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城教育大学教職大学院では、平成20年度の設置以来、学校の課題解決に資する中堅的中核教員(ミ ドルリーダー)の育成と支援を進めてきました。平成24年度1年次生となった現職院生は、東日本大 震災発生からの1年間、各校の教育活動の再開に力を尽くし、教職大学院に入学しました。教職大学院にお ける学びはどのようなものだったのでしょうか。それらを現場に還元しつつ教育復興と発展にどのように関 わっていこうとしているのか、学長と共に語り合いました。 学長 教職大学院・現職院生これから 教育復興 発展 けて FEATURE ARTICLES (平成25年1月15日収録) 見上 一幸 宮城教育大学長 司会 教職大学院准教授 佐々木 博明 現任校 東松島市立矢本第一中学校 阿部 昭博 現任校 仙台市立東宮城野小学校 遠藤 嘉文 現任校 気仙沼市立津谷中学校 佐々木 伸 01 AOBA - WAKABA

Contents · Ê pV `qs óhD Ësw ¬ Z ßÆ w\q Ï¢ º ¶ ¤¶ÍwÆ `o Ï w $Àx j ~ w BÌx ϲx y çò` `h ÐmsU ¬w Mw w O A^ qj ÍU `h Ð ¬w Mqw Ê ëU Ê ºq Õ^ sr o C \ p Ôtx

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01

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Con t e n t s

[ AOBA WAKABA ] MARCH 2013 vol.27

学長と教職大学院・現職院生が語る

これからの教育復興と発展に向けて

城教育大学教職大学院では、平成20年度の設置以来、学校の課題解決に資する中堅的中核教員(ミドルリーダー)の育成と支援を進めてきました。平成24年度1年次生となった現職院生は、東日本大

震災発生からの1年間、各校の教育活動の再開に力を尽くし、教職大学院に入学しました。教職大学院における学びはどのようなものだったのでしょうか。それらを現場に還元しつつ教育復興と発展にどのように関わっていこうとしているのか、学長と共に語り合いました。

学長と教職大学院・現職院生が語る

これからの教育復興と発展に向けて

特集FEATUREARTICLES

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国定算数教科書『カズノホン』〔昭和16(1941)年〕

 昭和16(1941)年4月から小学校が国民学校になったことを受けて、第1・2学年用に編集された国定教科書。表紙の色から「水色表紙」とも呼ばれる。数の大きさ、数え方、数字の書き方などを子どもが親しんで学べるように、絵や図が豊富に掲載されている。教科書がこのような作りになったのは、昭和10(1935)年から使用された国定教科書『尋常小学算術』(通称「緑表紙」)以降のこと。明治39(1906)年から使われていた国定教科書『尋常小学算術書』(通称「黒表紙」)は、第1・2学年用は教師用のみしか作られなかったうえ、絵や図を使うよりも、数を暗唱させたりすぐに計算練習をさせたりするような授業の仕方に対応した作りになっていたようである。

解説:学校教育講座 本田 伊克

(平成25年1月15日収録)

見 上 一 幸宮城教育大学長 司会

教職大学院准教授佐々木 博 明

現任校東松島市立矢本第一中学校阿 部 昭 博

現任校仙台市立東宮城野小学校遠 藤 嘉 文

現任校気仙沼市立津谷中学校佐々木 伸

01 AOBA - WAKABA

学長と現職院生が語るこれからの教育復興と発展に向けて

特集FEATUREARTICLES

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佐々木(博):本日はどうぞよろし

くお願いいたします。まず初めに、

震災時の学校の様子をお話しいた

だければと思います。

阿部:当時私は宮城県教育研修セ

ンターで一年間学ばせていただい

ていました。勤務校に駆けつけよ

うにも全然動けず、何とか同僚の

先生に連絡がつき、大変な状況に

なっていることを知りました。学

校は避難所になり、先生方が交代

で避難所の運営をしていました。

数日後には徐々に避難者の人たち

が避難所の運営をするようになっ

ていました。自分自身でも何が

何だか分からないような状況の中

で、何とか手伝えることはないか

と、やれることをやりました。

 

家族、特に祖父母を失った生徒

がかなり多くいました。そこで二

つのことに力を入れました。一点

目として、一年間心のケアや防災

教育に力を入れてきました。二点

目として、東松島市の復興を担っ

ていくのは現在の中学生であり、

大きな期待が寄せられていると捉

え、真の人間力をつける教育の充

実を図ってきました。真の人間力

とは、実行力のある優しさを持

つ人間。ただ単に優しいのではな

くて、実際に行動に移すというこ

と。それから支え合って絆を太く

した、信頼される人間。そして生

かされていることに感謝できる、

謙虚な人間。そのような姿をめざ

して、道徳の教育や授業はもちろ

んのこと、市内全小中学校の活動

となった月二回の地域清掃活動や

校内の清掃にも取り組んできまし

た。

遠藤:3・11の震災時は、私は若

林区内の前任校に勤務しておりま

した。すぐライフラインが止まり、

地域の方がたくさん来て体育館が

避難所になり、そのまま避難所運

営に携わりました。幸いにして津

波は到達しませんでしたが、校舎

の窓ガラスは一九〇枚ほど割れ、

体育館だけの避難所開設となりま

した。校長先生のリーダーシップ

のもと、地域と共に歩む学校を掲

げた教育活動を展開していたこと

もあり、避難所運営を地域の方に

お渡しするのがとても早く、震災

発生当日には避難所運営に携わる

組織が町内会長さんなどを含めて

立ち上がりました。地域の方との

つながりや地域の方の力の重要さ

を痛感しました。

 

宮城野区の現任校では空き教室

等が比較的多いので、若林区の荒

浜小学校が同居することになりま

した。勤務校と荒浜小学校とでは

子どもたちの受けた傷は想像以上

に違うことを日々感じました。子

どもの気持ちに寄り添いながら荒

浜小学校の先生方が指導されてい

る中で我々もできるところをして

いけばいいのだなとわかるように

なってきました。

 

仙台市では復興プロジェクトと

して節目ごとに全市的な取り組み

をしています。勤務校でも荒浜小

学校と共に復興のプロジェクトに

取り組み、お互いの気持ちを理解

し、子どもたちにどのような力を

つけていかなければならないのか

を皆で議論しました。つないでい

くこと、つながっていくことの重

要性をひしひしと感じました。

佐々木(伸):私の現任校は気仙沼

市の津谷中学校です。自宅は南三

陸町の志津川で、津波に直撃され

壊滅的になりました。震災当日、

勤務校では翌日の卒業式の設営が

だいたい終わり一段落をしようと

した時間帯でした。河口から四㎞

離れている本校でしたが、学校の

入り口まで津波が来ました。町の

病院などは全て使えない状態で、

消防隊が中学校に全ての負傷者を

運んできました。夜遅くまで我々

は重症者の手当て、AEDを使っ

た心肺蘇生などをしました。重症

者対応に半分の教員、残り半分の

教員が避難所対応と、二つの機能

を持ちました。数日たってから高

松の消防隊が九〇名ほど、甲府の

消防隊が一〇〇名ほど来まして、

体育館は消防本部になりました。

その後約一ケ月間は学校の施設管

理と、消防隊の後方支援とを並行

しました。消防の方々が寝泊まり

する時の必要な物の準備や世話も

しました。

 

気仙沼市は津波の被害を受け

ながら、四月二十一日といち早く

学校を再開しました。気仙沼市の

教育長が、学校再開がまず一歩前

進となる、一日も早く学校を再開

するのだという強い気持ちで臨ま

れていたことを今でも思い出しま

す。再開するといっても、気仙沼

から南三陸のあたりは電気が二ヶ

月ほど、水道は三ヶ月間使えませ

んでした。一関市と登米市の支援

を受け、子どもたちは水を持参の

上、学校生活を始めました。子ど

もたちの多くは、家族や身の回り

の人たちをなくしました。

 

そうした中でやはり一番先に

思ったのは、「自助」についてです。

自分たちで自分たちの命をまず守

ることと、そして他人の命も守る

という、命を守る教育を模索して

きました。その間には、子どもた

ちの気持ちや周辺の状況を見つつ、

被災地間ボランティアも行いまし

た。教員たちは、とにかく普段の

生活を取り戻す、遅れを取り戻す

前進的な教育をしましょう、を合

言葉としてやってきました。

佐々木(博):大学ではどのような

取り組みをしていたのでしょうか。

見上学長:『あおばわかば震災特集

号』にも掲載しましたので、簡単

にお話しします。まず大学とし

ては学生たちの安否確認をしまし

た。次に教職員の安否。それから

学内や建物のこと、ライフライン

の確保。それが三週間ぐらい。そ

の後、外に向けて学校支援を可

能な限りやろうということにな

り、最初に立ち上げたのは「みや

ぎ・仙台未来づくりプロジェクト」。

本学が被災地の要望を受け、各学

校に直接物資をお送りするなどを

しました。その後、六月に「教育

復興支援センター」を立ち上げ、

学生を中心に現地にボランティア

を派遣し始めて、後に全国からの

学生ボランティアのとりまとめを

行いました。二年間で、本学の学

生を含む約二千名の学生が休み期

間を中心に学校支援を行いまし

た。

佐々木(博):現場と大学のお話が

ありましたが、そのような中で先

生方は一年間過ごされて、その後

教職大学院に来られましたね。い

ろいろなものを背負いながら来て

02あおばわかば

学長と現職院生が語るこれからの教育復興と発展に向けて

特集FEATUREARTICLES

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いると思います。教職大学院で一

年経過しましたが、学んだこと、

あるいはこれから学びたいことは

どのようなことですか。

阿部:まず大学の講義の中でも

あったように防災教育の必要性

を強く感じました。現場でも継

続していかなければならないと。

二点目として、今まで自分の指導

力をどう上げるかということに

ちょっと執着しすぎていたのかな

と感じました。大学の先生方から

は、組織としてどうあるべきか、

私たちはそれにどう関わってい

くかが大事だと教えていただき

ました。学校全体といった、広い

視野を持って教育活動にあたって

いくべきだということを学びまし

た。三点目は先進校の観察や実

習から学びました。今までは、生

徒の状況から、こういった力をつ

けさせたいと願っても無理だろう

と思ってしまいました。子どもた

ちのせいにしていたというか。そ

うではないことをいろいろな学校

を見て実感しました。先生方の

熱意や指導のしかたで子どもは

変わるのですね。そして、一人の

教員だけでは無理だから、一人よ

り二人、二人より三人、理想は学

校全体で同じ方向を向いていろい

ろな指導にあたっていく。そうす

ることで子どもたちは変わるのだ

と強く感じました。

 最後に、人との出会いがとても

大きいと思いました。大学の先生

方、異校種の先生、それからスト

レートマスター(学部新卒者)な

ど、いろいろな人との出会いが刺

激になりました。これまでも自

分自身の成長や考え方が変わっ

た時には人との出会いがありま

したが、ここでもとても大きい

と思いました。共同研究室に行

くと必ず教員採用試験に向けて

一生懸命勉強をしている若い院生

がいます。自分も初心に戻るべき

だと強く思いました。

佐々木(博):異校種ですと、どん

なところが刺激になりましたか。

阿部:特別支援学校の先生方の

話を聞いたり公開研究に行ったり

すると、特別支援の先生は一人ひ

とりに指導のしかたを変えていま

す。準備する教材もです。これっ

て教育の原点ですよね。小学校の

先生方は丁寧に教材研究をし、事

前の準備も念入りにしていまし

た。

佐々木(博):校種が違うと取り組

み方にやや違いが見られるという

ことですがどうでしょう。

遠藤:私の場合は、現場の子ども

たちのためになるように自分自身

の教える力を高めたいと思い、こ

こに来ました。前任校の同僚に二

期生がおられ、その方の様子から、

ああいうふうになりたいと思いま

した。指導力があり、さらに学

校における課題を一つでも解決

できるような、そういう存在に少

しでも近づけたらと一年間学んで

きました。阿部先生もおっしゃい

ましたが、一年間の学びのとても

大きなところとして、私自身の力

だけではない、組織が一つとなり、

子どもたちを育てていくことがい

かに大切で素晴らしいかという点

がありました。いろいろな教育関

係機関や先進的な学校の観察や実

習を通して、防災教育、キャリ

ア教育、それからスタートカリ

キュラムも、教員一人ではなく、

学校がチームとして一つの事を

なし得ていることを学びました。

現場では自分の目の前の学級や学

年の子どもたちに目が行きがちで

す。それを離れたところでの取り

組みや実践に間近に触れさせてい

ただけたことは、私にとって非常

に大きな財産です。課題がより

はっきりとし、まだまだ自分は足

りないと痛感するような気づきや

学びも多くありました。一言で言

うと、自分の中のものが広がって

深まっていきました。

 校種や地域を越えた方とのつな

がりも多くありました。小学校現

場で一八年近くすごしましたので、

異校種の先生方との情報交換や

話から、それぞれの地域の特性

を生かした実践を見聞きし、こ

れまで気づかなかったところや、

大事な視点に気づきました。ネッ

トワークも広がりました。学長と

共に参加いたしました大崎八幡宮

の裸参りも、ここに来させていた

だいたからこそだと(一同笑い)。

佐々木(博):震災対応もそうです

が、地域が違うと取り組み方や子

どもの置かれている環境も全く違

いますよね。そのような点の情報

交換ができることは教職大学院な

らではですね。佐々木伸先生はこ

の教職大学院での一年はいかがで

したか。

佐々木(伸):入学前震災後一年とい

う時期に大学院にいていいのかな

という思いがありました。ただ、

校長が、明日あさってのことじゃ

ない、五年後十年後のことを考え

てみんなに広めてくれと。この一

言に後押しされました。入学から

現在までいろいろな機会を与えて

いただき、様々な視点で物事を考

え、そこから得られる気づきがと

ても多かったと思っています。一

番大きかったのは、身につけたこ

とを学校や地域そして同じ教員

の仲間に広げ、みんなでやって

いくという視点です。それが他の

研修とは違うところだとつくづく

感じています。かつては自分の力

量向上を自分の研修の柱としてい

たような気がします。教職大学院

では、自分だけにとどめていては

だめなんだな、どう広げるかとい

う視点を持つようになりました。

 それから、一年間の学びの中で

もとくに衝撃を受けましたのが、

韓国での研修でした。大テ

グ邱教育大

学附属小学校で外国の教育とい

う視点で物事を見た時に、日本の

良さや特徴を感じました。教員と

して取り組む姿勢の違い・地域や

社会の違い。ここに来たからこそ

得られた学習機会だと思っていま

す。

佐々木(博):目の前の子どもたち

を何とかしなくてはいけない、教

職大学院に来る状況じゃないと

感じることもあったと思います。

大学での研究は現場の指導には

役に立たないというようなことも

耳にします。五年十年先という

話がありましたが、そのようなと

ころに通用する学びでしたか。

佐々木(伸):ここでの授業を受け

る中で常に思うことは、教員間で

研修会をしている場面、校内研修

や職員会議で意見交換している場

面でどうなのだろうということで

03 AOBA - WAKABA

学長と現職院生が語るこれからの教育復興と発展に向けて

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す。生徒や学習指導に関する諸問

題が出て、どうしたらいいのか議

論になる。そういった場面でここ

で学んだ「考え方」が役に立つの

ではと。

遠藤:子どもたちにつけさせたい

力を意識して学んだ一年でした。

ここでの学びは、点と点になって

いた経験や知識をつなぎ、実践を

捉え直してよくすることに生かし

ていけるのかなと思います。

阿部:ちょっとずれますが、私た

ちの熱意のようなものを同僚の先

生たちにいかに伝えられるかが大

事だと思います。自分が研究した

ことを「これいいからやってみて

下さい」というより、「あの先生

はこういうふうに一所懸命やって

いたんだ、じゃあ私もちょっと頑

張ってみようかな」というきっか

けになるような。つまり、研究す

ることの大切さを身をもって示せ

るのではと。

佐々木(博):研究と実践の向上は

すぐにはつながりませんが、後か

らつながってくるようなところも

ありますね。では、先生方は、こ

の春から現場に戻り、現場の先生

方と一緒に教育活動を進めながら

二年次としての研究も進めていく

ことになります。学校現場や地域

社会に対して、今の学びがどう生

かせるか、どんなところを還元で

きそうだと考えていますか。

阿部:先ほども触れましたように、

現任校の実態を考えると、防災

教育の充実に尽力したいと思って

います。今授業で行っている防災

教育の指導案づくりでは、少しで

も生徒の実態に合う計画を作って

おきたいと考えています。二点目

は、これも先ほど言いましたよう

に、組織や学校全体でどのように

して教育活動を実践していくかで

す。学級学校経営の前期の授業で、

グランドデザインというA四判一

枚の、たった一枚ですが、そこに

学校をどうしていくか、方針が

ぎゅっと詰まったものを作りまし

た。今までの自分はそれを学校教

育計画のファイルに挟んでおくだ

け、ぱっとみて終わりでした。そ

れは違うなと。学校全体のビジョ

ンをしっかり作成して共有する

必要があります。その中心は管理

職の先生方ですが、我々の世代が、

若い世代と管理職の先生方をつな

いでいきたいですね。

 

それから、この一年間、地域の

力についても学びました。自分の

研究テーマでもそれを取り上げて

います。授業のなかで榴岡小学校、

応用実践で富沢中学校を訪問し、

地域の人がどんどん入っているの

を見ました。自分の今までの経験

ではなかったことです。学校の指

導がしっかりしていれば良いので

はと思っていましたが、地域の力

を借りることによって、子どもた

ちがぐんぐん変容していくことを

学びました。例えば富沢中学校で

は、サンマのハンバーグを作る調

理実習で、各班に一人ずつ地域の

方がつき全部で十人前後が入って

いました。中学生ぐらいの年代に

なるとちょっと恥ずかしがったり

すると思うのですが、子どもたち

は本当にごく自然に関わり合って

いました。包丁を使っての授業も

スムーズで、何より子どもたちの

いきいきとした姿がとても印象的

でした。現場に戻ったら、急にと

はいきませんが、家庭、地域、そ

して学校の三者が一体となった教

育活動に少しでも取り組みたいと

考えています。

 

最後に、特に若い先生方に、教

職大学院での学びを伝え、若い世

代の先生方を変えていくことが、

私たち大学院を経験した教員の役

割の一つでもあるのかなとも考え

ています。ちょっと大きいことを

言いましたが。

遠藤:現任校の教育活動を別の視

点で見ていくことで新たな価値づ

けが一つできればと思っておりま

す。研究としては、地域の力をもっ

とお借りしながら、キャリア教育

や自分づくり教育の具現化を進

めていければと思っています。子

どもたちが本当に自立していく、

例えば二十五歳になった時に自立

しているような力をつけていくた

めにこの小学校の段階でどんなこ

とをしていけばいいのか。これは

一人だけではできないことです。

学校の中でどうあればいいのか、

少しずつ実践していきたいと思っ

ております。その中で一緒にいる

荒浜小学校の子どもたちや先生方

と共に何か一つ取り組んでいけた

らと。おこがましい話かもしれま

せんが、ここで得た横のネットワー

クも、その中で生かしていければ

いいなとも思っています。

佐々木(博):これまでの取り組みへ

の見方を変えていくことですね。

何かしようとする時、全て新しい

ものをしなくてはいけないかとい

うと、そうではないですよね。「自

分づくり教育」も「志教育」も、

今までの活動への見方をどう変

えていくか、あるいはどう関連づ

けていくかということがとても大

事だと思います。そういった意味

において皆さんのなかで見方が広

がったのですね。

遠藤:韓国への研修にも行かせて

いただき、改めて不易と流行と

いうことを意識させられました。

他の国の教育を見ることによって

日本の教育の良さも見えてきまし

た。変えてはいけない、根っこに

関係する部分は大事にしていかな

ければならないと考えさせられま

した。そのことは決して忘れずに

今後の実践に生かしたいと思って

います。

佐々木(博):大事なのは不易の部

分を見抜く力ですね。佐々木伸先

生、いかがですか。

佐々木(伸):私の研究には地域に

どのように関わっていくかという

視点があります。そこには、第

一に復興、二点目に地域コミュニ

ティの変化、三点目に子どもたち

を取り巻く今日的課題がありま

す。学修成果について、第一に子

どもと地域の大人も含めた学び

として還元したい、第二に、それ

と共に教師の仲間を増やし、組織

力を高めたい、第三に宮城教育

大学での学びの機会を与えてく

れた校長先生や教育委員会の先

生方の思いに応えたいと考えて

います。この三つの視点で、子ど

もたちのために教育活動を日々が

んばるのだと。その時に必要とな

る要素やいろいろな引き出しを

作ることができたと思っていま

す。

04あおばわかば

学長と現職院生が語るこれからの教育復興と発展に向けて

特集FEATUREARTICLES

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佐々木(博):ありがとうございま

した。人的知的資源、そしてネッ

トワークの広がりというお話があ

りました。

見上学長:私からも少し申し上げ

ます。いろいろなお話ありがとう

ございました。こういう場は学長

になって初めての機会ですので、

皆さんの考えがよく分かりまし

た。さすがミドルリーダーになる

人たちだなと思いました。

 

震災後のたいへんな時期に大

学院に出していただけたというこ

と、皆さん感謝するとおっしゃっ

ていたけれども、まさにその通り

ですね。立派だなと思うのは、校

長先生は、自分の学校をこうし

たいという夢をお持ちなわけだか

ら、教職大学院に送りたい先生と

いうのは、本当は自分のところに

置きたいわけですよね。それを、

五年先十年先を見ようということ

で送って下さったということはさ

すがだなと思いました。

 

それから、教職

大学院で何を勉強

してほしいかに関

わって、まずはど

うきちんと授業

で教えられるか、

それからクラス

をまとめられる

かどうか、そして

学校全体を見る

ことができるか

どうか。この三つ

が教師の基本的力

量だと思います。

多くの先生はそれ

がかなりできてい

るから教職大学院

に選ばれて来てい

ると思いますが、

それができた上で

の防災教育、キャ

リア教育、持続発

展教育です。基本

が整っていなければうまくいきま

せん。

 

先生方もおっしゃっていた、異

校種間の交流は教職大学院にお

いて重要です。その際、ぜひ留学

生との交流も含めて考えてくだ

さい。現代的な課題に対応でき

るようなネットワークを広く太

く、そして一生のものとなるよ

うにしていただけるといいです

ね。中教審答申がいう地球的規

模のグローバルな視点をもつ教員

ということです。大邱の学長のお

話では、韓国では教員採用試験

で、英語と韓国語の二つを課し、

ASEANに英語が話せる先生を

送り、韓国の国際的な立場を明

確にしていくのだそうです。これ

には恐れ入りましたが、いろいろ

な問題をグローバルに考えなけれ

ばいけない時代です。ただ、グロー

バルな考え方においては自分の地

域のことが分かっていなかったら

外国に行っても相手にされませ

ん。先生方は大邱に行って、日本

はどうですか、宮城はどうです

かってきかれたでしょう。自分や

地域を知らないと、外国との交

流はできません。地域でしっかり

育てられた子どもたちが外国と

交流したことによって、自分たち

の地域の特徴が分かってくるので

すね。ですから、先生方にもぜ

ひ地域という視点をも知っておい

ていただきたいのです。

佐々木(博):ありがとうございま

した。見上学長から今後に向け

てという話がありましたが、何か

大学に要望はありませんか。

佐々木(伸):では、折角の機会で

すので。この一年間、多岐にわた

る、多面的な学びの機会がありま

した。こういう機会をできるだけ

維持してほしいと思います。気仙

沼地区は宮城教育大学とのネット

ワークが非常に強く、ESDはじ

め震災の時も力を発揮しました。

この連携がもっと増え強化される

といいなと思っています。

佐々木(博):連携についてという

ことでしたが、もっと何かありま

すか。

遠藤:先ほどお話したように、た

またま二期生の方が同僚でした

が、教職大学院という存在を知

らない先生方のほうが多いと感

じています。我々がその歩みでお

伝えしていくことが何よりだとは

思いますが、今後さらに教職大

学院の素晴らしさをいろいろなと

ころで大学として発信されていく

と、現職の先生方が集まり、我々

のネットワークもさらに広がり、

そして宮城の教育が良くなるの

かなと思っています。

佐々木(博):そうですね。情報発

信がとても大切になってきます

ね。ネットワークづくりという点

では、620号教室を整備しまし

たので院生の皆さんがぜひ職員室

のような感じで集い、お互いの研

究や情報について交流を深めてほ

しいですね。

見上学長:皆さんの居心地がいい

ようにさらに整備していきます

ね。連携についてですが、今年度、

大崎市とも八番目の市町村とし

て連携覚書を交わしました。た

だ、大学としての人的資源も限

られている中、連携の要望はどん

どん増えてきますので、いかに質

を高めていくかが課題だと思って

います。国からはセンター・オブ・

コミュニティ、COCとしての機

能の充実が地方の国立大学に求

められていますので、遠隔地とは

ICTなども活用しながら中身

を充実させることを考えていま

す。

佐々木(博):ありがとうございま

した。本日は教育復興と発展に

向けてお話しいただきました。皆

さんのお話から熱い思いが伝わっ

てきましたし、今後、学校現場

において機関車役として、今、

自分にできることを共に考え実

践していくということですね。

つながりという話も出てきました

が、二つあると思います。一つは、

若手をどんどんつないでいく役

目。それからもう一つは、大学と

現場をつないでいくのも先生方の

役目なのかなと。来年限りでは

なくこの後もずっとつながりが

深まっていけばと思っています。

05 AOBA - WAKABA