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2013 年度 化学実験B3テキスト 京都大学理学部化学教室 2013年11月18日~2014年1月22日 氏名

2013 年度 化学実験B3テキスト - 京都大学kuchem.kyoto-u.ac.jp/ubung/13ueb/13text_b3.pdf程度0.1 mg まで精確に秤量して加えて溶解させる。 (8) 純シクロヘキサンの場合と同様に、シクロヘキサン溶液を冷却して、サーミスターの抵抗

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  • 2013 年度

    化学実験B3テキスト

    京都大学理学部化学教室

    2013年11月18日~2014年1月22日

    氏名

  • 目次

    課題0 物理化学・物性化学実験の準備 ............................................................................ 1

    課題1 反応速度 ................................................................................................................ 8

    課題2 相図と熱分析 ....................................................................................................... 15

    課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光 ....................................................................... 22

    課題4 遷移金属錯体と磁性 ............................................................................................ 34

    課題5 光吸収・発光と光化学反応.................................................................................. 41

    課題6 高温超伝導体の合成と電気抵抗測定 ................................................................... 50

    2013 年度B3実験日程 11 月 18~20 日 準備実験 11 月 26~28 日 反応速度 12 月 2~4 日 相転移/赤外* 12 月 9~11 日 相転移/赤外* 12 月 16~18 日 錯体 1 月 6~8 日 超伝導/光触媒* 1 月 14~15 日、20 日 超伝導/光触媒* *2組に分かれて交互に実施。 12 月 24~25 日、1 月 21~22 日は予備日とする。

  • 課題0 練習実験

    課題0 物理化学・物性化学実験の準備 ちょっと本格的な物理化学・物性化学実験に入る前に、さまざまな物性値の測定や測定データの処理に慣

    れてもらう意味で、簡単な予備的実験に取り組んでもらいます。

    I. 電気抵抗の温度変化と凝固点降下への応用 II. 電解質溶液の電気伝導度の測定と電導度滴定 III. 分光光度計による反応の追跡 IV. 粉末 X 線パターンの測定と解析

    I. 電気抵抗の温度変化と凝固点降下への応用

    IA. 金属・半導体の電気抵抗の温度変化 温度を上げると、通常、金属の場合は電気抵抗が大きくなり、半導体の場合は電気抵抗が小さくな

    る。一般に半導体の電気抵抗の温度依存性は金属より大きく、次のアレニウス型の式で表わされる:

    )/exp()( 0 TBRTR = (1)

    半導体の中でも温度依存性が大きいものは温度センサー(サーミスター)として広く用いられてお

    り、カタログ等にサーミスターの特性を表す量として係数 B が記載されている *。

    <操作> (1) 用意されている直径 0.10 mm の銅線(エナメル被覆)を約 2.0 m 切り取って、両端のエ

    ナメル被覆をサンドペーパー等で除き、プラスチック製の管(ストロー)に巻きつけてコイ

    ルを作る。

    (2) リード線対を約 1 m 取り、(1)で作った銅線のコイルを取り付け、マルチメータ U1251Aで抵抗値を測定し 5 Ω程度であることを確認する(断線あるいはショートしていないかを確認。リード線の抵抗値をあらかじめ測って差し引く †。

    (3) ガラス管の一端を封じ、銅線のコイルと K 熱電対線を入れる。

    (4) ビーカーに水を入れ撹拌しながら、(3)のガラス管を浸して、マルチメータ U1251A を用いて、温度と電気抵抗を測定する。

    (5) ビーカーに氷や熱湯を注いで温度を変え、温度と電気抵抗を測定する。概ね 0~80 °C の範囲での温度-抵抗挙動を 10~20 °C 間隔で測定すればよい ‡。

    (6) 銅線のコイルをサーミスター(室温付近で 10 kΩ程度)に付け替え、同様の温度-抵抗挙動の測定を行う。

    * 通常のサーミスターは温度を上げると抵抗が小さくなるが(NTC 型)、逆に抵抗が大きくなるものなどもある(PTC 型)。 † マルチメーターの相対値表示機能を使うこともできる(資料編 II-7 参照)。 ‡ 撹拌の際の電磁誘導にともなうノイズを拾うことがあるので、熱電対線やリード線の引き回しに注意する。マルチメーターの表示が安定しない時は平均値表示機能を利用する手もある(資料編

    II-7 参照)。

    - 1 -

  • 課題0 練習実験

    <検討課題> (1) 銅の抵抗率ρは 25 °C で 1.71×10-8 Ω m とされている。実験で得られた銅線の抵抗率と比

    較せよ(長さ L 断面積 S の物体の電気抵抗 R はρL/S)。

    (2) Igor を用いて、銅線の温度 t - 電気抵抗 R のグラフを作成し、最小2乗法を用いて銅線の電気抵抗の温度係数 a を求めよ(R(t) = R(0)(1 + at))。

    (3) Igor を用いて、サーミスターの (i) 温度 t - 電気抵抗 R のグラフ、(ii) T–1 K(あるいは 1000 K/T)と ln (R/kΩ)のグラフを作成せよ。(ii)のグラフに最小2乗法を適用しサーミスターのB 係数を決定せよ *。

    (4) 【余裕があれば】用意してあるドライアイス-アセトン浴の温度におけるサーミスターの抵抗値を(3)で定めた(1)式のパラメータを用いて求め、実測値と比較せよ。

    実験例

    * 今回の測定では相対誤差が一定と考えられるので、対数を取ったデータについて重みを一定にとって最小 2 乗法を適用するのが適当であることに注意(資料編 III-6 参照)。

    図 I-2. サーミスターの電気抵抗の温度依存性とそのアレニウスプロット。カタログの B 定数は 3250×(1±0.01) K。

    図 I-1. 銅線の電気抵抗の温度依存性。

    (a) (b)

    - 2 -

  • 課題0 練習実験

    IB.凝固点降下度による分子量の決定 純物質 A にそれと固溶体を作らない物質 B を溶解させたとき、A の凝固点は一般に低下する。Bの濃度が低ければ凝固点降下の大きさ∆Tfは、B の A の単位質量あたりの物質量濃度 m(質量モル濃度)に比例し、その比例係数 Efを凝固点降下定数と呼ぶ: ∆Tf = Ef m。B の A の単位質量あたりの質量濃度を w、B のモル質量を MBとすると w = MBm なので、凝固点降下の大きさ∆Tfがわかれば B のモル質量は A の凝固点降下定数 Efを用いて

    MB = w/m = w Ef/∆Tf (2)

    で得ることができる。ここでは凝固にともなう温度変化を、IA で得たサーミスターの抵抗の温度変化によって追跡して凝固点降下度を求め、溶質の分子量を推定する実験を行う。なお以下ではシク

    ロヘキサンを用いているが、ジオキサン等を用いてもよい。

    <操作> (1) 直径 10 mm程度の試験管にシクロヘキサンを 4~5 g程度、0.01 gまで精確に量って入れ、

    撹拌子を入れる。

    (2) シクロヘキサンに浸るようにサーミスターを取り付け、マルチメータ U1251A を用いて抵抗を測定できるようにする。

    (3) PCのデータロガーソフトを立ち上げ、U1251A から 5~10 秒おきに抵抗値を読み込むようにセットする。

    (4) あらかじめ作っておいた氷浴に、シクロヘキサンの入った試験管が入る程度の大きさのサンプル管(20 mL 程度)を浸す。

    (5) 試験管をサンプル管に差し込み、マグネチックスターラーで撹拌しながら冷却を開始。同時に抵抗値の時間変化の取り込みを開始する。

    (6) シクロヘキサンの凝固が始まり、抵抗値の変化が収まって 10 分程度たったら測定を止める。

    (7) 一端試験管を取り出して室温に戻しシクロヘキサンを融解させた後、ビフェニルを約 0.1 g程度 0.1 mg まで精確に秤量して加えて溶解させる。

    (8) 純シクロヘキサンの場合と同様に、シクロヘキサン溶液を冷却して、サーミスターの抵抗値の温度変化をデータロガーでPCに取り込む。

    <検討課題> (1) Igor にサーミスターの抵抗の時間変化のデータを取り込み、抵抗の時間変化のグラフを作

    成せよ(wave の scaling を利用し一定時間間隔のデータとして扱う)。

    (2) 先に得た関係式を用いてサーミスターの抵抗値を温度に変換し、純シクロヘキサンとビフェニルのシクロヘキサン溶液の冷却曲線を描き、凝固点降下度からビフェニルの分子量を求

    める(凝固点降下定数は資料編 V-23 参照)。

    (3) せいぜい±1 °C の精度の測定で定めたサーミスターの温度依存性を用いて、凝固点降下度が0.01 °C のオーダーまで測れるのはなぜか考察せよ。

    - 3 -

  • 課題0 練習実験

    実験例

    II. 電解質溶液の電気伝導度の測定と電気伝導度滴定 電解質溶液の電気伝導度の測定は、電極表面における電気化学的な過程が関わる結果、さまざまな因子に

    配慮して行なう必要がある。たとえば通常のマルチメーター(デジタルテスター)は、直流を流した場合

    の電流と電圧の関係から、オームの法則に従って電気抵抗を評価・表示するので *、そのままでは電解質

    溶液の電気伝導度を測るのには適切でない。ここではマルチメーターを用いた単純な電気測定を通してそ

    の一端に触れる。

    <試薬> (1) 0.010 mol/L 塩化ナトリウム溶液(用意してある 0.10 mol/L 溶液を希釈して調製)

    (2) 0.10 mol/L 塩酸(用意してある 1.0 mol/L 塩酸を希釈して調製)

    (3) 0.10 mol/L 水酸化ナトリウム溶液(用意してある 1.0 mol/L 溶液を希釈して調製)

    IIA. 電極の作成と電解質溶液の電気伝導度 (1) 用意されているステンレスの針金を 15 cm 程度の長さに切ったものを2本用

    意し、それぞれを、5 cm 程度直線状の部分を残して渦巻き状に巻き、リード線(30 cm 程度の長さ)をそれぞれの電極にはんだ付けする(ステンレス用のハンダを使用する)。

    (2) 割りばしの先に電極をしっかり巻き付け、間隔が 1 cm 程度になるようにしてビニルテープでくくりつける。【先輩たちが作成した電極があれば流用してもよい】

    (3) ビーカーに 0.010 mol/L 塩化ナトリウム溶液を入れて電極を浸し、マルチメーターU1251A の抵抗測定モードで電極間の抵抗値を測定する。しばらく放置し、抵抗値の変動が小さくなったら、マルチメーターを電圧測定モードに切り替え、電位が発生していることを

    確認する。

    * 今回用いる U1251A では、抵抗のレンジがそれぞれ 500 Ωで 1.04 mA、5 kΩで 416 µA、50 kΩで 41.2 µA の直流電流を通じて電圧を測定する仕様となっている。

    図 3. ビフェニルのシクロヘキサン溶液の冷却にともなうサーミスターの抵抗変化(a)とそれを温度に換算した冷却曲線(b)。

    (a) (b)

    - 4 -

  • 課題0 練習実験

    (4) マルチメーターのプローブをつなぎ替えて極性を変え、再び抵抗測定モードで電極間の抵抗値を測定する。しばらくして抵抗値の変動が小さくなったら、マルチメーターを電流測定

    モードに切り替えて測定する。

    <検討課題> (1)マルチメーターの抵抗測定モードを用いた電気抵抗測定の知見(上記(3)と(4))は

    どのように説明できるか考察せよ。

    IIB. 交流を用いた電解質溶液の電気伝導度の測定 (1) 電子天秤 AS402F 附属の電源アダプター(AC 100 V/AC

    12 V)を、抵抗 R1を介して電極につなぎ、右図のような回路を構成する(RXが溶液に浸した電極に相当)。

    (2) 100 mL のビーカーにイオン交換水 60 mL(適宜増減してよい)と 0.10 mol/L 塩酸 5 mL を入れ、フェノールフタレイン指示薬(酸塩基指示薬なら他のものでも可)を数滴加え

    てよく混ぜ、電極を浸して回路に電流を流し、抵抗 R1にかかる電圧 V1、電極間にかかる電圧 VXを測り、電極間のコンダクタンス 1/RXを

    VX/RX = V1/R1 の関係式から求める(マルチメーターの入力抵抗は十分大きい)。

    (3) 0.10 mol/L 水酸化ナトリウム溶液を 1.0 mL(ポリエチのスポイトで取る程度で可)ずつ10 mL 程度滴下して、コンダクタンスの変化を測定する。

    <検討課題> (1) 横軸に加えた水酸化ナトリウム溶液の量、縦軸にコンダクタンスを取って、中和反応にと

    もなう電気伝導度の変化をプロットせよ。

    実験例

    III. 分光光度計による反応の追跡 すでに酵素活性測定において用いたように、吸光度の変化の測定は反応速度を研究する上で有用な手法で

    ある。ここではよく知られた、アルカリ性条件下でのメチレンブルーのグルコースによる還元反応を

    CHEMUSB4 分光光度計を用いて追跡し、吸光度変化の測定に習熟することをめざす。

    AC VNO DATA

    RX60 Hz

    V1-20/20V R1

    20 k

    マルチメーター

    図 4. 水酸化ナトリウム溶液滴下にともなう塩酸の電気伝導度変化。

    - 5 -

  • 課題0 練習実験

    メチレンブルーは還元されると無色のロイコ体となり、ロイコ体は容易に酸素酸化を受けて青色のメチ

    レンブルーに戻る。

    N

    S+N N

    N

    N N

    H

    S

    <試薬> (1) 5%グルコース溶液(1つの机で 10 mL 程度調製すればよい。IV でも使用する)

    (2) 1.0 mol/L 水酸化ナトリウム溶液(用意してある溶液をそのまま使用)

    (3) 0.05%メチレンブルー溶液(用意してある溶液をそのまま使用)

    <操作> (1) CHEMUSB4 分光光度計を起動し、資料編 II-10 を参考に 10 秒間隔で 20 回程度スペクト

    ルを保存するようにセットする。

    (2) 5%グルコース溶液 2 mL を光学セルに取り、ここに 1.0 mol/L 水酸化ナトリウム溶液 0.5 mL を加える(天秤を用いて測り取ってもよい)。

    (3) メチレンブルー溶液を2滴程度加えてよく混ぜ、ただちに吸収スペクトルの時間変化の測定を開始、スペクトル変化の記録を行う。失敗した場合には、スペクトル保存の設定をやり

    直し、光学セルを振り混ぜて溶液の色が青に戻ってから、再度測定を行えばよい。

    (4) 典型的な2~3種類の波長(たとえば 665 nm と 305 nm)の吸光度の時間変化を資料編II-10 を参考に測定せよ(タイムスキャンあるいはストリップチャート)。

    <検討課題> (1) Igor を用いて吸収スペクトルの時間変化を重ね書きして、時間とともにどのような変化が

    現れるか調べよ。

    (2) 吸収スペクトルの時間変化のデータから、典型的な波長(たとえば 665 nm と 305 nm)の吸光度の時間変化を抽出あるいは測定し、吸光度の時間変化を図示せよ。

    実験例

    図 5. メチレンブルー溶液の 10 秒おきの吸収スペクトル変化。

    - 6 -

  • 課題0 練習実験

    IV. 粉末 X 線回折パターンの測定と解析 X 線回折は物質の結晶構造とその物性を探る上で、もっとも強力な手法と言えよう。ここでは同じ面心立方の結晶構造を持つ、塩化銀と金属銀の粉末 X 線回折パターンの測定とその解析を通じて、その一端に触れる。

    <試薬> (1) 塩化銀(A 実験の沈殿滴定の廃液から回収されたもの)

    (2) アンモニア水(28%)

    (3) 塩酸(35%)

    (4) 5%グルコース溶液(III で調製したもの)

    (5) 1.0 mol/L 水酸化ナトリウム溶液(用意してあるものをそのまま使用)

    <操作> (1) 原料の粗塩化銀 0.5 g 程度を試験管に取り、水 5 mL とアンモニア水 2 mL を加えて溶解さ

    せろ過する。

    (2) ろ液に塩酸 2 mL を加え、析出してくる塩化銀を目皿を用いて吸引ろ過して採取する。

    (3) 原料の粗塩化銀 0.2 g 程度を取り、5%グルコース溶液 5 mL と 1.0 mol/L 水酸化ナトリウム溶液 2 mL 程度を加えてバーナーで穏やかに加熱する。

    (4) 析出してきた金属銀(銀泥)を目皿を用いて吸引ろ過して採取する。

    (5) 塩化銀、金属銀の粉末 X 線回折パターンを測定する。

    <検討課題> (1) X 線回折に用いた銅の Kα線は、波長 154.06 pm の Kα1と 154.44 pm の Kα2に分裂してい

    ることが知られている。塩化銀の高角側(2θ > 50°)の回折線について、このことを確認せよ。また金属銀についてはどうか?

    (2) 塩化銀、金属銀ともに面心立方格子を持ち、格子定数が塩化銀は 555 pm、金属銀は 409 pmであることが知られている。得られた回折線を指数付してみよ。

    図 6. メチレンブルー溶液のいくつかの波長の吸光度の時間変化。

    - 7 -

  • 課題1 反応速度

    課題1 反応速度

    化学反応速度の測定は、化学反応に対する理解を進めるうえで最も基本的な情報を与えるものとい

    えよう。本課題では液相での均一相反応に注目する形で、光吸収・電気伝導度などの時間変化を測

    定し、系に応じた反応機構モデルの検証および反応速度定数の決定を行う。取り扱う課題は次の2

    つである:

    A.フェノールフタレインの退色反応

    B.クロムのクロロ錯体の加水分解

    得られた結果は用意してあるシートに記入、関連するファイルとともに提出する。書式の整ったレ

    ポートは、いずれか1つについて提出すれば十分である。興味のあるものは

    C.時計反応

    にも取り組んでみよ。レポート提出は義務として課さないが、教育的内容であるので実験に取り組

    んで結果をシートに記入、関連するファイルとともに提出することを推奨する。

    A. フェノールフタレインの退色反応 アルカリ性で赤色を呈する指示薬として知られるフェノールフタレインは、強アルカリ性溶液中では、再

    び赤色から無色になっていく。同様の現象は他のトリフェニルメタン系の酸塩基指示薬、ブロモフェノー

    ブルー(BPB)などでも知られている。この課題では色素の退色の速度定数を得るとともに、共存する塩の効果についても検討する。

    フェノールフタレインは pH を上げるにしたがって、下式のように中性の分子種 PP0 から水素イオンの解離を起こして赤色の分子種 PP2 になり、さらに PP2 に水酸化物イオンの付加が起きて無色の PP3 になるものと考えられる。

    OHOH

    O

    O

    O

    O

    O

    OO

    O

    O

    O

    OH

    OH- OH- (A-1)

    最初の PP0 から PP2 になる過程は速やかに起き、反応速度の追跡は困難である。ここで注目するPP2 が PP3 に移行する反応は、室温付近 pH13 程度では約 1 時間程度で完結する。この反応を光吸収の変化でモニターし、速度則と速度定数について検討する *。

    * 反応速度定数の温度依存性はアレニウス Arrhenius の式 k = A exp(-Ea/RT)でおおむね表現することができる。アレニウスの式に基づくと、温度変化∆T にともなう速度定数の変動の度合い∆k/kは、∆k/k = (Ea/RT) (∆T/T)で評価できる。通常室温付近で観測する化学反応の活性化エネルギーはおよそ 100 kJ/mol 程度の値をとるので、速度定数を 1%の精度で決めようとすると、温度の変動は 0.1 K 程度以内に収める必要がある。しかし今回のように速度則の大まかなプロフィルに関する議論では、実験中の温度変化が 1~2 K に収まっておれば十分である。

    PP0 PP2 PP3

    - 8 -

  • 課題1 反応速度

    A-1. 実験操作 A-1-1. 試料溶液の調製

    (1) 1 mol/L 水酸化ナトリウム溶液(用意してあるものを使用する)

    (2) 1 mol/L 硝酸ナトリウム溶液: 硝酸ナトリウム 2.1 g を水に溶かして 25 mL にする。

    (3) フェノールフタレイン溶液: 用意してある 1×10–4 mol/L フェノールフタレイン溶液(炭酸ナトリウム 0.1 mass%)を4 mL 程度取って 5 倍に希釈する。

    A-1-2a. スペクトル変化の測定

    (1) 分光光度計を繰り返しスペクトル測定モードにする(2 分ごとに 10 回ぐらい繰り返しスペクトルを取得する

    設定でよい)。

    (2) 光学セルに硝酸ナトリウム溶液 1.0 mL、水酸化ナトリウムを 0.5 mL 入れ、フェノールフタレイン溶液を 0.5 mL 加え手早く混ぜ、スペクトル変化の測定を行う。

    A-1-2b. 固定波長での吸光度の時間変化の測定

    (1) 分光光度計を時間スキャン(ストリップチャート)モードにする(注目する波長としては555 nm 付近と吸収のない 650 nm 付近をとり、測定時間は 20 分程度に取ればよい)。

    (2) 1.0 mol/L 水酸化ナトリウム溶液、1.0 mol/L 硝酸ナトリウム溶液をそれぞれ下記の表に示す量ずつ光学セルに入れる。ここにフェノールフタレイン溶液を 0.5 mL 加え手早く混合し、吸光度の時間変化の測定に移る。

    (3) 吸光度の時間変化がほとんどなくなったら、吸収スペクトルを測定して、光源強度の変動や光学セルのセットに異常がなかったかどうかを確認する。

    NaOH 溶液 /mL NaNO3溶液 /mL (ア) 1.5 0.0 (イ) 1.0 0.5 (ウ) 0.5 1.0 (エ) 0.5 0.0

    A-2. 結果の解析 光路長を一定に保った時、濃度 c の試料溶液の波長λ の光に対する吸光度 A(λ)は濃度 c と比例関係にある(ベール Beer の法則。資料編 II-8 参照)。

    図 1. フェノールフタレインのスペクトル変化

    - 9 -

  • 課題1 反応速度

    ceA )()( λλ = (A-2) ここで e(λ)は吸光係数と光路長の積に相当する定数である。

    フェノールフタレインの赤色の分子種 PP2 に水酸化物イオンが付加して無色の分子種 PP3 になる反応速度が次の速度則に従うとする:

    )PP2][PP2]([dPP2][d

    ∞−−= kt (A-3)

    ここで k は与えられた条件における反応速度定数であり、[PP2]∞は十分時間が経過した後、平衡状態における PP2 の濃度である((II-4’)式参照。dy/dt = –d[PP2]/dt であることに注意)。PP2 は光を吸収するが、PP3 は光を吸収しない波長における吸光度を A とすると、吸光度の時間変化は同様に次式で表される:

    )(dd

    ∞−−= AAktA

    (A-4)

    したがって吸光度は次式に従って時間変化することになる:

    )exp()( 0 ktAAAA −−+= ∞∞ (A-5) ここで PP2 に水酸化物イオンが付加して無色の分子種 PP3 になる反応の平衡を考えよう。フェ

    ノールフタレインの濃度が一定の条件下、PP2 がほぼ 100%の場合の吸光度を A0、pH を上げて十分時間がたって平衡に達した時の吸光度を A∞とする。この時、活量係数を 1 とすれば平衡定数 Kについて、次式が成立する:

    ]OH[)(

    ]OH[]PP2[]PP3[ 0

    −∞

    ∞−

    ∞ −==A

    AAK (A-6)

    もし平衡が PP3 に偏っておれば(A0 >> A∞)、水酸化物イオン濃度と十分時間がたって平衡に達した時の吸光度 A∞の積は一定になることが期待できる。

    A-3. 検討課題 (1) 555 nm 付近の吸光度 A と 650 nm 付近の吸光度の差の変化(差を取ることで光源強度の変

    動等を補償する)を IGOR Pro を用いて exp_XOffset 関数(y0 + A exp(x/τ)。x のオフセットを 0 に固定)に当てはめ、速度定数と十分時間がたったときの吸光度の値 A∞を求めよ。

    (2) (ア)~(ウ)の結果を用い、速度定数は、水酸化ナトリウム濃度に対しどのような依存性を示すと考えられるか検討せよ。

    (3) 十分時間がたったときの吸光度の値と、水酸化ナトリウム濃度との関係を考察せよ。

    (4) PP2 が水酸化物イオンと反応する際、中間的に生成する分子種はより大きな電荷を帯びることになる *。(ウ)と(エ)の結果を比較検討し、共存するイオンの効果について考察してみよ。

    (5) 退色したフェノールフタレイン溶液を再び pH 10 程度にすれば再び赤色に復色するはずである。pH 10 で復色するにはどの程度の時間を要するか考え、実際に確かめてみよ。

    * 共存イオンによる電荷qのイオンに対する安定化のエネルギーは電荷の2乗q2に比例すると考えられる。電荷 q1と q2のイオン同士の反応では、中間体には(q1 + q2)2 – (q12 + q22) = 2q1q2に比例する安定化を期待してよい。

    - 10 -

  • 課題1 反応速度

    B. クロム(III)のクロロ錯体の加水分解 塩化クロム(III)六水塩 CrCl3·6H2O には3種の異性体が知られており、それぞれ[CrCl2(H2O)4]+、[CrCl(H2O)5]2+、[Cr (H2O)6]3+を含んでいる。市販されている塩化クロム(III)六水塩は[CrCl2(H2O)4]Cl·2H2O という化学式に相当する結晶構造を持った暗緑色の潮解性の物質である。これを水に溶かすと加水分解を起こし、順次[CrCl(H2O)5]2+、[Cr (H2O)6]3+を生成して、溶液の色は緑から赤紫に変化する。

    [CrCl2(H2O)4]+ → [CrCl(H2O)5]2+ → [Cr (H2O)6]3+ (B-1) この変化を電気伝導度の変化でモニターし、それぞれの過程の速度定数を決定する。

    B-1. 実験操作 (1) ビーカーの側面を断熱材で保温して水 50 mL を入れホットプレートスターラーの上に置き、

    加温しながら攪拌し、天板温度を調節して 35 °C 程度に保つ(温度は各自適切に定めてよい)。

    (2) ビーカーに電極を浸し、発振回路に適当な抵抗を直列につないで、下図のような回路を構成し、マルチメーターで電極間の電圧を測る。

    (3) パーソナルコンピュータ(PC)のデータロガープログラムを起動し、マルチメー

    ターの示度の取り込みを開始する(おお

    むね 20 s から 30 s おきに 300 回程度まで取り込む設定にしておけばよい)。

    (4) 時計皿に取った塩化クロム(III)六水塩0.10 g をビーカーに入れて溶解させ、電圧の変化の様子を PC に取り込んでいく。

    (5) 【余裕があれば】分光光度計を用いて、加水分解にともなう吸収スペクトルの室

    温における時間変化を測ってみよ。

    B-2. 結果の解析 電解質溶液の電気伝導度 G(S cm-1単位で表されることが多い)は、概ね、溶存しているイオン種の濃度と比例関係にあるとみなすことができる(精度の高い測定では電気伝導度の濃度依存性が問

    題となるが、ここでは無視する)。

    G = Σ νi Λi ci (B-2) ここでνiはイオン種 i の電荷で、Λiは当量伝導度と呼ばれる。濃度を mol cm-3で表すと、室温水中での通常のイオンの当量電気伝導度はおよそ数十 S cm2 mol-1の値を持つ(海水の電気伝導度は約 40 mS cm-1)。ただし水素イオン、水酸化物イオンの電気伝導度は例外的に大きく、水素イオン

    図 1. 溶液の電気伝導度の測定系の概念図。交流信号の発生装置に溶液が固定抵抗と直列に結ばれ、溶液の抵抗変化は溶液にかかる電圧の変化

    として検知される。

    図 2. 塩化クロム溶液の電気伝導度の時間変化の実験例

    - 11 -

  • 課題1 反応速度

    は 350 S cm2 mol-1、水酸化物イオンは 200 S cm2 mol-1程度の値を示す。

    クロム(III)のジクロロ錯体CR2([CrCl2(H2O)4]+)が、逐次、モノクロロ錯体CR1([CrCl(H2O)5]2+)、アコ錯体 CR0([Cr (H2O)6]3+)と解離する反応の、単位体積当たりの反応進行度をそれぞれ y1、y2としよう:

    CR2 → CR1 + Cl– y1 (B-3a) CR1 → CR0 + Cl– y2 (B-3b)

    それぞれの反応速度が1次の速度則に従うものとすると、次の方程式が成立する:

    )(CR2][dd

    10111 yckkty

    −== (B-4a)

    )(CR1][d

    d2122

    2 yykkt

    y−== (B-4b)

    この連立微分方程式を解くと次式が得られる:

    )]exp(1[ 101 tkcy −−= (B-5a)

    −−−

    −+= )exp()exp(1 2

    21

    11

    21

    202 tkkk

    ktkkk

    kcy (B-5b)

    さて塩化クロム溶液の電気伝導度は、単位体積当たりの反応進行度を用いて次式で評価できる:

    22110

    2ClCR0CR11ClCR1CR20

    210Cl2CR021CR110CR2

    ClCR0CR1CR2

    )32()2()(3)(2)(

    ]Cl[]CR0[3]CR1[2]CR2[

    yayaGygggygggG

    yycgygyygycgggggG

    ++=

    ++−+++−+=

    ++++−+−=

    +++= −

    (B-6)

    ここで gXは X というイオン種の当量電気伝導度、G0は t = 0 における電気伝導度(gCR2 + gCl)c0を表し、a1 = –gCR2 + 2gCR1 + gCl、a2 = –2gCR1 + 3gCR0 + gClとした。(B-5)式を用いて(B-6)式を整理すると次式を得る:

    )exp()exp(

    )exp()exp()()(

    22110

    2021

    1210

    21

    221110210

    tkbtkbb

    tkckk

    katkckk

    kaakacaaGG

    −+−+=

    −−

    −−−

    ++−+++=

    (B-7)

    つまり観測される電気伝導度の時間依存性は、異なる時定数を持つ2つの指数関数の和(double exponential function)になることが期待される。Igor などの科学技術用のグラフ作成ソフトは、最小2乗法を用いてこうした関数に実験データを当てはめる機能を持っているので、実験で得られ

    た電気伝導度の時間変化から、速度定数 k1、k2を決めることができる。

    B-3. 検討課題 (1) 速度定数 k1が k2に比べて十分大きい時、y2に対する(IB-5b)式の表現はどのように簡単化され

    るか。またその簡単化にした結果を用いて、電気伝導度の時間変化がどのように表現されるか

    を示せ。

    (2) IGOR Pro を用いて dblexp_XOffset 関数(y0 + A1exp(-x/τ1) + A2exp(-x/τ2)。x のオフセットを 0 に固定)に当てはめ、第1段、第2段の加水分解速度定数を決定せよ。

    (3) IGOR Pro で求めた係数 y0、A1、A2の値から、各分子種の当量電導度についてどのようなこと

    - 12 -

  • 課題1 反応速度

    が言えるか検討せよ。

    (4) 【余裕があれば】吸収スペクトルの時間変化に等吸収点が現れるかどうか検討せよ。

    C. 時計反応【任意課題】 反応開始後、誘導期間を経て、ある分子種が急激に増加(あるいは減少)することがある。このよ

    うな反応の中で、特に劇的な変化が観察されるものを「時計反応」clock reaction と呼んでいる。ここではその中でもっとも古典的でよく知られた、ヨウ素酸カリウムと亜硫酸水素ナトリウムの反

    応(発見者にちなんでランドルト Landolt 反応とも呼ばれる(1886 年))を取り上げる。この反応はヨウ素酸が過剰の条件の下では次のような反応式で書き下せる:

    2IO3- + 5 HSO3- + 2H+ → I2 + 5 HSO4- + H2O (C-1) ただし、溶液中に存在するヨウ化物イオンとヨウ素との反応により、トリヨウ化物イオンが生成し、

    これが褐色に着色して見られる。ここではヨウ素が出現するまでの誘導時間のヨウ素酸カリウム、

    亜硫酸水素ナトリウムの初濃度に対する依存性、および電気伝導度と pH 変化の測定を通じて、時計反応を成り立たせしめる背景を探る。

    C-1. 実験操作 C-1-1. 試料溶液の準備

    (1) 0.02 mol/L ヨウ素酸カリウム溶液: 0.43 g のヨウ素酸カリウム KIO3を水に溶かして 100 mL にする。

    (2) 0.020 mol/L 亜硫酸水素ナトリウム溶液: 0.19 g のピロ亜硫酸ナトリウム Na2S2O5を水に溶かして 100 mL にする。

    C-1-2. 誘導時間の測定 次のような容量比で混合した時、ヨウ素の褐色が出現するまでの時間を調べよ。

    KIO3溶液 /mL 水 /mL NaHSO3溶液/mL ア 20 10 20 イ 20 20 10 ウ 10 30 10 エ 10 35 5 オ 5 35 10

    また酸を加えた場合、誘導時間がどうなるか調べてみよ。

    C-1-3. 電気伝導度・pH 変化の測定 100 mL のビーカーに水 35 mL、ヨウ素酸カリウム溶液 10 mL を取り、電気伝導度測定用の電極を浸け、マグネチックスターラーで攪拌する。ここに亜硫酸水素ナトリウム溶液 5 mL を加え、電気伝導度の変化を測定する。電気伝導度ではなく pH を測定してもよい。

    C-2. 検討課題 (1) ヨウ素が出現するまでの時間と、ヨウ素酸カリウム、亜硫酸水素ナトリウム、それぞれの初濃

    度との関係を整理せよ。

    (2) この反応は大きく次の3つの過程からなっていると考えられる。

    - 13 -

  • 課題1 反応速度

    IO3- + 3 HSO3- → I- + 3 HSO4- (C-2) IO3- + 6 H+ + 5 I- → 3I2 + 3 H2O (C-3) 3I2 + 3 HSO3- + 3 H2O → 6I- + 6 H+ + 3 HSO4- (C-4)

    誘導期間の存在、見出された電気伝導度・pH の変化は、この3つの反応からどのように説明できるか考えてみよ。

    (3) 【余裕があれば】分光光度計を用い、時計反応における吸光スペクトルの時間変化を測定してみよ。

    時計反応の吸光スペクトルの実験例

    - 14 -

  • 課題2 相図と熱分析

    課題2 相図と熱分析 §1 はじめに 化学反応や相転移は熱の出入りをともなう。出入りする熱量についての測定は、転移エンタルピ

    ーなどの基本的な物理量を与える実験として重要である。しかし、熱のやりとりを定量分析する装

    置は熱浴としての外界と反応(転移)系との間の熱を伝えうる経路すべてについて十分考慮して設

    計される必要がある。そのため、自作するには多くの時間を要し、市販品は高価である。(化学教

    室では学生実験用として示差走査熱量測定(differential scanning calorimetry; DSC)装置を一台所有している。この装置の原理等は付録1または参考書籍を参照のこと。)

    本課題においては、二元系合金の相図の理解を得るため、Pb-Sn 合金系の液相–固相間の相転移について冷却曲線の測定を行ってもらう。相転移にともなう熱の出入りによって冷却曲線には単調

    な減少からずれた振る舞いが現れる。これを解析してもらう。この合金系は共融混合系の代表例で

    あり、その相図は比較的単純で、合金相図を実験的に理解するのに適している。また、Pb-Sn 合金は「はんだ」として電子回路基板の作成などにおいて実用されており、合金の性質を利用したもっ

    とも身近な例の一つである。

    §2 相律と相図

    2.1. Gibbs の相律 多成分系の 2 相が定温・定圧で平衡にある条件を考える。成分 i の微小量 dni が相αから相βに移るときのギブス自由エネルギーの変化は、

    dG = – µ i (α)dn i + µ i (β)dn i である。ここで、µ(α)、µ (β) は成分 i の相α、βにおける化学ポテンシャルである。定温・定圧での平衡条件 dG = 0 から、

    µi(α) = µi(β) (1) が成り立つとき、2 相間に平衡が実現する。これは、ある物質の化学ポテンシャルが 2 相間で等しくなければ、自発的に高い方から低い方へ移動する、という当然のことを述べている。2 相以上あれば、全ての相において各成分の化学ポテンシャルが等しい時に平衡になる。

    C 成分系で P 個の相がある場合を考える。各相の組成は、(C – 1)個の独立な濃度変数で指定される。温度、圧力を加えると、独立な示強変数の数は P(C – 1) + 2 となる。上に述べた平衡条件から、

    µi(1) = µi(2) = ... = µ i(P) ( i = 1, 2, ..., C ) (2) となり、関係式の総数は C(P – 1)となる。以上より、独立に変化させうる示強変数の数、すなわち系の自由度(degree of freedom, variance) F は、

    F = {P (C – 1) + 2} – C (P – 1) = C – P + 2 (3)

    となる。これを Gibbs の相律(phase rule)という。

    例えば、1 成分系では F = 3 – P となる。従って、相の数が 1 であれば F = 2 となり、平衡状態を表すのに二つの示強変数を指定する必要がある。相の数が 2 になると、 F = 1 となり、温度、圧力のいずれかを指定すると、他は決まってしまう。さらに、相の数が 3 の時は F = 0 であり、

    - 15 -

  • 課題2 相図と熱分析

    変えることのできる示強変数がない(不変系)。言い換えると、1 成分系で 3 相が共存するときは、温度も圧力も決まってしまうことになる。

    2. 2. 共融合金系の相図 成分 A、B からなる 2 成分系における定圧での温度−組成図の一例を図 1 に示す。この例では、 成分 A、B が液相では完全に溶け合い、固相ではある限られた組成領域でのみ固

    溶体(solid solution)を作る。図中で(A)と示された領域は、成分 A に成分 B が均一に溶けこんだ固体──「固溶体」を表す。逆に、(B)と示された領域は成分Bに成分Aが溶けこんだ固溶体を表す。

    図 1 で、a1から a5に至る経路に沿って、どのような変化が起こるか考えて見よう。こ

    れらの点は全て、縦軸に平行な直線上にある

    から、等しい組成を有することに注意する。

    a1は液体であり、A と B が均一に混合した溶液をなす。a2に至ると、凝固が開始し、溶液中に固溶体(B)が析出しはじめる。a3は溶液と固溶体(B)の共存する領域であり、P = 2 より F = 2となり、圧力一定のもとで温度を変えることができる。この時の溶液相の状態は a3’点、固溶体の状態は a3”点により表される。また、溶液と固溶体の比率は 33 a''a : 33 a'a で与えられる。さらに、a4に達すると全体が凝固する。a5においては、固溶体(A)と固溶体(B)が共存する(P=2)。

    次に、e1から e3に至る経路を考える。e1から出発して、e2に達する直前まで、系は液体(P=1)である。e2において固化が始まるが、この時、溶液相、固溶体(A)、固溶体(B)の 3 相が共存する、即ち P=3 であるので、F=1 となる。よって圧力をある値に定めれば、他に独立な示強変数はないから、温度は一意的に決まってしまう。この組成の2成分系はあたかも1成分系のように振る舞い、凝固、融解のあいだ一定温度を維持する。この組成の溶液や固体を共融混合物あるいは共晶

    (eutectic mixture)といい、その融点を共融点(eutectic point)という。

    §3 予習課題 上記の説明で「固溶体」や「共晶」といったものの定義やでき方は理解できても、実際にどのよ

    うなものか分かっていないと実験によって得られる現象の具体的なイメージがつきにくいと思わ

    れる。そこで、どんな組成でもよいので、合金の顕微鏡写真を図書資料またはインターネットで探

    してみよ。できればその合金の相図も。

    図 1.成分 A、Bからなる2成分系の相図

    - 16 -

  • 課題2 相図と熱分析

    §4 実験課題 §2において述べたように、共融混合物の相図における境界線上では、固相→液相または液相→

    固相への相転移が起こる。ここでまず純物質の融解について述べる。固相から液相へ転移するとき

    の(モル)エントロピーの変化量を融解(モル)エントロピー∆fusH と呼ぶ。通常∆fusH は正(例外:3He)であるので、与えられた熱量はこの融解エントロピーとして吸熱され、試料の温度上昇は止まる。その結果、試料温度はある時間の間一定となる。このときの温度が融解温度となる。同様の

    試料温度が一定となる振る舞いは冷却時においても現れる。本課題ではこの冷却曲線の振る舞いか

    ら、相転移(融解または凝固)温度を決定する。ただし、上記の単純な議論はあくまで純物質の場

    合であり、共融合金の場合には共晶組成以外では相境界が複数現れるため、冷却曲線にもこれを反

    映した振る舞いが現れるはずである。具体的には 2.2 で説明したように a2から a3(a3’)へと至る過程において試料温度が示す温度変化が測定上重要になる。本課題ではデジタルマルチメーター

    (DMM)とコンピューターを用いて温度記録について自動化することにより、細かい時間間隔で試料温度を観測する。そして、合金溶液が凝固する際の微妙な変化を最小自乗法にもとづく数値微分

    法(付録2参照)を用いることにより検出し、相境界線を描くためのデータを得る。以下に具体的

    な作業手順について述べる。

    4.1. 準備編—簡易電気炉の作成 以下の要領で行う。

    (1) ニクロム線(φ0.2 mm)を約 60–70 cm 切り出し、二つ穴碍子(長さ~3 cm)9~10 本に通して、ダーラム管の周りに巻き付ける(図 2 参照)。密着させるため、ホースバンド等で締め付け、固定する。

    (2) 耐熱性の綿を一巻きし、支持台に固定したホルダーで挟んで固定する。

    (3) ニクロム線の両端に圧着端子を取り付け(引っ張っても簡単に抜けないことを確認すること!)、スライダッ

    ク(変圧器)または DC 電源の出力端子と接続する。

    (4) 注意:接続前に、ニクロム線の両端の抵抗を測ること。数十Ω程度でなければ、断線または短絡の恐れがある。

    またスライダックを用いている場合、電源コネクタは、

    加熱時以外はコンセントから抜いておくこと!!

    (5) 熱電対(アルメル−クロメル線)を 10 cm の長さの二つ穴碍子の中を通し、突き出た先端部 5–10 mm をねじって接合点を作る。碍子管の部分を作成し、ダーラム管の中へ降ろせるように配置にしておく。開放端側は DMM につなぎ、コンピューター側で温度が読み取れることを確認する。

    熱電対は直接試料に触れることになるので、異なる物質や異なる割合の合金について使い回すこ

    とはできない。碍子管から先に出ている先端だけが試料に触れるので、その部分だけを切り捨て、

    後ろから伸ばしてやって試料毎に新調する。

    図 2.るつぼの作り方

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  • 課題2 相図と熱分析

    4.2. 実験課題1–純物質の冷却曲線の測定 ここでは純物質として Pb および Sn を使う。それぞれの物質について冷却曲線の測定を行い、融点を決定する。実験は以下の要領で行う。

    (1) Pb または Sn を融解時にダーラム管の底から 5 mm 程度になる量だけ計りとる。(重さにしておおよそ 1–1.5 g)

    (2) Pb については 500℃近傍まで、Sn については 400℃近傍まで炉を加熱して、液体状態の試料へ熱電対を差し込む。その後、温度

    をパソコンに 2–5 秒おき程度の間隔で記録する。

    ここでのポイント

    (a) 冷却曲線が平坦になる直前の温度変化

    (b) 熱電対の設置状況

    (c) 冷却曲線に変化が起こった温度の決め方 −>微分解析の練習

    測定を複数回、条件(冷却速度が重要)を変えながら行い、自作測定システムの特徴を把握するよ

    うにしよう。図 3 に参考データを示す。

    4.3. 実験課題 2– Pb-Sn 系の相図を作成する 以下の要領で行う。

    (1) 相図の作成は2組(2人1組)でそれぞれ組成(モル比)が

    (i) Pb: 8.3, 25.0, 41.7, 58.3, 75.0, 91.7%

    (ii) Pb: 16.7, 33.3, 50.0, 66.7, 83.3%

    となるように Pb と Sn を電子天秤を用いて量りとる。このとき、各合金試料の質量はおおよそ 1.5 g 程度にそろえる。

    (2) 混合試料を加熱して融解させ、ガラス棒を差し込んで均一に混合させる。この状態で熱電対を差し込む。

    (3) 冷却曲線を測定し、相転移温度を得る。2組の結果を合わせて、横軸を合金の組成、縦軸を転移温度としてプロットして相図を作成する。時間に余裕がある場合、上記の 6 つの組成では相図にはっきりしない部分が残ると思うので、適当な混合比の追加試料を作り、相図の

    完成度を上げてみよう。

    §5 レポート レポートには実験課題のうち、4.2 および 4.3 について結果をまとめなさい。尚、目的や原理、方法については簡潔な記述とすること。さらに、以下の 2 点についても答えなさい。

    図 3.Pb の冷却曲線と解析例

    - 18 -

  • 課題2 相図と熱分析

    ① 共晶点より Pb または Sn が多い領域で測定された冷却曲線について、転移点を区切りとする領域での合金組織の様子を推定し、純物質の場合との違いについて考察せよ。

    ② Pb-Sn 系の相図の文献資料と実験結果を比較し、そのずれの理由について考察せよ。また、それが測定上の問題であるなら、改良すべき点について述べよ。

    付録 1 示差走査熱量測定(DSC)

    示差熱分析と示差走査熱量測定 物質の持つ内部エネルギーの中で、1000 ℃程度まででその変化を観測し得る部分は、外殻電子とイオン芯の挙動に由来する。内部エネルギーの温度変化は比熱(あるいはモル熱容量)として観測される。温度変化に際し物質の状態変化が起こり、内部エネルギーが急激に変化するときには熱の

    吸収や放出が起こる。このような状態変化として、固体における結晶相転移、融解、蒸発、昇華、

    磁気相転移等の相転移や、熱分解、重合、溶解等の化学反応がある。相転移現象のうち、内部エネ

    ルギーが前後の状態で異なるものを一次相転移、内部エネルギーの温度勾配即ちモル熱容量にのみ

    不連続があるものを二次相転移という。融解

    は前者の、秩序−無秩序転移は後者の例である。

    モル熱容量や転移エンタルピーを正確に求

    めるためには、試料を完全に断熱状態にして

    外界との熱の出入りを遮断したうえで、試料

    に一定の熱エネルギーを与えたときの温度上

    昇などを測定することが必要である。しかし、

    これは大がかりで難しい実験である。これに

    対して、一定の温度で昇温する炉の中に、モ

    ル熱容量に目立った変化のない基準物質と試

    料とをおいて、それらの温度差を測定するな

    らば、より簡便に感度良く相転移を検出し、

    転移エンタルピーの大雑把な値を知ることが

    できる。これが示差熱分析(differential thermal analysis; DTA)である。さらに、転移エンタルピー決定の精度を高めた手法が示差走査熱

    量分析(DSC)である。DSC には、熱流束 DSC、入力補償 DSC の二つの方法があるが、学生実験室で管理されているのは熱流束 DSC の測定が可能な熱分析装置(マック・サイエンス)である。

    熱流束 DSC の原理と解析法 まず、DSC 測定の定性的特徴を述べる。図4に示すように、試料の入った容器と熱的に

    不活性な基準物質の入った容器とを、炉内の

    対称な位置に置き、炉を一定の昇温速度(β =

    図 4.DSC 装置の概略

    図 5.炉を等速昇温させたときの基準物質、試

    料、そして記録される温度の変化

    - 19 -

  • 課題2 相図と熱分析

    dTf/dt)で加熱する。その時に炉、基準物質容器、試料容器の温度 Tf、Tr、Ts がどのように変化するかを図5(a)に示す。試料容器、基準物質容器ともに、炉の温度に少し遅れて昇温速度 b で昇温するが、試料の相転移、反応などがあると Ts に構造が現れる。よって、試料容器と基準物質容器の温度差∆T≡Ts–Tr を時間 t に対して測定すると、図5(b)に示すような「DSC 曲線」と呼ばれるデータが得られる。この例では、(i) 試料に変化が無い領域では一定、(ⅱ) 吸熱(発熱)を伴う変化では負(正)のピーク、(ⅲ) 二次相転移等によるモル熱容量の変化では、ベースラインの階段状シフトが観測されることになる。DSC 曲線のベースラインの変化は、試料と基準物質の熱容量の差を反映している。

    DSC 曲線から転移エンタルピーの大きさを定量的に見積もるためには、さまざまな部分における熱伝達を考慮して扱う必要があり、データを定量的に解析するためのモデルはやや煩雑である。こ

    のような事情はあるが、簡単なモデル化によって、一次相転移等によるピークが現れた場合につい

    ∆H =Ks A/x (4) という関係が導かれる。A はピークの面積、x は試料の質量である。また、Ks は温度に依存する装置定数であり、転移エンタルピーが既知の物質について、昇温速度などの条件を等しくした測定を

    行えば、決定することができる。そのような準備を行えば、熱流束 DSC 曲線に現れるピーク面積から転移エンタルピーを決定することができ

    る。

    図6は、DSC 曲線から転移温度を決定する方法を表したものである。試料の温度は相転移

    の開始から終了まで一定である。しかし、測温

    部は試料容器の外側にあり、容器−試料間の熱

    伝達係数が有限であるために、容器温度は試料

    温度の変化に対し過渡的な指数関数的遅れが

    あるため、転移温度の決定には注意を要する。

    実測のデータから点 A を正確に決めるのは困難な場合が多いので、外挿線の交点 B を便宜上の転移点とすることが多い。(この場合は、常に、正しい転移温度よりもわずかに高い温度が

    得られるので、転移温度が既知の物質について

    測定を行い、補正する必要がある。)

    付録 2 数値微分 冷却曲線から合金(特に固溶体)の相転移温度を決定するためには温度勾配の変化を見つけ、そ

    の変化の瞬間の温度を決定しなければならない。この変化が小さい場合、実験データに含まれるノ

    イズによって解析が困難となることがある。このような場合、勾配の変化の大きさは二次の微係数

    として評価できるので、適当な波長特性のノイズフィルターとしても作用する数値微分解析はとて

    も有用である。本課題ではパソコンとデジタルマルチメーターを組み合わせることにより等間隔の

    データ列が得られるので、数値微分は表計算ソフトなどを用いて簡単に行える。以下にその基本的

    な原理と方法について簡単に説明する。

    図 6.試料温度 Tsと試料容器外側の測温部の温

    度 Tcの比較

    - 20 -

  • 課題2 相図と熱分析

    図7はノイズを含むデータ列が緩やかに変化している様子を描いている。ノイズのため単純な隣

    合う測定点の間での差分はばらつきが大きく、何点かに渡る緩やかな変化を解析するには適さない。

    そこでこのデータを、注目する i 番目の点にたいして前後 N 点を含む合計(2N+1)点について近似二次曲線(f(x)=ax2+bx+c)により再現することを考える。このようにして求められる a およびbはそれぞれこの i 番目の点における二次および一次の微係数にあたる。各データ点について a(i)または b(i)を計算し、微分曲線を得るというのがここで紹介する数値微分法の原理である。

    この微分値の計算を行うための具体的な方法を

    導く。近似二次曲線を得るため最小二乗法を用いる。

    残差二乗和は S=Σ(yi+j–f(j))2(和は j について–N から N について行い、以下の全ての和はこれに同じ)と書ける。a, b および c について S の偏微分を計算し、それらが 0 となるように a–c を決定する。b についてこれを具体的に書き下すと、

    ∂S/∂b= –2(Σj×yi+j–aΣj3–bΣj2–cΣj)=0

    となり、Σj3=0 およびΣj=0 であるから、

    b =Σj×yi+j/Σj2

    が得られる。Σj2は N によって決まる定数である。得られたデータについて一斉にこの計算を行うことは表計算ソフトを用いて容易に実行できる。ま

    た、グラフ作成などに利用している Igor Pro でも簡単なマクロを記述して実行することができる。ただし、N の数に応じてデータの両端に微分値が計算されない点が生じることに注意すること(いくつかの対処法がある)。

    二次の微係数を計算するにはaを直接計算する方法とbを得る操作を二度繰り返す方法とがある。これらの結果が一致しない理由はこの数値微分の特性を理解していれば容易に分かるはずである。

    参考書籍 実験方法に関して

    (1) 第四版 実験化学講座 4 (熱・圧力)、日本化学会編、丸善 (1992) p. 57–93.

    (2) 新実験化学講座 2 (基礎技術 1 熱・圧力)、日本化学会編、丸善 (1977) p. 87–122.

    (1)、(2)は同著者、ほぼ同内容。

    (3) 「熱量測定・熱分析ハンドブック」、日本熱測定学会編、丸善(1998).

    相図に関して

    (4) アトキンス「物理化学」8章など

    図 7.i 番目を中心とした 7 点(N=3)に

    ついて二次関数フィットした結果。

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    <はじめに> 分子は、量子化された電子・振動・回転状態の各エネルギー準位に応じて様々な波長の光(電磁

    波)を吸収・放出する。赤外(Infrared: IR)光は波長がおおよそ 10-4 – 10-6 m の光で、そのエネルギーは分子の振動準位間のエネルギー差と同程度である。したがって、分子がどの波長の赤外光

    を、どの程度吸収したかを調べることで、分子の振動状態に関する情報を得ることができる。また

    分子が赤外光を吸収する際、分子の回転運動も変化することから、回転状態に関する情報も同時に

    得られる。さらには分子内の特定の官能基(カルボニル基 >C=O、水酸基-OH など)が特徴的な赤外吸収を示すことから、化学試料分析法としても有用である。本実験は、赤外吸収スペクトル(以

    下、赤外スペクトル)の測定技術と解析方法を学ぶことで、赤外分光により何が分かるのかを理解

    することが目的である。

    <内容概要> ◎赤外吸収とは何かをその測定手法と併せて理解する。

    ◎有機分子の赤外スペクトルを測定・解析し、それらを系統的に理解する。

    ◎二原子分子の赤外スペクトルを測定・解析し、回転状態について理解する。

    <実験上の注意> ●FTIR 分光器は高価な精密光学機器である。上に物を載せたり、衝撃を与えたりしないこと。

    ●全反射測定ユニットは、光学的に精密調整されたものである。FTIR の試料室に据え付けたり、取り外すときは TA や教員の立会いの下行うこと。

    ●測定で用いる窓材(本実験では主に円板上の Si(シリコン)を使用)は、割れ易いので十分注意すること。

    側面(曲面)を持ち、透過面(平面部分)には触らないこと。

    気体セルには強い力を加えないこと。

    透過型測定ではテフロン製のホルダーを使用する。液膜用と気体用の二種類があるので、間違えて使用しないように注意すること。

    ●使用する薬品は毒性の高いものが含まれる。液膜法のセルの組立など有機液体の揮発が予想され

    る作業は可能な限り、ドラフト中で行うこと。全反射測定ユニットの一部では液体蒸気を吸引する

    危険がある。液膜法をできるだけ採用する。

    <実験の流れ> 本実験は以下の項目 1~3 に沿って進める。赤外吸収を理解する上で必要とされる知識は章末の解説 A ~ H に記してある。また赤外分光装置などの技術的解説は解説 a ~ c に記してある。予め、これらの解説を良く読み、実験やレポート作成時の参考にすること。

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    1.空気の赤外スペクトル測定と分子振動(解説 A ~ D を参照)

    1-1. 目的 空気の赤外スペクトルを測定し、どのような分子振動が赤外吸収を示すかを理解する。

    1-2. 実験 ① 各自が使える FTIR 装置(解説 a を参照)において、測定室の反射型測定ユニットを外して透

    過型測定をできる状態にする。

    ② なるべく高いエネルギー分解能と広い波数(波数は波長の逆数。)範囲に設定し、空気の赤外

    スペクトルを記録する。

    ③ FTIR 光源のスペクトル分布は平坦では無くもともと形を持つが、それに加えて空気中に存在する分子の吸収が見えるはずである。その位置と特徴を実験ノートに記録する。

    ※この空気の赤外スペクトルが、バックグラウンドスペクトルとなる。

    1-3. 解析&レポート課題 (ア) 空気中に存在する分子の比率を調べてみよ。

    (イ) それらのうち、赤外吸収を示す分子はどれで、どのような分子振動がどの波数領域に吸収を示しているか解説 C と D をもとに考察せよ。

    2.有機分子の赤外スペクトル測定と帰属(解説 B ~ E を参照)

    2-1. 目的 数種の有機分子の赤外スペクトルを測定し、観測される信号(ピーク or バンド)が分子内のどのような振動運動によるものかを帰属する。ここでは以下の表 1 に示す伸縮振動(結合)に着目する。

    2-2. 実験 ① 実験を行う前の準備として、解説 B の(2)~(4)式を用いて、表 1 の各伸縮振動がどの程度の波

    数(波長λの逆数 1/λ。cm-1単位で表記)を持つかを予め見積もる。

    表 1 有機分子における伸縮振動(結合)の波数

    結合 実効質量/ g mol-1 力の定数/ N m-1 波数 / cm–1 C–H 500 O–H 500 C–C 6 500 C=C 6 1000 C≡C 6 1500 C≡N 1500 C–O 500 C=O 1000 C–Cl 500

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    ここでは力の定数 k の目安として、一重結合では 500 N m-1、二重結合では 1000 N m-1、三重結合では1500 N m-1 を用いる。はじめに(3)式に出てくる定数“130.279”を導出し、次にエクセルなどの表計算ソフトを用いて実効(換算)質量µ (結合を構成する2個の原子のみからなる2原子分子と考えて評価する)と波数を求めて、表 1 を完成させよ。

    ② 以下に示す試料の赤外スペクトルを記録する。FTIR 装置の分解能は 4 cm-1で十分であり、測定範囲は 400 – 4000 cm-1とする。温度や湿度など、実験室の環境は時々刻々と変化するので、バックグラウンドスペクトルをこまめに測定する。

    2-3. 試料 原則として、気体セルまたは液膜法による透過型測定(解説 c 参照)で行う。ただし、(2)-(4)のいずれかでは、全反射型測定(解説 b 参照)を試み、両方法で得られたスペクトルを比較できるようにすること。

    (1) メタノール気体 (CH3OH) ※C-H(対称、非対称), C-O, O-H

    (2) メタノール液体 (CH3OH) ※C-H(対称、非対称), C-O, O-H

    (3) アセトン液体 ( (CH3)2C=O) ※C-H, C=O, C-C-C(対称、非対称)

    (4) アセトニトリル液体 (CH3C≡N ) ※C-H, C-C, C ≡ N(対称、非対称)

    (5) 3-クロロプロピン液体 ( H-C≡C-CH2-Cl) ※C-Cl, C―H(C は三重結合), C―H(C―C―Cl の真ん中の C), C≡C, C-C

    (6) 四塩化炭素(CCl4) ※C-Cl

    2-4. 解析&レポート課題 (ア) 各試料について注目すべき伸縮振動を列記してある。表 1 を参考にどのピーク(バンド)がどの

    伸縮振動に対応するのか帰属する。(ここでは詳細な基準振動は考えないで、2~3原子のユ

    ニットに着目し、2~3原子分子と同様に帰属を行ってみる。)

    ※共通の結合を持つ分子同士でスペクトルを比較することが非常に重要である。列記した伸縮振動のなか

    には選択則(解説 E 参照)により観測されないものも有り得る。伸縮振動の帰属を多数の分子種に行った後に、残されたバンドを変角振動に帰属する。

    3.塩化水素(HCl)・塩化重水素(DCl)の振動回転遷移(解説 F ~ H を参照)

    3-1. 目的 赤外吸収を示す代表的な二原子分子として HCl を取り上げ、その赤外スペクトルに現れる回転線

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    J = 0 J = 1

    J = 2

    J = 3

    v = 0

    v = 1

    電子 基底状態

    第一 電子励起 状態

    図 1 分子のエネルギー準位構造の模式図

    (解説 F 参照)の間隔を解析することにより、核間距離を算出する。また重水素化した DCl を試料に用いることで、赤外吸収における重水素化効果を理解する。

    3-2. 実験 ① 簡易型の気体セルを利用した透過型測定(解説 C 参照)により赤外スペクトルを記録する。

    HCl(DCl)の取り扱いには十分注意すること。

    ② 回転線を分離するために、できるだけ高い分解能で赤外スペクトルを測定する。HCl およびDCl について観測された各ピークの位置を読み取り記録する。

    3-3. 解析&レポート課題 (ア) 解説 F および G を参照し、各ピーク(回転線)を帰属せよ。

    (イ) (27)式にもとづき、振動準位 v = 0 と 1 における回転定数 B0 と B1、さらに遠心力ひずみ定数D0 と D1を、最小二乗解析により決定せよ。

    (ウ) 決定した B0 と B1を用いて、HCl(DCl)の核間距離を算出せよ。また、同じく B0 と B1を用いて(17)の Beおよびαeを求めよ。

    (エ) HCl と DCl の赤外スペクトルを比較し、重水素化効果について考察せよ。

    (オ) (28)式をもとに、得られた回転線の強度分布について考察せよ。

    解説 A: 分子のエネルギー構造 他の分子と相互作用していない孤立した分子の全エネルギーE は、電子・振動・回転のエネルギーの和と考えることができる。

    E = Eelec + Evib + Erot (1) 電子や原子が分子内に束縛されていて運動が

    定常的であるならば、電子・振動・回転の各エ

    ネルギーは量子化されて離散的な値をとる。こ

    れらのエネルギー値は分子種に固有のものであ

    るが、その大きさはどの分子種でもおおむね電

    子 >> 振動 >> 回転である。電子・振動・回転のエネルギーの大きさが 2 桁程度ずつ違うため、分子のエネルギー準位は、電子状態ごとに振動

    準位群が存在し、さらに振動準位ごとに回転準

    位群が存在する階層構造となる(図 1)。図中の矢印は、左から電子振動回転遷移、振動回転遷

    移、純回転遷移を示している。どの場合でも、遷移の始状態と終状態は固有の電子・振動・回転の

    量子数を持っている。気相では周囲の分子との衝突頻度が小さいので、回転運動は実質的に定常状

    態とみなせて量子化され、電子振動遷移や振動遷移に付随して回転準位間の遷移が観測される。こ

    れに対して液相では、密度が高いため分子が自由に回転できず量子化された回転準位は存在しない。

    したがって、液相では電子振動遷移または振動遷移がもっぱら観測される。

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    解説 B: 調和振動子近似 二原子分子の単純なモデルとして、質量 m1と m2の質点が、質量ゼロで長さ r のバネで結ばれた系を考える。古典力学ではバネ定数 k のバネにつるされた質量 m の質点は、バネの自然長 reからの変位に比例する復元力 f = −k (r − re)によって、角振動数(角速度)ω = (k / m)1/2で単振動する。 二原子分子の振動が単振動として扱えるとして(調和振動子近似)シュレディンガー方程式を解く

    と、量子化された振動エネルギー G(v) は波数 ν~ = ν/c = ω / 2π c を使って(c は真空中の光速)

    )(~)()( 2121 +=+= vhcvhvG νν (2)

    11

    1

    27913021 −

    = cm)molg/(

    )mN/(.~µµ

    ν kkc

    (3)

    21

    21

    mmmm+

    =µ (4)

    となり、エネルギー間隔は古典的振動数に対応する。ここで v (= 0, 1, 2, ...)は振動準位の量子数である。二原子分子では結合(バネ)の両端に原子(質点)があるので質量 m は(4)の実効質量 µ に書き換える。

    解説 C: 赤外吸収と選択則 分子が吸収する光の振動数ν は、始状態 | i 〉 のエネルギーを Ei、終状態 | f 〉 のエネルギーを Efとすると

    吸収: hν = ∆E = Ef − Ei (∆E > 0) (5) のように、2 つの状態のエネルギー差と等しいものに限られ、これを共鳴という。つまり分子の吸収スペクトルは、分子種に固有の電子・振動・回転準位のエネルギー差を反映している。

    分子 1 個が光を吸収または放出して始状態から終状態に遷移する確率は、遷移モーメントµの二乗に比例し、赤外吸収のような電気双極子遷移の場合、電気双極子モーメントの演算子 er により、

    µ = 〈 f | er | i 〉 (6) である。ここで e は電荷、r は位置の演算子である。〈 f | er | i 〉 のブラケット表記は、状態 | i 〉 に演算子 er が作用した結果と状態 | f 〉 の複素共役の積を適当な座標で積分したものを表す。すなわち、µの大きさは、遷移の始状態と終状態の性質によって決まる。吸収や発光の絶対強度は、遷移強度 |µ |2と始状態に存在する分子数 Niの積に比例し、飽和がなければ吸収される光子数は入射光強度にも比例する。

    振動準位 v から v′への双極子遷移の強度は、(6)式から、電気双極子モーメント演算子 er を始状態の波動関数 | v 〉 に作用させ、それと終状態の波動関数 | v′ 〉 の積を核間距離 r で積分した遷移双極子モーメント µ = 〈v′| er |v〉の二乗に比例する。µ を平衡核間距離 reのまわりでテーラー展開すると次のようになる。

    vvvv eee

    rrdrd

    rr−′

    +′=

    =

    µµμ (7)

    ここでµeは r = reでの永久電気双極子モーメントを表し、展開は一次微分までで打ち切っている。

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    各振動準位の波動関数は規格直交化されているので、(7)式の第 1 項において 〈v′|v〉 = δ v′vとなる。したがって、異なる振動準位間の遷移には(7)式の第 2 項だけが寄与する。第 2 項の積分は、調和振動子では∆v = v′ − v = ±1 のときにのみゼロとならない。また第 2 項の ( )

    errdrd =µ は re近傍での r

    の変化、すなわち振動による電気双極子モーメントの変化を表す。これら 2 つの因子の両方がゼロとならない条件から、振動遷移の選択則は次のようになる。

    (2)式と選択則の①から、遷移エネルギーに対応する波数が(3)式で与えられことがわかる。実際の分子は、上に述べたように完全な調和振動子ではないので、強度は弱くなるが ∆v = ± 2 以上の遷移も観測される。②の選択則により、分子のどのような振動運動が赤外吸収を示すかが理解できる(次

    項の解説 D 参照)。

    解説 D: 分子の基準振動 二原子分子の振動を記述するハミルトニアンは、平衡核間距離からのずれを振動座標 Q (= r − re)として、調和振動子近似のもとで

    [ ]2221 kQQ += µibvH (8)

    と書ける。これを運動量形式に書き換えたシュレディンガー方程式を解くと、振動のエネルギー G(v) とそれに対応した固有関数 | v 〉 = φ v(Q) が得られる。

    多原子分子の振動は二原子分子の振動とは異なり、3 つ以上の自由度(= n とする)を持つ。この場合の振動の座標は、結合長や結合角の平衡位置からのずれになるが、それらの一次結合をうまくと

    って新しい座標(基準座標)Q1, Q2, ..., Qn を導入すると、振動のハミルトニアンは

    [ ] [ ] [ ]22222222211211 21

    21

    21

    nnnn QkQQkQQkQ ++++++= µµµvibH (9)

    と表される。このとき全振動エネルギーは各基準振動の振動エネルギーの和になる。

    ( ) ( ) ( )21212211 ++++++= nnn vvvhvvvG ννν 2121 /),,,( (10) ここで viとν iは基準振動 i の振動量子数と振動数である。この場合の固有関数は、各基準振動の波動関数の積 |v1, v2, ..., vn〉 = |v1〉 |v2〉 ... |vn〉 = )()()( 21 21 nQQQ nvvv φφφ になる。

    以下に基準振動の例として、直線三原子分子である CO2、および非直線三原子分子である H2O について、その振動数とともに示す。

    ① 振動量子数の変化は ∆v = ±1 ② 電気双極子モーメントが振動によって変化

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    解説 E: 多原子分子の振動 原子数が N 個の多原子分子について、すべての原子の位置を指定するには 3N 個の座標が必要であり、これは運動の自由度の数に対応する。そのうちの 3 個は重心の並進運動に対応し、さらにもう 3 個(直線分子の場合は 2 個)は回転運動に対応する。したがって、残りの 3N − 6 個(直線分子では 3N − 5 個)が、分子の骨格が変形する運動すなわち伸縮・変角などの振動運動に対応する。多原子分子の振動は、これら 3N − 6(= n)個の基準振動の問題として扱う必要があるが、各結合に固有の伸縮振動や変角振動とみなせることが多い。すなわち伸縮振動については、結合の両端の原子の

    みに着目し、これを二原子分子と同様に扱える。

    本実験では伸縮振動に注目しているので、例えばメタノール CH3OH では CH 伸縮、CO 伸縮、OH 伸縮の振動があると考える。この近似では CH3基の 3 つの CH 結合は区別されないが、複数の等価な結合の伸縮振動は、それらが同じ位相で振動する対称伸縮振動と逆の位相で振動する逆対

    称伸縮振動に分かれる。たとえば直線 XYX 型分子の対称伸縮振動と逆対称伸縮振動の振動数は XY結合のバネ定数を k、原子 X と Y の質量を mX、mYとして次のように表される。

    Xsym / mk=ω (11)

    YXXYasym /)( mmmmk 2+=ω (12) (11)と(12)の比をとると、大きさは mXと mYの比に依存するが、常にω asym > ω symで逆対称振動の振動数が大きいことがわかる。

    遷移強度や選択則についても、多原子分子では基準振動を扱わねばならないが、結果的には二原

    子分子の議論と同様に考えてよいことがわかる。すなわち双極子モーメントが変化する振動につい

    て赤外吸収遷移が観測される。調和振動子近似において述べた選択則を多原子分子に拡張すると、

    群論の表現も使って次のようになる。

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    選択則の①については、解説 B で述べた調和振動子近似の破れから、多原子分子でもある基準振動が ∆v = ± 2 以上となる遷移(倍音)や、複数の基準振動の量子数が変化する遷移(結合音)が弱い強度ながらも観測される。選択則の②は、始状態と終状態の既約表現の積が x, y, z のどれか 1 つと同じ既約表現となることを要求する。これは(6)式の積分がゼロにならない条件を群論で表現したもので、終状態・双極子モーメントのベクトル成分・始状態の 3 つの既約表現の積が全対称表現になる条件である。

    解説 F: 分子回転のエネルギー 古典力学では、慣性モーメント I の棒状剛体が角運動量 J = Iω で回転するエネルギーは J 2 / 2I

    で表される。ここでω は回転運動の角振動数を表す。慣性モーメントは ∑= i ii rmI2(riは回転軸

    からの距離)で定義され、物体の回転のしやすさを表す。直線運動では運動量 P = mv、運動エネルギーE = P 2 / 2m であるから、I ⇔ m、ω ⇔ v、J ⇔ P の対応がある。

    角運動量演算子 J 2の量子力学的期待値は J(J + 1)h2/4π 2なので、離散的な回転エネルギーは

    IhJJE 2

    2

    81

    π)(

    rot+

    = (13)

    となる。ここで J (= 0, 1, 2, ...)は回転角運動量の量子数である。二原子分子の場合には慣性モーメント I は次のように書き換えられる。

    2222

    211 'rrmrmI µ=+= (14)

    ここで 21,rr は重心から各原子への距離( 21' rrr += )、µ は実効質量である。振動の場合と同様に波数単位に書き直すと

    )()( 1+= JJBJF (15)

    cIhB 28π

    = (16)

    となる。ここで B は回転定数と呼ばれ、慣性モーメントの逆数に比例する(回転定数をエネルギー単位で表現する場合には B = h2/8π2I となる)。

    ここまでの議論では、分子内の核間距離は一定として考えてきた(剛体回転子近似)。しかし実際の分子は振動しながら回転しているので、核間距離は一定ではない。二原子分子についてこの振

    動回転相互作用の効果を考えると、式 17 の回転定数は振動準位ごとに異なる値をもち、振動準位v における回転定数 Bvは良い近似で

    +−=

    21vBB ee αν (17)

    と書ける。ここで eB は平衡核間距離における回転定数、 eα は振動回転相互作用の定数で一般に正の値をとる。

    古典力学において、ばねで結ばれた二つのおもりの回転を考えると、回転速度が大きくなると共

    ① 始状態から終状態で、ある 1 つの基準振動の量子数のみ ∆v = ±1 変化 ② 量子数が変化する基準振動と x, y, z のいずれかが同じ既約表現に属す

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  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    におもり間距離が伸び、慣性モーメントが大きくなる。この効果は遠心力ひずみと呼ばれ、角運動

    量の 4 乗に比例して回転エネルギーが小さくなる項が加わる。量子力学的には、この効果は

    )(JF 22 11 )()( +−+= JJDJJB νν (19) のように(19)の2項目の遠心力項として現れる。これは(15)において回転定数B を回転準位に依存した実効的な回転定数

    )()( 1+−= JJDBJBeff νν (20) に置き換えたとみることもできる。遠心力ひずみ定数 νD の大きさはおよそ

    23 /4 eeB ω であり、一般に高い回転準位でなければ遠心力項の影響は小さいが、塩化水素のように水素原子を含む二原子分子

    では低い回転準位でも影響があらわれる。

    解説 G: 二原子分子の振動回転遷移 回転準位 J から 'J への双極子遷移の選択則は ∆ J = 'J − J = 0, ±1 であり、∆ J = −1, 0, +1 の遷移を各々P 枝、Q 枝、R 枝と呼ぶ。塩化水素の振動回転遷移では P 枝と R 枝のみが許容である。遠心力ひずみを無視すれば、R 枝と P 枝の遷移エネルギーの波数 ν~Rと ν~Pは始状態の回転量子数 J の関数として

    200 11121 ))('())('(~)())(('~)(~ +−++++=+−+++= JBBJBBJBJJJBJR ννν (21)

    200 11 JBBJBBJBJJJBJP )'()'(~)()('~)(~ −++−=+−−+= ννν (22)

    となる。(右図 2 参照)ここで 'B と B は吸収の終状態と始状態の回転定数、 0ν は2つの振動準

    位の 0=J の準位間のエネルギー差に対応する波数である。まず簡単のため回転定数が振動準

    位に依存しない場合( BB =' の場合)を考えると、(21)、(22)の最後の項は消えるため、回転線は B2 の等間隔で並ぶ。 J の最小値は 0 なので R 枝は 0=J から始まり、P 枝は 1=J から始まる。 BB =' より ν~R (0) - ν~P(1) = 4B となるので、R 枝と P 枝の始まりの間隔は他の回転線の間隔の 2 倍になる。以上に留意すれば振動回転線の帰属は容易である。実際の回転定数は振

    動準位によって異なるので、次に BB ≠' の一般の場合を考える。(21、22)の最後の項により回転線は等間隔ではなくなる。このとき回転線

    の間隔は J に対して滑らかに変化し、 'B とB の大小関係に応じて、P 枝と R 枝のうち一方は間隔が狭くなり他方は広くなる。 'B と B は

    )12('2)(~)(~ +=− JBJJ PR νν (23) )12(2)1(~)1(~ +=+−− JBJJ PR νν (24)

    の関係から J∆ が異なる回転遷移の遷移エネルギーの差から決定できる。この方法は結合差法と呼ばれ始状態または終状態の一方の回転定数が消去されるため解析が容易になる。この場合、回転定

    数によらず同じ回転定数が得られるが、本実験で扱う塩化水素の場合、前述のように(19)の遠心

    図 2 二原子分子の振動回転遷移

    - 30 -

  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    力項が無視できないため、回転定数は回転量子数に依存する。遠心力項を考慮すると結合差は 3)12(')12)('3'2()(~)(~ +−+−=− JDJDBJJ PR νν (25)

    3)12()12)(32()1(~)1(~ +−+−=+−− JDJDBJJ PR νν (26) となる。この場合でも DB >> より、 BDB 2)32( ≈− とおいて両辺を )12(2 +J で割れば

    ( ) ( ) ( ) 2/12122/~~ 2PR +−=+− JDBJνν (27) となり最小二乗解析から振動準位ごとに回転定数 B (B’)と遠心力ひずみ定数 D(D’)が決定される。

    解説 H: 振動回転線の強度分布の意味 P 枝、R 枝を構成する回転線の強度は、振動のみのエネルギー変化 vibhν から離れた2箇所で最大強度を示す特徴がある。これはおよそ吸収強度が遷移始状態の占有確率に比例すると考えると説

    明できる。回転準位は 2J + 1 の縮重度を持つ。そして、ボルツマン分布に従って基底振動状態の回転準位は予め熱励起されている。すなわち基底振動状態の回転準位はおよそ

    ])1(exp[)12(Tk

    JBJJB

    +−+ (28)

    に比例した占有確率を示すと考えられる。この関数は(2J + 1)因子の影響で一旦増加するが指数関数部分の影響で大きな J では零に近づく。この強度変化の形状は分子のエネルギー準位と温度だけ決まっていることになる。本実験では波数分解能などにより、正確な遷移強度の見積もりはできな

    いものの、原理的には回転線の強度変化の形状から分子の温度を推定することができる。

    解説 a: フーリエ変換型赤外分光装置(FTIR) 概略図を右に示す。光源、マイケル

    ソン干渉計、試料設置部、検出器から

    構成されている。干渉計では光源から

    の光をビームスプリッターで二分割し、

    固定鏡と移動鏡で反射させたあと、同

    じビームスプリッターで 1 つに戻して干渉させる。移動鏡の位置を変えなが

    ら光強度を記録するのがインターフェ

    ログラム(干渉信号)で、2 つの光路の位相差の変化で光強度が振動する。単色なら光路差に対してその波長の周期で振動する正弦波が

    得られる。干渉信号をフーリエ変換すると周波数が求められる。実際の光源からの光は赤外線に広

    い周波数分布をもつが、インターフェログラムのフーリエ変換でスペクトルが計算できる。試料の

    ある場合と無い場合で干渉信号を測定し、ふたつの干渉信号から試料のある場合と無い場合の透過

    スペクトルをフーリエ変換で得れば、その差スペクトルが試料の吸収スペクトルとなる。 (参考文献: 第 5 版実験化学講座 9 「物質の構造 I」p67~78, 日本化学会編, 丸善)

    固定鏡

    移動鏡

    試 料

    検出器

    - 31 -

  • 課題3 分子の振動・回転状態と赤外分光

    解説 b: 全反射型吸収測定(Attenuated Total Reflection: ATR) 赤外領域で透明な窓材の屈折

    率が対象試料よりも大きな場

    合、臨界角θC より大きな入射角の赤外光は界面で試料側に

    は伝播せずに全て窓材側へ反

    射される。ただし、波長程度の

    深さdp,1/eだけ赤外光は試料中に浸み込む(エバネッセント

    波)ので、赤外光の波長領域で

    試料が吸収を示す場合には反

    射率が1ではなくなり、試料の吸収強度に応じて反射赤外光の強度は弱くなる。このような光学系

    を FTIR の試料室に組み込んで全反射型の赤外吸収スペクトルを得ることができる。

    注意点、特徴など:①波長が長いほど浸み込みが深くなるので低波数領域のスペクトルでバン

    ド強度が相対的に増大する。②浸み込み深さは入射角度に依るので、感度が入射角度で変わる。

    ③微弱な信号に対して多重反射型光学系が有効。④水など強い吸収を持つものでも浸み込み深

    さが波長程度などで計り易い。�