文・河治和香  装画・りんたろう 編集・細山田正人 デザイン・DOMDOM 監修・松浦武四郎記念館 まつ うら たけ ろう (1818 ~ 1888) 三重県松阪市出身。幕末から明治にかけ ての探検家、著述家、蒐集家。蝦夷地(今 の北海道)を 6 度にわたり探査し、ア イヌの人々と交流を深め、蝦夷地の詳細 な記録や地図を作成した。維新後、蝦夷 地に代わる新たな名称として〈北海道〉 のもととなる〈北加伊道〉を含む 6 案 を政府に提案したことから〈北海道の名 付け親〉と称される。 ●毎月第四週は、 松浦武四郎のコレクション についてご紹介します 12 2018 年(平成 30 年)6 月27 日(水) 発行・松阪市 姿●松浦武四郎を主人公とした小説『がいなもん 松浦武四郎一代』(河治和香著)が、小学館より好評発売中!

12 北海道人樹下午睡図...北海道人樹下午睡図 凡絵師に描かせた絵に私の名 前を入れられても文句を言い ません。 こうして六年越しで出来上

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文・河治和香  装画・りんたろう 編集・細山田正人 デザイン・DOMDOM 

監修・松浦武四郎記念館

松まつ

浦うら

武たけ

四し

郎ろう

(1818 ~ 1888)三重県松阪市出身。幕末から明治にかけての探検家、著述家、蒐集家。蝦夷地(今の北海道)を 6度にわたり探査し、アイヌの人々と交流を深め、蝦夷地の詳細な記録や地図を作成した。維新後、蝦夷地に代わる新たな名称として〈北海道〉のもととなる〈北加伊道〉を含む 6案を政府に提案したことから〈北海道の名付け親〉と称される。

●毎月第四週は、 松浦武四郎のコレクション についてご紹介します

第12号2018 年(平成 30 年)6 月 27 日(水)発行・松阪市

という話が河鍋家には言い伝え

られているそうです。いくら催

促しても一向に筆の進まない曉

斎に業ご

を煮に

やした武四郎さん

は、とうとう次のような内容の

念ねん

書しょ

を曉斎に書かせました。

 〇これからは、月二回は松浦

 邸に参上いたします。

 〇涅槃図ができなかった場合

 はすでに頂ち

ょう

戴だい

している師宣の

 屛び

ょう

風ぶ

などを返納します。

 〇もし違約があった場合は、

弥や

之の

助すけ

に譲ゆ

られ、現在も東京の

静せい

嘉か

堂どう

文庫美術館に残されてい

るのです。

 武四郎さんが売れっ子絵師の

河かわ

鍋なべ

曉きょう

斎さい

に注文したのが明治

十四(一八八一)年、この時ま

だ武四郎さんはチョンマゲだっ

たので、曉斎はチョンマゲ姿で

描きはじめました。ところが翌

年断髪した武四郎さんは、絵の

方も描き直せと言い出したの

で、さしもの曉斎も呆あ

れ果てた

 武四郎さんは晩年、釈し

迦か

涅ね

槃はん

図ず

をモチーフに自身の集めた自

慢の蒐し

ゅう

集しゅう

品ひん

のカタログを作ろう

と考えました。釈迦涅槃図とい

うのは、お釈迦様の入に

ゅう

滅めつ

を悲し

んで世の万ば

物ぶつ

、動物どころか虫

などまでが悲しんでいるという

絵で、前回も触れた通り、奥さ

んのとう夫人をはじめ、集めた

コレクションたちが主あ

るじ

を失って

嘆なげ

き悲しんでいる……という趣

向になっています。

 そこには美人画や、エジプト

のシャブティ(ファラオの墓の

副葬品)、とりもち仏などの仏

像、坂さ

かの

上うえの

田た

村むら

麻ま

呂ろ

像などの古物

から、武四郎さんの家の庭に

あったという羅ら

漢かん

像、さらには

江戸玩が

具ぐ

の〈ずぼんぼ〉や〈と

んだりはねたり〉の鼠ね

ずみ

まで描か

れています。描かれている蒐集

品の中でも名品は、のちに岩崎

北海道人樹下午睡図

 凡絵師に描かせた絵に私の名

 前を入れられても文句を言い

 ません。

 こうして六年越しで出来上

がった大作は、それぞれのコレ

クションの仏像や名画の人物が

絶妙な具合で悲しそうな表情に

描かれており、曉斎空前絶後の

傑作といわれています。この〈武

四郎涅槃図〉は武四郎さんの没

後も松浦家に伝わり、現在は松

浦武四郎記念館に所蔵されてい

ます。今年の松浦武四郎展の一

部会場で公開予定だそうです。

●松浦武四郎を主人公とした小説『がいなもん 松浦武四郎一代』(河治和香著)が、小学館より好評発売中!