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764 食品と容器 2011 VOL. 52 NO. 12 冬場に急増する食中毒-ノロウイルス- 特別解説 林  清 し・ 名古屋大学農学部卒業。 食品総合研究所勤務,農 林水産省勤務を経て,現 在(独)農業・食品産業技 術総合研究機構理事,食 品総合研究所所長。 博士(農学)(1984年,名 古屋大学) 1.冬場に流行する食中毒 我が国の焼き肉チェーン店でユッケを食べた ことが原因の食中毒,あるいはドイツをはじめと するヨーロッパで猛威をふるった食中毒はいずれ も腸管出血性大腸菌であり死者も発生した。食の グローバル化,大量生産が進展するに従い,食中 毒は大規模化する傾向がある。温暖で食べ物が腐 敗しやすい季節(微生物が繁殖しやすい季節)に 食中毒が発生するものと勘違いしがちであるが, ノロウイルス食中毒 1) のように冬場に流行する食 中毒もある。 厚生労働省が今年7月に公表した2010年の食 中毒発生状況によると 2) ,食中毒の総件数は前年 より206件増加し1,254件,総患者数は5,723人増 加し2万5,972人であった。とりわけ,冬場の1 月~3月の3カ月間で年間の総患者の半数を占め, その大半がノロウイルスを原因とする食中毒であ った。食中毒の原因物質別に見ても,ノロウイル スが34%と最も多い。原因物質が判明した食中毒 を対象にした患者数でもノロウイルスは1万 3,903人(58%)とずば抜けて多く,冬場に向け て注意喚起が必要である。 厚生労働省では,平成9年から15年までは小型 球形ウイルス食中毒として,平成15年8月以降は ノロウイルス食中毒として集計している。統計を とりはじめた平成15年以降は,ノロウイルスによ る食中毒は,事件数,患者数ともに常にトップレ ベルである。ノロウイルス食中毒の月別の発生状 況をみると,一年を通して発生が見られるものの, 11月頃から発生件数が増加しはじめ,1~2月が 発生のピークとなる傾向がある(第1図)。 ノロウイルスは世界中に広く分布しており,ア メリカ,イギリス,ニュージーランド,オースト ラリア,フランス,スペイン,オランダ,アイル ランド,スイスなどでノロウイルス感染が報告さ れている。この他,クルーズ船内での感染例もあ る。我が国の輸入海産物200件ほどを対象に検査し た報告において,中国産,韓国産,北朝鮮産の1 割強からノロウイルスが検出されたとの報告もあ 3) 2.ノロウイルス食中毒の原因 感染性胃腸炎は,多種多様の原因によるものを 含む症候群である。その主な病原体は,細菌,ウ イルス,寄生虫である。原因病原体のうちのウイ ルスでは,ロタウイルス,腸管アデノウイルス, ノロウイルスがある。すなわちノロウイルスは「感 染性胃腸炎」の原因の一部ではあるものの,冬季 の感染性胃腸炎の主要原因である。 ノロウイルス食中毒の原因となる食品としては, 生カキ等の二枚貝が大半を占めている。二枚貝は プランクトンなどのエサを摂取する際,大量の海 水(1個のカキが1日に24~70リットルの海水を

764特別解説(ノロウイルス)1101吉田 04 15宇田kangiken.net/backnumber/5212_Eturan_p764.pdf · 食品と容器 764 2011 vol. 52 no.12 冬場に急増する食中毒-ノロウイルス-

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764食品と容器 2011 VOL. 52 NO. 12

冬場に急増する食中毒-ノロウイルス-

特別解説

林  清

は や し・ き よ し名古屋大学農学部卒業。食品総合研究所勤務,農林水産省勤務を経て,現在(独)農業・食品産業技術総合研究機構理事,食品総合研究所所長。博士(農学)(1984年,名古屋大学)

1.冬場に流行する食中毒

 我が国の焼き肉チェーン店でユッケを食べたことが原因の食中毒,あるいはドイツをはじめとするヨーロッパで猛威をふるった食中毒はいずれも腸管出血性大腸菌であり死者も発生した。食のグローバル化,大量生産が進展するに従い,食中毒は大規模化する傾向がある。温暖で食べ物が腐敗しやすい季節(微生物が繁殖しやすい季節)に食中毒が発生するものと勘違いしがちであるが,ノロウイルス食中毒1)のように冬場に流行する食中毒もある。 厚生労働省が今年7月に公表した2010年の食中毒発生状況によると2),食中毒の総件数は前年より206件増加し1,254件,総患者数は5,723人増加し2万5,972人であった。とりわけ,冬場の1月~3月の3カ月間で年間の総患者の半数を占め,その大半がノロウイルスを原因とする食中毒であった。食中毒の原因物質別に見ても,ノロウイルスが34%と最も多い。原因物質が判明した食中毒を対象にした患者数でもノロウイルスは1万3,903人(58%)とずば抜けて多く,冬場に向けて注意喚起が必要である。 厚生労働省では,平成9年から15年までは小型球形ウイルス食中毒として,平成15年8月以降はノロウイルス食中毒として集計している。統計をとりはじめた平成15年以降は,ノロウイルスによ

る食中毒は,事件数,患者数ともに常にトップレベルである。ノロウイルス食中毒の月別の発生状況をみると,一年を通して発生が見られるものの,11月頃から発生件数が増加しはじめ,1~2月が発生のピークとなる傾向がある(第1図)。 ノロウイルスは世界中に広く分布しており,アメリカ,イギリス,ニュージーランド,オーストラリア,フランス,スペイン,オランダ,アイルランド,スイスなどでノロウイルス感染が報告されている。この他,クルーズ船内での感染例もある。我が国の輸入海産物200件ほどを対象に検査した報告において,中国産,韓国産,北朝鮮産の1割強からノロウイルスが検出されたとの報告もある3)。

2.ノロウイルス食中毒の原因

 感染性胃腸炎は,多種多様の原因によるものを含む症候群である。その主な病原体は,細菌,ウイルス,寄生虫である。原因病原体のうちのウイルスでは,ロタウイルス,腸管アデノウイルス,ノロウイルスがある。すなわちノロウイルスは「感染性胃腸炎」の原因の一部ではあるものの,冬季の感染性胃腸炎の主要原因である。 ノロウイルス食中毒の原因となる食品としては,生カキ等の二枚貝が大半を占めている。二枚貝はプランクトンなどのエサを摂取する際,大量の海水(1個のカキが1日に24~70リットルの海水を

765食品と容器 2011 VOL. 52 NO. 12

取り込むといわれている)を取り込み,プランクトンを体内に残し出水管から排水する。海水中にごくわずかに含まれるノロウイルスはこのメカニズムによりカキに取り込まれ,濃縮される。カキ以外の二枚貝でもノロウイルスが濃縮されると推察されるが,生で二枚貝を食べるのは,主として冬場のカキである。その結果,冬場にノロウイルスによるカキの食中毒の発生が増加すると考えられる。また,冬場は海水温が10℃以下となりカキの身入りがもっとも良くなり,カキが美

味い

しい時期でもある。 ノロウイルスは,主にカキの内臓,特に中腸腺

せん

と呼ばれる黒褐色をした部分に存在し,カキを洗浄しても内蔵にいるノロウイルスは除去できない。さらに,カキを洗浄する時や,カキ殻からカキの身を取り出す時には,まな板等の調理器具を汚染することもある。殻付きカキの処理に使用したまな板等は,よく水洗してから他の食材の調理に使用したり,カキの調理は最後にする等,二次汚染を防止することが重要である。さらに,カキを調

理したあとは手指もよく洗浄,消毒することが望ましい。 なお,食品衛生法に基づく規格基準に適合したものだけが「生食用カキ」として,それ以外は「加熱加工用カキ」として市場で流通している。「生食用カキ」であってもノロウイルス検査は義務づけられていないことから,消費期限内であるか否かにかかわらずノロウイルス感染源となる場合もありうる。ただし,自主的に検査を行いその結果をホームページ等で公表している水産加工業者などもあり,カキの生食が一律に危険というわけではない。ノロウイルスをカキから完全に排除する技術はいまだ確立されていないことから,「生食用カキ」であればノロウイルスに汚染されていないことを保証するものではない。さらに,海水中にごくわずか存在するノロウイルスを濃縮することから,ウイルス濃縮の程度がカキごとで異なり,同じ産地・ロットのカキでも1個ごとに陽性と陰性が混在する場合も多く,抜き取りによるノロウイルス検査を困難にしている。

第1図 過去11年間の月別の感染性胃腸炎の発生件数 (カラー図表をHPに掲載 C068)国立感染症研究所感染症情報センターHP(過去10年間との比較グラフ、感染性胃腸炎)より引用。

(http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/04gastro.html)

2

取り込むといわれている)を取り込み,プランク

トンを体内に残し出水管から排水する。海水中に

ごくわずかに含まれるノロウイルスはこのメカニ

ズムによりカキに取り込まれ,濃縮される。カキ

以外の二枚貝でもノロウイルスが濃縮されると推

察されるが,生で二枚貝を食べるのは,主として

冬場のカキである。その結果,冬場にノロウイル

スによるカキの食中毒の発生が増加すると考えら

れる。また,冬場は海水温が10℃以下となりカキ

の身入りがもっとも良くなり,カキが美味しい時

期でもある。 ノロウイルスは,主にカキの内臓,特に中腸腺

せ ん

呼ばれる黒褐色をした部分に存在し,カキを洗浄

しても内蔵にいるノロウイルスは除去できない。

さらに,カキを洗浄する時や,カキ殻からカキの

身を取り出す時には,まな板等の調理器具を汚染

することもある。殻付きカキの処理に使用したま

な板等は,よく水洗してから他の食材の調理に使

用したり,カキの調理は最後にする等,二次汚染

を防止することが重要である。さらに,カキを調

理したあとは手指もよく洗浄,消毒することが望

ましい。 なお,食品衛生法に基づく規格基準に適合した

ものだけが「生食用カキ」として,それ以外は「加

熱加工用カキ」として市場で流通している。「生食

用カキ」であってもノロウイルス検査は義務づけ

られていないことから,消費期限内であるか否か

にかかわらずノロウイルス感染源となる場合もあ

りうる。ただし,自主的に検査を行いその結果を

ホームページ等で公表している水産加工業者など

もあり,カキの生食が一律に危険というわけでは

ない。ノロウイルスをカキから完全に排除する技

術はいまだ確立されていないことから,「生食用カ

キ」であればノロウイルスに汚染されていないこ

とを保証するものではない。さらに,海水中にご

くわずか存在するノロウイルスを濃縮することか

ら,ウイルス濃縮の程度がカキごとで異なり,同

じ産地・ロットのカキでも1個ごとに陽性と陰性

が混在する場合も多く,抜き取りによるノロウイ

ルス検査を困難にしている。

第1図 過去 11 年間の月別の感染性胃腸炎の発生件数 (カラー図表をHPに掲載 C000) X軸:週,Y軸:定点あたりの患者報告数,11 は2011 年を示す。

国立感染症研究所感染症情報センターHP(過去10 年間との比較グラフ、感染性胃腸炎)より引用。 (http://idsc.nih.go.jp/idwr/kanja/weeklygraph/04gastro.html)

定点あたりの患者報告数

11は2011年を示す

766食品と容器 2011 VOL. 52 NO. 12

 カキ以外にも大アサリ(ウチムラサキ貝),シジミ,ハマグリ等の二枚貝が食中毒の原因食品となっている。また,カキや二枚貝を全く含まない食品が原因のノロウイルス食中毒も発生しているが,ノロウイルス感染した食品取扱者を介して食品が汚染されたことが原因と考えられる。

3.ノロウイルスの正体と検査方法

 「ノロウイルス」の発見は比較的新しく,10年前に命名された。1968年に米国ノーウォークという町で集団発生した急性胃腸炎の患者のふん便からウイルスが検出され,発見された土地の名前からノーウォークウイルスと呼ばれた。1972年に電子顕微鏡でその形態が明らかにされ,小型で球形であることから「小型球形ウイルス(SRSV)」の一種と考えられた。その後,非細菌性急性胃腸炎の患者が多数見つかり,各地の地名を付したさまざまな名称で呼ばれた。それらを遺伝子分析した結果,非細菌性急性胃腸炎をおこす「小型球形ウイルス」は2種類に分類され,その大半がノーウォークウイルスであった。2002年8月になり,国際ウイルス学会で正式に「ノロウイルス」と命名された(第2図)。 一般的に,ウイルスは数十~数百nmの大きさで,他の生物の細胞の100~1,000分の1程度の大きさである。ノロウイルスは,直径 30~38nmの正二十面体であり,ウイルスとしては小型である。

ウイルス表面はタンパク質で覆われ,内部に遺伝子としてプラス1本鎖RNAを持っている。ノロウイルスは,GenogroupⅠ(GⅠ)とGenogroupⅡ

(GⅡ)の2つの遺伝子群に分類され,さらにそれ ぞ れ15と18あ る い は そ れ 以 上 の 遺 伝 子 型

(genotype)に分類される4)。また,培養した細胞および実験動物でノロウイルスを増やすことができないことから,ノロウイルスを分離して特定することが困難である。特に食品中に含まれるウイルスを検出することは,その量が多くないことから難しく,ノロウイルス食中毒の原因究明や感染経路の特定を困難にしている。 ノロウイルスによる病気かどうかは,臨床症状からだけでは特定できない。患者のふん便や吐ぶつを用いて,RT-PCR法,リアルタイムPCR法などによりノロウイルス遺伝子を増幅し検出する方法や電子顕微鏡でウイルスを見つける方法で,確定する。患者のふん便には通常大量のウイルスが排泄

せつ

されるので,比較的容易にウイルスを検出できる。

4.ノロウイルスの感染経路

 ノロウイルス感染経路の大半は次のような経口感染である。①生あるいは十分に加熱調理しないで汚染された貝類を食べた場合,②食品を取り扱う者が感染しており,その者を介して汚染した食品を食べた場合,③患者のふん便や吐ぶつから二次感染した場合,④家庭や共同生活施設などヒト同士が接触する機会の多いところでヒトからヒトへ直接感染する場合もある。

5.ノロウイルス感染を防ぐ

 細菌性の食中毒であると,食品の保存中に細菌が増殖し食中毒の原因となるため,細菌が増殖しないように食品の温度管理が重要である。しかし,ノロウイルスは食品中で増殖しないことから,食品の低温管理や冷凍保存は有効な防止方法とはならない。ノロウイルスに汚染された食品は,高めの貯蔵温度や長期の貯蔵期間であってもノロウイルスは増えない点が他の細菌性の食中毒と大きく異なる。すなわち,一旦,ノロウイルスに汚染さ

3

カキ以外にも大アサリ(ウチムラサキ貝),シジ

ミ,ハマグリ等の二枚貝が食中毒の原因食品とな

っている。また,カキや二枚貝を全く含まない食

品が原因のノロウイルス食中毒も発生しているが,

ノロウイルス感染した食品取扱者を介して食品が

汚染されたことが原因と考えられる。

3.ノロウイルスの正体と検査方法

「ノロウイルス」の発見は比較的新しく,10 年

前に命名された。1968 年に米国ノーウォークとい

う町で集団発生した急性胃腸炎の患者のふん便か

らウイルスが検出され,発見された土地の名前か

らノーウォークウイルスと呼ばれた。1972 年に電

子顕微鏡でその形態が明らかにされ,小型で球形

であることから「小型球形ウイルス(SRSV)」の

一種と考えられた。その後,非細菌性急性胃腸炎

の患者か多数見つかり,各地の地名を付した様々

な名称で呼ばれた。それらを遺伝子分析した結果,

非細菌性急性胃腸炎をおこす「小型球形ウイルス」

は2種類に分類され,その大半がノーウォークウ

イルスであった。2002 年8月になり,国際ウイル

ス学会で正式に「ノロウイルス」と命名された(第

2図)。 一般的に,ウイルスは数十~数百nmの大きさ

で,他の生物の細胞の100~1,000分の1程度の大

きさである。ノロウイルスは,直径 30~38nmの

正二十面体であり,ウイルスとしては小型である。

ウイルス表面はタンパク質で覆われ,内部に遺伝

子としてプラス1本鎖RNAを持っている。ノロウ

イルスは,GenogroupⅠ(GⅠ)とGenogroupⅡ(GⅡ)の2つの遺伝子群に分類され,さらにそ

れぞれ15と18あるいはそれ以上の遺伝子型

(genotype)に分類される4)。また,培養した細

胞および実験動物でノロウイルスを増やすことが

できないことから,ノロウイルスを分離して特定

することが困難である。特に食品中に含まれるウ

イルスを検出することは,その量が多くないこと

から難しく,ノロウイルス食中毒の原因究明や感

染経路の特定を困難にしている。 ノロウイルスによる病気かどうかは,臨床症状

からだけでは特定できない。患者のふん便や吐ぶ

つを用いて,RT-PCR法,リアルタイムPCR法な

どによりノロウイルス遺伝子を増幅し検出する方

法や電子顕微鏡でウイルスを見つける方法で,確

定する。患者のふん便には通常大量のウイルスが

排泄せ つ

されるので,比較的容易にウイルスを検出で

きる。

4.ノロウイルスの感染経路

ノロウイルス感染経路の大半は次のような経口

感染である。①生あるいは十分に加熱調理しない

で汚染された貝類を食べた場合,②食品を取り扱

う者が感染しており,その者を介して汚染した食

品を食べた場合,③患者のふん便や吐ぶつから二

次感染した場合,④家庭や共同生活施設などヒト

同士が接触する機会の多いところでヒトからヒト

へ直接感染する場合もある。

5.ノロウイルス感染を防ぐ

細菌性の食中毒であると,食品の保存中に細菌

が増殖し食中毒の原因となるため,細菌が増殖し

ないように食品の温度管理が重要である。しかし,

ノロウイルスは食品中で増殖しないことから,食

品の低温管理や冷凍保存は有効な防止方法とはな

らない。ノロウイルスに汚染された食品は,高め

の貯蔵温度や長期の貯蔵期間であってもノロウイ

ルスは増えない点が他の細菌性の食中毒と大きく

異なる。すなわち,一端,ノロウイルスに汚染さ

第2図 ノロウイルスの電子顕微鏡写真

愛知県衛生研究所のHPより (http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/67f/nlv.html)

第2図 ノロウイルスの電子顕微鏡写真愛知県衛生研究所のHPより

(http://www.pref.aichi.jp/eiseiken/67f/nlv.html)

767食品と容器 2011 VOL. 52 NO. 12

れた食品は,加熱以外にはウイルスを失活させる方法がない。 しかし,いまだにノロウイルスを培養細胞や実験動物で増やす手法が見つかっていないため,ノロウイルスを失活させる温度と処理時間については,正確に判明していない。類似のウイルスからの推察で5),食品の中心温度85℃以上で1分間以上の加熱を行えば,感染性はなくなると考えられている。なお,ウイルスが失活する85℃1分の加熱処理では,カキの内臓部分は完全に凝固するので,加熱の際の目安となる。 ノロウイルスの失活化には,エタノールや逆性石けんはあまり効果がない。ノロウイルスを完全に失活する方法には,加熱の他に次亜塩素酸ナトリウム処理がある。調理器具等は洗剤などで十分に洗浄した後,次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度200ppm,市販の6%溶液であれば300倍希釈液)を振りかけるように拭く,あるいは浸すように拭くことによりノロウイルスを失活化できる。また,まな板,包丁,へら,食器,ふきん,タオル等は熱湯(85℃以上)で1分以上の加熱が有効である。 手洗いも効果がある。爪

つめ

を短く切り,指輪をはずし,石けんを十分泡立て,ブラシなどを使用して手指を洗浄することも有効である。石けん自体にはノロウイルスを直接失活する効果はないが,手の脂肪等の汚れを落とすことにより,小さなウイルスを手指から剥

がれやすくする効果がある。

6.二次感染の防止

 ノロウイルスによる食中毒は少ない量のウイルスでも感染することから,患者のふん便や吐ぶつがヒトを介して食品を汚染したために発生したという事例も少なくない。患者のふん便1グラムには1億個(ウイルス排泄量の平均値は遺伝子群GⅠで2.79×107コピー,GⅡで3.81×108コピー)4),吐ぶつ1グラムには100万個のノロウイルスが存在している。感染は検出感度を下回る10~100個の極微量のウイルスを摂取することで成立する4)。単純計算で,患者のふん便1グラムで,百万人以上の感染が成立することになる。これまでの食中毒事故の分析結果からも,ごくわずかなふん便や

吐ぶつが付着した食品でも多くのヒトを発症させることが判明しており,細心の注意が必要である。 ノロウイルスが感染・増殖する部位はヒトの小腸と考えられており,嘔

おう

吐症状が強いときには,小腸の内容物とともにウイルスが胃に逆流して,胃内の吐ぶつと一緒に排泄される。このため,ふん便と同様に吐ぶつ中にも大量のウイルスが存在し感染源となるので,吐ぶつの処理には十分注意する必要がある。 床等に飛び散った患者の吐ぶつやふん便を処理する際,処理する者は使い捨てのマスクと手袋を着用し(できればビニールエプロンを着用),使用するバケツ等もビニール袋をかぶせておく。汚物中のウイルスが飛び散らないように,ふん便,吐ぶつをペーパータオル等で広めに覆い,その上から次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度約1,000ppm,市販の6%の溶液であれば60倍希釈液)をまんべんなく吹きかけ,10分ほど放置する。その後,外側から内側に向かって静かに拭き取る。拭き取った後は,次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度約200ppm)で浸すように床を拭き取る。おむつ等は,速やかに閉じてふん便等を包み込む。ノロウイルスはほこりと一緒に空中に漂い,これが口に入って感染することがあるので,吐ぶつやふん便は速やかに処理し乾燥させないことが重要である。発症事例等から,乾燥した状態でも4℃では60日間,20℃では3~4週間程度感染能があると推察される。 汚物,おむつ,拭き取りに使用したペーパータオル等は,ビニール袋に密閉して廃棄する。この際,ビニール袋に廃棄物が充分に浸る量の次亜塩素酸ナトリウム(塩素濃度約1,000ppm)を入れウイルスを失活させ,その後の二次感染を防止するような配慮が必要である。また,次亜塩素酸系消毒剤を用いて手指等の体の消毒をすることは絶対に行うべきではない。 11月頃から2月の期間中は,乳幼児や高齢者の間でノロウイルスによる急性胃腸炎が流行する。この時期の乳幼児や高齢者の下痢便および吐ぶつには,ノロウイルスが大量に含まれていることを前提に,おむつ等の取り扱いには十分注意する必

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要がある。患者のおむつ交換を行う場合,ふん便等に直接触れないように使い捨て手袋を使用するのは当然であるが,作業が終わり手袋をはずした後,十分に手洗いし,うがいする。 ノロウイルスは感染していても症状を示さない不顕性感染も認められる。通常では1週間程度,長いときには1カ月程度ウイルスの排泄が継続するので,症状が改善した後も,しばらくの間は直接食品を取り扱う作業にかかわらないようにすべきである。さらに,下痢や嘔吐等の症状がある場合は,食品を直接取り扱う作業をさせないようにすべきである。また,食品を取り扱う者は,ノロウイルスに感染しないような自衛手段をこうずることも重要である。たとえば,家庭の中に小児や介護を要する高齢者がおり,下痢・嘔吐等の症状を呈している場合は,その汚物処理を含め,トイレ・風呂等を衛生的に保つ工夫が必要である。また,常日頃から手洗いを徹底するとともに食品に直接触れる際には「使い捨ての手袋」を着用するなどの注意が必要である。大きな調理施設等では,外部からの汚染を防ぐために客用とは別に調理従事者専用のトイレを設置したり,トイレ後は使い捨てペーパータオルを使用しタオル等の共用はせず,調理従事者間の相互汚染を防止するためにまかない食の衛生的な調理,ドアノブ等の手指が触れる場所の定期的な洗浄・消毒等の対策を取ることが大切である。

7.感染した場合の症状と対処方法

 ノロウイルス感染から発症までの潜伏期間は24~48時間で,主な症状は吐き気,嘔吐,下痢,腹痛であり,発熱は軽度である。通常,こうした症状が1~2日続いた後,治癒し,後遺症もない。また,感染しても発症しない場合や軽い風邪のような症状の場合もある。 現在,ノロウイルスに有効な抗ウイルス剤はないので,ノロウイルス自体を退治する治療法はない。脱水症状がひどい場合に輸液を行うなどの対症療法が有効である。体力の弱い乳幼児,高齢者は水分と栄養の補給を充分に行い体力が消耗しないように配慮する必要がある。また,下痢止め薬

は病気の回復を遅らせることがあるので使用しないことが望ましいといわれている。 感染が疑われた場合には,最寄りの保健所やかかりつけの医師に相談する。保育園,学校や高齢者の施設等で発生したときは素早く診断・確定し,適切な対症療法を行うとともに,①施設全体の発生状況を正確に把握し,②職員への周知等により,感染の拡大を防止し,③関係機関等へ連絡することが重要である。 なお,食品衛生法では,「食中毒が疑われる場合は,24時間以内に最寄りの保健所に届け出る」と定められている。感染症法において,ノロウイルスを含む感染性胃腸炎は5類感染症定点把握疾患に定められており,全国約3,000カ所の小児科定点より毎週報告がなされている。また,ノロウイルス食中毒の保健所への報告の基準は以下の通りである。①ノロウイルスによる感染性胃腸炎と診断された,またはノロウイルスの感染が疑われる死亡者又は重篤患者が1週間以内に2名以上発生した場合。②ノロウイルスの感染が疑われるものが10名以上または全利用者の半数以上発生した場合。③①および②に該当しない場合であっても,嘔吐や下痢症状のある者の数が通常を上回る場合。

8.将来展望

 ノロウイルスの一番大きな問題点は,いまだに培養細胞や実験動物でノロウイルスを増殖する手法が見い出されていないことである。そのため,ウイルスを失活させるための正確な加熱条件や,薬剤処理条件が明らかでない。また,ウイルスに有効な薬剤開発の研究が実施できない。さらに,ヒトの腸管でノロウイルスが多量に増殖することは明らかであるものの,ヒトから排泄せれたウイルスが下水や河川水からカキの養殖海域に流れ着き,二枚貝がそれを濃縮し,その二枚貝をヒトが摂取し感染し,ヒトの小腸で大量に増殖され排泄されるといったノロウイルス循環のメカニズムが推察されているが,明確ではない。 現在では,バイオテクノロジーの進展によりターゲット遺伝子を百万倍程度増幅し,検出する簡

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参 考 文 献

1) ノロウイルス特集, IASR(病原微生物検出情報), 31,

312-325(2010)2)平成22年食中毒発生状況,厚生労働省   (http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001

ahy8-att/2r9852000001ai5z.pdf)3)輸入生鮮魚介類におけるノロウイルス汚染状況,

IASR(病原微生物検出情報), 24, 317-318(2003)4)ノロウイルス食中毒対策について(提言),厚生労働

省食品衛生分科会食中毒部会(2007年)

  (http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1012-5a.pdf)

5) 平成21年度 ノロウイルスの不活化条件に関する調査報告書,国立医薬品食品衛生研究所

  (http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/yobou/pdf/houkokusyo_110613_03.pdf)

便な技術が開発されており,その手法を用いて検査している。遺伝子増幅には数時間を要し,検査には6~8時間を要するため,迅速性の点では必ずしも満足いくものではない。ノロウイルスがタンパク質で覆われており,そのタンパク質に反応する抗体を用いるイムノクロマトグラフィーでは,特別な装置を用いずに20~30分程度で目視検査でき,キットも市販されはじめた。迅速な検査と,二次感染の防止が,大規模化するノロウイルス防

止の特効薬である。ウイルスが命名され10年経過し,関連技術は着実に進展しつつある。 また,ノロウイルス食中毒防止のポイントは85℃1分間の加熱である。さらに,少量のノロウイルスであっても感染することから,とっさの際に忘れがちな二次汚染の防止方法,吐ぶつの処理方法についてあらかじめ学習・訓練し,必要な物品を身近に備えておくことが効果的である。

◇日 時:2012年1月18日(水)19日(木)◇場 所:(財)日本食品分析センター  〒151-0062 東京都渋谷区元代々木町52-1  Tel.03-3469-7131(小田急線:代々木八幡駅,  地下鉄千代田線:代々木公園駅 下車徒歩5分)◇参�加費(円/人):MRC会員=30,000円,MRC大学・

顧問等会員=20,000円,学生=15,000円,企業非会員=39,000円,大学等非会員=27,000円(2011/1/1以降の申し込みは+5,000円・学生は+3,000円)

◇参加申し込みおよび問い合わせ  食品膜・分離技術研究会(MRC)本部事務局  〒332-0015 川口市川口1-1-3-3211  TEL&FAX 048-224-3336(事務局 渡辺敦夫)  e-mail:[email protected]◇プログラム  1月18日(水)(10:00~16:55)  膜技術および関連技術の総合学習   1.講習会ガイダンスと受講者自己紹介   2.食品の加工技術と膜関連科学の基礎

 3.膜技術の基礎 4.濃度分極と膜濾過 5.膜の種類とモジュール構造 6.膜装置の組み方と運転データーの取り方 講師:渡辺敦夫 (17:00~18:45) 情報交換・交流会1月19日(木)(10:00~16:30) 7.ファウリング層の基礎的性質 8.膜技術の応用の実際  8-1.無菌化濾過による食品の製造  8-2. ナノ濾過技術による食品の改質と機能性食

品の製造  8-3.飲料工業への膜利用  8-4.醸造工業への膜利用  8-5.水産工業への膜利用  8-6.食品分野以外への膜利用 9.メンブレンバイオリアクター 講師:渡辺敦夫・田辺忠裕

第4回 MRC・初級者のための食品膜技術講習会

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