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田中拓也歌集『東京』を読む

竹柏会「心の花」会員有志

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「無常」―「変わらざるものはあらざり」

伊東

泰子

1

人間を見つめる

大口

玲子

2

心の幽暗を開く

奥田

亡羊

3

光と影の両方を

河野

千絵

4

田中拓也『東京』を読んで

駒田

晶子

5

土地の時間

鈴木

陽美

6

大いなるもの

高山

邦男

7

田中拓也

第四歌集鑑賞

田中

徹尾

8

言葉にはならぬ思い

本田

一弘

9

さわやかさと影

山口

明子

10

【参考資料】田中拓也百首

本田

一弘選

11

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1

「無常」―「変わらざるものはあらざり」

伊東泰子

著者は幼い頃から歌人であった父上のもとで短歌に親しみ、短歌

を作り始めたのは十六歳の頃であったという。そんな著者の本書の

歌は、揺ぎなく格調高いものであり読者は存分に鑑賞することがで

きる。

本書の約五百首は、震災後の七年間に詠まれたもので幅広い分野

にわたっているが、特に「無常」という思いを込めて詠まれたと思

われる歌の数々が心に残った。

二〇一一年、震災後に出版された第三歌集の後記の中で、著者は

「今日の続きとして明日が来る」と信じることの危うさを痛感し「無

常」の二字が「大きくのしかかっている」と言っている。生徒と共

に震災の日の夜を避難所で過ごした著者の脳裡には「無常」という

思いが強く深く根付いているのだろう。

・人生はいつ終わるかも分からねば今宵は冬の歌に親しむ

・明日という見えぬ未来を生きていく我も雀も猫も桜も

関東大震災の歌を詠んだ赤彦に思いをはせ、人生はいつ終わるか

分からないと思っている著者であり、明日という誰にも分からない

未来を見ている著者がいる。

著者の周囲で「無常」の時は流れ変化し続ける。

・連翹の花弁に宿る雨粒の中に静かな時は流れて

・千年の時を刻みて青々と茂れる杉の幹に寄り添う

自然の脅威を怖れながらも「震災の夜に見上げた星空の美しさや

翌朝の朝日を浴びた時の感動」は、忘れられないものであり、著者

にとって自然は恐ろしいと同時に美しいものであるということも、

前歌集の後記で述べている。その美しい自然の中ですぐに消えてし

まう「雨粒」というはかないものにも、千年もの時を経てきた「杉

の幹」にも「無常」の時は隔てなく流れており、著者の温かな眼差

しが注がれている。

そして「無常」の時間・時は自然の中で生きとし生けるものの上

にも流れ続ける。

・妻には妻の時間が流れ我には我の時間が流れ二十年過ぐ

・母と行く師走の街の曲がり角もう戻らない時を思えり

・ぼんやりと猫を見ている猫がいて猫の時間をただ生きている

妻、著者、母上の絶え間なく流れる時間・時があり、猫の時間が

ある。

「無常」は変化をもたらす。震災後、著者の周囲は変化し続け著

者自身の人生にもまた大きな変化が見られた。

・変わらざるものはあらざり暗緑の川面にぽうと魚が浮かびぬ

著者は、後記で触れている「歴史のうねり」の中の「無常」を受

け止めて、今後も「変わらざるもの」のあらざる世を力強く詠み続

けていくことだろう。

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2

人間を見つめる

大口玲子

・立秋を告げ立秋となる心

百八十のまなこが動く

・風光る竜神峡を歩みゆく幼きものは皆空を見て

小学生だろう。小さい子ども達を見つめる作品が魅力的だ。教師

として何かを教えるというよりも、「ただ共にいる」というスタン

スが印象深い。一首目は朝礼あるいは授業中の場面だろうか。教師

が「立秋」について話すと(「教える」ではない)、それを素直に

吸収して秋の始まりを意識しはじめる子どもたち。私などでも経験

があるが、大勢の前で話していると、聴衆が言葉を発しなくても、

しんと静かな集中力で確かにこちらの話を聞いてくれていると感じ

ることがある。まさにそんな感じで「百八十のまなこが動く」に、

それまで意識していなかった「立秋」という言葉を知った子ども達

の心がいっせいに揺れる様子が表現されている。ここには作者の喜

びもあるだろう。知識を押しつけるのではなく、「立秋」という言

葉が子ども達に確実に伝わったことの喜び、その「立秋」を共に味

わう喜びである。三首目は、大自然の中で心を大きく開いてゆく子

ども達への視点が優しい。

・我の子に決してならざる児童らと砂場の中の海を見にゆく

・「子どものいない先生にはわからないでしょうね」と言う人の赤

い唇を見ており

・父母のなき子はおらねども子のおらぬ夫婦の数は数限りなし

一方で、「子どものいない」自らの立場を率直に表現した作品に

は屈託が明らかだ。淡々とさりげなく詠まれているが、「決してな

らざる」「赤い唇」という表現に、他者を冷静に見つめる視線を感

じた。また、三首目のように俯瞰的に見ることは、「東京」を「と

うけい」と読み、土地の歴史をさかのぼって人間を見つめる作者の

態度にもつながっているように思う。

・二十年の昔といへど東京にゐて東京をにくみつづけき

伊藤一彦『青の風土記』

・訛れるをわらふ東京

近代はわがみちのくのことば殺しつ

とうけい

本田一弘『磐梯』

・こころもち顔を赤らめ「東京!」とおれはお前の名を今日も呼ぶ

谷岡亜紀『臨界』

・とうけいと口ずさみたる人々の行き交う道に砂埃立つ

田中拓也『東京』

「東京」という概念は、東京から離れて初めて意識し得るものな

のかもしれない。伊藤も本田も、南から北から憎悪に近い感情を東

京に向けたことを思う。谷岡が示したのは、アジアの中の一都市と

しての東京であった。田中拓也は、江戸から「とうけい」に名称変

更されたばかりの百五十年前の人々の戸惑いや呟きを拾い上げる。

時代の変化の中で「とうけい」と初めて口に出した人々。未舗装の

道を歩きつつ意識され始めた「東京」がここに息づいている。

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3

心の幽暗を開く

奥田亡羊

田中拓也の第四歌集である。家族の死に立ち会う年齢となり、勤

めていた学校を辞め、次の人生を歩みだすなど中年期の人生の変わ

り目をうたっている。作風はこれまでの坂東や〈われ〉を真っすぐ

歌ってきた重厚なものから、心の動きをとらえて、あまり作りこま

ずに淡々とうたう方向に変わっている。その分、自然や時間に対し

て歌が開かれている印象を受ける。一方、どの歌もリリースポイン

トが早く、ある意味で無防備な表現もあるが、そこに何か無気味な

ものが顔を出したりするのもこの歌集の特徴だ。自然や時間をうた

った優れた歌は多くの人が触れると思うので、ここではその無気味

な歌について見てゆきたい。

・のっと立つスカイツリーの傍らに深紅の月が丸く浮かびぬ

佐佐木信綱『新月』に通じる不穏な風景である。「深紅」に加え

て「丸く」が不敵な感じがする。いつかいびつな月がのぼりそうな、

そんな不安感をかきたてられる。

・むらぎもの心の揺るる夕まぐれ六地蔵寺の花を見にゆく

・薄闇の心の野辺に広がりし月の光に目を瞑りたり

・心には心の影をおとしこみ弥生の終わる空を見ており

「心」という言葉を詠み込んだ三首。どれもいい歌だと思う。だ

がこの歌集の「心」という語の頻出はやはり異様である。「むらぎ

もの心の揺るる」は心が本当に臓器として揺れているかのようだ。

「心の野辺に広がりし月の光に目を瞑りたり」は、目を瞑ることで

月あかりを自分の中に封印するイメージとして読んだが、自分の内

部に月明かりの無人の野辺が広がる光景は不吉だ。「心には心の影

をおとしこみ」は心が二つあって、一つの心の影をもう一つの心に

落とし込むという意味だろう。内省的でありながら、心が遠く、ど

こか虚ろな感じがする。

・猪を打ち殺したる夕暮れの森に生まれしひとすじの川

・大いなる森の中より現れし大いなるものは物言わぬなり

森をうたった二首。一首目の「ひとすじの川」は血の色をしてい

るのだろう。二首目は神かもののけか、断定の「なり」がすべてを

知るものの声のようで恐ろしい。

・銭を鋳る炎に浮かぶ泡沫の闇はかつ消えかつ生まれたり

赤々と溶けた金属にうかんでは消える泡沫を闇ととらえるところ

が面白い。その闇をデモーニッシュな愉悦とともに見ている主体が

いないか。

『東京』には命をいつくしみつつ、自然の時間に触れる生の歌も

多いのだが、その裏側には諦念や虚無感がぴったりと張り付いてい

るように感じる。心の幽暗を開きつつ生を受け入れてゆく歌集と言

えばよいのだろうか。

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4

光と影の両方を

河野千絵

読み応えのある歌集である。以前から作者の職場詠を好もしく思

っているが、特に本歌集では壮年期に即応した安定感が伝わってく

る。一方、日常詠や自然詠の中には屈折や不安・迷いを感じさせる

作品が所々に差し込まれており、作者の心の風景の奥行きや広がり

を感じた。

・おはようは感動詞なり

おはようと言葉を交わす朝の校門

(「卯月の神」)

・五十音の声こだまする教室に一年生の匂い充ちたり

一首目、眩しく健やかな光景。生徒さん一人一人に訪れた朝の輝

きを祝福する、明るい挨拶の声が聞こえてくるようだ。二首目、「五

十音の声」と「一年生の匂い」がいい。それぞれの個性に溢れる声

と、初々しい子供たちの生気。こんな眼差しを持つ先生に見守られ

る生徒さんたちは、幸せである。

さて、『東京』では「影」や「闇」という言葉が意外な形で、目

立つ場面に使われているように思った。

・月あかり充ちたる夜の駐車場千の小石は千の影持つ(

「千の小石」)

・光さす場所には影のあることを思えり竹林の道歩みつつ(

「竹林」)

・くれないの頭巾を被り眼を瞑る地蔵菩薩の影やわらかし

(「二十年」)

一首目、「千」という数字がいささか大雑把であるが、「千の影」

の迫力で押し切っている。個々の影のイメージは観念的ながら鮮明

だ。月明りと影の対照は、引用二首目で述べられている光と影の対

比に通じる。これはもちろん、比喩的に人生観を詠んでいるのだろ

う。三首目の地蔵菩薩の影が「やわらかい」のは、地蔵菩薩の存在

を柔らかく優しいものとして作者が見ているからだ。

「人は皆心に虚を抱きつつ暗闇の中明日を待ちおり」(「春泥」)

と語る作者は、植物の立ち姿にも闇の一片を見ている。

・紫陽花の葉陰の深き闇の中小さき銀河が渦を巻きおり(「白鷺」)

存在感豊かで、鮮やかな色彩を持つ紫陽花。その葉陰の奥に「深

き闇」があることに気づく作者。「銭を鋳る炎に浮かぶ泡沫の闇は

かつ消えかつ生まれたり」(「深川」)という作品もある。猛々しい

ほどに燃えさかる炎の中にも、不断に存在する闇に心が向かう。

なぜ、闇や影なのだろう。この問いへの答えの手がかりの一つが

「江東の空の青さよ眩しさよ

明るさは常に寂しさを帯ぶ」(「歌

碑」)にあるように思う。壮年期を生きる作者は、物事を立体的・

多角的に理解し、必然的に生じる影や闇を負の側面とは考えず、む

しろ生きることや存在の複雑さとして受け入れているのではないだ

ろうか。明るさのみを見ていられる時代は、過ぎてしまった。しか

し、それは穏当な歩みではないか。「薄闇の心の野辺に広がりし月

の光に目を瞑りたり」(「白鷺」)と詠む作者は、続く道程に射す光

の片鱗を見ているようだ。

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5

田中拓也『東京』を読んで

駒田晶子

拓也さんの短歌を読むとき、わたしは素直なこころになる。いつ

も、まっすぐ。さびしい気持ちも、くらい自分も。拓也さんの短歌

は、少しのねじれも持たない。

・渋民に渋民の雨降りしきり渋民の風通り過ぎたり

・啄木を愛する人と語りあうひととき我は我を忘れて

毎年、啄木の生まれた岩手県で過ごしている時間があるようだ。

「渋民」を一首の中で三回繰り返す。啄木への、衒いのない傾倒。

好きな歌人の、好きな作品について語り合うひとときが読者に差し

出され、読者まで、しあわせな気分を味わえる。

・「子どものいない先生にはわからないでしょうね」と言う人の赤

い唇を見ており

・ぼんやりと心の中を覗きこみ心のふたを閉じて眠りぬ

・夢の中我によく似た一匹の鼠をぎゅうと握り潰せり

苦しい時期を過ごしている作者の姿が浮かび上がる作品は、胸に

迫った。ねじれた表現は使わず、努めてまっすぐな言葉を使い、組

み立て、そのまま読者へ差し出す。教師という職業に携わっている

人間への偏見。「赤い唇」以上の的確な言葉はないだろう。「ぎゅ

うと」のオノマトペがストレートで、潰されそうな、潰されかかっ

ている作者を思い浮かべることができる。苦しい自分をそのままに

差し出せる強さを思う。

・『たくさんのたくさんのたくさんのひつじ』という絵本借りきて

妻は上機嫌なり

・二人という時間に慣れて二十年

食卓の位置歯ブラシの位置

・考えていることはきっと別だろう二人で同じテーブル見ても

拓也さんの妻を思う作品の大ファンだ。凭れず寄りかからず。妻

との距離が、拓也さんの取る、人との距離なのだと感じる。

・母さんの洗濯物を干すために物干し竿の朝露を切る

・家族とはいつか終わりをつげるもの根笹を揺らす三月の風

・八十九年の人生長きか短きか分からなければ手を握るのみ

自分を育んでくれた家族。変わらざるを得ない関係性に戸惑いな

がらも、実直に向き合う姿が浮かび上がった。

・さわさわと桜若葉を揺らしつつ川面をわたる一群の風

・数えきれぬ落花の浮かぶ水面に卯月の空は淡く映りぬ

・深川を流るる水の音の中水無月の雨降りはじめたり

・月あかり充ちたる夜の駐車場千の小石は千の影持つ

自然との交歓。とても伸びやかだ。「千の小石は千の影」。この

出せそうで出せない直球に、拓也さんの真骨頂を見る。羨ましい。

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6

土地の時間

鈴木陽美

東日本大震災からの八年間に、田中拓也は人生の大きな転換期を

迎える。大学卒業以来勤務していた学園を退職し、大学院で学び直

し、東京の高校に職を得る。いわば「東京」と出会い直したことが

歌集タイトル『東京(とうけい)

』につながっていく。「とうきょう」

ではなく「とうけい」。あえて明治の初期に使われた呼称を用いる

のは、その時代に生きた人々に思いを馳せ、その土地がもつ時間の

記憶を掘り起こしたいと考えたのではないか。巻末の「東京」の一

連に田中が選び取ったテーマが如実に描かれているように思う。

・朝霧の乱るる水神森に立つ伊藤左千夫の

思えり

まなこ

・永久の闇を抱きて流れゆく暗渠の底の砂の静けさ

とこしえ

・おさまるめいおさまるめいの声響き明治の闇は流れ出したり

伊藤左千夫に縁のある地の高校に勤務し、付近を歩けば歴史の闇

から声が聞こえてくる。四十代半ばを過ぎた耳だからこそ聞き取る

ことができた声なのかもしれない。

また、この歌集では父の老いと向き合うことも大きなテーマとな

っている。

・思いがけない指の力に驚きぬ我の手をとり池を見るとき

・敗戦の一語を避けて生きて来し心の中の昭和終わらず

・八十九年の人生長きか短きか分からなければ手を握るのみ

父が老いたことで逆に手を握るなど、直接触れ合うこともでてき

たようだ。父の人生の戦前戦中戦後の時間を思うことが、土地に時

間を感じることにもつながっているように思う。歌集出版後、田中

は父の挽歌を詠むことになるのだが、父への思いはさらに深まり引

き続き大きなテーマになっているようだ。

ところで、田中の優れた資質の一つは風景を魅力的に描写できる

ところにあるのではないかと思っている。

・連翹の花弁に宿る雨粒の中に静かな時は流れて

細かな花弁に宿る小さな小さな雨粒にとまった視線。連翹の黄色

と雨粒の透明感。結句の言いさしも余韻を残す。

・雨空より真白きものが現れて白鷺となり岸に降り立つ

映像的に白鷺が描かれる。空から岸まですーっと目が動く。静止し

た先にいる白鷺の存在感が印象的だ。

・あゆという響き美し

銀色の体くねらせ水を打ちおり

まず「あゆという響き美し」と名前の音の響きに美を見出して詠

うところに惹かれる。実体の「銀色の体」の美はそれに付随してい

るようだ。

東京で働き盛りを迎えた田中。次に向かう境地がますます楽しみ

でならない。

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7

大いなるもの

高山邦男

これまでの田中拓也さんの作品を言えば誠実、実直、真面目など

のイメージで語られることが多かったように思う。ただ、そこには

人柄だけの問題ではなく、近代以降、短歌が最大のテーマとしてき

た〈私〉の問題がある。

いわゆる若い歌人の中でも、〈私〉は当然最重要なテーマとして

あるのだが、現実の私に拠り過ぎるのは好ましくなく、技巧、修辞

等の切れ味から〈私〉を掬い取ろうとする志向が強いように思う。

従って、感覚的であり気分的な〈私〉が増産され、現実に落とし込

めないぶん共感できるかどうかというあやふやな所で評価されてゆ

くように感じている。一方で、鳥居に代表されるように濃い〈私〉

により作品の挑発力を高めている歌人もいる。

田中拓也さんの〈私〉への志向はそのいずれとも違う。現実的で

ありながら詩的であり詩的でありながら現実を指向する表裏一体の

〈私〉である。

・曾祖父と曾祖母の名を確かめる墓碑に積もりし雪を払いて

・錦糸町駅南口ひそと建つ伊藤左千夫牧場兼住居跡の碑

・旅人も武士も芸妓も幼子も眺めし空を我も見上げる

一首目、「曽祖父と曽祖母の名を確かめる」行為にどんな思いが

あるのかという所に作品の核心がある。父母が亡くなりゆく年代の

人間にとって曽祖父と曽祖母を知る人はまず居ないだろうし、知る

由もない。そもそも興味を持つ人も少ないだろう。それでも確かめ

てみたい、或は確かめに来たという所に田中拓也さんの〈私〉があ

る。

江戸、明治、大正、昭和、平成の時代を生き抜いた人々の「歴

史」と巡り合う中で、私は自身の生き方を見つめなおすとともに、

短歌の新たな可能性に想いをはせるようになった。(後記より)

短歌の新たな可能性とは新たな〈私〉の発見と言っていいだろう。

私はここに指向ではなく、現実に着地した〈私〉を見る。

・おはようは感動詞なり

おはようと言葉を交わす朝の校門

・たった一つの音符で変わる人生と思えば我は今どこにいる

・褐色の土偶の胸に残りたる指紋の中の一すじの傷

・地下鉄のラッシュアワーの人波にずぶ濡れになる我の輪郭

深い想像力が人への優しさを感じさせ味わい深い作品である。ま

た、人生の中間点に差し掛かかり自問する作品には今この時を生き

ているリアリティがある。

・大いなる森の中より現れし大いなるものは物言わぬなり

物言わぬ大いなるものを大切にして表現していく田中拓也さんの

作品が今後更に豊かな果実を実らせる事を楽しみにしたい。

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8

田中拓也

第四歌集鑑賞

田中徹尾

『東京』は、現代の無常を詠む歌集である。稀代の語り手歌人田

中拓也は、直接を主体とする歌いぶりから、淡々と詠む作風となっ

た。

・人生はいつ終わるかも分からねば今宵は冬の歌に親しむ

「赤彦」

田中拓也歌集の前提に「無常」がある。この歌では、広い意味で

俳句の世界で言う「存問」の領域に広げている。存問として尋ねる

先は「冬の歌」、まさしく作者と読者の実感である。

・ぐんぐんと天に伸びゆく一本の木立の中に水流はあり

「水流」

木立の中に水流があるという発見の歌。佐佐木幸綱直伝のアニマ

の意識がここにある。言葉運びも素晴らしく読者も水流となって天

に昇っていくような気持になる。間違いなく本歌集の代表歌。

・人は皆心に虚を抱きつつ暗闇の中明日を待ちおり

「春泥」

作者には珍しく、陰鬱な気分で歌を詠んでいる。一冊の歌集をし

て、全部が全部、同じモードでは詠まないとする作者の歌集構成の

意気込みを逆に感じてしまう。

・原節子逝きたる古き新聞の記事を読みおり目を近付けて

「冬陽さす」

目を近づけて読んでいるのは、作者の父。かつてのあこがれの女

優の死を悼みながら自分の環境を自覚している父を実に客観的に詠

む。

・教職と短歌にかけし一生の最後の歌を幾度も読む

「今泉

進」

今泉進の歌集編纂に深く関与されたと記憶している。その教壇の

先輩である今泉進を全身全霊受け止めている。今泉の姿に作者自身

の姿を重ねて一首に仕留めた。理解できる読者しかわからない感動

と涙を伝えている。

・離任式挨拶を終え階段を降りれば言葉にならぬものあり「

離任式」

言葉にならないものを言葉にするのが歌人の仕事であるが、離任

式直後にはそれができなかった。教職に全人生をかけてきた作者の

矜持がある。

・満員の電車乗り継ぎ東京の地下ゆく我は無口なりけり

「さみどりの森」

極端な話であるが、サラリーマンの大事な仕事は満員電車に耐え

て通勤することにある。新しい職場で新しい人生を過ごすたくまし

くも繊細な作者がここにいる。

・兄と二人「今後」のことを話し合う兄弟の生を前提として

「クリスマスツリー」

父が逝去されての一連。挽歌ではなく未来を目指しているように

も感じた。生命は永遠ではないが、それを前提に兄と相談をする作

者の悲しみが見事に提示されている。

・牛飼いの道を踏み出すむらぎもの伊藤幸次郎の明治の心

「東京」

伊藤左千夫を詠む一連。歌集名がなぜ『東京』なのかが、初めて

ここで明かされる。左千夫の生きざまを、きちんと理解していない

と詠めない歌である。枕詞の「むらぎもの」と「心」が離れている

が、ここでは許容だと考える。

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言葉にはならぬ思い

本田一弘

・麦の穂を揺らす風音に耳澄ます坂東太郎の厚き耳たぶ

『夏引』

・入相の光眩しき追憶の渚に立てる一本の櫂

『直道』

・はじまりは初夏の屋上

さんざめく言葉の束が立ち上がる午後

『雲鳥』

・如月の伯耆の国はあたたかし砂丘の果てに白き雲見ゆ

『東京』

田中はこれまで四冊の歌集を出しているが、それぞれの巻頭歌を

挙げてみた。こうして並べてみると田中拓也という歌人がこれまで

何を大切に歌ってきたかがわかると思う。自らが生まれ育った土地

や関わりのある場所に肉体・生命を見出して、力強くそして美しく

捉えてきた。変わらない自然への信頼そして畏れ。時間・歴史・言

葉への本質的な問い。歌集名は全て漢字二字。鋭く、力強く、シン

プルに物事を問う詩性の表れである。「なつびき」「ひたちみち」「く

もとり」「とうけい」といった言葉の独特な響きもいい。

・岬には岬の時間流れおり沖合をゆくタンカーが見ゆ

・卯月には卯月の神が綾をなす時間もありぬ金の時間を

・心には心の影をおとしこみ弥生の終わる空を見ており

・妻には妻の時間が流れ我には我の時間が流れ二十年過ぐ

今回の歌集『東京』では「○○には○○」という、語句を繰り返

す表現が多くあるのが面白いと思った。田中のオリジナルな文体の

一つと言っていいだろう。リフレインは詩の原点である。歌は意味

だけではない。意味ばかりの歌はつまらない。声に出して読んだと

きに心地よい響きがあることが大事なのだ。田中の歌にはそういっ

た心地よさがある。

・離任式挨拶を終え階段を降りれば言葉にならぬものあり

・伝わらぬことばかりなり言の葉も心もなべて目に見えざれば

・ゆく秋の風の涼しさちちのみの父の手をとりコスモスに触る

・八十九年の人生長きか短きか分からなければ手を握るのみ

離任式の挨拶を終えてこみ上げてきたものは「言葉にならぬもの」

だと歌う。「伝わらぬことばかりなのだ。言葉も心も目に見えない

から。」という田中の苦しげな主張が胸に響く。「言葉にならぬも

の」として最たるものは肉親への思いだろう。この歌集で父に対す

る思いは、結局「言葉」にならないのだ。父の手を握ることしかで

きない不甲斐ない息子としての自分を見つめる歌が胸にしみる。

・言葉にはならぬ思いは充ち充ちて少年は強く泣き叫びたり

・言葉にはならぬ思いを言葉にし圧力鍋の豆煮えてゆく

自然、歴史、土地、言葉、肉親、周りの人々に対する思いは目に

見えず、すぐには伝わらない。だからこそ、わたしたちは歌うのだ。

言葉にならない思いを言葉にするという歌の原点を田中の第四歌集

『東京』から改めて教えられたような気がする。

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さわやかさと影

山口明子

田中は大学を卒業してから、茨城そして近年は東京で教鞭をとっ

てきた。その中で、生徒や自然、人との触れ合いを通じて、数々の

さわやかな作品を作ってきた。

・おはようは感動詞なり

おはようと言葉を交わす朝の校門

・新入生迎えし後の夕まぐれ卯月の空があかく染まりぬ

・さわさわと桜若葉を揺らしつつ川面をわたる一群の風

・湖面には朝の光が差し込みて水の命をきらめかせたり

・桜花見上げる君の首すじに春の光が白く注ぎぬ

・君からのLIN

E

画面に映りたる太平洋の青が眩しい

一首目は生徒と朝の挨拶を交わす喜びを「感動詞」という言葉を

用い率直に表現している。二首目は入学式が終わった後の安堵感と、

これから始まる新しい生徒との学校生活に胸を膨らませている心情

を、「卯月の空があかく染まりぬ」と空に重ね合わせて明るく詠む。

三首目、四首目は「桜若葉」や「水の命」という言葉を選び、一首

に瑞々しい自然の命を吹き込むことに成功している。五首目、六首

目は相聞歌で、「君」の「首すじ」の艶めかしい「白」、「君から」

の「LIN

E

」に映る眩しい「青」。いずれも「色」を用いて気持ちを

表現した美しい作品である。

しかし、さわやかさとは別の詠み口の、人間の内面の「影」の部

分を捉えた次のような作品にも注目した。

・夢の中我によく似た一匹の鼠をぎゅうと握り潰せり

・月あかり充ちたる夜の駐車場千の小石は千の影持つ

・誰も皆心に秘める悲しみを持つことそして忘れゆくこと

一首目は、自分によく似た「鼠をぎゅうと握り潰」す、という行

為を詠むことにより、やり場のない苦しみや怒りが痛切に読者にも

伝わってくる。二首目は「千の小石」がそれぞれに持つ「千の影」

に着目することにより、人それぞれが持つ「孤独」を隠喩の形をと

って表現している。三首目は、これらの歌群とは少し違った視点で

詠んでいる。「悲しみ」にどっぷりとつかるのではなく、「悲しみ」

を客観的に捉え、突き放した形で作品化している。

人間は数々の悲しみに遭遇し、それを受け入れ、そして乗り越え

ていく。もうすぐ五十代を迎える田中が、「悲しみ」から距離を置

き、達観した視点から「悲しみ」を詠んでいる点に、新鮮さを覚え、

田中の人としての円熟味を感じた。

今後田中が年を重ねるにつれ、「影」の心情をどのような形で表

現してくのか、同世代として、興味深く、注目している。

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【参考資料】田

中拓也

百首

第一歌集『夏引』より

・麦の穂を揺らす風音に耳澄ます坂東太郎の厚き耳たぶ

・天離る鄙には鄙の論理あり

筑波おろしよずんずんと吹け

・帰るべき都を持たぬ我等ゆえ徹頭徹尾食うぼたん鍋

・簡潔に我は生きたし

東国に生まれ死にゆく理由はいらず

・新治の野にカッコウの声響き青き衣の夏は来にけり

・強き語尾持ちたる男

あかあかと鮭のぼる夜の昔を語る

・乳房をまさぐるようにうつうつと雲柔らかく畝傍を包む

・猫よりも犬が好きだよ

犬よりも猫が好きだよ

丸い青空

・君だけの歌人になるよ

なだらかな坂道二人下る水無月

・大切なのは音声よりも耳たぶの裏側に白く流れる日常

・風の音に耳を澄ませばごうごうとただ鳴り響く海彦の声

・空よりも河の深さに安らぎており

何人を殴ったろうか

・あたたかき「東京」の夜

雪国の酒を飲みおり肩を並べて

本田一弘選

・二通目の退学願ビニールのファイルに挟み昼食をとる

・やや尖りたる鼻先で触れ合えば何とも別れがたき週末

・手のひらに収まる小さな靴下の犬の絵柄にふと目をとめる

・満腹の生徒が眠りかつ騒ぐ市場の如き教室へ行く

・兼家の語る品詞を分解し助動詞「けり」の活用を言え

・墨色の雨降りしきる国道をするするすると

よぎれり

いたち

・「想定外想定外」と語気強めアナウンサーは画面より消ゆ

・「流言や飛語に惑わず落ち着いて県の通知を待ってください」

・休校の措置を告げんと緊急の連絡網を安部から回す

・色褪せた歌誌のページに書かれたる父の短歌に出会う如月

・湯上りの君の湿りし黒髪を撫ずれば柚子の香のふいに立つ

・君は君の道を歩めよ

遠ざかる冬の星座に目を細めつつ

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第二歌集『直道』より

・入相の光眩しき追憶の渚に立てる一本の櫂

・どのように生きても俺は俺でありあっけらかんと空を見ており

・俺がいつか俺でなくなる日を思う

竹林を抜く一群の風

・子を成さぬ我らほのかな罪背負い霧の閉ざせる坂道に居る

・しろがねの雨走り去り夕されば筑波は淡き霧纏いたり

・我は我の生を生きたし

垂直に降る東国の雨に打たれて

・夕靄に霞む川辺に立ち尽くす我は真実一人なりけり

・幾つもの「もしも」の果ての我が生を生き抜くことも愉しからずや

・東国に生まれ死にゆく我なれば断念の波ひとり浴びんか

・係り結びの解説を終え汗拭けば風に流るる雲の影見ゆ

・一本の虹伸びてゆく黄昏の吾妻の空に舞う白き蝶

・濃紺の坂東太郎に浮かびたる銀色の月風に崩れる

・ひたぶるに人抱きおればひたぶるに誰を求むるこの細道か

・机間巡視する我の眼に映りたる常磐の空の深き紺青

・東京の雨の苦さよ

飛び散りし雨滴を一つ口に含めば

・赤銅の月昇りそめ如月の手賀の沼面を北風が打つ

・歌鬼になりきれぬ我

つばくろの低く旋回するを見ている

・風吹けば父を思えり風止めば父を思えり

春の終わりに

・フラスコの底洗いいる若き日の父に会いたし

鰯雲ゆく

・海原の果てに生まるる群雲を父と見ており

父を見ており

・人はやが子に還りゆくものならん

父の指先細く温かし

・筑波嶺も鹿島も見えぬ故郷の路面に誰を待ちいる我か

・桂馬にはなれぬ一生の一瞬を貫く如き突風が吹く

・前の世に我が抱きにし大楠のわらわら笑う夜更けにけり

・大楠のさやけき腕に眠りいる幼きものを吾子と呼ぶべし

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第三歌集『雲鳥』より

・はじまりは初夏の屋上

さんざめく言葉の束が立ち上がる午後

・雲鳥のはためく夏の岬より八月の空澄み渡りたり

くもとり

・車窓より霞ヶ浦の蓮田見え風車見え駅舎見え我が見えたり

・誰の子の産声だろう

百段の石段のぼり聞く森の声

・降り続く心の雨に濡れてゆく九月の涼しき朝の図書室

・百年は過客のごとし垂直の椎の大樹が風に軋みぬ

・大観が幼心に見上げたる青き空なり水戸の空なり

・萩群をひょうと過ぎりし鈍色の常陸訛りの風の冷たさ

・板書止めしひととき君を思いおり雲には雲の言葉あるらし

・たそがれてゆく街角の古書店のごときあなたを思い出す

・我の名と父の名並ぶ歌誌を読む

近づく春の空がぼやける

・ブランコのあなたに見ゆる雲一つ

父には父の生き方がある

・百年の雨に濡れたる曾祖父の背中に滲む鈍色の汗

・つばくらめ飛び交う土間に集いたるはらからという永遠の静もり

・金色の稲穂の道を歩みつつ父の墓石を父と見に行く

・薄闇の中より深き闇に入る

の闇は寡黙なりけり

まこと

・しんしんと真土を覆う夕靄のあなたに雉子の声響きたり

・わらわらと夏の子鬼を引き連れて常磐道に繁雨が来る

・風の音の遠き朝の心より心に渡る白き鳥あり

・言葉にはできぬ心の夕明りざわりざわりと森はざわめく

・ぬばたまの闇に眠れる縄文のあなたを濡らす霧になりたし

・あなたの立つ小高き丘を吹き抜ける風よ八千年の秋を集めよ

・「上履きでいいんですか」と問いかける生徒と非常階段に出る

・大便の溢れし便器より流れくる便の匂いは避難所に充つ

・七十二名の命がじんと冷えてゆく体育館の暗闇の中

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第四歌集『東京』より

・如月の伯耆の国はあたたかし砂丘の果てに白き雲見ゆ

・曾祖父と曾祖母の名を確かめる墓碑に積もりし雪を払いて

・岬には岬の時間流れおり沖合をゆくタンカーが見ゆ

・おはようは感動詞なり

おはようと言葉を交わす朝の校門

・卯月には卯月の神が綾をなす時間もありぬ金の時間を

・渋民に渋民の雨降りしきり渋民の風通り過ぎたり

・松林歩む赤彦の足音を思いつつ読む岩波文庫

・霜柱びっしりと立つ林間の大地に土の命みなぎる

・二人食むカレーライスは何年ぶりだろうか福神漬は赤くて

・淋代の海岸線に打ち寄せる鈍色の波うねりては消ゆ

・「次はいつ来るのか」と問う父の眼に宿る光を命と思う

・「子どものいない先生にはわからないでしょうね」と言う人の赤い唇を見ており

・開墾の墾の一字を思いつつ山の斜面の草を刈りゆく

・切る

払う

担ぐ

集める

踏み均す

山の仕事は動詞に満ちて

・五月雨を集めて太く流れゆく久慈の川面にためらいはなし

・離任式挨拶を終え階段を降りれば言葉にならぬものあり

・江東の空の青さよ眩しさよ

明るさは常に寂しさを帯ぶ

・朝の陽を浴びて牝牛の背を撫づる佐千夫の太き指を思えり

・山の井の浅野大輝と東海の小島ゆかりと食うわんこそば

・ゆく秋の風の涼しさちちのみの父の手をとりコスモスに触る

・口中に白粥一さじ含ませる師走の夜の病室の中

・八十九年の人生長きか短きか分からなければ手を握るのみ

・「さがなし」の意味を説きつつ思い出す者三人あり心の中に

・伝わらぬことばかりなり言の葉も心もなべて目に見えざれば

・とうけいと口ずさみたる人々の行き交う道に砂埃立つ

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田中 拓也(たなか たくや)略歴

1971年 12月 22日 千葉県柏市生まれ。

1990年 竹柏会「心の花」入会、佐佐木幸綱に師事。

2000年 第 11回歌壇賞受賞。第 1歌集『夏引(なつびき)』(ながらみ書房)出版。

2001年 第 9回ながらみ書房出版賞受賞。茨城文学賞受賞。

2004年 第 2歌集『直道(ひたちみち)』(本阿弥書店)出版。

2005年 日本歌人クラブ北関東ブロック優良歌集賞受賞。

2011年 第 3歌集『雲鳥(くもとり)』(ながらみ書房)出版。

2012年 第 17回寺山修司短歌賞受賞。

2019年 第 4歌集『東京(とうけい)』(本阿弥書店)出版。

田中拓也歌集『東京』を読む

2020年4月1日発行

執筆:竹柏会「心の花」会員有志

編集:本田 一弘