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-1- Ⅰ タイのデュアル・トラック経済発展戦略の発展パラダイム転換と 経済発展への好影響 (辻井座長) 1.はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3 2.タイの高度経済成長と経済危機 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 1) 小資本主義国タイの過剰な金融自由化に基づく高度成長と経済危機 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 4 2) アジアの他の小資本主義国への経済危機の伝染 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9 3.タイの経済危機、所得分配の悪化と Dual-Track Development Strategy (DTDS・2路線発展戦略)の役割 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 1) 高度経済成長と所得分配の悪化、経済危機とその直後の対応 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10 2) The Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略) Thaksinomicsとその効果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12 3) 最近のタイ経済・政策の動き ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20 4.結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21

Ⅰ タイのデュアル・トラック経済発展戦略の発展パラダイム ......-3- Ⅰ タイのデュアル・トラック経済発展戦略の発展パラダイム転換と

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Ⅰ タイのデュアル・トラック経済発展戦略の発展パラダイム転換と

経済発展への好影響

(辻井座長)

1.はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3

2.タイの高度経済成長と経済危機 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 4

1) 小資本主義国タイの過剰な金融自由化に基づく高度成長と経済危機 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 4

2) アジアの他の小資本主義国への経済危機の伝染 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9

3.タイの経済危機、所得分配の悪化と Dual-Track Development Strategy

(DTDS・2路線発展戦略)の役割 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10

1) 高度経済成長と所得分配の悪化、経済危機とその直後の対応 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10

2) The Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)・

Thaksinomicsとその効果 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12

3) 最近のタイ経済・政策の動き ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20

4.結論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 21

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Ⅰ タイのデュアル・トラック経済発展戦略の発展パラダイム転換と

経済発展への好影響

1.はじめに

タイ経済は特に85年から95年までの10年間年率10%に近い非常に早い成長を実

現した。経済部門の内鉱・製造・建設業部門(以後工業部門と呼ぶ)が特に急成長し工業

製品輸出が急速に増大し、その輸出総額に占めるシェアーが急増した。生産と輸出の工業

化に伴う高度経済成長が発生したのである。

しかし、この高度経済成長は小国タイの経済・金融・農業部門の市場原理主義に基づく

過度の自由化と国内経済主体と外国の経済主体の過度の期待がもたらした過度の成長であ

った。そして97年からタイは激しい経済・金融危機に直面したが、その原因は(1)バ

ーツの過大評価、(2)経常収支の過大な赤字、(3)資本市場の過度の自由化による短期

外資の過度の流入と国内長期信用の過度の拡大及びその後のバブル崩壊と短期外資の過度

の流出に原因する。そして危機に対するIMFの緊縮財政・均衡財政政策と高金利政策な

ど間違った経済・金融政策強要によりこの崩壊はさらに激しくなった。

タイ経済の付加価値生産は1999年からすでに回復を始めた.しかしタイ経済はまだ

経済・金融危機のなごりを,巨額の不良債権と(NPL)と失業の残存という形で抱えて

いる。農民を含む多くのタイ国民に尊敬されているタイ国王は経済危機以前から適切な経

済発展とか中庸の概念を推奨されてきた.2001年1月の選挙で500議席の内248

議席を獲得し歴史的大勝したTRT党は、2003年4月には353議席となった。首相

の Thakshin は以前からより広範な経済刺激策を約束していたが、彼はまた公共累積債務を

GDPの65%以下に維持することも約束していた。2003年1月末にはそれは53.

3%になっている。2001/02年の Thakshin の草の根指向・自律的拡張財政政策は2

002年の経済成長率を大幅に引き上げた。この政策の特徴は、東南アジアでの政治的権

力空洞化状況の下、経済政策に自律性を強めることを基本として、貧困の集中する農村や

低所得層と中小企業に対象を絞って、貧困解消・所得創造・中小企業振興をねらっている

ことである。食品産業がこれら政策の重要な対象になっている。またタイの伝統的文化と

技能を国際標準に引き上げ、タイの輸出品目・サービスに価格支配力を付け、大企業や銀

行の巨大な不良債権問題を解消することも特徴になっている。これは Thaksin 首相により

The Dual Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)と呼ばれた。それは後述

するように(1)強固な国内経済基礎を発展させ、(2)貿易・投資・金融も発展させると

いう二つの発展戦略を平行して行うことであり、タイのような開放的小国にバランスのと

れた経済発展と、巨大な国際金融市場との関連で発生した97-98年のような激しい金

融危機からの回避を保証することを目的にしている。本稿の目的はデュアル・トラック経

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済発展戦略の政策目的、手段、タイ政府制度の中での位置づけと実施体制,財政的意味等

を現地調査と統計的、経済学的に分析し,さらにデュアル・トラック経済発展戦略がタイ

農業、工業、サービス部門及び所得分配へ与えた影響を明らかにし、日本農政と経済政策

への含意を探ることである.

2.タイの高度経済成長と経済危機

1) 小資本主義国タイの過剰な金融自由化に基づく高度成長と経済危機

タイは最近まで非常な高経済成長をした。図1が示す通り、GDPの実質成長率で示さ

れる1951年から96年までのタイの経済成長は年率5%を下回らない高成長をし、特

に80年代後半から90年代前半は 8.1~11.2%にも達した。

1951-60

1960-65

65-70

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r

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r

2004Q

1P

r

2004Q

2P

r

2004Q

3P

r

出所:NESDB, National Accounts Division.MOC, Thailand's Key Economic Indicators, Mar. 30, 1999. Bank of Thailand, Monthly Bulletin, June 2000. IMF, Thailand: Statistical Appendix, August 2001,p.5, 10.

-20

-15

-10

-5

0

5

10

15

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実質

経長

率(%

) GDP

農林水産業

鉱・製造・建設業

サービス業

一人当りGNP

図 1 タイの部門別実質経済成長率(1951-2004年,90以降は88年価格)

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タイ経済のこのような高度経済成長は図2が示すように、粗投資の80年代後半から90

年代初期にかけての年率20%を超える高成長に支えられていた。このタイの高度経済成

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年次

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%産

業シ

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農林水産業

鉱・製造・建設業

サービス業

資料源: NESDB, National Account Division.

図 2 タイの産業構成変化,1951-2004

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暦年

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粗投資の年増加率

GDP

データ出所:タイ国中央銀行。

図 GDPと粗投資の年増加率

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長は、ある程度の政府介入を行いつつ、市場メカニズムも生かしたタイ政府の適切な工業

化経済成長戦略に寄るところが大きい。50から60年台は、外国技術・資本を導入しバ

ーツの過大評価と輸入制限による輸入代替工業化政策によりそれなりの工業化が起こった。

同時に輸入代替工業化につきものの、国際競争力のない工業部門の形成などの問題も発生

した。70年代からは輸出志向型工業化政策へ東アジア諸国より緩慢な速度で 1)転換し、金

融自由化、海外からの短期資金の借り入れ増加と直接投資に支えられ、80から90年台

にさらなる工業化を実現した。

このようにタイの高成長を支えたのは輸入代替型工業部門とそれに続く輸出志向型工業

部門の成長であった。これら工業部門の51年から96年の期間の年成長率は同図が示す

ように 4.9-16.4%と非常な高水準にあった。農林水産業部門は経済3部門の内最も低い成長

率で成長し、年次別でみると豊凶を反映して負の成長率を示す年もあった。サービス業部

門は他の2部門との比較で中間的な成長をしてきた。国民の平均的福祉水準の指標である

一人当たりGNPもかなりの速度で増大してきた。

過去50年にも及ぶタイの高経済成長に伴って、経済構造はぺティー・クラークの経験

法則に従って変化してきた。図3に示されるようにGDPに占める農林水産業のシェアー

は51年には50%もあったのがその後減少し、93年以降10%ほどで停滞し、200

4年第2、4半期からは7-8%に低下している。

それに対し工業部門とサービス業部門のシェアーは共に増大した。工業のシェアーは図

示された期間15%から43%へとほぼ一貫して増加し、国家経済の工業化とサービス経

済化が実現されてきた。サービス部門のシェアーは51年の35%から85年の52%ほ

どへと急上昇し、93年にはピークの53%に達したが、その後傾向的に低下し、200

4年第3、4半期には48%になっている。タイ経済生産の工業化は90年代後半には達

成された。 タイの輸出の工業化も図4が示すように急速に進展した。過去数十年間輸出がタイの高

度経済成長の主要なエンジンであった。1989年から1995年までは輸出が年率15.

2%で増え、それがタイの非常に早い経済成長を支えた。この輸出の成長は同図が示す農

林水産物輸出中心から製造業製品中心への急速な構造変化に特徴づけられる。50年代か

ら60年代前半には、農林水産物の輸出額が全輸出額の95%程度も占めていたのに、2

000年代にはいると20%程度に減少した。ただ、輸出された工業製品の中に、農林業

業産品を原料に簡単な加工をした、缶詰、木工品・家具、繊維製品、農畜水産物冷凍品、

などが多く含まれており、これらは農林水産物輸出に含んでもおかしくないし、農林水産

業のタイの経済成長への貢献を再評価することができる。現在その割合を長期にわたって

計測中である。

1) Anne O. Krueger, "East Asian Growth: Retrospect and Prospect," in Center for Co-operation with Non-members, Structural Aspects of the East Asian Crisis, Paris: OECD, pp.11-28, 1999.

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この長期高成長が97~98年に急に挫折する。図1が示すようにGDPが97年には

-1.4%、特に98年は-10.5%の大幅な経済縮小が起こった。過去の高成長と比較す

れば、この挫折は大危機である。巨額の不良債権(NPL)と多数の失業という深刻な問

題をを引き起こした。

97年から98年にかけてのタイの金融と経済の激しい危機発生のダイナミクスは端的

には次のように説明できる。タイへの海外投資企業は「アジアの奇跡」が将来も続くもの

と予測し、また外国から投資に対してタイ政府補償が有ると期待していた。外国からの投

資が重要な役割を果たしてきた長期の高度経済成長に酔ったタイ政府は、金融・経済の自

由化が経済成長の基礎と考えていたと考えられ、経済と金融の一層の自由化政策を採用し

てきた。現時点で総額1兆ドルにも登ると考えられる膨大な投機的国際短期資金の流通量

に対し小国であるタイ経済の危険性を考慮しない市場原理主義的政策であり、これは IMFと世界銀行の対途上諸国金融支援政策の戦略であった構造調整強制すなわち自由化強制と

整合していた。ドル・ペッグ固定相場制のバーツが過大評価されており、タイ政府による

90~97年の期間の3次にわたる過度の国際金融自由化に伴い海外の膨大な短期資金が、

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鉱業品・再輸出・その他 製造業品 農林水産物

資料源:タイ中央銀行。

図 3 タイ輸出総額の産業構造変化

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小国タイへしばしば高級官僚のクローニーである金融会社を経由して 2)流入した。タイの不

備な国内金融制度と慣行の下それがドルベースで長期投資に使用され、株や土地投機にも

回り、バブルが膨張した。バブルの膨張とインフレ及び過大な長期投資は貿易の経常赤字

を急速に拡大させ、97年後期には投資の収益性に疑問が生じ、短期海外資金が急速・多

量に逃避をはじめ、バブルが破裂した。タイ政府は海外投棄筋の大量のバーツ売りに対抗

できなくなり、97年7月2日変動相場制に転換し、バーツが暴落した。株価と土地価格

が暴落し、取り付け騒ぎが起こり、多くの金融機関が閉鎖され、多くの企業が倒産し、失

業者が急増した。タイの金融・経済危機はタイと類似の国際金融政策を取っていた小国イ

ンドネシア、マレーシア、フィリピン、韓国、台湾などに波及してアジア経済危機となり、

「アジアの奇跡」は幻のように消え去った。

この経済危機は図1が示すように85年から95年までの期間の年率10%に近い高成

長に比べ特に工業部門とサービス業部門での98年の大幅な負の成長率に示される。農林

水産業のGDPはこの危機の期間にも、97年に-0.7%98年に-1.5%とやや停

滞したのみであった。危機以前の農林水産業部門の成長率も工業やサービス部門の経済成

長率とあまり連動せず、かつこれら非農業部門の成長率よりも少し低く安定した成長を遂

げてきた。これはかつてアジア開発銀行が大川一司教授指導の研究プロジェクトでアジア

途上諸国の農業部門と非農業部門との連関の研究の結論として、この連関性が低いことを

指摘したが、この知見と整合している。タイを含むアジア途上諸国の農林水産業は主とし

て小規模家族経営に支えられており、近代投入物の使用量が少なく、主として自給的労働

集約技術に依存し、高い労働吸収力を持ち、これら諸国の資源賦存状態にも適合している。

食料農産物の需要は所得弾性が小さく、生産技術が自給的であるから、農林水産業部門の

成長率は低いが安定しており、今回のような金融・工業部門を震源とし金融バブルの崩壊

を伴った激しい経済危機に対しても影響されにくい。途上諸国の発展初期段階に農林水産

業部門がその経済で大きな割合を占める場合、この農林水産業部門の安定性自身が経済全

体を安定化する。さらに同部門は、労働集約的生産技術と農村の相互扶助的価値観により、

工業部門の不況による都市の失業者をかつてアジア各国で吸収してきた。これは農林水産

業部門の経済安定化効果である。3)しかしタイの97-98年の経済危機で発生した大量の

失業者のかなりの部分は一時帰村したが、彼らは村ではあまり吸収されず、長期的には村

に留まらなかった。4)ただタイ農林水産業部門はその経済シェアーが小さくなっているけれ

ども、部門別経済成長率の格差が示すように97-98年の経済危機の際してタイ経済内

2) Medhi Krongkaew, "Capital Flows and Economic Crisis in Thailand," The Develping Econmies, 37-4, December 1999, pp. 395-416。ポール・クルーグマン、『世界大不況の警告』早川書房、1999年7月刊、

146-174頁。 3) 水野宏裕はインドネシアの98年の経済危機時の農業部門の大きな失業者吸収力を岩波書店の2003

年刊の『科学』に統計的に示している。日本農業部門の経済不況時の労働吸収に関しては多くの研究があ

る。 4) World Bank, Thailand Economic Monitor, November 2004.

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部でそれなりの安定効果を果たしたであろう。

2) アジアの他の小資本主義国への経済危機の伝染

タイの経済危機は、同国と経済的に直接緊密な関係にないインドネシア、マレーシア、

シンガポール、韓国、台湾に急速に伝染した。これら諸国はタイと同様の経済戦略の下高

度経済成長をしてき、膨大な国際短期資金流通量に比べ小国であり、多くが IMF の市場原

理主義的コンディショナリティーにより長く経済・金融の構造調整・自由化政策を取って

きていた。これら諸国は A. Kruger が指摘する 5)以下のようなタイと類似した過程と要因に

より、激しい経済危機に陥った。これら過程と要因は以下のようである。

(1)小国の貿易・国際金融自由化に伴う高経済成長

小国であるこれら諸国は貿易・国際金融自由化を実施しつつ、全て表1が示すように他

の途上諸国と比べ 60 年代から 90 年代にかけて非常な高経済成長を実現した。

(2)早いそして最後には維持不可能な経常収支赤字の増加

この高経済成長は表2が示すように、シンガポールを除き維持不可能な経常赤字の増加

をもたらした。

5) Anne O. Krueger, op. cit.

表 1 タイ、インドネシア、韓国などの一人当たりGNP年成長率の危機前の急上昇一人当りGNP成長率(%)

国・所得水準別国グループ/期間 60/76 65/85 85/95

タイ 4.5 4.0 8.4

インドネシア 3.4 4.8 6.0

韓国 7.3 6.6 7.7

マレーシア 7.5 7.6 6.2

香港 6.5 6.1 4.8

シンガポール 7.5 7.6 6.2低所得諸(中国、インドを含む) 0.9 2.9 3.8(1)

中所得諸国 2.8 3.0 -0.7資料:World Bank, World Development Report 1976, 1987. From Ann Kruger(1999).注(1)中国とインドを除くとこの成長率は-1.4%になる。

表 2 タイ、インドネシア、韓国などの経常赤字とその対GDP比率の危機前の急増。単位10億ドル及び%。国/期間 93 94 95 96 97

タイ 6.4 8.1 13.6 14.7 1.3(5.2)(1) (5.6) (8.2) (8.3) (0.9)

インドネシア 2.1 2.8 6.4 7.7 4.8(1.3) (1.6) (3.2) (3.4) (3.6)

韓国 -1.0 3.9 8.5 23.0 8.2(-0.3) (1.0) (1.9) (5.0) (3.3)

マレーシア 3.0 4.5 7.4 5.7 na(4.9) (6.1) (8.6) (5.3) (na)

シンガポール -4.3 -11.5 -14.4 -14.7 -14.8(-7.3) (-15.5) (-16.8) (-15.5) (na)

資料:World Bank, World Development Report 1976, 1987. Ann Kruger(1999)の論文の表を基礎に修正。注(1)括弧の中の数字は各国の経常収支の対GDP比率。naはデータ未入手の意味。

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(3)国内信用の維持不可能な増加

この経常収支赤字の急増と同時に、資本市場の自由化に伴って世界で1兆ドルにも達す

る規模の短期国際資本の急速な流入があり、表3が示すように維持不可能な国内信用の急

増すなわちバブルが発生した。

(4)通貨の過大評価の拡大

上記(1)、(2)、(3)と連動してタイ、インドネシア、マレーシアの通貨が97年

までの90年代に大幅に過大評価されていった。韓国はそれほどではなかった。6)過大評価

は外貨借り入れを容易にし、また輸入を容易にして経常収支の赤字拡大をもたらした。こ

れら環境は、これら小国の国際金融自由化に伴って膨大な国際短期資本の流入を引き起こ

し、またクローニー・キャピタリズムの発展を促した。7)

(5)バブルの破裂、国際短期資本の引き上げ、ヘッジファンドの為替投機による各

国貨幣の暴落、経済危機の発生。

早すぎる経済成長、通貨の過大評価、経常収支赤字の急増、インフレ、バブルの拡大は

維持不可能で、バブルがはじけ、国際短期資本が引き上げ、各国貨幣の暴落、経済危機が発

生した。

3.タイの経済危機、所得分配の悪化と Dual-Track Development Strategy

(DTDS・2路線発展戦略)の役割

1) 高度経済成長と所得分配の悪化、経済危機とその直後の対応

1970年頃からの非常に早いタイの経済成長は貧困者比率をかなり減少させた。19

85年価格で1日1ドル以下の所得しかない人を貧困者と定義した貧困率は、1975年

6) Jeffrey D. Sachs, "The Wrong Medicine for Asia," New York Times, November 3, 1997; Paul Krugman, "Capital Control Freaks," Sept. 27, 1999. 7) Ammar Siamwalla, "Anatomy of the Thai Economic Crisis," a paper given at the ASEM Conference,'Thailand: What Happened and Has Anything Really Changed?'held in Copenhagen, Denmark, March 1999, Bangkok: Thailand Development Research Institute, April 26, 2000, p.13.

表 3 タイ、インドネシア、韓国などの国内信用の危機前の急増。対GDP比率、%。国/期間 93 94 95 96 97

タイ 14.9 20.4 18.2 12.4 31.0

インドネシア 8.3 9.4 9.2 10.0 11.9

韓国 6.7 9.4 7.8 10.6 14.1

香港 22.6 28.9 11.7 24.0 26.2

マレーシア 9.3 1.9 21.7 22.8 28.0

シンガポール 6.3 6.6 9.0 9.6 na(1)資料:World Bank, World Development Report 1976, 1987. Ann Kruger(1999)。注(1)naはデータ未入手の意味。

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-11-

で8.1%、1985年では10%であったのが、1995年では1%以下になった。8)他

の統計では1988年の貧困所帯率が33%であったのが、1996年には11%に低下

した。国の制度としての失業保険制度や社会保障制度はなかったが、経済成長に伴って子

供の教育や職業教育条件が改善し、貧困者や高齢者に対する国家健康保険制度が開始され、

労働条件が改善されたりした。しかし、都市と農村、教育水準が異なった階層間、社会経

済階層間の所得格差は拡大してきた。1998年の経済危機の結果96年に11%であっ

た貧困所帯率は98年に13%、01年の NESDB(国家経済社会発展庁)の報告では15.

9%に増加した。

タイ政府は、60年代初頭から経済発展計画を7度作成してきたが、各計画は成長を重視

し貧困削減を主目的にすることはなかった。成長の成果は貧困層にトリクル・ダウンすると

の仮定がされ、それが正しいと認識されていた。しかし、90年代を通じて所得分配は非常

に不平等化し、最も貧困な20%のタイ人は全所得の5%程度を獲得したに過ぎなかった。

経済危機を経てタイ国民は、巨額の国際短期資本の投機的流出入と同資本からの借り入れ

に依存したタイ国金融部門の過剰貸し付けを管理できなかった、それまでの発展戦略が誤

っており不公正あることを認識し始めた。政府も危機後、より貧困な東北部と北部の農村

発展により多くの財政支出を配分し始めた。

第8次経済社会発展計画(1997-2001)では国民中心戦略を採用した。増大しつ

つある社会的・環境的諸問題に対処しようとし、2001年までに貧困人口率を10%以

下にすることを目標に上げた。さらに、行政意志決定制度をより分権化し国民の参加を促進

することを重視した。

1998年に設立された首相が議長の国家社会政策委員会は、地域共同体に政策資金の

配分権を与え、経済危機で被害を受けた国民を援助した。

90年代中期まで中央政府が財政収入の95%を集め、財政支出の93%を支出してい

た。これまで何年か村会議(タンボン)への経済開発財政計画と支出の分権化が図られて

きた。しかし村にはそのための十分な人的資本がない問題があり、UNDPや世界銀行の

援助でこの人的資本の形成が計られてきた。

これら国際機関と日本の援助や新しい社会投資基金は、分権化の理念に従った諸プロジ

ェクトを通じて貧困者へより多くの仕事と社会サービスを供給しようとしている。伝統的

権力構造は未だ非常に強い力を持っているが、1997年の新憲法は初めて国の国民に対

する説明義務を規定し、内務省の力が削減され、新しい独立した国家反汚職委員会も設立さ

れた。

8) World Bank, Poverty in Thailand, p.1, http://www.worldbank,.org/eapsocial/copuntries/thai/pov1.htm.

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2) The Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)・Thaksinomics とその

効果

Thaksin 首相は、97-98年のタイの金融危機、タイという開放的小国の国際金融市

場における脆弱性、外国資本・多国籍企業・外国投資・巨大企業優遇の経済発展戦略の問

題点、バンコク過度集中、所得分配の悪化と貧困の増大、伝統的国内経済の基盤である中

小企業(SMEs)や農民の疲弊などの問題に対処するため、The Dual-Track Development Strategy(DTDS)を経済発展戦略として採用してきた。この金融危機でタイの貧困所帯率が

13%に増えた。それで第九次経済計画の主要目的が貧困解消となった。この Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)は、一方では分散的発展の理念の下、農

業・農村・共同体・地域経済、SME(中小企業)、インフォーマル分野(露天商、小売り、

振り売り etc.)の発展を重視し、貧困解消を重要目標としている。農家・農村のアイデアと

伝統的知識と技術重視して、新商品とそれを製作するSME(中小企業)を作り出し、グ

ラス・ルーツでの仕事と所得の増大させ、農外・副業所得を増大させ、都市と農村の貧困者

の自立的発展を計る戦略である。他方でタイ経済の輸出への過大な依存を修正し、外国投

資と製造業製品輸出を重視し国際的競争力をつけて世界経済との統合を図る戦略である。

この政策提言のポピュリズム効果もあって2001年の選挙で、タクシン氏が率いる Thai Rak Thai 党は地滑り的大勝を果たし、さらに2005年2月の選挙で500議席中399

議席を獲得した。DTDS がポピュリズムだけではなく、Thaksin 首相の高い指導能力と実際

に DTDS がタイの低所得層に大きな便益をもたらした証拠である。この戦略は97-98

年の金融危機時にタイ国王が国民に示唆された適切なないし中庸を得た経済発展の考え方

と符合する。

それは、多国籍企業や外資による巨大投資・巨大企業のみに重点を置いた単線的発展で

なく、(1)在来知識・文化と在来資源を基に、近代知識・技術と統合し、農業発展・農村貧困

の解消、中小企業の振興と都市貧困の減少を重要な政策目的にして、強固な国内経済基礎を

発展させ、(2)貿易への過度依存を減少し、外国投資の促進と金融問題の解決により、国

際競争力向上し国際連携とASEAN での政治的・経済的指導性を増すという二つの発展戦略

を平行して行うことであり、タイのような開放的小国に、巨大な国際短期金融市場との関

連で発生した97-98年のような激しい金融危機からの回避と、バランスのとれた安定

した経済発展を保証する。

上述したように第1路線はタイ経済の輸出への過大な依存を修正し、外国投資と製造業

製品輸出を重視し国際的競争力をつけて世界経済との統合を図る戦略である。第2路線は

国内のグラス・ルーツの国内需要と地方企業に多数の政策手段を通じて働きかけて、農村

とそこの貧困問題及び中小企業と都市貧困問題を解決しようとする戦略である。二つの発

展路線は並行的に重視され、DTDS をタイ政府の発展政策の基本枠組みとした。これら政

策の特徴は貧困の集中する農村の低所得層と中小企業と都市貧困層に対象を絞って、貧困

解消・所得創造・中小企業振興をねらい、世界要因で決まる輸出へのタイ経済の過度の依

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存を引き下げることである。農林漁業、農林漁業関連産業、中小企業などがこれら政策の重

要な対象になっている。地方での工業投資促進政策も実施された。またタイの伝統的文化

と在来知識・技能を国際標準に引き上げ、タイの輸出品目・サービスに価格支配力を付ける

ことも目的になっている。大企業や金融機関の巨大な不良債権問題を解消するための機関

の設立も実施され、外国直接投資を自動車産業などで促進し、国際競争力を向上する戦略も

採られる。だからタイは2001年から東アジア発展モデルから DTDS への転換したとい

える。これは発展戦略パラダイムの転換である。もちろん2001年と2005年の選挙

での Thaksinomics・Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)を政策提

言としたタクシン氏と彼の率いる Thai Rak Thai 党の地滑り的大勝が示すようにポピュリ

ズムの側面があり、一部の学者、起業家、政府関係者が批判するように、家計負債が急増し、

SME 発展にも問題点が多々あり、農民所得の上昇もここ5年ほどの世界・中国の商品・資源

需要の急増などの要因があり、後述する OTOP(一村一品運動)も成功例は少なく、30バ

ーツ医療国民皆保険は国民には非常に喜ばれているが、それを担う公立病院の多くが赤字

になり、医者の大量離院が起きているなど問題はある。しかし、貧困削減と農村、中小企業

の発展を国の発展戦略の二つの重点の内の一つに掲げ、かつそれを財政支出と実行を伴っ

て過去4年間でかなり実現したことが、私は非常に重要であると考える。

Thaksin 氏は2001年の選挙に際して、民族主義的公約として外国投資への税制と関

税の優遇や輸入需要の高止まりを批判した。内向き志向の政策への回帰に関する心配は、

2001年の外国投資を激減させ、Thaksin は民族主義的経済政策のトーンを下げた。2

001/02年の Thaksin の草の根指向拡張的財政政策が、農民所得を引き上げ中小企業

の振興を重視するものであったことを上で述べた。2002年には Thaksin はタイの輸出

農産物生産者と話し合いを始め、農産物輸出と輸出価格をいくらかでも管理する道を探り

始めた。特に2004年には、タイのコメ生産が記録的豊作となり、タイ政府コメ在庫の大

量放出、及び他のコメ輸出諸国での干魃により、タイのコメ輸出が歴史上最大の1000

万トンに達した。このかなりの量は、他の輸出諸国のアフリカや中近東の市場を奪った分で

ある。2005年は850万トンほどに減少すると予想されている。農業や中小企業重視の

政策の他に、政府は旅行業、ファッション産業、ソフト・ウエアー産業、不動産産業など

新しい産業の発展も重視した。

The Dual-Track Development Strategy(DTDS)の第2路線政策の主要な具体的政策手

段と成果は以下のようなものである。9)

(1) 小資産の資本転換政策:土地使用権、露天商権や知的所有権などに政府が担保権

を認め貧困者が融資を受けられるようにする政策。

9) 以下は Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)に関する情報は筆者の現地調査聞

き取り、Bangkok Post, 2004 Mid-Year Economic Review、及び 2004 Year-End Economic Review による。

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小資産の資本転換政策はペルーの経済学者である Emanuel Desoto が発案したもので、

途上諸国の農村・都市貧困者のそれまで認知されていなかった資産を政府が証書を発行し

て新たに認める政策。その資産を抵当として貧困者が融資を得られる。2003年度に予算

21億バーツで60万農家の1千万 rai の農地を対象に実施された。2008年までに4千

2百万 rai に拡大する予定。

(2) OTOP(一村一品運動)

日本の大分の1村1品運動の例に従い、One Tambol One Product(OTOP)計画が実行さ

れ、農民のグループの組織化を促し、農村の在来技術と知識を基礎とし、在地の原料を利

用し、近代技術と知識をとりいれて、世界や国内需要に合致し売れる1村1品を形成し、

また農村中小企業を育成し、サプライ・チェイン、産業集積体(クラスター)、センターを

作り政府が販売面も援助をし、グラス・ルートでの職業と所得の形成により、農村に集中

した貧困を解消することを目的とした。OTOP(一村一品)は各農家グループ会議で決める

と言う分権的理念に従っている。政府は草の根のそのような商品の販売を援助する。財政

支出は最小限ですむ。1から5のスター(評価基準)で品質競争を促している。4-5スタ

ーは比較的大企業が制作しており、輸出もされている。1-2スターの OTOP が問題である。

2003年には政府は製品の販売チャネルを8282カ所に拡大し、91カ所で展示会を

開催した。筆者の視察や聞き取りでは、タイ全国で10万件の OTOP があり、輸出されるだ

けの高品質を持ったものもある。実際アユタヤで視察したガラス細工やコンケンの草木染

め絹織物などは非常に品質が良く美しく、商品としてまた生産体制の発展性からもすばら

しいものであった。現在 OTOP になっているアユタヤのナイフのように、OTOP 政策の遙

か以前からかなり生産されてき、私自身もかつて見学購入した経験を持つものもあった。し

かし多くはまだ品質は輸出水準には達していないようだ。かつ一定量を持続的に生産供給

できる OTOP 農民グループは少ない。だから小さい OTOP グループの連携と品質向上と

販売方法の開発が今後重要である。ワインやダルティナス油など OTOP の過剰生産があり、

OTOP の存続には政府介入の継続が必要との批判的見方もある。しかし、これらの問題は

政策実行の初期としては当然予想されるもので、私はこのようなグラス・ルーツとグループ

を基礎にした発展政策に非常に新しいものを感じ、強く期待したい。

(3) People's Bank Micro Credit Programme for the Urban Poor.

都市貧困者に少額融資を提供して新企業と企業者能力を発展させる計画。2001年6

月より政府貯蓄銀行の578支店を一人当たり15000バーツ限度の無担保融資をする

マイクロ・クレジット支店とした。2003年末に76万人ほどの借入者に対し融資残高

154億バーツ。3ヶ月以上返済怠納の NPL はこの総額の2.9%のみであった。

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(4) 非公式少額融資の借り換え計画

176万人の人が1360億バーツの非公式融資をこの計画に登録し、2003年8月

から借り換えが始まった。

(5) 農家の少額負債返済猶予政策

10万バーツ(2325ドル)以下の借金がある農家に元利支払いの3年猶予をすると

同時に、技術研修や販売援助を行った。農業協同組合銀行(BAAC)に754億バーツの負債

のある194万人の農家がこの政策に参加した。3年後の2004年の3月31日にはこ

の総額の12.6%、58億バーツが問題融資として残存した。この政策による政府支出は

農業協同組合銀行への利子補償の155億バーツであった。

(6) 各村百万バーツの農村基金(Village Fund)

タイの68000の村と7000の郡のそれぞれに年利3%の回転資金としての

Village Fund・農村基金、100万バーツを、農村発展計画と所得造成投資のために設置。

747億バーツが支出された。この基金を利用した農家の所得は7.2%増加した。250

00件の農村基金(Village Fund)は AAA に分類されている。農村基金全体の使用配分は、

農業関連71%、小売り関連17%、工業プロジェクト3%となっている。

(7) 2000年2月に成立した SME 振興法

同法に基づき独立政府機関としての OSMEP(SME 振興庁)が首相を長とする25人の

委員からなる SME 振興委員会の下に作られた。SME 振興のために、SME 銀行や関連金融

機関が設立され、低利融資を行った。

(8) The Baan Ua-arthorn 低コスト住宅政策。

この政策は2007年までに低所得層に百万戸の低コスト住宅供給を約束した。The National Housing Authority(国家住宅機構)が60万戸を建設し、残りの40万戸は土地所

有者でそこに住居を建築したい人への低利融資となる計画である。政策は6段階に時期区

分され、最初の2期では、46億バーツの資金で、50地区11727戸の住宅建設が契約

された。第3期は2004年から始まり、660億バーツを使用して14万戸のを建築する。

第4-5期は2220億バーツの財政資金を使用して45万戸を建築する予定である。第

1-2期の低コスト住宅の販売予約は大人気で、長い行列ができた。販売された4175

戸の内3535戸はバンコク市内にあり、残りは県にある。価格は建坪30m2ほどで30

-40万バーツで、購入者は Government Saving Bank(政府貯蓄銀行)と Government Housing Bank(政府住宅銀行)から低利融資が受けられ、月返済額は1000-1500バ

ーツである。人気は非常に高いが、国家住宅機構は契約や財政支出の遅れなどから計画の6

0万戸を予定通り建てられないかもしれないという。

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(9) 30バーツ国民皆健康保険制度

2001年4月の立ち上げられた1診療30バーツ(100円ほど)の国民皆健康保険

制度は Thaksin 首相率いる Thai Rak Thai 党の最も人気のある政策で、2001年の選挙

での Thaksin 首相と Thai Rak Thai 党の地滑り的大勝をもたらした。2004年10月の

選挙公約でも30バーツ国民皆健康保険制度への政府支出を、酒やたばこ税を使ってさら

に増やすことを公約の最重要項目にし、2005年2月の選挙でさらなる大勝を果たした。

この制度により特に貧困者が安心して30バーツ国民皆健康保険制度を支える公立病院へ

行けるようになり、医療安全保障が貧困者も得られるようになったことったことが重要で

ある。国家健康補償局(The National Health Security Office, NHSO)の13県にわたる

5604人に対する2004年の調査では、77%のタイ人が30バーツ国民皆健康保険

制度を良い制度だとした。そしてこの割合は2003年の調査と比べ10ポイント上昇し

た。これは、公立病院での医療スタッフの不足、長い待ち時間、そして低質な医薬品などの問

題があってもそのような答えが返ってきたのである。国家健康補償局の調査では、2004

年9月で国民の95.5%(6000万人)が自身は医療安全保障状態にあると認識して

おり、4710万人が30バーツ国民皆健康保険制度に登録していることが分かった。

しかし30バーツ国民皆健康保険制度を支える公立病院は予算不足で多くが赤字となり、

医療スタッフが私立病院などへ大量に流出しているという問題がある。特に地方にある小

規模の農村病院にその問題が激しい。農村病院では30バーツ国民皆健康保険制度の導入

の後、患者は大幅に増えたが、予算の配分はあまり増えず、赤字になりかつ医療スタッフの

加重労働になっている。これは公共健康省の予算配分の偏りや予算自身の不足も原因であ

る。公共健康省が管理する819の病院の内265の主として農村病院は13億バーツの

負債を抱えてしまっている。

2003年初頭に政府はこれら第2路線政策の成功を発表した。貧富の差は過去2年間

で3.7%縮小し、1村1品運動の販売額は2002年の110億バーツの目標に対し2

40億バーツになり、750億バーツの村基金は6万計画580億バーツが支出され、農

民の借金は787%減少し、230万人の農民が元利支払猶予に参加した。しかしこれら

成功の裏に、公私債務の増加と将来の経済成長の足かせがあると考えられる。

タクシン首相と Thai Rak Thai 党の第2路線政策の共同体発展政策(Community Develoment Strategy)での金融面の柱である住民銀行微少融資計画(the Peopl's Bank Microfinance Programme)と Village Fund は政府銀行である Govrnment Saving Bank(政府貯蓄銀行)が主導し、農家負債リスケデューリング政策などは同じく政府銀行であ

る農業協同組合銀行(BAAC)が主導するようになっている。この政策について、ある識者は

危険と商業銀行の締め出しの問題を指摘する。しかし中央銀行によれば、資産状態はこれ

ら政府銀行の方がより良く、さらにこれら銀行がやらないと、農村は商業銀行によって無

視されてきたであろうとする。

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2004年末での第2路線政策の成果は、10)(1)月当たり家計所得は20%増加し、(2)

200万人以上のタイ人が貧困から解放され、農村は Village Fund や SME 銀行、OTOPなどを通じて新規資金と企業機会を獲得した。OTOP は2600の村で実施され、その販売

額は500億バーツに達する。家計の負債はしかし2004年代1四半期に12.3%増加

した。しかしこれら負債の69%もが住宅と事業に使用されている。

2000年2月に成立した SME 振興法に基づき独立政府機関としての OSMEP(SME振興庁)が首相を長とする25人の委員からなる SME 振興委員会の下に作られた。SME銀行や関連金融機関が設立され、低利融資を行った。Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)はSMEの発展をもう一つの重点目標としている。産業構

造に置いて SME が占める位置の変化が OSMEP(SME 振興庁)によって次の表で示され

ている。

タイ経済における SME のシェアーは非常に大きく、1999年から2003年の期間で2

8-29%もある。そのうち小規模企業のシェアーがかなりあり、20-21ポイントで

ある。SME のタイ経済での重要性は、これらの数字で明らかである。そして OSMEP(SME振興庁)が公表しており、同表でも示しているが、SME の付加価値額生産は2004年の

第1,2四半期に2003年同期に比べ6.7%増加し。これは2004年の GDP 全体の

予想増加率である6%よりかなり高い。この結果は SME 振興政策の効果を反映していると

考えられる。

さらに、Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)の第2路線政策の

影響が次の図に示される。最近タイ中央銀行は図示されたような、製造業製品輸出の資源集

約度別統計を発表した。上述したように第2路線は、農家・農村のアイデアと伝統的知識

と技術重視して、OTOP など新商品とそれを製作するSME(中小企業)を作り出し、グ

ラス・ルーツでの仕事と所得の増大させ、農外・副業所得を増大させ、都市と農村の貧困者

の自立的発展を計る戦略である。下図は、2001年から2004年にかけて実施された

10) Bangkok Post, 2004 Year-End Economic Review による。

タイのGDPそれに占めるSMEシェアー(billion bats & %)1999 2000 2001 2002 2003 q1+q2 2004 2004/2003

GDP 4637 4923 5134 5451 5939Large-scale E. 1870 1980 2071 2214 2450SMEs 1812 1946 2020 2115 2264 1220 6.7% Medium-scale E. 843 903 936 978 1053 Small-scale E. 969 1043 1084 1137 1210 Others 519 552 575 612 646Agriculture S. 436 444 468 512 579Sheares: MSEs 39.08 39.53 39.35 38.80 38.12 Medium-s 18.18 18.34 18.23 17.94 17.73 Small-s 20.90 21.19 21.11 20.86 20.37L+M+S+O+A 4637 4922 5134 5453 5938sourse: Office of SME Promotion quoted by Year-end Ecnomic Review of Bangkok Post

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DTDSの第2路線政策によって、それまで製造業商品輸出の中でシェアーが傾向的に低落し

ていた労働・資源集約的製造業品が、2001年からシェアーの減少を停止し、シェアーの

上昇さえ実現している。これは特に労働集約的製造業商品の輸出シェアーに置いて著しい。

これに対しハイテク製造業品の輸出シェアーは2001年から減少・停滞している。199

7-98年の激しい経済危機の残存的影響としての労働過剰状態があり、自然資源が豊富

なタイという途上国では、豊富な自然資源と労働力を集約的に使用する Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)の第2路線は非常に適切な発展戦略であ

り、さらに重要なことは第2路線の効果がタイの輸出の資源集約度別シェアーに現れてい

ることである。この路線は将来さらに堅持されることが望ましい。

Dual-Track Development Strategy(双軌制経済発展戦略)の第2路線政策における農村

や SME への低利マイクロクレディットや負債返済猶予計画と早い経済成長もあって、家計

負債は4年前と比べ2倍の110566バーツへと急増した。タイ銀行によればクレディ

ット・カードの数は1年前と比べ28%増加して2004年9月で640万枚で、同年の

9ヶ月間のクレディット・カードによる消費と債務はそれぞれ1044億バーツと866

億バーツで、昨年同期と比べそれぞれ25%と25.5%増加した。このような急増と金

利の上昇から、将来の家計信用は7%ほどの低い成長をすると予想されている。しかし金

利が急上昇すれば、貧困層へ大きな悪影響が発生すると考えられる。銀行部門はこの危機

を十分に認識している。

では Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)の第1路線である貿易

19931994

19951996

19971998

19992000

20012002

2003

年次

0

10

20

30

40

50

60

70

80

割合

ハイテク製品

労働資源集約

労働集約

資源集約

図 製造業輸出の性質別分類の変化

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への過度依存を減少し、外国投資の促進と金融問題の解決により、国際競争力向上し国際連

携とASEAN での政治的・経済的指導性を増そうとする政策はどのような効果を上げたであ

ろうか。一言で言えば、タイの経済は完全に回復し、健全で安定したマクロ経済を達成した

ということである。

1997年の経済危機はタイの銀行部門を危機に陥れ、資本調達、費用節約、負債の再

構成など生存のための厳しい戦いを強いた。しかし2000年になってこの銀行危機は角

を曲がったといえる。危機は10ほどの銀行と何十かの金融会社を消滅させたが、200

4年初期に総数80に上る国内銀行と外国銀行、金融会社、土地銀行、国際金融会社が営

業していた。2004年初めに成立した金融部門基本計画では、金融部門における統合を

促進し、タイの金融機関の国際競争力を強め、農村へ金融サービスを拡大し、消費者の諸

権利を強化することを目的とする。この基本計画により、金融会社と土地銀行はフル・サ

ービス銀行になるか消費者と SME に融資する Retail Bank になるかを選択させられる。国

際金融会社は消滅させられる。そして現在では、財政部門と金融市場は十分に動いており、

2000年に総貸出額の32%に達していた不良債権(NPL)は2004年には11%に低

下した。2000年には金融機能が適切に機能せず、銀行貸し出しが減少していたが、20

04年の第3四半期には12%増加した。不良債権(NPL)処理のために設立されたタイ資

産管理公社(The Thai Asset Mangement Corpotration)は、2001年に同公社に移転さ

れた7000億バーツの不良債権の98%以上を処理し、企業部門の負債と経済の構造改

革の触媒機関として適切に機能した。タイの証券市場では、株価総額が2000年の1.3

兆バーツから2004年には4兆バーツに増大し、株価指数は269から670に上昇し

た。

政府の財政収支は危機後ずっと赤字続きであったが、最近の経済と輸出の急成長、予測

よりも20%も好調な財政収入と財政支出の削減により、2005年には、計画より3年早

く危機後初めて1.2兆バーツで財政収支の均衡を達成する。この規模はタイの歴史上最

大の財政支出である。

私的部門では、設備利用度が2000年の56%から2004年の10月には完全利用

に近い75%に増大した。私的投資指数は2000年の41から2004年第3四半期に

は67に増大した。過去4年間の投資庁の優遇投資累計額は1.25兆バーツになり、外国

優遇投資は75億ドルになった。私的部門の完全復活は2000年にその総損失が900

億バーツであったのが2004年には2000億バーツの純利益になっていることから明

らかである。

過去4年間にタイ経済は全体として35%、6.6兆バーツ拡大した。原油価格の上昇、鳥

インフルエンザ、南部の争乱、中国経済の減速、などの負の要因があるにもかかわらず、2

004年の GDP 増加率は6%に達すると予測されている。輸出は2001年の減少から、

2004年には20%に近い増加をし、タイの外貨準備高は2000年の327億ドルか

ら2004年490億ドルに増加し、政府負債の GDP 比は60%から45%に減少し、2

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008年には28%に低下すると予測されている。

3) 最近のタイ経済・政策の動き

最近のタイ経済・財政・政策の動きを少し取り上げよう。2003年と2004年の経済

成長について検討しておこう。2004年のタイの経済成長は原油価格の上昇、鳥インフ

ルエンザの発生、及びタイ南部の政治不安定のため1.3%押し下げられた。その結果タ

イの2004年の経済成長率は2003年の6.8%に比べ減少して6.4%となった。

原油価格上昇が0.7%、鳥インフルエンザが0.4%経済成長率をそれぞれ引き下げた。

政府はガソリンへの補助金を出していたが、2004年にガソリン価格は7%も上昇し、

インフレの主要因になった。2004年のインフレ率は3%と、2003年の1.3%に比

べかなり上昇した。

2004年10月のタクシン首相によって導入された The First Economic and social Sustainability Framework(第1次経済社会持続性枠組み)は5カ年経済社会発展計画で、

経済成長と安定、競争力の強化、人的社会的発展の3目標を重視する。

財政収支では、2005年には中小企業や低所得者に対する減税が実施された。上で述べ

たように、Thaksinomics の第2軌道政策である草の根貧困者対策による政府の財政支出の

増加にもかかわらず、2005年の財政収支は1.2兆バーツで、1997年の経済危機

以来初めてバランスすると予想されている。

1.9 兆バーツの Mega プロジェクト投資が2008年までの4年間に計画されている。タ

イの輸送と事業諸手続に関わるロジスティクス改良のため、トラック陸送と水運、鉄道輸

送とのリンケージの向上、輸出における just-in-time、コンテナーの処理効率化など5つの

改善を行い、それに関わる Mega Projects と投資が計画されている。これが透明に効率的

になされるか、政治介入を伴うかでその効果は全く異なる。財務省によればタイのロジス

ティクス費用は GNP の25-30%かかっており。先進国の10%と比べ高すぎる。内閣

は将来5年間でこのコストを半分にすることを国政の目標に決定した。航空機輸送の効率

化では2008年までの期間に997億バーツが国営企業、政府財政、私企業から支出さ

れることが承認された。

対外関係では、タイの国際競争力は、2003年と2004年には、世界経済フォーラ

ムや IMD(国際経営発展研究所)の指標によれば停滞した。政府の競争力強化政策のある、

ファッション・ハブ計画や教育・人的資源形成投資はうまく行かなかった。政府は、宝飾

業、食料、自動車製造業の発展を計ろうとしている。自動車産業は、外国投資を中心に「ア

ジアのデトロイト」となり、2010年までに世界で第9位の自動車生産国になる計画をし

ており、人的資源などの問題はあるが成功する可能性が高い。NESDB(国家経済社会発展

庁)の産業クラスター(集積体)発展計画では、タイのいろいろな県での、セラミックス、

オートバイ、エビ、有機野菜、マルティメディア、観光などの産業クラスター(集積体)

が振興されており、成功した産業クラスター(集積体)が他のクラスターへノウハウを波

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及することが期待されている。2004年、FTA(自由貿易協定)は中国、インド、バー

レイン、オーストラリアと締結し、日本、アメリカ、ペルーと交渉中である。WTO の多角

的通商交渉が遅々として進まないから、FTA を重視する戦略にタイ政府は替わってきてい

る。

2003年までの3年間減少し、2003年には5600億ドルであった世界合計の外

国直接投資は2004年には増加に転じた。「貿易と発展に関する国際研究所」によれば2

004年にはタイへの外国直接投資は、18億ドルで世界で10位にあり、1位は中国の

530億ドルであった。タイの投資庁によれば、同庁のの投資振興枠に応募した投資案件

は、2003年の768件、2568億バーツから2004年には1049件、4825

億バーツに増加した。

Bangkok Post は2004年の年末経済報告で、Thaksinomics は populist の内容を持っ

ていたが、その結果は利益集団に富を集中し、貧富の格差を拡大したと批判した。

4.結論

過去半世紀にわたり急速な東アジア経済発展モデルに沿った、外国資本の直接投資・製

造業製品輸出、バンコク集中経済成長、巨大プロジェクト重視政策及び農水産物輸出政策が

タイの経済発展政策として採用されていた。そのため20年ほど前からタイ農村では過疎

化・高齢化問題が発生し、悪化した。また農村と都市との所得分配の悪化、環境破壊、森

林破壊、土壌劣化、沿海部のマングローブ林の破壊、沿海部の環境破壊などが進行した。

土壌肥沃度低下、土壌浸食の悪化、ダムのシルティングなどの問題も進んだ。都市貧困、

中小企業・伝統産業等の停滞・消滅等の問題も発生していた。1997年の経済危機まで

農村とそこでの貧困は、タイ経済全体の非常に早い成長の結果急速に減少した。しかし経

済危機はこの貧困レベルを急激に悪化させた。

この経済危機に対して、Thaksin 首相以前の政府も色々の対応をした。1997年のタイ

政府と IMF の合意は高金利の維持によるバーツのさらなる下落の阻止と財政赤字の縮小に

よるインフレの抑制であった。しかし金融危機後の経済の激しい減速はこの財政・金融政

策を1998年にはゆるめざるを得なくなった。そして1998/99年には公共部門の

全財政赤字は5710億バーツ(138億ドル)になりそれはGDPの12.4%であっ

た。このうち中央政府は2.4ポイントを占めた。しかし2000/01年には、国有企

業の収支の改善と中央政府の緊縮財政政策により公共部門の全赤字は1200億バーツ

(GDPの2.4%)に縮小した。けれどもそれは2001/02年には3860億バー

ツ(7.2%)に拡大してしまった。経済成長率は99年には4.2%、2000年には

4.6%になったが、2001年には世界的不況のため1.9%の成長に低迷した。

2001年1月の選挙で Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)を

公約に掲げて国会500議席の内248議席を獲得し歴史的大勝したTRT党は、200

3年4月には353議席となった。首相の Thakshin は以前からより広範な経済刺激策を約

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束していたが、彼はまた公共累積債務をGDPの65%以下に維持することも約束してい

た。2003年1月末にはそれは53.3%になっている。

2001/02年の Thakshin の草の根指向・自律的拡張財政政策は2002年の経済成

長率を大幅に引き上げた。この政策の特徴は、東南アジアでの政治的権力空洞化状況の下、

経済政策に自律性を強めることを基本として、貧困の集中する農村や低所得層と中小企業

に対象を絞って、貧困解消・所得創造・中小企業振興をねらっていることである。またタ

イの伝統的文化と技能を国際標準に引き上げ、タイの輸出品目・サービスに価格支配力を

付け、大企業や銀行の巨大な不良債権問題を解消することも特徴になっている。これは

Thaksin 首相により a Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)と呼ば

れた。それは(1)強固な国内経済基礎を発展させ、(2)貿易への過度の依存を引き下げ、

海外投資の取り込みと・金融財政の構造改革によって、国際競争力を高め、ASEAN における

政治的経済的指導性を高めるという二つの発展戦略を平行して行うことであり、タイのよ

うな開放的小国にバランスのとれた経済発展と、巨大な国際金融市場との関連で発生した

97-98年のような激しい金融危機からの回避を保証することを目的にしている。

2003年初頭には政府は a Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦

略)の第2路線の成功を発表した。貧富の差は過去2年間で3.7%縮小し、同戦略の中で

促進した1村1品運動の販売額は2002年の110億バーツの目標に対し240億バー

ツになり、750億バーツの村基金は6万計画580億バーツが支出され、農民の借金は

787%減少し、230万人の農民が元利支払猶予制度に参加した。しかしこれら成功の

裏に、公私債務の増加と将来の経済成長の足かせもあると考えられる。

政府の10月から3月の期間の財政赤字は、2001/02財政年の1460億バーツ

に比べ2002/03財政年には164億バーツに減少した。これは好調な財政収入と財

政支出の削減による。政府は2002/03財政年の財政赤字予測を1749億バーツか

ら1200億バーツへと引き下げた。2003/04財政年の同赤字は1000億バーツ

ほどになると予想されている。

タクシン首相と Thai Rak Thai 党の第2路線政策の共同体発展政策(Community Develoment Strategy)での金融面の柱である住民銀行微少融資計画(the Peopl's Bank Microfinance Programme)と Village Fund は政府銀行である Govrnment Saving Bank(政府貯蓄銀行)が主導し、農家負債リスケデューリング政策などは同じく政府銀行であ

る農業協同組合銀行(BAAC)が主導するようになっている。この政策について、ある識者は

危険と商業銀行の締め出しの問題を指摘する。しかし中央銀行によれば、資産状態はこれ

ら政府銀行の方がより良く、さらにこれら銀行がやらないと、農村は商業銀行によって無

視されてきたであろうとする。

2004年末での第2路線政策の成果は、(1)月当たり家計所得は20%増加し、(2)

200万人以上のタイ人が貧困から解放され、農村は Village Fund や SME 銀行、OTOPなどを通じて新規資金と企業機会を獲得した。OTOP は2600の村で実施され、その販売

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額は500億バーツに達する。家計の負債はしかし2004年代1四半期に12.3%増加

した。しかしこれら負債の69%もが住宅と事業に使用されている。

Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)の第1路線である貿易への

過度依存を減少し、外国投資の促進と金融問題の解決により、国際競争力向上し国際連携と

ASEAN での政治的・経済的指導性を増そうとする政策はどのような効果を上げたであろう

か。一言で言えば、タイの経済は完全に回復し、健全で安定したマクロ経済を達成したとい

うことである。

1997年の経済危機はタイの銀行部門を危機に陥れ、資本調達、費用節約、負債の再

構成など生存のための厳しい戦いを強いた。しかし2000年になってこの銀行危機は角

を曲がったといえる。危機は10ほどの銀行と何十かの金融会社を消滅させたが、200

4年初期に総数80に上る国内銀行と外国銀行、金融会社、土地銀行、国際金融会社が営

業している。2004年初めに成立した金融部門基本計画により金融部門における統合と

効率化を促進し、現在では、財政部門と金融市場は十分に動いている。2000年に総貸

出額の32%に達していた不良債権(NPL)は2004年には11%に低下した。

政府の財政収支は危機後ずっと赤字続きであったが、最近の経済と輸出の急成長、予測

よりも20%も好調な財政収入と財政支出の削減により、2005年には、計画より3年早

く危機後初めて1.2兆バーツで財政収支の均衡を達成する。

私的部門では、設備利用度が2000年の56%から2004年の10月には完全利用

に近い75%に増大した。

過去4年間にタイ経済は全体として35%、6.6兆バーツ拡大した。原油価格の上昇、鳥

インフルエンザ、南部の争乱、中国経済の減速、などの負の要因があるにもかかわらず、2

004年の GDP 増加率は6%に達すると予測されている。輸出は2001年の減少から、

2004年には20%に近い増加をし、タイの外貨準備高は2000年の327億ドルか

ら2004年490億ドルに増加し、政府負債の GDP 比は60%から45%に減少し、2

008年には28%に低下すると予測されている。

このようにThaksin首相のCOE的指導力とDual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)の実行によって、タイ経済・金融・財政は回復し、農村基金(Village Fund)や SME 銀行を通じての maicro・クレディットの実行により OTOP は多数設立され、SMEも多数形成され、農村と都市貧困は削減された。30バーツ国民皆健康保険制度によって

国民の医療安全保障の水準も非常に上昇してきた。また農民の高利借り入れの3年間支払

い猶予政策も3年後の残存 NPL が少額であることから、担当した農業協同組合銀行

(BAAC)への多額の利子補給はあるが、成功したといえる。私がアユタヤで見た、足に障害

のある一人に若い村の指導者が作っていたきれいなガラス細工の OTOP は、この第2路線

の成功を示唆していると考える。彼は、農村基金(Village Fund)を利用して工房を建て、

遠方からの多数の農民を自分の工房で教え、自分ででもガラス細工を作り販売していた。こ

の小さいが発展的な非常にきれいなガラス細工の OTOP と SME は、ひょとっするとタイの

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DTDSの輝かしい将来を示しているのかもしれないと考え、またそうなって欲しいと考える。

これら政策が特に低所得者層に与えた大きな便益は、2005年2月の総選挙において、

Thaksin 首相率いる Thai Rak Thai 党が全議席500の内399議席を獲得するという、

圧勝によって証明される。私の多くの途上諸国の経済発展政策の調査経験から見て、

Thaksin 首相の Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)は、発展政策

のパラダイム転換であると言える。

もちろん30バーツ国民皆健康保険制度を支える公立病院の多くが赤字になり、同病院

の医療スタッフが加重労働になり、かなりの医者が私立病院へ移っているという問題がこ

の医療制度について言われている。もちろん多くのタイ経済学者が批判するように、DTDSの第2路線は政府の介入がないと続かないという面があり、さらに貯蓄や投資に対して農

民や都市貧困者のモラル・ハザードを引き起こす可能性がある。失業者数は経済回復と共に

減少傾向にあり、失業率も2002年は2.4%であった。もちろん筆者の農業部門も含

めた過去の研究 11)が示すように、農業や中小企業における低雇用や過剰就業を含めると何

十パーセントの低雇用が存在することには注意しなければならない。2004年の私のタ

イにおける聞き取り調査と視察およびタイのマスコミの評価では、Dual-Track Development Strategy(双軌制経済発展戦略)に関しては評価するものと批判するものの

二つの意見がある。私のタイでの聞き取り調査結果でも、この両論性を明確に表している。

しかし私が官僚、学者及び Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)

の第2路線の実際の実行者(役人と農民など)に聞き取りし、視察し、OTOP の色々なケー

スを視察したまとめは、これら第2路線の諸問題はタイという1途上国において

Dual-Track Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)を行う初期に発生する必然的

問題であり、中進途上国であるタイの反発力のある経済と Thaksin 首相という強いリーダ

ーシップがあれば解決できる問題であると考える。またこのタイの中進国性は、その経済構

造と財政収入構造から、どの途上国もその発展段階で直面する貧困者の搾取から補助への

発展戦略転換の時期を示していると考える。

日本への教訓は何であろう。日本は平成農政改革の中での中山間地域振興政策:集落協

定に基づいた集落営農への中山間等直接支払い政策を実施してきたが、これはタイの

DTDM の第2路線と同じカテゴリーの政策である。しかし日本政府は現在、この政策を集中

と効率化の理念に基づいて改悪しようとしている。すなわち、一元経理をし近い将来法人化

して効率的経営を行えない集落営農は政策の対象にしないと言う政策変更である。日本で

もタイと同じように、市場原理主義的経済発展によって農村での高齢化・過疎化・鳥獣害の

悪化が進行してき、現在では日本の山村は崩壊の谷に転げ落ちている状況である。そのよう

な状況にある山村の集落営農に対する政策を、集中化と効率化の理念で改悪することは、日

本の山村の大部分を捨てることになる。日本政府は、Thaksin 首相の行ってきた Dual-Track

11) 辻井 博「タイの工業化と低雇用」『東南アジア研究』第 20 巻 第 2 号, 206ー220 頁、1982 年 9 月.

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Development Strategy(DTDS・2路線発展戦略)の理念と政策をじっくり研究し、しっかり

反省し、適切な日本農政を構築し直すことが必須であると考える。

参考文献

1)The Economic Intelligence Unit, Country Profile Thailand, March 1, 2003, P.38.

2) 辻井 博「タイ国ライスプレミアム政策の実証的経済分析」『東南アジア研究』13-3,1975

年12月、358-384頁参照。

3) 辻井 博『世界コメ戦争ーねらわれる日本市場ー』家の光協会、1988年刊参照。

4) Hiroshi Tsujii, "Comparison of Rice Policies Between Tahiland, Taiwan, and Japan-An

Evolutionsl Model and Current Policies," in Hiroshi Tsujii, ed., A Comparative Study of Rice Policy in

Rice Countries-Taiwan, Thailand, and Japan-, Kyoto: Kyoto University, 1982, IFPRI Reprint Series,

pp.32, June 1983.

5) 辻井 博「世界コメ戦争の主役―タイ:国際市場で優位に立つ条件は」『エコノミスト』毎日新聞社、

87 年 4 月 14 日号。

6) ジョン・グレイ(石塚雅彦訳)、『グローバリズムという妄想』、日本経済新聞社、2000年。

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