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第 1 4 章 銀 河 間 物 質
1 . 概 要
宇宙にはざっと 1000 億個もの銀河があると考えられている。
1000 億個という数字を聞くと、宇宙は銀河で埋め尽くされている
ように思われるかもしれない。ところが、銀河と銀河の平均距離は
約 5 Mpc もある。銀河の平均的なサイズは 10 kpc 程度なので、
じつは宇宙空間は空っぽに近い。
では、どのぐらい空っぽなのだろうか? まず、大気を考えてみ
よう。空気中の 1cm³あたり分子が約 1016 個存在する。大気圏を飛
び出すともうそこは宇宙である。隣の星まで行くのに光の速さでも
4年かかるおそろしいほど何もない。それでも銀河系内の星間空間
にも物質は存在する(第 13 章)。星間空間のガス密度はおよそ 1cm³
あたり原子数個である。銀河系円盤の外側まで行くと、そのガス密
度はさらに 1/100 になる。そして銀河系を飛び出すと、もはやそこ
でのガスの平均密度は 10- 5 個 cm—3 ほどでしかない。空気と比べる
と、まさにそこは空っぽといってもよい空間であることがわかる。
この果てしなく薄いガスの広がる銀河と銀河の間の空間のこと
を銀河間空間と呼び、そこに存在する物質を銀河間物質 (inter
galactic medium、 IGM)と呼ぶ。一般に、銀河間物質からの光の放
射はきわめて弱く、その検出は難しい。しかし、本章で述べるよう
に、クェーサー吸収線と呼ばれる「影」という形で、そこに確かに
物質があることを我々は知っている。天文学は長い間、光り輝く星
や色鮮やかな銀河を主な研究対象にし、銀河間空間についてはほと
んど注目してこなかった。しかし最近になって、宇宙全体の進化を
考える上でこの空間にある物質が、非常に重要な役割を果たしてい
たことが認識され始めてきた。
昔の宇宙、すなわち、まだ現在ほど銀河や星がなかった時代には、
空っぽという言葉が似合わないほど、バリオンの大部分はこの銀河
2
間空間に存在し、無数の小さなガス雲が宇宙空間に漂っていた。細
い糸状あるいは薄いシート状になって宇宙に広がり、巨大なネット
ワークを作り上げている銀河間物質は、銀河の重力に引き寄せられ、
銀河内で星を作るための新鮮なガスを絶え間なく供給しているの
ではないかというシナリオも提起されている。逆に、銀河内からは、
銀河風によって銀河間空間へ物質、特に重元素の放出があったこと
はほぼ間違いなさそうだ。銀河は広大な宇宙空間の中で決して孤立
した存在なのではなく、絶えず周囲の空間と物質の交換を行ってい
るかもしれないのだ。こうした新しい宇宙の描像は、天文学者たち
の関心を集めてきているが、銀河と銀河間物質の相互進化を理解す
るのを一層難しくしている。
銀河間物質の中でも比較的大きなガス雲はまさに星が爆発的に
誕生する前のガスの貯蔵庫と目され、また宇宙初期にはこの銀河間
空間自体のイオン化状態が劇的に変化した時代があったと考えら
れている。これらの出来事は、銀河そのものの形成を考える上で必
ず理解しなければならない問題になっている。今や、空っぽだと思
われた銀河間空間に存在するわずかな物質こそが、宇宙の謎を解く
鍵ではないかと、熱い脚光を浴びている。
2 . ク ェ - サ - 吸 収 線 系
2- 1 概 要
クェーサー吸収線系とは、遠くにあるクェーサー(12 章参照)か
らの光が観測者に届くまでの間に、視線上にある物質によってクェ
ーサーのスペクトル上に生じる一連の吸収線の総称である。これら
は、図 14-1 に示すように、銀河間空間にあるガス雲が背後からや
ってきたクェーサーの光を吸収することで生じる。吸収線の波長は,
ガス雲を構成する原子の種類とその電離状態、およびガス雲の赤方
3
偏移で決まり,吸収線の強さはガス雲がそこに大量に存在すれば大
きくなる。
ガス雲の量は柱密度 (column density) という観測量で測定さ
れる。柱密度とは、視線方向に積分して得られる密度のことである。
例えば、水素原子の柱密度 N H は次式で定義される。
𝑁! = 𝑛! 𝑑𝑙
[注 : 式 の 中 の H は ロ ー マ ン に し て く だ さ い ]
ここで n H は水素原子の数密度(cm-3)である。視線に関して積分
するので、柱密度の単位は cm-2 になる(今の場合、単位面積当たり
の水素原子の個数)。
クェーサー吸収線系の場合、クエーサーと我々を結ぶ視線上にあ
るガス雲中の原子や依存などの柱密度に応じてクェーサーのスペ
クトル上に吸収線を作ることになる(図 14−1)。
銀河間物質は多くの場合、“光”を放射していないので、その存
在すら観測するのが難しいが、クェーサー吸収線を使えば“影”と
してその存在を知ることができる。
図 14-1: クェーサースペクトル上に吸収線系ができる概念図。遠
くにあるクェーサーから放たれた光は、途中銀河間空間を通過する
際に、そこにある物質によって一部が吸収される。クェーサーと
我々を結ぶ視線上にあるガスの種類、量、距離に応じて、クェーサ
4
ーのスペクトル上に様々な吸収線を作ることになる。この吸収線
(=影)を調べることで、光を放射しない銀河間物質の様子がわか
る。
次節で詳しく述べるが、クェーサー吸収線系は、中性水素による
吸収線と金属による吸収線に大別される。前者は、柱密度によって
大きい方から順に、減衰ライマン・アルファ吸収線、ライマン・リ
ミット吸収線、そしてライマン・アルファの森に分類される(図
14-2 参照)。
宇宙に最も多く存在する元素は、最も軽くて簡単な元素である水
素だが、イオン化(電離)していない基底状態にある水素原子のこと
を中性水素(対語は電離水素)と呼ぶ。この章では特に断らない限
り“水素”は中性水素を指す。現在の銀河間空間にある水素のほと
んどは電離しているが、ところどころに中性水素ガスの雲が浮かん
でいる。中性水素によるクェーサー吸収線系の宇宙における存在比
を調べてみると、図 14-3 に示したように柱密度 10 桁にわたって1
つのべき関数で表されることがわかっている。
図 14-2: クェーサー吸収線系の種類。クェーサーのスペクトル上
に吸収線系がどのようにあらわれるかを示す。 (Michael Murphy,
University of Cambridge)
5
図 14-3: クェーサー吸収線系の分布関数。横軸に吸収線の柱密度、
縦軸にその頻度を示す。密度の低い(系の質量が軽い)ものほど存
在比が大きいという傾向は銀河と同じ。しかし柱密度 1012 から 1022
個 cm−2 までの 10 桁にわり、ほぼ1つの直線に乗っていることがわ
かる。
(Tytler 1987, ApJ, 321, 49 より)
これらの吸収線の密度、金属度、速度などの測定から、銀河間物
質の物理状態・化学状態および進化、銀河外縁部ハローの状態およ
び進化、クェーサーのごく近傍でのガスの物理状態、背景紫外線放
射、大規模構造の進化などがわかる。
クェーサー吸収線系の観測は、その背後にある天体からの光を用
いて、自ら光輝くことのない銀河間物質の様子を調べるというユニ
ークな手法だが、銀河間物質だけでなく他の天体に応用される場合
も多い。例えば、クェーサー中心から放射圧によって吹き飛ばされ
たガス雲が幅の広い吸収線として観測されることがある。このよう
な観測からはクェーサー自身の活動性についての情報が得られる
(第 12 章 )。
6
クェーサーは宇宙でもっとも明るい天体の1つであるために背
景光源としての役割を果たし、はるか遠方(現在では赤方偏移 7)ま
での宇宙空間の情報を得ることができる。近年では明るい背景光源
という意味でクェーサーだけでなく、ガンマ線バースト(7 章参照)
も同種の手法が応用され、その視線上にある銀河間物質についての
観測が進められている。クェーサーやガンマ線バーストに比べて 2
桁ほど暗い銀河は、背景光源としては使えないが、将来的にもっと
大きな望遠鏡ができれば応用できると期待されている。
2- 2 減 衰 ラ イ マ ン ・ ア ル フ ァ 吸 収 線 系 (D L A )
クェーサー吸収線系の中で 1020 . 3 個 cm—2 よりも大きな水素の柱密
度を持つ天体を、減衰ライマン・アルファ吸収線系(Damped Lyman
Alpha system; 以下 DLA と略する)と呼ぶ。吸収量が大きい水素の
ライマン・アルファ吸収線(電子の主量子数 n=2 から 1 に落ちる遷
移を表し、水素の場合は波長 121.6nm で紫外域にある。)ではその
減衰翼(吸収線の裾野に見られる輪郭)が卓越しているためにこの
名前がついている。クェーサーのスペクトル上に大きな吸収線とし
て現れるので、十分遠方にあってもその吸収線は識別しやすい。
DLA は高い中性水素の柱密度を持つが、これは我々の銀河系、あ
るいは他の銀河の持つ典型的な量とほぼ同程度である。このことか
ら DLA は水素ガスの吸収線としか観測されないが、銀河と何か密接
に関係があると考えられている。特に遠方宇宙における DLA はどう
だろう?星はガスから生まれる。密度の高いガスの塊があれば、い
ずれはそこから大量に星が生まれて銀河になる。そう考えると、遠
方宇宙における DLA は、銀河になる前のガス雲である可能性がある。
その場合、形成途上の銀河の性質を調べることができることになる。
DLA は水素の吸収線として検出されるが、それに付随する金属吸
収線も同時に検出される場合がある。このような場合には、そのガ
ス雲の金属度やガスの運動についての情報も得られることになる
7
ので、そのガス雲の中で、どのような星形成活動が行われているか
がわかる。DLA の金属量は、同時代の銀河に比べるとずっと低いが、
ライマン・アルファの森のそれよりも高く、また宇宙年齢とともに
緩やかに増大する傾向がみられる。この結果は、DLA 内部での局所
的な星形成によるものだと考えられている。
DLA と銀河の関係を探るためには、DLA に対応する銀河を直接検
出することが望ましいが、実際には非常に難しい。背後にある明る
いクェーサーの光が明るすぎて、そのごく近くにある、しかも暗い
銀河を検出しなければならないからである。それでも、80 億光年
以内(z<1)にある数十個の DLA については、対応する銀河が見つか
っている。
中性水素原子の柱密度が銀河系とほぼ同程度であることから
DLA には円盤銀河が対応するのではないかと考えられていた。しか
し、実際に直接検出された銀河は、楕円銀河、円盤銀河、不規則銀
河、とその形態はばらばらである。100 億光年以上の遠方において
もライマンブレーク銀河(5 章)などの遠方銀河との類似性や相違
点などが探られ始めているが、いまだにその正体は謎のままである。
2- 3 ラ イ マ ン ・ リ ミ ッ ト 吸 収 線 系 (L L S )
水素の柱密度が 1017 個 cm—2 よりも大きく、1020 . 3 個 cm—2 よりも小
さな吸収線をライマン・リミット吸収線系(Lyman limit system;
LLS)とよんでいる。ライマン・リミットとは、基底状態にある水
素原子を電離させるのに要するエネルギーに相当し、波長では
91.2 nm の紫外線に相当する。101 7 個 cm— 2 よりも柱密度が高いと、
このエネルギーを持つ光はほぼ完全に通過できなくなる。
この種族のガス雲が、これよりも柱密度の高い DLA とどのような
関係にあるのかは議論の的となっている。例えば、次のような説が
提案されている。
・ DLA よりも質量の軽いガス雲
8
・ DLA がある程度星形成を起こしてガスが減少した状態
・ DLA の外縁部のややガスの薄い部分を見ている
しかしながら、今のところ結論は出ていない。
2- 4 ラ イ マ ン ・ ア ル フ ァ の 森
水素の吸収線系の中でもっとも柱密度の低い(<1017 個 cm—2)も
のがライマン・アルファの森(Lyman α forest)と呼ばれる吸収線
群である。吸収線がスペクトル上で森のように密集(図 14-4)し
ていることからこの名前がついている。ライマン・アルファの森の
発見によって,銀河間空間には,中性水素ガスが雲のような固まり
となっている銀河間雲として存在していることがわかった。ライマ
ン・アルファの森の吸収線の幅や深さを測ることにより、銀河間雲
の質量は 107-108 M☉ であることや、吸収線の数を数えることによ
り、銀河間雲は銀河の数の 1000 倍程度存在していることがわかっ
てきた。
このような軽いガス雲の候には、以下のようなものがある。
(1) 冷たいダークマター(4 章参照 )に基づく密度ゆらぎの成長を
考えた時に、もっとも低質量、もっともスケールの小さな密度ゆら
ぎをもつガス雲
(2) 冷たいダークマターの重力に支えられたガス雲
(3) 周囲の熱くて薄いガスの圧力によって支えられているガス雲
これらは、これから銀河に成長していくか、あるいは銀河になりそ
こねたガス雲と考えられている。
ライマン・アルファの森の金属量は DLA よりも1桁小さい。また
宇宙空間でほぼ一様に分布していることがわかっている。
クェーサーの近傍(<数 Mpc)では、局所的な紫外光が強いため
に、ガス雲内の中性水素はイオン化され、ライマン・アルファの森
の数が減る。この効果は近接効果(proximity effect)と呼ばれてい
る。
9
図 14-4: 近くのクェーサーのスペクトル(上図)と遠くのクェーサ
ーのスペクトル(下図)。遠くのクェーサーのスペクトルの左側(波
長が短い方)に数多く見える吸収線が、ライマン・アルファの森。
2- 5 金 属 吸 収 線 系
クェーサー吸収線系の中には水素以外の元素が吸収線を作る場
合があり、このような場合をまとめて金属吸収線系と呼んでいる。
それは銀河をとりまくハロー(6 章 )に存在する金属を見ている、と
考えられている。銀河の明るく輝く星成分を視線が貫く場合もある
が、薄いガスからなる銀河ハローはそれ以上に大きく広がっている
ので、確率的にこのハロー起源の金属線が多くなる。
この系における重元素(水素とヘリウム以外の元素)の量は太陽
組成の約 1/10 である。星間ガスの中から生まれた星の中で重元素
は作られ、再び星間ガスにばらまかれる。こうしたサイクルを繰り
返すことで宇宙の化学進化(5 章)が進んだと考えられているが、
10
星形成のない銀河間空間にも重元素が見つかるのはなぜだろう。銀
河風(5 章 )がこれに大きな寄与をしたと考えられており、銀河の外
縁部ハローに見つかる金属線は、このような銀河風、宇宙の化学進
化という意味で、着目されている。
これまでにもっとも詳しく調べられている金属吸収線は炭素と
マグネシウムである。いずれもその振動子強度の大きさから検出
が容易であり、また 2 重共鳴吸収線(ある励起エネルギー準位か
ら、中間準位を経ることなく直接遷移して、放出及び吸収の両方
の形で現れるスペクトル線)であるため信頼度の高い同定が可能
である。銀河ハローのこれらのガス雲の構造は複雑で、炭素など
による吸収線とマグネシウムによる吸収線の起源を、同じガス密
度・温度・電離状態・元素組成を持つガス雲で同時に説明するの
は難しい。前者はハロー全体に広がる高温ガスに対応し、後者は
銀河円盤あるいはハローに存在する局所的な星形成領域のような
ものに対応する。ただし実際には、このような静的なハローだけ
ではなく、銀河風、銀河の衝突、あるいはそれらの効果で金属汚
染された銀河間物質など、さまざまなケースに対応する場合があ
ると考えられている。
2- 6 宇 宙 紫 外 線 背 景 放 射
銀河間雲は周囲から紫外背景放射によって照らされ暖められて
いる。この紫外背景放射は、クェーサーや銀河から放射された紫外
放射の重ね合わせとであり、ほぼ一様に存在している。したがって、
この放射強度は、放射源であるクェーサーや銀河の数の変化や個々
の放射量の変化などによって変わりうる。特に観測されているクェ
ーサーの数は赤方偏移 2 あたりで最大であり(12 章 )、この時代以
前では銀河からの全放射量の方が卓越するという報告もある。また
これらの放射源であるクェーサーや銀河が宇宙の大規模構造の中
11
にいることを考えれば、こうした背景放射も決して空間的に一様で
はないことが推測される。
この宇宙紫外線背景放射の変化に伴い、銀河間雲の物理状態も変
化する。放射が増えればガス雲の温度は上昇して、膨張し始める。
また、同時に水素のイオン化も進むため、中性水素の柱密度は減少
する。この宇宙紫外線背景放射を測定することで銀河間物質の性質
や進化がわかる。一方、銀河間物質を調べることにより、背景放射
の放射源となっているクェーサーや銀河の進化の謎が解けること
にもなる。このように「光」と「影」はここでも密接に結びついて
いる。
3 . 銀 河 間 空 間 の 金 属 汚 染
これまで見てきたように、銀河間物質は、その現場に顕著な星形
成活動が見られないにも関わらず、わずかながらも重元素を含んで
いる。銀河内で作られた重元素が、超新星爆発、ないしは銀河風に
よって銀河の遠く外側、銀河間空間まで運ばれた、とその起源を考
えるのが一般的である。
銀河間空間における金属量密度の進化(化学進化)は金属吸収線
系、特に遠方まで観測可能な炭素の吸収線をもとに調べられている。
その結果は驚くべきことに赤方偏移 6(127 億年前)付近までほとん
ど進化していない、つまり、かなり昔に銀河間空間は十分に金属汚
染されたことがわかっている。
最近になって、赤方偏移 6 を超えるあたりで、その金属量密度の
減少が見られるという報告もあり、宇宙初期の急激な金属汚染が進
んだ兆候を見ている可能性がある。銀河自身の金属量と化学進化に
ついては 5 章を参照されたい。
4 . 銀 河 間 空 間 と 環 境
12
これまでは一般的な銀河間空間における物質・ガス雲について述
べてきたが、局所的な宇宙空間には特筆すべき銀河間物質が存在す
る。ここでは、銀河団ガスと銀河系近傍で見つかっている銀河間ガ
スについて述べる。これらはいずれも、銀河の形成や進化における
環境、銀河同士の相互作用、あるいは銀河風といった銀河の活動性
と密接に関係している。
4- 1 銀 河 団 ガ ス
銀河団(3 章 )中の銀河間空間には大量の銀河団ガスが存在する
ことがわかっている。このガスは数億 K という非常に高温のガスで
あり、ほとんどの原子は高電離状態のプラズマとして存在している。
そのため、熱制動放射による強い X 線を放射している。このガスの
質量は銀河団銀河の総質量の約 5 倍に相当し、銀河団中の目に見え
る物質(バリオン)の大半を占める。銀河団ガスは重力的な平衡状
態(ビリアル平衡)に近いことが知られており、ダークマターによ
って重力的に束縛されているため、高温になっている。高温の銀河
団ガスを持つ銀河団はそれだけ力学的質量が大きいということで
ある。
銀河団の外側から銀河団へと落ちてくるガスは衝撃波を形成し、
重力エネルギーを熱エネルギーへと変換しガスが加熱される。衝突
を起こしたと思われる銀河団では、平衡状態の温度よりも温度が高
い領域が観測され複雑な温度構造を示すが、ほぼ平衡状態に達して
いる銀河団ではガスの温度構造は比較的なめらかである。
銀河団ガス中には、そこに含まれる重元素が観測されているが、
代表的な元素は鉄である。銀河団ガスに含まれる鉄の質量と銀河内
の星に含まれる鉄の量はほぼ同程度であり、銀河における超新星爆
発により放出された鉄の一部が銀河団空間に存在していることに
なる。仮に銀河内の超新星爆発によって星間空間に鉄が放出された
としても、銀河の重力エネルギーによって銀河内にとどまるはずな
13
のになぜ銀河間空間に鉄が存在するのだろう?その理由としては
1)活発な星形成銀河からの銀河風によって吹き飛ばされた、2)
銀河が銀河団ガス中を運動する間にその圧力によってガスがはぎ
取られた、などのメカニズムが考えられている。
図 14-5: エーベル 2256 銀河団の X 線画像。雲のように淡く広がる
成分が銀河団ガス、白い点おように見えるものが銀河団銀河である。
ここでは、大小二つの銀河団が、秒速約 1500km という高速で衝突
している、と考えられている。 (JAXA)
銀河団中心部は密度が高いため、多くの X 線を放出しエネルギー
を失う。この結果、銀河団中心部でガスは冷えて圧力が下がり、そ
のため周囲からの圧力を支えることができなくなり、ガスは中心部
に向かって冷えながらどんどん流れ込むようになると考えられる。
これを冷却流(クーリングフロー、cooling flow)と呼ぶ。しかし、
こうして流れ込んだガスは星や分子ガスになっているはずなのに、
実際の銀河団中心で観測される星形成率(5 章参照)や分子ガス量
はずっと小さい。また X 線衛星の観測からも、予想されるような冷
14
えたガスの存在が否定されている。この問題を解決するためには銀
河団中心には何らかの加熱源が必要だと考えられるが、まだ特定さ
れていない。クーリングフロー問題は、銀河団研究において未解決
の問題となっている。
銀河団ガス中の高温プラズマは宇宙マイクロ波背景放射(1章)
に影響を与えることが知られている。宇宙マイクロ波背景放射の光
子が銀河団を通過するとき、銀河団内の高エネルギー電子に散乱さ
れ、エネルギーをもらう。これは逆コンプトン散乱(inverse
Compton scattering)と呼ばれる現象である。これにより宇宙マイ
クロ波背景放射のスペクトルはやや高エネルギー側にシフトする。
これをスニヤエフ・ゼルドビッチ効果(Sunyaev-Zel’ dovich
effect、SZ 効果)と呼ばれるが、実際に銀河団の方向で観測されて
いる。X 線観測と合わせることにより、ガスの密度・温度・大きさ、
さらには銀河団までの距離を評価することができるので、宇宙論パ
ラメーターの決定にも応用されている。
4- 2 銀 河 系 近 傍 の 銀 河 間 ガ ス
これまでの解説によって銀河と銀河の間には何もないわけでは
なく光では検出できない主に水素からなるガス雲があることが理
解できただろう。それらは宇宙初期から存在したものもあれば、銀
河同士の相互作用、あるいは銀河から吹き飛ばされたものもある。
では、我々の銀河系の周囲の空間ではどうだろう。これほど近い宇
宙空間ともなると、中性水素ガス雲からの電磁波(波長 21cm に放
射される超微細構造輝線:13章)を直接検出することができる。
6 章で見たように、銀河系の回転曲線や渦巻構造などもこの銀河内
の中性水素ガスの放射する波長 21cm の電波を用いて研究が行われ
ている。
この電波観測によって、銀河系の外側には、明らかに銀河の回転
には従わない、高速で運動する高速ガス雲(high velocity cloud、
15
HVC)がいくつか見つかっている(図 14−6)。その代表格は、大小
マゼラン雲(6 章 )をすっぽりと覆うほど長くて巨大な高速ガス雲
であり、マゼラン雲流(Magellanic Stream)と呼ばれている。マゼ
ラン雲流については銀河系と大小マゼラン雲の潮汐作用がその成
因と考えられている。しかし、銀河系周辺に存在する高速ガス雲の
起源は統一的に理解されているわけではない。
図 14-6:電波観測で見た銀河系周辺の中性水素ガス雲の分布。図の中央が
銀河中心、そこから左右に銀河円盤が広がっており、その上下にあるのが
高速ガス雲である。
16
5 . 初 期 宇 宙 に お け る 銀 河 間 ガ ス
ビッグバン直後の初期宇宙では宇宙空間の物理状態が現在とは
全く異なると考えられている。現在の宇宙空間において水素は完全
に電離しているが、初期宇宙ではそうでなかった。宇宙初期のある
時代に銀河間物質は中性状態から電離状態へ大きく変換したので
ある。この宇宙史の一大転換期とも呼べるべき時代の銀河間物質と
それをとりまくトピックスについて以下にまとめる。
5- 1 宇 宙 の 暗 黒 時 代
ビッグバン後、高温・高密度の宇宙では陽子と電子はばらばらで
自由に飛び回っている「電離状態」だった。宇宙は膨張を続け、火
の玉状態からどんどん冷えていく。宇宙の年齢が 38 万年の頃、宇
宙の温度は約 3000K になり、陽子と電子は再結合し、水素原子にな
る。このとき、宇宙は完全に中性化した。しかし、この段階では星
はまだ一個もできていない。宇宙で最初の天体である初代星、種族
III 星 (7 章参照)が誕生するのは、宇宙年齢が数億歳の頃である。
したがって、宇宙の再結合期から初代星の誕生までの間は、星が一
つもないので、宇宙は暗黒になっている。そのため、この時期は宇
宙の暗黒時代(dark age)と呼ばれている。天体が存在しないためこ
の時代を実際に観測するのはきわめて困難である。
5- 2 宇 宙 再 電 離
宇宙で最初の天体、種族 III 星から放射されるエネルギーによっ
てその天体の周囲にあった中性水素はどんどん電離されていく。こ
の現象のことを宇宙の再電離(cosmic reionization)と呼んでいる。
宇宙の大部分が中性水素に満ち溢れた時代に生まれたこうした天
体の周囲には、その光のエネルギーに応じた大きさの電離された水
17
素がとりまく。こうした電離水素の光芒のことを「電離水素の泡」
あるいは「宇宙論的 HII 領域」と呼んでいる。しかしまだまだ宇宙
全体の中性水素の量が多く、初代天体の作り出す HII 領域の割合は
少ない。
1つ1つの天体の周りに形成されていた電離水素の泡は、やがて
お互いに重なり合っていき、宇宙における電離水素の割合をどんど
ん増やしていく。特に天体が数多く密集しているような場所では、
こうした重なりが効率的に行われると考えられる。やがてこうした
光芒が宇宙を占拠するようになり(宇宙の再電離の完了)、現在の
宇宙空間ではほぼ 100%水素は電離されている。
宇宙再電離に貢献したのは、宇宙初期に誕生した初代星や初代銀
河であったと考えられているが、いつの時代に、どの天体が、どの
程度再電離を起こしたかについては観測的にわかっていない。強力
な電磁波を放つ初代クェーサーもある程度貢献したと考えられる
が、その個数密度からは寄与は少ないと考えられている。
図 14-7: 初期宇宙の歴史。約 130 億年前には再電離の時代、それ
以前には暗黒時代があった。再電離の時代には銀河間空間が中性状
態から電離状態へと大きく変化を遂げた。
18
5- 3 ガ ン ‐ ピ - タ - ソ ン 効 果
宇宙再電離の時代には中性水素ガスが宇宙空間に薄く広がって
存在している。この様子を観測的に検出する方法はいくつか考えら
れているが、その中で代表的なものがガン・ピーターソン効果であ
り、ジェームズ・E・ガン(James Edward Gunn)とブルース・ピー
ターソン(Bruce Peterson)によって 1965 年に予言されたものであ
る。
宇宙空間に断片的に存在する中性水素ガス雲によって、クェーサ
ー吸収線系が断続的にクェーサーのスペクトル上に現れたのに対
し、ほぼ一様に広がる再電離時期の中性水素ガスによってクェーサ
ーのスペクトルはほぼ連続的に吸収される。この現象をガン・ピー
ターソン効果と呼び、連続的に吸収された波長帯のスペクトルを
「ガン・ピーターソンの谷(Gunn-Peterson trough)」と呼ぶ。
この特徴を示す遠方クェーサーは長らく見つかっていなかった。
しかし、1998 年に始まったスローン・デジタル・スカイサーベイ
(SDSS)( 3 章)によって、 赤方偏移 6 付近のクェーサーが多数見
つかるようになり、ガン・ピーターソン効果を示すと思われる連続
的な吸収域が発見されるようになった。これらは再電離期のクェー
サーではないかと考えられている。逆に、我々の近くの宇宙ではガ
ン・ピーターソン効果が見られない。このことは現在の銀河間空間
における水素原子はほぼすべて電離していることを示している。
19
図 14-8: 非常に遠方のクェーサーのスペクトル(下の図)と、も
う少し近いクェーサーのスペクトル(上の図)との比較。不連続の
位置(上の図で Lyαの記号で示されている)のすぐ左側部分の強
度が、下の図ではその部分(矢印)で光が完全に吸収されているの
がわかる。これがガン・ピーターソンの谷と呼ばれるものである。
(SDSS)
これまでのガン・ピーターソン効果の観測によって以下のことが
示唆されている。
(1) 赤方偏移 6 のあたりで宇宙空間における残存中性水素量は 10-3
程度、すなわちほとんど電離している。
(2) 赤方偏移 5.7 に相当する 126 億年以前で急速に再電離が進んだ。
(3) 個々のクェーサーによってガン・ピーターソンの谷の量がまち
まちであることから、再電離の進行は空間的に非一様であった可能
性がある。
特に(3)は電離源、すなわち中性水素を電離させる強い光エネル
ギーを放射する天体が、当時非一様に分布していたことを示唆して
いる。宇宙初期に大規模構造がどう形作られていったのか、という
観点でも興味深い観測結果である。
20
このようにクェーサー吸収線系の観測でも、現在観測されている
遠方の銀河と同程度の宇宙論的距離まで見通して観測できる。した
がって、宇宙全体におけるバリオンの進化の系統的な研究において、
銀河(光)と銀河間空間(影)はまさに両輪の役割を果たしてくれ
るのである。