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大田の崖 羽咋川
河口
羽咋市街
羽咋川
子浦川
釜屋
⼤⽥の崖探訪記 2015 年 12 ⽉ 17 ⽇ 次場町 迎
【記憶にある⼤⽥の崖】
⼩学⽣の頃、⽻咋川の釜屋側河⼝付近にあった野菜畑に連れて⾏って貰ったとき、
釜屋⽅⾯に⾒えた⼤きな砂地の斜⾯が⼤⽥の崖であった。家路につく時も⼤⽥の崖
を眺めながら、⾏ってみたいと思ったことを覚えている。中学時代、⾼校時代にな
ると⼤⽥の崖はアベックが⾏く処とか何やら秘密めいた噂話を聞くばかりで近寄り
難く、結局は⾏かず仕舞いとなった。当時、⼤⽥の崖は下半分が急勾配、上半分が
緩やか勾配の 2 段傾斜に⾒えたが、歩いて斜⾯を登れたのかは定かではない。
【昭和 22 年 11 ⽉ 13 ⽇の⽶軍撮影空中写真】
当時の写真を所有していなく、
ネット検索で昭和 22 年⽶軍
撮影の空中写真を⾒つけた。
写真では⼤⽥の崖は三⾓形状
に⾒えるが、傾斜の度合い迄
は分からない。また、崖下の
湖沼は⽻咋川の岸辺近くから
続く⾒事な三⽇⽉湖形状であ
ったことが分かる。
【⼤正 9 年(1920 年)⽻咋川】
ネットで⼤正 9 年(1920 年)
の⽻咋市街図を⾒つけた。地
図を前述の航空写真と⽐較す
ると、⼤⽥の崖下の三⽇⽉湖
沼は、当時の⼤きく蛇⾏して
いた⽻咋川と完全に重なる。
⽻咋川は昭和初期?に⼤幅な
⽔路変更⼯事が⾏われ、⼤⽥
の崖下の湖沼は取り残された
河跡湖であったことが分かる。
2
【大田の崖探索】
今年の 9 ⽉ 27 ⽇、⻑年の謎であった⼤⽥の崖を訪れたが、⽻咋川の河⼝付近に⼊
る術が分からず、残念ながら記憶にある原⾵景と重ねることができなかった。次に
崖上と思われる道路から下斜⾯を⾒ると、びっしりと雑草が⽣い茂っていた。また
崖下の湖沼は⼩さく衰退しており、岸辺から湖⾯にかけて蓮と思われる⽔⽣植物が
群⽣していた。対岸には 10 ⽻ほどのサギが⽻を休めており、どうやらサギの⽣息
地になっているようであった。
『崖上の道路』 『道路から⾒た湖沼』
『蓮の群生』 『さぎの生息地か』
【釜屋側にも砂崖】
当時、⼤⽥の崖の裏にあたる釜屋側にも⾼さ 10m 近い急傾斜の砂崖があった。砂
崖は釜屋の道路に隣接した広い砂場の奥にあり、リヤカーで砂を貰い受けに⾏った
時、砂崖で遊んだが 2-3m しか登れなかったと記憶している。
3
【1975 年国⼟交通省撮影】
Wikipedia で国⼟交通省撮影の空中写真『Hakui city center area 1975』を⾒つけ
た。写真には⼤⽥の壁の全体像が写っていないが、⼤⽥の崖の特徴である三⾓形状
が崩れかかっている様に⾒える。
【2014 年 Google Map】
⼤⽥の崖の位置関係を知るため、Google Map を前述写真と同サイズに切り出して
みた。⼤⽥の崖上の道路と思っていた位置は崖下であり、⼤⽥の崖は住宅地として
造成され、跡形もなくってしまっている。
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【約 370 年前の⽻咋川】
⽯川県⽴図書館所有の『能登国四郡絵図』(1647 年作成) では⾢智潟に繋がる⽻咋
川と周辺集落の地名が描かれている。絵図では⽻咋川の川幅は約 87m(深さ約
60cm)と記述があり、現在の川幅と近似している。しかし河川⽔路は⽻咋川河⼝
までほぼ直線的で描かれており、⼤きな蛇⾏は⾒られない。
絵図には『⽻喰村』『塵濱村』の旧名⽂字の記載も⾒える。
『能登国四郡絵図』 『⽻咋川付近拡⼤』
【⼤⽥の崖形成】
⽻咋市発⾏の地理的史跡調査によると、⽻咋川の上流
にある⾢智潟は、⽻咋の海と呼ばれる⼊り江であった
が、海岸砂丘の発達に伴い河⼝部が埋没し海跡湖とし
て形成された。当初、⽻咋川の河⼝は眉丈⼭丘陵近く
であったが、弥⽣時代には現在位置に移動したとある。
⽻咋地区の地盤は堆積した海岸砂丘であり、⼤⽥の崖
は⽻咋川洪⽔による砂⼭浸⾷で形成されたと考えら
れる。
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【地名としての⼤⽥の崖】
⼤⽥の崖をキーワードにネット検索したが
関連する地図、写真、資料は殆ど⾒つけ出
す事はできなかった。唯⼀、⽻咋市発⾏の
⽤途地域地図に「⼤⽥のがけ」が⼩さく明
記されている。しかし⼤⽥のがけ位置は、
本来の位置ではなく、湖沼の対岸を指して
いるように思える。⼤⽥の崖の地名はいず
れ消滅してしまうのだろうか。
【空中写真】
第九管区海上保安本部撮影の⽻咋漁港「平成 22 年 11 ⽉ 8 ⽇」写真から⼤⽥の崖
周辺を切り出した。約 5 年前となる写真であるが、湖沼の岸辺や湖⾯には雑草や蓮
の群⽣が⾒られなく、僅かであるが砂地までもがハッキリ確認できる。
【あとがき】
⼤⽥の崖は空中写真を⾒るまで、⽻咋⼯業⾼校のグランウド奥に位置しているとは
知らなかった。現在の⼤⽥の崖は⾯影どころか跡形もなく、新たな基幹道路や公園
が建設され、懐かしの原⾵景は無くなってしまった。利便性と引き換えに⾃然が消
滅していくのは致し⽅が無いが、故郷を離れている者にとっては物悲しい⼀⾯もあ
る。余談であるが、⽻咋浄化センターの住所が⽻咋市⽻咋町と、今も⽻咋町の町名
があることを知った。