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- 79 - 第Ⅱ部 1 5 号(新年号) 淵藪春秋 (十五) -------- 齋藤幽谷 80 近詠抄 ------------------諸 家 84 短 歌「黒 葡 萄」 -----堀井妙泉 87 作 品「冬 温 し」 -----井本光蓮 88 作 品「長 夜」 ---------齋藤幽谷 88 作 品「啄 木 鳥」 -----丸川春潭 89 自詠歌自解 -------------- 堀井妙泉 90 1 私の印象句 ---------------諸 家 91 合掌俳壇 -----------------諸 家 92 句会だより ---------------------- 97 編集部便り ---------------------- 99

第Ⅱ部 第1 5号(新年号)- 81 - 而して「曲水」より人間禅の初期の先輩の物故なされました句を少し挙げ ますと 畦焼きて冷たき諸手炙りけり

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Page 1: 第Ⅱ部 第1 5号(新年号)- 81 - 而して「曲水」より人間禅の初期の先輩の物故なされました句を少し挙げ ますと 畦焼きて冷たき諸手炙りけり

- 79 -

第Ⅱ部

第 1 5 号(新年号)

淵藪春秋 (十五) -------- 齋藤幽谷 80

近詠抄 ------------------ 諸 家 84

短 歌「黒 葡 萄」 ----- 堀井妙泉 87

作 品「冬 温 し」 ----- 井本光蓮 88

作 品「長 夜」 --------- 齋藤幽谷 88

作 品「啄 木 鳥」 ----- 丸川春潭 89

自詠歌自解 -------------- 堀井妙泉 90 101

私の印象句 --------------- 諸 家 91

合掌俳壇 ----------------- 諸 家 92

句会だより ---------------------- 97

編集部便り ---------------------- 99

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淵 藪 春 秋(十五)

齋 藤 幽 谷

賀 春

新年あけまして大慶に賀しあげます。

御蔭さまを以ちまして俳林は十五号を出すまでになりました。これには編

集長林玄妙氏を筆頭に編集部員諸兄の尽力と、亦坐忘会の大熊蕉山氏の蔭

の力も大いなるものがありました。そして毎号欠詠なき総裁老師はじめ各

位の真摯なる御投句に依ることは申すまでもありません。

年が明けて元旦になりますと云うまでもなく昨日までの年の瀬の喧騒

が嘘のように静まり家の内外に気分が改まります。徒然草にも「かくて明

けてゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへてめづら

しき心ちぞする。大路のさま、松立てわたして、花やかにうれしげなるこ

そ、またあわれなれ」と兼好法師も書いている。芭蕉も亦、「許六云ふ、翁

曰く、歳旦一句の外はせぬ事なりと。また曰く、歳旦といふは、元旦明け

わたりたる時の事也。大方歳旦の句にてはなしと宣へり。また芭蕉はこう

も云うている。「土芳云ふ、年の松年の何などと近年歳旦に用ふることあり、

いかがと尋ね侍れば、翁曰く、達人の業にあらず、論に及ばず。去年こと

し春季なり、当年といふことも季に心をなさばなるべしと也。と云ってい

る。

渡辺水巴の高足であった横浜の俳人鈴木頑石翁の句に「古句読めば金鈴

ひびく夜寒かな」の名句があります。何故か自分もこの句の通り大正、昭

和(戦前)の古い俳誌を読みます。正月の新聞は嵩かさ

ばかりで内容は余り面

白くない。元日は老人にとっては無聊である。古い俳誌は追い追い集めた

もので、珍しいのは昭和十年頃の樺太氷下魚こ ま い

吟社の合本や同年頃の北京よ

り発行されていた「春聯」、国内では、蘆屋市の「鹿笛」、東京市からは「糸

瓜」山梨からは「雲母」、それに昭和二十一年からの「曲水」これらが大き

なブリキ内張の茶箱に入れてあるのを元旦に順次出して読むわけである。

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而して「曲水」より人間禅の初期の先輩の物故なされました句を少し挙げ

ますと

畦焼きて冷たき諸手炙りけり 芹川春山

初詣日向の宮の石蕗の花 中村義堂

赤き月松にありけり初詣 浜田圭巌

若水の点茶さばきや大振りに 柴田泥牛

真白き巫女の手渡す破魔矢かな 小沢荷風

霜強し淡き月下を登校の子 内藤とし

掃き寄せて青き葉青き実台風跡 岩本五峰

阿蘇の嶺に霧追い登り秋となる 小林窓翁

国体の選手見送る百千日和 亀丸玉泉

この方々で一番古くから句に親しんだのは芹川春山氏だと、曲水誌面を

見て思います。恐らく幽石先生と同時ぐらいからの作句かと存じます。も

う六十六年余前に遡りましょう。

自分は年代の差もあり一度の面識は中村義堂先生だけでした。人間禅百

周年には、是非物故俳人選集を編んで戴きたいと思います。勿論自分もそ

の選集の物故者の一人でありましょう。

扨年が明けて元旦について、喜多村筠庭は嬉遊笑覧の中に元旦の起源に

ついて次のように記述している。

新らしい春の初めに行う年礼は、もとは宮中の朝賀の儀式より起こ

ったもので、その賀正の文字の史に見えたは、日本書紀の孝徳天皇の

條くだり

の「大化二年(皇紀 1306、西暦 646)春正月甲子朔、賀正の礼畢おわ

る。

即ち改新之詔を宣の

りたまふ」とあるのが権輿である。

この元旦の事は本来流転して止まぬ時の流れに何処かで区切りとした

らよいか、限界などあるものでないので右のように定めたと喜多村筠庭の

説である。

自分が思うに、去年は不運薄倖であった者は今年こそ心気一転して倖で

あることを希い、昨非を悟って今年こそは希望の出発点を見い出そうとす

る。人間の生涯にとって反省の時期を与えるのは必要で、斯くして人間は

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何時の時代でも今年こそはと儚ない憧れを抱く。そこで初詣というのは、

人間の弱さを突いて、御神籤とか占いに多少とも自分の指針の参考にしよ

うとする人間の弱さがある。

そこで新年に肖あやか

って易について少し述べますと、元旦という卦は易の一

番初めの卦で「乾けん

為天い て ん

」というがそれに当たります。簡単に云えば

乾けん

・兌だ

・離り

・震しん

・巽そん

・坎かん

・艮ごん

・坤こん

と、

天てん

・澤たく

・火か

・雷らい

・風ふう

・水すい

・山さん

・地ち

の組み合わせに依り卦が決ります。この組合せで六十四卦が出ます。それ

ぞれの漢字には意味がありますが、ここでは畧します。亦、易には爻こう

と云

って算木に依り初爻から九爻まで筮竹により変化し情勢を読み解きます。

易の解釈は難しいもので、自分は三十代前半に、斯界の大家加藤大岳氏の

易学大講座を興味本意で全八巻を数回読んだだけですから全くの素人です。

爰で「曲水」水巴亡きあと曲水の主柱となったのが中島月げつ

笠りゅう

氏で同氏は幽

石先生ご逝去の時その追悼文集に曲水を代表して誄辞を書かれております

からご記憶の方々もおられると存じます。この月笠氏は加藤大岳の弟子で

その易に対する深い推測は大岳門下中に名を馳せておりました。その月笠

氏の昭和三十六年の曲水巻頭言として次のように述べております。

真の俳句

元げん

は最も初めなるもので又是より上に加ふる所の無き頭らであります。

享こう

は美なるもの相交り其の美しき物の数多鐘つた所を云ひます。

利り

は盛んに暢びる所の万物を其の物によって適宜収斂して其の物と能

く和し合ふて宜しきを得ることであります。

貞てい

は万物悉く皆正しき所を得て正しく固って動かぬ所であり、事の幹

となることであります。と、之これ

は浸々として進み、自ら彊めて息まざ

る天行の備ふる四徳でありますが、私は、至高、究竟の俳句も亦自ら

此の四徳を体して居らねばならぬと思ふのです。そして、更に、其中

心には必然的に絶えず張り切った天地の活力、無始無終の生命力が満

ちて居るべきなのです。(原文のまゝ)

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この乾為天の卦の天てん

享こう

利り

貞てい

の四文字が訳と申せます。蛇足を加えますと、

乾は元おお

いに亨る。貞ただ

しきに利あり。又、乾は偉大なる天、君たる道と易で

は解します。

次に茶道の元旦辞として、千利休の師、紹鴎は、

天下佗の根元は天照御神にて、日国の大主にて金銀珠玉をちりばめ

殿作り候へとて、誰あってしかるもの無之候に、茅ぶき黒米の御供其

外何から何まで慎しみ深くおこたり給はぬ御事、世に勝れたる茶人に

御座候。

と紹鴎は云うている。正月元旦斎戒沐浴われ等茶道を志すものがまず、ま

さに謹読朗誦すべき大文章でありましょう。自分は茶道は疎い者ながら、

歴史と伝統を大切に思う保守派であります。ですから紹鴎の文をうべない

ます。

私ごとでありますが、亡母は明治三十八年生まれ、常磐線、北茨城駅(昔

は関本)から山に入った貧農の生れでした。生前元旦になりますと、学童

の頃元旦には登校し国歌斉唱、次いで、

一月一日 歌詞 千家尊福

一、 年のはじめの ためしとて

終りなき世の めでたさを

松竹たてて 門ごとに

祝ふ今日こそ たのしけれ

二、 初日のひかり さしいでて

四方にかがやく けさの空

君がみかげに たぐえつつ

仰ぎ見るこそ とうとけれ

この歌を和し、紅白の饅頭を戴き元旦を祝ったと聞く。母は家が貧しくこ

の饅頭がとても楽しみであったとよく生前云うておりました。

似合しや新年古き米五升 芭 蕉

――― 終 ―――

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秋の声 横須賀 齋藤素女

野佛に今を盛りや曼殊沙華

人誘ふ山越えて来し秋の風

朝寒や木々の吐息の静けさも

姥捨に雲かかる日や蕎麦の花

犀川さいかわ

をうつつに越えぬ秋の声

曼殊沙華 宇都宮 堀井無縄

炎天路スニーカ底も口を開く

どんな味四角の西瓜買ひにけり

台風過雲ひとつなき今朝の青

紅葉に赤い顔してお地蔵さん

地中から緋を吸い取りし曼殊沙華

秋 酣 熊本 渕上磊山

高鳴や思ひさしぐむ鵙の贄

沸く川瀬せ

鵯ひよどり

上じょう

戸ご

覆ひけり

柿落とす竿の案山子に声かけて

蔓もどき朝夕散らす妻ごめに

老聾の遅き音読芋の露

ひとり旅 宇都宮 堀井妙泉

海霧に江の島ひとつ消えにけり

灯台の明りひとつぶ相模湾

富士見宿ふじは見えねど骨こつ

の酒

彼岸花漾ただよ

ふ影を引き連れて

秋しぐれ髪潤ふやひとり旅

秋の日 熊本 中村慈光

顔剃りて夫男前秋の病室

秋日射す病室孫を抱きにけり

秋日燦夫の病衣を干しにけり

ホスピスに入りし安堵や石蕗の花

秋日和病夫の爪切る窓辺かな

葱 福岡 二宮霊峰

彼方なる畝の歪みや葱畑

ひと囲ひ葱育て居る無人駅

持て余す葱一本のレジ袋

真夜中の葱から滲む光かな

葱抜かれ己が白きを疑はず

近 詠 抄

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体操と落葉掃き 東京 平井蜂生

体操の仲間何時しか皆冬着

新しき朝新しき落葉掃く

小春日や補聴器の友もご機嫌

損得を忘れて落葉掃く仲間

木枯に今朝は掃除を委ねたり

短 日 流山 林 玄妙

短日の外の暗さを閉めにけり

渋柿や干柿せよとマーケット

冬の蜂何か用ある如くなり

湯豆腐の肩いからせて残りおり

冬麗や話足りなき人思ふ

夕 顔 東京 中澤愛子

原 村

クラス会夜はお揃ひの菊枕

いもうとの最後の晩餐夕顔汁

ドビュッシー

ピアノ演奏猫の手のごと露けしや

亡父の愛でし美しき天然の秋

十五夜

これやこの鷹の羽すすきたまはりぬ

去来祭三十五忌 橿原 井内温雄

感動を思ひのままに去来祭

碧天へ蕉風約す去来祭

蕉風は誠の風雅去来祭

碧空や揃ふ柏手去来祭

人力車行き交ふ嵯峨野寒露かな

黒 鯛 川口 戸塚義幸

大き花火空打ち固き音立てる

潮入の池の水路に黒鯛あそぶ

台で弾押し込む射的秋まつり

刈り込めば秋の日当たる孔子像

流れ星空の栖を留守にする

茨城支部創立30周年

潮来 三浦大元

創立の準備夏草今日も刈る

逝く道と

友も

に訪ふ道友あり境内に は

の秋

菊咲いてこの道みち

己われ

の“夢”舞台

赤とんぼ更に参ぜよ三十年

椎の実が一人留護の屋根を撃つ

冬景色 市川 佐藤妙珠

湾沿いに蜜柑色ずく船の旅

湖面には白鳥七羽来たりけり

小春日は祖父母の様な味であり

初冬に工芸展の教え子か

身に入むや避難のままに叔母の逝く

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畳の目 松戸 大谷竜穏

小春日や荒れの気になる畳の目

しぐるるや妻物干しへ猛ダッシュ

石蕗の黄の濃さ目立つ頃となり

口数の少なくなりし夜寒かな

冬菊の群れてひっそり咲きにけり

初冬 習志野 栗原道妙

椋鳥の一樹に群がりやかましい

舗装路に落ち葉擦れ合う乾きし音

何もなく過ぎる冬の日早きこと

冬広場なお子の遊ぶたそがれ時

落ち葉踏む音もうれしや初歩き

懐古園 市川 大熊蕉山

信濃なる古城の秋を歩き行く

冬黄葉日向求めて散りにけり

風に聴く古きを思ふ冬木立

平成の忘れものあり秋の暮

冬霧の山に鎭まる大西日

地震・台風 宗像 久木田寶州

惨状の厚真山肌秋暑し

何故の数多の野分コップ酒

颱風の進路は逆に走るなり

空港に止めらる人や野分の夜

大地震の蝦夷の爪痕晩夏光

冬に入る 市川 木村桃雲

急な冬

虫すだく暇いとま

もなくて冬に入る

落葉掃くあとの快感われぞ知る

山端やまのは

にひかり残して時雨くる

冬に入る有るもの寄せて鍋支度

粕汁の一椀だけで風邪の妻

秋深し 赤磐 河本租舟

居ながらに初冠雪の富士を見る

うそ寒や手袋履いて手を揉んで

着添へして身をいとをしむ残る月

老残の足よろよろと温め酒

ケラ鳴ける荒れ放題の庭に佇つ

行く秋 新潟 高橋智門

天守まで一葉の空音紛れなき

消えなずむ飛行機雲や秋の浜

我が影の肌のたるみや秋日差す

雨垂や去り行く秋の歩を数ふ

ぽつぽつと滲みゆく窓冬近し

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作 品

朝明けを鳩なきゐたりただ一人の同志と想ひし友を喪ふ

悲しみの実りのような黒葡萄ここより闇の領海に入る

老女とて淡くさびしき死化粧菩薩の唇 く

は燃ゆべきものを

とほき日の一 い

笠 りふ

一 いっ

蓑 さ

の密約をささやけばかすかに笑みし死に顔

種なしぶどう月にも供へあなさびし老い人 び

増ゆるばかりの国に

焼かれゐる秋刀魚の

腸はらわた

香にたちて今日より苦汁の海に鰭ふる

空しさは極まりの果て充足に入るとふ渚の波の起き伏し

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作 品

須らく沙翁の科白時雨の忌

秋真昼いよいよ疎慵生死なし

樹木希林逝くや眇

すがめ

の佳き役者

一斉に鯊釣れ出しぬ鯊日和

身の弱きところを突くや秋の風

夜の長き机辺の南天飴の缶

長き夜や婆も持ちたる女の香

大富士とひとつに暮るる柿すだれ

すざましき案山子となりて帰りけり

長き夜の筆を重しと置きにけり

灯を消すや閨に入りくる後の月

目を病めば二つに割れて後の月

蚯蚓鳴いて同じ話を何度でも

立冬に月見草咲く夜明け前

窯を出でし盌の発色炉を開く

参じゆく肩にかヽるや初時雨

石蕗の花「五十七歩」の句碑に添ひ

死にたいと泣かれし霜の夜もありて

眩しくて随聞記閉づ日向ぼこ

幾春秋生死を越えて冬温し

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おわりに

このような冊子を作る予定はなかったのです

でも考えるとバルト三国は遥かな国です

三つの国の名前をすぐに言える人は多くないでしょう

独立まではソ連邦の重圧がありました

でも今は人々の生き生きとした生活があります

写真とスケッチでこれらの国を知って下されば幸いです

平成24年7月

「啄

鳥」

潭(

人間禅総裁)

東京荻窪摂心会(荻窪剣道場にて法定の形稽古)

熱気こむる剣道場

出でれば夕立晴れ

東京支部摂心会

擇木道場

新秋刀魚真っ先に腸 わ

喰ひにけり

関西道場六十五周年記念式

創立の往事人なき葉鶏頭

ふるさとの岡山に立ち寄りて

額づけば虫鳴き出だす父母の墓

四国支部摂心会茶禅一味

朝寒や先師に参ず夢を見し

本部秋期摂心会中日に窯出しす

炉開きに木の葉茶碗のつかひ初め

岡山摂心会

岡山道場二句

紅葉を張って障子の穴ふさぐ

上向きにつつく啄木鳥日のしずか

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――自詠歌自解――

堀 井 妙 泉

◎ ながれきて肩にとどまる淡紅のまだうら若き知覧のさくら

長年住み慣れた札幌より宇都宮に移住したのは、平成 27 年の春も 酣たけなわ

頃でした。右も左も知らない人達ばかりで心細い日々でしたがすぐ近くに

八方谷公園があり、染井吉野や枝垂れ桜、八重桜など次々と咲き郷愁を慰

めてくれました。

ある日町内会の回覧板がまわり次の日旺日は公園の草刈りに出頭して下

さいとの事。これからは此処の住民として何かとお世話になるだろうと思

い参加することにしました。きつい作業だからと娘の止めるのも聞かず、

利鎌を携え出かけて行きましたが広い公園に集まったのは、わずか五、六

人で若い人は一人も居りません。老人ばかりでしたが、まだ働ける事に感

謝しながら汗を流して一生懸命草を刈りました。

恰度公園の八重桜が満開を過ぎ、風もないのに草刈りびとの背や肩に散

りかかり、命の儚さを、散華の美しさを見せてくれました。一昨年二人で

知覧の特攻隊基地跡を見学した時も、さくらの満開の時で学徒少年たちの

若い命が桜の花に象徴され散って行ったことに激しい衝撃を受けたこと、

終戦がもう少し遅れていたら、私たちもこの世にいなかったかも知れない

と思いは尽きませんでした。

特に、基地の正面に展示されていた継ぎ接ぎのした小さな軍用機に片道

分の燃料を積み、敵の軍艦に体当たりするために少年たちは特攻隊として

狩り出されました。出征兵士バンザイ、バンザイと小旗を振る人の波に送

られ、戦場に征くうら若い少年たちの思いはどんな思いだったのでしょう。

出撃の前日に書いたという手記は、検閲の目があり本音を書けなかったと

思いました。親に先立つ不孝を詫びる少年、国の為に死ぬことの名誉、母

親に対する感謝のことば、小さい弟妹を案ずる優しさ、など差し障りのな

い手記の裏には、必死に自分自身とたたかっている姿が見えて、涙が止ま

りませんでした。どんなにマインドコントロールされても心安らかに死ね

る筈はありません。赤とんぼのような小さい軍用機を操縦し矢のように砲

弾を浴び火だるまとなって巨大な敵の軍艦に体当りするときの恐怖は想像

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を絶するものがあります。幼い頃より兄のように育った従兄もその友人も、

桜の花に象徴され散ってしまいました。

清掃された公園に涼風が流れ、サッカーに興ずる子供たちの声を聞きな

がら、二度と無惨な戦争に狩り出されないことを祈りつつ、七十三年続い

た平和に心から合掌いたします。 ―終りー

平井峰生選

子規の頭に似てスーパーのラ・フランス

中澤愛子

堀井妙泉・戸塚義幸選

右耳に聴く力あり蝉時雨

淵上磊山

堀井無縄選

梅雨寒したったひとりの朝のパン

井本光蓮

三浦大元選

一つ違ひの君の盆の灯ともすとは

淵上磊山

中村慈光選

梅雨明けの明るさ楽し恋に似て

齋藤素女

井本光蓮選

見分けつかぬ孫が走るや運動会

久木田寶州

林玄妙・久木田寶州選

食細き病夫へ一匙氷菓子

中村慈光

木村桃雲選

わが空を切る一本の蜘蛛の糸

林 玄妙

丸川春譚選

今ありて二合の酒を酌み交わす

老鶯の声とどく夕べを

堀井妙泉

淵上磊山選

若武者の貌もて生まるや鬼やんま

岡本 崇

大熊蕉山選

千曲川美は

しきさざ波初夏は

齋藤素女

高橋智門選

新涼の水平線に胴斬らる

齋藤幽谷

本村碧山選

温泉ゆ

の鏡老躯をはたと秋の風

飯田幽水

大谷竜穏選

よき風が通り抜けたり夜の秋

栗原道妙

栗原道妙選

裏山に蝉死に絶えし沈黙し じ ま

かな

井本光蓮

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淵 上 磊 山

八朔や母郷少なき人の影

ふり返る秋の川瀬の峡部落

妙峰孤頂師の一幅や吾亦紅

霽れにけり一気に後の更衣

誘はるる思い出がらみ芒句座

阿蘇カルデラ枯れ初むる彩茫洋と

すすき波光る二重の峠まで

本 村 碧 山

頂きし生姜擦る手も夕餉かな

秋初め猫の目合ふてまたつぶる

待合の色とりどりや秋の昼

早々にお返しとするゆず実かな

間を置かずつくつくぼうし鳴きにけり

裏阿蘇やゆらりゆっくり吾亦紅

ぱったりとすずめ威しの止まりけり

井 内 温 雄

秋時雨ヨガ教室の無名庵

成長は髯と爪のみ秋時雨

結願の興奮冷めぬ夜長かな

結願の次は逆打ち流れ星

霜月の公開講座死生学

柏手に舞ひて応ふる冬紅葉

中 村 慈 光

アラブとのスカイプ楽し夜長かな

菊の庭茶猫黒猫寄り添ふて

吾亦紅阿蘇の原野の恋しかり

新しき畳香るや名残風炉

看病の疲れ癒さる稲田かな

夫病めば渋柿剥きも一人なり

しゅるしゅると音立て渋柿剥かれけり

柿剥きて今日の一日を終わりけり

柿干すや夫の仕草を想いつつ

コスモスや介護疲れの身の重く

二 宮 霊 峰

束の間の飛行機雲や由紀夫の忌

枯山の麓に煙立ちにけり

「赤旗」に包まれて大根白し

嚏して引き延ばされる一刹那

冬木立少女鞄を胸に抱き

漱石忌手暗がりから浮かぶ文字

書き置きし妻のレシピの独り鍋

子等巣立ち二人の窓に初時雨

炭斗に曲がり火箸が無造作に

銀杏を踏む人もなし奥の院

警策の音も締まりたる冬の夜

人 間 禅 合 掌 俳 壇 順不同

齋 藤 幽 谷 選

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久木田寶州

恙なく喜寿も過ぎたる十三夜

簾越しに気色ととのふ今日の月

天高しテニスボールの音確か

駅ホーム照葉眺めし通り風

秋の蚊を打つこともせず漢かな

飛蝗追ふ子等の素足よ芝の上

颱風を呑みては吐ける竹の森

蜘蛛の囲の赤い枯葉のくるくると

林 玄妙

後ろ向き腰かけている案山子かな

背を向けて山に帰るか案山子

烏瓜去年のありかはこの辺り

カタカタと外に風ある夜長かな

傘を杖ぶらぶら帰る秋の暮

芒の穂肩にかついで画図に入る

鯊釣りの竿の古さや友の声

時雨るると一人呟く帰り道

片 野 慈 啓

遺稿集閉じて残暑の夜深し

香水壺ベニスは遠し秋の風

幻覚を楽しく聞く夜や秋時雨

河井寛次郎記念館

寛次郎の壺にヤブ蘭踊る如

琵琶の会糺ただす

の森も月を待つ

良き事を月に語るや帰り道

藁塚の迎える道や芋煮会

木 村 桃 雲

捨て案山子なおもラケット構えけり

花咲けど実無き種もあり烏瓜

鯊釣りや沈没軍艦ある浜辺

姪嫁ぐ色づき初めし庭の柿

烏瓜杉を登って灯りけり

夜長かな頻に辞書引き書く詫び状

浜名湖の秋風に浮く鳶二羽

小堀遠州作 龍潭寺の庭

秋澄むや石に歴史の息づかい

渡良瀬の水に動かぬ秋の雲

壊されぬ高さに移し蜘蛛の糸

木枯らしやわが老体をいたわらず

佐 藤 妙 珠

背筋のぶ少年剣士汗滂沱

長月や蝦夷激震の友の地よ

金子剛さんの遺本

長き夜や剛兄の歳時記開く

老いて尚胸張りて行く秋茶席

木枯らしや寺町通りの念仏よ

冬紅葉通り過ぎたり今日の宿

飯 田 幽 水

尾鰭こげて白き長皿焼き秋刀魚

江戸文字や軒も背中も秋祭り

鰯雲右は綿雲総武線

本庶先生

教科書を疑い給へ今日の秋

小牧隕石

流星や眠りを破る大音響

垣根より幽かな風や式部の実

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大 熊 蕉 山

寂庵にて

虫時雨嵯峨野の道の夜は深し

叱られて胡桃コチリと鳴らす吾子

長き夜は行方知らずの船を漕ぐ

うっすらと浅間山麓霜真白

ムンク展出でて木枯連れ帰る

京紅葉舞妓姿のエトランゼ

柿紅葉書斎の窓に落ちにけり

修羅の夜を斜めに見たる一茶の忌

大 谷 竜 穏

秋時雨兄の余命を知らされて

早稲の香を嗅ぎつつ刻む万歩計

秋田新幹線

みちのくの単線になり蕎麦の花

10月 3日次兄逝く

行く道の秋の 灯ともしび

一つ消え

吉は

右り

衛門ま や

の俊寛を観る夜長かな

冬紅葉薄日に透けて音もなし

昇仙峡

冬紅葉荒川の水石いわ

走る

冬紅葉冨士に白雪和田峠

栗 原 道 妙

水中の柵をすり抜け鱏えい

自在

すぐ側そば

に微動だにせず蝦蟇がまがえる

ヘリコプター飛べど動かぬ鰯雲

秋の日のまだまだ強く目を細め

秋雨や鳥の口舌く ぜ

りも今一つ

木枯しや木の葉転がし滑らせる

泉 水 真 澄

うまそうにどの実も熟れし烏瓜

コスモスは一輪も佳し群もまた

新涼や蚊遣りの欠片か け ら

小机に

床屋出で色無き風や手を頭

金鈴塚古墳

金鈴や古代の音色冬紅葉

平成の終わりを惜しむ帰り花

白壁を画布に冬蔦紅葉かな

平 井 蜂 生

秋時雨信濃の旅を締め括る

利根川原皀さい

莢かち

を見に一人来し

背景の山が淋しき木守柿

道産子の土産貝殻島昆布

多摩白山神社

金色の眼の狛犬や赤とんぼ

机き

案あん

にて一番鶏を聞く夜長

馬籠宿今も昔の芋茎干す

譲られし優先席や神の留守

柿簾中山道の宿場町

戸 塚 義 幸

夕立の前触れの雨駅近く

秋祭り露天の始めわた飴屋

藷つくる花壇のありて保育園

広縁の雑巾がけや萩の花

木犀の仄かな匂ひ寺の町

萩の花まつはる黄蝶新しき

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―選後小評― 飯田幽水

柿干すや夫の仕草を想いつつ 中村 慈光

沢山の渋柿の皮をむき、ひもで結わえ、熱湯消毒のあと、干竿にぶら下げて乾燥

させる作業は、今まで夫と行う共同の年中行事であった。しかし今年、夫は介護を

受ける身となり、仕事ができない。作者一人の作業となったが、特に、柿を天日干

しで吊るす時には、夫の行っていた流儀、段取りが思い出されたのだ。夫婦の情愛

が句に現れる。甘くおいしい干し柿ができること、間違いない。

高 橋 智 門

真夜中の遠き汽笛や鉦叩

群れ遊ぶ人より高き秋茜

背の低い父につかまり秋行楽

冬安居刺取るように庭掻きぬ

柿花火また柿花火越の鉄路み ち

埋火やずかりと暴け朝の闇

飛ぶ鳥の前を横切る師走かな

雨音に気を取らるるや除夜の鐘

三 浦 大 元

幼馴染二科の女逝く秋茜

行く秋や下絵残して君は逝く

赤茶けた泥田の畦の屑蓮根

四年目の妻の命日彼岸花

香取神宮二句

流鏑馬の曽っての馬場や藪茗荷

行く秋や朱宮の巫女の微笑みし

江 口 蓮 舟

秋灯下青きインクの独り言

皓月を携えすだく鈴の虫

孫去りていとも靜けき夜長かな

枕辺に通う虫の音子守歌

秋雨や甍の波を洗いける

風移る空に群れなす秋あかね

北 川 光 舟

農作業終えし我が家の夜は長し

ボジョレーを細身のグラス夜長かな

君と見た映画みかえし夜長かな

寒風に耐えて冬薔薇真っ赤なる

竹刀振る四十の秋や朝稽古

小 松 元 山

ザザザアと眠り起すや秋時雨

霜月の月光照らすや庭の猫

奇岩上古木突き出て冬紅葉

木枯らしや行商亡母は は

の手思い出す

庭菊に冷たく当たる宿雨かな

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寂庵にて

虫時雨嵯峨野の道の夜は深し 大熊 蕉山

嵯峨野と言えば、渡月橋、天竜寺、平家物語の祇王、定家の小倉百人一首、俳句

の落柿舎など次々と思い出される。ブラタモリ風に言えば京都の縁で、竹林と紅葉

の名所だ。しかし、現在、瀬戸内寂聴師が天台の僧侶として、活動する所でもある。

多くの人は昼間の観光で夜の嵯峨野を知らない。作者の寂庵訪問の印象句だが、夜、

周辺を歩いて昼間との違いに驚き、虫時雨に一層嵯峨野の闇の深さを感じたのであ

った。

白壁を画布に冬蔦紅葉かな 泉水 真澄

冬の空気は澄んで、遠方のものもハッキリと見える。ちょうどよい距離に白壁が

ある。白壁と言っても、蔵の白壁でなく、洋館の白壁だ。壁を覆った蔦が紅葉し、

紫、赤、橙とグラデーションを見せる。赤は特に色鮮やかで、残る葉の緑とのコン

トラストをなし、白壁が随所に現れるのもよい。作者は壁をキャンバスと見立てて、

絵を鑑賞するように蔦を眺めている。自然が作為なく織りなす構図や色合いにすっ

かり感心した。

譲られし優先席や神の留守 平井 蜂生

日本中の神様が出雲に旅行し、各地留守となるため、神無月(旧暦 11 月)と言

うという説があるが、この月に電車で旅行していると、人から、老人や病人、妊婦

など座席である優先席を譲られたのである。「自分はまだ若い。優先席など無縁だ。」

と思っていたのに、若い人から見ると、容貌、歩き方から立派な年寄に見えるのだ。

作者が年齢を自覚させられた当惑ぶりが目に見えるようだ。

藷つくる花壇のありて保育園 戸塚 義幸

散歩の途中芋畑を見つけた。「おやこんな所に」と驚いて見ると、子供の声もあ

り、保育園だった。この納得感を句とした。花壇は四季折々の花の咲くのを楽しむ

ところであるが、この保育園では、子供たちの秋の芋ほり行事のため、花壇にサツ

マイモを植えているのだ。子供たちの事を考えると、トマトやキュウリでは駄目だ。

保育園と藷がマッチした句。おいしい焼き芋が今年も食べられるぞ!

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庭菊に冷たく当たる宿雨かな 小松 元山

菊で連想されるのは、菊日和に代表される穏やかに晴れた秋の日だ。しかし、こ

こでは、晩秋の雨に打たれる庭の菊に着目している。菊花展で見るような大輪の豪

華絢爛というのではない。いろいろな色のある子輪の一群の菊である。地味で、い

かにも家庭的だ。昨夜からの細く冷たい雨が、この小さな菊の群れに降っている。

その冷たさのもたらす痛々しい感じを「当たる」と表現した。蕭条とした晩秋の寂

寥感。

秋灯下青きインクの独り言 江口 蓮舟

秋灯下は読書だけではない。四囲も静かで心も落ち着く夜、物を書くのも楽しい

ことだ。作者は習慣で万年筆を使い日記を書いている。インクは好みのロイアルブ

ルーであろう。仕事の日誌ではないし、もとより人に見せるものではないから、「こ

んなことがあった、あんなことを考えた」と、自由奔放にペンが走るのである。自

分で書いていて、おかしいと思われることもある。このようにして、今日も一日終

わったと充実感に浸る。 終り

句会だより

第331回坐忘会

於人間禅道場南寮会議室

白扇やうらもおもても秋にして

鯊釣りて鍋一杯に叱る母

流れ星つかの間という人の世

身にしみて学徒出陣記録閉づ

十月三日次兄逝く

行く道の秋の

灯ともしび

一つ消え

鯊釣りや沈没軍艦ある浜辺

那須岳の流星群に拍手わく

秋風に何か急かれる齢かな

江戸文字や軒も背中も秋祭り

すぐ側に微動だにせず蝦蟇

がまがえる

刈込めば秋の日当たる孔子像

新涼や蚊遣りの欠片

小机に

枇杷の会

糺ただす

の森も月を待つ

ボージョレをグラスかたむけ夜長かな

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青鷺や冬のはじめをたじろがす

玄妙

冬の木の池面(

いけも)

に満つ夕陽

英風

行く道の樹々闇となり後の月

妙翠

凩を追い風に行く鴨の味

見遊眠

冬日和身弾ませる童子かな

霊龜

枯葉舞うえり引き寄せる家路かな

香春

句会だより

第3回荻窪禅会俳句部合同摂心会吟行十一月二四日

もみじ葉の参禅ととも紅ふかむ

春潭

枯葦の宿の雪鳥しきり鳴く

惟精

お茶席の写真に映える冬紅葉

法照

冬の池漣(

さざなみ)

の下鯉が行く

清稟

武蔵野の欅見晴らし鷹渡る

蕉山

秋の海氷見眺む峰白し

黎明

落ち葉踏む足音水辺に止まりけり

妙幻

冬木立昔豊玉井荻村

(荻窪)

幽谷

肥える牡蠣ムニエル恋し海の愛

サルバドール

落ち葉道つなぐ小さき老母の掌

龍泉

木洩れ日を受けて紅葉の池に映え

竜穏

全て消え夕陽が落ちた冬の庭

河横

かれ枯の踏む音聞いてただ歩く

古潭

燃え盛る紅葉に動かぬ女(

ひと)

の居て

桃雲

古池の落葉に夕陽善福寺

丸川裕浄

冬近く虚空を舞ってただ枯葉

心舟

犬吠えて敗荷(やれはす)静か日が暮れる

道妙

参禅の鐘のねひびく清明庵

香水

かるがもの紅葉抜けるや池静か

元山

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謹 告

『俳林』16号春季号の締め切りは平成31年1月31日です。

・「近詠抄」 表題付 自選五句 はがきでの投句可

・「合掌俳壇」 各月5句まで(合計1人15句まで) 齋藤幽谷先生選

・印象句 俳林15号より印象句一句を選び末尾にお書きください。

・自句自解、紀行文、俳文、句会だより、等募集致します。

句稿送り先 〒270-0136

千葉県流山市古間木292-41 人間禅俳林 林信夫

TEL・FAX 04-7150-0171

編集部便り(玄妙)

・俳句会の懇親会で「俳句のどこがおもしろいの?」との問い。よく考えてみた。あらゆる

芸道、武道はそれぞれに奥が深く一言で言い表すことなどできないが、その中でも私は、詩

人がその最たるものではないかと思う。天地の運行、四季の移ろい、人身の機微、それらす

べてを、俳句なら十七文字に歌い込む。それこそ俳句の醍醐味、これ以上おもしろいことな

どありようがないではないか。一口味わって御覧じろと言いたい。

『人間禅 俳林』季刊 第15号 新年号

監 修 齋 藤 幽 谷

発行責任 林 玄 妙

千葉県流山市古間木292-41

TEL・FAX 04-7150-0171

表紙絵 大熊蕉山

購 読 料 年間3000円 (季刊「禅」4回/年発行 人間禅会以員外の方)

振り込み先(振り込み用紙添付)

ゆうちょ銀行 振替口座番号/00220-4-102736

(他行から:店番〇二九店(029)、当座0102736)

口 座 名 称 /人間禅俳林 林信夫