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本堂屋根棟完成記念コンサート 11/23< 月祝)上牧本澄寺 W ライブ、 (高槻市上牧町 2-6-31 阪急京都線・上牧駅から南へ徒歩7 分) 20 年の上映運動の中で、武断派鎌倉幕府と対峠された日蓮大聖人の寺 の本澄寺を場に、沖縄から毎年人を招き、私達は軍事基地と平和の問題を、憲法 9 条の意味を考え続けて来ました。音楽家・海勢 頭豊コンサートの継続は、彼が常にオール沖縄基地撤去運動の中心に居るからです。(裏面の住職三好・海勢頭両名の文をお読み下 さい。日蓮大聖人在世時の 13 世紀に琉球国も胎動し、日蓮大聖人の龍ノ口御法難の場の江ノ島が竜宮神の聖地でまた一致します。) 本澄寺に墓と記念館のある詩人三好達治が、先の戦時中に忘れ去られる“レンゲ摘み"の母子の情をれ、にしえの日は』の詩にし、 戦後少年時に感動したフランス文学者・海老坂武を通してこの詩を知った奈良ゆみが、前衛作曲家・松平頼則に作曲を依頼し、フ ランス・パリに居住活躍中の奈良ゆみの為に 2001 年に作曲され、松平氏はその 5 カ月後には 94 歳で逝去されました。 三好達治は憲法 9 条を強く支持していました。彼等が私達に託したものは何なのか、国会での戦争法案強行採決に抗議の意を込 めて、また第三代目の本澄寺本堂の屋根棟修築工事完成の記念コンサートとして、奈良ゆみさんを招きました。是非ご参加下さい。 奈良ゆみ 〈ソプラノ) 変幻の声 -SOLOVOICE 歌唱のみで、間近で鑑賞できるコンサート 海勢頭豊 &島田路沙 オール沖縄の心を歌う 《前売り》 一般 障がい者 シルバー 2000 1500 1500 高校生以下 1000 (当B 跡いずれ毛500 円増) 12 時'" 14 時、 境内でアトラクションタイム 本澄寺境内で模擬庖 ( ヱイサ一、唄三線、琉球舞踊、バンド演奏 沖縄物産、自然食品、プリマ、共同作業所の庖などの模擬庖出庖(出店・チケットご希望の方下記連絡先まで) 主催:眼画GAMA.MABUI 土眼高槻・島本実行零 時枝電話・ FAX 072-692-0223 メール:hsnk@tcn. zaq. ne. jp 共催:日蓮宗上牧本澄寺・三好達治記念館 高槻市上牧町 2-6-31電話 072-669-1897 FAX072-669-1899

本堂屋根棟完成記念コンサート 11/23

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Page 1: 本堂屋根棟完成記念コンサート 11/23

本堂屋根棟完成記念コンサート

11/23<月祝)上牧本澄寺Wライブ、(高槻市上牧町 2-6-31阪急京都線・上牧駅から南へ徒歩7分)

戦後 50年に出来た沖縄戦県民映画 WGAMA 月桃の花~ 20年の上映運動の中で、武断派鎌倉幕府と対峠された日蓮大聖人の寺

の本澄寺を場に、沖縄から毎年人を招き、私達は軍事基地と平和の問題を、憲法9条の意味を考え続けて来ました。音楽家・海勢

頭豊コンサートの継続は、彼が常にオール沖縄基地撤去運動の中心に居るからです。(裏面の住職三好・海勢頭両名の文をお読み下

さい。日蓮大聖人在世時の 13世紀に琉球国も胎動し、日蓮大聖人の龍ノ口御法難の場の江ノ島が竜宮神の聖地でまた一致します。)

本澄寺に墓と記念館のある詩人三好達治が、先の戦時中に忘れ去られる“レンゲ摘み"の母子の情をれ、にしえの日は』の詩にし、

戦後少年時に感動したフランス文学者・海老坂武を通してこの詩を知った奈良ゆみが、前衛作曲家・松平頼則に作曲を依頼し、フ

ランス・パリに居住活躍中の奈良ゆみの為に 2001年に作曲され、松平氏はその 5カ月後には 94歳で逝去されました。

三好達治は憲法9条を強く支持していました。彼等が私達に託したものは何なのか、国会での戦争法案強行採決に抗議の意を込

めて、また第三代目の本澄寺本堂の屋根棟修築工事完成の記念コンサートとして、奈良ゆみさんを招きました。是非ご参加下さい。

1 部 14:00~

奈良ゆみ 〈ソプラノ)

変幻の声-SOLOVOICE 歌唱のみで、間近で鑑賞できるコンサート

2 部 15:15~16:45手話通訳~'I

海 勢頭豊 &島田路沙

オール沖縄の心を歌う《前売り》

一般

障がい者

シルバー

2000円

1500円

1500円

高校生以下 1000円 (当B跡いずれ毛500,円増)

12時'"14時、 境内でアトラクションタイム本澄寺境内で模擬庖 (11 時~) ヱイサ一、唄三線、琉球舞踊、バンド演奏沖縄物産、自然食品、プリマ、共同作業所の庖などの模擬庖出庖(出店・チケットご希望の方下記連絡先まで)

主催:眼画GAMA.MABUI土眼高槻・島本実行零時枝電話・ FAX 072-692-0223 メール:hsnk@tcn. zaq. ne. jp

共催:日蓮宗上牧本澄寺・三好達治記念館高槻市上牧町 2-6-31電話072-669-1897 FAX 072-669-1899

Page 2: 本堂屋根棟完成記念コンサート 11/23

義古ヲビ弓イ司f~8語大聖人 日蓮宗かんまき本澄寺住職・三好龍孝

750年前の鎌倉時代の日蓮大聖人は、地震・飢僅・伝染病などに人々が苦しむのを愁い、お釈迦様の正しい I法華経Jの信仰

を『立正安国論』で文麿元 (1260)年に鎌倉幕府に提言され、内乱と他国の侵攻という、最大の災害たる戦争発生を予言されまし

た。他宗派では危機は救えないと警告されたので、翌月には他宗派民衆の襲撃(松葉ケ谷の御法難)、翌年には幕府による流罪(伊

豆の御法難)、 2年後赦免の翌年には故郷の悪領主の襲撃で頭に万傷を受けられました(小松原の御法難)。提言8年後の文永 5

(1268)年には蒙古国書が到来して戦争の予言が的中、 「少しも妻子を憶うこと莫(なか)れ、権威を恐れること莫れJと命がけ

の行動を檀信徒に指示されました。他宗派と幕府の謀略により、文永8年(旧暦) 9月 12日の夜中に龍ノ口処刑場で斬首寸前、

江ノ島《竜宮神》よりの光り物で斬れず、佐渡へ流罪(龍ノ口御法難)、佐渡で文永 10 (1273)年の『観心本尊抄』に『当に知

るべし(末法の法華経指導者の)此の四菩薩、折伏を現じる時は賢王と成って愚王を誠責し、摂受を行じる時は僧となって正法を

弘持す』と書かれた。[これを江戸時代中期にー妙日導(中村檀林 153世)は『祖書綱要』で「蒙古フピライ帝(賢王)が鎌倉幕府

(愚王)を誠めて責め、日蓮大聖人は日本で僧として正法(法華経)を弘持jと解釈、昭和戦後に茂田井教亨(立正大名誉)教授は

戦時中を回顧し「清水(龍山)先生(茂田井教授の思師)も山川(智応)先生(国柱会)も困っておられたのですね。…。今なら

はっきり言える。これは日本の愚王を誠責すということなのですよ。 j と発言(W本尊抄講讃~ 1284頁)、これが学者の定説です。〕

翌文永 11年(1274)年の 2月に赦免で佐渡から鎌倉へ、幕府に三度目の諌言、 5月に身延に入山、 10月に蒙古が対馬・壱岐

および筑前に侵攻 (900般・ 1万5千人)、身延の日蓮大聖人は「宗対馬の尉逃げければ百姓等をI';f...。一人も助かる者なし。…壱

岐…文是の如レー。…。文今度はし、かがあらん。彼国の百千万億の兵、…寄せてあるならば如何に成るべきぞ。(一谷入道御書)J

とこの『文永の役』を蒙古の警告と見られています。幕府は建治元 (1275)年に蒙古(元)の使者 (3回分9人)を斬り、日蓮大

聖人は「日本国の敵にて候念仏・真言・禅・律等の法師は切られずして、科(とが)無き蒙古の使いの頚を釧ねられ候ける事こそ

不便(ふびん)に候へJと批判、弘安 2 (1279)年に北条時宗が又斬り、蒙古(元)の怒りで今度は大規模な『弘安 (4年)の役』

(4,900般・ 42万 5千人)と成る。この間弾圧の中心の北条義政の失脚等があり、将軍惟康親王が日蓮大聖人に依頼の旗憂茶羅を

先頭に東国からの大将宇都宮貞綱が九州到着時には、蒙古(元)の軍勢は退却、世間の他宗派は自らの手柄と《神風》を叫び、日

蓮大聖人は「秋風に縫(わず)かの水に敵船賊船なんどの破損仕りて候をJと批判、神風論を相手にするなと門下に厳命された。

インドからシルクロード経由で中国・日本と伝わったお釈迦様の仏教世界が傭敵され、お釈迦様が法華経で予言の『四菩薩』が

この世界に出現、賢王として蒙古フピライ帝、僧として日蓮大聖人、 『四菩薩』同士の平和協力外交が構想されています。現に核

兵器・巡航ミサイル・無人機まで登場、満州事変張本人の石原莞爾(国柱会員)も原爆後の戦後は「丸腰非武装論j を主張、今、

平和憲法第 9条第 2項が本気で尊重されるべき時なのです。 合掌

指曲・辺野古僚情(解説)ジュゴ、ン保護キャンベーンセンター代表・平安座島の神人海勢頭豊

辺野古・大浦湾は、ジュゴンの古里です。ジュゴンは沖縄・琉球の守護神であり、竜宮神と呼ばれる神獣です。かつてはヒミコ

が3世紀に建国した、倭国の守護神でもありました。その証拠が沖縄だけでなく本土各地に分布するマガ、タマや、三つ巴紋の象徴

です。 r平和の神・航海安全の神・豊穣の神j と崇拝されるジュゴンですが、その信仰のルーツは旧約聖書の出エジプト記に記さ

れた、 《神》の定めた幕屋の造り方に由来します。即ち《神》は、人々に「家の屋根ができたら、その屋根をジュゴンの皮で覆い

なさしリと教えていました。戦争のない平和な暮らしがしたいなら、ジュゴンのようにおとなしく、無防備に生きる勇気を持ちな

さいとの教えです。その教えを守る為に倭国で広まったのが、即ち仮宿を護る意味の「宿神信仰」でした。しかし倭国に於ける「竜

宮神・宿神信仰Jは、 4世紀の崇神に王権を奪われて以降「武力信仰Jによる迫害に苦しめられてきました。そこで信仰心の厚い

人々は、止むなくジュゴンの棲む倭及奴(ウチナー)に移り住むようになり、 12-13世紀にはジュゴンを守護神としたグスク・護

宿文化の花を咲かせ、世界の認める平和国家「琉球王国Jを建設するに至ったのでした。

しかし 500年にもわたり平和を維持した琉球にも、ヤマトからの迫害の歴史は続きました。それでも人々は、邪風の襲来に耐え、

島津による支配に耐え、明治国家による琉球処分に耐え、地獄の沖縄戦を耐え、米国軍事支配下の屈辱も耐え凌ぎ、そして現在、

辺野古新基地建設を強行せんとする日本政府の圧力にも屈せず、ひたすら旧約聖書の神の教えを守り、ジュゴンを護る為に闘い続

けているのです。つまり、辺野古新基地建設を巡る沖縄と日本政府の対立の背後には、いかなることがあろうと「守護神ジュゴンJ

を護る宿命にある人々の信仰と、そのジュゴンから古代史の真実が明かされては因る、明治維新以降の「神国日本の建国の歴史の

嘘が暴かれることを恐れる」政府の、退くに退けない立場があるということです。(了)