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123 39 Beyond Budgeting 論の妥当性 Beyond Budgeting 論の妥当性 はじめに 現代の経営環境において、予算はすでに現実的妥当性を失い、企業に対して ほとんど価値をもたらさず、害悪ばかりが非常に大きいとし、予算を廃止する という急進的な主張を行い脚光を浴びた Beyond Budgeting 論であるが、その 主張に対しては様々な批判がなされている。企業に対するアンケート調査でも、 予算を廃止する検討をしている企業はほぼ皆無に近い状況である。 本稿では Beyond Budgeting 論の予算管理への批判および、現代の経営環境 に対応するための新たなマネジメント手法についてその妥当性を検討する。 Beyond Budgeting 論 1. Beyond Budgeting 論の予算管理への批判 Hope and Fraser (2003)は予算管理の 3 つの問題点および、現代の経営環境 に適応するための変化適応型組織になるための 6 つの原則と分権化とのための 6 つの原則を挙げている。 予算管理の 3 つの問題点は以下の通りである。

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( )123 39Beyond Budgeting 論の妥当性

<論 説>

Beyond Budgeting 論の妥当性

岸 田 隆 行

はじめに

 現代の経営環境において、予算はすでに現実的妥当性を失い、企業に対して

ほとんど価値をもたらさず、害悪ばかりが非常に大きいとし、予算を廃止する

という急進的な主張を行い脚光を浴びた Beyond Budgeting 論であるが、その

主張に対しては様々な批判がなされている。企業に対するアンケート調査でも、

予算を廃止する検討をしている企業はほぼ皆無に近い状況である。

 本稿では Beyond Budgeting 論の予算管理への批判および、現代の経営環境

に対応するための新たなマネジメント手法についてその妥当性を検討する。

Ⅰ Beyond Budgeting 論

1. Beyond Budgeting 論の予算管理への批判

 Hope and Fraser(2003) は予算管理の 3 つの問題点および、現代の経営環境

に適応するための変化適応型組織になるための 6 つの原則と分権化とのための

6 つの原則を挙げている。

 予算管理の 3 つの問題点は以下の通りである。

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( )12440 駒大経営研究第43巻第 3・4

(1) 予算は手続きが煩雑でコストがかかりすぎる。

 Hope and Fraser(2003) は予算編成のための期間として、平均で 4 ~ 5 か月

が費やされていると主張している。その間、予算編成のためにマネージャーの

時間は拘束され、価値創造的な活動を行うことができない。また、たとえば、

Ford Motor Company では予算関連の費用は年間 12 億ドルに及ぶとの試算がな

されている。

(2) 予算は現代の競争環境とマッチしておらず、エグゼクティブやマネー

ジャーといった情報利用者の要求を満たしていない。

 これは 1980 年代以降、経営環境の不確実性が急激に増大してきたが、それ

に対して予算が十分に対応できないことから生じている。予算管理においては

1 年という長い期間を予算期間とし、1 年間拘束する予算を編成するため、不

確実性が高くなると事前に設定した固定計画と資源配分が足かせとなり、環境

変化に対応できなくなってしまう。

(3) あまりにも多くの努力が予算ゲームに向けられている。

 事前に決定した予算目標を達成したか否かにマネージャーに対する報酬を連

動させる固定業績契約 (fixed performance contract) が結ばれているため、マ

ネージャーは予算目標を低くしたり、資源を多く獲得しようとしたり、目標が

達成できない場合には不当な方法で達成しようとしたりと、望ましくない行動

が誘発される。その結果として、予算には多くの予算スラックが組み込まれ、

信頼のおけないものとなってしまう。

 このような問題点は予算を利用する以上、不可避的に発生するものであると

いう。

2.Beyond Budgeting 論のマネジメント手法

 予算を廃止することで新たなマネジメント手法が必要となるが、Hope and

Fraser (2003) は新たなマネジメント手法のための原則として、変化適応型プロ

セスの 6 つの原則と分権化の 6 つの原則を挙げている。

 変化適応型プロセスの 6 つの原則は以下の通りである。

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( )125 41Beyond Budgeting 論の妥当性

(1) 相対的改善を狙う厳しい目標を設定する。

(2) 評価と報酬の基準は事後的な相対的改善契約による。

(3) 行動計画を継続的で包括的なプロセスとする。

(4) 資源を必要なときに利用可能とする。

(5) 顧客の需要によって社内横断的な行動を調整する。

(6) 効果的な統治と相対的な業績指標をコントロールの基本とする。

 分権化の 6 つの原則は以下の通りである。

(1) 明確な原則と境界にもとづいたガバナンスのフレームワークを提供す

る。

(2) 相対的な成功にもとづいて高い業績を達成する組織風土を生み出す。

(3) 現場の組織成員にガバナンスの原則と組織目標に一致した意思決定を行

う自由を与える。

(4) 現場のチームに価値を創造する意思決定を行う責任を与える。

(5) 組織成員に顧客の成果についての説明責任を与える。

(6) 組織全体に「唯一の真実」を提供するオープンで倫理的な情報システム

を支援する。

 Beyond Budgeting 論では予算を廃止し、近年提唱されるようになった新た

なツールを統合することでマネジメント・コントロールの仕組みを構築するこ

とで、現代の経営環境下で有効なマネジメントが行えることを提案している。

そのためのツールとして考えられているのは、株主価値モデル、ベンチマー

キング、バランス・スコアカード (balanced scorecard: BSC)、Activity-Based

Management(ABM)、顧客関係マネジメント (customer relation management)、

ローリング予測である。Hope and Fraser(2003) はこれらのツールを予算と同

時に使うと、予算の強力な抗体により無力化され、効力を奪われてしまうとし

ている。しかし、清水 (2007) では、予算を完全に廃止することは現実的に難

しいとして、予算編成の段階で Beyond Budgeting 論の考え方を適用した脱予

算的予算によって、予算を廃止しなくとも脱予算経営は可能であるとしている。

 Beyond Budgeting 論のマネジメントの特徴と従来の予算管理の特徴を比較す

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( )12642 駒大経営研究第43巻第 3・4

ると図表 1 のようになる。

3.Handelsbanken の事例

 Beyond Budgeting 論において、予算を撤廃することによって現代の経営環境

に適合し、高い業績を上げている企業として挙げられるのがスウェーデンの銀

行である Handelsbanken である。Handelsbanken は 1970 年代より予算管理を

撤廃し、それ以降は Beyond Budgeting 的経営を行っているとされる。

 Handelsbanken で行っている Beyond Budgeting 的経営としては以下のことが

挙げられる。支店の権限を強化することで、徹底的に分権化し、支店内のこと

について本社はほとんど指示していない。本社が行っているのは少数の重要業

績指標 (key performance indicator: 以下 KPI) を集計し、それを公表すること

マネジメントの

論点

従来のマネジメント 脱予算経営

組織の焦点 ヒエラルキー内部の管理構造 顧客満足の獲得

組織形態 中央集権化された機能の集合体 分権化されたネットワーク(権

限と責任の分化)

責任 計画に対する結果責任を負うマ

イクロ・マネジメント

計画策定および実行に関する責任

があり、行動には裁量と自由があ

る。

ガバナンス ルールや予算 少数の明確なバリュー、目標お

よび境界線

情報 組織階層によって制限される すべての情報がオープン

目標 増分的な固定目標 相対的目標

報酬 個人・部門の固定目標の達成に

対する報酬

全社的相対的目標達成に対する

全体的な報酬

計画と統制 固定年間計画。予算(固定目標

値)と実績の差によるフィード

バック・コントロール

ローリング予測に基づく計画の修

正。予測と目標の差によるフィー

ドフォワード・コントロール

資源配分 予算による配分 KPI による適時的な配分

図表 1 従来のマネジメントと脱予算経営

(出所)清水 , 2011, p.69

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( )127 43Beyond Budgeting 論の妥当性

である。業績の低い支店に対して指示を出すことはしていない。しかし、少数

の KPI が報告書として開示されるために、支店間での相対的な競争が起こり、

順位の低い支店は順位を上げるために努力をする。このような企業内における

競争は、管理者間の競争を煽るため、情報の共有を妨げ、学習を阻害する可能

性が高いが、個人ボーナスを廃止し、全従業員に対して同一のボーナス体系を

とることによって、このような逆機能を防止している。すなわち、ミニ・プロ

フィット・センターと同様に、個人業績をボーナスに連動させることなく、い

わばゲームとして相対的順位を争っているために、ランキング上位の支店長が

ランキング下位の支店長を支援するという。これは支店の利益が増加するので

はなく、企業全体の利益が増加することによって自らの報酬が高くなるからで

ある。

 Handelsbanken では以上のような経営を行うことで、1972 年以降、競合する

他の銀行の平均よりも継続的に高い収益性を達成している。Handelsbanken の

成功は現代の経営環境に適合することに対して、予算を廃止することによる優

位性を示していると考えられている。

Ⅱ Beyond Budgeting 論の前提の妥当性

1. Beyond Budgeting 論と実務における認識の乖離

 Beyond Budgeting 論は研究者の間では一定のブームとなり、論文が蓄積され

てきているが、いくつかの質問票調査が示しているように、実際に予算管理を

廃止しようという企業はほぼ皆無であり、Beyond Budgeting 論が指摘する予算

管理の弊害についても企業はあまり認識していない。

 Libby and Lindsay(2010) はカナダとアメリカの企業の上級マネージャーに

質問紙票調査を行っている (1)。予算を統制に使っている企業の内、予算を廃

止することを計画している企業は 1%、廃止する可能性があると答えた企業は

5% であった。また、予算管理システムを 100 満点で評価してもらったところ

中央値は 70 点であった。これは予算管理システムが、良い価値 (good value)

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( )12844 駒大経営研究第43巻第 3・4

を提供していると感じている水準であるとしている。また、予算が必要不可欠

であると考える上級マネージャーは 7 割以上であった。

 また、横田・妹尾 (2011) の東証一部上場企業の経営企画部長に対する質問

紙票調査においても予算管理を行っていない企業が 0.9%(2 社)あるが、予算

管理を廃止しようという企業は皆無である。予算管理の問題点についての 8 項

目の質問 (2) に対して、7 ポイント・リッカート・スケールでの平均点が最大

で 4.20 であり、日本企業は予算管理に対して、Beyond Budgeting 論が指摘す

るような問題意識をあまりもっていないことが明らかになっている。

 岸田 (2010) の東証一部上場企業のうち製造に分類される企業に対する調査

では Beyond Budgeting 論の予算管理に対する批判をもとに質問項目を作成し、

「予算管理の不適合性」という尺度を測定した(3)。7 ポイント・リッカート・

スケールで平均値が 2.75 となり、予算管理に対してほとんど不適合性を認識

していないことが明らかになっている。

 このように、Beyond Budgeting 論の主張と企業の認識には大きなズレがあ

る。これは企業が予算管理の弊害を認識できていないからではなく、Beyond

Budgeting 論が想定する予算管理の運用方法という前提に問題があると考えら

れる。Beyond Budgeting 論の最大の問題点は予算管理の構造的特質と運用方法

を混同していることにある。Beyond Budgeting 論の批判は、予算管理のある特

定の運用方法に対して行われているのであり、その他の運用方法を含めた予算

管理の構造的な特質に対して行われているものではない。予算管理は様々な運

用方法があり、企業はみずからの環境に適合できるような形で運用していると

考えられる。運用方法は変更可能であり、運用方法を変えることによって、そ

の効果やデメリットも変化する。

 Beyond Budgeting 論が批判する予算管理の前提は、予算管理が規範的戦略論

と結びついているというものである。

2.規範的戦略論と予算管理

 規範的戦略論は Mintzberg et al.(1998) による戦略の分類の一つであり、デ

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( )129 45Beyond Budgeting 論の妥当性

ザイン・スクール、プランニング・スクール、ポジショニング・スクールが該

当する。デザイン・スクールの特徴は SWOT 分析を行うことで、企業の強み

と弱みおよび外部環境に存在する機会と脅威を認識することで、将来の戦略を

策定していくことである。プランニング・スクールの特徴は大量の数量データ

を形式的な分析にかけることによって、戦略を導き出し、策定することである。

ポジショニング・スクールの特徴は Porter(1980) の競争戦略論を基本とし、5

つの競争要因が支配する市場において、自社のポジショニングをどのようにす

るかを決定することである。

 規範的戦略論に属する 3 つのグループの共通する特徴は将来環境をあらかじ

め予測することによって、自社の戦略を決定し、それを実行していくということ

である。規範的戦略論において、予算管理は策定された戦略を実行するための

ツールとして用いられることになる。予算編成は事前に策定された戦略(計画

的戦略)にもとづいて行われる。規範的戦略論を前提とする場合、予算差異は事

前に決められた正しいやり方をしなかったために発生するものである。予算実

績差異分析を行うことによって、正しく行われなかった部分を是正することで、

実績を目標に近づけていくことが可能となる。すべての組織成員が計画的戦略

として示された正しいやり方を行うことで戦略目標を達成することができる。

 このような規範的戦略論の欠点としては、静的な環境のみを考えており、不

確実性の高い経営環境下では、その有用性を失うということである。不確実性

の高い環境下において、規範的経営戦略論が有用性を失う理由として、以下の

2 点を挙げることができる。

 第 1 に、不確実性の高い経営環境下では計画的戦略が誤る可能性が高い。策

定する段階において前提となる将来の経営環境に関する予測が誤っていた場合

には、計画的戦略は結果として環境に適合したものではなくなるため、組織成

員がそのような戦略を正しく実行したとしても、戦略目標を達成できない。不

確実性が高い状況では、将来の予測は非常に難しいため、将来の環境変化に適

合した完全な戦略を策定することはほとんど不可能である。

 第 2 に、組織学習を阻害する可能性である。規範的戦略論では計画的戦略が

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( )13046 駒大経営研究第43巻第 3・4

絶対視されるため、戦略に見合わない行動が忌避される。変化した環境に適合

しようと組織末端の組織成員が計画的戦略にはない行動をすることでうまく

いったとしても、計画的戦略が正しいやり方として認識されているのであれば、

新たな行動は戦略に見合わない方法として排除されることになる。その結果、

組織学習が阻害される。

 規範的戦略論は必然的に予算目標の達成と短期的報酬とのリンクを導くこと

になる。Beyond Budgeting 論はこの点を固定業績契約として批判している。

 規範的戦略論と結びついた予算管理は、計画的戦略を実行するためのツール

であり、計画的戦略の前提が正しいものとして扱う。したがって、組織成員が

予算目標を達成することが全社的な戦略目標の達成を意味するため、組織成員

が予算目標を達成することが予算管理の目標となる。

 予算目標を達成するよう動機づけるもっとも短絡的な方法は予算目標の達成

を報酬制度と結びつけることである。Beyond Budgeting 論は固定業績契約とい

うかたちで予算目標の達成と報酬制度が結びついているという。固定業績契約

のもとでは予算目標を達成すれば、管理者の報酬は高くなり、達成できなけれ

ば低くなる。

 しかし、このような予算目標の達成と短期的報酬とのリンクはネガティブな

影響を与えることは明らかである。Stedry(1960) は学生を対象に実験を行っ

た結果、難易度の高い目標を設定した場合、不利差異が大きくなるが、業績は

高くなることを明らかにした。Stedry はこの結果から、予算目標と金銭的報酬

をリンクさせるべきではないとしている。Stedry 以降に行われた実証研究の結

果もこのことを支持している。

3.Beyond Budgeting 論の前提の妥当性

 Beyond Budgeting 論の予算管理に対する批判は規範的戦略論を前提とするこ

とから展開されているといえる。しかし、予算管理は規範的戦略論と結びつか

なければ、存在できないものではない。規範的戦略論との結びつきは、様々に

存在する予算管理の運用方法の一つである。

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( )131 47Beyond Budgeting 論の妥当性

 Mintzberg et al.(1998) は計画的戦略がそのまま実行されることはほとんどな

いとしている。計画的戦略を実行している段階で、予測していなかった環境変

化への対処法や当初想定していたよりもより良いやり方が見つかれば、そのよ

うな行動が集積され、組織学習が行われることによって組織全体に行き渡り、

計画的戦略と統合することによって実現された戦略となる(図表 2)。当初意

図していた戦略が実現しなかったとしても、実現された戦略が結果として成功

しているのであれば、その企業は成功したといえるであろう。

 予算管理をはじめとするマネジメント・コントロール・システム (management

control system: 以下 MCS) は計画的戦略の実現だけでなく、戦略の創発および

組織学習を支援することも可能である。Davila(2005, p.50) では 2 つの企業の

例を挙げることで、MCS が創発的戦略を阻害することもあれば、促進するこ

ともある点を指摘している。ある企業では製品開発マニュアルを金科玉条と考

えているため、マニュアルからの逸脱は認められない。一方の企業ではプロ

図表 2 計画的戦略と創発的戦略

(出所)Mintzberg et al., 1998, p.12

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( )13248 駒大経営研究第43巻第 3・4

ジェクトが終了するごとに、製品開発マニュアルを見直し、改訂している。製

品開発マニュアルを反復して利用することで、マニュアルの問題点を発見でき、

より良いマニュアルとしていくことが可能となった。前者の企業では MCS は

当初意図したこと実行するためだけのものとなってしまっており、新たなアイ

ディアは逸脱として抑制される。後者の企業ではマニュアルは一定の基準とし

て機能するが、絶対的なものではなく、反復することで基準自体の問題点を見

つけ出し、改善するというダブル・ループ学習を促進している。

 この例は利用のされ方によって MCS がダブル・ループ学習を促進する機能

を果たすこともあれば、抑制することもあることを示している。予算管理につ

いても予算実績差異分析において、予算差異をどのように捉えるかによって、

同様のことがいえる。

 第 1 に、計画的戦略を絶対的なものとし、予算差異を計画的戦略からの逸脱

であるとみなす捉え方である。この場合、不利差異の発生は計画的戦略に組織

成員が従っていないから発生するのであり、行動を是正することによって不利

差異は圧縮される。ここでなされる学習はシングル・ループ学習のみである。

Beyond Budgeting 論は予算管理をこのような診断的運用のみがなされるものと

して批判している。

 第 2 に、計画的戦略を絶対視せずに、予算差異が計画的戦略の逸脱だけでな

く、環境予測の誤りからも発生すると捉える方法である。予算差異の発生原因

が前者であれば行動の是正、後者であれば戦略自体の見直しを行う。不確実性

の高い環境下では、戦略を策定する際に行う将来の環境予測を正確に行えるわ

けではない以上、このような予算差異の捉え方は現実的である。このような捉

え方をするのであれば、予算差異がなぜ発生したのかについて、環境不確実性

を含めて議論を行い、今後の方策を考えていくという双方向的運用が必要とな

る。予算管理が双方向的に運用されているのであれば、環境変化に対して創発

された戦略で対応していくことを促進することも可能となる。

 Simons(1995) が 4 つのコントロール ・ レバーの概念 (4) を提唱してから、

MCS について診断的運用と双方向的運用に関する実証研究が蓄積されてきて

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( )133 49Beyond Budgeting 論の妥当性

いる。予算管理を双方向的に運用しているという実証的な証拠も出てきてお

り、予算管理が規範的戦略論を前提とし、診断的にのみ運用されているという

Beyond Budgeting 論の主張は疑わしいものとなっている。

Ⅲ 予算管理に関する過去のアンケート調査と Beyond Budgeting 論の整合性

 予算管理については過去、その運用方法と成果との関係について、様々なア

ンケート調査が行われている。本節では過去に行われたアンケート調査の結果

と Beyond Budgeting 論との整合性について検証を行う。

1. 診断的運用と双方向的運用

 Simons(1995) が提唱した診断型コントロール・システムと双方向型コント

ロール・システムは MCS の利用方法を説明する上で有用であり、MCS に関す

る実証研究において、近年頻繁に利用されている (5)。

 診断型コントロール・システムは計画的戦略を実行するために重要なパ

フォーマンス変数をコントロールするためのシステムである。予算管理システ

ムは差異分析を行い、計画的戦略と実績との差異を算出し、その原因を追及し

て、是正することで計画的戦略の実行をサポートすることができる典型的な診

断型コントロール・システムである。Beyond Budgeting 論が批判するのは診断

的にのみ利用される予算管理システムである。

 双方向型コントロール・システムは企業の業績に大きな影響を与える戦略的

不確実性についての情報を組織成員間で意図的に共有することで、戦略的不確

実性に対処し、予測していなかった環境変化に対して有用な創発的戦略を組織

全体で共有するためのシステムである。予算管理システムであれば、予算差異

がいかなる原因によって発生したのかを社内で徹底的に議論し、戦略的不確実

性に関する情報を共有する。もし、それが予算策定時には想定していなかった

外部環境の変化が原因で発生しているのであれば、新たな環境下に対処するた

めの方策を考えていく。有効な対処法が見つかれば、それを社内で共有し、新

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( )13450 駒大経営研究第43巻第 3・4

たな環境に適応していく。理想的には、このようにして期中であっても、新た

な環境に適応するための対処ができることが望ましい。予算を媒介にして、組

織の各層に戦略的不確実性についての情報が共有されているのであれば、予算

管理システムは双方向的に利用されているといえる。予算管理システムの双方

向的利用は創発的戦略を生み出し、組織学習を促進する。

 予算を利用して戦略的不確実性についての情報を共有する方法としてあげら

れるのは参加型予算である。参加型予算を利用する目的についての研究では、

経営者は行動的機能と情報的機能の双方を目的として行われることが多いこと

が明らかになっている (Shields and Young, 1993; Shields and Shields, 1998; 大

塚 , 1998)。行動的機能とは予算達成の動機付けに代表される組織成員の行動

に良い影響を与えることを機能である。情報的機能とは参加型予算のプロセス

において、より現場に近い組織成員が持つ情報を収集する機能である。より現

場に近い組織成員が持つ情報は現在の経営環境について情報であるといえる。

Parker and Kyj(2006) は予算参加が垂直的情報共有および業績に与える影響に

ついて検証し、予算への参加度が増加するほど、垂直的情報共有が増加し、さ

らに業績に対してポジティブな影響を与えることを明らかにしている。岸田

(2010) は予算参加によって予算の双方向的利用が促進され、垂直的情報共有

が活発に行われることで、予算の有用性認知や学習にポジティブな影響を与え

ることを明らかにしている。

 また、多くの実態調査により、日本企業は予算管理システムを診断的に利用

するよりも、双方向的に利用する程度の方が高いことが確かめられている。朴・

浅田 (2003) による日本企業に対するアンケート調査では、予算差異情報の利

用目的として、「問題点を素早く知る」の利用程度が最も高く、予算差異情報

を統制よりも今後の計画設定のために利用する傾向が指摘されている。淺田

(1989a,1989b) の日米比較の調査では、「次期の計画・予算編成の改善」目的

がアメリカよりも有意に高く、日本企業が計画機能を重視していることが明ら

かになっている。岸田 (2011) の日本の製造業に対するアンケート調査では「予

算の診断的利用」と「予算の双方向的利用」の尺度について、平均値の差を検

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( )135 51Beyond Budgeting 論の妥当性

定した結果、「予算の双方向的利用」の方が有意に高くなり、双方的利用を重

視した運用が行われていることが示されている。横田・妹尾 (2011) のアンケー

ト調査においても、「日本企業は予算管理を診断的ではなく、インタラクティ

ブに利用している側面が強い可能性が高い」(p.60)ことを指摘している。

 以上のように、日本企業では予算管理システムは双方向的に運用されている

傾向が一貫して指摘されており、予算管理が診断的にしか利用できないという

のが誤りであることは明らかであろう。診断的利用に偏った予算管理の運用が

経営環境の変化が激しい状況において不適切であることは Beyond Budgeting

論の指摘通りであるが、予算管理システムは診断的にしか利用できないわけで

はなく、双方的に利用することも可能であり、それによって戦略的不確実性に

対処することは可能になると考えられる。

2.戦略とのリンク

 Beyond Budgeting 論は予算が戦略とのリンクを欠いているとして批判してい

る。しかし、この点についても、多くの実態調査は否定している。Libby and

Lindsay(2010) の調査において、「予算は戦略目標とリンクしている」の中央

値は、カナダ企業は 7 ポイント・リッカート・スケールで 5.0、アメリカ企業

は 6 ポイント・リッカート・スケールで 5.0、「予算は戦略の実行にリンクして

いる」の中央値はカナダ企業は 7 ポイント・リッカート・スケールで 5.7、ア

メリカ企業は 6 ポイント・リッカート・スケールで 5.0 となっており、予算と

戦略とのリンクは強いことが示されている。

 また、横田・妹尾 (2010) の調査においても、「予算・戦略の弱いリンク」

は 7 ポイント・リッカート・スケールで平均値 3.70 となっており、「どちらと

もいえいない」の 4 よりも低くなっており、戦略とのリンクがあることを示し

ている。

 戦略とのリンクがあることは当然のことである。予算管理システムを診断的

に利用するにしても、双方向的に利用するにしても、そもそも戦略を実行する

ため、あるいは新たな戦略を生み出すために利用するのであり、戦略との結び

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( )13652 駒大経営研究第43巻第 3・4

つきがないのであれば、予算を実行する意味はほとんどないといえる。企業は

戦略とのリンクを考えて予算管理システムを運用するはずで、戦略とのリンク

なされていないと認識するのであれば、リンクするように運用方法を改善して

いくはずであろう。

3.固定業績契約、業績評価および予算スラック

 Beyond Budgeting 論が指摘する予算管理の問題点の多くは固定業績契約に由

来するものである。固定的な予算目標と報酬システムが結びつけられているた

め、マネージャーは予算目標を達成することのみに注力し、また、確実に達成

できる予算目標にするために、予算ゲームに興じ、多額の予算スラックが予算

に埋め込まれるため、予算数値が信頼できないものとなる、としている。しか

し、固定業績契約についてはその定義が曖昧であり、どの程度、予算目標の達

成と報酬がリンクしていると固定業績契約といえるのかが明らかではない。

 Libby and Lindsay(2010) は、固定業績契約について予算強調が強いか否か

を測定した後に、予算強調の高い企業でどのように業績評価がなされているか

を調査している。その結果、予算強調の高い企業は、カナダ企業で 51.3%、ア

メリカ企業で 70.2% であった。予算強調の高い企業でどのように業績評価が

行われるかについては、実際の業績を当初の予算を修正せずに比較する企業は

少数派であり(カナダ企業 12.2%、アメリカ企業 16.9%)、統制不能な予算差

異を調整していたり、既知の状況変化を考慮に入れて評価したりしている。し

たがって、完全な固定業績契約といえる形で業績評価のために予算を利用して

いる企業はそれほどないといえる。

 日本企業に対する調査では、予算目標と給与や賞与との反映程度が調査され

ている。ほぼ一貫して、給与よりも賞与への影響が大きく、一定程度の影響を

与えている。しかし、淺田 (1989a, 1989b) によれば、その反映程度は米国企

業に比べて小さいとされている。また、予算差異分析の目的も、部門主管者の

業績評価よりも部門業績の評価のために行っている場合が多い。また、上埜

(1993) の調査では、日本企業の評価対象期間は米国よりも有意に長くなって

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( )137 53Beyond Budgeting 論の妥当性

いる。日本企業の調査で固定業績契約について直接的に調査した研究はないが、

上記の結果から、固定業績契約的な運用を行っている企業はあまり多くないこ

とが推測される。

 次に予算スラックについてであるが、Beyond Budgeting 論は一貫して予算

スラックをネガティブな効果しかないものとして扱い、ストレッチな目標を設

定することの有用性を説いている。しかし、近年の実証研究では予算スラック

に業務の柔軟性を高める、マネージャーの動機付けを高める、変化に対応可能

になるなど、ポジティブな効果があることを明らかにしてきている (Merchant

and Manzoni, 1998; Van der Stede, 2000; Davila and Wouters, 2005 など)。予算

は目標としての役割も持っているが、資源配分の役割も持っている。Beyond

Budgeting 論は資源配分を必要に応じてすべきであるとしているが、予算スラッ

クがそのような必要に応じた資源配分を可能にしている可能性が考えられる。

予期しない環境変化が起こり、対処が必要になったときに、タイトな予算では

資源が足りず、対応できないが、予算スラックがあることにより、対応が可能

になることは十分に考えられる。

 したがって、予算スラックのネガティブな効果にのみ着目するのは妥当では

ない。また、予算スラックは参加型予算との関係が指摘されている。予算スラッ

クの効果を判断するためには、参加型予算の功罪との関連で検討する必要があ

ろう。

Ⅳ 新たなマネジメント手法の妥当性

 次に、Beyond Budgeting 論が提唱する新たなマネジメント手法について、予

算管理との関係から検討する。

1. ストレッチな目標設定

 ストレッチな予算目標を設定することのメリットは予算管理の研究におい

てもすでに論じられている (Stedry, 1960; Simons 1988, Argiris, 1990, Hirst and

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( )13854 駒大経営研究第43巻第 3・4

Yetton, 1999)。厳しい目標を設定することで、不利差異は大きくなるが、組織

成員のモチベーションが高まり、難易度の低い目標を設定するよりもより高い

業績を達成することが可能となる。ただし、不利差異が高い水準で発生するた

めに、予算目標の達成と報酬を結びつけてしまうと、マネージャーは高い予算

目標を設定することをためらうこととなるため、予算目標の達成と報酬を結び

つけるべきではないということがすでにいわれている (Otley, 1987)。これは

Beyond Budgeting 論と同様の指摘であるといえる。

 しかし、Fisher et al.(2003) の実験によれば、高難度の目標を設定した場合、

短期的には高い業績を上げるが、すぐに業績は低下し、長期的には中難度の目

標を設定したグループがもっとも業績が高くなることが示されている (p.66)。

したがって、ストレッチな目標設定は長期的に好業績を保っていけない可能性

がある。この結果は Merchant and Manzoni(1989) の実際の企業における調査

において示された目標設定の難易度の結果と整合的である。これはモチベー

ションとの関係が考えられる。高い目標を掲げると目標の達成が常にできない

ということになり、長期的にはモチベーションを低下させ、結果として業績を

低下させるのかもしれない。

 したがって、単純にストレッチな目標を設定することが業績の改善につなが

ると主張することは危険であり、目標の難易度が長期的な業績に与える効果に

ついての研究の蓄積が必要であろう。

 また、Beyond Budgeting 論では予算のように事前に決定した固定的な目標

を設定するのではなく、他者との相対的な関係によって業績を評価すべきであ

るとしている。すなわち、何らかの業績指標を設定し、その業績指標を他社や

他部門と比較することによって業績評価をするということである。相対的目標

の優れている点は、相対的であるために、ストレッチな目標となるという点で

あるとされる (清水 , 2011, p.71)。たとえば、売上高を目標にしたとして、100

万円という固定的な目標であった場合、期間前に目標を達成した後には、さら

に売上を獲得する動機がなくなってしまうのに対し、売上高業界 1 位という相

対的目標を設定した場合は、他者との競争であるため、そのような問題が起こ

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( )139 55Beyond Budgeting 論の妥当性

らなくなるということである。

 しかし、他者との相対的な関係でのみすべての企業が運営されているわけで

はない。たとえば、ある企業は業界でトップの利益率を目的とするかもしれな

いが、ある企業はニッチな分野を独占することで業界トップの利益率も規模も

追求できないが、長期的に安定した利益を獲得することを目的としているかも

しれない。前者であれば、相対的な目標として設定できるが、後者の場合は相

対的目標とは相容れない。企業は業界内で競争しているが、同時に棲み分けも

行っている。目標設定において重要なことは、固定的か相対的かではなく、自

社が目的とすることを達成できるようにすることであろう。

 また、相対的目標を組織成員が受容するか否かという点についても疑問があ

る。相対的目標は組織成員の参加ではなく、外在的に決定される。予算目標の

受容と業績との関係についての研究では、予算編成プロセスに参加するだけで

はなく、手続的公正が確保されていることが必要であることが示されているが

(Lindquist, 1995; Libby, 2001)、相対的目標設定が手続的公正の確保された目標

設定方法であるとして、受容されるかについての研究が必要であろう。

2.ローリング予測によるフィードフォワード・コントロール

 予算管理が現実妥当性を失っている理由として 1 年という期間に縛られてい

ることが挙げられ、Beyond Budgeting 論ではローリング予測を行うことが推奨

されている。清水 (2011, pp.76-77) では予算管理のフィードバック・コントロー

ルが問題点が具体化しなければ是正活動が行われないとして、ローリング予測

システムを通して環境変化を予測し、それによってアクション・プランの追加・

変更につなげるフィードフォワード・コントロールが必要であるとしている。

 しかし、予算管理システムがフィードバック・コントロールのみのシステム

であるというは果たして妥当であろうか。たとえ、予算管理を診断的に利用し

ていたとしても、予算編成の際には将来の事業環境の変化を予測した上で、行

動計画と一体化した予算を編成していく。このとき、将来の事業環境下で目標

値を達成できるような戦略を前提として予算を編成していく。フィードフォ

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( )14056 駒大経営研究第43巻第 3・4

ワード・コントロールを「コントロールの対象についての予測(アウトプット

の予測値)と基準 (アウトプットの目標値) を比較して、望ましくないギャッ

プの発生が予想される場合に予防のための措置を講ずる(投入前のインプット

やプロセスの調整)という事前的なコントロール」(丸田 , 2003, p.29) として定

義するのであれば、予算編成プロセスはまさにフィードフォワード・システム

であるといえる。

 また、予算統制を双方向的に利用することで、期中においてもフィードフォ

ワード・システムとして機能させることが可能となる。すなわち、予算差異の

分析を行う際に、戦略的不確実性も含めて徹底的に議論を行うことによって、

事前に予測していなかった環境変化を察知することが可能となる。日本企業で

は予算管理を双方向的に利用し、統制機能よりも、計画機能を重視する傾向が

明らかとなっているが、これは予算管理のフィードフォワード的側面を重視す

る傾向であると言い換えることも可能であろう。

 予算管理がフィードバック・コントロールを内包していることは論を俟たな

い。しかし、それは「予算管理=フィードバック・コントロール」であること

は意味しない。フィードフォワード・コントロールをも内包する総合的なコン

トロール・システムであると理解すべきであろう。重要なことは、フィードバッ

クとフィードフォワードのバランスである。フィードバックに偏ったシステム

は環境変化に対して脆弱である。しかし、フィードフォワードに偏れば、マネー

ジャーの統制が十分にできないことになる。

おわりに

 Beyond Budgeting 論の妥当性について、アンケート調査を行った Libby and

Lindsay(2010, p.67) は「Hope and Fraser の議論の基礎となっている仮定と批

判の多く (すべてではない) は、平均的な企業への適用性の点から過度な一般

化がなされている」とし、調査の結果から、以下のことがいえるとしている。

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( )141 57Beyond Budgeting 論の妥当性

● 固定業績契約はほとんど利用されていない。

● 業績を評価するために予算を利用している企業では、統制不能な事象に

対する主観的な考慮や余裕が多く観察された。

● 平均的には予算編成にはそれほど多くの時間は費やされていない。

● サンプル企業の多数派は予算がすぐに陳腐化するような予測不能な環境

下にはいない。

● 調査した企業の多数派では、予算プロセスは戦略の実行に明白にリンク

している。

● カナダ、アメリカの双方の企業において(特にアメリカ企業で顕著であ

る)、予算ゲーム的な行動が現れていることは問題である。

 また、予算管理の問題点について、過去の予算管理研究と整合していない部

分も多くある。また、本稿で検討したように、予算管理の診断的な側面のみを

強調し、双方向的な側面をほぼ無視していることも挙げられよう。

 予算管理は編成方法、差異分析の利用方法、組織成員の予算の捉え方、業績

評価の方法など、企業によって多様なやり方が存在している。予算を廃止した

一部の企業がうまくいっているかといって、他の多くの企業でうまくいくかは

また別の問題である。これさえ使っておけば、どのような企業であってもうま

くいくというツールが存在しないのは明らかである。たとえば、仮に予算管理

の代替として BSC が普及したとしても、その運用に際して、必ずポジティブ

な影響だけでなく、ネガティブな影響も発生するだろう。ネガティブな影響が

存在するからといってそのツールを排除するのでは、どのようなツールも残

ることはない。むろん、ツール間の優劣はあろう。しかし、予算管理よりも

Beyond Budgeting 論で推奨されるツールが、いかなる状況においても優れた業

績を出すことができるような実証的証拠は挙げられていない。予算管理を含め

た MCS 研究において重要なことは、それぞれのツールの特性と様々に存在す

る運用方法が与えるポジティブおよびネガティブな影響について、より明らか

になるような研究を蓄積していくことであろう。

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( )14258 駒大経営研究第43巻第 3・4

(1) CMA Canada の 2003 のメンバーと IMA の 2004 年のメンバーからそれぞれ 2,583

人、13,712 人を選択し、ウェブベースの質問票で回答を得たものである。回答

数はカナダ企業が 346 人 (回収率 13.6%)、アメリカ企業が 212 人 (回収率 1.5%)

で合計 558 人であった。

(2) 予算管理の問題点で質問された項目(平均値の高い順)は以下の通りである(( )

内は平均値)。

 予算の予測機能の低下 (4.20)

 ミドル・マネージャーによる低水準の目標設定 (4.13)

 予算編成の時間的負担 (4.08)

 保守的な目標設定 (3.95)

 ミドル・マネージャーの数字合わせ (3.84)

 予算・戦略の弱いリンク (3.70)

 環境変化への不適応 (3.31)

 達成不可能な予算目標の設定 (3.28)

(3) 「予算の不適合性」尺度は以下の質問によって構成されている。

 「予算管理にかかる費用や時間に比べて、その効果は薄いと感じる」

 「予算管理はプラスの効果よりも、マイナスの効果の方が多い」

 「予算管理のプロセスが業務を阻害していると感じる」

(4) Simons (1995) が提唱した 4 つのコントロール・レバーは「信条システム (beliefs

system)」「境界システム (boundary system)」「診断型コントロール・システ

ム (diagnostic control system)」「双方向型コントロール・システム (interactive

control system)」であるが、MCS に関係するのは診断型コントロール・システム

と双方向型コントロール・システムであるため、本稿ではこの 2 つのシステムに

ついてのみ検討する。

(5) Abernethy and Brownell (1999)、Besbe and Otley (2004)、Henri (2006)、

Widener (2007) など。

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