西早稲田大学大学院法学研究科が主催する、 社会人向けの教育課程「知的財産法LL.M.コース」。 2018年4月に開講された本コースは、今年3月に最初の修了生を輩出した。 その修了生から3名のビジネスパーソンと、 本コースでプログラムコーディネーターを務める高林龍教授に、 1年間の学びを振り返っていただき、 社会人が学ぶ意義についてお話を伺った。 社会人にとっての学びとは 制作/レクシスネクシス・ジャパン広告出版部 高林 龍 早稲田大学法学学術院教授 知的財産法LL.M.コースでは、「LL.M.知的財産法研究」 「知的財産権法研究」「特許法」の講義を担当。 二瓶 ひろ子 外国法共同事業オメルベニー・アンド・マイヤーズ法律事 務所 弁護士 早稲田大学第一文学部卒業、英国オックスフォード大学 Magister Juris (法学修士課程)修了。現在、弁護士として主 に国際的な訴訟・仲裁案件を担当。 大澤 洋志 王子ホールディングス株式会社 知的財産部マネージャー 早稲田大学大学院理工学研究科修了。現在、特許出 願、調査、契約、渉外業務などを担当。 中西 もも 東京大学大学院農学生命科学研究科 ライフサイエンス室 特任講師/URA 東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。 博士(農学)。現在、ライフサイエンス研究におけるコン プライアンスや倫理の教育と制度管理、産学連携プログ ラムのアドミニストレーションに従事。 1 2019.6

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―そもそも皆さんは社会人になっ

て、なぜ改めて知的財産法を学ぼう

と思われたのでしょうか。

大澤 

私は会社の知財業務に必要な

知識を主にOJTで学んできたので

すが、OJTで身に付く知識は断片

的になりがちです。今後のキャリア

を考えたとき、この断片的な知識を

体系的に整理する機会を得たいと考

えるようになったのが動機の一つで

す。また、会社が国内外の成長分野へ

の新たな投資を積極的に進めてお

り、知財分野でも、これまでの経験か

らは解決できない未知の問題が発生

しつつあります。こうした問題に向

き合う際の「型」というべきリーガル

マインドを鍛えたいという思いもあ

りました。

二瓶 

私は外資系法律事務所の東京

オフィスで、主に海外のクライアン

トの日本法に関するニーズを一手に

引き受けています。幅広い法分野を

扱えることは貴重な経験ですが、こ

れからは特定の法分野に関する専門

性を身に付け、それを深化させてい

くことがますます重要になっていき

ますので、受講を決意しました。海外

の弁護士は、特定の法分野について

高い専門性を身に付けていることが

当たり前になっています。そのため、

多様なバックグラウンドの

受講者が集まるコース

―三者三様のご経歴の受講生に集

まっていただきました。

二瓶 

今日は誰も法学部出身がいな

いのです。私は学部では心理学を専

攻しており、銀行に勤めながら独学

で旧司法試験の勉強を始めました。

大澤 

私は、大学および大学院では

機械工学を学びました。知的財産部

門での業務は9年目になります。

中西 

私がたぶん一番法学のバック

グラウンドはないと思うんですけ

ど、専門はバイオロジーで、大学院で

は農学で博士号を取得しています。

―本当に多様なバックグラウンド

ですが、大学側ではこのような顔ぶれ

がそろうと想定されていましたか。

高林 

私はこのLL.M.コースでは、

まさに多様なバックグラウンドを

持った人を受け入れたいと思ってい

たんです。弁護士であれ、企業法務で

あれ、弁理士であれ、研究者であれ、

縦軸では全然違うポジションだけれ

ども、横軸では知的財産法を学びた

いという共通項を持った人たちが集

まるのが望ましいので、意図どおり

だと思っています。

早稲田大学大学院法学研究科が主催する、社会人向けの教育課程「知的財産法LL.M.コース」。2018年4月に開講された本コースは、今年3月に最初の修了生を輩出した。その修了生から3名のビジネスパーソンと、本コースでプログラムコーディネーターを務める高林龍教授に、1年間の学びを振り返っていただき、社会人が学ぶ意義についてお話を伺った。

社会人にとっての学びとは

制作/レクシスネクシス・ジャパン広告出版部

高林 龍早稲田大学法学学術院教授知的財産法LL.M.コースでは、「LL.M.知的財産法研究」

「知的財産権法研究」「特許法」の講義を担当。

二瓶 ひろ子外国法共同事業オメルベニー・アンド・マイヤーズ法律事務所 弁護士早稲田大学第一文学部卒業、英国オックスフォード大学Magister Juris(法学修士課程)修了。現在、弁護士として主に国際的な訴訟・仲裁案件を担当。

大澤 洋志王子ホールディングス株式会社 知的財産部マネージャー早稲田大学大学院理工学研究科修了。現在、特許出願、調査、契約、渉外業務などを担当。

中西 もも東京大学大学院農学生命科学研究科 ライフサイエンス室 特任講師/URA東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程修了。博士(農学)。現在、ライフサイエンス研究におけるコンプライアンスや倫理の教育と制度管理、産学連携プログラムのアドミニストレーションに従事。

1 2019.6

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るのでしょう。

二瓶 

座学とゼミ形式のいずれもあ

ります。ゼミでは与えられたテーマ

について毎週一人が発表し、それに

ついて、指導教員のリードの下、みん

なでディスカッションします。特許

権侵害訴訟の模擬裁判もあって、原

告、被告、裁判官の三つのチームに分

かれて、事前に訴状や答弁書を作成

し、模擬法廷でのオーラルプレゼン

テーションを経て判決を言い渡すと

ころまで行いました。授業の内容と

しては、学術的なものから、知財紛争

解決をテーマにした実務的なもの、

将来の紛争を想定した明細書等の出

願書類の書き方に関する実践的な講

義まで多様です。

中西 

私は高林先生が担当していた

「LL.M.知的財産法研究Ⅰ」が面白

かったですね。先生が、ある仮想事件

について「あなたが原告だったらど

う主張をしますか」「被告だったらど

う反論しますか」「裁判官だったらど

しまうことも好ましくなく、規制を

“しなやか”に扱っていくことも必要

です。そのバランスはとても難しい

と思っていたのですが、ルールの運

用を考えるうえで、さまざまなルー

ルの背景にある意図や経緯を理解す

ることが重要だと考えました。それ

が法学、法律に興味を持ったきっか

けです。知的財産法を選んだのは、研

究や産学連携の現場で「知財が大事」

と念仏のように言われるわりには、

自分も含めてあまり正確には分かっ

ていないと思ったからです。現場で

生まれる知見や技術がどのような法

体系の下で保護され、あるいは利用

できるようになっているのかをきち

んと学びたいと考えました。

正解のない問いに

向き合うゼミナール

―実際の授業の様子を伺いたいの

ですが、どういう形式で行われてい

海外のクライアントは弁護士の専門

分野や関連する実績をリサーチしま

すし、日本のクライアントでもそうい

う傾向は非常に強くなっています。

―いろいろな法分野がある中で、知

的財産法を選んだのはなぜでしょう。

二瓶 

私が所属する事務所の米国オ

フィスが知財紛争解決を強みとして

いますので、東京オフィスにも知財

紛争に対応できる人材がいれば、日

米間の連携対応などのシナジー効果

が生まれるという狙いがあります。

また、多くの企業にとって知的財産

分野、特に国際性のある知財紛争解

決は重要性が増していますので、需

要が増えていく将来性のある法分野

だろうとも思っています。

中西 

私が携わるライフサイエンス

研究の分野は、法律、各種ガイドライ

ン、あるいは社会情勢との協調が求

められます。一方で、それらを厳格に

適用することで研究の推進を妨げて

う判断しますか」と問いかけるので、

与えられた立場によって見解が異な

る…つまり基本的に正解がない問い

を考えるんですが、これを十数人の

受講者でディスカッションするのが

面白いんです。特に、このように多様

なバックグラウンドの受講者が集まっ

ているので、受講生の立場によっても

視点や考え方の違いが浮き彫りにな

るのが印象深かったです。

―たしかに、同じ紛争でも、例えば

企業人と研究者とでは見方が違うで

しょうね。

中西 

裁判上の争点について、「こう

いう証拠を出して、こういう検証を

して、こういう結果が出れば、こうい

う判断ができるじゃない」とか、みん

なわりと簡単に言うんですけど、研

究者の立場からすると「いやちょっ

と待って、そんなに簡単じゃないよ」

と意見したり(笑)。

二瓶 

議論型のゼミは複数ありまし

非常に視野の広い、

融通性のある人材を

輩出することにより、結果として、

受講生のキャリアアップにも、

社会の活性化にもつながる

今後はどの世界でも

競争が激しくなり、

他ができないことができるという

深い専門性を持つということが

非常に重要になってくる

22019.6

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中西 

準備は大変なんですけど、み

んな等しく順番が回ってくるので、

だんだん同志のような気持ちが芽生

えて…。

大澤 

戦友みたいな意識が生まれま

した。

―授業も準備も大変そうですけ

ど、本業やプライベートな時間とは

どのように調整しましたか。

大澤 

仕事との両立は課題でした。

1年で修了できたのは、上司を始め

とする職場の理解があったことが大

きいです。特に春学期は週5日、ほぼ

毎日が授業だったので、時として睡

眠時間も短くなってしまうのです

が、そんなときは上司が私の体調を

気遣って、繁忙期や出張の時期を調

節してくれたこともありました。

―逆に言えば、あらかじめ職場の

理解を得たうえで受講するのが望ま

しいのでしょうか。

うことで業務を標準化してきた側面

があるので…。しかし、それとは違う

考え方が当然あって、そこも含めて

議論していくことが法律学なんだと

いう洗礼を受けました。

―それはこれまでの自身の価値観

とは正反対のものに接したというほ

どの話ですよね。これからお仕事さ

れるうえでも影響があるのでは。

大澤 

判例や通説が覆されることは

あり得ると考えるようになりまし

た。また、当社の事業は日本から海外

進出にシフトしているのですが、日

本法の考え方や常識が通用しない国

も出てくるでしょう。そういう国での

知財上の問題に向き合ったときに、こ

の授業で受けたショックは、きっと役

に立つだろうと考えています。

―受講生のこうした感想を教員と

してどのように受け止めますか。

高林 

非常に嬉しいですね。法学は

絶対的な真理がなかなかない分野

で、議論をする中で、比較的真理に近

いものを見出していく世界です。そ

れには凝り固まった発想ではダメ

で、さまざまな発想から比較的真理

を探っていく作業が必要です。そう

いう点で、バラエティ豊かなキャリ

アの方々が集まるLL.M.コースは

非常にふさわしい場だと思います。

職場の理解を得て、

授業では気持ちを

切り替える

―すごく刺激的な環境のようです

が、授業の雰囲気はいかがでしょう。

二瓶 

指導教員がいい意味での緊張

感を受講生にもたらしていて、それ

に応じて皆さんのプレゼンテーショ

ンに賭ける意欲やレベルも、回を追

うごとに上がっていきました。

大澤 

費やす時間も、クオリティも

右肩上がりでしたね。

たが、「LL.M.知的財産法研究Ⅰ」で

は一番活発に意見交換がなされまし

た。私が所属する事務所の東京オ

フィスには理系出身者はいません

し、立法過程に精通している国家公

務員の方も受講していましたので、

そういう普段身近に接しない方々の

生の声が聞けたのはすごく刺激にな

りました。授業後に高揚感を持って

教室を去るという経験をすることは

あまりないと思いますが、そのゼミ

は、今まで思ってもみなかった考え

方への気付きが多くて、いつも終

わった後に、お互いに「目からウロコ

ですね」みたいな話をしながら帰っ

たりしました。

大澤 

高林先生の授業は、議論を通

して「通説と呼ばれる学説や、最高裁

判例は本当に正しいのか」と、従来の

常識を疑うことを促すようなスタイ

ルで、これは私の中では大きなショッ

クでした。というのも、会社では通説

や最高裁判例を重視して、これに従

これまでの経験からは解決できない

未知の問題が発生したときに、

問題に向き合う際の

「型」というべき

リーガルマインドを

鍛えられる

知的財産法の

専門性を身に付けると、

キャリアパスの

可能性が広がり、

分野の越境に価値を

もたらす人材になれる

3 2019.6

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そらく、今後はどの世界でも競争が

激しくなり、他の人にできないこと

ができるということ、深い専門性を

持つということが非常に重要になっ

てくると思います。その点で、このL

L.M.コースを受講して本当によ

かったと思っています。もし興味を

持っている方がいらっしゃるようで

したら、強くお薦めします。

大澤 

私は実際に同僚から「大澤の

通っている知財のLL.M.コースっ

てどうなんだ?」と聞かれたことが

あるのですが、「大変だけどお薦めす

るよ」と言いました。業務において当

たり前だと思っていたことを疑う機

会が得られることは、専門性を深め

ることになります。私自身も、業務で

未経験のテーマも含めて体系的に学

ぶことができましたし、未知の領域

における課題に対しても、悠然と対

応ができるようになったのではない

かと思います。

中西 

LL.M.コースは、仕事をしな

がら専門性を磨くために時間とお金

を使って勉強しようというモチベー

ションを持った方々が集まってお

り、そういう方々と切磋琢磨できる

のは良い刺激になると思います。そ

れから、今後の世の中でどういう人

材が役に立つかということを考える

を切り替えて、学びの時間は学びに

使わないと、理解してくれた職場の

方にも申し訳ないですね。

二瓶 

それは私もありました。日中

の仕事を引きずったり、クライアン

トからのメールを気にしたりしてい

ると、わざわざ仕事を中断して来た

意味がなくなってしまいます。でき

れば授業中はなるべくメールを見な

いようにするとか、切り替えられた

ほうが本当はよかったと思います。

大澤 

私も同じですね。これは知財

部員特有だと思うんですけど、私は

業務も知財、授業も知財なので、せっ

かく頭を切り替えても、授業で出て

くるキーワードで、仕事のことを思

い出してしまうことがあって…(笑)。

専門性を磨き、

幅広い視野を持った

人材になるために

―LL.M.コースに興味を持って

いる方へアドバイスやメッセージを

お願いします。

二瓶 

外資系の法律事務所に身を置

いていますと、終身雇用のような働

き方は考えられませんので、常に自

分の市場価値を意識して、新しいも

のを吸収するようにしています。お

大澤 

そうですね。上司や職場には、

1年間大学院に通うので多少の業務

上の配慮をお願いしたいということ

を、しっかり伝えるべきだと思います。

二瓶 

私もあらかじめ上司に話をし

ました。受講することで事務所にど

れだけメリットがあるのかを話し

て、知財紛争案件を取り扱えるよう

になれば事務所の業務範囲の拡大に

つながるとか、そういう説得をしま

したね。あとは授業のスケジュール

を職場にも共有して、いつ不在にな

るのかなどが分かるようにしていま

した。それから、受講中は、土曜は大

学、日曜はひたすら勉強という生活

になるので、家族にも「1年間限定で

集中するから」と理解を得ました。夫

には「その間は好きなだけ週末にゴル

フをして来ていいよ」と言って(笑)。

中西 

私は大学で働いているので、

学ぶことについては寛容な環境だと

思うのですが、やはり上司や同僚に

理解してもらうのはとても大切で

す。自分の反省点としては、せっかく

職場が気持ちよく送り出してくれた

のに、気持ちを仕事モードから切り

替えられなくて、「あの案件、返事出

さないとマズいなぁ」などと思いな

がら授業を受けて身が入らないこと

があったことです。しっかり気持ち

と、自分の専門分野を持ちつつ、もう

一つ別の分野にも精通していること

が重要になると思います。研究者で

あっても、自分の軸足となる専門領

域に加えて、知的財産法の専門性を

身に付けると、キャリアパスの可能

性が広がりますし、両方の分野に越

境的に価値をもたらす人材になれる

と思います。

高林 

社会に出た後、再び大学で学

び、そこで得た知見をまた社会の中

で活用していくことによって、非常

に視野の広い、融通性のあるビジネ

スマン、弁護士、研究者になれると思

います。そういう人材を輩出したいと

思って作ったのがこのLL.M.コース

であり、結果として、キャリアアップ

にも、社会の活性化にもつながるもの

と思います。仕事を続けながら知的財

産法を体系的に学びたいと考えてい

る方々の受講を大いに歓迎します。

42019.6