 。 ま た 、 従 来 「 誰 に で も 売 る 」 路 線 を と っ て いた 各 国 の 武 器 産 業 も 国 益 優 先 が 求 め ら れ た 。 戦 争 は 、 直 接の 利 害 関 係 者 の み な ら ず 、 「 国 民 」 を 高 揚 さ せ る 。 国 際 連帯 に 対 す る ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 勝 利 で あ る 215。
◎ サ ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ル ク と い う 露 の 旧 都 は 、 第1 次 大 戦 時 そ の 独 風 の 「 サ ン ク ト ・ ペ テ ル ブ ル ク 」 から 露 風 の 「 ペ ト ロ グ ラ ト 」 に 改 名 さ れ る ( 大 戦 後 、 レー ニ ン に ち な ん で レ ニ ン グ ラ ー ト と 呼 ば れ 、 そ の 後 現在 の 名 前 に 戻 る ) 。 戦 争 す る 相 手 風 の 名 称 で は 困 る とい う こ と だ ろ う 。 ナ シ ョ ナ リ ズ ム が そ の 社 会 面 で は 、文 化 共 同 体 に 基 づ い て 成 立 し 、 そ の 文 化 共 同 体 が 言 語を 共 有 す る こ と で 成 り 立 つ と す れ ば 、 国 際 主 義 者 は 各国 の 言 葉 ( 民 族 語 ) の 克 服 を 目 指 す こ と に な る 。 こ こに 、 そ れ ま で は 外 交 官 が そ の 才 能 を 競 い 合 っ て 習 得 した エ ス ペ ラ ン ト ( 注 : エ ス ペ ラ ン ト 語 で は な い ) が 、社 会 主 義 運 動 と 結 び つ く 契 機 が あ る 216。
6.2 初 め て の 世 界 大 戦 ( C f . 地 図 : 1914 年 の ヨ ー ロ ッ
214 ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』上、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)57頁、93頁215 Cf. 西川正雄『第一次世界大戦と社会主義者たち』(岩波書店)216 Cf.ウルリッヒ・リンス『危険な言語』栗栖継訳(岩波新書)、田中克彦『エスペラント』(岩波新書)
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パ ) 217
6.2.1 こ の 戦 争 の 発 端 は 、 英 仏 露 の 三 国 協 商 と 独 墺 の 同 盟を 基 本 軸 に 、 バ ル カ ン の ス ラ ヴ 系 諸 国 及 び こ れ を 支 援 す る露 と 、 バ ル カ ン で の 勢 力 維 持 を は か る 墺 ・ オ ス マ ン と が 対立 す る 中 で 、 墺 皇 太 子 F . フ ェ ル デ ィ ナ ン ド 大 公 が 、 ボ スニ ア = ヘ ル ツ ェ ゴ ビ ナ の 都 サ ラ エ ボ ( こ の ス ラ ヴ 人 が 住 む地 域 は 墺 が 1908 年 に 併 合 し 、 ス ラ ヴ 主 義 を 掲 げ て い た 露 との 緊 張 が 増 大 し て い た ) で 、 セ ル ビ ア 人 に よ り 「 半 ば 偶 然に ( 直 前 に 暗 殺 未 遂 が あ っ た の で 、 予 定 が 変 わ っ た に も 拘わ ら ず 、 行 き 先 の 変 更 を 知 ら さ れ て い な か っ た 運 転 手 が 道を 間 違 え た こ と 、 さ ら に 偶 々 銃 弾 が 当 た っ て し ま っ た こと ) 」 暗 殺 さ れ た こ と で あ る 。
◎ こ の 辺 り 、 わ か ら な い こ と が 多 い 。 1 人 目の 刺 客 は 警 察 官 が 背 後 に い る と 錯 覚 し 逃 し た 。 2 人目 の 刺 客 は 爆 弾 を 投 げ つ け た が 、 不 発 で 転 が り 、 次の 車 を 爆 破 し た 。 3 人 目 と 4 人 目 は 驚 い て 帰 っ た 。
217 第一次世界大戦及びその前後の時期については、当然ながら、紹介すべき参考文献すら多すぎる。山下正太郎『第一次世界大戦』(講談社学術文庫)あたりが読みやすいか。100周年ということもあって、近年多くの手頃な本も出ている。木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)、別宮暖朗『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』(中公新書)。前者は定番だろう。後者は資料の引用が多く挟み込んであって物語風で読みやすいが、所々叙述に疑問がある。さらに、山室信一・岡田暁生・小関隆・藤原辰史編『第一次世界大戦』のシリーズが岩波書店から出た。第1巻は「世界戦争」で、諸民族の大戦経験、日本の参戦、アジアへの波及、第2巻は「総力戦」で、兵士と戦場、戦争を支える社会、女性の戦争、第3巻は「精神の変容」、参加の芸術/芸術の自律、物語りの断片化と再統合、西欧の没落、そして第4巻は「遺産」で、暴力の連鎖、「戦後」の模作、現代の胎動となっており、各巻の概説と都合30数本の個別論文、コラムなどが掲載されている。玉石混淆なので、個別に紹介する。第一次大戦については、もちろん、ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起原』池田清訳(みすず書房)、バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』上下、山室まりや訳(ちくま学芸文庫)などが定番で、他には、マーガレット・マクミラン『ピースメイカーズ』上下、稲村美貴子訳(芙蓉書房出版)などがある。また、仏独共同通史として画期的なジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』上下、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)もある。また、人文書院から出ているシリーズが面白い。早瀬晋三『マンダラ国家から国民国家へ』(人文書院)は第一次大戦を東南アジアから考察するという面白い視点を提供しており、東南アジアの政治文化や政治構造もよくわかる。中野耕太郎『戦争のるつぼ』(人文書院)は、アメリカと第一次大戦の関わり方を色んな側面や人の動きから説明し、まさに「正義の戦争」の成立経過を示す。米が単純に参戦したのではなく、また徴兵の実態、(敵国系を含む)移民や市民権が現実には制限されていた黒人の動向もわかる。野村真理『隣人が敵国人になる日』(人文書院)は、ナショナリズム・民族主義が横行する中で、「忘れられた東部戦線」の中でのポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人の生き様を描く。宗教などに関する逸話が楽しい。大津留厚『捕虜が働くとき』(人文書院)は、捕虜兵が労働力として活用される中でのその生活や考え方を中欧・東欧の事例から描く。岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか? ―音楽史における第一次世界大戦の前後』(人文書院)は、音楽におけるアメリカ化(ポピュラー音楽)の台頭、レコード録音、ラジオの登場などを描く。藤原辰史『カブラの冬 ―第一次世界大戦期ドイツの饑餓と民衆』(人文書院)はドイツの栄養失調、その対策の不備などが描かれている。それにしても、何とも不味そうである。あるいは『西部戦線異状なし』( All Quiet on the Western Front )、『武器よさらば』( A Farewell to Arms )、『アラビアのロレンス』( Lawrence of Arabia )、『戦火の馬( War Horse )』、『レッド・バロン( Der rote Baron )』などの映画を観た方が雰囲気をよりよく感じられるかも知れない。
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5 人 目 は 意 気 阻 喪 し 、 知 覚 の 食 堂 に 入 っ た 。 6 人 目は や る 気 を 失 っ た 。 大 公 は 呆 れ て 行 き 先 を 予 定 変 更し た が 、 運 転 手 は 知 ら な か っ た 。 そ う す る と 、 5 人目 が 偶 然 車 に 出 会 っ た 218。 こ の 描 写 が 現 実 だ っ た ん だろ う 。
も ち ろ ん 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 を は じ め 、 王 侯 貴 族 は 夏の バ カ ン ス の 計 画 を 立 て て い た か ら 、 こ れ は ほ ん の き っ かけ で あ っ た が 、 そ の 後 墺 は セ ル ビ ア に ど う 考 え て も 受 け 入れ ら れ そ う も な い 最 後 通 牒 を 突 き つ け 、 独 は ゲ ル マ ン の 連帯 か ら 墺 の 全 面 的 支 援 を 早 々 に 掲 げ た ( と い っ て も 、 ベ ート マ ン = ホ ル ヴ ェ ー ク 首 相 な ど は 戦 争 に な る と は 思 っ て いな か っ た ) 。 ビ ス マ ル ク 時 代 に は 欧 州 で 孤 立 を 強 い ら れ てい た 仏 は 、 す で に 英 露 と の 協 商 関 係 を 結 ん で お り 、 軍 事 的緊 張 が 拡 大 す る 可 能 性 は あ っ た 。
◎ 独 が 催 促 し た の に 、 墺 の 最 後 通 牒 公 布 が 開 戦 決定 か ら 2 週 間 遅 れ た 理 由 の 1 つ は 、 動 員 体 制 が 整 っ てい な か っ た か ら だ と い う 。 1 6 軍 団 の う ち 、 7 軍 団 が援 農 ( 収 穫 作 業 の 手 伝 い ) に 入 っ て い た か ら で あ る 219。こ う い う の を 知 る と 、 大 戦 勃 発 時 は ま だ 現 代 で は な く 、近 代 な の だ と 思 う 。
暗 殺 が 大 戦 勃 発 の 直 接 の 原 因 だ と す れ ば 、 暗 殺 が な けれ ば … と な る が 、 数 多 く の 歴 史 家 が 議 論 す る ほ ど 意 味 あ る「 イ フ 」 と も 思 え な い 。 数 年 前 か ら の 各 国 間 で の 軍 事 的 緊張 が つ い に 戦 争 に 発 展 し た だ け だ と も い え る か ら で あ る 。し か し 、 当 初 は 軍 事 的 衝 突 も 「 大 戦 」 勃 発 と は 考 え ら れ ず 、 半 ば お 祭 り や ス ポ ー ツ な ど 気 晴 ら し に 参 加 す る 気 分 も 濃 厚に あ っ て 、 始 ま っ て も 数 週 間 、 長 く と も 半 年 で 終 わ り 兵、士 は ク リ ス マ ス に は 帰 国 で き る と 思 っ て い た 220。 直 近 の( と い っ て も だ い ぶ 前 だ が ) 戦 争 の 多 く が 短 期 間 で 終 わ って い た か ら で あ る ( 普 墺 戦 争 は 3 週 間 、 普 仏 戦 争 は ナ ポ レオ ン 3 世 敗 北 ま で 6 週 間 ) 。
こ の 皇 太 子 暗 殺 を 契 機 と す る 軍 事 衝 突 は 、 各 国 の 思 惑と 錯 覚 に よ り 、 次 第 に す べ て の 地 域 を 巻 き 込 み 始 め る 。 当然 の こ と な が ら 、 戦 争 に も 宣 戦 布 告 な ど の 手 続 き が あ り 、多 数 国 家 が 参 加 す る 戦 争 は 同 時 に は 始 ま ら な い し 、 終 わ らな い 。
218 別宮暖朗『第一次世界大戦はなぜ始まったのか』(中公新書)第3章219 木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)49頁220 藤原辰史『カブラの冬 ―第一次世界大戦期ドイツの饑餓と民衆』(人文書院)28頁、同下巻 44頁。野村真理『隣人が敵国人になる日』(人文書院)47頁には、墺軍と露軍の両側のポーランド兵が、敵味方一緒になってポーランド語のクリスマス聖歌を合唱した話が載っている。何とも哀しい。
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◎ い つ か ら こ の 戦 争 が 世 界 大 戦 221と 、 さ ら に は第 一 次 大 戦 と 呼 ば れ る よ う に な っ た の か は 、 案 外面 白 い 問 題 だ ろ う 。 後 の 戦 争 が 第 二 次 世 界 大 戦 と認 識 さ れ て 初 め て そ の 前 の 大 戦 が 第 一 次 と な る から で あ る 。
6.2.2 第 1 次 大 戦 の 原 因 論 は 終 戦 直 後 か ら 現 在 に 至 る ま で 、ま た 大 戦 後 の 平 和 構 想 と の 関 連 も あ っ て 、 様 々 に 議 論 さ れて き た 。 普 の 軍 国 主 義 イ メ ー ジ も あ っ て 、 独 に は 、 シ ュ リー フ ェ ン ・ プ ラ ン に 代 表 さ れ る よ う に 戦 争 目 的 が あ り 、 侵略 の 意 図 と 計 画 が 明 確 で あ っ た と す る 見 解 222、 主 要 国 は 帝国 主 義 で あ る か ら 領 土 拡 大 ・ 経 済 支 配 の 欲 求 や 社 会 立 法 に必 要 な 財 源 確 保 を 求 め た と い う 見 解 、 経 済 ・ 領 土 問 題 で 飽和 状 態 と い う こ と か ら 衝 突 は 不 可 避 だ っ た と す る 見 解 、 ヴィ ル ヘ ル ム 2 世 を は じ め と し た 各 国 指 導 者 の 個 々 人 が 抱 く非 合 理 な 政 策 ( 例 え ば 、 対 英 協 調 路 線 ・ 自 由 主 義 的 経 済 政策 を と る カ プ リ ヴ ィ 宰 相 を 罷 免 し た こ と ) に よ る も の だ とい う 見 解 な ど が あ る 。 結 局 、 漠 然 と し た 表 現 と は い え 、 要約 す れ ば 、 独 の 野 心 、 仏 の 敵 意 、 露 の 膨 張 欲 、 英 の 懸 念 、墺 の 恐 怖 心 が 、 国 益 防 衛 の た め に 戦 争 を 選 択 し た ( J . ジョ ル ) 223と い う こ と な の か も 知 れ な い 。
6.2.3 も ち ろ ん 、 独 の 宣 戦 が 自 衛 戦 争 だ っ た と い う 理 屈は 事 実 に は 合 わ な い し 、 独 ら し く 侵 略 計 画 が 用 意 周 到 に 立て ら れ て い た と は い え 、 計 画 と 実 効 と を 直 結 す る 理 由 も ない 。 ま た 、 英 仏 に 較 べ れ ば 植 民 地 が 乏 し か っ た と は い え、 、 、独 の 人 口 圧 力 が 生 存 圏 ( 独 語 : Lebensraum ) 確 保 を 強 い る ほど 深 刻 だ と も い え な か っ た 。 戦 争 の 拡 大 に つ れ 、 各 国 の 指導 者 の 間 に は 、 宿 命 、 諦 め と い っ た 気 分 が 濃 厚 に な る が 、だ か ら と い っ て 、 レ ー ニ ン の 『 帝 国 主 義 論 』 で 述 べ ら れ てい る よ う に 主 要 国 間 の 帝 国 主 義 が 「 人 為 」 を 超 え て 、 い、わ ば 必 然 的 に 戦 争 を 生 み 出 し た と は い え な い 。
221 牧野伸顕『回顧録(下)』(中公文庫)218頁以下によると、戦争の名称がパリ講和会議で話題となったという。第1次大戦という言葉の用法については、Cf.小関隆『徴兵制と良心的兵役拒否』(人文書院)7頁、山室信一『複合戦争と総力戦の断層』(人文書院)第1章、ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』下、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)訳者解説。仏は、Grande Guerre (大戦)、独は Erster Weltkrieg (第一次世界戦争)。なお、小関著には、英の徴兵制導入の事情があって、大陸のような conspiration ではなく、national service だというレトリクがあったという。物は言い様である。222 1960 年代には、独が計画的に戦争を仕掛けたとする「フィッシャー」論争が起こる(E.フィッシャー『世界強国への道』(岩波書店))。なお、他にも、Cf.ジェームズ・ジョル『第一次世界大戦の起原』池田清訳(みすず書房)、マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱの下、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)、アルフレート・ファークツ『ミリタリズムの歴史』望田幸男訳(福村出版)、アーノ・J・メイア『ウィルソン対レーニン 新外交の政治的起源』1・2、斉藤孝、木畑洋一訳(岩波書店)…223 J.ジョル『第一次世界大戦の起原』池田清訳(みすず書房)262頁
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6.2.4 確 か に 各 国 指 導 者 た ち の 見 込 み 違 い も 大 き か っ た 。
独 は 中 立 国 白 が 武 力 で 抵 抗 す る と は 思 っ て お ら ず 、 また 白 侵 攻 に 際 し て 英 が 中 立 を 保 つ と 信 じ 込 ん で お り ( 実 際英 政 府 も 開 戦 に は 逡 巡 し た ) 、 前 年 に ア ル ザ ス で 起 こ し た失 策 ( 1913 年 ツ ァ ー ベ ル ン 事 件 。 住 民 ら の 反 独 運 動 ) で 仏の 士 気 ( elan ) が 高 ま っ て い る こ と を 軽 視 し た 。
墺 は 、 独 の 支 援 さ え あ れ ば 、 軍 備 が 整 っ て い な い 露 を制 御 で き る と 考 え て い た ( が 誤 っ て い た )、 。
英 は 大 陸 で の 勢 力 均 衡 を 保 つ バ ラ ン サ と し て は 独 へ の、警 告 を 怠 っ て い た 。 英 独 は 互 い に 重 要 な 貿 易 国 で あ り 続 けた の で あ り 英 は 三 国 協 商 締 結 後 も 仏 露 と の 関 係 強 化 を、 、 それ ほ ど 好 ん で い な か っ た 。 何 よ り も 炭 鉱 労 働 者 の ス ト ラ イキ と 内 戦 に 移 り か ね な い 愛 蘭 問 題 の 方 が 深 刻 だ っ た か ら 、独 が 白 の 中 立 を 侵 犯 す る ま で は 戦 時 体 制 へ の 移 行 は 非 現 実的 だ っ た 。
仏 は 独 に 奪 わ れ た ロ レ ー ヌ 出 身 の ポ ワ ン カ レ が 大 統 領に 就 任 ( 1913 年 ) し て 国 民 の 支 持 が 確 保 さ れ 軍 事 力 も 不 足、し て い な か っ た が 軍 事 が 必 要 と す る 合 理 性 ( 合 理 的 精、神 ) を 軽 視 す る と こ ろ が あ り 、 結 局 は 英 頼 み で あ っ た 。 それ に 、 英 仏 の 上 層 部 に は 日 露 戦 争 敗 北 後 も 、 強 靱 な 農 民、さ え 動 員 さ れ れ ば … と い う 「 無 敵 露 の 神 話 」 が 浸 透 し て いた 。
そ の 露 は 独 の 西 部 戦 線 侵 略 の 可 能 性 を 静 観 し て い た 。各 国 政 府 は そ の 内 部 で も 友 好 国 と の 間 で も 対 外 政 策 で は、 、一 枚 岩 で は あ り 得 な か っ た 。 セ ル ビ ア は 墺 か ら の 最 後 通 牒に 混 乱 し ど こ か に 仲 介 を 求 め よ う と し て い た、 。
◎ 英 は 苦 々 し い 戦 果 に 終 わ っ た ボ ー ア 戦 争 後 、 軍服 の 色 を カ ー キ 色 に し 、 独 は 紺 青 色 か ら 灰 緑 色 に し たが 、 仏 は 1912 年 で も 、 青 い 上 着 、 赤 い ズ ボ ン と 目 立 つ格 好 で 、 こ れ は 1830 年 当 時 の 隠 れ て 戦 う 必 要 が な い 時代 の も の だ っ た 224。 闘 い も 形 ( オ シ ャ レ ) か ら と い うこ と だ ろ う か 225。 英 に し て も 、 貴 族 将 校 は 、 お 供 を つれ て ! 、 参 戦 し て い た 。
6.2.5 「 ハ ィ ポ リ テ ィ ク ス・ ( high politics ) 」 で は 、 少 数 の指 導 者 の 影 響 力 が 大 き く 、 そ の 身 分 意 識 や 人 間 関 係 な ど で 、ほ と ん ど が 親 戚 関 係 に あ っ た 。 特 に 、 19 世 紀 の ヴ ィ ク ト リア の 「 遺 産 」 が 大 き い 。 ヴ ィ ク ト リ ア 女 王 は 、 18 世 紀 ハ プ
224 Cf. スタンダール『赤と黒』上下、桑原武夫,生島遼一訳(岩波文庫)の赤225 Cf. バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』上、山室まりや訳(ちくま学芸文庫)、ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上、長山さき訳(徳間書店)111頁以下他
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ス ブ ル ク の マ リ ア ・ テ レ ジ ア な ど と 並 ん で 、 欧 州 の 祖 母 ( Grandmother of Europe ) と 呼 ば れ た 。 4 男 5 女 に 恵 ま れ 、 い ず れも 王 侯 貴 族 に な る か 、 嫁 い だ 。 第 1 次 大 戦 は 、 従 兄 弟 同 士の 戦 争 だ と 言 わ れ る 。 ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 ( 父 親 の フ リ ー ドリ ヒ 3 世 が ヴ ィ ク ト リ ア の 長 女 と 結 婚 ) と ア レ ク サ ン ド ラ( ニ コ ラ イ 2 世 妃 ) は 孫 だ か ら で あ る 。
1901 年 の ヴ ィ ク ト リ ア 女 王 の 最 期 の 時 は 欧 州 の 王 侯 貴 族の パ ー テ ィ で も あ っ た 。 最 期 を 看 取 っ た の は ヴ ィ ル ヘ ル ム2 世 だ っ た と い う 。 相 手 国 の 君 主 や 政 治 家 に 対 す る 好 悪 、意 地 ・ 嫉 妬 ・ 名 誉 が 政 治 動 向 を 決 め る 鍵 と な る 。 王 侯 貴 族の ネ ッ ト ワ ー ク は 大 戦 中 に も 機 能 し 続 け る 。 独 墺 露 で は、 、 、外 交 政 策 に お い て 、 君 主 の 果 た す 役 割 が 大 き か っ た こ と は確 か で あ る 。 身 体 障 害 も あ っ て 情 緒 不 安 定 で 衝 動 的 、 大 言壮 語 が 多 く 、 欧 州 上 流 階 級 の 「 ス タ ー 」 エ ド ワ ー ド 7 世 への 嫉 妬 か 嫌 悪 が 、 あ る い は 一 刻 も 早 く 英 に 追 い つ き た い とい う 焦 り が 英 独 関 係 悪 化 の 要 因 と な っ た ほ ど だ か ら 、 政、治 秩 序 の 中 心 に あ り 、 仏 と の 戦 争 は 不 可 避 だ と 考 え た ヴ ィル ヘ ル ム 2 世 が 追 う べ き 「 戦 争 責 任 」 は 小 さ く は な い が 、独 に は 戦 争 遂 行 を 総 合 的 に 判 断 で き る 政 府 が 存 在 せ ず 、 英を 仮 想 敵 と す る 独 海 軍 に と っ て は 、 露 を 仮 想 敵 と す る 独 陸軍 が ラ ィ バ ル で あ り 、 障 碍 で あ っ た 。 そ れ に 戦 争 は 皇 帝 一人 で 始 め ら れ る も の で は な い 。 父 親 の 「 暴 君 」 ア レ ク サ ンド ル 3 世 と は 違 い 、 露 皇 帝 ニ コ ラ イ 2 世 は 軟 弱 で 周 囲 や 状況 に 左 右 さ れ た し 、 墺 皇 帝 ヨ ー ゼ フ も 逡 巡 の 後 、 自 国 の 参謀 本 部 や 独 側 に 説 得 さ れ た ( ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 が 支 援 を 約束 ) か ら で あ る 。
◎ こ の 時 期 の 露 宮 廷 と い え ば 、 何 と 言 っ て も 、映 画 ・ ド ラ マ で 扱 わ れ る こ と の 多 い 「 怪 僧 」 ラ ス プ ー
チ ン の 存 在 で あ る 。 日 露 戦 争 直 後 、 王 族 の 宿 痾 と も いえ る 血 友 病 に 苦 し ん で い た 唯 一 の 男 児 で あ る ア レ ク セイ 皇 太 子 ( 帝 位 継 承 は 男 性 に 限 ら れ て い た ) を 祈 祷 で治 癒 し た と さ れ 、 ア レ ク サ ン ド ラ 皇 后 な ど の 信 頼 を 勝ち 取 っ た 。 そ の 後 も 皇 帝 を は じ め と す る 皇 族 へ の 影 響は 大 き く 、 と り わ け 皇 帝 が 不 在 の 場 合 に 様 々 な 政 策 にラ ス プ ー チ ン の 影 を 感 じ た 関 係 者 も 多 か っ た ( こ れ が後 年 の 皇 族 に よ る 暗 殺 理 由 と な る の だ ろ う ) が 、 実 際の 影 響 力 は 分 か ら な い 。 と も あ れ 、 ラ ス プ ー チ ン は 、露 の 宮 廷 政 治 を 象 徴 す る 存 在 で あ っ た 。
◎ D P ( Democratic Peace ) 理 論 は 、 民 主 国 が 戦 争 を しな い と い う の で は な く 、 民 主 国 同 士 は 歴 史 上 戦 争 し たこ と が な い と す る が 、 こ の 理 論 の 妥 当 性 は さ て お き( 民 主 国 の 定 義 な ど 結 構 怪 し い 部 分 が あ る ) 、 英 仏、な ど の 「 民 主 国 」 が 独 よ り も 好 戦 的 で は な い と い う こと に は な ら ず 、 む し ろ デ ィ モ ク ラ シ は 、 あ る い は 大 衆
の 声 が ナ シ ョ ナ リ ズ ム と 結 び 付 く と き に は 、 非 民 主 国
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よ り も 好 戦 的 に な る 事 例 は 、 歴 史 上 溢 れ て い る 。 英 首相 ロ イ ド ・ ジ ョ ー ジ に よ れ ば 、 独 の 侵 攻 が 行 わ れ る と 、突 然 世 論 は 参 戦 す る よ う に な っ た と い う 226が 、 誇 張 では な か ろ う 。 デ ィ モ ク ラ シ と 好 戦 性 と の 間 に 負 の 相 関
が あ る と は 言 え な い 227。 世 間 あ る い は 世 論 は 景 気 の 良 い 方 に な び く も の だ ろ う 。
6.2.6 「 サ ラ エ ボ の 砲 声 」 か ら 事 態 は 静 か に 動 き 出す 。
独 は 英 と 露 の 動 向 を は か ろ う と す る 。 独 は 過 剰 反 応 気味 に 、 露 に 対 し 手 を ひ く よ う に と 最 後 通 牒 を 突 き つ け る が 、す ぐ に 無 理 だ と 知 る 。 大 し た 根 拠 な く 、 独 が 白 の 中 立 を 犯し て も 英 は 中 立 を 守 る と 確 信 す る が 、 勘 違 い だ と 知 る 。 やが て 西 部 戦 線 で 白 ・ 仏 ・ 英 軍 と 独 軍 の 戦 闘 が 始 ま る 。 露 は当 初 墺 だ け と の 戦 争 を 考 え る が 、 独 の 最 後 通 牒 に 準 備 が 遅れ る 。 こ う し て 、 独 は 、 世 界 最 大 の 海 軍 力 を も つ 英 ( 大 戦数 年 前 に 開 発 さ れ た 英 の 戦 艦 ド レ ッ ド ノ ー ト の 登 場 ( 1906年 ) で 、 事 実 上 、 独 海 軍 は 英 海 軍 を 北 海 で 打 破 す る こ と など 不 可 能 と な っ た ) 、 世 界 最 大 の 兵 器 産 業 ( ル ノ ー 他 ) を有 す る 仏 、 世 界 最 大 の 陸 軍 力 を 持 つ 露 を 相 手 と す る 戦 争 に突 入 す る 。
冷 静 に 考 え る と 勝 ち 目 は な さ そ う だ が 独 の 敗 北 が 決 ま、っ て い た わ け で は な い 。 英 仏 露 も 一 枚 岩 で は な く 、 各 国 国内 に 弱 点 を 抱 え て い た か ら で あ る 。 そ し て 、 戦 況 が 硬 直 する に つ れ 、 次 第 に 総 力 戦 ( total war ) の 様 相 を 呈 す る よ う にな り ( 1916 年 仏 が 誇 り と す る ヴ ェ ル ダ ン 要 塞 の 攻 略 も 進 まず 、 仏 独 の 一 騎 打 ち は 決 着 が 付 か な い ま ま 、 い た ず ら な 、空 前 絶 後 の 人 命 損 失 と な る ( 1916 年 2 月 か ら 12 月 ま で で 仏独 併 せ て 死 傷 者 70 万 人 ) 。 1916 年 8 月 の 人 事 異 動 で ヒ ン デ ンブ ル ク が 参 謀 総 長 、 ル ー デ ン ド ル フ が 参 謀 次 長 と な り ( この 2 名 は タ ン ネ ン ブ ル ク の 戦 い で 英 雄 扱 い さ れ る ) 、 戦 況は 独 有 利 に 向 か う ) 、 国 民 総 動 員 体 制 と 同 時 に 社 会 福 祉 政策 が 導 入 さ れ る 。 「 国 家 社 会 主 義 」 と で も 呼 ぶ べ き 体 制 が以 降 常 態 化 す る 。 命 と 福 祉 の 取 引 で あ る 。 そ し て 、 戦 時 体制 に 入 る と 、 好 戦 気 分 を 阻 碍 す る 言 説 に は 、 た と え ど れ ほど 合 理 的 な 根 拠 を 含 ん だ も の で あ っ て も 、 非 国 民 、 臆 病 など の レ ッ テ ル が 貼 ら れ た 。
6.2.7 19 世 紀 半 ば 以 降 、 戦 争 に お け る 鉄 道 の 威 力 は 目 を 見張 る も の が あ っ た 。 移 動 距 離 が 格 段 に 伸 び 、 兵 士 は 徒 歩 移動 で は な い た め に 、 健 康 な 状 態 で 戦 場 に 赴 き ( 行 軍 に よ る脱 落 者 は 多 い ) 、 し か も 、 食 糧 品 や 医 療 品 と い っ た 補 給 が
226 Cf. マイケル・マン『ソーシャル・パワー』Ⅱ、森本醇、君塚直隆訳(NTT出版)、また、バーナード・リック『デモクラシー』添谷育志、金田耕一訳・解説(岩波書店)128頁227 Cf. スタニスラフ・アンジェイエフスキー『軍事組織と社会』坂井達朗訳(新曜社)
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容 易 に な っ て 、 大 量 の 軍 隊 を 送 る こ と が 可 能 と な っ て い た 。こ れ に 加 え 、 火 力 の 発 達 ( 機 関 銃 ) や 戦 車 の 登 場 も 戦 争 を変 え 始 め た 。 と は い え 、 当 初 は の ん び り と 騎 兵 が 行 進 し たの は 、 第 1 次 大 戦 が 、 特 に そ の 前 半 は 最 後 の 旧 き 良 き 戦 争だ っ た こ と を 示 し て い た 。
第 1 次 大 戦 ま で は 、 戦 争 と い っ て も ま だ の ん び り して い た 。 第 1 次 大 戦 開 戦 後 の 最 初 の 数 ヶ 月 で も 、 敵 同 士 の間 に 、 同 じ 闘 う 者 と し て の 敬 意 さ え 生 ま れ 、 攻 撃 時 間 を 決め た り 、 発 砲 す る 前 に 合 図 を し た り 、 友 敵 を 超 え た ク リ スマ ス ・ イ ブ を 祝 う こ と さ え あ っ た と い う 228 ク リ ス マ ス 休 戦。も 「 自 発 的 に 」 発 生 し た 。 英 独 両 国 の 兵 士 が 歌 を 歌 い 、 また サ ッ カ の 試 合 に 興 じ た こ と が 知 ら れ て い る 。 人 間 と 人 間の 闘 い だ っ た 。 良 い 意 味 で の 近 代 だ っ た 。 そ し て 、 近 代 の終 わ り に ふ さ わ し か っ た 。 単 純 に 殺 し 合 う の が 現 代 で あ る 。
戦 況 が 長 引 く と 、 塹 壕 を 挟 ん で の 消 耗 戦 に よ り 、 い わば 体 力 勝 負 と な っ た 。 最 前 線 に 配 備 さ れ る 兵 士 は 頻 繁 に 交替 す る に せ よ 229、 塹 壕 で の 長 期 滞 在 に は 、 単 な る 退 屈 だ けで な く 、 不 衛 生 、 冬 の 寒 さ 、 泥 、 上 り 下 り の 苦 痛 が 伴 った 230。 1917 年 あ た り か ら 、 各 地 で 前 線 兵 士 の 不 服 従 が 目 立 ち始 め 、 銃 後 で は ス ト ラ キ が 起 こ る よ う に な る 。 第 1 次 大イ戦 は ま さ に 近 代 と 現 代 と の 分 水 嶺 で あ る 。
6.3 「 8 月 の 砲 声 」 以 降 の 戦 況 と 終 戦
6.3.1 墺 皇 太 子 暗 殺 ( 1914 年 6 月 28 日 ) 後 、 8 月 2 日 ―3 日 に 独 軍 が ル ク セ ン ブ ル ク ・ ロ レ ー ヌ 、 白 に 侵 攻 し 、 英仏 と の 交 戦 が 始 ま っ て 世 界 大 戦 と な る 。 独 宰 相 は 、 独 の 白侵 攻 が 国 際 法 違 反 で あ る と わ か っ て い た 231が 、 結 果 が 行 為を 正 当 化 す る と 考 え て い た 。 大 戦 の 主 た る 戦 場 ( 主 な 交 戦国 ) は 、 西 部 戦 線 ( 英 仏 vs 独 ) 、 東 部 戦 線 ( 露 vs 独 ・ 墺 ) 、バ ル カ ン ( セ ル ビ ア vs 墺 ) 、 西 ア ジ ア ・ エ ジ プ ト 、 海 上( 英 vs 独 ) 、 伊 戦 線 で あ る 。
6.3.1.1 西 部 戦 線
西 部 戦 線 は 、 仏 独 の 領 土 争 い が 歴 史 上 続 く ア ル ザ ス =、ロ レ ー ヌ か ら 白 、 白 と 仏 国 境 に か け て の 地 域 で あ る 。 主 に( 英 ) 仏 と 独 の 戦 い で あ る 。 最 初 の 一 ヶ 月 は 独 が 攻 勢 を か
228 Cf.ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上、長山さき訳(徳間書店)第2章5ヴェルサイユ 229 木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)159頁以下。面白いので読まれるといい。230 ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』下、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)74頁231 Cf. バーバラ・W・タックマン『八月の砲声』上、山室まりや(ちくま学芸文庫)
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け た が 、 や が て 双 方 に 多 大 な 被 害 が 出 て 一 進 一 退 の 膠 着 状態 の 陣 地 戦 ( 塹 壕 戦 ) と な る 。 す な わ ち 、 独 側 か ら す れ ば 、シ ュ リ ー フ ェ ン ・ プ ラ ン は う ま く 行 か な か っ た 。 最 初 の 5カ 月 で 死 傷 者 ・ 捕 虜 が 双 方 で 150万 人 以 上 出 た 。 塹 壕 を 作 る前 に 無 闇 に 突 撃 す る 戦 術 も あ り 、 ま た 砲 撃 の 影 響 が 大 き かっ た 232。 輸 送 手 段 や 武 器 と し て は 、 鉄 道 や 自 動 車 に よ る 輸送 確 保 ( 1914 年 ) 、 飛 行 船 ( 1915 年 ) ・ 飛 行 機 ( 1916 年 ) によ る 倫 敦 空 襲 、 英 の 戦 車 投 入 ( 1916 年 ) 、 毒 ガ ス 使 用 ( 1915年 ) な ど が 挙 げ ら れ る 233。 膠 着 状 況 は し ば ら く 続 き 、 死 傷者 の 数 が 増 え る だ け だ っ た 。 そ し て 、 こ の 状 況 が 変 化 す るの は 、 独 側 が 攻 勢 を か け る 1918 年 で あ る 。
◎ 戦 争 は 、 国 民 に 犠 牲 や 耐 久 を 強 い る だ け に 、 平 等 化 要 求 の 圧 力 を 高 め る 。 命 を 賭 け る 状 況 で は 、 階 級 、
人 種 、 性 別 、 宗 教 に よ る 差 別 は 、 幾 分 か は 後 景 に 退 く 。「 五 十 万 人 の ユ ダ ヤ 系 ド イ ツ 人 の う ち 十 万 人 以 上 が 戦地 に 赴 い た 。 比 率 と し て は ど の 人 種 よ り も 多 か っ た 。つ ま り 、 戦 争 の お か げ で よ う や く 誰 も が 平 等 に な っ たの だ 。 し か し ド イ ツ 軍 参 謀 の 考 え は ち が っ た 。 一 九 一六 年 、 す べ て の ユ ダ ヤ 人 を 別 個 に 登 録 す る よ う に と の命 令 が 出 さ れ た 。 最 終 的 に は 一 万 五 千 人 の ユ ダ ヤ 人 兵士 が 戦 死 し た 」 234。 第 一 次 大 戦 後 の 「 婦 人 の 地 位 向 上運 動 」 や 、 第 二 次 大 戦 後 の ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 時 に お け る米 の 人 種 差 別 の 変 容 に つ い て も 、 同 様 の こ と が い え るだ ろ う 。
6.3.1.2 東 部 戦 線
東 部 戦 線 は 、 主 に 露 vs 独 ・ 墺 の 戦 い で 、 東 普 ( 独 露 国境 ) か ら ガ リ シ ア ( 墺 露 国 境 ) で の 攻 防 戦 で あ る 。 前 者( 主 に 独 対 露 ) で は 独 が 優 勢 ( タ ン ネ ン ベ ル ク の 戦 い など ) 、 後 者 ( 主 に 墺 対 露 ) で は 当 初 露 が 優 勢 だ っ た が 、 後に 波 地 域 か ら 撤 退 す る 。 露 で は 、 戦 況 の 悪 化 と と も に 、 経済 が 疲 弊 し 、 革 命 機 運 ( と い っ て も 、 こ の 時 は 社 会 主 義 者が 中 心 で は な い ) が 高 ま り 、 1917 年 に 入 り 、 首 都 ペ ト ロ グラ ー ド で の 叛 乱 鎮 圧 命 令 に 軍 隊 も 反 旗 を 翻 す 中 で 、 画 策 を続 け た ニ コ ラ イ 2 世 235 も 退 位 を 承 諾 ( 後 継 指 名 を 受 け た 弟も 同 様 。 ユ リ ウ ス 歴 で 二 月 革 命 ) 、 代 わ っ て 人 気 を 博 し たケ レ ン ス キ ー 臨 時 政 府 は 独 に 対 す る 反 撃 を 試 み る が 失 敗 、そ の 後 軍 部 の ク ー デ タ 弾 圧 で 協 力 し て い た 赤 軍 に 敗 北 し 、十 月 革 命 と な る 。 そ の 後 、 独 軍 が 露 領 土 侵 入 で 休 戦 協 定 成立 ( 12 月 ) 、 ブ レ ス ト = リ ト フ ス ク 講 和 交 渉 中 断 で 、 独 ・墺 軍 は 穀 倉 地 帯 の キ エ フ 、 ク リ ミ ア 半 島 ま で 侵 入 す る 。 露
232 木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)69頁以下233 Cf. 映画『西部戦線異状なし』( All Quiet on the Western Front )、アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』(新潮社)(映画『武器よさらば』( A Farewell to Arms ))234 ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上、長山さき訳(徳間書店)108頁235 Cf.保田孝一『最後のロシア皇帝 ニコライ二世の日記』(講談社学術文庫)
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革 命 に よ る 露 の 撤 退 は 、 独 、 墺 両 国 に と っ て 大 歓 迎 だ っ たが 、 露 の 革 命 が 自 国 内 の 革 命 運 動 を 刺 激 す る こ と を 恐 れ た 。
6.3.1.3 バ ル カ ン
バ ル カ ン は 、 主 に セ ル ビ ア vs 墺 の 戦 場 で あ っ た 。 国 内に 複 雑 な 民 族 対 立 を 抱 え な が ら も 、 帝 国 へ の 愛 着 は 揺 る がず 、 墺 の 攻 勢 が 続 く ( 皇 位 継 承 者 の カ ー ル が 形 式 上 と は いえ 、 陣 頭 指 揮 を 執 る 。 1916 年 に は フ ラ ン ツ = ヨ ゼ フ の 死 去に よ り 、 大 戦 中 に も か か わ ら ず 荘 厳 な 戴 冠 式 を 挙 行 し 皇 帝に な る ) が 、 独 側 と 墺 側 の 相 互 不 信 ( 一 例 と し て 、 独 側 は伊 の 懐 柔 を 図 っ て 、 墺 領 土 の 一 部 を 伊 へ 割 譲 す る 提 案 を 行う ) は 続 き 、 オ ス マ ン 敗 北 後 は 、 協 商 国 側 が 攻 勢 を か け る 。墺 側 は 自 国 の 戦 力 を 過 大 評 価 し て 、 戦 績 に 酔 う 傾 向 が あ った が 、 独 側 の 支 援 が な け れ ば 戦 争 遂 行 は 不 可 能 だ っ た 。 敬虔 な ク リ ス チ ャ ン で あ る 皇 帝 カ ー ル 1 世 は 英 仏 と の 単 独 講和 、 帝 国 内 に あ る 諸 民 族 へ の 権 利 付 与 な ど を 試 み る ( ウ ィル ソ ン 米 大 統 領 の 1 4 ヶ 条 は 歓 迎 で き る 内 容 で も あ っ た が 、帝 国 の 統 一 を 損 な う 限 り は 反 対 ) が 、 失 敗 す る 。
6.3.1.4 西 ア ジ ア ・ エ ジ プ ト
西 ア ジ ア ・ エ ジ プ ト で は 、 英 ・ ア ラ ブ vs オ ス マ ン が 覇権 を 争 っ た ( vs オ ス マ ン と い う 意 味 で は 、 仏 や 露 も 関 係 する ) 中 近 東 ( エ ジ プ ト 、 イ ラ ク 、 シ リ ア ) で の 攻 防 で 英。( 印 ) 軍 攻 勢 を 続 け る ( 「 ア ラ ビ ア の ロ レ ン ス 」 は 、 主 演P . オ ト ゥ ー ル の 映 画 ( Lawrence of Arabia ) な ど で も 有 名 だ ろう ) 。 な お 、 こ の 地 域 で の 英 の 「 勝 利 」 が 、 戦 後 に は 新 たな 問 題 ( 中 東 問 題 ) を 生 み 出 す こ と に な る 。 英 が ア ラ ブ 側に も ユ ダ ヤ 人 側 に も ( 「 バ ル フ ォ ア 宣 言 」 ) 「 い い 顔 」 をし て い た か ら で あ る 。
6.3.1.5 英 vs 独 の 海 上 戦
英 対 独 の 海 上 戦 は 、 独 軍 潜 水 艦 戦 で も 英 は 制 海 権 を 保持 し ( 1916 年 ) 、 独 は 無 制 限 潜 水 艦 ( U ボ ー ト ) で 攻 勢 をか け る ( 1917 年 ) 。 潜 水 艦 は 、 機 関 銃 と 同 様 、 戦 争 に お いて も 発 揮 さ れ る べ き 「 騎 士 道 に 反 す る 」 武 器 だ と み な さ れた 。 魚 雷 と い う 得 体 の 知 れ な い 新 兵 器 に 、 英 海 軍 を 悩 ま され 続 け る が 、 無 制 限 の 潜 水 艦 に よ る 攻 撃 は 、 戦 闘 行 為 と いう よ り は い わ ば テ ロ 行 為 と 見 な さ れ 、 世 論 の 強 い 反 発 を 受け た 。
6.3.1.6 伊 戦 線
伊 戦 線 は 、 伊 と 墺 を 主 要 な 交 戦 国 と す る 。 両 国 間 に は
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領 土 紛 争 ( フ ィ ウ メ ) が あ っ た 。 伊 は 独 墺 伊 三 国 同 盟 も あっ て 当 初 は 中 立 を 宣 言 、 1915 年 に な っ て 同 盟 を 廃 棄 し 、 墺に 宣 戦 布 告 し た 。 当 初 は 一 進 一 退 だ っ た が 、 や が て 墺 が 独の 支 援 で 攻 勢 を か け 、 英 仏 は 伊 を 支 援 し て 形 勢 は 逆 転 す、る 。 尤 も 、 伊 な ど の 勝 利 と い う よ り は 、 墺 の 民 族 間 対 立 ・少 数 民 族 問 題 ( 少 数 民 族 問 題 と い っ て も 、 相 対 的 に 少 数 であ っ て 絶 対 数 は 数 百 万 と 多 い ) が 生 む 紛 紜 に よ る と こ ろ が大 き い 。 や が て 帝 国 は 分 解 し 、 カ ー ル 1 世 は 退 位 し 、 追 放さ れ る こ と に な る 。
◎ 戦 争 の 日 々 の 多 く は 戦 闘 の 日 々 で は な い 。 作 戦上 か ら 駐 屯 す れ ば ( 膠 着 状 況 は 常 態 で あ る ) そ れ ほ ど日 常 と 変 わ ら な い 生 活 と な り 、 一 般 兵 士 の 基 本 生 活 は衣 食 住 の 確 保 で あ っ て 、 騎 馬 隊 だ と 馬 の 世 話 で あ る( 馬 は 牛 と 違 っ て 、 道 草 を あ ま り 食 べ て く れ な い の で手 間 が か か る と い う ) 。 辛 い の は 移 動 で あ っ て ( ア ジア で は 暑 く て マ ラ リ ア な ど が 大 敵 と な る が 、 欧 州 で は冷 た い ぬ か る み を 濡 れ た 靴 を 履 い て 歩 き 続 け る と 足 の指 が 壊 死 す る 。 英 語 で ト レ ン チ ・ フ ィ ー ト と い う ) 、歩 兵 は 武 器 な ど を 運 ぶ か ら で あ る ( 荷 物 は 20 ~ 30㎏ ) 。 病 気 や 戦 争 に よ る 怪 我 に 薬 は 不 足 す る ( 野 戦 病院 に 入 れ れ ば ま だ ま し だ ろ う ) 。 繰 り 返 さ れ る 戦 闘 の日 常 に 、 殺 戮 の 現 実 に 、 祖 国 へ の 相 当 の 思 い 入 れ ( 相手 国 に 対 す る 敵 意 ) か 、 あ る 種 の 諦 観 が な け れ ば 、 戦闘 は 続 け ら れ な い だ ろ う ( だ か ら こ そ 、 臆 病 に は 厳 罰が 科 さ れ 、 脱 走 は 最 も 重 い 罪 と な る ) 。 そ し て 、 少 なか ら ぬ 兵 士 が そ の 精 神 を 病 み 、 平 和 に な っ て も そ の 後遺 症 を 引 き 継 ぐ こ と に な る ( ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 の 例 だ が 、C f . 映 画 『 タ ク シ ー ・ ド ラ イ バ ー 』 ( Taxi Driver ) ) 。
6.3.2 戦 況 が 硬 直 す る な か で 、 1917 年 に 二 つ の 「 事 件 」 が起 こ る 。 1 つ は 露 の 撤 退 で あ る 。 露 は 、 大 戦 前 に は 製 鉄 や製 油 な ど を 中 心 に 世 界 第 5 位 の 工 業 国 と な っ て い た 。 し かし 、 イ ン フ レ 進 行 に よ る 国 内 の 反 発 も あ り 、 東 部 戦 線 で の失 態 も 大 き い か っ た 。 ニ コ ラ イ 2 世 は 自 ら 軍 最 高 司 令 官 とな っ て お り ( 1915 年 9 月 ) 、 ア レ ク サ ン ド ラ の 寵 臣 ラ ス プー チ ン の 暗 殺 ( 1916 年 12 月 ) に 見 ら れ る よ う に 宮 廷 へ の 不満 が 高 ま っ て い た こ と か ら 、 国 内 行 政 は 混 乱 し 、 デ モ が 多発 す る 中 で 戦 争 ど こ ろ で は な く な っ た 。 レ ー ニ ン は ペ ト ログ ラ ー ト で の 兵 士 の 暴 動 、 労 働 者 の デ モ ( 1917 年 3 月 ) に早 急 の 帰 国 を 望 ん だ が 、 交 戦 国 の 許 可 な し に は 通 過 で き なか っ た 。 独 政 府 は 、 露 の 内 乱 拡 大 を 期 待 し て 、 従 来 か ら 財政 支 援 を し て い た レ ー ニ ン を 列 車 で 送 り 届 け る 。 い わ ゆ る「 封 印 列 車 」 で あ る 。 敵 の 敵 は 味 方 と い う こ と だ っ た ろ う( そ し て 、 レ ー ニ ン が 独 か ら 資 金 提 供 を 受 け た こ と は 否 定
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し づ ら い だ ろ う 236) 。 レ ー ニ ン は 4 月 に 帰 国 、 「 四 月 テ ーゼ 」 を 発 表 し て 、 政 府 不 支 持 、 祖 国 防 衛 拒 否 、 ソ ヴ ィ エ トへ の 権 力 移 行 を 訴 え 、 こ れ が 党 の 公 式 見 解 と な る 。
戦 争 は 革 命 の 好 機 だ っ た 。 革 命 が 順 当 に 進 ん だ と は 言え な い が 、 「 平 和 と 土 地 と パ ン を 人 民 に 」 と い う ス ロ ー ガン が 響 き 、 11 月 ( 当 時 露 は ユ リ ア ス 歴 だ っ た の で 10 月 革 命と 呼 ぶ ) 、 ボ リ シ ェ ヴ ィ キ は 権 力 を 奪 取 237、 す べ て の 交 戦国 に 民 族 自 決 に 基 づ く 無 併 合 ・ 無 賠 償 の 停 戦 を 呼 び か け た 。国 内 優 先 で あ る 。 こ れ に 応 じ た の は 独 で あ り 、 連 合 国 は 、こ の ボ リ シ ェ ヴ ィ キ 政 権 が 長 持 ち す る と 考 え た 人 は 多 く なか っ た ( E . H . カ ー ) こ と も あ り 、 「 様 子 見 」 と な っ た 。こ う し て 、 12 月 露 ( ソ 連 ) は 独 と 休 戦 協 定 を 結 ぶ 。 こ の 独等 と 露 等 と の 間 で 進 め ら れ る ブ レ ス ト = リ ト フ ス ク 講 和 では 、 「 無 賠 償 ・ 無 併 合 ・ 民 族 自 治 」 と い う ボ ル シ ェ ヴ ィ キ側 の 原 則 提 示 が 独 側 に と っ て は 魅 力 を 欠 き 、 交 渉 は 一 旦 決裂 す る 。 実 際 に は 賠 償 金 や 領 土 割 譲 で こ じ れ た に せ よ 、 休戦 を 求 め る ( 休 戦 し て 、 独 国 内 の 革 命 に 期 待 す る ) レ ー ニン の 奮 闘 も あ っ て 条 約 は 締 結 さ れ 、 露 ( ソ 連 ) は 膨 大 な 領土 を 放 棄 し 、 賠 償 金 を 支 払 っ て 戦 線 離 脱 す る ( な お 、 連 合国 の 勝 利 で ソ 連 は 条 約 を 破 棄 す る が 、 こ の 条 約 内 容 へ の 不満 か ら 国 内 で 「 白 軍 」 と の 内 乱 が 続 き 、 諸 外 国 が 介 入 す るこ と に な る 。 日 本 に つ い て は 、 シ ベ リ ア 出 兵 で あ る ) 。
◎ ブ レ ス ト = リ ト フ ス ク 講 和 条 約 ( こ こ で は 露を 当 事 国 と す る 条 約 を 指 す ) の 内 容 は 露 側 に 過 酷 だ った 。 露 は 、 バ ル ト 海 か ら 黒 海 ま で の 広 範 な 、 鉱 産 資 源の 豊 か な 領 土 ( 約 3 分 の 1 の 人 口 や 農 地 、 約 90% の 石炭 な ど ) を 失 っ た 。 し か も 、 賠 償 金 も 多 額 で あ っ た 。そ れ ほ ど 、 レ ー ニ ン た ち に と っ て 、 講 和 は 国 内 問 題 解決 に 必 要 な 条 件 だ っ た と い え る 。
6.3.3 も う 1 つ の 事 件 は 米 の 参 戦 ( 対 独 1917 年 4 月 ) で ある 。 米 は 協 商 国 で は な く 、 客 船 が 撃 沈 さ れ て も 中 立 を 保 った 。 孤 立 主 義 あ る い は モ ン ロ ー 大 統 領 に 因 ん で モ ン ロ ー 主義 と も 呼 ば れ る 。 1823 年 、 モ ン ロ ー 大 統 領 は 、 米 と 欧 州 の相 互 不 干 渉 を 教 書 の 中 で 述 べ た 。 そ の 背 景 に は 、 ナ ポ レ オン 戦 争 以 降 、 中 南 米 諸 国 で 独 立 運 動 が 高 ま り 、 20 年 代 に かけ て 、 相 次 い で 独 立 し た こ と が あ る 。 た だ 、 こ の 孤 立 主 義は 単 な る 孤 立 で は な く 、 米 大 陸 = 中 南 米 は 米 の 勢 力 圏 で あっ て 、 欧 州 か ら の 介 入 を 拒 否 す る こ と を 含 意 す る ) の 伝 統は 根 強 か っ た 。
236 今でいえば、数億ユーロにあたるという。数百億円以上ということだろう。ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上、長山さき訳(徳間書店)第3章3(175頁)237 このあたり、Cf.ジョン・リード『世界をゆるがした十日間』小笠原豊樹、原暉之訳(筑摩書房)(他にも岩波文庫)。ジャーナリストであるリードを描いた映画『レッズ』( Reds )も迫力がある。
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そ れ に 、 ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 が 、 連 合 国 側 と 同 盟 国 側の い ず れ に つ く の か が は っ き り し て お ら ず 、 1916 年 の 大 統領 選 挙 を 過 ぎ て も 両 側 に 和 平 工 作 を 行 っ て い た ( 1917 年 1月 「 勝 利 な き 平 和 」 演 説 ) 。 そ も そ も 米 に は 独 系 住 民 が 当時 800万 人 お り 、 中 立 政 策 と は 、 国 際 法 上 の 中 立 権 で あ り 、あ ら ゆ る 国 籍 の 船 舶 を 用 い た あ ら ゆ る 国 と の 貿 易 の 権 利 であ っ た か ら 、 英 の 海 上 封 鎖 に も 厳 重 に 抗 議 し て い た 238。 参戦 の 直 接 の 原 因 は 、 独 の 潜 水 艦 作 戦 ( 1917 年 に 無 制 限 ) への 反 発 ( 1915 年 英 船 ル シ タ ニ ア 号 の 撃 沈 に よ り 、 米 人 100名以 上 が 死 亡 し て い た こ と も あ る ) で あ り 、 ま た 米 と 紛 争 を抱 え る メ キ シ コ と い う お 膝 元 の 内 政 へ 独 が 介 入 し て き た こと ( ツ ィ ン マ ー マ ン 電 報 事 件 ) へ の 憤 慨 で あ り 、 さ ら に は直 前 の 露 革 命 の 勃 発 と 露 の 戦 線 離 脱 ( ブ レ ス ト = リ ト フ スク 講 和 ) に よ り 、 「 帝 制 = 専 制 」 に 対 す る 「 デ ィ モ ク ラ シ= 自 由 」 の 擁 護 と い う 大 義 の 「 獲 得 」 で あ っ て 、 参 戦( 1917 年 4 月 独 に 宣 戦 布 告 、 な お 厳 密 に 言 え ば 連 合 国 で はな く 、 連 合 国 に 対 す る 協 力 を 表 明 ) を 契 機 に 米 は 戦 争 景 気に わ い た 。 そ し て 、 参 戦 期 に 史 上 初 の 全 国 レ ベ ル で の 徴 兵制 を 導 入 し た 。 参 戦 前 に 29 万 人 だ っ た 米 軍 は 1 年 足 ら ず の間 に 390万 人 と な っ た 239。
6.3.4 各 地 で 墺 や オ ス マ ン の 敗 北 気 配 は あ っ た が 、 独 は 比較 的 優 勢 を 保 っ て い た 。 と こ ろ が 、 独 の 敗 北 気 配 も 「 突然 」 や っ て く る 。 独 軍 は 西 部 戦 線 で 仏 で の 連 合 国 側 の 塹 壕線 を 破 り 、 勝 利 は 間 近 に 思 え た ( 1918 年 3 月 ) が 、 連 合 国の 攻 勢 ( 1918 年 6 月 ~ ) に 形 勢 は 逆 転 し 、 独 陸 軍 は 敗 北 を認 め 、 休 戦 協 定 が 結 ば れ る 。 と は い え 、 独 陸 軍 は 仏 領 土 内で 戦 闘 中 で あ り 、 国 土 は 侵 略 さ れ て お ら ず 、 敗 北 の 実 感 に乏 し く 、 敗 北 は 売 国 奴 た る 社 会 主 義 者 に よ る も の と 解 釈 され た 。 こ こ か ら 大 戦 後 の ワ イ マ ー ル 共 和 国 支 持 者 を 悩 ま せる 「 匕 首 伝 説 」 が 生 ま れ た 。 す な わ ち 、 実 際 に は ル ー デ ンド ル フ ら が 社 会 民 主 主 義 者 に 政 府 を 譲 っ て 、 敗 戦 の 責 任 をと ら せ た に も か か わ ら ず 、 政 府 が 社 会 主 義 者 な ど の 国 内 の裏 切 り 者 に 押 さ れ て 勝 手 に 降 伏 し た の で 負 け た と い う 伝 説で あ る 。 尤 も 、 発 疹 チ フ ス や イ ン フ ル エ ン ザ ( ス ペ イ ン 風邪 ) の 大 流 行 が 事 実 上 戦 闘 を 不 可 能 に し て い た と い う 側 面も あ る 。 戦 争 中 の 死 亡 原 因 の 確 定 は 難 し い 。 病 死 が 多 い から で あ る 240。 た だ 、 イ ン フ ル エ ン ザ で は 、 少 な く と も 欧 州で 700万 人 、 全 世 界 で 2,100 万 が 死 亡 し た と さ れ る 。
6.3.5 大 戦 は 政 治 体 制 に も 大 き な 影 響 を 及 ぼ し た 。 第 1 は 、中 欧 以 東 の 政 治 秩 序 を 維 持 し て き た 4 つ の 帝 国 ( 独 墺、 、露 オ ス マ ン ) の 崩 壊、 で あ る ( 地 図 。 な お 、 国 境 が 大 き く移 動 し て い る こ と に も 注 意 ) 。
238 中野耕太郎『戦争のるつぼ』(人文書院)31頁239 中野耕太郎『戦争のるつぼ』(人文書院)第2章240 戦争に関する参考文献は多い。戦争はまずは移動であり、病気との闘いである。参考文献としては、ひとまず、山本七平『私の中の日本軍』上下(文春文庫)、大岡昇平『俘虜記』(新潮文庫)
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帝 国 の 崩 壊 は ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 讃 歌 と な り 、 帝 国 内 部の 「 民 族 集 団 」 に 独 立 の 契 機 を 与 え た 。 中 欧 ・ 東 欧 の 帝 国( 独 、 墺 = 洪 、 露 、 オ ス マ ン ) と い う 専 制 国 家 の 解 体 を 望ん で い た ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 の 14 ヶ 条 に あ る 「 民 族 自 決 原 則 」 に よ り 正 統 性 が 賦 与 さ れ た か ら で あ る ( そ の お か げ で 、こ の 原 則 が 適 用 さ れ た バ ル カ ン 半 島 の 一 部 で は 、 数 百 万 単位 で の 住 民 の 強 制 移 動 が 行 わ れ た 。 た だ 、 こ の 原 則 の 適 用範 囲 は 限 定 さ れ 、 例 え ば 、 米 は 自 国 の 「 植 民 地 」 フ ィ リ ピン の 独 立 を 認 め な か っ た ) 。 尤 も 、 実 際 の 国 境 確 定 に つ いて こ の 原 則 が 必 ず 適 用 さ れ た わ け で は な い 。 そ も そ も 、 この 民 族 自 決 原 則 は 、 英 仏 な ど 「 戦 勝 国 」 に は 適 用 さ れ ず 、米 の 「 イ ン デ ィ ン 」 の 自 治 権 を 認 め る も の で も な か っ たアか ら 、 多 分 に 欺 瞞 に 映 る 側 面 も あ っ た 。
民 族 自 決 を 徹 底 す れ ば 、 ハ プ ス ブ ル ク 帝 国 解 体 後 の 墺 は 独 人 国 家 だ か ら 、 独 と 墺 と は 統 一 さ れ な け れ ば な ら な いこ と に な る が 、 講 和 条 約 第 80 条 で 否 定 さ れ た 。 終 戦 当 初 バル カ ン で は 「 帝 国 」 の 維 持 が 想 定 さ れ て い た の は 現 実 的 だっ た か も 知 れ な い 。 民 族 が モ ゥ ゼ ィ イ ク ( モ ザ イ ク ) 状 に居 住 す る 地 域 に 民 族 自 決 の 原 則 を 適 用 す れ ば 、 少 数 民 族 の排 斥 を 正 当 化 し 、 複 数 の 同 一 民 族 居 住 地 域 の 統 合 に 正 当 性を 与 え る こ と に な る 。 後 年 ヒ ト ラ ー は こ の 理 屈 を 逆 用 し 、英 な ど は 、 承 認 に せ よ 、 黙 認 に せ よ 、 認 め ざ る を 得 な く なる 。 ク リ ミ ア 戦 争 、 露 土 戦 争 、 二 度 の バ ル カ ン 戦 争 、 第 一次 大 戦 と 紛 争 が 続 い た と は い え 、 ま だ し も 秩 序 を 保 っ て いた 帝 国 シ ス テ ム が 崩 壊 す れ ば 権 力 の 空 白 が 生 じ 秩 序 維 持、 、 の コ ス ト が 急 速 に 高 ま っ た 。 再 び と い う べ き か い わ ゆ る、「 東 方 問 題 」 の 発 生 ( 再 発 ) で あ る 。
◎ W . ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 が 第 一 次 大 戦 集 結 に 向け て 連 邦 議 会 で 打 ち 出 し た 「 1 4 ヶ 条 の 平 和 原 則 ( The Fourteen Points ) 」 241は 、 秘 密 外 交 の 廃 止 、 海 洋 ( 公 海 ) の自 由 、 民 族 自 決 、 国 際 平 和 機 構 の 設 立 な ど で 知 ら れ る 。な お 、 芬 は 1917 年 に 、 エ ス ト ニ ア 、 ラ ト ビ ア 、 リ ト アニ ア 、 波 は 1918 年 に 露 か ら 独 立 し 、 墺 = 洪 帝 国 「 解体 」 で 、 洪 、 チ ェ コ ス ロ バ キ ア は 1918 年 に 独 立 し た( C f . 、 配 布 地 図 : 1919 年 の 欧 州 ) 。
◎ 何 故 民 族 は 統 一 さ れ な け れ ば な ら な い の か ( 民
241 Cf.斎藤眞編『アメリカ政治外交史教材 英文資料選』(東京大学出版会)。なお、この14ヶ条の原案作成の秘密グループに、ウォルター・リップマンが加わり、14ヶ条のうち、8ヶ条はリップマンが執筆し、さらに、米政府の公式見解も起草したという(ウォルター・リップマン『世論』上・掛川トミ子訳(岩波文庫)260頁~)。30歳前後の若さ故の自惚れがあったのだろうが、気恥ずかしくなるほどのディモクラシ完成への環境整備あるいは和平交渉の努力が失敗する「苦い」経験を踏まえて、この『世論』が書かれた(1922 年)と考えた方がいいのかも知れない。14ヶ条が作られた背景や意図、リップマンの思いなどについては、『世論』下の第5部第 13章を参照のこと。
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族 自 決 ) は 、 気 分 の 問 題 以 上 に は 理 解 し が た い 。 民族 に 人 格 は な い の だ か ら 、 自 決 し よ う が な い の で はな い か と 思 う が 、 こ う い う 議 論 は 説 得 力 を 持 た な いよ う で あ る 。 フ ィ ク シ ョ ン の 実 体 化 機 能 ( 擬 人 化 )が 働 い て い て 、 相 変 わ ら ず こ の 議 論 は 影 響 力 を 持 って い る 。 冷 戦 終 了 後 、 欧 州 で の 戦 争 勃 発 の 危 険 性 が小 さ く な る に つ れ 、 チ ェ コ = ス ロ バ キ ア が 平 和 裡 に分 離 し 、 あ る い は 英 に お け る ス コ ッ ト ラ ン ド の よ うに 、 国 家 単 位 を 民 族 居 住 区 域 に あ わ せ る 動 き が 起 こっ て い る が 、 こ れ は 裏 返 せ ば 、 国 家 が 第 一 義 的 に は戦 争 遂 行 装 置 で あ る こ と を 示 し て い る 。
6.3.5 第 2 に 、 こ の 戦 争 で は 未 曾 有 の 犠 牲 者 数 が 生 ま れ た( 下 の 表 を 参 照 ) 。 第 一 次 大 戦 の 死 者 ・ 負 傷 者 の 概 数 は 、合 計 で 死 者 、 約 854 万 人 ( 兵 士 の 総 数 に 対 す る 比 率 は 10 ~16 % ) 、 負 傷 者 約 2897 万 人 と さ れ る が 、 行 方 不 明 、 病 死 など が あ る た め 、 統 計 の と り 方 で 数 字 は 大 き く か わ る 。 な お 、民 間 人 の 死 傷 者 の 数 は 別 だ が 、 第 二 次 大 戦 以 降 に 較 べ れ ばそ れ ほ ど 多 く な い 。 と は い え 、 そ れ ま で の 戦 争 に 較 べ れば 死 傷 者 の 数 は 桁 が 違 っ て い る な お 、 大 戦 戦 死 者 の 7 割、 。は 20 ~ 24 歳 の 青 年 層 で あ り 、 オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 の 志 願 者の 戦 死 率 は 、 平 均 戦 死 率 の 2 倍 近 か っ た と さ れ る 242よ う に 、エ リ ー ト は エ リ ー ト の 立 場 で 積 極 的 に 参 戦 し た 。
こ の 破 滅 的 状 況 の 背 景 に は 、 殺 傷 能 力 の 向 上 と 戦 術 の変 化 が あ る 。 貴 族 に と っ て 戦 争 は 元 来 身 分 の 弁 証 機 会 で はあ っ た が 、 武 器 の 発 達 は 戦 争 か ら 紳 士 ( 騎 士 ) の 決 闘 と いう 要 素 を 奪 い 去 る 。 英 で は 、 貴 族 の 子 弟 の 6 人 に 1 人 が 死亡 し ( 地 位 が 高 い 人 が 多 く 死 ん だ 背 景 に は 明 ら か に 「 旧 き良 き 」 身 分 原 理 = 仏 語 : noblesse oblige が 働 い て い た 。 そ の 点で 立 派 で は あ り 、 日 本 の 場 合 と の 違 い だ ろ う ) 、 1880 年 代以 降 の 土 地 の 政 治 的 重 要 性 の 低 下 に 加 え 貴 族 階 級 の 再 生、産 が 一 層 危 機 に 陥 る 。
そ し て 、 欧 州 の 疲 弊 は 米 の 抬 頭 を も た ら し た 。 史 上 初め て の 総 力 戦 が 終 わ れ ば 、 「 戦 争 は ご め ん だ 」 と 言 う 気 分が 高 ま り 、 平 和 を 維 持 す る 国 際 機 関 ( 国 際 連 盟 < ウ ィ ル ソン 米 大 統 領 は 1916 年 5 月 提 唱 ) を 創 設 す る 動 き が 具 体 化 する 。
英 連邦
仏 独 墺 露 合 計
死 者 910,000 1,350,00 1,770,0 1,200,000 1,700,000 6,930,000
242 木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)216頁
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0 00
負 傷者
2,090,000
4,280,000
4,220,000
3,620,000 4,950,000 19,160,000
◎ 膨 大 な 戦 死 者 は 人 口 ピ ラ ミ ド を 歪 ま せ る 。 特 に 、兵 士 と な っ た 若 者 の 減 少 は 「 次 世 代 」 の 減 少 で も あ った ( 戦 後 は 、 当 然 な が ら 「 ベ ィ ビ ・ ブ ー ム 」 を 生 む とし て も ) 。 仏 を 例 に と れ ば 、 1914 ~ 1918 年 生 ま れ が 少 なく 、 1919 ~ 1920 年 生 ま れ が 急 増 す る 。 徴 兵 と 戦 後 の 若 者の 減 少 は 、 戦 中 以 降 の 労 働 力 不 足 を 意 味 し 、 代 わ っ て女 性 が 労 働 力 と し て 駆 り 出 さ れ ( 戦 争 未 亡 人 の 増 加 ) 、そ の 社 会 進 出 を 促 し 、 そ の 地 位 向 上 の 要 求 実 現 の 一 助と な っ た 。
6.3.6 第 3 に 、 戦 時 の 動 員 体 制 は 、 統 制 経 済 へ の 懸 念を 払 拭 し む し ろ 、、 統 制 経 済 が 戦 後 経 済 の モ デ ル と な っ た 。そ れ は 、 国 民 が 支 え る 戦 争 で あ り 、 政 治 と 経 済 の 融 合 を 認め 様 々 な 利 益 団 体 を 国 家 の 下 に い わ ば 「 業 界 化 」 す る こ、と に な る ( 一 例 と し て 、 仏 の デ ィ リ ジ ズ ム ( 産 業 動 員 の ため の 国 家 介 入 ) が あ る 。 官 庁 や 議 会 委 員 会 に も 、 各 種 利 益団 体 の 代 表 者 が 含 ま れ 、 経 済 が 組 織 化 さ れ た 。 シ ト ロ エ ン社 、 ル ノ ー 社 な ど は 軍 需 生 産 を 支 援 し 、 仏 は 、 大 戦 中 連 合国 で 第 1 の 兵 器 生 産 国 と な っ て い た ) 。
大 量 の 国 債 発 行 は 終 戦 と と も に 、、 戦 勝 国 に お い て も 負債 返 済 を 第 一 の 目 的 と す る 体 制 を 強 い る こ と に な る ( そ の返 済 は 、 第 二 次 大 戦 後 ま で 続 く ほ ど で あ っ た ) だ か ら こ。そ 、 戦 勝 国 は 敗 戦 国 に 対 し 、 膨 大 な 賠 償 金 を 要 求 す る 。
ま た 、 19 世 紀 型 の 古 典 的 な 議 会 制 民 主 主 義 に 代 わ り 女、性 の 参 政 権 付 与 な ど 国 民 の 政 治 参 加 を 促 す と と も に 、 国 民に 対 し て 指 導 力 を ア ピ ー ル で き る 政 治 家 の 登 場 が 政 治 運 営に 必 要 な 時 代 の 到 来 を 意 味 し て い た 243 そ れ は 、 外 交 面 で は。 、貴 族 主 義 的 な 「 旧 外 交 」 ( 古 典 外 交 < 高 坂 正 尭 244 ) に 代 わ り 秘 密 条 約 な ど を 廃 し 、 公 開 性 と 民 主 性 を 唱 え る 「 新 外、交 」 の 到 来 を 意 味 し て い た 。 世 論 に よ っ て 動 か さ れ る ( べき だ と ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 は 考 え る ) 外 交 で あ る 。
7. 「 危 機 の 20 年 」
243 Cf.マックス・ウェーバー『職業としての政治』西島芳二訳(角川文庫)(他にも邦訳あり)244 Cf.高坂正尭『古典外交の成熟と崩壊』(中央公論新社)
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7.0 1914 年 と 1919 年 の 欧 州 の 地 図 を み る と 、 そ の 国 境 線 は 大き く 変 わ っ た 。 私 た ち は 歴 史 を 後 か ら 見 る か ら 、 第 一 次 大戦 後 20 年 で 再 び 世 界 大 戦 が 勃 発 す る こ と を 知 っ て い る 。 従っ て 、 こ の 大 戦 後 の 時 期 は 「 戦 間 期 」 と 呼 ば れ 、 E . H .カ ー は 「 危 機 の 20 年 」 と 呼 ぶ 245。 こ こ で は 、 1929 年 を 境 と して 、 こ の 20 年 間 を 、 前 半 ( 没 落 と 復 興 : 戦 間 期 1919 ~ 1929 )と 後 半 ( 模 索 と 混 迷 : 戦 間 期 1929 ~ 1939 ) に 分 け る 。 時 期 区分 と し て は 丁 度 真 ん 中 の 1929 年 に 大 恐 慌 が 起 こ り 、 そ れ 以降 そ の 対 策 を め ぐ る 対 応 が 欧 州 政 治 の 中 心 課 題 と な る か らで あ り 、 そ こ か ら 「 危 機 の 20 年 」 後 半 の 「 主 役 」 で あ る ヒト ラ ー が 台 頭 す る か ら で あ る 。
と も か く も 、 第 1 次 大 戦 と い う 未 曾 有 の 戦 争 を 終 結 し 、よ う や く 勝 ち 取 っ た 平 和 の 時 代 に は 、 厄 介 な 課 題 が 欧 州 各国 指 導 者 を 待 ち か ま え て お り 、 第 1 次 大 戦 に よ り 生 じ た 惨禍 ・ 負 債 を ど の よ う に 清 算 し 、 国 力 を 回 復 す る の か ( 同 時に 没 落 し つ つ あ る 欧 州 を ど の よ う に 復 興 さ せ る の か ) 、 そし て 外 交 関 係 で は 最 も 厄 介 な 「 独 問 題 」 に ど の よ う に 対 応す る の か に 悪 戦 苦 闘 し 続 け る こ と に な る 。
各 国 の 指 導 者 の 立 場 で 考 え て 見 れ ば よ い 。 国 内 の 平 和( 統 合 ) と 欧 州 の 平 和 ( 協 調 ) は 往 々 に し て 衝 突 す る 。 そし て 、 こ の 時 期 の 欧 州 各 国 の 様 々 な 対 応 こ そ 、 現 在 に お いて も 危 機 対 処 の 重 要 な 参 照 モ デ ル と な っ て い る 。 そ の 意 味で も 、 第 1 次 大 戦 以 降 は 「 現 代 史 」 で あ る 。
7.1 ~ 7.2 「 危 機 の 2 0 年 」 ① : 没 落 と 復 興 ( 1919 ~ 1929 )あ る い は 「 希 望 の 前 半 」 ( E . H . カ ー )
7.1. 「 没 落 」 の 始 ま り か
7.1.1 戦 争 に 金 が か か る の は 当 然 と し て も 、 そ れ 以 上 に 、戦 場 と な っ た 欧 州 は 社 会 的 、 経 済 的 に 疲 弊 し 、 債 務 国 と なる 。 代 わ っ て 、 欧 州 の 「 鬼 っ 子 」 た る 米 と ソ 連 が 台 頭 す る 。ま た 対 露 戦 争 以 降 、 対 等 な 関 係 を 要 求 す る 日 本 の プ レ ゼ ンス も 高 ま っ た 246( 大 隈 内 閣 は 大 戦 の 勃 発 を 「 天 佑 」 と し た 。戦 後 日 本 は 債 権 国 と な る ) 。 国 内 の 混 乱 に あ っ て 大 衆 の 政治 参 加 が 普 及 し 、 経 済 へ の 政 治 介 入 が 常 態 化 す る 。 労 使 関
245 Cf.エドワード・ハレット・カー『危機の二十年』井上茂訳(岩波書店)。なお、有名な話だろうが この『危機の二十年』は初版(、 1939 年版)と第二版(1946 年版)とでは、各国の政治家や政策に対する評価が異なっている ただ、カーが戦後「転向」したという単純な話ではないだろう。。246 幕末期以降の日本については、一例として、Cf.佐藤誠三郎『西洋の衝撃と日本』(都市出版)
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係 で は 、 議 会 の 解 決 能 力 の 欠 如 や 議 会 外 闘 争 の 活 発 化 に より 、 雇 用 や 労 働 条 件 な ど に つ い て 国 家 ( 政 府 ) を 仲 介 と して 双 方 の 団 体 が 解 決 を 模 索 す る 協 調 路 線 方 式 ( コ ー ポ ラ ティ ズ ム ) が 採 用 さ れ 始 め る 。 そ れ は 、 従 来 の 社 会 主 義 ・ 労働 運 動 に も 、 戦 略 や 戦 術 の 変 更 を 強 い る こ と に な る 。
第 一 次 大 戦 に よ っ て 、 欧 州 は 新 し い 体 制 を 作 ら ざ る をえ な か っ た 。 戦 争 に よ り 、 階 級 対 立 ( 国 に よ り 民 族 対 立 )を 克 服 し 、 大 衆 を 体 制 へ と 統 合 す る 必 要 が 痛 感 さ れ た 。 労働 者 を は じ め と す る 一 般 国 民 の 福 利 厚 生 が 、 行 政 エ リ ー トに よ る 大 衆 国 家 の 管 理 体 制 を 作 り 出 し た 。 こ れ を 国 家 社 会主 義 と 呼 ぶ か ど う か は 措 い て 、 こ れ 以 降 多 か れ 少 な か れ 、欧 州 各 国 は 平 時 に お い て も 、 こ の 戦 時 体 制 を 引 き 継 ぐ こ とに な る 。 そ れ は 、 特 に 大 恐 慌 ( 1929 年 ) へ の 対 応 の 中 で 再現 す る こ と に な る 。
7.1.2 米 247で は 、 欧 州 と の 3,000 マ ィ ル ( 4,800 ㎞ ) の 距 離 が 心理 的 隔 た り を 生 み 、 旧 世 界 た る 欧 州 の 身 分 社 会 へ の 反 発 ・嫌 悪 も あ っ て 、 孤 立 主 義 が 時 に 支 配 す る 。 第 一 次 大 戦 後 、ウ ィ ル ソ ン 大 統 領 ( 民 主 党 ) が 掲 げ た 戦 後 構 想 ( 国 際 連 盟 、ウ ィ ル ソ ン は 1919 年 に ノ ー ベ ル 平 和 賞 受 賞 ) も 、 「 野 党 」共 和 党 が 多 数 を 占 め る 上 院 の 反 対 ( 共 和 党 な ど は 、 規 約 10 条 の 侵 略 阻 止 義 務 に 反 対 ) に よ り 米 の 参 加 が 否 決 さ れ る 。こ の 否 決 の あ お り を 受 け て 、 英 米 に よ る 対 独 安 全 保 障 を 構想 し て い た 「 三 傑 」 の 一 人 「 猛 虎 」 ク レ マ ン ソ ー 仏 首 相 は1920 年 に 大 統 領 選 で 敗 北 す る 。 米 は 実 際 の 戦 闘 に は あ ま り、関 わ ら な か っ た と は い え 、 大 量 の 兵 士 ( 後 に 「 失 わ れ た 世代 」 と 呼 ば れ る ) や 物 資 を 欧 州 に 送 り 、 戦 争 特 需 に よ り 未曾 有 の 好 況 を 迎 え て い た 。 米 の G N P は 大 戦 中 に 2 倍 と な り 、 終 戦 後 に は 欧 州 に 対 す る 圧 倒 的 な 債 権 国 の 地 位 を 獲 得す る ( 世 界 の 公 的 な 金 の 半 数 を 保 有 ) 。 工 業 生 産 額 は 英 、仏 独 を あ わ せ た 程 に も な っ た 。 そ し て 、、 1920 年 に は 都 市 居住 者 が 過 半 数 を 超 え 、 大 量 生 産 ( フ ォ ー デ ィ ズ ム ) に よ って 生 ま れ た 商 品 ( T 型 車 = 「 大 衆 の 自 動 車 」 ) を 購 入 す る豊 か な 消 費 者 が 大 量 に 誕 生 し た 。 米 型 の 大 衆 社 会 の 誕 生 であ る ( こ れ は 、 第 二 次 大 戦 後 、 ジ ャ ス ト ・ イ ン ・ タ イ ム とい う ト ヨ タ の 生 産 シ ス テ ム に と っ て 代 わ ら れ る ) 。
7.1.3 露 革 命 ( 1917 年 2 月 11 日 ) 248の 衝 撃 は 、 イ デ オ ロ ギ 国家 が 誕 生 し た と い う こ と だ け で な く ( こ の 後 、 マ ル ク ス 主
247 米の政治史については、Cf. チャールズ・A・ビアード『アメリカ政党史』斎藤真、有賀貞訳編(東京大学出版会)、斎藤眞『アメリカ政治外交史』(東京大学出版会)、阿部斉『アメリカの政治』(弘文堂)、斎藤眞編『アメリカ政治外交史教材』(東京大学出版会)…248 露革命に関連する文献は数多い。ひとまず、エドワード・ハレット・『ロシア革命』塩川伸明訳(岩波書店)、渓内謙『現代社会主義の省察』(岩波書店)、ロバート・サーヴィス『ロシア革命1900-1927』中嶋毅訳(岩波書店)に加えて H.アレント『革命について』志水速雄訳(中央公論、社)、バリントン・ムーア、ジュニア『独裁と民主政治の社会的起源』Ⅰ・Ⅱ、宮崎隆次訳(岩波書店)
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義 は マ ル ク ス = レ ー ニ ン 主 義 と 呼 ば れ る よ う に も な る ) 、露 と い う 大 国 が 資 本 主 義 国 を 仮 想 敵 と す る 社 会 主 義 国 家 とな っ た 点 に あ る 。 ソ 連 か ら の 「 革 命 の 輸 出 」 は 、 こ れ 以 降 、欧 州 に と っ て 日 々 の 脅 威 と な る 。 公 教 会 が ロ ー マ か ら 指 示を 受 け る 勢 力 で あ る と み な さ れ た よ う に 、 共 産 主 義 勢 力 はし ば し ば モ ス ク ワ か ら の 指 示 を 受 け る 外 国 勢 力 と み な さ れ 、ま た 、 マ ル ク ス 主 義 が 掲 げ る 無 宗 教 は 、 欧 州 の 社 会 基 盤 であ る 基 督 教 に 基 づ く 世 界 観 を 掘 り 崩 す よ う に 思 え た か ら であ る 。
7.1.4 戦 後 秩 序 の 回 復 は 、 平 和 の 制 度 化 ( 国 境 の 確 定 ) と対 独 政 策 と が 連 動 し な が ら 進 む 。 戦 争 の 前 後 で 、 国 境 は 大き く 変 わ っ た 。 独 墺 露 オ ス マ ン の 4 帝 国 は そ れ ぞ れ 領、 、 、土 を 失 い 、 特 に 墺 と オ ス マ ン は 領 土 喪 失 が 国 土 の 大 半 を 占め た た め 、 中 小 国 に な り 下 が っ た ( オ ス マ ン に つ い て は その 後 、 ト ル コ 共 和 国 転 進 へ の 有 名 な 「 ド ラ マ 」 が あ る が 、省 略 ) 。 独 墺 露 は 戦 前 直 接 に 国 境 を 接 し て い た が 、 今 や、 、3 国 の 間 に は 、 バ ル ト 三 国 、 波 、 チ ェ コ 、 洪 な ど が 緩 衝( バ フ ァ ) 地 帯 の よ う に 独 立 し た ( 地 図 ) 249。 そ し て 、 オス マ ン 帝 国 の 解 体 は 新 た な 中 近 東 問 題 を 作 り 出 す 。 ロ カ ルノ 条 約 ( 1925 年 ) で 独 の 西 部 国 境 は 確 定 し た ( A . チ ェ ンバ レ ン 英 首 相 が ノ ー ベ ル 平 和 賞 受 賞 ) が 、 一 方 で 18 世 紀 末以 降 地 図 か ら 消 え て い た 波 の 復 活 は 、 独 と 露 の 二 大 強 国 に挟 ま れ る 状 況 を 再 び 作 り 、 独 の 東 部 国 境 問 題 は 確 定 さ れ ない ま ま 、 新 た な 紛 争 の 種 と な る 。 バ ル カ ン 地 方 で は 、 ル ーマ ニ ア 、 ブ ル ガ リ ア 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア ( セ ル ブ = ク ロ ア ート = ス ロ ヴ ェ ー ヌ 王 国 ) 、 ア ル バ ニ ア 、 希 が か な り の 領 土を 獲 得 し た が 、 ど の よ う に 国 境 線 を 引 こ う と も 、 各 国 は 国内 に 隣 国 の 国 民 を 少 数 民 族 と し て 抱 え 込 む こ と と な る 。 モゥ ゼ ィ ク 状 に 、 各 民 族 が 居 住 し て い た た め で あ る 。 仏 は 独か ら ラ イ ン 国 境 地 帯 ( ラ イ ン ラ ン ト ) を 「 獲 得 」 し 、 伊 は墺 か ら ア ル プ ス 地 域 な ど を 獲 得 す る が 、 こ れ も 後 に 紛 争 の種 と な る 。 た と え 講 和 条 約 に 基 づ い て い て も 、 新 し い 国 境 の 設 定 は 新 た な 紛 争 の 火 種 で あ る 。
◎ 第 1 次 世 界 大 戦 は 、 帝 制 と 民 主 主 義 体 制 と の 戦い だ と い う 宣 伝 が な さ れ た が 、 「 君 主 制 と し て の 帝制 」 よ り 、 「 帝 国 と し て の 帝 制 」 と い う 政 治 手 法 が 敗北 し た と い え る だ ろ う 。 た だ 、 そ の 意 味 で の 帝 制 が 敗北 し た 原 因 を 単 に ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 普 及 や 浸 透 に 求 める こ と は で き な い 。
◎ 注 意 し な け れ ば な ら な い の は 、 国 境 と い う 概 念で あ る 。 現 在 の 国 境 イ メ ー ジ を 持 ち 込 む と 、 混 乱 す る 。
249 言語から見た民族のモゥゼイイク(モザイク)状況は現在も見られる。三谷惠子『スラブ語入門』(三省堂)185頁。なお、ECRML( The European Charter for Regional or Minority Languages 、地域言語もしくは少数言語のための欧州憲章)
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長 ら く 先 進 地 域 で あ る 欧 州 で も 、 国 境 管 理 が 厳 し く なっ た の は 第 1 次 大 戦 後 で あ る 。 そ れ ま で は パ ス ポ ート な し で 、 旅 行 す る こ と は 当 た り 前 だ っ た 。 大 戦 によ り ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 意 識 が 高 ま っ た こ と も あ る が、 、実 務 上 の 問 題 、 す な わ ち 、 国 境 管 理 の た め に は 、 国 境警 備 を 可 能 と す る 技 術 力 と 、 国 籍 ( 出 生 証 明 書 ) 及 びそ れ を 公 証 す る パ ス ポ ー ト な ど の 制 度 整 備 が 必 要 だ った か ら で あ る 250 。
7.1.5 講 和 に 至 る 過 程 は 各 国 各 様 の 思 惑 が あ り 、 各 国 の 代表 団 の 意 向 や 国 内 情 勢 の 変 動 が あ っ て 複 雑 で あ る 。 一 つ は独 が 半 ば 内 乱 状 態 が 続 き 、 代 表 者 の 確 定 が 難 し か っ た か らで あ る 。 ま た 、 当 初 「 勝 利 な き 講 和 」 、 「 公 正 な 講 和 」 を掲 げ て 戦 後 構 想 を 打 ち 出 し て い た ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 が、中 間 選 挙 を 気 に し て ( 米 の 政 治 に は 大 統 領 選 挙 や 中 間 選 挙を 意 識 し た 戦 術 や レ ト リ ク が 多 用 さ れ る 印 象 が あ る ) 、 英な ど の 連 合 国 と は 独 立 に 独 と の 講 和 を 進 め よ う と し て い たこ と も あ る 。 と も あ れ 、 そ の 内 容 が ど れ ほ ど 屈 辱 的 で あ ろう と も ( ア ル ザ ス = ロ レ ー ヌ 地 方 の 仏 へ の 返 還 、 東 側 は 波へ 割 譲 、 ア ジ ア ・ ア フ リ カ の 領 土 は 没 収 、 南 洋 諸 島 は 日 本の 管 理 下 、 後 述 す る 賠 償 金 に 加 え 、 軍 隊 の 解 散 な ど も ) 、ま た 講 和 条 件 を 少 し で も 好 く し よ う と し て 交 渉 を 重 ね ても 、 最 終 的 に は 独 側 は 受 け 入 れ る 他 選 択 肢 は な か っ た だ ろう し 、 戦 勝 国 も 講 和 の 成 立 自 体 に 価 値 を 見 出 す よ り 他 な く 、巴 里 講 和 会 議 破 綻 の 危 機 は 回 避 さ れ 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 講 和 条約 ( 複 数 の 条 約 の 集 合 体 ) 251が 調 印 さ れ た ( 1919 年 6 月 ) 。普 仏 戦 争 の 講 和 と 同 じ 宮 殿 ( 鏡 の 間 ) で の 調 印 は 一 種 の「 意 趣 返 し 」 だ っ た ろ う 。
こ れ 以 降 、 対 独 問 題 は 、 独 の 戦 争 責 任 問 題 追 及 を 背 景に ( ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 第 231条 の 戦 争 責 任 条 項 は 独 の 責 任 を問 う が 、 こ の 刑 事 法 上 に 類 し た 非 難 可 能 性 を 問 う 「 戦 争 責任 」 は 新 し い 概 念 で あ っ た た め に 独 側 は 強 く 反 発 す る 252) 、独 に ど の よ う な 制 裁 ( 賠 償 金 ) を 課 す の か 、 独 に ど の 程 度の 領 土 放 棄 ( ア ル ザ ス 地 方 、 波 な ど ) を 求 め る の か 独 の、国 際 復 帰 を い つ 認 め る の か ( 国 際 連 盟 加 盟 問 題 ) 、 独 に 再軍 備 の 許 可 を 与 え る の か 、 皇 帝 ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 な ど を 戦争 犯 罪 人 と し て 法 的 な 責 任 ( 道 義 的 な 責 任 は 関 係 者 の 間 では 明 白 だ っ た ) を 問 う た め に 裁 判 に か け る の か ( あ る い は 、そ も そ も 君 主 の 無 答 責 や 遡 及 法 の 妥 当 性 な ど を 考 え る と 法的 な 責 任 を 問 え る の か ) な ど が 争 点 と な る ( 蘭 は ヴ ェ ル サイ ユ 条 約 の 批 准 国 で は な い た め 、 英 仏 な ど は 亡 命 先 の 蘭 に
250 Cf.シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界』原田義人訳(みすず書房)、ジョン・C・トーピー『パスポートの発明』藤川隆男監訳(法政大学出版局)251 Cf. マーガレット・マクミラン『ピースメイカーズ』上下、稲村美貴子訳(芙蓉書房出版)、牧野雅彦『ヴェルサイユ条約』(中公新書)、守川正道『第一次大戦とパリ講和会議』(柳原出版)。なお、この会議で活躍する若者が外交の教科書『外交』(東京大学出版会)の著者で知られるハロルド・ニコルソンである。Cf.細谷雄一『大英帝国の外交官』(筑摩書房)252 牧野雅彦『ヴェルサイユ条約』(中公新書)6頁以下
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皇 帝 の 引 渡 を 要 求 で き な い ) 。
条 約 は 批 准 を 必 要 と す る か ら 各 国 代 表 は 講 和 の 内 容、 、が 交 渉 国 だ け で な く 、 国 内 で 受 け 入 れ ら れ る よ う に 配 慮 する 必 要 も あ っ た 。 政 権 基 盤 が 不 安 定 な 独 で は 、 特 に 条 約 問題 は 外 交 問 題 で あ る 以 上 に 国 内 問 題 、 あ る い は 政 権 問 題、で あ っ た 。
◎ 巴 里 講 和 会 議 は 、 日 本 に と っ て は ま さ に 初 の 外 交 デ ビ ュ ー だ っ た の だ ろ う 。 日 本 代 表 は 数 多 く の 議
題 に つ い て 、 人 員 不 足 な ど も あ り 、 ほ と ん ど 発 言 し なか っ た が 、 「 人 種 ・ 国 籍 に よ る 差 別 の 撤 廃 」 は 求 め た 。し か し 、 こ の 要 求 は 否 決 さ れ る 。 日 本 以 外 で は 多 か れ少 な か れ 人 種 差 別 が 濃 厚 に あ っ た か ら 、 こ の 撤 廃 の 理想 主 義 が 通 る 見 込 み は 大 き く な か っ た と は い え ( も ちろ ん 賛 同 し て く れ る 政 治 家 も 少 な く な か っ た ) 、 ま た米 な ど で も 人 種 を 基 準 と し た 移 民 制 限 が 重 大 な 内 政 問題 だ っ た か ら 、 ウ ィ ル ソ ン の 一 存 で は こ の 種 の 撤 廃 に賛 成 し づ ら か っ た と は い え 253、 こ の 否 決 が 、 そ の 後 、唯 一 の 非 白 人 「 一 等 国 」 た る 日 本 の 主 要 な エ リ ー ト の間 に ト ラ マ と し て 残 っ た と い う 議 論 は 、 あ る 程 度 妥ウ当 し て い る よ う に 思 え 、 20 世 紀 前 半 以 降 の 日 本 外 交 を考 え る 上 で 重 要 な の だ ろ う 。
7.1.6 講 和 会 議 ( 1919 年 1 月 か ら 巴 里 に て 。 英 仏 伊 米 日 の五 大 国 ( と い っ て も 、 実 質 は 英 仏 米 ) が 条 項 を 決 め 、 独 に通 知 す る 。 独 側 か ら み れ ば 、 反 論 の 機 会 が 与 え ら れ な い 裁判 の よ う な 会 議 で 、 そ の 他 の 中 小 国 家 も 発 言 の 機 会 が 事 実上 与 え ら れ な か っ た 。 当 た り 前 と い え ば 当 た り 前 だ が 、 面白 い の は 、 秘 密 外 交 の 廃 止 を 訴 え た ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 がこ の 会 議 の 非 公 開 を 認 め た こ と だ ろ う ) は 、 ロ イ ド = ジ ョー ジ 英 首 相 、 ク レ マ ン ソ ー 仏 首 相 ( 戦 局 が 膠 着 し て い た1917 年 に 再 び 首 相 ) 、 ウ ィ ル ソ ン 米 大 統 領 の 三 頭 の 主 導 で進 む ( 敗 戦 国 や 露 の 代 表 は 不 在 。 前 者 は 混 乱 要 因 だ と み なさ れ 、 後 者 は ボ リ シ ェ ヴ ィ キ 政 権 な ら 招 待 し づ ら い ) が 、「 平 和 の 使 徒 」 と 評 さ れ た 「 世 間 知 ら ず の 元 大 学 教 授 」 ウ ィ ル ソ ン に 象 徴 さ れ る 「 理 想 主 義 ( 一 例 を 挙 げ る と 、 1917 年 末 の 上 院 演 説 「 勝 利 な き 平 和 」 で は 、 戦 勝 国 に よ る 敗 者へ の 報 復 を 禁 じ た ) 」 と 、 胆 力 溢 れ る ( 会 議 中 狙 撃 さ れ 頸 を 負 傷 す る が 1 週 間 後 に は 笑 っ て 復 帰 す る ) 対 独 強 硬 論 者 ク レ マ ン ソ ー に 象 徴 さ れ る 「 現 実 主 義 」 が 綱 引 き を 続 け た 。英 で は 、 ロ イ ド = ジ ョ ー ジ な ど が 大 陸 で の 強 国 牽 制 と い う方 針 を 立 て な が ら も 、 終 戦 直 後 の 総 選 挙 ( 1918 年 12 月 ) では 有 権 者 の 動 向 に 沿 っ た 対 独 強 硬 路 線 ( 「 皇 帝 を 絞 首 刑に 」 、 「 独 か ら 徹 底 的 に 絞 れ 」 ) が 勝 利 す る 。
253 Cf.牧野伸顕『回顧録(下)』(中公文庫)204頁以下
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ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制 が こ の よ う な 理 想 主 義 と 現 実 主 義 との 妥 協 の 産 物 で あ る こ と は 認 め た と し て も 、 そ の 内 容 に は疑 問 点 が 少 な く な か っ た 。 独 の 、 あ る い は 欧 州 の 主 要 な 工業 地 帯 で あ る ル ー ル ( ラ イ ン ラ ン ト ) 地 方 に つ い て は 、 仏が ラ イ ン 川 左 岸 の 独 か ら の 切 り 離 し ( 緩 衝 地 帯 の 創 設 ) など を 主 張 し た ( こ れ は 民 族 自 決 主 義 に 反 し 、 英 米 は 反 対 した ) 。 結 局 数 年 後 の ロ カ ル ノ 条 約 ( 1925 年 ) で 現 状 維 持 に関 す る 相 互 保 障 に よ り 、 独 仏 間 の 敵 対 関 係 の 解 消 を 図 る が 、上 記 の 争 点 が す べ て 解 決 さ れ る こ と は な い 。 と は い え 、 史上 初 め て の 世 界 大 戦 ・ 総 力 戦 の 経 験 は 、 平 和 へ の 希 求 を もた ら し 、 初 め て の 常 設 国 際 機 関 で あ る 国 際 連 盟 ( 1920 年 )が 創 設 さ れ 、 集 団 安 全 保 障 の 制 度 化 が 図 ら れ ( ジ ュ ネ ー ブ議 定 書 、 1924 年 ) 、 さ ら に 国 際 紛 争 を 解 決 す る 制 度 と し て 、常 設 国 際 司 法 裁 判 所 が 設 置 さ れ る 。 尤 も 国 際 連 盟 は そ の、主 唱 国 で あ っ た ウ ィ ル ソ ン 大 統 領 ( 民 主 党 ) の 米 ( 1918 年 の 選 挙 以 降 、 共 和 党 が 優 勢 ) や 無 視 で き な い 大 国 で あ る 露が 不 参 加 で あ り 、 ま た 理 想 主 義 で あ る ( あ る い は あ ま り に合 意 形 成 に つ い て 楽 観 的 な ) 「 全 会 一 致 原 則 」 の 採 用 な どに よ り 、 紛 争 解 決 の 機 動 力 に 欠 け て い た の も 事 実 で あ る 。後 年 明 ら か に な る よ う に 独 、 伊 、 日 本 な ど 大 国 た る 常 任、理 事 国 の 動 き こ そ 、 国 際 紛 争 で の 大 き な 火 種 と な る か ら であ る 。
そ れ で も 、 独 の 非 武 装 の 条 件 と な っ て い た 戦 勝 国 の 軍縮 へ の 動 き は 少 し ず つ 進 み 始 め 、 ワ シ ン ト ン 海 軍 軍 備 制 限条 約 ( 1922 年 ) で 主 要 国 間 で の 主 力 艦 保 有 率 な ど が 定 め られ る 。 ま た 、 潜 水 艦 に よ る 戦 闘 と 毒 ガ ス の 使 用 禁 止 が 謳 われ る 。 国 際 平 和 の 象 徴 と な る 条 約 が 、 戦 争 放 棄 に 関 す る 条約 ( 巴 里 不 戦 条 約 、 ゲ ロ ッ グ = ブ リ ア ン 協 定 、 1928 年 。 なお 、 こ れ が 日 本 国 憲 法 第 9 条 へ と つ な が る ) で あ り 、 15 ヶ国 ( 後 に 63 ヶ 国 ) に よ っ て 調 印 さ れ 、 国 際 紛 争 解 決 の 手 段と し て の 戦 争 の 禁 止 、 国 益 追 求 の 手 段 と し て の 戦 争 の 放 棄な ど が 定 め ら れ る が 、 こ う し た 条 約 の 実 効 性 は 、 当 然 の こと な が ら 最 終 的 に は 大 国 間 の パ ワ ・ ポ リ テ ィ ク ス に 委 ね られ る 。 こ う し て 秩 序 の 回 復 を 目 指 す 動 き ( ヴ ェ ル サ イ ユ 体制 + ワ シ ン ト ン 体 制 ) が 進 む 中 で 、 大 戦 中 か ら 崩 れ 始 め てい た 労 使 協 調 を 謳 っ た 城 内 平 和 は 、 終 戦 と と も に 崩 壊 し 、各 国 と も 労 使 対 立 を は じ め と す る 紛 争 が 激 し く な る 。 平 和の 到 来 と と も に 、 戦 場 が 国 外 か ら 国 内 へ と 移 り は じ め た 。
7.2 主 要 国 の 政 治 状 況 と 、 対 独 ・ 対 ソ 関 係 254
7.2.1 英 の 主 要 な 政 治 課 題 は 、 労 働 問 題 ( 名 物 と も い え るス ト ラ キ ) で あ り 、イ 愛 蘭 問 題 で あ り 、 大 国 と し て の 地 位保 全 と 関 連 す る 通 貨 ( 世 界 通 貨 と し て の ポ ン ド ) の 維 持 、
254 Cf. エドワード・ハレット・カー『独ソ関係史』富永幸生訳(サイマル出版会)
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英 米 の 連 携 、 帝 国 の 再 編 問 題 で あ る 。 19 世 紀 が パ ク ス ブ・リ タ ニ カ だ っ た と す れ ば 、 第 一 次 大 戦 後 は 米 と の 協 調、( パ ク ス ・ ア ン グ ロ サ ク ソ ニ カ ) に よ っ て 大 国 の 威 信 を 維持 し よ う と し て ポ ン ド を 維 持 し 、 金 本 位 制 に 復 帰 す る が 、こ れ が 経 済 復 興 の 足 か せ と な る 。
第 4 次 選 挙 法 改 正 ( 国 民 代 表 法 、 1918 年 ) に よ り 、 成 年男 子 と 30 歳 以 上 の 婦 人 に 選 挙 権 が 与 え ら れ 、 男 女 平 等 選 挙法 ( 1928 年 、 一 部 1 人 2 票 ) が 施 行 さ れ る 。 労 働 問 題 は 、「 暗 黒 の 金 曜 日 ( 1921 年 ) 」 以 降 、 炭 鉱 255を 中 心 と し た 労 組が 数 度 に わ た っ て ス ト ラ キ 戦 術 を と り 、 こ れ に 対 す る 有イ効 手 段 を 欠 く 中 で 、 労 使 調 停 が 進 め ら れ 、 英 を 揺 る が し た炭 鉱 ゼ ネ ス ト ( 1926 年 ) も 収 ま り 、 労 働 争 議 及 び 労 働 組 合法 ( 1927 年 ) の 成 立 に よ り 、 ゼ ネ ス ト は 禁 止 さ れ て よ う やく 安 定 が 図 ら れ た 。
愛 蘭 問 題 は 、 英 国 教 会 vs 公 教 会 と い う 宗 教 問 題 で も ある が 、 そ れ だ け で は な い 。 大 戦 前 北 部 の 分 離 運 動 で 内 乱 が起 こ り ( 1914 年 7 月 ) 大 戦 中 に は ダ ブ リ ン な ど で 暴 動 が 多、発 し 、 戦 後 最 初 の 選 挙 で も 「 独 立 過 激 派 」 シ ン = フ ェ イ ン党 が 躍 進 し た ( 1919 年 独 立 宣 言 ) 。 蜂 起 と 戒 厳 令 の 応 戦 ゲィ ム は 、 休 戦 協 定 か ら 自 治 法 承 認 で 一 段 落 し 、 愛 蘭 は 自 由国 と な る ( 1921 年 ) が 、 愛 蘭 の 協 定 賛 成 派 が 政 権 を 維 持 する も の の 、 プ ロ テ ス タ ン ト が 多 い 北 部 は 英 に と ど ま っ て おり 、 問 題 は 先 送 り さ れ る ( 現 在 も 「 未 解 決 」 で あ る ) 。 また 、 大 戦 に お い て も 支 援 し 続 け た 自 治 領 の 自 治 拡 大 要 求 は高 ま り 、 帝 国 会 議 ( 1923 年 ) で は 自 治 領 が 独 自 に 外 国 と 条約 を 締 結 す る 権 利 が 承 認 さ れ 、 帝 国 会 議 ( 1926 年 ) で は 本国 と 自 治 領 と の 平 等 が 宣 言 さ れ る 。
戦 後 の 大 き な 変 化 は 、 政 党 の 勢 力 地 図 の 変 更 で あ る 。総 選 挙 ( 1918 年 ) で 自 由 党 ( ロ イ ド = ジ ョ ー ジ ) は 大 勝 する が 、 総 選 挙 ( 1922 年 ) で は 労 働 党 が 自 由 党 を 凌 ぎ 、 自 由 党 は 保 守 党 と の 連 携 に も 失 敗 し て 、 翌 1924 年 に は マ ク ド ナ ル ド 「 労 働 党 」 内 閣 が 発 足 す る 。 こ れ 以 降 、 し ば ら く 保 守党 、 自 由 党 、 労 働 党 の 三 党 鼎 立 状 態 が 続 く が 、 次 第 に 自 由党 が 苦 戦 し 、 保 守 党 、 労 働 党 の 二 大 政 党 制 へ と 近 づ い て いく 。
◎ お そ ら く 、 こ の 時 期 が 英 政 党 史 の 「 分 か れ 目 」だ っ た 。 と い う の も 、 小 選 挙 区 制 を 前 提 に す れ ば 、三 党 が 相 応 の 勢 力 を 維 持 し な が ら 中 長 期 的 に 生 き残 る の は 難 し く 、 保 守 党 、 自 由 党 、 労 働 党 の い ずれ か が 政 治 舞 台 か ら の 退 場 を 余 儀 な く さ れ る か らで あ る 。 結 果 は 、 自 由 党 の 敗 北 と な る が 、 こ の 敗北 の 理 由 は 説 明 し づ ら い 。 ロ イ ド = ジ ョ ー ジ の「 中 央 党 」 構 想 が 保 守 党 の 反 対 で 失 敗 し た か ら か
255 英は、炭坑を舞台とした名画が多い。『わが谷は緑なりき』、『ブラス!』…
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も 知 れ ず 、 自 由 党 が 労 働 党 の 取 り 込 み に 失 敗 し たか ら か も し れ ず 、 そ う だ と す れ ば 単 純 な 階 級 な ど cleavage を 用 い た ( ま し て や イ デ オ ロ ギ ー に よ る ) 説明 は 当 て は ま ら な い 。 と も あ れ 、 1924 年 の 総 選 挙 は 、対 ソ 問 題 と 平 常 へ の 回 帰 ( 住 宅 政 策 や 失 業 問 題 )が 争 点 で 、 こ れ 以 降 、 保 守 党 の ボ ー ル ド ウ ィ ン と労 働 党 の マ ク ド ナ ル ド に よ る 政 界 運 営 へ と 向 か うこ と に な る が 、 「 憲 政 の 擁 護 者 」 を 自 負 す る 保 守党 が 、 選 挙 権 拡 大 ( 1918 年 ) 以 降 の 政 党 政 治 ゲ ィ ムに お い て 、 主 要 な 敵 を 労 働 党 に 見 定 め た こ と が 結果 的 に は 幸 い し た の だ ろ う 。 尤 も 、 労 働 党 で あ れば こ そ 、 対 ソ 問 題 は 同 時 に 国 内 問 題 と な り 、 だ から こ そ 、 マ ク ド ナ ル ド と い う 人 物 の 存 在 が 鍵 と なっ た 。
7.2.2 仏 の 主 要 な 政 治 課 題 は 、 何 よ り も 戦 地 と な っ た 国 土の 経 済 復 興 で あ り 、 労 働 問 題 で あ る 。 内 政 問 題 へ の 対 応 から 、 相 変 わ ら ず 1 年 に 首 相 が 2 度 交 替 す る な ど の 政 治 状 況は 続 く ( 内 閣 の 平 均 寿 命 は 、 1871 ~ 1914 で 10 ヶ 月 、 1914 ~ 1932で 8 ヶ 月 、 1932 年 以 降 は 4 ヶ 月 ) 。 第 3 共 和 制 は 執 行 権 を 制限 し た か ら 、 こ れ 以 前 も こ れ 以 降 も 、 議 会 内 で の 右 派 と 中道 派 に よ る 国 民 ブ ロ ッ ク 対 左 翼 カ ル テ ル の 政 権 交 替 ・ 離 合集 散 が 仏 政 治 の 生 理 で あ り 、 そ の か な め に は 小 市 民 文 化 を代 表 す る 急 進 党 が あ っ て 、 こ の 動 向 が 政 権 の 行 方 を 左 右 する 。 尤 も 、 第 3 共 和 制 の 成 立 ほ ど な い 1879 年 に は 、 政 府 と議 会 が ヴ ェ ル サ イ ユ か ら 巴 里 へ 移 り 、 国 歌 や 巴 里 祭 が 制 定さ れ て 政 治 的 安 定 を 図 る 国 家 象 徴 は 準 備 さ れ て い た し 何、よ り も 官 僚 と 財 界 ( い わ ゆ る 金 融 界 な ど を 支 配 す る 「 200家族 」 ) が 仏 政 治 ・ 経 済 を 支 え 続 け た 。
仏 は 露 革 命 に よ り 、 露 へ の 投 資 ( 公 債 ) が 消 滅 し た ため 、 経 済 は 打 撃 を 受 け て い た 。 し か も 、 炭 鉱 ス ト ラ キイ( 1919 年 ) 、 ゼ ネ ス ト ( 1920 年 ) 、 軍 隊 出 動 で 国 内 は 混 乱 する 。 政 党 と 労 組 ( 労 働 総 同 盟 ) が 連 携 し て 、 産 業 の 国 有 化な ど を 要 求 し た が 、 1920 年 12 月 社 会 党 が 分 裂 し 、 共 産 党 が誕 生 、 1922 年 に は 労 働 総 同 盟 が 対 ソ 関 係 を め ぐ っ て 内 部 分裂 す る 。
こ う し た 中 で 、 ポ ア ン カ レ 中 心 の 国 民 連 合 政 権 ( 1926年 ) が フ ラ ン を 切 り 下 げ 256、 こ れ に よ り フ ラ ン は 最 強 の 通貨 と な る 。 「 ポ ワ ン カ レ の 奇 跡 」 で あ る 。 と り わ け 、 輸 出産 業 な ど へ の 配 慮 か ら 1928 年 の フ ラ ン が 切 り 下 げ ら れ 、 従来 の 高 利 貸 し 的 な 体 質 が 改 善 さ れ た 。 ま た 、 英 に は 劣 る にせ よ 、 広 大 な 植 民 地 を 中 近 東 、 ア フ リ カ 、 東 南 ア ジ ア に 保有 し て お り 、 こ の 時 期 モ ロ ッ コ な ど を 除 き 、 民 族 主 義 = 反
256 通貨問題は分かりづらい部分がある。時代が異なるので、この講義で扱う範囲とは問題の性質が異なるが、佐々木融『弱い日本の強い円』(日経プレミアシリーズ)は参考になると思う(ただ、図表12など誤植?があって、分かりづらい部分もある)。
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植 民 地 運 動 に 対 応 す る 必 要 は そ れ ほ ど 深 刻 に は な ら な か った こ と は 、 こ の 時 期 の 仏 に と っ て は 幸 運 だ っ た ( そ の 「 つけ 」 は 第 二 次 世 界 大 戦 後 に 払 う こ と に な る ) 。
7.2.3 敗 戦 国 独 は 、 何 よ り も 国 内 秩 序 の 回 復 が 最 重 要 課 題で あ り 、 戦 後 復 興 論 が 一 方 で 賠 償 問 題 ・ 再 軍 備 問 題 な ど 外交 問 題 の 枠 組 み で 扱 わ れ 、 他 方 で 労 働 問 題 が 革 命 騒 ぎ を 生み 出 し 、 敗 戦 原 因 論 と 連 動 し て 体 制 の 正 統 性 が 問 わ れ る 事態 が 続 く 。 民 主 化 ( 国 民 に 支 持 さ れ た 議 会 と 政 府 の 設 立 )が 休 戦 条 件 と な る 多 少 複 雑 な 過 程 を 経 て。 、 ヴ ィ ル ヘ ル ム 2世 は 皇 帝 ( 同 時 に 普 国 王 も 。 な お 、 ザ ク セ ン 国 王 を は じ めと す る 国 内 の 諸 侯 も 同 様 に 廃 位 と な っ た ) を 退 位 さ せ ら れて 蘭 に 亡 命 し ( 皇 太 子 ヴ ィ ル ヘ ル ム も 継 承 権 を 放 棄 。 な お 、蘭 は ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 締 結 国 で は な い の で 、 皇 帝 の 引 き 渡し 義 務 は な い ) 、 同 時 に 帝 制 と 君 主 制 が 廃 止 さ れ ( 1918年 ) 、 国 民 が 直 接 選 ぶ 代 替 君 主 と し て 置 か れ た 初 代 大 統 領に は 臨 時 宰 相 を 務 め て い た 社 会 民 主 党 の エ ー ベ ル ト ( 1919年 ) が 就 任 す る 。 仏 第 3 共 和 制 と 同 様 、 支 持 者 に 恵 ま れ ない ワ イ マ ー ル 共 和 国 の 誕 生 だ っ た ( 1919 年 ) 。 な お 、 第 2「 帝 国 」 か ら ワ イ マ ー ル 「 共 和 国 」 へ と 変 わ っ た ( 憲 法 第1 条 ) が 、 国 号 は 同 じ く 「 ラ イ ヒ ( 独 語 : Reich ) 」 で ある か ら 単 な る 政 体 の 変 化 で も あ る が 、 ラ イ ヒ が 帝 国 か ら 国へ と 意 味 ( ニ ュ ア ン ス ) を 変 え ら れ た と い う こ と で あ る 。
ワ イ マ ー ル 憲 法 ( 1919 年 8 月 公 布 ) は 、 生 存 権 の 保 障( 日 本 国 憲 法 第 25 条 な ど に 影 響 を 与 え る ) や 直 接 民 主 制 の規 定 ( 人 民 投 票 な ど ) 、 比 例 代 表 制 で 民 主 的 憲 法 の 代 表 とし て 知 ら れ て い る が 、 こ の 憲 法 体 制 を 支 え る 主 要 政 党 は 、社 会 民 主 党 、 公 教 会 政 党 で あ る 中 央 党 、 民 主 党 ( こ の 三 党の 政 権 を ワ イ マ ー ル 連 合 と い う ) で あ り ( 比 例 代 表 制 の ため 、 単 独 過 半 数 を 獲 得 す る 政 党 の 登 場 は 難 し か っ た ) 、 いず れ も 第 二 帝 政 時 代 の 「 ア ゥ ト サ ィ ダ ー 」 で あ る 。 換 言 すれ ば 、 従 来 の エ リ ー ト と の 間 で 潜 在 的 な 対 立 が 残 っ た ま まで あ っ た 。 敗 戦 に よ っ て 生 ま れ た 共 和 国 を 維 持 す る こ と は 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制 を 承 認 す る こ と で あ り 、 負 け た と は 思 って い な い ( あ る い は 思 い た く な い ) 「 愛 国 者 」 に と っ て は怨 嗟 の 対 象 と な る 。
国 内 の 混 乱 は 労 働 者 側 か ら も 頻 発 す る 。 大 戦 中 か ら 特、に 海 軍 で 反 戦 ス ト ラ キ が 生 ま れ 、 キ ー ル 軍 港 に 発 す る 労イ働 者 ・ 兵 士 の 蜂 起 は 各 地 で レ ー テ ( 独 語 : Räte 独 版 ソヴ ィ エ ト = 評 議 会 ) の 設 立 に つ な が っ た 。 と は い え 、 社 会民 主 党 ( 多 数 派 ) は ボ リ シ ェ ヴ ィ キ を 嫌 っ て お り 、 社 会 民主 党 の 左 派 ( 独 立 社 会 民 主 党 ) や 共 産 党 ( ス パ ル タ ク ス団 ) に よ る 独 革 命 は 失 敗 し ( ロ ー ザ ・ ル ク セ ン ブ ル ク な どは 射 殺 ) 国 民 議 会 の 設 置 が 決 ま る 一 方 で 、 右 翼 勢 力 の 蜂、 。起 も 活 発 化 し 、 政 府 は 左 右 両 極 の 急 進 運 動 、 バ イ エ ル ン など で の 「 独 立 」 運 動 、 地 方 で の 社 共 連 合 政 権 獲 得 へ の 対 応に 苦 悩 す る 状 態 が 続 く 。 右 翼 に よ る ク ー デ タ ( カ ッ プ 一 揆 、
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1920 年 ) は 首 都 伯 林 を 占 拠 し た が 、 左 翼 主 導 の ゼ ネ ス ト の抵 抗 で 失 敗 し 、 一 方 で 各 地 の 共 産 党 の 蜂 起 は 社 会 主 義 運 動の 分 裂 も あ っ て 鎮 圧 さ れ る 。
仏 の ル ー ル 占 領 ( 1923 年 1 月 11 日 、 ル ー ル 地 方 は 石 炭 の73% 、 鉄 鋼 生 産 の 83 % を 占 め て い た ) へ の 反 発 か ら ザ ク セ、ン な ど で ソ 連 の 影 が つ き ま と う 社 会 民 主 党 主 導 の 社 共 政 権が 誕 生 す る ( 1923 年 ) が 社 会 民 主 党 な ど の 中 央 政 府 が 国 防、軍 を 派 遣 し て 解 散 さ せ ら れ る 。 こ の 失 敗 ( 共 産 党 か ら 見 れば 裏 切 り ) が こ の 後 し ば ら く 社 会 民 主 党 と 共 産 党 と の 連 携を 阻 碍 し 、 共 産 党 に と っ て は 社 会 民 主 党 が 主 た る 敵 に す ら感 じ ら れ る こ と に な る 。
ま た 、 ヒ ト ラ ー ( こ の 時 点 で は 墺 国 籍 、 後 年 大 統 領 選挙 の 際 に 独 国 籍 獲 得 ) や ル ー デ ン ド ル フ に よ る ミ ュ ン ヘ ン一 揆 ( 1923 年 ナ チ 突 撃 隊 ( S A ) は 伊 を 模 倣 、 褐 色 の 軍 人服 ) が 勃 発 し た が 、 計 画 の 不 備 で 失 敗 し 、 首 謀 者 で あ る ヒト ラ ー や 大 戦 の 英 雄 ル ー デ ン ド ル フ が 逮 捕 さ れ る 。 そ し て 、1 ド ル が 1 月 の 7 マ ル ク 強 か ら 11 月 20 日 に は 42,000 億 マ ル クに な る 「 ハ ィ パ ・ イ ン フ レ ィ シ ョ ン 」 ( パ ン 1 個 が 第 1 次大 戦 の 戦 費 の 3 倍 ! ) も 、 財 政 赤 字 の 抑 制 や 新 通 貨 へ の 切り 替 え な ど に よ っ て 急 速 に 終 息 し た ( イ ン フ レ は 、 1919 年1 月 、 1921 年 5 月 に も 起 こ っ て い た 。 賠 償 金 の 支 払 い 問 題や ル ー ル 占 領 な ど が 要 因 だ が 、 ひ ょ っ と す る と 意 図 的 な イン フ レ 誘 導 が 最 良 の 選 択 だ っ た の か も 知 れ な い 。 政 府 の 債務 は 帳 消 し に な る か ら で あ る ) 。
こ う し て 1924 年 に は 一 応 の 安 定 が 達 成 さ れ 、 特 に 仏 独 両外 相 の ブ リ ア ン と シ ュ ト レ ー ゼ マ ン は 1926 年 に ノ ー ベ ル 平和 賞 を 受 賞 す る 。 ま た 、 独 は 1926 年 に 国 際 連 盟 に 加 盟 を 果た す こ の 期 間 、 選 挙 制 度 が 比 例 代 表 制 と い う こ と も あ っ。て 、 議 会 の 過 半 数 を 占 め る 政 党 は 生 ま れ ず 、 様 々 な 組 合 せの 連 合 政 権 が 次 か ら 次 へ と 誕 生 す る が 、 政 治 的 危 機 に は 多く の 政 党 の 寄 り 合 い 所 帯 ( 独 語 で は Kuhhandel : 牛 の 売 買 、 つま り 「 裏 取 引 」 や 「 不 正 な 取 引 」 な ど を 含 意 ) で あ る 連 立政 権 が 対 応 す る 。 す べ て の 連 立 政 権 の 要 ( か な め 政 党 、 政 党 論 で は pivotal party と い う 。 C f . 政 治 過 程 論 ) が 当 時 は異 端 的 存 在 だ と み な さ れ て い た 公 教 会 政 党 の 中 央 党 で あ った こ と が ワ イ マ ー ル 共 和 制 の 不 安 定 な 政 治 状 況 を 象 徴 し てい た 。 労 使 関 係 は 双 方 の 団 体 協 議 に よ る 経 営 手 法 ( 経 営 協議 会 、 共 同 決 定 ) が 導 入 さ れ 、 コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム に よ る 運営 が 制 度 化 さ れ る 。
◎ 分 権 的 な 独 の 中 で も バ イ エ ル ン ( 州 ) は と り わけ 独 自 の 動 き が 目 立 つ 。 「 国 」 と し て の バ イ エ ル ン は少 な く と も 6 世 紀 に は 存 在 し 、 14 世 紀 に は 選 帝 侯 位 を獲 得 し た 「 公 国 」 だ と い う 歴 史 的 自 負 が あ る 。 第 2 帝国 で も 、 部 分 的 で あ れ 、 主 権 を 認 め ら れ て い た ( ナ ポレ オ ン に よ り 「 「 王 国 」 に 昇 格 し て お り 、 外 交 権 や 国
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軍 保 有 が 認 め ら れ て い た 。 こ の 辺 り が 独 の わ か り づ らさ で あ る ) 。 ち な み に 、 後 年 ヒ ト ラ ー に 抵 抗 す る の もバ イ エ ル ン の 分 離 主 義 で あ る 257。 そ れ に し て も 、 ミ ュン ヘ ン 一 揆 は 誠 に お 粗 末 だ っ た 。 な お 、 ナ チ ス ( 国 民社 会 主 義 独 労 働 者 党 ) の 前 身 で あ る 独 労 働 者 党 は 1919年 1 月 に 創 立 さ れ て い る 。 ヒ ト ラ ー は 逮 捕 後 1924 年 5月 に 懲 役 5 年 を 言 い 渡 さ れ る が 、 早 期 に 釈 放 さ れ る 。そ し て 監 獄 の 中 で は 、 『 わ が 闘 争 』 を 書 き 始 め て い た 。
7.2.4 英 仏 な ど 戦 勝 国 に と っ て 対 独 問 題 は 、 独 の 非 軍 事 化で あ り 、 賠 償 問 題 で あ り 、 国 際 復 帰 の 条 件 設 定 と そ の タ ィミ ン グ で あ っ た 。 独 の 支 払 う べ き 賠 償 金 ( 平 時 賠 償 金 ( 仏 語 : indemnité ) で は な く 、 膨 大 で 長 期 間 の 戦 争 被 害 賠 償金 ( 仏 語 : réparation ) 258 ) は 多 額 の 1,320 億 マ ル ク と 決 定( 1921 年 ) さ れ 、 独 側 は こ れ を 受 諾 し 、 以 降 「 履 行 政 策 」が 始 ま る ( 日 露 戦 争 の ポ ー ツ マ ス 条 約 で の ロ ー ズ ベ ル ト 大統 領 に な ら っ た の か 、 元 来 ウ ィ ル ソ ン は 無 賠 償 を 主 張 し てい た が 、 英 仏 に 押 し 切 ら れ た ) 。 し か し 直 後 、 英 仏 そ れ ぞれ の 思 惑 か ら 反 対 は あ っ た も の の 、 賠 償 支 払 い 延 期 が 承 認さ れ る ( 1922 年 ) 。
◎ 講 和 会 議 で は 賠 償 額 が 決 ま ら ず 後 の 賠 償 会 議、 、で そ の 額 や 支 払 い 方 法 が 決 め ら れ て い く 。 1920 年 12 月 のブ リ ュ ッ セ ル 賠 償 会 議 で は 、 1,345,000 万 ポ ン ド 支 払 い( 4 2 年 間 ) を 要 求 し た 。 こ の あ た り 、 現 在 の 価 値 に換 算 し て 、 そ の 多 さ を 実 感 す べ き だ が 、 難 し い 。 そ れで も 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 に 批 判 的 だ っ た 経 済 学 者 ケ イン ズ の 試 算 で は 支 払 い 可 能 額 が 400億 マ ル ク と さ れ て いた 。 為 替 レ ィ ト は 変 動 す る た め 、 当 時 の 為 替 レ ィ ト が見 つ か ら な い の で 正 確 な 数 字 は わ か ら な い が 、 1 ポ ンド は 4 ド ル 程 度 で ( ポ ン ド は 下 落 中 ) 、 1 ド ル は 5 マル ク 前 後 だ と 考 え れ ば 、 腰 だ め な が ら 1 ポ ン ド は 20 マル ク と な る か ら 、 1,345,000 万 ポ ン ド は 少 な く と も 2,000 億 マル ク 以 上 と な り 、 要 求 額 が 桁 違 い だ っ た と わ か る 。 普仏 戦 争 で は 仏 は 賠 償 金 を 早 期 に 償 還 し た が 、 今 回 は 復讐 代 込 み で あ ろ う し 、 英 仏 は 米 に 対 し 、 40 億 ド ル 強( 200億 マ ル ク ) の 負 債 を 抱 え て い た と い う 事 情 も あ った 。 な お 、 実 際 に 支 払 っ た の は 、 15 % 程 度 だ っ た と いう 説 も あ る よ う で あ る 259が 、 こ う い う 見 立 て や 見 積 もり は 難 し い 。
257 バイエルンの首都であるミュンヘンについては、Cf. 今泉文子『ミュンヘン倒錯の都』(筑摩書房)258 ジャン=ジャック・ベッケール、ゲルト・クルマイヒ『第一次世界大戦』下、剣持久木・西川暁義訳(岩波書店)174頁259 木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)206頁
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仏 は 独 西 部 の 占 領 ( 1920 年 ~ ) に 始 ま り 、 1923 年 に は 最大 の 工 業 地 帯 ル ー ル 地 方 ( 石 炭 + 鉄 鉱 → 鉄 鋼 ) を 制 裁 措 置と し て 占 拠 す る に 至 る ( こ の ル ー ル 国 際 管 理 問 題 は 第 二 次大 戦 後 、 欧 州 石 炭 鉄 鉱 共 同 体 E C S C へ と 引 き 継 が れ る ) 。ル ー ル 占 領 に 対 す る 抵 抗 は 独 の シ ュ ト レ ー ゼ マ ン 首 相 に より 停 止 さ れ る ( 1923 年 , 、 履 行 政 策 と 呼 ば れ る ) 。 ポ ワ ン カレ 仏 政 権 の 対 独 強 硬 路 線 は 、 か え っ て 仏 を 孤 立 化 す る こ とと な り 、 賠 償 問 題 を 検 討 す る ド ー ズ 委 員 会 が 設 置 さ れ( 1923 年 ) 、 ド ー ズ 案 が 発 表 ・ 採 択 さ れ る ( 1924 年 ) 。 そ の背 景 に は 、 1924 年 仏 の 左 翼 カ ル テ ル が 勝 利 し 、 対 独 接 近 宥和 を 掲 げ る エ リ オ 内 閣 の 成 立 が あ っ た 。
こ れ に よ り 仏 の ル ー ル 占 領 が 決 ま り ( 1925 年 8 月 に 完了 ) 、 賠 償 額 の 支 払 額 は 軽 減 さ れ ( 総 額 は 決 め ら れ な か った が 、 当 面 の 年 度 の 支 払 額 が 決 定 ) 、 「 米 → 独 → 英 仏 → 米 」 と い う 資 金 の 循 環 が 作 ら れ た 。 す な わ ち 、 外 債 発行 に よ り 、 米 か ら 独 へ と 民 間 の 短 期 資 本 が 投 入 さ れ 、 独 から の 英 仏 へ の 賠 償 金 支 払 い に 充 て ら れ 、 英 仏 は 米 へ の 債 務を 償 還 す る と い う 流 れ で あ り 、 独 の 賠 償 問 題 と 経 済 復 興 は米 の 外 資 次 第 と な っ た 。 時 期 が 違 う が 、 「 敗 北 者 か ら 金 が取 れ る の は 、 ど う い う 条 件 の も と に せ よ 、 ま ず は 敗 北 者 に金 を 貸 す 場 合 に か ぎ る の で あ る 」 260。 減 額 さ れ た と は い え 、独 の 賠 償 金 は 多 額 の た め 、 支 払 い は 困 難 で あ り 261、 新 た に米 の ヤ ン グ を 委 員 長 と す る 賠 償 問 題 専 門 委 員 会 ( 1929 年 )が 設 置 さ れ 、 ヤ ン グ 案 が 発 表 ( 1929 年 ) さ れ 、 独 は こ れ を受 諾 す る こ と と な る ( 1930 年 ) 。 ヤ ン グ 案 へ の 反 対 に 右翼 ・ 保 守 政 党 が 結 集 す る 。
こ う し て 独 側 に 財 政 や 金 融 の 自 主 権 も な く 、 賠 償 問 題の 上 手 い 解 決 は み ら れ な い に し て も 、 国 際 協 調 の 点 では 、 1924 年 に 誕 生 し た 社 会 党 + 急 進 社 会 党 に よ る 仏 の エ リ オ政 権 が 独 と の 和 解 を 打 ち 出 し ロ カ ル ノ 条 約、 ( 1925 年 10 月 調印 ) に よ り 、 仏 独 間 、 及 び 、 独 ・ 白 間 ( 白 は 第 1 次 大 戦 の反 省 か ら 中 立 化 政 策 を 放 棄 す る ) の 国 境 の 現 状 維 持 と 不 可侵 及 び ラ イ ン 左 岸 の 非 武 装 化 が 定 ま り 、 独 の 国 際 連 盟 加 入と 常 任 理 事 国 就 任 が 認 め ら れ て ( 1926 年 ) 、 国 際 社 会 に 復帰 し 、 連 合 国 の 軍 事 管 理 は 終 了 し て い た ( 1927 年 ) 。 た だ 、東 部 国 境 問 題 は 残 っ て お り 、 こ れ を 反 ヴ ェ ル サ イ ユ 勢 力 は利 用 す る 。
◎ 独 の 非 軍 事 化 は 、 独 人 や 独 産 業 の 非 軍 事 化 を 必 ず し も 意 味 し な い 。 と い う の も 、 第 1 次 大 戦 終 結 以 降 、失 職 し た 軍 人 は 瑞 な ど で 研 鑽 を 積 む こ と に な っ た か らで あ る 。 ま た 、 そ の 度 合 い は 上 下 す る が 、 1920 年 末 頃か ら 1933 年 頃 ま で 、 独 国 防 軍 と 赤 軍 と の 間 で 相 互 援 助
関 係 が 続 く ( ラ パ ロ 条 約 ) 。 非 武 装 の 独 陸 軍 は ソ 連 で260 エーリヒ・ケストナー『ケストナーの終戦日記』高橋健二訳(福武文庫)83頁261 にわかに信じがたいことだが、この賠償は 1988 年!までの期間での支払いを想定しており、しかも実際には 2010 年にようやく払い終えたという(対米関係分、2010 年 10月4日毎日新聞)。払い続けていたことの方が驚きである。
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訓 練 の 場 所 を 確 保 し 、 ソ 連 軍 は 独 参 謀 将 校 に 訓 練 を 委託 す る 。 第 二 次 大 戦 後 、 独 の 保 守 政 治 家 な ど が 英 や 米で は な く 、 ソ 連 に 亡 命 す る 背 景 で あ る 。
7.2.5 露 で は 、 総 力 戦 が 革 命 を も た ら し て い た 。 露 の 戦 後は 、 独 で の 革 命 が 進 展 す る の を 切 に 期 待 し な が ら 、 革 命 の完 成 へ 向 か う 。 国 内 の 権 力 闘 争 と 社 会 主 義 防 衛 と が 交 錯 する 。 社 会 主 義 と い う 正 論 の 政 治 が 生 ん だ 国 家 で あ る か ら 、権 力 闘 争 も 路 線 ( 正 義 の 体 系 ) を 巡 る 闘 争 で 表 現 さ れ る 。
権 力 闘 争 は 最 初 政 党 間 で 、 そ し て 政 党 間 の 決 着 が つ けば 、 次 に 個 人 間 に 引 き 継 が れ る 。 敵 で あ る ニ コ ラ イ 2 世 は1917 年 退 位 し 、 頼 み の 綱 で あ っ た 英 も 亡 命 の 受 入 を 覆 し 、結 局 周 辺 国 や 王 族 の 救 済 も 得 ら れ な い ま ま 、 1918 年 一 族 の大 半 と と も に 処 刑 さ れ た 。 ロ イ ド = ジ ョ ー ジ 英 首 相 は 救 済す る こ と で 専 制 政 治 へ の 支 持 者 と 見 ら れ る こ と を 嫌 い 、 クレ マ ン ソ ー 仏 首 相 は 共 和 主 義 者 と し て そ も そ も 興 味 が な く 、封 印 列 車 で レ ー ニ ン を 露 に 「 送 っ た 」 ヴ ィ ル ヘ ル ム 2 世 は血 縁 よ り も 戦 勝 を 優 先 し た 262。 こ う し て ロ マ ノ フ 王 朝 と その 関 係 者 を 処 分 す れ ば 、 新 た な 敵 を 身 近 に 発 見 せ ざ る を 得ず 、 閉 鎖 社 会 の 中 で 次 第 に 露 骨 な 排 除 ・ 粛 清 が 生 ま れ た 。
当 初 の ソ 連 内 部 で の 社 会 革 命 党 ( 露 語 : C P 、 エ セ ーリ ィ ) 、 メ ン シ ェ ヴ ィ キ と ボ ル シ ェ ヴ ィ キ ( そ れ ぞ れ 少 数派 、 多 数 派 の 意 、 露 社 会 民 主 労 働 党 が 路 線 対 立 ( 大 衆 政 党対 前 衛 政 党 ) で 1903 年 に 分 裂 ) の 政 権 争 い は 社 会 主 義 イ メー ジ の 違 い や 社 会 主 義 完 成 へ の 戦 略 ・ 戦 術 の 違 い で あ る 。革 命 の 勝 者 で あ る ボ ル シ ェ ヴ ィ キ は 革 命 後 の 選 挙 で 勝 利 でき な か っ た こ と も あ り 、 当 初 か ら 反 発 を 暴 力 で 粉 砕 し て 一党 独 裁 体 制 を 目 指 し た 主 要 産 業 や 鉄 道 運 輸 企 業 を 国 有 化。し ( 1918 年 6 月 ) 、 第 五 回 大 会 で 連 邦 憲 法 を 採 択 し た ( 1918年 7 月 ) 。 露 革 命 ( 10 月 革 命 ) は 民 族 革 命 と い う 側 面 を 有し て い た か ら 、 各 地 で 独 立 国 が 相 次 げ ば 、 露 = ソ 連 ( ソ 連邦 は 1922 年 ) は 関 係 維 持 の た め に 連 邦 制 を 採 用 し た 。 党 名の 変 更 ( 共 産 党 、 1919 年 ) と 中 央 集 権 へ の 組 織 改 革 ( 政 治局 の 設 置 ) の 後 、 革 命 の 父 レ ー ニ ン の 死 去 ( 1924 年 ) を 境に 、 ス タ ー リ ン 、 ト ロ ツ キ ー ( 暗 殺 は 1940 年 ) 、 ジ ノ ヴ ィエ フ ら の 権 力 闘 争 が 本 格 化 し 、 1926 年 ~ 1927 年 頃 ( 中 央 委 員会 総 会 な ど ) に は ス タ ー リ ン の 勝 利 と な る 。 た だ 、 こ の 時期 、 粛 清 は ま だ 狂 乱 で は な い 。
革 命 の 輸 出 は 、 3 つ の イ ン タ ナ シ ョ ナ ル 代 表 の 共 同 行動 協 議 ( 1922 年 ) が 成 果 な く 終 了 し た 後 、 コ ミ ン テ ル ン( 第 三 イ ン タ ナ シ ョ ナ ル 、 こ れ 自 体 は 1919 年 ~ 1943 年 ) を 通じ て 行 わ れ る が 、 対 欧 州 で は そ れ ほ ど の 成 果 を も た ら さ なか っ た 。 一 方 で 、 ソ 連 経 済 は 、 戦 時 共 産 主 義 に よ る 経 済 混
262 Cf.ピエール・ミケル『ヨーロッパ最後の王たち』加藤雅彦監訳・田辺希久子訳(創元社)第1章
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乱 ・ 衰 退 を 解 消 す る た め に 導 入 さ れ た ネ ッ プ ( 新 経 済 政 策 、1921 年 ~ ) に よ り 急 速 に 発 展 す る 。 ネ ッ プ は 、 農 民 に 対 し自 由 販 売 を 一 部 許 可 す る 政 策 で あ り 、 貨 幣 制 度 が 復 活 す る 。し か し 、 繁 栄 は 格 差 を 生 み 、 革 命 の 基 盤 を 揺 る が す と 解 釈さ れ る 。 1924 年 に は 、 資 本 主 義 国 と の 共 存 を 認 め る 「 一 国社 会 主 義 」 が 唱 え ら れ ( 西 側 諸 国 で の 革 命 を 「 当 面 は 」 諦め た と も い え る ) 、 工 業 化 政 策 が 推 進 さ れ る 。 「 一 国 社 会主 義 」 な ら ば 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 前 面 に 出 し や す い 。 第 三イ ン タ ナ シ ョ ナ ル も 、 次 第 に ソ 連 の 宣 伝 機 関 と み な さ れ やす く な る 。 一 例 と し て 、 1928 年 夏 、 コ ミ ン テ ル ン 第 6 回 世界 大 会 で 、 「 帝 国 主 義 戦 争 反 対 闘 争 に お け る 共 産 主 義 者 の諸 任 務 」 と し て 、 資 本 主 義 国 の 共 産 党 は 、 自 国 の 「 敗 戦 」の た め に 闘 う ( 自 国 敗 戦 主 義 ) と さ れ 、 「 戦 争 → 内 乱 → 革命 」 に 寄 与 す べ し と な っ た 。 尤 も 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 前 にこ の 戦 略 が 有 効 で あ る 保 証 は な か っ た 。
◎ ソ 連 ( ソ 連 社 会 主 義 共 和 国 連 邦 ) と い う 国 名 の 不 思 議 さ が あ る 。 ど こ に も 、 地 理 的 ( 民 族 的 ) な 意 味
を 持 つ 言 葉 が 存 在 し な い 。 す べ て は 、 政 体 の 名 称 で ある ( ソ 連 は あ る 種 の 議 会 制 度 、 社 会 主 義 は イ デ オ ロ ギ 、共 和 国 も 同 様 、 連 邦 は 中 央 地 方 関 係 に 関 す る 制 度 ) 。国 家 は 本 来 い ず れ も 人 工 物 だ が 、 そ れ に し て も 、 そ の人 工 性 が 際 だ っ て い た 。 尤 も 、 こ れ に つ い て は 、 米 合衆 国 も 同 様 か も し れ な い 。 ま た 、 都 市 名 で は 、 京 都 など も 都 を 意 味 す る か ら 、 都 な ら ど こ で も 京 都 で あ り 得る と い う 面 白 さ が あ る ( 江 戸 か ら 東 京 へ ) 。
7.2.6 英 仏 米 日 な ど は 大 戦 中 か ら 直 接 間 接 に ソ 連 へ の 軍 事干 渉 を 進 め 、 経 済 封 鎖 を 行 う 。 白 軍 ( 反 革 命 軍 と 呼 ば れ るこ と が 多 い が 、 反 ソ 、 反 共 の 軍 で も あ る ) と 赤 軍 ( 革 命 軍 、勝 利 で き れ ば 、 そ の ま ま 独 へ 進 軍 し て 革 命 支 援 ) と の 攻 防は し ば ら く 続 き 、 内 乱 と 戦 争 が 交 錯 す る が 、 1919 年 か ら 連合 国 の 撤 退 が 始 ま り 、 1920 年 ・ 1921 年 に は 干 渉 が 停 止 し 、 20年 代 半 ば ま で に は 主 要 国 と の 間 で 講 和 が 成 立 す る ( 日 本 は1922 年 に よ う や く 撤 兵 し た 。 不 評 を 買 う だ け だ っ た ) 。 尤も 、 対 ソ 講 和 を 達 成 し て も 、 イ デ オ ロ ギ 攻 勢 へ の 警 戒 は 解け る こ と は な く 、 ま た 各 国 の 社 会 党 ・ 共 産 党 が 、 あ る い は労 働 組 合 が 活 性 化 し 、 国 交 断 絶 と な る こ と も あ り 、 逆 に仏 独 伊 の よ う に 、 国 内 の 社 会 党 と 共 産 党 の 対 立 を 激 化 さ、 、せ 、 労 働 組 合 の 分 裂 を 招 く こ と と な っ た 。
大 戦 前 の よ う な 独 墺 露 が 直 接 に 国 境 を 接 す る 状 態 は、 、な く な り 、 内 戦 の 過 程 で 生 ま れ た 国 家 が 緩 衝 国 家 と な っ たが 、 ソ 連 と 波 と の 国 境 が 最 大 の 問 題 で あ っ た 。 英 仏 な ど にと っ て は 、 ラ パ ロ 条 約 調 印 ( ブ レ ス ト = リ ト フ ス ク 条 約 は 、ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 締 結 に よ り 失 効 。 1924 年 独 ソ 相 互 に 第 一次 大 戦 末 期 に 行 っ た 領 土 要 求 や 賠 償 の 権 利 を 放 棄 し て 国 交回 復 ) は 、 大 戦 中 の ブ レ ス ト = リ ト フ ス ク 条 約 と 同 様 衝 撃
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と な り 、 そ の 後 経 済 協 定 ・ 友 好 条 約 ・ 中 立 条 約 ( 1926 年 )な ど と あ わ せ て 、 独 自 に 進 め ら れ る 独 ソ 関 係 は そ の 後 も 何度 か 衝 撃 と な る 。 ラ パ ロ 条 約 は 、 条 約 が し ば し ば そ う で ある よ う に 、 そ の 内 容 よ り も 調 印 さ れ た と い う 事 実 の 方 が 重要 だ っ た 263。 し か も 、 1926 年 の 条 約 は 、 露 の 協 力 で 独 軍 に 軍事 訓 練 の 機 会 を 与 え て い た 264。
仏 は 対 独 安 全 保 障 と し て 、 独 の 軍 備 制 限 や ラ イ ン ラ ント 占 領 、 非 武 装 地 帯 設 置 を 進 め な が ら 、 同 時 に 波 ( 1921年 ) 、 チ ェ コ ( 1924 年 ) と 同 盟 条 約 を 結 び 、 ブ ル ガ リ ア 、洪 と 潜 在 的 に 対 立 関 係 に あ っ た チ ェ コ 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 、ル ー マ ニ ア な ど と 小 協 商 を 結 ぶ 。 仏 は 独 を 挟 も う と 考 え た 。た だ 、 今 回 は 社 会 主 義 国 の ソ 連 と な っ た 露 に は 期 待 で き ない 。 む し ろ 、 ソ 連 は 、 お 膝 元 の 国 に 対 す る 仏 の 進 出 方 針 に苛 立 つ こ と に な る 。
7.2.7 19 世 紀 の 墺 に 代 わ っ て 台 頭 し 始 め る の が ( と い っ ても 、 と て も 大 国 と は 言 い 難 か っ た ) 伊 で あ る 。 伊 は 、 大 戦中 国 内 政 治 の 特 色 で あ る 臨 機 応 変 の 態 度 ( 倫 敦 秘 密 条 約 )で 、 あ る い は 単 に ど さ く さ に 紛 れ て 、 又 は 墺 に 奪 わ れ た 領土 回 復 ( フ ィ ウ メ ) が 忘 れ ら れ ず に 、 協 商 側 で 参 戦 し た( 1915 年 ) 。 そ し て 、 大 戦 後 中 小 国 と な っ た 墺 に か わ っ て 、以 前 よ り は 地 域 で の 影 響 力 を 増 す こ と に な る 。
伊 政 治 の 特 色 は フ ァ シ ズ ム 政 権 が 早 期 に 誕 生 し た こ とで あ る 。 戦 後 、 社 会 党 、 人 民 党 が 勢 力 を 上 下 動 さ せ る 中 で 、元 社 会 党 の 中 央 機 関 紙 の 編 集 長 で あ っ た ム ッ ソ リ ー ニ は 、参 戦 論 で 社 会 党 を 追 放 さ れ た 後 、 フ ァ シ ス ト 党 ( 1919 年 )を 率 い て 、 ス ト ラ キ 問 題 で 一 部 が 共 産 党 へ と 分 裂 し た 社イ会 党 と の 休 戦 を 確 保 ( 1920 年 の ジ ョ リ ッ テ ィ 首 相 は フ ァ シズ ム を 利 用 し よ う と し た が 、 結 局 母 屋 を 取 ら れ た ) 、 党 内の 対 立 ( 都 市 派 の ム ッ ソ リ ー ニ と 農 村 派 の グ ラ ン デ ィ ) の解 消 を 達 成 し ( 1921 年 ) 、 王 制 支 持 を 表 明 し て 「 ロ ー マ へ進 軍 ( 黒 シ ャ ツ 隊 ) 」 す る ( 1922 年 ) 。 国 王 エ マ ヌ エ ー レ3 世 は 軍 な ど の 戒 厳 令 要 求 を 拒 否 し 、 議 会 で の 獲 得 議 席 がわ ず か で あ っ た ム ッ ソ リ ー ニ に 組 閣 の 大 命 を 下 す 。 こ こ に他 の 政 党 を 加 え た フ ァ シ ス ト 政 権 が 合 法 的 に 誕 生 し 、 両 院は 全 権 を 委 任 す る ( 1922 年 ) 。
フ ァ シ ス ト 政 権 は 当 初 文 字 通 り 様 々 な 政 治 勢 力 が「 束 」 と な っ た 連 合 体 で あ っ た 。 ム ッ ソ リ ー ニ は 広 場 ・ 街頭 の 政 治 で 支 持 を 獲 得 し 、 群 集 心 理 を 巧 み に 利 用 す る 。 ドゥ ー チ ェ ( 伊 語 : D u c e < 総 統 、 頭 領 。 後 年 、 ヒ ト ラー は 同 様 に 、 フ ュ ー ラ < 独 語 : Führer と 呼 ば れ る ) で あ る 。人 民 党 、 社 会 党 な ど に よ る 反 フ ァ シ ス ト 運 動 ( 1924 年 ) はム ッ ソ リ ー ニ に と っ て 最 大 の 危 機 と な る が 、 暴 力 ( 暗 殺 )
263 エドワード・ハレット・カー『独ソ関係史』富永幸生訳(サイマル出版会)75頁264 エドワード・ハレット・カー『独ソ関係史』富永幸生訳(サイマル出版会)101頁
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と 国 王 の 支 持 、 選 挙 で の 勝 利 で 、 一 党 体 制 の 独 裁 を 宣 言 する ( 1925 年 ) 。 ム ッ ソ リ ー ニ は 自 由 市 で あ っ た フ ィ ウ メ 併合 ( 1924 年 ) 以 降 、 バ ル カ ン や ア フ リ カ で の 勢 力 確 保 、 領土 拡 大 に 専 念 す る 。 ま た 、 終 戦 後 か ら 紛 糾 し 続 け て い た 労働 問 題 に つ い て は 、 労 使 協 定 の 調 停 者 と し て 工 業 界 の 期 待に 応 え 、 両 者 を 仲 介 し て 工 場 評 議 会 を 廃 止 し 、 労 働 争 議 を制 限 す る ( ロ ッ コ 法 ) 。 そ し て 、 国 家 防 衛 法 ( 1926 年 ) によ り 、 国 家 ( 第 一 ) 主 義 の 体 制 ( フ ァ シ ズ ム 体 制 ) を 確 立す る 。
た だ 、 そ の 特 色 は 、 フ ァ シ ス ト 党 と い え ど も 、 国 家 の下 に 置 か れ る こ と で あ り 、 コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム の 伊 版 と も いえ る 。 ま た 、 伊 政 治 の 「 盲 腸 = 伊 半 島 統 一 の 障 碍 」 で も ある ロ ー マ 教 皇 ( 庁 ) と の 関 係 に つ い て は 、 ム ッ ソ リ ー ニ は 、国 王 の 全 権 代 理 と し て 、 「 ラ テ ラ ー ノ 条 約 」 ( 政 教 条 約 )に よ り 、 そ の 特 権 的 地 位 を 承 認 し て 友 好 関 係 を 保 つ こ と に成 功 す る ( こ こ に 、 独 立 国 家 バ チ カ ン 市 国 が 誕 生 す る ) 。ま た 、 ム ッ ソ リ ー ニ は 、 次 第 に ス ポ ー ツ や 遠 足 な ど の 余 暇組 織 ( ド ー ポ ラ ヴ ォ ー ロ ) を 作 り 、 ま た 各 種 の 協 同 体 を 形成 し て 、 国 民 の 組 織 化 を 進 め る 。 ま さ に 、 コ ー ポ ラ テ ィ ズム 国 家 で あ る 。
◎ 伊 の こ の 臨 機 応 変 の 態 度 を 伊 語 : Transformismo と いう 。 直 訳 だ と 境 界 線 を 越 え て 自 ら の 形 を 変 え る と い うこ と だ が 、 利 益 を め ぐ っ て 離 合 集 散 が 多 い こ と が 伊 政治 の 特 色 で あ る 。 な お 、 伊 の 場 合 、 歴 史 的 に 領 土 問 題で 他 国 と の 秘 密 協 定 を 結 ん で 、 そ れ に 基 づ い て 友 敵 を変 更 す る こ と が 多 い と い う 印 象 が あ る 。
7.2.8 こ う し て 1920 年 代 の 前 半 か ら 半 ば に か け て 、 と も かく も 欧 州 各 国 は 、 国 内 外 に 落 ち 着 き が 生 ま れ た よ う に 思 えた ( 黄 金 の 20 年 代 ) 。 終 戦 に よ り 、 敗 戦 国 独 ・ 墺 は 領 土 を失 い 、 新 た な 国 境 確 定 作 業 が 進 め ら れ た 。 独 は 波 へ の 大 幅な 領 土 分 割 を 受 け 入 れ 、 従 来 の 領 土 に 「 波 回 廊 」 ( 独 語 でダ ン ツ ィ ヒ 、 波 語 で グ ダ ニ ス ク 、 地 図 ) が 作 ら れ 、 国 土 が東 西 に 分 断 す る 。 墺 と 洪 は 独 立 を 認 め ら れ ( サ ン = ジ ェ ルマ ン 条 約 他 ) 、 洪 は 領 土 の 七 割 を 失 う 。 オ ス マ ン も 領 土 が縮 小 さ れ 、 ル ー マ ニ ア 、 チ ェ コ 、 波 ( 英 外 相 カ ー ゾ ン が 波と ソ 連 = 露 と の 国 境 線 と し て 提 唱 し た の が カ ー ゾ ン 線 だ が 、実 際 の 国 境 は カ ー ゾ ン 線 よ り 約 200 ㎞ 東 ) の 国 境 も 定 ま り ( 1920 年 ) 、 パ レ ス チ ナ は 英 領 、 シ リ ア は 仏 領 と な る ( サン = レ モ 会 議 ) 。 と は い え 、 国 境 ほ ど そ の 正 当 性 の 根 拠 が危 う い も の は な い 。 領 土 要 求 の 理 由 な ど 、 歴 史 を 遡 れ ば 、ど こ か に 回 復 根 拠 が 見 つ か る か ら で あ る 。 し か も 、 条 約 は事 情 変 更 ( 羅 語 : rebus sic stantibus : こ の よ う な 事 情 が 続 くな ら ば ⇔ Pacta sunt servanda. = 約 束 は 守 る べ し ) が あ れ ば 、 破 る
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の が 国 際 政 治 の 「 常 識 」 と 云 わ れ る だ ろ う 265。
欧 州 経 済 は 、 20 年 代 半 ば か ら 農 業 恐 慌 の 気 配 は み ら れ た も の の 、 順 調 に 回 復 し 始 め て い た 。 し か し 、 そ こ に ニ ュー ヨ ー ク 株 式 市 場 で の 株 価 暴 落 ( 1929 年 ) が 起 こ る 。 こ の事 件 を 契 機 に 、 各 国 は 次 第 に 不 況 に 見 舞 わ れ 、 そ の 対 策 の成 否 が そ れ ぞ れ の 内 政 や 統 治 構 造 に 影 響 を 及 ぼ し 、 さ ら には 積 み 残 さ れ て い た 独 の 再 軍 備 問 題 ・ 賠 償 問 題 が 再 燃 し 、国 内 の 混 乱 と 国 際 関 係 と が 連 動 し て 、 主 要 国 間 の 軍 事 衝 突の 危 機 を 作 り 出 す こ と に な る 。
◎ 安 定 か ら 崩 壊 へ と 移 行 し た と は 言 え るが 、 む し ろ 、 不 況 ・ 苦 難 の 時 に こ そ 、 そ の 国 の 「 実力 」 が 、 さ ら に は 「 文 明 度 」 が わ か る と い う も の だろ う 。 そ れ は 、 現 代 に も 当 て は ま る 。
7.3 ~ 7.5 「 危 機 の 20 年 」 ② : 混 迷 と 模 索 ( 1929 ~ 1939 ) ある い は 「 絶 望 の 後 半 」 ( E . H . カ ー )
7.3 経 済 危 機 へ の 対 応
7.3.1 1920 年 代 半 ば か ら 、 米 な ど の 農 産 物 過 剰 生 産 に よ り 、大 量 の 農 産 物 が 欧 州 に 入 り 、 欧 州 各 国 の 農 業 は 打 撃 を 受 けた が 、 1930 年 代 の 混 迷 の 直 接 の 原 因 は 1929 年 の 株 価 暴 落 が 引 き 金 と な っ た 世 界 恐 慌 に あ る 。 と い っ て も 、 株 価 暴 落 が すぐ に 不 況 を 招 い た の で は な く 、 む し ろ 経 済 学 者 を 初 め と する 関 係 者 は 楽 観 し て い た 。 と こ ろ が 、 墺 ・ 独 の 銀 行 封 鎖 など に よ る 金 融 恐 慌 ( 1931 年 ) の 結 果 、 大 量 失 業 が 発 生 す る 。恐 慌 の 波 及 が 遅 れ た 仏 で は 最 高 で 85 万 人 、 英 で は 300万 人 、独 で は 600万 人 、 米 で も 1933 年 段 階 で 1,370 万 人 の 多 数 に 及 ん だ 。
こ の 不 況 の 中 で 各 国 の 政 治 シ ス テ ム は 変 容 を 強 い ら れ 、そ の 中 で 独 の 指 導 者 と な る ヒ ト ラ ー の 言 動 と そ れ へ の 対 応が 、 欧 州 各 国 の 政 治 家 に と っ て 最 大 の 関 心 事 と な る 。 対 決か 宥 和 か 。 換 言 す れ ば 、 ヒ ト ラ ー の 存 在 と そ れ へ の 対 応 が欧 州 政 治 の 中 心 的 話 題 で あ り 、 議 題 ( agenda ) と な る 。 ヒト ラ ー の 外 交 交 渉 戦 術 は 、 時 に 大 き な ウ ソ を 含 め て 率 直 、時 に 不 可 解 で あ り 、 周 囲 は そ の 言 動 に 一 喜 一 憂 し 、 振 り 回さ れ 続 け る こ と と な る 。
◎ 農 業 恐 慌 へ の 対 策 は 難 し い 。 作 物 の 出 来 不 出 来は 天 候 次 第 で あ り ( 豊 作 だ と 価 格 が 暴 落 す る ) 、 作 付
265 Cf.エドワード・ハレット・カー『危機の二十年』井上茂訳(岩波書店)
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け 品 目 は 簡 単 に は 変 え ら れ ず 、 生 産 調 整 が 難 し い か らで あ る 。 従 っ て 、 農 民 は 、 支 持 政 党 を 焚 き つ け て 、 政府 に 補 助 金 を 求 め る か ( 政 府 は 財 源 確 保 を 迫 ら れ る ) 、土 地 を 棄 て て 都 市 へ と 流 入 す る 。 都 市 に は 、 と も か くも 現 金 収 入 を 得 る 仕 事 が あ り 、 ま た 都 市 は ま だ ま だ「 墓 場 」 で あ っ て 、 恒 常 的 ・ 定 期 的 に 若 い 労 働 力 を 必要 と す る か ら で あ る 。
7.3.2 ヒ ト ラ ー 問 題 は 国 家 間 の 覇 権 争 い の 問 題 で あ り 、 同時 に 体 制 問 題 で も あ る 。 議 会 が 問 題 解 決 能 力 を 失 う と き 、強 い 指 導 者 が 求 め ら れ る 。 議 会 は 議 論 す る 場 で あ る か ら 、構 造 上 臨 機 応 変 を 欠 く 。 各 国 で は 、 危 機 に 際 し 、 大 統 領 や首 相 に 制 度 上 あ る い は 議 会 の 委 任 に よ り 強 力 な 権 限 が 与 えら れ る 。 国 民 は 国 家 の 繁 栄 を 指 導 者 の 人 格 を 通 じ て 自 分 の繁 栄 と 結 び つ け る 266。 手 間 暇 か か る 議 会 制 デ ィ モ ク ラ シ は効 率 的 運 営 に 馴 染 ま ず 、 危 機 に 際 し 、 大 半 の 国 で 歯 が ゆ い運 営 が 目 立 っ た 。
と は い え 、 議 会 主 義 の 維 持 が 、 体 制 の 、 あ る い は デ ィモ ク ラ シ の 質 の 上 下 を 決 め る 。 フ ァ シ ズ ム も 一 種 の 参 加 型デ ィ モ ク ラ シ だ と す る 理 解 は そ の 100% を 否 定 で き な い に して も 、 寛 容 を 含 む 自 由 の 許 容 が 相 当 に 異 な る 点 で 大 き な 疑問 が 残 る 。 と も あ れ 、 強 い リ ー ダ に よ る 政 治 を 意 味 す る ファ シ ズ ム は 欧 州 各 国 で 支 持 さ れ 始 め る 。 そ し て 、 フ ァ シ ズム は ナ シ ョ ナ リ ズ ム ( の 排 他 性 ) と 結 合 す る 。 ま た 、 弱 肉強 食 の 世 界 で は 、 優 れ た 民 族 が 、 ま た 同 一 民 族 の 中 で は 優れ た 人 間 が 支 配 す べ き で あ る と す る 「 社 会 ダ ー ウ ィ ン 主義 」 と 連 結 す る 。 こ れ は 、 19 世 紀 以 降 の 非 白 人 の 植 民 地 支配 を 肯 定 す る 都 合 の 良 い 理 屈 ( 「 白 人 の 重 荷 、 the white man’s burden 」 ) を 強 化 し 、 ま た 、 ユ ダ ヤ 人 を 迫 害 ・ 排 除 す る ( ポグ ロ ム 、 露 語 : погром ) 理 由 と も な る 267。 統 計 年 度 が 揃 わな い が 、 東 欧 の ユ ダ ヤ 人 人 口 は 、 1930 年 代 前 半 に は ポ ー ラン ド で 10 % 前 後 、 リ ト ア ニ ア 、 ウ ク ラ イ ナ な ど で 5 % 強 、そ の 他 は 数 % だ っ た 。 反 ユ ダ ヤ 主 義 ( 反 セ ム 主 義 ) は 、 仏の ド レ フ ュ ス 事 件 に 見 ら れ る よ う に 独 に 限 ら な い 268( 数 千 、数 万 単 位 の 殺 害 な ら 何 度 も あ る 。 し か も 一 般 市 民 に よ る 虐殺 も あ る ) 。 戦 時 に は 各 国 で 虐 殺 事 件 が 勃 発 す る 。 な お 、伊 で は 、 1938 年 に 人 種 法 が 制 定 さ れ る こ と は あ っ て も 、 反ユ ダ ヤ 主 義 は そ れ ほ ど で も な い ( ユ ダ ヤ 人 党 員 も 少 な く ない ) な ど 、 フ ァ シ ズ ム も 国 に よ り 相 当 に 違 う 。
7.3.3 第 一 次 大 戦 後 、 政 治 参 加 の 範 囲 が 拡 大 す る に つ れ 、正 論 ( イ デ オ ロ ギ ) の 政 治 が 前 面 に 登 場 す る 。 安 心 の 提 供
266 Cf.エーリヒ・フロム『自由からの逃走』(東京創元社)267 Cf.野村真理「恩讐の彼方」、望田幸男・村岡健次監修『近代ヨーロッパの探求 10 民族』(ミネルヴァ書房)第1章268 Cf. ハンナ・アレント『全体主義の起源 1 反ユダヤ主義』大久保和郎訳(みすず書房)
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と 脅 威 の 排 除 を 提 供 す る 象 徴 が 乱 発 さ れ 始 め る 269。 そ し て 、理 論 ・ 理 屈 に あ わ な い 現 実 が 間 違 っ て い る と い う 単 純 な 発想 が 支 配 す る 。 そ の 背 景 に は 、 急 速 に 発 達 す る マ ス ・ メ ディ ア と そ れ を 可 能 に す る 科 学 技 術 の 発 達 が あ る 。 大 衆 は 容易 に 動 員 さ れ 270、 ス ペ ク タ ク ル の 演 出 が 重 要 な 宣 伝 戦 術 とし て 用 い ら れ る 。
こ の 時 期 、 自 由 主 義 、 保 守 主 義 は 支 持 を 失 い 始 め 、 有力 な イ デ オ ロ ギ は 、 国 民 の 支 持 を 基 に し て 大 幅 な 社 会 改 革を 目 指 す デ ィ モ ク ラ シ 、 社 会 主 義 、 フ ァ シ ズ ム で あ り 、 い ず れ も 大 衆 社 会 に 対 応 し た 政 治 の 運 営 方 法 で あ っ て 、 国 家権 力 の 集 中 や 「 国 家 権 力 へ の 依 存 」 を 肯 定 す る と い う 共 通点 が あ る 。 ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン 流 の 理 解 だ と デ ィ モ ク ラ シは 分 権 的 で あ る が 、 そ れ は デ ィ モ ク ラ シ 論 の 違 い で は な く 、自 由 と 平 等 ・ 権 力 と の 関 係 の 理 解 が 異 な る か ら で あ る 。
7.4 各 国 の 対 応
7.4.1 「 米 → 独 → 英 仏 → 米 」 と い う 資 金 の 循 環 が 黄 金 の20 年 代 を 支 え て い た か ら 、 米 発 の 株 式 大 暴 落 ( ウ ォ ー ル街 ) は 、 米 資 金 ( 短 期 資 本 ) の 独 へ の 流 入 を 停 止 し 、 独 の 不 況 は 賠 償 金 返 還 を 困 難 に し た 。 こ う し て 、 第 一 次 大 戦 後に と ら れ た 復 興 の 循 環 は 、 不 況 の 悪 循 環 を も た ら し 、 経 済危 機 は 社 会 不 安 と 政 治 危 機 を 招 く 。
こ の 危 機 に 対 す る 各 国 の 対 応 は 、 第 一 次 大 戦 時 と 奇 妙に 類 似 し て い る 。 英 は 、 議 会 が 政 府 に 対 し て 「 白 紙 委 任 」を 行 い 、 挙 国 体 制 で 乗 り 切 ろ う と す る 。 仏 は 、 議 会 の 機 能不 全 か 強 い 指 導 者 の 登 場 の 選 択 の 中 で 、 職 人 な ど 小 市 民 が結 集 を 図 ろ う と す る 。 独 は 強 い 指 導 者 の 登 場 を 待 ち 、 現 れれ ば 指 導 者 原 理 の 下 に 結 集 す る 。 伊 は 一 見 強 そ う な 指 導 者の 下 で 利 益 を 図 る 離 合 集 散 を 繰 り 返 す 。 ソ 連 は 宮 廷 政 治 内の 権 力 闘 争 を 繰 り 返 し 、 国 内 の 統 制 を 進 め 、 対 外 的 進 出 を図 る 。 各 国 の 共 通 点 は 、 危 機 を 民 政 ( 失 業 対 策 、 福 祉 ) の充 実 で 乗 り 越 え る と い う 理 解 で あ る 。 尤 も 、 そ の 手 段 と して 軍 政 を 否 定 す る わ け で は な い 。 不 況 の 時 代 で は 、 景 気 刺激 策 が 採 ら れ る が 、 ( 程 よ い 規 模 の ) 戦 争 及 び そ の 準 備 はイ ン フ レ に 対 す る 乗 数 効 果 が 低 い ( イ ン フ レ に な り に くい ) 点 で 有 効 な 「 公 共 事 業 」 と な る か ら で あ る 。
◎ 大 恐 慌 へ の 対 策 は 、 意 外 か も 知 れ な い が 、 ま ず は 伊 発 の フ ァ シ ズ ム 体 制 で あ る 。 フ ァ シ ズ ム 体 制 が 欧
269 Cf. マーレー・エーデルマン『政治の象徴作用』法貴良一訳(中央大学出版部)270 Cf. ウォルター・リップマン『世論』上下、掛川トミ子訳(岩波文庫)。なお、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』神吉敬三訳(角川文庫)(他邦訳多数あり)、佐藤卓己『輿論と世論』(新潮社)
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州 の モ デ ル と み な さ れ た こ と は 忘 れ ら れ や す い 。 右 翼だ け で な く 、 保 守 主 義 者 、 自 由 主 義 者 、 社 会 主 義 者 でさ え 、 国 内 の 経 済 = 社 会 混 乱 を 収 拾 す る 有 効 な 手 法 とし て 、 同 時 に ボ ル シ ェ ヴ ィ ズ ム ( ソ ヴ ィ エ ト ) に 対 抗す る 体 制 と し て 、 公 然 と 賞 賛 し た 。 大 恐 慌 へ の 対 応 策と し て 、 さ ら に 米 の ニ ュ ー デ ィ ー ル ( New Deal ) 政策 の 他 に 、 瑞 や 白 の 例 が 知 ら れ て い る 。 瑞 は 、 輸 出 依存 度 の 高 い 経 済 構 造 を 脱 却 す る た め 、 英 の よ う に 金 本位 制 か ら 脱 却 し 低 金 利 政 策 を 採 る だ け で な く、 、 ケ イ ン
ズ 主 義 経 済 政 策 ( 瑞 版 ニ ュ ー デ ィ ー ル ) を 採 用 し 公、共 事 業 に よ る 失 業 者 対 策 や 農 業 補 助 金 に よ る 農 家 支 援策 を 進 め 、 労 使 協 調 の 下 で 社 会 福 祉 政 策 を 進 め て 福 祉国 家 体 制 を 築 い た 。 こ れ は 、 他 国 で は あ ま り 見 ら れ ない 社 会 民 主 党 ( 都 市 労 働 者 ) と 農 民 党 ( 農 民 ) と の 連携 な の で 「 赤 緑 連 合 」 と 呼 ば れ る 恐 慌 対 策 で あ る 。 また 、 白 の 「 労 働 プ ラ ン 」 は 、 銀 行 や 基 幹 産 業 を 国 有 化し 、 平 価 切 り 下 げ に 加 え 公 共 事 業 に よ る 有 効 需 要 の、創 出 を 図 る も の で あ り 、 こ れ も 大 不 況 へ の 対 応 の 典 型例 と さ れ る 。
7.4.2 大 戦 に 至 る ま で の 主 要 国 間 の 関 係 は 、 日 米 を 除 く 、英 仏 独 露 伊 に 限 っ て も、 、 、 、 、 友 敵 関 係 は 流 動 的 だ っ た 。 安定 し て い た の は 、 こ の 欧 州 の 5 カ 国 間 に あ る 10 通 り の 二 国 間 関 係 で は 英 仏 関 係 の み だ っ た 。
仏 は 第 一 次 大 戦 以 降 、 親 英 を 基 本 路 線 と し て 保 ち 続 ける 英 仏 に と っ て 、 独 の 台 頭 を 阻 む に は 米 か 露 の 協 力 が 必。要 だ っ た が 、 米 は 孤 立 主 義 で 何 か と 腰 が 重 か っ た 。 ま た 、独 を 両 側 か ら 挟 み 撃 ち に す る に し て も 、 ソ 連 は 社 会 主 義 の 、と い う よ り は 、 ス タ ー リ ン の 国 で あ っ た 。 独 は ヒ ト ラ ー 政権 後 も 、 英 や ソ 連 と 同 時 に 闘 う こ と の 愚 か さ は 理 解 し て いた ソ 連 は 各 国 に 対 し て 不 信 を 抱 き つ づ け 、 世 界 レ ベ ル で。の 対 英 戦 略 を 基 本 に 、 英 仏 と 独 と の 選 択 を 考 え て い た 。 ムッ ソ リ ー ニ に は 基 本 戦 略 が あ る よ う に は 思 え な か っ た 。 バル カ ン や ア フ リ カ で の 領 土 拡 大 に 役 立 つ 関 係 な ら 何 で も 飛び つ く か ら で あ る 。 バ ル カ ン で の 墺 と の 領 土 紛 争 が あ る 限り 墺 と 友 好 関 係 に あ る 独 と の 提 携 は あ り 得 な か っ た 。 し、か も 、 次 第 に ヒ ト ラ ー に と っ て ム ッ ソ リ ー ニ は 取 る に 足 らな い 人 物 に 見 え た 。 友 敵 の 選 択 が 模 索 さ れ る 中 で 、 五 カ 国間 関 係 は 次 第 に 二 つ の 陣 営 に 整 理 さ れ て い く 。
7.4.3 英 は 従 来 の 経 済 的 地 位 の 回 復 を 目 指 し 、 金 本 位 制 に復 帰 し 、 ポ ン ド の 価 値 も 戦 前 の レ ー ト ま で 回 復 し て い た( 1925 年 ) 。 し か し 、 経 済 不 況 は 労 使 対 立 を 活 性 化 す る 。労 働 党 は 失 業 保 険 に よ る 救 済 に 頼 り 、 労 組 は 緊 急 財 産 法 によ る 失 業 手 当 の 削 減 ・ 新 課 税 案 に 反 対 し 、 北 部 の 主 要 都 市グ ラ ス ゴ ー で 暴 動 が 起 こ る 。 総 選 挙 ( 1929 年 ) 後 、 初 め て労 働 党 は 第 一 党 と な る が 、 マ ク ド ナ ル ド 首 相 は 失 業 保 険 給
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付 削 減 を 承 認 し て 自 党 の 労 働 党 と 対 立 し 、 独 ・ 墺 の 銀 行 支払 停 止 に よ る ポ ン ド 危 機 で 党 は 分 裂 し た ( 1931 年 ) 。 労 働党 を 離 れ た マ ク ド ナ ル ド は 、 ジ ョ ー ジ 5 世 の 信 任 を 受 け て 、保 守 党 が 大 勝 し た 選 挙 後 、 挙 国 一 致 内 閣 を 組 織 、 ポ ン ド 切り 下 げ 、 プ ラ ィ ド を 捨 て た 現 実 主 義 で あ る 金 本 位 制 離 脱( 1931 年 9 月 ) 、 保 護 関 税 政 策 導 入 で 苦 境 を 凌 ぐ 。
英 が 、 財 政 均 衡 を 保 持 し な が ら 平 価 を 抑 え 、 ま た 国 際、会 議 で ブ ロ ッ ク 化 抑 制 の 調 整 を 続 け る 中 で 、 各 国 は 英 に 追随 し て 、 関 税 引 上 げ ・ 輸 入 制 限 に よ り 経 済 の ブ ロ ッ ク 化 を進 め る 。 経 済 問 題 が 外 交 問 題 へ と 直 結 す る 構 造 を 生 ん だ とも い え る 。 帝 国 再 編 は 以 前 の よ う な 自 治 領 の 権 利 拡 大 要 求で は 収 ま ら な い 。 帝 国 全 体 の 新 し い 構 想 が 模 索 さ れ る 。 従来 の 「 バ ル フ ォ ア 宣 言 」 ( 1926 年 ) で 構 成 国 の 自 由 ・ 対 等関 係 が 謳 わ れ て も 、 英 か ら 派 遣 さ れ る 総 督 に 拒 否 権 が あ った が 、 ウ ェ ス ト ミ ン ス タ ー 憲 章 ( 1931 年 ) で 王 冠 がCommonwealth の 象 徴 で あ る こ と ( あ る い は 象 徴 に 過 ぎ な い こと ) が 確 認 さ れ 、 自 由 ・ 対 等 関 係 の 実 質 が 保 障 さ れ る 。 英連 邦 は 帝 国 経 済 会 議 で 特 恵 関 税 制 度 を 採 用 し 、 経 済 危 機 を乗 り 切 る ( ス タ ー リ ン グ ・ ブ ロ ッ ク 、 1932 年 ) 。 金 本 位 制か ら の 離 脱 や 低 金 利 政 策 な ど が 景 気 回 復 の 要 因 で あ っ た 。な お 、 英 で も 、 フ ァ シ ス ト 連 合 が 生 ま れ 、 元 労 働 党 の 閣 僚で あ り 元 陸 相 の モ ズ レ ー の 下 、 公 共 事 業 に よ る 失 業 者 対 策や 管 理 貿 易 ・ 保 護 関 税 導 入 を 訴 え て 支 持 者 を 増 や し た( 1934 年 ) 。 ま た 、 懸 案 の 愛 蘭 問 題 で は 両 国 の 関 税 戦 争 が、通 商 協 定 調 印 で 終 結 す る ( 1936 年 ) 。
◎ 愛 蘭 自 由 国 南 部 26 州 は 、 1933 年 か ら 1938 年 に か けて 関 税 経 済 戦 争 を 行 い 、 愛 蘭 側 の 指 導 者 デ ・ ヴ ァ レ ラは 反 英 政 策 で 国 内 産 業 の 保 護 を 図 る 。 そ の 結 果 、 関 税を ゼ ロ に し 、 港 を 愛 蘭 に 返 還 す る こ と で 終 結 す る 。 尤も 、 第 2 次 大 戦 勃 発 後 の 1940 年 、 愛 蘭 は チ ャ ー チ ル の参 戦 依 頼 を け っ て 中 立 を 宣 言 す る 。 英 に と っ て 、 「 背後 の 安 全 」 は 必 ず し も 確 保 さ れ な か っ た 。
7.4.4 仏 は 、 反 共 和 派 の 騒 動 に 共 和 派 ( 社 会 主 義 勢 力 と 労働 組 合 ) が ス ト ラ キ な ど で 対 抗 す るイ 伝 統 的 な 左 右 対 立 のゲ ィ ム が 繰 り 返 さ れ る 。 た だ 、 仏 は フ ラ ン が 安 定 し て い たこ と な ど か ら 恐 慌 の 影 響 は 遅 れ た 。 む し ろ 、 1930 年 2 月 には 工 業 生 産 が 戦 後 最 高 と な っ て い た 。 し か し 、 1931 年 9 月の ポ ン ド 切 り 下 げ な ど 各 国 が 金 本 位 制 を 放 棄 し 、 平 価 切 り下 げ を 行 っ た た め 、 「 ポ ワ ン カ レ の 奇 跡 」 は 効 力 を 失 い 、物 価 上 昇 と 恐 慌 へ の 対 策 を 強 い ら れ る こ と と な っ た 。
対 策 の 基 本 は 、 金 本 位 制 を 保 持 し な が ら フ ラ ン の 価 値維 持 し 、 財 政 均 衡 を 図 る こ と な ど で あ り ( い わ ば 古 典 的 なデ フ レ 政 策 ) 、 同 時 に 失 業 対 策 案 が 発 表 さ れ た ( 1931 年 ) 。し か し 、 経 済 危 機 ( 農 業 恐 慌 、 1920 年 代 後 半 に は 農 業 大 国
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仏 で も 、 都 市 人 口 が 農 村 人 口 を 上 回 っ て お り 、 ロ ア ー ル 川以 南 の 小 農 民 は 左 翼 政 党 へ の 支 持 を 高 め た ) や 政 治 危 機( 1933 年 信 用 金 庫 を め ぐ る ス タ ヴ ィ ス キ ー 疑 獄 事 件 で 2 つの 内 閣 が 崩 壊 。 ま た 、 1934 年 2 月 コ ン コ ル ド 広 場 で 右 翼 ・フ ァ シ ス ト 諸 リ ー グ に よ る 反 議 会 制 度 騒 擾 ) が 起 こ る 。
両 労 働 組 合 ( C G T と C G T U ) が 反 フ ァ ッ シ ョ 24時 間 ゼ ネ ス ト 実 施 し ( 1934 年 ) 、 こ れ が 社 共 共 同 行 動 の 端緒 と な る 。 右 翼 の 反 共 和 主 義 運 動 が 左 翼 の 共 和 制 擁 護 運 動を 生 む パ タ ン で あ る 。 こ の 時 期 の 共 産 党 は 、 統 一 戦 線 と 社会 フ ァ シ ズ ム 論 の 選 択 で 揺 れ て い た 。 現 場 と モ ス ク ワ と の思 惑 の 違 い が あ っ た だ ろ う 。 共 産 党 は 、 社 会 主 義 を フ ァ シズ ム と 同 視 す る 「 社 会 フ ァ シ ズ ム 論 」 を 廃 棄 し ( 1934 年 ) 、ス タ ー リ ン も 1935 年 5 月 に は 仏 の 国 防 を 承 認 し た ( つ ま り 、自 国 敗 戦 主 義 の 放 棄 を 認 め た ) 。 そ し て 、 社 会 党 ( ブ ルム ) 共 産 党、 ( ト レ ー ズ ) 、 急 進 社 会 党 ( ダ ラ デ ィ エ ) は人 民 連 合 委 員 会 を 発 足 さ せ ( 1935 年 6 月 、 1935 年 7 月 コ ミ ンテ ル ン 第 7 回 大 会 で 人 民 戦 線 戦 術 提 唱 ) 、 人 民 連 合 綱 領 発表 し て 、 分 裂 し て い た 2 つ の 労 働 組 合 が 合 同 し て 人 民 戦 線派 は 総 選 挙 に 勝 利 す る ( 1936 年 5 月 ) 。
こ こ に ブ ル ム 内 閣 ( 共 産 党 は 閣 外 協 力 ) が 成 立 し 、 前例 の な い 工 場 占 拠 ス ト も 翌 月 の マ テ ィ ニ ヨ ン 協 定 ( 労 働 者団 結 権 な ど を 認 め る 代 わ り に 、 工 場 占 拠 の 非 合 法 性 を 承 認す る と い う 内 容 ) の 成 立 で 労 使 間 の 紛 争 は 解 決 し 、 わ ず か10 週 間 の 間 に 、 団 体 協 約 、 有 給 休 暇 、 40 時 間 労 働 制 な ど 100以 上 の 社 会 立 法 が 成 立 し た ( ブ ル ム の 実 験 ) 。 し か し 、 そも そ も 選 挙 で は 共 産 党 が 急 進 党 の 票 を 奪 っ て 勝 利 し た こ と 、西 内 戦 不 干 渉 決 定 で 社 会 党 と 共 産 党 が 対 立 し た こ と ( 1936年 8 月 ) 、 金 本 位 制 か ら の 離 脱 と フ ラ ン 切 り 下 げ の タ ィ ミン グ が 遅 れ た た め に 経 済 回 復 が 遅 れ た こ と 、 人 民 戦 線 に 反発 す る 反 共 和 派 の 暴 動 に 対 抗 す る C G T の ゼ ネ ス ト を 軍 が弾 圧 し た こ と な ど で 、 人 民 戦 線 政 府 は 崩 壊 す る ( 1938 年 11月 ) 。
7.4.5 内 閣 の 寿 命 が 短 い こ と な ど を 考 え る と 、 1929 年 ま で の独 の 政 治 状 況 が 安 定 し て い た と は 必 ず し も 言 え な い 。 「 純粋 な 」 比 例 代 表 選 挙 制 度 が 採 用 さ れ て い た と い う 制 度 要 因も あ っ て 、 議 会 の 過 半 数 を 獲 得 す る 政 党 は 誕 生 せ ず 、 そ のた め に 、 極 右 ・ 極 左 を 除 く 右 か ら 左 ま で の 政 党 が 離 合 集、散 し て 敗 戦 後 の 苦 境 を 凌 ぐ べ く 政 治 的 安 定 を 図 っ て い た、 、か ら で あ る こ の 内 乱 を か ろ う じ て 回 避 で き た 政 治 的 安 定。は 、 1928 年 ( ~ 1930 年 ) の 大 連 立 内 閣 ( ミ ュ ラ ー 内 閣 ) の 成立 に も 見 ら れ る よ う に 賠 償 の 履 行 や 社 会 立 法 の 成 立 な ど、多 く の 問 題 に つ い て も 、 各 党 の 有 力 者 が 労 使 を 代 表 す る 組織 を 加 え て 連 帯 し た 産 物 で も あ っ た 。 た だ 、、 議 会 の 機 能不 全 は 明 ら か で あ っ て 、 1920 年 代 半 ば 以 降 は 、 憲 法 第 48 条の 規 定 が 濫 用 さ れ た 。 そ れ は 、 公 共 の 安 全 や 秩 序 に 障 害 が生 じ た 場 合 な ど 、 大 統 領 は そ の 安 全 や 秩 序 回 復 の た め に 、
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人 身 の 自 由 、 住 居 の 不 可 侵 、 親 書 な ど の 秘 密 、 意 見 表 明 の自 由 、 集 会 の 権 利 、 結 社 の 権 利 、 所 有 権 の 保 障 を 停 止 で きる と す る も の だ っ た 。
大 恐 慌 後 の 失 業 保 険 会 計 の 逼 迫 に よ り 、 大 連 立 内 閣 が労 使 対 立 で 退 陣 し 、 少 数 内 閣 が 誕 生 す る が 議 会 は 大 統 領、令 に よ る 緊 急 財 政 立 法 を 否 決 し た た め 、 解 散 と な り 、 選 挙( 1930 年 9 月 ) の 結 果 ナ チ ス が 第 二 党 と な る ( 第 1 党 の 社、会 民 主 党 は 得 票 率 を 5.3 % 減 ら し て 24.5 % 、 ナ チ ス は 15.7 % 伸ば し て 18.3 % ) 。 ナ チ ス は 、 前 年 か ら の 1 年 で 党 員 数 を 12万 人 か ら 100万 人 に 急 増 さ せ た 。 不 況 は 深 刻 化 し 、 四 大 銀 行の 1 つ ダ ナ ー ト 銀 行 が 破 産 、 全 銀 行 が 封 鎖 さ れ る ( 1931年 ) 。 ナ チ ス と 右 翼 は 反 共 和 国 の ハ ル ツ ブ ル ク 戦 線 を 結 成し 、 社 会 民 主 党 と 労 働 総 同 盟 は こ れ に 対 抗 す べ く 、 「 鉄 戦線 」 を 結 成 す る 。 大 統 領 選 で は ヒ ン デ ン ブ ル ク が 第 二 投 票で 勝 利 し 、 ヒ ト ラ ー は 敗 北 す る が ナ チ 突 撃 隊 (、 S A ) 、親 衛 隊 ( S S ) の 禁 止 令 を 政 府 は 撤 回 し 、 普 ( 邦 ) の 社 会民 主 党 政 府 を 罷 免 す る 。
総 選 挙 ( 1932 年 7 月 ) の 結 果 、 ナ チ ス は 、 得 票 率 を19 .0 % 増 の 37.8% を 獲 得 、 第 一 党 と な る ( 第 2 党 の 社 会 民 主 党は 2.9 % 減 の 21.9 % 、 第 3 党 の 共 産 党 は 1.2% 増 の 14.6 % 、 第 4党 の 中 央 党 は 0.6 % 増 の 12.3 % ) 。 平 価 切 り 下 げ を 行 わ な いデ フ レ 政 策 ( 緊 縮 財 政 ) の 効 果 は な く 、 失 業 者 は 540万 人 を数 え 、 ナ チ ス を 軽 視 し つ つ も 警 戒 す る 2 つ の 内 閣 を 経 て( こ の 時 期 の 2 人 の 首 相 の 内 輪 も め 、 社 会 民 主 党 と 共 産 党の 「 兄 弟 喧 嘩 」 、 財 界 の 財 政 支 援 な ど が ヒ ト ラ ー に 幸 い した ) 、 政 府 不 信 任 案 に よ る 議 会 選 挙 ( 1932 年 11 月 ) で ナ チス は 何 と か 第 一 党 を 保 持 し ( 前 回 よ り 4.2 % 減 の 33.1 % 、 社会 民 主 党 は 1.2 % 減 の 20.4 % 、 共 産 党 は 2.6 % 増 の 16.9 % 、 中 央党 は 0.5 % 減 の 11.9 % ) 、 「 小 物 の 伍 長 」 と 馬 鹿 に さ れ て 、毛 嫌 い さ れ て い た 大 統 領 に よ っ て ヒ ト ラ ー は つ い に 首 相 とな る ( 1933 年 1 月 ) 。 「 憲 法 の 番 人 た る 」 大 統 領 に よ っ て「 合 法 的 に 」 任 命 さ れ た こ と が ヒ ト ラ ー の 正 当 性 の 基 盤 とな る 。 そ し て 、 議 会 の 過 半 数 を 獲 得 し よ う と 、 2 日 後 に は大 統 領 に 国 会 を 解 散 さ せ た 。 ヒ ト ラ ー は そ れ ま で の ユ ダ ヤ人 批 判 を 出 さ な か っ た が 、 主 要 な 地 域 で あ る プ ロ イ セ ン 州で は ゲ ー リ ン グ ( 州 の 内 相 を 兼 任 ) に よ り 社 会 民 主 党 や 共産 党 の 選 挙 運 動 を ま さ に 力 で 妨 害 し た 。 そ し て 、 伯 林 で の国 会 議 事 堂 放 火 事 件 を 理 由 に 共 産 党 員 を 逮 捕 し 、 3 月 の 選挙 で は 過 半 数 に 及 ば な い も の の 、 得 票 率 を 10.8 % 伸 ば し て43.9 % と 躍 進 す る 。 た だ 、 こ れ で も ま だ 過 半 数 を 獲 得 で きな か っ た 。 社 会 民 主 党 、 共 産 党 、 中 央 党 の 得 票 率 は そ れ ぞれ 18.3 % 、 12.3 % 、 11.2 % だ っ た か ら 、 合 計 す れ ば 数 字 の 上で は ナ チ ス に 何 と か 対 抗 で き る よ う に 見 え る が 、 共 産 党 と中 央 党 の 連 立 な ど あ り え ず ( 同 じ 左 翼 政 党 の 社 会 民 主 党 と共 産 党 の 共 闘 で さ え こ の 時 期 は あ り え な い 。 C f . 仏 、1936 年 ブ ル ム 政 権 ) 、 し か も ド イ ツ 国 家 人 民 党 と い う ヒ トラ ー の 友 党 が 8.0 % を 獲 得 し て い た か ら 、 ヒ ト ラ ー は 選 挙 結果 に 不 満 で も 事 実 上 ヒ ト ラ ー の 勝 利 だ っ た 。 た だ 、 こ の 時
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点 で は ま だ 政 権 は 右 翼 側 の 挙 国 一 致 内 閣 だ っ た か ら 、 ヒ トラ ー の 自 由 気 ま ま は 許 さ れ な か っ た 。 そ れ に 共 産 党 な ど を除 き 、 ま だ 社 会 民 主 党 を 筆 頭 と す る 野 党 も 全 面 的 対 立 に 向か お う と は し な か っ た 。
ヒ ト ラ ー の 支 持 者 に つ い て の 分 析 は 数 多 い が 、 決 定 版は な い 。 た だ 、 組 織 に 保 護 さ れ た 利 益 享 受 と は 無 縁 の 中 間層 の 支 持 が 比 較 的 高 か っ た と 指 摘 さ れ て お り ま さ に 組 織、化 の 時 代 の 副 産 物 だ と も い え る 。 ナ チ ス は 、 国 民 社 会 主 義独 労 働 者 党 ( 国 家 社 会 主 義 独 労 働 者 党 と も 訳 さ れ る 、 ナ チス は 略 語 ) と い う 名 前 の よ う に 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム 、 社 会 主義 、 独 、 労 働 者 と い う 象 徴 の 混 在 で あ り 、 社 会 ダ ー ウ ィ ン主 義 、 指 導 者 原 理 、 反 ユ ダ ヤ 主 義 、 反 議 会 主 義 、 反 自 由 主義 な ど を そ の 特 色 と し た 。 訴 え る 相 手 に よ っ て 、 売 り 出 す象 徴 ( 宣 伝 文 句 ) を 使 い 分 け る 巧 み さ が あ り 、 い わ ば 包 括政 党 ( catch – all - party ) で あ る が 、 社 会 主 義 的 要 素 が 含 ま れ てい る 点 が 時 代 の 特 色 で あ る 。 党 内 で も 当 初 は シ ュ ト ラ ッ サー 兄 弟 な ど 、 社 会 主 義 傾 向 の 強 い 社 会 革 命 派 が 勢 力 を 保 った 。
ヒ ト ラ ー は 驚 く べ き 迅 速 さ で 政 権 安 定 策 を う ち 出 す 。独 国 家 人 民 党 な ど を 懐 柔 し 、 国 会 を 解 散 し 、 各 党 を 「 自 主的 に 」 解 散 に 追 い 込 み ( 1933 年 11 月 の 国 会 選 挙 は ナ チ 党 の信 任 選 挙 ) 、 民 族 と 国 家 保 護 の 大 統 領 緊 急 令 を 発 令 し て 基本 権 を 停 止 し 、 テ ロ 合 法 化 を 進 め る 。 ま た 、 国 民 啓 蒙 宣 伝省 ( 国 民 啓 蒙 と プ ロ パ ガ ン ダ の た め の 省 ) を 設 置 し て 適 任者 ゲ ッ ベ ル ス を 配 置 し た 。 こ れ 以 降 、 ナ チ ス の 支 持 獲 得 は宣 伝 相 ゲ ッ ベ ル ス に 負 う と こ ろ も 大 き い 271。
議 会 は 授 権 法 ( 広 範 な 立 法 権 を 行 政 府 に 授 権 ) を 可 決し 、 各 州 の 自 治 が 停 止 さ れ る 。 労 働 組 合 は 禁 止 さ れ 、 代 わっ て 独 労 働 戦 線 に 組 織 化 さ れ る 。 ま た 、 焚 書 が 始 ま り 、 ナチ 党 が 唯 一 の 政 党 と 宣 言 さ れ て 新 政 党 の 設 立 が 禁 止 さ れ る 。失 業 者 は 急 速 に 姿 を 消 し 始 め る 。 ヴ ァ チ カ ン と は 政 教 協 約を 調 印 す る 272。 ジ ュ ネ ー ブ 軍 縮 会 議 で は 国 際 連 盟 か ら の 脱退 声 明 し 、 ナ チ ス 統 一 リ ス ト で 92% の 支 持 を 獲 得 す る 。 恐 るべ き 迅 速 さ 機 敏 さ だ っ た、 。
翌 1934 年 に は 、 国 家 新 建 設 法 を 公 布 し て 州 の 権 限 を 中 央に 統 一 し 、 ヒ ン デ ン ブ ル ク の 死 去 を 待 っ て 、 首 相 兼 総 統 就
271 Cf. 平井正『ゲッベルス』(中公新書)。なお、この時期のヒトラー政権の他の指導者については、Cf.グイド・クノップ『ヒトラーの共犯者』上下、高木玲訳(原書房)、ジョン・ワイツ『ヒトラーの外交官』久保田誠一訳(サイマル出版会)、谷喬夫『ヒトラーとヒムラー』(講談社メチエ選書)、レナード・モズレー『第三帝国の演出者 ヘルマン・ゲーリング伝』上下、伊藤哲訳(早川書房)272 Cf.大澤武男『ローマ教皇とナチス』(文春新書)。また、バチカンの近現代史については、松本佐保『バチカン近現代史』(中公新書)(所々、誤植?があるが)を読むと、バチカンの政策が教皇の意向に左右され、大きく揺れ動いたことがわかる。プロテスタント教会とナチスとの関係については、Cf.河島幸夫「独裁国家と教会」今関恒夫他『近代ヨーロッパの探究3 教会』(ミネルヴァ書房)第2章
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任 を 国 民 投 票 で 承 認 さ れ る ( ド イ ツ 国 家 元 首 法 ) 。 ヒ ト ラー は 当 初 の 武 装 蜂 起 ( ミ ュ ン ヘ ン 一 揆 ) 失 敗 を 反 省 材 料 とし 、 議 会 で の 議 席 獲 得 で 政 権 獲 得 を 目 指 し 、 党 内 の 権 力 闘争 で 反 対 派 を 一 掃 し て ( 側 近 で あ る レ ー ム が 第 二 の 国 軍 にし よ う と し 、 400万 人 を 数 え て い た 突 撃 隊 の 存 在 は 邪 魔 で あり 、 反 逆 を で っ ち 上 げ て 幹 部 を 粛 清 し た 。 こ の 「 長 い ナ ィフ の 夜 」 は 1934 年 6 月 ) 政 権 の 基 盤 を 安 定 さ せ た し か し 、。陸 軍 や 財 界 の 旧 エ リ ー ト の 排 除 に は 慎 重 で あ り 、 最 後 ま で苦 心 す る 。 「 ヒ ト ラ ー は 伍 長 上 が り 」 と い う 身 分 論 理 が 生き て お り し か も 政 権 維 持 に は 財 界 や 国 防 軍 の 支 持 が 不 可、欠 だ っ た か ら で あ る 。 こ れ 以 降 、 終 戦 ま で 財 界 ( シ ャ ハト ) や 陸 軍 首 脳 部 と ヒ ト ラ ー は し ば し ば 対 立 し 、 陸 軍 で は何 度 か ヒ ト ラ ー 暗 殺 計 画 が 練 ら れ る 。 ヒ ト ラ ー や 国 家 社 会主 義 独 労 働 者 党 は 所 詮 伝 統 的 エ リ ー ト に と っ て は 異 端 の 存在 で あ り 、 指 導 者 の 多 く が 40 代 ( 1890 年 か ら 1900 年 生 ま れ )と 若 か っ た こ と も 特 色 で あ っ た 。 彼 ら の 青 年 期 に 独 の 第 一次 大 戦 の 敗 北 が あ っ た 。
ヒ ト ラ ー の 抬 頭 に は 偶 然 の 要 素 も 多 い 。 直 前 の 有 力 者( 宰 相 ) で あ る パ ー ペ ン と シ ュ ラ イ ヒ ャ ー の 個 人 的 争 い ( 大 統 領 が 宰 相 を 指 名 し 、 時 々 の 連 立 政 権 の 樹 立 を 促 す 。政 党 間 に 協 力 体 制 が あ る と は 言 い 難 く 、 ま た 「 超 然 内 閣 」も 後 半 に は 一 般 的 と な っ て い た ) 、 ナ チ 党 が 倒 産 し か か った と き に ル ー ル 産 業 界 が 財 政 援 助 し た タ ィ ミ ン グ の 良 さ 、ワ イ マ ー ル 共 和 国 を 支 え て い た ヒ ン デ ン ブ ル ク 大 統 領 ( 就任 は 1925 年 ~ 1934 年 ) の 年 齢 ( 1847 年 生 ま れ ) 、 数 々 の 暗 殺 計 画 の 失 敗 、 社 会 民 主 党 や 共 産 党 の 近 親 憎 悪 と い う べ き 関係 と 戦 術 の 失 敗 、 そ し て 何 よ り も 右 翼 か ら 左 翼 ま で 市 民、か ら 軍 部 ま で 、 そ し て 外 国 政 府 が 、 ヒ ト ラ ー を 「 な め て い た 」 こ と が 挙 げ ら れ る だ ろ う 。 と も あ れ 、 ヒ ト ラ ー は 新 たな 千 年 王 国 を 創 る べ く 、 国 民 と 国 家 を 民 族 浄 化 と い う 論 理で 改 造 し よ う と し た 273。 「 第 三 帝 国 」 で あ る 。
国 内 秩 序 ( 異 分 子 排 除 ) は わ ず か 数 万 人 の ゲ シ ュ タ ポ( 秘 密 警 察 ) が 担 い 、 少 な か ら ぬ 独 人 が 第 三 帝 国 の 構 想 実現 に 「 協 力 」 し ( 善 良 な 国 内 外 の 市 民 も し ば し ば 「 喜 んで 」 通 報 し た 。 こ の 協 力 者 は 「 コ ラ ボ 」 と 蔑 称 さ れ た ) 、抵 抗 し た 者 ・ 「 不 要 」 だ と 見 な さ れ た 者 ( 社 会 民 主 党 員 、共 産 党 員 、 ユ ダ ヤ 人 ( 1938 年 水 晶 の 夜 ) 、 ジ プ シ ( シ ン ティ ・ ロ マ 人 ) 、 身 体 障 碍 者 、 精 神 障 碍 者 ) は 、 そ の 場 か 強制 収 容 所 ( ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ 、 ダ ッ ハ ウ な ど ) で 消 さ れ るこ と に な っ た 274。
273 国家改造は建築に象徴される。Cf.アルベルト・シュペール『ナチス狂気の内幕』品田豊治訳(読売新聞社)、井上章一『夢と魅惑の全体主義』(中公新書)274 ユダヤ人への迫害や虐殺、いや迫害や虐殺という言葉でも足りない行為(ホロコースト)については、多くの文献があるが、映画の方がいいだろう。『シンドラーのリスト( Schindler’s List )』、『戦場のピアニスト( The Pianist )』、そして『夜と霧( 仏語: Nuit et brouillard )』は観てほしい。目を背けないことが大切である。
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◎ 第 三 帝 国 は 、 神 聖 ロ ー マ 帝 国 ( 第 一 帝 国 ) 、 独帝 国 ( 第 二 帝 国 ) に 対 す る 「 第 三 」 で あ る 。 な お 、 この 「 第 三 」 に は 様 々 な ニ ュ ア ン ス が あ り 、 単 な る 序 数( 順 番 ) で は な い の だ ろ う 。 例 え ば 、 三 段 階 に よ る 社会 ( 民 族 ) の 発 展 段 階 論 は 、 哲 学 者 、 社 会 学 者 な ど がよ く 使 っ て い た か ら で あ る 。 い わ ば 、 ホ ッ プ ・ ス テ ップ ・ ジ ャ ン プ で あ る 。
◎ ヒ ト ラ ー の 言 語 道 断 な 支 配 に 対 し 、 少 な か ら ぬ独 人 が 抵 抗 し つ づ け た の も 事 実 で あ り ( こ の 場 合 の 抵抗 は 非 協 力 を 含 む ) 、 一 方 で 、 そ れ 以 上 の 数 の 独 人 が
ヒ ト ラ ー 体 制 を 歓 迎 し た の も 事 実 で あ る 。 ナ チ 党 員 に と っ て は 、 「 人 間 解 放 」 で す ら あ っ た だ ろ う 。 新 た な
制 服 、 規 律 あ る 集 団 行 動 に 新 た な 人 生 の 意 義 を 見 い だし た と の 感 想 も 多 い 。 街 か ら は 浮 浪 者 が 消 え 、 失 業 者も 大 幅 に 減 っ た 。 空 腹 に 苦 し む こ と は な く な り 、 み んな が 何 か に 意 味 を 見 い だ し て ( ヒ ト ラ ー と そ の 体 制 に自 己 を 投 入 ・ 陶 酔 し て ) 働 き 出 し た 。 そ う い え ば 、 一時 の 社 会 主 義 国 で の 話 や 、 宗 教 団 体 で の イ ニ シ エ ィ ショ ン ( 生 ま れ 変 わ り の 通 過 儀 礼 ) 後 の 感 想 と も 似 て いる 。 と も あ れ 、 こ こ に 、 戦 後 の 戦 争 責 任 が 、 単 な る ヒト ラ ー 個 人 あ る い は そ の 仲 間 だ け に 帰 す る こ と は で きな い 理 由 が あ る 。
◎ ユ ダ ヤ 人 な ど の 排 斥 は 人 種 間 の 優 劣 関 係 を 前 提と し た 単 な る 人 種 純 化 運 動 で は な い 。 上 述 の よ う に 、身 体 障 碍 者 な ど も 排 斥 さ れ た 。 そ の 背 景 に は 、 優 生 学
( eugenics ) の 発 想 が あ る 。 国 家 や 社 会 が 社 会 政 策 と して 、 結 婚 制 限 や 不 妊 手 術 を 行 う こ と に よ っ て 、 国 民 の遺 伝 子 を 改 善 し よ う と い う 発 想 で あ る 。 そ し て 、 こ の吐 き 気 を も よ お し て し ま う 発 想 は ナ チ ス に 留 ま ら ず 、北 欧 を 初 め と し た 「 民 主 的 な 」 政 権 で も 広 く 採 用 さ れ 、
戦 後 も し ば ら く 続 い た 。 こ の 優 生 学 の 延 長 線 上 に 現 代の 遺 伝 子 工 学 が あ る こ と は 否 定 し が た い の だ ろ う 。
7.4.6 ソ 連 は も と も と 天 然 資 源 が 豊 か で あ り 、 農 業 の 集 団化 ・ 機 械 化 ( 1929 年 ~ ) に よ り 急 成 長 を 遂 げ て い る と 見 なさ れ た 。 第 一 次 五 カ 年 計 画 で の 成 長 率 は 年 平 均 19.3%と い う 。革 命 と そ の 後 の 混 乱 で 工 業 生 産 が 下 が っ て い た こ と を 割 り引 い て も 、 あ る い は 当 時 の 統 計 の 怪 し さ を 差 し 引 い て も 、さ ら に は 手 前 味 噌 の 宣 伝 戦 術 を 勘 案 し て も 、 驚 異 的 で あ る 。社 会 主 義 イ デ オ ロ ギ に よ る 「 明 る い 未 来 」 の 提 示 と 、 祖 国防 衛 で 団 結 し た 記 憶 が 、 経 済 成 長 に 伴 い 生 ま れ る ( は ずの ) 自 由 化 要 求 を 忘 れ さ せ て い た 。
尤 も 、 国 民 の 多 く は 、 農 村 共 同 体 の 中 に 幸 福 を 見 出 す農 民 で は あ っ た 。 ま た 、 工 業 成 長 率 は 高 か っ た が 、 労 働 者
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の 実 質 賃 金 は 減 っ て い た 。 民 政 軽 視 は 続 く 。 都 市 部 へ の 食糧 調 達 に 農 民 が 反 対 し て 食 糧 不 足 が 深 刻 化 す る 中 で 、 富 農( ク ラ ー ク ) に 対 す る 攻 撃 が 始 ま り 、 強 制 徴 集 が 進 め ら れる ( 1928 年 ~ ) 。 要 は 国 家 に よ る 農 民 の 搾 取 で あ る 。 農 民反 乱 ( 1930 年 ) は 続 き 、 数 百 万 人 ( 700 万 人 ? ) の 餓 死 者 が 出 た と い う 。 さ ら に ノ ル マ 超 過 達 成 を 奨 励 す る 運 動 も 始 まる ( 1935 年 ) 。
ま た 、 党 の 政 治 局 は 、 国 際 連 盟 加 入 な ど の 新 外 交 原 則を 決 定 し ( 1932 年 ) 、 中 欧 ・ 東 欧 地 域 の 諸 国 と の 関 係 改 善を 目 指 す ( 1934 年 ) 。 こ の 中 で 、 ソ 連 の 関 心 は 、 波 ・ ソ 連国 境 の は ず だ っ た カ ー ゾ ン 線 よ り 実 際 の 国 境 が 2 00 ㎞ 以 上 も 東 に 置 か れ た 現 状 ( 大 戦 後 の 波 ・ 露 戦 争 の 結 果 、 1920 年 に締 結 ) の 改 善 で あ り 、 対 波 問 題 は 「 領 土 回 復 」 問 題 と 関 連づ け ら れ た ( → 1939 年 独 ソ 不 可 侵 条 約 ) 。 さ ら に 、 対 独 政策 で は 、 英 ( 1935 年 ) 、 仏 ( 1932 年 ) 、 米 ( 1935 年 ) と も 条約 締 結 で 関 係 を 深 め る 。
一 方 で 、 権 力 闘 争 で は 、 ス タ ー リ ン の ト ロ ツ キ ー ・ ジノ ヴ ィ エ フ 派 ( 「 残 党 」 ) に 対 す る 政 治 闘 争 は 激 し さ を 増す ( 1929 年 ~ ) 。 密 告 ( 一 例 と し て 1932 年 の パ ヴ リ ク ・ モ ロゾ フ 事 件 ) と 検 閲 は 一 般 人 の 間 で さ え も 風 通 し を 悪 く す る 。ス タ ー リ ン の 「 友 人 」 キ ー ロ フ 暗 殺 ( 1934 年 ) も 契 機 と なっ た の だ ろ う が 、 数 年 後 に は 大 粛 清 が 始 ま る ( 1928 年 か ら戦 後 ス タ ー リ ン が 死 ぬ 1952 年 ま で に 合 計 1,000 万 人 以 上 ) 。 また 、 新 憲 法 が 採 択 さ れ ( 1936 年 ) 、 国 家 の 復 活 、 民 族 の 復権 が な さ れ て 体 制 と 政 権 の 基 盤 を 確 立 す る 。 ソ 連 は 「 祖 」国 と な っ た 。
◎ ソ 連 と い う 社 会 主 義 国 の 国 際 連 盟 加 盟 ( 1934 年 )を 認 め た こ と に 対 し て 、 一 部 の 国 は 反 発 し 、 国 際 連 盟へ の 不 信 を 深 め る 一 因 と な っ た と さ れ る ( 日 本 や 独 は1933 年 に 脱 退 ) 。 し か し 、 こ の 種 の イ デ オ ロ ギ 的 反 発を 、 額 面 通 り 受 け 取 っ て も 仕 方 な い 。 1933 年 に 米 が ソ連 を 承 認 し て い る よ う に 、 国 際 政 治 の 基 本 は 現 実 政 治だ ろ う 。 な お 、 そ の 後 、 ソ 連 は 芬 に 侵 攻 し て 国 際 連 盟か ら 除 名 さ れ る ( 1939 年 ) 。
◎ ス タ ー リ ン は 、 「 一 人 が 死 ね ば 悲 劇 だ が 、 何 万 人も 死 ね ば 統 計 だ 」 と い っ た と さ れ る 。 三 大 粛 清 裁 判 の
被 害 者 は 数 百 万 人 に 及 ぶ と さ れ 、 赤 軍 将 校 の 75,000 人 のう ち 、 3 分 の 1 か ら 2 分 の 1 が 射 殺 ま た は 投 獄 さ れ たと さ れ る 。 ま た 、 第 十 七 回 大 会 ( 1934 年 ) の 中 央 委 員70% が 逮 捕 な い し 銃 殺 、 党 大 会 代 議 員 1,936 名 中 1,008 名 が逮 捕 さ れ た と さ れ る 。 粛 清 の す さ ま じ さ を 示 す 例 と して 、 粛 清 の 「 喜 劇 」 が 紹 介 さ れ て い る 275。 そ れ に よ れ
275 大澤真幸「<公共性>の条件 (下の一)」『思想』2003 年2月(946)、註4(92頁)
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ば 、 シ ョ ス タ コ ー ヴ ィ ッ チ は 、 1937 年 の 春 の あ る 土 曜日 、 内 務 人 民 委 員 部 本 部 に 陰 謀 容 疑 で 出 頭 を 命 じ ら れ 、否 認 し 続 け る と 、 来 週 月 曜 日 に 再 度 出 頭 を 命 じ ら れ た 。逮 捕 覚 悟 で 出 頭 す る と 、 調 査 官 自 身 が 週 末 の 間 に ス パィ 容 疑 で 逮 捕 さ れ て い た と い う 。 誰 を 粛 清 す る か で は
な く 、 何 人 粛 清 す る か が ノ ル マ ( 露 語 : норма ) と なる か ら で あ る 。 つ ま り 、 特 定 の 政 敵 で は な く 、 逮 捕 者の 数 を 各 地 区 に 割 り 当 て た 点 が 特 異 で あ る 。
7.4.7 伊 は 地 域 間 の 経 済 格 差 ( 南 北 問 題 ) が 大 き く 、 工業 の 発 展 も 遅 れ て い た た め 、 ム ッ ソ リ ー ニ は 、 産 業 復 興 公社 ( I R I ) を 設 立 し 、 経 済 へ の 本 格 介 入 を 宣 言 し て( 1933 年 ) 、 主 要 産 業 を 傘 下 に お さ め る 。 国 家 が 経 済 を 運営 す る 。 さ ら に 、 労 使 関 係 の 安 定 化 を は か る た め 、 協 同 組合 国 家 組 織 法 を 公 布 す る ( 1934 年 ) 。 社 会 党 、 共 産 党 は 行動 統 一 協 定 に 調 印 し ( 1934 年 ) 、 反 フ ァ シ ズ ム 運 動 の 機 会を 待 つ 。 対 外 関 係 で は 、 英 仏 独 を 相 手 に 領 土 拡 大 政 策 を、 、進 め る 。 独 の 再 軍 備 承 認 ( 1931 年 ) な ど ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制へ の 批 判 を 強 め 、 英 仏 の 妥 協 的 態 度 が あ っ た に せ よ 、 国、際 連 盟 の 侵 略 批 判 を 無 視 し て エ チ オ ピ ア を 併 合 し ( 1936年 ) 、 独 伊 の 伯 林 会 談 で 伯 林 = ロ ー マ 枢 軸 協 定 が 成 立 す る( 1936 年 ) 。 と は い え 、 一 方 で 英 仏 と の ( 実 効 性 は 怪 し か、っ た に せ よ ) 軍 事 協 定 を 結 ぶ な ど の 動 き も あ っ た 。 相 変 わら ず の 外 交 戦 術 で あ る 。
◎ 伊 を フ ァ シ ズ ム に 駆 り 立 て た の は 、 「 遅 れ 」 だっ た と 、 ジ ャ ー ナ リ ス ト の マ ッ ク は 指 摘 す る 。 軍 事 力も 経 済 力 も 欠 い て い た 。 「 イ タ リ ア 人 は 食 欲 は 旺 盛 だが 、 歯 が 悪 い 」 ( ビ ス マ ル ク ) 276。 そ の 遅 れ た 伊 の 中で も 、 南 部 ( 伊 語 : Mezzogiorno ) は さ ら に 遅 れ て い た 277。映 画 『 若 者 の す べ て 』 ( 伊 語 : Rocco e I suoi fratelli ) 、『 ニ ュ ー ・ シ ネ マ ・ パ ラ ダ イ ス 』 ( 伊 語 : Nuovo Cinema Paradiso ) な ど を 観 る と ( 時 代 は 少 し ず れ る が ) 、 そ の深 刻 さ が わ か る だ ろ う 。 だ か ら 、 フ ァ シ ズ ム へ の 、 ドゥ ー チ ェ ( 指 導 者 ) ・ ム ッ ソ リ ー ニ へ の 期 待 も 大 き かっ た だ ろ う 278。
7.5 ヒ ト ラ ー と そ の 友 敵
7.5.0 何 故 、 国 内 外 の 多 く の 人 が ヒ ト ラ ー に 魅 入 ら れ た
276 ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上、長山さき訳(徳間書店)310頁以下277 伊南部問題については、小田原琳「『南部』とは何か」北村暁夫・小谷眞男編『イタリア国民国家の形成』(日本経済評論社)第8章など、同書の論文を参照278 伊の政治文化(社会資本)の特色と関連して、Cf.ロバート・D・パットナム『哲学する民主主義』河田潤一訳(NTT出版)
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の だ ろ う か 、 あ る い は そ の 言 動 に 対 し て 寛 大 だ っ た の だ ろう か 。
7.5.1 第 一 次 大 戦 と 異 な り 、 戦 争 が 起 こ る と す れ ば そ の 原、因 は 明 白 だ っ た 。 ヒ ト ラ ー と そ の 戦 争 目 的 、 そ し て 戦 争 を辞 さ な い ( よ う に 見 え た ) 意 志 で あ る 。
賠 償 問 題 は 、 ロ ー ザ ン ヌ 賠 償 会 議 で 独 の 賠 償 削 減 の 協定 が 調 印 さ れ 、 事 実 上 賠 償 支 払 い 停 止 ( 要 は 帳 消 し ) が なさ れ て い た ( 1932 年 6 月 ) 。 そ れ で も 戦 後 処 理 で 積 み 残 され た 問 題 は 多 数 あ り 、 ヒ ト ラ ー は 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制 へ の挑 戦 で 支 持 を 獲 得 し て き た 。 再 軍 備 要 求 、 仏 ・ 白 に 占 領 され て い る ラ イ ン ラ ン ト の 「 解 放 」 、 中 欧 、 東 欧 に い る 独 人及 び 独 人 国 家 の 「 併 合 」 で あ り 、 各 論 点 の 主 張 は 周 辺 諸 国に も 理 不 尽 だ と は 必 ず し も 見 な さ れ な か っ た 。 再 軍 備 の 要求 は 、 ジ ュ ネ ー ブ 会 談 で 英 米 仏 伊 に よ り 原 則 承 認 さ れ て いた ( 1932 年 11 月 ) 。 そ し て 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 の 軍 備 制 限条 項 を 破 棄 し 、 徴 兵 制 に よ る 再 軍 備 を 宣 言 し ( 1935 年 3月 ) 、 ( 多 分 に 「 一 か 八 か 」 で ) ラ イ ン ラ ン ト に 進 駐 し 、ロ カ ル ノ 条 約 を 廃 棄 す る ( 1936 年 3 月 ) 。
ま た 、 民 族 自 決 に つ い て は 、 ヴ ェ ル サ イ ユ ・ 国 際 連 盟体 制 が 住 民 投 票 の 実 施 と い う 手 法 を 採 用 し た た め 、 国 際 管理 下 に あ り 、 長 ら く 仏 に 石 炭 を 提 供 し 続 け た ザ ー ル で 住 民投 票 を 決 行 し た 結 果 、 ザ ー ル は 独 に 復 帰 す る ( 1935 年 ) 。第 一 次 大 戦 後 の 領 土 失 墜 で 独 人 の 民 族 国 家 と な っ た 墺 と の合 併 構 想 ( 第 一 次 大 戦 後 の 独 墺 合 併 構 想 は 、 「 同 じ 」 民 族同 士 の 合 併 で あ っ た の で い わ ば 民 族 統 一 の 要 求 だ っ た が 、敗 戦 国 の 統 一 に よ る 強 国 誕 生 は 拒 否 さ れ て い た ) は 、 関 税同 盟 締 結 の 形 で 、 ヒ ト ラ ー 首 相 就 任 以 前 か ら 提 起 さ れ た が 、英 な ど の 反 対 で 廃 棄 さ れ て い た 。 墺 で の 権 益 に 執 着 す る ムッ ソ リ ー ニ が 英 側 に つ く 可 能 性 を ヒ ト ラ ー は 恐 れ て い た 。そ こ で ヒ ト ラ ー は 墺 内 部 の 権 力 闘 争 に 紛 れ て 墺 に 侵 入 後 、国 民 投 票 ( 99% 以 上 が 賛 成 と 発 表 ) で 墺 の 併 合 を 承 認 さ せる ( 1938 年 3 月 ) 。 ま た 、 独 人 が 多 数 居 住 す る チ ェ コ の ズデ ー デ ン 地 方 に は 、 民 族 自 決 の 原 則 を 逆 手 に と っ て 進 駐 し( 1938 年 10 月 ) 、 他 の 地 域 も 保 護 領 と す る ( 1939 年 3 月 ) 。ヒ ト ラ ー は 、 こ れ を 「 最 後 の 領 土 割 譲 要 求 」 と し た が 、 すぐ に そ の 約 束 を 反 故 に し た 。 そ し て 、 独 を 分 断 し て い た「 波 回 廊 」 を 解 消 す べ く 、 対 波 作 戦 準 備 を 整 え 、 英 独 海 軍協 定 及 び 独 ・ 波 不 可 侵 条 約 の 無 効 を 通 告 す る ( 1939 年 4月 ) 。
7.5.2 ヒ ト ラ ー に 対 す る 周 辺 諸 国 の 態 度 は 、 積 極 的 か 消 極的 か は と も あ れ 、 宥 和 ( appeasement ) 政 策 を 基 調 と し た ム。ッ ソ リ ー ニ に 対 し て も 同 様 で あ り 、 し ば し ば 英 仏 は 手 玉 にと ら れ る 。 仏 外 相 バ ル ト ゥ ー は 、 独 波 、 ソ 連 チ ェ コ 、 東、 、欧 諸 国 の 現 国 境 を 維 持 す る 条 約 構 想 ( 東 方 ロ カ ル ノ ) を も
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ち 、 そ の 中 軸 に は 仏 ソ 相 互 援 助 条 約 を お い た ( 1934 年 2月 ) が 、 そ の 暗 殺 後 ( 1934 年 10 月 ) 、 対 ソ 接 近 に 反 対 し 、伊 と の 連 携 に よ っ て 対 独 牽 制 を 図 ろ う と す る ラ ヴ ァ ル が 外相 に 就 任 し て 外 交 方 針 は 一 変 し 、 仏 伊 ロ ー マ 協 定 が 結 ば れる ( 1935 年 1 月 ) 。 そ し て 英 仏 伊 三 国 首 脳 に よ る 対 独 「 スト レ ー ザ 戦 線 」 の 結 成 ( 1935 年 4 月 ) も ム ッ ソ リ ー ニ に 利用 さ れ た だ け に 終 わ る 。
英 は 対 独 政 策 で 仏 や ソ 連 と 連 携 を と り な が ら 、 ジ ュ ネー ブ 会 談 で の 独 の 再 軍 備 を 追 認 し 英 の、 35% の 保 有 を 認 め る海 軍 協 定 に 調 印 す る ( 1935 年 6 月 ) が 、 仏 は 英 保 守 党 ボ ール ド ウ ィ ン 首 相 の こ の 対 独 宥 和 態 度 を 非 難 す る 。 米 は 孤 立主 義 を 復 活 し 、 中 立 法 を 制 定 す る ( 1935 年 8 月 ) 。 英 は 、ハ リ フ ァ ッ ク ス 卿 が ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 の 大 幅 修 正 の 用 意 あり と い う 「 み や げ 」 を も っ て 英 独 協 調 の 打 診 を 行 う ( 1937年 11 月 ) 。 N . チ ェ ン バ レ ン 首 相 は 、 チ ェ コ で 独 人 と チ ェコ 政 府 と の 対 立 に 介 入 し た 際 に も ヒ ト ラ ー と 会 談 し 、 ミ ュン ヘ ン 会 談 ( 他 に は ダ ラ デ ィ エ 仏 首 相 、 ム ッ ソ リ ー ニ 伊 首相 ) で 英 独 は 不 可 侵 宣 言 に 調 印 す る ( 1938 年 9 月 ) 。 宥 和政 策 に よ っ て 独 の 領 土 要 求 を 飲 み な が ら も 「 平 和 」 を 獲 得し た ( ミ ュ ン ヘ ン 協 定 ) と し て 群 衆 は 帰 国 す る チ ェ ン バ、レ ン 首 相 を 空 港 で 大 歓 迎 し た 。
こ う し た 宥 和 態 度 の 理 由 は 、 ス タ ー リ ン の よ う に 、 ヒト ラ ー な ど 所 詮 短 命 政 権 だ と 思 っ て い た 向 き は あ っ て も 、ま た 、 1936 年 の 伯 林 ・ オ リ ン ピ ッ ク 279 の 成 功 は ヒ ト ラ ー の 宣伝 に 役 立 っ た と し て も ( 反 ユ ダ ヤ 主 義 を 隠 蔽 す る た め に ユダ ヤ 人 選 手 を 入 れ た ) 、 「 平 和 の 使 者 」 と い う ヒ ト ラ ー の自 己 宣 伝 に 騙 さ れ た か ら で は な い 。 独 ・ 波 10 年 間 不 可 侵 条約 締 結 ( 1934 年 1 月 ) 、 独 ・ 波 の 不 可 侵 保 障 ( 1937 年 10 月 ) 、英 独 不 可 侵 宣 言 調 印 ( 1938 年 9 月 ) 、 仏 独 善 隣 協 定 調 印 でア ル ザ ス = ロ レ ー ヌ 請 求 権 放 棄 ( 1938 年 12 月 ) 、 独 ・ 丁 不可 侵 条 約 調 印 ( 1939 年 5 月 ) と い っ た 「 不 可 侵 」 の 文 言 を鵜 呑 み に し て 騙 さ れ た わ け で も な い 。 英 な ど の 政 治 家 に とっ て は 、 ヒ ト ラ ー ( 防 共 ) と ス タ ー リ ン ( 反 フ ァ シ ズ ム )の 選 択 が 難 問 だ っ た の で あ る 。
ハ リ フ ァ ッ ク ス の 訪 独 は 日 独 伊 防 共 協 定 成 立 直 後 で あっ た 280。 対 独 関 係 の 選 択 は 誰 が 決 め る の か ( 英 の 場 合 、 宥和 派 の ボ ー ル ド ウ ィ ン 、 チ ェ ン バ レ ン や ハ リ フ ァ ッ ク ス か 、 そ れ と も 反 ヒ ト ラ ー の チ ャ ー チ ル や イ ー デ ン か ) で 揺 れ た 。そ れ で も ヒ ト ラ ー の 外 交 戦 略 へ の 最 低 限 の 警 戒 体 制 は と られ て い た 。 独 が 西 部 方 面 に 侵 略 す る な ら ば 、 相 変 わ ら ず 白が ポ ィ ン ト と な る か ら 、 仏 は 2 年 兵 役 制 を 復 活 し 、 仏 ・ 白軍 事 協 定 を 更 新 し ( 1935 年 3 月 ) 、 英 仏 は 白 に 対 し 独 の 侵
279 Cf.デイヴィッド・クレイ・ラージ『ベルリン・オリンピック 1936』高儀進訳(白水社)、名取洋之助(写真)、金丸重嶺(序文)、白山眞理(解説)『名取洋之助写真集 ドイツ・1936年』(岩波書店)。ヒトラーの人種差別があっただけに、オーエンスなどの黒人選手の活躍が目立った大会でもあった。280 Cf.有末精三「三国同盟」伊藤隆他『語りつぐ昭和史1』(朝日文庫)
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略 を 防 衛 す る 保 障 を 表 明 し ( 1936 年 11 月 ) 、 英 国 王 ( ジ ョー ジ 6 世 ) 夫 妻 は 巴 里 を 訪 問 し て 英 仏 の 友 好 関 係 存 続 を 印象 づ け た ( 1938 年 7 月 ) 。 東 部 戦 線 で は 、 仏 ・ 波 が 新 軍 事協 定 を 締 結 、 独 の 侵 略 後 15 日 以 内 の 参 戦 を 約 束 す る ( 1939年 5 月 ) 。 ト ル コ に 対 し て は 、 モ ン ト レ ー 国 際 会 議 で 地 中海 と 黒 海 と を 結 ぶ 要 点 で あ る ダ ー ダ ネ ル ス ・ ボ ス フ ォ ラ ス両 海 峡 の 管 理 権 返 還 を 決 定 し ( 1936 年 7 月 ) 、 大 戦 勃 発 後に は 英 ・ 仏 ・ ト ル コ で 相 互 友 好 条 約 を 締 結 す る ( 1939 年 10月 ) 。
7.5.3 ヒ ト ラ ー は 結 局 英 仏 と の 対 決 を 選 択 す る 。 同 盟 国 は伊 と 日 本 で あ る 。 ヒ ト ラ ー と ム ッ ソ リ ー ニ の 最 初 の 会 談 は墺 問 題 で 一 致 し な か っ た ( 1934 年 6 月 ) 。 ヒ ト ラ ー は 当 初ム ッ ソ リ ー ニ を 崇 拝 し 、 ム ッ ソ リ ー ニ 個 人 は 次 第 に ヒ ト ラー が 「 好 き 」 に な る の だ ろ う が 、 伊 に と っ て 、 墺 は 権 益( 領 土 回 復 運 動 ) の 対 象 だ っ た か ら 、 ム ッ ソ リ ー ニ は 当 初は 墺 の 独 立 を 要 望 し て い た 。 し か し 、 独 伊 外 相 会 談 ( 1936年 10 月 ) 後 、 ヒ ト ラ ー 、 ム ッ ソ リ ー ニ が 双 方 伯 林 と ロ ー マを 訪 問 し ( 1937 年 11 月 、 1938 年 5 月 ) 、 独 伊 は 軍 事 同 盟 に 調印 し て 伯 林 = ロ ー マ 枢 軸 は 完 成 す る ( 1939 年 5 月 ) 。 伊 は独 を 後 見 人 と し て 仏 に コ ル シ カ の 「 返 還 」 を 要 求 し 、 ア ルバ ニ ア に 侵 攻 す る ( 1934 年 4 月 ) 。 尤 も 、 ヒ ト ラ ー は 希 侵攻 失 敗 ( 1940 年 ) な ど ム ッ ソ リ ー ニ の 無 謀 に こ れ 以 降 も 手を 焼 く こ と に な る 。 ヒ ト ラ ー の 構 想 は 世 界 戦 略 で あ り 、 最終 的 に は 米 と の 対 決 を 想 定 し て い た が 、 当 面 は 米 が 中 立 を保 つ こ と が 望 ま し か っ た 。 最 初 は 短 期 決 戦 が 望 ま し い と 考え て い た か ら で あ る 。 し か し 、 日 本 と の 同 盟 で 対 米 参 戦 は避 け ら れ な く な る 。
8. 第 2 次 世 界 大 戦 ( 1939 ~ 1945 ) 281
281 第二次世界大戦も参考文献は数え切れない(Cf.日本については、日本政治史、日本政治外交史の他、政治学基礎のポツダム宣言受諾)。Cf.ウィンストン・チャーチル『第二次大戦回顧録』24巻、毎日新聞翻訳委員会訳(毎日新聞社)(河出文庫には佐藤亮一訳で4巻本(抄訳)がある)、ジョン・コルヴィル『ダウニング街日記』上下、都築忠七他訳(平凡社)、ケント・ロバート・グリーンフィールド『歴史的決断』第1部・第2部、中野五郎訳(ちくま学芸文庫)、藤村信『ヤルタ 戦後の起点』(岩波書店)、アルチュール・コント『ヤルタ会談=世界の分割』山口俊章訳(サイマル出版社)、松川克彦『ヨーロッパ1939』(昭和堂)、アンドリュー・ナゴルスキ『モスクワ攻防戦』津守滋監訳・津守京子訳(作品社)、仲晃『アメリカ大統領が死んだ日』(岩波書店)…。なお、観るべき映画も多い。『ニュールンベルク裁判』( Judgment at Nuremberg )、『独裁者』( The Dictator )、『カサブランカ』( Casablanca )、『禁じられた遊び』(仏語: Jeus interdits )、『史上最大の作戦』( The Longest Day )、『Uボート』(独語: Das Boot )、『地下水道』(ポーランド語: W ciemnošci )、『灰とダイヤモンド』(ポーランド語: Popiól I diament 最初の単語の最後のエルはポーランド語特有の文字)、『大脱走』( The Great Escape )、『遠すぎた橋』( A Bridge Too Far )、『ブリキの太鼓』(独語: Blechtrommel )、『無防備都市』(伊語: Roma città aperta )、『スターリングラード』(何種類かある。1993 年製作は独
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8.1 開 戦
8.1.1 第 一 次 大 戦 と 異 な り 、 第 二 次 大 戦 は い つ 始 ま る かだ け が 問 わ れ た 戦 争 で あ り 、 総 力 戦 も 開 戦 前 か ら 覚 悟 さ れた 。 と こ ろ が 友 敵 関 係 は な か な か 明 確 に は な ら な い 。 英 仏米 ソ vs 独 伊 ( 日 ) と い う 構 図 が で き あ が る ま で に は 時 間 がか か る 。
◎ 当 時 の 開 戦 ( 参 戦 ) は 、 本 来 の 意 味 の 内 閣 、す な わ ち 、 議 会 や 国 民 の 意 思 を 問 わ ず 、 国 王 や 皇 帝と 側 近 の 少 数 者 だ け が 改 選 を 決 定 す る 方 式 だ っ た( 内 閣 戦 争 。 こ の 場 合 の 内 閣 は 本 来 の 意 味 の 内 閣 ) 。し か も 、 加 な ど の 自 治 領 は 本 国 と 共 に 自 動 的 に 参 戦さ せ ら れ た 282。
フ ラ ン コ 反 乱 国 民 軍 vs 人 民 戦 線 ( 表 面 的 に は 両 者 の 戦い だ が 、 実 は 誰 と 誰 が 闘 っ て い る の か 分 か り づ ら か っ た 。両 者 の 内 部 で も 闘 っ て い た か ら で あ る ) と い う 西 内 乱 ( 西内 戦 と も い う 。 1936 ~ 1939 、 西 で は 汚 職 が 蔓 延 し 、 大 地 主 への 反 発 か ら 、 ク ー デ タ ・ 内 戦 が 多 く 、 い わ ば 政 治 的 風 土 病だ っ た 。 た だ 、 無 政 府 主 義 者 が 多 い 点 が 他 の 西 欧 ・ 南 欧 諸国 と の 違 い で あ る ) は 、 こ の 図 式 完 成 の 前 哨 儀 式 に も 思 えた が 、 英 は 対 独 関 係 の 悪 化 を 恐 れ 、 仏 は 対 英 関 係 の 悪 化 を嫌 い 、 露 は 英 仏 と の 対 フ ァ シ ズ ム 協 調 路 線 の 放 棄 か ら 、 不干 渉 方 針 が と ら れ た 。 各 地 の 人 民 戦 線 は 国 際 的 な 社 共 協 調を 生 み 、 仏 ソ 不 可 侵 条 約 ( 1935 年 ) で 仏 ソ 連 携 強 化 の 可 能性 を 開 い た は ず だ っ た が 、 仏 政 府 の 西 に 対 す る 不 干 渉 政 策に ソ 連 は 失 望 し 、 ル ー マ ニ ア ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 仏 接 近 に、不 安 を 感 じ 、 む し ろ 独 伊 へ の 接 近 を 開 始 す る 。 仏 ソ 接 近 は 、仏 国 内 で は 右 翼 の 反 発 や 警 戒 を 呼 び 、 露 に 苦 し め ら れ た 歴史 を 持 つ 露 周 辺 諸 国 の 猜 疑 を 生 み 、 英 の 対 独 接 近 す ら も たら し か ね な か っ た 。
そ し て 、 独 が 波 に 宣 戦 布 告 す る ( 1939 年 9 月 ) 直 前 に 衝撃 的 事 件 が 起 こ る 。 8 月 21 日 、 リ ッ ベ ン ト ロ ッ プ 独 外 相 がモ ス ク ワ を 訪 問 し 、 独 ソ 間 で 波 な ど の 分 割 、 つ ま り 勢 力 圏の 確 認 を 行 っ た 。 そ し て 、 そ の 結 果 が 、 ラ パ ロ 条 約 の 「 再現 」 、 独 ソ 不 可 侵 条 約 ( 両 外 務 大 臣 の 名 前 か ら モ ロ ト フ =リ ッ ベ ン ト ロ ッ プ 協 定 と も ) 締 結 ( 1939 年 8 月 ) で あ る 。
映画で、Stalingrad、2001 年製作は米・独・英・愛蘭合作、 Enemy at the Gates )、『眼下の敵』( The Enemy Below )、『ソフィーの選択』( Sophie’s Choice )、『シンドラーのリスト』( Schindler’s List )、『ライフ・イズ・ビューティフル』(伊語: La vita é bella)、『聖なる嘘つき その名はジェイコブ』( Jacob the Liar )、『ヒトラー 最期の12日間』(独語: Der Untergang )、『愛の嵐』(伊語: Il Portiere di notte )…282 木村靖二『第一次世界大戦』(ちくま新書)54頁以下
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波 は 独 ソ の 間 に 位 置 す る 点 で 歴 史 上 地 政 学 的 に 難 し い 立 場に 置 か れ 続 け て い た 。 波 は 第 1 次 大 戦 後 の 1920 年 ソ 連 と 戦争 し て お り 、 対 ソ 不 信 が 残 っ て い た た め ( 尤 も 、 馬 で 機 甲師 団 へ 突 入 す る な ど 、 そ の 軍 事 力 は お 粗 末 だ っ た ) 、 英 頼み だ っ た が 、 英 は 独 に 配 慮 し て お り 、 英 と ソ 連 と の 友 好 には 違 和 感 が つ き ま と っ て い た 。
ヒ ト ラ ー は 波 と の 軍 事 衝 突 に 際 し 、 ス タ ー リ ン の 中 立を 必 要 と し た 。 波 は そ も そ も 相 手 に は な ら ず 従 っ て 後 は、 、西 部 戦 線 だ け と な る と ヒ ト ラ ー は 喜 ん だ 。 そ れ に し て も 、ス タ ー リ ン は コ ミ ン テ ル ン 第 七 回 大 会 で 反 フ ァ シ ズ ム 統 一戦 線 を 採 択 し て い た ( 1935 年 7 月 ) は ず で あ り 、 ヒ ト ラ ー は 防 共 協 定 を 日 伊 と 結 ん で い た は ず で あ る 。 し か し 、 こ の条 約 に よ っ て 独 か ら 攻 撃 さ れ な い だ け で な く 、 時 間 稼 ぎ にも な る と い う 目 論 見 も あ っ た ろ う 。 こ の 「 反 共 」 ヒ ト ラ ーと 「 反 フ ァ シ ズ ム 」 ス タ ー リ ン と の 提 携 は 世 界 を 震 撼 さ せた ( 日 本 で は 衝 撃 を 受 け た 平 沼 内 閣 が 総 辞 職 す る ) 。 た だ 、こ の 成 立 に は 英 仏 に も 多 少 の 「 責 」 が あ る 。 ス タ ー リ ン は 、英 仏 が 波 、 ル ー マ ニ ア 、 希 の 独 立 を 保 障 し た ( 1939 年 4月 ) こ と で 気 分 を 害 し 、 英 仏 ソ 三 国 間 の 相 互 援 助 条 約 に 合意 し た ( 1939 年 6 月 ) が こ れ は あ く ま で 軍 事 協 定 締 結 の 留、保 条 件 付 き だ っ た 。 尤 も ス タ ー リ ン も 粛 清 に よ り と て も 軍事 行 動 が 見 込 め ず 、 一 時 で も 停 戦 を 求 め た だ け と も い え た 。
◎ 西 内 乱 ( 内 戦 ) は 、 西 市 民 戦 争 と も い わ れ る が 、C i v i l W a r と い う 、 す こ ぶ る 政 治 的 概 念 が当 て は め ら れ る か ら で あ る 。 各 国 の 知 識 人 ・ 文 化 人( ヘ ミ ン グ ウ ェ イ 『 誰 が た め に 鐘 は 鳴 る 』 ( 映 画 ( For Whom the Bell Tolls ) も あ る ) 、 ピ カ ソ 『 ゲ ル ニ カ 』 ) が関 心 を 抱 く だ け で な く 、 実 際 に 義 勇 兵 と し て 駆 け つ ける な ど 283、 正 義 ( 主 義 ) の 闘 い の 側 面 が 強 調 さ れ た 。尤 も 、 こ の 内 乱 で は 、 第 五 列 ( 敵 に 味 方 す る 味 方 ) とい う 言 葉 が 生 ま れ た こ と 、 ま た 、 ア ナ ー キ ズ ム が 強 いス ペ イ ン ら し く 、 内 部 抗 争 も あ っ て 、 戦 死 者 よ り も テロ に よ る 犠 牲 者 の 方 が 多 か っ た 。
8.1.2 独 の 波 侵 攻 ( 1939 年 9 月 1 日 ) で 大 戦 は 始 ま り 、 第一 次 大 戦 と は 異 な り 、 直 後 に 宣 戦 が 続 く ( 9 月 3 日 英 仏 宣戦 ) 。 当 初 の 英 仏 vs 独 伊 の 闘 い で は 、 枢 軸 国 側 が 圧 倒 し 、 特 に 独 の 快 進 撃 は 続 く 。 波 が ほ ど な く 降 伏 し た 後 ( 1939 年9 月 ) 、 丁 、 諾 、 蘭 、 白 も こ れ に 続 き ( ~ 1940 年 5 月 ) 、1929 年 に 建 設 を 始 め て い た 「 難 攻 不 落 の マ ジ ノ 線 」 も ( 迂回 し て 簡 単 に ) 破 ら れ 、 ヒ ト ラ ー の 戦 術 上 の ミ ス も あ っ て連 合 国 は 何 と か 撤 退 を 果 た し た が 、 巴 里 は 落 城 し 、 仏 も( 抵 抗 は せ い ぜ い 1 週 間 で ) 占 領 さ れ る ( 1940 年 6 月 ) 。
283 ジョージ・オーエル『カタロニア讃歌』都築忠七訳(岩波文庫他、訳書は驚くほど多くの出版社から出ている)
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両 陣 営 の 戦 力 差 は そ れ ほ ど な か っ た に も か か わ ら ず 、独 の 進 撃 は 不 思 議 ほ ど 順 調 で あ り 、 独 が 侵 攻 す る た び に 、当 初 そ の 多 く が 巴 里 な ど に い た 各 国 の 王 族 や 政 府 、 有 力 政治 家 は 倫 敦 か モ ス ク ワ に 亡 命 し ( も ち ろ ん 前 者 の 方 が 人 気が 高 い 。 そ う い え ば 、 マ ル ク ス も 倫 敦 に 亡 命 し て 大 英 博 物館 で 猛 勉 強 し た ) 、 当 地 か ら 祖 国 に と ど ま る 抵 抗 勢 力 を 支援 し 続 け 、 連 合 国 の 後 方 支 援 に 尽 力 し た 。 ま た 、 反 ナ チ スの ユ ダ ヤ 人 や 知 識 人 の 多 く は 米 へ 逃 亡 し た ( 1930 年 代 、 アイ ン シ ュ タ イ ン な ど 独 人 の 学 者 が 多 数 米 に 亡 命 し 、 そ の 結果 米 で 自 然 科 学 の み な ら ず 、 ヒ ト ラ ー 研 究 を 基 に し た 社 会科 学 が 発 達 す る ) 。 亡 命 に せ よ 、 逃 亡 に せ よ 、 国 内 組 か ら「 逃 げ た 」 の だ と 解 釈 さ れ れ ば 、 正 当 性 の 回 復 は 難 し い 。国 内 抵 抗 組 は 、 監 獄 に 入 れ ば 、 そ れ だ け 「 箔 が つ く 」( 「 獄 中 カ リ ス マ 」 、 「 監 獄 カ リ ス マ 」 と い う ) 。
◎ ヴ ィ ク ト リ ア 女 王 の 独 贔 屓 、 そ の 息 子 エ ド ワ ード 7 世 の 仏 贔 屓 な ど 、 国 王 の 好 悪 が 外 交 に 及 ぼ す 事 例
は 多 数 あ る 。 し か も 、 英 の 上 流 階 級 の 間 に は 、 英 と 独 は 親 類 関 係 に あ る と い う 意 識 が 濃 厚 に あ る 。 戦 後 も エ
リ ザ ベ ス 女 王 は 、 ハ ノ ー ヴ ァ ー を my hometown と 読 ん だ りす る が 、 単 な る リ ッ プ ・ サ ー ヴ ィ ス で は な い 。 そ も そも と は 言 っ て も 、 200 年 以 上 前 の 話 だ が 、 英 王 室 は 「 独
( ハ ノ ー ヴ ァ ー 王 国 ) 」 か ら や っ て き た の だ か ら 、 英 独 戦 争 と な れ ば 、 疑 惑 ( 獅 子 身 中 の 虫 ) の 対 象 と な る 。
1936 年 に 退 位 し た エ ド ワ ー ド 8 世 は 、 退 位 後 数 度 ナチ ス ・ 独 を 訪 問 し て お り ( ナ チ ス 風 の 挨 拶 も 行 っ た とさ れ る ) 、 英 政 府 は そ の 取 り 扱 い に 苦 慮 し た 。 だ か らこ そ 、 ヒ ト ラ ー に よ る 倫 敦 空 爆 の 際 に 、 ジ ョ ー ジ 6 世
国 王 夫 妻 284 は 疎 開 せ ず に 被 爆 地 を 訪 れ 、 被 災 者 を 慰 撫 し た 。 国 民 の 、 Commonwealth の 象 徴 と し て の 義 務 で あ る 。
こ の よ う に 、 対 ナ チ ス の 態 度 如 何 で は 君 主 制 の 正 統 性が 危 う く な っ た 。
な お 、 蘭 系 フ ラ マ ン 人 と 仏 系 ワ ロ ン 人 と の 「 民 族 」対 立 を 抱 え 続 け る 白 で は 、 国 王 が 国 家 統 一 の 象 徴 だ った だ け に 、 そ の 動 向 は ま さ し く 国 家 の 存 亡 と 直 結 し た 。レ オ ポ ル ド 3 世 は 、 1940 年 5 月 独 の 侵 略 に あ た っ て 、亡 命 を 拒 否 し 、 進 ん で 国 王 の 義 務 を 果 た す べ く 国 内 に留 ま る こ と を 選 択 し 、 政 府 に 逆 ら っ て 独 に 降 伏 す る( 独 に 勾 留 さ れ る 。 政 府 は 最 終 的 に は 倫 敦 へ 亡 命 する ) 。 抵 抗 の 意 志 は あ っ た に せ よ 、 一 方 で 、 ヒ ト ラ ー訪 問 時 に 自 身 の 結 婚 問 題 を 相 談 す る な ど そ の 姿 勢 が 疑わ れ か ね な い 行 動 を と っ て お り 、 こ の 件 が た た っ て 戦後 ナ チ ス と の 関 係 を 疑 わ れ 、 退 位 問 題 が 生 じ る ( 特 に帰 国 後 、 騒 擾 に よ り 、 議 会 で 退 位 が 決 ま る ) 。
284 Cf.ジョン・コルヴィル『ダウニング街日記』上下、都築忠七他訳(平凡社)。吃音で苦しんだジョージ六世については、マーク・ローグ、ピーター・コンラディ『英国王のスピーチ』安達まみ訳(岩波書店)。映画『英国王のスピーチ』も評判になった。また、吉田雪子『ジョージ六世戴冠式と秩父宮』長岡祥三監訳(新人物往来社)で時代風景がわかるだろう。
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そ れ に 較 べ 、 丁 、 諾 、 蘭 で は 抵 抗 の 手 法 は 異 な る とし て も 、 反 ナ チ ス の 象 徴 と な り 、 そ の 果 敢 な 態 度 が 、戦 後 も 国 民 か ら 高 い 支 持 を 受 け る 理 由 と な る 。 諾 や 蘭の 君 主 は 亡 命 し て も 非 難 さ れ ず 、 亡 命 し な か っ た レ オポ ル ド 3 世 が 批 判 さ れ た の は 、 政 治 家 や 革 命 家 と の 面白 い 違 い だ ろ う 。 革 命 家 は 所 詮 一 国 民 と い う こ と な のか も 知 れ な い 。
8.1.3 第 二 次 大 戦 の 戦 場 は 、 欧 州 と そ の 周 辺 地 域 に 絞 っ ても 、 特 定 し づ ら い 。 ま さ に 戦 争 が 平 面 で も 空 間 で も 全 面 化し て い た 。 陸 海 空 全 軍 出 動 で あ る 。 と は い え 、 西 部 戦 線( 英 仏 vs 独 ) と 東 部 戦 線 ( ソ 連 vs 独 ) の 動 向 が 戦 況 を 左 右し て い た の で あ っ て 、 こ れ に 加 え 、 北 ア フ リ カ や 伊 戦 線 とい っ た 地 中 海 周 辺 も 重 要 で あ っ た 。 戦 場 の 選 定 は 、 同 時 に戦 後 の 勢 力 圏 争 い と 密 接 に 関 わ っ て い る 。 ナ チ ス の 攻 勢 にか か っ た 最 初 の 歯 止 め は 、 レ ー ダ 基 地 造 成 に よ っ て 事 前 に攻 撃 を 察 知 し 、 独 空 軍 の 奇 襲 を 何 と か 失 敗 に 追 い や っ た 「 Battle of Britain ( 1940 年 7 月 ~ 11 月 ) 」 で あ る ( こ の 夏 、 「 平 均的 イ ギ リ ス 軍 パ ィ ロ ト の 平 均 余 命 は 四 週 間 か 、 せ い ぜ い 五週 間 だ っ た 」 285) 。
1939 年 か ら こ の 時 ま で 、 欧 州 戦 線 は 「 小 競 り 合 い 」 の 状態 ( Phony War ) だ っ た 286( そ の 静 け さ に 「 奇 妙 な 戦 争 」 と もい う ) 。 む し ろ 、 平 和 だ っ た と さ え い え る 。 英 な ど 各 国 では 、 ヒ ト ラ ー と の 和 平 を 求 め る 声 も 小 さ く な か っ た 。 し かも 、 こ の 時 期 に は 、 英 と ソ 連 と の 戦 争 の 可 能 性 さ え 、 存 在し て い た 。 ソ 連 ・ 芬 戦 争 で 、 英 が 芬 支 援 の 可 能 性 を 検 討 して い た か ら で あ る 。 独 は 制 海 権 争 い で は 英 海 軍 に は 勝 て ない と の 判 断 か ら 制 空 権 確 保 を 優 先 し た が 、 作 戦 ミ ス と 航 続距 離 ・ 搭 載 力 な ど の 技 術 的 限 界 か ら 無 期 延 期 ( 敗 北 ) す る 。第 一 次 大 戦 と の 違 い は 、 航 空 機 と 戦 車 が 機 動 力 と 破 壊 力 を高 め た 点 で あ り 、 都 市 爆 撃 は 大 規 模 と な り 、 戦 場 と 銃 後 との 、 あ る い は 兵 士 ( 正 規 兵 ) と 民 間 人 と の 区 別 が 薄 れ 始 める 。 こ の 戦 争 か ら 、 民 間 人 の 死 傷 者 数 は 膨 大 に な る 。
◎ 北 欧 の 地 政 学 上 、 戦 略 上 の 重 要 性 は 無 視 で き ない 。 瑞 は 中 立 国 だ っ た ( 良 質 の 鉄 鉱 石 を 産 出 し 、 独 など へ 輸 出 し た が 、 石 炭 は 独 か ら の 輸 入 に 頼 っ て い た )か ら 、 ナ チ ス ・ 独 に と っ て は 同 盟 国 扱 い だ っ た 287。 独に 接 す る 丁 は 兵 力 が 1 万 人 以 下 で あ り 、 あ っ さ り 独 に降 伏 し た 。 ク リ ス テ ィ ア ン 10 世 は 、 兵 力 を 持 ち 、 抵 抗
285 ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』上、長山さき訳(徳間書店)400頁286 チャーチルは、Twilight War と呼んだとされる。また、独では、この時期は、独語: Blitzkrieg (電光石火の戦争)をもじって、独語 Sitzkrieg (坐っているだけの戦争) といい、英では、ボーア戦争( Boer War )をもじって、 Bore War (退屈な戦争) と呼んだ。いずれも、韻を踏んでいる点に注意。287 『さまよえる湖』(鈴木啓造訳(中公文庫))で知られる瑞人の探検家スヴェン・ヘディンは、ヒトラーにとって重要な外交の窓口であった(金子民雄『秘められたベルリン使節』(中公文庫)。
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す れ ば 、 か え っ て 攻 撃 さ れ る と 判 断 し た の だ ろ う が 、降 伏 後 も 、 市 民 の 間 に は 連 絡 網 が 維 持 さ れ て 、 不 気 味な 、 非 暴 力 に よ る 抵 抗 が 繰 り 返 さ れ た 。 こ れ も 1 つ の現 実 的 な 抵 抗 だ っ た 。 一 方 、 丁 の 北 方 に 位 置 し 諾 は 抵抗 す る 。 そ の 中 で 、 国 王 と 政 府 は 倫 敦 へ 亡 命 し 、 ナ チス へ の 抵 抗 を 続 け た 。 こ れ に よ り 、 ク リ ス テ ィ ア ン 10世 の 弟 で も あ る ホ ー コ ン 7 世 は 国 民 の 支 持 を 受 け る 。
◎ チ ャ ー チ ル : Never in the field of human conflict was so much owed by so many to so few. レ ィ ダ が 用 い ら れ 、 波 、 チ ェ コ 、 英 連 邦 の パィ ロ ト が 多 く 参 加 し た 。 ま さ に 連 合 軍 だ っ た 。 な お 、こ の 頃 だ ろ う と 思 わ れ る が 、 チ ャ ー チ ル ら し い 逸 話 があ る 288。 チ ャ ー チ ル は 、 独 に 追 い 詰 め ら れ 、 本 土 決 戦を 強 い ら れ た と き 、 「 諸 君 、 こ れ で わ ざ わ ざ 敵 を や っ
つ け る た め に 遠 く ま で 行 か な く て も 、 す む 」 と 云 っ た と い う 。 当 時 の 状 況 か ら 考 え れ ば 、 ジ ョ ー ク と い う よ
り 、 ユ ー モ ア で あ る が 、 チ ャ ー チ ル の 言 葉 は 、 英 の みな ら ず 、 連 合 国 の 士 気 を 高 め た 。
8.1.4 独 ソ 戦 の 開 始 ( 1941 年 6 月 22 日 ) は 、 独 に と っ て 西部 と 東 部 の 両 方 面 で 闘 う こ と を 意 味 す る た め 、 戦 術 と し ては 疑 問 が あ っ た が 、 ヒ ト ラ ー に は 『 わ が 闘 争 』 の シ ナ リ オ通 り で あ っ た ( バ ル バ ロ ッ サ 作 戦 ) 。 一 方 で 、 ス タ ー リ ンに と っ て は 全 く の 予 想 外 で あ り 、 準 備 は 全 く 整 っ て い な かっ た 。 ソ 連 は 、 ナ ポ レ オ ン に 対 す る 「 祖 国 戦 争 」 を も じ って 、 こ れ を 「 大 祖 国 戦 争 ( 露 語 : Великая Отечественная Война ) 」と す る 。 独 が 対 ソ 開 戦 す る 準 備 を し て い る 側 近 か ら の 情 報な ど も 、 英 の い つ も の 心 理 作 戦 に 過 ぎ な い と 考 え 、 不 思 議な ほ ど 独 ソ 不 可 侵 条 約 を 信 じ て い た 。
こ の 条 約 は 、 独 ソ 間 の 反 ユ ダ ヤ 同 盟 の 証 し だ と 信 じ てい た の か も 知 れ な い 。 ソ 連 は 19 世 紀 以 来 、 工 業 力 で 独 を 上回 り 、 1930 年 代 の 不 況 の 影 響 も 大 し て 受 け ず に 高 い 経 済 成長 を 遂 げ 、 軍 事 技 術 も 上 回 っ て お り 、 し か も 独 は 補 給 に 苦労 す る は ず と い う 楽 観 が あ っ た か も 知 れ な い 。 事 実 、 赤 軍に と っ て 予 想 以 上 に 、 独 軍 は 進 撃 し 、 キ エ フ な ど の 都 市 は陥 落 す る が 、 ナ ポ レ オ ン を 敗 走 さ せ た 「 冬 将 軍 」 の 前 に 独軍 の 進 撃 も 止 ま り 、 持 久 戦 の 様 相 を 呈 す る 。 ナ ポ レ オ ン と同 様 、 ヒ ト ラ ー も 補 給 で 苦 心 す る 。 し か も 、 今 回 は 、 社 会主 義 と ナ シ ョ ナ リ ズ ム と が 連 動 し て い た た め 、 ソ 連 側 の 抵抗 も 強 か っ た 。
尤 も 、 ナ ポ レ オ ン が 周 辺 地 域 の 抑 圧 さ れ た 階 級 の 解 放を 訴 え て 初 期 に は 熱 烈 歓 迎 を 受 け た よ う に 、 露 周 辺 諸 国 では 、 独 軍 が 解 放 軍 と し て 歓 迎 さ れ た こ と は 事 実 で あ る 。 ただ 、 ソ 連 は 、 日 ソ 中 立 条 約 の 締 結 ( 1941 年 4 月 ) で 東 方 の
288 北原照久『笑話コレクション』(翔年社)
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軍 事 力 を 欧 州 の 東 部 戦 線 に 回 す こ と が 可 能 と な り 、 独 軍 に対 抗 す る 。 ス タ ー リ ン は 、 松 岡 外 相 を 自 ら 駅 前 ま で 見 送 るほ ど 喜 ん だ と い う 。 こ れ で 、 東 部 は 気 に し な く て よ く な るか ら で あ る 。 こ こ で も 、 日 露 戦 争 の 時 と 同 様 、 極 東 情 勢 が欧 州 戦 線 に 及 ぼ す 影 響 は 小 さ く な か っ た 。 ス タ ー リ ン グ ラー ド 攻 防 戦 の 勝 利 ( 1942 年 6 月 ~ 1943 年 2 月 ) 289で 、 ソ 連 は西 方 に 進 出 が 可 能 と な る 。 そ れ は 、 第 一 次 大 戦 後 独 立 し てい た 周 辺 諸 国 に と っ て 、 再 び ソ 連 へ と 吸 収 さ れ る か 、 そ の勢 力 下 に お か れ る こ と が 現 実 の 問 題 に な り つ つ あ る こ と も意 味 し た 。 そ の 点 で 、 周 辺 諸 国 に と っ て 、 露 と ソ 連 と の 間に 大 き な 違 い は な か っ た 。
◎ 独 軍 が ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 抵 抗 勢 力 排 除 で ソ 連 への 侵 攻 が 遅 れ た こ と 、 初 期 の 段 階 で 対 ソ 講 和 に 失 敗 した こ と な ど 戦 術 上 の ミ ス が 指 摘 さ れ る が 、 シ ミ ュ レ ィシ ョ ン ・ ゲ ィ ム と 現 実 と は 異 な る も の で あ る 。
8.2 各 国 の 状 況 と 終 戦 ま で の 経 緯
8.2.1 英 は 大 戦 勃 発 前 に 、 い つ も の よ う に 下 院 が 軍 事 費 倍増 を 承 認 し ( 1939 年 2 月 ) 、 い つ も と は 違 っ て 一 般 兵 役 制を 導 入 し ( 1939 年 4 月 。 第 一 次 大 戦 時 は 1916 年 で 戦 争 の 途 中か ら ) 、 戦 時 に 必 要 な 権 限 を 政 府 に 付 与 し て い た ( 1939 年8 月 ) 。 そ し て 、 独 の 波 侵 攻 の 2 日 後 、 対 独 強 硬 派 の チ ャー チ ル 、 イ ー デ ン が 入 閣 す る 。 宥 和 政 策 を 掲 げ て い た N .チ ェ ン バ レ ン 首 相 が 辞 職 し ( 1940 年 5 月 ) 、 後 継 に 「 ヤ ンチ ャ 坊 主 」 の 切 り 札 W . チ ャ ー チ ル 290 が 首 相 と な る ( 労 働党 を 含 む 挙 国 一 致 内 閣 ) 。
チ ャ ー チ ル は ド ・ ゴ ー ル 将 軍 の 自 由 仏 委 員 会 を 承 認 する ( 1940 年 6 月 ) 。 米 と は 防 衛 協 定 を 結 び ( 1940 年 9 月 ) 、両 国 参 謀 本 部 が 対 独 作 戦 を 練 る こ と に な る ( 1941 年 1 月 ) 。ソ 連 は 英 仏 へ の 同 盟 提 案 が 拒 否 さ れ 、 交 渉 も 失 敗 し て い、た か ら ( 1939 年 4 月 ~ 7 月 ) 、 独 ソ 不 可 侵 条 約 の 締 結 で ソ連 と の 和 解 の チ ャ ン ス を 逸 し た よ う に 思 え て い た 。 そ れ に独 に 対 す る 海 洋 封 鎖 も 独 ソ 関 係 に よ っ て 無 効 と な っ て い た 。
289 スターリングラードをめぐる攻防戦は参考文献が多い。ひとまず、Cf.アントニー・ビーヴァー『スターリングラード: 運命の攻防戦 1942-1943』堀たほ子訳(朝日新聞社)290 チャーチルについては多くの伝記があるが、ひとまず、Cf.河合秀和『チャーチル 増補版』(中公新書)。また、最近、冨田浩司『危機の指導者 チャーチル』(新潮選書)も丁寧で読みやすい。ロバート・ペイン『チャーチル』佐藤亮一訳(法政大学出版局)もいい。また、ジョン・ルカーチ『ヒトラー対チャーチル』秋津信訳(共同通信社)は、短い期間を扱っているだけに楽しめる。なお、ジョン・コルヴィル『ダウニング街日記 上下』都築忠七他訳(平凡社)はワクワクするほど面白い。ウィンストン・S.チャーチル『祖父チャーチルと私』佐藤佐智子訳(法政大学出版局)は、家族の様子がわかる。なお、当然のことながら、映画やテレビドラマも数多い。映画『チャーチル 第二次大戦の嵐( Into the Storm )』はいい。
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そ れ だ け に 、 独 ソ 戦 の 開 始 ( 1941 年 6 月 ) は 、 英 仏 に と っ て は 僥 倖 で あ り 、 同 日 チ ャ ー チ ル は ラ ジ オ 演 説 で ソ 連 と の同 盟 ・ 対 ソ 援 助 を 謳 い 、 翌 月 相 互 援 助 協 定 を 締 結 し 、 対 独戦 の 共 同 行 動 を 確 約 す る ( 1941 年 7 月 ) 。 さ ら に 懸 案 で あっ た イ ラ ン で 占 領 の 棲 み 分 け が で き あ が る 。 こ れ で 後 は 米の 本 格 的 参 戦 待 ち と な っ た 。
米 は 第 1 次 、 第 2 次 中 立 法 で 、 大 戦 勃 発 時 も 中 立 政 策が 圧 倒 的 に 支 持 さ れ て い た が 、 米 は 武 器 貸 与 法 で 英 へ の 支援 を 開 始 し ( 1941 年 3 月 ) 、 英 米 両 首 脳 は 大 西 洋 上 で 会 談し 、 大 西 洋 憲 章 を 発 表 し ( 1941 年 8 月 ) 、 こ れ に ソ 連 な ど15 ヶ 国 が 支 持 を 表 明 す る 。 そ れ で も 大 戦 へ の 直 接 参 加 を 固辞 し 続 け る 米 の 参 戦 を も た ら し た の は 日 本 の 真 珠 湾 攻 撃 であ り ( 1941 年 12 月 ) 、 チ ャ ー チ ル は 歓 喜 の 叫 び 声 を あ げ( ヒ ト ラ ー も 、 米 の 勢 力 が 太 平 洋 に 割 か れ る の で 喜 ん だ ) 、こ れ で 日 ソ 関 係 を 除 き 、 敵 の 味 方 は 敵 、 敵 の 敵 は 味 方 と いう 、 英 仏 米 ソ 中 v s 日 独 伊 の 構 図 が 完 成 し た 。
米 は 、 1942 年 8 月 よ り 欧 州 で 戦 略 爆 撃 を 開 始 す る 。 ヒ トラ ー の 波 侵 略 か ら 2 年 以 上 経 っ て い た 連 合 国 側 が い つ 勝。利 を 確 信 し た の か は 定 か で は な い が 、 当 初 苦 戦 し て い た 独軍 の U ボ ー ト に よ る 船 舶 破 壊 に 対 し て も 航 空 機 な ど で 対 抗で き る よ う に な る 。 英 は 米 と カ サ ブ ラ ン カ 会 談 で 無 条 件 降伏 要 求 な ど を 決 定 し ( 1943 年 1 月 ) 、 ケ ベ ッ ク 会 談 で は 、仏 上 陸 作 戦 、 極 東 戦 略 を 決 め ( 1943 年 8 月 ) 、 以 降 独 本 国に 向 け て の 進 撃 が 続 く 。 そ の 代 表 が 、 ノ ル マ ン ジ ー 上 陸 作戦 ( 正 式 に は 、 オ ー バ ー ロ ー ド 作 戦 。 1944 年 6 月 ~ : D – Day ) で あ る 。
◎ 例 え ば 、 北 ア フ リ カ の 戦 況 を 決 し た 1942 年 11 月 エル ・ ア ラ メ イ ン ( エ ジ プ ト ) で の 勝 利 に 際 し て の チ ャー チ ル の 言 葉 : We have a victory - a remarkable and definite victory. No, this
is not the end. It is not even the beginning of the end. But it is, perhaps, the end of the beginning. こ う い う 言 葉 遣 い は 、 本 当 に 巧 み で あ る 。 後 半 部 分 は
よ く 使 わ れ 、 少 し 変 え れ ば 応 用 も 利 く の で 覚 え て お くと 良 い 。
◎ 「 英 仏 米 ソ 中 」 対 「 日 独 伊 」 と い う 対 立 構 図 が第 二 次 大 戦 の 基 本 ( 欧 州 に つ い て い え ば 、 当 初 英 仏 ソ対 独 伊 ) だ が 、 独 の 侵 略 地 域 が 拡 大 す る に つ れ ( 1942年 11 月 に は 、 イ ベ リ ア 半 島 、 英 な ど を 除 く 欧 州 が 枢 軸国 の 占 領 下 に 入 る 。 ソ 連 に つ い て は 、 モ ス ク ワ の 手 前ま で が 占 領 さ れ る ) 、 欧 州 各 地 で は 、 次 第 に 誰 が 誰 の敵 な の か が 分 か ら な く な り 始 め る 。 今 日 の 友 は 明 日 の
敵 と な っ た 。 ナ チ ス を 利 用 し て 、 旧 来 の 怨 恨 を 晴 ら そ う と す る 動 き が 増 え る か ら で あ る 。 そ し て 、 各 国 で ナチ ス へ の 協 力 者 が 権 力 を 握 る と 、 抵 抗 運 動 は 自 国 民 同
士 の 殺 し 合 い と な る 。 そ の 後 、 英 仏 や ソ 連 が 巻 き 返 し
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て 、 西 か ら 東 へ 、 東 か ら 西 へ と 進 み 、 各 地 域 を 英 仏 やソ 連 が 占 領 す る と 、 立 場 を か え て ま た 同 じ こ と が 起 こる 。 密 告 と 暴 力 が 蔓 延 す る 。 こ う し た 遺 恨 の 負 債 が 終
戦 後 も 各 地 域 に あ っ て 、 大 量 の 人 民 裁 判 を 生 む 。
8.2.2 こ の 戦 争 は 、 仏 に と っ て 何 よ り も 独 仏 戦 争 で あ り 、同 時 に 仏 内 部 の 戦 争 で も あ っ た 。 倫 敦 ( ド ・ ゴ ー ル ) と 国内 ( 共 産 党 ) で 2 つ の 動 き が 併 行 す る ( も う 1 つ 、 ア ル ジェ に あ っ た 親 米 派 の ジ ロ ー 将 軍 の 存 在 も 無 視 し づ ら い ) 。
ド ・ ゴ ー ル 291は 徹 底 抗 戦 を 掲 げ 、 自 由 仏 委 員 会 を 設 立 し( 1940 年 6 月 ) 、 こ れ が 自 由 仏 国 民 委 員 会 と な る ( 1941 年 9月 ) 。 尤 も 、 ド ・ ゴ ー ル は 、 ル ー ズ ベ ル ト 米 大 統 領 や チ ャー チ ル 英 首 相 か ら は 、 そ の 独 善 的 な 態 度 で 煙 た が ら れ て( あ る い は 特 に 米 側 に ひ ど く 嫌 わ れ 、 馬 鹿 に さ れ て ) い た 。
国 内 で は 共 産 党 が レ ジ ス タ ン ス 組 織 「 国 民 戦 線 」 の 結成 を 呼 び か け る ( 1940 年 5 月 ) が 、 国 内 は 独 の 侵 略 に 敗 北し 、 仏 と 独 ・ 伊 と の 間 で 休 戦 協 定 が 結 ば れ ( 1940 年 6 月 ) 、第 3 共 和 制 憲 法 が 廃 止 さ れ 、 国 土 の 5 分 の 3 は 独 占 領 地 区と な り 、 残 る 地 域 で 「 親 独 」 の ヴ ィ シ ー 政 権 ( ペ タ ン 国 家主 席 ) が 誕 生 す る ( 1940 年 7 月 ) 。 こ れ は 国 民 議 会 が 全 権を ペ タ ン に 委 任 し た 合 法 的 な 政 権 だ っ た 。 ヴ ィ シ ー 政 権 によ っ て 、 国 の ス ロ ー ガ ン は 、 仏 革 命 以 来 の 「 自 由 ・ 平 等 ・友 愛 」 か ら 、 ヒ ト ラ ー ・ ナ チ ス 風 に 「 労 働 ・ 家 族 ・ 祖 国 」へ と 変 わ っ た ( ヒ ト ラ ー 政 権 下 で は 、 女 性 の 役 割 は 、 3 K 、つ ま り 、 独 語 : Kinder, Küche, Kirche 、 子 供 、 台 所 、 教 会 だ と さ れた ) 。
も ち ろ ん 、 ヒ ト ラ ー 政 権 と 同 様 、 ヴ ィ シ ー 政 権 内 部 も一 枚 岩 で は な く 、 オ ル レ ア ン 派 な ど 伝 統 的 な ペ タ ン 派 と 、独 の 衛 生 国 家 と し て フ ァ シ ズ ム 国 家 を 志 向 す る 派 閥 ( ラ ヴァ ル ) の 対 立 は あ り 、 積 極 的 な 対 独 協 力 者 ( コ ラ ボ ラ シ オン 、 あ る い は 短 く コ ラ ボ ) に も 、 ジ ャ ー ナ リ ス ト や 知 識 人と 並 ん で 、 フ ァ シ ス ト 集 団 や 反 共 産 主 義 の 左 翼 な ど の 間 にも 内 紛 は あ っ た 292。
291 ド・ゴールについては大戦回顧録があり、また日本語で読める伝記もいくつかある(検索する際には、「ドゴール」と「ド・ゴール」の両方で行った方が漏れがなくなる)。Cf.エリック・ルーセル『ドゴール』山口俊章、山口俊洋訳(祥伝社)、スタンレイ・ホフマン『政治の芸術家 ド・ゴール』天野恒雄訳(みすず書房)、.アラン・デュアメル『ドゴールとミッテラン』村田晃治訳(世界思想社)、山口昌子『ドゴールのいるフランス』(河出書房新社)。また、ゴーリズム(ゴーリスト)については、スタンレイ・ホフマン『革命か改革か』福井憲彦訳(白水社)、ジャン・シャルロ『保守支配の構造』野地孝一訳(みすず書房)、櫻井陽二編『フランス政治のメカニズム』(芦書房)、ピエール・ビルンボーム『現代フランスの権力エリート』田口富久治監訳・国広敏文訳(日本経済評論社)(この本は訳注が充実している)、櫻井陽二『フランス政治体制論』(芦書房)、中木康夫編『現代フランスの国家と政治』(有斐閣選書)292 服部春彦・谷川稔編著『フランス近代史』(ミネルヴァ書房)238頁以下、スタンレイ・ホフマン『革命か改革か』福井憲彦訳(白水社)第2章
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一 方 で 、 国 内 で は 、 レ ジ ス タ ン ス が コ ラ ボ な ど に 対 する 抵 抗 運 動 を 続 け る が 、 こ れ 以 降 正 統 性 は 次 第 に ド ・ ゴ ール へ と 移 り 始 め る 。 ド ・ ゴ ー ル は 巴 里 に 「 勝 者 と し て 」 凱旋 す る ( 1944 年 8 月 巴 里 解 放 ) 。 ヴ ィ シ ー 政 権 は 仏 国 人 にと っ て 個 人 の 記 憶 と 公 の 歴 史 書 か ら 削 除 し た い 事 柄 で あ る 。単 に ナ チ ス に 破 れ て フ ァ シ ズ ム 政 権 を 作 ら さ れ た か ら で はな く 、 ナ チ ス へ の 協 力 が 必 ず し も 渋 々 で は な か っ た か ら であ る 293。 ま た 、 仏 の 反 ユ ダ ヤ 主 義 は 、 大 量 虐 殺 は な か っ たも の の 、 独 よ り 相 当 ま し だ っ た と は 必 ず し も 言 え な い と いう こ と も あ る 。
◎ 1940 年 6 月 の 敗 北 、 ヴ ィ シ ー 政 権 の 誕 生 ほ ど 、 仏国 人 に と っ て 苦 々 し い 想 い 出 、 忘 れ た い 過 去 は な い だろ う 。 だ か ら こ そ 、 そ の 後 も 、 抵 抗 ( 「 マ キ 」 = 非 公
式 レ ジ ス タ ン ス ) の 神 話 が 作 ら れ た 。 実 際 に は 、 共 産党 な ど 一 部 を 除 け ば ( 社 会 党 系 の 「 北 部 解 放 」 な ど もあ る が ) 、 抵 抗 し た 仏 国 人 は 多 く は な か っ た ( し か も 、レ ジ ス タ ン ス の 攻 撃 目 標 は し ば し ば ナ チ ス に 協 力 す る仏 国 人 = 「 コ ラ ボ 」 だ っ た ) 。 そ れ で も 、 こ の 抵 抗 神話 こ そ が 、 戦 後 の 正 統 性 と 深 く 関 わ っ て く る 。 戦 後 、「 協 力 」 し た 者 を 告 発 す る 裁 判 ( と い っ て も 、 そ の 協力 の 多 く は ナ チ ス で は な く 、 ヴ ィ シ ー 政 権 に 対 す る もの だ っ た か ら 、 何 の 罪 な の か は 必 ず し も は っ き り し てい な か っ た し 、 手 続 は と て も 正 当 と は い え な か っ た )な ど で 1 万 人 以 上 が 死 刑 と な る 294の も 、 そ の 反 動 だ ろう 。 こ う し た 状 況 は 仏 に 限 ら な い 。 欧 州 中 で 、 「 報復 」 の 嵐 が 吹 き 荒 れ た か ら で あ り 、 そ の 過 程 で 本 来 ナチ ス 支 配 の 最 大 の 被 害 者 で あ っ た ユ ダ ヤ 人 に 対 す る 虐殺 ( ポ グ ロ ム ) も 東 欧 な ど で 広 く 見 ら れ た 295。 な お 、戦 後 ル ノ ー が 国 有 化 さ れ た 理 由 に は 、 独 に 協 力 し た こと が あ る 。
8.2.3 ス タ ー リ ン 296は 、 英 仏 と の 同 盟 が 拒 否 さ れ 、 対 独 不可 侵 条 約 に よ り 、 西 部 方 面 で の 安 全 を 確 保 す る 。 さ ら に 、独 ソ は ソ 連 西 部 の 独 人 と 独 占 領 下 の 露 人 の 相 互 帰 国 を 承 認す る 協 定 を 結 び ( 1939 年 11 月 ) 、 新 経 済 協 定 を 結 び ( 1940 年2 月 ) 、 さ ら に は 独 に 三 国 同 盟 参 加 条 件 を 伝 達 す る な ど
293 Cf. 渡辺和行『ナチ占領下のフランス 沈黙・抵抗・協力』(講談社選書メチエ)、ロバート・O・バクストン『ヴィシー時代のフランス』渡辺和行、剣持久木訳(柏書房)、映画『カサブランカ』294 Cf.小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)295 Cf.トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上 1945-1971、森本醇訳(みすず書房)第1部Ⅱ報復296 スターリンは戦後も国内外で支持者が多かったこともあり、また失望もあり、文献は多い。時期により同一人物の評価が急変することが特色である。Cf. 亀山郁夫『大審問官スターリン』(小学館)、アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』1・2・3、鈴木主税訳(草思社)、アンソニー・リード、デーヴィッド・フィッシャー『ヒトラーとスターリン』上下、根岸隆夫訳(みすず書房)…
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( 1940 年 11 月 ) 、 枢 軸 国 寄 り の 政 策 を と る 。 こ の 間 、 ス ター リ ン は 中 立 条 約 を 破 棄 し て 懸 案 の 芬 侵 攻 を 果 た し 、 ま た人 民 委 員 会 議 長 に 就 任 す る が 、 思 い も か け ぬ 独 ソ 開 戦 で 連合 国 側 へ 接 近 し 、 米 の 対 ソ 経 済 援 助 の 約 束 を と り つ け る( 1941 年 8 月 ) 。 モ ロ ト フ 外 相 の ワ シ ン ト ン 訪 問 で 米 ソ 、英 ソ は 軍 事 援 助 協 定 に 調 印 し ( 1942 年 6 月 ) 、 ソ 連 は ド ・ゴ ー ル 政 権 を 承 認 ( 1942 年 9 月 ) 、 以 降 、 チ ェ コ や ユ ー ゴス ラ ビ ア と も 友 好 関 係 を 結 ぶ 。 そ し て 、 国 内 で は 、 憲 法 を改 正 し 、 連 邦 構 成 共 和 国 に 防 衛 ・ 外 交 権 を 認 め る 。
ソ 連 は 1944 年 春 に 国 土 を 奪 還 し 、 以 降 西 方 へ 、 独 の 首 都伯 林 へ 向 け て 進 軍 す る 。 こ こ か ら 、 米 軍 と ソ 連 軍 の ど ち らが 伯 林 を 早 く 陥 落 さ せ る か の 競 争 が 始 ま る 。 米 ソ 間 で は すで に 戦 後 の 勢 力 圏 の 「 線 引 き 」 が 始 ま っ て い た 。 米 と ソ 連と の 違 い が あ っ た と す れ ば 、 米 は 早 く 独 を 降 伏 さ せ 、 余 った 戦 力 を 対 日 戦 争 に 向 け な け れ ば な ら な か っ た こ と で あ る 。
8.2.4 相 変 わ ら ず 軍 隊 が 非 近 代 的 ( 上 層 部 に 貴 族 が 多 い )で あ っ た 伊 は 、 い つ も の こ と な が ら 友 敵 関 係 を 明 示 し な いと こ ろ が あ り 、 指 導 者 間 の 離 合 集 散 が 容 易 に 方 針 を 変 更 する 。 大 戦 勃 発 後 、 伊 が 行 っ た の は 中 立 宣 言 で あ る ( 1939 年9 月 ) 。 そ れ で も 、 独 に よ る 仏 占 領 、 三 国 同 盟 調 印 に よ り 、同 盟 国 側 で の 参 戦 は 確 実 と な り 、 従 来 の 領 土 拡 張 方 針 に 従う よ う に 各 地 に 進 撃 す る 。
日 独 伊 軍 事 協 定 ( 1942 年 1 月 ) で は 三 国 の 作 戦 地 域 の 分担 が 決 定 さ れ る が 、 ヒ ト ラ ー と ム ッ ソ リ ー ニ と の 関 係 は 必ず し も 堅 固 で は な く 、 ヒ ト ラ ー は 劣 勢 に あ る ム ッ ソ リ ー ニの 援 助 要 請 を 拒 否 す る ( 1943 年 7 月 ) 。 同 月 の フ ァ シ ス ト大 評 議 会 で は 、 伊 戦 線 敗 北 の 責 任 追 及 で グ ラ ン デ ィ 提 出 のム ッ ソ リ ー ニ 不 信 任 案 が 可 決 さ れ 、 国 王 エ マ ヌ エ ー レ 3 世は 、 手 の ひ ら を 返 す よ う に ム ッ ソ リ ー ニ を 逮 捕 、 国 家 フ ァシ ス タ 党 は 解 散 と な る 。
「 反 フ ァ シ ズ ム 政 権 」 の 首 相 と な っ た バ ド リ オ は 連 合国 と 接 触 を 開 始 し ( 1943 年 8 月 ) 、 翌 月 伊 は 降 伏 し 、 そ の過 程 で 独 軍 の ム ッ ソ リ ー ニ 救 出 と ム ッ ソ リ ー ニ の サ ロ 共 和国 樹 立 宣 言 は あ っ た に せ よ 、 伊 は 一 転 し て 対 独 宣 戦 し( 1943 年 10 月 。 但 し 、 北 部 伊 は 親 独 で 、 伊 は 南 北 分 裂 状態 ) 、 反 フ ァ シ ス ト 諸 党 の 内 紛 も 伊 共 産 党 ト リ ア ッ テ ィ の提 案 ( 「 サ レ ル ノ 転 換 」 ) で 収 ま り ( 1944 年 3 月 ) 、 ト リア ッ テ ィ は 入 閣 す る 。 ソ 連 と は 一 定 の 距 離 を お く 伊 共 産 党の 活 動 は こ れ 以 降 活 発 化 す る 。 そ し て 、 ム ッ ソ リ ー ニ は 中立 国 ス イ ス へ 向 か う 途 中 で 捕 獲 さ れ 、 銃 殺 さ れ た ( 1945 年4 月 ) 。 そ し て 、 連 合 軍 の 伊 占 領 は 終 了 す る ( そ の 後 、 エマ ヌ エ ー レ 3 世 は 退 位 し 、 長 男 の ウ ン ベ ル ト 2 世 が 即 位 する が 、 1946 年 の 国 民 投 票 に よ り 、 君 主 制 は 否 決 さ れ る ) 。
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8.2.5 ヒ ト ラ ー 297に は 『 わ が 闘 争 』 に 記 さ れ た 世 界 戦 略 があ っ た と さ れ る 。 そ れ で も 、 ヒ ト ラ ー の 行 動 が 世 界 戦 略 に基 づ い て 計 画 的 に 進 め ら れ た と は 到 底 思 え な い 。 ま た 、 時に 耳 を 疑 う 言 動 も 目 立 っ た 。 そ し て 、 軍 事 戦 略 ・ 戦 術 上 の失 敗 も 少 な く な か っ た 。
戦 力 か ら す れ ば 、 対 ソ 不 可 侵 条 約 を 結 ん だ こ と な ど から も 、 ヒ ト ラ ー が 短 期 決 戦 を 望 ん で い た と 思 わ れ る 。 例 えば 、 独 の 工 業 生 産 は 開 戦 時 、 ま だ 第 一 次 大 戦 時 を 上 回 っ ては い な か っ た し 、 開 戦 翌 月 以 降 た び た び 英 仏 に 現 状 維 持 を前 提 と し た 和 平 を 呼 び か け た 。 と は い え 、 こ れ も 戦 術 で あり 、 何 し ろ 勝 利 は 停 戦 を 嫌 う 。 そ し て 、 1940 年 5 月 に は ヒト ラ ー 最 高 の 勝 利 を あ げ 、 三 国 同 盟 が 完 成 す る ( 1940 年 9月 ) 。
297 ヒトラー関連書は全世界で数千冊あるといわれる。軍事が科学を発達させるように、独裁者は学問を発達させるのかも知れない。ガイドブックとしては 阿部良男編著『ヒトラーを読む3000冊』、(刀水書房)、阿部良男『ヒトラーとは何者だったのか』(学習研究社)がいいかもしれない。基本書としては アドルフ・ヒトラー『わが闘争』上下(角川文庫)の他 フランツ・ノイマン『ビヒモ、 、ス』岡本友孝、小野英祐、加藤栄一訳(みすず書房)、カール・ディートリヒ・・ブラッハー『ドイツの独裁』1・2、山口定、高橋進訳(岩波書店)、フリードリヒ・マイネッケ『ドイツの悲劇』矢田俊隆訳(中公文庫)、エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』日高六郎訳(東京創元社)、アルフレート・『二十世紀の神話』吹田順助、上村清延共訳(中央公論社)、 サー・ジョン・W・ウィーラー=ベネット『国防軍とヒトラー』上下、山口定訳(みすず書房)、ジグムント・ノイマン『大衆国家と独裁』岩永健吉郎、岡義達,高木誠訳(みすず書房)、ワルター・ホーファー『ナチス ドキュ・メント』救仁郷繁訳(論争社)、ヘルマン・ラウシュニング『ニヒリズムの革命』(筑摩書房)、ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)あたりで、アラン・ブロック『対比列伝 ヒトラーとスターリン』3巻、鈴木主税訳(草思社)、ハインリヒ・ブリューニング『ブリューニング回顧録』上下、上は三輪晴啓、今村晋一郎、佐瀬昌盛訳、下は金森誠也、片岡哲史、佐瀬昌盛訳(ぺりかん社)、ハラルト・フォッケ、ウーヴェ・ライマー『ヒトラー政権下の日常生活』山本尤、鈴木直訳(社会思想社)、ウィリアム・シェリダン・アレン『ヒトラーが町にやってきた』西義之訳(番町書房)、ジョン・ワイツ『ヒトラーの外交官』久保田誠一訳(サイマル出版会)、アルベルト・シュペール『ナチス 狂気の内幕』品田豊治訳(読売新聞社他)、アドルフ・ヒトラー『ヒトラーのテーブル・トーク』上下、吉田八岑監訳(三交社)、ヴェルナー・マーザー『政治家としてのヒトラー』黒川剛訳(サイマル出版会)、阿部良男『ヒトラー全記録』(柏書房)、エーリヒ・マティアス『なぜヒトラーを阻止できなかったか』安世舟、山田徹訳(岩波書店)、山下公子『ミュンヒェンの白いばら』(筑摩書房)、サー・ジョン・ウィーラー・ウィーラー=ベネット『権力のネメシス』 山口定訳(みすず書房)、セバスティアーン・ハフナー『裏切られたドイツ革命』山田義顕訳(平凡社)、ヘンリク・エーベルレ、マティアス・ウール『ヒトラー・コード』(講談社)、谷喬夫『ヒムラーとヒトラー』(講談社選書メチエ)、トラウデル・ユンゲ『私はヒトラーの秘書だった』足立ラーベ加代、高島市子訳(草思社)、山口定『ナチス エリート』(中公新書)、ヴィクトー・ル・E・フランクル『夜と霧』霜山徳爾訳(みすず書房)、宮田光雄『ナチ・ドイツと言語』(岩波新書)、小林正文『ヒトラー暗殺計画』(中公新書)、ミルトン・マイヤー『彼らは自由だと思っていた』田中浩、金井和子訳(未来社)、山口友三『ナチス通りの出版社』(人文書院)、望田幸男・田村栄子『卍(ハーケンクロイツ)に生きる若きエリートたち』(有斐閣選書)、ラルフ・ジョルダーノ『第二の罪』永井清彦他訳(白水社)なども参考になる。最近出た、高田博行『ヒトラー演説』(中公新書)が読みやすいだろう。また、ヒトラーを扱った映画も多い。『ヒットラー( Hitler : The Rise of Evil )』は生い立ちから描くのでわかりやすいかもしれない。他には、『ヒトラー ― 最期の12日間( Der Untergang )』。『禁じられた遊び( Jeux interdits )』などのように、ヒトラー・ナチス支配を描くものもある。そういえば、インディ・ジョーンズのシリーズにもヒトラーやナチスが登場する。『レイダース ― 失われたアーク 《聖櫃》( Raiders of the Lost Ark )』や『インディ・ジョーンズ ― 最後の聖戦( Indiana Jones and the Last Crusade )』。このように思い出せば、色々出てくる「素材」である。
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ま た 、 度 々 の 暗 殺 事 件 ( 一 番 有 名 な 暗 殺 未 遂 事 件 は 敗戦 が 近 づ い た 1944 年 7 月 20 日 。 ヒ ト ラ ー は 会 議 場 の 変 更 など が あ り 、 「 奇 跡 的 に 」 軽 傷 ) に 対 し て 強 硬 路 線 を と り 、陸 軍 や 財 界 な ど と 衝 突 を 繰 り 返 し な が ら 、 反 対 者 を 追 放 して 戦 闘 を 継 続 す る が 、 上 述 の よ う な 西 部 戦 線 、 東 部 戦 線 など 各 地 で の 敗 北 に よ り 、 後 継 総 督 に デ ー ニ ッ ツ 海 軍 最 高 司令 官 を 任 命 し て 、 直 前 に 結 婚 し た エ ヴ ァ ・ ブ ラ ウ ン と と もに 自 殺 し た ( 1945 年 4 月 29 日 。 ム ッ ソ リ ー ニ が 銃 殺 さ れ 、そ の 死 体 が 広 場 に 逆 さ 吊 り で 晒 さ れ た 翌 日 だ か ら 、 そ の 事件 の 衝 撃 も あ っ た の だ ろ う ) 。 こ こ に 第 三 帝 国 は 崩 壊 し 、独 は 、 5 月 7 日 連 合 国 の 無 条 件 降 伏 文 書 に 調 印 す る ( 翌 日発 効 、 ソ 連 と の 降 伏 文 書 は 9 日 ) 。
◎ 勝 利 は 停 戦 を 嫌 う 。 勝 っ て い る か ら で あ る 。 敗 勢 は 一 層 停 戦 を 嫌 う 。 負 け て い る か ら で あ る 。 負 け 始 め て も 、 少 し 勝 っ て か ら 停 戦 を ( 一 撃 講 和 論 ) … と 考 え る か ら だ ろ う 。 結 局 、 停 戦 は 難 し い 。 し か し 、 20 世
紀 の 戦 争 は 全 面 戦 争 ( total war ) で あ っ て 、 戦 争 は 全 面化 し 、 徹 底 化 す る 。 単 に 戦 争 関 係 の み が 破 壊 さ れ る ので は な い 。 そ し て 、 敗 勢 に と っ て 停 戦 は 敗 戦 で あ り 、直 後 に 責 任 追 及 が 待 っ て い る 。 だ か ら 、 停 戦 を 言 い 出せ る 人 は 勇 気 が あ る 。 場 合 に よ っ て は 、 特 定 の 集 団 に戦 争 責 任 を ( 国 内 向 け に は 敗 戦 責 任 を ) 押 し 付 け る 必要 も 生 じ る だ ろ う 。 だ か ら こ そ 、 そ れ な り の 権 威 が 停戦 を 言 う し か な い の だ ろ う ( 日 本 に つ い て は 、 C f .政 治 学 基 礎 、 ポ ツ ダ ム 宣 言 受 諾 ) 。
◎ ヒ ト ラ ー の 自 殺 2 週 間 前 の 様 子 に つ い て 、 ジ ャー ナ リ ス ト の マ ッ ク は シ ュ ペ ー ア ( ヒ ト ラ ー と 最 も 親し か っ た 軍 需 ・ 軍 事 大 臣 ) の 日 記 な ど を 用 い て 書 い てい る 。 「 前 日 、 ヒ ト ラ ー は 参 謀 に 向 か っ て か つ て な いほ ど 激 怒 し 、 そ し て 世 界 全 般 に 対 し て 、 ま た 彼 の 取 り巻 き た ち の 臆 病 さ と 不 実 に 対 し て 、 歩 き な が ら 怒 鳴 って い た 。 自 分 の こ め か み を こ ぶ し で 殴 り 、 眼 か ら は 涙が あ ふ れ て い た 。 [ 中 略 ] ヒ ト ラ ー は 五 十 六 歳 に な った ば か り だ っ た が 、 『 疲 れ き っ た 白 髪 の 老 人 』 の よ うに 見 え た 。 [ 中 略 ] ヒ ト ラ ー は シ ュ ペ ー ア に 戦 い を 諦め る こ と を 告 げ た 。 [ 中 略 ] ヒ ト ラ ー が 最 も 恐 れ て いた の は 生 き た ま ま ソ 連 軍 に つ か ま る こ と だ っ た 。 死 体も 燃 や さ れ ね ば な ら な い 。 死 後 に 名 誉 を 汚 さ れ る か もし れ な い か ら だ 。 [ 中 略 ] 『 す で に 死 ん で い る 人 と 話し て い る よ う な 気 が し た 』 」 298。
298 ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』下、長山さき訳(徳間書店)127頁以下
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8.3 終 戦 と 戦 後 構 想
8.3.1 連 合 国 ( 26 ヶ 国 ) は ワ シ ン ト ン 共 同 宣 言 に 調 印 し 、日 独 と の 単 独 不 講 和 、 大 西 洋 憲 章 の 原 則 を 確 認 す る ( 1942年 1 月 ) 。 モ ス ク ワ で の 英 米 ソ 外 相 会 談 で は 、 戦 後 問 題 協議 、 一 般 的 安 全 保 障 に 関 す る 4 ヶ 国 ( 中 国 を 含 む ) 宣 言 を発 表 し ( 1943 年 10 月 ) 、 英 米 ソ は テ ヘ ラ ン 会 議 で 、 独 の 戦後 処 理 、 波 国 境 問 題 を 検 討 す る ( 1943 年 11 月 ) 。
ま た 、 戦 後 経 済 構 想 と し て 、 ブ レ ト ン = ウ ッ ズ 協 定 が連 合 国 通 貨 金 融 会 議 で 成 立 し 、 国 際 通 貨 基 金 ( I M F ) 、 国 際 復 興 開 発 銀 行 ( I B R D 、 世 界 銀 行 ) の 創 設 が 討 議 され る ( 1944 年 7 月 ) 。 英 米 ソ は 、 独 占 領 後 の 占 領 地 区 分 割第 一 回 議 定 書 に 調 印 し 、 特 に 伯 林 の 共 同 管 理 が 決 ま る( 1944 年 9 月 ) 。
第 二 次 ケ ベ ッ ク 会 談 で は 、 独 を 農 業 国 に 改 変 す る と いう モ ル ゲ ン ソ ー ・ プ ラ ン が 修 正 さ れ 、 独 の 徹 底 的 壊 滅 ( ユダ ヤ 系 で あ る 米 財 務 長 官 モ ー ゲ ン ソ ー の 立 案 に よ り 、 モ ーゲ ン ソ ー ・ プ ラ ン と 呼 ば れ る ) よ り も 、 戦 後 欧 州 構 想 を 優先 す る 方 向 が 出 さ れ る ( 1944 年 9 月 ) 。
ヤ ル タ 会 談 で は 、 国 際 連 合 問 題 が 討 議 さ れ 、 独 へ の 無条 件 降 伏 要 求 、 波 問 題 、 ソ 連 の 対 日 参 戦 が 協 議 さ れ る( 1945 年 2 月 ) 。 独 敗 北 間 近 の 時 期 に 開 か れ た サ ン フ ラ ンシ ス コ 連 合 国 全 体 会 議 に は 50 ヶ 国 が 出 席 し 、 国 連 憲 章 に 調印 し た ( 1945 年 4 月 ― 6 月 ) 。 こ れ 以 降 、 対 独 賠 償 問 題 や占 領 政 策 が 討 議 さ れ 、 占 領 政 策 の 概 要 は ポ ツ ダ ム 会 談 で 決定 さ れ た ( 1945 年 7 月 ) 。 こ う し て 、 対 独 問 題 処 理 と 併 行し て 、 国 際 連 盟 の 失 敗 ( 全 会 一 致 主 義 、 米 の 非 加 盟 な ど ) ・ ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制 の 失 敗 ( 膨 大 な 賠 償 額 ) を 繰 り 返 さ な い こ と が 今 回 の 基 本 方 針 と な る 。
◎ 日 本 の 場 合 、 1945 年 7 月 下 旬 以 降 、 ポ ツ ダ ム会 談 、 原 爆 投 下 と ソ 連 参 戦 、 ポ ツ ダ ム 宣 言 受 諾 、 玉 音放 送 と め ま ぐ る し く 1 か 月 の 間 に 事 態 が 動 く か ら 注 目さ れ に く い が 、 戦 後 体 制 を 決 め た の は む し ろ ヤ ル タ 会談 で あ る 。 講 義 時 間 に 余 裕 が な い た め 、 諦 め ざ る を 得な い が 、 欧 米 史 や 世 界 史 に 多 少 興 味 が あ る 人 は 、 例 えば 、 A . コ ン ト 『 ヤ ル タ 会 談 = 世 界 の 分 割 』 山 口 俊 章訳 ( サ イ マ ル 出 版 社 ) を 読 め ば 、 少 々 の 小 説 や ド ラ マな ど 到 底 及 ば な い 8 日 間 だ っ た こ と が わ か る だ ろ う 。
◎ 対 独 の 戦 後 賠 償 の 品 目 ・ 種 類 に つ い て 詳 細 な 比較 研 究 が あ る の か は 寡 聞 に し て 不 明 だ が 、 米 と ソ 連 は
優 秀 な 科 学 者 や 科 学 技 術 を 率 先 し て 「 持 ち 帰 っ た 」 点で 共 通 し て い る 一 方 で 、 最 も 経 済 的 な 被 害 が 大 き か っ
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た ソ 連 は 何 よ り も 現 物 ( 機 械 な ど の 設 備 ) や 金 融 資 産を 持 ち 去 り 、 米 は 特 許 を 奪 う こ と に 熱 心 だ っ た と い う違 い が あ る と い う 印 象 は あ る 。
8.3.2 こ の 戦 争 は ヒ ト ラ ー に 対 す る 勝 利 で あ り 、 フ ァ シ ズム ( ナ チ ズ ム ) に 対 す る デ ィ モ ク ラ シ の 勝 利 だ と さ れ た 。し か し 、 英 米 と ソ 連 で は デ ィ モ ク ラ シ 理 解 が 異 な る 。 共 通の 敵 が 無 く な れ ば 、 米 ソ と い う 2 つ の イ デ オ ロ ギ 国 家 間 の世 界 戦 略 を め ぐ る 争 い と な る 。 米 ソ の 金 と 武 力 と 象 徴 が この 後 世 界 に 乱 舞 す る 。 そ し て 、 次 第 に 世 界 が 米 ソ に 二 分 され 、 東 西 冷 戦 が 始 ま る 。 西 欧 の 戦 後 問 題 の 重 心 は 、 次 第 に対 独 か ら 対 ソ へ と 移 っ て い く 。 こ れ は 対 日 政 策 で も 同 様 であ る 。
8.3.3 戦 死 者 、 負 傷 者 の 数 は 、 第 一 次 大 戦 が 、 約 854 万 人 、 約 2 , 897 万 人 、 第 二 次 大 戦 が 、 約 2 , 200 万 人 、 約 3 , 400 万 人 で 、 民 間 人 の 死 者 は 約 2 , 000 万 人 と さ れ る 。 尤 も 、 こ う い う 数 字 の 信 頼 性 は そ れ ほ ど 高 く は な い 。 そ も そ も 戦 死 の 定 義 が 難 し い 。 行 方 不 明 者 も か な り の 数 に の ぼ り 、 餓 死 ・ 病 死 な ど の多 く が 除 外 さ れ 、 自 国 政 府 に 殺 害 さ れ た 者 も 含 ま れ て お り 、ま た 逆 に 被 害 者 は 被 害 を 過 大 報 告 す る か ら で も あ り 、 中 国以 外 の ア ジ ア 諸 国 が 含 ま れ て お ら ず 、 ナ チ ス に よ る ユ ダ ヤ人 被 害 者 600万 人 が 含 ま れ て い な い ( さ ら に 言 え ば 、 同 性 愛者 、 障 碍 者 な ど も 含 ま れ て い な い ) な ど の 問 題 が あ る 。 軍人 で は ソ 連 の 被 害 が 群 を 抜 い て 多 い 点 が 目 立 つ が 、 こ の 数字 の 精 度 は 何 と も 言 え な い ( 粛 清 さ れ た 者 、 あ る い は 臆 病と い う だ け の 理 由 で 処 刑 さ れ た 者 な ど を こ の 数 字 に 組 み 込ん で い る 可 能 性 も あ る か ら で あ る ) 。
◎ ヒ ト ラ ー に よ る ユ ダ ヤ 人 大 量 虐 殺 ( 1942 年 1 月「 ユ ダ ヤ 人 問 題 の 『 最 終 的 解 決 』 」 ) の 特 異 性 は 、 その 規 模 と 計 画 性 、 手 法 ( 毒 ガ ス に よ る 機 械 的 処 理 ) にあ る の だ ろ う 。 し か し 、 何 故 ユ ダ ヤ 人 が 憎 ま れ る の か
は 、 「 ユ ダ ヤ 人 差 別 が な い 唯 一 の 先 進 国 」 で あ る 日 本で は 理 解 し が た い の も 事 実 で あ る 。 ユ ダ が イ エ ス を 裏切 っ た か ら だ ろ う か 。 ユ ダ ヤ 人 が 、 基 督 教 の 上 流 階 層に は 禁 じ ら れ て い た 営 利 活 動 ( 金 貸 し ) を 平 気 で 行 うか ら だ ろ う か 。 そ も そ も 、 ユ ダ ヤ 人 の 定 義 次 第 だ と はい え 、 イ エ ス も ユ ダ ヤ 人 で は な い の か と い う 素 朴 な 疑問 に 対 す る 反 ユ ダ ヤ 主 義 か ら の 返 答 は な さ そ う で ある 299。
299 ユダヤ人問題は多くの参考文献がある。Cf. ハンナ・アレント『全体主義の起原 1 反ユダヤ主義』大久保和郎・大島通義・大島かほり訳(みすず書房)、ハンナ・アレント『イェルサレムのアイヒマン』大久保和郎訳(みすず書房)など。また、最近翻訳が出たシュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』高橋武智監訳、佐々木康之・木村高子(浩気社)が注目されているようである。これに関連して 鯨統一郎『邪馬台国はどこですか』(、 東京創元社)の解釈は面白い なお、ユダヤ人問題に。ついては、内田樹『「私家版」ユダヤ文化論』(文春新書)の説明が説得力に富む。というのも、ユ
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8.3.4 欧 州 は 再 び 戦 場 と な り 、 経 済 的 に は 米 一 人 勝 ち の 時代 と な る 。 終 戦 直 後 に は 、 世 界 の 国 民 総 生 産 の 過 半 を 米 が占 め る 。 第 一 次 大 戦 後 と い い 、 米 は 結 果 と し て 戦 争 に よ って 「 太 っ た 」 、 し か も 「 焼 け ず に 太 っ た 」 。 欧 州 で は 敗、者 の 苦 悩 だ け で な く 、 勝 者 の 苦 労 が 始 ま る 。 戦 勝 国 で あ る英 仏 も 国 土 の 疲 弊 は 著 し く 、 問 題 は 山 積 み と な っ た 。 ヒ、ト ラ ー 打 倒 は 平 和 を も た ら し た が 、 平 和 は 再 び 国 内 問 題 への 争 点 移 動 を 意 味 す る 。 血 の 犠 牲 を 払 っ た 国 民 は 参 政 権 拡大 ( 普 通 選 挙 導 入 ) を 求 め る 。 さ ら に 、 チ ャ ー チ ル は 、 ヒト ラ ー が warfare を 求 め 、 英 は welfare を 求 め る と し た が 、 戦 争が 福 祉 と 連 結 し て い る の は ど の 国 に も 共 通 し て い た 300。 戦争 は 福 祉 を 充 実 し 、 平 和 は そ の 一 層 の 充 実 を 求 め る 。 そ して 、 戦 時 の 英 雄 が 平 時 に 歓 迎 さ れ 、 重 用 さ れ る わ け で は ない 。
9 戦 後 体 制 ( 1945 ~ 1970 / 1980 )
9.1 ~ 9.5 戦 後 体 制 ① 冷 戦 と 「 再 」 復 興 ( 1945 ~ 1970 /1980 )
9.1 勝 者 の 苦 労 と 敗 者 の 苦 悩
9.1.1 戦 争 は 、 多 く の 人 の 人 生 設 計 を 変 え る 。 特 に 兵士 と そ の 関 係 者 は 苦 悩 す る 。 徴 兵 は 拒 め な い 。 キ ャ リ はア中 断 さ れ る 。 家 族 や 仲 間 と 離 れ て 暮 ら す 。 陸 か ら 海 か ら 空か ら 進 撃 し 、 そ し て 爆 撃 を 受 け る 。 戦 争 が 終 わ っ て 良 か った と は 単 純 に は な ら な い 。 平 和 に な っ た か ら と い っ て 、 すぐ に 従 来 の 生 活 に 復 帰 し た り 、 新 し い 生 活 を 始 め ら れ な い 。職 場 も 家 族 も 故 郷 も 戦 争 以 前 と は 異 な っ て い る 。 そ れ に 、戦 争 中 の 出 来 事 は 多 く の 人 に ト ラ マ と し て 記 憶 さ れ る 。ウ人 を 殺 し た 記 憶 、 仲 間 を 殺 さ れ た 記 憶 、 生 き 延 び る た め の残 虐 で 、 卑 怯 な 行 為 の 記 憶 は 容 易 に は 消 え な い 。
9.1.2 第 一 次 大 戦 後 は 、 国 境 線 が 変 更 さ れ 、 住 民 は 概 ね その 場 に 留 ま っ た ( 1923 年 の ロ ー ザ ン ヌ 条 約 に よ る ギ リ シ ャ人 と ト ル コ 人 の 「 交 換 」 な ど は 大 規 模 な が ら 例 外 ) の に 対し 、 第 二 次 大 戦 後 は 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 条 約 の 失 敗 ( 少 数 民 族
ダヤ人問題がわかりづらい理由がわかるからである。300 Cf.エドワード・ハレット・カー『危機の二十年』井上茂訳(岩波書店)155頁以下
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条 項 ) を 鑑 み 、 ポ ー ラ ン ド な ど の 例 外 を 除 き 、 基 本 的 に 国境 を 変 え る 代 わ り に 、 数 十 万 、 数 百 万 単 位 で 住 民 を 強 制 移動 さ せ た 。 そ の 過 程 で 、 東 欧 に い た ・ 移 さ れ て い た ユ ダ ヤ人 は 、 ナ チ ス 無 き 独 を 目 指 し た 。 今 度 は 、 東 欧 に お け る ポグ ロ ム を 恐 れ た か ら で あ る 。 も っ と も 、 独 に 収 容 さ れ て いた ソ ヴ ィ エ ト 市 民 な ど も 東 欧 に 帰 る こ と を 拒 む こ と が 多 かっ た 。 共 産 主 義 を 恐 れ た か ら で あ る 。
そ し て 、 何 よ り も 中 欧 ・ 東 欧 に い た ( ナ チ ス に 苦 し めら れ た 人 か ら み れ ば 当 然 の こ と と し て ) 独 国 人 が 迫 害 さ れ 、「 故 郷 」 独 へ と 逃 げ る 。 そ の 数 、 戦 後 十 数 年 間 で 1,000 万 人を 超 え た 。 と も あ れ 、 こ う し て 欧 州 各 地 で 大 量 の 人 の 移 動が 発 生 し 、 そ の 結 果 、 民 族 が 共 存 し て い た 中 欧 ・ 東 欧 で 住民 の 均 一 性 が 以 前 よ り は 高 ま り ( と い っ て も 、 ま だ ま だ 混在 し て い る が ) 、 一 方 で 戦 争 に よ り 若 い 男 性 が 不 足 し て いた 西 欧 諸 国 は 、 安 価 な 労 働 力 を 確 保 す る こ と が で き た 301。
9.1.3 英 で は 、 大 戦 中 に ベ ヴ ァ リ ジ ( 自 由 党 ) が 社 会 保 険な ど に 関 す る 報 告 を 発 表 し ( 1942 年 11 月 ) 、 国 民 生 活 へ の国 家 介 入 が 本 格 的 に 制 度 化 さ れ る ( 「 ゆ り か ご か ら 墓 場 まで ( from the cradle to the grave ) 、 語 呂 の 点 で は from the womb to the tomb : 子 宮 か ら 墓 場 ま で 、 の 方 が い い ) 。 医 療 サ ー ヴ ィ ス の 無料 化 ( 国 民 医 療 制 度 ) や 失 業 保 険 な ど で 均 一 拠 出 ・ 均 一 給付 と い う 原 則 の 導 入 が 見 ら れ る 点 で 社 会 民 主 主 義 的 で あ った 。
そ し て 、 10 年 ぶ り の 総 選 挙 ( 1945 年 7 月 ) で 予 想 外 に 大勝 し た ア ト リ ー 労 働 党 政 権 で こ の 社 会 福 祉 制 度 は 実 現 さ れて ゆ く 戦 争 が 終 わ れ ば 、 「 ヒ ト ラ ー を 倒 し た 男。 ( 英 で は 、こ の 戦 争 は 何 よ り も 英 独 戦 争 だ っ た ) 」 チ ャ ー チ ル も 用 済み と な る 。 戦 争 が 終 わ り 、 必 要 な の は 、 住 宅 、 学 校 、 工 場 、 公 園 で あ る 。
チ ャ ー チ ル 戦 時 内 閣 ( 挙 国 一 致 内 閣 ) の 副 首 相 で あ り 、チ ャ ー チ ル の 右 腕 だ っ た ア ト リ ー の 最 初 の 仕 事 は 福 祉 国 家建 設 の 宣 言 で あ る 。 そ し て 、 今 で は 考 え づ ら い 部 分 も あ るが 、 基 幹 産 業 の 国 有 化 = 計 画 化 こ そ が 効 率 を 高 め る と 考 えた 302。 日 本 の 場 合 は 一 種 の 統 制 経 済 で あ る 傾 斜 生 産 方 式 だが 、 社 会 主 義 人 気 と 資 源 不 足 が そ の 理 由 だ っ た の だ ろ う 。仏 で は 、 ペ タ ン 元 帥 ら に 死 刑 宣 告 が な さ れ 、 憲 法 制 定 議 会選 挙 ( 1945 年 10 月 ) の 結 果 、 共 産 党 が 第 一 党 と な る が 、ド ・ ゴ ー ル が 連 立 内 閣 を 率 い る ( 1945 年 11 月 。 1946 年 1 月 辞
301 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上 1945―1971、森本醇訳(みすず書房)31頁以下302 アトリーは 1940 年のチャーチル挙国一致内閣以降、入閣している(1942 年からは副首相)。ベヴィン、モリソン、クリップス、ベヴァンなどの大物が揃ったアトリー政権については、梅川正美他『イギリス現代政治史』(ミネルヴァ書房)第1章。なお、同書 20頁によれば、国有化の一番手はイングランド銀行で、そして民間航空、電信、石炭(1946 年)、鉄道、運河、長距離運送、電気(1947年)、ガス(1948 年)、鉄鋼(1948 年)と続いた。といっても、公社方式が社会主義にふさわしいのかどうかは陣営での議論となった。日本にも三公社五現業というのがあった。
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任 ) 。 国 内 政 治 が 流 動 す る 中 で 、 食 糧 確 保 ( 特 に 1946 年 の 冬 は 厳 し か っ た ) 、 経 済 復 興 、 対 独 問 題 、 対 ソ 関 係 、 植 民 地 問 題 と い っ た 数 々 の 難 問 が 喫 緊 の 政 治 課 題 と な る 。 そ の中 で 世 界 で の 地 位 の 回 復 を 目 指 す 欧 州 の 再 建 は 、 欧 州 内 部の 秩 序 の 創 出 と と も に 、 各 国 の 政 治 経 済 状 況 の 改 善 を 必 要と し た が 、 世 界 の 政 治 経 済 の 主 役 は 明 ら か に 米 ソ で あ っ た 。
◎ 終 戦 の 時 点 で は 、 英 、 仏 な ど の 戦 勝 国 は ア ジ アや ア フ リ カ に 多 く の 植 民 地 を 保 持 し て い た 。 植 民 地 は単 に 「 収 奪 」 す る 対 象 で は な く 、 戦 時 中 そ の 物 的 ・ 人的 資 源 を 多 く 依 存 し た 地 域 で あ り 、 何 よ り も そ の 保 有は 先 進 国 と し て の 「 格 付 け 」 と 関 わ っ て い た 。 イ ン ド
以 東 の ア ジ ア で は 対 日 戦 争 が 終 わ っ て も 新 た な 「 戦 争 」 が 続 い た 。 英 の イ ン ド ( 正 確 に は イ ン ド 亜 大 陸 ) 、
仏 の イ ン ド シ ナ 、 オ ラ ン ダ の イ ン ド ネ シ ア な ど で あ る 。そ し て 独 立 戦 争 の 動 き は 次 第 に ア ジ ア か ら ア フ リ カ へと 移 っ て い く 。
9.1.4 冷 戦 ( Cold War ) は 単 な る 米 ソ 二 大 国 間 の 覇 権 争 いで は な い 。 大 量 破 壊 兵 器 の 開 発 が 対 立 を 深 刻 に し た 。 西 側諸 国 の 対 ソ 強 硬 路 線 は 第 三 次 世 界 大 戦 勃 発 の 危 機 を 高 め 、対 ソ 協 調 路 線 は ソ 連 に よ る 支 配 の 危 険 を 伴 う 。 西 側 諸 国 の国 民 は 、 ソ 連 と の 対 決 の 中 で 、 屈 服 ( red ) か 死 ( dead ) か ( ’ rather ( better ) red than dead’ or ’ rather ( better ) dead than red’ ) の 選 択 を 強い ら れ た 気 分 と な る 。 社 会 主 義 と の 対 決 姿 勢 を 唱 え る 者 は 、「 fiat iustitia, pereat mundus ( 世 界 が 滅 び よ う と も 、 正 義 を な さ しめ よ ) 」 と 叫 ぼ う が 、 庶 民 な ら ず と も 、 正 義 必 ず し も 善 なら ず と い う 反 論 も あ っ た だ ろ う 。
終 戦 直 後 、 各 国 選 挙 で 相 次 ぐ 左 翼 政 党 の 勝 利 は 、 対 ソ協 調 の 懸 念 を 増 大 す る 。 英 労 働 党 を は じ め と し て 、 左 翼 政党 及 び そ の 代 表 者 が ( 心 底 か ら の ) 反 共 ・ 反 ソ を 掲 げ て も 、一 般 国 民 に は 両 者 の イ デ オ ロ ギ の 近 さ が 懸 念 要 因 と な っ たか ら で あ る 冷 戦 構 造 が 確 立 す れ ば。 、 米 は 、 独 ・ 伊 ( ・ 日 本 ) と の 間 で 直 前 ま で の 第 二 次 大 戦 の 友 敵 関 係 を 清 算 す る 。 昨 日 の 敵 は 今 日 の 友 と な り 、 同 盟 国 は 米 中 心 の 西 側 陣 営 の 一 員 と し て 結 束 す る と い う 選 択 肢 が 将 来 構 想 と し て 現 実 味を 帯 び 始 め る 。 も ち ろ ん 、 話 は 単 純 に は 進 ま な い 。
◎ 冷 戦 の 起 源 に つ い て は 諸 説 あ る 。 冷 戦 が hot war で は な く 、 単 な る cold war な ら 特 段 注 目 す る こ と も な い 。戦 争 が な い 状 態 を 平 和 だ と シ ニ カ ル に 定 義 す れ ば 、 冷戦 は 歴 史 の 常 態 だ か ら で あ る 。 そ れ で も 、 20 世 紀 の 冷戦 は 人 類 滅 亡 の 可 能 性 と 関 わ っ て い る 点 が 特 色 で あ る 。従 っ て 、 冷 戦 が 露 革 命 以 降 の イ デ オ ロ ギ 対 立 で あ る と考 え れ ば 、 そ の 起 源 は 1917 年 で あ る が 、 原 子 爆 弾 の 開発 以 降 だ と 考 え れ ば 、 大 戦 末 期 以 降 と な る 。 ま た 、 戦
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後 原 子 力 委 員 会 に お い て 米 が 原 子 力 を 独 占 し よ う と した こ と 、 さ ら に 1949 年 8 月 ソ 連 が 原 子 爆 弾 の 開 発 に 成功 し た こ と な ど も 冷 戦 起 源 の 候 補 と な り う る 303。 さ らに 欧 州 に 限 れ ば 、 後 述 の よ う に 1947 年 が 冷 戦 の 出 発 点と み な す こ と も 可 能 だ ろ う 。
◎ 東 西 間 で 戦 争 に な れ ば 、 独 が そ の 主 戦 場 に な る可 能 性 は 高 い 。 し か も 、 「 原 爆 」 と い う 問 題 が あ る 。後 年 、 Europe ( Europa ) + Hiroshima で Euroshima ( 独 語 読 み でオ イ ロ シ マ ) と い う 言 葉 が 生 ま れ る 。
9.1.5 国 際 連 合 ( United Nations ) の 設 立 は 、 ア メ リ カ の 不 参加 ( ソ 連 は 後 年 参 加 ) や 「 全 会 一 致 原 則 」 の 採 用 な ど 制 度上 の 「 欠 陥 」 が あ っ た 国 際 連 盟 の 失 敗 の 反 省 に 基 づ く 。 戦勝 国 を 代 表 す る 英 仏 米 中 ソ の 五 ヶ 国 ( こ の 中 国 は も ち ろ ん大 陸 を 指 さ な い ) が 安 全 保 障 理 事 会 の 常 任 理 事 国 と し て 武力 に よ る 平 和 維 持 を 図 る 仕 組 み で あ る 。 し か し 、 拒 否 権 を持 つ 五 ヶ 国 の 協 調 関 係 が 冷 戦 で 機 能 不 全 と な る な ら 、 米 ソ両 陣 営 の 覇 権 争 い が 戦 後 国 際 政 治 の 基 本 文 法 と な る 。
1945 年 の 総 選 挙 で 下 野 し た チ ャ ー チ ル は 、 1946 年 ア メ リカ で 「 鉄 の カ ー テ ン 」 演 説 を 行 っ た 。 ’ From Stettin in the Baltic, to Trieste in the Adriatic, an iron curtain has descended across the Continent. Behind that line lie all the capitals of the ancient states of Central and Eastern Europe - ‘ ( バ ル ト 海 の ス テッ テ ィ ン か ら ア ド リ ア 海 の ト リ エ ス テ ま で 、 欧 州 大 陸 に 鉄の カ ー テ ン が 降 り た 。 こ の 境 界 線 向 こ う に 、 中 欧 と 東 欧 の古 の 国 家 の 都 が あ る ) ( 地 図 で バ ル ト 海 と ア ド リ ア 海 、ワ ル シ ャ ワ プ ラ ハ な ど を 確 認 の こ と ) 。、 そ し て 、 1947 年 ( 3 月 ― 4 月 ) の モ ス ク ワ 四 国 外 相 会 談 の 決 裂 か ら 東 西 分断 が 本 格 化 し た ( 1947 年 は こ の 外 交 上 で も 、 ま た 猛 烈 な 寒波 が 襲 っ た 点 で も 、 そ し て ト ル ー マ ン ・ ド ク ト リ ン ( 3月 ) や マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン ( 6 月 ) の 発 表 で も 、 戦 後 の 最初 の 岐 路 と な っ た ) 。 冷 戦 に よ り 、 欧 州 は 東 西 に 二 分 さ れる 。 問 題 は 当 面 の 棲 み 分 け 線 で あ る 「 鉄 の カ ー テ ン 」 を どこ に 引 く の か で あ る 。
◎ 歴 史 家 ジ ャ ッ ト は 、 「 ド イ ツ お よ び 欧 州 の 分 裂の 直 接 の 原 因 は 、 こ の 時 期 に ス タ ー リ ン 自 身 が 犯 し た過 ち に あ っ た と 言 え よ う 。 [ 中 略 ] ソ ヴ ィ エ ト 連 邦 とし て は マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン を 受 け 入 れ た 上 で 、 大 多 数の 独 国 人 に 対 し て 中 立 的 な 独 立 ド イ ツ を 求 め る モ ス クワ の 善 意 を 納 得 さ せ る だ け で よ か っ た の だ 。 一 九 四 七年 時 点 で は 、 こ れ が 欧 州 の 優 勢 バ ラ ン ス を 根 本 的 に 変え て い た か も し れ な か っ た 」 304と い う が 、 ス タ ー リ ン
303 冷戦という言葉については、Cf. 渡邊啓貴編『ヨーロッパ国際関係史』(有斐閣)のコラム304 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上 1945-1971、森本醇訳(みすず書房)163頁
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に そ も そ も そ の よ う な 戦 略 的 思 考 が あ っ た と も 思 え ず 、ア メ リ カ が 第 一 次 大 戦 後 の よ う に あ っ さ り と 欧 州 か ら撤 退 す る ( 孤 立 主 義 ) と も 思 え ず 、 S P D 党 首 シ ュ ーマ ッ ハ ー の よ う な 西 側 占 領 地 区 で 独 統 一 を 掲 げ る 政 治家 が 支 持 さ れ た と も 思 え な い ( 「 赤 い ヒ ト ラ ー 」 と も揶 揄 さ れ た シ ュ ー マ ッ ハ ー は 大 の 反 ソ で あ り 、 自 由 な統 一 選 挙 を 行 え ば 、 実 際 に 戦 後 各 国 で 示 さ れ た よ う に 、親 ソ 勢 力 は 敗 北 し て い た だ ろ う ) 。 そ れ で も 、 た い てい の こ と は 起 こ り う る の が 政 治 で あ る 。
◎ 「 バ ル ト 海 の ス テ ッ テ ィ ン か ら ア ド リ ア 海 のト リ エ ス テ ま で 」 鉄 の カ ー テ ン が 引 か れ る と す る と 、欧 州 は 南 北 に 真 っ 二 つ に な る が 、 実 際 の 「 カ ー テ ン 」は 地 中 海 で 東 側 に ズ レ て 引 か れ た 。 希 と ト ル コ で あ る 。西 側 諸 国 が 欧 州 文 明 の 揺 籃 の 地 で あ る 希 の 保 守 に 拘る 理 由 は わ か る 。 一 方 で 、 ト ル コ の 取 り 込 み 理 由 は 専ら 軍 事 的 な も の だ っ た ( N A T O ) 。 黒 海 の 南 に 位 置す る ト ル コ は 、 歴 史 上 何 度 か 露 と 戦 争 ( 露 土 戦 争 ) を経 験 し て い た か ら 、 露 の 軍 事 地 理 の 知 識 も 蓄 積 さ れ てい た だ ろ う 。 第 一 次 大 戦 後 、 世 俗 革 命 に よ り 建 国 し たト ル コ は 、 イ ス ラ ム 国 と は い っ て も 、 西 側 諸 国 に と って は つ き あ い や す い 国 だ っ た だ ろ う 。 そ れ に 当 時 は 、ま だ 核 弾 頭 を 搭 載 し た ミ サ イ ル も 、 ま し て や 原 子 力 潜水 艦 も な く 、 飛 行 機 に よ る 空 爆 ( 原 爆 投 下 を 含 め ) が戦 術 の 要 だ っ た か ら 、 対 ソ 攻 撃 の 移 動 距 離 が 短 く て 済む 位 置 を 占 め る ト ル コ は 対 ソ 戦 略 の 重 要 国 で あ っ た 。換 言 す れ ば 、 ソ 連 に と っ て は 何 と も 厄 介 な 位 置 に あ る国 だ っ た 。 そ し て 、 そ の 状 況 は 現 代 ま で 続 い て い る 。
◎ 国 際 連 合 と い う 名 称 ・ 言 葉 を め ぐ る 政 治 は あ っ たの だ ろ う 。 本 来 は 「 国 家 連 合 」 と で も 訳 す べ き な の だろ う か 。 単 純 に 日 本 語 は 抽 象 名 詞 の 複 数 を 表 現 す る 方法 に 乏 し い か ら 、 nation の 複 数 形 を 通 常 は interenationalの 訳と し て 当 て ら れ る 「 国 際 」 と し た だ け か も 知 れ な い 。あ る い は the League of Nations を 国 際 連 盟 と 訳 し て い た か ら ,踏 襲 し た だ け か も 知 れ な い 。 た だ 、 同 盟 国 ( the Allied ) に 近 い 連 合 国 で は な く 、 国 際 連 合 と い う 中 立 的 ・ 平和 的 ( ? ) 用 語 の 選 択 に は 政 治 的 意 図 の 問 題 は 残 る( 後 述 の 外 交 文 書 の 訳 語 と し て 1944 年 に 外 務 省 が 国 際連 合 を 選 択 し た と さ れ る が 、 す で に 敗 戦 濃 厚 で 戦 後 が来 る と い う メ セ ジ だ っ た の だ ろ う か ) 。 原 語 の United Nations 命 名 の 経 緯 の 詳 細 を 調 べ て い な い が 、 ロ ー ズ ベル ト 大 統 領 ( 1942 年 の 連 合 国 宣 言 、 Declaration by United Nations ) に 由 来 す る ( 国 際 連 合 広 報 セ ン タ の 基 本 情 報 よ り )と し て も 、 で は 何 故 そ の 時 に そ の 表 現 が 用 い ら れ た のか の 説 明 が な い 。 当 然 な が ら 、 大 統 領 に は 、 the United States of America と the United Kingdom な ど の 用 例 が 念 頭 に あ っ た だろ う 。 戦 後 構 想 と し て の 「 国 際 連 合 」 と い う メ セ ジ が
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ど の 程 度 念 頭 に あ っ た の か は わ か ら ず 、 単 に 枢 軸 国 に対 す る 「 連 合 国 」 と い う 結 束 ( united ) を 主 張 し た のだ ろ う 。 だ か ら 、 用 語 の 選 択 に 敵 対 性 は 否 定 で き な いが 、 国 連 の 創 設 が 構 想 さ れ た 1944 年 8 月 以 降 に 開 か れた ダ ン バ ー ド ン ・ オ ー ク ス 会 議 で 採 用 さ れ 、 当 時 は すで に 勝 利 は 確 定 し た と 考 え ら れ た か ら 、 「 新 し い 世界 」 の 構 築 に 向 け た 象 徴 と し て 用 い ら れ た の だ ろ う か 。わ か ら な い こ と が 多 い が 、 政 治 と 言 語 選 択 と の 関 係 を示 す 面 白 い 事 例 で あ る 。
9.1.6 欧 州 は も は や 世 界 政 治 の 主 役 か ら 米 ソ の 勢 力 争 い の脇 役 に な ろ う と し て い た 。
東 西 の 分 断 線 ( 地 図 ) は 、 文 化 距 離 、 政 治 状 況 、 地 政 学 上 の 位 置 に 左 右 さ れ た 。 特 に 中 欧 や バ ル カ ン 半 島 が 問 題と な っ た 。 例 え ば チ ャ ー チ ル と ス タ ー リ ン と の 間 の 悪 名、高 い 「 パ ー セ ン テ ジ 協 定 」 ( 1944 年 10 月 ) で は 、 希 が 英90% 、 ソ 連 10% 、 洪 ・ ユ ー ゴ ス ラ ビ ア が 英 ・ ソ 連 50% ず つ とさ れ た 305。 独 や 墺 は 敗 戦 国 と し て 、 東 西 両 陣 営 の 共 同 管 理地 帯 と な り 、 こ の 共 同 管 理 地 帯 を 基 準 線 と し て 、 波 、 チ ェコ ス ロ バ キ ア 、 洪 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 以 東 は ソ 連 の 勢 力 圏 内だ と 理 解 さ れ る ( こ の 地 域 の そ の 後 の 事 件 は 、 1956 年 の 洪 動 乱 、 1968 年 の プ ラ ハ の 春 、 1980 年 の 波 の 「 連 帯 」 、 ユ ー ゴス ラ ビ ア は チ ト ー に よ る 自 主 路 線 ) 。 大 雑 把 な 区 分 と して ゲ ル マ ン ・ ラ テ ン は 西 側 、 ス ラ ヴ は 東 側 と い う 民 族 イ、メ ー ジ が 働 い て い た か も 知 れ な い 。 い や 、 む し ろ 、 ス タ ーリ ン ・ ソ 連 は 、 露 の 伝 統 的 な 安 全 保 障 戦 略 、 す な わ ち 、 独と の 間 に 自 国 が 影 響 力 を 保 て る 緩 衝 地 帯 ( 傀 儡 政 権 ) の 構築 を 目 指 し て い た と い え る 。
戦 後 他 の 東 欧 諸 国 よ り も ソ 連 と の 友 好 関 係 を 築 い て いた と は い え 、 後 に チ ェ コ 共 産 党 に よ る 政 変 ( 1948 年 2 月 )で 、 中 世 以 来 欧 州 を 代 表 す る 文 化 都 市 プ ラ ハ ( 位 置 を 地 図で 確 認 の こ と ) が 完 全 に 東 側 に 組 み 込 ま れ た こ と は 西 側 諸国 に と っ て 衝 撃 と な っ た ( チ ェ コ ス ロ バ キ ア に ウ ラ ン が 取れ る こ と も 戦 略 上 重 要 だ っ た ) 。 ま た 、 希 の 所 属 も 問 題 とな っ た 。 バ ル カ ン 半 島 の 東 南 端 に あ る こ の 小 国 は 、 西 欧 にと っ て 古 典 文 明 揺 籃 の 地 で あ り 、 特 に 英 は そ の 防 衛 に 執 着す る が 、 英 支 援 の 政 権 が 共 産 党 に 打 倒 さ れ 英 は、 米 に 支 援を 要 請 す る こ れ が。 ト ル ー マ ン ・ ド ク ト リ ン ( 1947 年 3 月 、英 に 代 わ っ て 希 と ト ル コ へ の 支 援 を 行 う 内 容 の 対 ソ 封 じ 込め 政 策 ) を 促 す 。 英 は も は や 軍 事 大 国 で は な く な っ て いた 。
こ の 動 き と 併 行 し て 仏 伊 白 な ど、 、 各 国 の 内 閣 か ら 共 産党 が 排 除 さ れ て い く 。 か つ て の 独 の 首 都 伯 林 は 、 ソ 連 占 領地 区 の 中 の 孤 島 の よ う に 存 在 し て い た が 、 伯 林 の 西 側 部 分
305 Cf. 佐々木雄太・木畑洋一編『イギリス外交史』(有斐閣)
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の 封 鎖 ( 1948 年 6 月 ) は 東 西 分 断 を 決 定 し た 。 欧 州 の 西 側部 分 は 、 「 マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン ( 欧 州 復 興 援 助 計 画 ) 」( 1947 年 6 月 発 表 、 そ の 受 入 機 関 と し て 為 替 や 貿 易 の 自 由化 な ど を 目 的 と す る 欧 州 経 済 協 力 機 構 O E E C が 設 立 、 OE E C は 1961 年 に 経 済 協 力 開 発 機 構 O E C D と な る ) に より 再 建 が 図 ら れ 、 軍 事 的 に は 北 大 西 洋 条 約 機 構 ( N A T O ) が 基 本 と な る 。 そ し て 、 N A T O は 大 西 洋 の 軍 事 同 盟か ら 次 第 に ( 特 に 朝 鮮 戦 争 勃 発 後 ) ソ 連 か ら 欧 州 を 守 る( 同 時 に 独 を 軍 事 的 に 封 じ 込 め る ) 軍 事 同 盟 へ と 変 わ っ てい く 。
東 側 も こ れ に 対 抗 し て 、 経 済 相 互 援 助 会 議 ( 西 側 で は通 称 コ メ コ ン ) や コ ミ ン フ ォ ル ム ( 第 二 次 大 戦 後 に 作 ら れた 、 各 国 共 産 党 の 情 報 交 換 を 目 的 と す る 共 産 党 情 報 局 ) 、軍 事 機 構 と し て ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 ( W T O ) を 設 置 す る 。欧 州 諸 国 は 、 こ の 地 政 学 の 大 枠 の 中 で 、 再 建 を 図 る た め に東 西 双 方 の 連 携 組 織 の 創 設 を 模 索 す る 。 米 ソ 両 大 国 の 間 にあ っ て 欧 州 各 国 の、 未 来 の 選 択 肢 は 限 定 さ れ て い た 。
◎ 中 途 半 端 に 破 壊 さ れ る よ り は 、 全 壊 の 方 が 再 建 し や す い ( 災 害 時 の よ う に 、 半 壊 に は 財 政 上 あ ま り 補 助 が で な い こ と も あ る か ら 、 む し ろ み ん な で 協 力 し て 全 壊 す る よ う に し た と い う 現 実 も あ る 。 尤 も 今 で は テ レ ビ な ど で 映 っ て い る か ら そ の 種 の 「 細 工 」 は し づ ら い ) と は い え 、 再 建 に は 金 が か か っ た 。 そ し て 、 金 は米 国 に し か な か っ た 。 当 初 マ ー シ ャ ル ・ プ ラ ン の 対 象に は ソ 連 も 含 ま れ て い た と さ れ る 。 マ ー シ ャ ル ・ プ ラン が 欧 州 の 経 済 復 興 の 実 質 に 役 立 っ た か に つ い て は 疑問 も あ る ( 現 在 の 価 格 で 数 十 兆 円 だ ろ う か ら 効 果 が 無い こ と も 無 い ) が 、 心 理 的 効 果 は 大 き か っ た 。 そ れ に 、結 果 と し て 、 共 産 主 義 国 は そ の 援 助 が 受 け ら れ な か った か ら 、 東 西 分 裂 を 進 め た と も い え る 。
な お 、 物 資 援 助 に 関 連 し て 、 独 側 が 米 側 に 食 糧 援助 ’ Korn ’ ( 独 語 : 穀 物 、 小 麦 ) を 求 め た 時 に こ れ を、穀 物 ( 小 麦 ) で は な く 、 ’ corn ’( ト ウ モ ロ コ シ ) と 間違 え て 、 大 量 の ト ウ モ ロ コ シ が 送 ら れ た と い う 笑 い 話が あ る 。 も ち ろ ん 、 大 量 の ト ウ モ ロ コ シ を 送 ら れ た 独側 は 呆 然 と し た 。
9.2 対 独 問 題 と 対 ソ 関 係
9.2.1 戦 争 責 任 問 題 が 戦 後 構 想 を 大 き く 左 右 す る 。 尤 も 、第 一 次 大 戦 後 の 「 教 訓 」 は 多 少 な り と も 学 習 効 果 を 持 った そ れ に し て も。 、 何 故 独 国 人 は 「 再 び 」 戦 争 を 仕 掛 け て きた の か 。 独 国 人 の 本 性 が 好 戦 的 だ か ら か 。 何 故 独 国 人 は ヒト ラ ー を 支 持 し た の か 、 独 国 人 は ヒ ト ラ ー に 騙 さ れ た だ け
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な の か 。 今 回 の 戦 争 責 任 が 国 民 文 化 に 由 来 す る な ら す ぐ には 変 え ら れ な い 「 宿 命 」 で あ り 、 「 死 な な け れ ば 治 ら ない 」 。 一 層 の こ と 独 を 農 業 国 に し て し ま え と い う 意 見 は、ア メ リ カ な ど で 根 強 か っ た 。
一 方 で 欧 州 の 共 有 財 産 で あ る ゲ ー テ や ベ ー ト ー ベ ン を生 み 出 し た の も 独 で あ り 、 「 詩 人 と 思 想 家 の 国 」 だ と い う反 論 も な さ れ る 。 独 国 人 が 政 治 的 に 未 成 熟 な ら デ ィ モ ク ラシ の 導 入 が 重 要 と い う 議 論 が 優 勢 と な る 。 ヒ ト ラ ー が 騙 した だ け な ら 、 第 二 の ヒ ト ラ ー を 登 場 さ せ な い 制 度 作 り が 肝要 と な る 。 戦 争 責 任 論 と 独 の 再 教 育 ( 民 主 化 ) は 米 ソ 冷 戦の 中 で 進 め ら れ る 。
ニ ュ ル ン ベ ル ク 国 際 軍 事 裁 判 ( 1945 年 10 月 ~ 、 映 画 『 ニュ ー ル ン ベ ル ク 裁 判 』 ( Judgment at Nuremberg ) ) は 、 独 の 戦 争犯 罪 を 裁 く と 同 時 に 戦 争 問 題 の 早 期 処 理 を 目 指、 し た ( この 裁 判 の 動 向 が 、 東 京 裁 判 に も 影 響 す る ) 。 そ の 中 で 、 米と 英 仏 な ど 西 欧 諸 国 の 思 惑 は 必 ず し も 一 致 し な い 。、 米 は世 界 戦 略 ( 対 ソ 戦 略 ) の 中 で 独 問 題 を 考 え 西 欧 諸 国 は 各、国 各 様 に 自 国 の 安 全 保 障 を 考 え な が ら 経 済 復 興 を 目 指 し て独 問 題 を 扱 う か ら で あ る 。
9.2.2 英 仏 な ど に と っ て は 、、 再 び 独 と ソ 連 と の 選 択 で ある 。 独 を 封 じ 込 め れ ば 、 ソ 連 を 利 す る こ と に な り 、 対 ソ で共 同 歩 調 を と っ て 独 の 再 建 を 急 が せ れ ば 、 将 来 の 独 の 台 頭に 覚 悟 と 備 え が 必 要 と な る 。 再 び 、 ソ 連 よ り 強 く 、 英 仏 より 弱 い 独 が 理 想 な の だ が 、 こ れ 自 体 矛 盾 し て い る 。 ヴ ェ ルサ イ ユ 条 約 締 結 か ら ヒ ト ラ ー の 台 頭 ま で わ ず か 14 年 で あ った 。 そ う で あ る な ら 、 対 ソ 共 同 歩 調 を 前 提 に 統 制 さ れ た 独の 再 建 が 西 側 の 最 善 策 で あ る 。 こ の 統 制 構 想 が 、 欧 州 共 同体 構 想 と 結 び 付 く 。
独 は 英 仏 米 ソ の 四 ヶ 国 に 分 断 さ れ て 占 領 さ れ た 。 ソ 連占 領 地 区 で は 早 く も ( 1945 年 6 月 ) 政 党 活 動 が 承 認 さ れ 、親 ソ 路 線 を と る 政 党 が 勢 力 を 伸 ば し 始 め 、 西 側 の 英 仏 米 3占 領 地 区 は 統 合 の 動 き を 見 せ る 。 独 を 新 し い 欧 州 の 中 で どの よ う に 位 置 づ け る の か に 関 す る 合 意 が 戦 勝 国 の 間 で 生 まれ な い ま ま 軍 事 ・ イ デ オ ロ ギ 対 立 が 既 成 事 実 を 作 り 上 げ、 、東 西 両 占 領 地 区 は ド イ ツ 人 民 共 和 国 ( 東 独 ) と ド イ ツ 連、邦 共 和 国 ( 西 独 ) と し て 「 独 立 」 す る こ と に な る 。
今 回 の 戦 後 に は 、 ナ ポ レ オ ン 戦 争 後 の ウ ィ ー ン 会 議 や第 一 次 大 戦 後 の ヴ ェ ル サ イ ユ 会 議 の よ う な 会 議 は な か った 対 独 問 題 を 最 も 真 剣 に 注 視 し た の は 仏 で あ る 。 仏 独 は。 、こ の 100 年 で 、 普 仏 戦 争 、 第 一 次 大 戦 、 第 二 次 大 戦 と 三 度 戦っ た 。 独 国 人 か ら み れ ば 、 少 し 前 の ナ ポ レ オ ン 戦 争 を さ らに 含 む べ き か も 知 れ な い 。 尤 も 、 こ れ ほ ど 干 戈 を 交 え て も 、仏 独 が 犬 猿 の 仲 だ と い う わ け で は な い 。 仏 国 人 と 独 国 人 は互 い の 音 楽 、 芸 術 、 文 学 、 哲 学 を 愛 し 、 尊 敬 し て い た 。 英
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国 人 や ア メ リ カ 人 に は わ か り づ ら い 話 だ っ た だ ろ う が 、 仏 に と っ て は 何 よ り も 仏 独 関 係 の 安 定 が 欧 州 政 治 の 要 だ と いう 理 解 は 自 然 で あ っ た 。 仏 独 関 係 の 安 定 の 鍵 は 、 独 の 再 軍備 が ソ 連 の 脅 威 に 対 応 で き る ほ ど 強 く 仏 の 脅 威 と な ら な、い ほ ど 弱 い も の に す る こ と で あ り 、 こ の 「 矛 盾 」 に 仏 の 政策 は 揺 れ 続 け る ま た 、 独 の 再 建 は 、 第 一 次 大 戦 後 と 同 様。 、両 国 の 国 境 に 近 く 、 西 独 ( あ る い は 西 欧 ) 最 大 の 工 業 地 帯で あ る ル ー ル 地 方 の 共 同 管 理 を 前 提 に 進 め ら れ る べ き で あっ た 。 仏 は 、 1946 年 ま で に 主 要 産 業 の 多 く を 国 有 化 し て おり 、 そ の 上 で ル ー ル 地 方 の 石 炭 と 鉄 鋼 を 仏 の 再 建 の 柱 と した い と す る 思 惑 が あ っ た が 、 ル ー ル 地 方 は 仏 に よ る 占 領 では な く 、 国 際 共 同 管 理 と い う 手 法 が と ら れ た 。 そ し て こ、の 国 際 共 同 管 理 方 式 に よ っ て 、 賠 償 金 ( 現 物 ) を 奪 お う とし て い た ソ 連 の 思 惑 は 失 敗 す る 。
9.2.3 政 治 象 徴 に も 若 干 の 変 化 が 生 ま れ た 社 会 主 義 が 象。徴 の 政 治 市 場 で 流 通 す る に つ れ 、 対 抗 象 徴 と し て キ リ ス ト教 ( カ ト リ ク を 中 心 と し た キ リ ス ト 教 民 主 主 義 ) が 前 面 に登 場 し 、 多 く は 保 守 主 義 と 結 び つ い た 。 自 由 主 義 は 世 俗 主義 ( 反 教 権 主 義 ) を 捨 て き れ な い か ら で あ る 。 た だ 、 世 俗化 の 進 行 ( 次 第 に 文 化 政 策 で 教 会 の 役 割 が 小 さ く な り 礼、拝 に 訪 れ る 人 の 数 も 減 り 始 め る ) も あ り 、 次 第 に 伝 統 的 なカ ト リ ク と プ ロ テ ス タ ン ト の 積 年 の 反 目 も 縮 小 傾 向 を 見 せ て い た 。
政 党 制 の 基 本 要 素 は 内 容 を 異 に し な が ら も デ ィ モ ク ラ、シ を 自 明 と し て 、 デ ィ モ ク ラ シ と 保 守 主 義 自 由 主 義 、 社 会、主 義 、 共 産 主 義 と が そ れ ぞ れ 結 び つ い た も の と な る 。 こ の中 で 、 保 守 主 義 ( キ リ ス ト 教 民 主 主 義 ) と 社 会 主 義 ( 社 会民 主 主 義 ) を 掲 げ る 政 党 が 左 右 両 陣 営 の 主 導 権 を 握 る ( 一時 期 独 な ど で 支 持 を 得 て い た キ リ ス ト 教 社 会 主 義 は 、 両 政治 勢 力 の 狭 間 で 支 持 を 失 う ) 。 終 戦 直 後 の 左 翼 ブ ー ム ( 欧州 知 識 人 の 間 に 広 く 見 ら れ る 「 米 嫌 い 」 が 関 わ っ て い る )は 、 ス タ ー リ ン ・ ソ 連 に 対 す る 「 両 義 的 な 」 態 度 も あ り 306、ま た 終 戦 直 後 の 政 権 運 営 の 難 し さ 、 1947 年 か ら 1948 年 あ た りに か け て の 社 会 党 と 共 産 党 と の 連 携 解 消 、 1948 年 の チ ェ コ ス ロ ヴ ァ キ ア で の 革 命 、 1950 年 の 朝 鮮 戦 争 勃 発 な ど が あ って 沈 静 化 し 、 次 第 に 保 守 主 義 の 支 持 が 各 国 で 高 ま る ま た。 、ナ シ ョ ナ リ ズ ム ( 国 益 追 求 ) は 各 政 治 勢 力 の 常 識 と な り 、そ の 上 で 2 つ の 国 際 連 帯 ( 欧 州 統 合 と 米 と の 連 携 ) の 選 択が 政 治 争 点 と な る 。 た だ 、 当 初 は 再 建 優 先 だ っ た た め 、 米と の 連 携 が 最 重 要 だ っ た 。 換 言 す れ ば 、 復 興 が 見 え 始 め ると 、 欧 州 復 興 を 図 る 手 段 と し て の 統 合 が 優 先 さ れ 始 め る 。
◎ 欧 州 で も 、 投 票 行 動 に お け る ジ ェ ン ダ ・ バ ィ
306 Cf.リチャード・クロスマン編『神は躓ずく 西欧知識人の政治体験』村上芳雄訳(ぺりかん双書)
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ア ス が あ っ た よ う に 思 え る 。 と い う の は 、 女 性 は キ リス ト 教 民 主 主 義 系 政 党 に 投 票 す る 傾 向 が 高 か っ た か らで あ る 。 労 働 者 や 闘 争 の イ メ ー ジ が 高 い 社 会 主 義 政 党は 戦 後 し ば ら く の 間 、 専 ら 男 性 の 政 党 で あ る と い う イメ ー ジ を 払 拭 す る こ と が で き な か っ た 。
◎ ソ 連 崩 壊 後 に 生 ま れ た 現 在 の 学 生 に と っ て は 、ソ 連 で す ら 歴 史 事 象 で あ る か ら 、 英 、 仏 、 独 を は じ めと し た 先 進 国 ( 日 本 も 含 ま れ る ) に お け る 戦 後 の 左 翼ブ ー ム な ど は 想 像 し が た い か も 知 れ な い 。 も ち ろ ん 、左 翼 ブ ー ム と い っ て も 、 そ の ブ ー ム は 、 知 識 人 ( 学生 ) や 労 働 者 ( 公 務 員 を 含 む ) を 中 心 と し た も の だ った こ と は 確 か で あ る 。 そ れ で も 、 第 一 次 大 戦 後 始 ま って い た 血 の 代 償 と し て の 社 会 保 障 は 確 立 さ れ 、 戦 時 経済 ( 統 制 経 済 = 計 画 経 済 ) は 物 資 不 足 の 戦 後 に も 引 き続 き 必 要 だ っ た 。 戦 後 の 左 翼 ブ ー ム の 背 景 に あ っ た 資本 主 義 批 判 が ど の 程 度 本 格 的 だ っ た か ど う か は と も かく 、 人 び と は よ う や く 終 わ っ た 戦 争 と そ の 後 の 平 和 と繁 栄 の イ メ ー ジ に 、 社 会 主 義 や 共 産 主 義 が 掲 げ る 正 義( 体 制 で は な い ) を 採 り 入 れ よ う と し た こ と は 事 実 だろ う 。 し か も 、 独 な ど の 敗 戦 国 で は 、 獄 中 カ リ ス マ が左 翼 政 党 の 指 導 者 と し て 「 ヒ ー ロ ゥ ( ヒ ー ロ ー ) 」 とな っ た ( 日 本 で 言 え ば 、 獄 中 1 8 年 ! の 徳 田 球 一 ) 。亡 命 先 で ナ チ ス な ど と 闘 い 、 戦 後 凱 旋 帰 国 し て も 、「 お 前 は あ の 時 ど こ に い た 」 、 「 安 全 な 所 で 闘 っ た だけ だ ろ う 」 と 揶 揄 さ れ る だ け だ か ら で あ る 。 国 内 に 留ま っ て 闘 っ た ( 獄 中 に い る こ と も 闘 い だ っ た だ ろ う から ) 左 翼 こ そ 、 愛 国 を 掲 げ る 資 格 が あ っ た と 言 え る かも 知 れ な い 307。
9.2.4 イ デ オ ロ ギ ( 主 義 ) と 政 策 は 本 来 連 動 す る こ と にな っ て い る 。 た だ 、 保 守 主 義 ( 保 守 系 政 党 ) 、 ( 古 典 的 )自 由 主 義 ( 自 由 党 系 ) 、 社 会 主 義 ( 社 会 党 、 社 会 民 主 党 )の 主 要 イ デ オ ロ ギ と い う 主 要 な 政 治 勢 力 間 の 関 係 も 単 純 では な い 。 一 見 す る と 、 保 守 主 義 と 自 由 主 義 は 宗 教 分 野 で 対立 し 、 自 由 主 義 と 社 会 主 義 は 経 済 政 策 で 対 立 す る か ら 、 経済 の 優 先 順 位 が 高 け れ ば 、 保 守 主 義 と 自 由 主 義 が 連 帯 し て 、社 会 主 義 と 対 立 す る こ と に な り や す い よ う に 見 え る 。 確 かに 、 保 守 主 義 と 社 会 主 義 と の 間 に は 対 立 点 は 多 い が 、 国 家の 役 割 を 重 視 す る 点 で 両 者 は 共 通 し て い る 。 歴 史 上 社 会 主義 の 本 来 の 「 十 八 番 」 で あ る は ず の 社 会 保 障 を ( ビ ス マ ルク を は じ め と す る ) 保 守 主 義 ・ 保 守 政 党 が 導 入 し た こ と は 、単 な る 社 会 主 義 政 党 へ の 対 抗 戦 術 で は な い 。
と は い え 、 現 実 政 治 は 生 き 物 で あ る 。 保 守 政 党 が 左 翼政 党 の 「 専 売 特 許 」 で あ る 国 有 化 政 策 の 導 入 を 断 固 拒 否 す
307 日本については、Cf.小熊英二『<民主>と<愛国>』(新曜社)
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る わ け で も な く 、 社 会 主 義 政 党 が 、 さ ら に は ( 資 金 提 供 を受 け て い て も ) 共 産 党 で さ え も 、 親 ソ と は 限 ら な い ( 西 側の 古 典 的 な 知 識 人 か ら み れ ば 、 ソ 連 は 「 半 ア ジ ア の 野 蛮国 」 ロ シ ア の 化 身 で も あ っ た ) 。 政 策 は 、 各 国 の 各 政 治家 各 政 党 が 置 か れ た 具 体 的 な 個 別 状 況 へ の 回 答、 で あ る 。
外 交 政 策 で は 、 対 独 と 対 ソ 問 題 だ け で な く 、 対 米 協 調の 是 非 が 争 点 と な る 。 同 じ 政 党 内 で も 欧 州 主 義 と 対 米 協 調路 線 で 議 論 が 二 分 す る 経 済 政 策 で は 、 市 場 経 済 か 計 画 経。済 か と い う 階 級 政 治 の 総 論 は 次 第 に 重 要 性 を 失 い 、 1929 年の 大 恐 慌 以 降 の 経 済 政 策 に 見 ら れ た よ う に 、 主 義 の 左 右 を問 わ ず 、 一 定 程 度 以 上 の 経 済 の 計 画 化 は 所 与 と な り 、 多 かれ 少 な か れ 混 合 経 済 の 枠 組 み の 中 で 国 家 に よ る 市 場 介 入、の 各 論 が 争 わ れ る 。 戦 後 欧 州 の 各 党 は 、 そ の イ メ ー ジ や 手法 は 異 な っ て い て も 福 祉 国 家 体 制 ( 大 陸 で 用 い ら れ る 言 葉で 言 え ば 、 「 社 会 国 家 」 ) 、 す な わ ち 国 民 の 福 利 を 増 進 する た め に ( あ る い は 国 民 の 人 生 設 計 の 幾 分 か を 国 家 が 責 任を 持 っ て 支 え る た め に ) 、 国 家 あ る い は 社 会 を 計 画 的 に 運営 す る と い う 発 想 を 共 有 し 、 民 政 分 野 ( 社 会 福 祉 政 策 ) では 、 医 療 ・ 労 災 ・ 疾 病 ・ 年 金 な ど の 保 険 制 度 の 整 備 に 加 え 都 市 爆 撃 の 影 響 も あ っ て 住 宅、 、 建 設 が 重 視 さ れ る 。 第 一次 大 戦 後 と 同 様 、 第 二 次 大 戦 の 経 験 が 、 福 祉 を 一 層 推 し 進め た と い え る 。 福 祉 国 家 と は 、 国 家 ・ 政 府 が 国 民 の 幸 福 に責 任 を 持 つ と 宣 言 す る こ と で あ り 、 そ の た め に 広 範 で 高 水準 の 課 税 を 基 と し た 政 府 支 出 が 増 え る が 、 経 済 が 右 肩 上 がり な ら ば 相 応 に 上 手 く 行 く 仕 組 み で あ っ て 、 不 況 に な れ ば 、膨 大 な 支 出 の や り く り に 苦 し む こ と に な る 。
9.3 主 要 国 の 情 勢
9.3.1 英
9.3.1.1 英 の 政 党 制 で は 、 保 守 党 と 労 働 党 が 主 導 権 争い を 続 け る 。
2012 年 ま で の 歴 代 首 相 を 挙 げ る と 以 下 の よ う に な る 。 アト リ ー 1945 ~ 1951 ( 労 働 党 ) 、 チ ャ ー チ ル 1951 ~ 1955 ( 保 守党 ) 、 イ ー デ ン 1955 ~ 1957 ( 保 守 党 ) 、 マ ク ミ ラ ン 1957 ~1963 ( 保 守 党 ) 、 ヒ ュ ー ム 1963 ~ 1964 ( 保 守 党 ) 、 ウ ィ ル ソン 1964 ~ 1970 ( 労 働 党 ) 、 ヒ ー ス 1970 ~ 1974 ( 保 守 党 ) 、 ウ ィル ソ ン 1974 ~ 1976 ( 労 働 党 ) 、 キ ャ ラ ハ ン 1976 ~ 1979 ( 労 働党 ) 、 サ ッ チ ャ ー 1979 ~ 1990 ( 保 守 党 ) 、 メ ー ジ ャ ー 1990 ~1997 ( 保 守 党 ) 、 ブ レ ア 1997 ~ 2007 ( 労 働 党 ) 、 ブ ラ ウ ン 2007~ 2010 ( 労 働 党 ) 、 キ ャ メ ロ ン 2010 ( 保 守 党 。 自 由 民 主 党 との 連 立 内 閣 ) 。
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保 守 党 と 労 働 党 の 政 権 時 期 の 比 は 約 3 対 2 で 、 こ の 程度 の 差 な ら 二 大 政 治 勢 力 に よ る 政 権 獲 得 ゲ ィ ム ( 二 大 政 党 制 ) と 云 え る だ ろ う と は い え 、 両 党 の 内 政 や 外 交 が き れ。い に 対 立 し て い た わ け で は な い 。 む し ろ 、 両 党 の 政 策 差 は縮 ま り ( 保 守 党 も 福 祉 国 家 を 受 け 入 れ る 。 た だ 、 国 家 に 人生 ・ 生 活 を 依 存 す る 体 制 は 、 「 nanny ( 子 守 ) state 」 と 揶 揄さ れ る こ と に な る ) 、 保 守 党 ・ 労 働 党 の 政 権 交 代 が 続 く 中で 個 々 の 首 相 ・ 大 臣 の 意 向 の 差 の 方 が 大 き く な る 。、 し かし 、 こ の 両 党 の 政 策 上 の 収 斂 傾 向 は 、 1979 年 選 挙 ( サ ッ チ ャ ー 政 権 の 誕 生 ) を 境 に 決 定 的 に 失 わ れ た 。 サ ッ チ ャ ー 政権 が 戦 後 英 政 治 史 の 大 き な 区 切 り 目 と さ れ る 所 以 で あ る 。
9.3.1.2 第 二 次 大 戦 で 英 は 未 曾 有 の 債 務 を 抱 え た 。 内 政 を揺 る が す の は 、 経 済 復 興 の 遅 延 ( 後 に 「 イ ギ リ ス 病 」 と 呼ば れ る ) で あ り 、 相 変 わ ら ず の 労 使 対 立 ( ス ト ラ キ )イ と 、以 前 ほ ど で は な い に せ よ 、 愛 蘭 問 題 が 足 を 引 っ 張 る 。 戦 争に は カ ネ が か か る が 、 戦 後 の 経 済 復 興 も 軍 隊 整 備 も 同 様 であ り 、 当 初 は 独 占 領 に も カ ネ が か か っ た 。 膨 大 な 債 務 と 海外 資 産 の 喪 失 に 、 ポ ン ド 切 り 下 げ で 対 応 し よ う と す る が 、効 果 は 薄 い 。 緊 急 の 食 糧 輸 入 に 必 要 な 新 た な 借 款 も か さ む 。も は や 帝 国 を 維 持 す る 財 政 的 余 裕 は な く な っ た 。 経 済 復 興は 、 産 業 の 近 代 化 を 本 格 化 し な い 限 り 進 ま な い 。 最 初 に 工業 化 に 成 功 し た 国 だ け に か え っ て 新 し い 設 備 の 投 資 が、 、 そ し て 新 し い 市 場 へ の 対 応 が 遅 れ た イ ン フ レ 進 行 と ポ ン。ド 危 機 ( も は や ポ ン ド は 世 界 の 基 軸 通 貨 で は な く な っ て いた ) は 収 ま ら ず 、 完 全 雇 用 を 維 持 し よ う と し な が ら 、 労 組の 賃 上 げ 要 求 を 拒 否 す れ ば 、 ス ト ラ キ へ の 対 処 に 苦 労 すイる 。 公 共 事 業 を 削 減 す れ ば 、 景 気 回 復 が 遅 れ る 。 袋 小 路 であ る 。
◎ 西 独 と 日 本 は 急 速 に 戦 後 復 興 す る こ と に な るが 、 両 国 の 復 興 を 見 て 、 「 今 度 は 負 け よ う 、 そ う す れば 、 早 く 経 済 復 興 で き る 」 と い う 声 が 、 英 や 仏 で 聞 かれ た 。 一 例 と し て 、 「 仮 に わ れ わ れ が 二 つ の 世 界 大 戦で う ま く 敗 戦 国 に な り お お せ 、 負 債 を す べ て 踏 み 倒 し- 3,000 万 ポ ン ド に も 上 る 新 た な 借 金 を 背 負 っ た り せ ずに - 、 対 外 的 な 義 務 の す べ て を 免 れ て 海 外 に 軍 隊 な ど持 た な く な れ ば 、 当 然 独 国 人 の よ う な 金 持 ち に な れ るだ ろ う 」 ( H . マ ク ミ ラ ン ) 308。 こ れ は 、 単 な る ブ ラッ ク ・ ユ ー モ ア で は な い 。 西 独 と 日 本 の 再 軍 備 の 制 限
あ る い は 禁 止 は 、 経 済 中 心 の 国 家 運 営 を 可 能 と し 、 ま た 、 植 民 地 の 喪 失 は 植 民 地 問 題 か ら の 解 放 を 意 味 し た か ら で あ る 。
9.3.1.3 対 外 政 策 で は 、 伝 統 的 な ( と い っ て も 、 19 世 紀 末
308 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』上 1945-1971、森本醇訳(みすず書房)456頁
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か ら 20 世 紀 当 初 以 降 だ ろ う が ) 選 択 す な わ ち 、、 米 と の 連携 、 英 連 邦 の 団 結 、 大 陸 ( 西 欧 諸 国 ) と の 連 携 の い ず れ を優 先 す る の か で 若 干 の 違 い が 見 ら れ た 。 尤 も 英 連 邦 の 比、重 は 下 が り ( こ れ は ポ ン ド の 価 値 下 落 と 関 わ っ て い る ) 、米 と の 連 携 ( 大 西 洋 同 盟 ) と 西 欧 へ の 統 合 と の 選 択 と な り始 め る 名 誉 あ る 孤 立 は も は や 選 択 肢 で は な い が 、 大 陸 と。の 一 定 の 距 離 を 保 つ こ と が 英 の 基 本 路 線 で あ る 。 英 は 単 純に は 欧 州 で は な い 。
戦 後 欧 州 の 構 想 を 築 い た ヤ ル タ 体 制 309で は 英 ( チ ャ ー チル ) は 米 ( ロ ー ズ ベ ル ト ) ・ ソ 連 ( ス タ ー リ ン ) と 肩 を 並べ て い た こ と も あ り 、 大 国 の 栄 光 と い う 追 憶 に 自 縛 さ れ るが 、 実 勢 は 「 二 等 国 」 と な り は じ め て い た ( 米 が 撤 退 す れば ソ 連 の 侵 攻 を 防 げ な い ) か ら こ そ 、 そ の 威 信 を 確 保 す るた め に も ( 第 三 勢 力 論 ) 、 戦 後 構 想 を 話 し 合 う 場 と し て の外 相 理 事 会 に 仏 を 引 き 込 ん で い た ( ダ ン ケ ル ク 条 約 は 英 仏相 互 防 衛 条 約 で 後 に ブ リ ュ ッ セ ル 条 約 へ と 発 展 解 消 ) 。
確 か に 終 戦 直 後 の 1940 年 代 後 半 、 ア ト リ ー 労 働 党 政 権 の外 相 ベ ヴ ィ ン が 西 欧 統 合 の 主 導 権 を 握 っ て い た 310 西 欧 統 合。に は ア メ リ カ の 財 政 支 援 が 不 可 欠 で も あ る と し て も 、 太 平洋 同 盟 ( 対 米 協 調 ) と 西 欧 統 合 と は 必 ず し も 排 他 的 な 選 択肢 で は な か っ た 。 し か し 、 主 権 の 部 分 的 な 委 譲 を 含 意 す る欧 州 統 合 に は 賛 成 で き ず 、 英 に と っ て 多 少 予 想 外 な こ と に 、米 が 伝 統 的 な 孤 立 政 策 を 捨 て 、 N A T O な ど を 通 じ て 積 極 的 な 西 欧 諸 国 と の 軍 事 同 盟 政 策 を 採 用 し た こ と 、 さ ら に 、1948 年 2 月 の チ ェ コ が 共 産 主 義 ク ー デ タ で 東 側 に 組 み 込 まれ た こ と で 、 第 三 勢 力 論 は 崩 壊 し て 、 1949 年 以 降 し ば ら く の間 英 の 外 交 政 策 の 基 本 は 対 米 協 調 と な る、 。
1951 年 秋 の 総 選 挙 で 保 守 党 が か ろ う じ て 労 働 党 に 勝 利 し 、チ ャ ー チ ル は 首 相 に 復 帰 し た が 、 米 ソ の 仲 介 役 を 買 お う とし て 失 敗 し 続 け た 。 大 英 帝 国 の 要 で あ っ た 印 問 題 で は 宗 教別 に 印 を 分 割 し て さ っ さ と 立 ち 去 り ( 権 力 が 空 白 と な っ たと は 言 え な い に し て も 、 広 義 の 印 で は 宗 教 戦 争 が 起 こ り 、イ ン ド 、 パ キ ス タ ン が 分 離 独 立 す る ) 、 パ レ ス チ ナ 国 家 樹立 と 同 様 、 無 責 任 な 撤 退 だ と 批 判 さ れ る 。 伯 林 封 鎖 ( 1948 年 ) や 朝 鮮 戦 争 勃 発 ( 1950 年 ) を 契 機 に 再 軍 備 問 題 が 争 点と な る ( 朝 鮮 戦 争 の イ ン パ ク ト は 意 外 に 大 き い ) 。 し か し 、武 器 開 発 に は 経 済 復 興 が 不 可 欠 で あ り 、 植 民 地 維 持 な ど を含 め 、 経 済 的 軍 事 的 コ ス ト に 耐 え き れ な い 状 況 に あ っ て 、大 国 と し て の 地 位 放 棄 ( 大 英 帝 国 の 最 終 的 解 体 ) を 余 儀 なく さ れ る コ モ ン ウ ェ ル ス の 代 表 国 で あ る 豪 と ニ ュ ー ジ ー。ラ ン ド は 、 米 を 軍 事 同 盟 の 相 手 と し て 選 択 す る ( ア ン ザ ス同 盟 、 1951 年 ) 。
309 Cf.アルトゥール・コント『ヤルタ会談 世界の分割』山口俊章訳(サイマル出版会)、藤村信『ヤルタ 戦後史の起点』(岩波書店)310 Cf. 細谷雄一『戦後国際秩序とイギリス外交』(創文社)。また、細谷雄一「貴族の教養、労働者の教養」筒井清忠編著『政治的伊リーダーと文化』(千倉書房)第 10章
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外 交 政 策 の 画 期 は 1956 年 の ス エ ズ 危 機 で あ る 。 チ ャ ー チル を 継 い だ イ ー デ ン 首 相 は 、 ポ ン ド 急 落 を 支 援 し な い と いう 米 の 圧 力 で 撤 兵 し て そ の 後 退 陣 し 、 ス エ ズ 運 河 は エ ジ プト 大 統 領 ナ セ ル ( ナ ー セ ル ) に よ っ て 国 有 化 さ れ る 。 外 交上 は 敗 北 で は あ っ た ( 同 時 期 の ソ 連 に よ る 洪 侵 攻 と 異 な らな い ) が 、 こ れ で ( か え っ て ) 植 民 地 へ の 執 着 に は 踏 ん 切り が つ き ( 1960 年 は ア フ リ カ の 年 ) 、 国 防 費 は 縮 小 の 方 向に 動 い た の は 幸 運 だ っ た か も 知 れ な い 。
9.3.2 仏
9.3.2.1 仏 は 戦 勝 国 で は あ っ た 。 し か し 、 ヴ ィ シ ー 政 権 を考 え る と 、 敗 戦 国 で も あ る の だ ろ う か 。 と も あ れ 、 戦 勝 国で あ る こ と 、 自 ら ナ チ ス に 抵 抗 し た こ と 、 そ の 想 い か ら 仏の 戦 後 は 始 ま り 、 「 敗 北 」 と 「 加 担 ( 反 ユ ダ ヤ 主 義 を 含め ) 」 の 事 実 を 公 に す る の は 戦 後 数 十 年 タ ブ ー と な る 。 対独 協 力 は 全 面 的 に 強 い ら れ た も の だ っ た と は い え な か っ ただ け に 、 暗 い 過 去 で あ る 。 仏 は 戦 勝 国 で あ る と は い え 、 戦争 に は 敗 北 し 、 戦 後 構 想 で も 米 ソ か ら 爪 弾 き に さ れ た 。
戦 後 構 想 は 英 米 ソ の 三 大 国 に よ っ て 進 め ら れ 、 特 に ヤ ルタ 会 談 に 参 加 で き ず に ヤ ル タ 体 制 は ト ラ マウ と な る 。 大 戦中 に 第 3 共 和 制 が 崩 壊 し た た め 、 憲 法 制 定 が 最 初 の 仕 事 とな っ た 。 し か し 、 新 た な 第 4 共 和 制 も 議 会 権 限 が 大 き い( 行 政 権 も 有 す る ) 点 で 第 3 共 和 制 と 異 な ら な い 。 政 治 状況 も 相 変 わ ら ず で あ り 、 首 相 が 議 会 の 絶 対 過 半 数 を 得 る こと は 難 し く 、 指 導 力 豊 か な 政 治 家 ( 軍 人 ) が 登 場 し な い 限り 、 左 右 両 側 の 政 党 が 中 道 を 志 向 し な が ら 離 合 集 散 す る パタ ン は 繰 り 返 さ れ る 。 対 外 政 策 の 危 機 か ら 、 再 度 体 制 の 変更 が 図 ら れ 、 現 行 の 第 5 共 和 制 が 誕 生 す る ( 1958 年 ) 。
9.3.2.2 第 4 共 和 制 で も 内 閣 の 交 替 は 相 変 わ ら ず め ま ぐ るし い 。 1945 年 議 会 選 挙 で 、 共 産 党 ( 第 1 党 、 1947 年 5 月 に 政権 離 脱 ) 、 社 会 党 、 人 民 共 和 運 動 ( M R P 、 キ リ ス ト 教 民主 主 義 ) が 議 席 の 大 半 を 占 め る 。 50 万 人 の 党 員 を 誇 る 共 産党 が 第 1 党 に な っ た こ と で 共 産 主 義 ク ー デ タ す ら 心 配 さ れた の は 、 「 政 治 は 左 、 財 布 は 右 」 の 仏 国 人 気 質 か ら す れ ば 、あ り 得 な か っ た だ ろ う が そ れ で も こ の 心 配 は 終 戦 直 後 の、政 治 風 土 を よ く 表 し て い る 。
執 行 権 強 化 を 図 る 英 雄 ド ・ ゴ ー ル は 、 立 法 権 の 優 位 を主 張 す る 三 党 と の 対 立 で 首 相 を 辞 任 す る 。 結 局 、 左 右 両 派( ド ・ ゴ ー ル 派 フ ラ ン ス 人 民 連 合 R P F と 共 産 党 。 両 者 は 、集 会 、 祭 典 な ど の 組 織 ・ 運 動 形 態 か ら 大 衆 政 党 だ っ た 311)
311 ジャン・シャルロ『保守支配の構造』野地孝一訳(みすず書房)第3章
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を 除 く 、 中 道 勢 力 が 何 と か 政 権 を 維 持 す る 。 そ の 中 で ロ アー ル 川 の 南 北 で 見 ら れ る 経 済 格 差 は 政 治 的 支 持 と 連 動 し 、後 進 地 域 の 南 仏 は 、 反 近 代 化 、 植 民 地 維 持 で 団 結 す る 。
欧 州 政 策 ( 対 独 政 策 ) で は 、 主 導 権 を 握 っ て い た 英 外相 の ベ ヴ ィ ン に 代 わ っ て 戦 前、 に 独 中 央 党 ( カ ト リ ク 政党 ) に 所 属 し て い た シ ュ ー マ ン 外 相 が ジ ャ ン モ ネ・ ( 「 欧州 世 界 の 父 」 と 呼 ば れ る ) の 構 想 を 実 現 し て 西 欧 同 盟 実 現に 向 け た 仏 独 関 係 の 画 期 を 築 く 西 欧 の 再 建 に は 独 の 工 業。力 ( ル ー ル の 石 炭 と 鉄 鋼 ) が 不 可 欠 で あ り こ れ を 基 盤 と、し た 経 済 再 建 策 が 実 現 し て い く ( こ の 点 で も 1947 年 は 画 期だ っ た ) と は い え 、 経 済 復 興 と 安 全 保 障 と は 密 接 に 関 係。し て い た 。 仏 に と っ て の 外 交 ・ 軍 事 問 題 は ソ 連 の 脅 威 と、同 程 度 に 独 の 脅 威 を 排 除 す る こ と で あ る 。
1950 年 6 月 朝 鮮 戦 争 勃 発 の 衝 撃 が 、 と り わ け 1950 年 10 月の 中 国 参 戦 が 、 ソ 連 軍 の 西 側 侵 攻 を 連 想 さ せ た 。 1950 年 11 月ト ル ー マ ン 米 大 統 領 は 朝 鮮 半 島 で の 原 爆 の 使 用 を 「 示 唆 」し た か ら 、 第 三 次 世 界 大 戦 す ら 懸 念 さ れ た 。 「 今 日 の 朝 鮮は 明 日 の 独 」 と い う 懸 念 が 起 こ っ た 。 こ こ に 独 の 再 軍 備 と い う 不 愉 快 が 各 国 に 認 め ら れ 始 め る 契 機 が あ っ た 。 地 上 軍が 不 足 し て い た か ら で あ る そ れ で も 、。 仏 に と っ て 独 「 国、軍 」 の 復 帰 ( N A T O 方 式 ) は 受 け 入 れ が た く 苦 肉 の 策、と し て 仏 主 導 の 超 国 家 欧 州 軍 の 創 設 ( プ レ ヴ ァ ン プ ラ ン 、ジ ャ ン モ ネ が 起 草 ) を 打 ち 出 す が 、 対 米 自 立 を 目 指 す・ 欧州 防 衛 共 同 体 ( C E D ) 構 想 と 同 様 、 支 持 を 得 ら れ な い 。結 局 、 N A T O 方 式 が 事 実 上 採 用 さ れ る こ と と な り 欧 州 大、陸 で は 、 仏 独 を 中 心 と す る 経 済 復 興 と ア メ リ カ 主 導 の 安 全保 障 と い う 基 本 的 ス タ ィ ル が 完 成 し た 。
独 問 題 と 同 程 度 に 厄 介 で あ っ た の は 英 ほ ど で は な い とし て も 世 界 各 国 に 保 有 し て い た 植 民 地 の 処 理 問 題 で あ り 、植 民 地 政 策 の 失 敗 が 内 政 に 跳 ね 返 る 仏 は 植 民 地 に お け る。独 立 運 動 へ の 対 応 を し く じ り 、 撤 退 の 理 屈 と タ ィ ミ ン グ を逸 し た 。 イ ン ド シ ナ で は 、 デ ィ エ ン ・ ビ エ ン ・ フ ー ( 1954年 ) で 敗 北 し 、 ヴ ェ ト ナ ム 問 題 は 米 ソ の 代 理 戦 争 の 地 と なる に つ れ 、 処 理 は 米 に 引 き 継 が れ る 。 ま た 、 中 近 東 、 北 アフ リ カ の 海 外 植 民 地 、 と り わ け ア ル ジ ェ リ ア 問 題 ( 映 画『 ア ル ジ ェ の 戦 い 』 ( 伊 語 : La battaglia di Algeri ) ) が 体 制 の危 機 を も た し た 。 各 党 内 部 で も 植 民 地 維 持 を め ぐ っ て 主 導権 争 い が 続 く 中 で 、 ア ル ジ ェ リ ア で 英 雄 と し て 人 気 の 高 かっ た ド ・ ゴ ー ル が ア ル ジ ェ 蜂 起 を 支 持 し て 浮 上 す る 。 植 民地 主 義 者 ド ・ ゴ ー ル の 「 変 身 」 理 由 は 分 か り づ ら い が 、 軍事 費 の 確 保 が 困 難 な こ と 、 ア フ リ カ な ど で 仏 の 不 評 に 対 応し よ う と し た こ と な ど が 挙 げ ら れ る の だ ろ う 。 議 会 は ド ・ゴ ー ル 首 相 に 全 権 委 任 し 、 憲 法 改 正 が 国 民 投 票 で 承 認 さ れ る 。 1958 年 第 5 共 和 制 が 誕 生 し 、 新 し い 共 和 国 の 初 代 大 統 領 に ド ・ ゴ ー ル が 就 任 す る ( 1959 年 ~ ) 。
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◎ ヴ ェ ト ナ ム で は 、 1945 年 3 月 日 本 軍 が 仏 軍 を 武 装解 除 し 、 8 月 に ベ ト ミ ン が 蜂 起 、 パ オ ・ ダ イ が 退 位 して 、 ホ ー ・ チ ミ ン が 大 統 領 と な る 。 ヴ ェ ト ナ ム で 、 戦後 初 期 、 日 本 兵 の 残 党 が ヴ ェ ト ナ ム 側 で 、 独 国 人 兵 の残 党 が 仏 側 で 戦 っ た と さ れ る 。 友 敵 の 入 れ 替 わ り だ が 、太 平 洋 戦 争 の 一 面 を 示 し て い る 。
9.3.3 独 ( 西 独 )
9.3.3.1 1945 年 は 独 に と っ て 廃 墟 か ら 出 発 す る 「 零 年 ( Stunde Null ) 」 で あ る 。 し か し 、 こ の 言 葉 が 想 定 す る よ う に 、無 垢 な 、 物 資 が な く て も 希 望 が 抱 け る よ う な 、 一 か ら の 出発 を 意 味 す る 零 年 で は な い 312。 独 は 英 仏 米 ソ 4 カ 国 に 分割 ・ 直 接 占 領 さ れ ( 日 本 は 、 沖 縄 な ど を 除 け ば 、 米 に よ る単 独 占 領 で あ り 、 ま た 間 接 占 領 で あ っ た の で 政 府 や 議 会 は存 在 し た ) 。 英 仏 米 の 3 つ の 西 側 占 領 地 区 が 合 同 し て 1949年 に ボ ン 基 本 法 が 公 布 さ れ 、 ド イ ツ 連 邦 共 和 国 ( 西 独 ) が生 ま れ 、 再 統 一 ま で の 暫 定 国 家 と し て 独 立 が 認 め ら れ る( 憲 法 は 、 暫 定 措 置 法 と し て 「 基 本 法 」 と 呼 ば れ 、 ボ ン は暫 定 首 都 と な る ) 。
非 軍 事 化 ( 非 武 装 化 、 国 防 軍 は 1946 年 8 月 に 解 体 ) 、 民主 化 、 非 ナ チ 化 が 占 領 政 策 の 基 本 で あ る 。 西 独 に と っ て 、戦 争 責 任 が 戦 後 の 原 罪 と な っ た 。 そ の 原 罪 は 、 西 側 諸 国 と対 ソ 関 係 で 共 同 歩 調 を と れ ば 消 え 去 る わ け で は な い 。 600万人 に も 及 ん だ と い わ れ る ユ ダ ヤ 人 等 の 大 量 虐 殺 ( ホ ロ コ ース ト ) は 、 戦 争 責 任 問 題 と は 半 ば 独 立 し て 、 政 治 的 、 道 徳的 な 批 判 の 対 象 で あ り 続 け る 。 そ れ で も 、 戦 後 数 年 以 内 に 、ナ チ 党 員 の 多 く は 現 場 に 復 帰 す る 。 「 ナ チ ス が 悪 か っ た 」 、「 ナ チ ス と の 協 力 は 仕 方 な か っ た 」 と い う の が 免 罪 理 由 にな っ た だ ろ う し 、 非 ナ チ 化 教 育 の 効 果 は 充 分 で は な く 、「 ナ チ ス の 掲 げ た 目 標 は 正 し か っ た が 、 や り 方 が 間 違 っ てい た 」 と い う 議 論 さ え 多 か っ た 。 実 際 の 所 、 余 り に も 多 くの 人 間 を 裁 く こ と は 物 理 的 に 不 可 能 で あ り 、 ソ 連 と の 対 決時 代 を 迎 え 、 西 側 占 領 地 区 を 西 独 と し て 復 興 さ せ る た め に必 要 な 優 秀 な 人 材 を 確 保 す る た め に は 、 ど ん な 思 想 を も って い よ う が 、 旧 エ リ ー ト に 頼 ら ざ る を 得 な か っ た だ ろ う( 反 ナ チ ズ ム を 掲 げ る 東 独 で も 似 た よ う な 状 況 が あ っ た ) 。未 来 に 向 か っ て 歩 む に は 当 面 は ( 落 ち 着 け ば 、 振 り 返 る 余裕 が 生 ま れ る だ ろ う ) 「 忘 却 ( 集 団 の 記 憶 喪 失 ) 」 が 必 要だ と い う こ と だ っ た だ ろ う 。
◎ 独 や 墺 は 英 仏 米 ソ の 4 ヵ 国 の 占 領 地 区 に 分 け られ た 東 独 の 中 に あ る 伯 林 も 四 ヶ 国 の 占 領 地 区 と な り。 、
312 Cf.エドガール・モラン『ドイツ零年』古田幸男訳(法政大学出版局)
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東 西 に 分 断 さ れ る 。 す な わ ち 、 西 伯 林 は 東 独 の 中 に ある 「 飛 び 地 」 で あ る 。 1948 年 6 月 に は 伯 林 封 鎖 が 行 われ た が 、 ア メ リ カ な ど が 空 路 で 食 糧 な ど を 補 給 し て( 「 空 の 架 け 橋 」 と 呼 ば れ た 。 米 軍 な ど が 4 6 2 日 間に 約 2 7 万 回 の 飛 行 で 物 資 を 運 び 続 け た ) 封 鎖 は 解 除さ れ た 。 こ の 空 輸 は 、 英 外 務 大 臣 ベ ヴ ィ ン の 功 績 で あ
っ て 、 ア メ リ カ が 西 欧 を 支 え る と い う 格 好 の シ ョ とウ な っ た 。
な お 、 「 伯 林 の 壁 」 は 1961 年 8 月 に 作 ら れ 、 東 側 の人 間 が 西 側 に 移 る こ と を 防 ぐ た め に 作 ら れ た ( 1949 年か ら 1961 年 ま で に 西 独 へ 脱 出 し た 東 独 市 民 は 300万 人 弱 、人 口 の 16 % 。 し か も 、 そ の 多 く が 高 学 歴 の 専 門 職 ) 。後 年 の 東 西 両 独 の 統 一 に 際 し 、 こ の 壁 が 壊 さ れ た こ とが 東 西 冷 戦 の 終 焉 を 象 徴 す る 事 件 と も な っ た 。 尤 も 、1960 年 代 以 降 進 め ら れ て い た 「 東 方 外 交 」 の 成 果 に より 、 1980 年 代 以 降 は 人 的 交 流 が 認 め ら れ て お り 、 壁 崩壊 直 前 に も 300万 人 が 西 独 を 訪 れ て い た 。 同 じ く 分 断 され た 朝 鮮 半 島 と の 違 い は い く つ か あ る が 、 朝 鮮 半 島 では 勢 力 で の 分 断 直 後 に 冷 戦 の 代 理 戦 争 で も あ る 朝 鮮 戦争 が 生 じ た こ と が 大 き い だ ろ う 。
英 米 中 ソ の 四 ヶ 国 に 日 本 を 分 割 占 領 す る 計 画 が あ った と さ れ る 。 1945 年 6 月 ソ 連 は 、 ア メ リ カ に 北 海 道 侵攻 を 打 診 し た と さ れ る 。 も っ と も 、 当 時 の ソ 連 に は そう し た 軍 事 力 が あ っ た と も 思 え な い し 、 ア メ リ カ は 、日 本 と の 単 独 講 和 を 模 索 し て い た 。 と も あ れ 、 北 海 道と 東 北 は ソ 連 、 東 京 と 大 阪 を 除 く 関 東 ・ 中 部 ・ 関 西 ・南 西 諸 島 は 米 、 中 国 と 九 州 は 英 、 四 国 は 中 国 ( 当 時 だと 蒋 介 石 の 中 華 民 国 ) 、 東 京 は 四 ヶ 国 の 共 同 統 治 、 大阪 は 米 中 の 二 ヶ 国 の 共 同 統 治 と な る 313。 も し 分 割 さ れて い た と す れ ば 、 ど う な っ て い た だ ろ う か 。 墺 の よ うな 中 立 国 と い う 選 択 が 不 可 能 な ら ば 独 の よ う に 冷 戦、 、構 造 に 沿 っ て 北 海 道 と 東 北 か ら 成 る 東 日 本 ( 民 主 共、和 ・ 人 民 共 和 ) 国 と 残 る 地 域 の 西 日 本 国 に 分 か れ て いた だ ろ う か 事 実 上 米 の 単 独 占 領 だ っ た こ と は 幸 運 だ。っ た と い え る だ ろ う 。
9.3.3.2 第 一 次 大 戦 後 と 同 様 、 カ ト リ ク と 社 会 主 義 勢 力が 政 局 を 主 導 し た が 、 保 守 政 党 内 部 に も カ ト リ ク 系 キ リ スト 教 社 会 主 義 が 強 く 、 一 部 は 社 会 民 主 党 と の 連 携 を 模 索 し 、社 会 民 主 党 ( S P D ) で は 共 産 党 と の 共 闘 を 巡 っ て 党 内 が割 れ て い た 。 両 党 内 部 の 主 導 権 争 い で 、 そ れ ぞ れ 社 会 主 義と 一 線 を 画 す ア ー デ ナ ウ ア ー と 、 共 産 党 及 び 保 守 党 の 左 派( キ リ ス ト 教 社 会 主 義 ) と 距 離 を 置 く シ ュ ー マ ッ ハ ー と が勝 利 す る 314。 シ ュ ー マ ッ ハ ー に 限 ら ず 、 S P D に は 第 一 次大 戦 以 降 一 貫 し て 他 の 政 党 以 上 に 反 共 気 分 が 濃 厚 に あ っ た 。
313 Cf. 野島博之監修『昭和史の地図』(成美堂出版)314 アーデナウアーについては、大嶽秀夫『アデナウアーと吉田茂』(中央公論社)、兵藤守男「ア-デナウア-時代の西独政界(1)〜(4・完)」『東京都立大学法学会雑誌』(第 34巻、第 35巻、各1号、2号、1993 年、1994 年)、117~156頁、179~227頁、245~280頁、263-299頁
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第 1 回 の 連 邦 議 会 選 挙 ( 1949 年 ) で キ リ ス ト 教 民 主 同 盟( C D U ) と そ の 姉 妹 政 党 で あ る キ リ ス ト 教 社 会 同 盟 ( CS U ) の 連 合 が 僅 差 で S P D に 勝 利 し た 。 独 で は 政 治 的 危機 で は 常 套 手 段 で あ る 大 連 合 と い う 手 法 は ア ー デ ナ ウ ア、ー シ ュ ー マ ッ ハ ー 双 方 の 受 け 入 れ る 処 と は な ら ず 、 左 右、対 立 軸 は 維 持 さ れ た 第 2 回 選 挙 (。 1953 年 ) で 保 守 党 系 政 党と 自 由 民 主 党 ( F D P ) と の 連 立 政 権 の 勝 利 は 確 定 し 、1960 年 代 半 ば 過 ぎ ま で こ の 勢 力 状 況 が 続 く 。 そ れ は 独 統 一を 「 当 面 」 放 棄 し 、 西 独 ( ラ イ ン 川 中 心 ) と し て の 国 家 再建 の 優 先 を 意 味 し た 。 非 ナ チ 化 政 策 は 、 単 に 旧 ナ チ ス エ リー ト を 排 除 す る だ け で な く 、 民 主 化 政 策 と 結 び 付 い て 、 左右 両 極 の 政 党 を 「 違 憲 」 と し て 排 除 す る 。 「 自 由 の 敵 に は自 由 を 与 え な い 」 ( 基 本 法 第 21 条 「 自 由 で 民 主 的 な 基 本 秩 序 」 ) こ と が 基 本 と な り 、 政 権 安 定 の た め の 様 々 な 制 度 的工 夫 が 施 さ れ る 。 小 政 党 へ の 議 席 割 り 当 て を 排 除 す る 比 例代 表 制 の 「 5 % 条 項 」 や 、 内 閣 不 信 任 案 は 次 の 内 閣 が 議 席の 過 半 数 を 確 保 す る 保 障 が な い 限 り 無 効 と す る 「 建 設 的 不信 任 」 な ど で あ る 。
◎ ア ー デ ナ ウ ア ー ( 「 狐 」 ) と シ ュ ー マ ッ ハ ー( 「 ラ ィ オ ン 」 ) は 反 普 ( ラ イ ン 川 ) と 親 普 ( エ ル、ベ 川 ) 、 西 欧 志 向 と 再 統 一 優 先 な ど 、 様 々 な 点 で 対 照的 だ っ た 。 両 者 と も ナ チ ス に 迫 害 さ れ た が 、 前 者 は 隠居 生 活 を 、 後 者 は 獄 中 生 活 を 強 い ら れ た 。 な お 、 終 戦直 後 は 「 獄 中 カ リ ス マ 」 で あ っ た シ ュ ー マ ッ ハ ー が 西独 の 宰 相 候 補 だ と い う 観 測 が あ っ た が そ の 外 見 ( 強、制 収 容 所 生 活 で 左 足 切 断 ) や 眼 光 の 鋭 さ 、 発 言 の 過 激さ か ら 、 ヒ ト ラ ー に 比 す る 政 治 家 と し て 英 仏 な ど か、ら 警 戒 さ れ た 。
9.3.3.3 ア ー デ ナ ウ ア ー 政 権 ( 1949 ~ 1963 ) は 、 単 に 市 場 原理 を 優 先 す る 保 守 党 政 権 で は な い 。 1960 年 代 ま で に 1,000 万 人を 超 え る 難 民 の 流 入 も あ り 、 住 宅 建 設 が 進 め ら れ 、 被 災 者に 対 す る 負 担 均 等 に 関 す る 政 策 が 出 さ れ る 。 ま た 、 経 営 上の 共 同 決 定 制 度 が 拡 大 さ れ 、 世 代 間 の 連 帯 契 約 と し て 知 られ る 年 金 法 は 財 界 の 反 対 を 押 し て 可 決 さ れ た 。 こ う し て 宰相 の リ ー ダ シ プ に 基 づ く 指 導 体 制 ( 宰 相 民 主 主 義 ) が 確 立す る 。 と は い え 、 こ の 体 制 も 宰 相 に 就 任 す る 政 治 家 の 指 導ス タ ル 如 何 で あ る ( C f . 政 治 制 度 論 ) 。イ
9.3.3.4 西 独 の 国 際 社 会 復 帰 は 、 仏 を は じ め と す る 旧 敵国 と の 和 解 に 始 ま る 。 独 を 封 じ 込 め る だ け で は 欧 州 の 再 建に は な ら ず 、 し か も 冷 戦 下 で は 独 を 西 側 に 縛 り 続 け る こ とが 必 要 に な る 英 の ア ト リ ー 政 権 の 外 相 ベ ヴ ィ ン の 「 欧 州。第 三 勢 力 論 」 は 、 独 で も 中 欧 意 識 の 残 る ( 東 西 の 架 け 橋 とし て の 独 中 立 化 構 想 を 抱 く ) 政 治 家 に 評 価 さ れ た も の の 、
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冷 戦 下 で は 大 し た 支 持 が 得 ら れ な か っ た む し ろ 、 下 野 し。た チ ャ ー チ ル な ど が 唱 え た 「 欧 州 合 州 国 」 構 想 の 方 が 支 持さ れ た 。
独 が 西 欧 と 東 欧 と の 間 で 中 立 的 な 立 場 を 維 持 す る こ とは 、 冷 戦 構 造 の 中 で は 許 さ れ な か っ た 仏 な ど に と っ て は。 、ラ パ ロ ( 条 約 ) の 再 現 の 恐 怖 も あ っ た か ら で あ る 。 仏 主 導で の 独 仏 軍 創 設 ( プ レ ヴ ァ ン ・ プ ラ ン ) は 否 決 さ れ た が 、西 欧 同 盟 ( W E U 、 Western European Union < 1948 年 の ブ リ ュ ッ セル 条 約 、 1954 年 に 独 ・ 伊 加 盟 ) 、 N A T O に 加 わ る こ と で独 立 の 象 徴 と も 云 え る 本 格 的 な 独 再 軍 備 は 達 成 さ れ る こ とに な る 。 W E U は 安 全 保 障 機 関 で あ る が 、 独 の 軍 事 管 理 を目 的 と し 、 N A T O は 米 主 導 で の 対 ソ 軍 事 同 盟 を 意 味 す る 。 1954 年 一 連 の 巴 里 条 約 、 「 ド イ ツ 条 約 」 ( 1955 年 5 月 5日 ) で 「 一 応 の 」 独 立 を 確 保 し 、 再 軍 備 は 早 急 に 進 め ら れる 。 こ の よ う に し て 再 統 一 は 当 面 の 政 治 日 程 か ら 事 実 上 消え る こ と に な る 。 た だ 、 東 独 の 孤 立 を 図 っ て 独 再 統 一 を 目指 す 「 ハ ル シ ュ タ イ ン 原 則 ( 1955 年 ) 」 は そ の 後 も 形 式 的な も の に 留 ま っ た 。 同 じ 分 断 国 家 と な っ た 朝 鮮 半 島 や ヴ ェト ナ ム で の 動 向 、 と り わ け 同 士 討 ち ( 朝 鮮 戦 争 ) の 回 避 は 、そ の 後 の 併 存 ・ 共 存 維 持 の 基 準 と な っ た 。
◎ 1952 年 春 、 ソ 連 は 、 独 の 中 立 化 と 全 独 自 由 選 挙 によ る 再 統 一 提 案 の 覚 え 書 き ( ス タ ー リ ン ・ ノ ゥ ト ) を出 す 。 こ れ は 欧 州 防 衛 共 同 体 ( E D C 、 European Defense Community 、 プ レ ヴ ァ ン 首 相 に よ る 欧 州 防 衛 構 想 。 結 局は 、 仏 国 民 議 会 が 1954 年 主 権 侵 害 を 恐 れ て 否 決 し て 実現 せ ず ) を 阻 止 す る た め で あ っ た が 、 ア ー デ ナ ウ ア ーが ス タ ー リ ン の 提 案 を 拒 否 し た こ と で 再 統 一 の チ ャ ンス が 失 わ れ た と す る 研 究 も あ る 。 ス タ ー リ ン 存 命 を 考え れ ば 判 断 は 難 し い が 、 現 実 性 は 乏 し か っ た だ ろ う 。ス タ ー リ ン は 1953 年 3 月 に 死 去 し た ( ス タ ー リ ン の 病
気 を 積 極 的 に 治 そ う と い う 医 者 も 政 治 局 員 も い な か っ た が 、 一 方 で 「 そ の 死 に 、 あ れ ほ ど 多 く の 涙 が 流 さ れ た 殺 人 鬼 が 世 界 に い た ろ う か 」 ( 詩 人 ヨ シ フ ・ ブ ロ ツキ ー ) 315) 。 ま た 、 1953 年 6 月 に は 東 伯 林 で 暴 動 が あ った が 、 再 統 一 の チ ャ ン ス だ っ た と は い え な い 。 さ ら に 、自 由 選 挙 を 経 た 独 統 一 提 案 ( イ ー デ ン プ ラ ン 、・ 1954年 ) も 現 実 味 を 欠 い て い た と い え る だ ろ う 。
◎ 西 独 の 独 立 年 月 日 は 独 立 の 定 義 次 第 で あ る 。 占領 の 法 的 な 終 了 が 基 準 な ら 1955 年 の 巴 里 講 和 会 議 で ある が 、 非 常 事 態 で の 旧 連 合 国 の 介 入 ( 主 権 制 限 ) が ある と い う 意 味 で は 1968 年 の 非 常 事 態 法 制 定 時 で あ る 。な お 、 伯 林 は 法 的 に は 再 統 一 ま で 四 ヶ 国 の 共 同 統 治 にお か れ る 。 ち な み に 、 日 本 の 終 戦 は 、 本 来 ( 法 律
315 亀山郁夫『大審問官スターリン』(小学館)302頁
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上 ) 1945 年 8 月 15 日 で は な い 316。 8 月 15 日 は 本 来 玉 音 放送 の 日 で あ る 。 こ の 終 戦 記 念 日 の 設 定 は 頗 る 政 治 的 であ る 。
9.4 ~ 9.5 戦 後 体 制 ② 統 合 と 模 索 ( 1955 / 1960 ~ 1970 /1980 )
9.4 冷 戦 下 の 平 和 と 繁 栄
9.4.1 1955 / 1960 ~ 1970 / 1980 の 時 期 は 各 国 の 詳 細 を み れ ば、 、必 ず し も 無 事 に 平 時 に 復 帰 し た 時 代 だ っ た と は 云 え な い にし て も ま た 英 仏 独、 、 、 を は じ め と す る 各 国 に は 、 そ れ ぞ れ特 有 の 苦 労 や 苦 難 は あ っ た に せ よ 、 総 じ て 云 え ば 経 済 は、相 応 に 回 復 し エ リ ー ト 間 の 協 調 路 線 は 保 持 さ れ 政 党 の 左、 、右 を 問 わ ず 大 な り 小 な り、 現 代 国 家 の 特 色 で あ る 「 国 民 福祉 増 進 装 置 」 ( 近 代 国 家 は 近 代 戦 争 遂 行 装 置 ) が 共 有 さ れた 。 そ れ は 国 内 総 生 産 に 対 す る 民 政 の 政 府 支 出 が 増 大 ( 保険 、 年 金 、 医 療 、 住 宅 な ど ) す る こ と だ っ た 。 そ し て 、 戦間 期 ( 危 機 の 20 年 ) と 較 べ れ ば 仏 第、 4 共 和 制 の 「 失 敗 」や 1960 年 代 各 国 で 荒 れ 狂 う 学 生 運 動 が あ っ て も 、 議 会 政 治や 政 党 政 治 へ の 信 頼 も 比 較 的 保 持 さ れ た と い え る 。
復 興 成 功 の 最 大 の 要 因 は 、 冷 戦 下 で あ れ 、 ま た 伯 林 危機 な ど は あ っ て も 、 欧 州 に お け る 平 和 の 維 持 で あ る 。 1955年 ジ ュ ネ ー ブ 首 脳 会 議 に 象 徴 さ れ る い わ ゆ る 「 デ タ ン ト( 仏 語 : détente 、 緊 張 緩 和 ) 」 の 賜 物 だ っ た 。 も ち ろ ん 、デ タ ン ト と い っ て も 話 は 複 雑 で あ る 317。 米 ソ に と っ て は 両陣 営 間 の 、 あ る い は 国 家 間 の 緊 張 緩 和 で あ る が 、 西 欧 諸 国に と っ て は 東 西 両 陣 営 の 人 々 の 交 流 を 含 意 す る 。 ス タ ー リン の 死 ( 1953 年 ) は デ タ ン ト の 一 つ の き っ か け で あ り 、 引き 継 い だ 指 導 者 は 、 権 力 闘 争 を 経 て 勝 ち 上 が り 、 手 を 翻 した よ う に ス タ ー リ ン 批 判 を 始 め た ( 1956 年 2 月 第 2 0 回 ソヴ ィ エ ト 連 邦 共 産 党 大 会 の 「 秘 密 演 説 」 ) 。 粛 正 な ど 強 権政 治 ・ 恐 怖 政 治 の 責 任 を ス タ ー リ ン 個 人 に 押 し つ け た 。 すな わ ち 、 社 会 主 義 は 正 し く 、 レ ー ニ ン は 正 し く 、 現 在 の 指導 者 も 正 当 だ と い う 主 張 で あ る 。 し か し 、 周 辺 諸 国 は 、 スタ ー リ ン の 呪 縛 か ら 解 放 さ れ た が 、 ソ 連 か ら 解 放 さ れ る こと は な い 。 ス タ ー リ ン 批 判 の 先 頭 に あ っ た フ ル シ チ ョ フ を西 側 諸 国 は 話 が 通 じ る 人 物 と し て 歓 迎 し た 。 「 も し 自 分 がイ ギ リ ス 人 だ っ た ら 保 守 党 に 投 票 す る だ ろ う 」 318 額 面 通 り。受 け 取 れ る か ど う か は と も な く 、 対 外 的 に は 当 初 友 好 の メセ ジ と し て 受 け 取 ら れ た 。
316 Cf.佐藤卓己『八月十五日の神話』(ちくま新書)317 Cf. 斎藤嘉臣『冷戦変容とイギリス外交』(ミネルヴァ書房)318 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』下 1971-2005浅沼澄訳(みすず書房)184頁
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9.4.2 冷 戦 下 の 平 和 は 緊 張 の 緩 和 で あ っ て 、 緊 張 は 続 く 。1956 年 に は 、 ハ ン ガ リ ー で 反 ソ 動 乱 が 起 こ り 、 鎮 圧 さ れ る 。1958 年 に は 第 2 次 伯 林 危 機 ( ~ 1961 年 ) が 発 生 し 、 数 年 間 西伯 林 は 孤 立 す る ( こ れ を 契 機 に 、 伯 林 の 壁 が 作 ら れ る )1960 年 に は ソ 連 を 偵 察 飛 行 し て い た ア メ リ カ の U 2 が 撃 墜さ れ る 事 件 が 起 こ る 。 そ し て 、 何 よ り も 、 1962 年 の キ ュ ーバ 危 機 は 、 米 ソ の 直 接 対 決 一 歩 手 前 ま で 事 態 は 深 刻 化 した 319。 こ の 期 間 N A T O は 、 緊 張 緩 和 が 進 め ば 軍 事 同 盟 とし て の 存 在 意 義 を う た が わ れ る こ と は あ っ て も 、 基 本 的 には 対 ソ の 抑 止 力 と し て 機 能 し た 。
ま た 、 部 分 的 核 実 験 禁 止 条 約 ( P T B T ) 調 印 ( 1963年 ) は 、 「 米 ソ に よ る 平 和 」 の 象 徴 だ っ た と い え る 。 米 ソの 協 調 は 、 い わ ば 勢 力 の 棲 み 分 け の 相 互 承 認 で も あ っ た1968 年 政 治 ・ 経 済 改 革 を め ざ す 「 プ ラ ハ の 春 」 が W T O 軍に よ っ て 鎮 圧 さ れ た こ と は 、 ソ 連 が 戦 後 作 ら れ た 米 ソ 間 の勢 力 図 を 死 守 す る 意 思 を 示 し た ( ブ レ ジ ネ フ ・ ド ク ト リン ) 。 ソ 連 に と っ て 、 冷 戦 は 東 側 諸 国 の ナ シ ョ ナ リ ズ ム を抑 え る 絶 好 の 口 実 で あ り 、 過 度 の 緊 張 緩 和 は 冷 戦 構 造 が もた ら し た 棲 み 分 け を 破 壊 す る も の だ っ た か ら で あ る 。
9.4.3 こ う し た 国 際 政 治 の 下 で 、 欧 州 統 合 は ゆ っ く りと 進 む 。 英 仏 独 と い う 大 陸 に 囲 ま れ た ベ ネ ル ク ス 三 国 は、 、関 税 同 盟 を 結 び ( 1947 年 ) 、 こ れ が 欧 州 統 合 の 種 と な る 。石 炭 と 鉄 鉱 の 「 共 同 管 理 」 ( 独 の 資 源 を 独 だ け の 管 理 に 委ね な い ) を 目 指 す シ ュ ー マ ン ・ プ ラ ン が 発 表 さ れ ( 1950年 ) 、 巴 里 条 約 ( E C S C 設 立 条 約 ) が 締 結 さ れ て ( 1951年 ) 、 欧 州 石 炭 鉄 鋼 共 同 体 ( E C S C ) が 設 置 さ れ る( 1952 年 ) 。
当 初 欧 州 統 合 論 を リ ー ド し て い た ベ ヴ ィ ン 外 相 率 い る英 を 排 除 し ( ベ ヴ ィ ン の 方 も 、 米 や 英 連 邦 と の 特 殊 な 関 係へ の 配 慮 と 同 時 に 、 超 国 家 的 機 関 に 取 り 込 ま れ る こ と を 拒否 し ) 、 仏 独 に ベ ネ ル ク ス 三 国 と 伊 を 加 え た 六 ヶ 国・ の 経 済協 力 体 制 ( 小 欧 州 → 地 図 ) の 整 備 で あ る ( こ の 6 ヵ 国 が 古の フ ラ ン ク 王 国 に 対 応 す る と 指 摘 す る 学 者 も い る ) 。 第 二次 大 戦 終 結 数 年 後 に 、 仏 独 な ど か つ て の 敵 同 士 が 手 を 結 ぶ背 景 に は 冷 戦 の 影 響 が あ り 、 独 の 封 じ 込 め が あ り 、 欧 州 の再 建 が あ る 。 そ し て 何 よ り も 仏 の モ ネ シ ュ ー マ ン、 、 外 相 、西 独 の ア ー デ ナ ウ ア ー 連 邦 宰 相 、 伊 の デ ・ ガ ス ペ リ 首 相 、
319 キューバ危機については、ティム・ロリンズ『13デイズ』富永和子訳(角川文庫)、映画では『 Thirteen Days 』を参照。ジョン・F・ケネディらのリーダシプ、軍隊も官僚制度であること、軍人の拘りなどがよくわかるとともに、危機への対処に当たって、『八月の砲声』、ヒトラーに対する宥和政策(ミュンヘン会談)、真珠湾攻撃、ビックス湾事件(1961 年カストロ政権の転覆を図ったが、失敗)などが引証されていることから、「歴史の教訓」(Cf. E.R.メイ『歴史の教訓』新藤栄一訳(岩波書店)が重視・引照されていることが窺い知れる。もちろん、教訓の学習成果がプラスの方向に働くとは限らない。
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白 の ス パ ー ク 外 相 な ど 国 境 を 越 え た 連 帯 が あ っ た ( キ リ スト 教 民 主 党 の 指 導 者 が 多 か っ た 点 も 特 色 で あ る ) 320。 そ して 、 ロ ー マ 条 約 ( E E C 、 E U R A T O M 設 立 条 約 ) が 調印 さ れ ( 1957 年 ) 321、 機 関 併 合 条 約 ( E C 設 立 条 約 ) の 締 結( 1965 年 ) 後 、 1967 年 欧 州 共 同 体 ( E C ) が 設 置 さ れ 、 E C委 員 会 、 E C 理 事 会 に 一 本 化 さ れ て ( 1967 年 ) 、 関 税 同 盟が 完 成 す る ( 1968 年 ) 。
こ の 共 同 体 構 想 に 英 が 入 ら な い ( 入 れ な い ) 理 由 は 英と 大 陸 諸 国 の 両 側 に あ っ た 。 英 の 世 界 戦 略 は 、 英 米 の 提 携 、 英 連 邦 の 団 結 、 大 陸 と の 連 携 の 三 本 柱 で あ り 、 欧 州 共 同 体が 超 国 家 的 権 限 を 獲 得 す る た び に 主 権 侵 害 を 恐 れ た 。 ま た 、何 よ り も ド ・ ゴ ー ル ( 1958 年 第 5 共 和 制 初 代 大 統 領 。 12 年ぶ り の 復 帰 ) が 、 大 戦 中 も 恨 み も あ っ だ の だ ろ う 、 英 を「 米 の ト ロ イ の 馬 」 と し て 、 そ の 参 加 を 拒 否 し た ( 1963年 ) 。 英 米 の 関 係 は 同 じ 英 語 を 国 語 と す る 単 な る 相 思 相 愛で は 決 し て い な い が 歴 代 の 英 駐 米 大 使 が 外 務 大 臣 級 扱 い、だ っ た こ と は 、 英 米 の 連 携 の 強 さ 、 す な わ ち 、 英 語 を 話 す国 ( ア ン グ ロ ・ サ ク ソ ン ) の 連 携 を 物 語 っ て い る よ う に 見え た の だ ろ う 322。 英 の 加 盟 は ド ・ ゴ ー ル 失 脚 ( 1968 年 ) 後 の1973 年 で あ る 。
◎ 欧 州 合 州 国 構 想 は 19 世 紀 か ら あ る 。 レ ー ニ ン にも 「 欧 州 合 衆 国 の ス ロ ー ガ ン に つ い て 」 と い う 同 種 の論 文 が あ る 323 戦 後 は チ ャ ー チ ル が 提 唱 し (。 1946 年 9月 ) 好 評 を 博 し た こ と が 知 ら れ て い る ( も ち ろ ん 、 終戦 1 年 ほ ど の 時 点 で 、 欧 州 が 同 じ 家 族 と し て 復 興 す るた め に は 、 仏 と 独 と の 友 好 関 係 が 重 要 で あ る と い う 発言 に 憤 慨 し た 仏 国 人 な ど は 多 か っ た ) が 、 欧 州 没 落 の憂 慮 が 強 く 、 そ の 時 点 で ど れ ほ ど 統 合 に 「 本 気 」 だ った か は わ か ら な い 。 統 合 が 主 権 放 棄 を 意 味 す る な ら 、即 時 撤 回 だ っ た だ ろ う 。
9.5 主 要 国 の 情 勢
320 人物を通したヨーロッパ統合については、Cf. 金丸輝男編『ヨーロッパ統合の政治史』(有斐閣)321 庄司克宏『欧州連合』(岩波新書、2007 年)4頁によると、1957 年ローマ条約調印時、六カ国は条約文が白紙のままで調印したという。伊の印刷所が印刷起源を守らず 表紙と署名のペ、 ィジのみだったからである。322 英米関係は分かりづらい所がある。エリザベスⅡ世は、米初代大統領ワシントンの親戚に当たるという(Cf.君塚直隆『女王陛下の外交戦略』(講談社)55頁以下)。アメリカの上級階級のスノッビズムをくすぐる逸話だろう。そういえば、チャーチル英首相の母親も米国人である。なお、20 代即位したエリザベス2世は、2015 年9月9日で、在位 63 年 216日となり、英国君主として最長となる(同様に 20 代で即位した昭和天皇よりも長いが、昭和天皇の場合には5年程の摂政の期間がある)。323 ヨーロッパ統合に関連する資料としては、遠藤乾編『原典 ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会)が便利である。
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9.5.1 英
9.5.1.1 英 の 政 党 制 で は 、 保 守 党 と 労 働 党 が 主 導 権 争 い を続 け る 。 と は い え 、 両 党 の 内 政 や 外 交 が き れ い に 対 立 し てい た わ け で は な い 。 む し ろ 、 両 党 の 政 策 差 は 縮 ま り ( 保 守党 も 福 祉 国 家 を 受 け 入 れ る 。 た だ 、 国 家 に 人 生 ・ 生 活 を 依存 す る 体 制 は 、 nanny state と 揶 揄 さ れ る ) 、 保 守 党 ・ 労 働 党 の政 権 交 代 が 続 く 中 で 個 々 の 首 相 ・ 大 臣 の 意 向 の 差 の 方 が、大 き く な る 。 こ の 両 党 の 収 斂 傾 向 は 、 1979 年 選 挙 ( サ ッ チ ャ ー 政 権 の 誕 生 ) を 境 に 大 き く 変 化 す る 。
こ の 時 期 の 政 権 を 見 る と 、 マ ク ミ ラ ン 1957 ~ 1963 ( 保 守党 ) 、 ヒ ュ ー ム 1963 ~ 1964 ( 保 守 党 ) 、 ウ ィ ル ソ ン 1964 ~1970 ( 労 働 党 ) 、 ヒ ー ス 1970 ~ 1974 ( 保 守 党 ) 、 ウ ィ ル ソ ン1974 ~ 1976 ( 労 働 党 ) 、 キ ャ ラ ハ ン 1976 ~ 1979 ( 労 働 党 ) で あっ て 、 こ の 時 期 も 保 守 党 と 労 働 党 の 政 権 期 間 の 格 差 も 大 きく は な く 、 二 大 政 治 勢 力 に よ る 政 権 獲 得 ゲ ィ ム と 云 え る 。
9.5.1.2 政 府 と 労 組 と の 駆 け 引 き は 続 き 、 保 守 党 政 権 が 自由 主 義 経 済 を 唱 え て も 、 主 要 産 業 ( ロ ー ル ス ・ ロ イ ス など ) の 国 有 化 ( 計 画 経 済 ) を 導 入 し て 産 業 保 護 に 着 手 す る( ヒ ー ス 政 権 ) 。 産 業 関 係 法 ( 1971 年 ) に よ る 政 府 の 強 硬路 線 も 実 際 に は 労 組 の 賃 上 げ 要 求 へ の 妥 協 で あ り 、 直 後 の石 油 シ ョ ッ ク ( 1973 年 ) に 経 済 は 再 び 危 機 を 迎 え る 。 第 二次 ウ ィ ル ソ ン 労 働 党 内 閣 ( 1974 年 ) は 労 働 組 合 に 節 度 あ る行 動 を 求 め る が 、 事 態 は 好 転 し な い 324。 一 方 で 、 北 愛 蘭 問題 は 解 決 せ ず 内 乱 状 況 が 続 く、 ( 1970 年 代 前 半 の 統 計 で は 、毎 年 200 人 以 上 が テ ロ な ど で 死 亡 ) 。 1972 年 に 地 方 議 会 は 停止 さ れ 、 中 央 政 府 の 「 直 轄 地 」 と な る 。 社 会 福 祉 国 家 は 、保 守 ・ 労 働 両 党 の 基 本 了 解 事 項 だ っ た は ず だ が 、 財 政 難 から こ の 基 本 合 意 は 崩 れ 始 め 、 キ ャ ラ ハ ン 労 働 党 内 閣 も 公 共事 業 を 抑 制 し ( マ ネ タ リ ズ ム の 導 入 ) 、 イ ン フ レ 進 行 、 失業 者 増 大 と な る 。 世 上 で 「 イ ギ リ ス 病 」 が 謳 わ れ る 中 で1975 年 保 守 党 党 首 に 選 ば れ て い た サ ッ チ ャ ー が 1979 年 選 挙 で勝 利 す る 。
9.5.1.3 こ の 時 期 保 守 党 ・ 労 働 党 と も 概 ね E E C 加 盟 に は消 極 的 で あ り ( E E C と は 、 一 言 で 言 え ば 、 独 の 金 で 仏 が 政 策 を 進 め る シ ス テ ム だ っ た ) 、 対 抗 策 と し て E F T A( 欧 州 自 由 貿 易 連 合 ) を 設 立 す る が 事 実 上 無 効 に 留 ま る、 。ウ ィ ル ソ ン 内 閣 ( 1964 年 ) 以 降 、 E E C 加 盟 打 診 が 続 く が 、ド ・ ゴ ー ル の 拒 否 に 逢 い 、 頼 み と す る 西 独 政 府 ( エ ア ハ ルト 政 権 、 1963-1966年 ) も そ の 前 の ア ー デ ナ ウ ア ー 政 権 ( 1949-1963年 ) ほ ど は 仏 寄 り で は な か っ た に せ よ 、 仏 独 関 係 を 優 先 す
324 このあたりは、Cf.河合秀和『政党と階級』(東京大学出版会)
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る 。 ド ・ ゴ ー ル 退 陣 後 、 大 陸 志 向 の 強 か っ た ヒ ー ス 首 相 の主 導 で E C 加 盟 ( 1967 年 か ら E C に 統 合 ) は 3 度 目 に し てよ う や く 達 成 さ れ る ( 1973 年 ) が 、 労 働 党 政 権 内 部 の 加 盟反 対 に 、 特 に 信 託 型 の エ リ ー ト 支 配 で 政 治 運 営 を 行 っ て きた 英 と し て は 珍 し く 、 国 民 投 票 と い う 例 外 的 な 手 法 を 採 用し て 、 何 と か 加 盟 を 達 成 し た 。
9.5.2 仏 ( 第 5 共 和 制 )
9.5.2.1 戦 後 仏 で は 、 植 民 地 問 題 が 政 治 あ る い は 政 権安 定 の 大 き な 鍵 を 握 っ た 。 大 戦 後 の 植 民 地 独 立 運 動 に 対 する た め に 、 国 家 予 算 は 他 国 に 較 べ れ ば 、 軍 事 中 心 に 編 成 され 、 そ の 分 、 失 業 や イ ン フ レ 対 策 が 遅 れ た と 言 え る か ら であ る 。 仏 は 、 北 ア フ リ カ 、 中 近 東 、 東 南 ア ジ ア な ど に 多 くの 植 民 地 を 保 持 し て い た 。 そ し て 、 大 戦 直 後 は 、 独 立 運 動を 弾 圧 し た と い う 印 象 が 濃 厚 に 残 る 。 地 域 に よ っ て 多 少 数字 は 異 な る が 、 ア ル ジ ェ リ ア 、 シ リ ア ・ レ バ ノ ン 、 マ ダ ガス カ ル な ど で 、 数 千 か ら 数 万 人 、 数 十 万 人 の 原 住 民 が 殺 害さ れ て お り 、 犠 牲 者 の 数 が 多 す ぎ る か ら で あ る 。
9.5.2.2 1950 年 代 前 半 の 仏 は 、 独 問 題 ( 独 の 再 軍 備 問 題 ) 、 欧州 の 安 全 保 障 問 題 ( E D C と N A T O ) と ヴ ェ ト ナ ム 問 題 問 題 、 北 ア フ リ カ 問 題 ( ア ル ジ ェ リ ア 問 題 と ス エ ズ 問 題 )を 抱 え て お り 、 し か も 独 自 に 解 決 能 力 を 有 し て い な か っ たた め 、 米 や 英 の 動 向 に 大 き く 左 右 さ れ て い た 。 仏 国 民 が 植民 地 独 立 に 対 し て ど の よ う な 立 場 を 維 持 し た の か は 判 断 が難 し い 。 も ち ろ ん 、 利 害 関 係 は あ り 、 他 国 と 同 様 、 the white man’s burden ( 白 人 の 責 務 ) と い う 「 身 勝 手 な 」 使 命 感 は 生き て い た 。 そ れ で も 、 プ ジ ャ ー ド 運 動 ( 1953 ~ 1956 ) に 見 られ る よ う に 、 南 仏 の 貧 し い 農 民 は 植 民 地 維 持 の 方 向 で そ の支 持 が 組 織 化 さ れ た こ と は 事 実 で あ る 。 ヴ ェ ト ナ ム か ら 手を 引 く こ と で ( 1954 年 7 月 イ ン ド シ ナ 停 戦 協 定 = ジ ュ ネ ーブ 協 定 ) 、 関 心 は 一 層 ア ル ジ ェ リ ア に 向 け ら れ た と も い える 。
植 民 地 改 革 は 植 民 地 独 立 ( 仏 か ら 見 れ ば 、 植 民 地 喪失 ) に つ な が り 、 マ ン デ ス = フ ラ ン ス 内 閣 ( ミ ッ テ ラ ン 内相 ) は ア ル ジ ェ リ ア を 死 守 し よ う と す る 。 こ こ に 、 北 ア フリ カ の 植 民 地 に お け る ア ル ジ ェ リ ア の 特 殊 性 が あ る 。 チ ュニ ジ ア ・ モ ロ ッ コ な ど で は 、 独 立 を 承 認 す る と い う 妥 協 方針 が と ら れ た ( も ち ろ ん 、 駐 軍 す る 権 利 は 保 留 さ れ た ) のに 対 し 、 ア ル ジ ェ リ ア の 独 立 運 動 は 弾 圧 す る 方 針 が と ら れた か ら で あ る 。 こ の ア ル ジ ェ リ ア の 特 殊 な 地 位 に つ い て は 、第 5 共 和 制 に お い て も 、 イ ン ド シ ナ 、 モ ロ ッ コ 、 チ ュ ニ ジア は フ ラ ン ス 共 同 体 に 所 属 す る の に 対 し 、 ア ル ジ ェ リ ア は「 不 可 分 な フ ラ ン ス 共 和 国 」 と し て 共 同 体 の 対 象 外 と し て
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位 置 づ け ら れ た こ と に も 現 れ て い る 。 ス エ ズ 戦 争 で 1957 年5 月 モ レ が 辞 職 し 、 1958 年 5 月 フ リ ム ラ ン 内 閣 。 ド ・ ゴ ール は 政 権 を 要 求 し 、 新 憲 法 を 作 っ て 解 決 を 図 る 。 人 口 の10 % を し め て い た コ ロ ン ( 植 民 地 人 ) の 反 対 も あ っ た が 、ド ・ ゴ ー ル は 、 民 族 自 決 権 が 承 認 さ れ 、 独 立 を 認 め る こ とに な る ( 但 し 、 駐 軍 す る 権 利 は 保 留 さ れ た ) 。
9.5.2.3 第 5 共 和 制 の 初 代 大 統 領 に は 、 し ば ら く 政 局 か ら離 れ て い た ド ・ ゴ ー ル が 就 任 し 、 そ の 五 月 革 命 ( 1968 年 )で の 退 場 ま で が 一 応 の 区 切 り で あ る ( 1962 年 に は 大 統 領 が国 民 の 直 接 選 挙 で 選 ば れ る こ と に な っ た ) 。 第 5 共 和 制 の誕 生 は 植 民 地 問 題 が き っ か け で は あ る が 、 直 接 に は 第3 ・ 第 4 共 和 制 で の 政 治 運 営 の 「 失 敗 」 を 反 省 し た 成 果で あ る 。
両 共 和 制 の 失 敗 原 因 は い く つ か あ る が 、 と も に 議 会 優位 と 議 会 内 の 多 数 派 形 成 が 難 し い た め に 、 内 閣 の 平 均 寿 命が 半 年 前 後 で 、 有 効 な 政 府 を 形 成 で き ず ( 一 方 で 行 政 = 官僚 制 は 安 定 ) 、 1950 年 代 に は 、 経 済 ・ 財 政 危 機 、 植 民 地問 題 の 処 理 失 敗 、 E E C 共 同 市 場 問 題 な ど に よ る 政 治 的 混 乱 が あ り 、 強 力 な 行 政 府 ( リ ー ダ ) が 求 め ら れ た こ とで あ る 。
第 5 共 和 制 は 、 第 2 次 世 界 大 戦 の 「 英 雄 」 で 、 戦 後 も政 界 の 中 心 人 物 と な っ た ド ・ ゴ ー ル ( 自 称 「 私 が 真 の フ ラン ス で あ る 」 ) に 構 想 を 委 ね て 作 成 さ れ た 。 従 っ て 、 体 制の 中 心 で あ る 大 統 領 の 役 割 に は 、 ド ・ ゴ ー ル や 起 草 者 ( ドブ レ ) の 意 向 325 が 大 き く 働 い て い る 。
第 5 共 和 制 は 、 執 行 権 の 優 越 を 特 色 と す る 。 大 統 領 は「 共 和 制 的 専 制 君 主 」 と な る が 、 実 際 に は 大 統 領 の パ ー ソナ リ テ ィ 如 何 で あ り 、 現 実 の 政 治 運 営 は 国 民 議 会 に 依 拠 する 体 制 と な り 、 米 の 大 統 領 制 よ り は 、 英 や 独 な ど の 議 院 内閣 制 に 次 第 に 類 似 す る ( 半 大 統 領 制 と 呼 ば れ る 。 C f . 特殊 講 義 「 政 治 制 度 論 」 ) 。 経 済 復 興 に は 経 済 の 近 代 化 が 必要 で あ り 、 植 民 地 の 放 棄 は 政 治 経 済 軍 事 コ ス ト か ら の 解 放を 意 味 す る 。 政 局 は 、 ド ・ ゴ ー ル 対 反 ド ・ ゴ ー ル の 様 相 を呈 し 、 工 業 、 農 業 部 門 と も 高 度 経 済 成 長 を 遂 げ る に つ れ 、ロ ア ー ル 川 南 部 は ま す ま す 劣 等 の 地 位 に 置 か れ る 。
ド ・ ゴ ー ル は ヤ ル タ 会 議 ( 体 制 ) で 排 除 さ れ た こ と への リ ベ ン ジ も あ り 、 巴 里 = ボ ン 枢 軸 を 確 立 ( 1963 年 の 仏 独友 好 条 約 、 ア ー デ ナ ウ ア ー 西 独 宰 相 と の 連 携 ) す る と と もに 、 米 主 導 の 西 側 安 全 保 障 体 制 か ら 離 脱 し 始 め る 。 核 を 保
325 もっとも、ド・ゴールとドブレでは、大統領のイメージが多少異なっている。ドブレの場合は、大統領を日常的な統治者とは考えず、共和制大統領の名称をもつハノーバー朝君主であり、オルレアン型議会制の君主(デュヴェルジェ)(櫻井陽二『フランス政治体制論』(芦書房)第8章)というのは正しいし、その後も展開もドブレの思惑通りに機能し、フランス政治に安定をもたらしたように思える。第5共和制などフランス政治制度については、Cf.特殊講義「政治制度論」
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有 し ( 1960 年 ) 、 N A T O 軍 か ら の 離 脱 を 通 告 し ( 1963 年 、離 脱 は 1966 年 だ が 、 事 務 レ ベ ル で は 参 加 を 継 続 ) 、 ソ 連 と距 離 を 置 き 始 め た 中 国 を 承 認 し ( 1964 年 ) 、 一 方 で 仏 ソ 和解 を 目 指 し た 通 商 協 定 を 締 結 ( 1964 年 ) す る 。 ソ 連 ( ロ シア ) も 欧 州 だ と い う リ ッ プ ・ サ ー ヴ ィ ス も あ っ た だ ろ う 。い ず れ も 米 ソ 二 極 構 造 へ の 反 発 で あ っ た が 、 特 に 周 辺 諸 国に は 対 米 自 立 路 線 に 映 っ た 。
こ う し た 中 で 、 仏 で は い わ ば 政 治 的 伝 統 と も い え る が 、権 力 者 へ の 反 発 を 掲 げ る 左 翼 勢 力 の 反 ド ・ ゴ ー ル 運 動 が 学生 の 既 存 体 制 へ の 反 発 な ど と 連 動 し て 活 発 化 す る 。 1968 年 「 五 月 危 機 ( ソ ル ボ ン ヌ の 赤 い 夜 ) 」 ( 五 月 革 命 と い う 人も い る が 、 半 分 以 上 は お 祭 り 気 分 だ っ た だ ろ う ) で あ る 。労 働 組 合 ( C G T 、 C F D T ) が ゼ ネ ス ト ( 800万 人 ) を 行い 、 100万 人 が デ モ 行 進 し ( 巴 里 コ ミ ュ ー ン の 再 現 気 分 だ った だ ろ う ) 、 フ ラ ン は 海 外 流 出 し 始 め る 。 警 察 は 武 力 行 使に よ り 鎮 圧 を 図 ろ う と し た 。 と こ ろ が 、 こ の 国 家 存 亡 の 時 、ド ・ ゴ ー ル は 、 ル イ 16 世 の 「 ヴ ァ レ ン ヌ 逃 亡 事 件 」 を 思 わせ る よ う な 失 踪 状 態 に あ っ た 326。 巴 里 に 戻 っ た ド ・ ゴ ー ルは 国 民 投 票 に よ る 解 決 を 目 指 す が 、 腹 心 の ポ ン ピ ド ー 首 相の 反 対 も あ り 、 結 局 は 総 選 挙 と な り ( 国 民 投 票 な ら ド ・ ゴー ル の 敗 北 、 総 選 挙 な ら ポ ン ピ ド ー の 敗 北 と 解 釈 さ れ る ) 、議 会 運 営 と 経 済 の 近 代 化 を 目 指 す ポ ン ピ ド ー が そ の 後 継 者と な る ( 1969 年 ) 。
9.5.3 独 ( 西 独 )
9.5.3.1 ア ー デ ナ ウ ア ー 政 権 は 1963 年 ま で 続 く 。 自 由 民 主党 の 支 持 を 受 け て 、 キ リ ス ト 教 民 主 同 盟 ・ キ リ ス ト 教 社 会同 盟 ( C D U / C S U ) が 第 1 党 で あ る 時 期 は こ の 後 も しば ら く 続 く が 、 最 大 野 党 社 会 民 主 党 ( S P D ) は 1950 年 代か ら 戦 略 に 変 化 を 示 し 始 め た 。 世 界 を 驚 か せ た の は 、 S PD が そ れ ま で 党 是 で あ っ た マ ル ク ス 主 義 の 公 式 な 放 棄 を ゴー デ ス ベ ル ク 綱 領 ( 1959 年 ) で 宣 言 し た こ と だ っ た 327。 西 側社 会 主 義 政 党 を 代 表 す る S P D の 「 方 針 変 更 」 は 主 要 先 進国 の 社 会 主 義 運 動 、 あ る い は 左 翼 系 知 識 人 に 大 き な 影 響 を及 ぼ し た 。
326 渡邊啓貴『フランス現代史』(中公新書)第3章327 日本でも社会党の路線改革との関連で注目されたSPDの路線改革(ゴーデスベルク綱領)の事情については、ヴォルフガング・アーベントロート『ドイツ社会民主党小史』広田史朗、山口和男訳(ミネルヴァ書房)よりは、S.ミラー『戦後ドイツ社会民主党史』河野裕康訳(ありえす書房)が教科書だろう。戦後のSPDの舵取り・路線変更で重要な役割を果たしたヴェーナーについては、伊藤光彦『謀略の伝記 政治家ヴェーナーの肖像』(中公新書)が面白い。また、Cf.ハンス・カール・ルップ『現代ドイツ政治史』深谷満雄訳(有斐閣選書)、平島健司『ドイツ現代政治』(東京大学出版会)、兵藤守男「ドイツ社会民主党と路線改革」『東京都立大学法学会雑誌』(第 29巻1号、1988 年)223~264頁
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◎ S P D な ど の イ デ オ ロ ギ 政 党 は 、 指 導 者 の交 替 な ど で は な く 、 綱 領 の 作 成 で そ の 路 線 改 革 を 明示 す る 。 従 っ て 、 党 大 会 が 開 か れ 、 綱 領 の 言 葉 遣 いを め ぐ る 議 論 が 、 侃 々 諤 々 と い う よ り は 喧 々 囂 々 と続 く 。 一 般 国 民 に も 、 さ ら に は 政 党 の 支 持 者 や 一 般党 員 に と っ て も 、 そ う し た 議 論 が 理 解 さ れ る と は 到底 思 え な い が 、 指 導 者 達 は 文 言 闘 争 に 熱 中 す る 。 なお 、 日 本 の よ う に 、 一 般 国 民 の 党 員 率 が 低 い 国 で は理 解 さ れ づ ら い だ ろ う が 、 独 を は じ め と す る 国 で は 、国 民 に お け る 政 党 所 属 の 割 合 は 相 当 高 か っ た 。
9.5.3.2 西 独 の 経 済 復 興 に は め ざ ま し く ( 奇 蹟 の 復 興 ) 、英 、 仏 を 抜 い て 1968 年 に 日 本 に 抜 か れ る ま で 西 側 第 2 位 の経 済 大 国 と な っ た 。 そ の 一 方 で 、 ア ー デ ナ ウ ア ー の 退 陣( 1963 年 ) 後 、 若 者 の 反 乱 や 不 況 に よ る 国 内 の 混 乱 に 対 応す る た め に 、 二 大 政 治 勢 力 に よ る 連 立 政 権 ( 大 連 立 ) と いう 常 套 の 「 非 常 手 段 」 が 採 ら れ る ( 1966 年 ) 。 両 党 の 議 席占 有 率 を 併 せ る と 、 90% を 占 め る こ と か ら 、 議 会 政 治 の 死亡 宣 告 だ と の 批 判 も あ っ た が 、 こ の 政 権 で 、 懸 案 の 政 党 法 、非 常 事 態 法 な ど が 採 決 さ れ 、 経 済 運 営 も 労 使 協 調 行 動 ( ネオ ・ コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム ) で 乗 り 切 ろ う と す る 。 そ の 中 で 従来 の 与 党 自 由 民 主 党 ( F D P ) で も 変 化 が 起 こ り 、 党 内 で左 派 が 勝 利 し て 、 1950 年 代 後 半 よ り 路 線 改 革 を 進 め て い た SP D に 接 近 し た 。 そ の 結 果 、 1969 年 の 選 挙 で 、 ブ ラ ン ト 政 権( S P D + F D P ) 政 権 が 誕 生 し 、 長 ら く 第 一 党 で あ っ たキ リ ス ト 教 民 主 同 盟 ・ 社 会 同 盟 ( C D U / C S U ) は 下 野す る こ と に な る 。
9.9.3 東 西 両 独 の 分 裂 を 前 提 に す れ ば 、 西 側 陣 営 に属 す る 西 独 の 外 交 政 策 の 選 択 肢 は 必 ず し も 広 く は な か っ た 。二 大 政 治 勢 力 ( C D U / C S U と S P D ) と の 間 の 外 交 政策 の 違 い も 、 野 党 S P D が 与 党 の 外 交 政 策 を 承 認 す る こ とに よ っ て 縮 ま っ て い た ( 1960 年 ) 。 し か し 、 西 側 陣 営 へ の帰 属 を 明 確 に し て も 、 米 と 仏 ( あ る い は 欧 州 大 陸 ) の い ず れ を 優 先 す る の か は 外 交 路 線 の 選 択 基 準 と な り 、 与 党 、 野党 そ れ ぞ れ の 内 部 で も 分 裂 す る 。 対 米 関 係 重 視 派 ( 大 西 洋派 ) と 対 仏 関 係 重 視 派 ( ゴ ー リ ス ト = ド ・ ゴ ー ル 派 ) と の 対 立 関 係 は 、 ド ・ ゴ ー ル の 大 統 領 就 任 ( 1958 年 ) 以 降 、 次第 に 明 確 に な り 、 ア ー デ ナ ウ ア ー も こ の 路 線 に 沿 う 総 じ。て 言 え ば 独 は 仏 寄 り を 基 本 と し な が ら ( 欧 州 統 合 の 優、先 ) 、 そ の 上 で 、 米 仏 い ず れ に も 偏 ら な い 方 針 を 維 持 し 続け た 。 そ れ は 次 第 に 党 派 を 超 え た 合 意 と な り 、 こ の 対 米 対仏 関 係 維 持 を 前 提 に 、 「 東 方 外 交 」 が 築 か れ 始 め る 。 東 方外 交 と は 、 独 の 再 統 一 を は る か 遠 く に 睨 み な が ら ソ 連 を、含 む 東 側 諸 国 と の 非 軍 事 交 流 を 進 め よ う と す る 戦 略 で あ り 、ブ ラ ン ト 政 権 ( S P D ) で そ の 方 針 は 一 層 明 確 に な る 。
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◎ ブ ラ ン ト 政 権 の 過 剰 と も い え る 人 気 の 理 由 に は分 か り づ ら い 部 分 も あ る 。 確 か に 東 方 外 交 に お い て、 、独 が 第 二 次 大 戦 で 行 っ た 蛮 行 を 認 め る パ フ ォ ー マ ン ス( ワ ル シ ャ ワ ・ ゲ ッ ト ー の 蜂 起 記 念 碑 の 前 で ひ ざ ま ずく ) を 行 っ た こ と は 画 期 的 だ っ た ( 仏 で は 、 シ ラ ク が大 統 領 に 就 任 後 、 初 め て 仏 の 「 共 犯 」 を 認 め た 328) 。独 の 民 主 化 と は ア ウ シ ュ ヴ ィ ッ ツ を 認 め る こ と だ っ た( 欧 州 中 で 、 戦 中 に ユ ダ ヤ 人 逮 捕 や ユ ダ ヤ 人 の 財 産 没収 に 協 力 す る 者 が 少 な く な か っ た だ け で な く 、 生 き 残っ た ユ ダ ヤ 人 が 帰 国 し た 戦 後 も 反 ユ ダ ヤ 主 義 は 続 き 、ま た 独 で は ヒ ト ラ ー を 政 治 家 と し て 評 価 す る 声 は し ばら く 小 さ く は な か っ た ) 。 ま た 、 ブ ラ ン ト 政 権 は 、「 権 力 ( Macht ) 」 と 「 精 神 ( Geist ) 」 と が 初 め て 融合 し た 政 権 だ と い う 、 誠 に 独 ら し い ( 観 念 的 な ) 好 評価 も あ っ た 。 『 マ リ ア ・ ブ ラ ウ ン の 結 婚 』 ( 独 語 : Die Ehe der Maria Braun ) は 、 戦 後 西 独 の 再 建 の 様 子 と ブ ラ ント へ の 好 意 的 評 価 ( エ ン デ ィ ン グ で 歴 代 宰 相 の 告 発 )が わ か る 映 画 で あ る 。
10 新 し い 政 治 ( 1970 / 1980 ~ )
10.1 ~ 10.5 新 し い 政 治 ① : ポ ス ト 産 業 社 会 ( 1970 / 1980 ~1989 / 1991 )
10.1 「 静 か な る 革 命 」
10.1.1 何 時 の 頃 か ら か 、 人 々 の 価 値 観 に こ れ ま で に な い 変 化 が 見 ら れ 始 め 、 社 会 の 風 景 と 政 治 の 景 色 が 変 わ り 始 め た 。 ( 戦 前 ・ ) 戦 後 の 政 治 を 主 導 し 、 象 徴 し て い た チ ャ ーチ ル ( 1874 年 生 、 1955 年 首 相 辞 任 ) 、 ド ・ ゴ ー ル ( 1890 年 生 、1968 年 大 統 領 辞 任 ) 、 ア ー デ ナ ウ ア ー ( 1876 年 生 、 1963 年 宰相 辞 任 ) が 次 第 に 引 退 す る だ け で は な い 。 人 び と の 消 費 生活 ( 娯 楽 を 含 め ) は 格 段 に 豊 か に な り ( ま さ に 欧 州 人 が 嫌っ て い た 「 ア メ リ カ 化 」 だ っ た 。 ハ リ ウ ッ ド 映 画 、 コ カ コー ラ 、 ジ ー ン ズ 、 ポ ピ ュ ラ ー 音 楽 329、 ジ ャ ズ … ) 、 生 ま れ故 郷 ( 特 に 農 村 ) を 離 れ る 者 が 増 え た 。 産 業 構 造 は 急 速 に変 わ り 始 め て ( 第 2 次 産 業 か ら 第 3 次 産 業 へ ) 、 い わ ゆ る高 学 歴 の ホ ワ ィ ト ・ カ ラ の 職 業 人 口 に 占 め る 割 合 が 増 え る
328 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』下 1971-2005、浅沼澄訳(みすず書房)467~473頁329 Cf.岡田暁生『「クラシック音楽」はいつ終わったのか? ―音楽史における第一次世界大戦の前後』(人文書院)
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一 方 で ( 自 分 の 親 と 異 な る 職 業 を 持 ち 、 異 な る 社 会 階 層 に所 属 す る 子 供 が 増 え る ) 、 行 政 国 家 化 が 進 行 し て 官 僚 制 が肥 大 し 、 国 民 生 活 に 政 治 が 関 与 す る 度 合 い が 高 ま る 。 福 祉国 家 化 と は 慢 性 的 な 財 政 赤 字 を 意 味 す る 。
カ ト リ ク 教 徒 で さ え 、 教 会 に 通 う 比 率 は 激 減 し 始 め る 。ギ ャ ン ブ ル ・ 離 婚 ・ 中 絶 ・ 同 性 愛 ・ ポ ル ノ な ど は 社 会 的 な害 悪 で あ る と い う 旧 き 良 き 道 徳 観 念 は 廃 れ 始 め 、 次 第 に 社会 的 認 知 を 受 け 、 合 法 化 さ れ 始 め る 。 そ し て 、 1960 年 代 新し い 物 語 を 求 め て 各 種 の マ ル ク ス 主 義 ( 青 年 マ ル ク ス 、 毛沢 東 、 ル ク セ ン ブ ル ク 、 グ ラ ム シ 、 マ ル ク ー ゼ … ) や 実 存主 義 ( サ ル ト ル ) に 傾 倒 し た ( 救 済 や 生 き 甲 斐 を 求 め た )各 国 の ( 一 般 市 民 よ り は る か に 高 学 歴 の ) 大 学 生 に よ る 運 動 ( 叛 乱 ) に 見 ら れ た よ う な 管 理 社 会 へ の 反 発 と 同 時 に 、政 策 形 成 過 程 の 「 非 民 主 化 」 や 「 非 能 率 」 へ の 不 満 が 強 まる 。
伝 統 的 な 身 分 = 階 級 社 会 の 色 彩 を 濃 く 残 し て い た 欧 州社 会 も 、 大 衆 社 会 ( あ る い は ま だ 名 前 が 付 け ら れ て い な い新 し い 社 会 形 態 330) へ と 変 わ り 始 め る 。 宗 教 と 並 ん で 欧 州政 治 の 基 本 的 な cleavage で あ っ た 階 級 を 基 礎 と す る 政 治 は 重 要 性 を 失 い は じ め 階 級 労 働 者 の 闘 争 手 段 で あ っ た ス ト ラ、 イキ は 次 第 に 一 般 国 民 か ら は 支 持 さ れ な く な る 。 政 党 は 、 それ ぞ れ に 従 来 の 「 階 級 政 治 」 と は 別 の 政 治 の あ り 方 に 対 応す る こ と が 求 め ら れ る 。 社 会 主 義 政 党 は 労 働 者 や 男 性 、 保守 主 義 政 党 は 高 齢 者 や 女 性 と い っ た よ う に 、 政 党 は 従 来 のよ う な 伝 統 的 な 顧 客 ( 支 持 層 ) の 支 持 を 当 て に で き な く なる 。 イ ン グ ル ハ ー ト の 言 葉 を 用 い れ ば 331 「、 静 か な る 革 命 」が 進 行 し 始 め 物 質 主 義 的 な 世 界 観 は 支 持 さ れ な く な り 、、エ リ ー ト 主 導 型 の 政 治 運 営 へ の 反 発 が 顕 著 に な り 始 め る 。
世 界 で も 欧 州 内 部 で も 国 際 環 境 が 激 変 す る 。 戦 後 世 界経 済 を 支 え て い た 金 ド ル 交 換 が 停 止 さ れ ( 1971 年 、 い わ ゆる ニ ク ソ ン ・ シ ョ ッ ク ) 、 変 則 的 な 固 定 相 場 制 か ら 変 動 相場 制 へ の 移 行 ( 1971 年 ) 、 第 4 次 中 東 戦 争 か ら 生 ま れ た 第一 次 オ ィ ル シ ョ ッ ク ( 1973 年 ) は 、 従 来 の 右 肩 上 が り の 経済 成 長 時 代 の 終 わ り を 意 味 し た ( 1972 年 、 ロ ー マ ・ ク ラ ブ『 成 長 の 限 界 』 ) 。 ニ ク ソ ン ・ シ ョ ッ ク 以 降 始 ま っ て い た物 価 高 騰 は 原 油 価 格 の 上 昇 に よ っ て 一 層 進 む と 同 時 に 失 業問 題 が 深 刻 化 す る と い う 「 ス タ グ フ レ ィ シ ョ ン 」 へ の 対 策( 物 価 抑 制 と 雇 用 創 出 ) が 求 め ら れ た 各 国 の 対 応 は 様 々。で あ る が 、 労 使 協 調 路 線 が 採 れ る か 否 か が 、 経 済 再 生 の 鍵と な っ た 。
330 この新しい社会形態を「市民社会」と名づければ誤解が増すだろう。知識人が大衆インテリから「知的大衆」へと変わり始めたとすれば、その顧客たる大衆も単なる mass ではなくなりつつあることになる。Cf. 水谷三公『ラスキとその仲間』(中公叢書)、竹内洋『丸山眞男の世界』(中公新書)331 Cf. ロナルド・イングルハート『静かなる革命』三宅一郎他訳(東洋経済新報社)
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10.1.2 従 来 の 政 治 争 点 で は 、 賃 金 引 き 上 げ 要 求 、 労 働 時間 短 縮 な ど 具 体 的 な 利 益 要 求 が 目 立 っ て い た 。 そ れ が 次 第に 、 脱 物 質 主 義 、 脱 工 業 化 社 会 、 消 費 社 会 あ る い は 情 報 社会 な ど 様 々 な 名 で 呼 ば れ る 社 会 変 動 に 対 応 し た 争 点 が 浮 上す る 。 以 前 に も ま し て 、 人 は パ ン の み で は 飽 き 足 ら な く なる 。 今 や 「 衣 食 足 り て 何 を 知 る の か 」 が 問 わ れ 始 め る 。
新 し い 争 点 の 1 つ は 公 害 問 題 の 発 生 を 受 け た 環 境 問 題( 緑 の 政 治 : green politics ) で あ る 。 こ こ で は 、 「 発 展 対 環境 」 と い う 問 題 の 立 て 方 が な さ れ る 。 未 来 世 代 に 対 す る 環境 の 維 持 や 資 源 の 保 護 が 現 世 代 に 課 せ ら れ た 義 務 だ と い う発 想 が 生 ま れ 、 「 持 続 可 能 な 発 展 ( sustainable development ) 」 が標 語 と な る 。 こ れ は 同 時 に 南 北 問 題 で も あ り 、 ま た 南 南 問題 で も あ る 。 そ し て 、 環 境 保 護 と い う 正 論 の 政 治 は 、 反 政治 主 義 を 掲 げ る 原 理 主 義 的 な 市 民 運 動 と 結 び 付 く 。
ま た 、 移 民 ・ 難 民 問 題 も 新 し い 争 点 と な る 。 欧 州 の 経済 復 興 が 進 む に つ れ 、 労 働 力 不 足 を 補 う こ と も あ り ( 戦 後ベ ィ ビ ・ ブ ー ム が 起 こ る と は い え 、 戦 争 の た め に 男 性 労 働力 が 長 年 不 足 し た 。 こ う し た 英 仏 独 な ど の 事 情 は 、 労 働 者の 送 り 出 し 国 に と っ て 重 要 な 外 貨 獲 得 の 機 会 と な っ た ) 、旧 植 民 地 や 経 済 発 展 が 遅 れ る 南 欧 、 ト ル コ 、 北 ア フ リ カ から 数 百 万 単 位 の 移 民 ( 仏 で は 、 旧 植 民 地 出 身 者 を イ ミ グ レと 呼 ぶ ) が 先 進 国 に 流 入 す る 。 中 で も 非 基 督 教 、 特 に イ スラ ム 教 と い う 異 文 化 が 欧 州 各 国 に 浸 透 し 始 め る 。 異 教 徒 の移 民 を 一 旦 労 働 力 と し て 受 入 れ れ ば 、 不 況 だ か ら と い っ て容 易 に は 追 い 返 せ な い 。 ヒ ト は 居 着 く も の で あ る ( 貧 し い故 郷 ・ 故 国 へ 帰 ろ う と 思 う 者 は 少 な い ) 。 移 民 へ の 反 発 から ナ シ ョ ナ リ ズ ム は 次 第 に 排 外 主 義 ( シ ョ ー ヴ ィ ニ ズ ム )へ と 変 化 す る 。
さ ら に 、 高 学 歴 化 が 進 む 中 で 、 大 学 が 若 者 の 闘 い の 拠点 と な る 。 1960 年 代 の 各 国 で は 大 学 紛 争 が 頻 発 し 、 反 戦( ヴ ェ ト ナ ム 戦 争 ) 、 反 管 理 社 会 が 掲 げ ら れ 、 政 権 を 揺 るが す こ と に な っ た が 、 こ の 体 制 へ の 反 発 f が 、 1970 年 代 以 降 、急 速 に 鎮 ま る の も 時 代 の 変 化 を 表 し て い る、 。 新 し い 政 治 は脱 物 質 主 義 だ と い う の が 一 般 の ( 社 会 学 な ど の ) 説 明 で ある 。 た だ 、 政 治 学 風 の 説 明 を す れ ば 、 価 値 の 政 治 か ら 意 味の 政 治 へ の 重 点 の 移 動 と い っ た 方 が い い だ ろ う 。
◎ 19 世 紀 に 共 産 主 義 と い う 亡 霊 が 欧 州 を 徘 徊 し たよ う に 、 20 世 紀 に は 環 境 問 題 と い う 亡 霊 が 徘 徊 し 始 めた 。 た だ 、 共 産 主 義 は 体 制 選 択 に つ な が る が 、 環 境 問題 は 政 策 争 点 に 留 ま る 点 が 異 な る 。 さ て 、 21 世 紀 に 徘徊 す る の は ど ん な 亡 霊 だ ろ う か 。
10.1.3 政 治 手 法 に も 変 化 が 見 ら れ る 。 政 治 情 報 の 媒 体 は 、活 字 か ら 聴 覚 ( ラ ジ オ ) 、 視 覚 ( テ レ ビ ) へ と 重 心 を 移 し
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始 め る 332。 テ レ ビ の 商 業 放 送 の 登 場 は 1950 年 代 だ が 、 1960 年代 に は 政 治 へ の 影 響 が 顕 著 に な る ( イ ン タ ー ネ ッ ト の 本 格的 な 影 響 は 21 世 紀 に 入 っ て か ら だ ろ う 。 日 本 で 普 及 が 始 まっ た と い え る の は 1995 年 と さ れ る ) 。 欧 州 で は 日 本 と 違 って 新 聞 が 政 党 色 を 明 示 す る た め に 、 テ レ ビ が 「 政 治 的 中 立情 報 」 の メ デ ィ ア と し て 受 け 入 れ ら れ や す い 。
政 治 は 日 常 お 茶 の 間 で 消 費 さ れ 、 政 治 家 に は 大 衆 向 けの 争 点 創 出 と 演 技 演 出 が 求 め ら れ て 、 政 治 が 劇 場 化 し 始 める 。 政 治 家 は 短 い 、 キ ャ ッ チ ィ な 言 葉 で 語 る よ う に な る 。反 面 こ う し た イ メ ー ジ の 乱 舞 は 、 エ リ ー ト 主 導 型 の 政 治 運営 へ の 反 発 と 相 ま っ て 政 策 形 成 へ の 実 質 参 加 要 求 を 生 む、( 参 加 デ ィ モ ク ラ シ ) 。 デ ィ モ ク ラ シ の 実 質 化 、 地 方 分 権 、 情 報 公 開 、 説 明 責 任 な ど が キ ャ ッ チ ・ フ レ ィ ズ と し て 流 行り 始 め 、 場 合 に よ っ て は 国 民 投 票 と い う 手 法 す ら 政 治 家 にと っ て は 例 外 的 な 選 択 で は な く な る 。 統 治 者 は 「 市 民 」 ある い は 能 動 的 な 大 衆 へ の 対 応 に 負 わ れ つ づ け る 。
◎ 日 本 で は 新 聞 が ま だ 政 治 の 情 報 源 と し て 機 能し て い る 。 そ れ は 全 国 紙 ( い わ ば catch - all - newspaper ) が中 心 で 、 地 方 紙 が こ れ を 補 う 形 態 を と っ て い る か ら であ り 、 特 定 の 政 党 と 結 び つ く 新 聞 は 一 般 に は 読 ま れ ない か ら で あ る 。 欧 州 で は 階 級 別 、 宗 教 別 、 地 域 別 と い
っ た cleavage に 応 じ た 新 聞 が 比 較 的 多 く 、 特 定 の 政 治勢 力 ・ 政 党 へ の 支 持 が 比 較 的 明 瞭 で あ る 。 従 っ て 欧、州 の 新 聞 は 発 行 部 数 が 少 な い 。 逆 に 言 え ば 、 読 売 新 聞や 朝 日 新 聞 と い っ た 日 本 の 新 聞 の 発 行 部 数 が 多 す ぎ る 。こ れ も ( 日 本 型 の ) 大 衆 社 会 の 特 色 だ ろ う 。
10.1.4 従 来 の 政 党 制 に も 変 化 が 生 ま れ る 。 20 世 紀 普 選 の導 入 に よ り cleavage で 作 ら れ て い た 政 党 配 置 ( constellation ) が1960 年 代 以 降 変 化 し 始 め る ( こ の 変 化 は 論 争 が あ る ) 。 とり わ け 、 最 重 要 の cleavage で あ る 「 資 本 対 労 働 」 を 基 に し た 階 級 政 治 の 要 素 は 弱 ま る 。 そ し て 、 保 守 主 義 政 党 、 自 由 主義 政 党 、 社 会 主 義 政 党 、 共 産 主 義 政 党 と い う 四 つ の 基 本 的な 政 治 勢 力 の う ち 、 共 産 党 が 支 持 を 失 い は じ め ( 仏 、 伊 、西 で は 共 産 主 義 は 「 ユ ー ロ ・ コ ミ ュ ニ ズ ム 」 と し て 支 持 を集 め 、 中 で も 伊 共 産 党 は 選 挙 市 場 で し ば ら く 健 闘 し 続 け たが 、 結 局 は 衰 退 し て い く こ と に な る ) 、 残 る 三 つ の 政 党 も 、従 来 の 基 本 方 針 ・ 政 策 の 変 更 を 迫 ら れ る 。
既 存 の 政 党 が 国 民 の 新 し い 政 治 的 需 要 に 対 応 で き な けれ ば 、 選 挙 民 は 政 党 配 置 の 「 隙 間 ( ニ ッ チ ) 」 に 発 生 す る新 政 党 を 支 持 す る 。 地 方 利 益 を 代 表 す る 地 域 政 党 、 移 民 排
332 テレビの時代の次はインタネット(E―ポリティクス )の時代と言われるが、その政治的影響力は今のところそれほど大きくはなく、またこの先の「情報革命」は予想しがたい。Cf.高瀬淳一『情報政治学講義』(新評論)、横江公美『Eポリティックス』(中公新書)
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斥 を 訴 え る 右 翼 政 党 、 環 境 政 治 を 求 め る 緑 の 党 な ど が そ の代 表 で あ る 。 と り わ け 、 従 来 の 物 質 主 義 的 な 「 成 長 」 に 対し て 、 脱 物 質 主 義 的 な 「 環 境 」 を 提 起 す る 緑 の 党 は 、 「 新し い 社 会 運 動 」 と し て 独 を 中 心 に 議 席 を 確 保 し 、 従 来 の 経済 政 策 に 対 し 挑 戦 し 続 け る こ と に な る さ ら に は 、。 消 費 社会 、 管 理 社 会 な ど へ の 批 判 を 包 含 す る 傾 向 も あ る 。 た だ 、こ の よ う な 新 し い 政 党 が 登 場 し て も 従 来 の 政 党 地 図 が 一、新 さ れ る と は い え な い 。 緑 の 党 の 登 場 が 衝 撃 的 で は あ っ たに せ よ 、 環 境 政 党 は 、 「 one - point - / single - issue - party ( 一 つ の 争 点を 主 張 す る 政 党 ) 」 に な り や す い 特 色 が あ る か ら 、 そ の 支持 率 は な か な か 10 % を 超 え な い 。 政 党 の 政 策 と そ の 支 持 の強 弱 は 、 選 挙 制 度 と 並 ん で 支 持 者 獲 得 競 争 に お け る 他 党、と の 協 力 ・ 対 抗 関 係 で も 決 ま る か ら で あ る 。
◎ 米 ソ 冷 戦 の 中 で 共 産 党 の 支 持 率 は 次 第 に 低 下 す、る 傾 向 が 見 ら れ た 英 で は も と も と 支 持 率 は 高 く な く。 、独 で は 、 反 憲 法 的 存 在 と し て 一 時 期 解 散 を 強 い ら れ てい た そ れ に 対 し て 最 も ソ 連 に 忠 実 だ と さ れ た 仏 共 産。 、党 は ユ ニ ー ク な 地 位 を 占 め た が そ の 政 治 的 意 味 は せ、い ぜ い 1970 年 代 ま で で あ っ た 。 こ の 点 で は 伊 や 西 な ど、の 共 産 党 ( ユ ー ロ コ ミ ュ ニ ズ ム・ ) は 、 戦 中 か ら 自 力 で( ソ 連 の 援 助 な し に ) 政 権 を 樹 立 し て い た チ ト ー 率 いる ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 共 産 党 と 並 ん で 対 ソ 自 立 を 逸 早、く 打 ち 出 し た そ れ で も 、 国 内 で の 影 響 力 が あ っ た と。云 え る の は せ い ぜ い 1980 年 代 ま で だ っ た 。 社 会 主 義 国の 経 済 パ フ ォ ー マ ン ス の 悪 さ や 基 本 的 人 権 軽 視 の 姿 勢へ の 反 発 か ら 、 共 産 党 の 支 持 者 が 相 対 的 に 減 少 し た とい う こ と も あ る が 、 む し ろ 前 衛 政 党 と し て 市 民 や 労 働者 を 指 導 す る と い う 政 治 ス タ ィ ル へ の 反 発 も あ っ た だろ う 。 左 翼 政 党 へ の 支 持 者 は 、 市 民 運 動 へ と 流 入 し 、社 会 主 義 政 党 も 多 か れ 少 な か れ 変 貌 を 強 い ら れ 、 そ、れ と 関 連 し て 「 第 三 の 道 」 な ど 新 し い 政 策 ・ 路 線 が 生ま れ た か ら で あ る 。
10.1.5 こ の 時 期 の 国 際 情 勢 は 、 終 戦 直 後 の 米 ソ 両 陣 営 とい う 単 純 な 二 元 的 対 立 構 図 が 相 当 に 弱 ま り 始 め る 。 軍 事 的に も 経 済 的 に も 多 極 化 が 進 む 。 米 ソ の 代 理 戦 争 は 世 界 各 地で 続 く に し て も 、 ア ジ ア 、 ア フ リ カ な ど 「 第 三 世 界 」 で 独立 が 相 次 ぎ 、 チ ト ー が 率 い る ユ ー ゴ ス ラ ビ ア な ど を 併 せ 、非 同 盟 主 義 を 掲 げ る 第 三 世 界 の 発 言 力 が 国 際 政 治 で 高 ま る( そ の 前 史 は 1955 年 イ ン ド ネ シ ア で 開 か れ た 第 一 回 ア ジア ・ ア フ リ カ 会 議 、 Asian - African Conference 、 通 称 バ ン ド ン 会 議 。印 の ネ ル ー ( ネ ー ル ) 、 ガ ー ナ の エ ン ク ル マ 、 イ ン ド ネ シ ア の ス カ ル ノ 、 エ ジ プ ト の ナ セ ル ( ナ ー セ ル ) 、 中 国 の 周 恩 来 な ど が 非 同 盟 主 義 の 代 表 ( ス タ ー ) と し て 知 ら れ た ) 。
西 側 陣 営 で も 、 米 中 心 の 体 制 が 崩 れ 始 め る 。 経 済 で は 、金 と 兌 換 で き る ド ル を 随 一 の 国 際 通 貨 と す る ブ レ ト ン = ウ
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ッ ズ 体 制 の 下 で 、 欧 州 と 日 本 が 復 興 し 、 次 第 に 米 欧 ( 独 )日 の 三 極 体 制 と な り 始 め る 。 軍 事 で は N A T O が 集 団 安 全保 障 の 基 本 枠 組 み で あ り つ づ け る に し て も 、 仏 の 対 米 自 立方 針 も あ っ て 西 欧 に お け る 西 独 の 比 重 が 高 ま り 同 時 に、「 欧 州 軍 」 の 存 在 が 次 第 に 重 要 視 さ れ る よ う に な る 。
東 側 陣 営 で も 、 1960 年 代 の 中 ソ 対 立 以 降 、 ソ 連 中 心 の 体 制 が 崩 れ 始 め 、 中 国 や 印 は 第 三 世 界 の 盟 主 と し て そ の 存 在を 誇 示 し 始 め る 。 両 陣 営 に お け る 米 ソ の 主 導 権 が 揺 ら ぐ と 、か え っ て 米 ソ 間 に 協 調 の 気 運 が 生 じ る 。 国 際 政 治 の 多 極 化に 対 応 す べ く 、 欧 州 で は 安 全 保 障 の 協 力 体 制 が 作 ら れ る が 、米 ソ 冷 戦 の 動 向 次 第 で あ る 。 冷 戦 は 続 い た が 、 核 兵 器 を 制限 す る 戦 略 兵 器 制 限 交 渉 ( S A L T 、 Strategic Arms Limitation Talks 、 1969 年 よ り 始 ま り 1972 年 に 調 印 。 引 き 続 い て 、 相 互 均 衡 兵力 削 減 、 M B F R 、 Mutural Balanced Force Reduction ) な ど に よ る 軍 事的 安 定 を 図 ろ う と す る 動 き な ど も あ り ( も ち ろ ん 順 調 に 進ん だ わ け で は な い ) 、 緊 張 の 中 に も 平 和 が 続 い た そ の 背。景 に は 、 1970 年 代 以 降 の C S C E ( 欧 州 安 全 保 障 会 議 ) を 通じ 欧 州 の 国 境 な ど の 現 状 維 持 が 図 ら れ た こ と も あ る 。、 CS C E は 、 ソ 連 に と っ て ブ レ ジ ネ フ ・ ド ク ト リ ン の 保 持 、す な わ ち 主 権 = 勢 力 圏 と 国 境 の 尊 重 な ど を 意 味 し た 。 し かし 、 同 時 に C S C E は 人 や 情 報 の 東 西 交 流 を 目 指 す も の でも あ っ た 。 西 側 の 豊 か な 生 活 を 東 側 諸 国 の 人 が 実 感 す れば 、 ク チ コ ミ は 防 げ な い か ら ( 20 世 紀 末 か ら 21 世 紀 に 入 ると 、 イ ン タ ネ ト が ク チ コ ミ を 爆 発 的 に 拡 げ る ) 、 中 長 期 的に は 社 会 主 義 国 の 内 部 崩 壊 を 導 く と い う 期 待 も あ っ た だ ろう 。
10.1.6 欧 州 に お け る 東 西 和 解 の 停 滞 ム ー ド を 一 新 し た のは 、 外 的 要 因 、 と り わ け 、 ゴ ル バ チ ョ フ の 共 産 党 書 記 長 選出 ( 1985 年 ) で あ る ( 欧 州 の 現 状 維 持 に 腐 心 し た ブ レ ジ ネフ は 1982 年 に 死 去 、 跡 を 継 い だ ア ン ド ロ ポ フ 、 チ ェ ル ネ ンコ も 健 康 問 題 で そ れ ぞ れ 1 年 余 り で 死 去 ) 。
ゴ ル バ チ ョ フ の 「 新 思 考 外 交 」 と は 、 社 会 主 義 の 「 本懐 」 で あ る 国 際 的 階 級 闘 争 よ り 、 限 定 戦 争 で あ っ て も 核 兵器 に よ る 破 滅 の 阻 止 が 最 重 要 課 題 で あ る と す る 新 し い ソ 連の 外 交 路 線 ( 新 思 考 ) で あ る 。 そ の 背 景 に は 、 ペ レ ス ト ロイ カ ( 露 語 : перестройка 、 直 訳 す る と 「 再 構 築 」 。 大 戦 前 のネ ッ プ の よ う な 市 場 経 済 原 理 の 導 入 や グ ラ ス ノ ス チ 、 露語 : гласность 公 表 = 情 報 公 開 な ど を 指 す 。 特 に 後 者 は 1986 年チ ェ ル ノ ヴ イ リ で の 原 発 事 故 で 不 可 欠 と な る ) が 、 ソ 連 経済 の 停 滞 解 消 に は 喫 緊 の 課 題 と な っ て い た こ と が あ る 。
ゴ ル バ チ ョ フ は 、 西 側 に 受 け 入 れ ら れ る 政 治 家 で あ るシ ュ ワ ル ナ ゼ を 外 相 に お き 、 ア フ ガ ニ ス タ ン か ら 撤 退 し 、I N F ( 中 距 離 核 戦 力 、 intermediate-range Nuclear Forces ) 全 廃 ( 1987年 ) を 決 め る 。 こ れ と 対 応 す る よ う に 、 E C 側 で は 、 ミ ッテ ラ ン 政 権 の 蔵 相 ド ロ ー ル が 委 員 長 に 就 任 し ( 1985 年 ) 、サ ッ チ ャ ー 主 義 と は 異 な る 「 コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム 」 に よ る 社会 ・ 労 働 問 題 の 解 決 を 図 り 、 さ ら に は 東 欧 と の 外 交 関 係 を
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樹 立 す る ( 1988 年 ) 。
そ し て 、 1989 年 の い わ ゆ る 東 欧 革 命 333で 自 由 化 を 求 め る運 動 が 高 ま り ( こ の 年 ユ ー ラ シ ア 大 陸 の 反 対 側 で は 「 第 二次 」 天 安 門 事 件 も あ っ た ) 、 洪 ・ 墺 間 の 国 境 開 放 は 、 東 独市 民 に と っ て は 西 独 へ と 旅 立 つ 抜 け 道 と な り 、 東 独 か ら 数十 万 人 の 若 者 や 技 術 者 が 流 出 す る 事 態 を 生 む 。 し か し 、 以前 の よ う に 、 壁 を つ く っ て 封 鎖 は で き な か っ た 。 そ し て 、東 独 の 指 導 者 の 1 人 が ジ ャ ー ナ リ ス ト の 前 で 決 定 の 内 容 を確 か め る こ と な く 、 西 独 に 入 る 許 可 を 「 即 座 に 」 認 め る と発 言 す る な ど 偶 発 も 重 な っ た 。 そ の 後 、 東 欧 諸 国 で は 、 数ヶ 月 以 内 に ド ミ ノ の よ う に ( 人 に よ っ て は 1848 年 を 思 い 出す だ ろ う ) 旧 共 産 党 政 権 が 倒 れ 続 け ( 各 国 の 共 産 党 は 、 ほと ん ど 社 会 党 な ど に 党 名 を 変 え る ) 、 や が て 不 思 議 な ほ どあ っ さ り と 進 行 し た ソ 連 解 体 ( 連 邦 再 編 ) へ と つ な が り 、ソ 連 保 守 派 に よ る ク ー デ タ も エ リ ツ ィ ン ら ( K G B の エ リー ト で あ り 、 後 に 大 統 領 と な る プ ー チ ン の 功 績 も 小 さ く ない と さ れ る ) の リ ー ダ シ プ に よ っ て 阻 止 さ れ る 。 1991 年 にソ 連 は 大 し た 流 血 も な く 、 10 以 上 の 国 に 分 か れ 、 同 時 に ワル シ ャ ワ 条 約 機 構 ( W T O ) は 解 体 し 、 こ こ に 欧 州 で の 冷戦 は 終 焉 し た ( と さ れ る ) 。 尤 も 、 露 に と っ て は N A T Oの 存 在 は 潜 在 的 脅 威 で あ り つ づ け る 。
◎ こ の 東 欧 革 命 の 過 程 で は 、 政 治 犯 が 釈 放 さ れ 、複 数 政 党 が 認 め ら れ ( 共 産 党 の 優 越 が 否 定 さ れ ) 、 各団 体 の 代 表 者 か ら な る 会 議 ( し ば し ば 円 卓 会 議 と 呼 ばれ た ) が 設 置 さ れ 、 自 由 選 挙 が 行 わ れ る ( 流 血 が 驚 くほ ど 少 な い ) と い う 共 通 点 が 見 ら れ た 334。 そ し て 、 その 経 過 報 道 で は 、 市 民 が 立 ち 上 が っ た ( 市 民 の 自 発 的
な 運 動 に よ る 成 果 で あ る ) と い う イ メ ー ジ が 盛 ん に 作 ら れ た ( 当 初 、 東 欧 民 主 化 革 命 と 称 さ れ た ) 335が 、 政
治 的 宣 伝 の 効 果 を 除 け ば 、 と て も 「 市 民 革 命 」 と 呼 べる も の で は な か っ た ( あ え て い え ば 東 独 の 事 例 に は まだ そ の 要 素 が あ っ た ) 。
と も あ れ 、 こ れ ら 東 側 諸 国 ( 波 、 洪 、 東 独 、 チ ェ コス ロ バ キ ア 、 ル ー マ ニ ア 、 ブ ル ガ リ ア 。 ユ ー ゴ ス ラ ビア の 解 体 は 含 ま れ な い ) の 「 革 命 」 が こ れ ほ ど 急 速 に進 ん だ の は 、 メ デ ィ ア ( 特 に テ レ ビ ) の 発 達 に よ り 隣
国 の 状 況 が 入 手 し や す か っ た こ と 、 西 側 諸 国 が 事 態 の 進 行 を 静 観 し 続 け た こ と 、 ゴ ル バ チ ョ フ が 各 国 の 「 内 乱 」 に 対 し て 軍 隊 を 派 遣 し な か っ た こ と ( 歴 史 家 ジ ャ
ッ ト は 、 ゴ ル バ チ ョ フ は た だ 傍 観 し て い た だ け だ と いう 336が 、 傍 観 こ そ が メ セ ジ だ っ た と い う こ と を 見 逃 して い る ) 、 各 国 の 軍 隊 の 行 動 は ソ 連 軍 の 存 在 に よ っ て
333 Cf.マイケル・マイヤー『1989 世界を変えた年』早良哲夫訳(作品社)334 Cf.トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』下 1971-2005、浅沼澄訳(みすず書房)ⅩⅨ「旧秩序の終焉」335 Cf. 『臨時増刊世界 何が起きたのか 東欧革命』(岩波書店)336 トニー・ジャット『ヨーロッパ戦後史』下 1971-2005、浅沼澄訳(みすず書房)232頁
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む し ろ 制 限 さ れ た こ と な ど に よ る 。た だ 、 国 の 違 い も 大 き い 。 チ ェ コ ス ロ バ キ ア や 東 独
な ど と ル ー マ ニ ア と を 比 較 す る と 、 こ の 時 の 各 国 の 警察 、 軍 隊 の 態 度 は 、 も は や 共 産 党 政 権 が 内 部 崩 壊 し 、命 令 指 揮 系 統 が 機 能 し な く な っ て い た こ と を 考 え る と 、そ の 国 の 「 文 明 度 」 の 高 低 を 示 し て い た と も い え る 。ル ー マ ニ ア は 共 産 党 支 配 と い う よ り も 、 チ ャ ウ シ ェ スク ( こ の 独 裁 者 を 西 側 諸 国 は 長 年 賞 賛 し た こ と も 事 実で あ る ) の 個 人 支 配 だ っ た か ら で あ る 。 そ れ は 、 革 命の 終 焉 に 実 施 さ れ た チ ャ ウ シ ェ ス ク の 公 開 処 刑 に 象 徴さ れ て い る 。
10.2 主 要 国 の 情 勢
10.2.1 英
10.2.1.1 サ ッ チ ャ ー の 印 象 が 強 い た め に 、 そ の 首 相 就 任( 1979 年 ) の 前 後 で 英 政 治 の 戦 後 を 2 つ に 区 分 す る こ と もあ る 。 実 際 に 有 権 者 の 投 票 行 動 な ど で も こ の 時 期 を 境 に 変化 が 見 ら れ 始 め る 。 ま た 、 保 守 党 、 労 働 党 双 方 の 従 来 型 の政 治 が 行 き 詰 ま り 始 め 、 党 改 革 の 試 み が な さ れ る 。
10.2.1.2 サ ッ チ ャ ー 登 場 以 前 か ら 政 治 の 変 化 は 見 ら れ 始め て い た 。 階 級 政 治 を 支 え る 第 二 次 産 業 従 事 者 や ブ ル ー ・ カ ラ の 人 口 比 率 は 激 減 し 、 保 守 党 の 持 ち 家 政 策 も 効 果 が 現れ 始 め 、 そ の 比 率 が 高 ま っ た 。 1970 年 代 の 2 回 の オ ィ ル ショ ッ ク も 長 い め で 見 れ ば 、 北 海 油 田 を も つ 英 に と っ て は チャ ン ス で あ る 。 「 1 バ レ ル = 40 ド ル 」 と な れ ば 充 分 に 採 算が と れ る と い わ れ て い た か ら で あ る ( オ ィ ル シ ョ ッ ク 前 の1973 年 10 月 で は 「 1 バ レ ル = 3 ド ル 」 、 1980 年 に は 「 1 バ レル = 30 ド ル 台 」 へ ) 。 と は い え 、 オ ィ ル シ ョ ッ ク へ の 対 応が 成 功 し た と は 言 い 難 い 政 権 に 返 り 咲 い た ウ ィ ル ソ ン 労。働 党 ( 1974 年 ) は 、 イ ン フ レ 対 策 を 念 頭 に 英 労 働 組 合 会 議( T U C ) と の 間 で 賃 金 要 求 を 控 え る 「 社 会 契 約 」 を 結ん だ が 、 T U C 自 体 が 労 働 組 合 の 中 で 占 め る 割 合 が 高 く ない こ と や ポ ン ド 下 落 に よ る 通 貨 危 機 な ど で 、 イ ン フ レ 抑 制を 中 心 と す る 不 況 対 策 は 、 労 使 対 決 型 の 階 級 政 治 が 忘 れ られ な い 労 働 組 合 の 賃 金 欲 求 に 破 れ る こ と に な る 英 ら し く。 、ス ト ラ キ が 頻 発 し 、 こ れ が サ ッ チ ャ ー 政 権 誕 生 の 一 因 とイな る 。
10.2.1.3 従 来 支 持 層 を 階 級 で 二 分 し て い た 保 守 、 労 働 の両 党 は 、 次 第 に 国 内 の 経 済 格 差 か ら 生 ま れ る 地 域 間 対 立 を反 映 す る よ う に な る 。 こ の よ う に 階 級 が 主 要 な cleavage で は
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な く な り 始 め る 一 方 で 小 選 挙 区 制 に 阻 ま れ な が ら も 第 三、党 が 次 第 に 支 持 を 拡 大 し 始 め る 英 政 治 の 特 色 で あ る エ リ。ー ト 主 義 で は 対 応 で き な く な り 始 め る 。 す で に 1966 年 の 総選 挙 で は 、 保 守 党 で も ヒ ー ス が 初 め て 党 議 員 に よ る 党 首 選挙 で 選 出 さ れ て い た 。 ヒ ー ス は 保 守 党 初 の 下 層 中 流 階 級 出身 で あ り 、 パ ブ リ ク ・ ス ク ー ル 卒 業 で な い 党 首 で あ る 。 また 、 E C 加 盟 の 承 認 に 国 民 投 票 が 実 施 さ れ た こ と も 政 治 手法 の 画 期 と な っ た 。 1979 年 選 挙 で は 宣 伝 活 動 を 重 視 し 始 める こ と も 変 化 で あ る 。 い ず れ も 、 世 論 を 決 定 に 組 み 込 み 、そ の 結 果 を 正 当 化 の 手 段 に 用 い る 手 法 が 採 ら れ 始 め た 事 例で あ る 。
10.2.1.4 キ ャ ラ ハ ン 政 権 へ の 不 信 任 案 可 決 と い う 異 例 の事 態 で 総 選 挙 と な り 、 サ ッ チ ャ ー 保 守 党 は 勝 利 し 、 以 降 10余 年 で 政 治 風 景 は 一 変 し た 。 女 性 と し て 初 め て の 保 守 党 党首 で あ り 、 最 初 の 首 相 と な っ た サ ッ チ ャ ー は 、 雑 貨 商 の 娘と い う 出 自 で も 注 目 さ れ た 。
サ ッ チ ャ ー は 第 2 次 オ ィ ル シ ョ ッ ク ( 1979 年 ) に 対 し 、中 央 政 府 の 、 あ る い は 首 相 の 強 い リ ー ダ ー シ ッ プ ( 「 鉄 の女 」 ) の 下 、 社 会 福 祉 推 進 と い う 国 家 の 基 本 政 策 を 見 直 し 、ポ ン ド の 安 定 を 図 り 、 公 共 サ ー ヴ ィ ス 部 門 の 多 く で 民 営 化 を 促 進 し 「 創 意 と 自 助 」 ( つ ま り 、 貧 困 層 を 優 遇 し な、い ) を 政 策 の 基 軸 と し た ( サ ッ チ ャ ー 主 義 ) 。 そ れ は 従 来型 の 公 共 事 業 に よ る 景 気 回 復 ( ケ イ ン ズ 政 策 ) の 放 棄 を 意味 し た 確 か に 通 貨 供 給 量 が 減 り 、 高 金 利 政 策 が と ら れ た。た め に 、 当 初 イ ン フ レ は 進 み 、 失 業 者 は 増 大 し 、 支 持 率 は歴 代 最 低 と な る が 、 ア ル ゼ ン チ ン と の 間 で 起 こ っ た フ ォ ーク ラ ン ド 紛 争 ( 1982 年 ) で 「 鉄 の 女 」 の 人 気 は 高 ま り 、 労働 組 合 と の 対 決 姿 勢 も や が て は 景 気 回 復 で 支 持 は 不 動 と なる 。
改 革 を 進 め る ゴ ル バ チ ョ フ を 積 極 的 に 支 援 し た こ と も知 ら れ て い る 337 「 首 相 内 閣 制 」 を 文 字 通 り 体 現 し た サ ッ チ。ャ ー に 対 抗 す る た め に 、 階 級 政 治 に 拘 る 労 働 党 が 左 傾 化( 産 業 の 国 有 化 、 公 共 支 出 増 大 ) す る と 、 保 守 ・ 労 働 両 党の 中 間 を 歩 も う と す る 政 党 が 支 持 を 増 や す こ と と な っ た 。サ ッ チ ャ ー は 労 組 の 弱 体 化 を 図 る 一 連 の 法 案 を 提 出 し 、 スト ラ キ 参 加 者 に 対 し 社 会 保 障 支 給 を 停 止 す る な ど の 強 硬イ路 線 を と る 。 対 決 型 の 政 治 で あ る ま た 、 国 営 企 業 の 民 営。化 に よ る 大 量 の 株 式 発 行 で 持 ち 家 政 策 推 進 と、 併 せ て 、 仏風 の 小 市 民 創 出 を 図 っ た 。 特 段 の 理 論 的 根 拠 が あ る わ け で
337 サッチャー論に関する参考文献は多い。Cf.マーガレット・H・サッチャー『サッチャー回顧録 上下』石塚雅彦訳(日本経済新聞社)、豊永郁子『サッチャリズムの世紀 ―作用の政治学へ(新版)』(勁草書房)。ただ、サッチャーが特定の(新自由主義)に基づいて政策を進めたと考えるよりは、機会主義的に行動したと考える方が良さそうな側面もある。Cf.吉田徹「『選択操作的リーダーシップ』の系譜」日本比較政治学会編『リーダーシップの比較政治学』(早稲田大学出版部)第4章。映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙( The Iron Lady )』も評判となった。サッチャー役はメリル・ストリープである。
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は な い が 、 失 う 物 ( 失 い た く な い 財 産 ) を 持 つ と 、 人 は 保 守 的 に な る と い う の が 経 験 則 だ ろ う 。 選 挙 で も 次 第 に 首 相選 択 ( 人 気 投 票 ) の 要 素 が 高 ま る よ う に な る 。 こ れ に 対 抗し て 、 労 働 党 は 若 い 党 首 ( キ ノ ッ ク ) を 擁 立 し て 従 来 型 の階 級 政 治 の 政 策 パ ケ ジ を 取 り 下 げ る が 効 果 は す ぐ に は 現、れ な い 。
◎ サ ッ チ ャ ー は 、 テ レ ビ に 映 る こ と を 強 く 意 識し 、 外 見 や 言 葉 を 磨 い た 点 で も ま さ に 現 代 政 治 家 の代 表 で あ る 。 一 方 で 、 歴 代 首 相 の 中 で も 、 特 に 支 持基 盤 の 獲 得 に 企 業 家 へ の 叙 爵 を 多 く し た こ と で 知 られ て い る 338。 フ ォ ー ク ラ ン ド 戦 争 中 は 、 兵 士 ( 特 に犠 牲 者 ) の 家 族 に 手 紙 を 書 き 続 け た 。 気 配 り の 人 でも あ る 。 欧 州 で 名 を 残 す 政 治 家 に は 筆 ま め な 人 が 多い と い う 印 象 が あ る 。
◎ 米 の 大 統 領 と 英 な ど の 議 院 内 閣 制 の 首 相 と のど ち ら が 実 際 に よ り 多 く の 権 力 を 有 す る の か 、 即 断し が た い 。 米 で は 大 統 領 ( 行 政 府 ) と 議 会 と が 制 度上 対 立 す る の に 対 し 、 議 院 内 閣 制 の 政 府 は 、 議 会 の過 半 数 の 支 持 が 通 常 確 保 さ れ て い る か ら で あ る 。 従っ て 、 首 相 内 閣 制 と も 呼 ば れ る ( C f . 政 治 制 度論 ) 。
◎ 行 政 改 革 で 知 ら れ る サ ッ チ ャ ー 政 権 以 降 、 古典 的 統 治 ス タ ィ ル は 変 更 を 強 い ら れ て い る 。 民 営
化 、 民 間 委 託 ( delegation ) 、 行 政 法 人 化 ( 企 画 部門 と 執 行 部 門 の 分 離 ) な ど が サ ッ チ ャ ー 改 革 の 主 な手 法 で あ る 。 そ れ に し て も 、 鉄 道 、 水 道 な ど を は じめ と す る 公 共 サ ー ヴ ィ ス の 多 く は 効 率 向 上 を 目 指 す民 営 化 に よ り 整 理 さ れ 、 世 界 に 名 だ た る 国 民 健 康 保険 制 度 は 財 政 危 機 に 陥 り 、 大 学 な ど が 財 政 問 題 か ら教 育 ・ 研 究 能 力 を 衰 退 さ せ た と す れ ば 、 改 革 の 収 支決 算 は 必 ず し も 黒 字 で は な い だ ろ う 。 現 在 の 日 本 はサ ッ シ ャ ー 政 権 と 似 て い る よ う だ が 、 フ ォ ー ク ラ ンド だ け は 勘 弁 し て 欲 し い も の で あ る 。 1 度 目 は 喜 劇 、2 度 目 は 悲 劇 と い う 。
10.2.2 仏
10.2.2.1 ド ・ ゴ ー ル が 作 っ た 第 5 共 和 制 は 、 ド ・ ゴ ー ル退 陣 後 長 く 維 持 さ れ る と は 当 初 思 わ れ て い な か っ た 。 相 変
338 小川賢治『勲章の社会学』(晃洋書房)第4章
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わ ら ず 政 党 の 支 持 は ロ ア ー ル 川 を 基 準 に 安 定 し な が ら 、、政 党 勢 力 は 安 定 せ ず 、 離 合 集 散 が 目 立 つ 。 そ し て 、 ド ・ ゴー ル 派 の ポ ン ピ ド ー ( 1969 ~ 1974 ) 没 後 、 保 守 側 は 、 ジ ス カル = デ ス タ ン と シ ラ ク と の 争 い を 基 軸 と し 、 左 翼 側 は 、 ミッ テ ラ ン へ の 支 持 一 本 化 に 進 み 始 め る そ し て 、 次 第 に。 保守 ブ ロ ッ ク 対 左 翼 ブ ロ ッ ク と い う 二 大 勢 力 の 対 立 へ と 政 界が 再 編 成 さ れ る 形 で 安 定 し 始 め る 。
10.2.2.2 と も に E N A 出 身 な が ら も 、 ジ ス カ ル = デ ス タン と シ ラ ク と の 政 策 の 違 い は 権 力 闘 争 の 必 要 か ら も 生 ま、れ て い る ポ ン ピ ド ー 死 去 後 、 い つ も な が ら ド ・ ゴ ー ル 派。は 内 部 混 乱 し 、 保 守 系 は 非 ド ・ ゴ ー ル 派 の ジ ス カ ル = デ スタ ン 擁 立 一 本 化 で 何 と か ま と ま り 、 ポ ン ピ ド ー 政 権 の 閣 僚で あ っ た シ ラ ク は 首 相 と な る 。 と こ ろ が 、 こ れ ま た よ く ある こ と に 、 シ ラ ク は 離 反 し 、 共 和 国 連 合 ( R P R ) を 設 立 、党 首 と な り 、 仏 ・ ナ シ ョ ナ リ ズ ム を 強 調 し て 「 全 方 位 外交 」 の ジ ス カ ル = デ ス タ ン と の 違 い を 前 面 に 出 す 。 そ し て 、シ ラ ク は 巴 里 市 長 と な る 。 「 巴 里 あ っ て の 仏 」 で あ る 。 ジス カ ル = デ ス タ ン は 仏 民 主 連 合 ( U D F ) を 率 い る が 、 議会 選 挙 の 結 果 、 社 会 党 と ド ・ ゴ ー ル 派 が 勝 利 す る 。 再 び 保守 側 は 連 携 し ( U N M ) 、 シ ラ ク を 中 心 に ま と ま り 始 め る 。
10.2.2.3 経 過 を み れ ば 左 翼 陣 営 は ミ ッ テ ラ ン の 一 人 勝 ちに 見 え る 339 そ れ は。 奇 妙 な 勝 利 で も あ っ た 。 社 会 党 は 各 種 勢力 の 寄 せ 集 め で あ り 、 だ か ら こ そ 閣 僚 経 験 が 長 い と は い え 、「 無 所 属 」 の ミ ッ テ ラ ン が 党 首 に 選 ば れ た ( ミ ッ テ ラ ン にと っ て 社 会 党 は 手 段 に 過 ぎ な か っ た ) 。 欧 州 で は 最 も ソ 連共 産 党 に 忠 実 な 仏 共 産 党 は 支 持 を 失 い 始 め 、 1978 年 選 挙 で初 め て 社 会 党 は 共 産 党 を 上 回 る 。 1968 年 の 五 月 革 命 時 の 若 者 は か な り の 数 が 中 学 校 ・ 高 校 の 教 員 と な っ て 社 会 党 で 活躍 す る よ う に な り 、 第 5 共 和 制 に も ド ・ ゴ ー ル に も 反 対 して い た ミ ッ テ ラ ン が 、 保 守 側 陣 営 で の ジ ス カ ル = デ ス タ ンと シ ラ ク の 足 の 引 っ 張 り 合 い に 助 け ら れ ( そ れ で も 大 統 領選 は ミ ッ テ ラ ン が 51.76 % 、 ジ ス カ ル ・ エ ス タ ン が 48.24 % と いう 僅 差 ) 、 自 身 は 共 産 党 な ど 左 側 の 支 持 を う ま く ま と め て大 統 領 に 就 任 す る ( 1981 年 ) 。
首 相 に は モ ー ロ ワ や フ ァ ビ ウ ス な ど 「 ば ら 色 の エ ナ ルク ( E N A 出 身 者 ) 」 が 就 任 す る 。 色 は 違 っ て も エ リ ー ト支 配 は 続 く 。 一 連 の 国 有 化 政 策 の 採 用 は 、 社 会 主 義 理 論 から と い う よ り も 、 米 産 業 に 対 す る 自 国 産 業 の 保 護 か ら で ある 。 し か し 、 社 会 保 障 の 拡 大 や 労 働 条 件 の 優 遇 な ど に よ り 、
339 ミッテランについても、日本語で読める参考文献は何冊かある。日本人研究者も案外多い。社会党政権誕生ということで、人気があったことも否定できないだろう。当時の日本の政治情勢を考えると、「江戸の敵…」だっただろうか。また、Cf. アラン・デュアメル『ドゴールとミッテラン』村田晃治訳(世界思想社)。例えば、フランソワ・ミッテラン、エリ・ウィーゼル『ある回想 大統領の深淵』平野新介訳(朝日新聞社)を読むと、フランスで上流階級や指導者であり続けるには、哲学や文学の素養の保持のみならず、その顕示が必要だと分かるが、どれだけ割り引いて読むか、難しい。
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イ ン フ レ 進 行 と 失 業 者 増 大 で 、 再 び フ ラ ン が 海 外 流 出 し たた め 、 緊 縮 財 政 ・ 民 営 化 な ど に 向 か う こ と に な る ( 内 閣 から 共 産 党 の 閣 僚 を 排 除 ) 。 内 政 危 機 が 高 ま り 、 1988 年 の 大統 領 選 挙 で は 、 極 右 政 党 ( 国 民 戦 線 ) の ル ペ ン が 支 持 を 拡大 す る ( 14.4%) 。 そ の 背 景 に は 移 民 排 斥 運 動 も あ る ( 時 期は ず れ る が 、 1981 年 の 大 統 領 選 の 段 階 で 、 移 民 労 働 人 口 180万 人 、 失 業 者 180万 人 。 こ の 数 字 は 移 民 排 斥 を 訴 え る 勢 力 には 使 い や す か っ た だ ろ う ) 。
こ れ に 対 し 、 ミ ッ テ ラ ン は 中 道 へ と 支 持 を 拡 げ 、 英 の「 第 三 の 道 」 タ ィ プ の ( サ ッ チ ャ ー 風 の 市 場 原 理 を 採 用 し 、従 来 の 社 会 民 主 主 義 の よ う に 弱 者 を 保 護 で は な く 、 自 立 を促 す た め に 支 援 す る と い う 手 法 ) の 社 会 民 主 主 義 の 方 向 も見 ら れ 始 め る 。 外 交 政 策 で は 、 ド ・ ゴ ー ル に 似 て 、 仏 の 自立 ・ 独 立 を 強 調 し 、 独 仏 協 調 を 強 め な が ら 、 ゴ ル バ チ ョ フを 支 持 す る 。 仏 の 外 交 政 策 の 基 本 は 、 大 統 領 の 違 い に よ る多 少 の 揺 れ は あ る も の の 、 対 米 連 携 で は な い 。 ポ ン ピ ド ー( 右 ) と ブ ラ ン ト ( 左 ) 、 ジ ス カ ル = デ ス タ ン ( 右 ) と シュ ミ ッ ト ( 左 ) 、 ミ ッ テ ラ ン ( 左 ) と コ ー ル ( 右 ) な ど 党派 を 超 え た 親 密 な 仏 独 関 係 が 維 持 さ れ る 。 右 は 右 と 、 左 は左 と 仲 が 良 い と 考 え る の は 単 純 な 発 想 で あ り 、 左 右 問 わ ず 、大 統 領 や 宰 相 の 地 位 に 就 け ば 、 国 益 を 優 先 す る 上 で 選 択 肢は 限 ら れ て い る と い う の が 実 情 で は あ る 。 外 交 と い う 政 策分 野 で は 指 導 者 の 果 た す 役 割 が 大 き い こ と を 考 え る と 、個 々 の 政 治 家 の 主 義 主 張 に よ る 政 策 上 の ブ レ が あ り そ う だが 、 政 権 交 替 で 左 右 が 入 れ 替 わ り な が ら も 仏 独 両 国 の 連 携が 続 く の は 面 白 い 。
◎ ミ ッ テ ラ ン は わ か り づ ら い 。 「 彷 徨 」 の 人 生 とい う 。 ヴ ィ シ ー 政 権 と の 関 わ り ( 極 右 デ モ へ の 参 加 ) 、ペ タ ン 元 帥 へ の 変 わ ら ぬ 敬 意 、 そ の 後 の レ ジ ス タ ン ス運 動 へ の 関 与 、 植 民 地 独 立 運 動 の 鎮 圧 賛 成 な ど が あ る一 方 で 、 社 会 問 題 で は 死 刑 廃 止 な ど 比 較 的 リ ベ ラ ル であ る 。 ま た 、 当 初 核 に は 反 対 だ っ た が ( 仏 は 1960 年 2月 ア ル ジ ェ リ ア で 大 気 圏 内 原 爆 実 験 、 ア ル ジ ェ リ ア 独立 後 は タ ヒ チ で 100 回 以 上 ) 、 次 第 に 核 戦 力 肯 定 に 路 線を 変 え る 。 そ の 背 景 に は 、 軍 事 産 業 保 護 と い う 社 会 党の 路 線 が あ っ た と い わ れ て い る 。 総 じ て 、 ミ ッ テ ラ ンに は 、 機 会 主 義 的 行 動 が 目 立 つ が 、 社 会 主 義 者 と い うよ り は 共 和 派 の ナ シ ョ ナ リ ス ト な の だ ろ う 。
10.2.2.4 第 5 共 和 制 の 制 度 上 の 「 危 機 」 は 1986 年 に 起 こ る 。議 会 選 挙 の 結 果 、 保 守 党 が 優 位 に 立 ち 、 社 会 党 大 統 領 の 下で 保 守 系 シ ラ ク 内 閣 が 誕 生 す る 。 こ れ を 「 コ ア ビ タ シ オ ン( 同 居 ・ 同 棲 、 意 味 と し て は 保 革 共 存 ) 、 仏 語 : cohabitation 」 と 呼 ぶ ( こ れ 以 降 数 度 発 生 す る ) 。
第 5 共 和 制 で は 大 統 領 と 首 相 と の 関 係 が わ か り づ ら い 。
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大 統 領 が 首 相 を 任 命 す る が 、 首 相 は 議 会 に 責 任 を 負 う か ら 、議 会 選 挙 の 結 果 次 第 で は 、 大 統 領 は 反 対 勢 力 の リ ー ダ を 首相 に 任 命 す る こ と に よ っ て 、 保 革 共 存 に 甘 ん じ る こ と に なる 。 コ ア ビ タ シ オ ン が 誕 生 し て み る と 、 第 5 共 和 制 は 大 統 領 制 と い う よ り 、 議 院 内 閣 制 と し て の 側 面 が 強 い こ と が わか る 。 コ ア ビ タ シ オ ン ( 保 革 共 存 ) の 場 合 、 国 民 議 会 の 意思 を 大 統 領 も 尊 重 せ ざ る を 得 な い た め 、 内 政 上 の 主 導 権 は首 相 に あ り 、 大 統 領 は 主 と し て 外 交 ・ 国 防 に 責 任 を 負 う 形で の 分 業 体 制 も 見 ら れ る 。 大 統 領 に せ よ 、 政 府 に せ よ 、 その リ ー ダ シ プ が 、 議 会 に お け る 政 治 勢 力 の 分 布 に 左 右 さ れれ ば 、 議 院 内 閣 制 に 近 づ き 、 こ れ が 常 態 と な れ ば 、 大 統 領は 公 正 無 私 な 立 場 か ら の 調 停 役 に 自 己 規 制 す る こ と に な るが 、 い ず れ も 、 制 度 の 運 用 に 関 す る 問 題 で あ り 、 ま た 、 大統 領 の 個 性 次 第 で 決 ま る 問 題 で も あ る 。 換 言 す れ ば 、 大 統領 は 、 第 5 共 和 制 憲 法 の 起 草 者 で あ り 、 英 議 会 政 治 の 信 奉者 で あ っ た ド ブ レ の 思 い 描 い た 英 国 流 君 主 あ る い は 「 超 然的 」 存 在 ( 仲 裁 者 ) と し て の 役 割 を 求 め ら れ て い る と も いえ る 。
◎ 米 大 統 領 制 で も 、 大 統 領 を 支 持 す る 政 党 と 、 連邦 議 会 の 多 数 派 政 党 と が 異 な る こ と が あ る が 、 大 統 領と 議 会 と が 制 度 上 分 離 し て い る こ と 、 米 で は 政 党 は 大統 領 選 挙 を 中 心 に 組 織 化 さ れ 、 普 段 は 開 店 休 業 に 近 いこ と も あ っ て 、 コ ア ビ タ シ オ ン と は 通 常 呼 ば な い 。 日本 に つ い て も 、 近 年 参 議 院 で 野 党 が 多 数 派 を 占 め る 事態 が し ば し ば 起 こ る が 、 コ ア ビ タ シ オ ン と は 呼 ば な い 。た だ 、 与 党 が 法 案 成 立 に 苦 労 す る 点 は 仏 と 似 て い る 。
10.2.3. 独 ( 西 独 )
10.2.3.1 西 独 で は 、 キ リ ス ト 教 民 主 同 盟 / キ リ ス ト 教 社 会 同 盟 ( C D U / C S U ) と 社 会 民 主 党 ( S P D ) は 大 連立 政 権 ( 1966 ~ 1969 ) で 内 政 の 危 機 を 乗 り 切 る が 、 こ の 例 外政 権 は 3 年 で 解 消 さ れ 、 大 連 立 で 「 見 捨 て ら れ た 」 自 由 民主 党 ( F D P ) は 連 立 の 相 手 を C D U / C S U か ら S PD に 乗 り 換 え る ( 1969 年 ) 。 東 方 外 交 で 知 ら れ る ブ ラ ン ト政 権 の 誕 生 で あ る 。
東 方 外 交 の 目 的 は 、 非 軍 事 的 領 域 で の 東 西 の 交 流 を 進め る こ と だ が 、 同 時 に 「 隣 接 国 」 波 な ど と の 国 境 確 定 で あり 、 ま た 両 独 が 相 互 に 国 家 と し て 承 認 す る こ と 、 す な わ ち 西 独 の 独 占 的 代 表 権 の 放 棄 で あ る 。 こ れ を 時 系 列 で 経 過 をた ど れ ば 、 モ ス ク ワ 条 約 ( 1970 年 8 月 ) で 武 力 不 行 使 と 現状 承 認 が な さ れ 、 波 の 西 部 国 境 と 両 独 の 国 境 な ど 国 境 の 不可 侵 が 定 ま る ( 尤 も 、 現 状 承 認 は 独 再 統 一 の 可 能 性 を 否 定し な い こ と が 確 認 さ れ て い る ) 。 オ ー デ ル ・ ナ イ セ 線 ( 河
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川 ) が 波 と の 国 境 と し て 承 認 さ れ ( 1970 年 12 月 ) 、 米 英 仏ソ 連 四 国 が 通 行 の 自 由 な ど 伯 林 四 大 国 協 定 を 結 ぶ ( 1971 年10 月 ) 。 独 基 本 条 約 が 結 ば れ ( 1972 年 12 月 ) 、 独 系 住 民 が多 数 居 住 し て い た チ ェ コ の ズ デ ー デ ン 地 方 の 独 併 合 を 認 めた ミ ュ ン ヘ ン 協 定 ( 1938 年 ) の 無 効 が 宣 言 さ れ 、 東 西 両 独は 同 時 に 国 連 に 加 盟 す る ( 1973 年 ) 。
東 西 の 分 断 を 象 徴 す る 伯 林 の 壁 の 建 設 ( 1961 年 ) 以 降 、再 統 一 を 目 指 し な が ら も 、 当 面 は 2 つ の 独 の 併 存 を 容 認 し 、 人 的 ・ 経 済 的 交 流 を 図 る と い う 手 法 の 完 成 で あ る 。 東 方 外交 は 、 勢 力 均 衡 を 前 提 と し た デ タ ン ト ( ソ 連 ・ 東 欧 諸 国 との 緊 張 緩 和 ) 政 策 で あ る 。 S P D は 1972 年 総 選 挙 で は じ めて 第 一 党 と な る が 、 ブ ラ ン ト は 年 金 財 政 な ど の 失 敗 や 秘 書の ス パ ィ 疑 惑 な ど が あ り 、 シ ュ ミ ッ ト が 引 き 継 ぐ 。 経 済 政策 に 明 る い ( と 自 称 す る ) シ ュ ミ ッ ト は 二 度 の オ、 ィ ル ショ ッ ク に 対 し て 、 緊 縮 財 政 路 線 で 対 応 し 不 況 克 服 を 図 ろ、う と す る 一 方 で 、 欧 州 通 貨 統 合 を 目 指 し 、 防 衛 政 策 や 過 激派 対 策 な ど で は 積 極 路 線 を と る 。
◎ 二 大 政 党 ( C D U / C S U と S P D ) の い ずれ も 1953 年 選 挙 を 除 き 、 下 院 議 席 の 過 半 数 を 占 め る こと は な い 。 従 っ て 、 第 三 勢 力 の F D P が ど ち ら か の 政党 と 連 立 協 議 を 行 い 、 政 権 を 樹 立 す る こ と が 通 例 と なる 。 な お 、 西 独 は 二 院 制 ( 連 邦 議 会 と 連 邦 参 議 院 ) をと る が 、 大 雑 把 に い っ て 「 連 邦 が 立 法 を 、 州 が 執 行を 」 と い う ユ ニ ー ク な 連 邦 制 を 採 用 し て い る こ と も あり 、 連 邦 参 議 院 は 、 そ の メ ン バ は 国 民 が 直 接 選 出 せ ず 、各 州 政 府 の 代 表 者 が 就 任 す る 、 必 ず し も 連 邦 議 会 が 連邦 参 議 院 に 対 し て 優 越 す る わ け で は な い 、 な ど の 特 色が あ る ( C f . 政 治 制 度 論 ) 。
10.2.3.2 F D P の 路 線 変 更 な ど も あ り 、 1982 年 に C D U /C S U と F D P に よ る コ ー ル 政 権 が 誕 生 す る 。 保 守 政 権 とは い え 、 サ ッ チ ャ ー な ど の 路 線 と は 異 な り 表 面 的 に は 規、制 緩 和 や 民 営 化 な ど 自 由 主 義 的 な 手 法 を 用 い た よ う に は 見え て も 結 局 は コ ー ポ ラ テ ィ ズ ム の 手 法 が 組 み 込 ま れ て い、る 独 に お い て は 、 社 会 民 主 主 義 政 策 を 継 承 す る 点 が 特 色 であ る 。 コ ー ル は 独 ら し く ア ー デ ナ ウ ア ー や ブ ラ ン ト な ど と同 様 に 地 方 政 治 家 出 身 で は あ る が 、 1989 年 以 降 の 政 治 変 動で 一 躍 歴 史 に 名 を 残 す こ と に な る 。 な お 、 独 の 連 邦 宰 相 は短 く て も 3 年 前 後 務 め て お り 、 ア ー デ ナ ウ ア ー は 14 年( 1949 ~ 1963 ) 、 シ ュ ミ ッ ト は 8 年 ( 1974 ~ 1982 ) 、 コ ー ル はこ の 2 人 を 超 え る こ と に な る ( 16 年 、 1982 ~ 1998 ) 。 議 会 制民 主 主 義 と し て は 相 当 に 安 定 し て い る と い え る だ ろ う 。
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10.2.4 E U 340
10.2.4.1 E C ( European Communities , 1967 年 ~ ) か ら E U ( European Union , 1993 年 ~ ) へ の 発 展 ( 但 し 、 E C が な く な っ た わけ で は な い ) の 遅 速 は 、 外 的 要 因 ( 国 際 情 勢 ) に よ る と ころ が 大 き か っ た 。 外 的 要 因 と は 、 ソ 連 、 米 、 米 ソ 関 係 の 軍事 的 ・ 経 済 的 状 況 で あ る 。
自 由 化 ( 「 人 間 の 顔 を し た 社 会 主 義 」 ) を 求 め た 「 プラ ハ の 春 」 ( 1968 年 ) は ワ ル シ ャ ワ 条 約 機 構 軍 に よ っ て 鎮圧 さ れ 、 東 側 の 勢 力 範 囲 内 で は 、 政 治 問 題 に 軍 事 介 入 す ると い う 「 ブ レ ジ ネ フ ・ ド ク ト リ ン ( 制 限 主 権 論 ) 」 が 基 本原 則 だ っ た 。 そ の 延 長 戦 上 で ソ 連 は 中 距 離 核 戦 力 ( I NF ) の 柱 と し て 最 新 式 の ミ サ ィ ル S S 20 配 備 ( 射 程 距 離500 ~ 5,500 ㎞ ) を 決 め る ( 1977 年 ) 。 射 程 距 離 か ら わ か る よ うに 米 本 土 に は 届 か な い 。 ソ 連 周 辺 諸 国 向 け の 、 車 両 発 射 式で 核 弾 頭 が 配 備 さ れ た ミ サ ィ ル で あ り 、 欧 州 は パ ニ ク に 陥る 。 N A T O は 対 抗 手 段 を と る が 、 軍 縮 の た め に 軍 拡 す ると い う 勢 力 均 衡 ゲ ィ ム に 内 在 す る 矛 盾 を 露 呈 す る よ う な「 二 重 決 定 」 に 反 発 は 高 ま る 。 さ ら に ソ 連 に よ る ア フ ガ ニス タ ン 侵 攻 ( 1979 年 ) 、 イ ラ ン = イ ラ ク 戦 争 ( 1980 年 ) な どで 軍 事 的 緊 張 は 高 ま る 。 し か し 、 豊 富 な 資 源 供 給 に よ り 東側 陣 営 経 済 を 支 え て い た ソ 連 の 経 済 は 停 滞 し 、 ソ 連 の プ レゼ ン ス は 低 下 し つ つ あ っ た 。
一 方 で 、 米 の 経 済 力 も 相 対 的 に 低 下 し 続 け て い た 。 1950年 代 後 半 以 降 、 米 の 貿 易 赤 字 が 拡 大 し 始 め 、 い わ ゆ る ニ クソ ン ・ シ ョ ッ ク に よ り 、 変 動 為 替 相 場 制 へ と 移 行 し て い た( 1971 年 ) 。 そ し て 、 同 時 期 の ニ ク ソ ン 米 大 統 領 の 訪 中 ・訪 ソ は 、 欧 州 に と っ て も 頭 越 し 外 交 を 意 味 し た 。 ま た 、 オィ ル シ ョ ッ ク と 第 四 次 中 東 戦 争 ( 1973 年 ) で は 、 米 と は 異な り イ ス ラ エ ル を 必 ず し も 全 面 支 持 し な い 欧 州 は 対 米 自、立 を 進 め る 。 こ う し た 外 的 環 境 の 変 化 に 対 応 し な が ら 、 欧州 の 統 合 は 進 め ら れ た が 、 戦 略 兵 器 削 減 協 定 ( S A L T ) の 停 滞 な ど に 現 れ る よ う に 、 米 ソ 間 の 軍 縮 は 進 ま ず 、 全欧 レ ベ ル で の 秩 序 構 想 は し ば し ば 中 断 し た 。
340 EUの参考文献には、かなり専門性が高いものが多いという印象がある。制度が複雑だからだろう。梶田孝道『統合と分裂のヨーロッパ』(岩波新書)のような入門書がいいが、これは 1993 年なので既に古い。EUの場合、10 年前では使えない。状況の変化が大きいからである。デレク・ベンジャミン・ヒーター『統一ヨーロッパへの道』田中俊郎監訳(岩波書店)はいわば統一理念史である。羽場久美子『EU(欧州連合)を知る 63章』(明石書店)のようなものだと気楽に読めるかも知れない。羽場久美子『拡大ヨーロッパの挑戦』(中公新書)は、2014 年増補版が出ているようである。遠藤乾『統合の終焉』(岩波書店)が現在では一番いいのかもしれない。学部生には難しいだろうが、深く勉強したい人は平島健司編『国境を越える政策実験・EU』(東京大学出版会)所収の諸論文を読まれたし。また、実はEUという特殊な政治形態は、ガバナンス論との関連が高い点でも注目される。臼井陽一郎「EU研究における統治( Governance )論の射程」『新潟国際情報大学情報文化学部紀要』(第5巻、2002 年)91-113頁は、EUに限られない射程がある。また、臼井陽一郎「EUガバナンスの研究と言説構成論の試み」『新潟国際情報大学情報文化学部紀要』(第 10巻、2007 年)61-79頁は政治学の論文として面白い。平島健司「EU研究とガバナンス・アプローチ」『東京大学社会科学研究所 ディスカッションペーパーシリーズ J-203』(2012 年)はやはりわかりやすい。
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◎ E C も 面 倒 で あ る 。 欧 州 石 炭 ・ 鉄 鋼 共 同 体 ( EC S C ) 、 欧 州 経 済 共 同 体 ( E E C ) 、 欧 州 原 子力 共 同 体 ( E U R A T O M ) の 3 つ を 指 す 場 合 に は 、European Communities ( 複 数 ) で 、 欧 州 経 済 共 同 体 が 経 済 以外 の 分 野 を 担 う こ と に よ り E U と 改 称 さ れ た ( 1993年 ) 以 降 は 、 European Community ( 単 数 ) で あ る 。
◎ モ ス ク ワ ・ オ リ ン ピ ッ ク ( 1980 年 ) 、 ロ サ ン ゼ ルス ・ オ リ ン ピ ッ ク ( 1984 年 ) で の 双 方 陣 営 の 不 参 加 に象 徴 さ れ る よ う に 、 こ の 時 期 米 ソ 間 の 軍 事 的 緊 張 が 続く 一 方 で 、 米 は ソ 連 へ の 穀 物 輸 出 を 拡 大 す る と い う「 二 枚 舌 」 を 用 い た ( 1982 年 ) 。 こ れ は 、 欧 州 か ら みれ ば 許 し 難 い 行 為 に み え た が 、 国 益 重 視 の 名 の 下 に 、業 界 の 圧 力 に あ わ せ て 、 経 済 利 益 を 追 求 す る 外 交 政 策を 推 進 す る の は 米 国 政 治 ら し さ で あ る 。
10.2.4.2 欧 州 統 合 に は 内 側 に も 問 題 は あ っ た 。 当 初 の 主要 争 点 の 1 つ は 農 業 問 題 で あ る 。 現 在 で も E U 予 算 の 40 %以 上 は 農 業 関 係 に つ ぎ 込 ま れ て い る 工 業 化 が 進 み 、 域 内。の 経 済 統 合 や 貿 易 自 由 化 が 課 題 と な る に つ れ 、 近 代 化 が 遅れ が ち な 農 業 部 門 は 、 自 国 政 府 に 積 極 的 な 保 護 政 策 を 求 める 。 こ れ に 対 し 、 域 内 市 場 の 整 備 に 向 け 、 1960 年 代 に は 農業 補 助 ( 補 助 金 給 付 と 高 価 格 維 持 ) を 目 的 と す る 共 通 農 業政 策 ( C A P 、 Common Agricultural Policy ) が ス タ ー ト す る 。 そ の際 、 E E C が 超 国 家 的 な 組 織 に な る こ と ( 例 え ば 閣 僚 理、事 会 で 特 定 多 数 決 方 式 の 導 入 ) は 、 E E C が 超 国 家 と な れ ば 主 権 が 脅 か さ れ る と 考 え 、 政 府 間 組 織 で あ る と 考 え るド ・ ゴ ー ル ら に よ っ て 否 定 さ れ 、 各 国 政 府 の 自 立 性 を 前 提と し た 統 合 方 式 で 合 意 し た こ と が 何 と か 前 進 と な っ た ( ルク セ ン ブ ル ク の 妥 協 1966 年 ) 。 そ し て 、 領 土 保 全 、 安 全 保障 、 経 済 協 力 、 人 道 支 援 な ど を 定 め た 最 終 合 意 書 ( ヘ ル シン キ 宣 言 、 1975 年 、 ア ル バ ニ ア を 除 く 35 カ 国 ) が 1 つ の 画期 と な る 。 加 盟 国 の 国 民 個 人 の 人 権 擁 護 を 加 盟 国 に 要 求 する も の だ っ た か ら で あ る ( そ れ は ソ 連 に と っ て 予 想 以 上 に打 撃 と な っ た ) 。 ま た 、 通 貨 政 策 ( 欧 州 通 貨 制 度 の 推 進 )で は 、 各 国 政 府 の 思 惑 と 、 各 国 通 貨 の 市 場 価 値 の 変 動 に より ( 最 大 の 通 貨 は 独 マ ル ク で あ る 。 英 ポ ン ド 、 仏 フ ラ ン では 切 り 下 げ が 問 題 と な る が 、 独 マ ル ク の 場 合 、 切 り 上 げ が争 点 と な る ) 、 順 調 に は 伸 展 し な か っ た が 、 関 税 同 盟 ・ 通貨 統 一 は 、 地 域 統 合 の 指 標 で あ っ た 。
◎ 1975 年 の ヘ ル シ ン キ 宣 言 は 、 バ チ カ ン が 中 心 と なっ て 行 っ た 国 際 的 な 安 全 保 障 会 議 だ と い う 見 解 も あ
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る 341。 「 全 欧 安 全 保 障 協 力 会 議 」 は 、 ア ル バ ニ ア を除 く 、 ソ 連 を 含 め た 欧 州 33 カ 国 ( 米 、 加 を 含 め て 35カ 国 ) に よ る も の で 、 ヨ ハ ネ 23 世 の 遺 志 を 継 い で 、ソ 連 や 東 欧 諸 国 と の 外 交 を 担 当 し て い た カ ザ ロ ー リが 提 案 し 、 会 議 の 議 長 を 務 め た 。 日 本 人 に は わ か りづ ら い が 、 バ チ カ ン の 政 治 力 が 覗 え る 。 そ し て 、 その 後 の 東 欧 革 命 で も 一 定 の 役 割 を 果 た し て こ と も 記憶 し て お い た 方 が い い だ ろ う 。
10.2.4.3 当 初 、 仏 、 独 、 伊 、 ベ ネ ル ク ス 3 国 の 6 ヶ 国 だっ た 加 盟 国 は 、 1973 年 に 英 、 愛 蘭 、 丁 が 加 わ っ て 9 ヶ 国 とな り 、 1981 年 に 希 が 加 盟 、 1986 年 に 西 ・ 葡 が 加 盟 し て 12 ヶ 国 に な る ( 地 図 で 確 認 す れ ば わ か る よ う に 、 大 陸 の 中 央 部 分か ら 一 気 に 周 辺 部 分 に 拡 が っ た ) 。 伊 に 続 く 地 中 海 諸 国 の加 盟 に よ り 、 南 北 問 題 が 本 格 的 に 持 ち 込 ま れ る こ と に な る 。以 上 の 拡 大 過 程 を 制 度 の 進 展 で 辿 れ ば 、 次 の よ う に な る 。
当 初 経 済 通 貨 同 盟 の 完 成 ( 経 済 政 策 の 決 定 や 欧 州 中 央銀 行 の 設 立 、 単 一 通 貨 の 発 行 ) は 、 1971 年 の 通 貨 危 機 や 1973年 の オ ィ ル シ ョ ッ ク に よ り 延 期 さ れ た も の の 、 欧 州 通 貨 制度 ( E M S ) が 発 足 し ( 1979 年 ) 、 最 終 的 に は 通 貨 を 国家 主 権 の 象 徴 と 考 え て 参 加 を 見 送 っ た 英 以 外 の 8 ヶ 国 が 加盟 す る 。 も ち ろ ん 、 共 同 市 場 に は 、 関 税 の 撤 廃 だ け で な く 、各 国 の 産 業 に 対 す る 保 護 政 策 を 撤 廃 す る こ と や 、 農 産 物 や工 業 製 品 の 規 格 の 統 一 な ど 、 乗 り こ え る べ き 障 壁 は 数 多 くあ っ た そ れ で も 、 単 一。 欧 州 議 定 書 が か わ さ れ て 、 30 年 ぶり に 閣 僚 理 事 会 の 事 項 の 3 分 の 2 が 全 会 一 致 か ら 特 定 多 数制 へ と 変 更 さ れ た ( 1986 年 ) 。
◎ 制 度 は ひ と ま ず 模 倣 可 能 で あ る 。 な お 、 「 和 魂 洋才 」 に な ら っ て い え ば 、 「 英 魂 独 才 」 も あ れ ば 、 「 独魂 英 才 」 も あ る 。 欧 州 の 文 明 は 相 互 学 習 の 成 果 で あ り 、分 野 ご と に 先 進 国 が 模 倣 さ れ る 。
◎ 補 完 性 原 理 ( principle of subsidiarity ) は 重 要 か も 知 れな い 。 現 在 で は 社 会 保 障 な ど に も 広 く 応 用 さ れ て い るか ら で あ る 。 補 完 性 原 理 の 内 容 も 実 は 単 純 で は な いが 一 般 に は、 規 模 や 効 率 、 あ る い は 身 近 な 政 治 の 観 点
か ら 適 切 な 限 り 下 位 の ( 政 治 ・ 行 政 ) 単 位 が 決 定 す、 べ き で あ り 上 位 の ( 政 治 ・ 行 政 ) 単 位 は 介 入 を 控 え、 る べ き だ と い う 発 想 で あ る 地 方 分 権 的 な 発 想 と 結 び。
つ き そ う で あ る が 間 接 的 で は あ っ て も 補 完 と い う 名、で 上 位 の 政 治 単 位 の 介 入 が 正 当 化 さ れ た こ と も 含 意 する す な わ ち 、 国 家 と。 E U と の 関 係 に 当 て は め て 考 える と 、 E U が 構 成 国 の 主 権 を 制 限 す る 理 屈 に も な り う
341 松本佐保『バチカン近現代史』(中公新書)174頁
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る 点 に 留 意 し た 方 が い い 。
10.2.4.4 欧 州 共 同 体 へ の 加 盟 条 件 は 制 度 上 色 々 あ る 。 しか し 、 そ も そ も 欧 州 で な け れ ば な ら な い と い う こ と は 平 凡な が ら 重 要 で あ る 。 そ し て 、 そ の 欧 州 の 範 囲 と は 、 「 大 西洋 か ら ウ ラ ル 山 脈 ま で 」 ( ド ・ ゴ ー ル ) と い う 合 意 が 得 られ て い る よ う に も 見 え る ( た だ 、 ド ・ ゴ ー ル の 場 合 、 「 大西 洋 か ら 」 が 英 を 含 ま な い こ と を 含 意 し て い る だ ろ う ) 。そ の 合 意 が 1975 年 に 東 西 両 陣 営 を 越 え て 欧 州 の 安 全 保 障 を議 論 す る 全 欧 安 全 保 障 協 力 会 議 ( Conference on Security and Cooperation in Europe、 現 在 は 欧 州 安 全 保 障 協 力 機 構 、 O S C E 、 Organization for Security and Cooperation in Europe で 、 当 初 よ り 米 、 加 も 参 加 ) の 精 神と な っ て い る 。 し か し 、 ト ル コ の 問 題 を 措 い て も 、 ベ ラ ルー シ や ウ ク ラ イ ナ な ど 残 る ヨ ー ロ ッ パ ロ シ ア の 旧 ソ 連 構 成国 は 、 ま だ ま だ 問 題 は 多 い 。 大 国 と は い え 、 露 に と っ て 、 E U の 東 進 は 、 そ の 主 要 国 が N A T O 加 盟 国 で あ る 限 り 脅、 威 で あ り 、 ま た 露 全 土 が E U に 加 盟 す る こ と は 考 え づ ら いこ と か ら 経 済 的 に も 脅 威 と な る 。 た だ 、 「 強 い 露 」 を 掲 げる プ ー チ ン が 大 統 領 に 就 任 ( 2000 年 ~ ) し て 以 降 、 貧 富 の格 差 が 激 し く な り な が ら も 、 露 の 経 済 改 革 は 予 想 以 上 に 順調 に 進 み ( 尤 も 、 原 油 価 格 が 高 く な っ た こ と が 重 要 か も 知れ な い ) 、 露 は 再 び 大 国 と し て の 独 自 の 地 位 を 築 き 上 げ よう と し て い る よ う に 思 え る 。 と も あ れ 、 E U の 東 側 へ の 拡 大 は そ の 地 理 的 重 心 を 東 側 へ と 移 す こ と に な る 。 仏 か ら 独へ 、 西 欧 か ら 中 欧 へ 、 で あ る 。
◎ ウ ク ラ イ ナ の 最 近 の 動 乱 は 、 地 政 学 的に は 欧 州 の 位 置 付 け と 関 連 し て い る 。 そ の 前 提 は 、露 が 欧 州 な の か 、 ユ ー ラ シ ア ( 欧 州 + ア ジ ア ) な のか 、 そ し て 、 露 の 西 側 に あ る ウ ク ラ イ ナ は 欧 州 な のか 、 そ れ と も 露 と 同 じ く ユ ー ラ シ ア な の か で あ る 。欧 州 の 範 囲 は 「 大 西 洋 か ら ウ ラ ル 山 脈 ま で 」 ( ド ・ゴ ー ル ) と い う 合 意 が 再 び 問 わ れ て い る と い え る 。
10.3 ~ 10.4 新 し い 政 治 ② : ポ ス ト 冷 戦 ( 1989 / 1991 ~ )
10.3 冷 戦 の 「 終 焉 」
10.3.1 こ の 講 義 は 欧 州 現 代 政 治 で は な く 、 欧 州 現 代 政治 史 な の で 、 本 来 は 1989 / 1991 以 降 な ど 扱 う 必 要 は な い の かも し れ な い 。 し か し 、 ひ と 昔 が 一 世 代 ( 30 年 ) を 意 味 し てい た の は 昔 の 話 で 、 こ れ だ け 社 会 時 間 の 流 れ が 速 い と 、 10年 前 の こ と す ら 、 昔 に 思 え て く る ( 2001 年 9 月 11 日 米 同 時多 発 テ ロ は ま だ 記 憶 に 新 し い だ ろ う か 、 も う 歴 史 だ ろ うか ) 。 そ こ で 、 詳 細 は 「 政 治 制 度 論 」 な ど に 譲 る こ と と し
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て 、 1989 / 1991 以 降 の 欧 州 政 治 に つ い て 簡 単 に 記 す こ と と する 。
10.3.1.1 歴 史 と 現 在 を 分 け る の が 、 「 記 録 さ れ た 時 間 」と 「 記 憶 さ れ て い る 時 間 」 の 違 い だ と す れ ば 、 そ も そ も 第2 次 大 戦 以 降 は 「 歴 史 」 で は な く 、 ま し て や 、 1989 / 1991 以降 な ど 、 生 々 し い 記 憶 と 結 び つ い て い る か ら 、 到 底 歴 史 とは 言 い 難 い 。 そ れ で も 、 1990 年 前 後 か ら 、 ま た 別 の 意 味 で さ ら に 新 し い 時 代 が 始 ま っ た と い う 意 識 は 、 と り わ け 欧 州の 人 た ち に は 濃 厚 に あ る 。 そ れ は 何 よ り も 、 欧 州 人 に と って は 、 第 2 次 大 戦 以 降 、 脳 裏 に こ び り つ い て い た 「 冷 戦 ( Cold War ) 」 が 終 了 し た と 思 え る か ら で あ る 。 そ れ は 、 何 より も 冷 戦 が 欧 州 大 陸 を 主 要 な 戦 場 と し て 想 定 し て お り ( アジ ア や ア フ リ カ で は 、 そ の 代 理 戦 争 が 行 わ れ て き た 。 抑 圧の 移 譲 な ら ぬ 、 緊 張 の 移 譲 で あ る ) 、 西 側 の 人 間 に と っ ては ソ 連 の 恐 怖 か ら の 解 放 だ っ た 。 こ こ に 、 米 ソ の 軍 事 対 立が 冷 戦 状 態 か ら 二 大 大 国 間 の 軍 事 協 議 へ と 変 わ り 、 欧 州 の地 域 的 な 平 和 は 確 保 さ れ た よ う に 思 え 、 そ れ を 前 提 に 新 しい 動 き が 進 み 始 め る ( た だ 、 冷 戦 の 終 了 は 欧 州 の 話 で あ って 、 例 え ば 東 ア ジ ア で は 継 続 し て い る 、 あ る い は む し ろ 緊張 の 度 合 い が 高 ま っ て い る ) 。
10.3.1.2 米 ソ 間 の 軍 事 的 緊 張 が 上 下 動 す る 中 で 、 「 ペ レス ト ロ イ カ ( 改 革 、 字 義 通 り で は 再 構 築 ) 」 で 知 ら れ る ゴル バ チ ョ フ の 共 産 党 書 記 長 選 出 ( 1985 年 ) が 画 期 ( 「 終 わり の 始 ま り 」 ) と な っ た 。 ゴ ル バ チ ョ フ は 「 新 思 考 外 交 」を 唱 え 、 ブ レ ジ ネ フ ・ ド ク ト リ ン ( 制 限 主 権 論 ) を 否 定 し 、 東 欧 諸 国 の 「 自 主 性 」 を 認 め る 。 こ の ゴ ル バ チ ョ フ の 「 シナ ト ラ ・ ド ク ト リ ン 」 ( フ ラ ン ク ・ シ ナ ト ラ の ’ My Way ’に 引 っ か け て い る ) が そ の 後 の 欧 州 に お け る 軍 事 関 係 の 基本 柱 の 1 つ と な る 。 そ し て 、 い わ ゆ る 「 東 欧 革 命 」 ( 1989年 ) は ソ 連 の 解 体 に つ な が り ( 1991 年 ) 、 欧 州 で の 冷 戦 は終 了 し 、 欧 州 統 合 は 量 的 質 的 に 拡 大 を 始 め る 。
一 方 で 、 戦 争 の 危 機 が 遠 の け ば 、 従 来 各 国 で 多 数 派 の「 支 配 に 甘 ん じ て き た 」 少 数 集 団 は 独 立 や 自 治 拡 大 を 目 指す こ と に な る 。 国 民 の 福 祉 増 大 装 置 で あ る 現 代 国 家 も 、 その 国 家 と し て の 本 来 の 存 在 理 由 は 軍 事 的 独 立 だ か ら で あ る 。チ ェ コ ス ロ バ キ ア が チ ェ コ と ス ロ バ キ ア の 二 国 へ と 平 和 裡に 分 離 し 、 ソ 連 や ユ ー ゴ ス ラ ビ ア は 解 体 し て 数 多 く の 国 家が 独 立 、 英 ・ 西 な ど で も 自 治 権 拡 大 要 求 が 高 ま る ( 地 図 ) 。ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 時 代 は 終 わ っ た の で は な く 、 む し ろ 、 ナシ ョ ナ リ ズ ム に 基 づ く 運 動 が 本 格 化 し 始 め て い る と も い える 。 N A T O が 守 っ て く れ る な ら 、 白 の 分 裂 す ら あ り 得 ない 話 で は な い ( 2011 年 12 月 6 日 よ う や く 内 閣 が 成 立 。 不 在期 間 は 従 来 の 記 録 を 大 き く 上 回 り 、 541日 。 す な わ ち 、 1 年半 も の 間 暫 定 政 権 だ っ た ) 。 近 代 以 降 の 国 家 の 第 1 の 存 在理 由 は 軍 事 ( 対 外 的 侵 略 か ら の 国 民 の 保 護 ) だ か ら で あ る 。
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そ し て 、 そ れ を 「 後 見 」 す る の が E U と な る ( こ の 点 で は 、希 系 住 民 と ト ル コ 系 住 民 の 武 力 衝 突 が 続 く キ プ ロ ス の E U加 盟 を 認 め た こ と は 、 す こ ぶ る 政 治 的 な 配 慮 だ っ た と い える だ ろ う ) 。 以 前 に も 増 し て 、 E U の 存 在 感 は 大 き い 。 もは や 、 内 政 も 外 交 も 、 E U と の 調 整 で の み 可 能 だ か ら で ある ( 憲 法 を 持 た ず 、 議 会 主 権 で 運 営 し て き た 英 に と っ て 、E U 憲 法 と の 調 整 は 主 権 問 題 で も あ り 、 憲 法 問 題 で も ある ) 。
◎ 冷 戦 が 終 わ る こ と は 素 晴 ら し い こ と か も 知 れ ない 。 し か し 、 冷 戦 は 、 軍 事 に よ っ て 生 き て い た 軍 事 関
係 者 や 科 学 者 を 失 業 へ と 追 い 込 む 。 と り わ け 、 ソ 連 の崩 壊 は 、 軍 事 技 術 者 に と っ て 辛 い 試 練 と な っ た 。 逆 に言 え ば 、 軍 事 技 術 を 外 国 に 売 り 込 む チ ャ ン ス と な っ た 。冷 戦 中 な ら 、 軍 事 技 術 の 売 却 は 国 家 反 逆 罪 と な っ た だろ う 。 旧 ソ 連 の 軍 事 関 係 者 が 周 辺 諸 国 へ と 再 就 職 す る 。こ の 時 期 以 降 、 北 朝 鮮 や イ ラ ク な ど で 核 兵 器 の 開 発 が進 ん だ こ と は 事 実 で あ る が 、 情 報 の 売 買 を 含 め て 、 因果 関 係 の 証 明 は 難 し い 。
◎ ソ 連 に 較 べ 、 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の 場 合 は 、 サ ラ エ ヴォ 、 コ ソ ボ 、 ス レ ブ レ ニ ツ ァ な ど で 余 り に も 多 く 血 が流 れ さ れ た 。 こ の 悲 惨 の 原 因 は 、 チ ト ー と い う カ リ スマ を 失 っ て い た こ と 、 国 内 の 経 済 が 破 綻 常 態 に あ っ たこ と 、 こ の 国 が ま さ に バ ル カ ン 地 域 ら し く 、 民 族 が モゥ ゼ ィ ク 状 に 住 ん で い た こ と ( よ く い わ れ る 言 葉 は 、6 つ の 共 和 国 、 5 つ の 民 族 、 4 つ の 言 語 、 3 つ の 宗 教 、2 つ の 文 字 か ら 成 る 1 つ の 国 ) で あ り 、 ま た 周 辺 諸 国や ソ 連 、 中 国 が 自 国 へ の 波 及 を 恐 れ て 介 入 に 反 対 し たこ と 、 英 、 仏 な ど も 現 状 維 持 を 望 ん で い た こ と 、 セ ルビ ア ( ミ ロ シ ェ ヴ ィ ッ チ 大 統 領 ) を 支 持 す る 国 が 少 なく な か っ た こ と で あ る 。 こ の 一 連 の ユ ー ゴ ス ラ ビ ア 戦争 が 終 結 し た 要 因 と し て は 、 ボ ス ニ ア = ヘ ル ツ ェ ゴ ヴィ ナ 政 府 関 係 者 と そ の 「 広 告 代 理 店 」 が 、 セ ル ビ ア を中 心 と す る ユ ー ゴ ス ラ ビ ア か ら の 独 立 を 目 指 す 過 程 で 、セ ル ビ ア 人 に よ る 殺 害 を 「 民 族 浄 化 ( ethnic cleansing ) 」と 名 づ け 、 こ の 言 葉 が ナ チ ス に よ る ユ ダ ヤ 人 迫 害 を 想起 さ せ て 腰 の 重 い 米 政 府 を 動 か し た、 こ と が 挙 げ ら れる だ ろ う 342。
10.3.1.3 こ の 20 年 間 の 内 政 上 の 問 題 は 挙 げ に く い 。 た だ 、以 前 に も 増 し て 各 国 の 経 済 運 営 が 難 し く な っ て い る こ と は確 か で あ る 。 そ れ は 、 経 済 の グ ロ ゥ バ ル 化 が 進 展 し 、 ア メリ カ 発 の サ ブ プ ラ ィ ム ・ ロ ー ン 問 題 な ど の 突 発 的 な 事 件 が各 国 経 済 に 甚 大 な 影 響 を 及 ぼ す か ら で は な い ( 希 臘 の 財 政
342 Cf. 高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店』(講談社文庫)第6章以下
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破 綻 も 経 済 問 題 で は な く 、 ユ ー ロ 離 脱 の 最 初 の 例 と な る かど う か と い う 象 徴 的 な 問 題 で あ る ) 。 中 国 を は じ め と す る東 ア ジ ア の 経 済 成 長 が 著 し い か ら で も な い 。 高 水 準 の 福 祉を 維 持 す る 難 し さ で あ り 、 E U と い う 枠 組 み の 中 で 、 各 国が 自 前 の 経 済 政 策 を 採 ら ざ る を 得 な い 難 し さ で あ る 。 金 融政 策 は 統 一 さ れ て い る の に 、 財 政 政 策 は 各 国 別 だ と い う 難し さ で あ る 。
確 か に 、 サ ッ チ ャ ー 主 義 に 象 徴 さ れ る よ う な 「 新 自 由主 義 」 の 主 唱 に よ る 福 祉 の 後 退 ( 国 民 の 自 己 負 担 分 が 増大 ) は 見 ら れ 、 労 働 党 を は じ め と す る 社 会 主 義 政 党 す ら( も は や 社 会 主 義 政 党 と い う 看 板 は 有 効 性 を 持 た ず 、 社 会民 主 主 義 政 党 で あ る 343) 、 従 来 型 の 福 祉 行 政 へ の 修 正 を 求め る 時 代 と な っ て い る 。 そ れ で も 、 欧 州 で は 、 戦 後 の 合 意で あ っ た 福 祉 国 家 体 制 ( 保 守 主 義 ヴ ァ ー ジ ョ ン で あ れ 、 自由 主 義 ヴ ァ ー ジ ョ ン で あ れ 、 社 会 民 主 主 義 ヴ ァ ー ジ ョ ン であ れ ) は そ の 多 く の 部 分 が 遺 産 と し て 引 き 継 が れ て い る のも 事 実 で あ る 。
ま た 、 少 し 前 に 始 ま っ た 脱 物 質 主 義 の 「 新 し い 政 治 =静 か な る 革 命 」 は す で に 新 し く は な く な り 始 め て い る 。 例え ば 、 環 境 問 題 に ど の 程 度 重 点 を 置 く か は と も か く 、 こ の問 題 を 公 然 と 無 視 で き る 政 党 は も は や 存 在 し な い 。 左 右 の両 政 党 は 、 各 国 と も そ の 政 策 が 似 か よ り 始 め て い る 。 選 挙市 場 で は 、 従 来 の 階 級 政 治 を 支 え て い た 高 い 組 織 率 が 欧 州に お い て も 逓 減 し 、 そ の 結 果 、 日 本 風 に 言 え ば 、 浮 動 層 が増 大 し て 、 従 来 の 主 要 政 党 が 票 の 獲 得 に 苦 慮 し 始 め て い る 。選 挙 制 度 に よ る 制 限 な ど に よ り ( 英 で は 小 選 挙 区 制 、 仏 では 小 選 挙 区 制 + 2 回 投 票 制 、 独 で は 比 例 代 表 制 で 5 % 条 項と い う ハ ー ド ル ) 、 新 し い 政 治 勢 力 の 登 場 に よ っ て 従 来 の政 党 制 が 大 き く 変 え ら れ る こ と に は 容 易 く は な ら な い に して も 、 そ れ ま で の 主 要 な 選 挙 上 の 争 点 が 選 挙 民 に と っ て 魅力 を 失 う も の と な り 、 主 要 政 党 は 主 な 政 策 領 域 で は 相 互 に差 別 化 を 図 り づ ら く な っ て 、 移 民 排 斥 の よ う な 情 緒 に 訴 えや す い 争 点 が 目 立 ち は じ め 、 欧 州 に お い て さ え も 、 党 首 など 主 要 政 治 家 の キ ャ ラ ク タ が 勝 敗 を 決 す る 傾 向 ( 人 気 投 票 、選 挙 あ る い は 政 治 の 人 物 化 ) が 強 ま り 始 め る 。 欧 州 で も「 劇 場 政 治 」 が 見 ら れ 始 め て い る 。
◎ 地 球 温 暖 化 問 題 を リ ー ド し て い る の は 欧 州 諸国 で あ る が 、 二 酸 化 炭 素 排 出 を 権 利 化 し 、 さ ら に 商 品
化 ・ 債 権 化 し て い る 点 が ユ ニ ー ク で あ る 。 政 治 問 題 を法 的 に 処 理 し 、 経 済 的 に 動 く よ う に す る と い う 仕 組 みだ ろ う が 、 要 は 、 環 境 問 題 も 、 儲 け 話 が く っ つ く と 進
展 す る と い う こ と か も 知 れ な い 。
343 Cf. イエスタ・エスピン=アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』 岡沢憲芙、宮本太郎監訳(ミネルヴァ書房)
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10.4 主 要 国 の 情 勢
10.4.1 英
10.4.1.1 東 欧 の 革 命 に 際 し て も ゴ ル バ チ ョ フ を 支 援 す る、な ど 、 西 側 主 導 型 の 改 革 路 線 を 維 持 し た サ ッ チ ャ ー が 退 陣し た 理 由 は い く つ か 考 え ら れ る 。 よ く あ る 退 陣 理 由 の 増 税問 題 も そ の 1 つ で あ り 、 国 民 健 康 保 険 の 民 営 化 の 提 示 、 閣僚 と の 不 和 党 内 支 持 の 不 安 定 な ど も あ る が 、 要 す る に 在、任 期 間 が 11 年 半 と な り ( 逆 に 言 え ば 、 い か に 労 働 党 が 有 効な 政 策 を 打 ち 出 せ な か っ た か で あ る ) 、 厭 き ら れ 始 め た だけ な の か も し れ な い 。 あ る い は 、 保 守 党 に し て は 余 り に も急 進 的 に 改 革 し す ぎ た か ら だ ろ う 。
サ ッ チ ャ ー の あ と は 、 こ れ ま た 出 自 の 点 で は 保 守 党 らし く な い 、 「 無 難 な 」 サ ッ チ ャ ー の 後 継 者 メ ー ジ ャ ー が 首相 と な る が 6 年 半 と い う 長 い 任 期 の 割 に は 、 サ ッ チ ャ ー、政 権 以 降 の 好 景 気 に も 助 け ら れ 、 残 務 整 理 内 閣 と い う 印 象が 濃 く 、 1992 年 の E R M 離 脱 と い う 失 策 も あ っ て 、 中 道 政治 ・ 進 歩 政 治 と い う イ メ ー ジ を 達 成 し た 労 働 党 ( 新 労 働 党 、 New Labour ) に 政 権 を 譲 る こ と に な る 。
1994 年 労 働 党 党 首 と な っ た ブ レ ア は 、 1995 年 の 党 大 会 で国 有 化 な ど 従 来 型 の 労 働 党 の 経 済 政 策 を 見 直 し 、 1997 年 に総 選 挙 で 圧 勝 ( 保 守 党 165議 席 、 労 働 党 418議 席 、 1992 年 選 挙で は 保 守 党 336議 席 、 労 働 党 271議 席 ) 、 そ れ 以 降 、 途 中 に 米寄 り の 外 交 政 策 へ の 批 判 な ど が あ っ て も 、 労 働 党 史 上 初 めて の 3 期 連 続 政 権 を 担 っ た ( 首 相 在 任 期 間 は 約 10 年 ) 。 日本 な ど の 左 翼 関 係 者 は そ の 快 挙 に 喜 び 、 ブ ー ム を 巻 き 起 こし た 。 サ ッ チ ャ ー に も 劣 ら ぬ 「 大 統 領 的 」 首 相 344の ブ レ ア政 権 の 「 第 三 の 道 」 は サ ッ チ ャ ー 路 線 へ の 対 抗 か ら 生 ま れた 。 第 三 の 道 の 「 第 三 」 と は 歴 史 上 し ば し ば 用 い ら れ る 表現 だ が 、 こ の 場 合 は 従 来 の 保 守 ・ 労 働 と い う 二 分 法 と は 異な る 政 治 を 実 施 し よ う と す る 。
New Labour の キ ー ワ ー ド の 1 つ は 公 平 で あ り 、 こ の 点 で は各 国 の 戦 後 の 社 会 民 主 主 義 路 線 に 類 似 す る が 、 単 な る 弱 者支 援 で は な く 、 弱 者 の 自 助 の 支 援 ( 「 働 く た め の 福 祉 」 )と い う 特 色 を 持 つ 。 従 っ て 、 左 翼 系 知 識 人 か ら は 「 裏 切 り者 」 と 呼 ば れ る こ と に も な っ た 。 ま た 、 サ ッ チ ャ ー 政 権 とは 異 な り 、 地 方 自 治 の 推 進 を 図 り 、 そ の 方 針 は ス コ ッ ト ラン ド な ど へ の 自 治 権 付 与 に 現 れ て い る 。 E U 政 策 は サ ッ チャ ー 政 権 よ り 積 極 的 に み え る が 、 イ ラ ク 問 題 な ど で 示 さ れた よ う に 対 米 連 携 重 視、 ( 「 ブ ッ シ ュ の プ ー ド ル 」 と 揶 揄
344 Cf.梅川正美他『イギリス現代政治史』(ミネルヴァ書房)第9章
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さ れ た ) と い う 点 で は 大 き く 異 な ら な い 。 労 働 党 支 持 が 下が る 中 、 退 陣 を 表 明 し た ブ レ ア の 後 継 者 と し て 、 ブ ラ ウ ンが 2007 年 首 相 と な る 。 そ の 堅 実 な 仕 事 ぶ り が 評 価 さ れ た のだ ろ う が 、 閣 僚 の ス キ ャ ン ダ ル な ど に よ り ( 自 身 も ピ ン マィ ク が 入 っ た ま ま で あ る こ と を 忘 れ 、 支 持 者 の 悪 口 を 言 った と い う ス キ ャ ン ダ ル も あ っ た ) 、 労 働 党 に 対 す る 支 持 率の 低 下 を 食 い 止 め る こ と が で き ず 、 労 働 党 は 2010 年 の 選 挙で 大 敗 し た 。 と こ ろ が 、 保 守 党 も 過 半 数 を と れ ず ( 1974 年の 選 挙 の 再 来 で あ る ) 345、 保 守 党 は 第 3 党 の 自 民 党 と 連 立し て 、 キ ャ メ ロ ン が 新 し い 首 相 と な っ た 。
◎ 二 大 政 党 制 の イ メ ー ジ が 強 い 英 だ が 、 面 白 い のは 、 第 3 党 自 民 党 の 伸 張 だ ろ う 。 自 民 党 は 、 ブ レ ア 労働 党 の 「 中 道 化 」 に よ っ て 、 「 左 翼 」 有 権 者 の 取 り 込み に 成 功 し て い る の だ ろ う 。 小 選 挙 区 制 度 の た め に 、自 民 党 の 議 席 は 伸 び な い ( 2010 年 も わ ず か 8.8% の 57 議席 ) が 、 得 票 率 は 1992 年 17.8% 、 1997 年 16,8% 、 2001 年18.3%、 2005 年 22.0%、 2010 年 23.0%と 上 昇 傾 向 を 示 し て い る 。保 守 党 は 2001 年 31.7%、 2005 年 32.4%、 2010 年 36.1 % で 、 労 働 党の 支 持 率 が 下 が り 気 味 ( 2001 年 40.7%、 2005 年 35.3%、 2010 年29.0%) で あ り 、 戦 間 期 の 政 局 ( 3 党 鼎 立 状 況 ) が 再 び
登 場 し つ つ あ る と も い え る 。
10.4.1.2 こ の 時 期 の 英 政 治 で 若 干 注 目 さ れ る 動 き が い く つか あ る 。 ま ず 、 貴 族 院 改 革 で あ る 。 従 来 ( 1958 年 以 降 ) 、貴 族 院 は 世 襲 貴 族 及 び 一 代 貴 族 な ど か ら 構 成 さ れ て い た が 、近 年 実 質 的 機 能 を 果 た し て い な い と の 批 判 か ら 、 貴 族 制 への 反 発 が 高 ま り 、 そ の 存 在 意 義 が 問 わ れ 始 め て い る 。 公 選制 の 導 入 が 検 討 さ れ る 一 方 で 、 1999 年 の 「 貴 族 院 法 」 に より 世 襲 貴 族 は 自 動 的 に 貴 族 院 議 員 と は な ら な く な っ た ( 一部 が 代 表 と し て 選 出 ) た め 、 現 在 で は 貴 族 院 の 多 数 は 一 代貴 族 と な っ て い る 346( と は い え 、 貴 族 の 追 放 は な さ れ て いな い ) 。 他 の 立 憲 君 主 国 と 異 な り 、 政 治 制 度 に お い て も 貴族 制 を 公 式 制 度 と し て 維 持 し て き た 英 で も 、 大 衆 化 ・ 平 準化 が 進 ん で い る 。
第 2 は 、 国 制 の 改 革 で あ る 。 ブ レ ア 政 権 以 降 、 ス コ ット ラ ン ド や ウ ェ ー ル ズ へ の 分 権 ・ 権 限 移 譲 ( devolution ) が進 め ら れ ( 自 治 議 会 の 設 置 。 ス コ ッ ト ラ ン ド 、 ウ ェ ー ル ズと も 1997 年 の 住 民 投 票 で 決 定 ) 、 1998 年 の ス コ ッ ト ラ ン ド法 に よ り 「 再 開 」 さ れ た ス コ ッ ト ラ ン ド 議 会 は 、 ウ ェ ー ルズ と は 異 な り 、 広 範 な 法 令 制 定 権 を 有 す る こ と と な っ た( 連 合 王 国 の 議 会 の 専 権 事 項 は 、 外 交 、 国 防 、 全 国 レ ベ ルの 通 貨 政 策 、 社 会 保 障 な ど に 留 ま る ) 。
345 このあたりの調整は推測するよりないが、ジェフリー・アーチャー『目指せダウニング街10番地』永井淳訳(新潮文庫)の最後の方で描かれた場面が推測を助けてくれる。346 Cf.田口富久治・中谷義和編『比較政治制度論』第1章イギリスの政治制度(梅川正美)37頁
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な お 、 北 愛 蘭 に つ い て も 、 1998 年 の 住 民 投 票 で 議 会 が復 活 さ れ た が 、 こ ち ら は 政 府 と 同 様 必 ず し も 機 能 し て い ると は 限 ら な い 。 い ず れ に し て も 、 英 は 連 邦 制 に 近 づ い て いる と 言 え る か も し れ な い 347 ( そ の 他 、 憲 法 改 正 法 の 問 題 など に つ い て は 、 特 殊 講 義 「 政 治 制 度 論 」 を 参 照 の こ と ) 。
◎ キ ャ メ ロ ン 政 権 は 、 E U 加 盟 の 是非 を 国 民 投 票 で 決 め る こ と と し て い る 。 ス コ ッ ト ラン ド の 独 立 問 題 で も こ の 手 法 が 用 い ら れ て いる 。 2012 年 10 月 キ ャ メ ロ ン 首 相 と ス コ ッ ト ラ ン ド 自治 政 府 の サ モ ン ド 首 相 が 、 ス コ ッ ト ラ ン ド 独 立 の 是非 を 問 う 住 民 投 票 を 2014 年 末 ま で に 実 施 す る こ と で合 意 し た 。 設 問 は 単 純 に 賛 否 の 選 択 と な っ た た め 、可 決 さ れ な い 見 通 し が 高 い ( こ の 点 で キ ャ メ ロ ン 首相 の 勝 利 だ ろ う ) が 、 政 治 は 何 が 起 こ る か 分 か ら ない 。 独 立 し た 場 合 、 ス コ ッ ト ラ ン ド は ポ ン ド を 使 用で き な い と 脅 し を か け ら れ て お り 、 ユ ー ロ の 使 用 もE U 側 が 懸 念 を 示 し て い る 。 独 立 支 持 が 過 半 数 を 占め た 場 合 、 2016 年 3 月 24 日 に 独 立 す る こ と に な る( こ の 3 月 24 日 は 、 1603 年 イ ン グ ラ ン ド 女 王 エ リ ザベ ス Ⅰ 世 死 去 で 、 ス コ ッ ト ラ ン ド 王 ジ ェ ー ム ズ Ⅰ 世が イ ン グ ラ ン ド 王 と し て 即 位 し た ( ス コ ッ ト ラ ン ドと イ ン グ ラ ン ド が 同 君 連 合 と な っ た ) 日 で あ る ) 。そ の 選 挙 だ が 、 2014 年 9 月 18 日 実 施 の 住 民 投 票 の 結果 、 独 立 反 対 派 が 勝 利 し た 。 そ れ で も 、 キ ャ メ ロ ン首 相 は 今 後 大 幅 な 自 治 権 付 与 を 約 束 し た か ら 、 独 立賛 成 派 に と っ て も 敗 北 で は な い だ ろ う 。 英 政 治 で 重要 問 題 に 関 し て 、 国 民 投 票 を 用 い る こ と は 初 め て では な い に せ よ 、 英 政 治 の 変 化 を 表 し て い る 。 こ の 独立 騒 ぎ は 、 ス ペ イ ン の カ タ ロ ニ ア な ど の 独 立 運 動 に大 き な 影 響 を 及 ぼ す 可 能 性 は あ り 、 日 本 に つ い て も独 立 し て い た 歴 史 を 有 す る 沖 縄 ( 琉 球 ) へ の 影 響 が考 え ら れ る 。 基 地 問 題 な ど で の 対 応 の 「 失 敗 」 が 続け ば 、 で あ る 。
10.4.2 仏
10.4.2.1 ミ ッ テ ラ ン に 代 わ っ て 、 日 本 の 美 術 や 相 撲 に 精通 し 親 日 派 で 知 ら れ る シ ラ ク が 1995 年 大 統 領 に 就 任 し 、 2002年 に 再 選 さ れ る 。 尤 も 前 政 権 来 の 外 交 政 策 は 継 続 し 、 独 仏連 携 ( 特 に シ ュ レ ー ダ ー 独 連 邦 宰 相 と の 友 好 関 係 ) を 基 盤に 、 米 の 外 交 政 策 に 反 発 し 、 E U の 拡 大 を 図 る 。 E U が 拡大 す れ ば そ れ だ け E U 内 部 の 先 進 地 域 に 移 民 が 流 入 す る 。
347 Cf.ヴァーノン・ボグダナー『英国の立憲君主政』小室輝久他共訳(木鐸社)
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そ れ が 2005 年 の 暴 動 ( 変 電 所 で の 感 電 死 事 故 が 発 端 と な って 全 土 で 若 者 が 暴 動 を 起 こ し 、 11 月 に は 「 国 家 非 常 事 態宣 言 」 が 出 さ れ た ) の 遠 因 で あ る が 、 直 接 に は イ ス ラ ム系 住 民 の 同 化 政 策 が あ る 。 共 和 制 へ の 同 化 で は な く 、 仏 社会 へ の 同 化 が 強 要 さ れ れ ば 、 文 化 衝 突 は 不 可 避 と な る 。 仏革 命 が 「 国 民 国 家 」 を 建 設 し た 革 命 で あ る こ と を 思 い 起 こさ せ る 事 件 で も あ る 。
そ し て 、 2007 年 の 選 挙 で 、 サ ル コ ジ が 大 統 領 に 選 出 さ れた 。 初 の 移 民 出 身 で あ る 。 そ れ に し て も 、 サ ル コ ジ 大 統 領は 従 来 の 大 統 領 と は あ ま り に も タ ィ プ が 異 な り 、 「 面 白 すぎ る 」 348。 小 泉 ・ 麻 生 首 相 の パ フ ォ ー マ ン ス な ど 可 愛 く 見え る ほ ど で あ る 。 芸 能 人 ( 映 画 俳 優 ) が 政 治 家 に な っ た り 、政 治 家 が 芸 能 人 風 に 行 動 し た り す る の は 先 進 国 で は 近 年 見ら れ る に し て も 、 国 王 の 代 わ り で あ る は ず の 仏 大 統 領 に は相 応 の 品 位 が 求 め ら れ た は ず な の に 、 仏 文 化 を 代 表 す る ワィ ン す ら 嗜 ま ず 、 暴 言 ・ 放 言 は 日 常 茶 飯 事 で 、 そ れ で い て( 仏 ら し く 、 対 抗 馬 の 社 会 党 は 政 治 家 個 人 の 争 い で 内 輪 もめ に 終 止 し て い る に し て も ) 政 治 的 な 嗅 覚 や 手 腕 は 一 流( 上 記 の 暴 動 の 際 に は 、 内 務 大 臣 だ っ た ) で 、 支 持 率 が けっ こ う 高 い ( 出 自 、 支 持 層 、 政 策 関 心 な ど の 違 い は あ っ ても 、 日 本 で 言 え ば 、 田 中 角 栄 に 近 い だ ろ う か ) 。 な お 、2012 年 5 月 5 日 の 選 挙 で 、 F . オ ラ ン ド ( 社 会 党 ) が 大 統領 に 就 任 し た 。
◎ 仏 で は 、 1905 年 の 政 教 分 離 法 に よ り 、 教 会 は 政治 ( 国 家 ) か ら 切 り 離 さ れ て お り 、 主 要 国 で は 最 も 徹底 さ れ て い る 現 在 で は 、 イ ス ラ ム 教 徒 の 移 民 増 加。( 人 口 の 8 % ) と い う 影 響 も あ り 、 「 共 和 国 と 十 字架 」 と の 関 係 が 問 わ れ て い る 349 。 仏 の よ う に 国 教 制 度を と ら な い 基 督 教 徒 が 多 い 国 で は 、 基 督 教 以 外 の 宗 教や 信 徒 の 扱 い が 厄 介 な 問 題 と な っ て い る 。 後 者 の イ スラ ム 問 題 は 仏 国 人 と は 誰 の こ と な の か と い う 問 題 と、も 関 係 す る 単 に 出 生 地 主 義 を 貫 く な ら ば 、 信 教 は 関。係 な い こ と に な る 。 ま た 、 血 統 主 義 を 採 用 し て も 、 信教 は 直 接 に は 関 係 し な い 一 方 で 「 一 般 の 」 仏 国 人 を。 、統 合 し て い る 文 化 や 歴 史 が 仏 国 人 資 格 だ と す る な らば 、 基 督 教 文 化 こ そ が 仏 ら し さ 、 欧 州 ら し さ を 担 保 する こ と に な る 。 政 教 分 離 を 掲 げ る 共 和 国 の 正 当 性 を 揺る が し か ね な い 厄 介 な 争 点 だ ろ う 。
◎ 近 年 の ワ ー ル ド カ ッ プ ・ サ ッ カ の 出 場 選 手 を 見 る と 、 旧 植 民 地 出 身 者 ( 英 、 仏 ) や 移 民 ( 独 ) が 少 な く な い 。 一 方 で 、 ト ル コ や イ ラ ン な ど の ナ シ ョ ナ ル ・チ ー ム に は 、 生 ま れ 育 ち も 独 と い う 選 手 が い る 。 こ の
348 Cf.国末憲人『サルコジ』(新潮選書)349 Cf.工藤庸子『宗教 vs 国家』(講談社現代新書)
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点 で は 、 国 家 代 表 の 資 格 は 「 民 族 」 概 念 か ら は 遠 ざ かっ て い る が 、 反 発 が 抑 え ら れ る の は 勝 利 が 続 く 限 り かも 知 れ な い 。 い つ の 時 代 で も 、 実 力 主 義 が 問 わ れ る とき 、 人 種 や 身 分 な ど の 差 別 は 静 ま る 。
10.4.2.2 仏 に お い て も 、 国 制 上 あ る い は 国 政 上 、 注 目 さ れる 変 化 が あ る 。 シ ラ ク 大 統 領 下 、 2003 年 の 地 方 分 権 化 法 制定 と の 関 連 で 、 憲 法 第 1 条 に 「 仏 は 地 方 分 権 的 に 組 織 さ れる 」 と い う 文 言 が 付 け 加 え ら れ た 。 こ れ は 、 主 権 の 不 可 分性 を 規 定 し て い る 同 条 の 「 仏 は 不 可 分 の 共 和 国 」 と い う 原則 を 部 分 的 に 修 正 し た 点 で 画 期 と な っ て い る ( C f . 政 治制 度 論 ) 。 ま た 、 2005 年 5 月 に は 、 欧 州 憲 法 条 約 批 准 に つい て シ ラ ク 大 統 領 が こ れ を 国 民 投 票 に か け た が 、 否 決 さ れた 。 左 翼 政 党 が こ の 批 准 に 反 対 し た の は 政 治 的 戦 術 だ ろ うが 、 E U の 拡 大 に よ り 、 一 層 失 業 率 が 高 ま る こ と へ の 懸 念 な ど が あ っ た と さ れ る 。 た だ 、 E U そ の も の へ の 国 民の 支 持 率 は 高 い だ け に 、 こ の 反 対 も 多 分 に 情 緒 的 な 側 面 があ っ た 。
10.4.3 独 ( 西 独 )
10.4.3.1 こ の 時 期 一 番 大 き な 変 化 を 示 し た の は 独 で あ る 。1989 年 ゴ ル バ チ ョ フ が 西 独 を 訪 問 し 、 独 ソ 共 同 宣 言 に よ り欧 州 共 通 の 家 構 想 が 生 ま れ 独 の 「 再 統 一 」 へ 動 き 始 め る、 。伯 林 の 壁 の 崩 壊 ( 1989 年 ) は ヤ ル タ 体 制 の 終 焉 を 意 味 す る 。英 ( サ ッ チ ャ ー ) や 仏 ( ミ ッ テ ラ ン ) に と っ て 、 統 一 独 は必 ず し も 歓 迎 さ れ る 事 態 で は な か っ た 。 そ れ で も 、 東 独 でコ ー ル 政 権 が 連 携 す る 統 一 派 が 勝 利 し 、 1990 年 両 独 の 通 貨が 統 合 さ れ 、 統 一 条 約 が 批 准 さ れ る ( 国 際 法 的 に は こ れ でよ う や く 英 仏 米 ソ 四 カ 国 が 伯 林 に 関 し て 持 っ て い た 特 権 が廃 止 さ れ 、 独 は 完 全 に 独 立 し た こ と に な る ) 。
ま た 、 N A T O 首 脳 会 議 で 、 ソ 連 敵 視 の 終 了 や 、 ワ ルシ ャ ワ 条 約 加 盟 国 へ の 相 互 不 可 侵 共 同 宣 言 が 呼 び か け ら れる こ の 間 、。 連 邦 宰 相 コ ー ル は 再 統 一 の 好 機 を 逃 さ ず に 、慎 重 か つ 着 実 に 事 を 進 め た 。 両 独 の 統 一 に は 、 東 独 の ソ 連軍 ( 36 万 人 ) の 撤 退 と 統 一 独 が N A T O に 留 ま る こ と の 承認 が 必 要 で あ り 、 こ の 地 域 で の 西 側 の 軍 事 力 抑 制 と ソ 連 への 経 済 援 助 が 条 件 と な っ た 。 そ し て 、 ゴ ル バ チ ョ フ は 統 一に 反 対 し な か っ た 。 統 一 は 、 東 独 と い う 半 ば 「 発 展 途 上 国 」 へ の 再 建 と い う 膨 大 な 負 債 を 抱 え 込 ん だ ( こ れ 以 降 、統 一 後 も 、 「 西 独 」 は 「 東 独 」 に 対 し て 年 間、 G D P の数 % を 投 資 し 続 け る こ と に な る ) 。
コ ー ル は 16 年 と い う 長 期 政 権 だ っ た が 、 ヤ ミ 献 金 問 題な ど も あ り 、 1998 年 の 総 選 挙 で は S P D が 勝 利 し て シ ュ レ
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ー ダ ー 政 権 が 誕 生 す る 。 S P D は 英 の 「 第 三 の 道 」 を さ っそ く 学 習 す る 。 シ ュ レ ー ダ ー 政 権 ( S P D + 緑 の 党 ) は 、外 交 政 策 で は シ ラ ク と の 仏 独 連 携 を 基 盤 に 、 イ ラ ク 派 兵 反対 な ど 対 米 関 係 で 一 定 の 距 離 を 置 き な が ら 、 一 方 で E U の東 方 拡 大 に 尽 力 す る 。 し か し 、 内 政 上 の 不 満 も あ り 、 2005年 に は 僅 差 で C D U / C S U が 勝 利 す る 。 尤 も 、 二 大 政 党の い ず れ も 連 立 協 議 で 過 半 数 確 保 が 困 難 だ と 判 断 さ れ た ため 、 再 び 危 機 で の 常 套 手 段 で あ る 大 連 立 政 権 が 成 立 し 、 メル ケ ル ( C D U ) は 第 一 党 の 党 首 と し て 宰 相 と な る 。
メ ル ケ ル は コ ー ル の 下 で 着 実 に キ ャ リ を 積 ん で い た がア姉 妹 政 党 の C S U の 代 表 が い つ も な が ら 極 右 傾 向 を 示 し てい た か ら 、 「 独 の サ ッ チ ャ ー 」 と い う イ メ ー ジ 創 出 ( 指 導力 が あ り 、 市 場 経 済 重 視 、 民 営 化 推 進 ) に 成 功 し た 。 メ ルケ ル は 、 女 性 と し て C D U 最 初 の 党 首 ( 2000 年 ~ ) で あ り 、 史 上 初 の 連 邦 宰 相 で あ る 。 生 ま れ は 西 独 な が ら も 、 生 誕 後す ぐ に 東 独 に 移 住 し た こ と も あ っ て 、 東 独 出 身 の 最 初 の 宰相 と み な さ れ 、 露 語 が 堪 能 で 対 露 関 係 で は 主 導 権 を 発 揮 して い る 。 そ し て 、 2009 年 の 総 選 挙 で C D U / C S U と S PD に よ る 大 連 立 は 解 消 さ れ 、 C D U / C S U と F D P に よる 政 権 が 誕 生 し た が 、 そ の 後 、 80 日 以 上 と い う 戦 後 最 長 の政 治 空 白 を 経 て 、 2013 年 12 月 17 日 、 戦 後 3 度 目 と な る S PD と の 大 連 立 政 権 が 再 び 誕 生 し た ( 第 3 次 メ ル ケ ル 内 閣 ) 。連 邦 参 議 院 が 野 党 多 数 で あ っ た こ と か ら 、 「 ね じ れ 」 は 解消 さ れ る こ と と な っ た 。
◎ 両 独 の 統 一 は 対 等 合 併 で は な く 、 西 独 へ の 東 独 の 吸 収 合 併 の 形 を と っ た ( 1990 年 10 月 . 3 日 。 統 一 条
約 。 東 独 が 吸 収 さ れ た 形 を と っ た た め 、 統 一 の 前 後で 国 名 な ど の 変 更 は な い ) 。 も ち ろ ん 、 ど の よ う な形 に な ろ う と 、 統 一 す れ ば 、 裕 福 な 西 独 が 東 独 を 財政 的 に 支 援 し 続 け る こ と に な り 、 そ の 額 は 数 十 兆 円に 及 ぶ 。 そ し て 、 通 貨 統 合 で は 、 東 独 の 通 貨 を 実 勢よ り も 高 く 評 価 し て 交 換 す る こ と を 認 め た 。 ま た 、統 一 さ れ 、 第 2 次 大 戦 後 奪 わ れ た 土 地 の 返 還 請 求 問題 は 深 刻 と な り 、 東 独 の 秘 密 警 察 ( シ ュ タ ー ジ ) 問題 は 、 国 民 の 多 く が 密 告 に 関 わ っ た だ け に 、 容 易 には 解 決 さ れ な い 。 さ ら に 、 統 一 後 も 、 西 独 国 民 ( 独語 : Wessi < Westen = 西 ) と 東 独 国 民 ( 独 語 : Ossi < Ost = 東 ) と い う 差 別 表 現 は 残 り 続 け る 。 そ れ で も な お 、こ う し た 障 碍 を 克 服 し よ う と す る の が ナ シ ョ ナ リ ズム な の だ ろ う 。
な お 、 「 再 統 一 ( 独 語 : Wiedervereinigung ) 」 と い う 言葉 は 、 政 治 的 に 微 妙 な ニ ュ ア ン ス を 含 む 。 と い う のも 、 再 統 一 と い う 場 合 、 1937 年 12 月 31 日 時 点 の 国 境 を意 味 し 、 そ れ は 現 在 の 国 境 と は 大 き く 異 な り 、 波 やチ ェ コ と の 国 境 問 題 を 再 燃 さ せ る か ら で あ る 。 第 二次 大 戦 後 の 数 百 万 に 及 ぶ 当 該 地 域 か ら の 難 民 ( 追 放民 ) は 、 長 ら く 利 益 団 体 を 組 織 し て 歴 代 政 権 に 圧 力
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を か け つ づ け て き た 。 だ か ら こ そ 、 独 の 隣 国 で あ るチ ェ コ や 波 に と っ て は 、 統 一 後 の 国 境 確 定 が 重 要 な争 点 と な っ た 。
10.4.3.2 こ の 期 間 の 独 の 国 政 上 の 新 し い 問 題 は 見 あ た りづ ら い 。 と い う の も 、 こ の 期 間 の 最 大 の 問 題 は 、 E U 問 題以 上 に 、 統 一 事 業 を い か に う ま く 運 ぶ か に あ っ た か ら で ある 。 欧 州 に お け る 冷 戦 の 終 了 と 関 連 し て 、 1990 年 に 両 独 は 統一 さ れ た 。 統 一 前 の 独 は 、 英 、 仏 、 伊 な ど と ほ ぼ 同 じ 人 口で あ っ た が 、 統 一 に よ り 人 口 は 増 加 し 、 そ の た め 、 E U にお け る 表 決 権 ・ 代 表 権 の 数 も 最 大 と な っ て お り 、 中 欧 ・ 東欧 に お け る 影 響 力 を 含 め 、 欧 州 諸 国 に は 、 独 台 頭 へ の 警 戒が あ る 。 そ し て 、 統 一 に よ り 、 首 都 は ボ ン か ら 伯 林 へ と 移る こ と と な っ た 。 地 図 で み れ ば わ か る よ う に 、 伯 林 は 独 の東 端 に あ る 。 そ れ は 、 「 西 欧 の 東 端 」 で あ る が 、 「 中 欧 の中 央 」 で あ る 。
◎ 東 日 本 大 震 災 に よ る 東 京 電 力 福 島 原 発 の 事故 の 影 響 も あ っ て 、 2011 年 5 月 独 南 部 バ ー デ ン ・ ヴュ ル テ ン ベ ル ク 州 議 会 で 、 原 発 反 対 を 唱 え 続 け てき た 緑 の 党 が 第 2 党 に 躍 進 し 、 第 3 党 の 社 会 民 主党 と 連 立 政 権 を 組 み 、 緑 の 党 が 州 首 相 を 出 す こ とと な っ た 。 こ の 保 守 王 国 で の 政 変 は 衝 撃 で あ り 、同 じ く 北 部 の ブ レ ー メ ン 市 ( 州 ) で も 緑 の 党 が 第2 党 に 躍 進 し た 。 独 は 連 邦 制 で あ る だ け に 、 こ の政 変 の 及 ぼ す 影 響 は 他 国 以 上 に 大 き い 。 独 の 緑 の党 は 歴 史 が あ り 、 欧 州 で 最 も 強 い 環 境 政 党 だ と はい え 、 2011 年 は 「 画 期 」 の 年 と な る か も し れ な い 。
10.4.4 E U
10.4.4.1 欧 州 大 陸 で は 地 域 全 体 が 統 一 さ れ た こ と は な く 、露 な ど を 除 き 、 中 小 国 家 の 多 数 併 存 が そ の 政 治 地 理 上 の 特色 で あ る 。 ユ ー ラ シ ア 大 陸 東 端 の よ う に 統 一 国 家 が 誕 生 しな い 理 由 は 難 し い が 、 欧 州 は 言 語 や 文 化 が 多 様 だ か ら … では な い 。 と も あ れ 、 複 数 の 国 家 に よ る 協 調 が こ の 地 域 の 政治 的 安 定 の 重 要 な 要 素 で あ り 、 現 代 に な っ て 国 家 は 相 当 に減 っ た と は い え ( 最 近 再 び 増 加 の 傾 向 が 見 ら れ る が ) 、 政治 的 意 思 統 一 の 調 整 コ ス ト は 高 い 。 尤 も 、 実 際 に は 英 、 仏 、 独 な ど 大 国 間 の 協 調 が 地 域 の 安 定 の 要 で あ る 。 今 後 、 E Uと い う 政 治 統 合 が 欧 州 に 政 治 的 均 衡 を も た ら す の か は 、 予想 し が た い 。 E U が 拡 大 す れ ば 欧 州 統 合 に 有 利 に 見 え る、が 、 拡 大 す れ ば そ の 分 多 く の 不 安 定 要 素 を 抱 え 込 む、 こ と にな る か ら で あ る 。
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◎ 現 代 政 治 の あ り 方 を 語 る 上 で 、 多 様 性 と い う 概 念が 流 行 し て い る 。 2001 年 の ユ ネ ス コ 宣 言 ( 文 化 と 多 様性 の 重 視 ) な ど は そ の 典 型 例 で あ る 。 た だ 多 様 性 も 一様 性 が 前 提 で あ る こ と は 忘 れ ら れ や す い 。 ま た 、 多 様性 は 米 流 グ ロ ゥ バ リ ズ ム へ の 反 発 で も あ ろ う 。 一 方で 米 社 会 か ら 発 信 さ れ た 「 多 文 化 主 義 (、 multi - culturalism ) 」 に つ い て も 、 そ の イ デ オ ロ ギ 性 は し ば し ば 隠 さ れる 。
10.4.4.2 1995 年 は 、 瑞 、 芬 、 墺 が 加 盟 し て 15 ヶ 国 に 、 2004 年に は 、 波 、 チ ェ コ 、 ス ロ バ キ ア 、 洪 、 エ ス ト ニ ア 、 ラ ト ビア 、 リ ト ア ニ ア 、 ス ロ ベ ニ ア 、 マ ル タ 、 キ プ ロ ス が 加 盟 して 25 ヵ 国 に 、 さ ら に 2007 年 に ブ ル ガ リ ア と ル ー マ ニ ア が 加盟 し て 27 ヶ 国 と な っ た 。 さ ら に 2011 年 6 月 10 日 ク ロ ア チ アが 2013 年 加 盟 を 認 め ら れ 、 こ れ で 28 カ 国 で あ る 。 ( 地 図 で確 認 の こ と 。 2003 年 の 首 脳 会 議 で バ ル カ ン 半 島 へ 拡 大 す るこ と が 約 束 さ れ た が 、 余 り に も 拡 げ す ぎ だ と い う 意 見 は 自然 で は あ る 。 そ れ は 「 欧 州 と は ど こ を 指 す の か 」 と も 関 わっ て く る 。 コ ァ の E U と そ れ 以 外 の E U の 分 裂 に も 映 る 。人 口 が 5 億 人 ( 米 は 3 億 人 、 日 本 は 1 億 人 強 ) の 一 大 経 済市 場 の 誕 生 で あ る 。 ま た 、 駐 日 欧 州 連 合 代 表 部 の H P に よれ ば 、 現 在 、 ア ル バ ニ ア 、 ト ル コ 、 マ ケ ド ニ ア 、 モ ン テ ネグ ロ 、 セ ル ビ ア な ど が 加 盟 申 請 中 ( 加 盟 候 補 国 ) で あ る 。ま た 、 ア フ リ カ の モ ロ ッ コ が 1987 年 に 加 盟 申 請 し た が 、 承認 さ れ な か っ た 。 ア フ リ カ だ か ら で あ る ( 大 勢 に は 影 響 しな い が 、 加 盟 し な い 主 な 国 に 、 ス イ ス と 諾 が あ る 。 ス イ スは 永 世 中 立 を 国 是 と し て お り 、 有 数 の 産 油 国 で あ り 、 N AT O に 加 盟 し て い る 諾 の 非 加 盟 は 、 高 水 準 の 社 会 保 障 体 制が 崩 れ る こ と を 国 民 が 懸 念 し た ( 国 民 投 票 で 反 対 多 数 ) から だ と さ れ る ) 。
こ の 拡 大 は 、 感 動 す ら 呼 ぶ 程 の ね ば り 強 い 長 年 の 交 渉の 成 果 で あ り 、 順 調 な 領 域 拡 大 と い え そ う だ が 、 拡 大 の 終着 点 は わ か ら な い 。 欧 州 の 範 囲 は 「 大 西 洋 か ら ウ ラ ル 山 脈ま で 」 ( ド ・ ゴ ー ル ) と い う 合 意 が 得 ら れ て い る よ う に も見 え る 。 そ の 合 意 が 1975 年 に 東 西 両 陣 営 を 越 え て 欧 州 の 安全 保 障 を 議 論 す る 全 欧 安 全 保 障 協 力 会 議 ( Conference on Security and Cooperation in Europe 、 現 在 は 欧 州 安 全 保 障 協 力 機 構 、 O S C E 、Organization for Security and Cooperation in Europe で 、 当 初 よ り 米 、 加 も 参加 ) の 精 神 と な っ て い る 。 し か し 、 ベ ラ ル ー シ や ウ ク ラ イナ な ど 残 る ヨ ー ロ ッ パ ・ ロ シ ア の 旧 ソ 連 構 成 国 や ト ル コ の加 盟 ( 長 ら く 「 待 ち ぼ う け 」 を 喰 わ さ れ て い る せ い か 、 最近 は 加 盟 支 持 者 が 減 っ て い る ) で は 、 ま だ ま だ 問 題 は 多 い 。ま た 、 旧 東 欧 諸 国 の 国 民 は 、 1989 年 以 降 、 自 由 を 得 た が 、ま す ま す 多 く が 貧 し く な り 始 め て い る ( 長 ら く 戦 争 に 関 わっ た 者 が 平 和 の 生 活 に 馴 染 み に く い よ う に 、 長 ら く 社 会 主義 体 制 に 暮 ら し た 者 に は 、 競 争 原 理 の 市 場 経 済 は 過 酷 で ある ) 。 大 国 と は い え 露 に と っ て、 、 E U の 東 進 は 、 そ の 主 要
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国 が N A T O 加 盟 国 で あ る 限 り 露 に と っ て 脅 威 で あ り 、、ま た 露 全 土 が E U に 加 盟 す る こ と は 考 え づ ら い こ と か ら 経済 的 に も 脅 威 と な る 。 ま た 、 E U の 東 側 へ の 拡 大 は 、 そ の地 理 的 重 心 を 東 側 へ と 移 す こ と に な る 。 仏 か ら 独 へ 、 西 欧か ら 中 欧 へ で あ る 。
10.4.4.3 バ ル カ ン 半 島 の 数 カ 国 や ト ル コ に は 、 そ の 世 俗化 の 度 合 い が 異 な る に せ よ 、 イ ス ラ ム 教 徒 が 多 い 。 尤 も 、英 仏 独 な ど に は す で に 人 口 の 数 % の イ ス ラ ム 教 徒 が 存 在、 、す る 。 ト ル コ の 加 盟 承 認 保 留 に は こ の 宗 教 問 題 と 並 ん で 、ト ル コ が 人 口 の 点 で 独 に 次 ぐ 大 国 ( 7,000 万 人 ) で あ る こ とな ど も あ る ( 統 計 参 照 ) 。 欧 州 議 会 の 議 席 数 は 基 本 的 に 人口 に 比 例 す る た め 、 ト ル コ な ど の 人 口 大 国 の 参 加 は 仏 や 独な ど の 大 国 の 比 重 を 下 げ る か ら で あ る 。
E U 加 盟 基 準 は 、 第 1 に 地 理 的 条 件 と し て 欧 州 に 位 置 す る こ と ( し か し 、 こ れ は 結 局 わ か り づ ら い 、 ウ ラ ル 山 脈ま で が 欧 州 だ と し て も 露 を 含 む と は 考 え に く い だ ろ う ) 、第 2 に 、 「 コ ペ ン ハ ー ゲ ン 基 準 ( 1993 年 ) の 充 足 」 、 つ まり 、 政 治 的 基 準 と し て 、 民 主 主 義 法 の 支 配 人 権 、 少 数 民、 、族 の 尊 重 を 保 障 す る 安 定 し た 制 度 を 持 つ こ と 、 経 済 的 基 準と し て 、 市 場 経 済 が 機 能 し て い る こ と 、 法 的 基 準 と し て 、E U 内 で す べ て の 加 盟 国 を と も に 拘 束 す る 共 通 の 権 利 義 務 の 総 体 を 意 味 す る 「 ア キ ・ コ ミ ュ ノ テ ー ル ( 仏 語 : acquis communautaire ) 」 に の っ と っ た 整 備 が す す め ら れ て い る こ と で あ る 350。 E U は ト ル コ が 加 盟 で き な い 「 正 当 な 」 理 由 を探 し 続 け て い る よ う に も 思 え る 希 と の 積 年 の 反 目 ( キ プ。ロ ス 問 題 ) 、 国 内 の ク ル ド 人 問 題 な ど 加 盟 延 期 の 「 ネ タ 」に は 困 ら な い だ ろ う が 、 イ ス ラ ム 世 界 と の 窓 口 で も あ る 。
◎ 2014 年 の 欧 州 議 会 選 挙 で は 、 E U 脱 退 や移 民 規 制 を 掲 げ る 右 派 政 党 が 躍 進 し た 。 選 挙 結 果 では 、 定 数 751 の う ち 、 保 守 の 欧 州 人 民 民 主 党 が 第 1 党で 214 、 中 道 左 派 の 欧 州 社 会 ・ 進 歩 連 盟 が 191 、 中 道 の欧 州 自 由 民 主 連 盟 が 64 、 環 境 政 党 の 緑 の 党 ・ 欧 州 自由 連 盟 が 52 。 こ れ に 対 し 、 英 保 守 党 な ど 保 守 系 の 分派 で あ る 欧 州 保 守 改 革 連 盟 が 46 、 急 進 的 左 派 ・ 環 境派 の 欧 州 統 一 左 派 が 45 、 英 独 立 党 な ど の 保 守 系 の EU 懐 疑 派 で あ る 欧 州 自 由 民 主 グ ル ー プ が 38 と 全 体 では 大 き な 変 化 は な か っ た が 、 国 別 で は 変 動 が あ っ た 。英 で は 2009 年 第 1 党 だ っ た 保 守 党 が 第 3 党 に な り 、代 わ っ て 第 2 党 だ っ た 英 国 独 立 党 が 第 1 党 へ と 躍 進 、仏 で は 、 第 1 党 だ っ た 国 民 運 動 連 合 が 第 2 党 と な り 、代 わ っ て 第 4 党 だ っ た 国 民 戦 線 が 支 持 率 を 4 倍 弱 伸ば し て 第 1 党 と な っ た 。
350 庄司克宏『欧州連合』(岩波新書、2007 年)39頁~
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10.4.4.4 共 同 市 場 に は 、 関 税 の 撤 廃 だ け で な く 、 各 国 の産 業 に 対 す る 保 護 政 策 を 撤 廃 す る こ と や 、 農 産 物 や 工 業 製品 の 規 格 の 統 一 な ど 、 乗 り こ え る べ き 障 壁 は 数 多 く あ った そ れ で も 、 単 一 欧 州 議 定 書 が か わ さ れ て 、。 30 年 ぶ り に閣 僚 理 事 会 の 事 項 の 3 分 の 2 が 全 会 一 致 か ら 特 定 多 数 制 へと 変 更 さ れ た ( 1986 年 ) 。
「 単 一 欧 州 議 定 書 」 さ ら に は マ ー ス ト リ ヒ ト 条 約 ( EU 設 立 条 約 、 1992 年 ) の 調 印 で ロ ー マ 条 約 が 全 面 改 正 さ れ 、欧 州 議 会 の 権 限 が 拡 大 さ れ て 経 済 通 貨 同 盟 が 進 展 す る( 1991 年 ) 。 若 干 の 紆 余 曲 折 が あ り な が ら も 、 欧 州 連 合( E U ) が 発 足 し ( 1993 年 ) 、 英 仏 海 峡 に ユ ー ロ ト ン ネ ルが 開 通 し 、 英 は 「 陸 続 き 」 と な る ( 1994 年 ) 。 ア ム ス テ ルダ ム 条 約 ( 新 欧 州 連 合 条 約 ) が 結 ば れ ( 1997 年 ) 、 欧 州 中央 銀 行 が 発 足 し ( 1998 年 ) 、 ユ ー ロ ( € ) が 導 入 さ れ ( 1999年 ) 351、 E U 加 盟 に 関 す る 審 議 を 潤 滑 に 行 う た め に 、 代 表権 の 変 更 ( 多 数 決 の 適 用 範 囲 の 拡 大 ) な ど に 関 す る ニ ー ス条 約 ( 改 訂 欧 州 連 合 条 約 ) が 結 ば れ る ( 2001 年 ) 。 ま た 、ユ ー ロ 紙 幣 ・ 硬 貨 が 流 通 し 始 め る ( 2002 年 ) 。
さ ら に 、 欧 州 諮 問 会 議 が 分 権 化 や 民 主 化 を 図 る た め 、憲 法 条 約 の 草 案 が 作 成 さ れ 、 2004 年 に は 署 名 さ れ た 。 し かし 、 加 盟 国 に よ る 国 民 投 票 で の 否 決 ( 2005 年 ) も あ り 、 2007年 欧 州 理 事 会 は 、 E U が 「 超 国 家 」 で な い こ と を 示 す た め に 、 E U 外 相 職 の 創 設 を 断 念 し 、 E U の 旗 や 歌 の 規 定 を 削 除し て 、 形 式 上 現 行 制 度 を 維 持 し な が ら 、 雇 用 の 拡 大 な ど を図 る た め の 組 織 作 り を 進 め て い る 歴 史 上 、 平 和 裡 に 統 一。さ れ た 経 験 の な い 欧 州 で は 、 E U は 統 合 の 初 体 験 で あ る 。こ れ を 「 新 し い 中 世 」 と 呼 ぶ 論 者 も い る が 、 中 味 が 違 い すぎ る 。 そ し て 、 統 合 は 2009 年 12 月 1 日 の 新 た な 基 本 条 約 で ある 「 リ ス ボ ン 条 約 」 ( 欧 州 連 合 条 約 及 び 欧 州 共 同 体 設 立 条約 を 修 正 す る 条 約 ) 発 効 で 新 し い 段 階 を 迎 え る こ と に な る( 障 碍 で あ っ た チ ェ コ や 愛 蘭 の 批 准 が 遅 れ た た め 、 当 初 より 発 効 が 遅 れ た ) 。
そ の 内 容 は 多 岐 に 及 び 、 か つ 複 雑 で あ る た め 、 そ の 詳細 は 特 殊 講 義 「 E U 法 」 、 特 殊 講 義 「 E U の 政 治 」 に 譲 るが 、 欧 州 連 合 基 本 権 が 法 的 拘 束 力 を 持 つ よ う に な っ た こ と( 各 国 の 国 内 法 は 優 越 す る 条 件 ) な ど に 加 え 、 組 織 上 は 、欧 州 理 事 会 に 常 任 の 議 長 ( 大 統 領 に 当 た る だ ろ う ) を 設 置( 任 期 2 年 半 で 再 任 1 回 可 ) し た こ と 、 外 相 に あ た る 外務 ・ 安 全 保 障 政 策 上 級 代 表 の ポ ス ト を 新 設 し た こ と 、 理 事会 で の 決 定 方 式 が 加 盟 国 数 の 55 % 以 上 及 び 総 人 口 の 60% 以上 に 変 更 さ れ た こ と ( 従 来 は 加 盟 国 の 人 口 な ど を 考 慮 し た持 ち 票 の 過 半 数 だ っ た ) 。 仏 や 蘭 な ど で 批 准 が 否 決 さ れ たこ と を 受 け て 、 ( 連 邦 国 家 で あ っ て も ) 単 一 国 家 で あ る と思 わ せ る よ う な 憲 法 、 外 務 大 臣 な ど の 表 現 を 用 い な い な ど
351 ユーロについては参考文献が多いが、ひとまず、Cf.田中素香『ユーロ』(岩波新書)
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の 工 夫 が な さ れ て お り 、 他 に も 各 国 の 自 主 性 を 尊 重 す る 事項 が 含 ま れ て は い る が 、 E U が 機 構 と し て 機 能 す る こ と が目 指 さ れ て い る 。
◎ し ば し ば ニ ュ ー ス と な る よ う に 、 共 同 市 場 では 、 規 格 の 統 一 が 進 め ら れ て い る 。 ビ ー ル の あ る べ
き 原 材 料 や キ ュ ウ リ の 大 き さ ・ 形 に ま で 、 E U は 指 令 を 出 す 。 市 場 原 理 は 、 衣 食 住 と い っ た 文 化 領 域 に
ま で 画 一 化 を 求 め る 。 画 一 化 と 一 体 化 は 異 な る と して も 、 両 者 が し ば し ば 混 同 さ れ る の は 確 か で あ る 。
◎ 旧 ソ 連 圏 で は エ ス ト ニ ア に 続 い て 、 ラ ト ビア と リ ト ア ニ ア で 、 そ れ ぞ れ 2014 年 1 月 1 日 、 2015 年 1月 1 日 に ユ ー ロ が 導 入 さ れ た た め 、 バ ル ト 3 国 が ユ ーロ 圏 に な っ た 。 た だ 、 ユ ー ロ を 導 入 し て い る 国 の 数は 数 え に く い 。 ヴ ァ チ カ ン な ど 、 ユ ー ロ 圏 以 外 の 国( 大 抵 は 小 国 ) が 通 貨 同 盟 の 形 で ユ ー ロ を 法 定 通 貨と し て い る か ら で あ る 。
10.4.4.5 統 合 に は ま だ ま だ 課 題 は 多 い 。 通 貨 統 合 、 国 境「 廃 止 」 は 従 来 の 国 家 概 念 を う ち 破 る 。 ヒ ト 、 モ ノ 、 カ ネ 、情 報 が 容 易 に 国 境 を 超 え る 。 欧 州 内 部 で の 戦 争 の 危 機 が 小さ く な る に つ れ 、 近 代 戦 争 遂 行 装 置 と し て の 近 代 国 家 は 存在 意 義 を 失 う 。 し か し 、 社 会 経 済 的 に 国 境 が 消 え て も 、 政治 的 な 正 統 性 は 国 家 や 国 民 と い う 単 位 に あ る 。 統 合 は 画 一的 な 統 一 で は な く 、 多 様 な 文 化 の 共 存 で あ る と さ れ る が 、多 様 性 が 進 め ば 、 「 欧 州 と は 何 か 」 が 模 索 さ れ る 。 「 ギ リシ ア = ロ ー マ 、 ゲ ル マ ン 社 会 、 基 督 教 」 と い う 三 点 セ ッ ト は も は や 受 け 入 れ が た い 神 話 と な る 。 欧 州 の 外 か ら み れ ば 、そ の 多 様 性 は 一 様 性 に も み え る が 、 小 さ な 差 異 ほ ど 気 に なる と も い え る 。 1990 年 代 の ナ シ ョ ナ リ ズ ム の 高 揚 を 考 え ると 、 E U の 進 展 に は 楽 観 で き な い の だ ろ う 。 「 ベ ネ デ ィ クト ・ ア ン ダ ー ソ ン が 論 じ る ナ シ ョ ナ リ ズ ム が 持 つ 感 情 的 な力 に つ い て な ぞ ら え る な ら 、 E U の た め に 喜 ん で 命 を 捧 げよ う と す る 者 な ど い っ た い ど こ に い よ う か 」 352と い う 指 摘は 重 要 で あ る 。
◎ 国 家 が 果 た す 社 会 経 済 上 の 機 能 が 縮 小 す れ ば 、か え っ て 統 合 象 徴 の 飢 餓 を 埋 め る こ と が 国 家 に 期 待 さ
れ る 可 能 性 は あ る 。 そ の 際 、 英 、 蘭 、 白 な ど 立 憲 君 主制 国 で 、 national な 象 徴 と し て 機 能 し て き た 君 主 の 役 割が 、 E U の 進 展 と と も に 、 ど の よ う に 変 化 す る の か は興 味 深 い 問 題 で あ る 。 主 要 な 立 憲 君 主 国 の 現 君 主 の 配
352 キャロル・グラック「二十世紀の語り」梅崎透訳、キャロル・グラック他『日本はどこへ行くのか』(講談社学術文庫)第1章 29頁
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偶 者 に つ い て み れ ば 、 英 は 希 ・ 北 欧 ( 他 ) の 王 室 出 身 、蘭 は 独 人 外 交 官 、 白 は 伊 国 人 ( 公 爵 家 ) 、 丁 は 仏 国 人外 交 官 ( 伯 爵 家 ) 、 諾 は 諾 国 人 、 瑞 は 独 国 人 ( ブ ラ ジル 人 と の ハ ー フ ) 、 西 は 希 王 室 。 ま だ ま だ 欧 州 版 国 際社 会 が 実 態 と し て 存 在 す る 。 た だ 、 こ の 国 籍 の 華 々 しさ は 現 君 主 の 生 年 ( 世 代 ) を 考 え れ ば 自 然 で は あ る( ち な み に 、 王 位 継 承 順 位 第 1 位 の 配 偶 者 に つ い て は 、英 は 英 国 人 、 蘭 は 伊 系 他 ア ル ゼ ン チ ン 人 、 白 は ベ ル ギー 人 ( 伯 爵 家 ) 、 丁 は 豪 国 人 、 諾 は 諾 国 人 、 瑞 は 瑞 国人 、 西 は 西 国 人 と な っ て 、 自 国 民 か 他 の 大 陸 出 身 者 が 、そ し て 平 民 と の 結 婚 が 目 立 つ 。 日 本 の 現 天 皇 皇 后 ( 王族 の 結 婚 で は 身 分 コ ゥ ド が 優 先 さ れ る ) の ご 成 婚 の 影響 は 小 さ く な い だ ろ う ) 。 民 主 主 義 の 時 代 、 王 侯 貴 族
は 政 治 的 に は 飾 り 物 だ と い う 議 論 は あ っ て も 、 そ の 社 会 的 影 響 力 は 当 然 な が ら 大 き い 。
◎ ヘ ン リ ー 八 世 以 降 、 英 国 王 の 称 号 に は 、 「 Defender of the Faith 」 が あ る が 、 こ の Faith の 内 容 を 基 督 教 ( 国教 会 ) に 限 定 す る の か ど う か が 問 わ れ 始 め て い る 。 なお 、 米 で は 、 建 国 以 来 の 標 語 に 「 羅 語 : E Pluribus Unum ( one out of many ) 」 が あ る が 、 1956 年 以 降 「 In God We Trust 」 とな っ て い る 。 後 者 が Unum の 抽 象 的 内 容 を 具 体 的 に 表 現し た も の な ら ば 、 God ( 単 数 形 ) は 多 様 性 を 否 定 し かね な い が 、 gods と す る わ け に も い か な い 苦 悩 が あ る 。大 統 領 は 就 任 に 当 た っ て 聖 書 に 誓 う か ら で あ る 。
10.4.4.6 ブ リ ュ ッ セ ル を 中 心 と し た E U 官 僚 は 、 選 挙 で選 ば れ な い と い う 理 由 で 政 治 的 正 当 性 を も た ず ( い わ ゆ る非 選 出 部 分 ) 、 し か も そ の 政 治 的 決 定 の 過 程 は 一 般 市 民 から は 遠 く 、 「 デ ィ モ ク ラ シ の 赤 字 」 と 呼 ば れ る 。 し か も 、E U の 決 定 の 実 質 は 政 府 間 協 議 に よ る 部 分 が 小 さ く な い 。さ ら に 、 統 合 の 範 囲 が 拡 が れ ば 格 差 は 拡 大 し 、 調 整 機 能 が求 め ら れ る 。 「 大 欧 州 構 想 を 云 々 す る な ら 、 ま ず 口 を 閉 じ 、 時 刻 表 通 り 列 車 が 発 着 し 、 郵 便 が ち ゃ ん と 届 く よ う に 努 力す る こ と 」 ( ジ ス カ ル = デ ス タ ン 元 仏 大 統 領 、 1988 年 欧 州会 議 ) 353は 、 拡 大 す れ ば す る ほ ど 期 待 で き そ う も な い 。 後進 地 域 か ら 先 進 地 域 へ の 移 民 ・ 移 住 は 、 不 法 移 民 問 題 だ けで な く 、 ナ シ ョ ナ ル な 反 発 を 生 む 354。 相 変 わ ら ず 、 「 欧 州の 一 部 で は な い 」 と 主 張 す る 英 は 通 貨 統 合 を 拒 否 し 続 け る 。
◎ デ ィ モ ク ラ シ の 前 提 は 主 権 者 の 政 治 的 共 同体 の 存 在 で あ る が 、 E U に は そ の よ う な 主 権 者 ( EU 民 ? ) は 見 当 た ら な い か ら 、 欧 州 議 会 の 権 限 を 拡大 す る な ど 、 通 常 の 国 家 制 度 の よ う に 、 デ ィ モ ク ラ
353 Cf. 犬養道子『ヨーロッパの心』(岩波新書)354 Cf.竹沢尚一郎『社会とは何か』(中公新書)第4章
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シ の 制 度 化 を 推 進 す る 方 向 で 民 主 化 を 進 め る の は 筋が 違 う と い う 議 論 に は 説 得 力 が あ る 。 そ も そ も 政 治社 会 の 安 定 は 、 理 屈 の 前 に 何 ら か の ま と ま り や 連 帯 、共 感 、 仲 間 意 識 と い っ た 実 態 を 必 要 と す る か ら で ある 。 そ の 意 味 で 、 E U を 新 し い 国 家 ( 超 国 家 ) と して 捉 え る こ と は 難 し い の だ ろ う 。 そ う だ と す れ ば 、一 般 の 近 代 国 家 の 枠 組 み と は 距 離 を 置 い て 、 せ い ぜい 連 邦 制 ( 国 家 連 合 ) と の 対 比 で 考 え る か 、 あ る いは 「 政 府 ( government ) な き 統 治 ( governance ) 」 の 一 つの 政 治 形 態 と し て 考 え る と い う 方 向 が 有 力 と な る 355。一 方 で 、 ガ バ ナ ン ス と い う 概 念 を 持 ち 出 さ ず と も 、政 策 指 向 の 強 い ( 政 策 ご と に 行 為 者 が 定 め ら れ 、 組織 が 作 ら れ 、 制 度 が 築 か れ る ) 国 際 組 織 だ と 考 え ると ( 難 し く い う と 、 行 為 者 : agent で も 、 状 況 : scene でも な く 、 行 為 : act が 定 め る リ ア リ ズ ム の 世 界 356) 、 案外 説 明 が 付 く こ と も 多 い よ う に も 思 う 。
こ う し た 多 種 多 様 な 問 題 は あ り な が ら も 、 E U へ の 新規 加 盟 の 条 件 と し て 、 民 主 主 義 や 法 の 支 配 、 人 権 尊 重 や 少数 民 族 保 護 に 向 け た 制 度 の 整 備 が 掲 げ ら れ て い る こ と 、1999 年 の N A T O の セ ル ビ ア 空 爆 の 失 敗 の 反 省 か ら 生 ま れた 欧 州 共 通 防 衛 政 策 ( 共 通 外 交 ・ 安 全 保 障 政 策 C F S P の基 本 方 針 ) 、 す な わ ち 地 域 の 危 機 管 理 に 対 応 す べ き 緊 急 展開 部 隊 を 創 設 す る こ と か ら も わ か る よ う に 、 E U は 単 な る 経 済 統 合 機 構 で は な く 、 地 域 と し て の 社 会 統 合 を 図 り な がら 、 政 治 的 軍 事 的 に 秩 序 を 維 持 す る シ ス テ ム と し て 機 能 し始 め て い る 。 後 戻 り は で き な い と い う の が 実 感 だ ろ う 。 対独 問 題 、 対 ソ 問 題 を 同 時 に 解 決 し な が ら 、 対 米 で 一 定 の 自 立 を 達 成 す る と い う 戦 後 の 目 標 を 達 成 す る 随 一 の 仕 組 み だか ら で あ る 。
11 ヨ ー ロ ッ パ 政 治 の 特 色 と そ の 「 将 来 」
11.1 欧 州 政 治 の 特 色
11.1.1 欧 州 政 治 の 面 白 さ は 英 仏 独 な ど の、 、 、 域 内 大 国 と 並ん で 蘭 、 白 、 ス イ ス と い っ た、 多 く の 中 小 国 の 存 在 が あ って 、 そ の 社 会 的 、 経 済 的 多 様 性 が 豊 か な 政 治 現 象 と 政 治 考 察 を 生 み 続 け て い る 点 に あ る 。 欧 州 の 現 代 政 治 に 比 較 的 共通 す る 特 徴 は 、 身 分 = 階 級 社 会 の 伝 統 を 残 し な が ら 統 治、
355 Cf.稲本守「欧州連合(EU)における「民主主義の赤字」と「マルチレベル・ガバナンス」『東京水産大学論集』(第 37巻、2002 年)29-41頁356 Cf.ケネス・バーク『動機の文法』森常治訳(晶文社)
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者 と 被 統 治 者 の 分 別 を 前 提 に 、 デ ィ モ ク ラ シ な ど の 正 論 の政 治 が 論 じ ら れ て い る こ と 、 支 配 の 前 提 に 相 変 わ ら ず 土 地 の 所 有 と い う 発 想 が 残 り 、 支 配 ( 権 力 ) と 所 有 と の 一 致 に 基 づ い た 政 治 社 会 が 形 成 さ れ て い る こ と 、 政 治 が 権 利 な どの 法 的 言 語 で 語 ら れ る こ と が 多 い 点 で す こ ぶ る 法 的 な 政 治 社 会 で あ り 続 け て い る こ と 等 で あ る 。 「 政 治 家 た ち は い まだ に 土 地 が 力 の 基 礎 で あ る か の よ う に ふ る ま っ て い る 」 357
の は 、 土 地 の 支 配 が 統 治 に 重 要 な 役 割 を 果 た し て き た 経 緯が あ る か ら で あ る 358。 欧 州 で も 大 衆 化 は 進 行 す る が 、 旧 来の 統 治 層 イ メ ー ジ は ま だ ま だ 残 存 す る 。 ま た 、 各 国 の 国 王( 君 主 ) も 、 瑞 を 除 き 、 日 本 の 天 皇 の よ う な 意 味 で の 単 なる 象 徴 的 存 在 で は な い 。
欧 州 の 歴 史 を 見 る と 、 政 治 的 安 定 の 条 件 が 見 え て く る 。も ち ろ ん 、 一 定 以 上 の 豊 か さ ( こ の 点 で 近 代 以 降 の 対 外 進出 が も た ら し た 恩 恵 は 大 き い ) と 、 宗 教 戦 争 の 解 決 で 育 まれ た 寛 容 な ど の 精 神 の 共 有 が 前 提 で あ る 。 欧 州 政 治 は 、 national authority の 安 定 し た 維 持 と 、 国 家 権 力 か ら 自 立 し た moderate conservatism ( 穏 健 な 保 守 主 義 ) の 育 成 こ そ が 政 治 的 安 定 の 条 件 で あ り 、 暴 力 と 正 義 が 政 治 に つ き ま と う と し て も( テ レ ビ ド ラ マ 『 野 望 の 階 段 ( House of Cards, To Play the King, The Final Cut ) 』 は 政 治 を 学 ぶ 格 好 の 材 料 だ ろ う ) 、 裸 の 暴 力 行 使 と 過剰 な 正 義 追 求 か ら 政 治 社 会 を 守 る こ と が 政 治 的 安 定 の 秘 訣 で あ る と 教 え て い る よ う で あ る 。 例 え ば 、 近 代 国 家 成 立 過程 で 権 力 の 一 元 的 集 中 化 が 見 ら れ た が 、 中 間 団 体 や 貴 族 階級 が 旧 来 の 特 権 ( liberties ) を 保 持 す る 議 論 を 立 て て 対 抗 し 、所 有 と 支 配 が 連 動 す る 構 造 を も つ 社 会 で 権 力 集 中 を い か に排 除 す る の か と い う 問 い に 対 し て 、 権 力 分 立 と い う 制 度 思想 を 作 り 出 し た か ら で あ る 。 そ の 点 で は 、 デ ィ モ ク ラ シ にと っ て 権 力 集 中 が 是 で あ る と す る 発 想 は ユ ニ ー ク で あ る が 、そ の 支 持 者 は 欧 州 外 の 方 が 多 い の か も 知 れ な い 。
11.1.2 欧 州 と は 何 か が 、 ま た 問 い 直 さ れ て い る 。 欧 州 社 会の 一 体 性 は 保 た れ て い る の だ ろ う か 。 統 合 が 進 め ば 進 む ほど 、 か え っ て 個 々 人 が 民 族 ・ 宗 教 共 同 体 な ど 帰 属 感 を 持 つ集 団 の 存 在 を 強 調 す る こ と に な る の だ ろ う か 。 聖 書 は 、 そし て 教 会 に 通 う 人 が ま す ま す 減 る 中 で 基 督 教 共 同 体 と い う象 徴 は 、 ま だ ま だ 機 能 し 続 け る だ ろ う か 。 基 督 教 共 同 体 は 、多 く の イ ス ラ ム 教 徒 が 欧 州 社 会 に 住 む よ う に な れ ば 、 か えっ て そ の 存 在 を 回 復 す る こ と に な る だ ろ う か 。 あ る い は 、欧 州 社 会 の 対 比 は 、 イ ス ラ ム 社 会 で は な く 、 米 社 会 だ ろ うか 。 シ ェ ー ク ス ピ ア や ゲ ー テ は 、 こ れ か ら も 欧 州 の 共 有 財産 と し て 人 び と に 愛 さ れ 続 け る だ ろ う か 。 そ れ と も 、 基 本的 人 権 の 尊 重 な ど を 中 心 と し た 法 = 政 治 制 度 理 念 や 福 祉 国家 体 制 こ そ 、 欧 州 ら し さ だ と 主 張 さ れ 続 け る だ ろ う か 。 多
357 Cf. リチャード・ホガート、ダグラス・ジョンソン『ヨーロッパの理解』大島真木訳(晶文社)358 国際社会での人道的介入などに際して、主権と人権との優劣関係が問われるが、欧州近代史では、主権と人権と同様に、主権と所有権との優劣関係が主要な政治争点であった(Cf.西欧政治史Ⅰ)。
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様 性 の 中 の 一 体 性 は 矛 盾 で し か な く 、 E U は せ い ぜ い 、 欧 州 版 の 国 際 連 合 に 留 ま る の だ ろ う か 。 欧 州 は 、 21 世 紀 に ど の よ う な 新 し い 政 治 ヴ ィ ジ ョ ン を 作 り 出 す の だ ろ う か 。 偉大 な 実 験 と い う が 、 混 乱 を 招 く な ら ば 、 実 験 だ と の ん き なこ と も 云 っ て ら れ な い 。
11.2 英 仏 独 の 近 現 代 史 の 特 色、 、
11.2.1 英 ( 近 ) 現 代 政 治 の 特 色 は 、 W . バ ジ ョ ッ ト の 区分 で 云 え ば 、 尊 厳 的 部 分 ( 国 王 ) と 実 効 的 部 分 ( 議 会 = 政府 ) と の バ ラ ン ス を 保 ち な が ら 、 時 々 の 政 治 状 況 に 「 trials and errors 」 で 獲 得 し た 統 治 の 安 定 に あ る 。 イ ン グ ラ ン ド の 幸 福 と い う 。
も ち ろ ん 、 島 国 と い う 地 理 的 条 件 も 幸 運 の 要 因 だ っ ただ ろ う ( 一 般 に 海 洋 国 家 は 陸 軍 が 小 規 模 で あ り 、 こ れ は 国民 に と っ て の 脅 威 が 小 さ い こ と を 意 味 す る ) が 、 急 激 な 変化 を 求 め な い 発 想 ( 漸 進 主 義 ) や 抽 象 的 な 理 念 に 振 り 回 され な い 態 度 ( 経 験 主 義 ) が 、 国 家 権 力 か ら 一 定 程 度 自 立 した moderate conservatism の 育 成 359 に 成 功 し 、 政 治 的 安 定 ・ 成 熟 を もた ら し た 。 revolution ( 革 命 ) よ り 、 evolution ( 進 化 ) で あ る 。
こ の 背 景 に は 、 国 家 統 一 が 早 く て ス ム ー ズ で あ り 、 強大 な 地 方 権 力 が 登 場 し な か っ た た め に 生 ま れ た national authority の 不 動 が あ る 360。 こ の 原 因 は 、 Upper - Class と Non – Upper - Classと い う比 較 的 単 純 な 構 成 の 階 級 社 会 と 、 そ れ を 前 提 と し た 支 配 をエ リ ー ト に 信 託 す る 政 治 文 化 に も 求 め ら れ る が 、 大 英 帝 国に よ る パ ィ の 確 保 も 重 要 で あ る ( 末 端 の 庶 民 も 多 か れ 少 なか れ そ の 恩 恵 に 与 れ た ) 。
英 政 治 で ( 古 典 的 な ) 自 由 主 義 が 広 く 受 け 入 れ ら れ るの は 何 よ り も 豊 か だ っ た か ら で あ る 。 換 言 す れ ば 、 政 治 思想 や 政 治 哲 学 が ( 暢 気 に ) 主 張 す る の と は 異 な り 、 自 由 主義 は ど こ の 国 に も 当 て は ま る 体 制 原 理 と は な り え な い 。 幸運 の 産 物 で あ る と い っ て も シ ニ カ ル で は な い 。
一 般 の 歴 史 書 で 産 業 革 命 が 最 初 に 始 ま り 、 近 代 国 家 がつ く ら れ た と さ れ る 英 で 、 貴 族 制 が も っ と も 長 く 強 く 残 った の で あ り 、 country を 代 表 す る 土 地 貴 族 の 存 在 が 政 治 権 力 へ の 過 剰 な 依 存 を 排 除 し た 。 ブ ル ジ ョ ( = 市 民 ) が 市 民 革ア命 に よ り 封 建 階 級 か ら 政 権 を 握 っ た と い う 説 ( ホ イ ッ グ 史観 ) は 神 話 に 過 ぎ な い 361。 社 会 主 義 と 同 様 、 学 者 の 理 屈 通り 、 歴 史 は 動 か な い も の で あ る し 、 貴 族 が 反 動 的 だ と 決 め
359 英国人らしいスポーツはゴルフだろう。Cf.ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』清水幾太郎・霧生和夫訳(岩波書店)360 Cf. ジョセフ・ストレイヤー『近代国家の起源』鷲見誠一訳(岩波新書)361 Cf. 水谷三公『英国貴族と近代』(東京大学出版会)
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つ け る の は 少 々 ナ イ ー ブ 過 ぎ る だ ろ う 。
11.2.2 仏 ( 近 ) 現 代 政 治 の 特 色 は 、 イ ン グ ラ ン ド な どと 同 様 に 、 統 一 を 早 く 成 し 遂 げ た 国 家 に 対 す る 支 持 ( national authority ) は 大 き く 揺 る ぐ こ と は な い も の の 、 政 体 の 頻繁 な 変 更 ( 仏 革 命 以 降 、 第 3 共 和 政 ま で の 90 年 間 で 、 王 制→ 共 和 制 → 帝 制 → 王 制 → 共 和 制 → 帝 制 ) と そ れ に 伴 う 政 局の 混 乱 で あ り 、 そ れ と 対 照 的 な 行 政 の ( パ フ ォ ー マ ン ス が優 れ て い る と は 限 ら な い と し て も ) 安 定 で あ る 。
ロ ア ー ル 川 を 境 に し た 対 立 を 特 色 と す る 政 治 地 図 は 長ら く 維 持 さ れ る 。 national authority は 統 治 エ リ ー ト へ の 信 頼 と いう よ り は 、 巴 里 を 中 心 と す る 集 権 的 な 社 会 構 造 の 維 持 と 、 革 命 以 降 作 ら れ た 国 民 国 家 と い う フ ィ ク シ ョ ン へ の 信 仰 にあ り 、 特 権 廃 止 を 唱 え た 革 命 神 話 と 結 び 付 け ば 、 共 和 制 の維 持 ( 個 人 の 自 由 や 平 等 の 尊 重 ) と ナ シ ョ ナ リ ズ ム ( 祖 国愛 ) と が 連 結 す る 。 従 っ て 、 国 家 へ の 依 存 ( 国 家 主 義 etatism ) と 個 人 生 活 へ の 国 家 介 入 の 拒 否 ( 個 人 主 義 individualism ) と の 両 極 が 選 択 肢 と な る ( 面 白 い こ と に 、 し ば し ば 両 者は 個 人 の 中 で も 共 存 す る ) 。
国 家 権 力 か ら 一 定 程 度 自 立 し た 穏 健 保 守 主 義 の 育 成 には 必 ず し も 成 功 せ ず 、 そ の 結 果 だ ろ う か 、 独 裁 制 と 議 会 中心 主 義 と い う 二 つ の 政 治 運 営 方 式 が 交 替 で 生 ま れ て 、 政 治的 安 定 は 容 易 に は 達 成 さ れ な い 。 議 会 主 義 の 共 和 制 で は 安定 し た 政 治 勢 力 は 形 成 さ れ ず 、 内 閣 の 交 替 は 頻 繁 で は あ った が 、 学 歴 ・ 学 閥 や 親 族 関 係 な ど で 社 会 的 に 結 び 付 い た 統治 エ リ ー ト が 体 制 を 支 え 続 け る 。
た だ 、 第 5 共 和 制 ( 1958 年 ) 以 降 、 左 右 両 派 は ブ ロ ッ クの 形 で ま と ま っ て 行 動 す る 傾 向 が 見 ら れ る ( 第 5 共 和 制 の内 閣 の 平 均 寿 命 は 2 年 以 上 で あ り 、 第 3 、 第 4 共 和 制 と 較べ 大 幅 に 長 い ) 行 政 権 優 位 の 政 治 体 制 の 下 で 、 大 統 領 選。挙 が も た ら す 制 度 の 効 果 と 言 え る か も 知 れ な い 。 総 じ て 言え ば 、 第 5 共 和 制 は 、 国 家 元 首 を 国 民 の 直 接 選 挙 で 選 出 する と い う 点 で 共 和 制 原 理 を 保 っ て い る に し て も 、 国 政 レ ベル で の 政 策 立 案 が 専 ら 議 会 の 多 数 派 を も と に 形 成 さ れ る 内閣 の 主 導 で 行 わ れ る こ と を 考 え れ ば 大 統 領 の 役 割 ・ 機 能、は 次 第 に 対 外 的 に は 国 家 の 代 表 で あ り 、 対 内 的 に は 国 民 統合 の 象 徴 と な り つ つ あ り 、 少 し 前 ( 18 世 紀 あ た り ) の 英 風の 立 憲 君 主 制 + 議 院 内 閣 制 と 類 似 し て い る の か も 知 れ な い 。
11.2.3 独 ( 近 ) 現 代 政 治 の 特 色 は 、 一 般 に 民 主 化 の 失 敗だ と 指 摘 さ れ る が 、 仏 と 同 様 、 政 治 的 不 安 定 も 指 摘 で き る 。し か し 、 後 者 の 理 由 や 原 因 は 異 な る 。 national authority の 形 成 過 程 で 、 国 家 統 一 が 政 治 課 題 と な り 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム ( 民 族統 一 ) の 要 求 と 重 な っ て 、 エ リ ー ト も 非 エ リ ー ト も 国 家 への 依 存 度 を 高 め る こ と と な っ た か ら で あ る 。
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た だ 、 仏 と は 異 な り 、 長 ら く 国 家 統 一 が 遅 れ 、 多 く の国 家 が 併 存 す る と い う 歴 史 に よ り 、 あ る い は 公 教 会 と プ ロテ ス タ ン ト と い う 宗 教 対 立 な ど 複 数 の cleavage が 併 存 し て きた た め に 、 エ リ ー ト 間 の 社 会 的 紐 帯 は 弱 く 、 一 元 的 な 統 治層 が 形 成 さ れ ず に 、 左 右 両 派 の 間 だ け で な く 、 そ の 内 部 でも 主 導 権 争 い を め ぐ る 離 合 集 散 が 続 き 、 英 の 倫 敦 、 仏 の 巴里 に 匹 敵 す る 国 の 「 ヘ ソ 」 を 持 た な い 分 権 型 の 社 会 構 造 に対 応 し て 、 ラ イ ン 川 と エ ル ベ 川 ド ナ ウ 川 ( 墺 を 含 む ) の、三 つ の 領 域 の 主 導 権 争 い が 常 態 と な る 。
第 二 次 大 戦 以 降 は 、 西 独 と い う ラ イ ン 川 国 家 ( 南 部 のド ナ ウ 川 流 域 の 一 部 を 含 む ) へ の 地 理 的 限 定 で 多 少 は 安 定す る が 、 こ の 地 理 的 限 定 は 敗 戦 国 と し て 与 え ら れ た 条 件 に過 ぎ ず 、 安 定 の 背 景 に は も ち ろ ん 経 済 発 展 が あ っ た 。 そ して 、 「 再 統 一 」 で 再 び エ ル ベ 川 ( 東 独 ) が 吸 収 さ れ て 「 中 欧 の 大 国 」 が 誕 生 す る 。 仏 な ど 周 辺 諸 国 に と っ て E U は 独 と い う 暴 れ 馬 の 手 綱 で あ る が 、 E U の 発 展 や 安 定 は 独 次 第 で あ る と い う の が 悩 ま し い と こ ろ だ ろ う 。
と も あ れ 、 独 政 治 史 は 「 負 の 歴 史 」 と し て 表 象 さ れ 、「 独 の 悲 劇 」 の 原 因 が 追 及 さ れ る ヒ ト ラ ー と い う 「 怪。物 」 に 権 力 を 与 え て し ま っ た こ と 、 世 界 大 戦 を 引 き 起 こ した こ と や ユ ダ ヤ 人 や 国 内 の 反 対 派 を 大 量 虐 殺 し た こ と も 深刻 だ ろ う が 、 そ れ 以 上 に 何 故 独 は 民 主 化 に 失 敗 し た の か、 、安 定 し た 統 治 構 造 が 作 れ な か っ た の か が 問 わ れ 続 け て い る 。英 の 政 治 と 比 較 す れ ば 独 近 現 代 政 治 の 「 失 敗 」 は、 、 民 主 化に 失 敗 し た か ら で は な く 、 国 家 か ら 自 立 し た 存 在 に よ る 政治 運 営 に 成 功 せ ず 、 19 世 紀 後 半 以 降 の 過 剰 な 民 権 ( 要 求 ) を う ま く 制 御 で き な か っ た か ら と い っ て も い い 。 ヒ ト ラ ーの 政 権 奪 取 は 、 暴 力 的 で あ っ た こ と は も ち ろ ん だ が そ の、背 景 に は 国 民 の 狂 乱 と も い え る 支 持 が あ っ た こ と も 事 実 であ る 。 現 代 政 治 で は 言 葉 の 本 来 の 意 味 で の 独 裁 は 難 し い 。大 衆 の 支 持 は 不 可 欠 で あ る ( あ る い は そ も そ も 独 裁 と は そう い う も の で あ る ) 。
総 じ て 言 え ば 、 仏 と 同 様 国 家 権 力 へ の 依 存 度 が 高 い と、 、 政 治 の 機 能 不 全 を 招 く の だ ろ う 。 利 益 政 治 が 権 力 政 治 と 直結 し 、 権 力 発 の 正 論 政 治 が 象 徴 市 場 を 席 巻 す る か ら で あ る 。
◎ 「 良 き 政 治 」 と は 、 基 本 的 人 権 が 尊 重 さ れ て いる 政 治 だ ろ う 。 デ ィ モ ク ラ シ が 「 良 き 政 治 」 に 貢 献 する の か 否 か は 難 し い 。 「 政 府 の 失 敗 」 と 「 市 場 の 失敗 」 と の 選 択 が 議 論 さ れ る こ と が 多 い が 、 「 国 民 の 失敗 」 を 加 え な い と 、 「 良 き 政 治 」 の 考 察 は で き な い 。
11.2.4 上 述 の 英 、 仏 、 独 の 政 治 現 象 に 見 ら れ る 特 色 は 、 もち ろ ん そ れ ぞ れ の 国 の 地 政 学 上 の 位 置 や 世 界 政 治 に お け る
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戦 略 と 密 接 に 関 わ っ て い る 。 19 世 紀 ( あ る い は そ れ ま で の数 世 紀 ) が 、 政 治 、 経 済 、 文 化 い ず れ の 点 で も 欧 州 の 世 紀で あ り ( 18 世 紀 は 仏 の 世 紀 、 19 世 紀 は 英 の 世 紀 ) 、 英 、 仏を 代 表 例 と し て 、 各 国 は 相 応 に 世 界 帝 国 で あ っ た 。 し か し 、2 度 の 大 戦 を 経 た 欧 州 の 「 没 落 」 は 否 定 で き ず 、 20 世 紀 は米 の 世 紀 ( あ る い は 米 と ソ 連 の 世 紀 ) と な っ た ( 21 世 紀 はま だ 始 ま っ た ば か り で 分 か ら な い ) 。
海 洋 国 家 英 は 、 そ の 外 交 戦 略 に お い て 、 英 米 の 提 携 、 英 連 邦 の 団 結 、 大 陸 と の 連 携 の 三 本 柱 を 基 礎 と し 、 欧 州 内部 で の 、 あ る い は 世 界 レ ベ ル で の 勢 力 均 衡 を 保 と う と し なが ら 、 19 世 紀 ま で に 築 い て き た 大 英 帝 国 の 発 展 的 解 消 を うま く 進 め て き た と 言 え る か も 知 れ な い が 、 そ の 過 程 で 現 在も な お 三 本 柱 の 優 先 順 位 で 悩 み 続 け て い る の も 事 実 で あ る 。イ ラ ク 侵 攻 に お け る 対 米 協 調 路 線 の 優 先 は 、 英 が 一 般 の 欧州 諸 国 と は 異 な る 政 治 的 ス タ ン ス を と る ( 採 ら ざ る を 得 ない ) こ と を 示 し て お り 、 E U が 今 後 ど の よ う に 進 展 し よ うと も 、 そ の 外 交 戦 略 の 基 本 は 中 期 的 に は 大 き く 揺 る ぐ こ とは な い の だ ろ う 。
地 政 学 上 、 数 世 紀 に 及 び 、 欧 州 大 陸 の 中 心 的 地 位 を 占め 続 け て き た 仏 は 、 英 の よ う な 意 味 で の 世 界 戦 略 を 持 つ こと は な く 、 そ の 外 交 戦 略 は 専 ら 欧 州 に 向 け ら れ て お り 、 アジ ア 、 ア フ リ カ に お け る 植 民 地 問 題 も い わ ば 植 民 地 経 営 の問 題 に 過 ぎ な か っ た 。 換 言 す れ ば 、 仏 は 欧 州 内 部 で の 覇 権維 持 に 腐 心 し 続 け た が 、 そ の 念 頭 に は 英 と 独 が あ り 、 19 世紀 後 半 以 降 、 総 じ て 対 英 関 係 が 順 調 で あ っ た の に 対 し て 、対 独 関 係 は 緊 張 の 連 続 で あ り 、 対 露 ・ 対 ソ 関 係 は 対 独 関 係の 関 数 で あ っ た 。 そ れ が ゆ え に 、 第 二 次 大 戦 後 の 冷 戦 期 にお け る 欧 州 統 合 は 、 対 独 関 係 で ソ 連 の 支 援 が 受 け ら れ な い以 上 、 独 封 じ 込 め を 図 る 上 で 仏 の 死 活 問 題 と な り 、 さ ら には 欧 州 統 合 が 進 め ば 、 戦 後 西 側 世 界 を 支 援 し て き た 米 か らの 自 立 を 達 成 で き る と い う 見 通 し が 基 本 路 線 で あ り 続 け ただ ろ う 。
独 は 、 後 発 先 進 国 と し て 、 仏 ほ ど も 世 界 戦 略 を 持 つ 地位 に あ る こ と は な か っ た 。 確 か に 例 え ば 『 我 が 闘 争 』 を 見れ ば 、 ヒ ト ラ ー に は 世 界 戦 略 が あ る よ う に も 思 え る 。 し かし 、 そ れ は 何 よ り も 専 ら 欧 州 内 部 で の 覇 権 獲 得 で あ っ た とい え る 。 独 は そ の 中 欧 に 位 置 す る 地 政 学 上 の 特 色 か ら 、 対英 、 対 仏 、 対 露 ( 対 ソ ) を 意 識 さ ざ る を 得 ず 、 む し ろ 第 二次 大 戦 後 、 東 西 両 独 に 分 裂 し た お か げ で 、 そ の 地 政 学 上 の呪 縛 よ り 解 放 さ れ 、 軍 備 が 制 限 さ れ た お か げ で 、 か え っ て民 政 部 門 の 充 実 が 図 ら れ 、 西 欧 諸 国 で 最 も 繁 栄 し た 国 家 とな っ た 。 広 義 の 西 欧 に 所 属 し 続 け な が ら 、 対 仏 関 係 を 良 好に 維 持 し 、 欧 州 統 合 に そ の 復 興 の 成 否 を 賭 け た と い え る 。し か し 、 東 西 両 独 が 統 一 さ れ て 以 降 、 再 び 中 欧 に 位 置 す る地 政 学 上 の 問 題 が 再 発 し て い る の も 事 実 で あ る 。
こ の よ う な 英 仏 独 三 国 の 国 際 政 治 上 の 経 験 が 、 戦 略 的
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思 考 ( あ る い は 世 界 の あ る べ き 姿 に 関 す る 哲 学 的 考 察 ) を欠 く 日 本 に と っ て 、 ど の よ う な 意 味 を 持 つ の か は 非 常 に 難し い 。 世 界 帝 国 を 目 指 さ な い こ と こ そ が 豊 か さ を も た ら す可 能 性 も あ る か ら で あ る 。 1 人 当 た り の G D P が 高 い 国 は 、豊 富 な 石 油 資 源 と い う 幸 運 に 恵 ま れ た 国 を 除 け ば 、 欧 州 の中 小 国 で あ る 。
11.2.5 E U の 組 織 ・ 制 度 、 政 策 形 成 の 過 程 は 複 雑 で ある ( そ の 詳 細 は 、 特 殊 講 義 「 E U 法 」 、 特 殊 講 義 「 E U の政 治 」 を 参 照 の こ と ) 。 E U は 、 現 在 加 盟 国 が 28 、 公 用 語が 24 ! で あ り ( 通 訳 ・ 翻 訳 を 考 え る だ け で も 維 持 経 費 は 膨大 で あ り 、 コ ミ ュ ニ ケ ィ シ ョ ン ・ コ ス ト も 高 い ) 、 人 口 は約 5 億 人 、 G D P ( P P P ) は 15 兆 ド ル ( 米 の 約 3 億 人 、14 兆 ド ル を 上 回 る 、 以 上 2007 年 度 統 計 ) と 巨 大 な 組 織 と なっ て い る 。 加 盟 国 の 所 得 格 差 は 現 在 約 8 倍 あ り 、 拡 が り 過ぎ た 観 が あ る 。
経 済 ・ 財 政 に 問 題 を 抱 え て い る 国 の 方 が 多 い 現 実 も 無視 し づ ら い 。 各 国 政 府 に と っ て は 、 E U の 枠 組 み を 利 用 して 世 界 経 済 で の 地 位 確 保 が 可 能 と な る が 、 一 方 で 自 国 の、利 益 と E U の 利 益 と が 調 和 し な い 場 合 は ど う な る の か と いう 問 題 は 内 在 す る 例 え ば 不 況 に 際 し 自 国 産 業 の 保 護 を。 、 、図 る こ と が E U 法 に 反 す る 場 合 で あ る 。
ま た 、 狭 義 の E U と E C と の 関 係 も 少 々 厄 介 で あ る 。E C ( 第 1 の 柱 ) は 域 内 市 場 と 単 一 通 貨 を 扱 い 、 E U ( 狭義 ) は 、 共 通 外 交 ・ 安 全 保 障 政 策 ( Common Foreign and Security Policy, CFSP 、 第 2 の 柱 と 呼 ば れ る ) と 警 察 ・ 刑 事 司 法 協 力 ( Police and Judicial Cooperation in Criminal Matters 、 P J C C 、 第 3 の 柱 と 呼 ば れる ) を 扱 う 。 そ し て 、 両 者 を 併 せ る と E U ( 広 義 ) と な る 。ま た 、 E C 条 約 は 基 本 的 に 超 国 家 主 義 で あ る の に 対 し 、 EU 条 約 は 政 府 間 主 義 と い う 違 い も あ る 。
E U が 発 展 す れ ば 、 そ れ だ け 加 盟 国 は こ れ ま で 以 上 に主 権 の 譲 渡 問 題 に 悩 ま さ れ る 。 各 国 の 憲 法 、 経 済 ・ 社 会 制度 も E U に あ わ せ る こ と が 求 め ら れ る 。 さ ら に 、 E U は 巨大 に な り す ぎ て ブ リ ュ ッ セ ル な ど の、 E U 官 僚 が 支 配 し てい る と 批 判 さ れ る こ と も あ る が 、 そ の 批 判 は 加 盟 国 国 民 の「 声 」 が 届 か な い ( 「 デ ィ モ ク ラ シ の 赤 字 」 ) か ら で あ り 、ま た 各 国 政 府 の 影 響 力 が 低 下 し つ つ あ る 現 状 に 対 す る 不 満で も あ る 。
そ れ で も 、 今 や E U は 、 単 に 域 内 市 場 の 育 成 や ユ ー ロの 維 持 に 留 ま ら ず テ ロ リ ズ ム や 組 織 犯 罪 に 対 す る 闘 い で、の 役 割 が 期 待 さ れ さ ら に は 、 欧 州、 ( 旧 ユ ー ゴ ス ラ ビ ア の一 連 の 問 題 な ど ) を 越 え て 世 界 に お け る 紛 争 の 解 決、 ( イラ ク や ア フ ガ ニ ス タ ン ) 、 平 和 の 維 持 人 道 援 助 な ど で も、重 要 な 役 割 を 果 た す こ と が 求 め ら れ て お り 、 実 際 に 大 き な役 割 を 果 た し つ つ あ る 。
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E U の 未 来 を 楽 観 で き る だ ろ う か 。 人 類 史 上 、 最 大 の実 験 の 1 つ と も い え る E U の 将 来 は 不 透 明 だ が 、 前 に 進 むに は 、 楽 観 す る し か な い と い う の が 本 音 な の で は な い か とさ え 思 え る 。 将 棋 の 谷 川 元 名 人 が 「 過 程 は 悲 観 的 に 、 結 果は 楽 観 的 に 」 と ど こ か に 書 い て い た が 、 欧 州 の E U 賛 成 派も 同 じ 気 分 に な れ る だ ろ う か 。
◎ E U は 現 在 財 政 に 関 す る 共 通 ル ー ル を 作 って い る 。 通 貨 ( 金 融 政 策 ) を 統 一 し な が ら 、 財 政 政策 を 統 一 し な い の は 難 し い だ ろ う 。 希 の 事 例 を 見 れば わ か る よ う に 、 経 済 や 財 政 に 関 す る 構 造 的 な 改 革を 求 め る こ と は 難 し い 。 各 国 政 府 は 各 国 の 国 民 に よる 選 挙 で 選 ば れ 、 世 論 の 動 向 に 配 慮 す る か ら で あ る 。そ の 意 味 で 、 E U の supranationalism / transnationalism と 加 盟 国 のnationalism と が 正 面 衝 突 す る の は 仕 方 な い 。 日 本 風 に 言え ば 、 「 護 送 船 団 方 式 ( 最 も 遅 い 船 に あ わ せ て 進む ) 」 が 上 手 く い く か ど う か で あ る 。
11.3 ヨ ー ロ ッ パ 政 治 史 と 日 本
11.3.1 歴 史 は 必 ず し も 教 訓 に は な ら な い が 、 理 屈 ( 理論 ) よ り は 歴 史 の 方 が 有 用 で は あ り 、 ま た 、 ヴ ァ イ ツ ゼ ッカ ー 元 独 大 統 領 の 演 説 362に あ る よ う に 、 過 去 に 目 を 閉 ざ す者 は 現 在 ・ 未 来 に も 盲 目 と な る と は い え そ う で あ る 。
日 本 に と っ て 欧 州 政 治 ( 史 ) の 意 義 は 小 さ く な い 。 欧州 政 治 史 に 学 ぶ 価 値 が あ る の は 、 こ の 地 域 で 政 治 と は 何 かに つ い て の 考 察 が 最 も 豊 か に な さ れ た か ら で あ る 。 欧 州 の制 度 が 学 習 さ れ 、 分 野 ご と の 優 秀 部 分 が 大 量 に 輸 入 さ れ て 、近 代 日 本 は 欧 州 制 度 の 、 特 に 英 仏 独 の 制 度 の、 、 パ ッ チ ワ ーク と な っ た 。 第 二 次 大 戦 後 は 、 米 が 新 し い 国 家 ・ 社 会 モ デル と し て 浮 上 す る 。 学 問 も し ば し ば 社 会 実 勢 ( 国 の 豊 かさ ) に 従 う が 、 米 的 な 発 想 や 価 値 観 が 重 み を 増 し 、 そ の 生活 様 式 が 世 界 標 準 と 見 な さ れ れ ば そ れ だ け 相 対 化 が 必 要 とな る 。 欧 州 の 政 治 は 、 米 モ デ ル の 相 対 化 を 図 る た め に ま、た 、 国 家 の 規 模 や 政 治 課 題 の 類 似 性 な ど の 点 で 、 日 本 に とっ て 格 好 の 引 照 基 準 ・ 参 照 事 例 ( frame of reference ) で あ る ため に 、 今 後 と も 欧 州 学 と そ の 歴 史 は 、 東 ア ジ ア 学 と そ の 歴史 同 様 ( こ ち ら の 意 義 は 、 良 き 政 治 を 考 え る と い う 学 問 上の 有 用 性 よ り も 、 多 分 に 安 全 保 障 と 経 済 発 展 の 確 保 と い う現 実 政 治 の 必 要 性 が 大 き い ) 、 重 要 で あ り つ づ け る 363。
362 Cf. リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー『荒れ野の40年』永井清彦訳(岩波書店)363 例えば、フランスと朝鮮の比較も面白いかも知れない。朝鮮については、Cf. グレゴリー・ヘンダーソン『朝鮮の政治社会』鈴木沙雄、大塚喬重訳(サイマル出版会)が妙に説得力を持つ その他。には 古田博司『新しい神の国』(ちくま新書)、古田博司『朝鮮民族を読み解く』(ちくま学芸文、庫)、大倉紀蔵『韓国は一個の哲学である』(講談社現代新書)、宮嶋博史『両班』(中公新書)な
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米 政 治 や 米 政 治 学 で は 、 政 治 の 要 諦 は わ か ら な い 。 映画 『 紅 の 豚 』 の 台 詞 を も じ れ ば 「 そ れ ほ ど 世 の 中 は 単 純、で は な い 」 か ら で あ る 。 政 治 の 考 察 と い う 点 で は 英 政 治、史 は 最 良 の テ キ ス ト を 提 供 す る が 、 こ れ だ け 翻 訳 が 盛 ん な日 本 で あ り な が ら も 、 残 念 な が ら 英 の 歴 史 家 の 著 作 は あ、ま り 翻 訳 さ れ て い な い 364。 そ の 理 由 は わ か ら な い が 少 々 の、知 識 で は 歯 が 立 た な い か ら か も 知 れ な い し そ の 味 わ い 深、い 文 体 は 翻 訳 者 に 相 当 の 日 本 語 力 を 要 求 す る か ら か も 知 れな い 。
11.3.2 E U が 成 功 し て い る の か ど う か は も ち ろ ん 現 在判 断 で き る 問 題 で は な い 。 実 験 中 で あ る 。 ユ ー ロ を 導 入 して い な い と は い え 、 E U の 中 心 国 で あ る 英 の キ ャ メ ロ ン 首相 は 、 E U と の 関 係 を 見 直 す 国 民 投 票 を 行 う 考 え を 表 明 した ( 2013 年 1 月 ) 。 債 務 危 機 な ど が 理 由 だ ろ う が 、 む し ろ 予定 さ れ て い る E U 基 本 条 約 改 正 で 英 の 特 殊 な 利 益 を 守 ろ うと い う 戦 術 か も 知 れ な い 。 E U を 離 脱 し て も 、 そ れ に 代 わる 経 済 圏 の 創 出 が な け れ ば 、 意 味 が な い だ ろ う か ら で あ る 。そ の 昔 、 E E C に 対 抗 し て 、 英 を 中 心 に 11960 年 に 設 立 さ れた E F T A ( European Free Trade Association 、 自 由 貿 易 連 合 ) は と ても 成 功 し た と は い え ず 、 英 も 丁 も E C 加 盟 に 伴 い 、 脱 退 した 過 去 が あ る 。
元 欧 州 委 員 会 委 員 長 で あ っ た J . ド ロ ー ル は 、 E U のプ ロ ジ ェ ク ト を 、 U F O ( 未 確 認 飛 行 物 体 ) な ら ぬ 、 U PO ( 未 確 認 政 治 物 体 ) と 名 付 け た と い う 365。 50 ~ 60 年 前 にま で 遡 ら な く と も 、 こ れ ほ ど 欧 州 の 統 合 が 進 む こ と を 、 予測 し た 人 は 殆 ど い な い だ ろ う 。 特 に 、 E U が 、 米 と は 異 なる 社 会 の モ デ ル ( 大 き く 繁 栄 し て い る と は 言 え な い か も 知れ な い が 、 犯 罪 率 が 低 く 、 社 会 保 障 が 充 実 し て い る ) を 提示 し て い る こ と は 重 要 で あ る 。 そ し て 、 統 合 へ の 過 程 は ねば り 強 い 交 渉 の 積 み 重 ね に よ る も の で あ り 、 そ の 意 味 で もE U は 「 成 功 」 し つ つ あ る と 言 え る の だ ろ う 。 も ち ろ ん 、E U が 成 功 す る 保 証 は な い 。 当 初 の 6 カ 国 と 北 欧 諸 国 で 統合 を し て い れ ば 、 こ れ ほ ど 苦 労 は し て い な か っ た だ ろ う とい う 感 想 も あ る だ ろ う 。
こ の 成 功 も あ っ て 、 東 ア ジ ア 版 の ( あ る い は 太 平 洋 版の ) E U の 設 立 を 求 め る 声 も あ る し か し 、。 ユ ー ラ シ ア 大陸 の 西 と 東 で は 、 事 情 が 相 当 に 異 な る 日 本 の 戦 争 責 任 問。題 及 び そ れ に 関 連 す る 問 題 が 地 域 組 織 設 立 の 障 碍 と な る から で は な い 。 欧 州 に 較 べ れ ば 東 ア ジ ア は 歴 史 的 に、 も 、 知的 に も 、 あ る い は 人 材 の 点 で も 相 互 交 流 に 乏 し く ま た 何、よ り も 、 い わ ゆ る 「 東 ア ジ ア 」 ( 日 本 朝 鮮 、 中 国、 。 日 本 は 、
どが参考になる。364 例 と し て 、 Maurice Cowling, The Impact of Labour, Richard Pares, King George III and the
Politicians,J.H.Plumb, The Growth of Political Stability in England 16751725365 ヘールト・マック『ヨーロッパの100年』下、長山さき訳(徳間書店)391頁
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琉 球 と 並 ん で オ セ ア ニ ア ( 太 平 洋 諸 国 ) の 中 で 随 一 中 華 化さ れ た 国 だ と 考 え た 方 が い い だ ろ う が 366) に 限 っ て も そ の、共 通 点 は 乏 し い か ら で あ る 。 日 本 に 続 き 、 韓 国 、 台 湾 、 香港 、 シ ン ガ ポ ー ル が 発 達 し 、 さ ら に は 中 国 、 東 南 ア ジ ア 諸国 が 発 展 し た こ と も あ っ て 、 そ の 発 展 の 背 景 に 儒 教 文 化 圏と い う 共 通 要 素 を 見 い だ す 議 論 が 一 時 期 は や っ た が 、 取 って 付 け た 議 論 で あ る 。 利 益 政 治 だ け で は 統 合 は 難 し い 実。態 と 対 応 し た 象 徴 が 不 可 欠 で あ る 。 仏 教 、 儒 教 ( 儒 学 ) も今 や 共 有 財 産 と は 言 い 難 い だ ろ う 。 ま た 、 歴 史 上 こ の 地 域の 文 明 の 利 器 と し て 機 能 し 続 け た 漢 字 や 漢 籍 も 現 在 で は とて も 共 有 財 産 と は 言 い 難 い 。
も ち ろ ん 、 欧 州 に つ い て も 、 ギ リ シ ア = ロ ー マ 、 基 督教 ゲ ル マ ン 社 会 と い う 3 点 セ ッ ト、 が い ま だ に 共 有 財 産 であ る と は 言 い 難 く な っ て い る の も 事 実 で は あ る が 、 東 ア ジア に 較 べ れ ば 、 地 域 を 統 合 す る イ デ オ ロ ギ と し て は 生 き 続け て い る 。 し か も 、 欧 州 に は 身 分 = 階 級 社 会 を 基 本 と し た歴 史 が あ っ て 、 国 民 国 家 の 枠 組 み を 超 え る 王 侯 貴 族 や 知 識人 な ど の 国 際 的 ネ ッ ト ワ ー ク が 欧 州 を 支 え て き た 。 欧 州 諸国 は 「 共 存 」 し 、 東 ア ジ ア 諸 国 は 「 併 存 」 し て き た の で ある 。
ま た 、 地 政 学 で い え ば 、 欧 州 は 、 と り わ け 西 欧 、 中 欧で は 大 国 が 支 配 す る 伝 統 を 欠 く 。 も ち ろ ん 、 英 に せ よ 、 仏に せ よ 、 欧 州 外 で は 大 帝 国 で あ っ た 。 そ れ で も 、 欧 州 に 限れ ば 、 人 口 や 経 済 の 点 で 突 出 し た 国 家 は 存 在 せ ず 、 勢 力 均衡 論 が 成 立 す る 素 地 が あ っ た 。 換 言 す れ ば 、 数 百 年 に 及 ぶ外 交 と 戦 争 の 歴 史 が 、 そ し て 富 の 蓄 積 が E U を 創 り 出 し た 。そ の 点 、 サ ィ ズ や 経 済 力 の 点 か ら み て も 、 不 均 衡 な 国 家 が併 存 し 、 基 本 的 に は 中 国 を 中 心 と す る 政 治 秩 序 を 維 持 し てき た ( そ の 点 で は 地 域 間 の 戦 争 は 欧 州 よ り 遙 か に 少 な い )東 ア ジ ア で は 、 近 い 将 来 に E U に 似 た 国 際 組 織 が で き る 可能 性 は 高 く な い だ ろ う し 、 日 本 に と っ て は 政 治 的 コ ス ト が高 す ぎ る か ら 、 望 ま し い と も 思 え な い 。
日 本 の 政 治 に と っ て は 、 E U の 手 法 は 、 特 に そ の 政 策形 成 や 財 政 調 整 の 仕 組 み は 、 米 と 中 国 と い う 2 つ の ( あ るい は 露 を 含 め れ ば 、 3 つ の ) 大 国 の 間 に あ っ て 、 ど の よ うに 東 ア ジ ア と い う 地 域 の 秩 序 を 形 成 す る か と い う 分 野 よ りは 、 む し ろ 、 E U の い わ ゆ る 地 域 政 策 ( 構 造 政 策 や 結 束 政策 と も 呼 ば れ る ) に 典 型 的 に あ ら わ れ て い る よ う に 367 、 国 内 で 地 方 分 権 を 進 め る 際 に 、 中 央 政 府 と 地 方 政 府 と の 、 ある い は 地 方 政 府 間 の 関 係 を 考 え る 上 で 役 立 つ と 考 え た 方 がい い の か も 知 れ な い 。 そ し て 、 そ の 関 連 で 、 E U は 、 従 来の 国 家 ( 中 央 政 府 ) 中 心 の 地 方 分 権 や 地 域 振 興 で は な く 、自 治 体 や 労 働 組 合 、 民 間 企 業 、 さ ら に は 市 民 団 体 な ど 多 様
366 田中克彦は、「脱亜入欧」ならぬ「脱漢入亜」という。Cf.田中克彦『漢字が日本語をほろぼす』(角川SSC新書)367 Cf.稲本守「欧州連合(EU)の「地域政策」と「マルチレベル・ガバナンス」」『東京水産大学論集』(第 38巻、2003 年)23-42頁
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な 団 体 を 主 要 な ア ク タ と し て 認 定 し 、 組 み 込 む 協 働 体 制 によ る 地 域 分 権 ・ 地 域 振 興 の モ デ ル で も あ る 点 に 注 目 し た 方が い い だ ろ う 。
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参 考 資 料 ) 本 プ リ ン ト で 用 い る カ タ カ ナ 表 記 に つ い て
外 来 語 の 表 記 は 悩 ま し い 。 日 本 語 に 近 い 音 が な い 母 音 や子 音 が 多 い か ら で あ る 。 そ こ で 日 本 語 に あ る 中 で 近 い 音 を当 て る こ と が 基 本 と な る ( 仮 に 原 音 主 義 と 呼 ぶ ) 。 と こ ろが 、 「 近 い 」 の 判 断 は 時 代 に よ り 変 化 し て き た 。 例 え ば 、ア メ リ カ ( ン ) は メ リ ケ ン と な る 。 今 の 基 準 か ら す れ ば 、原 語 の 発 音 と か な り 遠 い カ タ カ ナ 表 記 が な さ れ た ま ま 、 時間 が 経 っ て い る も の が 何 百 、 何 千 と あ る 。 流 通 し て い る 表記 を 用 い る こ と が 望 ま し い と い う の も 1 つ の 判 断 で あ る( 仮 に 現 実 主 義 と 呼 ぶ ) 。 こ の 原 音 主 義 と 現 実 主 義 の い ずれ を 優 先 す る か は 難 問 で あ る が 、 今 の と こ ろ 現 実 主 義 を 基本 と す る こ と が 望 ま し い と 考 え る 。 但 し 、 現 実 主 義 に も 弊害 が あ る 。 特 に ほ ぼ す べ て の 日 本 人 が 学 ぶ 英 語 の 習 得 に 障害 と な る 点 で あ る 。 文 部 科 学 省 ( 「 国 際 化 に 伴 う そ の 他 の日 本 語 の 問 題 」 ) も こ の 点 は 了 解 し て い る よ う に 見 え る 。 そ こ で 、 こ の プ リ ン ト で は 、 一 部 の 外 来 語 に つ い て 原 音主 義 を 採 る こ と に し た 。 も ち ろ ん 、 そ の 場 合 に も い く つ かの 原 則 を 立 て た 。 町 田 健 は 、 「 本 書 で は 、 ロ マ ン ス 語 固 有名 詞 の 日 本 語 カ タ カ ナ 表 記 と し て 、 『 ヴ ェ ル レ ー ヌ 』 『 ヴァ レ リ ー 』 の よ う な 『 ヴ 』 で は な く 、 『 ベ ル レ ー ヌ 』 『 バレ リ ー 』 の よ う に 、 『 バ 行 』 音 を 用 い て い る 。 現 今 で は 、原 語 の ラ テ ン 文 字 表 記 が v を 用 い て い る 場 合 に 、 『 ヴ 』 のカ タ カ ナ 表 記 が 一 般 的 に 使 用 さ れ て い る が 、 そ れ を 表 す じっ さ い の 日 本 語 音 は 『 バ 行 』 の 場 合 と 同 じ [b] で あ っ て 、 [v]音 に 対 応 し て い る わ け で は な い 。 他 の 場 合 に は 表 音 性 を もつ カ タ カ ナ 表 記 が 、 こ の 場 合 に の み 表 音 性 を 失 っ て し ま って い る の は 、 合 理 性 を 追 求 す る 言 語 学 に 携 わ っ て い る 著 者に と っ て は ま こ と に 不 合 理 な こ と で あ っ て 、 『 ヴ 』 の 使 用は つ ま ら ぬ ペ ダ ン テ ィ ズ ム と し か 思 え な い 。 し た が っ て 、特 別 の 場 合 を 除 い て は 、 著 者 は 『 ヴ 』 の 文 字 は 使 用 し な いこ と を 原 則 と し て い る 』 368と 述 べ て い る が 、 尤 も で あ る 369。換 言 す れ ば 、 日 本 人 が 実 際 に 発 音 す る ( で き る ) 限 り に おい て は 、 原 音 主 義 へ の 移 行 も 考 え ら れ る こ と に な る 。 あ るい は 、 無 理 な く 原 音 主 義 へ と 誘 導 で き れ ば 望 ま し い と も いえ る 。 そ こ で 本 プ リ ン ト で は 、 す で に 流 通 し て い る カ タ カナ 表 記 に つ い て 以 下 の よ う な 修 正 を 施 す こ と と し た 。 ( 1 ) 本 来 短 母 音 で あ る に も か か わ ら ず 、 語 中 ・ 語 尾に お か れ る 「 ― 」 は 省 い た 。 実 際 の 発 音 で 重 要 な の は ア クセ ン ト の 位 置 で あ り 、 日 本 人 が 発 音 す る 場 合 、 無 用 な「 ー 」 は ア ク セ ン ト の 位 置 を 惑 わ し 兼 ね な い か ら で あ る 。例 と し て 「 ア ク タ ー 」 → 「 ア ク タ 」 、 「 リ ー ダ ー 」 → 「 リー ダ 」 、 「 メ ッ セ ー ジ 」 → 「 メ セ ジ 」 で あ る 。 近 年 、 「 コン ピ ュ ー タ 」 を 「 コ ン ピ ュ ー タ ー 」 へ の よ う に 改 正 す る こと で 業 界 が 一 致 し て い る が 、 本 プ リ ン ト は こ の 改 正 方 向 とは 真 逆 の 方 針 を と る こ と に な る 370。
368 町田健『ロマンス語入門』(三省堂、2011 年)はじめに369 町田さんはロマンス語の1つであるスペイン語で v を[b]と発音することをどう考えていらっしゃるのだろう。 370 日本翻訳連盟・標準スタイルガイド検討委員会『JTF日本語標準スタイルガイド(翻訳用)』によれ
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( 2 ) 本 来 二 重 母 音 で あ る の に 、 長 母 音 と し て 表 記 され て い る も の に つ い て も 変 更 し た 。 そ の 際 、 二 重 母 音 の 2番 目 の 母 音 は 半 角 表 記 と し て い る 。 例 え ば 、 「 ゲ ー ム 」 →「 ゲ ム 」 、 「 ノ ー ト 」 → 「 ノ ト 」 で あ る 。 ( 1 ) とイ ウ( 2 ) を 組 み 合 わ せ る と 、 「 テ ー ブ ル ・ マ ナ ー 」 は 「 テ イブ ル ・ マ ナ 」 と な る 。 ( 3 ) 一 部 の 「 ッ 」 を 省 略 し た 。 例 と し て 、 「 パ ラ ドッ ク ス 」 → 「 パ ラ ド ク ス 」 。 但 し 、 原 語 が 1 音 節 の 単 語 やア ク セ ン ト が あ る 場 合 は 慣 例 に 従 っ た 。 「 ペ ッ ト 」 は 「 ペト 」 と は し て い な い 。 こ れ ら は 短 母 音 で あ る が 、 少 し 長 めに も 発 音 さ れ る か ら で あ る 。 ( 4 ) 以 上 の 変 更 に つ い て 、 混 乱 を 避 け る た め に 、 固有 名 詞 は 慣 例 に 従 っ た 。 も ち ろ ん 、 引 用 な ど に は 手 を 加 えな い 。 ま た 、 英 語 以 外 は 、 「 レ ッ テ ル 」 ( 蘭 語 ) な ど 概 ね現 状 の ま ま に し て あ る 。
( 5 ) こ れ 以 外 で も 訂 正 し て い る 場 合 が あ る が 、 その 場 合 は 初 出 箇 所 で 変 更 を 記 し て お い た 。 少 々 戸 惑 う か も し れ な い が 、 了 承 の こ と 。 外 来 語 の 表 記は 一 端 定 着 す る と 修 正 し づ ら い が 、 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 がし ば ら く 経 っ て か ら ロ ー ズ ベ ル ト 大 統 領 に 変 更 さ れ た よ うな 例 も あ る 。 何 事 も 「 最 初 は 前 代 未 聞 」 だ と 思 っ て い る 。事 の 成 否 は 、 最 後 は 市 場 原 理 ( 実 際 の 使 用 状 況 ) に 委 ね るよ り な い の か も 知 れ な い が 、 市 場 原 理 に 委 ね な い 方 が い い場 合 も あ る と 思 う 。 な お 、 皆 さ ん が 表 記 さ れ る 場 合 に は 、現 実 主 義 が い い 。
ば、カタカナの長音について、「カタカナの末尾の長音を原則として省略」しないとする。これは、テクニカルコミュニケーター協会・カタカナ表記検討ワーキンググループ『外来語(カタカナ)表記ガイドライン第2版』(テクニカルコミュニケーター協会、2008 年)に従うとしている。製品利用者への調査(2003.9)で、長音付きのカタカナ用語の方が馴染みを感じている利用者が多いという結果が出たためであるとしている。また、内閣告示第二号 『外来語の表記』(平成3年6月 28日)策定(通称:国語審議会ルール)でも、長音符号「ー」を付けて表記するほうが日本人の発音と一致し、自然であると考えられるというのが理由である。マイクロソフト社も、外来語カタカナ用語末尾の長音表記を変更している(2008 年7月 25日発表)。ここでは、ユーザではなく、ユーザーが一般社会の常識であるとしていて現実主義である。そこで掲載されている森治郎早稲田大学メディア文化研究所客員教授によれば、ユーザーが英語発音への誤解に基づく「長音符号省略」原則の決定に端を発しているとしていて、日本語全体がおかしくなろうとしているが、その理由の説明はない。理由は推定するよりないが、user [ju:zɚ]の最後の母音に関する認識の違いだろう。ここではアクセントの位置を重視するので、語末の長音表記は用いない。
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