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B02-Oku no Hosomichi - ロリポップ!レンタルサー …taiwannichigo.greater.jp/pdf/g20/b02-okuno.pdfthe essence of " Oku no Hosomichi ". Keywords: travels of haikai, phrase

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    『奧之細道』句文配置的関係

    ─以象潟及金澤兩段為中心─

    沈美雪

    弘前大學地域社會科學研究科博士生

    摘要

    本論以『奧之細道』中句文配置的関係為中心來探討俳文的各

    項要素,探討松尾芭蕉的俳諧記行文本質的問題。

    在芭蕉晚年最後一篇紀行文『奧之細道』中,「象潟」「金沢」

    二段是在發句和敘述文的編排方式上經過最多修改的兩個段落。『奧

    之細道』中尾本用貼紙所做的修正省略了本文中說明的字句,並且

    將發句之前的文章更改成序言的形式,同時也調整行頭的高度使其

    低於發句的起頭位置。芭蕉在句文的長度、內容和位置上所做的修

    改不僅讓『奧之細道』整體成為一篇有結構的完整紀行文,同時各

    段落也具有明確的主題,具有可以單獨鑑賞的特性。透過分析這些

    修改,本論將再度確認芭蕉所意識到的新形式的「俳諧紀行文」的

    格式、構想和文體,並期釐清期本質。

    關鍵詞:俳諧紀行文 句文配置 俳文 貼紙 推敲意識

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    The research of relations to phrase / sentence placements in "Oku no Hosomichi " :

    Concerning the paragraphs of Kisakata and Kanazawa

    Shen Mei-Hsueh Graduate School of Hirosaki University,Regional Studies Doctoral

    Course

    Abstract

    I researched the essence of accounts of Basho Matsuo’s travels of

    haikai, especially of phrase / sentence placements. Therefore, I

    concentrate on the paragraphs of "Kisakata" and "Kanazawa" because

    the first lines and arrangements of the text were revised most.

    In these two paragraphs, the master posted the revised notepaper to

    omit explanatory sentences of the text. Moreover, he amended the

    above sentence of the phrase to a preface and indented it to be lower

    than the first line.

    The master made " Oku no Hosomich i " more constructive by

    re-arrangement of phrases and sentences so that the theme became more

    definite and every paragraph could be appreciated respectively. Then

    through analyzing the styles, conceptions, articles and so on in the new

    form of accounts of travels which Basho had recognized, we can clarify

    the essence of " Oku no Hosomich i ".

    Keywords: travels of haikai, phrase / sentence placement, haibun,

    revised notepaper, polish consciousness

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    『おくのほそ道』における句文配置の関係 ―象潟・金沢の段を中心に―

    沈美雪 弘前大学地域社会研究科博士課程

    要旨

    『おくのほそ道』における句文配置の関係を中心に俳文の諸要

    素を確認し、松尾芭蕉の俳諧紀行文の本質の問題に取り組む。 『おくのほそ道』の中で発句と地の文の配列に最も修正を加え

    られた「象潟」「金沢」の章段を主な検証対象とする。この二段落

    は『おくのほそ道』中尾本の貼り紙修正により、地の文の説明的

    要素が省かれ、句の前文は詞書きの形に直されて発句より一段下

    げて掲げられている。芭蕉の句文配置の推敲は、『おくのほそ道』

    全体を一篇の纏まった紀行文だけではなく、各章段が明確なテー

    マを持ち、独立する俳文として鑑賞されうる特性を強く打ち出し

    た改変でもある。この推敲表現の分析を通して、芭蕉の意図した

    新しい形式の「俳諧紀行文」の様式・構想・文章などを再確認し、

    その創作方法を明らかにする。 キーワード:俳諧紀行文 句文配置 俳文 貼り紙 推敲意識

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    『おくのほそ道』における句文配置の関係 ―象潟・金沢の段を中心に―

    沈美雪 弘前大学地域社会研究科博士課程

    1. はじめに

    『おくのほそ道』は、俳諧紀行文として名高い。中世以降、交

    通の整備と共に様々な目的に応じた旅がなされ、旅に関する名文

    が数多く世に現れた。芭蕉も『笈の小文』において、「道の日記と

    いふものは、紀氏・長明・阿仏の尼の、文をふるひ、情を尽くし

    てより、余は皆俤にかよひて、其糟粕を改める事あたはず。まし

    て浅智短才の筆に及べくもあらず。其日は雨降、昼より晴て、そ

    こに松有、かしこに何と云川流れたりなどいふ事、たれヽもいふ

    べく覚侍れども、黄奇蘇新のたぐひにあらずバ云事なかれ」 1と、

    先行の紀行作品を意識し、また作品における珍しさ、新しさを心

    にかけて紀行文の創作に臨んでいる姿勢が伺える。

    芭蕉が意図した「黄奇蘇新」の紀行文―俳諧紀行文には二つの

    重要な要素を持っている。まず構成の面について、「其所々の風景

    心に残り、山館・野亭のくるしき愁も、且はなしの種となり、風

    雲の便りともおもひなして、わすれぬ所々跡や先やと書集侍る」2

    と『笈の小文』に述べたように、旅の出来事を羅列するのではな

    く、虚構を構えた自由な描写態度を取っている。文章の面におい

    ては、『去来抄』に伝える芭蕉の遺語に「わが徒の文章は、たしか

    に作為をたて、文字はたとひ漢章を借るとも、なだらかにいひつ

    づけ、事は鄙俗の上に及ぶとも、懐しくいひとるべし」 3とあるよ

    1 井本農一・久富哲雄・村松友次・堀切実校注 1997『新編日本古典文学全

    集 71 松尾芭蕉集②』第1版 角川書店 pp.47-48 2 前 掲 書 、 pp.48 3 堀 切 実 等 校注 2001『 新編日本古典文学全集 88 連 歌 論 集 能 楽 論 集 俳

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    うに、誠を本質とし、俗中に雅を失わない、格調の高い俳文を志

    している。横沢三郎は俳文の本質について「簡潔な表現」「転々と

    転じて表現する文のスタイル」「散文に俳句を配することが多い」

    「和漢の故事を例として引き、あるいはそれによって比喩的な表

    現をして、その間にある種の気分を醸成している」4と四点の俳文

    の要素を提示した。また『おくのほそ道』の特色を俳文の観点か

    ら論じたものに、『猿蓑』の挫折と『おくのほそ道』執筆の関係に

    詳細な検討を加えた櫻井武次郎の「『おくのほそ道』成立に関する

    一試論」(『連歌俳諧研究』41 号、昭和 46)や、『おくのほそ道』を一種の俳文集と見る堀信夫「俳文集としての『おくのほそ道』」

    (『国文学解釈と教材の研究』平成 1・5)などがある。本論はこれらの指摘を再確認しつつ、『おくのほそ道』における句文配置の推

    敲表現を検討し、俳諧紀行文の本質の問題に取り組みたい。

    2. 中尾本における章段意識と句文配置の改変

    平成八年晩秋に『おくのほそ道』中尾本が公表されてから、そ

    れまでに知られなかった本文の存在が明らかになり、『おくのほそ

    道』における芭蕉の推敲のプロセスがより一層明確になったので

    ある。中尾本は清書のつもりで書かれたものであるが、清書し終

    えた後も大幅な改稿が施され、特に貼り紙による推敲は七十数箇

    所にも及び、『おくのほそ道』の推敲意識と創作方法を知る上で絶

    好な資料となる。中尾本の章段替えは他の諸本よりも明晰であり5、

    この章段仕立ての意識は『おくのほそ道』の構成と深く関わるだ

    けではなく、各章段の独立性を強調する意味合いも含んでいて、

    一篇の俳文として鑑賞できる可能性を示している。

    中尾本の貼り紙は文章の推敲に使われるものだけではなく、「壷

    論 集 』 小 学 館 p p . 5 0 8 4 『俳諧の研究』所収 昭和 42 角川書店 5 拙稿「『おくのほそ道』の章段意識―自筆本・曾良本を中心に―」(『邁向廿

    一世紀的日本研究国際会議論文集』平成 11 年、輔仁大學外語學院)参照。

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    碑」「岩沼宿」のように貼り紙の上に章段の表題を付した箇所や、

    「象潟」「金沢」のように句文掲出のスタイルを著しく修正した章

    段もある。象潟の段では、十一行分の内容が七行へと削られ、貼

    り紙が三枚使用されている。象潟の風光と遊興を述べた長文の後

    に象潟での自他の吟作を一括して掲出したのである(参考資料Ⅰ

    -①)。

    句の改案(低耳の一句)と表記の違いの他に、最も顕著な改正

    箇所は各句の前に置かれた前文の改変である。『おくのほそ道』の

    地の文は発句よりも約一、二字分上から書き出されて、また句の

    詞書に当たる短文は、発句より一段下げて掲げられている。この

    原則に従って見比べてみると、貼り紙の下の第一次本文は明らか

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    に地の文(もしくは前書き的性格を持つ地の文)であるのに対し

    て、訂正後の本文では叙述的要素が削られ、句の標題や詞書みた

    いな短文になり、字数が一行に纏められて、高さも発句より一~

    二字分より下げて書き出される。この象潟の段の改変と類似する

    箇所に金沢の段がある(資料Ⅰ-②)。

    金沢の段では、第三句の前の二行分の地の文が貼り紙され、そ

    の上に「途中吟」と三字分へと改められ、更に「秋すゞし手毎に

    むけや瓜天茄」6の句とその詞書が付け加えられた。

    6 曽良本の段階において「瓜天茄」は「瓜茄子」と修正された。誤字・当て

    字の多さを理由に新出本が芭蕉自筆ではないとする疑義説も多く見られる

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    象潟と金沢の段の句文配置の関係を図で示すと改変前後の特徴

    が見られる(参考資料Ⅱ)。象潟の段の最初の本文を A′、張り紙

    による改正後の本文を A、そして金沢の段の元の本文を B′、推敲

    後の本文を B とする。

    が、元禄十五年井筒屋版『おくのほそ道』の奥書に「真蹟の書、門人野坂

    が許に有、草稿の書故文章所々相違す」と、芭蕉自筆の「野坂本」が他の

    諸本と比べて本文に相違が多く見られることを言及した。また新出本の誤

    字・当て字・筆遣い等が曽良本にそのまま忠実に写されている事実からも、

    新出本が曽良本の原本であることを示している。

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    貼り紙によって改正された後の本文 A(象潟の段)と B(金沢の

    段)両者は句数の差はあるものの、似たような構造を有している

    ことが理解できる。地の文の後に掲出された句はその長文の内容

    を要約する性質を持っており、その後に一括して並べられた句は

    最初の地の文の内容を更に展開させる役割を帯びているものとみ

    てよかろう。

    『おくのほそ道』の中では、三句以上の発句群を一括して併記

    する所は、この象潟・金沢の段の他に、図 C で示したように尾花

    沢と三山巡礼の段がある。句文配置の形式から、この二段は同じ

    類型に属していることが分かる。地の文の後に表題や詞書なしで

    発句が四句併記され、そして最後の一句に曽良の作を配置するな

    どの点において、両者の句文配置の形式や構造は一致していると

    言えよう。

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    『おくのほそ道』の本文において、数句を一括して掲出する場

    合は、以上に述べてきたように基本的に二つの類型に分けられる。

    長い地の文(散文)と発句だけが結合する C 型(三山巡礼・尾花

    沢)と、地の文の後に句と詞書を配列する AB 型(改正後の象潟と

    金沢)の二タイプである。しかしながら貼り紙の下の本文の存在

    によって、以上の二類型と異なる句文配置の形式が知られたので

    ある。各句の前に地の文が付けられる A′型と、各句の前文に地の

    文と前書きが併用される B′型が最初に考案された句文配置の形

    式であった。A′型と B′型を A・B 型に形を変えた芭蕉の句文配置

    の推敲は、『おくのほそ道』全体を一篇の纏まった紀行文だけでは

    なく、各章段が明確なテーマを持ち、独立する俳文として鑑賞さ

    れうる特性を強く打ち出した改変でもある。

    3. 『おくのほそ道』に見る俳諧紀行文としての達成とその本質

    芭蕉の他の紀行文について、「『笈の小文』が時間的な経過に従

    って叙述され、散文と発句が適宜に配置されているのに対して、

    『更科紀行』は短編ではあるが、散文が主で、発句は後に一括さ

    れてのっている」 7と、『笈の小文』と『更科紀行』は句文配置の

    7 弥吉菅一他編『芭蕉紀行文集Ⅱ』(昭和 45、明玄書房)の解説による。

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    関係から言えば形式的に対照的な掲出の仕方をなしている。最初

    に散文を記し、その後に発句を列挙するスタイルは『更科紀行』

    のほかに、『鹿島詣』においても同様であるが、二作品は揃って短

    編紀行文として看過してはならない。短編紀行文の性質は極めて

    俳文に近いと良く指摘されるからである 8。

    『おくのほそ道』は旅の記述を前後にし、また虚構の出来事を

    取り入れることで各章段の文章を変化に富んだ多彩な俳文に仕上

    げて、章段ごとの境界線も推敲を重ねるたびにより明確になり、

    各段の中心主題が浮き彫りにされる。発句に対する説明的語句を

    削除・簡潔化する修正により、本来の構造や意味をより一層浮か

    び上がらせる事ができた。これらの改変は、紀行文『おくのほそ

    道』は同時に各種の文体の創作を試みられた俳文集でもある、と

    いうことを示していると思われる。『猿蓑』編者の一人である去来

    は自ら書写した『おくのほそ道』(通称去来本)の跋文に、西村本

    を芭蕉の兄半左衛門より譲り受けた経緯を、「我(芭蕉)やまひ頻

    なり。汝日頃此集の求ふかし。今将に足下に譲りなん」と記して

    いる。去来によれば、芭蕉は『おくのほそ道』を「この集」と呼

    んでいた。芭蕉の意識において、『おくのほそ道』は多数の俳文を

    集めた俳文集として位置付けられていることが理解される。「壺

    碑」や「岩沼宿」など実際に標題を付けられた章段もあり、独立

    性が強いという章段の特徴は昔から指摘されてきた。

    宝暦九年刊の『鶴巣反古枕』空翠序には「凡そ、俳文は祖翁の

    幻住庵の記に華咲、奥の細道に実生る」と芭蕉の俳文創作の活動

    を述べ、『おくのほそ道』に俳文の完成をみたのである。「句・文

    が照応し、映発している」 9ことが俳文の一要素とすれば、修正前

    8 許六編の俳文集『本朝文選』の「紀行類」の部には芭蕉の『鹿島紀行』を

    収録していることからも、当時はすでに短編紀行文を一篇の俳文と見なし

    ていたことを示している。 9 麻生磯次が「近世俳文集解説」(『日本古典文学大系 近世俳句俳文集』岩

    波書店 pp.250-251)において俳文の特徴十四点を提示し、「句文が照応し、映発している」ことがその代表的な要素の一つとする。

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    の本文 A′型と B′型では各句の前に短い地の文が配置されるため、

    メインとなる地の文と発句が形成する一つの中心主題から離れ、

    いくつかの副次的なポイントを構築して、章段の焦点がぼかされ

    てしまう。一段の最初に記した長文に内包される中心テーマを際

    立たせたいのであれば、その主題から遊離した数条の地の文の影

    響力を薄めなければならない。そのため貼り紙がなされ、短い地

    の文は前書きに置き換えられ、地の文は発句群とあいまって、一

    つの調和する世界を構築することができたのである。

    以上は『おくのほそ道』における句文配置の形式が貼り紙の推

    敲を経てどのような変化を遂げたのかを論じてみたのであるが、

    句の前文の改変によって、鑑賞に堪えうる一篇の独立する俳文の

    形式が整えられたといえよう。この形式の問題と対蹠して、内容

    の面においても、各章段に明確なテーマや描写主題を見出せるか

    どうか次に検証することにする。

    4. 松島・象潟二段の主題と照応関係 象潟の段の推敲問題を考える際によく引き合いに出されるのが

    松島の章段である。東北・北陸の歌枕を実地に尋ねることを目的

    とする『おくのほそ道』の旅において、序文にも挙げられている

    「松島」は、当初から念頭に置かれた眼目の一つである。この松

    島の段にも貼り紙がなされて、大幅な推敲の筆が加えられている

    (参考資料Ⅲ)。即ち、(イ)草庵に侘び住まいする隠遁者への親

    しみの情の表白、(ロ)宿の二階から見る夜景への絶賛、の二記述

    に対して大幅な加筆が行なわれたのである。象潟の条に「松島は

    笑ふが如く、象潟はうらむがごとし」とあるように、芭蕉には松

    島と象潟を対照的に描き分けようとする姿勢が見られる(参考資

    料Ⅳ)。象潟の段は(1)夕方の雨中の朦朧とした象潟の風景、(2)

    能因・西行関係の遺跡遊覧、(3)蚶満寺からの眺望、という三段

    構成に分けられるが、それに対して、松島も(1)中国の洞庭・

    西湖に劣らぬ自然風光、(2)雲居禅師の遺跡探訪=イの加筆、(3)

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    宿からの夜の眺め=ロの加筆、風景描写―遺跡探訪―眺望と旅懐

    の三段構成を持ち、章段構成にも対応関係が形成されている。し

    かし貼り紙以前の当初の本文では遺跡遊覧と眺望についての描写

    が非常に少なく、三段構成と成り立たせるほどの分量を持ってい

    ない。また内容の面からも、ただ眼前の事実を写すだけの素っ気

    ない文章になっていただけである。

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    改正後の本文において、まず雲居禅師のみではなく、そこに侘

    び住まいする隠遁者の生活ぶりに対する共感の記述が添加される

    ことによって、象潟の章段における第二段の、能因・西行などの

    遺跡探訪記に対して、ほぼ同じ分量の内容と共通する主題を持つ

    ようになったのである。同様に第三のポイントとなる松島の夜景

    がもたらす旅情の加筆(ロ)も、象潟の章段の蚶満寺眺望と照応

    させるための必然的な改変である。この添削によって、松島の段

    の中心主題である「造化の天工」の風景尽くしの趣向が、一層明

    瞭になったばかりではなく、構成上においても象潟と類似する骨

    組みを持つようになったのである。

    以上に述べてきたように、貼り紙の訂正によって象潟の段の句

    の前文が一行分の詞書に収縮され、地の文と発句がバランスよく

    配置されている。不必要な説明文が省かれることにより、構成が

    明確になった上、視覚上の効果も配慮されていることが分かる。

    芭蕉の句文配置に対する細微な神経の働きを伺わせる改変と言え

    よう。

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    5. 金沢の段の主題と構造 金沢の段は象潟ほど長い地の文を有していない。内容的には金

    沢での滞在の様子、特に一笑の紹介に焦点が置かれているが、こ

    の段の地の文は、対照表(参考資料Ⅰ-②)に示された通り、発

    句群との直接関係は、一句目の「塚もうごけ」とのみ関連してい

    ると思われる。この場合、散文は発句群を内包するまでの内容を

    有していないが(そもそも地の文はかなり短く、構成を論ずるに

    は聊か分量が足りない)、この一段には発句群を含め、共通する中

    心主題を見出すことができる。四句一連の部分について、上野洋

    三氏はこの一段のテーマを「哀傷」とし、発句群を「なだらかな

    晦明の諧調をなす四句」と評し 1 0、また尾形仂氏は「秋風のモンタ

    ージュ」であるとし、終わりを急ぐ「名残の裏」の草の気分が漂

    っていると説く 1 1。

    この発句群の配列は『おくのほそ道』の本文によると、句番号(1)

    (2)が金沢の吟、(3)が金沢―小松の途中吟、(4)が小松の

    吟、というような道順に沿って句を並べられる印象を受けるが、

    実際の句作りの日次というと、(3)17 日、(2)20 日、(1)22

    日の句が金沢で、(4)の句が 25 日、小松で詠まれた句であり、

    芭蕉が詠句順序を前後にすることは文学上の一布置と思われる。

    訂正前の本文を見ると、「あかあかと」句の前文では詠句場所を明

    示していないものの、その前の散文(「一笑と云ものは・・・」云々)

    を受けて、金沢の詠である印象を読者に与えた。また「塚もうご

    け」の句を最初に持ってくるのでは、地の文と照応し、この一段

    のハイライトを真っ先に提示して流れを一気に盛り上げようとし

    た狙いであろう。貼 り紙の下の本文では依然として「塚もうごけ」

    の句を先頭にすえるが、発句は三句のみであった。貼り紙による

    改変では金沢での句としてもう一句を挿入し、更に「あかあかと」

    1 0 上野洋三 1997『芭蕉自筆「奥の細道」の謎』二見書房 pp.225-230 1 1 尾形仂 2001『おくのほそ道評釈』角川書店 pp.361-362

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    108

    の句の前文の内容と形式を変え、詠句場所を金沢から小松に向う

    途中へと改めたのである。二つの本文を比較すると、訂正前では

    金沢で二句、小松で一句であったが、改正後では金沢で二句、途

    中で一句、小松で一句となっている。この推敲により、句文配置

    のバランスが保たれて、前後のつながりもよくなり、日記風の発

    句群が地の文の描写の少なさを補い、一段の完成度を高める役割

    を果たしたと言えよう。

    この日記風の章段において四句一連を並べてみると、まずその

    共通点として、季語が挙げられる。第一句と第三句はともに「秋

    の風」であり、第四句では「小松吹萩薄」となっていて、「萩薄」

    が季語であるが、それを「吹く」という表現でこの句も「秋風」

    の句であることが分かる。それは挿入された第二句についてはど

    うであろうか。季語は「秋すゞし」(初秋)で、「秋になって立つ

    涼気」 1 2の意味であるが、「秋来ぬと思ひもあへず朝げより始めて

    すゞし秋の初風」(花園院、『新拾遺集』巻四、三一〇)と古歌に

    もあるように、「秋の初風」を「涼し」と詠むことや、「涼し」と

    いえば「秋風」を連想することなど、「秋涼し」も実は「秋の風」

    と深く関わりを持つ季語である。一連を秋風のイメージで統一す

    ることは可能であるが、各句における秋風の季感に微妙な相違が

    認められる。〈秋風〉という季語は一般的に「涼しき秋風」と「蕭

    颯たる風」の二様の季感があり、『詩林良材』に秋風の異名として

    「悲風」「涼風」の名が掲出されているのはこのためである。

    土芳著の蕉門俳論書『三冊子』の「わすれみづ」には、季題の

    「風」のイメージを次のように述べている。

    東風、春風也。東風開レ凍と本文有。夏ハ南風、秋ハ西風、冬

    1 2 水原秋櫻子・加藤楸邨・山本健吉監修『カラー図説日本大歳時記』(1993、

    講談社版)同項による解説。

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    は北風と漢に用る也。和にさのみそのさたなし。され共、其

    心遣ひハ有べきか。夏ハ嵐なきやうにする也。春ハ少の風も

    花をいとひて、嵐と和ニもいふ也。秋のはつ風、はつ嵐と云。

    中秋ニハあらき風を野分といふ。初冬の風は木枯シといふ。

    末の冬に至てハ、あらしハ却而似ざる様に連歌に用る也。

    (南信一著 1995『三冊子総釈改訂版』風間書房 pp.418)

    ここの秋風とは、「西風」のことで秋に吹く初風は「はつ嵐」と

    も呼ばれている。中国の五行観念や色彩感覚のもとで、「秋」は方

    角から言えば「西」、色を配すれば無色に近い「白」、そして五行

    の「金」に当るとされている。金沢での第一句の「塚もうごけ我

    泣声は秋の風」はどちらかというと、万象を枯らす秋風の季感に

    近いイメージあり、それに対して第二句の「秋すゞし手毎にむけ

    や瓜茄子」と第四句の「しほらしき名や小松吹萩すゝき」は、秋

    風の爽涼感をより思わせる句作と言えよう。第三句の「あかあか

    と日は難面も秋の風」では、赤々と照らす烈日 1 3と秋風の「白」(無

    色に近い風の色)の色の対比が面白く、芭蕉の繊細な色彩感覚の

    働きが伺える一句である。

    一連四句は散文の代わりに道順を記す働きを備えていると同時

    に、「秋風」という共通主題の元で統一され、金沢の段を纏まりの

    ある内容を持つ章段に仕上げた。類似する主題と遭遇するとき、

    芭蕉はマンネリ化した描写からぬけだすために意図的に表現手法

    や構造を色々工夫し、事実の羅列でない独創性に心を掛けている。

    そして描写の主題が変わる度、普通は章段替えをもって示すが、

    たまたまその境界線がはっきりしない場合もある。そうした場合、

    1 3 「 あ か あ か と 」 の 解 釈 に つ い て 「 明 々 と 」 と す る 説 ( 前 田 金 五 郎

    「 俳 諧 用 語 考 」『 俳 句 』 1 8 - 3、昭 和 4 4 年 3 月 )と 、「 赤 々 と 」と す る

    説( 麻 生 磯 次『 奥 の 細 道 講 読 』昭 和 36 年 、明 治 書 院 )が あ る 。筆 者

    は 後 者 の 説 を 支 持 す る 。

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    章段分けは読者の鑑賞の仕方に任せるしかないので、統一的な理

    解を求めることはほぼ不可能であるが、章段 の境界線の不確か

    さは中尾本が公表されるまでの『おくのほそ道』の研究史に

    おいて長い間、素龍清書の西村本系統の写本をテキストとし

    て使用してきた事実を無視してはならない。最も初稿に近い

    中 尾 本 の 本 文 の 分 析 を 通 し て 章 全 体 に 関 わ る 諸 問 題 の 究 明

    が期待できる。金沢の段の場合、講談社・角川文庫はこの一段の

    包括範囲を「しほらしき名や」の句までにしているが、岩波文庫

    や『詳考奥の細道』(増訂版)では、「あかあかと」の句までで、「し

    ほらしき」の句文からは次の章段に入れて、真盛(実盛)の記事

    と一緒に掲出するのである。小松の地名を読み込んだこの「しほ

    らしき」の句は、実盛の武具を納めた多田神社とは地理上同じ場

    所ではあるものの、テーマ意識から言えば寧ろこの前の金沢の三

    句と、共通する主題が認められるので金沢の段に入れるべきであ

    ろう。

    6. おわりに 以上に見てきたように、象潟や金沢の段は貼り紙の推敲によっ

    て、俳文の形式に整えられただけではなく、一篇の単独の俳文と

    して中心テーマも工夫され、また強調されたのである。芭蕉が自

    ら提唱し、試行錯誤を繰り返した末に完成した「俳諧紀行文」は

    王朝以来の紀行文と趣を異にし、俳文の本質となる諸要素は度重

    なる推敲を経て形成されていく。『おくのほそ道』は俳諧紀行文の

    達成を示すと同時に、新しい文芸ジャンルとしての俳文の確立を

    意味している。

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    参考文献 ・ 麻生磯次 1978『奥の細道講読』第 10 版 明治書院 pp .430 ・ 阿部喜三男・麻生磯次校注 1962『日本古典文学大系 近世俳

    句俳文集』岩波書店 pp.250-251 ・ 井本農一・久富哲雄・村松友次・堀切実校注 1997『新編日本

    古典文学全集 71・松尾芭蕉集②』第1版 角川書店 pp.47-48 ・ 上野洋三・桜井武次郎編 1997・1『芭蕉自筆 奥の細道』第1版

    岩波書店 ・ 上野洋三著 1997『芭蕉自筆「奥の細道」の謎』二見書房

    pp.225-230 ・ 大磯義雄・大内初夫校注 1970『蕉門俳論俳文集 古典俳文学

    大系 10』集英社 ・ 尾形仂著 2001『おくのほそ道評釈』角川書店 pp.361-362 ・ 櫻井武次郎 2002「『おくのほそ道』成立に関する一試論」『奥

    の細道の研究』第1版 和泉書院 pp.133-149 ・ 天理図書館善本叢書編集委員会編 1994『おくのほそ道 曽良

    本』八木書店

    ・ 堀信夫 1889・5「俳文集としての『おくのほそ道』」『国文学解釈と教材の研究』至文堂 pp.54-60

    ・ 堀切実等校注 2001『新編日本古典文学全集 88 連歌論集能楽論集俳論集』小学館 pp .508

    ・ 堀切実編 2003『『おくのほそ道』解釈事典―諸説一覧』東京堂

    ・ 水原秋櫻子・加藤楸邨・山本健吉監修 1993『カラー図説日本大歳時記』講談社版 pp.64

    ・ 南信一著 1995『三冊子総釈改訂版』第2刷 風間書房 pp.418 ・ 弥吉菅一他編 1970『芭蕉紀行文集Ⅱ』明玄書房 pp.43 ・ 横沢三郎 1967『俳諧の研究 芭蕉を中心に』角川書店

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