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模倣者としてのサウスウエスト イミテーションから始まるイノベーション 早稲田大学大学院商学研究科 泉谷 邦雄[著] 早稲田大学商学学術院 教授 井上 逹彦[監修] 2012 2 1 日本語版 ASB Case No.3

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模倣者としてのサウスウエスト イミテーションから始まるイノベーション

早稲田大学大学院商学研究科

泉谷 邦雄[著]

早稲田大学商学学術院 教授

井上 逹彦[監修]

2012年 2 月 1 日

日本語版

ASB Case No.3

1

はじめに イノベーションはイミテーションから生まれる。航空業界の構造を変えたイノベータ

ーが現れ、イノベーターに続く成功を収めようと世界の空では模倣の連鎖が起きている。

そのモデル企業となっているのが、米国テキサス州ダラスに本社を置くサウスウエスト

航空だ。

私たちがやったことといえば、ハーブ・ケレハー(サウスウエスト航空の創設者の

一人)が築いた成功モデルを模倣したことぐらいだ。事実、私たちはサウスウエス

トのモデルの模倣に成功した唯一の存在であり、そのモデルをより進化させた存在

であると言える。しかし、すべてはサウスウエストのモデルからはじまったのだ1

–Michael O’Leary, CEO, Ryanair Holdings

ライアンエアの CEO(最高経営責任者)を務めるマイケル・オリーリーはそう語る。

ライアンエアは、アイルランド・ダブリンに本社を置く格安航空会社(LCC: Low Cost

Career)である。輸送旅客数は欧州第 1 位で、欧州を代表する LCCであると言える。

ライアンエアの事業の仕組みには、サウスウエストのそれを踏襲したものが多い。た

とえば、「郊外の 2 次空港を使用することによって着陸料を節約する」や「機内サービス

をミニマムにして飲食物、新聞を有料にする」、「旅行代理店をとおさない直接販売、特

に、インターネットをつうじた航空券の販売を重視する」などが挙げられる2。

サウスウエストをモデルにした航空会社は他にもある。ウェスタン・パシフィック航

空やバルジェット航空、パンアメリカ航空、レノエア航空、キウイ航空も低運賃サービ

スを提供する際には、サウスウエストの事業の仕組みを全部ないし一部採用したと言わ

れている3。つまり、サウスウエストは多くの航空会社が参考にするモデル企業であり4、

航空業界に新たなビジネスモデルを確立したイノベーターなのである5。

しかし、サウスウエストが優れたイノベーターであると同時に、優れたイミテーター

であることはあまり知られていない。そこで、本ケースでは、サウスウエストの事業ア

イデアがいかにして生まれ、いかにして LCC ビジネスの仕組みに結実していったのか

を時系列を追い見ていく。同時に、その過程でサウスウエストが誰をどのように模倣し

1 Shenkar (2010), p. 65 を参照。 2 塩谷 (2008), p. 35 を参照。 3 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 22 を参照。 4 Bamber, Gittell, Kochan and Nordenflycht (2009), p. 193 を参照。原文 “Southwest has been a model

for nearly all new-entrant airlines in other countries.” 5 サウスウエストが市場に与えている影響にかんしては、Pitfield (2008)が詳しい。本研究では、1990年から 2006 年のデータをもちいて、サウスウエストの市場(路線)参入と各社のマーケットシェアの関係を研究している。

2

たのかも見ていく。

サウスウエストのビジネスモデル サウスウエストは、低運賃サービスを提供する米国の民間航空会社である。1967 年に

テキサス州ダラスで設立され、1971 年に 3 機のボーイング機で就航を開始した。設立当

初は州内の都市を結ぶ、いわゆる州内航空会社であったが、現在、路線網は全米各地に

広がっており、わずか 3 機しかなかった機体も 500機を超え6、全米を代表する格安航空

会社となっている。平均運賃は、大手航空会社が約 200 ドルであるのに対して、サウス

ウエストではおよそ 100 ドルである7。

表 1 サウスウエストの各経営指標と推移

2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010

総資産(百万ドル) 8,997 8,953 9,878 11,337 14,003 13,460 16,772 14,068 14,269 15,463

純資産(百万ドル) 4,014 4,421 5,052 5,524 6,675 6,449 6,941 4,953 5,454 6,237

売上高(百万ドル) 5,469 5,426 5,835 6,397 7,412 8,884 9,587 10,694 10,010 11,614

純利益(百万ドル) 511 240 442 215 484 499 645 178 99 459

売上総利益率(%) 33.63 31.24 29.96 27.51 30.03 28.96 24.53 19.68 18.73 21.97

営業利益率(%) 16.42 16.50 18.07 11.36 7.56 8.13 6.19 9.56 10.28 8.02

出所:Southwest Airlines, Annual Report, 2001-2010.

安定した成長を続けるサウスウエストの事業の肝は、「低運賃」と「速さ」を実現する

仕組みにある。たとえば、「低運賃」サービスを実現するために、サウスウエストでは徹

底してサービスを簡素化する。客席は自由席制であり、機内エンターテインメント機器

を設けず、上級クラスすなわちファーストクラスやビジネスクラスも設けない8。大手航

空会社が提供するような機内食もなく、機内サービスはピーナッツとドリンクのみであ

る。サービスを簡素化することで設備投資にかかるコストを抑え、低運賃サービスを可

能にしている。同様に、大手航空会社が旅行代理店をつうじてチケットを販売するのに

対し、サウスウエストでは自社ウェブページのみでしかチケットを販売しない。旅行代

理店に支払う手数料を節約し、その分を運賃に還元している9。実際、サウスウエストの

6 機体年齢にかんしては“Fleet Age of Southwest Airlines”を参照されたい。 7 代表的な航空会社との運賃および経営指標比較は巻末資料を参照されたい。また、サウスウエストの運賃設定にかんしては、Morrison (2001)が詳しい。

8 サウスウエストは、他社を買収する際、自社を手本に他社にもシングルクラスへの統一を徹底している。Jackman, Frank and Andrew Compart (2nd May. 2011.)を参照。原文 “One of the most significant challenges facing the merged company is transitioning AirTran’s two-class cabin layout and assigned seating to Southwest’s single-class/open seating model.”

9 近年、米国においては、旅行代理店に手数料を支払わない航空会社もある。

3

航空運賃は、大手航空会社のそれと比べると、半額近い設定になっている10。

同時に、「速さ」を実現するために、サウスウエストは頻繁な運航も追求している。混

雑の少ない空港を積極的に利用することで航空機の離発着回数を増やし、運航機種を小

型機であるボーイング 737 型機に限定する11ことで、離発着毎にかかる旅客の搭乗や手

荷物の積載にかかる時間を短縮している12。機種を多様に揃える場合に比べ、機種を限

定すれば、従業員の技術の熟練が早まりやすくなる。加えて、大型機利用時に比べ、小

型機に限定することで、旅客数と手荷物数を少なくすることができ、搭乗と積載に要す

る時間を短くすることができるわけだ。ただし、折り返し時間の短縮は、機種の限定だ

けで実現されるものではない。サウスウエストでは、従業員にマルチタスクを課すこと

で出発準備を早め13、一便でも多くの航空機を飛ばせるよう尽力している。実際、サウ

スウエストの航空機の地上待機時間は約 10 分であり、一般的な航空会社と比べると、約

6倍早い14。

では、サウスウエストはなぜ「低運賃」と「速さ」を追求するのか。それはサウスウ

エストの理念と事業の成り立ちに大きく関係がある。

サウスウエストの原点 サウスウエストの理念は「航空手段を大衆化すること」にある。当時、テキサス州で

は、州内の移動といえば、自動車や長距離バスなどの地上移動が主な手段だった。他に

選択肢もないため、自動車や長距離バスに揺られて、たとえば、1,000km の長旅をする

ことに疑問を持つものは少なかった。それがテキサス州における常識だったからである。

しかし、同州サンアントニオで小さな航空会社を営んでいたロリン・キングが、この常

識を覆すことになる。彼と銀行家の些細な会話が、サウスウエストのすべてのはじまり

だった。そして、この会話から、飛行機に乗ることなど考えられなかった人たちに空の

旅を提供しようという想いが実現に向かっていった。

キングの取引先であった銀行家が、テキサスの大都市間、すなわち、サンアントニオ・

ヒューストン・ダラス間を移動するのは不便で金がかかると不満を感じ、「州内で格安航

空会社をつくったらどうか」と航空会社を経営していたキングにアイデアを持ちかけた

10 山田 (2011), p. 84 を参照。 11 クラスの統一と同様に、サウスウエストでは、他社を買収する際、自社を手本に他社へもボーイング 737 型機への移行を徹底する。Compart, Andrew(10th Aug. 2009.) を参照。原文 “Frontier would operate its Airbus aircraft as it does today, with a planned retirement of the Airbus fleet and transition to Southwest's Boeing 737s over approximately 24 months.”

12 機種を限定することで得られるメリットは他にもある。「同一機種を大量に購入することによって、航空機メーカーに対して、大幅な値引き交渉を行うことが可能になるのである」(戸崎 2005)。

13 ここでは、同従業員数で一機あたりの処理を行った場合に限定している。一般的には、従業員が多いほど、1 機あたりの処理時間は短くなる。

14 ショー (2007), p. 88 を参照。

4

のだ15。

1960 年代後半、安全性の確保を主な理由に、米国の航空業界は厳しい規制によって保

護されていた。事実、米国で航空産業が生まれた 1930 年から規制緩和が始まる 1978 年

まで、米国の航空市場は、ビッグ 4、すなわち、アメリカン航空・ユナイテッド航空・

イースタン航空・デルタ航空で形成されていたと言ってよい。また、民間航空委員会

(CAB: Civil Aeronautics Board)が実質上のカルテルを容認していたために、ビッグ 4

は横並びに均一価格を提供していればよく、突発的に燃料価格が上昇することがあって

も、上昇分を運賃に上乗せするだけだった1617。この時代、航空サービスは、高い運賃を

支払える「飛行機に乗れる人」だけを対象としていたと言ってもよい。そのため、運賃

を引き下げて、より多くの旅客に航空機を利用してもらうという発想はなかった18。む

しろ、運賃の引き下げは、価格競争を招く可能性があったため、各航空会社はその選択

肢を選ぶべきではなかった。

キングはこれを好機と捉えた。サンアントニオ・ヒューストン・ダラス間はテキサス

のゴールデントライアングルと呼ばれており、「低運賃」サービスを実現できれば、航空

手段の利用者が増えるかもしれない、企業家のキングはそう考えた。そして、設立にむ

けて、顧問弁護士を務めていたハーブ・ケレハーのもとを訪れた。

このとき、キングはカリフォルニアの州内航空会社であるパシフィック・サウスウエ

スト(PSA)とエア・カリフォルニアについて事前調査を行っていた。PSAは、1949 年

から 1988 年まで、同州の最南西端に位置するサンディエゴを中心に西海岸で活躍した航

空会社である。1978 年の規制緩和まで、大手航空会社が大都市間の長距離路線を展開し

たのに対し、同社は州内の都市を結ぶ短距離路線を中心に路線網を展開していた。そし

て、「最もフレンドリーな航空会社」をスローガンに、低運賃サービスを提供していた。

キングは、ここからフレンドリーな接客と短距離を中心とする路線網、そして、低運賃

サービスを参考にできると考えた19。これらは既存大手航空会社になかったサービスで

あり、PSAはそれらを実践して、実際に成功していたからだ。

他方、エア・カリフォルニアは、1966 年から 1987 年まで、同州の南部に位置するオ

レンジカウンティを拠点に活躍した航空会社であり、こちらも州内の都市を結ぶ短距離

15 AKI (2007), p. 94 を参照。 16 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 47 を参照。 17 大手航空会社とは対照的に、サウスウエストでは、燃料価格を少しでも抑えようと努力している。

“ Southwest and Alaska Air Group Inc., which were more aggressive than their rivals in taking options to buy fuel far into the future at set prices, a practice known as hedging.” (Koenig, 2005)

18 塩見 (2006)によれば、1946 年から 1977 年のあいだ、テキサスの州内航空会社の運賃引き上げ回数は 3 回であったのに対して、州際(interstate)航空会社の運賃引き上げは 29 回あった。なお、航空会社数の違いが問題になるかもしれないが、この時期、州際航空会社の運賃は、CAB が統制していた。

19 Smith (2002), p. 2035 を参照。原文 “Emulating the PSA operation, Southwest Airlines begins its own low-fare service in Texas during 1971.”

5

路線を中心に路線網を展開していた。

PSAとエア・カリフォルニアの違いは、機種選定の結果にある。1970 年代半ば、大量

輸送のために、PSAはロッキード社のトライスターという大型機を導入した。これを機

に、PSAは破産申請への一途を辿ることになる。PSAが展開する路線網と大型機は相性

が悪く、コストがかさむばかりだったのである。これに対して、エア・カリフォルニア

は創業間もない 1968 年から一貫して、小型機であるボーイング 737 型機を主力機と定め

ていた。競合であった PSAの失敗を見ての判断だったのかもしれない。

その失敗を見ていたのは、エア・カリフォルニアだけではなかった。両社の機種選定

の顛末は、サウスウエストの機種選定にも影響を与えたようである。つまり、エア・カ

リフォルニアと PSAの機種選定の成功と失敗を参考にして、サウスウエストは、機種を

小型機であるボーイング 737 型機に限定したように思われる。

PSAとエア・カリフォルニアは州外の格安航空会社であったとはいえ、両社とも短距

離便を中心にした路線網で成功しており、創業時、州内に格安航空会社のお手本がなか

ったキングにとっては、モデルとして完璧だった20。

また、カリフォルニアとテキサスの間にはいくつかの共通点があった。たとえば、経

済状況と都市間距離が挙げられる。当時、カリフォルニアとテキサスは、ともに経済発

展が著しかった。発展に伴い、カリフォルニアでは航空手段の利用が増加していたが、

テキサスには州内を移動する航空手段がなかった。そのため、経済状況の類似したカリ

フォルニアにおける PSAとエア・カリフォルニアの成功は、テキサスにおける州内航空

会社の成功を暗示していた。

さらに、カリフォルニアとテキサスは広大な土地を有している州であり、州内の都市

間距離が同程度離れていた。これは、一般的な交通手段であったバスや車で移動するに

は距離が長いことを意味しており、航空手段の潜在的ニーズがあることを示していた。

カリフォルニアで成功した 2 社はまさにその潜在的ニーズに応えたと言える。

この調査をもとに、バーでミーティングをしていた、企業家のキングと顧問弁護士で

あったケレハーのふたりは、テーブルにあった紙ナプキンの裏に運航パターンを書きな

ぐった。事業を立ち上げるにあたって、ふたりは既存の州内航空会社を参照したわけだ21。

はじめは半信半疑であったケレハーも成功例があることを聞いて、キングの構想もうま

くいくかもしれないと感じ始めていた。

そして、構想から 1 年後の 1967 年 3 月 15 日、ケレハーはエア・サウスウエスト(後 20 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ(1997), p. 29 を参照。原文「キングはカリフォルニアにある州内航空会社パシフィック・サウスウエスト航空(PSA)について調査していた。モデルとしては完璧だった。PSA は業績がよく、テキサスとよく似た州で経営されている」

21 Smith (2002), p. 2454を参照。原文 “Lawyer Kelleher meets with client Rollin W. King at a bar ( the St. Anthony’s Club ) to discuss the idea of setting up a low-fare intrastate airline modeled after Pacific Southwest Airlines (PSA).”

6

のサウスウエスト)の設立申請をする。1971 年 1 月、他社からの訴訟が多かったために、

初就航にあたって、キングとケレハーは、自分たちよりも会社組織の運営に長け、業界

に精通している人物を求め、ラマー・ミューズを CEO(最高経営責任者)に迎え入れた。

彼は、トランス・テキサス航空、ユニバーサル航空、セントラル航空、サザン航空で経

験を積んできた玄人で、キングとケレハーが求めていた人材だった。「ラマー(・ミュー

ズ)はまさにわれわれが必要とする人物だった。粘り強く、常識を打ち破る発想をする

のだ」22ケレハーはそう述べている。同年 6 月、サウスウエストは初就航を迎える23。

「低運賃」と「速さ」を実現するために マルチタスクが可能にする 10 分ターン

1971 年 9 月、「低運賃」と「速さ」を実現するために、ミューズは、業界の常識を打

ち破るアイデアを思いつく。このとき、彼はスピードアップ計画、すなわち、増便計画

を立てていた。一般的に、大手航空会社は運賃を高く設定しているため、少ない便数で

も利益を確保できる。これに対して、サウスウエストは低運賃サービスを提供するがゆ

えに、利用者の増加を望める一方で、一便当たりの利益の減少を覚悟しなければならな

かった。利益を確保できなければ、企業として存続することは難しい。だが、創業時の

理念から、サウスウエストは簡単に運賃を引き上げることはできなかった。

そこで、ミューズは、一便当たりの利益が少ないのなら、利益がでる回数を増やせば

よい、増便をすればよいと考え、航空機を買い増す決断をする。

そして、サウスウエストはボーイング社から 4 機目の航空機を購入する。これで増便

が望め、増収も期待できる。加えて、機体の稼働時間に余裕があれば、チャーター便24と

して州外へも就航できるとサウスウエストでは考えられていた。

ところが、「州外」というのはよくなかった。連邦地方裁判所は、サウスウエストに 4

機目の使用許可を認めなかったのだ。この頃、州外へ航空機を就航させることは、市場

の競争を高め、安全性の低下を導くとして、厳しく制限されていたからだ25。ミューズ

は仕方なく新機体をわずか 8 ヶ月で他社に売却するという決断をする。

新機体を手放してしまったために、問題は依然として残った。ミューズはわずか 3 機

のボーイング 737 型機で利益を生み出す方法を考えなければならなかった。結果的に、

この問題を解決したのは、地上業務員のビル・フランクリンだった。彼は、ミューズが

以前の職場であったトランス・テキサス航空から連れてきた職員だった。フランクリン

は、増便を、機体数の増加ではなく、1 機当たりの回転率を高めることで実現できるの 22 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 33 を参照。 23 サウスウエストは他社からの訴訟により、初就航までの 4 年間を法廷での争いに費やした。 24 チャーター便とは、不定期に旅行会社または航空会社が貸し切る臨時便である。 25 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 52 を参照。

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ではないかと考えた。航空機 1 機を 2 機、3 機分に相当するぐらい稼働させることがで

きれば、問題は解決できる、と彼は思ったのだ。そのためには、航空機の遊休時間にあ

たる地上待機時間を短縮すればよく、たとえば、10分間で機体の出発準備を済ませる必

要があった。

これは簡単なことではない。航空機を滑走路に着陸させた後、搭乗ゲートに横付け、

完全停止させる、ここまでに 10 分かかることは珍しくない。しかも、次の便を飛ばすた

めには、航空機を「空」の状態にしなければならない。つまり、機内では客室乗務員が

前の便の旅客を乗降口に案内しなければならず、機外では地上スタッフが貨物室から荷

物を降ろさなければならない。こうして、航空機は「空」の状態になる。

だが、「空」の状態が必ずしも綺麗な状態であるとは限らない。次の便に備え、機内で

は客室乗務員に代わり、清掃スタッフがゴミの収拾やシートベルトを整える。機内の整

理整頓が終われば、機内の主役は、清掃スタッフから再び次の便に乗務する客室乗務員

に代わり、彼女たちが新たな旅客を機内に迎え入れる。同時に、出発準備は機外でも進

められる。「空」の貨物室には、次の便に搭乗する旅客の荷物が積載され、航空機の燃料

も補給される。ここで初めて、次の便の出発準備が整う。

さらに、航空機を離陸させるためには、航空機を滑走路に移動させなければならない。

搭乗ゲートから滑走路までの距離は、空港によってまばらであり、航空機を着陸させて

搭乗ゲートに横付けするのと同様に、航空機を滑走路まで移動させるのに 10 分を費やす

こともある。

10 分ターンを実現するということは、文字通り、この一連の動作をわずか 10 分で完

遂しなければならないことを意味していた。先述のとおり、航空機の移動だけでもおよ

そ 20 分はかかり、一般的には約 60 分かかる作業であると言われている26。そのため、

フランクリンは、業界に精通する空港職員から「10分でできるんですか?」と疑われる

ことがあった。だが、彼は自信をもって「できるとも」と答えた27。彼には経験があっ

た。以前の職場であったトランス・テキサス航空で 10 分ターンを成功させていたのだ。

彼が務めていたトランス・テキサス航空では、恒常的ではないものの、定期的にスピー

ドターン期間が定められていた。ただし、トランス・テキサス航空が使用していた航空

機は、サウスウエストが使用していたボーイング 737 型機よりもさらに小さい DC-3 型

機であった。具体的にいえば、DC-3 型機の客席数が約 30 席であるのに対し、ボーイン

グ 737 型機28の客席数は約 130 席であり、その差にはおよそ 4 倍の開きがあった。それ

でもフランクリンは、方法は一緒だと考え、それをサウスウエストにも導入すればよい

26 ショー (2007), p. 88 を参照。 27 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 53 を参照。 28 70 年代に主流であったボーイング 737‐200 型を基準にしている。

8

だけだと思っていた。

10分ターン実現の関門となったのは、10 分ターンを技術的に実現することではなく、

そもそも従業員に 10 分ターンが可能であるということを理解してもらうことだった。サ

ウスウエストの大半の従業員が航空業界での経験がなかったがゆえに、10 分ターンの難

易度を知ることなく行動に移せた。一方、大手航空会社で経験を積んでいた従業員29は、

それがいかに困難であるかを知っているがゆえに、行動に移さなかった。大手航空会社

では、単一の業務を専門化して縦割りで行うのが常で、チームを有機的に機能させるマ

ルチタスクという発想がなかった。操縦士は操縦を、客室乗務員は機内サービスを、そ

して、地上スタッフは地上業務を担当するのが通常であり、割り振られた業務を離れる

ことは珍しかった。

そのため、大手航空会社で勤務経験のあった従業員を納得させるためにも、社内で 10

分ターンの実績をつくらなければならなかった。航空業界での経験がない従業員たちは、

懸命に航空機の地上待機時間を縮めていった。それを見て、大手航空会社勤務経験者た

ちは、自分たちの考え方が思い込みであると知り、「やればできる」と意識を変化させて

いったのである。それから操縦士や客室乗務員、地上スタッフが、シートベルトを整え

たり、ゴミを捨てたり、新聞を片付けたりと、自分の業務を超えて、マルチタスクを行

うことがサウスウエストの常識になった。そして、10 分ターンはサウスウエストの代名

詞となる。

2 次空港・混雑の少ない空港の利用

しかし、10 分ターンだけでは、「速さ」すなわち頻繁な運航を実現することはできな

い。地上スタッフと乗務員たちが出発準備を 10‐15分に縮めたとしても、誘導路30に 20

分も航空機を待機させれば、10 分ターンの効力は発揮されないからだ。そのため、「速

さ」を実現するには、10 分ターンだけでなく、2 次空港すなわち混雑の少ない空港の利

用が必須となる。

サウスウエストは、デンバー(マイルハイ・シティー)における失敗から、このこと

を学んでいた。同社がデンバー31に就航していたころ、滑走路の混雑が原因で、同空港

へ就航する全路線に大幅な遅れが発生したことがあった32。大手他社同様に、サウスウ

エストも自社の運航スケジュールを大きく乱された。しかも、「速さ」で勝負するサウス

29 操縦士に限って言えば、民間企業だけではなく、空軍に在籍していた人材も登用された。 30 滑走路に平行する誘導路を平行誘導路と呼ぶ。主要空港では離陸待ちの便がそこに並ぶ。 31 サウスウエストは、デンバーのハブ空港であったステイプルトン空港へ就航していた。なお、1995年のデンバー国際空港の完成に伴い、同空港は閉鎖された。

32 遅延便の影響にかんしては、Wu(2005)が詳しい。

9

ウエストへの打撃は大手のそれとは比べものにならなかった。だからこそ、サウスウエ

ストは滑走路が混雑する可能性が高い空港、大都市の主要空港への離発着を回避すると

いう方法をとった。大都市の主要空港を利用すれば、航空機を自社のスケジュールで運

航することが難しくなり、自社の強みである「速さ」を、ひいては「低運賃」サービス

を提供できなくなることを、サウスウエストは教訓として得ていた。

逆をいえば、航空機を自社のスケジュールで離発着させるためには、滑走路を自由に

使えることが必要条件であり、発着枠にも制限はないほうがよい。つまり、「速さ」を実

現するためには、2 次空港が最適である。各国から航空機が集い混雑しやすい主要空港

に対して、主に国内線を対象とする 2 次空港は、得てして主要空港33周辺に点在してい

るために、航空機が集中することが少なく、発着枠が余っている混雑の少ない空港であ

る場合が多い。

1971 年 11 月、サウスウエストはテキサス州のホビー空港での業務を始めた。ホビー

空港は、1969 年までヒューストンの主要空港であったが、インターコンチネンタル空港

の新設に伴い、大手航空会社のすべてが同空港を引き払っていた。そのため、ホビー空

港は誰も使用しない、混雑の少ない空港となっていた。サウスウエストも、一時はイン

ターコンチネンタル空港で業務を行っていたが、倒産寸前に追い込まれたため、大手航

空会社の下した判断とは逆をいくことで、状況を打開しようとしたのだ34。

逆というと奇をてらった発想のように思われる。しかし、ホビー空港はビジネス街に

近く、サウスウエストを利用する旅客の短距離・短時間という要求を満たしていた。空

港側からしてみても、唯一の顧客企業に有利な条件を示さないはずがなかった35。着陸

料は抑えられ、ホビー空港の滑走路と発着枠は、サウスウエストが独占して使えるよう

になった。

移転した翌日には、旅客数が倍になり、サウスウエストはインターコンチネンタル航

空のすべての業務を、直ちに、ホビー空港へ移した。ホビー空港での経験は、その後の

サウスウエストの空港選びにおける手本となる。サウスウエストは、混雑が少なく、町

の中心部に近い空港を重視するようになったのだ。

一方で、収益性の高い都市、たとえば、ロサンゼルスやラスベガス、ナッシュフラン

クリン、サンディエゴ、フェニックス、セントルイス、オークランドでは、他社と同じ

主要空港へ就航している。選択の余地がある場合には、「速さ」を実現できる、最も効率

33 主要空港は、長距離便の就航を前提とするため、長距離便で使用されやすい大型機が着陸できる長い滑走路を用意する必要があり、得てして、郊外に建設される。

34 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 39 を参照。原文「サウスウエスト航空はインターコンチネンタル空港で倒産寸前だったので、ともかく一か八かやってみようと、七一

年十一月十四日、ダラスとさびれたヒューストン・ホビー間で業務を始めた。」 35 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 78 を参照。原文「ミルウォーキー・ミッチェル国際空港では、専用のゲートを設けてサウスウエストを誘致しようとした。」

10

良く航空機を活用できる空港を、サウスウエストは選んでいった。

路線の選択 ―リオグランデ・バレーの成功―

1973 年、利益を計上し始めたのを機に、ミューズは路線網の拡大を考えていた。ただ

し、どこに拡大するか。それが問題だった。熟考の末に、ミューズが出した答えは、州

内のリオグランデ・バレーという小規模都市への就航だった。過去 2 年間の実績から、

テキサスの小規模都市なら損をせずに運営できるかも知れないと考えたのである。

実際、リオグランデ・バレーとサンアントニオ、ヒューストン、ダラスの 4 都市を結

ぶ路線の利用者数は、サウスウエストの就航する前年が年間 12万 3千人だったのに対し、

11 ヶ月後の 75 年末には 32 万 5 千人に増えていた36。サウスウエストの一貫した低運賃

サービスにより、航空機を利用する旅客が増えたのだ。

リオグランデ・バレーでの成功は、小規模都市の住民が「低運賃」と「速さ」を支持

してくれることをサウスウエストに証明してくれた。当時、業務担当副社長だったゲイ

リー・バロンは、この成功を振り返り、「だからこそ、われわれはさらにミッドランド・

オデッサ、オースチン、エルパソ、ラボック、コーパスクリティなどの都市への扉を開

くことができたのだ」37と語っている。

ポイントシステム ―ハブシステムを採用しない理由―

1978 年、リオグランデ・バレーでの成功から順調に路線網を拡大していたサウスウエ

ストに大きな転機が待ち構えていた。航空業界を激変させる規制緩和が始まり、それに

伴い、路線の選択が自由になったのだ38。

規制緩和の背景には、1970 年代中頃に発生した深刻なスタグフレーションがあった。

その閉塞感から通信や金融、交通など多くの産業で規制緩和の必要性が騒がれ始めてい

た。その中、第 2 次オイルショックの煽りを受けた大手航空会社は、運賃価格を一方的

に上げていた。そのため、米国内では、航空運賃の是正や競争を刺激する新規参入を求

める声が高まり、これらが航空自由化に拍車をかけたと言われている39。

この規制緩和がきっかけとなり、多くの航空会社がコスト削減のためにハブシステム

を採用していった。ハブシステムとは、周辺の地方都市から主要空港へ短距離便を飛ば

し、1 か所に旅客を集中させ、そこからそれぞれの最終目的地へ長距離便を飛ばすとい

う方式だ。主要(ハブ)空港から 2 次(地方)空港に路線をスポーク(車輪)状に分散 36 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 48 を参照。 37 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 48 を参照。 38 山田 (2011), p. 77 を参照。「1978 年、既存航空会社より低運賃サービスを提供する航空会社にはすべて、路線権が与えられた。1979 年、路線運航申請はすべて許可され、1981 年には、路線認可の制度は廃止された。」

39 清水 (2006), p. 115 および塩見 (2006) , pp. 217-220 を参照。

11

させる路線網であることからハブ・アンド・スポークとも呼ばれている。

ハブシステムのメリットは無駄が減ることにある。たとえば、路線数の削減に伴い、

便数、供給座席数が減るため、需要が変わらない市場であれば、空席率を減らすことが

できる。また、限られた機材や従業員を効率的に使い、路線網と便数の充実を図ること

ができる。

図 2 で示すように、仮に、東西に分かれた 4 都市間(計 8 都市)を直行便で結ぼうと

すると、そのためには 28 本の路線とそれを運航させるための航空機と乗務員が必要であ

る40。だが、東西それぞれにハブ空港をひとつ置くことで、路線を 7 本にまで減らすこ

とが可能になる。路線網を縮小するに伴い、機体数と乗務員数が削減でき、関連するコ

スト、たとえば、メンテナンス費・設備投資費・人件費を大きく削減できるというわけ

だ。

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'2I-. 図 1 ハブシステム誕生以前の路線網とハブシステムの比較

ハブシステムを発明したのは、イェール大学のビジネススクールに通っていた学生で

あった41。彼は従来の 2 地点間の路線網を簡素化、効率化する運航システムを考え、そ

のアイデアをレポートにまとめて教授に提出した。ところが、教授からの評価は「C」

であった。この評価に納得できなかった学生は、1971 年に運送会社を立ち上げ、自説の

40 井上泰日子 (2010), p. 74 を参照。 41 加護野・井上 (2004), pp. 219-220 を参照。

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正しさを証明しようとした。この会社こそ、現在、物流サービスで世界最大規模を誇る

総合航空貨物輸送会社「FedEx」であり、「彼」は創業者のフレッド・スミスである。規

制緩和に乗じて、大手航空会社が「貨物」と「人」を置き換え、ハブシステムを民間航

空機の運航に応用させたわけだ。

ハブシステムは、州内航空会社であるサウスウエストからしても魅力的な路線網であ

った。サウスウエストは、先述のリオグランデ・バレーの成功から就航する空港が多く

なっていたためだ。就航する空港数が増加するということは、路線数が増加することを

意味している。したがって、ハブシステムを採用すれば、サウスウエストも路線数を減

らすことができ、それに伴い、機体数と乗務員数を削減できる。また、サウスウエスト

が短距離路線を結ぶ州内航空会社であると言っても、テキサス州は米国で 2 番目に面積

が広大な州42であり、ハブシステムを採用したほうが、効率的に運航ができるかもしれ

ない。

だが、サウスウエストはハブシステムを採用しなかった。サウスウエストは、ハブシ

ステムが持つデメリットに注目したからだ。ハブシステムを採用すると、各地方都市か

らの乗り継ぎ客を待つために、航空機の地上待機時間が長くなるという問題が生ずる。

航空機は空を飛ばない限り、収益を生み出さないただの箱である。言い換えると、乗り

継ぎ便を待つという行為は、航空機の空席率を下げる一方で、航空機の回転率(便数)

も下げることを意味していた。また、ハブシステムを採用すれば、本来、直線距離で近

い都市間であっても、旅客は出発地から一度ハブ空港のある都市へ出て、そこから目的

地へ向かわなければならない。端的にいえば、ハブ空港を持たない都市に住む住民にと

って、ハブシステムは、遠回りをさせられる路線網なのである。

ケレハーはハブシステムにかんして「乗り継ぎ経路が複雑だと、チケットカウンター

で飛行時間と運賃を計算し、ああでもないこうでもないと 30 分も過ごす人が出てくるだ

ろう。短距離路線の旅客に、さらに辛抱強く待ってくださいなどと、お願いできるだろ

うか」43と述べ、「サウスウエストはこう考える‐旅客は満席を期待している航空会社の

都合に合わせて、わざわざ遠回りするつもりはない」44と言っている。

また、このハブシステムを実現するには、多様な機体を揃える必要がある。たとえば、

ハブ空港と地方空港を結ぶ短距離路線では、地方空港の滑走路の制限と旅客数の少なさ

から小型機を就航させるのが一般的である。これに対して、ハブ空港同士を結ぶ長距離

路線では、より多くの乗り継ぎ客を一度に運ぶために、大型機を就航させるのが一般的

だ。

42 テキサス州の面積は、691,023 平方 km であり、日本の国土の約 1.8 倍ある。 43 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 74 を参照。 44 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 73 を参照。

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既存の大手航空会社は、旧来からハブ空港と地方空港を結ぶ短距離路線と主要空港同

士を結ぶ長距離路線へ就航していたため、機種は豊富に揃えてあった。しかし、機体数

が彼らの経営を圧迫したので、彼らはハブシステムを導入し、コスト削減を試みた。し

たがって、大手航空会社がハブシステムを導入することは、その歴史的な経緯から見て

も自然であった。

ところが、サウスウエストは大手航空会社と事情が異なっていた。彼らは、PSAやエ

ア・カリフォルニアといった、州内航空会社をお手本に事業をスタートさせていた。州

内航空会社は、元来、小規模都市間の就航が多く、先述のとおり地方空港の滑走路の制

約から大型機を導入することは少ない。サウスウエストも例にもれず、就航開始の 1971

年から 2011 年現在に至るまで、ボーイング 737 型機しか購入していない。したがって、

サウスウエストは、ハブ空港とハブ空港を結ぶ路線、すなわち、多くの旅客の利用が望

める路線で小型機を就航させなければならず、効率的なハブシステムを実現することが

できない。

だからといって、サウスウエストが多様な機種を揃えようとすると、コストがかさむ。

航空機は機種毎、職務毎にライセンスが必要であるため、ハブシステムを採用すれば、

機種毎に操縦士と客室乗務員、そして整備士を育成する時間と資金を費やさなければな

らない。コストが増せば、運賃を引き上げなければならない。

しかし、創業時と同様に、彼らはこの時点でも運賃引き上げという安易な方法をとら

なかった。リオグランデ・バレーでの成功から、旅客が自分たちに「低運賃」サービス

を望んでいることをよく理解していた。加えて、「航空手段を大衆化する」という創業理

念を歪めるはずもなかった。ある株主がケレハーに「運賃を 2 ドルか 3 ドルぐらい上げ

ても構わないんじゃないか?」と聞くことがあっても、ケレハーは「分かりませんか?

われわれの競争相手は航空会社ではなく、地上の輸送手段なんですよ。サウスウエスト

を利用すれば、車よりも安く移動できる場合が多い。便利さという点では車はくらべよ

うもない」45と答えている。

サウスウエストがハブシステムを採用しない、他社との相互乗り入れをしないのは、

遅延の可能性がある他社便の乗り継ぎ客を待つために、無駄な時間と資金を浪費したく

ないからであり、どんな場合にも低運賃サービスを提供するためだ。したがって、大手

航空会社が路線網をハブシステムへ変更していくなかでも、図 3 で示すとおり、同社は

都市間を短距離直行便で結ぶ方式、すなわち、ポイントシステムを採用した。大手航空

会社の逆を選択し、PSAやエア・カリフォルニアといったお手本が展開した路線網を踏

襲したのだ。

45 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 77 を参照。

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=27./ 図 2 ハブシステムとポイントシステムの比較

ノンフリルサービス

だが、大手航空会社がハブシステムを採用することでコスト削減を実現したのと同様

に、ポイントシステムを採用するサウスウエストも、70 年代のスタグフレーションを乗

り切るためには、コスト削減をする必要があった。

そこで、サウスウエストではオペレーションの更なる簡素化が推し進められた。この

簡素化にあたって、サウスウエストは、1977 年に設立された英国のレイカー航空スカイ

トレインのノンフリルサービス、すなわち、簡略したサービスもしくはその一部を有料

化するサービスを参照したと思われる46。

レイカー航空のスカイトレインには、「トレイン」の名からも分かるとおり、「電車に

乗るように飛行機を利用する」というコンセプトがあった。電車の場合、旅客は予約を

せずに、駅に行き、チケットを購入、乗車する。それに倣って、レイカー航空でも予約

をなくし、空港でチケットを販売、旅客に搭乗してもらうというシステムを導入した。

そして、サウスウエストもそれに倣い、チケット予約を廃止した。チケット予約を廃止

するというのは、コンピューター予約システム(CRS: Computer Reservation System)47

を導入しないことを意味していた48。 46 Smith (2002), p. 1677 を参照。 47 CRS とは、「航空座席の手配に関わるさまざまな業務を電子化処理するコンピューター予約発見システムのことである(㈱ANA 総合研究所 2008)。」

48 CRS が高額であったために、サウスウエストには購入できなかったという見方もある。

15

だが、これは当時の常識に反していた。業界に先駆け、CRS を導入したのはビッグ 4

にも名前を連ねるアメリカン航空だった。アメリカン航空は CRS にセーバー(SABRE)

という名称を付けて、旅行代理店に自社の装置を設置した。セーバーはアメリカン航空

以外の他社便の照会も可能にしていたが、アルファベット順で最初に表示されるのは、

「A」ではじまるアメリカン航空の運航便であり、航空会社を特定しないまま旅行代理

店を訪れた顧客は、次第にアメリカン航空の便を予約するようになっていた49。これに

対抗すべく他社も挙って、CRS の導入に踏み切った。CRS を導入すれば、航空会社は旅

行代理店と予約を共有することが可能になり、アメリカン航空への予約を抑制できたと

同時に、自社の販路を広められたからだ。

この時、サウスウエストは大手航空会社とは逆の発想をしていた50。たしかに、CRS

を導入すれば、旅行代理店と予約を共有でき、自社の販路は拡大するかもしれない。し

かし、旅行代理店で予約が成立した場合、旅行代理店へは手数料を支払わなければなら

ない。仮に、サウスウエストの CRS を導入する旅行代理店が増えれば、旅行代理店同士

が価格競争を始めるため、顧客はサウスウエストからではなく、最安値を提示する旅行

代理店から予約するようになる可能性があった。そのため、仮に多くの座席を販売でき

るようになったとしても、売れた分だけ旅行代理店に手数料を支払わなければならない

構造になり、結果的にサウスウエストは、販売手数料というかたちで、運賃を引き上げ

ざるを得なくなっていたかもしれない。したがって、CRS の導入は、低運賃サービスを

提供する機会にはなりえたとしても、低運賃サービスを提供し続ける......

ための機会にはな

らないとサウスウエストでは考えられていた。

CRS を導入しなければ、当然ではあるが、航空会社と旅行代理店は予約を共有できな

い。サウスウエストはこの点を利用した。サウスウエストが CRS を導入しなければ、旅

行代理店はサウスウエストの予約状況を把握できない。そのため、旅行代理店は旅客か

らサウスウエストの予約を依頼されるたびに、サウスウエスト直属のコールセンターに

予約確認をすることになる。これならば、サウスウエストが旅行代理店に販売依頼をし

ていることにはならないので、同社が旅行代理店に手数料を支払う必要はない。これに

よって、サウスウエストは旅行代理店を活用しながらも、大手が旅行代理店に手数料を

支払うのとは対照的に、旅行代理店への手数料を節約している。具体的には 1 件の予約

につき 2 ドルの節約ができ、年間では数百万ドルの節約になるという51。

また、スカイトレインのコンセプトに倣うかたちで、サウスウエストのチケット媒体

49 山田 (2011), p. 81 を参照。 50 井上 (2010)によれば、逆転には「前・後/左・右/上・下」の 6 方向がある。前方向は顧客、後方向はサプライヤー、次に、左方向は競合、右方向は補完的生産者とのかかわりを示す。上方向は空

中戦を指し、たとえば、新市場開拓を意味する。対して、下方向は海中戦、たとえば、破壊的技術

やビジネスモデルによる攻撃を意味する。 51 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 79 を参照。

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には電車のそれより手軽なレシート(感熱紙)が採用された52。チケットを洋服のポケ

ットにいれたまま洗濯してしまう旅客が多く、これにはクレームもあった。だが、レシ

ートのチケットであれば、通常のチケットと異なり指定座席管理をする必要がないため、

高額な CRS を導入しなくてよい。したがって、サウスウエストは、このようなクレーム

にたいしては、高額な CRS を導入するというという解決策を示す替わりに、チケットの

上に赤字で大きく「これはチケットです.........

」と書き加えただけだった。

さらに、レイカー航空に倣い、サウスウエストでも大手航空会社のような飲食サービ

スや座席に設置されている画面をつうじたエンターテイメントサービスを提供しない。

ただし、ノンフリルサービスはレイカー航空にとって大きな失敗だった53。レイカー航

空が主な市場としていたのは、太平洋を横断する長距離路線であり、7‐9 時間も飲食物

がない、エンターテイメントサービスがないというのは、旅客には厳しい提案だったか

もしれない。

その点、サウスウエストが展開するのは、距離約 650km、所要時間約 60 分の「短距

離」路線が中心であり、スカイトレインと同じ轍を踏むことはない。平均約 60 分という

飛行時間ならば、旅客は多少の空腹を我慢できるし、2 時間の映画を上映したところで、

そもそも結末まで見ることはできない。そのかわり、サウスウエストでは機内サービス

として、ピーナッツを提供している54。また、映画を上映するかわりに、乗務員による

破天荒なショーを実演することにしている55。ショーを実演するというのは、創業時の

お手本であった PSA に倣っている。PSA では、乗務員が派手なポロシャツにショート

スカートの制服姿で、歌を歌ったり、踊ったりしていたのである56。中には、旅客を笑

わせるために、機内上部の荷物入れに隠れ、旅客を驚かせる乗務員もいた。サウスウエ

ストは、PSAの「最もフレンドリーな航空会社」の精神を受け継ぎ、ノンフリルサービ

スといえども、大手航空会社では提供しないサービスでもって旅客と接している57。

52 1989 年以降は、プラスチック製のカードが使用されるようになる。 53 大手航空会社が傘下におさめる LCC をエアラインベイビーと呼ぶ。エアラインベイビーの成功例は少なく、たとえば、オーストラリアのバージンブルーやジェットブルーなどが挙げられるが、多く

は失敗に終わっている。一方で、Moorman (1994)は、サウスウエストの模倣に成功した企業としてジェットブルーを挙げている。そして、Graf (2005)は、欧州の航空産業を対象に、各社のビジネスモデルを比較している。

54 伊藤 (2000), p.18 を参照。「(スナックの)包装には「ジェットスピードでサービスされるおいしいささやかなスナック。これぞ本当のファストフードと書いてある」」

55 破天荒なショーの一端を顧客が担うこともある。原文 “Passengers on Pete the Penguin's trans-American flight had to double take when they saw the SeaWorld star waddling down the aisles. But this was no feathered fugitive. Pete, a South American Magellan Penguin, was given special dispensation by cabin crew to stretch his legs.”(Dairy Mail Online, 21st March. 2011.)

56 Smith (2002), p. 2035 を参照。原文 “Female flight attendants add hot pants and go-go boots to their uniforms and crew members are encouraged to employ standup comedy routines to entertain passengers during flights.”

57 イカロス出版, 第 254 巻, 2000 年 8 月号, p. 33 を参照。原文 「機内のみならず空港カウンターそのほか、至るところで見られるさわやかなサウスウエスト・スマイルは大げさに言えば、「サービスの

本質論」を考えさせてくれるほどのインパクトがある」

17

こうしたサービスのおかけで、サウスウエストでは、映像機器や調理場に占拠されて

いたスペースを座席に充当できるようになり、より多くの旅客を搭乗させられるように

なった。加えて、機内サービスをなくしたことで、それに必要な機材を機内に積載する

時間も省け、航空機の地上待機時間も短くなった。

チケット自動発券機

翌年の 1979 年、サウスウエストでは、オペレーションの簡素化の一環として、チケッ

ト発券の時間短縮を目的に、チケット自動発券機(ATVM: Automatic Ticket Vending

Machine)が導入された。大手航空会社が地上スタッフをつうじてチケット発券するの

に対し、サウスウエストではチケット発券を自動化したのだ58。

ATVM は、ある地上業務員が銀行の現金自動預け払い機からヒントを得たもので、旅

客がクレジットカードを機械に入れ、目的地と片道か往復かを選択すれば、数秒でチケ

ットが発行されるという機械だ。1 人の旅客がチケット発行にかける時間をどうしたら

短くできるかを考えていた際に思い付いたという。実際、ATVM の導入によって、チケ

ット発券にかかる時間は 1 分とかからなくなった。

これは、CRS を導入せずに、自由座席制を採用しているサウスウエストだからこそ導

入できた装置である。通常、指定座席制を採用する大手航空会社では、搭乗手続きの際

に、最終的な座席番号を特定するので、1 人で搭乗するビジネスパーソンや 2 人で搭乗

するカップル、あるいはそれ以上で搭乗する家族連れと、座席数の配分と配置を地上ス

タッフは考慮しなくてはならない。ときに、希望どおりの座席を確保できない旅客には、

カウンターで 30 分も待機してもらうということもある。

これに対して、ATVM をつうじてサウスウエストが暗示するメッセージはすごくシン

プルである。それは、「自分の希望する座席に座りたいのであれば、あるいは同行者と一

緒に座りたいのであれば、誰よりも早く搭乗の列に並びなさい」というものである。

このように、チケット発券が滞りなく行われれば、旅客の搭乗手続きにかかる手間と

時間が省け、空港内における旅客の移動を迅速にできる。旅客の移動が迅速になれば、

旅客の機内誘導への時間が短縮でき、航空機の定刻出発率を高めることができる。そし

て、定刻に航空機を離発着させることができれば、自社の運航スケジュールを維持でき

るので、頻繁な運航を実現でき、旅客に「速さ」を提供できるというわけだ。

また、1 台の ATVM は地上業務スタッフ 2 人分の処理を行うことができ、手のあいた

スタッフは発券にさいしてサポートが必要な旅客の担当をすることができるようになっ

た。つまり、ATVM は旅客の発券にかかる時間短縮に貢献すると同時に、地上サービス

58 近年、一部の大手航空会社でも ATVM は導入されている。

18

の質の向上にも貢献しているのだ。

サウスウエストのその後と信念 80年代に入ると、サウスウエストに倣う航空会社が生まれ始める。たとえば、ピープ

ル・エキスプレス航空やアメリカ・ウエスト航空がある。ピープル・エキスプレスは、

1981 年から 1987 年まで存在した格安航空会社で、ニュージャージー州にあるニューア

ーク・リバティー国際空港に隣接する、休眠していたターミナルを拠点として運航を始

めた59。同社はサウスウエストをお手本にして設立され、米国航空業界随一の急成長を

遂げた60。しかし、成長の過程で、ジャンボジェット(B-747 型)機を購入し、さらに大

手航空会社と張り合うかのようにニューアーク(米国)とロンドン(英国)を結ぶ長距

離路線にも進出したものの、航空業界からは姿を消した。

他方、アメリカ・ウエストは、アリゾナ州、フェニックスを拠点に 1983 年に創業した

格安航空会社である。アメリカ・ウエストは、ピープル・エキスプレス同様、サウスウ

エストをお手本に創業したのだが、ピープル・エキスプレスと同様の誘惑に負け、1991

年には破産法 11 章の適用を受けている。

ピープル・エキスプレスやアメリカ・ウエストのような、初期の新規参入航空会社は、

低運賃サービスのみをセールスポイントにしていた。ゆえに、大手航空会社が参入しな

い短距離路線においては、競合も少なく、成長を遂げることができた。だが、大手航空

会社がひしめく長距離路線では、低運賃サービスを提供するだけで成功するのは難しい。

大手航空会社は、資本力を活かし、路線網を広範囲に展開し、マイレージプログラムを

取り入れるなどして、既存顧客と強い関係を築いているからである。したがって、2 社

と同じような過ちをした格安航空会社は姿を消すか、さらに路線網を広げ、大手航空会

社のハブシステムの一環を担う航空会社への道をたどるしかなかった61。

ケレハーは、これらの失敗した航空会社を見て「パリへの国際路線を開きたいとか、

747 型機を使いたいなどとは夢にも思わない62」と述べ、「それよりも、利益を上げるこ

とや、仕事の効率を図ることのほうが大事なんだ。地方しか飛ばない小さな会社だから

という理由で注目されなくても、そんなことは大した問題ではない。われわれは信念に

従って、ニッチ市場で頑張っているのだ63」と言っている。

そして信念に従った結果、1988 年、サウスウエストは、アメリカ合衆国運輸省(DOT:

United States Department of Transportation)が発表する、定時運航率の高さ・手荷物の

59 Smith (2002), pp. 2122-2124 を参照。 60 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 85 を参照。 61 村上英樹・加藤一誠・高橋望・榊原胖夫 (2006), p. 159 を参照。 62 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 84 を参照。 63 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 85 を参照。

19

紛失件数の少なさ・旅客からのクレームの少なさの月間記録 3 部門において、全米全航

空会社中でトップとなり64、名実ともに地方の一航空会社から全米を代表する航空会社

への仲間入りを果たす。なぜ、サウスウエストはここまでの実績をあげることができた

のだろうか。その秘訣を 2 代目の CEO(最高経営責任者)を務めたパトナムとケレハー

の談笑に見ることができる65。

パトナムは 70 年代の終わりにケレハーを大笑いさせたことがあった。誰かに「あ

なたがサウスウエストで果たした最大の貢献は何か?」と聞かれて、「ユナイテ

ッド航空66で学んだことを一つも実行しなかったことだ」と答えたのである。67

そして、パトナムはこうも語っている。

目標がしっかりしていれば、どんなに複雑なアイデアを持ち込まれようと、その

目標に照らして「これは、私のビジョンに沿った素晴らしいアイデアなのか?そ

うでないなら、邪魔をしないでくれ」と問い返すことができる。68

表面的に見れば、サウスウエストは、型破りかつ破天荒な航空会社のように思えるか

もしれない。しかし、本質的には、自社の信念に従い、創業の理念を追求し続ける慎重

な会社である。現在、価格競争を仕掛ける大手航空会社に対抗すべく、サウスウエスト

は大手航空会社の事業の仕組みを参照し始めている。低価格サービスを実現しながらも、

大手航空会社が提供するサービスを参考に、LCCと大手航空会社のハイブリッド型モデ

ル69を模索している。新たなビジネスモデルのイノベーションに向けて、新たなイミテ

ーションに取り掛かっているのだ。

64 塩谷 (2008), p. 23 を参照。 65 ケレハーは成功の秘訣を以下のようにも語っている。原文 “To be successful in business, you need

a sense of historicity and futurity.”(Knowledege@Wharton, 2006) 66 米国を代表するフルサービスエアラインである。 67 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 65 を参照。 68 ケビン・フライバーグ/ジャッキー・フライバーグ (1997), p. 71 を参照。 69 高橋・横見 (2011)によれば、ハイブリッド型 LCC は、NWC(New World Career)と呼ばれている。NWC のサービスの特徴は、単に機内サービスを省いてコスト削減をするのではなく、購買意志のある旅客には、それ相応の機内食等のサービスを提供する点にある。オーストラリアのバージ

ンブルーやジェットスターがこれを採用している。

20

謝辞 本ケースの執筆において早稲田大学「しょっちゅうの会」のみなさまと講師から調査

協力を頂いた。「しょっちゅうの会」は、早稲田大学 OB・OG の航空業界関係者を中心

に構成される会で、毎月、航空に関連するトピックを専門とする講師からレクチャーを

受けることができたと同時に、多くの疑問を講師に伺うことができた大変貴重な場であ

った。

「しょっちゅうの会」をつうじて、株式会社システム総合研究所インターナショナル

の福本和泰様からは、公刊資料では得られない見識、たとえば、ハブシステムとポイン

トシステムの正確な理解や専門用語のニュアンスの理解などを伺うことができた。時に

は、「しょっちゅうの会」の部屋の片隅で、IC レコーダーを持った私に、2 時間お付き

合いいただいたこともあり、本ケースを執筆するあいだにも、幾度にわたって、コメン

トをいただいた。同様に、桜美林大学ビジネスマネジメント学群准教授の塩谷さやか先

生からは LCCのビジネスモデルのお話を直接伺うことができた。

また、早稲田大学商学研究科開講科目の航空経済学研究をつうじて、中央大学経済学

部教授の塩見英治先生からは、航空産業の概要をご教示いただいた。資料収集にあたっ

ては、航空図書館のスタッフにご協力いただいた。

最後に、アイデアの検討や論点を整理する上で、早稲田大学大学院商学研究科の永山

晋さん、伊藤泰生さん、早稲田大学商学部の浦田彩乃さんから支援をいただいた。

ここに心より感謝申し上げる。

21

【設問】 1. サウスウエスト航空の事業コンセプト(誰に、何を、いかに提供するか)を整理してください。*分析のフレームワークは、巻末資料をご覧ください。

2. サウスウエスト航空が、誰の何をどのようにモデリングしたかを整理してください。

3. 一般的に、多種多様な要素を組み合わせるビジネスモデリングは、失敗に陥りやすいと言われています。それはなぜでしょうか。サウスウエスト航空のモデリングを

振り返り、彼らが留意していたポイントを考えてください。

*ビジネスモデリングの定義は、井上(2011b)に倣い以下の通りとする。「ビジネスモデルという言葉は、一般的には収益を上げる仕組みのことを意味する。しかし、ビジネス

モデルの本質はそれだけに留まらない。その本質は、自らが収益を上げる仕組みを設計・

構築するときに参照する対象であり、模範とすべき対象を単純化して抽出した収益原理

だという点にある。それゆえ、この教材では、ビジネスモデルとは「収益を上げる仕組

みづくりをする際に参照する『単純化された収益原理』や『収益原理を典型的に体現し

た参照対象』」だと考えることにする。そして、そのモデルをベースに、実際の仕組みを

設計したり構築したりすることをビジネスモデリングということにする。」 また、ビジネスモデリングの実例や作法については、それぞれ井上(2011a)、井上(2011c)を参照してください。

参考文献 AKI (2007) 「闘志あふれるユニークスピリット‐サウスウエスト航空‐」『月刊エアライン』第 331巻, pp. 94-95.

㈱ANA 総合研究所 (2008) 『航空産業入門‐オープンスカイ政策からマイレージの仕組みまで』東洋経済新報社.

Bamber, Greg J., Jody Hoffer Gittell, Thomas A. Kochan and Andrew von Nordenflycht (2009) Up in the Air, ILR Press.

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10月 25日アクセス)

4

付属資料

北米の LCCとその拠点

出所:財団法人日本航空開発協会ウェブページ

テキサス州の地図

!

出所:グーグルマップをもとに筆者加筆

5

競合他社の各指標と概要 JetBlue Airways USA 従業員:10704人

運用実績 2007 2008 2009 運用機材 2008 2009 2010 概要 1998年設立

有償旅客キロ(百万 41430 41948 41762 A320(V2500) 107 110 115

旅客数(千人) 21387 21920 22450 Embraer 190 35 41 45

有償トンキロ(百万 24 - -

営業収入(百万$) 2842 3286 3286 合計 142 151 160

純利益(百万$) 18 58 58

成長著しい米国低コスト・エアラ

成長著しい米国低コスト・エアラ

イン。New Yorkを中心としてカ

リブ、フロリダ、西海岸への路線

が中心。2005年よりメジャーに格

上げされた。

出所:財団法人日本航空開発協会ウェブページより筆者作成

Delta Air Lines USA 従業員:80000人

運用実績 2007 2008 2009 運用機材 2008 2009 2010 概要 1928年設立

有償旅客キロ(百万 196403 198037 304025 B737-700/800 75 80 83

旅客数(千人) 109180 106070 116050 B747-400 - - 16

有償トンキロ(百万 1812 1778 3341 B757-200 130 123 164

営業収入(百万$) 19154 22697 28063 B757-300 - - 16

純利益(百万$) 418 -8922 -1237 B767-300/ER 75 71 71

B767-400ER 21 21 21

B777-200ER/ 10 16 18

B787-8 - - -

DC9-41/51 - - 40

MD-88 113 117 117

MD-90 16 16 19

A319 - - 57

A320 - - 69

A330-200/300 - - 32

合計 440 444 723

Atlantaベースのエアライン。ハ

ブ空港の Atlanta,

Cincinnatti,Dallas などから海外

50カ国および国内の 300都市に運

航している。Delta Connectionを

100%子会社として、フィーダ路線

を運航、Atlantaは世界最大の

Hub空港である。2003年、低コス

ト・エアラインの Songを運航開

始 2005年 9月 Chapter 11申請。

2006年 Song運航中止 2007年 4

月末 Chapter11から抜出した。

Northwest ALを子会社としてい

るが、NWAブランドは 2010年ま

でに徐々に消滅させる。

出所:財団法人日本航空開発協会ウェブページより筆者作成

6

American Airlines USA 従業員:82000人

運用実績 2007 2008 2009 運用機材 2008 2009 2010 概要 1934年設立

有償旅客キロ(百万 222763 211994 196904 A300-600R 20 - -

旅客数(千人) 98212 92720 85720 B737-800 77 116 152

有償トンキロ(百万 3108 2940 17905 B757-200 124 124 124

営業収入(百万$) 22935 21280 2418 B767-200/ER 15 15 15

純利益(百万$) 504 - - B767-300ER 58 57 58

B777-200ER 47 47 47

MD82 194 163 139

MD83 90 86 89

合計 625 608 624

世界で最も大きなエアラインの

一つで、国内を含め 160 都市以

上に運航している。American

Eagle の Network を含めると

250 都市以上となる。国内路線

( 70 % が主 力 。 1999 年 に

RenoAir、2001 年に TWA を買

収。

出所:財団法人日本航空開発協会ウェブページより筆者作成

米国における空港数の推移

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

7

米国における使用機種数の推移

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

米国における航空会社数の推移

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

8

全米における旅客数の推移

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

キャリア別機体保有数の推移

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

9

キャリア別平均飛行距離(km)

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

キャリア別平均機体稼働時間の推移 (hs)

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

10

キャリア別平均運賃の推移($)

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

キャリア別労働生産性の推移(%)

出所:アメリカ交通統計局の資料より筆者作成

11

P-VAR分析用

サウスウエスト

顧客

ライバル

咣呾命咭咸

競争市場観(前提)

付加的魅力 価値

顧客価値観(前提)

活動 (成長 E)

活動 (収益 E) 仕組み

資源

活動吶資源

活動観と資源観(前提)

12

1. 当ケースは、ビジネス教育用に作成されたものであり、経営の適否判断のために作成されたものではない。

2. 当ケースは、既に外部に公開されている資料及び、インタビューならびに取材をベースに作成した。

3. 当ケースを、無断で複写・転載することを禁止する。