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目の皮の華厳にたるむ日永かな 幸田露伴 › awo › pdf › 2008 › 3.pdf雀 鳴きながら歩く子象に冬青葉その昔子の日の松を引くとかや羽子つきの聞こえぬままに羽子日和初鴉地上ばかりを見てゐ

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目の皮の華厳にたるむ日永かな  

幸田露伴

(佐藤中処

蔵)

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三 月

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初御空背面跳でもしてみるか

湯豆腐や猫は人より猫が好き

迷子にも大人はなれる戀の猫

枯雀影はたしかに見えてをり

佐藤喜孝

篠田純子

鷹の尾の末広がりや据ゑられて

出産といふゴールまで冬の汗

カンガルーの腹の気になる冬日かな

産卵後の鮭のごとくに寝正月

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初鴉地上ばかりを見てゐたり

羽子つきの聞こえぬままに羽子日和

その昔子の日の松を引くとかや

鳴きながら歩く子象に冬青葉

芝 

千駄木

芝宮須磨子

宝仙寺前

大寒や湯舟溢らせひと日終へ

会釈され誰とも知らぬ大マスク

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明けまして赤きポットが交番に

雪催うなじのほくろ見えてしまふ

過去はモノクロ赤松に雪がふり

旧かなのこと無季のこと牡丹雪

定梶じょう

須賀敏子

雪纏ひ雲這はせたる今日の富士

日の当たる岩に張り付く冬の虻

御殿場のイルミネーション春隣

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時雨るるやあるじ一人の町工場

初夢のとぎれとぎれやもどかしき

太極拳かたきこぶしの寒の入

鈴木多枝子

竹内弘子

付合の間遠になりし雑煮かな

三ヶ日おもてをあるく下駄の鈴

初東風や登校の列かしぎゆく

寒すずめ水神さまは荒れしまま

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風荒るる日を初釜へゆくといふ

田中藤穂

十二月人ももみぢもちぢみけり

正月のぎっくり腰のトホホホホ

遺伝子の組み換へ大豆去年今年

四十九餅寒に搗きしを手に貰ふ

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行く雲の濃くうすくして初明り

実萬両副へられてゐる床飾り

七種やみどりをきざむ慈しみ

ぱちぱちと枯葉散り飛ぶ紙風船

長崎桂子

四日市

西本春水

名古屋

槿

臨江市大栗子に溥儀の行宮あり、一九四五年八月十七日に溥儀

はここで三回目の退位を宣告す。

集安五女峰にて

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荒川の土手にて待ちぬ初日の出

めじろ来る甕の水草凍りをり

早崎泰江

さいたま

堀内一郎

宿

三月十日大虐殺と言ふべかり

かさなりてはらから浮きし春運河

焼けのこる旋盤に春惜しみけり

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手作りの紅白干菓子初茶の湯

森山のりこ

宿

森 

初天神しゃがみ子供は砂利遊び

目にのこる冬枯れの原五重塔

牛矮鶏に頬寄す零歳初ゑくぼ

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陽をまとひ赤き冬芽の出揃ひぬ

末枯れし庭にひとえだ草珊瑚

山荘慶子

吉成美代子

空と海すべてを覆ひ雪の降る

露天風呂雪降る音と湯の音と

ぼんぼりと雪の白さの薄明かり

阿賀野川雪つきぬけて枯すすき

雪静か橋のたもとに晶子の碑

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銀杏をいつぱい踏んで初参り

子午線を指ではじいてゐる三日

便

言の葉が小骨のやうに冬暮るる

吉弘恭子

渡邉友七

鹿手袋

冬の雷それきり山の眠りつぐ

おのがじし樹に言葉あり年迎ふ

枯れてゆくもののいのちに息合はす

むさし野は二の郷すずろ冬の鵙

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屈込み弾切るビオラ冴ゆるかな

赤座典子

安部里子

桜ヶ丘

第五番「運命」

冬の夜源氏ものがたり原文で

何もかもついて行かれぬ去年今年

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気水域越えて飛び行く春かもめ

江戸を知る隅田の川の橋渡る

藤 

鎌倉喜久恵

浜どんど子等燃えさしを砂にさし

餅搗に声かけ搗きたて供さるる

淑気かな写経に墨の匂ひたつ

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凍豆腐縄目を解いて湯に放つ

大根の筋目を見せて茹あがる

七草粥に添ふる枸杞の実実山椒

木村茂登子

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ゐのししのうしろは淋し十二月

口紅のにじむ立体マスクかな

あの日から生きて今年の師走かな

点すべく紐をてさぐる開戦日

山歩きながら十二月八日暮れ

年の暮木魚は高音つづくなり

七五三エレベーターの真ん中に

寄道は楽し無駄また冬至風呂

蓑虫や日の目見るまで揺れてゐる

木村茂登子

芝 

芝宮須磨子

定梶じょう

鈴木多枝子

一人一句

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前月作品

流星を観んとて一人着ぶくれる

冬田ひらけ駅弁の紐解き始む

湯中りす春の蝶々がこの冬に

まなじりを拭く癖のつき年つまる

小春日や生きてるだけで當りくじ

錠剤を数へ二月の日をかぞへ

西

森山のりこ

森 

藤 

鎌倉喜久恵

喜孝 

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をりとりて手のながくなるすゝきかな 

佐藤喜孝

 

すすきを一本をりとって手に持ったら、その

長さだけ手がながくなったような気がしたとい

う、童心といおうか俳味というべきか。

 

飯田蛇笏の「をりとりてはらりとおもさす

すきかな」を下敷きにしているのは一目瞭然だ

が、それとは全く違った新しい句になってい

る。喜孝代表の会心の作ではないかと思う。

長湯せり時雨が軒端つたふ夜 

定梶じょう

 

ゆっくりと楽しんで長湯をしていらっしゃる

ならいいのですが、この句からはどことなくア

ンニュイが感じられる。定梶さんは輪島で地震

災害に遇われている。どうぞ心も身体も御苦労

に負けないで頑張って下さるようにお祈りして

おります。

山歩きながら十二月八日暮れ 

須賀敏子

 

今日は十二月八日、開戦記念日だ、と思いな

がら、敏子さんはその日山歩きをなさったので

すね。或はお仲間の方達とそんな話題が出たの

かも知れません。そうです。あの日、日本の悲

劇は始ったのです。大本営発表のニュースをこ

の耳で聞いた私にとって、あの日は生涯忘れる

ことの出来ません。今は自由に平和に一日山歩

きを楽しめる時代になったけれど、歩きながら

心のどこかで十二月八日にこだわっていた敏子

さん。この句はとても貴重な一句だと思いま

す。

からっぽの心と連れ立つ冬の旅 

 

せっかく冬の旅に出かけるというのに、何

か淋しいことがあって、心は空っぽなのだとい

二月作品より  

田中藤穂・佐藤喜孝

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う、ちょっと気にかかる一句。或は連れ立つ相

手の心がからっぽ、となると一層深刻ですが、

こういう心の内面をつかんだ句はなかなか出来

るものではありません。ある日ある時の記念に

大切な一句となるでしょう。

餃子喰べて早く逝くべし温め酒 

堀内一郎

 

これは堀内大先輩独特の飄々たるユーモアで

す。このところ中国で作られた餃子の中味や袋

から人体に有害な農薬が発見され、実際に被害

にあった人も何人も出ています。亡くなった人

は居ませんが、食に対する不安と警戒心が一気

に高まっています。

 

一郎さんは、毒餃子でも何でもいいよ、早く

あの世へ行きたいよ、と仰っているようです。

私も餃子でも河豚でも赤貝でもいいですおいし

いと食べてさっとあの世へ行けるならそうお願

いしたいものです。長病みだけは御免被りたい

のです。でも一郎さんはそう言いながら温め酒

をしているのです。温め酒とは陰暦九月九日を

境に酒を暖めて飲むと病にかからないとの言い

伝えがあり、この日から酒を暖める、と辞書に

出ています。酒を暖めながら、こんな愉快な

時事俳句をひねっている一郎さんには、まだま

だあの世からのお迎えは来ないと私は思います

が。

流星を観んとて一人着ぶくれる 

森山のりこ

 

テレビが、今夜どちらの方角に流星群がみら

れると云っていました。その日はとても寒い日

で、私も観たいと思ったのですが、風邪をひい

たら困るとか、そちらの方角は街の灯が明かる

いから多分見えないだろうなど勝手に理由づけ

して見に出ませんでした。私より年上ののり子

さんが、それを観ようと一人で着ぶくれたとは

………自分の意気地無しに恥入ります。流星は

見えましたか?

蓮の実の出て累々と髑髏 

森 

理和

 

一月の半に上野不忍池の畔に立ちましたら、

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夏はあんなに青々と活き活きと溢れていた蓮の

葉が跡かたもなく、枯蓮の茎が黒く細々と立っ

てまるで死の世界のようでした。黒い茎の上

に、もう実は弾け飛んで穴だけ残った丸形の台

が、或は傾き或は俯いて風に揺れる様はまさに

髑髏、一読ぎょっとする句ですが、理和さんは

よくも云い止めたと感心しました。

凍道や窓辺の猫に威嚇さる 

山荘慶子

 

この猫は飼猫で家の中の窓辺に居るよう。

太ったペルシャ猫かも。凍道を歩いてきた慶子

さんとふと顔が合ったら、とたんに歯を剥き出

して敵意を示したのだ。その顔も、困惑した慶

子さんの顔も気持も、威嚇さるの一言で総て解

る。凍道もよく利いている。一瞬の出来事が面

白い俳句になっている。

湯中りす春の蝶々がこの冬に 

吉弘恭子

 

この冬のさ中に春の美しい蝶々が眼前をよ

ぎったように見えたのは、湯中りによる幻だっ

たのでしょう。幻もまたよきかなです。

霜月や胴を寄せ合ひ船眠る 

渡邉友七

 

闇の中に、或は星明り月明りの下に、何艘

もの舟が並んで碇泊している様子を、友七さん

は、胴を寄せ合ひ船眠ると表現された。写生

なのだが、こういわれるとなんだかその船達が

生き物のような気がしてくる。霜月は陰暦十一

月。今で言えばほぼ十二月に当るが、十二月と

いうと一年の終りの忙しさを感じ、霜月という

と季節的な寒さを感じるので、霜月としたとこ

ろも良い。友七さんの句は、どの句にも細やか

な情愛がゆきわたっているように思われる。

錠剤を数へ二月の日を数へ 

遠藤 

 

実さんも常用のお薬が何種類かあって、毎日

それを数えながら飲んでいらっしゃるのでしょ

うか。今年は閏年で二月が二十九日まであり

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ましたが、それでも他の月より短いのですが、

一月はお正月だ何だと割合早く過ぎるのに比べ

て、二月は長い気がするのです。日は大分長く

なり光も溢れてきて春の近づきを感じながら、

風は冷たく氷が張ったり不安定で、体調も崩し

やすい時です。早く二月がこないかなあとい

う、実さんの待春の心が見えるような一句で

す。

(以上 

田中藤穂)

ゐのししのうしろは淋し十二月 

木村茂登子

 

人を含めて哺乳類のうしろ姿はパッとしな

い。背後はだうしても無防備になる。そこで馬

は後脚で蹴る。猫は尻尾で様子をうかがう。ス

カンクは………。顔が猛々しいほどうしろ姿と

のギャップがある。ライオン、ハイエナなど肉

食動物のうしろ姿は淋しい。猪も然り。しかし

「十二月」と言はれるとこの猪が干支の一つに

見えてくる。去りゆく亥年への挨拶にもなつて

ゐる。

七五三エレベーターの真ん中に 

竹内弘子

 

大胆な省略である。エレベーターの真ん中に

ゐるのは七五三をお祝される子供のことであら

う。周りを大人が護るやうに取囲んでゐる。た

またまさうなった、そう見えたのだろうが、感

覚のするどい作者は見逃さない。狭い空間のに

ぎにぎしさが伝はってくる。

飛石に雨染渡る暮の冬 

赤座典子

 

町屋の飛石でもいいが、日本庭園にある飛石

を思った。そこに雨がしとしとと降ってきた。

降りはじめは石の上に雨粒がはつきり認められ

たのが、いつのまにかしつとりと飛石は雨に濡

れそぼつてゐた。その時間の経過を云ひ、「冬

の暮」という季節のありやうを表現してゐる作

品。

(以上 

佐藤喜孝)

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母二人かはらずに居て去年今年

獅子舞をちらと見かける三日かな

母二人かはらずに居て去年今年

初 

赤座典子

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椿

年酒とて「どんべり」といふ濁酒

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鹿の道の右は山荘梅雨晴るる

 

去年七月の十四日十五日と、「あを」の会の一泊吟行会が行われた。行先は蓼科中

央高原、台風が来るという予報の中を、傘をさしながら尖石考古館や遺跡を見学し、

アルムというログ・ペンションに泊まり骨酒などいただいて楽しかった。この句はそ

の翌日東亜未さんの山荘に伺った時の作である。

 

山から鹿が出てくるという道があって、その右に山荘があるという、鹿の道が主で

山荘が従のような感じだが、東亜未さんのご主人が「ここでは鹿や猿や蛙の方が先住

民です。」とおっしゃって、自然の中に溶けこむように暮らしていらっしゃるのが好

もしかった。

特別作品鑑賞 

中央高原  

吉弘恭子

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山荘に着いた頃には昨日からの雨も上り、前山がしっぽりと水気を含んで青葉の匂

いが立ち籠めていたのが忘れられない。

白樺や風のはやさに夏の霧 

 

白樺林の中を霧が流れている。風がなければ霧は動かずに漂うのだが、しきりに流

れているのは風があるから。それを風のはやさにと云いとめたのが発見で、佳句になっ

ていると思う。

日の差して池底の草のいろとりどり

 

自然は刻一刻と変化して、雨の日は雨で、晴れた日は晴で素敵な姿を見せてくれま

す。日の射して見えてきた池の底の草々のいろはさぞ美しかったことと思います。

かっこうのこゑの透りし山を後

 

郭公が鳴いていました。私が聞いたのは雨が上ったばかりの遠郭公でしたが、恭子

さんはもう一日滞在なさったから、晴れた日の元気な声を聞かれたのでしょう。その

声の透った山を、名残りを惜しみながら後にしたのです。山を後、の措辞がその気持

ちがよく出ていていいと思いました。

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近世俳諧と漢詩文 

2

 

   

王 

     

高歌一曲掩明鏡

  

月に雲鏡に蓋やとし忘  

靑 

 

青雨は江戸時代中期の俳人で、生没年未詳。別号に青雨・春草舎などがある。通称はわかさ屋七兵衛。安

永四年(一七七五)に『いしなとり』を編み、蕉門十哲の一人である志太野坡は序文を寄せた。問題の句は

この書籍にあり、句前の詩句は『三体詩』と『唐詩選』に見える許渾「秋思」詩の転句である。

琪樹西風枕簟秋  

琪樹の西風 

枕簟の秋

楚雲湘水憶同遊  

楚雲 

湘水 

同遊を憶ふ

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高歌一曲掩明鏡  

高歌一曲 

明鏡を掩ふ

昨日少年今白頭  

昨日は少年 

今は白頭

  「秋思」は樂府題であって、宋の郭茂倩『楽府詩集』によれば、琴曲の歌辞であるという。即ちこれは六

朝以前の歌曲のテーマである。唐に下って詩人たちもよくこれを題にして詩を詠んだ。許渾は晩唐の詩人で

ある。秋の季節に、人生の秋の訪れを悟った詩人は、楚の国の雲を眺めても湘江の流れを見ても、遠い昔の

仲間を思い出した。懐かしい思い出は老詩人を若返らせ、思わず青春時代の歌を高らかに歌い出した。しか

し、傍らの鏡に映る自分の姿を見て、はっと我に返り、昔日の美少年が白頭の翁となった姿を見るに忍びな

くて鏡に蓋をしてしまった。というのが、この詩の現在の解釈である。

 

しかし、承句における「楚雲湘水憶同遊」の解釈について「この詩は『三体詩』にも収められていて、『三

体詩』の古い注釈書には、「楚雲」は巫山の女神を、「湘水」は湘君・湘夫人をそれぞれ指す」(1)として

いる。服部南郭は『唐詩選国字解』の中で

 

我、若い時は、楚国のあたり、湘水のあたりをとび歩いて遊んだが、年よりて、ありし昔が思い出さるる。

底意は、「楚雲」といふは、巫山の女神のこと、「湘水」は、娥皇・女英のことゆへ、若い時は、春の時分な

どは、色遊びをして、美女どもと慰み遊んだが、今はこのやうに年よりたれば、ただ打ち臥して居るのみぢゃ

と解釈している。「おそらく南郭は『三体詩』の旧注から示唆を得つつも、単なるそれの復活ではなく、古

文辞派の詩人としての自己の好みにそって、青春の追憶を煙花柳巷と結びつけたのである。」(2)

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青雨が『三体詩』『唐詩選』『唐詩選国字解』いずれの書籍から許渾「秋思」詩を享受したか明らかではな

いが、しかし、これらは近世において、どれも非常にポピュラーな詩集なので、青雨はその何れも嘱目した

であろうと想像に難くはない。それ故、青雨の中には『三体詩』の旧注とともに南郭の『唐詩選国字解』も

あったであろう。それを踏まえて「高歌一曲掩明鏡」を句題にした

  

月に雲鏡に蓋やとし忘

を吟味してみると、次のように句意を読み取れるのではなかろうか。

 「とし忘」は季語で、年の暮れに親族や友人が集まって年中の労を忘れ、無事を祝い合うことである。今

日の言い方に変えるならば、「忘年会」だ。季語の「とし忘れ」は「忘年」の意味合いを兼ねているであろう。

年忘れの宴席で、酒の勢いにまかせて漢詩人を気取ってみた。あの許渾の詩句「高歌一曲掩明鏡」に倣い、「月

に雲鏡に蓋やとし忘」と詠んだ。雲が月の明かりを覆い、老醜の態を映す鏡にも蓋をしたから、さあ体裁な

んか気にする必要もない。若やいだ雰囲気の中で、年齢も一時忘れて大いに今を楽しもうよ。

注:

1、2、服部南郭『唐詩選国字解』3(日野龍夫氏校注 

平凡社 

1982年3月10日)276頁

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青 

雨   『いしなとり』より

あなたの節こなたの節も梅の花

やぶいりや恋塚のわけ聞て来る

あたまがちに残る寒さや鰤の骨

鶯や涙もつべき目でもなし

しのび路や木馬の上におとこ猫

出女の木履よごすや春のあめ

在郷馬の蹄に見たり春の雪

辻駕も絹の障子や薄がすみ

かげろふのたつや雁より高し

若草や喰はねど馬もほてつぱら

わたし守日も暮ぬとや夕ひばり

推となく枝折戸明ぬきじのこゑ

長き日や鶴に乗るとも腰に銭

いなづまを犬一口に喰てけり

ひとり角力秋のものとて哀れ也

石になるちからはなくて砧かな

はつ霜や疝気の虫のかんこ鳥    

風 

   

草枯つくし人目勿論     

青 

へんてつもない長山の横おれて   

青 

雨 

   

戸をさし込る本陣の椽      

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冬の草干しっ放しのシャツと一枚

後ずさり横歩きして冬の草

末端に血の行き届く雪をんな

あらがはず受けて立ちます冬の草

手探りで釦をはめる冬の草

小冊子売るホームレス冬の草

篠田純子

篠田純子

 

一年楽しませてくれた。今後も何が飛

び出すか解らぬ処が魅力、干しっ放しの

奔放さ加減。血の行き届くの意表快い。

 

受けて立ちますとは恐れ入る。そし

てホームレスの神妙さも忘れない。

芝 

尚子

 

小島の日々。風景もあおあおと甦り

小島の生活思い出が窺える。取って置

きのご主人の登場は微笑ましい限り。

 

若い時と違い振り返ることが多くなっ

てきた。末つ方、輝くべし柿のように。

田中藤穂

 

うちにも母のものが箪笥の底に眠っ

ている。着ても着なくても虫干はする。

 

冬の草が母への思いを繋げ、さりげ

ない冬草と日差しに命が通う。力を貰

冬の草

牡蠣

堀内一郎 

選 (六人目以降五十音順)

Page 33: 目の皮の華厳にたるむ日永かな 幸田露伴 › awo › pdf › 2008 › 3.pdf雀 鳴きながら歩く子象に冬青葉その昔子の日の松を引くとかや羽子つきの聞こえぬままに羽子日和初鴉地上ばかりを見てゐ

生牡蠣や瀬戸の小島の若き日々

素もぐりで牡蠣をとる人瀬戸小島

牡蠣食へば夫の若き日まなうらに

數へ日ものんびりひとり末つ方

末生りの柿ひとつ日に赫けり

裾擦れし母の大お

島紬冬の草

冬草に力をもらふ別れきて

一湾の牡蠣田に寒き夕日照る

生牡蠣ヘレモンを搾る伊満里皿

末弟にやさしき兄よクリスマス

この道の末になにある冬の雲

冬草のひと筋踏まれ通ひ道

閼伽桶を冬草に置きもう哭かず

仰向いて牡蠣啜りこむ喉ぼとけ

うは大自然に生かされているから。

鎌倉喜久恵

 

ひと筋踏まれ、の果敢なさは自身に通

じ、もう哭かず、は今後の強い生きざま

の姿勢である。牡蠣啜りこむ、にユーモ

アを注ぎ喉ぼとけとご満悦。力満ちては

人生同意、みな動くは月並みだが楽しい。

渡邊友七

 

死を隔て見ずとは生死一如の境位。

 

よるべとしたる、は自然愛の呟きで

あり大夕焼の輝きを分かちあう。

 

牡蠣泣く、方言で読むと怒濤音も聞こ

えてくる。バイタリティー十分の作者。

赤座典子

 

色とりどりに、安泰のなかに変化を求

めている。長旅を重ねたとうけとめる。

芝 

尚子

田中藤穂

鎌倉喜久恵

Page 34: 目の皮の華厳にたるむ日永かな 幸田露伴 › awo › pdf › 2008 › 3.pdf雀 鳴きながら歩く子象に冬青葉その昔子の日の松を引くとかや羽子つきの聞こえぬままに羽子日和初鴉地上ばかりを見てゐ

木末まで欅は力満ちて枯る

枯かづら葉末を引けばみな動く

死を隔て見ず冬の草星一つ

わが庭をよるべとしたる冬の草

夕焼けの色まじりゐし冬の草

茫々と海鳴る中に牡ぼ

い蠣泣く

送られし牡蠣の消えたる妻の口

日を浴びて色とりどりに冬の草

長旅をせぬと決めたり冬の草

牡蠣鍋や大人ばかりで淡々と

端末に日々頼りをり返り花

瑣末なる事の気掛り年の暮

あみで焼くからつき牡蠣の悲鳴きく

わくわくと年末賞与貰ふまで

年末の売り言葉あり買ひ言葉

行き方やそうねそうねの冬の草

 

身辺の冬草と遊ぶのもひとつの景。

 

大人ばかりの味気なさは恙なしの証。

安部里子

 

悲鳴きく、オーバーだがご愛敬。

 

わくわく、と欲があるうちは花と言

う如し。売り言葉買い言葉そうねそう

ねと抗わず。陽だまり冬草、強かさに

驚く。遠

藤 

 

舗装の痛みにも声を上げる冬草、人

間も生活のむごさに負けては居られな

い。

 

名前は大翔、名前も昔とは変わった。

 

フライ=翔たくのほのかな響きあい。

木村茂登子

 

さりげなく勁し、と自然から受用。

渡邊友七

赤座典子

安部里子

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石垣の陽だまり見つけ冬の草

暮しある舗装の割目冬の草

牡蠣フライ多き名前は大翔とか

勝負師の貧乏ゆすり冬の草

江田島は牡蠣の重みにたへし頃

その勁さ秘めてさりげなし冬の草

石垣の石の間より出て冬の草

学名は何かと冬の草に問ふ

牡蠣床の海水割ってあらはるる

牡蠣を剥きラジオの美空ひばりかな

草青き冬の野に打つ何の杭

かく青き冬の草踏み心足る

 

学名は長々とこむずかしいが冬草と

て知る由もない。この作面白味は無い

が俳諧のめでたさである。

定梶じょう

 

貝殻節では無いが、色は黒なる身は

痩せる。重労働を、美空が力づける。

何の杭、現代の良からぬ予感がする。

 

青きは希望、自然と共に悦に入る。

芝宮須磨子

 

吾子を信頼良い家族ではある。親ば

かちゃんりんの甘さも時には微笑まし

い。

 

名家にしても作者は吉事に触れ凶は

外れる。俳句もさながら大らかな存在。

須賀敏子

遠藤 

木村茂登子

定梶じょう

Page 36: 目の皮の華厳にたるむ日永かな 幸田露伴 › awo › pdf › 2008 › 3.pdf雀 鳴きながら歩く子象に冬青葉その昔子の日の松を引くとかや羽子つきの聞こえぬままに羽子日和初鴉地上ばかりを見てゐ

牡蠣食ふや料理人なる吾子が居て

牡蠣料理吾子の工夫に頷きぬ

冬草や名家の庭園寄贈され

道を変へ冬青草を見つけたり

初めてのパリのランチで牡蠣食す

末っ子の転勤の日や花八ツ手

歳末の渋谷の駅で別れたり

熟れし柿たわわに残る末寺かな

送られし地酒そのまま秋の末

冬草にはこべらありしたんぽぽも

冬の草抜いて歯に浸むいたみあり

川遊び牡蠣で足切る幼き日

老人とはいつからのこと冬の草

 

渋谷でもパリでも牡蠣の味に大差は

ないと思うがパリを被せた感激は解か

る。

 

転勤の淋しさが伝わるし地味な花八

手は似合う。熟れ柿と末寺の塩梅も見

事。

鈴木多枝子

 

ホントは秋の果、秋も果の方が落ち

つくかも。歯に浸むの痛み分け嘘でも

嬉しいネェ。いつから、と云なし突っ

張る老人気分、だから長寿国日本この

作名品。

 

冬草の倦怠感が伝わる。このように

自然と一枚になれるのは心の優しさで

こう素直にはなれないものだ。末吉と

芝宮須磨子

須賀敏子

鈴木多枝子

Page 37: 目の皮の華厳にたるむ日永かな 幸田露伴 › awo › pdf › 2008 › 3.pdf雀 鳴きながら歩く子象に冬青葉その昔子の日の松を引くとかや羽子つきの聞こえぬままに羽子日和初鴉地上ばかりを見てゐ

犬はなち子供と駈ける冬の草

鍋底の小さくなりし牡蠣掬ふ

椿

冬の草住ひの東みづみづし

格子戸にからまりて果つ冬の草

殻付の牡蠣並びをる朝の市

末文は鄭重に師走に引越すと

冬の草佛足石に侍するごと

街路樹の根元にしかと冬の草

牡蠣鍋の看板目立つ観音裏

故郷の味を伝へる牡蠣の店

N極や引き寄せらるる冬の草

冬の草母の介護を喜々と兄

長崎桂子

森山のりこ

森 

理和

は晩期大成の意、細畳みの仕草もしと

やかに。

長崎桂子

 

普通西に安堵を求めるとされるが、

作者は東に魅力を感じているようだ。

向上心の豊さだ。末席は誰も気になる

が兎に角一年の終り作り笑いも又良け

れ。

森山のりこ

 

佛足石と屋敷跡、前者は脇役で従い

後者は主役になって生き残る。冬草に

運命的なものを感じる。二句対象の演

出の面白さを思う。牡蠣鍋は看と観の

味わい。

吉弘恭子

Page 38: 目の皮の華厳にたるむ日永かな 幸田露伴 › awo › pdf › 2008 › 3.pdf雀 鳴きながら歩く子象に冬青葉その昔子の日の松を引くとかや羽子つきの聞こえぬままに羽子日和初鴉地上ばかりを見てゐ

36

裸木の末にふわふわポリ袋

冬の草ありて花待つこころかな

沫雪の玉とかはりし冬の草

末枯れの樫にふみこむ齢かな

大仰に牡蠣にとりくむ母のゐて

冬の草夕焼いろのなかにあり

かへり道わすれてをりし冬の草

牡蠣フライ苦みほろりと涙つぼ

ゆく末はなべてあいまい花八手

吉弘恭子

堀内一郎

 

N極は北を指す磁極とある。大自然

全てが大きな力で動かされている。

 

北は暗く悲しいイメージ。人間はそ

れに弱い。牡蠣鍋、苦労は女にもと!

男への当てつけでもあり、残る作品と

思う。吉

弘恭子

 

草あれば花待つ心は救いであろう。

 

ふみこむに決意覚悟が窺える。

 

夕焼いろの冬草は自身と重なり紅の

終焉の風景に無常感しきりである。

 

一年間微力をも弁えず選をさせて戴

いた事に厚く感謝申し上げます。言い

たいこと言って来ましたが、ほんとの

事は解りません。何とぞご勘弁を。

 

お詫び旁々御礼までに。

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木枯や捨てし扇風機のまはる

花嫁の荷を出し広間おぼろかな

シェーカーに8の残像春の宵

春の宵淋しい方の道択ぶ

親生きてゐるうち不孝蓬餅

蒲の芽や青天井で暮す人

青嵐身の丈五尺二寸五分

授りしいのちの写真手毬花

秋の昼カバンの隅に溜る闇

地虫鳴くサービスタイムのラブホテル

人間の中にんげん秋の蝶

受賞作品

篠田純子

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皆様の作品を見て甲乙つけ難く、個性の強い作、安定淡々の作、種々見せて頂

き皆、頑張っている姿は心強い限りです。その中で今年は篠田純子作品を推すこ

とにしました。

 

作品は視点が新鮮で彩りもあり全作品に明るい雰囲気を供えて居ります。思い

切った表現は若さでしょうが、古いものへも手をかざし変化を見せました。行き

つく処は作者の熱き人間愛です。

 

推薦句中の「シェーカーに8の残像春の宵」の「8の残像」は残る作品かも知

れません。私の深読みかも知れませんが。

 

8は無限のシンボル。キリスト教における唯一絶対神エホバの名を数字で表し

たのが8であると言います。「8」と書くとき手の動きがリズミカルな交替によっ

て描かれることを「動と反動、混乱と進化」を暗示していると言います。篠田さ

ん特殊感覚を蔵していると思います。

堀内一郎 

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一月の句会

 

傳  

     

中野区 

カフェ傳

注連飾りして有難き木となれり

喜久恵

湯豆腐や猫は人より猫が好き

喜 

初詣すぐ鰻屋へまはりけり

藤 

初鴉地上ばかりを観てゐたり

尚 

おのずから笑顔となりぬ初写真 綾 

木枯の止みて溜息一つかな

典 

人の目や藁のにほひの河馬の糞

敦 

水仙の咲きつぐ元気もらひけり

茂登子

銀杏をいつぱい踏んで初参り

恭 

泣き声が家を揺るがす年始客

理 

競ひ合ひ独楽をまはせし三世代

美代子

付合の間遠になりし雑煮かな

弘 

 

調句会 

 

さいたま市

岸町公民館 

荒川の風をまともに冬木の芽

綾 

冬の風石の肌より母の声

友 

風荒るる日の初釜へゆくといふ

藤 

荒畠のきらめけるなり霜柱

泰 

夜半の雪貸し農園に残りけり

慶 

荒筵小豆の一粒まで掃ふ

弘 

街路樹の土に冬野の荒びかな

喜 

 

七座 

中野区 

小川苑 

羽子つきの聞えぬままに羽子日和

尚 

藪入やとべば雀は雀いろ

木 

初御空背面跳をしてみるか

喜 

子午線を指ではじいてゐる二日

恭 

子がくれし一粒の飴春隣

夏 

かたまりになりたる河馬の冬日和

東亜未

初夢のとぎれとぎれのもどかしさ

多枝子

裏道の多き谷中の寒椿

藤 

大寒や横断歩道両手あげ

須磨子

傳句会�

毎月第�火曜

���傳�

森�

理和

�03-3368-4263

調句会�

毎月第3金曜�

岸町公民館�

竹内弘子

�0488-86-3501

��吟行会�

四月第3日曜

田端

田中藤穂�

3821-0349

七座句会�

毎月第�火曜

小川苑�

吉弘恭子

�090-9839-3943

連句勉強会�

毎月第1日曜

中野坂上��

佐藤喜孝

�090-9828-4244

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三月号大遅延、ご寛恕を。

 

表紙は昨年三月も末の七時頃、家の前の道で撮つた。

宝仙寺に向いた道は朝日が良く射す。タクシーがやつと

通れるといふ路地に近い道。その上、電柱や自転車が狭

めてゐる。ときをり運転手さんが降りて自転車をどかし

てゐる。朝は勤め人が早足で通る。むかしはこの道を金

魚や玄米パンの振売りが通つた。夏の夕方は縁台が持出

され親父たちが団扇で臑を叩きながら無駄話をしてゐた

ものだ。そんなことを懐かしむやうに私もなつてきた。

(喜孝) 

二〇〇八年三月号

  

発行日   

三月三十一日

  

発行所   

東京都中野区中央2-

50-

3

  

電 

話   

090-

9828-

4244  

佐藤喜孝

  

印刷・製本・レイアウト      

 

竹僊房

カット/恩田秋夫・松村美智子

表紙・佐藤喜孝

   

会費 

一〇〇〇〇円(送料共)/一年

郵便振替 

00130-

6-

55526(あを発行所)

乱丁・落丁お取替えします。

 

あを吟行会のお知らせ

吟行地�

田端

日�

時�

4月20日�日�午前11時

集合場所�

田端文士村記念館

JR田端駅北口��徒歩1分

句会場�

田中藤穂�

申込��切��

4月15日���

申込先�

田中藤穂�

�3821)0349

五月��葛西臨海公園��予定�

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中野区上高田 1-1-103-3368-4263

「あを」入会ご希望の方は下記まで。

自選作品は5句 (作品により添削あり)

「あをかき集」は7句投句。

普通会員 10,000(年間)

インターネット会員(冊子無し)

5,000

連絡先

 [email protected]