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殊更 西 うつ 此處は 何處 、鶏 した の樣 き緑 下を る賤 した あた ら亂 野邊 の旅 、溪 流涸 きを 滴も る樣 に視 る溪 ツト ーブ の樣 に點 等迚 では に緑 蔭を の變 化は 水は ?・・・・ は中 的畫 める の十 ぬを て壮 る身 何處 宿 る身 亡き さるゝ が殘 故專 ら自 死ね 名譽 地は 韓三 東經 地點 舎は 附屬 、日 人は 小兒 も日 本雜 商賣 徒は は平穏 より 油斷 且つ 峻嶮 の樣 油を 居り 保を營 商賣 か轉た 任主 定合 ( ) では 下を を祈る 四十 二十一日

は、 - mizue.bookarchive.jpmizue.bookarchive.jp/pdfs/kiji/1696.pdf · 夏 の旅 に 涼 蔭 も な う 、溪 流涸 れ て 喝 きを 慰 す べ き 清 水 一 滴も 無

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Page 1: は、 - mizue.bookarchive.jpmizue.bookarchive.jp/pdfs/kiji/1696.pdf · 夏 の旅 に 涼 蔭 も な う 、溪 流涸 れ て 喝 きを 慰 す べ き 清 水 一 滴も 無

    通

此頃は絶えて御伺ひ申さず候だん、怠り

やすき夏の日と殊更に

御赦し被下度候。

夕陽は西

にうつりぬ此處は

何處

、鶏林の全羅南道、知異山は左

に淡くイ

ンヂゴーと

ヱメラルドを溶した

やうにて候。

蟾津江は帯の樣に赫

い山

や濃き緑

の森の下を流れ申候。

  峰に柴折る山かつや、野邊

に草苅る賤の女

等と形容したく

も切角の山はあたら亂伐

され候

て矢鱈草生

ひ茂

り候、野邊

は展けて樹木稀れ、夏

の旅に涼蔭

もなう、溪流涸

て喝きを慰すべき清水

一滴も

無之候、然

れど不思議や此亡國を

意味する樣な

四方の山

や川にも場所と地形によりては掬すべき

風光佳美稀に視る溪流に岩石の配列面白く

コバルトやライト

ツト

やムーブの樣な色を含むで流れの中に點在する等迚

も多摩

上流の比では無之候、其が上に緑樹茂りて赫き涯に

ニユトラ

ルの蔭を描

ひて色の變化は實

に妙美に富んで山は紫に水は雪

樣に白

い?・・・・拙なき筆

にては中

々に此詩的畫

的趣味に富める

風光の十分の

一だに現し得ぬを誠に恨みにて候

、諒し給

ひてよ

なむ。

幸にして壮健

に有之候風土の

異なり

土地にて

病等に

罹りて

は、死する身は何時、何處

とて定めなき假の世に宿る身

のなら

ひとて惜みも悲みも無之候

も、犬死よ不忠者よと、亡き

跡まで

も後ろ指、指さるゝ

が殘念にて候故專

ら自愛厚く致し居り候

ば此段更

々御

心配御無用の事にて候、是れで死ねば名譽

の戦死

は大丈夫にて候。

此地は北韓三

十五度五分、東經

百二十七度五分の地點

に位置し

有之候。  

   

  

  

兵舎は郡衙附屬家屋にて城跡にて候、日本人は兵が若干名と、

憲兵が四名と、査

公が二名と他に男女小兒等合して十三名有之

て内商店二軒有之候何れも日

本雜貨を商賣

致し居り候。

他地方に比して比較的清潔

にて候、樹木多く流れ川清きが何よ

りの喜びにて候、暴徒は

此地四里四方は平穏

にて候も之より外

は油斷

ならず候、時折

は討伐に出で申候も山路多く且つ

一般に

峻嶮

なる爲め骨折

一方ならず候、河内の金剛山の樣な

のは珍ら

しからず候、野生は目下事務室で油を

絞り居り候傍

々酒保を營

み居り候、商賣氣の無き候故か轉た放任主義から勘定合

ふて金

足らずは日常にて候。

何れ追

て詳報(が怪し

い)差上可申候事として今信は之れにて筆

措き申候。敬具。

最後に臨むでは

失禮にて候が

貴下を始め

一家の幸多からむ事を祈る

  四十二年六月二十一日     全羅南道求禮郡

                求禮守備隊事務室にて

                  北

郎生