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平成 20 3 博士論文 放射光 X 線の磁気的な散乱・回折 を用いた軌道整列の研究 =YTiO 3 の磁気コンプトン散乱・X 線磁気回折実験= 指導教官 伊藤正久教授 群馬大学大学院 工学研究科電子情報工学専攻 05802303 辻 成希

放射光 X 線の磁気的な散乱・回折 を用いた軌道 ... - …...平成20 年3 月 博士論文 放射光X 線の磁気的な散乱・回折 を用いた軌道整列の研究

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  • 平成 20年 3月 博士論文

    放射光 X線の磁気的な散乱・回折

    を用いた軌道整列の研究 =YTiO3の磁気コンプトン散乱・X線磁気回折実験=

    指導教官 伊藤正久教授

    群馬大学大学院 工学研究科電子情報工学専攻

    05802303

    辻 成希

  • 1

    要旨 電子には、電荷・スピン・軌道という 3 つの性質がある。電荷・スピンはそれぞれ、電荷・磁性の源になるものである。軌道は電子雲の形を表している。現在までに、電荷・ス

    ピンに関する多くの研究が行われている。一方、電子の軌道に関する研究は、物性との関

    連が明確でなかったために、あまり行われてこなかった。しかし近年、電子軌道が物性に

    おいて、重要なものであることが明らかになってきたため、非常に注目を集めている。そ

    こで、電子軌道が示す現象である、軌道整列に注目して研究を行うこととした。 測定に用いた試料は、軌道整列物質の強磁性体YTiO3である。YTiO3の結晶構造はGdFeO3型ペロブスカイト構造、空間群は Pbnmをとる。またこの試料の磁性の源となる電子は、Ti3+

    イオンの1つの 3d 電子である。この 1 つの 3d 電子が軌道整列を示している。この軌道整

    列現象を観測するため、放射光 X線を用いる、磁気コンプトン散乱と X線磁気回折を用い

    て研究を行った。

    磁気コンプトン散乱実験は、高エネルギー加速器研究機構 PF-AR-NE1-A1 で行った。こ

    の実験で得られる物理量は磁気コンプトンプロファイルである。磁気コンプトンプロファ

    イルは磁性電子の波動関数に直結した物理量であるため、磁気コンプトンプロファイルを

    得ることにより、磁性電子の波動関数を知ることができる。測定は、a 軸[100]、c 軸[001]

    方向で行ない、この 2 つの方向で磁気コンプトンプロファイルを得た。この 2 つの方向で

    得られた磁気コンプトンプロファイルを、YTiO3のモデル波動関数を用いて計算した磁気コ

    ンプトンプロファイルと比較検討した結果、ある波動関数(u=0.84)と概ねよい一致を示し

    ていることがわかった。よって磁気コンプトン散乱実験により、軌道整列現象を観測する

    ことに成功したといえる。磁気コンプトン散乱実験で軌道整列現象を観測したのは、本研

    究が初めてである。

    X線磁気回折実験は、高エネルギー加速器研究機構 PF-BL3C3で行った。この実験で得ら

    れる物理量は、磁気形状因子である。また磁気形状因子をスピン成分と軌道成分に分離し

    て測定することが可能である。スピン成分をスピン磁気形状因子、軌道成分を軌道磁気形

    状因子という。スピン磁気形状因子は磁性を持つ電子のスピンの分布、つまり磁性電子の

    波動関数に直結した物理量であるため、スピン磁気形状因子を得ることにより、磁性電子

    の波動関数を知ることができる。測定は、(h 0 0), (0 0 h), (h 0 h), (2h 0 h), (h 0 3h), (0 6 8)面で

    行ない、合計 23 点の逆格子点でのスピン磁気形状因子を得た。この 23 点のスピン磁気形

    状因子を、YTiO3のモデル波動関数を用いて計算したスピン磁気形状因子と比較検討した結

    果、ある波動関数(u=0.71)を概ねよい一致を示していることがわかった。よって X線磁気回

    折実験で軌道整列現象を観測することに成功したといえる。

    また YTiO3 は、磁気モーメントの軌道成分である軌道磁気モーメントが凍結していると

    考えられている。そこで、磁気コンプトン散乱と X 線磁気回折では、軌道磁気モーメント

  • 2

    を算出することが可能であるため、軌道磁気モーメントの凍結の確認も行った。その結果、

    2つの方法で軌道磁気モーメントの凍結を確認することができた。

    詳しくは、本文で述べる。

  • 3

    目次

    第Ⅰ章 序論 5 Ⅰ-1 研究背景 6 Ⅰ-2 磁気コンプトン散乱の研究背景 7 Ⅰ-3 X線磁気回折の研究背景 7 Ⅰ-4 本研究の目的 8 第Ⅱ章 測定試料(YTiO3) 9 Ⅱ-1 YTiO3の基礎物性 10 Ⅱ-2 磁化測定 12 第Ⅲ章 磁気コンプトン散乱実験 13 Ⅲ-1 コンプトン散乱 14 Ⅲ-2 磁気コンプトン散乱 15 Ⅲ-3 磁気コンプトン散乱実験 24 Ⅲ-3-1 KEK-PF-AR-NE1-A1 24 Ⅲ-3-2 データ処理 28 Ⅲ-4 磁気コンプトン散乱実験結果 31 Ⅲ-4-1 実験結果 31 Ⅲ-4-2 結晶方位異方性 35 Ⅲ-4-3 スピンモーメントの算出 37 Ⅲ-5 理論計算と考察 39 Ⅲ-5-1 磁気コンプトンプロファイルと波動関数の関係 39 Ⅲ-5-2 YTiO3のモデル波動関数 39 Ⅲ-5-3 磁気コンプトンプロファイルの計算 42 第Ⅳ章 X線磁気回折 53 Ⅳ-1 X線磁気回折の原理 54 Ⅳ-1-1 X線磁気回折 54 Ⅳ-1-2 散乱断面積 55 Ⅳ-1-3 LS分離 58

    Ⅳ-2 X線磁気回折実験 60 Ⅳ-2-1 放射光の偏光 60 Ⅳ-2-1-1 電磁波の偏光 60

    Ⅳ-2-1-2 ストークスパラメーター 61

    Ⅳ-2-1-3 放射光の偏光 62

    Ⅳ-2-2 X線磁気回折実験配置 63

  • 4

    Ⅳ-2-3 X線磁気散乱の測定回路 65 Ⅳ-2-4 実験条件 66 Ⅳ-2-5 実験の流れ 67 Ⅳ-2-6 Feの実験(偏光因子の測定) 68

    Ⅳ-3 X線磁気回折実験結果 70 Ⅳ-3-1 実験結果 70 Ⅳ-3-2 磁気形状因子の算出 74

    Ⅳ-4 スピン磁気形状因子の計算と考察 82 Ⅳ-4-1 磁気形状因子と波動関数の関係 82 Ⅳ-4-2 スピン磁気形状因子の計算方法 82 Ⅳ-4-3 スピン磁気形状因子の計算結果 85 Ⅳ-4-4 偏極中性子回折との比較 90

    第Ⅴ章 まとめ 92 参考文献 96 謝辞 99

  • 5

    Ⅰ. 序論

  • 6

    1. 研究背景

    現在、電子の軌道 (波動関数) の自由度が電荷、スピンに並ぶ自由度として注目されてい

    る。軌道自由度とは「縮退した基底状態のもとで電子がどのような軌道をとるかという自

    由度」と定義できる。電荷とスピンの自由度が重要とされるのは、マクロな物性の代表で

    ある電気伝導性と磁性とに直接関係しているからに他ならない。近年、この二つの自由度

    を制御するエレクトロニクスである、スピントロニクスの研究開発が盛んに行われている。

    それに対して、軌道自由度はその重要性は早くから指摘されていながらも、マクロな物性

    への直接的関与が明確でなく、また測定方法が限られていたこともあり、電荷やスピンほ

    ど多くの研究はなされて来なかった。しかし近年、放射光あるいは中性子を利用して電子

    軌道の観測が可能になってきた。また超巨大磁気抵抗効果(CMR)という物理現象は、電子の

    軌道状態に密接に関連があることが明らかになっている。

    強相関電子系物質は、超巨大磁気抵抗効果や高温超伝導などの現象を示す物質である。

    この物質が示す物理現象は、デバイス応用の観点や、電子軌道と密接に関連があるという

    観点から、近年非常に注目を集めている。強相関電子系とは、電子相関が顕著に現れ、電

    子相関の影響が強くなる系のことである。電子相関の源となる力は、電子間のクーロン力

    である。

    強相関電子系物質において代表的なものは、ペロブスカイト構造をもつ遷移金属酸化物

    である。遷移金属酸化物において、軌道整列という現象が起こることがある。この現象は、

    様々な物性に影響を及ぼすことが分かっている 1-3)。軌道整列とは、幾つかの占有した所で

    の電子軌道が周期性を持って整列する現象である。軌道整列を模式的に示したものを、図

    図Ⅰ-1 軌道整列の模式図(YTiO3) 参考文献 3, 4)より引用

  • 7

    Ⅰ-13, 4)に示す。図Ⅰ-1は YTiO3の場合での軌道整列を模式的に示したものである。図Ⅰ-1

    に示してある電子軌道は、Ti-3d電子軌道である。この場合での軌道整列は、4つ siteの Ti-3d

    電子軌道が周期構造を持って配列することになる。d電子系での軌道整列は、超交換相互作

    用やヤーン・テラー歪みによって起こる。それに対して、f電子系では、RKKY作用によっ

    て起こる。また軌道整列現象は、様々な実験 6-9)によって研究が行われている。

    ペロブスカイト Ti酸化物(RTiO3 : R = Rare earth)は、軌道整列現象を示す。通常 RTiO3は反強磁性や常磁性を示す(R = La, Ce, Pr, Nd)10)。しかし、R = Yの場合(YTiO3)は、強

    磁性を示す 10)。これは、YTiO3の Ti3+イオンの t2g状態にある 3d電子軌道が、反強的に整列

    するためだと考えられている。ここで反強的な軌道整列を、図Ⅰ-1 を用いて説明する。図

    1-1の site1に注目すると、3d電子軌道が右上がりの分布をしているこがわかる。site2と site3、

    では、左上がりの分布をしている。site4は site1と同様に右上がりで分布を示していること

    がわかる。site1と site2の 3d電子軌道は、それぞれ反対方向に分布している。site3と site4

    でも同様な分布をしている。この様な状態を、反強的な軌道整列と呼ぶ。通常、軌道整列

    状態での磁気構造は、反強磁性状態になっている場合が極めて多く、YTiO3は非常に稀な物

    性(反強的かつ強磁性)を有する物質であることがわかる。YTiO3の軌道整列の研究は、様々

    な理論 11-19)や実験 4,5, 20-26)で行われている。実験は、NMR20,21)、偏極中性子回折 4, 5)、共鳴X

    線散乱 22,23)、軟 X線円二色性 24)などの方法を用いて行われている。共鳴 X線散乱において

    は、軌道整列を観測していないという報告 25)がなされているが、YTiO3の場合での報告はな

    いため、本論文では軌道整列の研究方法の一つとした。

    そこで本研究では、磁気コンプトン散乱と X 線磁気回折を用いて YTiO3の軌道整列の観

    測を行うことを目的とした。

    2. 磁気コンプトン散乱の研究背景

    放射光 X 線を用いる磁気コンプトン散乱で得られる物理量は、磁気コンプトンプロファ

    イルである。磁気コンプトンプロファイルは、磁性を持つ電子に起因した運動量密度分布

    を運動量 px, pyで積分したものである。運動量密度分布は、運動量空間における波動関数の

    絶対値を自乗したものであるため、磁気コンプトン散乱により、磁性電子の波動関数を知

    ることができる。

    兵庫県立大学の小泉らにより、磁気コンプトン散乱を用いて、La1-xSrxMnO3の軌道状態の

    研究が行われた 9)。彼らの研究は、La1-xSrxMnO3の軌道整列状態を観測しているわけではな

    い。彼らの研究で軌道整列状態を観測できない理由は、La1-xSrxMnO3の軌道整列状態におい

    て、磁気構造が反強磁性になっており、強磁性状態では軌道が整列しないためである。磁

    気コンプトン散乱は、強磁性体を対象にして行われる実験方法であるため、La1-xSrxMnO3の軌道整列状態を観測することができなかったわけである。しかし、磁気コンプトン散乱

    を用いて軌道状態を議論できることを示した彼らの功績は大きい。本研究では、彼らの研

  • 8

    究に倣い磁気コンプトン散乱を用いた YTiO3 の軌道整列の観測を行うこととした。磁気コ

    ンプトン散乱については、Ⅲ章で詳しく解説する。

    3. X線磁気回折の研究背景

    青山学院大学の秋光らにより、偏極中性子回折を用いて YTiO3 の軌道整列の研究が行わ

    れた 4, 5)。偏極中性子回折で得られる物理量は、磁気形状因子である。磁気形状因子は磁気

    モーメントの空間分布を逆格子空間へとフーリエ変換したものである。よって磁気形状因

    子を得ることにより、磁気モーメントの空間分布を知ることができる。磁気モーメントの

    空間分布と磁性電子の軌道の形状は密接に関係しているので、磁気形状因子は磁性電子の

    軌道の形状(磁性電子の波動関数)に強く依存する。つまり磁気形状因子を測定すること

    により、磁性電子の波動関数を知ることができるのである。偏極中性子回折と同様に、磁

    気形状因子を測定する方法がある。それが、放射光 X 線を用いる X 線磁気回折である。X

    線磁気回折についてはⅣ章で詳しく解説するが、X線磁気回折実験は、磁気形状因子をスピ

    ン成分(S)と軌道成分(L)に分離して測定することが可能である。これを LS分離と呼ぶ。

    そこで本研究では、X線磁気回折を用いて磁気形状因子を、スピン成分と軌道成分に分離し

    て測定することにより、YTiO3の軌道整列の観測を行うこととした。

    4. 本研究の目的

    放射光 X線を利用する、磁気コンプトンと X線磁気回折 YTiO3の軌道整列を観測するこ

    とを目的とした。またYTiO3の軌道磁気モーメントは凍結していると考えられているので、

    軌道磁気モーメントの凍結を実験的にはじめて確認することも目的とした。目的をまとめ

    ると下記のようになる。

    ① 磁気コンプトン散乱実験を行い、磁気コンプトンプロファイルを測定する。これにより

    YTiO3の軌道整列を観測する。また磁気散乱強度の磁気効果を詳細に調べることにより

    スピンモーメントを実験的に評価し、磁化測定結果とあわせて軌道磁気モーメントを実

    験的に評価する。

    ② X線磁気回折実験を行い、スピン磁気形状因子を測定する。これより YTiO3の軌道整列

    を観測する。また軌道磁気形状因子を測定することにより、軌道磁気モーメントを直接

    的に評価する。

  • 9

    Ⅱ. 試料結晶 YTiO3について

  • 10

    1. YTiO3の基礎物性

    測定試料には、軌道整列物質の強磁性体 YTiO3を用いた。本試料は東大工学部・十倉研究

    室田口氏(現理研)によって Floating zone法で作成された。またこの試料は東北大学大学院

    理学研究科の中尾氏に提供を受けたものである。

    YTiO3の結晶構造を図Ⅱ-1に示す。

    Orthorhombic (斜方晶) Pbnm26,27)

    a=5.316Å、 b=5.679Å、c=7.611Å

    図Ⅱ-1 YTiO3の結晶構造

    構造 ペロブスカイト構造

    磁気的性質 30K以下で強磁性体

    電気的性質 絶縁体

    表Ⅱ-1 測定試料

    Ti

    Y

    O a軸

    c軸

    Site1

    Site4 Site3

    Site2

  • 11

    ペロブスカイト型 Ti酸化物 RTiO3は、R = La, Ce, Pr, Ndのときは反強磁性や常磁性を示

    すにもかかわらず、R =Yのときのみキュリー温度 Tc=30Kの強磁性体となる。その原因と

    して、反強的な軌道整列により強磁性になると示唆されており、非常に多くの研究がなさ

    れている。

    YTiO3の結晶構造(図Ⅱ-1)は GdFeO3型、空間群は Pbnmをとる 26,27)。さらに結晶中の酸素

    はヤーン・テラー歪みが生じている。したがって、結晶場は立方対称から正方対称へと対

    称性が低下している。ヤーン・テラー歪みにより各 TiO6八面体において Ti-O間の距離が伸

    びた方向を各 TiO6八面体の量子化軸とし、単位胞中の原子座標で (0, 1/2, 0) , (1/2, 0, 0) , (0,

    1/2, 1/2), (1/2, 1/2, 0)にある Ti3+イオンをそれぞれ site1~4と呼ぶ。このとき t2g軌道は、dyz , dzxが縮退した軌道をとる(図Ⅱ-2)。また YTiO3の Tiサイトは Ti3+ イオンになるので、(3d)1 の

    電子状態をとる。

    図Ⅱ-2 YTiO3の結晶場中の 3d軌道

    dxy dyz,dzx

    GdFeO3 type distortion

  • 12

    2 磁化測定

    本研究は試料を磁化させてスピンの向きを同じ方向に揃え、またその方向を 180°反転さ

    せて実験を行う。そのため本実験では磁化の飽和が非常に重要である。

    そこで磁化が飽和する磁場の強さと飽和磁化を調べるために磁化測定を行った。その結

    果を図Ⅱ-3に示す。

    図Ⅱ-3磁化測定結果

    この結果、c軸が磁化容易軸になっており、b軸が磁化困難軸になっていることが分かる。

    磁化困難軸である b軸方向に磁化を飽和させるためには、およそ 2T必要なことがわかる。

    また飽和磁化はおよそ 0.85 Bであることがわかった。

    -2 -1 0 1 2-1

    0

    1

    B (T)

    Mag

    netic

    Mom

    ent (

    B/Ti

    ato

    m)

    a-axis

    b-axis

    c-axis

  • 13

    Ⅲ. 磁気コンプトン散乱実験

  • 14

    1. コンプトン散乱

    磁気コンプトン散乱について述べる前に通常のコンプトン散乱について説明する。コン

    プトン散乱効果は光子と電子の非弾性散乱である。これは 1920年代初頭に A. H. Compton

    および P. Debye によって独立に研究が始められた。この現象は光の粒子性を証明する実験

    として有名である。図Ⅲ-1にコンプトン散乱する自由電子と光子の概略図を示す。

    コンプトン散乱した X線のエネルギーをエネルギーと運動量保存則から計算すると

    )cos1(1)cos1(1 20

    20

    01

    mcEm

    mcE

    EE

    ipkh

    (1-1),

    となる。 1E は散乱 X 線のエネルギー、 0E は入射 X 線のエネルギー、 は散乱角、kは散

    乱ベクトル、 ip は散乱前の電子の運動量、 fp は散乱後の電子の運動量、mは電子の静止質

    量である。第 1 項は、散乱相手の電子にエネルギーを与えた結果による散乱 X 線のエネルギーの減少を表している。第 2項は、電子の運動量pが含まれていることからわかるように、電子が動いているために生ずるドップラー効果を表している。このドップラー効果は、X線

    の散乱ベクトルkと 1p の内積になっている。すなわち、散乱 X線は 1p の K軸方向(z軸)の運動量成分(pz)に比例してドップラー効果を受けると言える。その結果、px,pyがどの

    ようであれ、pzが等しい電子状態はみな同じドップラー効果を X 線に与え、散乱 X 線は同じエネルギー 1E となる。したがってエネルギー 1E の X 線を観測する確率は、電子が pzを持つ確率に比例、すなわち電子運動量密度 )(pn を pz,pyで積分した量に比例する。この関係を式であらわすと

    図Ⅲ-1 コンプトン散乱概略図

  • 15

    yxzyxz dpdppppnpJ ),,()( (1-2),

    となる。これがコンプトンプロファイルである。本研究ではこれをノーマルコンプトンプ

    ロファイルと呼ぶ。

    2. 磁気コンプトン散乱 28-32)

    静止している電子についてはクライン-仁科の式 33)が有名であり,無偏光 X線に対する微

    分散乱断面積は,

    2

    1

    2

    2

    1

    2

    1

    220 sin2

    1 rdd

    (2-1)

    0r :電子の古典半径 θ:散乱角 :X線のエネルギー (添え字の 1,2はそれぞれ入射と散乱を表す。)

    で与えられる。ただし,ここには動いている電子の効果や電子スピンに依存する散乱が表現

    されていない。X線のエネルギーが電子の静止質量エネルギーと比較して小さい時,非相対

    論的なハミルトニアンに相対論的補正項を追加して,摂動計算により断面積を求めること

    ができる。

    電磁場と電子のハミルトニアンは m-2の項まで考慮してh=c =1とすると(原子単位),

    ApEEApσBσAp eieme

    mee

    memH 2

    2

    422

    m:電子の質量 p:電子の運動量ベクトル A:電磁場のベクトルポテンシャル :スカラーポテンシャル (2-2)

    と表される 33)。第 4項は電子スピン(|σ |=1)と電磁場の磁場ベクトルBとの相互作用を,第5項はディラック電流と電磁場の電気ベクトルEとの相互作用を表し,共にディラック方程式に基づく相対論的補正項である。またゲージとしてローレンツゲージをとれば,

    tAE (2-3)

    となる。(2-3)を(2-2)に代入し,m-2以下の高次項と p×grad Φから起こるスピン軌道項を簡単

    化のために省略して,

  • 16

    WVHH 0 (2-4)

    em

    pmH2

    2

    0 :電磁場のない時のハミルトニアン (2-5)

    AAσ &22

    22

    42 meA

    meV :Aの 2次式 (2-6)

    AσpA rotme

    meW

    2 :Aの 1次式 (2-7)

    と分割する。ここで,電磁場のベクトルポテンシャルAは

    ..exp21..exp

    21

    2222

    1111

    21cctiacctia rkεrkεA kk

    ε:X線の電場の単位ベクトル r:電磁波が電子と行き合った場所 k:X線の波数ベクトル(添え字の 1,2はそれぞれ入射と散乱を表す。) ka :光子の消滅演算子

    †ka :光子の生成演算子

    (2-8)

    である。

    Aは光子を一つ生成あるいは消滅させるため,散乱現象を考えるとき,生成演算子と消滅演算子の積 kk aa

    †を持つ項のみが行列要素として残る。そのため,Aの2次式であるV は

    1次摂動として,Aの1次式であるW は 2次摂動としてコンプトン散乱に寄与する。 V の 1次摂動より電荷による散乱の行列要素は,| i >,| f > をそれぞれ電子の始状態,終

    状態とすると

    Eif

    e

    dim

    e

    im

    efV

    rrkεε

    A

    exp12

    2

    2121

    2

    22

    21 kkk , 2211 EEE (2-9)

    である。時間に関する積分はインパルス近似の範囲内で δEとしており,E1と E2はそれぞれ

    散乱前と散乱後の電子のエネルギーである。

    コンプトン散乱では,散乱前の電子の束縛エネルギーよりも光子が電子に与えるエネル

    ギーが十分に大きいため,終状態が平面波 rp fiexp と近似される。そのため,

  • 17

    Ei

    Eife

    me

    dim

    eV

    pεε

    rrpkεε

    2121

    2

    2121

    2

    12

    exp12

    (2-10)

    rrrpp di iii exp :始状態の運動量表示の波動関数 (2-11)

    if ppk :運動量保存則

    となる。

  • 18

    次に電子スピンσに関する行列要素として

    Ei

    m

    ime

    itm

    efV

    pεεσ

    AAσ

    212

    1

    1

    22

    2

    2

    241

    4 (2-12)

    が得られる。

    また,Wの摂動項は

    n nim EE

    iWnnWfW n :中間状態

    (2-13)

    の形の 2次摂動になる。粒子の生成消滅過程は,結果的に k1が消滅して k2が生成している。

    しかし,その過程には中間状態を挟むため,

    (1) E2 k2 (2) E2 k2

    Ef Ef

    E12 E12

    En En

    Ei E1 k1 Ei E1 k1

    (1)入射光子 k1が先に消滅して散乱光子 k2が生成する過程

    (2)散乱光子 k2が先に生成して入射光子 k1が消滅する過程

    というように,この2過程の足し合わせの形で書かれる。この時 ck,光子のエネルギー kckhh であるため,

    (1) Ei=E1+k1,En=E12

    (2) Ei=E1+k1,En=E12+k1+k2 (2-14)

    となっている。

  • 19

    まず,(1)の時を求める。生成演算子 †ka と消滅演算子 ka がそれぞれ,前半のブラケット

    nWf 内と後半のブラケット iWn 内に含まれる。以下の

    ..exp

    21

    ..exp21

    22222

    11111

    2

    1

    cctiia

    cctiiarot

    rkεk

    rkεkA

    k

    k

    (2-15)

    より,摂動項は,

    ieiaeiaf

    kEEme

    ik

    ik

    rkrk εkσpεεkσpε 11

    2

    2 111222

    121212

    2

    21

    21

    12

    1

    (2-16)

    ここでブラケット内のスピン行列σに依存する項は X 線のエネルギーが電子のエネルギーよりも遥かに大きいため, 21111 EEckk とする。さらに hip とし,|f>を平面波と近似することで

    Ei

    ime

    pεkεkkεεkkεεkkεεk

    σ

    2211112222111211

    1212

    2

    ˆˆ21ˆˆˆˆˆˆ

    221

    k̂:X線の方向の単位ベクトル(添え字の 1,2は入射と散乱 X線に対応する。) (2-17)

    となる。

  • 20

    同様に(2)の摂動項も 21222 EEckk を考慮することにより,

    Ei

    ime

    pεkεkkεεkkεεkkεεk

    σ

    2211221111222122

    2212

    2

    ˆˆ21ˆˆˆˆˆˆ

    221

    (2-18)

    となる。したがって,(1)と(2)の足し合わせを考えると式(2-13)は,

    Ei

    m

    imeW

    pεkεk

    kεεkkεεkσ

    221121

    2122212111

    21

    2

    ˆˆ21

    ˆˆˆˆ

    241

    (2-19)

    となる。

  • 21

    式(2-12)と式(2-19)から電子スピンσに関する行列要素は

    Eim meiWV pBσ

    21

    2 14

    (2-20)

    221121

    2122212111

    2121

    ˆˆ21

    ˆˆˆˆ21

    εkεk

    kεεkkεεk

    εεB

    (2-21)

    と書かれ,遷移確率は

    Ei

    Ei

    imm

    im

    e

    mie

    me

    224213

    2212

    21

    4

    22

    2

    2

    21

    2

    21

    161Im

    441

    421

    pBσεεBσεε

    pBσεε

    (2-22)

    に比例する。この第 1項に比べて第 2項,第 3項はそれぞれほぼ m/ , 2/ m だけ小さ

    いため,第 3項を無視する。よって,上式より次に挙げる 3つのことが理解される。

    Ⅰ.遷移確率は初期状態の電子運動量密度2

    ip に比例する。

    Ⅱ.電子スピンによる磁気コンプトン散乱強度は,電荷による散乱強度に比べて約(X 線エネルギー/mc2)だけ弱い。

    Ⅲ.第 2項が虚数項であるため,この項を観測するためには,すなわちMCPを得るには X線が円偏光している必要がある。これは第 2項の行列要素が実数として残るためにεに虚数を含む必要があるためである。

  • 22

    次にエネルギー保存則と運動量保存則より,散乱後の X線のエネルギーは

    cos11

    1

    cos11 111

    2

    m

    m

    m

    ipk (2-23)

    となる。ただしインパルス近似のためエネルギー保存則に電子の束縛エネルギーはあらわ

    に出てこない。第 1項は静止している電子と散乱した時の X線のエネルギーで第 2項は電

    子の運動量によるエネルギーシフト(ドップラーシフト)を示している。 このシフトは散乱ベクトルk上への ip の射影成分が同じならば,同じ 2を与えるため,

    2を測定する時の散乱断面積は

    yxi dpdpmi

    me

    ddd 2

    2132

    2121

    24

    2

    2

    Im44

    1 pεεBσεε

    (2-24)

    ここで z軸は散乱ベクトルの方向に取り, ip を pi と書き換えた。 この運動量に対する 2重積分量は一電子のコンプトンプロファイルと呼ぶべき量である。

    実際の観測に掛かるものは多電子系からの散乱強度であるため,そのコンプトンプロファ

    イルは一電子近似の下で電子数について総和をとり,

    n

    izi

    n

    iyxiz pjdpdppJ

    11

    2p (2-25)

    と表す。

  • 23

    Grotchらの行った準相対論的(ω/m

  • 24

    3. 磁気コンプトン散乱実験

    磁気コンプトン散乱実験を行うには、

    1. 円偏光した X線が必要。

    2. 磁気効果が非常に小さいため強い X線が必要。

    3. インパルス近似を成立させるため硬 X線が必要。

    などの条件を満たす必要がある。以上のような条件を満たす X 線源としてはシンクロトロ

    ン放射光が有用である。実際には、つくば市にある高エネルギー物理学研究所(KEK)フォト

    ンファクトリー(PF)の円偏光 X線ビームライン AR-NE1-A1で行った。

    3-1. KEK-PF-AR-NE1-A1

    ビームライン AR-NE1-A1では TRISTANの蓄積リング(ARリング)内に楕円多極ウィグ

    ラー(EMPW)が挿入されており、これより円偏光 X線を得ている。図Ⅲ-2に EMPWの図

    を示す 35, 36)。これは螺旋状の磁場が発生するように Nd-Fe-B系の永久磁石が並べられてい

    る。永久磁石の距離を x 方向または y 方向に変え、磁場の分布を変えることで円偏光度を

    変えることができる。EMPWから得られた円偏光 X線は擬 2次元湾曲型の Si(111)37)を用い

    たモノクロメーターで単色化した。モノクロメーターは入射 X 線を試料上に集光させるた

    めに擬 2次元に湾曲させてある。図Ⅲ-3に擬 2次元湾曲型モノクロメーターSi(111) 37)を示

    す。実際の実験では 60keV(Tm K吸収端)の X線を用い、また円偏光度は 0.6であった。

    モノクロメーターによって単色化された X 線は、空気の吸収による減衰や空気散乱によ

    る back ground の増加を防ぐため、塩化ビニール製の真空ダクトを通る。また X線は、試料

    の前のスリットで試料にのみ照射されるように、ビームサイズを調整する。試料に入射し

    た X 線は約 160 度の散乱角で散乱する。試料は超伝導磁石に挿入されている。ここで実験

    配置図を図Ⅲ-4に示す。

    散乱した X線は Ge半導体検出器(SSD)でエネルギースペクトルを測定する。SSD配置

    は図 3-3で示すようになっている。また SSDは、一素子の計数率に限界があり、約 1×104 cps

    である。本研究では 13個の素子からなるSSDで同時に測定を行い、計数率を多くしている。

    コンプトンピークにおける運動量分解能は次の様に表される。

    2/12/312 )cos1(2/)1()/()/1( bpz

    mb /)cos1(1 03604.137/1

    0034.511m (keV) (3-1)

    3.591 keV、コンプトンピークでのエネルギーで 48.02 keV、 160 としたとき

  • 25

    8.0zp a.u.となっている。 SSDで検出されたエネルギースペクトルの信号は pre-amp、linear amp、ADCを経てコン

    ピューターに入力される。同時に試料に印加する磁場の方向をコンピューター制御し定期

    的に磁場の方向を反転させる。また磁場を印加する方向は散乱ベクトルに平行である。ブ

    ロックダイヤグラムを図Ⅲ-5 に示す。このようにして、試料に磁場を反転しながら印加し

    散乱 X線のスペクトルを測定する。各々のスペクトルを I+, I-として測定する。また 0.85T

    の磁場を 360秒毎で反転しながら実験を行う。

    図Ⅲ-2 KEK-PF-ARの EMPWの概略図 35, 36)

    図Ⅲ-3 擬 2次元湾曲型のモノクロメーターSi(111) 37)

  • 26

    図Ⅲ-4 実験配置図(KEK-PF-AR-NE1-A1)

    図Ⅲ-5 磁気コンプトン散乱実験のブロックダイヤグラム(AR-NE-1-A1)

    SSD

    Pre-amp.

    Linear amp.

    ADC

    Memory board

    Computer

    Current controlcircuit

    Superconductivemagnet

  • 27

    写真 1 KEK-PF-AR-NE1-A1での実験配置

    写真 2 SSDの拡大写真

  • 28

    3-2 データ処理

    ① SSDエネルギーキャリブレーション

    エネルギースペクトルを解析するにあたり、エネルギースペクトルの横軸をチャンネルか

    らエネルギーに変換する必要がある。これには希土類酸化物の蛍光を利用し、エネルギー

    スペクトルの各ピークと蛍光のエネルギーを対応させた。実際には、Sm2O3-Nd2O3混合物(粉

    末)を試料の周辺に置き、X 線を当てることによって生じる蛍光 X 線を SSD で観測した。

    観測したスペクトルを図Ⅲ-6 に示す。表Ⅲ-1 に蛍光スペクトルの各ピークのチャンネルと

    エネルギーを示す。蛍光のピークのチャンネルとエネルギーはほぼ直線的比例関係にある

    ので、実際の解析にはこの関係を利用してチャンネルをエネルギーに変換した。表Ⅲ-1 を

    グラフにすると図Ⅲ-7の様になる。

    図Ⅲ-6 スペクトル測定結果 図Ⅲ-7 チャンネルとエネルギー

    蛍光 チャンネル エネルギー(keV)

    Y Kα 238 14.93keV

    Y Kβ 268 16.74keV

    Nd Kα1 608 37.36keV

    Nd Kβ1 689 42.22keV

    elastic 970 59.38keV

    表Ⅲ-1 蛍光スペクトルと弾性散乱のエネルギー

    0 200 400 600 800 10000

    0.5

    1

    105]

    channel

    Cou

    nts

    Ykα

    Ykβ

    Nd

    kα1

    Nd

    kβ1

    Elas

    tic p

    eak

    0 200 400 600 800 10000

    20

    40

    60

    channel

    Ener

    gy [

    keV

    ]

  • 29

    ② 散乱角の決定 コンプトン散乱のピークエネルギー cと弾性散乱のピークエネルギー eの関係は次式

    のようになる。

    mee

    c /)cos1(1

    0034.511m keV (3-2)

    上式に従って散乱角 を決定した。

    ③ 磁気コンプトン散乱の散乱断面積

    磁気コンプトン散乱効果はエネルギー依存性がある。そこでその影響を補正しなければ

    ならない。その関係を次式で表す。

    magmagmag

    JCdd

    d 2 (3-3)

    2は散乱 X線のエネルギー[keV]であり、以下の式(3-4)で )( 2magC を計算し、補正を行

    った。 1は入射 X線のエネルギー[keV]、 は散乱角である。

    )}2/sin()1(coscos)1{(cos}/)/{( 212 QGFCmag

    221

    22

    21 cos2F

    221

    22

    21 cos2cosG

    0034.511/)cos1(2121Q (3-4)

    ④ エネルギー軸から運動量軸への変換

    横軸をエネルギーから運動量に変換する必要がある。そこで以下の式を用いてエネルギ

    ーから運動量に変換した 38)。

    FQpz /03604.137

  • 30

    221

    22

    21 cos2F

    0034.511/)cos1(2121Q (3-5)

    ⑤ 統計精度の向上

    磁気コンプトンプロファイルは 0zp [a.u.]を中心にして左右対称であるために、0zp [a.u.]を中心にして折り返し、足し合わせた。

    ⑥ スピン磁気モーメントによる規格化 磁気コンプトンプロファイルは、運動量空間での磁性電子密度を表わす。よって、各原

    子でのスピン磁気モーメントを spinとすると、次式のように表される。

    spinzzmag dppJ )( (3-6)

    よってグラフの縦軸をこの式を用いて規格化した。全ての実験配置において、飽和磁化

    spin =0.85として規格化を行った。

    ⑦ 弾性散乱ピークによる規格化

    実際に解析する場合には、I+から I-を引く時には弾性散乱ピークによる規格化を行う。つ

    まり弾性散乱ピーク強度を同じにするのである。その理由は、測定する上でどうしても入

    射 X 線の強度が変化してしまうために、I+と I-での弾性散乱ピークが一致しないという問

    題があるためである。

    本研究で用いたデータは、以上のようなデータ処理を行ったものである。

  • 31

    4. 磁気コンプトン散乱実験結果

    測定に用いた試料は YTiO3である。測定した試料の方向は、[100], [001]方向の 3つの方向

    である。つまり、a 軸、c 軸方向である。a 軸の場合では、[100]方向を散乱ベクトルの方向

    に平行にして測定する。c軸の場合でも同様に、散乱ベクトルの方向に, [001]方向を平行に

    して測定を行う。その様子を図Ⅲ-8に示す。

    図Ⅲ-8 測定方向と散乱ベクトルの関係(測定する試料方向と散乱ベクトルは平行)

    4-1. 実験結果

    図Ⅲ-9が a 軸配置で測定された生のデータである。250~300チャンネル付近にあるピー

    クはYの蛍光Xである。800チャンネル付近の幅の広いピークがコンプトンピークである。

    ドップラーシフトを受けているために、幅の広いピークになっている様子がわかる。970チ

    ャンネル付近のピークが弾性散乱ピークである。実際には、図Ⅲ-9は I+の測定結果である。

    磁気コンプトンプロファイルを得るためには、I+から I-を引く必要があるので、I-の測定結

    果を図Ⅲ-10に示す。図Ⅲ-9と図Ⅲ-10を比べてもほとんど差がないことがわかる。3-2章で

    は触れなかったが、I+から I-を引く時には弾性散乱ピークによる規格化を行う。つまり弾性

    散乱ピーク強度を同じにするのである。その理由は、測定する上でどうしても入射 X 線の

    強度が変化してしまうために、I+と I-での弾性散乱ピークが一致しないという問題があるた

    めである。

  • 32

    図Ⅲ-9 a軸での I+の測定結果

    図Ⅲ-10 a軸での I-の測定結果

    0 200 400 600 800 10000

    1

    2107]

    Channel

    Cou

    nts

    Compton Elastic

    Ykα Ykβ

    I+

    0 200 400 600 800 10000

    1

    2107]

    Channel

    Cou

    nts

    Compton Elastic

    Ykα Ykβ

    I-

  • 33

    規格化や 3-2 章で示した④番までの補正を行った磁気コンプトンプロファイルを図Ⅲ-9

    に示す。図Ⅲ-11は素子 1つにおける磁気コンプトンプロファイルである。ここでは解析手

    順を模式的に示すために素子1つの場合を示した。実際には、13素子あるので 13素子を足

    し合わせた磁気コンプトンプロファイルを図Ⅲ-12に示す。

    図Ⅲ-11 素子 1つにおける磁気コンプトンプロファイル

    図Ⅲ-12 13素子を足し合わせた磁気コンプトンプロファイル

    -10 0 100

    2

    4

    6[ 106]

    pz

    Cou

    nts

    [a.u.]

    -10 0 100

    2

    4

    6[ 107]

    pz

    Cou

    nts

    [a.u.]

  • 34

    図Ⅲ-11 と図Ⅲ-12 を比較すると図Ⅲ-12 の方が格段に滑らかになっていることがわかる。

    これは統計精度が上がった結果である。さらに統計精度を上げるために 0zp [a.u.]で折り返し、飽和磁化の値で規格化したものを図Ⅲ-13に示す。同様のデータ処理を行って得られ

    た、c軸での磁気コンプトンプロファイルをそれぞれ図Ⅲ-14に示す。この 2つを比べると

    c軸方向での磁気コンプトンプロファイルが、a 軸でのプロファイルと異なっていることが

    わかる。

    図Ⅲ-13 a軸での磁気コンプトンプロファイル

    図Ⅲ-14 c軸での磁気コンプトンプロファイル

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    pz

    J mag

    (pz)

    [B/a

    .u.]

    [a.u.]

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    pz

    J mag

    (pz)

    [B/

    a.u.

    ]

    [a.u.]

  • 35

    4-2. スピンモーメントの算出 39-42)

    原子の磁気モーメントは、一般に電子スピンモーメント S と軌道磁気モーメント L の合

    成 L+2Sに比例するが、磁気コンプトン散乱にはそのうち Sしか関与しないという特徴があ

    る 41)。よって磁気コンプトン散乱実験によりスピンモーメントを算出することが可能であ

    る。スピンモーメントの算出方法を以下に示す。

    磁気効果Rは以下のような(4-5)式で定義される。

    JJJJR (4-5)

    J と J は、磁場を散乱ベクトルに平行(+)、反平行(-)に印加したときでの、コンプトン散乱スペクトルの積分強度である。その積分範囲の例を以下の図Ⅲ-15で示す。赤い線

    で示した約 650チャンネルから約 920チャンネルの範囲で積分し J としている。

    図Ⅲ-15 積分範囲の例(YTIO3の場合を用いている)

    また(4-5)式で定義される磁気効果は以下のような(4-6)式で表すことができる。

    )(N

    AR spin (4-6)

    spinはスピンモーメント、N は単位胞あたりの電子数である。Aは実験環境によって決ま

    る定数である。(4-6)式より磁気効果Rが解ればスピンモーメントが得られることが分かる。しかしここで問題になるのが、Aの値である。N は物質を考えれば分かり、Rは磁気コンプトン散乱実験をすれば分かる値であるが、 Aの値は分からない。この問題を解決するために、標準試料である Feを用いた磁気コンプトン散乱実験を行った。Feを用いる理由とし

  • 36

    ては、Feのスピンモーメントは様々な実験方法によって測定されている。つまり Feの実験

    をすることにより Aの値を調べるわけである。Fe の実験をすることにより磁気効果

    21018.1R が得られた。また Fe のスピンモーメント 083.2spin 43)、原子番号 26 を

    用いることに(4-6)式より、 146.0A を得た。このようにして得られた Aを用いることに、YTiO3のスピンモーメントを得た。

    磁気コンプトン散乱実験より a軸、c軸の磁気効果はそれぞれ、 310)01.045.1(R , 310)01.046.1(R であることがわかった。これにより、a

    軸、c 軸のスピンモーメントはそれぞれ 0.84 0.03 B、0.85 0.03 Bを得た。また得られた

    スピンモーメントは、SQUID での磁化測定より得られた飽和磁気モーメントの値

    0.84 0.02 Bとよく一致している。

    磁気モーメントは軌道磁気モーメントとスピン磁気モーメントの和(L+2S)で表される

    物理量であるため、磁気コンプトン散乱より得られたスピン磁気モーメントが、磁化測定

    より得られた磁気モーメントとよく一致していることは、軌道磁気モーメントが 0 である

    ことを意味している。つまり、YTiO3において軌道磁気モーメントの凍結が起きていること

    を決定的に裏付けている。

  • 37

    4-3 結晶方位異方性

    結晶方位により異方性があるか調べるために、異方性のプロファイル magJ を次式で定義

    する。

    )()()( __ zBmagzAmagzmag pJpJpJ (4-1)

    A と B は測定した結晶方位を表している。(4-1)式はある磁気コンプトンプロファイルから

    別のある磁気コンプトンプロファイルを引いたものである。つまり異方性を表すプロファ

    イルになる。ここで、次式で表される異方性のプロファイルについて考える。

    )()()(_ __ zaxiscmagzaxisamagzcamag pJpJpJ (4-2)

    (4-2)式で表される異方性のプロファイルをそれぞれ図Ⅲ-16に示す。

    図Ⅲ-16 b軸から a軸の磁気コンプトンプロファイルを引いた異方性プロファイル

    0 2 4 6

    0

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    pz

    ⊿J m

    ag(p

    z)[B/a

    .u.]

    [a.u.]

  • 38

    図Ⅲ-16を見てみると、 zp が 0 a.u.から 2 a.u.の範囲でゼロになっていないことがわかる。つまり a軸、c軸方向には異方性があることを表している。

    a 軸、c軸方向に異方性があるということは、電子雲の形状に異方性があることを表して

    いる。磁気コンプトンプロファイルは磁性を担う電子のみに依存したプロファイルである

    ため、YTiO3の 1つの 3d-t2g電子の波動関数に異方性があることを示している

  • 39

    5. 理論計算と考察 実験で得られた磁気コンプトンプロファイルが、どの様な波動関数によって得られるプ

    ロファイルなのか調べるために、アトミックモデルの波動関数を用いた計算を行った。

    5-1 磁気コンプトンプロファイルと波動関数の関係

    磁気コンプトンプロファイルは(2-29)式のように表されるわけだが、この式を別の表現で

    表すと、(5-1)式の様に表すことができる。

    yxzmag dpdpnnpJ )]()([)( pp (5-1)

    )(pn は運動量密度である。 , はそれぞれ電子のアップスピン、ダウンスピンをあらわしている。また )(pn は(5-2)のように表される。

    2)()( ppn (5-2)

    )(p は運動量空間における波動関数である。さらに )(p は(5-3)式のように実空間での波動関数 )(r をフーリエ変換したものとして表される。

    rrprp di )exp()(21)( (5-3)

    (5-1)から(5-3)式により磁気コンプトンプロファイルが波動関数に直結した物理量であるこ

    とがわかる。

    5-2 YTiO3のモデル波動関数

    YTiO3の磁性を担う電子は Ti3+イオンの 3d-t2g電子 1 つである。この電子は他の理論や実

    験により、各 siteでのモデル波動関数は次式の様になっていると考えられている。

    site 1 zxyz vdud1 (5-1)

    site 2 zxyz vdud2 (5-2)

    site 3 zxyz vdud3 (5-3)

    site 4 zxyz vdud4 (5-4)

    ここで uとvは次式の関係を満たすパラメーターになっている。

    122 vu (5-5)

  • 40

    dxy,dyz,dzxについて説明する。dxyは xy 平面に電子の軌道が分布する波動関数である。dyzは yz 平面に電子の軌道が分布する波動関数で、dzxは zx 平面に電子の軌道が分布する波動

    関数である。d 軌道にはほかにも dx2-y2軌道、dz2軌道がある。それらの分布を図Ⅲ-17 に示

    す。

    図Ⅲ-17 5つの異なる配位の d軌道

    zxyz vdud の意味は、dyzと dzxが混成していることを意味する。また uと vでそれら

    の軌道が含まれる割合を表す。

    各 Ti サイトにおける量子化軸の取り方は、Ti-O ボンドの長さが最大になっている所を z

    軸とする。x軸は、O原子が ac面から一番遠い Ti-Oボンドとする。x軸の長さは約 2.08Å

    で、x軸,y軸は約 2.02Åである。各サイトにおける軸の取り方を図Ⅲ-18に示す。

  • 41

    図Ⅲ-18 各 Tiサイトでの量子化軸の取り方

  • 42

    5-3磁気コンプトンプロファイルの計算

    5-2で示したモデル波動関数を用いて磁気コンプトンプロファイルの計算を行った。実際

    に使用した d軌道を(5-6), (5-7)式で示す 44)。

    233 /)()(3sinsinsin rrAxyRrRAd ddyz (5-6)

    233 /)()(coscossin rrAzxRrRAd ddzx (5-7)

    815A 、 222 zyxr 、xyzは各サイトにおける xyz座標に対応している。

    )3/exp(3081

    4)( 02

    0

    23

    03 arza

    rzaz

    rR effeffeff

    d (5-8),

    である。ここで、zeffは Ti3+イオンの有効核電荷である。ここでは、文献値 zeff=8.1446-47)を

    用いた。また a0はボーア半径で、

    112

    20

    0 1029177.54

    mea h m (5-9)

    である。

    (5-6), (5-7)式を用いて、(4-1)式で表される磁気コンプトンプロファイルの理論計算を行っ

    た。磁気コンプトンプロファイルの計算をする際に uと vの値を少しずつ変えていった。ま

    た実際計算するときには、波動関数の量子化軸と結晶方位軸が異なっているために補正が

    必要になる。補正とは座標変換をすることになる。

    次に座標変換方法について説明する 45)。旧座標(量子化軸)の xyz 軸の直交単位ベクトルをi, j , kとする。新座標(結晶軸)の XYZ 軸の直交単位ベクトルを i , j , k とする。ベクトルの組i, j , kは基底ベクトルを構成するので、その組で i , j , k を表すことができる。

    kajaiai 131211 kajaiaj 232221

    kajaiak 333231 (5-10) 行列記号を用いて表すと、

    kji

    Akji

    aaaaaaaaa

    kji

    333231

    232221

    131211

    (5-11)

    となる。これをi, j , kを表す式に変換すると

  • 43

    kji

    Akji

    aaaaaaaaa

    kji

    T

    333231

    232221

    131211

    (5-12)

    と表される。またTA は Aの転置行列を表している。この式を用いて座標変換を行った。

    Site-1において実際使用した Aを示す。

    19.018.096.083.055.009.0

    52.082.026.0A (5-13)

    この Aを用いて TA を求めると、次の様になる。

    21.083.051.017.055.082.096.007.026.0

    TA (5-14)

    この転置行列を使用して座標変換を実行した。

    また SSDの分解能 0.85a.u.を考慮して、ガウシアンブロードニング法(ガウシアン補正)も行

    った。この方法は、ある測定点にガウス関数による幅を与える方法である。

    上記した座標変換、ガウシアン補正をした波動関数を用いて(5-1)式の計算を行って得ら

    れた磁気コンプトンプロファイルの計算結果を図Ⅲ-19,20に示す。また計算は u = 0.71~0.89

    の間で計算を行った。実際の計算で用いた、計算ソフトはMathematicaである。表Ⅲ-2に作

    成したMathematicaのプログラムを示す。

  • 44

    図Ⅲ-19 a軸の磁気コンプトンプロファイルの計算結果

    図Ⅲ-20 c軸の磁気コンプトンプロファイルの計算結果

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6[

    B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

    ― 0.71― 0.77― 0.84― 0.87― 0.89

    u

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    [B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

    ― 0.71― 0.77― 0.84― 0.87― 0.89

    u

  • 45

    表Ⅲ-2 Mathematicaプログラム

  • 46

    a軸での計算結果は、uの値を変えてもあまり変化しないことがわかる。c軸での結果は、uの値を変えると zp の小さな場所で大きく変化していることがわかる。u の値を大きくしていくと、 0zp での値が大きくなっていく。 次に、実験結果と理論計算の比較を行う。実験結果と理論計算を同じグラフに示したも

    のを図Ⅲ-21,22に示す。

  • 47

    図Ⅲ-21 a軸での実験結果と理論計算

    図Ⅲ-22 c軸での実験結果と理論計算

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6[

    B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

    ― 0.71― 0.77― 0.84― 0.87― 0.89

    u

    ● 実験

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    [B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

    ― 0.71― 0.77― 0.84― 0.87― 0.89

    u

    ● 実験

  • 48

    実験と計算の比較をしてみると、a軸と c軸において、実験と理論が一致するプロファイ

    ルを示すパラメーターがあることがわかる。a軸においては、計算結果があまり変化しない

    ので、c軸に注目して uと vの値を決めていくことにする。どの uと vの値を持つ波動関数

    が実験ともっとも一致しているのか調べるために残差の計算を行った。その結果を図Ⅲ-23

    に示す。計算結果より、 84.0u , 55.0v での波動関数がもっとも一致していることがわかった。図Ⅲ-23の結果より、最小になっている uの値は、 84.0u より少し小さな値になっていることがわかるが、ほとんど 84.0u と変わらないために、本研究では 84.0u を採用した。

    図Ⅲ-23 残差の計算結果

    0.6 0.7 0.8 0.9 10

    0.02

    0.04

    0.06

    u

    Δ2

    0.71

    0.77

    0.840.87

    0.89

  • 49

    実験で得られた磁気コンプトンプロファイルと、 84.0u , 55.0v の状態にある波動関数より得られた理論計算を図Ⅲ-24,25に示す。

    図Ⅲ-24 a軸での、実験結果と 84.0u , 55.0v 状態の波動関数の理論計算

    図Ⅲ-25 c軸での、実験結果と 84.0u , 55.0v 状態の波動関数の理論計算

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6[

    B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    [B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

  • 50

    図Ⅲ-24 と図Ⅲ-25 より、実験と計算がよい一致を示していることがわかる。しかし、完全

    に一致してわけではない。そこで、Biggsにより Hartree–Fock計算を用いて得られた磁気コ

    ンプトンプロファイルを示す。この計算は、Ti原子を想定した場合での計算結果である為、

    本研究での場合とは少し異なる。しかし、本研究で得られる磁気コンプトンプロファイル

    は、Ti-3d t2g電子 1つに起因したプロファイルであるため、比較することが可能であると考

    えた。図Ⅲ-26, 図Ⅲ-27 は、実験から得られた磁気コンプトンプロファイルと、Biggs の計

    算 45)から得られた磁気コンプトンプロファイルである。

    図Ⅲ-26 a軸での、実験と Biggsの理論計算より得られた磁気コンプトンプロファイル

    図Ⅲ-27 c軸での、実験と Biggsの理論計算より得られた磁気コンプトンプロファイル

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    [B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

    0 1 2 3 4 5 60

    0.1

    0.2

    0.3

    0.4

    0.5

    0.6

    [B/a

    .u.]

    pz

    J mag

    (pz)

    [a.u.]

  • 51

    図Ⅲ-26 に着目してみると、実験と計算が非常に一致していることがわかる。これは、a 軸

    方向([100]方向)から見た、YTiO3の Ti-3d t2g電子 1つ波動関数が、バルクの Tiの波動関数と

    非常に似ていることを示す結果である。しかし、図Ⅲ-27では一致していない。これは、Biggs

    の計算プロファイルは空間の角度部分については平均化されたものであり、実測の c軸プロ

    ファイルそれとは異なっていることに起因するのであろう。また図Ⅲ-26では、 zp が4~6a.u.においてもよく一致していることがわかる。一方、図Ⅲ-25では、 zp が 4~6a.u.においては実験より計算の方が小さな値を示していることがわかる。この理由は、有効核電荷 zeffの大

    きさによるものではないかと推測することができる。なぜなら有効核電荷とは、波動関数

    の広がりを決めるパラメーターの役割をしているからである。有効核電荷を変えた場合で

    の磁気コンプトンプロファイルの変化を図Ⅲ-28に示す。

    0 1 2 3 4 5 60

    0.2

    0.4

    0.6

    pz

    J mag

    (pz)

    [B/a

    .u.]

    [a.u.]

    図Ⅲ-28 実験結果と zeffを変化させた計算結果

    Pz=0において、実線上から zeff=5, 6, 7, 8, 8.14, 8.5, 9

  • 52

    この結果、有効核電荷を変化させることにより、磁気コンプトンプロファイルが変化す

    ることがわかる。よって、より正確な有効核電荷を用いた計算を行えば、より精度のよい

    計算結果が得られることを推測することができる。我々が用いた有効核電荷は、E. Clementi

    らによって計算された有効核電荷 47-48)を用いている。この有効核電荷は、Ti イオンを想定

    した場合での有効核電荷であるため、YTiO3の場合とは異なっているかもしれない。しかし

    我々は、波動関数のパラメーターu, vを決めることを目的とした為、変化させるパラメータ

    ーをできるだけ少なくしたかったので、E. Clementi らによって計算された有効核電荷 45,46)

    を用いたのである。今後は、正確な有効核電荷を用いた計算を行う必要がある。

    また、完全に一致しないもう 1つの理由は、Tiの 3d電子が Oの 2p電子と混成している

    可能性である。3d 電子は局在性が強いため混成している可能性は極めて低いが、ゼロでは

    ない。今後は混成を考慮した計算を行う必要もあるかもしれない。

    今回での研究では b 軸での実験を行っていない。b軸は、Ⅱ章の磁化測定の結果より分

    かるように磁化困難軸(飽和磁場 2T必要)になっているため、うまく磁化反転を行うこと

    が困難である可能性があったため、今回の研究では実験を行わなかった。今後の課題とし

    て、b軸での実験を行う必要がある。

    まとめると、磁気コンプトン散乱実験により得られた波動関数は次式のようになってい

    る。

    site 1 zxyz dd 55.084.01

    site 2 zxyz dd 55.084.02

    site 3 zxyz dd 55.084.03

    site 4 zxyz dd 55.084.04

  • 53

    Ⅳ. X線磁気回折実験

  • 54

    1. X線磁気回折の原理 49,50,51)

    1-1. X線磁気回折

    X線磁気回折による散乱断面積は、

    dd

    |電荷散乱振幅|2+i[電荷散乱振幅]・[磁気散乱]+|磁気散乱|2 (1-1)

    で表される。第一項が電荷散乱項、第二項が電荷散乱と磁気散乱項の干渉散乱項、第三項

    が純磁気散乱項である。このとき、電荷散乱に対し、干渉散乱は 10-3、純磁気散乱は 10-6

    と非常に小さなものとなっている。

    試料には強磁性体を用いる。実格子空間において、強磁性体では、磁化の配列周期と原

    子(電荷)の配列周期が等しい。また、逆格子空間においても、磁化の配列周期と原子(電

    荷)の周期配列は等しい。従って、回折パターンにおいては、電荷と磁化の散乱ピークが重

    なる。

    図Ⅳ-1 強磁性体における原子と磁化の配列周期

    実験においては(1)式第二項の干渉磁気散乱を検出するために、入射 X 線に円偏光成分が必

    要である。さらに、磁場を反転して、(1)式第二項の干渉磁気散乱部分の符号を反転するこ

    とにより、電荷散乱部分と磁気散乱部分を分離することができる。

    原子間距離

    同一磁化方向をもつ 原子間距離

  • 55

    1-2. 散乱断面積

    X線磁気散乱における散乱断面積は、X線磁気散乱理論 52-55)より(1-2)式のように表される。

    22 2/)(2)()( BAε'ε kSkLiknrdd

    e (1-2)

    このとき、iは虚数単位、reは電子の古典半径、

    2mchで、h は X線エネルギー、 2mc は電子の静止エネルギー(511 keV),

    εおよび ε’は、入射 X線および散乱 X線の電場ベクトル方向の単位ベクトル、

    n(k)は電子電荷密度のフーリエ変換(電荷散乱因子あるいは構造因子)、

    L(k)および S(k)はそれぞれ軌道およびスピンモーメント密度のフーリエ変換(ベクトル量)

    kは散乱ベクトル(k=k0-k’: k0 および k’は入射 X線および散乱X線の波数ベクト

    ル)、である。A,Bは ε,ε’,'^

    0^

    k,k からなるベクトルで、('^

    0^

    k,k は 0,k'k 方向の単位ベクトル)、

    ))(())(())(1(2 ' εkεkεkεkεεkkA'^

    ''^

    0^

    0^

    ''^

    0^

    (1-3)

    )()())(())(( ' εkεkεkεkεkεkεεB 0^'^

    '0

    ^0

    ^'^'

    '^' (1-4)

    である。

    ここで、一軸性の強磁性体(全ての磁気モーメントが同一方向を向いている)を考える。磁

    気モーメントは量子化軸(通常 Z軸にとる)に沿って測られる。量子化軸方向の単位ベクトル

    を ρ とし、ベクトル量 L(k),S(k)を、L(k)=-L(k)ρ、S(k)=-S(k)ρ、と表すと、スカラー量

    L(k),S(k)がそれぞれ軌道およびスピン磁気モーメントの磁気形状因子(あるいは磁気構造因

    子)となる。全磁気形状因子 )(2)()( kSkLk である。 Bをボーア磁子として、 |k|→0への外挿値 )0(),0( SL BB が、それぞれ、軌道磁気モーメント値、スピン磁気モーメント値となる。磁化測定等で観測される磁気モーメント値は B {L(0)+2S(0)}であり、

    )0(2),0( SL BB がそれぞれ磁気モーメントの軌道成分と、スピン成分となる。 (1-2)式へ戻る。(1-2)式の絶対値の第1項が電荷散乱振幅(以下、〔電荷〕と記す)、第2項

    が磁気散乱振幅(以下、〔磁気〕と記す)。(4)式を書き下すと、

    dd

    |〔電荷〕|2+i[電荷]・[磁気]+|〔磁気〕|2 (1-2-1)

    という形になる。これは(1-1)式と同じものである。強磁性体では電子電荷の配列周期と磁

    気モーメントの配列周期が同じであるので、電荷散乱項、干渉項、純磁気散乱項の3つの

  • 56

    項は常に同一の逆格子点にピークを持つ。電荷散乱項から、10-6 オーダーの純磁気散乱項

    を分離抽出するのは極めて難しいので 10-3オーダーの干渉項を利用する。干渉項を利用で

    きるのが強磁性体の磁気回折の特徴ともいえる。干渉項が観測にかかるためには、この項

    から実数で残るものが必要となり、これは〔電荷〕・〔磁気〕の虚部になる。この虚部を生

    じさせる方法は次の2つが考えられる。(1)直線偏光を用い、(2)入射 X線に円偏光を含む光

    を用い(円偏光成分が入ると入射 X 線の磁場ベクトルに虚部生ずる)、〔電荷〕、〔磁気〕と

    もに実部を使う。一般に(2)の方が大きな干渉項が得られるのでここでは(2)を取り上げる。

    なおここでは、電荷散乱因子 L(k),S(k)については簡単のためとりあえず実数として取り扱

    うこととする。

    ここで,(1-1)式をもう少し書き下してみる。試料結晶での散乱角を2θ(ブラック角を θ)と

    する。磁化が散乱面(水平面)内にあるとし、磁化方向と入射 X線方向のなす角を αとする(図

    Ⅳ-2)。 ''')()( 0 iffkfkn ( 0f は通常の原子形状因子, f と f はそれぞれ、異常散乱因子の実

    部と虚部)とし、磁化の向きが正(+)あるいは負(-)のときの回折強度を I±とすると、

    上で定義したものを用いて、

    )}2cos(2coscos){()}2cos({cossin)('')}2cos(2cos){cos()}2cos({coscos)()')((

    )2cos1(2/)2sin2cos1()()/(

    245

    20

    221

    222

    kSkLfPkSkLfkfp

    rpknrddI

    c

    ee

    …… (1-5)

    と表される。22

    02 )''()')(()( ffkfkn である。(1-5)式の第1項が電荷散乱強度、第

    2項が磁気散乱強度である。ここで、磁気散乱強度は電荷散乱強度に比べ 10-3オーダーの

    小さい量なので、相対的に電荷散乱強度に対して大きくなるようにして測定したい。その

    ためには、散乱角 2θ=90°として電荷散乱強度を最小にすればよい。このときは、

    }sin)(2)sin)(cos(}{''))(({)1()()2/( 45'

    0122 kSkLfPfkfPPknrI ce

    ……(1-6)

    と表される。磁気散乱項は磁化の反転により符号が変わるので、反転前後の回折強度の差

    をとることにより特定できる。回折強度の磁気効果 R(flipping ratio)を、R=(I+-I-)/(I++I

    -)、と定義すると、

  • 57

    図Ⅳ-2 磁化方向と入射 X線との角度 αについての配置図

    )81()1/(})')(/(''{

    )71(})''()')(/{()')(}(sin)(2)sin)(cos({)(

    1045

    2200

    PfkffPPf

    ffkffkfkSkLfkR

    cp

    p

    と表される。R のおおよその大きさを決めるのは であることおとがわかる。 pf は偏光因

    子(polarization factor)と呼ばれ、重要な因子である。偏光磁石およびアンデュレータからの放射光の偏光特性(蓄積リング軌道面内では水平方向の直線偏光である)を考慮し 45P を無視すると、

    )11/( PPf cp (1-9)

    と表される。

    (1-7)式で、γと αは実験条件で決まり、また、 pf は放射光源の性能で決まる定数である。

    ゆえに、磁気効果 R (flipping ratio)を実測することにより、L(k)と S(k)を含んだ磁気形状因子

    が直接得られることになる。Fe などの3d遷移金属のように軌道磁気モーメントがほとん

    ど凍結され L(k)

  • 58

    1-3. LS分離

    (1-7)式に戻り、議論を簡単にするため異常分散項を省略する。すなわち、

    )(/}sin)(2)sin)(cos({)( 0 kfkSkLfkR p (1-12)

    とする。全磁気形状因子{ )(2)()( kSkLk }の軌道磁気モーメント成分 L(k)とスピン磁気モーメント成分 2S(k)を分離して測定するのが LS分離である。LS分離は(1-12)式で L(k)

    と S(k)にかかる係数の角度 α 依存性が異なることを利用する。具体てきには、L(k)の係数

    )45sin(2)sin(cos o と S(k)の係数 sin2 の 45°の位相差を利用することにな

    る。αが特別な値、0°、45°、90°、135°のときをみてみる。

  • 59

    )161()(/)(2)(,135

    )151()(/)}(2)({)(,90

    )141()(/)}()({2)(,45

    )131()(/)()(,0

    0

    0

    0

    0

    kfkSfkR

    kfkSkLfkR

    kfkSkLfkR

    kfkLfkR

    p

    p

    p

    p

    o

    o

    o

    o

    それぞれの配置で、L(k), L(k)+S(k), L(k)+2S(k), S(k)、が得られるので、L配置、

    L+S配置、L+2S配置、S配置という。それぞれの実験配置を図Ⅳ-3に示す。

    i) L配置

    磁化方向

    入射X線

    ii) L+S配置

    磁化方向

    入射X線

    α=45°α=0°

    iii) L+2S配置

    磁化方向

    α=90°

    iv) 2S配置

    磁化方向

    α=135°

    図Ⅳ-3 磁化方向と入射 X線との角度 αについての配置図

  • 60

    2. X線磁気回折実験

    X線磁気回折実験を行うためには、円偏光した X線が必要で、また磁気効果が非常にい8

    弱いため強い X線が必要である。この条件を満たす X線源としてはシンクロトロン放射光

    が有用である。実際には、高エネルギー加速器研究機構、物質構造科学研究所放射光施設、

    ビームライン BL-3C3(KEK-PF-BL3C3)で実験を行った。

    2-1. 放射光の偏光

    2-1-1. 電磁波の偏光

    一般に電磁波の偏光は電場成分の偏光方向で表される。波の進行方向を Z 方向にとる。進行方向に垂直な面を xy平面とし、水平方向を x軸,垂直方向を y軸にとる。電磁波の電場

    ベクトルEは、 yx EE ,E と表される。電磁波を平面波とすると yx EE , はそれぞれ次式

    の様に表される。

    xxx cztiAE /exp (2-1)

    yyy cztiAE /exp (2-2)

    xA と yA は波の振幅、ωは角振動数、cは光速、 yx , は初期位相である。 xE と yE の位相差は xy である。

    0yA の場合、電場Eは x軸上を振動し水平方向の直線偏光となる。 0xA の場合、水平方向の直線偏光となる。 yx AA で 0の場合、電場Eの振動方向は x軸から y軸へ 45 度回転した直線の方向になり、斜め 45 度の直線偏光となる。 yx AA で の場合、

    xy の直線が振動方向になり、-45度の直線偏光となる。 yx AA で 2/ の場合、電場 Eの先端は半径 xA の円弧上を右回りに回るので、右回り円偏光となる。 yx AA で

    2/ の場合、左回り円偏光となる。図Ⅳ-4に一般的な楕円偏光の電場ベクトル先端の軌跡を示す。

  • 61

    Ax

    Ay

    y

    x

    x,

    y,

    β

    図Ⅳ-4 一般的な楕円偏光の電場ベクトル先端の軌跡

    2-1-2. ストークスパラメーター 光の偏光状態は、ストークスパラメーターと呼ばれる 3つのパラメーターで記述される。これは、水平方向の直線偏光度、円偏光度、斜め 45 度直線偏光度であり、それぞれ、

    LP , CP , 45P と記すことにする。それぞれのパラメーターは、 yx EE , あるいは xA , yA , と次のような関係がある。

    )/()(/ 22222222

    yxyxyxyxL AAAAEEEEP (2-3)

    )/(sin2/Im2 2222*

    yxyxyxyxC AAAAEEEEP (2-4)

    )/(cos2/Re2 2222*

    45 yxyxyxyx AAAAEEEEP (2-5)

    ここで Imは虚数部を表し、Reは実部を表す。A*は Aの共役複素数である。それぞれのパラ メー ターは 、 11 LP , 11 CP , 11 45P の範 囲にあ り、 また

    124522 PPP CL の関係がある。最後の式の等号は完全偏光を、不等号は部分偏光を表

    す。部分偏光のとき、2/12

    4522 )( PPPP CL を偏光度という。 LP =1 は x方向に偏った

    水平方向の直線偏光、 LP =-1は y方向に偏った垂直方向の直線偏光、 CP =1は左回りの円偏光、 CP =-1は右回りの円偏光、 45P =1は斜め 45度の直線偏光、 45P =-1は-45度の直線偏光を表す。

  • 62

    2-1-3. 放射光の偏光

    本実験で用いる楕円偏光放射光はベンディング放射光である。ベンディング光は図Ⅳ-5

    の様に示すようになっている。蓄積リング電子軌道面内に放射される光は直線偏光である。

    また、電子軌道面から斜め上方あるいは下方に放射される光は円偏光成分をもち楕円偏光

    となる。この楕円は、2つのストークスパラメーター LP , CP で表される。上方に出る光と下方に出る光は楕円偏光回り方(左右)が逆になっている。

    本実験では、自然に楕円偏光している白色放射光 X線をそのまま利用している。

    図Ⅳ-5 蓄積リングからの放射光の偏光

    電子 e

    蓄積リング

    軌道面

    直線偏光

    左回り楕円偏光

    右回り楕円偏光

  • 63

    2-2. X線磁気回折実験配置図

    実験は、高エネルギー加速器研究機構、物質構造科学研究所放射光施設、ビームライン

    BL-3C3で行う。(KEK-PF-BL3C3)

    図Ⅳ-6に実験の配置図を示す。

    図Ⅳ-6 実験配置図(KEK-PF-BL3C3)

    入射 X線には、白色楕円偏光 X線を用いる。ストレーンジリングとビームラインの間は、

    リングの真空漏れを防ぐために二枚のベリリウム窓によって仕切られている。入射側には

    スリットを 3 つ置き、上流の 2 つのスリットにより、ベリリウム窓で散乱される迷光をカ

    ットする。(入射 X線がベリリウム窓を通るとき、低エネルギーの X線は吸収や散乱を起こ

    す。これを迷光という。迷光が入射 X線に混じると、軌道面の上下で flipping ratioに影響を

    及ぼすのを防ぐために、スリットで迷光をカットする。)またハッチ内のスリットは、試料

    の回折面に X線が当たるように調節するためのものである。散乱角はすべて 2θ=90°で固定

    してある。SSD 前のスリットは、回折 X 線のみを通し蛍光X線を減少させるためのもので

    ある。

    入射X線(白色楕円偏光放射光)

    回折X線

    SSD(半導体検出器)

    入射側スリット電磁石

    試料(YTiO3)

    磁化の方向

    回折側スリット

    α=135°

  • 64

    写真 1 KEK-PF-BL3C3での実験配置

  • 65

    2-3. X線磁気散乱の測定回路

    測定に使用する回路図の概略図を図Ⅳ-7に示した。

    まず回折 X線が SSDに照射されると、X線のエネルギーに比例した電子が励起し電流が発

    生する。この電流は Pre Ampで X線のエネルギーに比例した電圧に変換され、再度 Ampで

    増幅された後、ADCでデジタル信号(CHANNEL)に変換される。このデジタル信号がMCA

    で測定され、エネルギースペクトルが測定される。MCA で測定されたスペクトルは

    Controller(PC-98)に送られ記録される。

    入射X線

    回折計

    電磁石

    試料

    回折X線

    SSDPreAmp

    Amp Oscilloscope

    SCA(Single Channelanalyzer)

    ADC(Analogue todigital coverter)

    Ratemeter

    Chartrecorder

    Highvoltsupplier

    MCA(Multi-cannelanalyzer)

    Controller(PC-98)

    Powersupplier

    PulseMoter

    図Ⅳ-7 測定電子機器の系図

  • 66

    2-4. 実験条件

    実験条件としてYTiO3が強磁性体となる温度である 30K以下にしなけらばならないので、

    本実験では温度を 15Kで行った。また磁場は 0.85Tで実験を行なった。

    下図は(100)面の S配置での実験の配置図である。また αは入射 X線と磁化の方向がなす

    角度になっている。θ はブラック角(θ=45°に固定)である。測定面である(100)面に垂直な方

    向に磁化させる(a軸方向に磁化)。

    下図は(100)面の L配置での実験の配置図である。磁化の方向は ac面内に磁化させる。

    a軸

    c軸

    b軸試料

    (100)面をブラック角45°で回折させる配置(S配置)

    2θ白色楕円偏光放射光

    2θ=90°

    α=135°

    磁化の方向試料は(100)面を向けている (a軸方向に磁化させる)

    a軸

    c軸

    b軸試料

    (100)面をブラック角45°で回折させる配置(L配置)

    2θ白色楕円偏光放射光

    2θ=90°

    α=0°

    磁化の方向

    試料は(100)面を向けている

    (ac面内に磁化させる)

  • 67

    2-5. 実験の流れ

    ① 試料を測定する面に向けて冷凍機にセットする。(試料の向きは入射 X線方向である。)

    また本実験では散乱角 θを 45°に固定した実験を行なうために、この作業を精密に行う

    必要がある。そこでバックラウエ写真をとり、試料の向きを正確に入射 X 線方向に向

    いていることを確認する。

    ② 散乱角 θを 45°に固定するので、試料を入射 X線方向から 45°傾ける。

    ③ 放射光の楕円偏光を利用するため、試料に X線を照射する場所(上下)を変えることによ

    り放射光の軌道面の位置を測定し、軌道面よりおよそ 0.8mm離れた場所に試料を移動

    させる。

    ④ 白色 X線を利用するため、測定したい回折ピークと一緒に蛍光 X線のピークが現れる

    ので、スリットを用いて蛍光 X線強度を減少させる。またこの理由として、純 Ge半導

    体検出器が測定することができるカウント数が決まっているからである。同じ理由で

    入射 X線方向のスリットでビームサイズを小さくする。

    ⑤ 多重散乱を起こしていない場所を見つけるために、試料に X線があたる場所を変える。

    (ブラック条件を変えないようにするために χスキャンで場所を探す。)

    ⑥ 多重散乱を起こさない場所に移動する。

    ⑦ 磁場を印加する。(S配置の場合は α=135°、L配置の場合は α=0°)

    ⑧ 測定を開始する。

  • 68

    2-6. Feの実験(偏光因子の測定)

    放射光の偏光特性を決めるものである電子ビームの結合定数 KCがある。KCは電子ビーム

    の断面(楕円形)の縦÷横の比のことである。また結合定数がわかることにより偏光因子 fpを得ることができる。

    そこで強磁性体の標準試料である純鉄の X 線磁気回折実験により偏光因子の測定を行っ

    た。偏光因子 fpは直線偏光度 PLと円偏光度 PCにより決まり、直線偏光度 Plと円偏光度 Pcは蓄積リングの性能によって決まる。

    次に偏光因子の重要性について考える。式(1-12)~(1-16)から分かるように偏光因子は磁

    気効果 R に比例している。つまり偏光因子が大きければ磁気効果をそれに比例して大きく

    することできる。本実験で得られる磁気効果はほんの 0.1%程度であるから、偏光因子の値

    は非常に重要なパラメーターとなる。

    実験は放射光の軌道面から上下に1.2mmの間で磁気効果(flipping ratio)を測定した。そ

    の結果を図Ⅳ-8 に示す。次に放射光スペクトル計算ソフト Spectra を用いて KC = 0.012~

    0.003での磁気効果を計算した。その結果も図Ⅳ-8に示す。

    図Ⅳ-8 Feの flipping ratioと Kc=0.012~0.003での flipping ratio

  • 69

    次にどの結合定数 Kc が一番 Fe の実験と合っているのか調べるために、残差の計算を行

    った。その結果を図Ⅳ-9 に示す。

    図Ⅳ-9 残差の計算結果

    残差の結果より、Kc=0.008と決めることができた。

  • 70

    3. X線磁気回折実験結果

    データ解析方法 ① I+,I-の回折強度の測定 ② 蛍光 X線のみの強度を測定する。 ③ 蛍光分離をする ④ 蛍光分離した I+と I-を用いて fliping ratioを算出 ⑤ スピン磁気形状因子と軌道磁気形状因子を算出 3-1 実験結果 図Ⅳ-10-1,2 が 2S 配置での(100)面での I+と I-の回折強度の生データである。横軸は、X線のエネルギーで、縦軸は強度(cps)を表している。6.5keVに回折ピーク 400と蛍光 X線の

    スペクトルが重なっているため、蛍光 X線を分離する必要がある。そこで蛍光 X線のみの

    スペクトルを測定する。図Ⅳ-11が蛍光 X線のみのスペクトルである。蛍光分離をした結果

    を図Ⅳ-12-1,2に示す。図Ⅳ-12-1,2の各ピークの積分強度を用いて R=(I+-I-)/(I++I-)より

    fliping ratioを得た。得られた flipping ratioを図Ⅳ-13に示す。

  • 71

    図Ⅳ-10-1 (100)面での回折 X線強度 I+

    図Ⅳ-10-2 (100)面での回折 X線強度 I-

    0 10 200

    0.2

    0.4

    0.6

    0.8

    1[ 108]

    YKα

    EY

    E +

    4 0

    0

    6 0

    0

    8 0

    0Y

    YKβ

    Energy (keV)

    Inte

    nsity

    (cps

    )

    (1 0 0)面 回折強度 2S配置

    I+

    I-

    0 10 200

    0.2

    0.4

    0.6

    0.8

    1[ 108]

    YKα

    EY

    E +

    4 0

    0

    6 0

    0

    8 0

    0Y

    YKβ

    Energy (keV)

    Inte

    nsity

    (cps

    )

    (1 0 0)面 回折強度 2S配置

  • 72

    図Ⅳ-11 蛍光 X線のみのスペクトル

    図Ⅳ-12-1 (100)面での I+の蛍光分離結果

    0 10 200

    0.5

    1

    1.5[ 107]

    4 0

    0

    6 0

    0

    8 0

    0 10 0

    0

    Energy (keV)

    Inte

    nsity

    (cps

    )

    (100)面 蛍光分離 2S配置

    I+

  • 73

    図Ⅳ-12-2 (100)面での I-の蛍光分離結果

    図Ⅳ-13 (100)面での flipping ratio

    0 10 200

    0.5

    1

    1.5[ 107]

    4 0

    0

    6 0

    0

    8 0

    0 10 0

    0Energy (keV)

    Inte

    nsity

    (cps

    )(100)面 蛍光分離 2S配置

    5 10 15

    0.05

    0.1

    0.15

    Energy (keV)

    flipp

    ing

    ratio

    (%)

    4 0

    0

    6 0

    0

    8 0

    0

    10 0

    0

    flipping ratio (100)面 2S配置

  • 74

    3-2 磁気形状因子の算出

    前節 3-1で求めた flipping ratioより、磁気形状因子の値を求める。各配置の磁気形状因子

    は、(1-12)~(1-16)式より次のように表される。

    ただし

    sink E398.12

    である。これより、磁気形状因子を求める。

    なお、n(k)についてはインターナショナル テーブルをもちいて各面指数についてもとめ

    た。図Ⅳ-14-1に(100)面のスピン磁気形状因子を示す。実際には、(100)面だけでなく様々な

    面で実験したので、その結果も図Ⅳ-14-2~6 に示す。表Ⅳ-1 に各入力データを示す。また

    図Ⅳ-15-1,2に軌道磁気形状因子を示す。表Ⅳ-2に各入力データを示す。

    p

    p

    p

    p

    fRknkSS

    fRknkSkLSL

    fRknkSkLSL

    fRkn

    )(2)(22

    )()(2)(2

    2)(2)()(

    )(L(k)L

    配置       

    配置      

    配置      

     配置        

  • 75

    図Ⅳ-14-1 (100)面のスピン磁気形状因子

    図Ⅳ-14-2 (101)面のスピン磁気形状因子

    0.4 0.6 0.8 10

    0.02

    0.04

    0.06

    0.08

    0.1

    k ( 1/Å)

    2S(k

    ) (μB)

    スピン磁気形状因子 (1 0 0)面

    0.2 0.4 0.6 0.8 10

    0.1

    0.2

    0.3

    202

    303

    404

    505

    606

    707 80

    8

    909

    k (1/Å)

    2S(k

    ) (μ

    B)

    (101)面 スピン磁気形状因子

  • 76

    図Ⅳ-14-3 (201)面のスピン磁気形状因子

    図Ⅳ-14-4 (068)面のスピン磁気形状因子

    0 0.5 1 1.50

    0.2

    0.4

    0.6

    0.8

    1

    4 0

    2

    8 0

    4

    12 0

    6