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暗黒剣千鳥 [#5字下げ]一 三崎修助が、机の上に「盧生夢其前日《ろせいがゆめそのぜんじつ》」という黄表紙本をひろげ ていると、渡り廊下に足音がした。人が来るらしい。 修助は、いそいで黄表紙を膝《ひざ》の下に敷き、かわりにかねて用意の史記をひろげた。ほと んど同時に、板戸の外で嫂《あによめ》の声がした。 「修助どの、入りますよ」 「どうぞ」 顔だけむけて、修助が言うと、上気したような顔をした嫂の松乃が入って来た。部屋に入ると、 例によってすばやく机の上に眼を走らせる。 「おや、ご勉強ですか」 松乃はにっこり笑って言った。嫂は、修助が書物をひろげていさえすれば、機嫌がいい女である。 十四年前に松乃が三崎吉郎右エ門に嫁して来たとき、三人の義弟がいた。新次郎、源之丞、末弟 の修助である。 兄弟の母親は、松乃が来る二年前に他界していたので、松乃は嫁して来たその日から、三崎家の 嫁としての日日の勤めのほかに、毎日家の中にごろごろしている嵩《かさ》だかな義弟たちを、し かるべき家に婿入《むこい》りさせる役目も背負いこむことになった。 修助はまだ十歳の子供で問題がなかったが、義弟とはいえ新次郎は二十二、源之丞は十九で、二 人とも松乃より年が上だった。よく喰う。 三崎家は高百石で、家中では中どころに数えられている。男の兄弟が多くて喰うに困るというほ どではないが、やがて自分の子供が生まれるだろう。義弟たちにいつまでも婿の口がかからず、い うところの厄介|叔父《おじ》にでもなって、生涯家に寄食するなどということになれば、やはり 大事《おおごと》である。嫁入って来ると同時に、三崎家の主婦の立場に立たされた松乃は、そう 思ったかも知れなかった。 一年たち、二年たち、ようやく三崎家の主婦の貫禄が身につくようになったころから、松乃はせ っせと義弟たちの婿入り口をさがすようになった。 そしてそういうことでは、松乃はなかなかの手腕を発揮したといえる。いま新次郎は百二十石の 堀家、源之丞は八十石だが組頭《くみがしら》の石野の分家と、それぞれ身分いやしくない家の婿 におさまっている。 この二人を片付けて、松乃は一段落したと思ったに違いなかった。次弟の源之丞の祝言《しゆう げん》が済んだころ、松乃は、修助どのにもいずれよい婿入り口をさがしてあげますよ。でも、そ れはまだまだ先のことですねと言って笑った。そして、そのままほっておいた。 松乃が自信満満でそう言ったとき、修助はまだ十六で、ひげもはえそろわない年ごろだったせい もあるが、松乃自身もその間に子供を二人生んでいた。子供の教育にかまけて、残っていた末弟の 成長ぶりにまでは、眼がとどかないというふうでもあった。 松乃が、ふたたび義弟の婿入り口をさがして、あわただしく動きまわるようになったのは、去年 の春以来である。そのころに松乃が、無精ひげのはえた修助の顔を、しげしげと見ながら言った。 「修助どの、そなた、いくつになりましたか?」 「二十三です」 「おや、まあ」 と松乃は言った。そう言ったまま暫時沈黙したのは、いつの間にそんな大人になったかと、一方 では怪しみ、一方では狼狽《ろうばい》したということかも知れなかった。 女に嫁入りの適齢期があるように、婿に行くにも、おのずからころあいの年ごろというものがあ る。婿をとる側の娘の齢《とし》というものがあるわけだから、当然の話だが、婿としてよく売れ

Ankokuken Chidori

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Japanese Chambara novel by Fujisawa Shuhei

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Page 1: Ankokuken Chidori

暗黒剣千鳥

[#5字下げ]一

三崎修助が、机の上に「盧生夢其前日《ろせいがゆめそのぜんじつ》」という黄表紙本をひろげ

ていると、渡り廊下に足音がした。人が来るらしい。

修助は、いそいで黄表紙を膝《ひざ》の下に敷き、かわりにかねて用意の史記をひろげた。ほと

んど同時に、板戸の外で嫂《あによめ》の声がした。

「修助どの、入りますよ」

「どうぞ」

顔だけむけて、修助が言うと、上気したような顔をした嫂の松乃が入って来た。部屋に入ると、

例によってすばやく机の上に眼を走らせる。

「おや、ご勉強ですか」

松乃はにっこり笑って言った。嫂は、修助が書物をひろげていさえすれば、機嫌がいい女である。

十四年前に松乃が三崎吉郎右エ門に嫁して来たとき、三人の義弟がいた。新次郎、源之丞、末弟

の修助である。

兄弟の母親は、松乃が来る二年前に他界していたので、松乃は嫁して来たその日から、三崎家の

嫁としての日日の勤めのほかに、毎日家の中にごろごろしている嵩《かさ》だかな義弟たちを、し

かるべき家に婿入《むこい》りさせる役目も背負いこむことになった。

修助はまだ十歳の子供で問題がなかったが、義弟とはいえ新次郎は二十二、源之丞は十九で、二

人とも松乃より年が上だった。よく喰う。

三崎家は高百石で、家中では中どころに数えられている。男の兄弟が多くて喰うに困るというほ

どではないが、やがて自分の子供が生まれるだろう。義弟たちにいつまでも婿の口がかからず、い

うところの厄介|叔父《おじ》にでもなって、生涯家に寄食するなどということになれば、やはり

大事《おおごと》である。嫁入って来ると同時に、三崎家の主婦の立場に立たされた松乃は、そう

思ったかも知れなかった。

一年たち、二年たち、ようやく三崎家の主婦の貫禄が身につくようになったころから、松乃はせ

っせと義弟たちの婿入り口をさがすようになった。

そしてそういうことでは、松乃はなかなかの手腕を発揮したといえる。いま新次郎は百二十石の

堀家、源之丞は八十石だが組頭《くみがしら》の石野の分家と、それぞれ身分いやしくない家の婿

におさまっている。

この二人を片付けて、松乃は一段落したと思ったに違いなかった。次弟の源之丞の祝言《しゆう

げん》が済んだころ、松乃は、修助どのにもいずれよい婿入り口をさがしてあげますよ。でも、そ

れはまだまだ先のことですねと言って笑った。そして、そのままほっておいた。

松乃が自信満満でそう言ったとき、修助はまだ十六で、ひげもはえそろわない年ごろだったせい

もあるが、松乃自身もその間に子供を二人生んでいた。子供の教育にかまけて、残っていた末弟の

成長ぶりにまでは、眼がとどかないというふうでもあった。

松乃が、ふたたび義弟の婿入り口をさがして、あわただしく動きまわるようになったのは、去年

の春以来である。そのころに松乃が、無精ひげのはえた修助の顔を、しげしげと見ながら言った。

「修助どの、そなた、いくつになりましたか?」

「二十三です」

「おや、まあ」

と松乃は言った。そう言ったまま暫時沈黙したのは、いつの間にそんな大人になったかと、一方

では怪しみ、一方では狼狽《ろうばい》したということかも知れなかった。

女に嫁入りの適齢期があるように、婿に行くにも、おのずからころあいの年ごろというものがあ

る。婿をとる側の娘の齢《とし》というものがあるわけだから、当然の話だが、婿としてよく売れ

Page 2: Ankokuken Chidori

るのは、二十ぐらいから二十五、六までである。そのあとに一服があって、次に三十前後といった

時期に、もうひと盛りが来るが、このあたりになると、受け入れ側にも、あまり芳しいところは残

っていない。

家柄は申し分なくとも、ああでもない、こうでもないと婿えらびのわがままが過ぎて、とうに婚

期を逸した娘とか、親が聞こえた吝嗇《りんしよく》家である上に、娘がまた不器量で婿のなり手

がなかった家であるとか、親も当の娘もまあまあだが、薄給で子沢山、行けばそのあくる日から、

婿どのがさっそく内職にはげまざるを得ない家とかである。

中には、早くに婿をとったが、親とそりが合わずに婿が二児を残して去った後、などというコブ

つきの縁談もある。

しかし三十前後の部屋住み連中には、後がない。ここで選りごのみしてことわったりすると、あ

とは一生実家に寄食する厄介叔父という頭があるから、そういう家にも必死になってもぐりこむ。

それで、この年ごろの連中も、ひとしきり縁談でにぎわうのである。

じっさいに三十を過ぎると、婿の口はばったり絶える。あとは二十過ぎると早早に他家の婿にな

った男が、数年たって思いがけなく病死し、その後釜《あとがま》をさがしているなどという幸運

にでもありつかない限り、ひとり身の部屋住みを余儀なくされる。

実家でもあきらめて、ゆとりのある家なら離れを建てて住まわせ、床上げと称する百姓、町人出

の娘をあてがって暮らしを持たせるが、子供は生まれるとすぐに間引くのである。

「そんなふうになったら、たいへん」

嫂はひととおり、婿に行くことがどんなに大事なことかを言い聞かせたあと、そう言って笑った。

そして値踏みするように、修助を上から下まで眺めまわしたあとで言い足した。

「でも、修助どのはそんな心配はいらぬそうな。旦那さまに似て、丈はあり、男ぶりはよし」

と嫂は、厚かましくも自分の夫を引き合いに出し、腕を撫《ぶ》すといった感じできっぱりと言

ったのである。

「おまかせなされ。案外に、引く手あまたかも知れませんよ」

しかし、嫂の自信ありげだった言葉にもかかわらず、一年たっても、修助の婿入り口は定まらな

かった。いくつかの話はあったようである。だが、まとまらなかった。

嫂の松乃は、それを修助の学問嫌いにむすびつけたようである。家中《かちゆう》の子弟は、十

歳になると藩校三省館に通い、孝経、論語から、大学、中庸まで教授をうける。その課程が終って

十五、六歳になると、今度は終日授業に変り、四書五経のほかに、左伝、戦国策、史記などを習う。

このあたりで、学問好きとそうでない者との色分けがはっきりして来るようだった。学問に打ち

こむ者は、そのまま終日生の課程をおさめて、さらに一段上の寮生にすすむ。寮生は、藩校の敷地

内に建つ三省寮に入り、さらに高度の読書、会読、詩文作成などに励むのである。

だがそこまで行かずに、終日生の段階で落ちこぼれる者もかなりいた。修助もその一人である。

藩校に行くと告げて、嫂に弁当をつくってもらい、せっせと城下で三徳流を指南する曾我道場へ通

った。終日生の課業は必修ではなく、剣術修行などの名目で休むことが、ある程度許されているの

だが、この時期に学問から離れた者は、ほとんどそのままになる。

修助も例外ではなかった。稽古《けいこ》が面白くなり、また生来の気質にも合ったらしく、道

場で頭角をあらわすようになると同時に、藩校の課業から次第に足が遠のいた。しまいには道場に

入りびたりになって、学問は中途で投げた形になった。

そういうことを、嫂の松乃は修助の婿入り口をさがしている間に、どこかよその家で指摘されて

知ったらしかった。そのことで修助を呼びつけたとき、松乃はあきらかに狼狽していた。

「修助どの」

松乃は、長年自分を欺《あざむ》いて来た義弟をじっと見つめながら言った。

「剣術の稽古がいけないとは申しませんよ。でもそなた、そのために三省館のご授業を、途中でや

めているそうではありませんか」

「………」

Page 3: Ankokuken Chidori

「よもやそのようなことがあるとは思いもしませんでした。旦那さまに知れたら、どうなさるつも

りでしたか?」

「………」

「でも、いまさらそれを申しても仕方ありません」

松乃は、どこかでそのことを指摘されて恥をかいたに違いなかったが、一応はあきらめた顔つき

だった。そのかわりに、いまからでも遅くはないから書物を読めと、声をはげまして言った。

「そうなさるなら、このことは旦那さまには内緒にしてあげます。それにな、史記や漢書を読めぬ

ようでは、なかなか婿にもらってくれる家もありませんよ。新次郎どのと源之丞どのが、思い通り

の家に婿入り出来たのも、おさおさ人に劣らぬ学問が身についていたからです」

新次郎と源之丞は、終日生の課業はおろか、二人とも寮生にすすみ、とくに新次郎は秀才で、寮

生からさらに試舎生と呼ぶ課程にまですすんだのである。試舎生は、寮生の中からとくに学業にす

ぐれ、品行方正な者を選んで学問を授ける制度で、試舎生になると、一人に一室をあたえられて学

問に専念する。

長兄の吉郎右エ門も寮生の課程を終えている。そこまで言われると、修助は一言もなかった。昼

の道場通いはやむを得ないが、夜はつとめて書物を読むと誓うと、嫂は機嫌をなおして、読むべき

漢籍を、山のように修助の部屋に運んで来た。

四書五経から、左伝、国語、戦国策、史記、前漢書、後漢書、唐詩選、唐詩正声……。机のそば

に積まれているそれらの書物を眺めただけで、修助は頭がくらくらする。そこで勉強していると見

せかけて、押し入れの小櫃《こびつ》からひっぱり出した黄表紙、狂歌本、洒落《しやれ》本のた

ぐいに読みふける。

小櫃の中のこうした本は、数年前病死した父が、若年のころ江戸詰で上府したときに買いもとめ

て来たものらしかったが、兄も嫂も、修助が自分の部屋に使っている隠居部屋に、そんな本が隠さ

れてあるとは気づいていないようである。一度も見咎《みとが》められたことはない。

だが嫂は漢籍を苦もなく読みこなせたので、油断は出来なかった。机の上に何がひろげてあるか

は、ひと眼で見破る。

しかし、今夜の嫂はどこかうきうきしていた。すぐに修助に顔をもどすと、吉郎右エ門の部屋に

来いと言った。嫂はこらえきれないような笑いをうかべている。

「磯部の叔母《おば》が、とてもいいお話を持って来られました。むろん、修助どのを婿に欲しい

という話ですよ」

[#5字下げ]二

磯部の叔母というのは、嫂の松乃の母方の叔母である。背が低く小ぶとりで、落ちついた物言い

をする、四十過ぎの女である。夫の磯部弥五右エ門は物頭《ものがしら》を勤め、たしか百五十石

ほどを頂いているはずで、家中では羽振りがいい家だった。叔母は登与という名である。

登与は、吉郎右エ門とむかい合って、いつものもの静かな声で話していたが、松乃と修助が部屋

に入って行くと、すぐに二人に微笑をむけた。修助の挨拶《あいさつ》にも、おだやかに挨拶を返

してから、吉郎右エ門に言った。

「ほんとに、いつの間にか大人になられましたなあ。これならば、どこに婿に出されても恥ずかし

いことはありません。朝岡さまでも、きっとお喜びになると思いますよ」

「はて、いかがなものですか」

吉郎右エ門は苦笑した。

「なりはごらんのとおり、それがしを凌《しの》ぐほどになりましたが、なにせ末子。つい甘く育

ててしまったようでもござる」

「松乃の話では、曾我という道場で、熱心に剣術の稽古をなさっておられるとか」

Page 4: Ankokuken Chidori

「さよう。そちらの方が性に合ったようでござる。しかし、文武両道とはなかなかいかぬものらし

くてな。藩校の方は、終日課業を終えたところで断念したようでござる。わが家の男どもの中では、

めずらしく学問の不出来な人間でござる」

よけいなことを言ってくれるな、と修助ははらはらした。話のすすみ具合で、その終日課業も、

中途で投げ出したなどということが露見すれば、せっかくの縁談もフイになりかねない。

松乃も同じ危険を察知したらしく、夫の口を封じるように、いそいで口をはさんだ。

「そのかわり、ナニでございますよ、叔母さま。修助どのは、曾我道場では免許取り。お師匠さま

にも、大そう信用されているようでございますよ。な? 修助どの」

「は。四年前に免許をうけ申した」

三徳流の剣は、修助のただひとつの売りどころである。門弟の筆頭は、師範代を勤める鷹野《た

かの》甚五郎だが、修助は次席を占め、いまは鷹野ともども後輩に稽古をつけている。そこまで吹

聴《ふいちよう》したかったが、遠慮して、それだけ言った。

ところが登与の方が眼をまるくした。

「四年前というと、二十のときですか?」

「さようです」

「まあ、まあ」

と登与は感嘆の声をあげた。

「それならば、近ごろはさぞかし、道場ではもう高弟に数えられていることでしょうな」

「は、次席ということになっております」

「おや、まあ」

日ごろもの静かな登与が興奮した顔になって、姪《めい》に言った。

「松乃はただ、熱心に道場に通っているというだけで、修助どのの腕前のことは何も言わなかった

ではありませんか」

登与はさらに、吉郎右エ門に顔をむけた。

「吉郎右エ門どの。曾我道場の次席なら、言うことなしでございますよ。この縁談、きっとまとめ

てさしあげます」

兄夫婦よりも、ちんちくりんの登与の方が、はるかに武芸の何たるかに通じているようだった。

登与は勢いよく、縁談の相手のことを話した。

登与が見つけた相手は、二年前まで郡奉行《こおりぶぎよう》を勤めた朝岡市兵衛の娘|秦江

《はたえ》。齢は十八で、近所では評判の美しい娘である。家禄は百三十石で、秦江の下に今年十

三になる妹がいるだけ、仲むつまじい家である。

登与は若いころ秦江の母と一緒に、茶の作法を習ったことがあった。しかし、それぞれに嫁入っ

てからはすっかり疎遠になっていたが、つい数日前、彼岸の墓参りに行った寺の境内でばったり顔

が合い、娘の婿に来るような若者に、心あたりはないかとたずねられたのである。

「ほんとに、縁というものはどこにころがっているか、知れないものですよ。私などもあなた、松

乃は知っていますが、親同士が磯に魚を釣りに行きまして、そこで出た冗談のような話がほんとの

ことになって、磯部の家に参ることになったのですから」

静かで切れ目のない登与の声が、快い楽の音のように耳にひびくのを聞きながら、修助は突然に

立ちあらわれて来た秦江という娘のことを考えていた。

美人だというからには、醜くない娘だろうが、どんな顔をしているのか。声はどんな声か。高慢

でなければいいが。いくら美人でも、家つきの娘を鼻にかけるような女子ではかなわん。興ざめす

る。

「よしなに頼み入る」

「叔母さま、お願いいたしまする」

不意に兄夫婦の声がして、修助ははっと顔をあげた。機嫌のいい顔で、登与がこちらを見ている。

修助は束《つか》の間《ま》の放心を見抜かれた気がして、赤くなりながら頭をさげた。

「修助、叔母御を門までお送りしろ」

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玄関まで見送って出た吉郎右エ門がそう言ったので、修助は履物をはいて、ひと足先に庭に出た。

登与は、藤作という老爺《ろうや》を供に連れて来ていた。門を出たところで、登与は修助に言

った。

「気だてのよろしい娘御ですよ。一度お会いになれば、すぐにわかります。修助どのにはお似合い

の娘御です。このお話、ぜがひでもまとめてあげますから、楽しみにしていらっしゃい」

帰って行く登与を、修助はしばらく見送った。お供の藤作は、先代の時から磯部家に奉公してい

る下男で、かなり腰が曲っている。提灯《ちようちん》をさしむけて登与をみちびいて行く姿が、

逆に登与に連れて歩いてもらっているようにも見えて、修助は微笑した。

二人の姿が、角を曲ったのをたしかめて門の内に入ろうとしたとき、塀わきに立ち上がった黒い

影が、三崎と呼んだ。

「………」

それがあまりに突然だったので、修助は思わず声にむかって身構えたが、近づいて来る人影を透

かし見ると言った。

「奥田か? いま時分、どうした?」

男は曾我道場で同門の、奥田喜市郎だった。顔をつき合わせるところまで寄って来てから、奥田

がささやいた。

「伊織がやられたぞ」

「なに?」

修助は鋭い眼で奥田を見た。奥田は無言で修助を見返している。

「いつのことだ?」

「ついさきほど、六ツ半(午後七時)ごろのことらしい。禰宜《ねぎ》町を歩いていて、やられた」

禰宜町は、下級藩士の組長屋があつまっているところなので、路は暗い。

「絶命したか?」

「この前の服部と同様、一太刀だったらしいぞ」

「相手はわからんのだな?」

「むろんだ。伊織が倒れているのに気づいた者が、すぐにあたりを窺《うかが》ったが、人影は見

えなかったそうだ」

修助は低く唸《うな》った。しばらく沈黙してから、ふと気づいて言った。

「寄って、話して行かぬか?」

「いや、とりあえず知らせに来たが、今夜は帰る。明日道場で会おう」

奥田は手を上げて歩き出した。その黒い背に、修助はきびしい声をかけた。

「帰り途《みち》に、気をつけろ」

ちらりと振りむいた奥田が、貴様も気をつけろ、と言った。

奥田が足早に遠ざかるのを見送ってから、修助はしんかんと暗い路に一瞥《いちべつ》を投げ、

門を入るとしっかり閂《かんぬき》をおろした。

家の中から、明るい灯の色が洩《も》れている。兄夫婦は、最後の煩《わずら》いともいうべき

末弟の縁談にめどがつき、それも予想以上の良縁が舞いこんで来たのに気をよくして、まださっき

の話を蒸し返しているに違いなかった。修助が家の中にもどれば、話に加えて二、三説教らしきも

のを言い聞かせるつもりでいるかも知れない。

重い足を、修助は入口に運んだ。五日前の服部繁之丞の死、今夜の戸塚伊織の死は、兄夫婦に洩

らしてはならない秘事だった。

──それにしても……。

相手は何者だ、と修助は思った。戸塚伊織は同じ曾我道場で、服部繁之丞は笄《こうがい》町に

ある一刀流の増村道場で、それぞれ五指に数えられる遣い手である。

その二人を、さっきの奥田の話が間違いでなければ、ただひと太刀の闇打《やみう》ちに屠《ほ

ふ》った者がいる。強い疑惑が湧《わ》き上がるのを、修助は感じた。秦江という娘のことは、ほ

とんど念頭からうすれかけていた。

Page 6: Ankokuken Chidori

[#5字下げ]三

部屋に首をつっこんで、稽古をつけていただけませんか、と言ったにきび面の少年を、奥田はい

きなりどなりつけた。

「ちゃんと坐って言わぬか。近ごろの子供は、まったく礼儀を知らん」

修助は苦笑して助け舟を出した。赤面して膝をついた少年に、もう少しで話が終る、それまで自

分たちでやっておれと言った。少年が戸をしめて去ると、修助は奥田をたしなめた。

「そう苛立《いらだ》つな。師範代に怪しまれてはまずい」

道場には、師範代の鷹野と、高弟の一人である柚木兵之進が稽古をつけているはずだったが、ま

だ稽古をつけてもらえず、あぶれて遊んでいる者がいるらしい。二人が籠《こも》っているのは、

道場わきの着換え部屋だった。

ふだんはあまり気にしたこともないが、そうして籠っていると、ろくに掃除もしない部屋の中に

は、男の汗と脂がまじり合った異様な匂《にお》いが澱《よど》んでいて、鼻がひん曲るほどだっ

た。もっとも異臭がことさら濃く匂うのは、八月も終るというのに、変に蒸し暑い陽気のせいもあ

るだろう。

奥田は顔にうすく汗をかいていた。その顔を手のひらでつるりと撫《な》でてから言った。

「すると三崎は、あの一件が洩れたと考えるわけだな?」

「そう考えるのが筋だろう」

修助は、奥田の浅黒くて平べったい顔を見ながら、低い声で答えた。

「服部が死んだとき、おや? と思ったのだ。死にざまが不審だった。今度は戸塚だ。今度戸塚の

家に寄って、線香を上げながらおやじどのに話を聞いたが、貴様が昨夜言ったとおりだった。敵は

一撃で頸《くび》の血脈を断っている。服部のときと同じだ」

「………」

「残る三人も狙《ねら》われるぞ」

修助の言葉に、奥田はかすかに身顫《みぶる》いしたようだった。青ざめた顔をそむけて、くそ

ッと呟《つぶや》いた。

だが、奥田はすぐに顔を上げて、粘りつくような眼で修助を見た。

「敵というのは、誰だ?」

「それがわかれば、貴様とこうしてひそひそ話などはしておらん。こちらから斬り合いを挑みに行

く」

「………」

「しかし、いずれにしろ明石の縁につながるやつだろう」

「だが、服部も戸塚も、柄《つか》に手をかけるひまもなく斬られておる。明石のまわりに、そん

な男がいたか?」

今度は修助が沈黙した。服部繁之丞、戸塚伊織、家中の若者の中で、屈指の遣い手と呼ばれる二

人を斃《たお》した者は、暗黒の中に姿をひそめていた。まだその影すら見えていなかった。

「やむを得ん。あのお方に会って、お指図をいただこう」

修助が言うと、奥田も強くうなずき、それがいいと言った。

十年ほど前から、異様なほどの立身を遂げて、家中の注目をあつめた男がいた。明石嘉門である。

明石嘉門が、家督をついで近習《きんじゆう》組に出仕したとき、家禄は家代代の八十五石だっ

たという。だが嘉門は、数年の間に異例の立身を遂げ、三十歳になると郡代を勤め、禄高は二百五

十石にはね上がった。

郡代は、多くは四十前後の農政と経済に明るい人物が占める職で、三百石以上の上士が勤めるな

らわしである。長く郡代を勤め、その地位から抜擢《ばつてき》されて組頭、家老にもすすんだ者

もいて、藩では要職とされている。三十歳の郡代は空前のことと言われた。

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だがこの若い郡代は職にある二年の間に、農政の上で見事な手腕を発揮し、次いで側用人《そば

ようにん》に転じた。側用人は、常に藩主に接触し、藩政の枢機にことごとく参与する要職中の要

職である。この側用人を勤めている間、藩主|右京《うきよう》太夫《だゆう》の明石嘉門に対す

る寵愛《ちようあい》はただならないものがあった。

そのころ家中には、嘉門を奸物《かんぶつ》呼ばわりする者が少なからずいたが、その言葉には、

異様な立身をつづける男に対する疑惑と同時に、藩主の偏愛に対する嫉視《しつし》がふくまれて

いたかも知れない。

しかし明石嘉門は奸物だったのか、どうか。嘉門は近習として出仕した当時から、鋭い頭脳で一

頭地を抜いていた。端麗な男ぶりをしていたが、天心独名流の奥儀をきわめた剣客でもあった。切

れる頭脳と胆力をあわせ持った人物であり、郡代としても側用人としても、有能で水ぎわだった政

治力を発揮したとも見えたのである。

「しかし、あの男は奸物じゃ」

ひそかに、修助たち五人の剣士を呼びあつめた次席家老の牧治部左エ門は、明晰《めいせき》な

口調で、そう言った。

牧は、嘉門がこれまで犯している失策を、五つほど数えあげた。どれも修助たちがはじめて耳に

することで、さほど目立たないことのようにも思えたが、牧はその失策を、嘉門という人物につき

合わせてひとつひとつ説明し、かりに嘉門が執政の地位にのぼったとき、どのような弊政があらわ

れるかを丁寧に指摘した。牧はこれまで、明石嘉門の人物とやることを冷静に観察して来たらしか

った。

その指摘のあとで、牧は茶飲み話のつづきのような平静な口ぶりで、芽のうちに摘み取るにしか

ずだと言った。嘉門はその年、側用人から組頭に昇進し、四百石に加増されていた。中老に手がと

どく地位にのぼったわけである。芽というには大きすぎる存在だったが、牧はまだ間にあうと考え

ているらしかった。

「のぞくと申しても、表沙汰《おもてざた》にはしにくい。殿の寵愛が過ぎて、まず効なかろう。

明石には気の毒じゃが、闇に葬る一手じゃな」

石のように身体《からだ》を硬くしている修助たちを眺めながら、牧は微笑した。そして言葉に

わずかに威嚇《いかく》をこめた。

「躊躇《ちゆうちよ》すれば、いまに見よ。藩政は明石一人にかきまわされて、やがて破滅するぞ」

藩主の寵を後だてにした嘉門が執政に加われば、農政はここで躓《つまず》く、家中、領民の暮

らしはこう変ると、牧は掌を指すように、ぴたりぴたりと予言してみせた。

牧治部左エ門は、長く筆頭家老を勤めたが、二年ほど前に病を得て、職をしりぞこうとした。だ

が十数年にわたって藩政を牛耳《ぎゆうじ》り、藩はじまって以来とまで称される善政を実現した

牧には、上下の信頼が厚かった。

牧は懇望されて次席家老にとどまり、病間から藩政に加わることになった。重要な議事があると

きは、牧のあとを襲って筆頭家老となった野沢市兵衛が、牧家の病間に入って懇談するのが慣例と

なり、牧は病床の名執政と呼ばれていた。部屋住みの修助たちからみれば、牧はほとんど神に似た

人物だった。

修助たちは、牧に命じられるままに、その場で神文誓詞をさし出し、数日後、下城する明石嘉門

を五間川の河岸に襲って、殺した。三年前の夏の夜のことである。

討手《うつて》は曾我道場の三崎修助、奥田喜市郎、戸塚伊織、増村道場の服部繁之丞、山口駿

作の五人だった。寵臣を闇討ちされた藩主は、激怒して下目付に探索を命じたが、五人は首尾よく

追及をまぬがれた。五人の刺客が、すべて部屋住みの若者だったことが、探索の盲点となったよう

でもあった。

以来何事もなく三年が過ぎた。ほかの四人もそうだったろうが、修助には藩のために一奸物を斃

したという考えしかなかった。次第に明石暗殺の一件を忘れた。そのことを、あざやかに思い出し

たのは、服部繁之丞が不審な死を遂げたときである。そして今度は戸塚伊織が死んだ。二人の死が、

Page 8: Ankokuken Chidori

三年前の事件につながっていることは疑う余地がなかった。何者かが、死んだ明石嘉門の復讐《ふ

くしゆう》をくわだてているとしか思えない。

他ニ言ワズ、互ニ語ラズ……。指揮した牧家老にも会わないと誓ったことだったが、いまは牧に

会って指図を仰ぐしか途《みち》はないようだった。

修助と奥田が、黙然《もくねん》と顔を見合わせていると、戸の外に足音がして、怒気をふくん

だ声が、こら、中の二人と言った。師範代の鷹野の声である。

「出て来て稽古をつけんか。いつまで怠けておる?」

[#5字下げ]四

だが、二人の焦燥を見抜いたように、その日の七ツ(午後四時)ごろ、牧家老から使いが来た。

修助と奥田を道場の入口まで呼び出したのは、牧家の老婢《ろうひ》である。六ツ(午後六時)過

ぎまでに、家老屋敷に来るようにと、にこにこしながら告げると、老婢はすぐに帰って行った。三

年前に呼びあつめられたときと、方法も同じ、使いも同じ人間だった。

二人は、急に元気になった。家老が、すでに異変に気づいて、すばやく対策を講じようとしてい

るのを感じたのである。使いはむろん増村道場の山口にも回ったに違いなかった。

修助と奥田は、さらに半刻《はんとき》余、汗を流して稽古をつけ、終ると母屋に行って湯をも

らい、身体の汗をぬぐった。師の曾我平太夫と師範代の鷹野に会い、後刻戸塚の通夜の席で落ち合

うことを打ち合わせて道場を出ると、外はもううす暗くなっていた。

真夏がよみがえったかと思われるほど、蒸し暑かった一日も、暮れてみれば、やはり秋だった。

うす青い霧のようなものが路上を這《は》い、その中にはひやりとした夜気が含まれている。ただ

西の空に、巨大な夕焼けがあった痕《あと》が残っていた。通りすぎる家家の間から、時どき血の

ように赤い空が見えた。

「気をつけろ」

灯のない町を通りすぎるとき、路を歩いている人は、ほとんど黒い影にしか見えない。そういう

人影が前方に現われるのを見ながら、奥田がそう言った。

「いまごろの時刻が、一番あぶない」

修助は低い笑い声を返した。奥田の声にも緊迫感はない。二人連れで歩いているせいもあったが、

行先が牧の屋敷だということが、二人を昨夜からの緊張から解き放っていた。牧が彼らを見捨てず、

誓詞にそむいて救いの手をのべて来たのを感じていたのである。

元馬場町の牧の屋敷に着くと、二人はすぐに牧の居間に通された。思ったとおり、山口駿作が来

ていた。

居間といっても、その部屋は牧の病間を兼ねている。牧はその部屋で、大方は寝てすごし、来客

があるときだけ起き上がって人に会い、また気分がよければ、ごく短い間机にむかって書見すると

聞いていた。

いまも部屋の主は、脇息《きようそく》によりかかって坐っていたが、背後に夜具が敷いたまま

になっていた。薬の香が強く匂った。

二人は牧に挨拶し、山口と黙礼をかわした。牧は挨拶をうけた時だけ、眼をひらいて二人を見た

が、二人を案内した中年の家士が、今度はお茶と干菓子を運んで来て去るまで、軽く眼をつむって

いた。

修助は、三年ぶりに会った家老の衰容に胸を衝《つ》かれた。三年前も、牧はたしかに病人だっ

た。肌に照りがなく、顔も手足もむくんだように青白かった。だがそのときはまだ、牧は太ってい

たのである。いかつく大きな身体だった。

だが眼の前の牧は、頬《ほお》の肉が落ちて顴骨《かんこつ》がとび出し、喉《のど》ぼとけも、

胸もとの鎖骨も高くあらわれていた。肌は黄ばみ、眼の下には黒い隈《くま》が出来ている。尋常

でない病いが、家老の身体を蝕《むしば》んでいることは明らかだった。牧はほとんど別人かと疑

うほど、面変《おもがわ》りしていた。

Page 9: Ankokuken Chidori

修助が、思わず息をのんだとき、牧が眼をひらいて三人を見た。その眼の光とひびきのよい声だ

けが、以前の牧のものだった。

「そなたたちを呼びあつめたわけは、わかっておるな?」

牧は射抜くような鋭い眼を、ゆっくり三人に配りながら言った。

「容易ならぬことが起きた。何者か知れぬが、明石の一件に気づいた者がおるらしい。あのことを、

誰ぞほかに洩らした者がいるか?」

三人は顔を見合わせ、修助が代表して、そのような事実はござりません、と言った。

「どこから嗅《か》ぎつけて来たか、不思議だ。よし、なお誰にも言うな。おびえて他にあの件を

洩らしたりすれば、身の破滅だぞ。そなたらも、このわしもだ」

「………」

「服部と戸塚をあやめた者に、心あたりがないか?」

「それが……」

と山口が言った。

「それがしも調べましたが、皆目見当もつきません」

「よい。いま、藩の調べとはべつに、わしの手で探索をすすめておる。いまに正体が知れよう。そ

の調べがつくまで、当分の間は夜の外出をひかえよ」

「………」

「申すことはそれだけだ。十分に用心して次に使いするまで待て」

三人が頭をさげると、牧は太い吐息をついて、軽く眼をつぶった。

「服部と戸塚は、気の毒なことをした。今夜は戸塚の通夜か。誰か、行ってやるか?」

「は、われわれ二人が参ります」

と修助が答えた。牧の用件はそれで終ったらしかった。眼をひらくと、ものうい手つきで菓子を

喰えと合図した。

深山のように、生いしげる樹木に囲まれた家老屋敷を出ると、修助と奥田は戸塚の家に向かった。

山口とは途中で別れた。別れるとき、三人は口ぐちに気をつけろとささやき合った。

しかし山口は、自分もそう言ったくせに、なに、出て来たらもっけの幸い、逆に切って捨ててや

るさと言った。山口は背が低く小太りの体躯《たいく》をしているが、軽妙な剣を遣い、籠手《こ

て》打ちの名手として知られている。

修助と奥田は、白銀《しろがね》町の戸塚の家に行って、曾我と鷹野、柚木兵之進の三人と落ち

合い、四ツ半(午後十一時)ごろまで通夜の席につらなった。戸塚の家では酒を出したが、修助と

奥田は飲まなかった。

曾我がひと足先に帰ったので、帰りは四人になった。そして奥田は鷹野と柚木の二人と同じ方角

なので、修助は途中で三人と別れて一人になった。

暗い夜だった。途中商人町を通りすぎたときだけ、わずかにまたたく灯の色を眼にしたが、そこ

を通りすぎて武家町に入ると、四囲はまた足もともおぼつかないほど、濃い闇になった。歩いて行

く道と、ところどころに土塀があるのがぼんやり見えて来るだけだった。

修助が歩いている場所は、左内町である。中士が住む町だが、やや構えの大きな屋敷がならんで

いる。そこを抜けると、自分の家がある町だった。

背後から、何か重苦しいものが迫って来るのを感じたのは、細い横丁があって四辻になっている

場所を通りすぎようとした時だった。とっさに刀の鯉口《こいぐち》を切ると、修助は数間の距離

を猛然と前に走った。そして刀を抜くと同時に、振りむいて迎え撃つ構えをとった。

凝然《ぎようぜん》と、闇の路上に構えたまま、修助は待った。だが斬りかかって来る者は、現

われなかった。重苦しく首筋を圧迫した、物の気配は消えていた。

刀をさげたまま、修助は四辻までもどった。暗い横丁に鋭い眼を配ったが、物の気配はなかった。

仄白《ほのじろ》い板塀がつづいているだけである。

どこの屋敷からか、疳症《かんしよう》らしい高い咳《せき》ばらいが、つづけざまに聞こえて

来たあとは、町は物音ひとつせずに静まり返った。修助は刀を鞘《さや》にもどした。

Page 10: Ankokuken Chidori

──気づかれたと知って、横丁に逸《そ》れたのだ。

その感触は動かなかった。気づくのが一瞬おくれていたら、戸塚の二の舞いだったろうと思った

とき、全身にどっと汗がにじみ出た。何者かが、背後から襲って来たことは疑い得なかった。だが、

終始足音を聞かなかったと思った。

修助は顔を流れ落ちる汗をぬぐいながら、いそぎ足に歩いた。歩きながら、何かが異物のように

記憶にひっかかっているのを感じたが、それが何かはわからなかった。修助は腕を上げて、もう一

度気味悪いほど流れる顔の汗をぬぐった。

[#5字下げ]五

道場の門を出ると、修助は空を見上げて憂鬱《ゆううつ》な顔になった。飴色《あめいろ》の重

苦しい感じの雲が空を覆《おお》いつくし、いまにもひと雨来そうな空模様だった。

空気は冷えびえとして、日暮れには少し間があるというのに、路上には歩いている人影も見えな

かった。そのままで、町は暮れて行く気配だった。

途中で降られるかな、と思いながら歩き出すと、しばらく行ったところで、うしろから女の声で

名前を呼ばれた。おどろいて振りむくと、三十前後とみえる、まるまると太った女が立っていた。

女はすぐそばの寺門の中から出て来たらしい。修助をみると、満月のように丸い顔に、いっぱい

に笑いをうかべて、三崎さまですねと言った。

「さようですが、そちらは?」

「ああ、よかったこと」

女は修助の問いには答えず、胸を撫でおろすようなしぐさをして見せた。

「二、三度、遠くから拝見してはおりますけれども、もしや人違いではないかと、ひやひやいたし

ました」

女はもう一度満面に笑いをうかべると、どうぞこちらへと、寺の門内にいざなうそぶりになった。

言うこともすることも奇妙だが、女の顔にもそぶりにも邪気はみえない。修助はいくぶん狐につま

まれたような気分で、女のあとについて行った。

寺は竜泉院という曹洞《そうとう》宗の寺院で、さほど大きい寺ではない。境内も狭かった。修

助が女のあとについて寺の門をくぐると、境内の石燈籠《いしどうろう》の陰から、若い女が現わ

れて、こちらを見た。

「朝岡の秦江でございます」

若い女は、修助が近づくと自分も歩み寄って来て、深ぶかと頭をさげるとそう言った。修助は棒

立ちになった。

秦江はうすく化粧していた。わずかに紅を刷《は》いた頬が、匂い立つように若わかしく、黒目

がちの眼、小さくふくらんだ唇が可憐《かれん》な娘だった。修助は、一瞬声を失ったようである。

「や、これは」

ようやくそう言った。しどろもどろに、名前を名乗った。そして、すぐに名前など言うことはな

かったのだと思いあたって、少し赤くなった。

秦江はその様子を微笑して眺めていたが、不意に胸が触れ合うほど近づいて来て言った。

「今日は、三崎さまにぜひともおたずねしたいことがあって、恥をしのんでお会いしに参りました」

「はて、何であろう」

と修助は言ったが、秦江が何を言いに来たかは、およそ見当がついていた。

牧家老の屋敷に呼ばれてから、あらましひと月ほど経ったが、その後牧からの連絡はと絶えてい

た。探索が行きづまっているとしか考えられなかった。そしてその間に、籠手《こて》打ちの名手

山口駿作が死んだ。牧や修助たちの警戒を嘲笑《ちようしよう》したような、一撃の頸部《けい

ぶ》斬りだった。

死んだ三人の身の上に起きたことは、いずれ自分の身にも降りかかって来ると思わないわけには

いかなかった。げんに一度、戸塚の通夜の帰りに襲われかけている。

Page 11: Ankokuken Chidori

修助は、兄夫婦に朝岡との縁組み話を、しばらく延期してもらいたいと言った。兄夫婦は怒った。

ことに兄は、修助に生意気に女でもいるかと疑ったらしく、激怒してわけを言えときびしく問いつ

めて来たが、修助は貝のように口を閉じているしかなかった。

今朝も道場に来る前に、嫂にはげしく叱責《しつせき》されたばかりである。わけのわからない

延期話は、間に立つ登与を困惑させ、ついに先方の朝岡の家にも洩れて、不審を持たれているのだ

ろう。

この美しい娘も、そのわけを問いただしに来たのだ。

「三崎さまとのお話を、父母も大そう喜んでおりました。しかし三崎さまは、このお話をすすめる

のは待って欲しいと申されたと聞きました。なぜですか?」

はたして、秦江は真直ぐにその話を持ち出して来た。修助は黙って下をむいた。

「おいやなら、おいやと正直に申してくださればよいのです」

「………」

「父も母も、三崎さまのことはあきらめて、ほかに話をさがすと申しております。しかし私は……」

秦江の声が、か細く顫《ふる》えた。

「一たんこのおひとこそと思い決めたお方を、すぐに忘れてよそのお話に耳傾ける気にはなれませ

ん。どんなにさげすまれようとも、一度あなたさまにお会いして、本心をお聞きした上で、心を決

めようと思って参りました」

「………」

「今度のお話、おいやなのですね。それならそうと、はっきりおっしゃってくださいませ」

修助は顔を上げた。するとちょうど秦江の眼から、涙の粒がひとつこぼれ落ちたところだった。

秦江はあわてて袂《たもと》を掬《すく》いあげると、さっと顔を隠して横をむいた。

「いや、そうではない」

と修助は言った。うしろを振りむいて見たが、さっきの女中と思われる女はいなかった。門の外

に出て、人を見張ってでもいるのだろう。

「磯部の叔母御に今度の話を聞いたとき、それがしには過分の縁組みだと思った。今日、そなたに

会って、ますますそう思う。だが、やはりしばらく待っていただかねばならぬ。事情がござる」

「事情?」

袂をはずして、秦江がこちらをむいた。眼の下の化粧がはげて、変に生なましく、そのかわり親

しみやすい顔になっていた。秦江はじっと修助を見つめた。

「その事情というのを、お聞かせねがえませんか?」

「それは言えぬ」

修助はきっぱりと言った。

「ただ、それがしを信用して、いましばらくお待ちいただきたいと申しあげるほかはござらん。そ

れがかなわぬなら、この縁談は、なかったものとしていただくしかない」

「はしたないことをお聞きしますが……」

秦江は、ぱっと顔を赤らめて、小声になった。

「事情と申されることですが、それは、女子にかかわりがございますか?」

「いや、いや」

修助も赤面して手を振った。

「それがしは、そういうことはいたって不調法。若い女子と、このように長話をしたのは、今日が

はじめてでござる」

「やはり、お会いしてようございました」

突然に秦江が言った。秦江は微笑していた。かがやくような白い歯が、ちらと見えた。

「私、三崎さまをお待ちいたします。家の者が何と申しましょうとも。もうこのことについては、

ご懸念くださいますな」

「すまぬ」

Page 12: Ankokuken Chidori

と修助は言った。兄夫婦でさえ不信の眼で見たおれを、この娘は何も言わずに信じてくれるとい

うのか。そう思ったとき修助は、ほっそりした秦江の肩を抱きしめてやりたいような、熱いものが

胸に溢《あふ》れるのを感じた。しかしそうはせずに、手だけさしのべた。

「長くは、待たせぬ」

「私、あなたさまを信じております」

秦江は、変に据わったような眼で、ひたと修助を見つめた。そしてさし出した修助の掌に指をか

らめた。だがそれは一瞬で、秦江はすぐに火傷《やけど》でもしたように手をひくと、身をひるが

えして門の方に駆け去った。思いがけなく、小鹿のようにすばやい身ごなしだった。

顔の前にかざして、修助はしばらく茫然《ぼうぜん》と自分の掌を眺めた。信じられないほど、

やわらかくしなやかなものが触れた感触が残っていた。

外に出ると、女たちの姿はもう消えていた。担い売りの肴屋《さかなや》が一人、長く触れ声を

ひっぱりながら、日暮れ近い路を歩いているだけである。

──さて。

一度空を見上げてから、修助は歩き出した。降るかと思ったが、空は夕方になって少し雲がうす

れたらしく、さっきよりむしろ明るくなっていた。

状況は何ひとつ好転したわけでなく、見通しは依然として暗かったが、その中に一点小さな明か

りがともった感じがある。女子どころか、と修助は思う。だが秦江に会って、救いようもなく重苦

しかった日日に、かすかに光がさしこんだ気がするのを否めなかった。修助は心もち胸を張って、

町を歩いた。

だが、その夜の五ツ半(午後九時)過ぎに、奥田喜市郎の家から使いが来た。奥田が斬られたの

である。夜の町を修助は奥田の家に向かって疾駆した。

三人目の山口駿作が死んだあと、奥田は急にふさぎこんで、しばしば道場を休むようになった。

出て来ても、わずか一刻ほど稽古にはげむと、早早に帰って行く。そうして家に籠っているらしか

った。

そういう奥田を、修助は小心だと思ったが、しかしその方がいいとも思っていたのである。牧家

老から使いが来るまでは、こちらから身動き出来ることではなかった。その奥田が、なぜか夜の町

に出て斬られたらしかった。刺客は、ずっと引き籠っていた奥田が、耐えかねて夜気を吸いに外に

出るのを、待ち伏せていたのだろうか。

駆けつけると、奥田はまだ息があった。奥田の傷は、頸をわずかに逸れて肩口に入っていた。奥

田の剣は受けに定評がある。どのような難剣も粘りづよく撥《は》ねかえす受けの剣が、闇討ちを

うけたときにもとっさに働いたせいかも知れなかった。だが肩口のその傷が、やはり致命傷である

ことは、手当てした白布が、血に濡《ぬ》れて赤い布のようになっていることでもわかる。

医師の姿は見えず、奥田の枕もとには、数人の身内がひっそりと坐っているだけだった。修助を

見ると、奥田の父親が沈痛な顔で礼を言い、修助どのを呼べとしきりに言うので、ご足労いただい

たと言った。

「奥田」

耳に口を近づけて呼ぶと、奥田はうすく眼を開いたが、荒い息をつき、惘然《ぼうぜん》と天井

を見上げているだけで、修助の声が聞こえたようでもなかった。

「三崎だ」

修助は奥田に顔をかぶせるようにして、辛抱づよくささやきかけた。

「言い残すことがあろう。ん? 言いたいことがあって、おれを呼んだろうが。言え」

あるいは奥田は、三年前の秘事のことを口にするつもりかも知れなかった。だが、ここまで来た、

構うものかと修助は思った。

「三崎だ。わかるか? 何が言いたかったか、言え」

奥田の喉が、こくりと鳴った。そして天井を見つめたまま、ただの気息と思える声を洩らした。

「わからんぞ、もっとはっきり言え」

「匂った。くすり……」

Page 13: Ankokuken Chidori

不意に奥田ははっきりした声で言った。だがそれが奥田の最後の声だった。奥田は急にはげしく

胸を喘《あえ》がせ、喉をかきむしるようなしぐさをみせた。喉が鳴り、奥田は身をよじって何か

を吐き出した。

奥田の妹が、いそいでそばに寄ると白布で吐き出したものをぬぐい取った。おどろくほど大きい

血塊だった。そして奥田は急に静かになった。みるみる顔色が蒼白《そうはく》に変り、潮がひく

ように息が微《かす》かになり、やがて絶えた。

しのび泣く女たちの間から、一礼して立つと修助は部屋の隅にしりぞいた。すると奥田の父親が

前に来て坐りながら言った。

「喜市郎は、何を申したのであろうな?」

「さて、それがしにもよくわかりません」

修助はそう言ったが、奥田の言葉を聞いたとき、左内町の路上で襲われかけたときのことを、は

っきりと思い出していたのである。

さとられたと知って、刺客は足音も残さず姿を消したが、夜気にかすかな異臭が残っていたので

ある。そのときはよくわからなかったが、奥田の言葉ではっきりした。それは薬の匂いだったのだ。

さらに言えば、それは次席家老牧治部左エ門の病間で嗅いだ匂いだったのである。巨大な疑惑が、

修助を鷲《わし》づかみにしていた。

──だが、そんなことがあり得るか?

修助は物言わぬ骸《むくろ》に変った奥田に、呼びかけてただしたい気持に堪《た》えて、じっ

と坐りつづけた。

[#5字下げ]六

修助が言うことに、じっと耳を傾けていた曾我平太夫は、修助が話しおわるとぽつりと言った。

「よく似ておる」

「………」

「わが派に千鳥と呼ぶ秘剣があるが、それによく似ておる」

「え? 三徳流の?」

中味を伏せたまま、修助は戸塚、奥田を斬り、一度は自分を襲いかけた刺客の剣癖をくわしく話

し、そういう剣を遣う人間に心あたりはないかと曾我にただしたのである。

だが曾我の答えは予想外のものだった。修助は混乱した。

「そのような秘剣があることは、聞きおよんでいませんが」

「祖父が工夫し、父に伝えた。それきりで廃《すた》れた剣じゃ」

三徳流は、蝙也斎《へんやさい》松林左馬助の願立《がんりゆう》からわかれた一派で、曾我の

祖父又七郎は仙台藩士だったが、三徳流を遣って名人と称された人物だった。事情あって禄を離れ

ると、この城下に来て三徳流を指南した。それが曾我道場の創《はじ》めである。

千鳥の秘剣は、その又七郎から、曾我の父次左エ門に伝えられたものだという。そう言いながら、

平太夫は思案するように腕を組んだ。

平太夫は四十半ばで、顎《あご》に漆黒のひげをたくわえている。つねに冷静な、品のいいその

顔に、めずらしくあわただしい色が動いている。

「戸塚伊織、増村道場の服部と、若い者が狙われて死ぬ。そのころから少し気になっていたことが

あった」

「………」

「千鳥と申すのは居合い技での。しかも一撃必殺を期して頸をはねるところに特色がある」

「………」

「足音を聞かなんだと申したの?」

「はい」

Page 14: Ankokuken Chidori

「千鳥はもと、暗殺に用いる剣として工夫されたそうじゃ。それゆえに父は、この剣を廃してわし

には伝えなんだが、術者は履物を用いず、足袋《たび》はだしで敵にむかうと聞いておる」

修助は、背筋を寒気が這いのぼるのを感じた。わずかな物の気配としか思えなかった、闇の中の

襲撃者を思い出したのである。

「先師は、先生にその剣を伝えなかったと申されますが、当時の門人にはいかがでござりましょう

か」

「むろん伝えてはおらんと思う。また、伝えたとも聞かぬ」

平太夫はそう言ったが、げんに千鳥と思われる剣を遣って、門人を闇討ちに屠った者がいること

に思いあたったらしかった。待て、調べてみようと言った。

しばらくして、平太夫が次の間から持ち出して来たのは、曾我道場の古い門人録だった。

「こちらが父の代、これは祖父の代の門人じゃな」

数冊ある門人録を、二人は手分けしてめくった。一人一人の門人について、記録は入門の時期、

在籍の年月、道場稽古を終えた時期を詳細に書きとどめ、また免許をうけた者はその年月も洩れな

く記載していた。

「三崎」

不意に平太夫が修助を呼び、これを見よと言って、手にした門人録を指でつついた。平太夫がさ

し示した箇所を、修助は凝然と見つめた。

牧忠次郎、その名前の下に千鳥の二字があった。曾我道場に籍を置いたのは、わずか一年ほどの

間である。忠次郎というのは、牧治部左エ門が三十二で家督をつぐまでに使っていた名である。

「忠次郎というのは、いまの牧家老のことじゃな?」

「そうです」

「不思議なこともあるものだ。ご家老が、この道場に通ったなどとは、聞いておらぬ。しかも一年

あまりということが解《げ》せぬ」

平太夫は首をひねったが、修助には、およそ察しがついていた。牧は若年のころ、江戸で空鈍流

を修行して、名手の域に達したという噂《うわさ》があるのを知っている。牧はそのあとで、自宅

に曾我次左エ門を招き、千鳥の秘剣だけをうけたのだろう。時期は家督をつぐ五年ほど前である。

「ほかには見あたらんな。そちらはどうだ?」

平太夫は、なおしばらく紙を繰って、門人録に眼を走らせたが、そう言って手の綴《と》じこみ

を下に置いた。

「こちらにもございませぬ」

「すると千鳥の秘剣をうけたのは、牧家老一人ということになるか」

平太夫はそう言って、顎のひげを撫でたが、不意に狼狽した顔色になって、まさかと言った。

「まさかあのお方が、わけもなく闇討ちを楽しんでいるとも思えぬ。それに、ご家老は病人じゃ。

近ごろはかなりお悪いと聞いておる。刀を揮《ふる》うのは、まず無理じゃな」

「むろん、別人でござりましょう」

と修助は言った。家老とのつながりは、なお曾我にも打ち明けられない秘事だった。

「また戸塚、奥田を斃した剣が、はたして千鳥かどうかも分明ではございません。しかしおかげさ

まで、およその見当がつきました」

「そなたら……」

平太夫は死者もふくめてそう言った。

「何者かに狙われるわけでもあるのか?」

「いえ、さような心あたりは、まったくござりません」

「用心いたせ」

平太夫は修助をじっと見た。

「ただ逃げ隠れせよと申すのではない。千鳥に類似した剣であることに間違いないとすれば、剣士

としてそれに立ちむかう工夫があるべきだろう。油断なく立ちむかえ」

修助は黙って頭をさげた。むろん修助もそのつもりだった。

Page 15: Ankokuken Chidori

家老屋敷に呼ばれたときの、牧の衰えた顔容が眼にうかんで来る。その牧が夜の町に出、四人を

斬るなどということは、あり得ないことに思われたが、出て来た事実はただ一点、刺客が牧治部左

エ門本人であることを示していた。

何かの理由があって、牧はかつて使嗾《しそう》して明石嘉門の暗殺に働かせた五人を、残らず

抹殺する必要に迫られたのだ。その最後の一人になったという実感が、ひしと修助をしめつけて来

た。

半月ほど、修助は柚木兵之進を相手にはげしい稽古を積んだ。柚木に抜き打ちに頸を狙う剣を遣

わせ、その剣をかわして反撃に転じる剣を工夫したのである。その間、修助は夕方は早く家にもど

り、夜は外に出なかった。

ほぼその工夫がつくと、修助は道場の帰りに牧の屋敷に回り、わざとそのあたりを一刻ほど徘徊

《はいかい》して家にもどった。いずれは決着をつけなければならないことだった。修助はすすん

で決着をつけたい気持になっていた。

連夜、附近を徘徊する修助を訝《いぶか》しんで、ある夜は無口そうな中年の家士が、牧家の門

前に立ってじっとこちらを眺めていたことがある。だが牧は誘いに乗って来なかった。あるいは、

牧は病状が悪化しているのかも知れないと修助は思ったりした。

だが事実はそう思って修助が、牧家の近くに行くのをやめた二日後に、牧家老から呼び出しが来

るという形で、対決の時が来たのである。使いは修助が道場から家にもどってから来た。いつもの

にこやかな顔をした老婢が、その使いだった。

修助は虚をつかれた気がした。牧は修助の誘いなど歯牙《しが》にもかけず、修助が拒み得ない

ような形で、向うから誘いをかけて来たようだった。

──屋敷に着くまでか、それとも会って帰るところを襲うつもりか。

いずれにしろ、牧は今夜残る一人を抹殺し、ケリをつけるつもりだろう。修助は剣鬼と化した牧

を思い、夜の町に踏み出しながら、かすかに身顫いした。

背後に、かすかな物の気配を感じ取ったのは、牧の屋敷がある元馬場町に入ると間もなくだった。

気配だけで、足音はなかった。修助は自分も草履をぬぎ捨てた。そしていつでも抜けるように刀

の鯉口を切った。修助が草履をぬいではだしになったとき、気配が少し遠のいたようである。

だが、物の気配は急に濃く迫って来た。闇夜だった。眼も鼻も塞《ふさ》がれるような濃密な暗

さが身体を包んでいる。修助ははじめて敵の足音を聞いた。おそらく距離を測っているのだろう。

つ、つと斜めに走り、またつ、つと斜めに走る。そのかすかな物音は、たとえば地上を走る、小鳥

の足音に似ているかも知れなかった。耳を澄まさなければ聞きとれない、軽い足音は、背後の殺気

さえなければ、まさしく渚《なぎさ》にあそぶ千鳥を連想させる。

その鳥が飛んだ。おどろくべきことに、殺到し一閃《いつせん》の剣を浴びせて来たそのときも、

敵はまだ足音を殺していた。一陣の風が襲って来たのに似ていた。

逃げるひまはなかった。修助は右膝を折り、左足を一ぱいに送って体を沈めると、頭上に来た剣

をはね上げた。次の瞬間、逆に左足の膝を折りながら、右足で地を蹴《け》って立った。その動き

が、襲って来た二の太刀の受けに間に合った。鏘然《しようぜん》と太刀音が鳴り、長身の黒い影

が、脇をすり抜けて走る。その胴に、修助は鋭い一撃を打ちこんで逆に走った。五間ほどの距離を

一気に走り、振りむいて刀を構え直したとき、どさりと人が倒れた物音がした。胴を薙《な》いだ

一撃は、敵の腹を半ばまで斬り裂いたはずである。

修助は青眼《せいがん》に構えたまま、しばらく佇立《ちよりつ》していたが、やがて刀を鞘に

おさめた。鬢《びん》のあたりが痛むので手をやると、ぬらりとした血が手に触れた。最初の一撃

を、うまくかわしたと思ったが、それは一髪の差に過ぎなかったようである。

修助は背をむけた。これはいわば闇の中の私闘だった。斬った者も斬られた者も、言葉をかわし

てはならないと思っていた。

Page 16: Ankokuken Chidori

二、三歩歩いたとき、うしろから、苦しげな声が、三崎ここへ来い、と言った。修助は後にもど

ると、倒れている人間が刀を握っていないのを確かめてから、そばにうずくまった。血の匂いにま

じって、濃く薬の香が匂った。

「千鳥の秘剣を、よく破った」

牧はぜいぜいと喉を鳴らしながら言った。

「ついでに、わしを家の門まで運んで行け。どうせ助からぬが、ここで倒れてはまずい。わしにと

っても、貴様にとってもな」

「われわれを抹殺しようとしたわけは、何ですか?」

修助は聞いた。牧は答えなかった。修助がご家老と強くうながすと、牧は、ふふと力なく笑った。

「わしの命は、あと半年だそうだ。医者がそう言った。死んだあとに、明石の一件を知る者を残し

てはまずいと気づいた」

「われわれは、誓詞をさし出しましたぞ」

「誓詞など、信用ならん」

牧は、かすれた声でそう言った。そして斬られた腹を抱くように、深く身体を曲げた。うめき声

は立てなかった。修助は膝をついたまま、茫然とその姿を眺めおろした。長く権力の座にいた者の、

おどろくべき猜疑《さいぎ》心を見た気がしていた。

ふとあることに気づいて、修助は牧の肩をゆすった。

「ご家老。いまひとつお聞かせいただきたい」

「………」

「明石嘉門は、まことに奸物だったのですか?」

牧は答えなかった。鼻腔をさぐると、もう息絶えていた。

修助は立ち上がった。牧の死骸《しがい》を門前に運んで行くのはよい。家の者が気づき、死骸

を中に運び、二、三日して病床の名執政の病死が公《おおや》けにされることになるだろう。

だが、とほうもなく重い荷を背負いこんだようでもあった。一人では背負い切れないほどの重い

秘密だった。その荷を、あの娘が分けて持ってくれるのだろうか。

修助は竜泉院の境内で会った秦江を、ただひとつの救いのように思い出しながら、暗い地面から

牧の身体を背負いあげにかかった。