21
験震時報第 53 (1 990) 1 ,- 21 1983 年(昭和 58 )10 31 日鳥取県中部の地震調査報告本 大阪管区気象台付鳥取地方気象台林* 1. 地震の概要 1983 10 31 01 52 分鳥取県中部を震源とする,中 規模,(M:6.2) の浅い地震が発生した有感範囲は九州 から中部地方,関東の一部にまで達した.気象官署での 最大震度は鳥取の震度 4 であったが,震央周辺の三朝町 ・倉吉市などの市町村では 軽傷者 5 名(鳥取県警調べ) をはじめ建物の破損・1崖崩れ,道路面の亀裂などの小被 害があり,震度は 5 程度あったものと推定される.また 乙の地震の約 3 分後, 01 55 分本震の北東側で M5.7地震が発生した(第 1 表,第 1 図).乙れも含め有感余震 は計 5 個観測された(うち 2 個は鳥取で付近有感). 鳥取県で発生した被害地震としては, 1955 年(昭和30 年)鳥取県西部で発生した地震 (M:5.5) 以来であり,中 園地方の陸上で発生した被害地震としては, 1978 年(昭 53 年)三瓶山周辺で、小被害をもたらした,島根県中部 の地震 (M: 6.1) 以来のものである. なお,大阪管区気象台では02 07 分, 13 区に「ツナミ ナシ」の津波注意報を発表した. 第1表各地の震度 01 52 分の地震 震度 観測地名 4 鳥取 3 米子、松江、豊岡、岡山、西郷、高松、津山、境、福山 2 舞鶴、神戸、洲本、和歌山、大阪、京都、広島、奈良 姫路、徳島、浜田、松山、福井、彦根、敦賀、淳、下関 富山、大分、飯田、熊本、甲府、四日市、横浜、鹿児島 01 55 分の地震 震度 観測 t 地名 4 鳥取 3 岡山、福山 2 豊岡、松江、西郷、高松、京都、津山、境 1 姫路、洲本、広島、奈良、米子 2. 震源事項 気象庁で求められた 2 つの地震の震源要素,および各 地の震度は次のとおりである. 震源時 (OT): 01 51 56.0 55 25.9 0:1 秒士 0.1 北緯( cp) : 35 0 24.8' 0.4'N 35 0 26.2' 0.3'N 東経 ( A ) : 133 0 55.6' 0.3'E 133 0 59.5' 0.3 ' E 深さ (H) : 15 回土 2km 131 四士 1km 規模 (M) : 6.25:7 震度(I)と震央距離仏)の関係について第 2 図に示した. ムと I についての関係を 1 次式で近似し,その係数を最 小自乗法で求めると 1 = 3.804 -0.0098 という関係になる. 3 分後の地震については,直線の傾 きは乙れより大きくなることが予想されるが, これは地 震の特徴というより,むしろ先の地震の緊急験測作業の ため,観測者が立ち上がったり動いたりしたために,特 に小さな揺れに対して感じにくくなった乙とによると考 えられる 次に気象庁で求めた発震機構は,第 2 表・第 3 図の通 りである.本震の発震機構は, 乙の地域で一般的な主圧 2 表発震機構 01 52 分〆の地震 01 55 分の地震 A D D N 2 1 7 0 W N 1 9 1 0 W D 58 0 88 0 B D D N 125 0 W N 99 0 W D 88 0 85 0 P A Z N 288 0 W N 238 0 W 圧主 70 0 77 0 力張 -力 T A Z N 185 0 W N 143 0 W 83 0 70 0 D D : dipdirection A Z : azimuth D : dip 1 incl ination * OsakaDistrictMeteorologicalObservatoryandTottori Local MeteorologicalObservatory: Report on the Ea rthquake ofCentr a1 Part ofTottori Prefecture October 3 1 1983 (Received June9 1989) **執筆担当:竹内新 ***荒木一好(当時防災業務課長)

1983年(昭和 58 )10 31¹´(昭和58年)10月31 日鳥取県中部の地震調査報告 3 INT 01時52分の地震 INT 01時55 分の地震 4~ 0 4→。31 ooo句。。 31 0 0 2~ 0∞

Embed Size (px)

Citation preview

験震時報第53巻(1990) 1 ,-21頁

1983年(昭和58年)10月31日鳥取県中部の地震調査報告本

大阪管区気象台付鳥取地方気象台林*

~ 1. 地震の概要

1983年10月31日01時52分鳥取県中部を震源とする,中

規模,(M:6.2)の浅い地震が発生した有感範囲は九州

から中部地方,関東の一部にまで達した.気象官署での

最大震度は鳥取の震度 4であったが,震央周辺の三朝町

・倉吉市などの市町村では 軽傷者 5名(鳥取県警調べ)

をはじめ建物の破損・ 1崖崩れ,道路面の亀裂などの小被

害があり,震度は 5程度あったものと推定される.また

乙の地震の約3分後, 01時55分本震の北東側でM5.7の

地震が発生した(第 1表,第 1図).乙れも含め有感余震

は計5個観測された(うち 2個は鳥取で付近有感).

鳥取県で発生した被害地震としては, 1955年(昭和30

年)鳥取県西部で発生した地震 (M:5.5)以来であり,中

園地方の陸上で発生した被害地震としては, 1978年(昭

和53年)三瓶山周辺で、小被害をもたらした,島根県中部

の地震 (M:6.1)以来のものである.

なお,大阪管区気象台では02時07分, 13区に「ツナミ

ナシ」の津波注意報を発表した.

第 1表各地の震度01 時52分の地震

震度 観測地名

4 鳥取

3 米子、松江、豊岡、岡山、西郷、高松、津山、境、福山

2 舞鶴、神戸、洲本、和歌山、大阪、京都、広島、奈良

姫路、徳島、浜田、松山、福井、彦根、敦賀、淳、下関

富山、大分、飯田、熊本、甲府、四日市、横浜、鹿児島

01時55分の地震

震度 観測 t 地名

4 鳥取

3 岡山、福山

2 豊岡、松江、西郷、高松、京都、津山、境

1 姫路、洲本、広島、奈良、米子

~ 2. 震源事項

気象庁で求められた 2つの地震の震源要素,および各

地の震度は次のとおりである.

震源時 (OT): 01時51分56.0秒 同55分25.9秒

士0:1秒士0.1秒

北 緯(cp) : 35024.8'土0.4'N 35026.2'士0.3'N

東経 (A ) : 133055.6'士0.3'E 133059.5'士0.3'E

深さ (H) : 15回土2km 131四士 1km

規模 (M) : 6.25:7

震度(I)と震央距離仏)の関係について第 2図に示した.

ムと Iについての関係を 1次式で近似し,その係数を最

小自乗法で求めると

1 = 3.804 -0.0098ム

という関係になる. 3分後の地震については,直線の傾

きは乙れより大きくなることが予想されるが, これは地

震の特徴というより,むしろ先の地震の緊急験測作業の

ため,観測者が立ち上がったり動いたりしたために,特

に小さな揺れに対して感じにくくなった乙とによると考

えられる

次に気象庁で求めた発震機構は,第 2表・第 3図の通

りである.本震の発震機構は, 乙の地域で一般的な主圧

第2表発震機構

01時52分〆の地震 01時55分の地震

A DD N 2 1 70

W N 1 9 1 0 W 節 D 58

0

880

面 B DD N 1250

W N 990

W D 88

0

850

主 P AZ N 2880

W N 2380

W 圧主 70

0

770

力張

-力 T AZ N 1850

W N 1430

W 軸 83

0

700

D D : dip direction A Z : azimuth D : dip 1 incl ination

* Osaka District Meteorological Observatoryand Tottori Local Meteorological Observatory : Report on the Earthquake of Centra1 Part of Tottori Prefecture, October 31, 1983 (Received June 9,1989)

**執筆担当:竹内新

***荒木一好(当時防災業務課長)

2 験震時報第53巻第 1--4号

01時52分の地震

01時55分の地震

第 l図震度分布 (x印が震央)

つ山

1983年(昭和58年) 10月31日鳥取県中部の地震調査報告 3

INT 01時52分の地震 INT 01時55分の地震

4~ 0 4→。

31 ooo句。。 31 0 0

2~ 0∞ 2~ OOQlOO 。

01 時52分の地震

。。。αlD. CD¥OD 0 。 CD 。o 0 。

100 200 300 400 500 km 100 200 300 km

第 2図 各地の震度(I)と震央距離(ム)の関係.図中の直線は!I<::対するムの回帰直線を示す.

N

N

力軸が東西方向の横ずれ型の地震である.余震の分布状

況から 断層面は北西-南東方向の走向を持ったB面と

考えられる.

~ 3. 前震と余震活動

気象庁が観測した前震としては,本震の約11分前の01

時41分に発生した地震 (M:2.5)のみである.乙れは本

震とほぼ同位置に震源決定されている.

N

150

100

30

第 3図発震機構(上半球投影) .:押し 0: 51き

第 4図余震数の臼別変化(米子2モニター記録でP,

Sが確認できる地震数)

-3 -

験震時報第53巻第 1,...;,., 4号

きた地震は16個であった

近畿・中園地方の日本海沿岸に沿っては,陸上で最大

級のマグニチュード 7クラスのものを含め,地震がくり

返し発生している.鳥取県で過去発生した地震のうち最

大のものは, .1943年9月の鳥取地震(M:7.2)である.

乙の地震により吉岡断層,鹿野断層の 2つの断層が出現

し,余震域は鳥取県中部から 東は兵庫県境まで拡がっ

た鳥取地震前後の地震活動については,浜田(1987)が

詳しく再調査している.

第7図は1926年から1988年までの, .鳥取県およびその

周辺のマク。ニチュード 5以上の震央分布図である. 1935

年には鳥取地震に先行する活動として, M: 5.4と 5.1の

2つの地震が,鳥取地震の余震域またはその近傍に発生

した. 194拝 3月には 本震の震源のごく近傍にM:6.2

の地震2個を含め 4個の地震が発生している。

本震直後の余震活動を除き それ以後の主な活動(第

過去の地震活動

4

余震の日別回数について第 4図に示した.乙れは米子

の76型地震計の大阪で、のモニター記録上で, P, Sが共に

確認できる地震の回数である.ほぼ順調に減衰したこと

がわかる.第5図は, 10月31日から12月31日までの震央

分布図である.余震域は北西一南東方向に延びており,

副次的にそれとは共役な北東一南西方向にも広がってい

るように見える.図から分かるように,本震の直後に発

生したM:5.7の地震は余震域から離れており,本震に

誘発されて発生した別の活動と考えられる.

第6図は1984年 1月から1988年12月までの震央分布図

である.余震域では活動は弱まりながらも,現在もまだ

一続いている.このほか,周辺の活動として目立つたもの

には, 1985年6月26日から約 3カ月間続いた鳥取県西部

の活動があげられる.乙れは大山のすぐ東側(関金町野

添地区)で発生し,期間中最大のものは7月2日のM:

4.9の地震であった o 7月中旬頃から 8月中旬にかけて

は地鳴りを感じた地域もあり,一時住民に不安感を寺え

たが, 10月頃にはほぼ収束した. この間気象庁で決定で

3 1, 1 2 1983 31 nU

411ム1983

Nニ132

一一-F

0.,1

0"・.

~... _..::~......i

J

o

s

-

-

a--

anv~

O

J

35 133 134

ート, 6

+ RU

4 3 2 nu MN

HU

門十+

1983年10月31-日から年末までの震央分布

-4-

+

第 5図

+

5

31 N=136

1983年(昭和58年) 10月31日鳥取県中部の地震調査報告

1 2 1988 1984

O

J

6

0

)山

議}

~“心一-

、e

R

h

-

¥¥i・q・-:・・・.... 万t

¥--.40.f

hu--hrb 。

avJ

J

。。

134 2 3 4 5

+ 第 6図 1984年 1月から1988年12月までの鳥取県と周辺の地震活動

19261 l'ー-- 198812 31 M主5.0 N=33

6 +

nu M門

U-. 35

133 門

O

十十

134 00- 30- 40 M -: 5 6

O 企+第 7図 1926年から1988年までの主な地震活動

- 5 -

35 133

H

験震時報第53巻第 1--4号

現地調査と被害状況

現地調査は,鳥取地方気象台が行った.当日 (31日)

午前中から 2班に分かれて震源地周辺の被害状況‘住

民の聞き取り調査を行った(第8図)干

~ 5.

6

3表)として, 1949年の兵庫県西部の地震/(M:6.3)と,

今回の地震 (M:6.2)が上げられる.これらのうち前者

は余震域の東縁で,後者は西端で発生したものである.

以上のように鳥取県の乙乙数十年の活動は,広い意味で

鳥取地震の前震ないし余震活動と考えられる.

1926年以降第 7図の範囲で発生した主な地震 (Mミ6.0)の震源要素

一一一 DEP. MAG

+/一 KM

第 3表

I一一一一一 ORIGIN TIME -一一一-;.-L---

YYYY MM DD 日-IMM SS .S+Iー

NC.

6 . 2

6.2

7 . 2

6.0

6.2

6.3

6.2

nunununununU「

D

q

U

4

1

3.0

3 . 0

2 . 0

3.0

4.0

4.0

0.3

一一一一I一一一 LAT.

+/- D M

3526.0

35 30.0

35 31.0

35 36.0

35 23.0

3537.0

35 24.8

3 .0

3 .0

4.0

4.0

4.0

5.0

0.3

LONG.

D M

13.0

13 .0

5 .,0

1 . 0

51.0

32.0

55.6

134

134

134

134

133

134

133

0.0

0.0

0.0

0.0

0.0

0.0

o . 1

0.0

o .0 0.0

0.0

0.0

0.0

56.。

4 19 13

5 4 50

10 17 37

10 18 5

1110 16

20 22 24

31 1 51

quqδnvnvQU4inU

1i

1943

1943

1943

1943

1943

1949

1983

ーinr山内

δ

qFbpO司

t

羽合町方面) :三田 稔,田中和夫,仲西範光

羽合町,気高町方面) :松浦兼道,斎藤三行,松田誠道

-6-

本第 1班(三朝町,第 2班(倉吉市,

1983年(昭和58年) 10月31日鳥取県中部の地震調査報告 7

(1) 三朝町俵原(たわら)地区

山崩れ,崖崩れ,落石,道路亀裂が随所花見られた.

住民の話によると,乙の地区では家具の転倒や墓石の倒

伏が多かった, という乙とである.

道路(鳥取一鹿野ー倉吉線)の亀裂は,部落から西へ

行くほど多く,道路に並行して中央や路肩に発生してい

るが(写真1),道路を直角に横切る亀裂も数カ所あった.

付近の営林署寮では,棚(1.8m)からテレビが落ち,炊

事場では器物が多数倒壊したとの乙とで,玄関のコンク

リー卜の床には亀裂が生じていた.墓地では,約8割の

墓石が倒伏またはずれを生じていた.住民の話では,地

震後地下水が濁ったという乙とである

(2) 三朝町神倉(かんのくら)地区

、この部落では落石が目立つた.大きいものは直径 2.5

mほど、あった(写真 2).また石垣の崩れや屋敷の亀裂も

多く見られた.地下水の濁りは生じていない

(3) 三朝町小鹿・吉田地区

小鹿川に沿っで,神倉の下流l乙乙れらの部落がある.

この地区一帯では屋根瓦のズレ,石垣の崩れ,倉の壁落

ち,倒壊などの被害がでていた.

吉田部落では,観音寺付近を中心に被害が大きかった.

寺では屋根瓦の一部がずれ 堂内の仏具の 2-3害1]が倒

れ, 50基の墓石のうち10基が南西方向に倒れていた(写

真3). また南東方向に回転したものもかなり見られた.

乙の部落では,夏頃から地下水が減少していたが,地震

後は増加し,濁るようになったという。

(4) 三朝町片柴地区

乙の部落では屋根瓦のずれは少なかった.墓石は総数

約200基中の20基ほどが すべて南方向に倒れていた.

ずれていた墓石は,‘南西l乙45"1ほど回転したものが多かっ

た.住民によると,地震前 (2-3分)に, ゴーという)

地鳴りが聞乙えたということである。

(5) 三朝町大瀬地区

片柴から大瀬にかけての道路沿いでは,土砂崩れ,水

道管の破裂,土蔵の瓦落ち,窓ガラスの破t民タイル壁

のはがれ落ちなどの被害が見られた. しかし,三朝の温

泉街の建物などには,ほとんど被害らしいものは見当た

らなかった.

町役場(大瀬に所在)の話では,町内での被害は,俵

原地区や小鹿川・沿いがひど、いが 乙れは昔の湿地帯(俵

原)や川沿いなどで,地盤がよくないためで、はないか,

という乙とであった.

(6) 倉吉市とその周辺

市役所の庁舎(一昔日3階建)の被害がひどい.窓ガラ

スの破損40枚, コンクリート柱 (48X48cm)のひび割れ

やはく離3本(写真 4),壁2m2,床タイル 2m

2のはく離

などの被害があったL 市街地の北方の馬場町住宅地内で

は,道路の亀裂(幅 1-2 mm,長さ 3-5 m)が道路を

横切る形で数本走っていた.

市東部の上余戸(かみよど)峠付近では,約1.5nfの

崖崩れがあった(写真 5).栗尾林道では約20nfの崖くず

れ(写真 6)があり,谷側の路面にも道路亀裂(幅 5cm,

長さ10m)が生じていた

栗尾部落の墓地では,墓石や燈寵の約 1割が,北~西

方向に転倒していた.また右廻りに20--300回転した墓石

が数基あ,った(写真 7).

(7) 羽合町田後(たじり)地区

東郷湖西方の部落である.この付近は砂質地帯で地盤

が弱いようである.住家では瓦のずれ,壁の亀裂塀の

破損などが多かったこの地区の墓地 (500- 600基)

では,約50基に倒伏やずれが見られた倒伏方向は南東

が多く,ずれは北東~南東方向が多かった.

(8) 羽合町浅津(あそず)地区

東郷湖の西北方に当たる部落である.ここも砂質であ

るが,建物には被害は見当たらなかった.しかし道路の

陥没が 2カ所、(400 x 200 cm, 200 x 110 cm)あった(写

真 8).

(9) 気高町船磯地区

漁港のある部落である.乙乙では水道用水が濁り,使

用できない状態であった.墓地では約 120基中約40基が

倒伏(南東方向が多い)または回転(約900)していた

(写真 9).

側気高町八幡・栄町地区

乙れらは海岸の部落で,地盤は砂質である.八幡で、は,

浜村小学校校舎のモルタ jレ壁に小さなひび割れが多数で

きており,大きいものは 1-2mあった.

栄町では,住宅(石油販売庖)が傾き,隣家の風呂場

壁,床のコンクリートがひび割れしていた.

(11) 気高町水尻地区

水尻池に向かう道路に亀裂 (3cm x 30m)が生じてい

Tこ.

-7 -

8 験震時報第53巻第 1--4号

写真 1 俵原の道路面の亀裂中央白線の長さは 5m.

写真 2 神倉の落石.2.5mx2.5mの石(板状節理安山岩)が北側の丘(高さ

5 m)から落下し,道路をふさいでいる.

-8-

1983年(昭和58年)10月31日鳥取県中部の地震調査報告 9

写真 3 吉田の墓地の被害.手前の燈寵の倒伏方向は南東.

写真 4 倉吉市庁舎コンクリート柱のひび割れ, はく離.

-9 -

10 験震時報第53巻第 1--4号

写真 5 上余戸峠付近の崖くずれ.

写真 6 栗尾林道の崖くずれ.約20rrrの土砂が幅 3mの道路をふさいでいる.

ハU4,』A

1983年 (昭和58年)10月31日鳥取県中部の地震調査報告 11

写真 7 栗尾の墓地の被害.墓石が右廻りに20-30。回転している.

写真 8 浅津の道路陥没.簡易舗装であるが陥没70cm余.

面積も大きい.

-EE4

4Ei

12 験震時報第53巻第 1- 4号

写真9 船磯の墓石の回転.土台に対して約30。回転している

~ 6. 地震記象

大阪管区気象台管内の直視式電磁地震計 (59型および

61型)と, 比較的大きな振幅が観測された強震計の記録

を,それぞれ震央距離の順に第9図に示した.

各地震計の定数は次のとおりである

(1) 強震計

倍率倍,固有周期:水平6秒,上下 5秒

制振度 8

(2) 59型直視式電磁地震計

倍率 100倍,固有周期 5秒,減衰定数:0.5

(3) 61型直視式電磁地震計

倍率:200倍,固有周期 :10秒,減衰定数 0.5

~ 7. むすび

鳥取県では,過去何度か被害地震が発生してきた.そ

のうちで最大の地震は, 1943年に発生し死者1083名を出

した鳥取地震である.その余震域は,鳥取県中部から兵

庫県との県境まで拡がっており,今回の地震は,その西

寄りで発生したものである.被害と しては,幸い 5名の

軽傷者と,若干の物的被害iζ留まったが,鳥取県内では

1955年以来23年ぶりの被害地震という乙ともあり,鳥取

地方気象台では,直後に現地調査を行っている.その後

の活動状況も加え現地調査について報告する

参考文献

浜田信生,佃為成,渡辺邦彦,尾池和夫,松浦充宏,平

田直0986a) :鳥取地震の余震活動の再調査.地震学

会春季大会講演予稿集, A16, 16.

浜田信生,佃為成,渡辺邦彦,尾池和夫,松浦充宏,平

田直0986b) : 1943年鳥取地震に先行した地震活動に

ついて.地震学会秋季大会講演予稿集, C05, 195.

浜田信生(987):日本列島の内陸部iζ発生した被害地震

l乙伴う地震活動の再調査とその地震学的意義.気象研

究所研究報告,第38巻, 77 -156

円,L‘,B

A

1983年(昭和58年).10月31日鳥取県中部の地震調査報告 13

o TOTTORI

-一一一一一一一一二ニニ=士二ご二一-一一一一~どごごーー

量主主三三誓三重 二

三=三 主主主量o YONAGO

E 一一

S ↑'-60S ---f

主3F

F

一一一切雲警

±三=

霊屋空 ーーーーーー一一一令争同』ーーーーーー・ 1一-ー

D MATSUE m

m

、J「い」

W 三二ニづ一 一一二二主主叫恒盟企吋竺士一-→ー.,

If~一一 ーし てここ# 一一一-

N、

ゴkλ"""̂戸ふ

o TOYOOKA

N ./!!., ,11111""11.,""." r ヴp!丹市怜町一ァァー II一一一一一一-:::;: ~昨仙一一一一一-.1'一一一一ー一一一一一一-.f-一一一一一-

4 HE ーニ=亙 ' 一一一'礼 一一一-1>重

仁」』1L...L......IIC.

嶋崎.... 帽陣J司掴官官・田町・明圃・嶋嶋岡.愉圃l JA_ ____1.

一 ーマ

第 9図-a 倍強震計記録

qu

験震時報第53巻第 1--4号14

OKAYAMA ロ

D

ト一一 一一一戸出

~=======-.:~

.'., . - - - -

frーザ--、内.-・匂-・E・-ーーーーー--.v

N -白園、F回岨同開聞-園田ー

-ー-一ーー、-----ー・圃・、,ーー岨・・・ー・・・・ーー-v---

ー苧但・E 旬 6・・・--司田・ー-ー・・-ー・・ー・・・圃--一一一一一一一一. 0..._". ーーーーーーー一ーーーーー.L-ー-ーーー一一 一 一 一

E

一一ー ーー一-一一一一一一一一--.,...".ゐ 一、ー一一一一一一ー-一一一一一一一ーーー

SAIGO D ~

霊.F正

ト-605 -→

W

F

N

[2?mm

堕彊~

KOBE D

一一--'1

"̂ーー~同E-ー『炉

一蒜詞F

AL

U.

.衿-F

N

E

ヱ--掛̂ "̂幅一一『ー 一一

TOKUSHIMA D

苦言

内側島

璽争N

雲監量E

1倍強震計記録

Aq

第 9図-a

.

15

蟻間十個酬刷費留脚情聴岨

』ー図∞眠

1983年(昭和58年)10月31日鳥取県中部の地震調査報告

w

F円U

Z

Eo↑↑o↑

指旧幅十川腿翌題脚情思岨門戸

l図∞撫

験震時報第53巻第 1--4号

円。

《芝JH〉《¥

O

16

17

強旧畑↑m悩翌糧脚情聴岨

A

ー図白川開

1983年(昭和58年)10月31日鳥取県中部の地震調査報告

i4Ei

堀田川布雌型醤胆官思世

門戸

l図∞棋

験震時報第53巻第 1--4号

。。

18

19

審問お雌翠轡脚情聴個』|図∞伸明

コ凶川1111111111号

バ司白《芝《

Z

.

z

i

i'tHHHHHHHN

i

v--lEtB1・

1

号A4A 恥

Eド-一

iz--25Efizz--4一三一-事

c・、

HHHH何日

p

h

U

H

H

M

H

H

U

H

時震験

N

ずN川川川川川川川川

rEli--e

相川川川州

汗は川川川川川川

,,EEEEEEEEEEEEEE'

NHHHHHHH"

が川川日川川川

仰はけ川川川川

HHHHHHHHHHHHlHMHHHHHHH

HHHHHHHHHH

vali--E'

ー内

HHHHHHHHHH

i l l i

---

i

nHHHHH

uzo

20

指Umお雌型糧胆U同

D

l図。撫

ザIlli--

O由

111114

一工

υovム

21 1983年(昭和58年)10月31日鳥取県中部の地震調査報告

一広コN一工的《

積回畑布雌翌轡脚情思咽

』ト図∞抑制

コw

"HHHHHMMF

U

EAつ臼

ZI

一V4《山一三OZO一工の

コz

o↑ozコ芝