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歴史編纂資料 090.2 16 中央明大文 禁帯出 b9ノ、つ 明治大学広報課 歴史編篁辮資料{至

歴史編篁辮資料{至 明治大学広報課 · 報知新聞゜時事新報゜能仁新報゜東京蟄゜郵鐙知新聞゜山陰新聞夫同新聞゜中外粟新聞゜大朝訂に一、収集資料は、東京毎日新聞・東京朝日新聞・読売新聞・東京日日新聞・国民新聞・朝野新聞・東京曙新聞・その関係の新聞記事の資料を収録した。一、本報告書は明治十三年(一八八〇)より

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歴史編纂資料室報告 第四集

090.2

  16

中央明大文

 禁帯出

b9ノ、つ

明治大学広報課

歴史編篁辮資料{至

Page 2: 歴史編篁辮資料{至 明治大学広報課 · 報知新聞゜時事新報゜能仁新報゜東京蟄゜郵鐙知新聞゜山陰新聞夫同新聞゜中外粟新聞゜大朝訂に一、収集資料は、東京毎日新聞・東京朝日新聞・読売新聞・東京日日新聞・国民新聞・朝野新聞・東京曙新聞・その関係の新聞記事の資料を収録した。一、本報告書は明治十三年(一八八〇)より

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刊行の ことば

 ここに報告集第四集として「新聞集成・明治期五大法律学校関係史料集」を刊行いたします。

 本集は第三集「新聞集成・明治法律学校」につづくもので、両者をもって明治期において私塾より出発した多

くの私立学校が専門学校令によって、大学に昇格するまでの過程を如実に追うことが出来ると思います。

 もちろん「新聞」ことに明治期の新聞に関してはきわめて政党色が強く、一概に信用するわけにはいきません

が、その新聞に対する《史料批判》をしてかかれば、あながち軽んずることは出来ない貴重な史料ということが

出来ます。

 今後の歴史編纂にあたっては、あくまでも地道な史料収集を行ないその実証的研究の上に《大学史》が書きか

えられると思っています。当室においては、今後共史料収集に重点を置き逐次その復刻を行っていきたいと考え

ております。

 この《史料》は本学関係者ばかりでなく、広く一般の研究者にも役立たせていただければ望外の喜びでありま

す。 

本書及び校史に関しての連絡は歴史編纂資料室宛にご連絡下さい。

  昭和四十七年三月二十五日

                        明治大学広報課歴史編纂資料室

                          広報課長吉田健二

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           凡      例

一、本報告書は明治十三年(一八八〇)より明治三十六年(一九〇三)までの、東京における五大法律学校及び

その関係の新聞記事の資料を収録した。

一、収集資料は、東京毎日新聞・東京朝日新聞・読売新聞・東京日日新聞・国民新聞・朝野新聞・東京曙新聞・

報知新聞゜時事新報゜能仁新報゜東京蟄゜郵鐙知新聞゜山陰新聞夫同新聞゜中外粟新聞゜大朝訂に

よつた。

一、・原資料には多くの誤字、脱字が含まれているだめ、収録にあたつては明らかな誤りについてのみ訂正するに

とどめ、その他は(ママ)を附しておいた。

一、資料の表記については、原則として新澱字に統一し、ないものは旧漢字をもちいた。

一ハ

{文中の見出しはそのまま用い、原資料に表記のないものは便宜上その内容により表題をつけ〔 〕を附して

作成した。       唱

一、資料末尾0新聞名、年月日のあとの活字は「新聞記事掲載面」 「掲載段」 「見出号数」である。

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明治十五年(一八八二)

明治十三年(一八八〇)

1

321文部省録事〔学令就学調査ノ儀〕・-

文部省録事〔公立学校ノ廃置〕……

文部省録事〔学事年報ノ儀)………

65452

明治十四年(一八八一)

10987慶応義塾から時事新報発行、民権派新聞発行停止頻々………4

学校教員も官吏同様、,演説講学集会禁止…………・……・……・4

東京大学の法文両学部建築……・…………・………………:・・…4

明治法律学校、箕作麟祥等が創立…-……堕…・…・…………:-4

公聞〔公費生徒の内外国修学の節差出候事〕-………:三…・・5

公聞〔東京大学考古学教室の発掘の

 埋没古物採集貯蔵についての心得〕………:………・………5

 〔御雇教師フエネロサ美術演説会〕:………………・…………5

 〔東京専門学校開校式の景況と式詞)…・……………・……:-5

 〔東京専門学校開校式における成島柳北君の祝文〕…………6

レ〔文部省所轄官立学校生徒給費規則大綱〕…-…………:・…・6

1526547

大阪の代言人議会出席者少数で流会不参加者を告発………

〔教員職員の名称並びに官位〕………・………・……・………・2

〔東京大学予備門、師範学校、図書館、教育博物館職制〕…2

公聞〔中学校教則大綱):………………・……:…………6・ 3

木挽町の専修学校、経済科目を拡張…-………:…・…:…  3

明治義塾創立広告…….・……………………:・悔:::…:…...4

明治義塾の発展…:…………:・………………:・:……:…・…・4

明治十六年(一八八三)

123

〔司法省法学校卒業者代言人試験及ぼず〕…………::  :ア

〔東京専門学校は政治、法律科に予科、理科に

土木学科を設け一層の改良を加へる〕……    ………7

〔司法省法学生、官費生の志願者数の通知〕…     :7

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546

官令〔当省直轄学校生徒処分について〕:……………:・・……7

官令〔明治十六年学事年報差出しと、専門学校等、

 各種の実態調査の達)………………:・:………………・……7

府下六大法律学校、聯合の法律研究会…:…………:・………・8

明治十七年(一八八四)

1  〔司法省八年生仏国留学のこと〕:………………・……………8

2 東京府教育談会〔各種学校取締法の検討)…:……………・…8

明治十八年(一八八五)

4321〔文部省職制の改革〕………:…:…・……………:…・…・……8

明治法律学校、卒業者八十三名……………・:………………・:9

英吉利法律学校神田錦町へ設立…-:…………・・………………9

官報〔東京法学校を東大法学部に合併)………………・……・・9

明治十九年(一八八六)

1

東京仏学校の開校準備成る・…・…………:・……………:…・…・9

2

東京仏学校開校…………::…・………:………・………・

:10

明治二十年(一八八七)

- 東京専門学校、卒業証書授与と学費給与………………   10

2 慶応義塾新築落成、煉瓦建で宏壮・………………・……   -10

明治二十一年(一八八八)

654521雑報〔特別認可生資格問題について〕……:…………・………10

官令〔私立東京仏学校認可〕:………………・……:…………・10

雑報〔東京仏学校、東京専門学校学則認可)………:………・11

官令〔明治法律学校、専修学校、特別認可学校規則認可〕…11

官令〔私立東京法学校、特別認可学校学則認可)……………11

雑報〔学則認可)………………:・:………………・……………11

明治二十二年(一八八九)

1  〔英吉利法律学校「高橋法律文庫」設立〕…………・

2  〔東京法学校と東京仏学校合併の協義)…………:  ……12

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545678924  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  15  12  11  10

慶応義塾が大学組織の基金募集:………………・…:…………・12

雑報〔慶応義塾大学の組織改革について〕……………:…・…12

雑報〔私立学校の大学組織への転化にょる

 帝国大学の将来〕:……………鴇:・……:…………    :12

〔帝国大学を独立会計とする案〕①………………・・--………15

〔帝国大学を独立会計とする案)②…………-:…・・   13

〔英吉利法律学校を私立大学に昇格せんがため

 岩崎弥之助氏五十万円を義摘〕:……………・………………13

雑報〔英吉利法律学校を私立大学に昇格せんがため

 岩崎弥之助氏五十万円を義摘〕:……………

雑報〔帝国大学独立会計に関する金子堅太郎氏の案)

〔帝国大学独立会計につき同校教授建議〕………………:

〔大学独立の議内閣にて審議)…:……………・…………:

社説、狸に哀を哀竜の御袖に乞ふこと勿れ………………:

雑報〔大学独立のため帝室費を以てする案)……………・

帝国大学ハ何を以て独立せざる可からざる鰍……………:

社説、何が故に狼狽せざる可らざるか……:………:・…・:

帝国大学総長の撰任と代言組合会長の撰挙……・………

〔五法律学校東北学生懇親会開催〕……………・…・……・……

〔帝国大学独立についての記事〕:: ……………・……………9

雑報〔同志社大学設立につき、米人ハルリス氏より寄附〕…20

雑報〔帝国大学独立案につき嘉納治五郎氏の意見書〕………20

〔帝国大学総長、黒田総理のもとに出頭〕……-…………・…21

雑報〔東京仏学校、東京法学校との合併〕:………………・…21

〔帝国大学独立の議に付部内における抗争)…:…………:・・21

19  19  17  16  16  15  14  14 14  13

27 26 2535  34  55  32  51 ろ0 29 28

〔民法中の人事篇は仏蘭西流にせざるの件〕…・……………21

法典編纂に付き増島、鳩山両氏の演説…………      22

雑報〔英吉利法律学校有志「法学士会の意見」

 について演説会を行なう〕:………………・…:……………・23

〔英吉利法律学校講談会〕………・………・……   ………23

専修学校増築:………………・:………………・: ・ ………23

〔商法草案発布延期についての諸説)………・   ………・25

〔民法草案の穴をさぐる〕-……………:・……:  」………23

〔仏国派の衰退と法学派の拾頭〕………………     :・・24

〔商法草按の文章は難易なこと〕……………:     …・24

〔英法学者の法典編纂に対する意見〕……     ………25

〔前号記事訂正、英法学者に編纂を依頼せず〕・  ………25

明治二十三年(一八九〇)

12545678

日本法律学校、開校式挙行…-…………:・……………:…・…・25

雑報〔日本法律学校設立反対の政談演説会〕…………・ :26

〔大学校令改正について〕…:………:…・……………:…・…・26

雑報〔日本法律学校事件の政談演説会〕:……………:・…・…26

〔三学令発布の延引の理由〕…・……………・…………:……・・26

〔日本法律学校特別認可事件)…:……………・………………27

〔日本法律学校保護金と書籍版権下附に就て〕………………27

大学総長の更迭:……………:・……………:…・………………・27

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24  23  22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10  9

国家的教育と個人的教育…………・  ……・-………………・28

ボ.アソナード先生の書…:……:          :…29

ボアソナード先生の書::         ……:……・…・50

稟告〔日本法律学校入試広告〕・   ………………・………引

和仏法律学校〔入試広告〕・……     …………・…ド…-32

〔民法人事篇に於ける保守主義〕 …:: ………………:・・55

司法部内の古物保存……………    ・…:………………・54

〔和仏法律学校法典完結の祝宴をはる〕-…………:…・:…-34

社説〔商法実施延期論、上〕:………:……:………………・34

社説〔商法実施延期論、中〕:……:…    ……・……::55

社説〔商法実施延期論、下〕…    :……………・………36

〔東京専門学校大演説会)-……………:・……………:…・…・38

〔東京専門学校帝国議会開院の祝賀表彰会開催〕・…………58

〔和仏法律学校の法律討論会〕………・………・……・…………38

〔府下実業家諸氏商法実施延期の請願〕:………………・……39

〔商法実施延期論者の心配〕:」…………・…・………………:39

明治二十四年(一八九一)

4321寄書〔商法実施延期の議決に就て)………………:  :…:39

〔商法及び民法審査委員設置〕:……………:・・………………41

〔商法民法修正審査規準についての勅選議員の意見〕………41

〔商法及民法修正方案、佐竹義和氏提出)……………: …期

19  18  17  16  15 14  13  12  11  10  9 8 7 6 5

〔東京専門学校の文学会)…-………:…・・-

我司法部の前途憂ふべし、日芳学人 増島六一郎…

同志社大学開校式……………:…・:……………:…

同志社大学東京移転問題:…………:…・……::……:

〔ボアソナード氏の音心見書〕……:………・:

〔訂正文〕〔法学協会は英法学者の専有物にあらず〕:

私学大聯盟……………::・………………:

私学撲滅論………………・………………:・:…・………・

〔民法及商法の修正調査〕………………・・……::-   …4

〔商法修正について、三好司法次官の話〕…………

商法を等閑にする勿れ………:……………:…・:

〔政府再び商法の施行延期〕:………………・…

民法商法を如何すべきや………………・・…:……

民法商法を如何すべきや(承前)………………

〔商法一部施行は却て非法典論者の援を為す)

48  47  46  46 45 45 4 44 44 44 44  45  45  42  42

明治一.一十五年(一八九二)

54,521.雑報〔民法商法の実施延期説〕………・………・…:…   :48

雑報〔再び民法商法の延期説に就て〕………………    ㌍,

雑報〔法典実施に関する意見〕:………………・……:   49

雑報〔法治協会の会頭後任問題について〕…………   -49

雑報、〔新法典に付某伯の談話〕………………:・:: ………:50

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22  21  20  19  18  17  16  15  14  13  12  11  10 9 8 7 62325 242ア 26

雑報〔英法学派法典実施延期に関する意見書を配布す〕……50

雑報〔英法学派の意見書配布(承前)〕-………:-…・……:…51

雑報〔司法部内の花合事件〕……………・…・:………………・・引

雑報〔花合事件は英法学生と仏法学生の争〕……:…………・52

雑報〔法典延期派の意向〕°………………・・ピ………………・::52

雑報〔法官花弄と法学生〕…-…………:・:………………・…・52

雑報〔花合事件を英、仏両派の争いと見るべからず)…… 55

雑報〔衆議院議員の法典延期の建議〕………………・……-…53

雑報〔村田保氏と法治協会〕:…………:…・…:……-…… 53

社説〔法典延期と修正〕-……………・………………・-…54

雑報〔法典実施派板垣伯を説く〕…………:       54

雑報〔大隈伯の法典談〕:………………・……:…………・… 55

雑報〔能弁学会主催の法典問題演説会)…・……………・:- 55

雑報〔伊藤伯と法典問題〕:………………・…………………・:55

雑報〔法典問題に関する内閣大臣の抗争)…………・……・・…55

議会〔法典修正審査委員設置の建議案提出〕:・……  …56

雑報〔貴族院より衆議院へ回附せし法典実施延期案

 についての田中、大木、両大臣の談話〕:………………・56

社説〔法典実施延期案の両議院通過に対する

 教育家の反省を望む〕……-……:…・:………………・…:-56

雑報〔法典延期案可決によるボアソナード氏の失望〕………57

雑報〔法典延期派の勝利により英法学者は

 「六十会」を組織す〕-……:………・………:………・…・…57

雑報〔法典問題に関する某相の談話〕:………………・………58

雑報〔法典取調委員設置の理由〕:………………・……………59

39  38  37  56  55  34  53  52  31 30 29 2841 40

雑報〔法典取調委員と内閣〕………………・・……………:…・・59

雑報〔松野法典委員と六十会〕……・…………・………・………60

雑報〔商法施行取調委員の性格について〕………:………・…60

雑報〔法典委員会の内情〕………-…:…・………………:・・…61

雑報〔貴衆両院及院外延期論者の奔走〕…………:……・……61

雑報〔法典取調委員会と法典一部施行についての協議〕……61

雑報〔断行派「六十会」臨時惣会を秘密裡に開催〕   ・62

雑報〔代言試験問題の漏洩〕……:…………・……:    62

                     、

雑報〔代言人試験中止彙聞〕………………:・…………・ :63

雑報〔横浜に於る試験問題漏洩の原因〕…………:    64

雑報、代言人試問題漏洩余聞…………・……・・:     :65

雑報〔六大法律学校委員は試験漏洩問題について

 協議し、試験委員を訪問〕……:…………・……:   :65

、雑報〔代言人試験問題漏洩事件の終末〕…:………:   65

雑報〔卒業生の価値下落す〕………………・・………:   65

明治二十六年(天九三)

4321東京専門学校の図書館規模拡張・…

法典調査に就て学派の衝突…::

得業生の未来………………:

指定学校認可学校両立… ……

67  67  66  66

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明治二十七年(一八九四)

1

福沢諭吉、塾内に朝鮮語学校創設……: ………・:……:・・68

明治二十九年(一八九六)

雑報〔浜尾帝国大学総長の大学生論〕

●■● 9・● ●oり●りo ●曹0 90瀕● .

:…:68

明治一二十年(一八九七)

54321学事〔私立法律学校出身者の非大学的運動〕…………………68

官学に対抗の非大学派の運動:………………・:………………・69

東京法学院卒業式:………………・:………………・・ ……・…69

六大法律学校と其の将来……:…………・…:……………・……69

上野図書館大混雑弁護士試験加重………・………・……………・69

明治三十一年(一八九八)

54321有賀長雄主筆の下に外交時報を発行-……: ………・……::70

法科大学の学年延長講究学科増加の為…:  ………………70

私立学校の卑屈、抱月:……………・……:  ………………70

所謂学閥に関して争ふ者に教ふ…………-   …………:71

所謂学閥に関して争ふ者に教ふ(承前):  ………………72

明治三十二年(一八九九)

654521随感随筆 弥生山人………・………・…………………・……・…:73

文部の八年計画(宣く十五大学を起すべし)- …………-74

帝国大学論(一):……………・:……………….………………75

帝国大学論(二):………:……・……:…………・…………・…76

和仏法律学校の高等科……:……・:………………・……………77

青山学院、明治学院一旦廃校を決意:……………・……………77

明治三十三年(一九〇〇)

1

福沢諭吉御沙汰書を賜はる、教育界の功労者

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2

 として斯の光栄に浴す………………::-♂…:::・:・.  77

東京専門学校が大学部専門部設置の計画………・……・:  :78

明治三十四年(’九〇一)

1110987654321政府の大学増設に反対す……:………:・………:……・:・:・:.・78

公徳の養成風俗の改良……………:…・:……:::・:・:・…:・:・79

高等学校令及専門学校令………:………………・…:…:・……・79

文部の大学増設主義:………………・……………・::………….79

大学増設〔東北、九州二大学について〕…:………・:…:・…・80

東京市教育会総会(星亨教育会長の演説の一部抜書)…・…:81

大学罵倒談…………:…:…・…:.….…:……….:…:….…….81

星大学設置計画………::……・…・…:…:・……………:・…….82

論説、教育方針の一変、私立大学の奨励-………:…・…:・…・82

明治法律学校11拡張…………:…:・……………:…・…………・83

論説、教育方針の一変、私立大学の奨励(承前)……………83

明治三十五年(一九〇二)

13  12  11  10  9  8  7  6  5  4  3

関西法律学校新築……………::・……:

日本教育瞥見……………:…:…:…・

〔東京専門学校 早稲田大学と改称〕

いよいよ明日から早稲田大学…………

早稲田大学開校式並紀念会…-…:…・

〔早稲田大学の開校〕……:…・…:::

東京専門学校廿周年を兼ね早稲田大学1ー開校式を挙行す・…

早稲田大学開校式…………………:…・

学制改革に対する大学の意見:…:・….

学制研究会の意饗………:………・……

学制研究会の報告……………:………・

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づ291

ii:ii…iii91  88  8ア  86  86  86  85  85  85

・明治三十六年(一九〇三)

521専門学校令…………-・

私立大学認可…・…レ……:

日本法律学校の大学組織

……:……:95

…:……:…:93

……::………93

1 雑報〔帝国大学 高等学校及び中学校改正法案〕・…: …84

2 学制調査会設置に決定:……………:・………………  :・…:85

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口解 説口

集新成聞

明治期五大法律学校関係史料について

 当室では昨年報告集第三集「新聞集成明治法律学校」を上梓した。おかげさまで好評を得ることが出来て嬉しく思つている。それ

につけても明治期において教育史に関する史料集の刊行は少くない。特に《大学史》に関するものはなおさらである。《大学史》とい

う学問大系すら確立されていない今日においてはたとえ新聞集成の史料といえどもその利用価値は高いものと思う。

 明治十年代それは現在の著名私立大学の籏生期である。そしてその設立の主流となつたのは「法律学校」であつた。それは、わが国

の近代史上にあつて当然に出されてくるものであつた。

 何故ならば当時、我が国は、近代化の過程にあるとはいえ、それは欧米列強の圧迫下にあつた後進国としてのものであり、まつ先進

資本主義国へのレベルアツプが要求されるわけである。明治政府の〈上から〉の資本主義化、即ち殖産興業政策、富国強兵策もその一

つの現われである。そして、その底流には幕末期に結ばれた不平等条約の撤廃を意図する国家的願望があつたことは見逃してはならな

い。そのための国内法の整備・確立であつたわけである。「近代法治国家」それこそ近代国家として成立する基底的なものであつた。

 それ故、法律学校の族生はまた国民的な趨勢でもあつたわけである。 「権利自由」の法思想と実務的な法律知識の育成こそ、明治法

律学校の設立目的であり、政治的・社会的要請にこたえるものであつたのである。

 多くの私立法律学校、なかんつく、明治法学律校(明治大学の前身)、和仏法律学校(法政大学の前身)、等は《自由民権》を標楴し

て設立されたといつても過言ではない。だが、それは明治十年代を考える場合、ある意味では平面的な見方といえるであろう。当時に

あつては、それはあくまでも《国権》を基底とした《民権》であつたということである。

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 言換えるならば民権思想を鼓舞する青年思想家も、その基礎には国権意識を併せもつといつた明治期の思想の二重構造を考えにいれ

なくてはならない。                           し

 さて、この新聞集成の「五大法律学校」という名称は正式なものではなく、あくまでも便宜的につけたものである。しいていえば、

明治二十年代、世上一般に、和仏法律学校・専修学校・明治法律学校・東京専門学校・東京法学院を指して五大法律学校と呼んでい

た。これらの五校はお互に神田一ッ橋などにおいて「五大法律学校聯合討論会」を毎月おこなつていた。そして、その討論会は私立五

大法律学校の法律についての《教育の場》であると共に、また民間にあつての学問の場であり、実際に法律学の研究の場を提供して

いたのであり、そのもつ意味はきわめて大きいといわなくてはならない。それは今日いわれる処の学校間の交流のわくを出たものであ

り、むしろ社会に対してもつた意義はきわめて高いものであろう。

しかし、本集は「五大法律学校」と銘うつたからといつてもあくまでも五校のみをとりあつかつたわけではない。むしろ広く大学教育

に関する記事を集成したものである。明治三十六年専門学校令が施行され、それぞれ専門学校が大学に昇格するまでの過程を追つたも

のである。その中には今日の大学問題の原型が随所にみられるわけである。即ち官学と私学との相剋の問題・私学助成の問題、そして

それに対置する私学撲滅論の拾頭などである。

 中でも《民法典論争》については紙面の大半をついやしている。 『論争』の意義は法律学校の問題にとどまるものでなく、歴史的に

みても近代法制史的にみても大きな転換期を象徴していると考えたからである。

 この史料をご利用くださる方はあわせて前集「新聞集成・明治法律学校」と併用していただきたいと考えている。それは唯単に便宜

的に二冊に分冊したのであつて合冊することによつて、その史料復刻の意義は倍加されると考えるからである。

                                             (歴史編纂資料室)

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1

明治十三年(一八八〇)

文部省録事〔学令就学調査ノ儀〕

 ○第三号                府県

 学令就学調査ノ儀読書習字算術地理歴史修身ノ六科ヲ兼学スルモ

ノハ之ヲ普通教育就学トナスベク該六科ヲ兼学セザルモノハ之ヲ変

則就学トナスベシ此旨   候事

 明治十三年一月七日

〔読売新聞 明治十三年一月十日 ↓面、

2

文部卿 寺島 宗則

三段〕

文部省録事〔公立学校ノ廃置〕

○第十七号

麿県

 地方税ヲ以テ設立セル公立学校ノ廃置ハ其都度開申致スベキ旨文

部省明治十三年四月第十号ヲ以テ相達シ置候処自今地方税並二他ノ

金種ヲ以テ府県二於テ設立セル公立学校ノ廃置ハ其都度事由ヲ具シ

左ノ箇条ヲ記載シテ文部省へ開申致スベシ此旨更二相達シ候事

 明治十一二年九月十六日

                   文部卿河野敏鎌

 〔読売新聞 明治十三年九月十七日 一段、 一面)

5

文部省録事〔学事年報ノ儀〕

○第+八号             府県

学事年報ノ儀今後別紙開列ノ条項毎年十二月三十一日ノ現数二拠

リ取調べ且管下学事ノ現状諸規法類及ビ将来新設スベキ事件等分類

ヲ以テ詳細記戴翌年三月限リ差出スベシ此旨相達シ候事但シ取調蜀

表ノ儀ハ従前ノ通リ当省ヨり相渡スベシ

 明治十三年十月六日

                   文部卿 河野敏鎌

 〔読売新聞 明治十三年十月九日 第一面、一段〕

1

明治十四年(一八八一)

大阪の代言人議会

  出席者少数で流会、

不参加者を告発

 去る九日に大阪江戸堀なる府会議事堂に於て、代言人会議を開き

たるに、此日は不参の人々多くして開会の運びに至らぬゆゑ、小島

忠里氏は外か一人と謀りて、代言人の近傍に住居するものを呼び集

めんと石橋栄太郎を尋ねしに、同氏と梅田壮二氏とは訴訟事件に付

き示談の事あるを以て、不参の趣き届け置きありしが、此の時両氏

が常安橋南詰の生洲に於て喫飯なし居る処へ行き掛り、小島氏は直

に会場へ帰りて斯と告げしに、会長山下氏はこれを認めて、事故に

托して遊蕩せしものとなし、遂に検事局へ告発に及びたるが、前の

両氏は会長の処分を不当なりとし、両氏を助けて其の不当を論ずる

もの十余名に及び、又た会長を助けて会長の処分は決して不当なら

ずと論ずる者も十余人に及び、両説に分れて今尚ほ論判最中なりと

の報あり。

 〔東京日日新聞 明治十四年三月二十二日〕

(1)

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2 〔教員職員の名称並びに官位〕

○太政官第五拾二号達し一昨日の続き

準官等

小学校

準官等

小学校

十一等以下十三等腓上

長十一等十二等十 二等十四等十五等十山ハ等十七竺可

一等訓導二等訓導三等訓導四等訓導五等訓導

⊥ハ

剏P導七竺寸訓道寸

 右の外専門学校農学校商業学校職工学校等職員名称並に准官等ハ

該学校の等位により師範学校中学校若くハ小学校に准ずべし(畢)

 〔読売新聞 明治十四年六月十四日 二画 一段〕、

 3 〔東京大学予備門・師範学校

          図書館・教育博物館職制〕

○太政官第五十一号お達し昨日の続き

 東京大学予備門

長総理の命を受け予備門の事務を管理す○教諭生徒教諭を掌る

○助教諭の職掌を助く○書記.各庶務に従事す

 外国語学校師範学校中学校職工学校職制 長 文部卿の命を奉じ

     (ママ)

本校の事務を幹理し其職員を監督す、判任以上の進退馳防ハ文部卿

に具状し等外以上ハ之を専行す、事故あるときハ奏任或ハ判任の職

員をして其霧を代馨しむをを得○教諭㌦弥徒の教諭を掌どる○

助教諭‘教諭の職掌を助く○訓導 師範学校附属小学校生徒の訓導

を掌どるO書記 各庶務に従事す

 図書館教育博物館職制

長 文部卿の命を奉じ本館の事務を幹理し其職員を監督す、判任以

上の進退瓢防ハ文部卿に具状し等外以上ハ之を専行す、事故あると

きハ奏任或ハ判任の職員をして其事務を代理せしむることを得○書

記 各庶務に従事す

 総 理 勅任年俸四千八百円四千弐百円三千六百円三千円

  長  奏任年俸三千円弐千四百円弐千百円千八百円

         千五百円千弐百円九百六十円

 教 授 勅任年俸四千八百円四千弐百円三千六百円三千円

    奏任年俸三千六百円三千円弐千四百円弐千百円

         千八百円千五百円

 助教授 奏任年俸千八百円千五百円千弐百円九百六拾円

    判任年俸千弐百円九百六拾円八百四拾円七百弐拾円

         六百円

 教 諭 奏任年俸三千円弐千四百円弐千百円千八百円

         千五百円千弐百円九百六拾円

 教 諭               八百四拾円七百弐拾円

助教諭

訓 導

書 記

判任年俸千弐百円九百六拾円

    六百円

判任年俸六百円五百四拾円四百弐拾円三百六拾円

    三百円弐百四拾円

判任年俸五百四拾円四百八拾円四百弐拾円

    三百六拾円三百円弐百四拾円百八拾円

    百四拾四円

判任一等ヨリ十等二至ル官等俸給属二同ジ

,教授以下訓導以上ハ其職務定時間に満たるときハ適宜俸額を減給

(2)

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することあるべし、総理ハ大学の総長にして長ハ大学各学部(大学

予備門、外国語学校、師範学校、中学校、職工学校、図書館、教育

博物館の主張なりσ教授、レ助教授ハ.大学各学部の教員にして教諭、

助教諭ハ大学予備門、外国語学校、師範学校、中学校、職工学校の

教員なり○訓導ハ師範学校附属小学校の教員なり○書記ハ校館の属

員なり                       (畢)

 〔読売新聞 明治十四年六月十八日 一面 三段 五号〕

4

公 聞r〔中学校教則大綱〕

○文部省第二十八号お達し昨日の別冊

    中学校教則大綱

第一条 中学校ハ高等ノ普通学科ヲ授クル所ニシテ中人以上ノ業務

二就クガ為メ又ハ高等ノ学校二入ルガ為メニ必須ノ学科ヲ授クルモ

ノトス○第二条 中学科ヲ分ツテ初等高等ノニ等トス○第三条 初

等中学科ハ修身、和漢文、英語、算術、代数、幾何、地理、歴史、

生理、動物、植物、物理、化学、経済、記簿、習字、図画及ビ唱

歌、体操トス但シ唱歌ハ教授法等ノ整フヲ待ツテ之ヲ設クベシ○第

四条、高等中学科ハ初等中学科ノ修身、和漢文、英語、記簿、図画

及ビ唱歌、体操ノ続二]二角法、金石、本邦法令ヲ加へ又更二物理、

化学ヲ授クルモノトス○第五条 中学校二於テハ土地ノ情況二因リ

高等中学科ノ外若クハ高等中学科ヲ置カズ普通文科、普通理科ヲ置

ギ又農業、工業、商業等ノ専修科ヲ置クコトヲ得○第六条 普通文

科ハ高等中学科中ノ三角法、金石、物理、化学、図画等ノ某科ヲ除

キ或ハ其程度ヲ減ジ修身、和漢文、英語、本邦法令等某科ノ程度ヲ

増シ又歴史、経済、論理、心理等ノ某科ヲ加フルモノトス○第七条

普通理科ハ高等中学科中ノ和漢文、英語、本邦法令等ノ某科ヲ除キ

或ハ某程度ヲ減ジ金石、物理、化学、図画等某科ノ程度ヲ増シ又代

数幾何、測量、地質、重学、天文等ノ某科ヲ加フルモノトス○第八

条 初等中学科卒業ノ者ハ高等中学科ハ勿論普通文科、普通理科其

ノ他師範学科、諸専門ノ学科等ヲ修ムルヲ得ベシ○第九条 高等中

学科卒業ノ者ハ大学科、高等専門学科等ヲ修ムルヲ得ベシ但シ大学

科ヲ修メントスル者ハ当分ノ内尚必須ノ外国語学ヲ修メンコトヲ要

ス○第十条 初等中学科ヲ修メントスル生徒ハ小学中等科卒業以上

ノ学力アル者タルベシ○第十一条 中学校ノ修業年限ハ初等科ヲ四

箇年トシ高等科ヲニ箇年トシ通ジテ六箇年トス但シ此修業年限ヲ伸

縮…スルコトヲ得ベシト錐モ一箇年ヲ過グベカラズ○第十二条 中学

校二於テハ一年三十二週以上授業スルモノトス○第十三条 中学校

授業ノ時間ハ初等科ハ一週二十八時高等科ハ一週二十六時ヲ以テ度

トス但シ此時間ヲ伸縮スルコトヲ得ベシト錐モ一週二十二時ヲ下ル

ベカラズ三十時二過グベヵラズ右掲グル所ノ中学科毎週授業時間ノ

一例ヲ示スコト左表ノ如シ(表ハ略す)          (畢)

 〔読売新聞 明治十四年八月三日 ↓面、一~二段 五号〕

っ5 木挽町の専修学校・経済科目を拡張

 頃日の広告欄中に掲げある木挽町の専修学校にては、当九月の期

より経済科には統計学並に旧幕財政の講義を加へられ、彼の統計学

に有名なる太政官大書記官杉亨二君が講義せらるるよし、法律科も

去る学年よりは授業の時間をまし、我邦現今の法律に一層注意さる

Xよしに聞べり

 〔東京曙新聞 明治十四年九月五日〕

(3)

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6 明治義塾創立広告

 今般同志相会シ学校ヲ創立之ヲ明治義塾と名ケ、英書ヲ以テ政

治、法律、経済ノ三科井二漢書、算術ヲ教授ス、有志ノ諸君ハ来ル

九月十日ヨリ十月十日マデニ左ノ番地へ御申込アルベシ、但十月十

五日開校ノ事

             発起人 神田錦町二丁目二番地

〔郵便報知新聞

         馬場 辰猪

         武藤常徳

         柿内 正補

         大石 正巳

         斎藤修一郎

明治十四年九月二十六日〕

秦野重太郎

西本 正雄

豊川 良平

谷  己猪

7 明治義塾の発展

 神田綿町二丁目の明治義塾は開校以来入学を乞ふ者益す多きに

付、今度文学士千頭清臣、同福富孝季、南摩羽峰の三氏を聰し、猶

博く教授さるΣ由。

 〔朝野新聞 明治十四年十一月二十四日〕

  明治十五年(一八八二)

- 慶応義塾から時事新報発行、

       民権派新聞発行停止頻々

慶応義塾出版社にて、近々に時事新報と題する毎日の新聞を発行

せらる玉よし、福沢、小幡両氏も筆を執らる玉由なれば、定めし卓

論も出るなるべし。又た朝野新聞は昨日解停せられたれば、本日よ

り発行なるべし、近事評論、扶桑新誌、江湖新報等は何れも去る廿

五日に、徳島の普通新聞は去る十九日に発行停止を命ぜられたり。

 〔東京日日新聞 明治十五年一月二十七日〕

 2 学校教員も官吏同様演説講学集会禁止

 官史にて職務外に係る政談講学のために公衆を集めることの相成

らざれば、公立学校教員も同じく開智講学或は新聞解話など唱へ公

衆を集会し講談演説の席を開くは、他の官吏と同じく取締るべくや

と某県より文部省へ伺はれしに、伺の通りと指令ありしとそ。

 〔東京日日新聞 明治十五年二月十三日〕

  5 東京大学の法文両学部建築

  今ど本郷元富士町一番地へ建築せらるΣ東京大学の法文両学部

 は、余ほど宏壮なるもの二よし、同所は地位も学校には適格の所と

 思はる。

  〔東京日日新聞 明治十五年七月八日〕

04 明治法律学校、箕作麟祥等が創立

  先般元老院議官箕作麟祥、大政官一等宇川盛三郎の両君が周施に

 て設立ありし麹町区有楽町一丁目なる明治法律学校は、追々入学の

 生徒も日に増加し、最早や満員に近き程なれば、専門学の余科仏

 学研究の生徒の為めに今度築地辺へ同校附属の仏学校を新設するよ

 し。

(4)

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〔時事新報 明治十五年七月二十二日〕

5

公 聞〔公費生徒の内外国

        修学の節差出候事〕

○第九号

府県

 府県二於テ修学ノ為メ公費ヲ以テ生徒ヲ内外国学校等へ差出候節

ハ其修学ノ場所並ビニ教養ノ目的等左ノ書式二依リ其都度開申致ス

ベシ尤モ右ノ内変換候角有之節ハ更二開申致スベシ此旨相達シ候事

但シ従来差出タル公費修学生有之候ハ“此際取調本文同様開申スベ

シ   明治十五年九月二十五日       文部卿 福岡孝弟

 〔読売新聞 明治十五年九月二十七日 一面 一段〕

 6 公 聞〔東京大学考古学教室の発掘の

        埋没古物採集貯蔵についての心得〕

 ○第五十八号          警視庁、府県

 文部省轄東京大学二於テ考古学研究ノ為メ教員学生等ヲ各地方へ

派遣シ介櫨洞穴ヲ検出シ地方庁又ハ所有主へ協議ノ上埋没ノ古物ヲ

採集スルトキハ直二同学二貯蔵致サセ候条心得ノ為メ此旨相達シ候

事   明治十五年十月二日       大政大臣 三条實美

 〔読売新聞 明治十五年十月三日 一面 一段〕

7

〔御雇教師フェネロサ美術演説会〕

○此ほど競技会にて文部省御雇教師フエネロサ氏を招き上野不忍弁

天境内長酷亭にて美術の演説を催し佐野元老院議長も臨場されしが

同氏ハ深く此会の組織を嘉し殊更細密に述べられたる故会員一同も

感服し且つ何れも親く技術を研究する人々なれぽ益々奮発して美術

の精神を振い起さんとの気勢なる由尚来る十五日には前日の続を談

話される由なれば美術に志あるは勿論就中絵画に従事する人は会員

の媒介を求めて傍聴せぽ必ず有益のこと多かるべし

 〔読売新聞 明治十五年十月八日 三面、一段〕

0/8 〔東京専門学校開校式の景況と式詞〕

〇一昨日の紙上に記載した通り昨日府下南豊島郡下戸塚村の東京専

門学校にて開校式を行はれし景況を記せば当日午後一時校長大隈英

麿君を始め同校の教員其他招待を受けし人々並びに生徒一同教場に

並列し先ず校長英麿君が祝詞を述べられ次に同校の教員天野何某と

朝野新聞の成島柳北君(同校の議員)が同じく祝詞を朗読されそれ

より改進党の掌事小野梓君(同校の議員)が祝詞に替て同校にて政

治学、法律学、理学並に英語学の諸学科を設けられし云々の趣意に

て我輩も大いに賛成するとの旨の演説され右にて全たく式を終りた

れば招待されし人々を同校の直傍なる大隈重信君の別邸へ誘引され

て西洋料理の饗応が有りしが当日招待を受し人々は河野敏鎌君を始

め重なる改進党員改進党の新聞記者其他東京大学の教授外山正一菊

地大麓法学博士鳩山和夫等の諸氏も来会されて陸軍楽隊が楽を奏し

頗る盛会でありましたが校長英麿君の祝詞は左の通りで有ます。

   開校式詞

 天下更新主義の学方に起る都鄙の子弟争うて之を講し早く之を実

際に応用せんと欲す速成の教校甚だ今日に切なるが如し而して深く

(5)

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其纏奥を極め詳に其細故を尽さんと欲せば勢ひ又原書自読の力に依

らざるを得ず是本校正科の速成を期し並びに英語学科を設くる所以

にして其意之を以て目下の需用に供し以て我国に学問を独立せしむ

るの地歩を為さんと欲するに有り今や此開校式を行う故に柳か其目

的を述べ以て諸君に告ぐ

 〔読売新聞 明治十五年十月二十二日 一面二段~三段〕

(▽9

〔東京専門学校開校式に

     おける成島柳北君の祝文〕

○東京専門学校の開校式に成島柳北君の朗読された祝文は左の通り

で有ります

   祝  文

 苛も無学無識にて国家に利し人民に益する者ハ未嘗て有らざる也

劉項元来不読書とハ野轡世界の口実なるのみ況や方今我邦に於てハ

政体一変の時期既に近きに在り青年の士宜く奮励興起して以テ学に

就き業を成す可きの秋なりあ二此校建築新に成るを告げ本日開校の

典を行なはる葡も偏固娼嫉の人に非るよりハ誰か此挙を賛美せざる

者有らんや柳北幸に席末に陪するの栄を荷ふ安んぞ一篇の祝辞を捧

げざるを得んや抑も将来に於て上ハ皇室を不朽に安んじ下ハ国民を

永世に利するの士ハ必ず此校に出ず可し博学多識能弁篤行以て後進

の士ハ必ず此校に出ず可し古今の治乱を鑑み施政の要務を知るの士

も亦此校に出ず可し自治の精神を興発し改進の勢力を熾ならしむる

の士も亦此校に出づ可し我正理を天下に明らかにして以て卑劣頑随

の小人を悔悟せしむるの士も此校に出づ可し今日の創業に於て他日

成功を想像すれば寛に欣喜雀躍の至りに堪へざる者あり恭しく莞言

を陳して以て校長大隈君に謝し併て生徒諸君の前途を祝すと云爾

 〔読売新聞 明治十五年十月二十四日 一面 三段〕

10

〔文部省所轄官立学校生徒給費規則大綱〕

○此程文部省より東京大学、東京外語学校、東京職工学校、大坂中学

校の四学校へ左の通り達せられたり、

 文部省所轄官立学校給費規則大綱別紙之通り相定め候条其学校給

費規則之儀ハ右に準拠し更に取調べ伺ひ出づ可し此旨相達し候事

   文部省所轄官立学校学生生徒給費規則大綱

第一条 文部省所轄宮立学校(東京師範学校、東京女子師範学校を

 除く)に於て学生生徒を奨励する為に其学費を給与して之を褒賞

 給費金若くハ補助給費金と称し其之を受くる者を褒賞給費生若く

 ハ補助給費生と称す

第二条 褒賞給費金ハ学業最も優等品行最も端正なる者に給与して

 之を褒賞す

第三条 補助給費金ハ学業優等品行端正体質強健にして学資を自弁

 し難き者に給与して之を補助す

第四条 褒賞給費金の類ハ毎一員に一ケ月金七円以下補助給費金の

 額ハ毎一員に一ケ月金六円以下とす其給与の期限ハ共に一ケ年以

 内とし期満の後なお其格に合ふ者ハ更に給与を受くることを得

第五条 褒賞給費生補助給費生を設くるにハ其一種若くハニ種を要

 すると某学科某学級以上に若干員を要するとの事由を具し文部卿

 の認可を経べし但し補助給費生ハ必要なる生員の欠乏を補充する

 場合に於て之を設くるものとす

第六条 褒賞給費生ハ教員之を撰薦し学校の首長之を選定して当選

(6)

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 者に証状を給与するものとす

第七条 補助給費生ハ先保証人連署の願書を出さしめ其事実を査藪

 して後之を許可するものとす

第八条 補助給費生ハ校舎に寄宿すべきものとす但校舎之準備なき

 学校ハ此限にあらず

第九条 補助給費金を受たる者ハ卒業若くハ退学の日より起算して

 其給費を受けたる年数と等しき期限内ハ文部卿若くハ学校の首長

 より職務を示命する時之を辞するを得ず其許可を経ずして随意就

 職するを得ず

第十条 褒賞給費生給助給費生若し其格を失う時ハ直ちに給与を止

 むる者とす

 〔読売新聞 明治十五年十二月七日 一面 二段)

1

明治十六年(一八八三)

〔司法省法学校卒業者代言人試験及ぼず〕

 ○東京大学法学部卒業の者に限り代言人志願の者ハ試験に及ばず許

 可さるるが今度司法省の法学校卒業の者も右同様試験なしで許可さ

 れる事になつたといふ

  〔読売新聞 明治十六年三月十二日 三面、二段、四号〕

∩)2 〔東京専門学校は政治、法律科に予科、

     理科に土木学科を設け一層の改良を加へる〕

 ○早稲田の東京専門学校ハ開業以来日尚浅しと錐も府下の私立学校

 にてハ一二の位置を占し盛校なるが今度又一層の改良を加へられ在

来の講師九名の外に尚二名の学士を聰して政治法律の二科にハ予科

           (ママ)

を置き同科の修業期限を一周年として一年級に入るべき学力に乏し

き人を教授し又理学科にハ土木工学科を設け三ケ年を以て卒業の期

とし又英学も一層高尚の学科を教授する事に定められ就てハ是まで

の教場塾舎にてハ手狭につき更に教場新築に着手されし由なれ.ハ同

校ハ今後尚一層盛大になるで有りませう

 〔読売新聞 明治十六年 六月二十九日一面、三段、四号〕

 5 〔司法省法学生、官費生の志願者数の通知〕

○今月十日までに司法省法学生徒官費生志願の者ハ七百五十余名な

りしと

 〔読売新聞 明治十六年九月十一

一日 一面、三段、五号〕

4 官 令〔当省直轄学校生徒処分について〕

 ○第十八号              府県

 当省直轄官立学校学生生徒及ビ公立学校生徒中不都合ノ行為アリ

テ退学セシメタル者ハ其情状二因リ当省直轄官立学校及ビ府県公立

私立ノ学校二入学スル事ヲ禁ズベシ此旨相達シ候事但シ本文ノ処分

ヲ要スルトキハ其族籍姓名事由ヲ具シテ当省二申出ベシ

   明治十六年十一月二日       文部卿 福岡孝弟

 〔読売新聞 明治十六年十一月四日 一面、一段、五号〕

5 官 令〔明治十六年学事年報差出しと、

       専門学校等、各種の実態調査の達〕

○第十九号               府県

(7)

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 明治十六年学事年報罫表十一種各四通当省報告局ヨリ配付候各項

ノ計数ヲ記入シ且左二開列セル諸件ヲ祥録シ明治十七年三月限リ各

二通差出スベク此旨相達シ候事

   明治十六年十↓月二日       文部卿 福岡孝弟

   分  類            、

 (前略) 一 専門学校及農学校商業学校職工学校学校設置廃止

ノ縁由及ビ教授ノ要旨、教員ノ学力及ビ需要供給ノ関係生徒ノ増減

         (ママ)

及ビ学業ノ進否等凡ソ卿学芸二関スル教育ノ現状ヲ観察スルニ足ル

ノ条項ヲ記載スベシ但シ府県立二係ル分ハ右ノ外沿革概略、学校維

持方法等一学校ゴトニ記載スベシ、 (後略)

 〔読売新聞 明治十六年十一月四日 一面、一段、五号〕

06 府下六大法律学校、聯合の法律研究会

 府下六大法律学校即東京、明治、専修、専門、泰東等各学校の生

徒が集合し、明治十四年頃府下に於て法律聯合研究会と云へるを設

けしも、設立後僅か三四回開会ありしのみにて其後中絶の姿なりし

が、今度明治法律学校よりは平沢小隼太、黒石政太、専修学校より

は木内伝之助、小滝顕八、東京専門学校よりは早川早徳、森谷三

雄、泰東学校よりは永井直蔵等の諸氏が右研究会再興に尽力され、

一昨十一日九段坂下玉川亭へ会合し、同会の規則、綱領等を討議せ

られたり、就ては来る第三日曜日に初会を開かるる筈にて、此会の

盛大に至りし上は、一の雑誌を発党さる工由、定めし我国法律学の

進歩上に莫大の利益あるべし。

 〔朝野新聞 明治十六年十一月十三日〕

1

明治十七年(一八八四)

〔司法省八年生仏国留学のこと〕

○法学生洋行 司法省八年生の法学生徒は初め百名も有りしが種々

の事故有りて退学せし者多く自今にては梢やく三十名ほどなるが此

うち卒業のうへ優等の者四五名を抜擢して仏国へ留学させらるる由

 〔読売新聞 明治十七年一月二十四日 二面、一段、五号〕

2

東京府教育談会〔各種学校取締法の検討〕

 同会ハ明二十八日一ツ橋外の東京大学理学部講義室にて常集会を

開かれ午前第九時より正午までハ議事会を開き府庁へ建議すべき各

種学校取締方法等を議し午後よりハ会員久原躬弦君の理化学の実験

講談あり又辻新次君其ほか客員数名の演説も有る由にて午後よりハ

会員の知友親戚等ハ出席するも妨げなしといふ

 〔読売新聞 明治十七年九月二十七日 三面、二段 五号〕

1

明治十八年(一八八五)

〔文部省職制の改革〕

○文部省中の改革、文部省にてハ一昨日編輯、会計、報告の三局を

除き従前の局課掛を廃し更に内記局学務一局、同二局を置かれ右六

局主掌の事務を左の如く定められたり

内記局 本局ハ卿官房に係る事務および一切の庶務を掌る

学務一局 本局ハ大学校、専門学校、高等農学校、高等商業学校、

(8)

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 高等職工学校および学士会院、海外留学生に依る事務を掌る

学務二局 本局ハ中学校、小学校、幼稚園、師範学校、女学校、各

 種学校および書籍館、博物館、盲唖院に係る事務を掌る

編輯局 本局ハ教育に関する図書を著繹編述印行および教科用図書

 の検査に係る事務を掌る

会計局 本局ハ本省の会計営繕および土地建物の管守物品の弁給に

 係る事務を掌り兼て直轄局部の会計営繕を監督す

報告局 本局ハ報告統計および教育に関する通信博覧会に係る事務

 を掌る

 〔読売新聞 明治十八年二月十二日 二面 一段 五号〕

02 明治法律学校、卒業者八十三名

  麹町区有楽町の明治法律学校は、去る明治十四年一月、西園寺公

 望、岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操等の諸氏の創立に係るものにて、

 爾来海外より帰朝せし法学専修の人々もこれに加盟し生徒も追々増

 加して校運次第に隆盛に赴き、既に卒業したる生徒の数八十三名な

 り。又同校卒業生にして、本年の春期代言人試験を出願せし者四十

 一名の中、及第者十八名、同じく判事登用試験をうけしもの三名の

 中、及第者二名なり、尚ほ同校は来る十一日より開校の由。

  〔時事新報 明治十八年九月三日〕

03 英吉利法律学校神田錦町へ設立

  今度増島六↓郎、渋谷髄爾の二氏其他東京大学法学部の卒業生諸

氏が共同して、神田錦町へ設立の英吉利法律学校は、前号に記せし

如く昨十九日江東の中村楼に於て開校式を挙行さる。府下に有名の

学者紳士等凡そ百数十名、演説等ありて後ち盛宴を張り、厚く饗応

されたり。

 〔郵便報知新聞 明治十八年九月二十日〕

4 官 報〔東京法学校を東大法学部に合併〕

○文部省第五号

 当省所轄東京法学校ヲ東京大学法学部へ合併候条、此旨告示候

事。 

明治十八年九月二十九日

                 文部卿伯爵 大木 喬任

 〔明治十八年九月二十九日〕

1

明治十九年(一八八六)

東京仏学校の開校準備成る

○東京仏学校嚢に辻新次、山崎直胤、長田鈍太郎、平山成信、寺内

正毅、古市公威、栗塚省吾の諸氏が発企し、帝国大学御傭の仏国人

法律博士アツペール氏等の掛慮にて設けられたる仏学会にては、其

目的の通りに弥々仏学校を設け、本月中旬より開校せらるx由に

て、其の規則等も整頓し、校舎は神田区小川町一番地東京法学校の

向側にて、教場等の造作は、来る十一日頃までに出来し、教師も仏

国人本邦人とも十分に揃ひたれば、先づ生徒凡百名を入学せしむる

由、従来府下には仏学を教授する私立の学校に乏しければ、此校の

設立は後学者の便利なるべし。

(9)

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〔東京日日新聞 明治十九年十一月六日〕

 2 東京仏学校開校

○東京仏学校神田小川町に設立の同校は、去る十六日開校式を執行

す。 

〔郵便報知新聞 明治十九年十一月二十一日〕

1

明治二十年(一八八七)

東京専門学校、卒業証書授与と学費給与

○東京専門学校牛込早稲田なる同校に於ては過日来学年大試験を挙

行し、英学部に於て大石勉三、鈴木茂三郎、山本憲一の三氏に、英

学兼修科に於て吉田直太郎、野城久吉、谷新太郎の三氏に卒業証書

を与へ、其他政学部、法学部、英学部及び英学兼修科各級に於て、

成績優等なりし六十六名へ賞状を授け、又其中各級の首座を占めた

る十名へ、一学期間の学費を賞与せられたり其人名は左の如し。

 政学部三年生中村常一郎。同二年生坪谷善四郎、同一・年生内田銀

蔵、法学部三年生首藤貞吉、同二年生平野法梁、同一年生中村元

忠、英学部四年生加藤鎗十郎、同三年生中村豹太郎、同二年生、吉

田巳之助、同一年生田崎繁太郎。

 〔東京日日新聞 明治二十年三月十九日〕

 2 慶応義塾新築落成、煉瓦建で宏壮

〇三田慶応義塾、昨年の夏このかた普請中なりし同塾の煉瓦二階作

りは昨今九分通り竣功して、来る九月十一日秋季始業の日よりは此

の新築の講堂にて稽古するの運びに至れりと云ふ。其の建坪は百三

十九坪二合五夕にして、上下合せて間数十六、光坪の大広間あり、

事務所、書籍館は執れも十二坪、応接の間は二箇所にて各々六坪な

り。其の教場に充つるものは九坪乃至十五坪のもの十一間にして、

各級の生徒が時刻を同ふして席に着くも猶ほ四五百人を容る玉べ

し。 

〔時事新報 明治二十年八月三十日〕

1

明治二十一年(一八八八)

雑 報〔特別認可生資格問題について〕

○特別認可生徒 独逸協会学校専修科、英吉利法律学校の両校は此

程文部省の特別認可学校となりたるに付ては同校にては如何なる学

級を以て特別認可生となすべきかは入校志願人等の疑ひを存する所

なりしが右英吉利法律学校にては特別認可生と普通学生との二つを

区別し特別生は文部省令第三号に従ひ夫々程度を定めたる試験を行

ひて其資格を与へることになりたるよし

 〔東京朝日新聞 明治二十舶年七月十七日 一面、四級、五号)

 2 官 令〔私立東京仏学校認可〕

 ○文部省告示第五号

 明治二十一年五月文部省令第三号特別認可学校規則に依り東京府

下神田区小川町一番地私立東京仏学校法律科の学則を認可す

  明治二十一年八月九日

                文部大臣 子爵 森 有礼

(10)

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 ○文部省告示第六号〔私立東京専門学校法律学科認可〕

 明治二十一年五月文部省令第三号特別認可学校規則に依り東京府

下南豊島郡下戸塚村六百四十七番地私立東京専門学校法律学科の学

則を認可す

  明治二十一年八月九日

                文部大臣 子爵 森 有礼

 〔東京朝日新聞 明治二十一年八月十日 二面、一段、五号〕

 3 雑 報〔東京仏学校・東京専門

                学校学則認可〕

○認可学校 東京仏学校、東京専門学校の二学校は本日の官令欄内

にある如く文部省より其学則を認可せられたり

 〔東京朝日新聞 明治二十一年八月十日 二面、一段、五号〕

 4 官 令〔明治法律学校、専修学校、

            特別認可学校規則認可〕

 ○文部省告示第七号

 明治二十一年(五月)文部省令第三号特別認可学校規則に依り東

京府下神田区南甲賀町十一番地私立明治法律学校の学則を認可す

  明治二十一年八月十六日

                文部大臣 子爵 森 有礼

 ○文部省告示第八号

 明治二十一年(五月)文部省令第三号特別認可学校規則に依り東

京府下神田区今川小路二町目八番地私立専修学校の学則を認可す

  明治二十一年八月十六日

                文部大臣 子爵 森 有礼

 〔東京朝日新聞 明治二十一年八月十七日 二面、一段、五号〕

5 官 令〔私立東京法学校、特別認可

                  学校学則認可〕

 ○文部省告示第九号

 明治二十一年(五月)文部省令第三号特別認可学校規則に依り東

京府下神田区小川町嚇番地私立東京法学校の学則を認可す

  明治二十一年九月十二日

                文部大臣 子爵 森 有礼

 〔東京朝日新聞 明治二十一年九月十三日 二面、一段、五号〕

 6 雑 報〔学則認可〕

○認可学校 東京法学校は官令欄内にある如く文部省よりその学則

を認可されたり

 〔東京朝日新聞 明治二十一年九月十三日 四面、 「段、五号〕

   明治二十二年(天八九)

 - 〔英吉利法律学校「高橋法律文庫」設立〕

○高橋法律文庫 神田錦町二丁目の英吉利法律学校にてハ同校長た

りし故高橋一勝氏の紀念のため講師及び有志の法律家が発起となり

過般来同構内へ高橋法律文庫を新築中なりし処既に落成を告げたる

につき本月中に開会式を挙行する都合のよし

 〔読売新聞 明治二十二年一月三日 三面、二段、五号)

(11)“

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2

〔東京法学校と東京仏学校合併の協義〕

○東京仏学校と東京法学校 東京仏学校ハ仏学会の創立にして司法

省より毎年金五千円の補助を受け居れども右補助金なしとするとき

ハ将来の維持に懸念ありと講する人々あり又東京法学校ハ如何なる

内情あるにや東京仏学校と合併すると利なりと主張する人々ありて

両校合併の議起り昨今種々協議中なりと云ふ二認可学校にして右の

如き議ありと、容易ならぬ事なれど噂に依れバニ校舎とも接近し教

課ハ何れも仏国法律にて共に文部大臣の認可を受くる学校なるを以

て此二校を合併し教師教員を流用せバ其人を減しるを得べく又従来

二校教課の異なるところハ邦語と外国語の二途にありしが合併すれ

ぽ大に教授上の便益あるに依るとか云り

 〔讃売新聞 明治二十二年一月九目 一面、四段、五号〕

5

慶応義塾が大学組織の基金募集

○慶応義塾にては今度大学の組織を設けて、一層地位を進めたきも

のなりとて、去る二日午後四時より、社中百四五十名を同塾の広間

に会し、福沢先生は改良の趣旨並に募金の方法を述べて広く賛成寄

附の同志を求め、演説終り、 一同立食の催ほしありたるよし。

 〔朝野新聞 明治二十二年三月五日〕

4 雑報〔慶応義塾大学の

      組織改革について〕

○慶応義塾の大学組織 同義塾にては今回大学の組織を設けてその

地位を一層進めんと既に去る二日を以て同社中有余の諸士同塾に会

議を開き福沢諭吉氏が改良の趣旨及び募金の方法を述べ汎く賛成寄

附の同志を求むるの演説ありしが其大要は同義塾は開業以来此に三

十年入学生徒の数は六千三百余名その信用も厚く義塾の地位は一個

の私立普通中学校として観るものなし往々之を大学校視せり依て今

之を名実相適ふの地位に進むるには其方法多項あるも学校の地位は

重に教師の良否に関するに付先づ第一に三名の外国教師を雇聰して

文、法、商の三科を置きて大学の地位を定むべし付ては現費金の外

に新資本をも要するに付世間同志の諸氏は同塾既往現在の実況を鑑

み改良の為め多少の資金寄附あらんことを望むとの事にて其寄附方

法は左の如くなりといふ

   寄附金の方法

   (以下略す)

 〔東京朝日新聞 明治二十二年三月五日 一面、五段、五号〕

5 雑報〔私立学校の大学組織への

      転化による帝国大学の将来〕

○帝国大学の将来 新島嚢氏の計画に係る同志社の大学を始めとし

て今回慶応義塾に於てもその組織を改良し大学の組立となすの目論

見あり漸次民間に大学の設立ある勢ひなるに随つて官立大学は廃止

するも差支なからんなど主唱するものもある折柄帝国議会の開設も

来年と迫りたる事なれば同会開設の上は如何なる変動を帝国大学の

経費上に及ぼすも知ず縦令甚だしき変動を及さずとするも決して迂

潤に看過すべき所に非ずと心附きたる大学部内の恵眠家ありて目下

種々内相談中なるが若し果して斯様の懸念あるものとせば最早今日

よりその用心に取掛らざる可らず夫にしては如何なる名案を施して

(12)

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可からんか先づ何に付ても先だつものは金なるがその金穴は差詰政

府の外にあるべからず就ては若し政府にてコ瓦五三年内に大学を廃

するも可なりなどいふ滅法界の内心ある訳ならば詮方なし真逆に左

様の内心も無之しとせば宜しく好方法を立政府へ稟議して予じめ相

当の基本金様の者を下附あらんことを請ひ以て帝国議会開設の後と

錐ども同大学は屹然その風塵外に立ち将来の運命を失はざる様の下

持へを為さでは叶ふまじと心痛する向多く近々之が為めに一会議を

も開かん内談ありと聞く過般各官立学校の授業料を引上げたるが如

きも幾分か同様の底意を含み居ることならん

 〔東京朝日新聞明治二十二年三月十二日二面、二~三段、五号〕

6

〔帝国大学を独立会計とする案〕①

○帝国大学の独立 我が帝国大学をして独立せしむるの必要ある事

ハ今更申すまでもなけれど何分にも毎歳の経費ハ三十余万円別に之

が費途の出所を求むるにあらざれ.ハ遽に国庫の支弁外に立ちて維持

の方法ハ望むべからずなれども其筋にてハ色々と計画し居る向きも

ありとのよしにて其見込の如き今にして云ふべからずと難も思ふに

帝国議会の開設前にハ必らずや独立の美挙を見るに至るべきハ復疑・

ひを容るべき事ならずと洩れ聞けり

 〔読売新聞 明治二十二年三月二十六日 二面、三段、五号〕

7

〔帝国大学を独立会計とする案〕②

○帝国大学独立の策 この事につきてハ過ぐる日の紙上にも記るし

たる事ありしが其後洩れ聞く処によれバ右ハ内閣に於て尤も勢力あ

る某大臣の発議せられたるものの由にて都合よく.ハ来年より着手せ

らるべき趣きなり尤も大学を独立せしむるの策としてハ帝室財産中

の一部を裂てこれが基本財産とせらるるか然らずんバ当分帝室費よ

り補助せらるるか兎に角文部省の係累を離れて独立するの策を取ら

るるや疑ふ可らずと難も帝室財産より基本金を支出せらるるが為め

帝室財産の大に減少する等の事ありてハ甚だ不都合の次第なればこ

の場合ハ帝室財産を増加せらるるの止む可らざるに至るハ避け難き

勢ひなるべき殿

 〔読売新聞 明治二十二年三月二十九日 二面、二段、五号〕

8

〔英吉利法律学校を私立大学に昇格

せんがため岩崎弥之助氏五十万円を義掲〕

○私立大学 神田錦町の英吉利法律学校を私立大学に組織せんとの

評議ある由聞処に擦れバ紳商岩崎弥之助氏の如きも大いにこの挙を

賛成し同校資本金の内へ金五十万円を義掲せんとの申込みもあると

いふ

 〔読売新聞 明治二十二年四月五日 二面、三段、五号〕

9 雑報〔英吉利法律学校を

    私立大学に昇格せんがため

     岩崎弥之助氏五十万円を義摘〕

○英吉利法律学校 同志社先づ私立大学の計画を為し慶応義塾もま

た其計画中なるが英吉利法律学校に於ても規模を拡張して大学の組

織となすの目論見あり岩崎弥之助氏の如きは同校資本金の内へ金五

十万円を出し年々此利子を以て外国より良教師を傭はば如何ならん

とて昨今評議中なりとそ

(13)

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〔東京朝日新聞 明治二十二年四月五日 一面、五段、五号〕

-o

@雑報〔帝国大学独立会計に

     関する金子堅太郎氏の案〕

○大学独立に係る一案 昨今学士社会の一問題となり居る帝国大学

独立の事に付ては或はその基本金を向ふ五十ケ年と定めて年々国庫

より三十五万円つつの支出を請ふべしと云ひ或は全く政府の助力を

仮らず別に帝室より若干万円つつの補助を請ふべしと云ひ種々考案

を凝らす所なるが枢密院書記官金子堅太郎氏の如きも曾て大学に関

係あり随つて此問題に就き種々苦心し居たる趣にて今度大学よりの

請求に依り今五日より開会する大学の評議会に向つて一の意見書を

差出したる由その大要を聞に元来此問題たる至難の問題にして今日

の実情を以て察すれば到底纒まりたる支出の途を得べきに非らずロハ

侵に一二の途あり其は他にあらず曾て米国より我邦へ返還し来れる

彼の下の関償金の如き是れなり何となれば当時米国政府が同金を返

還せし際の言分にも何卒日本の教育の為めに之を費用したしとの言

を以てしたればなり併しながら此金額は僅かに八九十万円に過ぎず

と記憶すれば此金額のみを以て永久の基金となすべからざる事勿論

なれども先づ此の返還金を第一の基本として他は帝室其他の補助を

請ふなり即ち第二は向ふ十年間年々十万円位つつを帝室より補助せ

んことを請ひ右十年の後を待て百万円の資金を得る事、第三は宮内

大臣に依頼し皇族華族等を勧誘して相当の義据金を得る事、第四は

各地方長官に依頼して各地豪商農の寄附金を得る事、第五は斯くの

如く困難の場合に迫れるものなるを以て大学の教員役員等は自今三

ケ年間その月俸の三分の一位つつを積立る事、第六は従来大学出身

の卒業生にして目下各官庁に相当の職を奉じ居るものに対し俸給百

分一位つつの義掲を請ふ事、第七は大学教員等の開設に係る講談そ

の他の収入は都て之を補助金として義掲する事、其他年々七八万円

つつを政府より支弁することとせば其支出する所少額なるを以て為

めに国会に於て削減せらるるが如き憂もなかるべし斯くて諸方より

数口の資金を集め以て之が維持費に充るの外又方法あるべからずと

の考案なりとそ

 〔東京朝日新聞 明治二十二年四月五日 一面、二~三段、五号〕

11

〔帝国大学独立会計につき同校教授建議〕

○帝国大学独立につき建議 帝国大学の教授諸氏にハ同大学独立の

事につき財産費用の点につきて一篇の建議書を其筋に呈出せられた

るよし

 〔読売新聞 明治二十二年四月九日 二面、二段、五号〕

12

〔大学独立の議内閣にて審議〕

〇一人の局長二名の教授 大学独立の議に付てハ学者政治家の間に

種々の策案を立つる由に聞しが取分けて細密の意見を草し之を内閣

にまで提出せられたるハ大学部内に二名某局長と合せて三人なりと

承ハる某局長の意見ハ自ら為にする処なきが故鰍中正にして大臣に

も多く其説を採納せらるべき様なるが大学部内の一人ハ非常に急進

に傾きて其根底の変革を望まれ又一人ハ之に反して頑然守旧の説を

執らるる趣なるが其委曲の事ハ今日明記するに由なし之を要するに

費途ハ悉とく帝室費に仰ぐの外にハ復に他に名案もあらざるべく兎

に角に今日内閣に於て審議中の事なれパ何れにも確定あらバ更に報

(14)

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道する処あるべし

 〔読売新聞 明治二十二年四月十八日

13

@社

二面、二段、五号〕

 ○狼に哀を哀竜の御袖に乞ふこと勿れ

 憲法第六十六条に日く「皇室経費は現在の定額に依り毎年国庫よ

り之を支出し将来増額を要する場合を除く外帝国議会の協賛を要せ

ず」と蓋し皇室の尊厳を保つ所以なり素より以て吾人臣民の敢て啄

を容れ奉つるべきものに非ず一天万乗の我君の御用度、吾人臣民豊

敢て其多寡を論じ其費途を可否するに堪へんや皇室費は斯くの如く

動かす可らざるものなり皇室費は斯くの如く動かされざるものなり

其之を奇貨として皇室経費以外の事迄も猶皇室費中に編入し以て帝

国議会の波を受けざらんとするに至つては未だ可ならず

                    ベンブ

 憲法制定発布せられたるや大学関係の人々は拝舞之を賀すると共

に憂催将来を慮りたり憲法第六十四条に「国家の歳出歳入は毎年予

算を以て帝国議会の協賛を経べし」とあるを見て後日帝国議会開会

の暁、帝国議会の為めに帝国大学の経費を左右せらるることあらん

も知る可らずこは如何にせんとて大に憂慮せり大に狼狽せり而して

種々之が予防の方策を考へ或ひは海軍の海防費献金に於けるが如く

大学費献金を募りて基本金と為さんと云ひ或ひは帝室より一時下賜

金を請はんと云ひ或ひは下の関償金を以てせんと云ひ遂に大学経費

を帝室費中に組み入れ毎年帝室費を以て支弁する事にせんといふも

のあるに至れり

 往時身窮して哀を哀竜の御袖に乞ひたる者あり今や費途窮して支

出を帝室に請はんとするものあり是れ果して是なるか

 抑も皇室費の動かすべからず増額を要する時の外は帝国会議の協

賛を経るを要せざる所以のものは何ぞ、帝室の尊厳を保たんが為め

に非ずや名誉の本、慈善の本、正義の本源たる帝室の御用度を充分

ならしめんが為めに非ずや然るに唯其帝国議会の波浪以外に聾立す

るを奇貨として縁も由縁もなき帝室以外の事までも猶ほ帝室費の支

弁に委ねんとする折も是か吾人は直ちに其非なるを即答せん是れ豊

帝室費を濫用するものに非ずや蕾に帝室費を濫用するものたるのみ

ならず是れ帝国議会を蔑ろにするものなり是れ租税を軽んずるもの

なり議権を重んぜざるものなり帝国議会に左右せられては困るに依

て其支途を帝国議会の左右権外なる帝室費に仰ぐといふ是れ豊帝国

議会を蔑にするものに非ずや是れ豊租税を軽んずるものに非ずや議

権を重んぜざるものに非ずや帝国議会に於て当然議するべきものを

議せしめず狡猜にも哀竜の御袖に身を潜めて貴重なる帝国議会に鼻

を明かし人民が膏血に成る所の租税をば断りなしに使ひ棄てんとす

是れ豊正当なるものならんや

 大学の経費は果して帝室費に属すべきものなるや、果して帝室費

に属すべきものならば之れが費途は帝室費に組み入るるも不可な

し、其然らざるに於ては決して可ならざるなり大学は是れ唯教育の

府に非ずや人才薫陶学者製造の工場に非ずや、教育豊必らずしも帝

室の事業ならん、然るに此大学の費用は帝室費より支弁すべしとい

ふ、他人の借金を我に支払へといふと何ぞ択ばん若夫れ大学は名誉

ある学者の製造場なるが故に名誉の本源たる帝室に属し能ふと言は

んか斯くの如く言ひ得べくんば「大学は其独立費途に困難す貧窮の

状憐れむべきにより慈善の本源たる帝室費を以て之を済はん」とい

ふのロジックも亦捏造し難きに非ざるべし吾人未だ此ロジックの果

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して論理法に合ふや否やを知らざるなり

 若夫れ大学の経費を帝国議会に左右されては困るに依て帝室費の

支弁に属せしむべしと云はば(若し此事にして成らぽ一入)彼も帝

国議会に左右されては困る此も帝国議会に動かされては成らぬとい

つて縁の有ると無きとに係はらず有縁無縁一切衆生争ふて窮途を帝

室に求めんとするの慣例を生ずるなしとも未だ断定すべからず若し

果して斯の如くならんには是れ国家の一大弊害なり、轍葉にして苅

らずんば遂に斧を要するに至る、識老は今よりして予め慮からざる

可らず

 〔東京朝日新聞明治二十二年四月二十三日 一面、一~二段、五号〕

14

雑 報〔大学独立のため

        帝室費を以てする案〕

○大学独立の一考案 大学独立の考案に就ては予て屡々本紙に記す

如く種々の議論あることなるが帝室費を以てするといふ議論は宜し

からず年々三十余万円の大金を丸々帝室の支弁に委ぬることは好ま

しからぬのみか大学独立といふ事に就ても甚だ宜しからず元来大学

を独立するには自治体たらしめざる可らず然るに若し帝室の保護を

仰ぎ宮内省の直轄となる如き事あらば決して自治といふべからず総

長を宮内省より命ぜらるる如き事あらば何を以て独立といふべきや

唯文部の二字を改めて宮内となしたる迄ならんのみ米国ハアバート

大学は今より三十年前までは州知事に属し州知事の干渉を受け居た

りしが識者之を好まず遂に大学々生会なるものを起し光五名の評議

員を設け又更に此中より五名の委員を選挙し同大学出身の者に寄附

を募り忽ちにして八千万円の巨金を得其後火災の難に罹りたるにも

係はらず却つて之れが為め寄附金の増加を促がし今や米国第一等の

独立大学とはなりたり我大学もまた直ちに之に微ふて直様右の如き

好結果を得るといふことは難からんなれど兎に角是等の先例もあり

大学をして全く独立せしめんと欲せば勢ひ寄附金に依るの外はなし

それとも寄附金のみを以て到底維持し難しと見込み若し其不足を帝

室に仰ぐとならぽ特別を以て年限を定め単に下賜金として下附を請

ふべしといふ議論もあり態々右ハアバート大学独立の有様及び組織

等を同大学に問合はしたる人もありといふ

 〔東京朝日新聞明治二十二年四月二十四日二面、一~二段、五号〕

15

帝国大学ハ何を以て

    独立せざる可からざる歎

 独立と謂ふことハ必ずしも尊ぶ可きにあらず附属と謂ふことハ必

ずしも卑むべきことにあらず帝国大学ハ何を以て文部省の管轄を放

れて独立せざる可からざるの必要ありとなす鰍今迄文部省の下にあ

りし時ハ如何なる妨害の存せしや従来文部省の下にあれ.ハ如何なる

妨害を生ずるや仮令其名の附属たるも其実の独立たることあり仮令

其名の独立たるも其実の附属たることあり若し其実の独立たるを得

バ何ぞ文部省の下にあるを嫌はんや若其実の独立たらざれバ何ぞ文

部省の下にあらざるを喜ばんや奮に独立の文字を羨むハ余輩の決し

て取らざる所なり今の帝国大学独立論を唱ふるものハ果して如何な

る理由を以て其根拠となすか余輩与論を観察するに大学独立に於て

ハ一言も之れを非難するなきも唯之をして独立せしむるの方策に困

むものの如し若し幸にして帝国大学が文部省の管轄を放れ特別の財

産を所有して独立すれ.ハ世人ハ之を以て足れりとするか余輩ハ学問

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の独立を翼望するものなり帝国大学をして独立せしめざる可らざる

ハ学問をして独立せしめんが為めなり若し学問にして独立するを得

れ.ハ帝国大学の文部省の下にあるとあらざると決して余輩の痛痒に

関する所にあらざるなり論者ハ帝国大学が文部省の管轄を放れ特別

の財産を所有して独立するを得れパ学問ハ必ず独立するを得るとな

すか学問にして独立する能はざれバ帝国大学ハ独立するにも及ぼざ

るなり

 与論が帝国大学独立せざる可からずと謂ふ理由の根拠ハ左の二点

に過ぎざるべし帝国大学にして文部省の下に有る時ハ文部大臣の更

代内閣の交迭政海の風潮に制せられ学政に変更を生ずると明治廿三

年帝国議会開設の後ハ予算案会議の制する所となれ.ハなりと謂ふに

在り然れども此理由の根拠ハ実に浮溺にして取るに足らざるものな

り抑も教育ハ行政の↓部ならずや然バ文部大臣の更代内閣の交迭政

海の風潮に伴ふて学政に変更あるハ無論其当に然るべきことにて変

更なきこそ却ツて怪むべきものたり又帝国議会の制する所となれパ

なりとハ以ての外の言分なり帝国議会ハ何を以て設くるや日本の歳

入を考え必要と認る処にハ之を給し不必要と認る処にハ之を給せず

歳入歳出其宜きを得せしめん為なり然り而して帝国大学のみ独り日

本の歳入にて其経費を弁じ乍ら此帝国議会の検束を免れんとするハ

実に不思議千万のことなり斯くそれハ諸官省諸学校尽く独立せざる

可からざるなり此故に此二論ハ共に帝国大学をして独立せしめざる

可らざる理由となすに足らざるなり唯帝国大学をして是非独立せし

めざる可らざる理由ハ独余輩の唱ふ所の学問の独立と云理由あるの

み然.ハ則学問の独立とハ何ぞや学問ハ実に政治と分離せざる可らず

若し政治に関係せバ学問ハ直接必要的の学問たらざる可らず若し政

治と分離せバ其学問の必要不必要ハ論ずるに足らざるなり見よく

政治と関係する害ハ民法商法訴訟法の発布になれバ法律学の授教ハ

成文の逐条解釈に止りて今の法科大学ハ不必要となり之を私立学校

へ一任するも又敢て不可なきに至るべし斯くして憐にも日本にハ真

の法学なるものの跡を絶つべし又理科大学の如き文科大学の如きハ

之を廃するも之を存するも敢て今日国家に関係する所なけれ.ハ断然

之が廃止に至るべし斯くして憐にも日本にハ文学理学の跡を絶つべ

し鳴呼今日の帝国大学ハ既に学問の独立を図るものにあらず見よ大

学令にハ「帝国大学ハ国家の須要に応ずる学術技芸を教授し」と有

にあらずや然バ則ち須要ならざる学術技芸ハ之を教授せざるか学問

の必要不必要を問ヘパ焉んぞ学問の独立を得んや此の如き大学なれ

バ之を独立せしむるハ決して学問ハ独立するを得ず学問にして独立

するを得ざれバ何ぞ大学を独立せしむるの必要あらんや此故に帝国

大学をして独立せしめんと欲せバ先づ帝国大学の主意を改め学問の

独立を図つて後に之を行ふも未だ以て晩しとなさざるなり

 〔読売新聞 明治二十二年四月二十四日 一面、一~三段、三号〕

16

@社

 ○何が故に狼狽せざる可らざるか

 帝国大学が将来を気遣ひて独立に汲々とし遂に帝室費を以て大学

の経費を弁ぜんとするものさへあるに至りたる謬見の次第、筋道の

違ひたる性質の違ひたる縁も由縁もなきものを帝室費中に組み入る

ることの誤謬なる次第は之を前々号に論述せり費用の出所如何は兎

も角も吾人は先づ其斯くの如く俄かに狼狽し出したる所以を誘から

ざるを得ず                   -

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 何が故に狼狽せざる可らざるか何が故に俄かに帝国大学をして独

立せしめざる可らずとて費用の支途に狼狽せざる可らざるか「帝国

大学は国家の須要に応ずる学術技芸を教授し及び其菰奥を敦究する

を以て目的とす」るものに非ずや「大学院は学術技芸の薙奥を致究

し分科大学は学術技芸の理論及び応用を教授する所」に非ずや誰か

漫に之を廃するものあらんや誰か漫に之を無用視するものあらんや

況んや堂々たる国会議員をや帝国議会をや人たる以上は既に学ぽざ

る可らず国ある以上は既に轡舎なかる可らず小学中学将た大学凡そ

是等のものは必ず国家に存立せざる可らず教育の必要殊更に説くを

須たず亦誰か之を無用なり不必要なりとするものあらんや萄くも人

間たる以上は教育の必要に向つて否といふものあらざる可し堂々た

る帝国議会何を理由としてか帝国大学を廃止せんとするものならん

や蓋し最も賭易きの道理なりとす然るに大学関係の人々は杷人の.憂

を学んで入らぬ取越苦労を為し帝国議会開設の暁、大学廃止論でも

起りては大変なりとて費途独立に狼狽するは抑も何たる仔細そや吾

人は甚だ之を誘からざるを得ず

 世を忍ぶものは木にも茅にも心を置き脛に創持つものは鳥の羽音

にも胸を驚かす身自ら疾しき所あれば左程にもあらぬ事に自ら心を

悩ます大学関係の人々が帝国大学の将来を杞憂して斯の如く狼狽す

るもの抑も心に自ら顧る所あるが故に非ざるか其組織に是ならざる

所あり其教育に可ならざる所あり他日帝国議会開設の暁、斯くの如

く粗末なる大学、斯くの如く徒らに政府の干渉を蒙り政府の器械と

なる所の大学、斯くの如く徒らに在朝者に左右せられ在朝者の奴隷

となる所の大学、斯くの如く徒らに人民の膏血を以て在朝者の器械

を製造し斯くの如く徒らに貴重なる租税を以て無膓無胆の腐敗学士

を作り出す所の官立大学を存立せんよりは寧ろ之を全廃するの優れ

るに如かず否斯の如きの大学は之を存立すべきものに非ず杯いふ議

論の生ずるあらんかと自ら想像して自ら心配するものに非ざるか身

自ら己れを心配して斯の如く自ら安んずる能はざるものに非ざるか

蓋し不完全なる帝国大学ならしめば他日帝国議会開設の暁斯の如き

議論の生ずることなきにも非ざるべし吾人と難も亦或ひは斯の如き

議論に左祖する事あるやも測られず事によりては自ら主張する事な

しとも未だ断言する能はざるなり如何となれば実に教育は必要なり

如何にも大学は之を存立せざる可らず吾人素より之が必要必須を知

ると錐も斯の如き不完全なる大学、斯の如き鹿末なる大学、貴重な

る租税を以て之に報ふるに足らざる否却つて之を害する斯の如き官

立大学は一刻も之を存立すべきに非ざるを信ずればなり之を廃し之

を止め以て人民の負担を軽くするに如かず唯今日の帝国大学未だ斯

の如くにあらざるを以て吾人は之を主張せざるのみ

 果して然らば帝国議会開設後の将来を慮りて斯の如く杷憂し斯の

如く狼狽するは抑も無用の取越苦労たるを免かれざるべし否門違ひ

たるを免かれざるべし若夫れ帝国大学の運命をして本郷の校舎と共

に無窮ならしめんと欲せば其費用の如何を杷憂するよりは其制度上

の独立を計るべし其教育上の自治を計るべし政府の鼻息を窺ひ政府

の器械となり在朝者に左右せられ在朝者の奴隷となり官吏を以て職

員とし官吏を以て教師とし万事文部大臣の命を承けて僅かに総理た

る帝国大学総長にては仮令其費途独立するも何を以て真に独立せる

自治自理の大学とするに足らんや蓋し現行の大学令斯の如く職員を

して官吏たらしめ教員をして官吏たらしめ総長をして万事文部大臣

の命を承けしむる微弱の者たらしむるなり其精神其制度さへ真に独

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立の大学たり政府の干渉を受けず在朝者の奴隷たらざるものならし

めば仮令帝国議会、国費節減論を主張するとも決して大学廃止論を

唱へざるべきなり蕾に廃止論を唱ざるのみならず却つて大学拡張論

をこそ唱ふべきなれ費用の出所に狼狽するは抑も末のみ寧ろ門違ひ

のみ請ふ其精神制度の独立を計れ

 〔東京朝日新聞明治二十二年四月二十五日一面、一~三段、五号〕

17

帝国大学総長の撰任と

        代言組合会長の撰挙

 帝国大学をして独立せしめたる上ハ誰を以て其総長となすべきや

ハ目下の問題なるものの如し未だ帝国大学の独立さへ覚束なきに今

より其総長ハ誰にせんと心配するハ些と取越し苦労かと思はるるな

り然れども既に社会の一問題となりたる以上ハ余輩新聞記者ハ之を

黙々に付す能はざるなり是故に敏捷なる日報記者の如きハ早くも帝

国大学総長私撰の投票広告を為し其筋より取消を申渡されたる事も

ありたり余輩の聞く所を以てすれバ政府にてハ今明日にも帝国大学

総長を変更せられんとすれど大学内の折合悪しく一日々々と延引勝

になり居るとかや其折合悪しき原因なりとして世間に言難すにハ此

度政府より撰任せらるべき某氏ハ固と分科大学長教頭等と比して其

の位置の下に在りしことなりしが故なりと又た前総理の復任を欲し

或ハ現今の総長の引据を願ひ或ハ其分科大学長の勅任を翼がふもの

ありと余輩此風説の信か偽か之を知らずと錐も兎に角帝国大学総長

の位置ハ実に栄誉の帰する所怨恩の集る所たるを知るべし殊に帝国

大学総長の困難なるハ其下にある教授の尋常一様の俗吏にあらずし

て其学生の既に壮年にして学識経験少なからざるを以てなり此故に

帝国大学の総長たるものハ非常の名望家たらざる可らず彼の英国の

如きハサルスベリー侯とかブライト氏等の名望最も高き政治家を以

て其総長となすことあり然れども政治家を以て総長となすハ最も危

険なる事なり何ぞ大学を以て其機関とすることなきを証せん然らバ

則ち帝国大学の総長ハ如何なる人物を以てすべきや余輩の翼望する

所ハ親王殿下を戴くに在り殊に帝国大学独立の宮内省に属する以上

ハ殊更親王殿下を奉ずれバ何かに付て便利あるべし而して今の総長

の執る処の大学中の総事務に至つてハ之を書記官に一任して可なり

抑も大学ハ学問の淵藪なれバ其総長ハ成大神聖にして俗界に交通せ

ざる人を宜しとす則ち親王殿下を戴て総長と仰げ.ハ豊之に向て総長

の位置を争ふ紛議あらんや

 (以下東京代言組合会長の撰挙について署す)

 〔読売新聞 明治二十二年四月二十八日 一面、二~三段、三号〕

 18 〔五法律学校東北学生懇親会開催〕

〇五法律学校東北七州学生大懇親会 明五日午前八時より日暮里の

修性院(花見寺)に於て全懇親会を催す由にて同日ハ菊地法学博士

を始め法学士の講話あり且相撲撃劔競走等の遊戯をなし余興に副引

をなすと云ふ

 〔読売新聞 明治二十二年五月四日 三面、二段、五号〕

19

〔帝国大学独立についての記事〕

○帝国大学独立の事 △⊥件ハ如何成行しかと云ふに渡辺総長鳩山外

山の両教授より此事の発議者とも云ふべき某大臣の許へ上申したる

見込書に拠り文部省へ之が調査を命ずることとなりて専ら調査中な

(19)

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れ.ハ何れの意見が果して実行せらるべき鰍ハ計り難きも兎に角に内

閣の議ハ独立実行に決したりと聞けり

 〔読売新聞 明治二十二年五月十日 二面、三段、五号〕

20

@雑報〔同志社大学設立につき、

     米人ハルリス氏より寄附〕

○同志社大学 京都の同志社にては大学設立の計画を起し昨年十一

月旨意書を公けにして目下盛んに世人の寄附を募り居ることなるが

彼の↓万弗の寄附者米人ハルリス氏は予て同志社の教育主義を賛成

し居りし処今度また旨意書の英訳文を見て益々感激する所あり同志

社大学中の理化両専門科を設立して大に学術上の進歩を図らん為め

更に五万六千弗を寄附せりといふ就ては予て同社より理化学専修の

為め米国へ派遣し当時ヂヨーンス、ホツプンス大学に勤学中なる下

村孝太郎氏は右ハルリス氏の依頼により器械書籍購入の上一両年の

中に帰朝し理化専門科開設の運びに至るべき筈なりと聞くハルリス

氏はコン子テカ州ニユーロンドン邑の住人なるが年令巳に八十余の

老翁なれば其信任する知人中より三名の委員を選み若し其身に万一

の事あるも右金額支出に差支なき為め一の約定書を認め右三名連署

の上同社へ送附せしといふ

 〔東京朝日新聞 明治二十二年五月十六日 二面、二段、五号〕

21

@雑 報

〔帝国大学独立案につき

    嘉納治五郎氏の意見書〕

○大学独立策 帝国大学独立の計策も随分古き問題となりしにも拘

らず今にこれといふ名案も現はれぬ様なるが今度文学士嘉納治五郎

氏は一の意見案を学士会へ提出して大に諸氏の賛成を得りといふサ

テ其意見の次第はといふに世間或ひは官有財産又は帝室費より経費

を支出し以て大学の独立を計るべしといふものあれど斯る方法のみ

にては到底相変らず財政の権を握り居るものの意見に左右せらるる

ことにて決して確然たる独立を保ち得べきに非ずそれよりは先づ学

士会員を始め大学関係の人々一同輩固なる団結を為して其精神より

独立することを計るこそ専一なるべし依ては蝕に大学員なるものを

設け之を博士学士及び現任教授其他諸員の中より特選し此中より更

に評議員三十名を選び毎年其三分の一を改選し各評議員は毎年定時、

会合して評議会を開き其議長は評議員の互選として毎年之を定め大

学に関する重大の事件を評議することとし猶ほ評議員十五名以上の

同意を得ば常置員に請求して臨時会を開くことを得べく而して評議

会の職掌は

 一、帝国大学の財産を管理処分する事

 一、帝国大学の組織並各分科大学の学科改定の事

 一、総長副総長学長教授を選挙する事

 一、毎年会計予算の事

 一、学位の事

 一、評議員中に常置員数名及び会計検査員数名を置く

の数項とし又帝国大学職員の職掌は

 一、総長は評議会の定むる権内に於て助教授以下事務員の進退を

  掌り大学を総理す

 一、副総長は総長不在の時之を代理し平素は各大学長と共に総長

  の参事員となる事

 一、各大学長は総長の指揮に従ひ各分科大学を管理し総長の参事

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  員となる事

 一、参事員は総長の諮問に応じ又大学一切の事に関して意見を述

  ぶる事

になすべし等の件々なりといふ

 〔東京朝日新聞 明治二十二年五月二十四日 二面、二段、五号〕

22

〔帝国大学総長、黒田総理のもとに出頭〕

○大学総長 渡辺帝国大学総長にハ昨廿八日午前十時頃より黒田総

理大臣へ何か具申の件ありて内閣へ出頭されしが右ハ帝国大学独立

に関しての事ならんといへり

 〔読売新聞 明治二十二年五月二十九日 二面、一段、五号〕

23

雑 報〔東京仏学校・東京法学校との合併〕

○法仏両学校の合併 東京仏学校と東京法学校と合併する企てある

よしは予て聞く所なりしが右はいよく合併の事に内決し来月五日

両校の教員職員等一同会合協議の上夫々手続等を取極むる筈なりと

 〔東京朝日新聞 明治二十二年五月三十日 一面、五段、五号〕

24

〔帝国大学独立の議に付部内における抗争〕

○帝国大学独立の議 某大臣が内閣に於てこの議を提出せられたる

以来帝国大学の諸学士よりも一己人の資格を以てこれに関する意見

を建白せられたる由ハ兼て記したる処なるが右に付き今亦承はる処

によれバ帝国大学の部内に於て尤もこの議論に熱心なるハ法科文科

の諸学士ならんとハ思ひの外多くハ医科大学の人々なる趣きにて医

科大学の諸学士ハ何れも学者の地位を尊べる習慣に厚き独乙国に留

学したる人多きがゆえにかくハ熱心家の多き次第なりといふ且つ医

師の部内にハ軍医侍医等の官ありて若し帝国大学を今までのごとく

文部省に附属のものとし大学の教官を奏仕勅任の官吏となし置く以

上ハ軍医侍医等との権衡上種々階級を立つるの不都合を生ずぺきが

故に学者の地位ハ官更の外に立つものとなし置かんとするの方便と

して大学独立の論を呈出せられしなりと聞けりかかる主意より成り

立ちし希望なれバ経費の出所等ハ第二の論点となし置き主として大

学を一の自治体となし自ら評議員を撰ばしめ且つ其内より総長を撰

ばしむるの組織となさんとする目的なるよし尚渡辺総長よりも何か

意見を呈出せられたる趣きなれど其詳細ハ聞くを得ざりきしかし右

ハ内閣に於ても何つれにか近々に決定せらるべしと思はる

 〔読売新聞 明治二十二年五月三十日 二面、二段、五号〕

25

@〔民法中の人事篇は

       仏蘭西流にせざるの件〕

○民法中の人事篇 仏蘭西の法律学士磯部四郎、熊野敬三の諸氏が

専任せられて草案制定の業に怠りなかりける民法中の人事篇ハ其性

質上より論ずるも大に日本の古制習慣を酌みて制定せざる可らざる

ハ申す迄もなき処なるに係りの学士が仏蘭西流に在はしたる程にそ

の半出来上りたる草案の如きも大に日本の事情にハ遠隔したる処あ

り例ヘバ日本の相続法ハ長子相続の法にてありしもこの草案にハ外

国の分派相続法を採用し又結婚離婚の法の如きも大に日本の習慣に

反きたる場合わからず別居などと申し伝ふる制度さへ草案の内に制

定せられたる趣きなるにぞ流石ハ老練にして抜目なく在はす内閣の

諸大臣にハ早くもかつる法律の国情に適せざるを察し玉ひ其未だ法

(21)

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律取調報告委員の手を脱せざるにも係らず内々に命令を下して御苦

労ながらもう一度作り直して呉れまいかとの仰ありし趣に承はりぬ

右ハ兼て内閣に於て廃棄せられたりなど巷間に申し触らせし一条に

て其実内閣においてハ公然廃棄すべしと決せられし次第にあらず余

り仏蘭西臭い草案が出来るそうだから前の草案ハそれまでとなし更

に日本の古制習慣を酌量して制定し呉れまいかと内命せられたるに

過ぎざるよし

 〔読売新聞 明治二十二年六月四日 一面、三段、五号〕

26

法典編纂に付き増島、鳩山両氏の演説

 法典編纂猶早しの論一たび法学士会の決議となりたるや否や忽ち

天下の与論となり(日報記者ハ世人ハ実際問題に冷淡なりと云ひし

にも関らぞ)新聞雑誌にハ左程議論せざれども学者論客の問にハ随

分話の種となりたり此事に付き最も目立ちたるハ即ち増島鳩山両氏

の演説にぞありける増島氏ハ徹頭徹尾法典編纂を猶早しとしたるも

鳩山氏ハ全く之が反対に出で法典編纂ハ須らく取急べしと云趣意に

てありき

 此両氏の演説ハ実に非法典編纂論者と法典編纂論者を代表したる

ものと云ふべし然れども世人の謂ふ所を聞け.ハ両氏の演説ハ皆為に

する所あつて之を為したるならん何となれバ則ち増島氏ハ英吉利法

律を教授する英吉利法律学校長なり鳩山氏ハ条約改正を担当する外

務省取調局長なり若し日本帝国法典の編纂ある時ハ誰か又英利吉法

律を学ぶものあらんや英吉利法律学校ハ為に廃滅すべし之に反して

若日本帝国法典を編纂せざる時にハ条約改正何の時か成るを得ん条

約改正に就てハ外人実に法典編纂を取急げり是れ両氏の各々其税を

主張する所以なりと去れども此言や取るに足らざるなり余輩ハ断乎

として両氏の斯る卑劣なる心術なきを知るなり

 然りと錐も若し両氏の演説ハ為にしたる所ありと仮定するも余輩

ハ之に依て法典編纂の取急ぐべきを知る余輩ハ固より法典編纂を賛

成するものなり之に依て益々余輩が説を固くするを得たり夫れ法典

編纂ハ両氏が為にせざるを得ざる程緊要なりと云ふべし条約改正の

大問題ハ鳩山外務取調局長が法典編纂取急きを主張せざるを得ざる

迄に立到れり鳩山氏の謂へる如く法典編纂ハ政治上の問題なり是れ

其条約改正にも関係あるを以て之を知べし論者ハ少数外国人の為の

多数日本人民の害となるべき法律を作るハ不利なりと謂ふも条約改

正の成らざるハ多数日本人民の不利なり法典を編纂して条約改正を

為すハ畢境少数外国人の為にあらずして多数日本国民の為ならずや

外務の事すら取調局長の演説ハ為にせざるを得ざるの必要あるに況

や司法部内に於ハ猶更法典編纂を取急べきの必要あるを見よ其証拠

にハ増島英吉利法律学校校長ハ為にするの演説を為さざるを得ざる

に至れり今の裁判官ハ英法にまれ仏法にまれ己の修得せる法律を以

て裁判するを得るものなり故に英吉利法律を学ぶものハ英吉利法律

にて充分裁判官となるを得べし是即ち法典編纂を取急ぐべき理由な

るが斯くしてハ英法律を学ぶものハ実に迂となれバさてこそ増島氏

の演説ありたるならん、勿論今迄皆仮定と思召さるべしそれ夫丈に

英吉利法律家を病しむる程今の日本法律ハ皆無なり故に法典編纂ハ

急がざる可らず

 さて法典編纂にハよけれども鳩山氏演説の結末にも謂へる如く法

典編纂尚早論者ハ或る原案に対して不同意なるにハあらざるかと果

して然バ余も亦何をか言はんと此語や則ち千金の価にして所謂百尺

(22)

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竿頭に一歩を進めたるものなり余輩ハ此寸鎮人を殺すの語に依て思

ひ得たり司法省ハ何ぞ鳩山増島両氏を法律取調委員に任ぜざるや何

ぞ帝国大学英吉利法律学校の教員を法律取調委員に任ぜざるや何ぞ

斯く多き英国法律の博士学士を法律取調委員に任ぜざるや何ぞ英吉

利法律を法典編算の参考より取除くや

 〔読売新聞 明治二十二年六月六日 一面、三~四段、三号〕

 27 雑 報〔英吉利法律学校有志「法学士会の

          意見」について演説会を行なう〕

○法学士会に就ての演説会 英吉利法律学校有志生徒の発起にて明

九日上野広小路上広亭に開く学術演説会は重もに目今の一問題なる

法学士会の意見に就て所論を述ぶるものなるよしにて其演題及び弁

士は(憲法上国務大臣の位地及び責任、法学士会意見の批評二題)

渡辺勤十郎(事実先づ法律なれ)田辺享(何ぞとは何ぞ)吉田千賀

三(条約改正に付き法律上の観察)荒井操(法典編纂及び五大法律

学校の未来)白井与吉の諸氏なり尤も傍聴は無料の筈なりと

 〔東京朝日新聞 明治二十二年六月八日 二面、四段、五号〕

28

@〔英吉利法律学校講談会〕

○英吉利法律学校講談会 明十六日午後一時より,一ツ橋外帝国大学

講義室に於て開く同会の演題ハ英仏独法律の運命(中橋徳五郎)立

法の基礎を論ず(山田喜之助)日本の法律家を論ず(増島六一郎)

法学書生と鎮台兵(結城朝陽)国際法上に於る我国の地位(花井卓

義)大臣責任論(鳥居鏑次郎)の諸氏にて右演説を終ハ予審制度を

設くるの利弊と云へる題に付き討議会を開く由

〔読売新聞 明治二十二年六月十五日 二面、二段、五号〕

29

@専修学校増築

○特別認可専修学校にては、明後十日より本学期の学生の試験を行

ふ由。又同校は追々生徒も増加するに付、更に校舎を増築せんと目

下準備中なりと。

 〔朝野新聞 明治二十二年九月八日)

30

〔商法草案発布延期についての諸説〕

○商法草案 は已に内閣より官報局印刷部に廻り来る八九日頃発布

の筈なりし処突然其筋に故障起りて発布を見合せられたるよし聞く

処に拠れば其筋にては最初一応法学士会に諮詞すべき約束なりしも

斯くしては徒らに手数と日子のみを要すべければとて法律取調委員

の手にて審議済となりたるをその儘官報局へ廻されたるに付き法学

士会より何事か伺ひ出たるを以て斯くは且く中止せられたるなりと

云ふ

 〔読売新聞 明治二十二年十月四日 一面、三段、五号〕

 31 〔民法草案の穴をさぐる〕

○民法草案穴探し 民法草案の不完全なることと其編制の困難なる

事は前号の紙上に於て屡ば掲載する処なるが同法は実に去る明治十

三年以来司法部内の学者識者が幾多の労力と幾多の費用を費して起

草したる者なるに拘らず此主任者も重に仏国法律学者なるを以て或

る一方にのみ偏する処なきにあらず又た英国などに於ては已に三四

十年前に行はれ今日となりては全く陳腐に属したる説を其儘に適用

(23)

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したる為め我国の古慣古習に背きたるケ条多きのみならず又多くの

著書を粗雑に参考したる為か間々前後相矛盾するの廉なきにあらず

と聞けり其法学士近頃徒然の余り目下法律取調委員の手に於て審査

中なる民法草案を借り来り始めより条章を追ふて其穴探りを始めた

るに其穴中々に勘からず今其一二を挙れば左の如きものもありと、

即ち目下其筋に於て審査中なる我国民法草案は専ら羅馬法の精神に

基き物を分け有体物、無体物とせり財産編中の或るケ条に物を有体

と無体とに区別し人の感能に触るる者即ち地所建物動物等の如きを

有体とし智能のみを以て理解する者即ち(甲)物権及び人権(乙)

著述、技術及び発明に関する権(丙)発開したる相続、解散したる

会社又は精算中なる共通に属する財産及び債務の包括等を以て無体

物とせり而して其後章に自由に物の使用収益及び処分を為する権を

以て処有権となし、又た所有権の他人に属する者に付き其用法に従

ひ原質本体を変ずることなく有期にて使用及び収益を為すの権を用

使権と云ひ、又た使用権は動産と不動産と有体物と無体物とを問は

ず一切の融通物の上に設定することを得るのみならず他の用役権、

終身年金の上、又は包括名義にて資産の上に設定することを得と云

へり此混同よりして奇異の結果を生ずること一にして足らず其一例

とも云ふべきは該草案の起草者は財産の定義を下して「各人又は公

私の無形人の資産を組成するの権利なり」と云ひ且つ之を人権、物

権の二種に区別せり若し此定義を執て前陳の場合と対照するときは

財産は即ち無体物の一種にして有体自体の名称にあらざるや明かな

り然るに其後章に於て物を区別して動産不動産とせり故に動産不動

産は有体物自体をも指すものと云はざるべからず即はち方定式に拠

れば(母醜11>齢+書齢)となる然るに前陳の或るケ条に拠れぽ

.(魯H>諮+魯諮+澤ぴ蒔㊦諮望+針趨書)となる又其次のケ条に

拠れば(魯阿轡鰍+引轡鰍)となる故に(轡煕+引轡鰍パ邸臨+渇

蒔θ諮謹+針轍書)と云へる不都合なる結果を生ずべし蓋し羅馬法

の所謂有形物、無形物の説は巳に陳腐に属し又用ふべからず唯だ或

る国々に於ては慣習上止を得ず之を応用するに過ぎず我国の如き未

だ財産に関する慣習なきの邦国に羅馬法を適用せんとするは抑も民

法草案起草者の誤りと云はざるべからず云々

 〔読売新聞 明治二十二年十一月一日 一面、四~五段、五号〕

32

〔仏国派の衰退と法学派の拾頭〕

○法律編纂委員 仏国派の法学家法典編纂事件に失敗して英国派の

法学家諸氏新に数名任命あるべしとは先に疑の儘掲載し置しが其実

別に公然任免こそせざれ旧編纂委員は一同悉く手を引き全く英国学

者に内閣を譲渡したるやに噂せり又先に法学士会の故障を申込みた

る為め商法の発布延引したる由を記載し其筋より取消の命を蒙りし

が実際は法学士会と云へる団体より申込しにあらず或る四五の人々

が内々或る有力者まで建言せしまでにて商法発布の延引も之が為め

なるや否やは固より明ならずと云へり

 〔読売新聞 明治二十二年十一月十日 二面、二段、五号〕

33

〔商法草按の文章は難易なこと〕

○商法草按 は歳月と費用と労力の費えたる代りに法律編纂委員の

手に於て起草せしものの内にては先づ上等の部類に属するには相違

なきも実際其穴探しを始むる時は随分に穴の数も勘からざれぽ到底

此儘発布さるべきにあらず其熟字の新奇にして俗人に解し難きこ

(24)

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と、其文章の直訳体にして普通法律家特に其主物たる商人に解し難

きこと前条と後章と衝突する処多き事、等は欠点中の欠点なりな

お、此外に批難すべき数少からず特に商法は一の例外法にして其原

則たる民法は伴ふべき者なり是れを之思はず民法の編纂を跡に残し

独り商法のみを発布せば其結果は遂に例外を以て原則と為し更に他

の例外法を制定するの必要に迫らる瓦や明かなり、況してや草案中

に何条何項に違犯したるものは何々の刑に処すと云ふケ条多きも其

刑の本条は未だ規定せられたるものなし故に新に別に附則を設けざ

るべからず又破産法の如きも今日の身代限法に比すれば余程寛なる

も是は蕾に商人の破産のみに園し規定せるを以て普通一般の人に及

ぼず故に普通の公衆と商人とは大に利害を異にすれば勢別法律に支

配せられざるを得ざるべし思に同法が過般一度発布の手続に及びた

るにも拘らず再び取調委員の手に戻りて審査の仕直を為し其公布案

と共に元老院に回附するに至りたるも全く此等の点に付或る筋より

切に忠告する処ありたるに依りしならんとの噂なり

 〔読売新聞 明治二十二年十一月十一日 一面の三段、五号〕

34

〔英法学者の法典編纂に対する意見〕

○英法学者の意見 英法学者が新に法典編纂委員中に加はりたる由

は前号の紙上に掲載する処ありしが元来全法学者諸氏は其辞令こそ

は快よく受取りたるべきも其実今日の草案は土台より排斥し全く新

案を起草せんとするにあれば中々容易に着手することはなくヂリヂ

リ引に且く延期することになるべしと云ふものあり

 〔読売新聞 明治二十二年十一月十一日 一面、三段、五号〕

35

〔前号記事訂正・英法学者に

          編纂を依頼せず〕

○英法学者に編纂を依頼せず前号の紙上に旧来の法典編纂委員外

に新に英国法学者数名を加へ修正せしむる由を記載せしが右は少し

く事実に背き居る由にて先に仏国学派(現任の編纂報告委員)の編

纂委員にて謁査し法律取調委員が議了したる民法中の人事獲得の両

篇は一旦議了済になりたりとは言へ往々不充分なる処もあれば再び

報告委員の許に戻して全篇中或は撞着の廉等なきやを再調せしむる

に就ては全篇は尤も世間の議論ある者と云ひ特に英国法学者の内に

鳳種々の議論を抱く者ある由なれば此等の人々にも質し英国法理の

上より観察すれば如何なる不都合ありや委しく取調べ広く天下の公

論を求むるに在りて決して英国法学者に編纂を委任したるにはあら

ず又其調査の済までは取調委員には別に之に関したる要事もなけれ

ばとて暫時休会したる迄にて是が為め法律の取調を中止したりと云

ふは誤りなり因に右取調を命ぜられたるは菊地武夫、伊藤悌治、山

田喜之助の三氏なりと云ふ、

 〔読売新聞 明治二十二年十一月十二日 一面、三~四段、五号〕

1

明治二十三年(一八九〇)

日本法律学校、開校式挙行

○飯田町五丁目に設置せし日本法律学校にては、一昨廿一日午後二

時より開校の式を挙げられたるが、当日参会せしは山県、山田の二

伯及ボアソナード氏等、内外の貴賓百数十名にて二時三十分奏楽を

(25)

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以て式を開き、先づ創立者総代として宮崎道三郎氏が同校を設立せ

し趣旨を演説し次に学校長金子堅太郎氏の同校の設を今日に於て要

せし理由、次に司法大臣山田伯の同校に対し、営利的の学校となら

ずして真に国家の為めに尽すの学校たらんことを希望する趣旨、文

部次官辻氏の祝辞、加藤弘之氏が新法典編纂の困難にして、争論の

種子となりたる事、及び今後数十年間は新法典試験の時代なれば、

此際日本古来の法制を調査し、新法典の果して日本に適す当るや否

研究の必要なる理由、次に大蔵次官渡辺国武氏の祝辞あり、夫れよ

り新築せし校堂の二階に於て立食の饗応あり、五時頃一同散会せ

り、同校は金子堅太郎、斯波淳六郎、穂積八束、本多廉直等諸氏の

創立に係り、其の評議員は山田顕義、井上毅、尾崎忠治、細川潤次

郎、箕作麟祥等名の人々なりと云ふ。

 〔大同新聞 明治二十三年四月二十三日)

2 雑報〔日本法律学校設立

      反対の政談演説会〕

 ○政談演説会 日本法律学校設立一件に付き是に反対なる有志諸

氏が頻に運動し居る次第ハ前号にも記せし処なるが右に付諸氏ハ今

廿九日午後一時より浅草須賀町井生村楼に於て政談演説会を開く筈

なり其演題並に出席弁士ハ議会及議員保護の精神を論じて世の政談

家に告ぐ(花井卓蔵)日本法律学校と特別認可(本田恒之)日本法

律学校に保護金を与ふる説真乎(田中唯一郎)特別認可と特別保護

(田中亀七)情実の幣(信岡雄次郎)その外数氏なりといふ

 〔東京朝日新聞 明治二十三年四月二十九日 一面、六段、五号〕

3

〔大学校令改正について〕

 ○大学校令 小学校令改正以来中学及び師範学校等の改正あるべ

しとは此頃の風説にして亦当局者も目下取調中なりとか聞き及びし

が大学令も近々改正に着手さるると云ふが右は大学維持の費用莫大

にして到底是迄の条例通りに支払ふ事能はざる為なりと。

 〔読売新聞 明治二十三年五月一日 一面、二段、五号〕

4

雑 報〔日本法律学校事件の政談演説会〕

 ○日本法律学校事件の政談演説会 同演説会ハ去月廿九日浅草須

賀町井生村楼に於て開会の筈なりしが都合ありて延期となり愈々今

四日午後一時より富士見町河岸富士見楼に於て開会するよし出席弁

士ハ平松福三郎、久保田与四郎、信岡雄四郎、塩入太輔、藤井乾助、

花井卓蔵、鳥居鏑次郎、本田恒之、黒川九馬、田中唯一郎、田中亀

七、北岡保定、増田岩男、渋谷三郎、平井恒之助、結城朝陽等の諸

氏にて傍聴ハ無料なり

 〔東京朝日新聞 明治二十三年五月四日 一面、六段、五号〕

5

〔三学令発布の延引の理由〕

〇三学令 小学令は最早疾くに発布相成るべぎ筈なりしに陸海軍大

演習等のため大臣不在となりし等にて大に延引し今は内閣に出で居

れりといへど未だ最終の閣議に附せられしにはあらず法制局に渡り

て文部省と相往来し審議中なりといへど中学令及び大学令等と異り

千係する処大いに広きを以て未だ急には発布されざるべしと、しか

(26)

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し中学令及び大学令は其干係する処狭く且つ従来の法規に対し甚し

く改正するの必要之なきにより其草案は既に脱稿し居れる由にて目

下専門学務局及び普通学務局にて熟議中なりといふ

 〔読売新聞 明治二十三年五月五日 一面、二段、五号〕

6 〔日本法律学校特別認可事件〕

○旧本法律学校事件 日本法律学校を特別認可となし且つ司法大臣

より特別の保護を与へんとせし一事に付ては与論激昂し尚今日に至

るも消滅せざる勢ひにて既に昨日の如きも右に関する演説会を開き

たる次第なるが尚本社員が文部省のある当局高等官に面会し問合せ

たる処によれば特別認可の一事は到底文部大臣の認定如何にある次

第にて過日浜尾専門学務局長がある人々に答へたる如く三ケ年以上

云々の条件の如きは独り微兵令に干係したる制限にして文部大臣は

少しもこの辺に懸慮するに及ぼず唯従来の経歴現今及び今後の状勢

にして充分に特別認可学校たるの資格ありとせぽ文部大臣は之を以

て特別認可学校となすも敢て法文に背きたる所為に非ざる由

 〔読売新聞 明治二十三年五月五日 一面、二~三段、五号〕

7

〔日本法律学校保護金と

         書籍版権下附に就て〕

○日本法律学校保護金の事実 日本法律学校が司法省より特別三万

円の保護金を受け之と同時に司法省蔵版の書籍版権を下附せられた

りとは一時世上の問題となりしにも拘らず栗塚秘書官の断言に由て

其無実なるを確めたる折柄近頃又々保護金下賜の説あり日本法律学

校に縁故ある某氏は確に保護金を頂けりと言ふさても怪しかる事の

あるものかな司法大臣秘書官たる栗塚氏は職務上公然其事なしと断

言せるに未だ其の唇の乾かざる内に斯る風説あらんとは是は多分何

等かの誤聞ならんと最も確信すべき人に就て聞くに保護金は確に下

賜せぬに相違なし、然れども司法省が法律字典編纂の事を同校に依

頼し其報酬として数万円を支払ふべき旨を約したるや疑なし而して

其金員は曾て全省が数年来諸種の法律書を訳せしめて出版し之を発

売したることあり即ち其事業金なるものにて大蔵省の管理に属せざ

るもの数万円あるも政府が何時まで商売を営み居るべきにあらねば

とて全く此事を止めたるに付き其残事業金を以て法律字典の編纂方

を依頼したるなり、又書籍版権も下附せるにあらず唯残り居たる多

少の書籍を金額に積り編纂費用中に組入て支払ひたるに過ぎずと言

ふ一部の聖典数万務の高価に比すれば此字典の如きは蓋し至廉なる

者なり

 〔読売新聞 明治二十三年五月八日 一面、三段、五号〕

8

大学総長の更迭

 大学総長の椅子は神聖ならざる可らず何となれば則ち学術なるも

のの神聖なればなり是故に大学総長は必ずしも力山を抜き気は世を

蓋ふ豪傑たるを要せず又必ずしも明弁慧智にして俗務に通暁する才

子たるを要せず学問博く徳望高き人なれば則ち足る加藤博士の学問

博く徳望高きは世人の皆知る所なり其復び大学総長に任ぜらるるや

全校喜色ありと余輩も亦同感たらずんばあらず

 加るに加藤博士は曾て大学総長たりし人なれば大学の事情に通ず

ることは敢て他人の及ぶ所にあらずされば大学の制度に就ては定て

種々の意見もあるべし先づ大学独立の如きは博士が平素の持論なる

(27)

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由にて前総長渡辺洪基氏も此事に就ては余程尽力せられたる様子な

れども世が世なれば如何様にも仕様あるべけれど何を謂ふにも財政

困難政費節減の時なれば此度加藤博士が新手を以て如何程尽力さる

るとも出来得べからざること必定ならん帝国大学の独立する能はざ

るは猶忍ぶべし若し夫れ議会開設の後に於て漫に憲法解釈論杯を担

ぎ出すものありて彼既定の歳出に論及し進で校費取調を為し此学科

は格別実益なし此課目は当分無用なり宜く之を廃すべし加えならず

猶一ッ飛で帝国大学は贅沢なり私立大学校も将に興らんとする時な

れば須く之に保護金を与るの優れるに若かずと云ものあらんには加

藤総長は之に答弁さるるの覚悟ありや将総長は斯る邪論は決して起

る気遣なしと思召さるるや余輩の見る所を以てすれば帝国大学こそ

議会の一大問題ならんと信ずるなり

 此冬の議会にて予算案を議するには先づ其前に必ず憲法解釈論を

提出して彼の既定の歳出に論及することあるべきは既に愛国公党の

宜言書を見て之を知るべし而して愛国公党員の提出する所が果して

可決せらるるや否やは之を予知するを得ざると錐も若し其議にして

可決せば議会は充分に官衙経費の減廃を議決するの権を得べし然喬

に帝国大学の内には数学科星学科哲学科を始め目下必要に迫られざ

る学科を教授せるが彼の三百人の代議士が予算減廃する恰も敵の首

級を打取る如き心掛けにて蚤取眠を以て議案中より綿密に捜し出さ

んには前述の学科杯は立うに廃滅せんのみ余輩は勿論憲法解釈論を

可否するにあらず又与論に従ふ可からずと言ふにあらず又愛国公党

員が帝国大学の課目を減廃すると云ふにあらず然れども帝国大学の

学科を以て是は猪別実益なしなれは当分無用なりとて実利的に学問

を見るものなきやを恐るるなり学問固より実利に伴はざるにあらず

然れども其実利の目前に現れざるものもあり又時と場合に依ては暫

く実利と相反するなきにあらず去れど学問は学問なり学問を保護せ

んには之を見るに実利的を以てすべからざるなり而して未来の議会

は果して如何

 斯る場合には力山を抜き気は世を蓋ふ豪傑か明弁慧智にして俗務

に通暁する才子が大学総長たるを以て利となすか否加藤博士の如き

学問博く徳望高き人が循々然として学問の真味を説くを以て帝国大

学を安全にするの最良策となすなり

 〔読売新聞 明治二十三年五月二十三日 ↓面、一~二段、三号〕

9

国家的教育と個人的教育

 国家的と云ひ個人的と云ふ語は近来の流行にあらずや先頃も国家

的自由とか個人的自由とかと云へることにて八ケ間敷議論ありける

が今又教育社会にて国家的教育とか個人的教育とか云へる議論盛に

なりけるよし既に去る廿四日の大日本教育会にて石川県の委員より

国家的教育たるべきか個人的教育たるべきかの議案を提出したりし

に各員交るく起て国家的教育を主張し遂に満場之れを賛成したり

と然らば是より我国教育の方針は国家的教育主義を執るに至るべき

か然れども余輩は未だ国家的教育とは如何なるものにして個人的教

育とは如何なるものかを知ざるなり余輩の考ふる所にては国家的教

育と個人的教育は少しも差別する所なき様に思はるるなり若し真に

個人的の教育が行届けばそれこそ国家的教育が行届きたるものにあ

らずや個々人々に教育が行届きてそれにて国家に害あるべきか儒教

杯にても格物致知誠意正心より以て脩身斉家に至り而して遂に治国

平天下に及す様にしたるは個人的教育は即国家的教育なればなり若

(28)

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し個人的教育と国家的教育と別物なれば格物致知より治国平天下に

至るまでは一つづきの中にあらず彼の大学にて此の一つづきを首よ

りし尾よりして二様に説き分け其工夫と効験を示したる段は則ち取

りも直さず個人的教育は国家的教育なることを説明したるものにて

頗る余輩の意を得たるものと云ふべし此故に如何なることが国家的

教育にて如何なることが個人的教育なるかは到底之を区別し得べき

ものにあらず兎に角国家的教育と個人的教育とは一物にして個人的

教育は其手段を云ひ国家的教育は其結果を云ふと思へば大なる過ち

なかるべきなり

 抑も国家的教育なる語の流行り始めしは故森文部大臣の時と覚え

たり森氏が曾て欧州に在りし日仏国学校の有様を見しに讐敵独逸を

討たんとするの念熾なる為め学校の気風何となく兵営の如くなれば

森氏深く之を欣慕し其文部大臣に任ぜらるるや大に歩兵操練科を盛

にし智育の如きは先づ二番目に置くべしとの議を起したればこそ遂

に此時よりして国家的教育主義杯が現はるることとなれり成程我国

人をして尽とく愛国心を有せしめざる可らざるは実に必要の事なり

と錐も目下我国をして仏国の位地に置かざる可らざるの必要を見ざ

るなり我国にて智育を二の手と為し体育是れ務めこれぞ則ち国家的

教育なりと威張程には及ぼずと信ず此の如く此の国家的教育なる語

は故森大臣の時に生ぜしと錐も今日の国家的教育なる語は重い独逸

主義の発達に帰因せずんぱあらず抑も独逸が其聯邦の統一を破らざ

らんが為め頻に国家てふ語を用るは誰人も知る所なり而して我国学

制令の改正に当て重い独逸学制に依らんとするも事実なり国家的教

育の威光赫々たる亦宜なる哉然れども国家的なる語の仮令強そうな

るにも関せず実際国家的教育なるものあるを知らず余輩は斯る口先

許りにて実際に疎きは大嫌なり理屈を言はずとサツサと生徒に文字

と算術を教ればそれにて沢山なり春を遠きに尋ね却て其枝頭に在て

己に十分なるを知らざるは蓋し現今教育家の通弊と言はざる可らざ

るなり

 〔読売新聞 明治二十三年五月二十八日 一面、一段、三号)

10

ボアソナrド先生の書

○ボアソナード先生の書(昨日の続き)(※前日二十九日分欠)

 然りと雛も試に一歩を譲り斯の如きもの有りと為すも之を救治す

るの策は決して難きにあらざるなり日本の新法典は已に発布せられ

たるも其実施を見るは多少の時日あり此間裁判所及び法学者は研究

する所あるを得べし

 果して然らば是れ実に諸法典の不完全なる点を指摘し之に加ふる

に如何なる増補如何なる改正を以てすべきやを知るに於て無上の好

機会と謂ふ可きに非ずや

 何れの邦国に在ても法律に不完全の点あるを発見して之を改正す

るは免る可からざるの情勢なり其已に実施に至りたる法律に於ても

亦然り然らば則ち日本は他の邦国に比して更に一層此能力を使用す

と謂ふも豊之を難ずべけんや否予は独り斯の如くなるを難ぜざるの

みならず却て真に之を称賛せんと欲するなり是れ他なし日本は政

治、行政、民事、商事及び刑事の諸法制総て変遷進歩の途に上るの

時なり此時に際し当初より最も日本に適せる完全無欠の制度を発見

すること能はざるは決して怪しむに足らざればなり

 是に由て之を観れば新法典が其規定せる諸般の事項に関して法律

学に達する人々の討究及び論難を受くるが為めに蕾に草案の儘なら

(29)

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ず純乎たる法律として出でたるは実に新法典の為めに大幸に非ずし

て何ぞや故に法典編纂の当初の事案に参与すること能はざりし人々

(日本に於ける一切の堪能なる法学者を網羅して此大業に参せしむ

ること能はざりしなり)にして修正の必要あるを発見せば是に於て

か其理由を論説し以て意見を述ぶるを得べし若し此論難にして其当

を得且誠心実意に出で徒らに成法に反対し之を攻撃するものに非ざ

らんか(諸君にして若し之が論難を試むるあるも予は必ず斯の美性

質の論難ならんと信ず)此論難は実に法律に稗益する所大なるや明

なり

 此法典編纂に対して更に二箇の非難を為したる者あり予は之に関

して一言を費さざる可からず        ・

 論者日く法典編纂は殆ど其必要を見ず法律は歳月と共に自然に成

就するを要す特に今日の如く変遷進化の時に際しては愈然りとすと

 其れ然り山豆に其れ然らんや古来認定遵由す可き習慣に基ける判決

例の存すること英吉利の如くなる能はざる国に在て此の如き非難を

為すは予実に其意を解する能はず

・、論者日本の民事裁判官の状態を見ずや古来の判決例の拠るべきも

のなく又概ね一定明確にして且少しく普通なる習慣の従ふべきもの

なく今日の裁判官は泰西の普通法とも称すべき諸外国法典中に掲げ

たる自然法の原則に依て争訟を断ずるの止むを得ざるに至れり

 是れ則ち一定成文の法律を制定するの必要なる無上の証拠に非ざ

るか

 特に日本が外国人に対する法権及び裁判権に関して其独立を全ふ

せんと力むる時に当り明確適理就中公正の法律を携へて条約改正の

場に臨むは日本の為め実に必要なるに非ずや

 此に察せず漫然期限を立てず法典編纂の延期を望むは是れ恰も国

家が永久に肚辱の境遇に沈倫するを希ふものと異ならざるべし何と

なれば此境遇たる外国が日本法律の適理と裁判所の公正とに関して

有せる疑催の結果と称し得べければなり

 故に真正なる愛国の士は斯の如き非難を排斥するを力めずして可

ならんや

 法典編纂に対する第二の非難に日く日本古来の習慣を措き主とし

て外国の法律に基けるは誤れりと此れ又非難其当を得たりと信ずる

こと能はず

 論者は左の一事を知らざるが如し日本の習慣にして最も明精に最

も全般なるもの存するは正に立法者が其法律の編纂を他日に譲りた

る部分に属すること是なり

 是故に新民法中には未だ人事編あらず又相続遺贈贈与及び夫婦財

産に関する契約の編あらず斯の如きの類は実に日本に於て古来固有

の人情と需用とに適し一定にして且十分普通なる習慣を以て規定せ

らるる所の事項なり

 今日日本に浸潤し来れる新思想は斯の如き旧時代旧社会の習慣が

近世の法律に依て改正せられんことを希望するに在らざるべきか

(未完)

 〔読売新聞 明治二十三年五月三十日 二面、一~三段、五号〕

11

ボアソナード先生の書

○ボアソナード先生の書(昨日の続き)

 婚姻及び離婚の如き親権及び養子縁組の如き又幼者並びに精神喪

失者の後見の如き更に立法者の干渉を要せざるべきか完全にして更

(30)

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に緩和せられざる長子権の制度は↓家族内に於ける真正の公義と[

般の幸福に関する経済上の進歩とに背馳する所あらざるか

 此等の類は実に至重の問題にして立法者は遠からず之が規定を為

すべきなり

 然りと錐ども今日其発布を見るに至れる新民法の編纂者に向ては

古来の習慣を躁踊せりとの非難を加ふ可からず何となれば斯の如き

習慣の存する事項は正に之を除きて未だ規定を為さざればなり加え

相続法の主義未だ定まらざるに当り長子権に反対なる精神をして先

入せしむるが如きことを避けんが為めに新民法の編纂者は苛も相続

人の復数並に相続の分割を想定せしむべきものは悉く草案中より之

を除斥し従て反対に一相続人単数主義の利益に於て此分題を断じ去

れるものあり

 論者は新法典を以て規定せる民法の部に就き敦れの点を以て慣習

を打破したりと為すか

 所有権及び義務の事項に於て第一に法律の確認を受くるに足るべ

き明晰にして且全般の習慣存したることを明示し然る後尚ほ新法が

之を参酌せざりしことを証せざる可らず而して斯の如き習慣は実に

蓼々たるものなり且立法者は其慣習が近世法学の大則と調和す可か

らざるものに非ざるよりは力めて之を採用せり加え法律の規定は数

多の場合に於て特に明確なる地方の習慣存せざる時に於てのみ適用

せらるべきことを明記せり

 然ども此第二の非難は第一の非難と異にして其意を察するときは

予は深く信ず疑儂甚しき愛国至情に発し日本が外国法の権下に支配

せられんことを憂ふるに出でたるものなることを

 抑も論者にして若し各国の歴史を播かば則ち如何なる人民と難も

他の人民の力を借らず独力を以て発達せるものに非ざるを知らん

(未完)(※翌日六月一日分欠)

 〔読売新聞 明治二十三年五月三十一日 二面、三段、五号〕

12

稟 告〔日本法律学校入試広告〕

   日本法律学校広告

 本校ハ九月十一日及十二日入学試験を行ひ同二十一日(日曜日)

開校式を挙行す

   入学試験科目

 国語仮字交作文、漢文日文訓点、地理日本及外国地理要領、歴史

日本及外国歴史要領、数学四則分数比例

○臨時科外講義ハ暑中休講せし処九月十五日より従前の通開講す

右聴講を望む者ハ速に申込あれ

   臨時科外講義規則中左の通改正す

一、

ョ講者束脩 金五拾銭

一、

ョ講料 一科目毎に一ケ月金参拾銭四科目以上ハ金一円

}、

u義録購読者ハ本校校外生規則第八条に準じ普通教育のこ種と

 す其束脩及講読料ハ左の如し

普護三騨読料触鍵鎌

議読料{隷読料熊齢難

一、

�ァの臨時科外講義録第一号より取まとめ購講読を望む者ハ普

 通購読者ハ一冊に付金八銭特別購読者ハ金七銭の割を以て購読料

 を納むべし

(31)

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一、

{校正科副科生又ハ校外生にして臨時科外講義録を請う者ハ実

費を以て購読することを得

一、

{校正科副科生ハ無料にて臨時科外講義を聴くことを得

○本校諸規剣希望の者ハ郵券弐銭を添えて申込あれ

  ,     東京市麹町区飯田町五丁目八番地

 明治二十三年九月        私立 日本法律学校

〔読売新聞 明治二十三年九月五日 六面、二段〕

 15 和仏法律学校〔入試広告〕

○本校校舎新築落成ト共二大二改良ヲ加へ左ノ職員ヲ置キ弥々学生

 生徒の万足ヲセラレンコトヲ期ス

○学監 法律博士・大学教授     梅 謙 次 郎

○事務長法律学士    大島誠治

○生徒募集本校ハ去九月十一日ヨリ已二仏語法律科、邦語法律科、

 普通科ノ授業ヲ始タリ入学希望者ハ速、二申込ヘシ

○特別認可生タル資格ヲ有スル者モ入学ヲ許ス

○寄宿生ハ寄宿舎新築落成次第入舎ヲ許ス

○校外生募集何時ニテモ人員ヲ限ラス入学ヲ許ス

○講義録ハ専ラ日本法典ノ講義筆記ヲ登載ス

 ○規則書ヲ要スル者ハ郵券二銭ヲ送ル可シ但詳細ノ事ハ教務掛二

  就テ承合ス可シ

○校長 法学博士          箕 作 麟 祥

○教頭 法律大博士・大学教授    ボアソナード

○擬律擬判討論主任

○科目担任講師(いろは順)

  民   法

刑商憲

法法法

法 法

学簿

士 士

法大 法大法

律学律学学博教博教博士授 士頭士

法律博士

大学教授

法学 士

法学士

法律博士

大学教授

法律学士

法律学士

法律学士

法律学士

大学助教授

法学 士

法 学 士

講   師

大学教頭

法学博士

法学、士

法学 士

法律取調

報告委員

法律学士

富 井 政章

梅   謙次郎

本 野 一 郎

城   数 馬

富本本両富森城水寺古福松梅田吉ボ                 ア谷尾野角井  町尾賀原室  代原ソ

鉦敬一彦政順数袈  廉直 謙律三ナ太三      裟     次   i郎郎郎六章正馬六亨造道致郎雄郎ド

(32)

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理 財 学

法学通論

、訴訟法

治 罪 法

行 政法゜

国 際 法

財 政学

歴゜法論

史理理

法律学士

法律博士

大学教授

法律学士

法 学 士

法律学士

法律学士

法律学士

教高法教陸法報法法法法法

羅昊学馨誰難授学 士 授学 士 員士 調士士士

田 部

ルヴヒ

リ ヨー

飯亀小前平富柿大田山野田島谷原島宏貞衛孝.及錐武誠  門  太作i義太階平郎態治

黒川誠一郎

栗 塚 省 吾

嵯峨根 不二郎

ヴエル.ドラン

春 日

アリヴ ェ ー

○普通科教員(いろは順)

  大工原信吉、辻謙之助、中村純九郎、ヴエルドラン、松井徳善、

 フーク、古賀護太郎、アリヴエ!、阿部 漸

   明治二十三年九月

6

東京市麹町区富士見町六丁目十六番地

     特別認可私立和仏法律学校

14

〔民法人事篇に於ける保守主義〕

○民法人事篇に於ける保守主義 かつて其筋に於て起草したる民法

人事篇ハ大いに欧米の法典を直訳したる趣きあり世間攻撃の種とな

りしとハ吾人の記憶する処なるが右ハ其後に至りて追々修正せられ

殊に元老院より出でたる法律取調委員諸氏ハ多く保守主義を抱き成

るべく日本古来の習慣風俗を保たしめんことを務められしゆえ之が

ため大に欧米臭き処を減じたるが如きも司法省部内より出でたる取

調委員諸氏ハ大に元老院より出でたる委員の意見に反対したために

元老院出身の委員諸氏ハ十分に其の保守主義を貫くことを得ざりけ

るが其後右人事篇が元老院へ送附せられたるに当てハ恰も右等の取

調委員諸氏が其の任を終えて元老院に出席するを得るに至りしゆえ

他の議員諸氏も大いにこれ等の経験より委員諸氏と相談して研究す

る処少からず他の法典に比して数倍の深さにまで研究を遂げし上遂

に相議して保守主義を貫かんことに尽し議事を開くに当つてハ先ず

専ら修正削除説を出し大に欧米臭き箇条を減じて原案の三分の一程

までも之を削除し去りしよしかかる姿にて元老院の議決ハ余程保守

主義を法典上に顕はしたるものにて之を内閣へ返附したる後ハ=一

修正を加へたる事あるも大体の精神ハ元老院の決議通り公布する事

となりしものなりといヘバ元老院の議決中右人事篇の如きハ尤も其

完全なるものというべし因に日う彼の財産収得篇の如きも元老院中

国粋保存の説盛なりしよしにて之を財産収得編とすれぽ財産収得の

ことのみを以て相続の要項と見倣すものにて日本古来の習慣なる家

名相続といへる意味を含まざるゆへ宜く之を相続篇と名つくべしと

の論ありしもこれハ少数にて全敗したるなりと右ハ元老院議官が尤

(33)

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も残念がつて居らる玉処なりと事の序に記し置きぬ

 〔読売新聞 明治二十三年十月二十日〕

15

司法部内の古物保存

 人ハ日く、山田司法大臣ハ保守主義を持し国粋保存の説を主張し

ながら、近時民法商法裁判所構成法等、専ら泰西主義に則りたる大

法典を、急激に発布して毫も躊躇する色なきハ、これ堂に右手に保

守主義を執り、左手に急進主義を行ふものにあらずやと、世人の斯

る疑惑を抱くも、請れなきにあらずと錐ども、論者ハ未だ実際を窮

めざるものと云う可し、我輩を以て考うれバ、司法大臣ハ実に新法

典にも、保守主義を採るの人なりと信ず(後略)

 〔読売新聞 明治二十三年十月二十一日 一面、一~三段、三号)

16

〔和仏法律学校法典完結の祝宴をはる〕

○法典完結の祝宴、和仏法律学校にてハ去る十七日芝紅葉館に於て

法典完結の祝宴を兼ね秋季慰労会を催し校長箕作氏と始め仏学会長

辻氏教頭ボアソナード氏学監梅氏事務長大島氏其他講師及び理事員

なる博士学士の諸氏六十余名の出席にて盛大の宴を開き同席乙て授

業上の事等種々商議せられたる由

 〔読売新聞 明治二十三年十月二十一日 二面、四段〕

17

社 説〔商法実施延期論上〕

 左の一編ハ社友法学士平田譲衛氏の本社に寄せられたる論稿なり

今掲げて以て社説となす          隔、

 ○商法実施延期論上

 商法の実施を延期すべしとハ、目下の一大問題にして、余輩も亦

延期を可とするものなり、請う試みに之を論ぜん

 本論に入るに先だち==口を要するものあり、元来商法ハ一の特別

法にして商法の第一条に、「商事に於て、本法に規定なきものについ

てハ民法の成規を適用す」とあるが如く、民法の足らざる所を補ふ

の法律に過ぎざれバ道理上民法実施と同時、若くハ民法実施の後に

之を実施するを、,至当の順序とす、去れば今こ二に延期説を唱うる

者と、急施説を主張する論者ありと仮定し、局外に立て公平の判断

を下さんに、民法実施の期を待たつ、来年一月より実施せんと欲す

るの論者ハ、何故之を速かにせざる可らざるか、其理由を論明する

の責任あり、之に反し延期説を主張する者ハ、之を論明するの責任

を有せざるなり、何となれば、前者ハ自然の順序を転倒せんとする

ものにして、後者ハ自然の順序に従はんとするものなれバなり、然

るに若し急施論者にして充分其理由を論明する能はざるあらんか、

商法の実施ハ勢い延期するを当然なりと信ぜずんばあラズ、故に余

輩ハ第一、に商法急施論者の根拠とする理由を挙げ、果して自然の順

序を転倒する程の必要あるやを観察し、第二にハ商法実施の延期を

必要とする所以を開陳せん   .

 顧みるに我が立法者に、商法急施の念慮を生ぜしめたる原因ハ、

果して何にあるや、疑いもなく我国実業社会の現状、之を促したる

によるならん、蓋し我国に於てハ、従来商業に関する法律とてハ殆

んど皆無の有様なるに、翻つて考うれバ国貧にして資本に乏しく、

人口不相応に多きを以つて、やx規模の゜大なる事業を営まんとすれ

。ハ、勢い衆人の資本を併せて、会社組織となさゴるを得ず、幣害の

(34)

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此間に醸生し、ひいて実業社会全般に、其影響を及ぼすなからんと

するも得んや

 請う試みに我国の盛衰沿革を按ぜよ、如何にも最初の交ハ諸社会

共に相当の利益を得たる上に、追々金融緩慢の時節に連れてハ、株

式の価格愈々騰貴し、此変動より非常の大利を得たるものも少から

ざりし、即ち僅かに五円若くハ拾円の払込をなしたる株券にして、

或ハ十五円若くハニ拾円の価格を有するの有様に立至りたるを以つ

て、僥倖を得たる者ハ益々其投機心を増長し、遂にハ事業を起すを

目的とせず、寧ろ株式相場を目的として、続々会社を起すの勢とハ

なれり、然るに此の会社ハ固と相場を目的とするが故に、資本の集

まると否とハ其問う所にあらず、唯々株券に対し若干の払込みあり

て、相当の相場を生ずるときハ、直に之を売却して遁出すものも少

からず、之が為迷惑を蒙りたる者、固より勘からざれども、中にハ

巨利を博したる投機者流も亦多けれバ、此流の会社ハ一時四方に起

りて遂にハ会社の数ハ、、我実業会社の資力の許す範囲外に出で、著

しく実業社会の資本を吸収し、遂に今日至る処に、不景気の嘆声を

聞くの一大原因となれり、

 今以上の如く弊害を惹き起したる所以を繹ぬるに、結局会社を取

締る法律の存在せざりしが故のみ、たゴ夫れ法律の取締りなきに依

る、故に一時政府ハ紙幣を増発する等、臨機の政略を施して、不景

気を換回せんと試みたれども、到底皆な姑息の手段に過ぎずして一

も其目的を達するものなかりし、必寛司法大臣が商法の実施を取急

ぐに至りたるも、到底法律を以て、投機的賭博流の事業を検制する

にあらずんば、真誠着実なる起業心を燥発する能ざることに、思い

当りたるが故ならんか今商法をひもといて観るに会社に関する綿密

の箇条甚々多くして、之を実施するに施てハ、従来の弊風を一洗す

ること固より疑いある可らず、例ヘバ株金払込の事に関し、株金四

分の一を払込む前ニハ、株券を譲り渡すを得ず仮令ひ譲渡すも無効

なりとの箇条あり、従来にてハ一株五十円の株券に就て、僅かに五

円若くハ十円の払込あるのみにして、之を自由に売買するを得ざる

のみならず、一旦之を他人に売渡したる後ハ、売人ハ毫も此事に就

て責任を有せざりしなり、然るに商法に依れぽ↓株五十円に対し少

くとも十二円五十銭以上の払込をなさざれば、株券を売渡すを得ざ

る事となれり、又商法中に払込高株券の半額に満たずして、之を売

渡したる場合にハ、残額の払込に就き、会社に対して責を負はざる

を得ずと規定しあるを以て、従来の如く株券を譲り渡したる後、直

ちに無責任なるを得ざるなり、且会社に就て緊要なる事項ハ、 一々

之を登記簿に登記すべしどの箇条もあれば、会社ハ従来の如く内幕

の醜を掩うて、みだりに外を粧うこと能はざるべし、要するに此等

の法律にして従来我国に行われ居りたらんにハ、会社の濫興もなか

るべく、随つて今日の不景気を惹き起さ黛りしならん

 〔読売新聞 明治二十三年十月二十六日」面、一~三段、三号〕

18

社説〔商法実施延期論中〕

 ○商法実施延期論中

 夙に商法を実施せパ会社の乱興もなく、世間の不景気も招かざり

しならんとハ、前に論じたる処なるが、尚彼の商人間に、信用の十

分に成立せざることの如き、又彼の身代限りの弊の如きも、商法の

実施によりて救済するを得べきものというべし、思うに今日の有様

(35)

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たるや商人互に其身代を知るの法なく、白亜魏然たる商館を構え、

店頭盛んに商業を営むの状を装えるものも、内実負債のために苦し

められて差引一の財産なきものあり、或ハ媛隔なる巷に目立たぬ商

店を構え居るも、内実輩固なる資産あるあり、一見して其真相を探

知するに由なきを以て、商業社会に於ける商人間の信用の薄き、元

より替むべきにあらざるも、若し一朝この商法を実施せられたらん

にハ、これ等の弊を除きうるの少なからざるや知るべきなり、又彼

の身代限りの事の如きハ、今日の法律甚だ不完全なるにより、好智

に長けたる商人等ハ、種々の策略を以てこの間に処し、巧みに法網

を潜りて不正の利を貧れるも、商法を実施せバ、これ等のこと自か

ら其規定によりなし得ざるに至るや必なり、

 かくの如く観察し来らバ商法の実施ハ現今の経済社会に少からぬ

利益を与うべきこと明かにして立法者の心を動かし、一日も其実施

を忽せにす可らずとの論を起さしめし所以も、押して知る事を得る

なり、然らバ商法ハ今日之を急施せざるべからざるか、

 蓋し目下商人間に於ける種々の弊害を救済するの道、商法の実施

に外ならざるや明なるが如きも、十有何百条という錯雑緻密なる大

法典ハ、必ずしも必要とせざるなり、予を以て之を見れ.ハ、右等の

弊を除かんとするにハ、昨今政府が続々として発布する規則類の如

き、単行法を以て足れりと思はる、’果して然らバ誰か又繁雑なる手

数を労し、巨額なる費用を費いて、之が実施を希うものあらんや、

然りと壁もある論者ハ説いて日く、政府ハ今や裁判所構成法を実施

せんとして、巨額の歳費を要するにつき、商法を実施せずんバ之が

歳費の出所に苦しむ処あらんと、之ハ新聞紙上に見えたる一の風説

に止り、信ずるに足らざるものというべし、何となるに、商法を実

施して商人の負担を重くするも、別に新税を起し若くハ税率を上ぐ

るも、人民の負担を増加するの点に於てハ少しも異る処なく、殊に

裁判所構成法の如きハ、国民全体に利益を与えるものにして、之を

実施するの入費を国民中の一階級一種類なる商人のみに課するが如

きことハ、我公明なる当路者の意見とも思はれざればなり、況や商

業社会に信用の欠乏せることの如きハ、今に始まつたる事にあら

ず、差し掛りて至急に之を救済せざる可からざるの必要なきに於て

をや

 これを以て考うれ.ハ、商法の実施を、民法より三年前ならしめざ

る可らざをの理由として見るべきものハ、今日未だ発見する能はざ

るなり、既にかくの如く商法を急施するの理由之れなしとせバ、自

然の順序に立ち帰りて、民法と同時、若くハ民法より後れて、之を

実施するに於て又何かあらん

 〔読売新聞明治二十三年十月二十七日 一面一~二段、三号〕

19

社 説〔商法実施延期論下〕

 ○商法実施延期論下

 民法の実施に先つ三年前に、商法を必らず実施せざる可からざる

必要なきことハ、前篇に開陳するが如し、然らバ寧ろ自然の順序に

従い、民法の実施と同時、若くハ其以後に、之を実施すること当然

なりと云うべし、

 然れども更に一歩を進め、商法の急施を不得策なりとする、積極

の理由を述べんに、第゜一商法民法共に国会開設の前、是非とも発布

せざる可からずとの政府の政略より、非常に取急ぎたる故か、修正

の甚々不行届なるハ、掩う可からざるの事実なり、試みに民法と商

(36)

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法とを対照して一読せよ、幾んど同一の立法権より発したる法典と

ハ思う能はざるべし、先づ字句に就いて云えば、両法典の読合すら

なさ父りしが如く見ゆるもの少からず、蓋し同一の思想を現はす

に、両法典各々其用語を異にし、殊異の思想を現すに、却て用語を

同うするもの少からざれバなり、例え.ハ民法に於てハ、契約の申込

を云い、商法に於てハ之を提供と云うが如き、又民法に於てハ、契

約の承諾と云い、而して承諾なる語を正しく約意を現はす為め用い

居るに抱らず、商法に於てハ、承諾の語を普通の意味に用い、敢て

約意を包含せざるが如き、又商法にハ契約の申込を提供と言い、毛民

法にハ提供の語を弁済の提供と云う場合に用い居るが如き、・実に其

一斑なヴ、用語の如何の如きハ、甚々些細の事の如くなれども、立

法者の意志不分明なるときハ、或ハ他の場合に於ける言葉の用例に

従つて、法文を解釈すゐことも間々之れあるこ乏に上て、用語の錯

綜混雑、以上の如くんバ解釈者の迷惑決して鮮なしと言うべからざ

るなり

 又既に陳ぶる如く、商法は固と民法の特捌法に過ぎざるが故に、

商法に規定なき事ハ民法に依るを通則とし、商法にハ唯民法に規定

なき欠如を補うの箇条あれバ即ち可なり、然るに我商法を見るに、

単り商事に限らず、↓般の取引に適用すべき箇条を設くること勘か

らず、これ本来民法に掲ぐべきものにして、商法に掲ぐべきものに

あらざるなり、扱又た民法を繕て見れ.ハ、商法と同一の箇条少から

ず、随つて重複に渉るもの甚々多し、仮りに商法の商事契約の章に

就て之を言うも、殆ど其箇条の半を削除し去るも差支なきを覚うる

なり、民法の規定と重復する箇条の多遂こと知るべし、

 思うに上来の如き欠点を見るもの、必寛独逸人の手に成りたる草

案を充分修正するの遅なく、又た彼我の国体に大相違あるを窮めず

して、直に之を採用せるが故にあらざるなきを得んや、読者の知る

如く、独逸バ数多の連邦を以て組織したる一大帝国にして、全国に

通じて行はるx商法ハあれども、同国民が挙つて遵奉すべき民法ハ

之あるなし、即ち連邦中にハ仏蘭西民法を奉ずるものあり、近世羅

馬法を奉ずるものあり、或ハ又普魯西亜の如く、固有の民法を奉ず

るものあり、総じて云えバ、独逸に於てハ民法ハ一定し居らざるな

り、然るに商法を純然たる特別法とし、其中に規定の無き事ハ、区

々なる民法に依らざる可からずとなすときハ、屡々法律の抵触を生

じて、実際不都合を醸すこと少からざるが故に、民法中重要なる原

則を殊に商法に採収し、商業に関する法律の統一を図れり、これ独

逸の如き国体に於て已むを得ざるの事と云うべし、

 若し我国も独国の如く、「区々の民法を有するの国なりせば、民法

に属すべき規定を、商法中に掲ぐるの必要もあれど、今後ハ勿論、

是迄とても全国を通じて同一の民法の行れたる我国に於てハ、決し

て独逸を学ぶの必要ある可らず、然惹に我商法ハ独逸を学び、休

日、度量衡等ハ、契約履行地の法律に依るべしとの箇条を設けた

り、既に述ぶる如く、独逸に於てハ連邦以て制となすが故に、或ハ

甲国の祭日も乙国の祭日たらざることあり、丙国の度量衡ハ丁国の

度量衡と同じからざることあり、随つて右の如き規定の必要あれど

も、我国に於てハ長崎の休日ハ函館に於ても休日なり、長崎の度量

衡ハ又函館の度量衡なり、此等の事ハ全国を通じて毫も異なる所な

し、左れ.ハ此箇条の如きハ我国に於て毫も必要を見ざるにあらず

や、 

抑々字句の一定せざる事、、箇条の重復する事の如きハ、実際に於

(37)

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て左まで弊害あらずと錐も、我邦の法律史上一大紀元を開くべき、

民法商法にして斯る暇理を免れざるハ、体裁上甚々好ましからざる

のみならず、又其実質の鍛瑛を推知するの材料となるべし、如何ぞ

新法典の為に之を惜しまざるを得んや

 且つ商法の規定中に就て之を言うも、修正を要すべきもの少から

ず、其一例を挙げれバ代理ハ本人若くハ代理人の死去に依つて解除

するものにあらずと云うの箇条あり、本人の死去したる場合に代理

の尚継続するハ、或ハ商法上却つて利便なることあらん然れども代

理人の死去したる後も、尚代理人の継続するものとするハ奇怪も甚

々しからずや、又商事契約の第一節を見れバ、契約の種類と題しあ

れども、同節中にハ契約の種類ハ幾んど之を掲げずして、契約締結

の方法、其の効力、其の解除等を掲げ、幾んど標題ハ何の為に設け

たるや了解に苦しむものあるにあらずや、尚此他修正を要すべき箇

条少からざれども、 一々こ玉に之を挙ぐるに逗あらざるなり、

 凡そ人民ハ法律を知るの義務あり、従つて政府ハ之を知らしむる

の責任あり、泰西諸国の法律を発布するや、既に不文律として行れ

たるものに、法典の体裁を附与するに過ぎざれぽ、人民の之に通ず

る其難きにあらず、我商法ハ未だ曾て我国に行れざる、錯雑なる規

則を一時発布することなれ.ハ、之を知得するにハ、法律学校の生徒

も、恐らく一二年を要すべし、然るに発布の後、僅々七八ケ月にし

て、之を実施せんとす、急激も亦甚しと云うべし、且つ此法律の大

修正を要することハ、当局者も亦心窃に之を知るならん、然るに之

を強いて実施せんとす、余ハ其可なるを知らざるなり

 〔読売新聞 明治二十三年十月二十八日  一面、一~三段、

三号)

20

〔東京専門学校大演説会〕

○東京専門学校大演説会 牛込早稲田なる東京専門学校々友諸氏ハ

来る十六日午後一時より新築講堂に於て大演説討論会を開く由其討

論題ハ第一男女混合教育の可否、第二、天皇違憲法の法律を制定し

給いし場合に於て裁判官是を適用するの義務あるや否発題者法律博

士鳩山和夫氏なり

 〔読売新聞 明治二十三年十一月十四日 二面、二段〕

21

〔東京専門学校帝国議会開院の

            祝賀表彰会開催〕

○祝賀表彰会 牛込早稲田なる東京専問学校にてハ帝国議会開院式

の当日を以つて祝賀表彰式の為盛なる市中運動を催さんとて過日来

計画中なりしが集会政社法の為に多衆運動を禁止されしを以て開院

式の当日向両国の江東井生村楼に於て講師評議員校友生徒一同相会

して一大祝賀宴を開くよし今同校にて作りし祝歌を得たれば左に掲

ぐ   帝国議会開院祝歌

 祝へや祝へ君が代の、千代田の宮居と国民の、幸ひばしのた父中

 に、みくにの基を堅めんと、あたらし橋の新しく、築き立てたる

 議事堂を、けうこそ開かせ給うなれ、祝へや祝へきようの日を

 〔読売新聞 明治二十三年十一月二十六日 五面、四段〕

22

〔和仏法律学校の法律討論会〕

○和仏法律学校の討論会 来る九日午後九時より同校に於て開会す

(38)

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る討論会ハ曾つて各県に起りたる実際問題にて即ち当選議員以外の

者より賄路を受けて投票したる場合にハ其投票ハ有効なるや無効な

るやの問題に就て討議する由にて同日講師諸氏にも数名出席せらる

玉という

 〔読売新聞 明治二十三年十二月六日 二面、一段〕

23

〔府下実業家諸氏商法実施延期の請願〕

○商法実施延期の請願 商法実施延期の問題ハ同法発布の当時より

世間に麗しく全国各地の商業家競うて其筋に延期修正の建白を為す

に至りたるハ世人の知る処なるも当局者山田司法大臣ハ厳として動

かず愈よ明廿四年一月一日より実施すべき旨を各府県に訓令せる由

なるが之を聞く府下の有志実業家諸氏ハ大に驚きコハ捨て置難き一

珍事なり若かず帝国議会に建議し両院議院諸茂の公平なる判断を待

んニハと蝕に議一決し遂に明九日を以て商法実施延期の建議を為す

事に決したる由

 〔読売新聞 明治二十三年十二月八日 一面、三段〕

24

〔商法実施延期論者の心配〕

○延期論者の心配 前項に記す如く一種異説の反対論者現はれたる

ゆえ延期論者ハ大に心配し得る内にも或る議員の団結ハ殊に心配し

若し正面より此説に向つて闘ヘバ或ハ違憲違勅の声に圧せられて其

の説に賛成するもの多数に至るも知れずと大に恐れ寧ろ此議案の性

質を一変し法律改正の議案と為さずして憲法第四十条に依り建議案

と為さんものと昨日大いに奔走し居れりしと

 〔読売新聞 明治二十三年十二月十五日 一面、三段〕

1

明治二十四年(一八九一)

寄書〔商法実施延期の議決に就て〕

 ○商法実施延期の議決に就て         飯田 奇野

 余は喜ぶ帝国議会が商法施行の延期を議決したるを喜ぶ唯其延期

を為したるに止まり妄りに之れが廃止若くは改正を企てざりしを喜

ぶ流石は国家の代表者たる日本帝国の代議士なり僅か数月前に制定

発布したるのみなる法律の生命を重んじて軽々しく其法条に容豫し

漫に其改廃を議せざりしを喜ぶなり蓋し代議士諸君は胸中経国済民

の大略を懐かるべしと錐も法律の緬奥は多くは未だ極めざる所なる

べく気、一世を蓋ふなるべしと錐も緻密の考藪に至ては或は其長所

に非るべければ商法施行延期法律案の議会に出るに方り現商法の良

否存廃を論究する能はざりしは固より当に然るべき所にして其之れ

が延期の議を可決したるも亦固より当に然るべき所なり

 夫れ能掌の美なるも未だ味はざるものは色の悪しきを忌み異と為

して敢て食はず麟麟の霊なるも知らざるものは形の奇なるに驚き不

祥と為して之を棄つ世人の商法に於ける亦此の如くならんのみ目、

条項の彩多なると字句の新奇なるとを観て心、法意の在る所と効用

の存する所とを解せず空しく法典の大篇なると規定の綿密なるとに

曙胎瞠若して遽かに之を棄榔せんと欲す是れ人情の免れざる所にし

て敢て怪むに足らざるなり若し能く之を講究し之を玩味し其真相を

達観せんか前の之を嫌悪し之を批難し之が実施を畏れたるもの幡然

翻て之を嗜好し之を翼賛し之れが実施に熱中するに至らん目下法律

家社会の顕象は以て容易に之を証明するに足るものあり夙に現商法

(39)

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の研究に従事し深く之に通暁したる仏、独派法律家を見よ皆な悉く

商法の実施を希望するものに非ずや其之を喜ばざるものは概ね之が

講習を勉めず従て其法意を熟知せざるが如きの観ある英派法学者に

あらずや法律の学を修め法律の事に従ふもの之れが延期を前に唱道

するあり法律の思想に富まざる実業老、敢為進取の気象に乏しく因

循姑息是れ事と七旧慣を墨守し随習に安んずる我国の商業家が商法

典必須の中流に瞼嘱しつxあるをも覚らず之が後に附和雷同して其

実施に反対する固より怪むに足らざゐなり由此観之其延期と断行と

         よ                        げ

の岐る玉所は一に善く商法を知ると否とに因るならんのみ商法を以

て不祥可忌のものと為し之れが実施に蜘翻するものは未だ商法に明

かならざるの罪ならんのみ

 延期説の理由とする所、一にして足らずと錐も要するに現法典を

以て不当不倫実際に適せずと為し今より二年の猶予を得て改訂修正

を加へんとするに在るが如し而して其所謂不備なる点、不当なる所

以の理由に至ては曾て充分指明したる所あることなし但府下著名の

商業者より帝国議会へ提出したる商法施行延期の請願書中其不都合

なる条項として挙示tたるものあるも是れ恐らくは之が研究の足ら

ざるの致す所ならん鰍何となれば余の浅字寡聞を以てするも敢て之

が弁明に苦まざるを信ずればなり然れども果して現法典に比し更に

                 略  ζ

善美なる法典を得べくんばニケ年の星霜何ぞ繊絡たるを須ひん余は

目下商法実施の急を知ると錐も必ずしも之が延期を憾まざるなり今

や我立法府たる帝国議会は商法修正の為めニケ年の歳月を得たり此

間に於て須らく現商法を攻究し利害得失を審案し果して不当の項、

不備の点を発見せぽ慎重に修正を加へて完全無蝦のものと為し以て

延期の効能を明かにし議決の精神を貫徹し人心を満足せしむべきな

り余は刮目して之を見んと欲す

 嚢に現行刑法の発布あるに先だち其の草案を老練着実を以て自ら

居り世人も之を許したる元老院の議定に附せらるΣ往々不都合の改

窟を加へ却て草案に劣ること数等なるに至らしめたることは法律社

会の明認する所にして「クロウトの成案、シロシト之を改窟す其不

当なる亦宜ならずや」芝の冷評を生ずるに至れり帝国議会の商法修

正に於ける決して前轍を履むが如きことなかるべきは余の信じて疑

はざる所なれども数百の代議士中或は立法の事に暗く緻密の思想に

富まざるものありて歯葬杜撰の弊に陥いるなきを保せざれば柳か危

催の念なき能はず傍て蝕に商法の編纂に当り常に挙々服腐して忘る

可らざるの要義を示し以て諸君の参考に供せん抑々商法の主眼とす

る所は商業発達の源泉、貿易隆昌の根抵たる信用、迅速及び安全の

三者を並び扶持し兼ねて之を保確するに在り 、此三老は実に商業

の進歩に欠く可らざるの要件にして須里も編廃す可らざるなり左れ

ば之を扶持保確するに必要なるものは外国の法律習慣と錐も進んで

之を採るに於て何かあらん其之を阻碍ずるものは本邦因襲の慣例と

錐も付けて之を捨るに於て何かあらん立法者の眼中に映ずる所は唯

だ信用、迅速及び安全の三者のみ復た其他を見ざるなり否な見るを

要せざるなり願くは代議士諸君よ諸君は此三要素を以て商法修正の

羅針盤と為し北極星と為し世に媚びず時に諸らはず造次にも此に於

てし顛節にも此に於てせよ唯夫れ諸君がニケ年の間に於て充分に現

商法を攻究し其規定に通暁し詳かに法意の在る所を明らかにせらる

Xの後ち諸君の修正を経て現出したる商法は依然たる現商法、諸君

が不完全なり不適当なりとしたる現商法なるなきを得んや臆乎諸君

よ諸君は「クロウトの成案シロウト之を改窺す」との機りを再びす

(40)

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る勿れ敢て乞ふ焉

 〔東京新報 明治二十四年一月十五日

2

一面、六段、五号〕

〔商法及び民法審査委員設置〕

○商法及び民法審査委員設置の建議 商法実施延期案ハ山田伯の手

強き反対あるに拘らず遂に多数を以て帝国議会を通過し明治廿六年

一月一日迄実施期を延す事となりたるは延期論者の大に歓喜する処

なり然れども延期議者当初の希望は単に之を延期するを以て足れり

とするに非らず延期の上更に修正して実施せんとするに在るを以て

貴族院議員中の延期論者は更に議会に向て商法修正審査委員を設立

爾後ニケ年間に充分同法の調査修正を為さしむると同時に民法も商

法と同く不完全なるを免れざれぽ之も等しく委員を選んで審査修正

を為さしむることにせんとて近日之が建議を提出する筈なりと言う

○法学士会建議を為すに決す 法学士会が山田法学士の建議に基き

同会に於て民法、商法の審査修正を為すに決し委員七名を選定して

之を托せる由は日外の本紙に掲載せるが其の節又別に帝国議会に於

て委員を設けて之を審査すべき旨を建議するに決し該建議書草案方

を山田氏に托せしに愈々其草案成り近日建議するの手筈整ひたるを

以て其等協議の為昨十八日午後四時より委員幹事法学士議員諸氏数

名上野の桜雲台に集会せし由

 〔読売新聞 明治二十四年一月十九日 一面、五段、五号〕

3

〔商法民法修正審査規準についての

              勅選議員の意見〕

○商法民法修正審査に就て 若し議会が学士会の建議、某々貴族院

議員の動議を嘉納し更に民法商法を修正審査するに決せぽ其委員会

は如何なる組織にすべきかと問うに日く両院より各同数の委員を選

定して其監査に任じ修正審査の事は厳密なる条件を附して之を当局

者に一任するを便法とすとは某勅選議員の案なり

 〔読売新聞 明治二十四年一月二十一日 一面、四段、五号〕

 4 〔商法及民法修正方案・佐竹義和氏提出〕

○商法及民法修正方案          (佐竹義和氏提出)

一、

、法及民法中国情民度に適せざる条項多く其法文字句渋難にし

 て定義明晰ならざる等不備欠点少しとせず依て之を修正せんが為

 特別委員を設け議院法第廿五条に依り閉会中尚継続するものとす

一、

チ別委員の定員を十二名とす

一、

c会閉会中特別委員の手当い一日金五円とす

   商法及民法修正法案理由醤・・

、商法及民法は国情民度に適せざる条項多く且法文字句渋難にして

理義明瞭ならざるもの少しとせず加え法語の画一を欠くものあり古

来習慣に依らずして新奇の規定を設くるものあり或は法条の不備な

るものあり其欠点枚挙に逗あらず萄も法律の不備欠点あることを認

識するときは宜しく之を修正するを以て立法府の責務とす嚢に本議

院に於て商法施行延期を決議したるの理由一にして足らずと難も其

最も重なるものは該法施行を延期し以て其間法条の不備欠点を修正

して国情民度に適せしめざる可からずと云うにあり若夫上来所陳の

如き不備欠点ある法典をして強て之を施行せば国民は其条文法条を

了解することを得ずして五里霧中に彷径し不識不知権利を傷け義務

を怠り不測の禍害を被り意外の不幸に陥るもの陸続跡を接するに至

(41)

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るべし是れ本案を提出する所以也

 〔読売新聞 明治二十四年二月一日

5

〔東京専門学校の文学会〕

二面、一段、三号〕

○東京専門学校の文学会 東京専門学校の文学科は創設以来日未だ

浅きも漸次盛大に赴くの傾あるを以て来る三月より更に科目を改正

して一層高尚なる英文学を研究せしむるの計画ある由は前日の紙上

にも掲げたるが今同科生徒の組織せる文学会に於ける討論題を得た

れば左に掲ぐべし但し同会は来る十五日(日曜日)に同校の新講堂

に開会し午前は討論を為し午後には院本朗読会を備す由なり

   討論原案(坪内文学士出題)〔抜すい〕

  詩の定義

 第第第第第決五四三ニー

歴史上の事実に徴して知るべし

人の情性の変遷に徴して知るべし

言語の変遷

外国の障害

習慣の圧制

  論

 要するに詩は猶幻灯の如し暗黒の処に於てこそ人心に幻影を生ず

べけれ人智開けて世の中明かとなりては最早識者の心を動かすべき

力なりるべし故に日く詩は開化の反比例に消長す

 〔読売新聞 明治二十四年二月十二日 二面、三・四段、五号〕

 6 我司法部の前途憂ふべし

               日芳学人増島六一郎

 我司法部の前途憂うべしと論起せば人或は之を疑ふものなきにあ

らざるが如きも法律の真に何たるを知り司法制度の沿革果して如何

に達するの眼を以て目下の実況を察するときは我司法部の前途大い

に国家の為め憂へざるべからざるものあるを知る山田伯の復職した

る大に国家の為め賀すべしとするものなきにあらざるが如し然りと

錐ども此憂ふべきものとするの一事は山田伯の勢力能く之を挽回し

得べきものに非ず司法省内雑務の如何にあらざるを以でなり学人は

之を憂へて已まず我司法の前途を如何せんと云う所以なり何を以て

之を云ふ今や将に有為の士は代言人中へ降り其業を執らんとするこ

と頻りなるの機に達したるを以てなり近頃大審院判事山田喜之助氏

其職を退きたり司法省参事官たりし宮城浩蔵氏東京地方裁判所判事

たりし小出釧太郎氏も亦官を去て代言の業に就けり是れ皆な有為の

法律家なり此の進退を決するに至る蓋し裁判官なる国家の為め及其

の一身の為め名誉として之れを捨て一家の業を立てんとするものな

り今日の如き代言人の用を知らず之れを尊ぶべきの所以を解せざる

人情なるにも拘はらず時勢の然らしむる所あるが為め此方向を取る

に至りたるものなり而して其然るは必ずや其蝕に至らしむる理由あ

りて存するに相違なし其理由如何は一面単に此位を去らんとする諸

氏に関係するより外なきものとするも我司法の前途を論ずるに当て

は其理由果して如何を問はず之を憂へざるを得ざるものとするの徴

候として可なり此微候たる若し今にして之を挽回するの策を講ぜざ

るものとせん乎将来我裁判部は代言人の為め圧倒せられ裁判官に其

人を得ず代言人中独り有為なる法律家が集るの巣窟たらしめ尾大振

はず我司法の機関を運転するに当り裁判官其裁判を下すに非ず代言

人の意見に依り不知不識之を左右し得るが如き結果を生ずるに至る

や必せり学人既に裁判官に重きを置き之を特待せざるべからざるを

(42)

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論じたり学人の考ふる所を以て見るときは今日の裁判官は其得べき

の待遇を得ざるものなるに相違なし其俸給は其司どる所の重き其尽

す所の難きに比すれば薄給と云ふべき俸禄を受くるものに相違なし

是れ憂ふべきの理由ならずして何ぞや或は云はん今日将に尾大振は

ざるの結果を生ぜしむるに至らんとすることあるは是れ即ち将来に

望を属すべきものなりと学人も亦此考を共にするものなり然れども

是れ今日にして此憂を挽回するの策を講ぜざるに於ては寧ろ此将来

の望を繋ぐべしと云ふに外ならざるの考按なり凡そ司法の機関とし

て完きを得せしめんには裁判官及代言人上下共に夫々有為の士を以

て成るものならざるべからず有為の士其一方に偏し独り之に集るも

のとせん乎司法の機関が其なすべき運動をなすに由なきは広く万国

司法制度の沿革に微し謳ふべからざる事実なりとす代言人中有為の

士を集るに至る素より賀すべきなれども為めに裁判官中学識経験に

口口きを告ぐることあるに至らしむるものとせんか大に之を憂ひ之

を挽回するの策を講ぜずんばあるべからざるなり若し論者が熱心な

る如く我治外法権を回復せんと欲せば裁判官に重きを置かざるべか

らず之を特待するの道を開かざるべからず代言人の用を学び之を尊

ぶの所以を知らざるべからず学人屡論じたる如く此法権を回復する

の難きは民法商法の如何にあらず之を行ふの人如何にあるなり如何

にも今日の談判に行はるる所の口実より見るときは其難きは法律の

文面に徴すべきものなしと云ふにあるが如くなれども我民法及商法

を修正したる暁には我司法部の現状如何を以て新奇の口実とするの

外国公使出つることなしと云ふべからず井上伯の改正案も大隈伯の

改正案も其事実を認め之に備へんとしたるが為め其終を告んとした

れども之が為め遂に反対の与論を醸したるに非ずや民法商法は筆力

の力能く之を発布し得ざるに非ず之を行ふに足るべき学識経験ある

司法部は一朝にして製造し得べきものに非ず之を養ふに長年月を以

でせざるべからざるなり我人民が我裁判官に重きを置き我代言人を

尊ぶの人情を備ふるに至る果して何年の後なるべきか明治維新以来

廿有余年の日月は未だ以て之を備ふるの猶予を与へざりしものなり

今日にして之を備ふるの道を講ずるに一層の熱心を以てすること遅

しと云ふも早からざるなり目下正に我司法の前途憂ふべきものある

こと如此我士之を憂へずして可ならんや

 〔読売新聞 明治二十四年二月十九日 附録の二面、四・五段、

三号)

 東京新報にも同日に同記事あり

7

同志社大学開校式

○同志社大学の開校式

 故新島裏氏が一世の事業として計画せし私立大学の「部たるハリ

ズ理科大学は、其校舎井に諸機械等悉皆完備せしに付、来月七日を

以て之が開校式を挙行する筈にて、其前日即ち六日には一般人民の

縦覧をも許す都合なりと云へり。

 〔能仁新報 明治二十四年三月二十三日〕

8 同志社大学東京移転問題

○紛擾納まる

 京都同志社大学の生徒三十余名は連署して同校を東京に移さんこ

とを社長小崎弘道氏へ建議したることをありりしに、他の数百名の

生徒は大に怒り、建議を提出したる改革派の生徒に談判を試み、夫

(43)

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が為め校内何となぐ穏かならざりしが、改革派即ち移転論主張の生

徒廿余名は之が為あ遂に連署して退校を申込み、此程漸く無事に帰

せりと云ふ。、 ,

 〔東京日巨新聞 明治二十四年三月二十七日〕

9

〔ボアソナード氏の意見書〕

○ボアソナード氏の意見書 ボ氏は昨日箕作司法次官の許へ一の意

見書を呈出したりと云ふ

 〔読売新聞 明治二十四年五月二十七日 一面、二段、五号〕

 -o 〔訂正文〕〔法学協会は英法学者の

                専有物にあらず〕

○法学協会.昨日の紙上に法学協会派と法治協会派と題せし項中法

学協会を英法学派の様に記せしが同会中には英、仏、独各学科の学

士を包含し決して英法学者の専有物にあらずとの事なり

 〔読売新聞 明治二十四年七月二十八日 二面、三段、五号〕

11

@〔私学大聯盟〕

 法学院の松野貞一郎、英語学校の杉浦重剛、西京同志社の徳富猪

一郎、慶応義塾の増田英二、錦城学校の坂元盛徳、済生学舎の長谷

川泰、共立学舎の辰巳小二郎、成立学舎の中原貞七、郁文館の棚橋

一郎の諸氏は、一昨日午後五時より麻布材木町増島六一郎氏の宅に

会して自今私立学校の一大聯合会を組織し、一々私立学校の利害に

関する問題を決定し、将来共に運動すべきことを取極めしよし。

 〔朝野新聞 明治二十四年七月三十一日〕

12

@私学撲滅論

 文部大臣の弁明

 文部省に於て私立学校を撲滅せんとするの風説一たび起りしより

教育社会に一の恐慌を与へ、殊に尋常中学の卒業生を無試験にて高

等中学に採用するとの噂に就ては私立学校数千の生徒は将に方向に

迷はんとするの有様なり。右に付府下の重立ちたる私立学校の関係

者が頻りに奔走中なる由は既に報道せしが、去月三十日東京英語学

校長杉浦重剛氏が文部省に出頭し大木大臣及び辻次官に面会して此

事に付質問したる節大臣と次官との返答は大略左の如くなりしと。

 大臣日く、高等中学校の規則は今目通りに差置き、当分変更する

の考なし、且つ入学試験は寧ろ自由競争の試験法に依らんと欲す、独

り官立公立の学校より無試験にて採用することは好ましからずと。

 次官曰く、、将来は尋常中学校より直ちに高等中学校へ入学を許さ

んと欲すれども、現今の処にては尋常中学の程度頗る低きを以て到

底此れより採用すること難し、故に二三年の後尋常中学校の完全に

赴くを待ちて徐々に之を実施するの心算なりと。

 大臣及次官の談話此の如く、文部省は直ちに私立学校を排斥せざ

るや知るべきなり、然らば私立学校の関係者及び生徒も亦た安堵す

るを得べし、堂々たる大臣、次官豊無責任の言を為さんや、記して

後日の券とす。 「

 〔日本新聞 明治二十四年八月三日〕

13

〔民法及商法の修正調査〕

○民法及び商法の修正調査 前期の議会に於て実施を延期したる商

(44)

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法は其後延期派の代議士諸氏手を捌て調査修正する筈なりしも種々

の事情に遮ぎられ其儘になり居たるが今度元老議員村田保氏主とな

り本年若くは明年の議会に商法及び民法の修正法案を提出せんと目

下協議中なりといふ

 〔読売新聞 明治二十四年八月五日 一面、三段、五号〕

14

〔商法修正について、三好司法次官の話〕

○商法修正に就て(三好司法次官の話)

 三好司法次官が頃日商法修正に就て或人に話せしを聞くに如何程

修正を期望したればとて我が商法は既に十余年前より編纂に着手し

専門法律家が我国の風俗習慣に照して成立したるものなれば一度実

施して後不完全なる所を見れば随分修正にも着手すべけれども未だ

実施もせざる内に修正せんなどとは決して行ふべからざる事なり云

々と蓋し此の説は内閣及び司法省内にも専ら行はるるやに聞く

 〔読売新聞 明治二十四年九月十八日 一面、三段、五号〕

15

商法を等閑にする勿れ

 新法典の編纂委員が刻苦に刻苦を重ね勉励に勉励を重ね、莫大の

費用と時日と労力とを惜まず、手際に完成して発布に及びたる商法

も、兎角初めより世間に於いて種々の非難を受けしのみならず、終

に初度の帝国議会に於て首尾能く実施延期の運命に遭遇したるは、

委員其の人に取り残念なるは勿論、傍観者より之を言ふも実に気の

毒の至りなれども、此の如き与論の服せざる法律が暫く実施の機会

を夫ひ、政府と人民とをして十分審査論究して取舎の決を採るべき

余地を与へたるは、国家の為に聯か之を喜ばざるを得ず

 然れども商法は延期にして廃止に非らず、廃止に非らざるが故

に、延期々限の尽くると共に実施の日あるは固より言ふを待たず、

然るに若し荷且因循一時を倫み之れを等閑に附し去る時は、延期の

利益を享有する能はざるのみか却ッテ其の間人民をして方向に迷は

しむるの害あり、若し又其時に及びても実施せざらんとするか、延

期又延期、終に其の停止する所を知らざるに至らん、而して今や政

府果して用意する所あるか、議員果して予料する所あるか、学者果

して論究する所あるか、人民果して準備する所あるか、政府の用意

は姑く之を置き、余輩は僅に仏法派の一部が少しく防禦線を張りつ

つあるを見るのみ、其の他に至りては殆ど之れを忘却せし老の如

し、荷くも此分にて推行く時は再び其の期に及んで狼狽せざるを保

し難し

 余輩は強ちいつ迄も法典を編纂する勿れと言はず、毫も外国の法

律を採る勿れと言はず、尽々談話的の文章を以て之を綴れと言は

ず、然れども此法典が国家と人民の必要より生じたる者に非ずし

て、幾何か政署の影法師に非ざるなきを疑ふ、現社会の理勢に照し

て国民に適合せざるかを疑ふ、外国の法を採るに就て主客の弁を失

ふなきやを疑ふ、生呑活剥せしに非ざるかを疑ふ、委員が労力の結

果は、一将功成万骨枯の唐詩に類するなきかと疑ふ、曾て聞く法典

の成や、或る人或る翁を訪ふ、翁問うて日く僕不敏にして新法典を

解する能はず、君の法典に於ける造物者と同じ、願くは疑義を質す

を得んと、客笑て日く僕にも分らんと、是れ一場の該誰と難も、亦

以て法典と造物者の関係を見るに足る、之をして本社の豪傑物語の

材料たらしめば則ち談柄笑資にして止むも真面目に観察する時は、

余輩実に法典が人民に対して不親切なるかを疑はざるを得ず、唯其

(45)

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れ此の如し、条文の完全ならざる者ある、実用に適せざる者ある、

固より怪しむに足らず、然りと錐も修正冊補にして其の適を得る時

は、必ずしも一棒打破委員の功を没して尽く之を変更するに及ぼ

ざらん、而して学理に拠り実際を堕み、其の疵醇を分別し環喩を取

舎し、予め政府をして注意する所あり人民をして覚悟する所あらし

むるは法律専門家の任なり、堂々たる博士堂々たる学士、其の数に

於て欠く所なし、蓋ぞ此の大問題に対し、欧精米粋の卓論を吐て実

力を天下に示さ父る

 余輩終に臨んで一言す、此の法典は一時の政暑と異なり、国家の

休戚人民の利害共に百年の後を思はざるべからず、其法仏派たり独

派たり英派たるを以て互に相疾視し、一方に於て強て其の欠点を弁

護せんとすれば一方に於て妄に其好処をも没すんと試み、法典を以

て学派の天王山となし、其の存廃により輸臓の栄辱を分たんとする

が如きは、真正なる学者所行に非ざるなり

 〔読売新聞 明治二十四年九月十九日 一面、一~二段、三号〕

16

〔政府再び商法の施行延期〕

○政府再び商法の施行を延期せんとす 仏独学派の諸氏が法治協会

を設立し是非とも我国を以て法治国となさんと熱心に会員募集に奔

走しつXあり又政府部内の法律家も多く之に賛成を表し一日も早く

新法典を実施せんと希望するもの鼠如し然るに政府の意向は却ッて

再び商法の施行を延期せしめんとするものあるに似たり今其の理由

如何にと繹ぬるに第一期議会に貴衆両院に於ては商法に修正を要す

る点勘なからずして其の施行延期の議決を為し貴族院にては更に其

の修正に関し政府に建議する所ありしも政府は一切之れを聞かざる

ものΣ如し其儘に付し去り最早余す所僅に一年に過ぎず此の短日月

の間に完全なる修正は思ひも寄らぬことなれど多分第二期議会には

貴衆両院共に修正の建議を為すなるべし而て政府尚之を容れざるの

若くは之を容れて修正したりとするも若し両院を満足せしむる能は

ざるときは責は政府に帰し再び之が施行を延期せざるを得ず故に政

府が再び商法の施行を延期せんとすと云ふは謂れなきにあらずと某

貴族議員は語りぬ

 〔読売新聞 明治二十四年九月二十五日 一面、四段、五号〕

17

民法商法を如何すべきや

 余輩は曾て新法典を以て学派の事となすべからざる由を論ぜり、

然れども昨年以来民法修正商法延期の議論は単に学派の争よりして

起りたるに非ず、勿論学派の争は其の勢力ある分子たるには相違な

きも、是が為に実業社会の反対と一般人民の苦情とを皆無視する道

理を見出す能はず、是故に学派の争を口実とし、然も学派の中に於

ても仏独派の方は姑く之を棚に上げ、英派が私意私慾よりして反対

を試むる者となし、堅く原案を維持して其の非を遂げんと欲するが

如きは、亦余輩の取らざる所なり、

 実業社会と難も尽く反対せし者のみに限らず、実施を是認し期望

し若くは請願せし者亦鮮からず、然れども往々請願人に就て何が故

に実施を必要とするかと問ひし事あるも、彼等は特に明答を与へ

ず、否明答を与ふる能はざるのみならず、却て反対の本心を証明す

るの場合に遭遇せし事は一にして足らず、彼等は日く民法は勿論商

法に至ても到底解し難し、半年又は一年の星霜を費すも容易に通暁

すべきに非ず、されば直に実施せらる瓦も、一二年を経て実施せら

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る二も、自身に取りての困難少しも異なる所あらず、然る時は一と

思に実行せられて、損害も迷惑も早く堵の明く方を望むのみと、是

れ貴に不思議の現象に非ずや、我国商人の幼稚にして割合に其業務

の利害得失に冷淡なる真に嘆ずべき者あり、然れども是に由りて之

を観れぽ、法典の不適当も亦其の一班を窺ふに足れり、

 抑々法典編纂の起因と委員諸氏の心術に至りては、今更之を反.覆

するに及ぼず、只此法典が学理に偏して実際を顧みず、難渋の法文

を掲げて意義の通不通を問はざるの二事、已に之を其儘にて実行す

べからざるの一理由となすに余あり、或は日く人民は皆法学生に非

ず、故に法理を解せず、法理を解せざる者に解得せしむべき法典を

作る事は到底為すを得べからずと、是誠に然り、然れども法理の高

尚なるは実際の適当なるに若かず、且つ人民の法理に通ずるは敢て

之を望むべからざるも、実際の取引に於て法律の如何を知り、利に

就き害を避くるが如き、極めて必要なる事に非ずや、而して新法典

が此点に於て出来得る丈の注意を尽せしを見ず、法文に至りても強

ち大久保彦左衛門がおさん泣すな馬肥せと云ふが如き、俗言語調を

以て之を綴るべしと云ふに非ず、只普通の文字ある者をして之れを

解する事を得せしめば則ち可なり、而して余輩時に委員其の人を除

くの外、何人も解すべからざるの文字あるを見る、勿論学語に至り

ては普通の学力を以て暁るべからざる者あり、又古来慣用の熟字を

適用すべからざる者ありと錐も、強て新を出し奇を街し、仏法独律

をして三項五典の観をなさしむるは、量に之を奇と謂ざるべけん

や、之を要するに一般人民は智となく愚となく之に反対する者多

く、疑惟を抱かざるも賛成を表せざる者多し、而して回護維持に切

々たる者は、法典の制定編纂に与かれる者及び仏独法律の臭味を帯

ぶる者の外は実に僅々たる者の如し、然らば則ち人心向背の決、多

言を待たずして之を知るを得べし、英法派の如きは反対者の中に於

て勢力ある一分子のみ(未定)

 〔読売新聞 明治二十四年九月二十七日 一面、一~二段、三号〕

18

民法商法を如何すべきや(承前)

 新法典を仔細に看来れば真に立派なり、然れども其の立派なるや

宛も床の間の置物が立派なるが如く、実用の点に於ては傲帯敗席に

も及ぼざる者あり、唯其の役に立たざるのみなれば猶ほ忍ぶべき

も、強て之を実行せんか余輩は社会の法律に非ずして法律の社会な

るかの感を起さざるを得ず、即ち此の社会は法律に因りて変造改作

せらるべし、されば今日の問題は此の社会をして法典に殉せしむべ

きか、将又法典をして社会に応ぜしむべきかの二点に在り、而して

前者の如きは急激の事疎暴の言にして、国利民福の上に於て甚だ望

ましからず、然らば則ち無論決を後者に採らざる事を得ず、

 然るに一種の論者あり、延期修正の両説を視るや宛も学派に専属

の問題の如く、藁するに机上の空想架空の臆説を以てし、兎も角も

一度之れを断行して適否利害を実験すべしと云ふ、是れ未だ実施せ

ざる中は、何等の論を吐くも皮想の見に過ぎざれば、為めに法典実

施を躊躇するの価値なしと思ふなり、若し法典の目的物をじてさま

で直接の痛痒を感ぜざる無責任の学者論客に止まらしめぽ、則ち此

説の如きも或は不都合なかるべきも、粒々辛苦の中より編纂の費用

を払ひし上、猶試験の材料に供せらる玉一般の人民に至りては、其

の迷惑果して如何ならん、試に能毒未だ判せざる薬剤ありと仮定せ

               (ママ)

よ、之れを無皐の健康身に施して成蹟を察せんとす、山豆に無慈悲の

(47)

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極点に非ずや、況や多少の毒味を含蓄するとの説多数を占むる時に

於てをや、且つ学派の争は務て之を排斥せざるべからざるは勿論の

事なれども、学派の争点たるが為に、其の争によりて生じたる正論

公議までも取るに足らずとなすに至りては、頗る狭阻に失するの憾

なき能はず、幸にして民法の実施は来る廿六年を期し、幸にして商

法も其の時まで延期せらるx事となれり、若し商法をして延期する

事なからしめ、民法をして亦同時に実施の予定ならしめんが両つな

がら大早計に失して追ふべからざるの悔あらん、法典の編纂せらる

二已に必要の為に非ず、而して急速の全部実施も亦必要あるを見ず、

 余輩は此二法典に於ける修正説に左祖する者なり、然れども全部

を一時に修正せんか、短日月の間に結うすべきに非ず、強て之を修

正せんか、猶ほ濁水を撹するが如く労して功なきの結果あるのみ、

然らば則ち廿六年に至るも復た延期の策に出でんか、法典の中に於

て必須速行を要する篇章条項あるを如何せん、世運漸く移り人事日

に繁く、実業及び其他の事柄にして新規の者は勿論、旧来の者に於

ても情況により相互の権限関係等を規定する法令習慣を欠く者少か

らず、故に此の点に関して、世間一般が確然たる成規を得て安心

満足せんと欲するの事実は決して掩ふべからず、是を以て余輩は此

の一ケ年余の間を以て法典中最も社会が急速に需用を要する会社法

の如き者を択み、広く学者及び実業家の意見を諮詞し、修正改良し

て単行法律となし、漸次発布せば、急速に失するの憂なく、又因借

に失するの弊もなく、従て委員其の人の功も亦浬滅するの恐なから

ん、此の如にして月を累ね年を積むの後、精を集め粋を合し、完美

の一大法典を編成するは決して難事に非ず、彼の法典全廃説の如

き、全部実施論の如き、共に極端に趨る者なり、余輩は何学派の論

なるが為に雷同する能ず、何学派の論なるが為に阿徒する能はず

 〔読売新聞 明治二十四年九月二十八日 一面、 一~二段、三号)

 19 〔商法一部施行は却て

             非法典論者の援を為す〕

○商法一部施行は却て非法典論者の援を為すものなり 商法↓部施

行は既に衆議院に於て第二読会迄も通過したれぽ此勢にては難なく

第三読会をも通過すべき有様なるに初め商法実施に反対せし商人及

び英法学者が此際斯くも黙々たるは何故なるやと怪み窃かに其の深

意如何と探りし処皆謂らく縦令此案衆議院を通過するも貴族院に提

出されたる暁には当時法律編纂委員たりし細川潤二郎、村田保氏等

及び元老院議員たりし小畑美稲、千家尊福氏等ありて之を打破すべ

きは疑ふべき所にあらざれども万一貴族院に於て之を可決し而して

之を施行せしならば其時こそ非法典論者の反対せし理由明かになり

英法学者我を欺かざりしと臓悔するものも出で来り熱心なる法治論

者も其の迷霧を覚まし却て之が反動として非法典論の気焔を高め或

は其攻撃は延て新法典全体に及ぼし田中司法大臣が明言せし如く是

より新法典に付き紛擾を来すやも測るべからずと考ふる由

 〔読売新聞 明治二十四年十二月二十一日 一面、四段、五号〕

1

明治二十五年(一八九二)

雑 報〔民法商法の実施延期説〕

○民法商法の実施延期説は衆議院に於て少しも勢力なけれど貴族院

は之に反して研究会の幾分と三曜、懇話の二会及び中立派とに余程

(48)

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の勢力あれば多分延期説勝利を得べしと云ふ尤も此延期説とて悉く

延期するにあらで彼の会社法破産法の如きは一部断行説を取るべし

と 〔読売新聞 明治二十五年三月十二日 一面、四段、五号〕

2

雑”報〔再び民法商法の延期説に就て〕

○再び民法商法の延期説に就て 民法商法の延期説は貴族院に於て

三曜、懇話の二会及び研究会の一部とが之を主張するならんと昨日

の紙上に記す所ありしも尚ほ聞く所にては研究会も中々其の一部ど

ころでなく僅々十余名を除くの外は悉く此の延期説を執るべしと云

ふ 〔読売新聞 明治二十五年三月十三旧 一面、三~四段、五号〕

5

雑 報〔法典実施に関する意見〕

○法典実施に関する意見我国法典の編纂に与りて抜群の功績ある

某外国法律大家の法典実施に関する意見なりと云ふを得たれば左に

掲ぐ

 世人轍もすれば日く人民に不完全なる法律と知りつつ実施して人

民の権利義務の上に非常の影響を蒙らしむるは吾輩の実に忍びざる

所なりと然りと錐ども民法商法幾千条中若干の不備欠典あるの故も

以て直ちに其全体の実施を延期するは軽挙も亦甚しと云ふ可し抑も

法典実施に当りて不備若くは欠典あるや否やの如きことは局外者に

於て蝶々するも容易に了解する所にあらず宜しく当局者即ち判事検

事の如き職に在るの人之れを実際に適用したる後認めて以て不備次

典となす所のものこそ始めて修正を加ふ可けれ然るに徒らに学派の

異なるが為め殊更に法典実施論老を攻撃するは亦随醜の極なり夫れ

斯の如く鴛々として徒らに条文の改正を唱へ一字一句悉く世評の成

行に一任せんか到底之れが実施を期すること能はざらん今之を欧州

各国の実例に徴するも亦然らざるはなきが故に法典の修正は之を実

施以前に為すの当を得たる者にあらずして実施以後即ち法文を活用

しつつ修正を加ふるの順序たること明瞭ならん且又現行条約の改正

により治外法権撤去にも亦大に必要なり何となれば条約改正を断行

するに当りて外国人の第一に知らんとする所は其国の法律如何にあ

り我国は法治国に移ることを予告し置くも荏再日を送ることあらん

か非常の影響を来す可し此れ法典実施を断行するは目下の一大急務

なりと云ふ所以なり云々

 〔東京朝日新聞 明治二十五年四月六日 二面、’三段、五号〕

 4 雑 報〔法治協会の会頭後任

                 問題について〕

O法治協会の会頭 大木伯が文部大臣となりし以来会頭を欠きたる

法治協会は其後任に於て種々の説あれど山田伯の会頭たることは会

員多数の希望にあらず西園寺侯の方は深く属望して推戴せんとした

るも侯は之を辞し他に適任の候補者なきにより当分副会頭のみにて

会頭は置かざることに決したる由山田伯を推さざる所以は伯は同会

の創立者とも云ふべく同会とは離る可らざる関係あれど之を会頭と

するときは同会が山田伯により進退し運動するかの感触を世間に与

ふるの懸念もあるが為めなれど一には会員の一部に異議ありて実際

纒らざる事情もありと云ふ

 〔東京朝日新聞 明治二十五年四月九日 一面、三段、五号〕

(49)

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5

雑 報〔新法典に付某伯の談話〕

○新法典に付某伯の談話法典実施に最も熱心なる旧大臣某伯の直

話なりと云ふを聞くに法典実施に就ては種々なる故障あれども就中

最も妨げを為すは英法学派なり方今欧州の諸強国は概ね成文律を以

て立国の基礎とすれども独り英国は古来不文律を以て国を成し都て

裁判例に拠るの慣例を維持し来りたるより従て同国の学者には不文

律派多く我帝国大学の如きも始めは英国の学派を主とせし故同校出

身の学者は自然不文律を主張するに至りたり之に反して成文律を主

張するは重に仏法学派故第一の故障は英仏両学派の競争に起因せり

愈々法典を実施する暁には従来不文律派の学問を為したる学士連は

折角多年辛苦して学び得たる学問も其効薄く遂には生活上にも影響

せん事を恐れて熱心反対するに至りしならん故に英法学派は官吏と

なく代言人となく政事家となく一致連結して時機さへあれば反対の

運動を為す傾きあり併し法典と云へば六ケしき如きものの手短に云

へば裁判官の定木なり此定木を置て裁判官の標準とするが燧なるか

将又定木を置かずして裁判官の考へ次第勝手に裁判させるが髄なる

かと云へば三尺の童子と錐も定木あるの燧なる事を認むべし此の如

き理由あるを以て近時世界の大勢不文律を推し通す事能はざるを察

知し正反対に不文律を主張するも到底世に容れられざるを以て修正

を口実に延期して他日時機を得て目的を達せんとするものの如し是

れ最も恐るべき故障なり第二の故障は実業家即ち所謂紳商連にして

此故障は民法よりも寧ろ商法に在るに似たり其故は我国今日の諸会

社の組織は実に不完全極まり之が為めに商工業家を妨害し往々投機

商の為めに着実なる資本家が損害を被ぶるの憂あり現に昨年米商会

所の失敗の如きは完全なる会社法の行はれざるが為めなり然るに現

在諸会社の役員の身に取ては此際厳密なる取締規則を実施されては

忽ち馬脚を暴露するの恐れあるを以て何か他に口実を設けて延期を

主張せんとするものの如し第三に政治社会の有様如何と云ふに法典

の事は幸ひに党派問題とならざるは国家の為めに賀すべき事なり現

政府の仕事には一も二もなく反対を試むる改進党中にも現に十数名

は法典の実施を主張する者ある由其他民党代議士中にも彼の法典派

の機関とも云ふべき法治協会の会員となり居る者多き由固より帝国

議会は全国を代表するものにて殊に今日の形勢によれば農民を代表

する者多数を占むるものの如く又従来の成蹟に依れば一部の紳商と

は寧ろ利害を異にするを以て仮令紳商連が自己の利益を殺がるるを

恐れて反対の運動を為したりとて全国を代表する帝国議会が同意す

る筈もなかるべしと得と得意顔に物語れりと云ふ

 〔東京朝日新聞 明治二十五年四月二十六日 二面、一段、五号〕

6 雑報〔英法学派法典実施延期に

       関する意見書を配布す〕

○法典実施延期意見書配布 近頃英法学派の一団体とも称すべき江

木衷、高橋健三、穂積八束、松野貞一郎、土方寧、伊藤悌治、朝倉外茂

鉄、中橋徳五郎、奥田義人、山田喜之助、岡村輝彦等の諸氏は法典実施

延期に関する意見書を草して朝野の有力家に配布せしよし同意見書

は簡単なるものなれど別に参考として新法典は倫常を壊乱す、新法

典は憲法上の命令権を減縮す、新法典は予算の原理に違ふ、新法典は

国家思想を欠く、新法典は社会の経済を掩乱す、新法典は税法の根源

を変動す、新法典は威力を以て学理を強行す等の諸項を附記し美濃

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紙二十↓二枚もある中々細密のものなるが如何なる故か表紙に秘密

の朱印を捺し密封して一昨夜来夫々発送せりと又法典派にては之を

聞て大に激昂し従来同派に於ては非法典派がロハ漠然新法典は不備欠

典多しと云ふに止りて如何なる点が不備欠典なるや之を指摘せざる

故反駁するに苦しみが右趣意書によりて漸く反駁の材料を得たりと

て已に弁駁書の起草に取掛りたる由なれば是より両派の軋礫は中々

の見物なるべしと

 〔東京朝日新聞 明治二十五年四月二十七日 一面、三段、五号〕

 7 雑 報〔英法学派の意見書配布(承前)〕

○法典延期の意見書配布に就て 前号に記せし如く英法学者の一派

より朝野の有力家へ頒ちたる法典実施延期の意見書を秘密書類とし

て配布せし理由を聞くに非法典派の一味徒党とも云ふべき該書に連

署したる諸氏は重に官職を帯びたる身なるも以て政府が実施を必要

と認めて発布したる法典を非難するは大に輝る所ありて斯くは秘密

書類として配布せし由去りながら立憲政治の行はるる今日斯る重大

の問題を秘密に決行し得らるべきものに非ず一旦印行して世に配布

せし以上は早や秘密界を脱したるに相違なし聞く所によれば巳に某

大臣の如きは此事を聞込み現政府が必要と認めて発布せし法典を其

   つか

政府に事へながら之を非難攻撃するは取りも直さず手足を以て其身

体を傷くると同様にて其行為甚だ不都合なりとて大に憤激し居る由

なれば是亦内閣の一問題となるべしと云へり

 〔東京朝日新聞 明治二十五年四月二十八日 一面、二段、五号〕

8

雑 報〔司法部内の花合事件〕

○司法部内の花合事件 近頃司法部内に花合事件なるもの起り某院

の法官は日夜此事に奔走して火の手中々盛んなる趣なるが元来高位

高官の人にして現行法律の禁制を犯し赤丹青丹の遊びを為すの醜聞

は今に始めぬ事なるが今度司法部内の意外なる辺より此事を計発し

て騒ぎ始めたるものは単に其犯罪の処為を省むるのみにあらず他に

原因のあるありて事此に及びしと云ひ伝ふるものあり而して其事件

に関係したるは某院長を始め高官の法官六七名も加はり居りて之れ

を花合派と呼び此事を託発して花合派を攻撃するものは曾て某院長

の椅子を争ひたる某総長を始め以下十数名にて之れを攻撃派といひ

宜しく懲戒裁判所を開きて懲戒処分を為すべしとの論鴛々たる趣き

にて同派が今更の如く同部内の醜態を曝し出し斯の如く騒ぐに至り

しものは予て同部内には権力の争ひより党派を生じ何事に限らず相

反目せし傾向ありしことにて今度の事件も全く原因を蝕に発し而し

て攻撃派中には上級官の欠員を待て下級官を昇級するは法官の進級

法なれぽ花合派の大頭株を六七人も懲戒処分に依て取除けば随つて

下級法官昇級の道を開通するより昇級を希望する野心あるもの之れ

に加担するもの多しといふ之れに対する花合派は流石に法官中にて

も顔役揃ひといひ是れしきの事に怯ける気色更になく徴戒裁判なり

何なり開くなら開きて見よかしと澄して構込むものの如くなるが結

局此事件が如何に落着するかは知らざれど花合派も司法部内での権

力家の揃ひなれば易々攻撃派の目的を達すること能はざるべく又今

日如斯事に懲戒裁判を開き愈々一大奇獄を起すに至らば大きく云へ

ば本邦司法の威信を失堕して条約改正の障害とならずともいひ難け

れぽ能くく将来之れが為めの結果をも考へざる可からざるものな

りといへり

 〔読売新聞 明治二十五年四月二十六日 二面、一~二段、五号〕

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9 雑報〔花合事件は英法学生と

            仏法学生の争〕

○英法学生と仏法学生の争司法部内花合事件のことに付ては昨日

の本紙にも詳記する処ありしが尚妓に最も面白きは英法学と仏法学

生の争ひなり英法学生は大に彼事件を攻撃し我国法官の腐敗不徳之

れより甚だしきはなし吾々は敗徳者を司法部内より駆逐せんと意気

込み仏法学生は梢同事件を弁護して這般の事の如きは酒間の遊戯に

洪せしのみ彼堂々たる法官而も最上法院に列するもの真に金銭を賭

し勝敗を争ふ如き事を為さんや然ると事々敷反対派より攻撃するは

名として之を傷けんとする朋党的感情に出でしこと昭々だりと主張

し居れるよし

 〔読売新聞附録 明治二十五年四月二十九日 二段、・五号〕

 -o 雑 報〔法典延期派の意向〕

○法典延期派の意向 法典延期の意見書配布に就ては追々聞く所を

記載せしが今又延期派の或一論者が言ふ所を聞くに曰く最初該意見

書の配布を公にせざりしは大に順序を履みたる次第にて之を世間に

公にせんとするに臨み先づ政府当路者へ宛てたるは其熟考を煩はさ

んとするに在り尤も少しく時日を経たる後にて広く世に発表するは

勿論なり素より該法典の是非得失を論ずるは国家重大の問題にして

之を秘密にすべき理由なきものなれども当路者を差措て濫に之を世

間に訴ふるは順序の宜しきを得るものと云ふべからず故に先づ之を

当路諸公の秘見に供したるは延期派が偏に其希望の実行せられんこ

とを期し徳義を重んじ謹慎を守りて為したる次第にして或人が想像

する如く主唱者が官職を帯びたるが故に政府に揮る所ありて故らに

之を秘密にしたる訳にはあらず延期派は法典を現在のままに実施す

るを以て極めて国家に不利益なりと確信するが故に国家の為めに已

むを得ずして延期を唱ふるに至れる次第なるに世人は非法典論者を

以て一概に英法学派と仏法学派との衝突より生じたるものと見倣す

ものあるは頗る皮相の見たるを免れざるものなり成程有力なる英法

学派の諸士は多く官を辞して民間に下り仏法学派の名士は朝に立ち

て志を得たるが如き有様あるを以て英法学者が法典に反対するは其

失意に出るが如き想像を下すものなきにあらざれども法典問題に至

りては曽て斯る原因より生したるに非ざることは彼の法典延期を希

望するものは独り英法学派のみに限らずして大学出身其他の仏法学

者も亦之を賛成するもの多啓を見て知るべし凡そ法典の不完全なる

は直接に国家人民の利害に影響するものなり然るを一方に其不完全

を唱ふる者あるに拘らず強て之を断行して国家の利害を顧みざるが

如きあらば是れ決して国家に忠実なる行為と云ふべからずされば法

典に不備欠典あり信用すべき法学者間に於て之を改定せんことを望

む者あらば政府は姑く其実施を猶予し之に歳月を仮して充分に調査

を遂げしめ然る後之を実施するも敢て晩からざるべし云々・

 〔東京朝日新聞明治二十五年四月二十九日 ↓面、二~三段、五号〕

11

雑 報〔法官花弄と法学生〕

O法官花弄と法学生 某法院花合事件の端なく世間に暴露してより

法学社会の一問題となり今や互に其不徳失体を痛論して止まざるの

     (にカ?)

有様なるが蝕も最も面白きは英法学生と仏法学生の争ひなり英法学

生は大に彼事件を憤激し我国法官の腐敗不徳之れより甚だしきはな

(52)

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し吾々法学生は国家の為め亦斯学の為め充分証拠を蒐集して天下公

正の与論に訴へ斯る敗徳者を司法部内より駆逐せんと論鋒最も鋭く

之に稽反対なるは仏法学生にして斯は決して尋常の花事件にあらず

其原因は遠く朋党的感情より起りしものなり世人の知る如く司法部

内に三派あり互に首領を異にし意見を同うせざる傾きあり今回の花

合事件の如きも酒間余興遊戯に供せしのみ彼等堂々たる法官而も最

上法院に列するもの真に金銭を賭し勝敗を争ふ如き事を為さんや然

るを事々しく反対派より攻撃するは花を名として之を傷けんとする

の策なりと弁護すれば英法学生は血眠になり斯は聞捨ならぬ弁護説

なり此度の花弄判官則ち敗徳の某々等は現に某仏法学校の講師なれ

ば我田引水の議論なり仮令酒間の遊戯なりとも身司法の源泉に居て

之を犯す其罪や大なり況んや当局者が鞠問したる柳橋校書の証言と

初音亭主の申供とに依り証拠充分なるをやと腕を掘して議論中々盛

なりと云ふ

 〔東京朝日新聞 明治二十五年四月二十九日 二面、二段、五号〕

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@雑報〔花合事件を英・仏両派の

        争いと見るべからず〕

○学派の争と誤るべからず 法典問題の如き殆ど英、仏両学派の争

に過ぎずと評せらるxより今度の花合事件も亦或は此の両学派の争

に原因するなきかと疑るx程なれども其の実は学派の何のと云へる

上品の争にあらで極々ケチな根性より出でたるものにて司法部内の

心あるものは太く慨嘆し居れりとの説もあり

○司法大臣の更迭を望むものあり 花合事件をして其の此に陥らし

めるものも亦其の之に陥いれられしものも同じく此の儘に打捨つべ

からず而して従来司法部内に於ける党派の弊害を一掃するは唯此の

機に在れども田中司法大臣は温厚の君子なれば到底快刀乱麻を断つ

の行を望むべからず故に此の際司法大臣の更迭を計るは実に止むべ

からざるなりとの議を密に唱へ居る司法官もありとの

 〔読売新聞 明治二十五年四月三十日 一面、三~四段、五号〕

13

雑 報〔衆議院議員の法典延期の建議〕

○法典延期の建議 法典延期の説は近日朝野有力の学士間に之を唱

道する人ありて已に意見書を草して当路大臣の反省を促し又一方に

                        (に欠力)

は両院議員等に向つて注意を促がしたる由なるが聞くところよれば

衆議院議員中にも大に之と同意見を執り中央交渉会の一派に在ては

牧朴真氏已に延期の建議案を起草し自由党に在ては三崎亀之助氏改

進党に在ては高田早苗氏亦延期の主動者となり彼此相応じて一致の

運動を為すの決心なるよし尤も当路大臣にも延期の意見を賛成する

人勘なからざれども已に法律として実施の期をも定めたるものを政

府自ら之を延期するときは信を民衆に失するの恐れなきにあらざれ

ぽ議会より之を建議するに至らば勿論之を聴許するの内意あるよし

ロハ此場合に至らぽ大木田中の一一大臣は責を負ふて其職を退かざるを

得ざるに至るやも知るべからずと云ふものあり如何にや

 〔東京朝日新聞 明治二十五年五月八日 二面、四段、五号〕

14

雑 報〔村田保氏と法治協会〕

○村田保氏と法治協会 法治協会派が法典実施に就て活発なる運動

を為し居るは世人の知る所なるが同協会は協会の力を以て協会員を

束縛せんとするの傾きあるより種々の混雑を来たし已に此程の中村

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楼懇親会席上に於て同協会は法典実施の決議を為し萄くも協会員た

る者は此議決に従はざるべからずといふこととなりしに依り同会員

中の村田保氏其反対の理由を述べ且つ協会幹事に向ひ余は協会員と

して実施説に反対せざるも貴族院に於て貴族院議員たる資格を以て

するときは反対せざるを得ず之も亦能はざるかとの問を起したるに

幹事は素より然りと答へたり此に於て氏は非常に激昂し直に脱会を

申込み帰宅後諸方に奔走して同志者を求め遂に法典実施延期論を貴

族院に提出するに至りたる次第なりと云へり

 〔東京朝日新聞 明治二十五年五月二十四日 一面、四段、五号〕

15

社 説〔法典延期と修正〕

 ○法典延期と修正

 始め商法の施行を延期したるは独り其熟知期限の短かりしのみに

非ず又民法施行期と一致せざるが為めのみならず実に其不備欠典の

箇条多くして之を修正せざる可らざるが為めなりしなり然るに未だ

其修正なし修正せざるの間は之が施行も亦一回二回三回たるを厭は

ず之を延期せざるを得ず

 民法に至りては其不備欠典の多きこと商法よりも尚甚だし而も商

法は尚要するに其直接に関係する所商事者のみなるに民法に至りて

は実に一人として之に関係を保たざるあらず不備欠典の多きこと顕

然たるに拘はらず強ひて之を実施せんとするは其当を得ざること甚

しといふべし或は之を実施しつつ其上にて修正剛補すべしといふも

のありと錐も是れ国民を以て一の試験器械と為すの説なり不法の極

といふべし

 法典施行延期案は貴衆両院に提出せられ同修正建議案は貴族院に

提出せらる延期案は勿論修正の意を含むこと明かなりと錐も延期案

と修正案とは其外相相似て其実全く相異なるなり若し修正の建議を

提出するに止まらんか其採否は政府の所思如何に一任せざるを得ざ

るのみならず仮令之を採用するも僅に些少の修正を加へ而して既定

期限より直に之を実行するも議者之に向つて異議を容るること能は

ざるべし若し延期案を決せずして単に修正建議を提出するのみなら

んか吾人は其有名無実に終らんことを想ふなり

 単に施行期限を延期するのみにては未だ足らず必らずや之に修正

を加ふることを実行せざる可らず、単に修正の建議を提出するのみ

にては未だ足らず必らずや之が施行を延期して以て修正の調査に充

分の日時を与へざる可らず、延期して且つ之を修正せざる可らず故

に宜しく先づ法典延期案を決定すべし延期法案両院を通過したる後

更に始めて修正の建議を提出すべし是れ相当の順序なり

 〔東京朝日新聞 明治二十五年五月二十五日 二面、一段、三号〕

16

雑 報〔法典実施派板垣伯を説く〕

○法典実施派板垣伯を説く 一昨二十三日早朝法典実施派の参謀た

る梅謙次郎本野一郎二氏は板垣伯を自邸に訪ひ法典実施に就て種々

説く所ありしが伯は其日午前十時頃より芝公園自由党事務所に到り

時事問題に就て演説する所ありし未法典実施に就き説を為して日く

此問題は党派問題にあらざれば別に党議と為す必要なけれど目下の

一大問題なれば余が意見を諸君に演説為し置くべしとて其断行説に

賛成する所以を述べたりと云ふ

 〔東京朝日新聞 明治二十五年五月二十五日 一面、五段、五号〕

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雑 報〔大隈伯の法典談〕

○大隈伯の法典談 法典実施の断行、延期両派共目下熱心に運動し

各政党に於ても同問題は初めより党議に依らず自由決議となしたる

に付同問題現今の形勢は各党共賛成もあれば反対もありて真に国家

問題の有様を呈せり板垣伯の如きも断行説に賛成のよしは已に前号

に掲げしが尚大隈伯も此程重なる党員に向て断行説を述べたる由今

其理由なりと云ふを聞くに法典に不備欠点あるや否やは別問題とし

て近頃聞く所に拠れぽ内閣員の多数は法典延期説に傾きしやに伝ふ

れども元来政府は法典は条約改正を断行するに必要欠く可らざるも

のなりとて多年刻苦して編纂し且之が為めには多額の費用を要し巳

に其実施期限までも公示しながら今に至りて漠然延期を主張するは

実に政府の仕事として不似合千万なり明治政府の仕事には斯様の仕

事多し必要と認めて始めたる仕事は其終りを完うするこそ政府たる

の本分なれと云ふに在りと

 〔東京朝日新聞 明治二十五年五月二十七日 一面、五段、五号〕

18

雑 報〔能弁学会主催の法典問題演説会〕

○法典問題の演説会 能弁学会にては明廿九日正午より木挽町厚生

館に於て同演説会を開く由当日は英法家、仏法家に論なく延期派断

行派に拘はらず何れも出席して意見を吐露する由なるが其弁士は英

法家にて鈴木充美、芹沢孝太郎、仏法家にて光明寺三郎、磯部四

郎、梅謙次郎等の諸氏なりと

 〔東京朝日新聞 明治二十五年五月二十八日 二面、三段、五号〕

19

雑 報〔伊藤伯と法典問題〕

○伊藤伯と法典問題 法典問題に就ては内閣大臣中断行と延期の二

派になれ居る旨は別項に掲げし如くなるが尚聞く所に依れば久しく

黒幕宰相の称ある伊藤伯は熱心なる延期論者にして隠然与て力あり

と云ふ併し去十八九年井上伯が外務大臣たりし頃井上伯の条約改正

を執行するに法典の編纂必要なりとて当時の伊藤総理大臣は熱心に

法典の編纂を主張し遂に外務省中へ法律取調局を置かしめ専ら民法

商法の編纂を取急ぎ将に直訳体の法典を発布せんとする運びとなり

しが井上伯が条約改正に失敗せしと共に法典編纂の事務を司法省へ

引移す事となりたり此の如く法典に熱心なる伊藤伯が今回延期説に

変じたるは実に不可思議なりとは某官人の物語りなり

 〔東京朝日新聞 明治二十五年六月一日 一面、四段、五号〕

20

@雑報〔法典問題に関する

           内閣大臣の抗争〕

○法典問題と内閣大臣 法典問題に付内閣大臣中松方首相を始め二

三大臣の延期説に傾きし事は已に世人の知る所なるが過日村田保氏

の延期案貴族院へ提出せられし以来更に閣議を開きし処大木田中榎

本等の諸大臣熱心に断行説を主張したるより政府の意見遂に断行と

決したるを以て大木田中榎本の三大臣は政府を代表し屡々貴族院に

於て断行の必要なる所以を弁明したれども延期案は大多数を以て可

決せられたり是に於て断行派は衆議院に於て之を喰止めんとし延期

派は之を妨げんとして両派共目下非常に奔走中なるが此法典問題に

関し始より冷淡なりし松方高島樺山等の各大臣は其後又々延期説に

(55)

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傾き隠然延期派に力を添へたりとて断行派の大臣は目下非常に激昂

せし由なれば愈々衆議院に於て延期案通過の上は大木田中榎本等の

各大臣敦れも勇退する覚悟なりと云ふものあれど如何にや

 〔東京朝日新聞 明治二十五年六月一日 一面、四段、五号〕

21

@議会〔法典修正審査委員設置の

             建議案提出〕

○法典修正審査委員を設くるの建議案提出 小畑美稲氏は二条公爵

外卦三名の賛成を以て民法商法修正審査委員を設くるの建議案を提

出せり其要は第一期議会に於て建議せし組織を以て速に其委員を設

け修補に着手すべしといふに在り

 〔東京朝日新聞 明治二十五年六月三日 一面、三段、五号〕

22

@雑報〔貴族院より衆議院へ回附せし法典

    実施延期…案についての

     田中・大木・両大臣の談話〕

○法典問題と両大臣 貴族院より衆議院へ回附せし法典実施延期案

も愈一両日中に同院の議事日程に上るべしとの事なれば当日は定め

し議場に火花を散らすならんが今断行に熱心なる田中、大木両大臣

が或人に向つて談話せし要領なりと云ふを聞くに昨今の模様に依れ

ば折衷説とも云ふべき島田案即ち一部延期説最も勢力あるに似たり

固より本大臣等は全部断行の必要を認むれども議論数派に分れ居る

今日故強て全部の断行を主張するものにあらず一部延期案通過する

上は之れに満足する覚悟なり去りながら万一全部延期案通過するに

於ては本大臣等は已に過日来貴族院にて主張せし通り政府の意見と

して陛下に上奏し飽くまで予定の如く断行する決心なり当節は兎角

何事も党派問題に引入るる事流行するにも拘はらず法典問題は党派

問題とならず真に国家問題の傾きあるは本問題の為めに賀すべき事

なり断行若くは一部延期を主張する連中は寧ろ民党中の硬派に多く

して却て温和派に全部延期を主張する多き有様なり近来政治上の問

題は重もに政府と所謂民党の衝突に原因すれども法典問題に付ては

恰も反対の現象あるを以て政府は若し衆議院に於て全部延期案通過

の上は断行を上奏するに躊躇せざるべしと云々

 〔東京朝日新聞 明治二十五年六月十日 一面、五段、五号〕

23

@社説〔法典実施延期案の両議院通過に

    対する教育家の反省を望む〕

 ○今にして教育家の反省を望む

 法典実施延期法律案は大多数を以て両議院を通過したり斯く大多

数を以て通過したる以上は不日御裁可あるべきは我輩の疑を容れざ

る所なり猶又両議院に於て将来法典を修正する為め委員を組織する

の建議を為したれば早晩法典の修正に着手するの目あるは是亦疑を

容れざる所なり我輩の見る所を以てすれば風を移し俗を易ふるの原

動力種々あるべしと錐も維新以後の経験に因れば法律を以て其最と

為さざるを得ず是れ其他の原動力即ち社会的教育的の原動力の如き

は其制裁極めて微弱にして法律の如く直接に強制を受くることなけ

ればなり果して然りとせんか斯く強大なる勢力を有する法律就中民

法商法の如く其影響の社会↓般に普及すべきものに付ては法律の専

門家が其編纂若くに修正に従事するは固より当然なりと錐も他の原

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動力たる所の業務に従事するものも亦決して之を忽諸に付すべから

ざるなり

 我輩曽て法典実施延期論者の意見なるものを読むに其中に新法典

は倫常を懐乱し及び国家思想を欠くとの事に論及せし果して論者の

言の如くならんか法律家以外の人物殊に教育社会に於ては最も注目

すべき所にして幸に修正せんが為めに其実施を延期する事となりた

れば此際に当り宜しく充分の研究を遂げ以て法典の実施は教育上如

何なる影響を蒙ぶるべきやを探究し予め之が備を為し或は相抵悟す

るあらば斜酌其宜しきを得せしむるを期せざるべからず蓋し此事た

る決して今日に始まるべき事にあらずして当初法典編纂の挙の起り

たる際業已に無かるべからざるの考案なり然れども今にして之を云

ふは已に遅し惟将来其過を再びせずして法典修正の挙あると同時に

教育社会に於ても亦之に対して相当の組織を設け以て法典と教育に

関する勅語及び倫理其他一般の教育の方針との関係如何を研究し注

意すべき点あらば之を法典修正委員に報ずべきなり

 嚢日延期法律案の貴族院の議に上るや大木文部大臣は大に延期案

に反対し盛んに新法典の利を説き曽て文部の局に当り久しく教政を

司どりし田中現任司法大臣も亦大木大臣と同一の方針を取り一時文

部大臣たりし榎本現任外務大臣の如きも亦同一轍に出でたり斯く文

部に長官たりし数名の大臣が主張せしに拘はらず帝国大学に於ては

其総長を始め教授にして席を貴族院に列するものは皆反対の方針即

ち延期案賛成の方針を取りたるは官報の速記録及び新聞紙上に於て

何人と雛も熟知する所ならん教育社会に於て最上位を占有したりと

称すべき人々が斯く意見を異にするを見ても亦以て法典問題は教育

社会の一大問題とせざるべからざるを知るべきなり若し延期論者の

言の如く新法典は倫常を懐乱し及び国家思想を欠くの虞ありとせん

か之が実施を主張したる人々殊に教育の局に当る所の大臣其人に向

つては教育社会の人々は果して如何なる感触あるや我輩は此問題の

成行を観て世道人心の汚隆をト知せんと欲するなり

 〔東京朝日新聞 明治二十五年六月十五日 二面、 一段、三号〕

24

@雑 報

〔法典延期案可決にょる

     ボアソナード氏の失望〕

○ボアソナード氏楽まず 法科大学の生徒ハ参考課として是迄ボ氏

の法律講義を受け居りし処近来学派の関係よりして俄かに聴講者の

数を減じたる為ボ氏ハ生徒の不熱心を唱えて氏と生徒間に面白から

ざる関係を生ぜし事もありしが比程法典延期案下院を通過したる以

後氏ハ人毎に語りて日く余ハ十数年以来日本法典編纂の為めに畢生

の力を致せしものなるに今日議会が法典実施延期を可決したるハ日

本人民ハ余を見棄てたるなり余又日本に用なしと快々として楽まず

爾来大学の講師をも断りて出席せずとの事なり

 〔読売新聞 明治二十五年六月二十一日 一面、五段〕

25

@雑報〔法典延期派の勝利にょり

   英法学者は「六十会」を組織す〕

○法典問題と延期派 襲に法典問題の第三議会に顕る玉や英仏二派

の法学者ハ何れも熱心奔走争ふて自家の所説を貫徹せんことを勉め

たりしが結局法典延期説ハ大多数を以て両院を通過するに至り英派

の得意に引換へて仏派の失望を来せしハ実に去る六月十日の事なり

き去れバ英法学派ハ此勝利の日を記念として六十会なる者を組織し

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法典修正の準備を為し毎月十日呉服橋外柳屋に於て会合し来りしも

爾来内閣ハ両院の議決せし法典問題を等閑に附し今日に至る迄未だ

何等の発布をも為さゴるより六十会を始め延期説に賛成せし↓派の

中壮年血気の人々ハ殊の外激昂なし内閣に対して示威運動を試み以

て其意見を定めしめんと奔走する者さへありしかど六十会の重なる

人々ハ勉めて是等の急激なる運動を制止し他に一策を設けたり其策

ハ先づ議員をして内閣諸公を訪問し徐々利害を陳述せしめ以て内閣

の決心を促すべし此手段を行ふも尚閣員の心を動かすに足らずんバ

其時こそ示威運動を為し大に与論を喚起すべし元来両院が多数を以

て議決せし議案を内閣が握り潰さんとするハ両院の議事を重んぜざ

る所為なり故に此際内閣諸公の反省を促がさゴる時ハ内閣ハ議会を

見る事児戯と均しきに至り将来議会が如何なる事を議決するも悟と

して顧みず議会の勢力之れよりして萎縮するに至るやも計るべから

ず去れバ今の時ハ法典の是非如何を以て内閣を責むるの必要なしロハ

一直線に議会の議決を等閑視するの罪を責べし已に内閣攻撃の法典

の是非如何にあらざる以上ハ延期派も断行派も無論此問に賛否のあ

るべき筈なけれバ必ず共に聯合して内閣に迫るに至べしといふにあ

りて目下右に関する運動の準備を為し居る者もありといヘバ多分来

る十日の六十会議に於て其運動方針及び方法等を議定するに至るべ

しと

 ハ東京朝日新聞 明治二十五年十月一日 一面、四~五段、五号)

26

雑 報〔法典問題に関する某相の談話〕

○法典問題に関する某相の談話 社友某一日法典問題に縁故ある某

相を訪て法典問題に関する込入りたる話を聞けり今其要領を報じ越

したるに付之を左に掲載す

△伊藤伯変説の次第 首相が黒幕の裡に在りし頃延期派の采配を揮

つテ居られし事は人の知る処なるに今や首相は純然たる断行派とな

り何人に向ても之を公言するを渾らざるに至れり今其変説の次第を

聞くに伯の幕賓金子堅太郎氏は熱心なる断行論者にして議会に在て

も大に断行軍為に斡旋したるのみならず尚も万国公法会議に向て我

国の諸典及其沿革を堤出せんが為海外へ渡航したる程なれば氏は発

途前伊藤伯に面会していふやう予が折角是等の事項を調査し之に重

ぬるに醗訳の労を以てし愈々万国公法協会に提出したる其後にて肝

心の法典実施期限が延期されたりとありては予の不面目のみならず

帝国の体面に関し不面目の至りなるにより若し総理にして延期説を

取らる鼠とあらば予は断然此行を思ひ止るべしと辞色を正して迫り

たるにぞ総理は終に断行の為めに尽すべき旨を約したるが金子氏は

尚幾度となく念を押して堅く之を誓ひたる上欧州に向ひたるなりと

去れば総理の変説は全く此に由来するものならんといふ

△山県伯は一部断行 伯は司法大臣に就任の前より屡々山田伯と往

来し山田伯は山県伯を司法に推薦したるが上に尚二伯協議の末司法

省は一部断行説即ち第三回議会に於て議員島田三郎、河野広中両氏

が提出したる氏法人事編及び財産取得編中第十三章、十四章、十五

章(相続贈与及び遺贈・夫婦財産契約)を除きて他を断行するの説

を取ること瓦なれりと

△黒田大臣等六大臣 黒田伯は大隈伯の条約改正以来法典編纂に賛

成し而して其頃編纂しつ二ありし法典は即ち今の民法商法なれば伯

の断行家なること疑を容れず又陸奥外務は先に農商務たりし時商法

実施の必要なることを認めしのみならず延期問題の議会に現はれし

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際にも暗に断行説を取らんことを促したる位なれば今更変説もなか

るべし又河野文部は元と修正意見を把持せられしかど先に松方内閣

に於て法典問題の協議ありし節一旦一部断行説に折合ひしとありし

故多分一部断行論なるべく渡辺大蔵及び後藤逓信は一部断行説にし

て大山陸軍仁礼海軍は何れにても頓着せざるものの如し

△井上内務独り反対 井上内務が曽て外務たりし時条約改正を企て

其談判の破裂せし際外国政府に向て「日本は民法商法及び裁判所構

成法に就て完全なる法律を実施したる上更に改正談判に取掛るべ

し」と公言したる人にてあれど法典其物が悪しといふ論なりと聞く

しかし内務が熱心に延期説を主張するに至るや否やは予め知ること

を得ず

 〔読売新聞 明治二十五年十月七日 一面、三~四段、五号〕

27

雑 報〔法典取調委員設置の理由〕

○法典取調委員設置の理由 右に付内閣の方針を聞くに閣員各専門

の学者にあらざるを以て充分の取調を為すことは能はざるに付特に

専門の学者を抜擢して取調委員となし議会の開会迄に大体の取調を

為さしめ其結果各部共修正の必要ありと決せバ延期案を裁可するこ

ととし之に反して或部分ハ修正するの必要あるも或部分ハ修正する

に及ぼざるものと決するときハ修正の必要ある部分を延期し其他ハ

実施することと為さんと欲するが為め斯く委員を設けたるなりとい

ふ  〔東京朝日新聞 明治二十五年十月八日 一面、二段、五号〕

28

雑 報〔法典取調委員と内閣〕

○法典問題に付内閣の決心 断否何れにか決するの外最早や取調を

要することなきに政府が特に十二名の取調委員を設けたるは自から

責任を避けんが為めなるべしとの批評もあれど今或る政府通の話を

聞くに内閣にては既に此の問題に付一部断行と云えへることに決定

し居れども唯だ此の儘に前の延期案を打捨てるは上下の感情を害す

るの畏れあれば先づ取調委員を置て一ニケ月も此に喋々せしめ断否

何れとも決せざるうち議会の開会となるゆえ其の時両派の説を折衷

したる姿にて一部断行案を議会に提出する筈なりと云ふ

○法典取調委員会の権限 に付ては別に明確なる規定を見ずと難も

帝国通信社は一昨夜左の如く報じ越せり

  本日午前八時頃より開きたる民法商法取調委員会は十時頃より

 伊藤首相の出席あり首相は一場の演説をなし此度委員を設けたる

 は法典問題に付学者の意見を聞き処決する処あらんが為なり云々

 と述べ夫より議事の運び方に付申合あり次に委員は意見を述るに

 止め採決を用ることなく議事は条項に渉りて議することもあり其

 刻限は毎日午前九時の開会にて出席者は毎会八名以上なるべきこ

 と等を決定し散会したりけるが此問首相は始終臨席し居りて委員

 との間に数回の問答あり委員間にも激論あり議事は採決をなさざ

 るを以て延期論中に辞任者なき有様なり云々

 之によりて之を見れば委員会は一の諮問会たるに過ぎず元来委員

は延期六名断行六名なるが如きも其実小畑氏は却て延期を妨げんと

するの傾あり加ふるに法典問題の起りたる際貴族院に於て小畑氏と

同一の意見を有したる西園寺侯が委員長たる以上は断行と延期は七

と五の割合となる都合なるにより若し止むるに由なからんとの配慮

より諮問会の性質とし殊更に権限を狭少ならしめしならんとのこと

なり

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○法典問題に付英法学者の会合 英法学者の一派は周昨夜法典問題

に付き柳橋亀清楼に会せり集会者は岡山兼吉、高橋建三、穂積八

束、松野貞一郎、江木衷、小松謙二郎、朝倉外茂鉄、三崎亀之助の

諸氏にて法典取調委員組織に付ての話もありしかど当日出席者の中

なる松野、穂積の両委員は委員会の秘密を守りて其模様等を言はざ

りしにより込入りたる相談は出来ず唯々三崎亀之助等は頻りに取調

委員組織のことを非難し之は議会の権限を軽んじたるものなりと痛

論し之に付て種々の説出でたるまでにてこれとても一場の笑ひ話し

たるに過ぎずこの夜は夫れ迄にて散会したりといふ

 〔読売新聞 明治二十五年十月十日 一面、三~四段、五号)

29

雑 報〔松野法典委員と六十会〕

○松野法典委員と六十会 六十会なるものは法典延期派有志の結合

せる団体にして松野貞一郎氏の如き亦某会員なるが今回氏が民法商

法施行取調委員を拝命せしに付同会員中の重なる人々は氏に対して

之れを辞すべしと勧告するところありしに氏は之に対して身不肖と

錐も国家の大事を誤る如き事を為すべき者に非ず取調委員を辞する

と辞せざるとは小生の考えにありて敢て諸君を煩はすの要なし元来

諸君も知らる玉如く小生は熱心なる延期論者にして身は六十会の発

起人たれば如何なる境遇に接するも其意見を柾るが如き事なし只委

員会の事は之を秘密に為すべきの約あれば敢て諸君に語る能はざれ

ど松野が辞職する時は松野が意見行はれざるの時にして松野が辞職

せざるは辞職せざるの理由あるが為なればなり云々と答へたる由

 〔東京朝日新聞 明治二十五年十月十↓日 一面、四~五段、五号〕

30

雑 報〔商法施行取調委員の

               性格につ

いて〕

○法典の成行如何 民法、商法施行取調委員設置の理由及び内閣の

方針等は既に前号にも掲げしが尚或筋の弁解に依れば右委員は名称

其ものの示す如く施行の可否を取調ぶるものならんかなれど其性質

は全く行政上の諮問に外ならずして恰も裁判官が曲直を審判するに

方て特別の取調を要する場合に其道の専門家に鑑定を命じて参考に

供すると同様閣員と錐も各専門の法律家にあらざるを以て夫の延期

案の裁否を上奏するに方て専門法律家の意見を聞て参考に供するも

のなりと云ふ而して其取調の方法は固より秘密にして知るに由なけ

れども世間に伝ふる所に拠れば此程伊藤首相が取調委員に向て述べ

たる趣意なりと云ふは今回政府が委員を挙て法典の取調を命じたる

は法典断行、延期又は一部断行等の事を議せしめんとするに非ずし

て唯商法中より会社又は破産法の如き目下急施を要する法律を来年

一月より実施する事と為さば商法総則の上に如何なる影響を及ぼす

や又民法中人事篇、相続篇丈け再調査に付して他を断行するに決し

ても他に抵触する事なきや等の点を取調ぶるものなりと果して然ら

ば右取調結了の上内閣は延期案を如何に処分するやは最も世人の注

目する所なれども既に前号にも掲し如く内閣の決心は↓部延期に在

る事掩ふ可らざる事実なり而して其手段二策あり第一策は委員取調

の結果予期の如く蝋部延期にある時は延期案は一先づ裁可して更に

第四議会に向て該法典中綴瑛少き部分を来年一月より実施するの案

を発して其協賛を求むるに在り第二策は延期案を此儘握り潰し第四

議会に向て暇瑛の最も多き部分例へば民法人事篇、相続篇の如きも

(60)

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のを修正する為めに更に其部分丈の延期案を発して其協賛を求むる

に在りと以上二策何れも其結果は同」なれども感情の上に於て第一

策は第二策に優ること数等なるを以て内閣の決心は第一策を採るに

在りとの説あり

 〔東京朝日新聞 明治二十五年十月十一日 一面、二段、五号〕

51

雑 報〔法典委員会の内情〕

○法典委員会の内情 民法商法施行取調委員とは其名称よりして既

に不思議なるが其情況を聞くに及んでは愈々奇妙なり元来同会は延

期断行両派円滑に協議を為さんため前号にも掲載せし如く断行延期

の問題外に於て討議せんとするものなるにぞ其議論少しにても断行

に傾く如き事あれば延期論者は案を敲いて最初の約束を楯に之を責

め事宜によらば挟を列ねて退職せんとする勢あり去れば断行論者は

自然勢力を奪はれ延期論者に一歩を譲る有様あり又委員全体の性質

を見るに何れも学者として独立の意見を有し独立の見識ある人々に

は相違なきも委員長及び小畑村田の二氏を除く外何れも奏任官の地

位にあり当局大臣若くは総理大臣の一箪一笑多少胸にごたへ知らず

識らずの間に一種云ふべからざる傾きあり然るに是等奏任学者は断

行派に多く之に反し延期派にはテコヅルニ硬骨ありて遠慮会釈なく

壮論するを以て頭数にては延期派の負けと定り居るも実際の勢力は

延期派の勝を占め居る有様なりと云ふ聞く所によれば最初内閣が此

委員を設けたるは之を設くる所以の真意ありたるに相違なきも委員

会第一回に伊藤首相臨席して其模様を目撃し当初の目的非なるを覚

り遂に一場の演説を為し名実異なる取調委員会を開くに至りたる次

第なりとも云へり而して延期論者の意見にては法典の是非は与論の

定めたる所にして今更再び討議する必要なければ其大体に就て討議

を為し一週間を以て結末を付けんとする見込のよし

 〔東京朝日新聞 明治二十五年十月十二日 一面、一~二段、五号〕

32

@雑報〔貴衆両院及院外

       延期論者の奔走〕

○法典延期の躍起組 法典委員の任命あるや貴衆両院及び院外延期

論者は躍起となりて奔走し或は延期派委員に辞職を勧告せんとする

者あり或は委員会の性質に就て委員を詰る者あり種々の運動を為し

居るも延期派委員は別に見る所ありと称して辞職を為さず其協議に

与かり居るを以て右運動者は益々躍起となり種々協議を凝し居ると

のことなるが偶々取調委員会第一回の夜断行派取調委員が某所に密

会せし事を聞き出し貴族院議員某氏の如きは一層躍起となりて延期

委員に対し注意する所あり爾来委員の帰宅を待受け委員会の模様を

尋ね又早朝より委員を訪ふて種々の忠告を為し熱心に奔走し居るよ

し 〔東京朝日新聞 明治二十五年十月十二日 一面、三~四段、五号〕

53

@雑報〔法典取調委員会と法典一部

        施行についての協議〕

 ○法典取調委員会

 政府が法典取調委員会を設置せしに付ては世聞種々の風説をなす

ものありしが右は世人の推測せし如く法典の施行を延期すべきや将

に断行すべきやを調査せしむるが為めに非ずして即ち事実

 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

 法典一部施行を為し得べきや 否やを専門の学士に調査せしむる

(61)

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の主旨なりしなり此は世に伝はれる伊藤総理の委員会に於ける席上

演説なるものに徴するも其然るを推知すると得べしなれば法典延期

案の裁可と法典施行取調委員会設置とは当初より直接の関係は毫も

あらざりしものと思はる故に政府は今二三日中に

 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

 法典延期法案を公布すべし とのことなり元来法典延期法案は両

院の大多数を以て可決したる所なれば与論を容る瓦の余地ある伊藤

内閣何条民意に逆ひ不裁可を執奏することあらん最早議会召集の詔

勅も発せられたる今日なれば議会の議決通り法典施行延期を法律と

して発布せらるxどの説は疑ふべきにあらざるべし又聞く処によれ

 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

 委員会の結了は遠からぬ中 にあるべしとのことにて任命以来委

員が孜々取調に従事したるため今は其調査も余程捗取り将に其局を

終らんとせりといふ而して其調査の結果に基き内閣は次期議会に於

 ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

 商法一部施行案を提出すべし といふ元来商事会社の事の如き破

産の事の如きは一日も早く其規定を要するは朝野の認むる所なれぽ」

政府は弥々第四議会に商法中の一部分即ち会社法及び破産法の施行

法案を提出すと聞く然れども商法の中会社の部及び破産の部を実施

せんとするには勢ひ其の不完不調の点を修正せざるべからず故に政

府は法典施行取調委員会結了の上は直に

 ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

 法典修正局を設置して 商法の修正に着手するの意ありと以上述

べ来りたる処の如く伊藤内閣が法典施行取調委員会を設置したるは

法典の哨部施行は果して実行し得るものなるや否を調査せしめんが

為にて其結果は商法一部施行案を議会に提出することとなり且法典

修正局を置くこととなりしものと知るべし

〔読売新聞 明治二十五年十月十六日 一面、二~三段、三号〕

34

@雑報〔断行派「六十会」臨時惣会を

            秘密裡に開催〕

〇六十会の会合 法典延期派なる六十会は一昨十四日呉服橋外柳屋

に臨時惣会を開きたり会する者菊地武夫・高橋健三・松野貞一郎・

山田喜之助・岡山兼吉・杉浦重剛・小松謙二郎・中橋徳五郎等の諸

氏を始めとして凡そ六十余名なりしが其議せし所如何なる事なりし

や秘密にして明かならざれど私かに聞く所に依れば該会は法典問題

に対する政府の方針は那辺に在るや今日の処は未だ窺ひ知る能はざ

れば暫く形勢を見ることに決したりとのことなり

 〔読売新聞 明治二十五年十月十六日 一面、五段、五号〕

35

雑 報〔代言試験問題の漏洩〕

-○代言試験問題の漏洩

  試験場内の混雑醜体

 今年の代言試験問題が漏洩したりとの風説は既に過日の本紙上に

掲載せし所なるが又た一昨夜に至り昨日以後三日間の試題問題は之

れ之れなりとて一々其の証拠を挙げて本社に報じたるものありしも

我社は特に遠慮して之を昨日の紙上に掲載せざりしが果せるかな昨

日の同試験場に於て右に付き一大珍事起り遂に一先づ之を停止する

に至りたるぞ是非なけれ扱て其の実況如何にと云ふに

 一千何百名の志願者 は昨日も前日の如く午前六七時頃より思

ひくに試験場に詰め掛けしに一人の志願者門外の一方に百余名の

同志を集め揚言して日へるやう今度の試験問題ハ漏洩したりとの風

(62)

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説は夙に聞く所なりしが今や一の風説に止らず其の確証まで我々の

手に入りたる上は此の儘に試験を受くべからず宜しく委員長若くぼ

司法大臣に向て之が停止を請求せざる可からず諸君請ふ同意を表せ

よと是に於て誰一人不同意を唱ふるものはあらざれども最早時間も

なければ兎に角今日の試験を終りたる後にすべしとの動議出で彼是

評議を凝せるうち正八時を報じたれば止むなく試験場に入場したり

斯くて一同着席するや何ものが始むるともなく

 相手の音パチくと起りたるは之れなん此の試験を混雑にまぎら

して停止せしめんと企てしにやあらんなれど又た多勢の中には此の

混雑を物ともせず頻りに筆おつ執て答案を認め掛りたるもありしに

場の中央より突然躍り上り見よく諸君之れぞ問題漏洩の確証なり

とて一枚の萄蕩版摺を片手に高く差上げつ玉委員の椅子に在る検事

の許に持ち行くや左なきだに胸中不平の遺る方なき面々は砒を釣り

上げ一時にドツト鯨波を揚げたり斯る折しも亦た一人此にも

 証拠物件出でたりと 高く差上げて検事の許に持行きしは其の隣

席なる志願者等が予め家より答案を認め来りて之を試験用紙にカブ

セ写せる処を逸早く奪ひ取りたるものと知られたり混雑是に及んで

は最早や制する道なく或は晒威の声を揚げ或は演説を始め或はテー

ブルの上に飛び上て之を破壊し或は怪しと思ふものに組み付て猶ほ

証拠物件を得んとするなど殆んど名状するに由なく

 委員及び二三名の巡査にて 到底之を制し得べくもあらねば下谷

警察署に急報すると間もなく警部七名巡査二十名出張したれども中

々此の位の事にて静るべき模様なく警官も其の中に巻き込まれ唯だ

一層の混雑を増したるのみ数人の志願者は検事に詰め掛けて速かに

試験を停止の旨を掲示したれば少しく静らん模様なりしが其の停止

と云ふは今日の試験を停止するの謂か将た今度の試験其のものを停

止するの謂か此の意味明かならざれば退場し難しと又たく騒ぎ始

めたる折柄

 検事局なる古賀検事出張して斯の実況を目撃し今度の試験全体

を停止するに付更に通知するまでは試験なきものと見倣すべしと

の意味を明に告げたれば之にて漸く鎮静に帰し何れも退場して夫

れく各学校に引上げ善後の処分上に付其の筋に請求する所あらん

と各々委員を撰出する等の協議をなせりと右の混雑は殆んど一時三

十分間に渉り又た前記の商蕩版摺を持ち居るは小西某と云ふもの又

た前記のカブセ写しをなし居たるものは前日もカブセ写をなせる折

柄試験委員に見答められたるに昨日も亦た懲りずに同様カブセ写と

なせる故其の隣席なる某は今日こそ奪ひ取て証拠になさんと決心し

て遂に其の目的を達したるなりと云ふ此に亦た今一つの話と云ふは

 日本法律学校生徒が去十八日の教場に於て其の講師石渡敏一氏

(試験委員)に向ひ今度の代言試験には刑法中強盗婦女を強姦した

る時は云々との問題が出るでせうと尋ねしに氏は之れを知らずと答

へしが果して翌十九日に右の問題が出たるを見たり之れも証拠の一

なりと鳴呼年々の代言試験……此の種の代言人は果して社会の生命

財産権利の保護を托するに足るか

 〔読売新聞 明治二十五年十月二十一日 一面、三~四段、三号〕

36

雑 報〔代言人試験中止彙聞〕

 ○代言人試験中止彙聞

△代言試験問題漏洩の原因

其一二を記さん

なりとて風説なる処一にして足らず今

(63)

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 (第一) 高利貸の手より洩れたりとの説 代言人試験委員中高利

貸より金二千円を借り其返弁に苦しむ者あり高利貸奇貨居くべしと

なし厳く談判したる末結局試験問題を洩さしめて其義務を免除した

りと

 (第二) ○村○蔵氏より漏れたりとの説 昨日の「日本」は○○

○○長○村○蔵氏其問題を一万円にて売りたりと記載ありしが此は

誠に同氏に取て冤罪に相違なしなれど同氏が今より数日前に某に対

して○事○○○○○氏は試験問題を洩せりといひしことありと○○

○○長にして問題の漏洩せしを知らば何故試験を中止せざりしか是

れ氏に対する嫌疑の起りし所以なるべし

 (第三) 和仏の生徒明治の校友より得たりとの説 和仏法律学校

の生徒某は問題を明治法律学校の校友より得たりと公言せし由

 (第四) 印励者より洩れたりとの説 問題印刷者の手より洩れた

りとの説あり其信為は知らねど今後試験問題には悉皆印刷を廃する

筈なりとの説は事実也

△代言試験問題漏洩の嫌疑老 一昨日代言試験場に於て問題漏洩の

嫌疑者なりとて東京地方裁判所へ拘引せられたるもの六人にて其嫌

疑者の重なるものは和仏法律学校生徒丸山敏夫(既捕)同鳥居熊吉

(未補)の両名なりといふ又同校生徒林倉太郎なるものは本郷警察

署より地方裁判所へ護送せられて取調られしが一昨夜放免となりし

其他目下予審中のものは三名ある由なれども其氏名は聞くことを得

ず又昨日正午十二時頃に受験者西村某外↓人拘引せられ直に東京地

方裁判所検事局へ引渡されしが其他にも尚数名あるべしとのことな

り△四大法律学校委員の運動 一昨日試験会場の騒擾後四大法律学校

より五名つつ都合二十名の委員を選み午後二時を期し東京法学院の

楼上に会し種々の審議の末試験停止善後策に就き左の五ケ条を決議

したり第第第第

四三ニー第五

試験を無効とする事

試験委員変更の事

再試験期日を早める事

試験方法を厳密にする事

(方法の一として)試験答案に受験者の姓名を記せず番号

を以て之に代る事

明、明後日の試問案を公示し後日の患を除く事

 夫れより二十名の委員中更に八名を撰み之れを二分して一は名村

委員長を訪ひ他の一なる東京法学院島村熊猪・専修学校池田喜太郎・

明治法律学校戸部富蔵・東京専門学校江原節の四氏は直ちに司法大

臣を訪ひたるに大臣不在なりしに依り清浦次官を訪ひ右五ケ条の決

行を請求したるに次官は之れに答へ飽くまで尽力すべければ安心あ

れと告げ既に第一条の試験を無効とすることは請求通りに運びたり

 〔読売新聞 明治二十五年十月二十二日 一面、三~四段、三号〕

57

雑 報〔横浜に於る試験問題漏洩の原因〕

△横浜に於る試験問題漏洩の原因 前項記し終りたる時横浜より一

報あり日く横浜地方裁判所に於ては代言試験受験者三十七名ありし

が其一人なる同裁判所書記課雇山越助三郎は一昨二十日午後突然拘

留となり石井予審判事の取調を受たる未密室監禁となりしよし聞く

処によれば同人は他の書記に代り連夜宿直し居りし処去る十八日の

夜司法省より検事局へ郵送し来りたる封書を受取り密に封を剥がし

(64)

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其問題を写し取りて更に封鎖し置き翌十九日即ち試験初日の朝試験

委員香坂検事正に渡し知らざる体にて試験を受たり香坂氏は封書を

受取りたる当時より封印に不審を懐き居りしが試験の際充分注意し

居りたる処愈よ怪詔の模様あるより同人が着席するテーブルの引出

を調べたるに書籍の間より試験問題の謄本出たるにぞ妓に初めて同

人が開封せし事露顕したり

 〔読売新聞 明治二十五年十月二十二日 一面、三段、五号〕

58

@雑

 ○代言人試験問題漏洩余聞

△試験委員は悉く更迭すべし 代言人試験問題漏洩してより司法大

臣には同試験の停止を告示されたりしが尚該試験問題は何人より漏

洩せしか未だ判明せず若し万↓試験委員より洩れしとせば委員の更

迭あるは勿論なるが良し仮令委員の手より漏洩せず委員中の家に寄

食せる書生輩が窃取して漏洩せしものと仮定するも今回の委員は必

ず全員とも更迭するならんと云ふ

 〔読売新聞 明治二十五年十月二十三日 一面、三段、三号〕

39

@雑報〔六大法律学校委員は

    試験漏洩問題について

       協議し試験委員を訪問〕

○各法律学校委員の訪問 六大法律学校の委員は昨日午前九時より

東京法学院に会合し協議の末司法大臣井に試験委員を訪問するに決

し更に中西清吉外四氏を訪問委員に推選せり依て右の五氏は午後一

時頃先づ名村試験委員長を大審院に訪問し試験委員の宜しく辞職す

べき所以井に古賀検事が一方に委員たる傍らに問題漏洩の被告人に

対する公訴を提起したるは不都合に付回避あり度旨を勧告し次に司

法大臣を訪問せしに大臣は多用中なりしを以て清浦次官に面会し前

同様の次第を陳述せし処次官は問題の委員の手より洩れざる限りは

解任又は辞職すべき理由なき旨及び古賀検事の事に就ては承はり置

くべき旨を答へたりと

 〔東京朝日新聞明治二十五年十月二十九日 一面、四~五段、五号〕

40

雑 報〔代言人試験問題漏洩事件の終末〕

○代言試験問題漏洩事件の終局 同事件に付真正の問題を漏洩した

りとの被告事件は法律上明文なきを以て其罪を問はざることに決し

又永島司法属には免職に止めるとの由なれど目下予審中に付終決の

上に至ざれば知る能はず又詐偽事件に付ては何も詐欺取財を以て結

局公訴の手続に及ぼるΣ都合なりと

 〔読売新聞 明治二十五年十一月三日 二面、三段、五号〕

41

雑 報〔卒業生の価値下落す〕

○卒業生の下落 文運の進歩に伴ひ諸学校卒業生の価格頓に下落し

供給需用の度に超過せし為め大学卒業何学士といふ立派の称号を得

しものすらさしづめ官途にて月給廿五円位の相場一概には云へねど

民間には廿円位の学士もありとの大学已に此の如くなれぽ況して其

他の諸官立学校及び私立専門学校等を卒業せし向に於ては多年螢雪

の辛苦をなめ莫大の学費を螂ちし甲斐もなく窮途に俳徊するもの少

なからず曽て明治七八年頃迄は某義塾卒業生は官途にては百五十円

民間では百円といふ通り相場なりしが今日の同塾卒業生は前卒業生

(65)

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より学力優等なるにも係はらず同じく方向に迷ふもの多くわつかに

小学教員となりて糊口を凌ぐものもありといふ此等の為めにや現に

此頃横浜居留地商館の手代ボーイ等には何学校卒業生といふ立派の

人物手伝を求めて入込み給金十円内外に甘んじて実体に立働くもの

あるより従来無学無才の手代店番ボーイ等は此等新学生の雇人に押

されて追々雇を解かれ領分を萎縮せしめらる玉に至りたりと

 〔読売新聞 明治二十五年十↓月二十八日 二面、こ~三段、五号〕

1

明治二十六年(一八九三)

東京専門学校の図書館規模拡張

 東京専門学校にては今回図書館の規模を拡張し、評議員講師所蔵

の内外書籍を尽く本館に備付け、閲覧せしむるの制を設け、且本学

期より新に研究科を設け、同校の得業生にして、既修の学科に就き

尚其蔽奥を究めんと欲する者に入学を許し、研究室にて図書閲覧の

特許を与へ、講師を撰定し、充分の修学を為さしめ、研究満期に至

れば専攻科目に就き論文を起草せしめ、委員の評定に依り学位を授

与する仕組なる由。

 〔国民新聞 明治二十六年二月一日〕

2

法典調査に就て学派の衝突

 法典調査委員は目下調査に従事しつxあり、知らず委員は如何な

る程度まで調査を遂げんとする乎、若し政府が委員を設けたる趣旨

にして、夫の商法一部執行の為めさきに委員を置きたると同じく、

儀式一遍の調査をなさしむるにあらば、唯だ条項に僅かの改鼠を加

ふれば可なり、文字に多少の修正を施せぼ足れり、法典は如何に浩

潮なるも調査は決して難事とせざるなり、然れども商法↓部の調査

は固と伊藤首相の政暑に出で、其目的法律を完全ならしめんとする

にあらず、寧ろ調査を経たりと云ふを名とし、議会をして之れが執

行を可決せしめんとするに在りし、則ち忌琿なく云へば調査にあら

ずして調査の真似をなしたるに過ぎず、安んず之れを以ッて調査と

なすを得んや、今回の調査は兎に角三四年の日月を費すの事業な

り、設令委員を設けたる趣意は不相変一種の権暑に出でたるにせ

よ、委員それ自身は飽まで周到綿密の研究を遂げ、法典の完全無欠

を期せざる可らず、而してこれ固と容易の業にあらざるなり、(第

一)法典余りに浩潮なり、(第二)調査期限割合に短し、(第三)原

案甚だ不完全なり(第四)委員頗る他の業務に忙はし、(第五)委

員多くは其の学派を異にす、凡そ此等は皆法典調査に困難なる事清

にして、若し更らに一層細かなる点に就て云へぽ、我国慣習の取調

未だ充分ならざるが如き、法典用語の未だ】定せざるが如き、殆ん

ど楼指するに暇あらずと錐ども、以上の中に就て最も困難の甚しき

は蓋し学派の衝突にあらんか

 西洋諸国に於ても法学に流派あるは勿論なり、然れども其の流派

の別るx所は、項々たる学説の相違にありて、我国の如き大区別あ

るものにあらざるなり、法律の調査に委員を一派の学者に取らざる

こと西洋に於ても亦然り、然れども我国今回の如く異種類の学者を

集めたる例は未だ之れあるを見ざるなり、即ち仏国に在りても独国

に在りても、各々其国特別の小分派に過ぎず、故に諸派の学者を集

めて法典を編纂せしむるも、其の争ふ所は概ね小節目に止まるを以

て、唯だに議論のまとまりよきのみならず、編纂の結果も整然とし

(66)

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て一主義全体に貫通せざるなし、之に反して我国の法律学派を観る

に、斉く泰西輸入の学説なりと錐も、英あり仏あり独あり、其の流

派の甚だ同からざる或は根本より意見を異にする所あり、即ち仏派

の成典を可とし英派の之れを不可とするが如き亦以て其の一斑を窮

ひ得べきにあらずや、而るに此の奉ずる所同じからざる法家を集め

て一部法典を大成せしめんとす、其困難なるは言ふを待たず、或は

推談調和の結果、各派の長を黒白其固有の色に存せずして、可にも

あらず不可にもあらざる黒白相混の胡麻塩色となすのおそれはなか

るべきか、一主義の貫通を欠き木に接するに鉄を以てするの奇観を

呈することはなかるべきか、余輩は委員を信ずる厚しと錐ども此等

の点に就ては大に其の細考を翼はずんばあらざるなり、若し委員に

して我国情に問うて調査を遂るを専一とせず、或は学派によりて党

を樹て僅々たる日月を学説討論の為めに消殺するが如きあらば、唯

だに其重責に背くのみならず、議を法典と共に永く後世百年に伝へ

ん、戒めざる可けんや

 〔読売新聞 明治二十六年五月八日 一面、一~二段、三号〕

3 得業生の未来

 今は帝国大学を始め諸学校の学生が卒業試験を受けつ二あるの時

なり、其中の獺惰生は勿論落第すべしと錐も、彼等の多数は得業し

て一人前とならん、彼等一人前となりて果して何を為さんとする乎

 帝国大学の卒業生即ち学士と称する者に就ては、余輩の心配無要

なり、彼等の売口は既に定る、彼等の多数は官吏とならん、殊に政

法二学の卒業生は殆んど悉皆官吏となるべし、経費節減冗員淘汰の

時節柄と蹉も、彼等の前途に左までの支障はあらざるべし、余輩の

特に介意するは私立学校より出る得業生の前途これなり

 私立学校の得業生、世間一種の人は甚だ之れを卑しむと錐も、余

輩は深く彼等に属望す、彼等の教育は急持に相違無し、然れど彼等

身を専門の学に委ねること三年、大学の学生と就学年限に経庭無

し、之を薫陶する教員の如きも学力経験敢て大学の教授に譲らず、

彼等は普通学に於て欠くる所あるは事実なり、然れども其代に自由

の空気を呼吸し、一定の鋳形の中に蚕めかざるなり、彼等は立派な

る人物の卵なり、然れども彼等は特権を有せず、故に校門を出ると

共に直に身を躍らして社会の大波濤に入らざるを得ず、こ玉に於て

か余輩は深く彼等の前途を思ふ

 私立学校の得業生は校門を出ると共に社会の大波濤に入らざるべ

からず、即ち彼等の境遇は優勝劣敗なり、優勝劣敗の境遇は必らず

や英雄豪傑を生ぜん、必らずや乞焉破落戸を生ぜん、私立学校の得

業生たる者乞焉破落戸となるを避けて、英雄豪傑とならざる可ら

ず、而して其策如何、日く二あり、第哨徐うに目的を定めて百折不

挽之を貫くべし、第二学問に衣食せんとするの卑劣思想を排して其

身嗜たるを思へ、此二者固より奇策にあらず、然れども彼等立身の

秘訳にして而して捷径たるを、余輩断乎として疑はざるなり

 〔読売新聞 明治二十六年六月二十日 一面、二段、三号〕

4

指定学校認可学校両立

 判検事登用試験規則の改正に依り、司法大臣の指定学校なるもの

新設せらるLと同時に、文部大臣の認可学校なるものは廃止せらる

べしと説くものあれども、聞く処によれば此説は非なり、元来指定

学校なるものは即ち司法部に入る丈けの資格にして、高等文官試験

(67)

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の資格を得るにあらざれば、文官高等試験を受けんとするものは、

官立学校若しくは認可学校を卒業せざるべからざるものなれば、認

可指定両種の名目は将来両立するに至るべし。

 〔郵便報知新聞 明治二十六年十月二十一日〕

1

明治二十七年(一八九四)

福沢諭吉、塾内に朝鮮語学校創設

 福沢翁が既往十余年間の朝鮮と因縁頗る浅からざる由は既に能く

人の知る所なるが、翁は昨今益々日韓両国の関係に就て慮る所あ

り、双方の間を親和せしむるには、先づ語学の研究必要ありとて、

断然慶応義塾内に朝鮮語学校を創設し、朝鮮公使館通訳官を聰して

同国語学を教授せしむる事となし、愈々来る十一日を以て開校の式

をあぐべし云とふ。

 〔読売新聞 明治二十七年十二月九日〕

1

明治二十九年(一八九六)

雑 報〔浜尾帝国大学総長の大学生論〕

○帝国大学総長の大学学生論 先頃陸奥伯が病間浩々として現今大

学学生の大目的なく大気魂なく一言以て之を蔽ヘバ意気地なきの甚

しきを熱罵痛嘆したる次第ハ曾つて前号に掲げしが今浜尾大学総長

が伯の議論に対し我人に語りて弁解したる所なりと云ふを聞くに此

の如き激論が果して陸奥伯の口より出でたりとせ。ハ其ハ伯が猶未だ

自から維新前の漢学書生たりし当時の残夢全く覚めざるの結果軽躁

                           (ママ)

なる政熱の尚懐裡に燃ゆるものあるによるならん今日ハ最早比かる

軽躁の学風を許さ黛るなり苛くも法律政治の業務に当らんと欲する

者ハ深遠なる学術の外又実務を練習せざるべからず故に大志ある者

も卒業後官に在てハ試補なり属官なり参事官なり漸次低きより高き

に昇るの道を取り又民業なれ.ハ見習なり番頭なり何にても一時下級

に耐忍して実習に従事するの必要あるに至れり且つ近時法律政治の

学大に進歩したるのみならず大学出身の先輩も既に多く当路に在る

に事なれば継新前後未だ専門学の開けざる当時と自から仕官の途を

異にして漫に空漠なる書生論を許さざるの時勢となりたれ.ハ随つて

陸奥伯等が壮年の時代に於けるが如く一介の書生一席の放論により

直に高官に取立てられたるが如きハ唯伯等の旧夢謳に於て僅かに聴

を得るあるのみ則ち卑官より経験を積み実習を経て漸次目的の地に

達すること官務民業皆然り且つ学生日課の繁忙なる学術上何の必要

なきに漠然大臣を訪門して乳臭の黄吻に天下の大政を談論するも余

り馬鹿気たることならずや況んや学生たる身にて在りながら軽躁に

も政熱に浮かされて容易に政党に加はるが如き唯々独立勤学の妨げ

とならんのみ大学生の如き高等学術を修め智徳共に社会の水平上に

在るべきもの何んぞ酒々たる流俗と共に趨炎して一身の方向を誤る

べけんや云々

 〔読売新聞明治二十九年十月六日〕

   明治三十年(一八九七)

-学事〔私立法律学校出身者の

                 非大学的運動〕

高等商業学校は規模を拡張し専攻科を置くの議あり、府下私立法

(68)

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律学校出身者の非大学的運動益々盛なり

 〔読売新聞 明治三十年一月十一日 三面、

2

四段、五邑

官学に対抗の非大学派の運動

 早稲田法学会なる非大学派は、法科大学卒業生に対する特典たる

裁判所構成法第六十五条及び第二項並に弁護士法第四条第二項の改

正に付き運動中なりしが、右改正案鳳愈々高田早苗氏より議会に提

出することに確定したる由、又来る廿一日午前九時よりは神田錦輝

館に於て、行政官及び司法官の任用制度に関する大協議会を開き、’

現制の当否を与論に訴へ、引続き大懇親会を催す筈なりと云ふ。

 〔国民新聞 明治三十年二月十三日〕

3

東京法学院卒業式

 東京法学院卒業式

去る十五日午後二時より挙行幹事奥田義人氏先づ本学年間に係る報

告なし、次で院長菊池武夫氏は卒業生二百五名へ証書及褒賞を授与

し、終て告別の辞を述べ、之に対する卒業生惣代の答辞あり続て清

浦司法大臣懇篤なる一場の演説を為し、最後に院友川島亀夫氏祝辞

を朗読す、式畢りて別室に於て立食の饗応あり、当日来会したるも

の無慮六百余名なり

 〔国民新聞 明治三十年七月十八日〕

4

六大法律学校と其の将来

 過日清浦法相は六大法律学校の重立ちたる人々を官邸に招き、法

律学校の将来に付懇談ありし件に付、愈々来る三十一年学期より一

大法律学校を設立する事に決定、其旨法相に答申せし由なるが、果

して此一大法律学校の設備成りたる上は、司法省は現在の六大法律

学校の検定を取消し更らに此新設法律学校に判検事及び弁護士の受

験資格を与へん筈にて、大に程度を高め入学生も尋常中学を卒業し

たるもの又は之に同等の学力あるものにあらざれば入学を許さ父る

事となす筈なりと左れば現在の六校は合併するにはあらざるも、所

謂自然の沙汰にて廃校するに至るべしと。

 〔日本新聞 明治三十年八月十日)

 5 上野図書館大混雑弁護士試験加重

 判検事並に辮護士試験科目は従来、民法、商法、刑事訴訟法、民

事訴訟法、普通刑法なりしに、来月四日の秋期試験よりは、憲法、

行政法、国際公法、国際私法等加はりたれば、受験者の書生連は大

騒ぎにて、昨今は朝早くより上野公園内の図書館に押懸くる者共日

々数百人に及べり。

 然るに此等の連中の目指す書籍は憲法の注解書は穂積八束、有賀

長雄、伊藤博文、本野一郎、行政法は織田万、一木喜徳郎、穂積八

束、国際公法は藤田隆三郎、中村進午、以太利人パテルノストロi

訳本、同私法は寺尾亨、板垣不二男、中村進午等の著書なるが、書

籍に限りあればわれこそ先に借入れんとの血気の壮年輩は、毎朝同

館の開門を待懸け、往々腕力沙汰に及ぶより、門衛は屡々生傷を負

ふ大騒ぎなりといふ。

 〔報知新聞 明治三十年九月十四日〕

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1

明治三十一年(一八九八)

有賀長雄主筆の下に外交時報を発行

 国際法精通の聞ある文学士有賀長雄氏は自ら主筆に任じ、題号の

如き政治雑誌を起し東西外交の実況より国際法、条約改正、赤十字

其他に関する事項を掲ぐる由にて、第一号を本月十日牛込早稲田東

京専門学校出版部外交時報社より発行すと云ふ。

 〔日本新聞 明治三十一年二月四日)    、

 2 法科大学の学年延長講究学科増加の為

 法科大学にては其三ケ学年中、第一年総則、第二年物権、第三年

債権を講じ来りしが、相続編も親族編も遠からず法律となるべく、

講究すべき学科、漸次其数を増すも、教授時間は最早増加する能は

ざるより、同科教授には同科に限り学科年を延長せんとの説を懐く

もあり、先日の評議員会にて、三年の学期を四年に改正することに

決定したる由なれば文部大臣の認可を得て之を発表するならんとい

ふ。 

〔国民新聞 明治三十一年三月四日〕

 3 私立学校の卑屈

                        抱 月

○近頃浅猿しきものは、私立学校の文部省に対する運動なり、平生

はヤレ私立大学で候の、ヤレ英米の制に倣ふもので候のと、高慢な

ることを言ひながら、一中学教員の資格を貰はんが為には、一文官

試験特免のお慈悲に預らんが為には、主義も抱負も其方除けにし

て、痩狗が台所口に尾を振るもよろしくのざまとは、抑々何たる事

ぞ、彼等の規ふ所はたゴた父中師範学校教員のみ、判奏任の小役人

のみ、学問の府として其以上には何事ありとも知らざるなり、知ら

ざるに非ざるも、自家の分際は此以上に及ぶべからざるものと信ず

るなり、本音を吹けるなり、好餌前にあり、主義抱負など野暮なる

ことに拘らひて之を逸するに忍びずと思へるが彼等の面目なるべ

し、世の所謂猟官者流が禄に奔るの心事と、些も異なる所なし、堂

々たる一学校の所為としては、何ぞそれ卑屈なるや、

○聞く所によれば、専門学校、国学院、其他二三の私立学校が連合

協議して文部省に申入れたる箇条といふもの、名は私立学校の権限

拡張にあるも、実は極めて姑息、極因循、主とする所はた父教員試

験の特免若くは特権に止まりて、之と学位令との関係、之と大学院

との関係、之と留学生との関係、といふが如きことには一辞の言ひ

及べるものなく、其他すべて根本より学閥の幣を破るといふが如き

大希望は、殆ど彼等の眼中に無しといふ、さりとは欄むべき次第な

らずや、

○然れども、吾人は之を以て直に学校その物の罪とするに忍びず、

責は主として当事委員の上にあり、彼等の中には、明に同校の位地

と責任とを意識し、少なくとも今後の私立大学として十分の品位を

持するだけの要求を提出せるものもありたれど、多数の俗論は抱に

之を変じたり、以為へらく、斯くの如くして万一文部の拒む所とな

らば、折角手の届きかけたる獲物を見すく取逃すの恐あり、先づ

初は比方より遠慮して、取れる所より取り込むの安全なるに如かず

と、其結果は遂に彼れが如きさもしき申入をなして、括として阯ぢ

ざるに至れるなりと、鳴呼此の如き人によりて代表せらるx学校の

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前途もまた思ふべき哉、真に志あるもの玉奪起すべきは今日以後に

あり、

O更に醗りて文部の意向如何と見るに、茗渓派大学派に媚ぶとの世

評はしばらく別とするも、一方すでに私立学校のこの内かぶとを見

すかしたれば、態度おのつから冷酷に、我が専門学制の根本には殆

ど初より豫を容れ得ず、偏に既定の学制に則りて公平といふ名の下

に、私立学校を理窟責にせんとす、日く大学の資格を得んとせば今

の帝国大学と同じ準備をなせよ、日く高等学校の資格を得んとせば

今の高等学校と同じ課程を具へよと、今の私立学校が根本に於て官

立の専門学校と主義を殊にして成立せしものたる点には、初より一

顧をも与へざるなり、議論に於ても実際に於ても、現時の我が官立

大学は必ずしも唯一不動の標本にあらず、然るに文部省は天下の学

風を一模型に収めんとするなり、殊々相をして各自に発達せしむる

の度量なきなり、

 従来の我が文部の方針といふものには、私立学校撲滅といふ説さ

へありきと聞く、是はむしろ彼れが如き方針の下には異しむに足ら

ざるの説なり、差別を圧して統一を鷹むるが当応の主義なりと信ず

る政府の下には、動もすれば差別の頭を拾げんとするの私学派を積

極的に干渉圧倒するものあるも、当然のみ、

○今は則ち然ず、久しく圧せられたる差別的下方的傾向の助長を以

て主義とするの政府上にあり、根本的革新の声は天下に充満するの

秋にあたり、文部省が私立学校が幸にして今の大学程度に進みたる

の暁は、是やがて私立学校亡びたるものにあらずや、

○之を要するに、世の私立大学を説くものは其普通学の基礎に於

て、其の専攻学術の教程に於て、現在の官立大学と幾多殊別の主義

を持す、文部省は最も先づ之に耳を傾けざるべからず、徒に省内の

朋党に擁せられて、活断を病の根本に加ふる能はずんば、文官試

験、教員検定試験の如き、畢覚末のみ、此に随喜する程のものなら

ば、私学校の徒縦し斗を以て量るを得るも、淫の埋草にもなるまじ

き輩のみ、言ふに足らんや、

○私立学校の運動は宜しく出直すべし、由来私立学校の幣は、自ら

見ること余りに固随、知らず識らず相率ひて学閥を崇拝するにあ

り、此際進んで平生の抑うつを伸べんとするは不可なしと錐も、歎

願百方、僅にお余りを得て多とするが如きは、断じて私立学校の堕

落なり、面汚しなり、若し一つ並に私立学校といふに幣あらば、少

なくとも彼の連合団体中の一二校は、斯かる卑屈の連合に加はるべ

からざるものにあらずや、日く尋常中学卒業程度の入学試験を行ふ

べし、日く三年間専門学の教授は徒前の通なるべし、日く卒業試験

に各科八十点以上を要すべし、斯の如くして始めて文部省は其直管

する所の高等学校と同程度の特権を与ふべしと、私立大学なぞと威

張りし面々は、何の顔ありて、有りがたく之を頂戴せんとはなる

か、鳴呼私立学校今日の急務は、規模を大にし、理想を高くし、主

義に随て以て教ふる所の学問に恥ぢざらんことを期するにあり、而

して猶政府我れに薄からぽ、如何かせんや、我れは依然として其圏

外に独立し、永久の苦闘に入るも亦た可ならんのみ、

 〔読売新聞明治三十一年八月二十二日月曜附録、一~二段、二号)

4

所謂学閥に関して争ふ者に教ふ

 (予避暑より帰り新聞紙に関する先頃の万朝報紙上に於て学問を

論ずるもの頻々なるを見感ずる所ありて本論を草す)

(71)

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 先つ頃の万朝紙上に於て懐風生なる人が学閥なる題且の下に大学

出身者を羨ましげに中傷せしを始とし公平子だの赤坂生だの申す面

面が何のかんのと不下ない事を書き立て玉世人を迷はさんとせしは

其浅ましさ加減憎くしとも欄れともげに片腹いたき次第なり思ふに

是等の躍起組は恐くは私立学校の卒業生にして未だ口糊の途を得ざ

る不平連ならん何者彼輩の云ふ所は全く我田引水にして其結果のみ

を羨んで其本を窮めず殆んど見るべき根拠なき議論なればなり況ん

や彼の如き事を書き立てて是非もなく吹聴するは後進を誤らしむる

ものにして国家の高等教育を乱だすの大なるに於をや乞ふ彼等の為

め其事由を述べん

 近来人材登用なる語は乱用せられ人材は私立学校中に潜伏し居る

ものN如く思ふは是れ第一の誤謬なり勿論中には人材もあらん然れ

共其は蓼々暁天の星も蕾ならざるべし世人或は従来民間に在りて雄

弁を振ひ雄筆を弄せしものは多くは私立学校出身者なりと云ふの理

由を以て今日の私立学校を重視し同卒業者を大学出身者同様にせん

とするは誠に無理の議論と云はざる可らず試みに思へ旧時の私立学

校と称するは主として慶応義塾及同志社の二校なり当時此時の学校

の起りしは愛国的義侠的にして今日多くの諸学校の如く営利的に起

らざりしなり故に入つて修学せんとするもの多くは幼時既に才子と

称せられたるが如き云はば天賦の才を有せる士なりしなり由是観之

彼等出身者の今日鋸々たる誠に故なきに非ざるなり

 翻つて今日の私立学校(慶応義塾同志社早稲田専門学校を除く)

を見よ其起るや営利的なるを以て出来る丈け生徒を引入る玉に汲々

とし表面上は尋常中学校卒業の程度など唱ふと錐ども其実殆んど無

試験同様なり是れ学校の側より云へば止むを得ざる手段なりとも何

者生徒寡ければ学校を維持する能はずして廃校せざるを得ざるに至

ればなり学校夫此の如し入学せんとする生徒は果して如何乞ふ其情

細を知らんと欲せぽ彼等生徒に付て一々其暑歴を探り見れば直に知

るを得べし彼等生徒の中は幾人の尋常中学卒業生ありや若くは幾人

の同程度の学科を修業せしものありや恐くは指を屈するに足らざる

べし是れ他なし彼等は始より私立学校に入りて政治法律を修めんと

欲せしに非ざりしなり実に彼等の多くは最初尋常中学に在りしも志

を得ずして中途退学し俄かに速成的私立専門校に入るに至りしもの

にして其余は巡査兵士の上り若くは地方奥山の田舎漢にして梢漢学

に通ずる者而已故に彼等は「物体は何故に地上に落つるや」「氷の

水より軽きは何故なりやし「直線とは如何なるものを云ふや」「十一

の符号は如何なる性質のものなりや」「雨は何故に降るや」「土壌は

如何にして成りしや」……の問題の如きは殆んど夢の如く感ずるな

り換言すれば彼等は普通学即基本学は全く知らざるなり是他なし前

に述べしが如く私立学校に於ては無試験同様にて入学を許すのみな

らず中には編入試験など称して地方に於て講義録に由りて一年生の

学科をかちりしものを第二年生に編入し毫も其普通科には注意せざ

ればなり此の如き徒輩の中に人材を求むるとは尚木に拠りて魚を求

るの類には非ざる乎               (未完)

 〔読売新聞 明治三十一年八月二十四日 三面、一~二段、三号〕

5

所謂学閥に関して争ふ者に教ふ(承前)

 一種の世人は高等文官試験に於て私立学校出身者の成績が却て大

学出身者より優さるものあると云ふを捕へて以て直に彼れ是れに勝

さるとの断案を下さんとするもの玉如し是れ書生の内幕を知らざる

(72)

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に起因する所の迂論なり誠に神田下宿屋楼上に到り法学生なるもの

                       (ママ)

が如何なることを為しつ≦あるやを見よ彼等は学校の科程には殆ん

ど注意せずして明治何年の文官試験問題何々明治何年の判検事試験

問題は何々と此等を集て巻となし其答案を教師に求め汲々之のみを

調する者比々皆然るを見る可し夫然り然ると論者の如く普通科に注

意せずして単に専門科のみに付て事を論じ大学と私立学校とを同一

視するに至れば我邦高等専門教育の前途は甚欄む可きものなるを知

らざる可らず何者後進青年は苦んで中等若くは高等普通科を修めざ

るに至ればなり是れ大学と私立学校との間の問題に非らずして実に

国家の問題なり論者軽卒に事を論ずる勿れ

 現時の私立学校が普通科を殆んど無視するが如き観あるは学校其

者の精神に非ずして存立上止むを得ざるに出でたるは以上論述せし

が如しと錐ども其然る所以は次例を以て尚明にするを得べし今回我

国に於て需用尤も広き専門学は工学科たるに拘らず之に関する私立

学校なきは(最簡なるものはあるも)之れ中等若くは高等の工学を

修むるには是非共中等若くは高等の普通科を要するが故に漫りに無

試験入学を許すこと能はずして遂に学校の存立を危ふすればなり以

て知るべし私立学校が如何に普通科を度外視するかを

 以上陳べたる所は事実問題にして学閥論者の如く空々漠々の事柄

を根拠とし漫りに架空的の筆を弄するものとは大に異なるなり要す

る処はロハ学閥論者の如き利己主義に走りて国家教育の大本を忘れ慢

りに我儘の議論を吹聴して後進を誤らしむるものを誠むると同時に

識者に訴へて私立学校改良の資に供せしに過ぎずして敢て私立学校

其物を損斥するものに非らず目今官立学校卒業生と私立学校卒業生

との待遇甚不公平あるを唱へて同資格論を主張するものありと錐ど

も今日の如く私立学校の普通学を無視するに於ては同資格論の不公

平は更に一層大なる不公平を来すものたるを知らざる可らず可昔風

大学を卒業せんとするものは尋常小学に入りて以来少くとも二十年

を要するも今日の私立法律学校を卒業するには多くとも十四年を超

えざればなり再言す学閥論老よ爾等の如き議論は今日云ふ可き事に

非ずして私立学校刷新の後にあることを知れ      (完)

 〔読売新聞 明治三十一年八月二十五日 三面、一~二段、三号〕

明治三十二年(一八九九)

- 随感随筆

弥 生 山 人

 (前略)

○帝国大学の学閥 然りと錐も我は誰々の門人なりと師の名を担ぎ

回して慢る人無くなりし代りに学校の名を振り回はして威張る風生

ぜり成る程帝国大学は月謝も高き丈それ丈教師も揃ひ居るに違ひな

し然れども其の卒業生の技禰を見るに他の認可学校の卒業生と変る

ことなく人をして今の学士は程度の低い者で馬鹿でさへ無けれぽ誰

でも卒業は出来る教師ばかり立派でも学生の価値は甚だ低い者だと

歎ぜしむるは憂たてき事なり然り私立認可校の卒業生は大学の学士

と其の学力大差なきに拘はらず官員になる節の便利を殺がれ居り従

て会社向にても採用の相場に大なる等差を設け居るなり望むらくは

認可校の卒業生に官吏の採用上学士と同等の権利を与ふるか若くは

学士となるの卒業試験を今少し高等の者にするかの一を採用せられ

たし     .               (後略)

 〔東京朝日新聞 明治三十二年六月七日 七面、四段、三号〕

(73)

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2

文部の八年計画

     (宜く十五大学を起すべし)

 高等学校増設の事ハ今や教育社会一般の与論と為り、之が設置の

位置に就てハ各地方敦れも皆其引き附け運動に汲々とし、為に久し

く沈睡し居たりし文部省も、愈々気運の振興に動かされて、教育事

業の到底等閑に附し去る能はざるべきを感じ、此に所謂文部八年計

画なる者を確立し、以て教育事業の大方針を定めんことを期すると

云へり、予輩熟々従来文部の為す所を見るに、朝に一時を企て夕に

一業を画し、唯其の時の必要に迫られて、一事々々の計画を立つる

のみなれバ、又其時々の財政の都合に由り、何時も真先きに其の費

用の削除を被り、為に一も其事業を挙ぐる能はさるのみか、偶々事

の稽望ある者あるに及んでハ、即ち今の高等学校設置運動の如く、

益もなき運動者の続出して、動もすれパ即ち其最初の計画を妨げら

るるの有様なりしが、今若し真に果して将来数年間に亘るの計画を

確立し、百事皆此の方針に拠て着手する事、恰も彼陸海軍備の十年

計画の如くなすべしとせバ、此に僅に他の削除を免れ、他の妨害を

免れ、学政振張の事初めて談ずる事を得んか。然れども文部が先づ

其困難なる学校系統案の確定を勉めずして、徒に時の人気に投じて

早くも已に其学校増設の計画を立て、以て後の五大学十五高等学校

を設立すべしとなせるが如きに至てハ、是山豆に事の前後を誤り理の

顛倒を致したる者に非ざるか、蓋し学校設立の事たるもと是れ其基

礎を学校系統案上に置きて計画すべきものにして、特に高等学校大

学の関係の如き他の各種専門学校とハ違ひ、其系統案の如何に依り

てハ、或は五大学十五高等学校にても事足べく、又或ハ十五大学二

十高等学校をも必要とする事あるべく、学校系統案に基礎を置かざ

るの学校設立計画ハ遂に砂上の楼閣と一段、到底系統案の改正と共

に其計画の変更を免る能はざるべけれバなり、然らバ則ち今の時に

於て将来の永続計画をなす夫れ当に如何かすべきや。

 余輩の考案を以てすれバ余輩ハ元来学校系統上今日の高等学校を

不必要として、大学の入学生ハ直に之を中学校卒業生に取らしめ、

且つ其修学年限を五ケ年とし、学科程度の如き亦之を今の大学より

低く今の高等学校より高からしめ、専ら実用的人物の養成を以て其

主眼とし学生成業の期を早からしめて以て、彼等をして年少気鋭の

時充分力を社会に尽さしめんとする者なれバ、今此計画を画するに

於ても、同じく今日の高等学校を廃し東京。京都。金沢。熊本等直

に其の地に就て之れを大学組織に改め、新設のもの亦斯の如くにし

て、全国に十五大学を起し、以て専ら社会実用的人物の養成に努め

しめ、別に東京都一二要地に於ける大学院を完成して、以て真正の

学理研究所に充つべしとなす者なり、思ふに真正の学者ハ必ずしも

其数の多きを求めずして、専ら其学の秀絶を期し、実用的人物ハ猫

り其材智の優等を望むのみならず、併せて其数の愈々に多からん事

を要す、然るに彼五大学の設置の如き、之を学者養成の目的とすれ

バ徒に多きに過ぎて力を分つ弊に陥り、之を実用的人物養成の目的

とすれバ甚だ其数の少きに驚かざるを得ず、然るに予輩の十五大学

設置案に於てハ、最も能く知識の分布を普くし、国家の実益を挙る

の道にして、経済上に於ても亦甚しく其設立を難ずる事なかるべき

を信ずるなり。

 〔読売新聞 明治三十二年六月十三日 一面、一~二段、二号〕

(74)

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5

帝国大学論・(一)

 帝国大学令第一条に日く、帝国大学は国家の須要に応ずる学術技

芸を教授し、及び其蕊奥を攻究するを以て目的となすと。帝国最高

の教育機関としては、固より然らざるべからざるは言を俊たず。明

治の過去上半に於ては、西洋学芸の輸入日尚浅く、一般世人の知識

の程度亦甚だ低かりき。従て大学は大学令第↓条の所謂国家須要の

学術技芸を教授し、其藻奥を攻究する唯一機関なる地位を占め、赤

門党が自ら以て日本学芸の淵叢として世に誇りしと同時に、世人も

亦しか信じて之を尊重したりき。又実際に於ても、此時代に於る大

学が、吾国学術の進歩と技芸の発達に対して、貢献せし所の者甚だ

少しとなさず。然るに爾来年を経ると共に、学術的技芸的の智識は

漸時一般社会に普及するに至り、深遠の学術巧妙の技芸も必ずしも

赤門を出入せずして研鐙し得る事となり、大学以外に於て幾多の学

芸に堪能なるもの輩出し来るに及んで、大学が嘗て近世学芸の専売

所人材養成の唯一機閣たりし地位は根底より動き来れり。是赤門党

一輩の為には、大なる打撃なるやも知れず。然れども社会の進歩が

然らしむる所なるを思へば、是れ国家の為に大に慶賀すべき所な

り。吾輩は思ふ大学の為に悲しむべき所以は、是れに非ずして彼に

あり。何ぞや。大学は一たび人材学芸の一手販売所たる地位を占め

得たるに安んじて、因襲の久しき学風漸く頽療し、弊餐亦た次第に

起り来らんとするあるにも拘はらず、其組織が殆んど自治団の体を

具し、文部の干渉少きに乗じ、自ら旧套を墨守し、面目を刷新して

日進の世運に随伴することを忘れ、其卒業生も唯其卒業生たるが為

に社会に歓迎さるるに慣れ、自ら学芸の研究と人物の修養に工夫を

凝すことを怠りたること是れなり。此くの如くして大学は社会の進

歩と同[の歩調を以て進歩すること能はず、進歩したる社会は其進

歩したる眼を以て新に大学を見るに至り、冷酷なる批評者は之れを

以て蕾に進歩せざる者となすのみならず、却て退歩したりと見倣す

者あるに至れり。蓋し又無理もなき次第なりと云ふべし。加之赤門

党過去の行動を察するに、国家最高等教育機関たる地位を侍みて、

動すれば文部の行政に容豫し、事を断ずる専横に失するの疑ありし

は、公平なる局外者尚且屡々看取せる所、況んや平生大学に対して

競争の地位にある私立学校者流に於てをや。近頃読売子が教育界の

羅馬法皇と題し号を逐うて大に論ずる所あるが如きは、言々必ずし

も正鵠を得たりと謂ふ能はざれども、亦赤門党頂門の一針たるを失

はず。

 今や大学高等学校増設の論大に起り、文部省は已に其経費を要求

せりと云へば、其計画にして悉く成ること能はずとするも、来年度

に於て多少の設備に着手し得るに至るべきは先づ間違なき事と見て

可ならん。今や全国五箇の高等学校は、毎年尋常中学の卒業生を収

容すること能はず。大学も亦遠からずして全国各高等学校の卒業者

を収容すること能はざるに至らんとするに際し、蝕に増設の計をな

す固より国家急務の一なりとす。然れども新に諸学校を増設すると

同時に、既設学校の改善を行ふも亦教育事業拡張の一要務なりと

す。殊に東京帝国大学の制度学風は、必ず新設大学の模範となるべ

きもの、之を改善するは則ち新設大学の制度学風をして則とるべき

所を知らしむる所以の道なり。吾人が此時に当て特に大学論を草し

        (ママ)

以下逐号其弊害を指適し、改善の方法を論ぜんとするは、自ら機宜

を得たるものと信ずればなり。敢て世論に附和雷同するにあらざる

(75)

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なり。(筑紫二郎)

 〔東京朝日新聞

4

明治三十二年七月三日 二面、↓~二段、二号〕

帝国大学論(二)

   所謂学閥の弊害

 藩閥の余弊未だ全く除かれざるに、世問学閥の弊を言ふもの漸く

多し。所謂学閥とは帝国大学出身の輩が、上は已に次官局長たる地

位を占むるものより、下は新学士の属官若くは在学中の学生に至る

迄陰に陽に互に提携依頼するの状態を云ふものなり。而して其弊を

説く者は日く、「大学出身者は単に大学出身者たるが為に栄達の便

宜を有するのみならず、数々朋党比周して其同窓者にあらざるを排

斥し、上に在つて人を採り、下に在つて材を薦むる、毫も賢に任じ

能を用ゆることをなさず、国家の官職社会の公器を挙げて尽く之を

一大学に私し、為に校外出身の有為の士の進路を阻磯するの跡あ

り」と。赤門党の之を弁ずる者は日く「学閥とは大学出身者が大学

出身者たるが為に栄進の便宜を有するの意か。大学出身者が栄進の

便宜を有するは其大学出身者たる為にあらずして、比較的に完全な

る教育を受たるが為のみ。或は学閥とは大学出身者が朋党比周し

て、其同意者にあらざるものを排斥するの意か。大学出身者が其同

窓の故を以て常に其親睦を保は、社交の当然也之を以て排他的朋党

となすは事実を誤るものなり」と。難ずるものの言是なる乎、抑も

亦弁ずるものの言是なる乎。

 大学卒業者が同窓の故を以て常に其交誼の緯睦を維持せんとする

を見て、直に朋党比周して他を排せんとすとなすは非也。然れども

同窓者の親睦愈よ深く、先輩は後進を率ゐ、後進は先輩に従ひ、互

に相依頼すること切なるに至れば、其間に一種の情実の生じ来るは

免れ得ざる事なりとす。已に親しき者は不才も之を取り、疎き者は

奇才も之を舎つるは、人情の通弊なり。吾人は赤門党の面目に対し

ても、彼等が敢て国家の官職社会の公器を以て之を哨大学に私し、

為に校外有為の士の進路を阻凝するの意思なきを信ぜんと欲す。然

れども彼等にして力めて情実の弊に陥るを避け、公平を人材の鑑識

に持し、其用捨進退をして宜しきを得せしむるに注意することなく

ぼ、彼等は不識々々の問に人情の通弊に陥り、人をして其故意にあ

らざるなきやを疑はしむるに至らざるを得ず。然るを況んや彼等故

意に同窓者に厚くして校外者に薄きの事実は、往々にして浬滅すべ

からざるものあるをや、吾人は曾て聞けることあり、法科大学の某

ロ   リ           コ       ロ                   ロ                                                ロ                   コ    

教授は講壇に放言して日く、藩閥或は倒れん、然れども学閥は必ず

                         

起ざるを得ずと。所謂学閥の義をして比較的完全なる教育を受ける

大学卒業者が将来朝野の要路を占むるに至るを意味せしめば、こは

固より望ましき事なり。然れども藩閥が久しく政権を独占し、威福

を檀まにしたる歴史を以て、之を赤門学閥の将来に擬するの意が少

しにても其間にありとすれば、吾人は某教授の言の甚だ大胆なるに

                                     リ   ロ   コ           コ                    

驚かざるを得ざると同時に、さなきだに世人が学閥の弊を疑はんと

ロ                   コ        コ               コ       コ   ロ           コ                                   り   の   ロ    

する矢先きに、赤門党が自ら驚戒節制せざること此の如くなるを悲

まざるを得ざる也。

 所謂学閥の弊害として赤門党の最も慎むべき所は以上述べたる所

の如し。されど此外教育行政に於ける赤門党の祓庵も大に節制する

の必要を見る。

 彼れ赤門党は其最高教育機関たる地位と学閥の勢力を侍んで、動

もすれば文部の行政に容豫し、甚しきは言聴かれずんぽストライキ

(76)

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を以て之を脅すと云ふ。此事果して真なりとせば、其横暴卑劣真に

言語に絶せりと謂はざるべからず。然れども文部当局者にして毅然

として其意見を主持し、断乎赤門党の容豫を拒むの勇あれば、赤門

党横暴と錐ども、遂に能く為すなけんのみ。

 吾人は以下更に歩を進て大学内部に於ける諸弊を挙げ、其改善の

方法を説かんと欲す。(筑紫二郎)

 〔東京朝日新聞 明治三十二年七月四日 二面、一~二段、二号)

5

和仏法律学校の高等科

来学期より設置し卒業者には和仏法律学校学士の称号を与ふる由

〔東京朝日新聞 明治三十二年七月二十二日 一面、四段、五号〕

6

青山学院・明治学院一旦廃校を決意

 文部省が十二号の訓令を発して、宗教の混同を規制したるより、

従来外国伝道会社の手に依て創立せられたる各学校にては、到底調

和の途なしと諦め、既に青山、明治両学院の如きは一旦廃校と決し

たるも、立教、麻布等の諸校は寧ろ沈着の態度を取り、其訓令に遵

由せざるべからざるは勿論なるも、之と同時に所謂基督教主義は機

会ある毎に鼓吹せざるべからず、故に学校に於ては、訓令の表に違

はざる様にし、其学校以外に於ては、従来の如く基督教主義を以て

立ち、静かに成行きを見んといふに略々帰着し、尚ほ政府側に対し

ては各校委員を選定して、実行を円滑にするの交渉を累ぬること玉

なしたるよし、尤も此委員中には外国人を加へずとなり。

 〔東京日日新聞 明治三十二年九月九日〕

1

明治三十三年(一九〇〇)

福沢諭吉御沙汰書を賜はる

 教育界の功労者として斯の光栄に浴す

 福沢諭吉氏には昨日宮内省より御召ありしも、何分老体のことX

て小幡篤次郎氏代理出頭せしに、田中宮内大臣より左の如き御目録

及び御沙汰書を賜はりしと云ふ。

                    福沢 諭 吉

  夙に泰西の学を講じ、校舎を開きて才俊を育し、新著を頒ちて

 世益に資する三十余年、其功績勘からず、因て思召を以て金五万

 円を賜ふ。

明治三十三年五月九日

           宮内大臣 子爵  田 中 光 顕

 翁は一世の英才を以て夙に泰西の文物を輸入し、子弟を教育する

こと藪に数十年、門下秀俊の士を輩出せるもの実に霧しく、上は台

閣より下は商工業界に至るまで、翁の薫陶教養に依て頭角を露はせ

るもの数ふるに逗あらず、特に翁の学風は一種の光彩を放ち、殆ん

ど他の学派を圧せんとするの概あり、而して翁の徳望益々隆々たる

に至れるもの、畢意翁が多年力を教育界に致せるの功績に依らざる

はなし、今や允文允武聖上陛下には深く其功を嘉賞し賜ひ、今回の

恩賜あるに至れるもの、抑々教育事業の等閑に附す可らざる所以を

見そなはし給ひし結果に依らずんばあらず、今深く聖旨のある所を

悟らば、今回の事山豆翁一身の光栄にのみ止まらんや

(77)

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〔中外商業新聞 明治三十三年五月十日〕

2

東京専門学校が大学部専門部設置の計画

 東京専門学校にては、来る光五年九月より新に大学部、専門部を

設置し、大学は専ら英独仏の原書に依りて政治、経済、文学の各科

を専攻せしめ、専門部は邦語修学をなさしめ、志望者には支那語を

も教授し、又は大学は高等予科(一ケ年半)を挾みて中学と連絡

し、専門部は直接連絡の制度を取る筈なり。猶ほ同校にては、去る

十五日卒業生百光五名、高等予科七十七名の得業証書授与式を挙

げ、同校得業生にして現に控訴院判事たる坂本三郎氏及び同校兼早

稲田中学講師金子馬治氏を選抜し、来る九月独逸に留学せしむるに

決せりといふ。

 〔東京日日新聞 明治三十三年七月十八日〕

1

明治三十四年(一九〇一)

政府の大学増設に反対す

 現今の東京京都二大学の外更に九州及び東北に両大学を増設し、

之が為に百五十万円を支出せんとするの議は、前内閣の当時所謂文

部の八年計画中に企画せられしものなるが、現内閣に至りて暫く之

が襲踏を見合せ、予算に計上することは見合となりたるに、頃来聞

く所によれぽ愈々二大学の増設を実行するの内議を決定し多分追加

予算として提出せらる瓦に至るべしといふ、我学界の現状が大学の

増設を催すものあるは予輩も又同感ならざるにあらずと錐も、今日

政府の計画として大学を増設することは余輩の賛成する能はざる所

なり、況んや今回の計画は九州及東北地方の代議士が各自の地方的

利害より増税案に対する交換問題として盛に之を懲懸し、遂に松田

文相をして該案を提出するの已むを得ざるに至らしめたるものなり

といふに至ては余輩は断じて之に反対せざるを得ざるなり。

 我教育学事は近年非常の発達を為し、殊に高等教育志願者の年々

倍増するに拘はらず、高等学校並に大学は設備狭小にして悉く志願

者の需に応ずる能はず、為に学校の連絡を沮み教育の発達を妨げ、

幾多有為の学生をして機関の不備なるが為空しく半生の目的を転ぜ

しめ、甚しきは全く其方向を誤り遂に失意不遇の悲境に陥らしむる

もの勘しとせず、故に大学の増設規模の拡張は今日の急務たるや論

なしと錐も、又国政の運為は須らく計画と国力の均衡を量り其本末

軽重を較量して而る後時務の緩急に伴はざるべからず、若し夫れ帝

国の財政豊富にして幾多の新規計画に伴ふの実力あるか、縦令然ら

ざるまでも之が創設維持に堪ゆるの余裕あるときは、之を大学の増

設に費すは無論異議なき所なるも、帝国の財政は今猶頗る窮厄を極

             (ママ)

め、増税又増税以て漸く一時をび縫するが如き現状に在ては、設し

一時地方の寄附等によりて之を創設するを得るも、必ず中道にして

蹉蹟の余儀なきに至るや知る可きのみ、故に一度び時務の緩急を較

量せば、今日に於て漫りに地方的利害に狂奔して施政の本末を顛倒

し大学の増設を計るが如きは責任ある当局者の為すべき所にあらざ

るなり。

 加之高等教育は必ず政府の直接設備を侯たざれば得て完成する能

はずとなすは、由来官学に衣食する者の謬想にして、此種の謬想

が、甚しく我邦高等教育の振興を沮害せるは余輩の深く憂とする所

なり、高等教育の完全なると将た否らざるとはた父設備の如何にあ

(78)

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るのみ、而して設備の如何はまた唯財産の多少によつて決せらる二

ものなり、故に民間に在ても完全なる設備に要するに堪ゆべき財源

だにあらぽ、高等教育は決して政府の力を侯たざるべからざるの理

なし、是欧米の私設大学より人材彬々として輩出する所以にあらず

や、我邦に於ても法政文科の如きは其設備に多額の費用を要せざる

が故に現に今日に在てすら其私立の高等教育に成るものと官設の高

等教育に成るものとを比較するに毫も径淫なきに徴して明かなり、

果して然らば必ずしも巨額の経費を投じて官設の大学を増設するに

も及ぼず、我学事の発達に促されて、現時続々勃興せんとしつLあ

る私設大学の設立を保護奨励すべきのみ、故に若し政府にして百五

十万円を教育費に支出するの余裕あらば先づ之を中等及び普通教育

の設備に費し、而して又彼の海外留学生を撰抜するに独り官立の学

生のみに於てせずして、之を私立大学の人材にも求むるが如きは是

亦高等教育振興の一策ともなるべきものなれぽ序ながら一言するも

のなり。

 〔読売新聞 明治三十四年二月十五日 二面、一~二段、二号〕

 2 公徳の養成風俗の改良

 (ママ)

 (百五十七) 学生懇親会の奢修を戒むべき事身猶修学の時代にあ

りて、学資を父兄に仰ぐ学生は、須らく志を永遠に抱き、水を飲み

菜根を咬むの心を以て、節倹の美徳を守り、苦学精励せざるべから

ざるは言ふまでもなし、然るに近来都下の隅々まで吹き荒し、社会

の根底を腐蝕しつ瓦ある奢修の悪風は、早くも純潔なる学窓寄宿に

まで吹及したりと見え、学生が催しに係る懇親会にして、其会費二

三円内外を費すに至り、毎月学資の十分の一以上を投ずることさへ

少からざるは、蕾に身分不相応の奢修なるのみならず、亦学生の本

分に惇れり、且つ是よりして或は邪路に踏迷ひ、種々なる過失を醸

すに至り、宴会の崩れが直ちに一身を崩すの動機となり、遂に初志

に背いて知らず識らず堕落の悲運を招くは、世上往々見るとζうな

り、他日一国を背負ふべき責任と青雲の望とを抱ける青年学生は、

宜しく此辺に注意し、奢修なる懇親会を発起し、又は出席すること

を避け、力めて質素なる懇親会を開くべきなり

 〔読売新聞 明治三十四年三月十二日 一面、二段、三号〕

3

高等学校令及専門学校令

 高等学校令と専門学校令とは愈々近日公布の筈なるが同令によれ

ば従来高等学校中に存せし工科農科並に其附属たりし医学部を独立

せしめ皆純然たる専門学校となし而して高等学校を旧時の高等中学

同一の地位に置き純然たる大学予備門たらしむ可しと云ふ、斯くて

六個の高等学校即ち大学予備門より出で来る学生は今後数年間東京

京都の二大学にて収容するに余りあるも六七年後に至れば、大学を

拡張若くは増設するにあらざれば更に不足を感ずるに至るべしとの

事なり

 〔東京朝日新聞 明治三十四年三月二十七日 一面、五段、三号〕

4

文部の大学増設主義

 世間に大学は東京、京都の二大学にて充分なり此の他は実用に適

すべき人物を養成する為め可成多数の高等専門学校を設置し多数の

学生を此専門学校に収容するを可とす高等学校の如き二三校を存し

て他は純然たる大学予備門となし他は専門学校となすを可とすとの

(79)

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説を唱ふる者あり此説一理なきにあらざれども今日学生の風潮を察

するに敦れも皆大学に入らんことを望み大学に入らずんば登竜門に

入る能はざるが如き感を抱くもの鮮しとせず是大学卒業学士が世間

より過大の優待を受くると政府が諸種の特典を与へ居れるの結果に

外ならず故に今後大学の志願者を減じ之をして各種専門学校に入ら

しめんとせば専門学校の設備を完全にすると同時に専門学校卒業生

をして何等かの特典を享受せしむる様の組織とすること必要なるべ

し若し今日の儘にして専門学校を増設するも之に入学するものは大

学に入るを得ざる者が転じて来るのみなる可ければ其結果決して良

好ならざるべし兎に角今日の如く一般の教育思想発達し何処の学校

にも志願の学生充盆するが如き時期に処しては各種の専門学校を増

設するは勿論大学をも増設せざるべからざるは当然なり文部省は現

時の高等学校が実に於て純然たる大学予備門たることを見、今回は

高等学校令を改正して之を大学予備門となさんとし附属の医学部は

既に分離して独立の専門学校となせり今後六個の高等学校卒業生は

是非共大学に収容し得べき丈けの設備を為さざるを得ず然らずして

若し或る論者の言の如く六個の高等学校の中二三校をのみ大学予備

門となし他を専門学校に変ずる時は先づ当分大学の増設をも為さず

して済み当局者に取りては便利此上なき次第なれども斯かる事は責

任ある者の為し得べき事にあらざる也とは文部省官吏の談話なり

 〔東京朝日新聞 明治三十四年四月十六日 一面、三・四段、三号〕

5

大学増設〔東北・九州二大学について〕

 菊地文部大臣は本年度に於て東北・九州二大学を増設せんとの意

向ある由。予輩は是に就て二箇の困難あるを認む。其一は則ち財政

上の関係なり。元来大学増設の如き多額の費用を要するものにあら

ず、又其の維持費も特に少額を以て足れりとす。去れど今や新事業

の気受け最も宜しからざるの時なり。何人が財務の局に当るも出来

得る限り新事業を抑制せざるべからざるの時なり。各省の新事業が

一斉に抗拒せらるる間に、文部省の大学増設費のみ独り閣議を通過

して議院の賛同を獲べきや否や。其二は則ち教授の欠乏なり。京都

大学を創立するに当り、当局者の苦心は専ら教授適当の学者を得る

に在りたりと聞く。一大学にして既に然り、同時に二大学を設置せ

ば則ち如何。蓋し学者は自然に出づべきものなるべく、製造すべき

ものにあらざるべし。縦し製造するを得るとしても、咄嵯の間に合

ふものにはあらざるべし。京都大学創立の際には幸にして東京大学

以外に幾多知名の学者あり、為めに教授の学殖多く之と軒軽する所

なく、或は駕して之に上るといふの噂さへありしかど、今後之と同

様の便宜あるべしとも覚えざるなり。留学一二年にして幾多の大学

教授を製造するが如き、却つて大学の価値を損するの患あり。大学

を設けて教授を得ず、書生を集めて良師を求め能はずんば、是れロハ

大学の名を立つるのみ、実を挙ぐるにあらざるなり。予輩の危む所

は此に在り。

 但し新文部大臣は多年大学の教授として、又其の総長として、大

学教育の経験甚聡臓からざるの人なり。此人にして増設を公 =口する

以上は胸中自ら成竹なきを得ず。而して設立の費用の如き元来少額

の請求に過ぎざる可ければ、能く前途二個の困難に打ち勝ち得るや

も知る可からず。然れども吾人は猶且つ当局者の↓考を煩はさんと

欲するものあり。今少しく之れを述べん。蓋し我国の大学が一箇を

以て足らず、二箇を以て足らず、多々益す不足を訴ふる所以のもの

(80)

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は、大学教育を受けんとするもの年々に増加し、教育の標準一般に

高まりたる結果なりといへども、その実は学制の宜しきを得ざるに

原くこと多し。先づ第一に少しく高等の教育を受けんとする者は大

学に赴くの外、他に適当の学校を見出す能はず。私立学校多しとい

         (ママ)

へども、其の程度甚だ底くして且つ又非常に不完全なり。然らぽ大

学以外の官立学校あるかといふに、僅に高等商業工業学校、医学専

門学校、其他二三の専門教育を施す所あるのみ。夫れすら実は長し

短かしにて学生を満足せしむる能はざるもの多し。筍くも高等の教

育を受け、専門の技術を修めんと欲する者が、脳力の鋭敏なると否

と、資産の豊なると否と、一身の事情永く学校生活をなすに足ると

否とを論ぜず、争ふて大学の門に押掛くるも亦無理なりとなさざる

なり。されば表面より見れば大学の欠乏なれども、実は適当なる高

等専門学校の欠乏に外ならず。一概に大学の不足なり宜く之を増加

せざるべからずといふは或は速了に過るものあらん。学政に当路す

るもの善く此の事情を察せざるべからず。而して最も世間の需要に

適応するの施設をなさざる可からず。真に大学が不足なりや否やは

其上にて始めて判断さるべきものにして、今日は尚其の機にあらず

と思ふ。此くいへば今日の急務は大学増設論よりも先づ学制論にあ

るを見るべきなり。且つ夫れ今日の大学増設論は多く地方有志の虚

学心に出づ、即ち其の地方に大学を有するの名誉を取らんと欲する

に出づ。実は頗る澹泪の談なり。而して其の子弟の未来が果して如

何に成行く可き乎を問はざるもの多し。当局者は単に彼等の運動説

のみに聴く可からず、宜しく学制の全体より観て以て親切に施設の

方針を決す可し。

 〔東京朝日新聞 明治三十四年六月十二日 二面、一~二段、二号〕

6

東京市教育会総会(星亨教育会長の演説の一部抜書)

△予が明治二年頃大阪に於て大学分校の教授をした事があるが其時

などは実に不平で堪らなかつた、夫は何故であるかと云ふに其の先

生と言はるる連中は教育といふものをソツチノケにして唯薩長若く

は学閥といふもののみに重きを置て居つたである、故に予は直に辞

              ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

した事があるが夫れから何うも大学のやる事が凡て気に入らぬので

ヘ  へ

ある、卒業すれば直に役人になりたがる出る者く敦れも甘んじて

非立憲的政府の小役人となる、斯んな根性で何が出来るものか、此

                             へ

れは強ち学生の悪いのでなく教育の方針が宜しく無いからである東

ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  へ

京の大学は勿論京都の大学も今日の儘では少しも信頼する事が出来

ヘ  へ

ない、故に予は是より官立の大学は御免を蒙りて専ら私立大学の勃

興を将励しなければならぬと考へる、夫の慶応義塾若くは早稲田大

学の計画の如きは予の最も望を嘱する所である、唯我国には米国の

如く教育界の為め奮て私財を義摘するの篤志者なきを甚だ遺憾とす

るのである、されば資産家をして此観念を起さしむる方法を講ずる

如きも亦本会任務の咽であると言はなければならぬである云々

 〔東京朝日新聞 明治三十四年六月十七日 一面、四段、四号〕

7 大学罵倒談

  (前略) 大学生の卑劣な根性の例

  (中略) 大学卒業生のうち教師なる者は成績の悪い身体の弱い

      者がなる

△大学生の風紀を矯正せんには先づ大学其物の根底から改善しなけ

(81)

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ればならぬ、然し是も容易の業でないから寧ろ星君の演説通り私立

大学を奨励する方が捷径であろうと思ふ

 〔東京朝日新聞 明治三十四年六月十八日 一面、六段、五号〕

8

星大学設置計画

 大垣に於ける政友会員は星氏の為めに追悼会を開き左の決議をな

して本部に建議せり

 故星君の遺志を継ぎ私立大学校を新設すべき方法を研究し且つ迅

 速に設置に着手せられたき事但同君建碑の挙と並行せしむるを要

 す

 〔東京朝日新聞 明治三十四年六月二十九日 一面、五段、五号〕

9 論

  教育方針の一変

  私立大学の奨励

 大学増設の必要ハ我教育社会に在て既に久しき問題なり、一方に

於て国民の智識日に月に進歩して、高等の学科を修めんと欲する者

益々多きを加ふるに、地方に於てハ教育機関の設備少しも之に伴ハ

ず、為に無数の学生をして多く其方向を誤らしめ、且つ教育学の進

歩発達も、亦之が為に阻害せらる瓦こと勘しとせず、則大学増設の

必要ある所以にして、朝野の人士が常に慨歎して已まざる所の問題

なり。

 菊地現文相ハ其猶帝国大学に長たるの当時より、盛に大学増設の

急務を唱え、政府ハ他の経費を節減しても、大学の増設を実行せざ

るべからざるを論じたるの人なり、故に氏の入て文部大臣となる

や、教育社会に於てハ、氏が必ず其素論を実行するの抱負あるべき

を予期し、又氏をして之を実行せしむるに就てハ共に力を織せて之

が声援を与ふるハ敢て辞する所にあらずといひ現に其希望を表明す

るもの亦二三に止まらず、然るに明年度に於ける文部省の新事業と

して、頃日世上に発表せられたるものを見るときハ、僅に一の医科

大学を九州に新設するに止まりて、文相の素論たる大学の増設に関

してハ其他に何等の計画あるを聞かず、医科大学ハ僅に大学の一分

科のみ、此の如きケチ臭き設備を以つて、多年の問題たる高等教育

機関の欠陥を補はんと欲するハ、猶貝殻にて海水を掬はんとするの

類にして、文相と錐も固より之を以て満足するものに非ざるべきハ

言ふを待たず、思ふに目下財政の窮迫に際し、各省の事業ハ成べく

緊縮を旨とするの今日に於て、文相の主張も遂に貫徹せしむる能は

ず、已むことを得ずして先ず医科の一分科を新設し、之を端緒とし

て漸次九州大学の設備に及ばんとするの計画たるは疑ふべからず、

然れども此計画たる、今日に於ては唯文相の希望たるに止まりて、

九州大学の愈々設立せらるxハ果して何れの日にあるべきや、是す

ら予期すべからざる事なるに、更に一歩を進めて、東北大学を初

め、尚必要に応じて高等教育機関の整備を計るが如きハ無論望むべ

からざる事に属す、教育社会の失望想ひ見るべきなり。

 此に於て世或ハ菊地文相の責任を問ふべしと論ずる者あヶ、其素

論にして実行せられず、其主張にして貫徹せられざる以上ハ、宜し

く責を引て職を去るべしと論ずる者あり、文相固とに責なしとせざ

るべし、然れども今日に於て区々文相の責を問ふが如きハ抑も末に

あらざるか、財政の現状を見るに政府をして大学の増設に巨額の経

費を投ぜしむるが如きハ殆んど望むべからず、今日の状態にてハ文

(82)

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相を幾たび更迭して、大学の増設を政府に迫らしむるも、其実行を

見ることハ殆んど予期すべからざる事なりいつまでも政府の官学に

依頼して、今日に於てハ無論実行すべからざる、又将来に於ても殆

んど予期すべからざる政府の設備に望を繋がんより寧ろ政府をして

其教育方針を一変せしめ、私立大学を奨励して、高等教育たる機関

の欠陥を補ふことに努めざる。(未完)

 〔読売新聞 明治三十四年十一月六日 二面、一~二段、二号〕

10

明治法律学校ー拡張

 明治法律学校の拡張

 同校に於ては過般の創立二十年記念式より更に一新紀元を開くの

決心にて、来月の新学年よりは種々改善拡張を加へ、講座の担任を

改め、松波博士は商法の大部分を、仁井田博士は民事訴訟法の一部

を、ブリデル博士は法理学を担任し、又随意科の外国語学は従来の

英、仏語の外新に独逸学を加ふる等準備全く成れりと云ふ。

 〔日本新聞 明治三十四年八月二十八日〕

11

@論

  教育方針の一変

  私立大学の奨励(承前)

 従来私立大学の奨励を政府に促す者、或ハ奨励の一方法として政

府より国庫の補助を支給すべしと論ずる者あり、然ども此の如きハ

寧ろ私立大学の本旨にあらず、余輩の見る所によれバ、私立大学の

奨励は、必ずしも国庫の補助を煩はすに及ぼず、唯政府にして従来

の方針を一変し、私立大学をして官立大学と同等の待偶を受くるを

得せしむれ.ハ則ち足る、従来私人の経営設立に関する各種の学校が

政府より冷遇せられ・或ハ寧ろ虐待せられ・所謂継子扱の焦麿施受

けたることも亦久しと謂ふべし、私立大学の如きも亦然り、政府ハ

宜しく此方針を一変すべきなり、若し私立大学をして官立大学と同

  (ママ)

等の待偶を受くるを得せしめん乎、仮令国庫の補助なきも、私立大

学の勃興ハ必ず期して待つべきのみ。   ,

 例せバ官立大学に学士の称号を与ふわバ、私立大学にも同じく之

を与ふべし、又官立大学に官吏登庸の恩典ある時ハ私立大学にも亦

同じく均需せしむべし、余輩ハ敢て学士の称号に格段の重きを置く

者にあらず、然れども学士の称号が必らず官立大学に限らざるべか

らざるの理果して安くに在る、我政府ハ学士の称号を帝国大学に限

り、他の私立大学には学士の称号に校名を冠せしむる方針を執れり

と錐も、斯の如きハ欧米に於ても曾て見ざる所にして、殆んど何の

意たるを解する能はず、其他文官試験に於て、帝国大学の卒業生

ハ、論文試験、迅速作文試験を免除せらる瓦の特典あるも、私立大

学にハ之に均需するを許さざるが如き、余輩の頗る了解に苦む所な

り、或ハ私立大学の組織完全ならず、随て其卒業生ハ学力の程度に

於て官立大学に及ぼずというものあるべけれど、事実ハ必ずしも然

るにあらず、現に頃日挙行せられたる高等文官試験の成績に徴する

に、帝国大学の卒業生ハ七十名の志願者中、競争試験に落第せる者

五十三名の多きに達し、及第者ハ僅かに十七名を出だせるに過ぎ

ず、然るに帝国大学以外より此の競争試験に及第せる者ハニ十五名

に及べりといふ、論文免除の特典ありてすら猶斯の如し、亦以て帝

国大学の卒業生が学力の程度に於て必ずしも優勝なりと称すべから

ざるの一斑として見るべきなり、思ふに学位の授与其他官吏登庸に

(83)

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伴ふ特典の如きハ、官学専売、学閥擁護の目的に出でたるの外、他

に何等の理由ありて然るにあらず、而して学閥擁護の積弊と、官学

専売の迷夢とハ、菊地文相の既に熟知する所、宜しく今日に於て断

然此方針を一変し、官立大学に限りて種々なる特典を与ふるの随習

         (ママ)

を廃し、官立大学の待偶を同一にするの方針に出ずべきなり。

   (ママ)

 思ふに奨来設立せらるべき多くの私立大学中、敢て特典の有無若

  (ママ)

くハ待偶の厚薄に深く留意せずと称するものあらん、然れども私立

大学を奨励して、高等教育機関の不備を補はんと欲するにハ、少く

           (ママ)

とも学校の官私によりて待偶に厚薄の別を立つるを避けざるべから

ず、一般の学生が特典を望んで集り来るハ人情の是非なき所、然る

に特典の有無により官私の差励を立つるが如くんバ、如何に私立大

学の勃興を希望するも多くの学生ハ依然として官立大学に入らんこ

とを願ふべし、是私立大学を奨励する所以にあらざるなり。

 学問の自由が、教育の発達に欠くべからざる要件たるハ今更言ふ

を待たず、而して学問の自由ハ成るべく政府の干渉の及ぼざる私立

大学に於て始めて之を望むべし、況んや政府の大学増設は財政の都

合上殆んど絶望の形勢に瀕せるをや、私立大学の増設を見るにあら

ずんバ教育の前途を奈何にすべき(完)

 〔読売新聞 明治三十四年十一月二十七日 二面、一~二段、二号〕

1

明治三十五年(一九〇二)

雑報〔帝国大学高等学校及び中学校改正法案〕

○学制改革案

学制研究会にてハ来廿日午後四時より帝国教育会談話室に於て臨

時大会を開き左の改正案に就き審議する筈

  帝国大学高等学校及び中学校改正法案

第一条 中学校を中学及び高等中学とし大学校を大学及帝国大学と

 す

第二条 中学校の修業年限ハ中学を五ケ年とし高等中学を三ケ年と

 す中学ハ修業年限ニケ年以内の予科を置くことを得

第三条 大学ハ法科、医科、文科、理科、工科、理工科、農科、、商

 科とし其修業年限ハ三ケ年若くハ四ケ年とす

第四条 帝国大学ハ法医文理四科以上の大学及び大学院を以て構成

 す

  帝国大学ハ定規の試験を経たる者に学位を授くることを得

  大学院ハ修業年限を定めず

第五条 尋常小学校を卒業したる者ハ中学に入り高等中学を卒業し

 たるものハ大学に入り大学を卒業したるものは大学院に入るを得

第六条 中学校ハ地方費を以て設立維持し大学校、国庫費を以て設

 立維持すべきものとす

第七条 高等中学ハ北海道及び各府県に一校を設立することを得

第八条 私人は文部大臣の認可を受け中学学校及び大学を設置する

 ことを得

  前項の学校ハ法令の定むる所に随ひ官立若くハ公立学校と同一

 の特典を受くることを得

第九条 高等学校ハ大学又ハ帝国大学予科に改むべし

第十条 本法施行に関し必要なる規則ハ命令を以て之を定む

    附  則

第十扁条 本法の一部又ハ全部施行の期日ハ勅令を以て之を定む

(84)

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〔読売新聞 明治三十五年一月十二日 二面、四~五段、二号〕

2

学制調査会設置に決定

 学制調査会設置の議は、両三年来朝野の間に唱道せらる瓦と同

時、前々議会にても建議案として下院を通過したるにも拘はらず、

其後有耶無耶の問に彷ふて、終に今日に至れるの宿題なるが、政府

も該会設置の喫急を認めたるものと見え、過日の予算委員会に文相

の口より遠からず調査会の設置を見るべき旨言明せられたり。而し

て其の組織権能の如何は未だ聞くを得ずと錐も、今回こそは行政財

政の調査会と同じく、学制調査会も文部省内に設けらる玉に至るは

疑を容れざるべく、又た之に関する経費は追加予算として、・文゜部省

より本議会へ提出せらるべしと聞けり。

 〔東京日日新聞 明治三十五年一月二十九日〕

3

関西法律学校新築

 関西法律学校

 同校は明治十九年の創立にして、卒業生を出すこと四百六十名内

外あり、或は判検事、弁護士、公証人等に従事する者多く、目下登

校の生徒は三学年合せて四百七十余名にて、現今の校舎は北区河内

町一丁目興正寺内に設けあれども、時勢の進歩に従ひ、校舎の狭隙

を訴へ、今回西区江戸堀北通一丁目浜側に地をトして、二階建校舎

を新築する事となり、目下某工学士に託し設計中の由にて、明年八

月迄には竣成すべき予定なりと云ふ。

 〔大朝新聞 明治三十五年四月二十六日〕

4 日本教育瞥見

 前 略

 次に大学教育の部分を一瞥すると各分科大学と大学院を併せて昨

明治卦四年末の生徒総数が三千二百人で各科の学生及び生徒を別々

に観察すると多いのは相変らず“法科”で九百九十七人即ち全生徒

の殆ど三分の一を占め其次が医科で六百四人、其次が大学院で四百

四十八人そして工科の四百三十二人、文科の三百五人最も少ないの

が理科で僅々六十八人に過ぎ無い。

 彼様に法科に生徒の多いのハ一つにハ日本人に小理屈を好む者が

多いのと、二つにハ他の諸分科の様に数学の教議即ち生徒の十中

八、九迄が難んぞる学科の入用が少ないから大概の書生ハ此処に集

る訳であろうし又医科や工科に生徒の多いのハ卒業後、金に蟻付く

便宜を考へるからでもあろう……後略……。

 〔読売新聞 明治三十五年五月十二日 二面、七段、五号〕

5 〔東京専門学校早稲田大学と改称〕

 東京専門学校は愈々来九月より早稲田大学と改称し今期の高等予

科修了生二百四十三名は第一期の大学生となる都合にて目下校舎の

建築も大に歩を進め開校期までには是非竣成せしめん筈なり大学は

之を大学部専門部高等予科の三部に分ち大学部に更に政治経済、法

律、文学の三科に分ち中学校卒業後高等予科を修了したるものを入

学せしむ専門部は政治経済、法律行政、国語漢文、歴史地理、法制

経済及び英語の六科を設く這は直に中学校卒業生を入学せしむる都

合にて国語漢文科以下は重に師範学生を養成する目肘なりといふ因

(85)

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に専門学校目下の学生は高等予科の一千余名を併せて二千余名あり

外に早稲田中学及び同実業中学の生徒一千余名を加ふれば総計実に

三千五百名を出で蕩然たる早稲田の学風別に一派をなす又盛なりと

いう可きなり

 〔東京朝日新聞明治三十五年七月十六日三面、二~三段、五号〕

6

いよいよ明日から早稲田大学

 早稲田大学の授業開始

 同校は例来本月十一日より授業開始の例なれども、今回愈愈早稲

田大学と改称し、大学組織を実行するが為め、建築其他の準備を要

するを以て、明十五日開始の事とせりと。

 〔時事新報 明治三十五年九月十四日〕

7

早稲田大学開校式並紀念会

 早稲田大学は昨日より授業を開始したるが来る十九日正午より右

開校式並に東京専門学校創立二十週年紀念会を挙行する筈にて其順

序左の如し

    (後 略)

 〔読売新聞 明治三十五年十月十六日 一面、三段、五号〕

8

〔早稲田大学の開校〕

 早稲田大学の開校は我国に漸く一の新なる大学教育を加へたり、

六十七の大学を有する英国、五十八の大学を有する仏国、二十一の

大学を有する独逸、玉石混濡といひながら幾んど三百の大学を有す

る米国に於ては一箇大学の新設位は敢て珍とするには足らざるべき

も、僅に二個の官立大学と他に唯一の私立大学を有するのみなる我

国に在ては、兎も角学界の一新現象と認むるに足るべし、況んや其

地盤は二十年の築造に係り、其資金は国民篤学の寄附に成りたる私

立大学なるに於てをや我国運の進歩は既に十年以前より私立大学の

設立を要求せり、初等教育中等教育の年々非常なる速度を以て進歩

しつつあるに引換へ、高等教育の振興する能はざりしは我教育学事

の一大欠陥として朝野の久しく認むる所なり、我国の大学は東西の

官立大学の外、国民の私立に成れるものは唯三田大学あるのみ、京

都の同志社大学は発起創立共に我国私立大学の魁たりしも、内部の

紛紙と外囲の冷酷とは遂に此名誉ある高等教育機関をして健全なる

成長を遂ぐるを得せしめず、而して三田大学の創設せられし以来既

に十年に及べるに其聞一の私立大学の設立を見る能はざりしは何た

る恨事そや、蓋し政府の多年官学主義に執着せる、高等教育を私立

大学に委任するを屑とせず、窃に私学の勃興を抑制して官学の奨励

に力めたるは我高等教育の不振を招ける最大原因たり、而して官学

主義は重要なる二個の点に於て失敗を見たり、一は我政府の貧弱な

るが為、官立大学のみにては到底我国勢の要求を満すに足らざるこ

と是なり、一は我教政の偏頗なりしが為、大学教育をして極めて偏

狭なるものとならしめたること是なり、今や時勢は高等教育機関の

増設を促すこと頗る急なると同時に、広く時代の要求に応ずべき経

世実用の人物を需むること頗る切なるものあり、此際早稲田大学が

一方に於て学問の自由独立を標榜し、他方に於て国家実用の人物を

養成するの目的を懐て生れ出でたるは余輩の頗る愉快に感ずる所な

り、依て希望二三を左に陳ぶべし

 同大学が経世実用の高等教育ある人物を養成するを以て大学教育

(86)

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の方針となしたるは、時代の要求に応ぜんと欲するの意なるべし、

ブラウン大学のアンドリユース氏は曽て現代の要求に応ずべき大学

教育の方針を指示して(一)研究の完全を得せしめ(二)人格と品行と

に力を注ぎ(三)死学を節制して生物活用の教育を施すに在りといえ

り、早稲田大学の希望亦蝕に在るべきか、是頗る余輩の心を獲たる

     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  ヘ  コ     ロ                       り         

ものなり、然れども能く此希望を現実にするを得ると否とは教育の

方針よりも寧ろ教授の人物によつて決せらるるものなり、大学教育

の成効と否とは必ずしも校舎の輪奥にあらず、図書館、機械室の整

備にあらず、教師生徒の多数にあらず、実に教育の責務に在る者の

人格如何に存するものなり、エール大学の今日ある所以は偉大なる

感化力を有したるウールセi教授及ボルター教授の力也余輩は早稲

田大学が威敬あり徳化あり学生を教導するを唯一の目的とする真誠

なる理想を有する教授に深く留意せんことを望ずんばあらず

 次に同大学の校則を見るに教科の実質は大学教育としては毫も不

足する所あらず、殊に一年半の短期なる高等予科を以て中学教育に

聯絡せしめ、而も其実質は少しも之を低下せしめざるの方針を執

り、以て学生の修学年限を短縮したるは、現時教育社会の大問題た

る学制改革の理想を現実せしめたるの意なるべし、是又余輩の心を

獲たり、然れども是唯形式のみ、真に之を事実に示して、能く予期

の成果を収めんと欲するには教授の方法に於て殊に非年限短縮論者

が反対の理由とする外国語の教授法に於て是も慎密の考慮を費さざ

るべからず

 学風の異色対立は教育学問の進歩発達を助くるに大効ある言ふを

待たず、エールとハーヴアトの対立して米国の大学教育を発達せし

むる如く、余輩は三田大学早稲田大学に向て各自特有の学風を発揮

すると同時に互に相対立競争して我国のエールたりハーヴアトたる

を以て自から任ぜんことを望まざるを得ず、若夫両大学をして単に

形而上教育に止るの現況を推し進めて国家生存の万般に応用せらる

                     (ママ)

べき完全なる大学とならしむるのみならず、更に此かる大学の続々

設立せらるるに至らしむるは半ば学校経営者の責務にして又半ば国

民の責務也(石井生)

 〔読売新聞 明治三十五年十月十九日 一面、一~二段、三号〕

9

東京専門学校廿周年を兼ね

   早稲田大学ー開校式を挙行す

 東京専門学校にては、昨日を以て創立二十年の紀念会をかね、組

織変更後の大学開始式を挙行したるが、来会の重なるものは、伊藤

侯、鍋島侯同夫人、前田、黒田、久我の各侯爵、大隈伯同夫人、榎

本、鳥尾、長岡、岡部、酒井の各子爵、加藤高明、穂積教授、波多

野、浅田の両総務長官、山本達雄、高橋是清、小橋、谷森、西村、

高木の各貴族院議員千家、毛利、三井、前島の各男爵、鎌田慶応義

塾々長等無慮数千名にして、鳩山校長開会の辞を述べ、学監高田博

士学校の過去現状を報告し、次に大隈伯一場の演説を試み、校友総

代山沢俊夫氏の答辞、菊池文部大臣の祝詞代読、山本日本銀行総裁

の演説、加藤弘之男、伊藤博文侯の演説ありて、式を終り、一同奏

楽に送られて大隈伯の庭邸に来り、立食の饗応ありて主客歓楽の裡

に全く式を終りたるは午後六時なりし。

  大隈伯演説要領

 唯今鳩山、高田両君よりのべられたる如く、我曹は東京専門学校

創立者の一人にして、設立以来廿年の星霜を閲したる今日、斯く多

(87)

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数諸君の同情を得、盛大なる式典は挙ぐる事を得たるは衷心喜悦に

堪へざる所なり、総て天下の事物は決して偶然に成立するものにあ

らずして、皆夫々特有の歴史を有するものなり、当校の如きも亦然

り、而して最初我曹が当校を創立するに当りて、我々は学問の独立

なる一の持論を有せり、即ち或国民の意思は必ずしも常に時の政府

の意思と同じからずして、或場合に於ては全然相反する事あるが故

に、総ての勢力をはなれて純然たる独立の学校を起ず事は、世上一

般に対しては他山の石ともなりて国家教育の上に貢献する所少なか

らざるを信じたり、又一には当時少しく深遠なる学問は或は英に或

は仏に、又或は独に依りて研究する者にして、国家独立の要素たる

自国の言語文学に依りて講学する方法は未だ立ち居らぎりしなり我

輩深く厳に慮る所なり、故小野梓としばく此点に就て議論を上下

し、遂に動機となかて当時未だ大学に在学中なりし天野、高田、坪

内の三博士と小野氏の紹介にて相知り相計り、今を去ること廿年即

ち明治十五年此校を起すに至れり、困難は経過して一の歴史となり

たる場合には甚だ興味あるものなり、当校も創立以来今日に至る迄

には種々の困難に遭遇せりと雌も、幸に職員諸君の忍耐と満天下の

同情とに依り、蝕に従来の組織を一変して早稲田大学となすの運命

に逢着したるは、宿志の一端をとげたるものにして、悦びに堪へ

ず、然りと錐も前途猶ほ遼遠なれば、此上とも諸君の御尽力を仰ぐ

所なり云々。

  伊藤侯演説要領

 〔前略〕 猶ほ又此度当校を大学に更め式を挙ぐるに就て祝意をの

ぶるに躊躇せざる所なるが、夫れについて少しく所見を述べんに、

専門の学校に於て学問を為すの目的は実用の材を養成するに在り、

而して一方に偏す可からざるものなり、日本未だ欧米各国の如く学

校以外の社会に於て修養するの機関甚だ備はらざるが故に、萄も社

会有用の人材を作るを以て教育の目的なりとすれば、学生の学校に

ある間はなるべく普通の智識を円満に発達せしむる事につとむべき

なり、大学の事に就ては唯今加藤博士の演べられたるが如く、所謂

ユニヴアーシチーは学の藏奥を極むるを以て目的とすること論を挨

たず、当校の如きも今日の所にては差向き政治、法律、経済等の科

目に止めらる玉由なれども、将来は大に学科を増加して欧米の諸大

学にも劣らざる一大々学たらん事を希望するものなり、又学問は偏

狭なる可からず、学問には国境なし、ナシヨナル、バウンダリーな

るものなきを希望す、欧洲にも諸大学各々特色ありて、学問上の独

立はありと雛も、偏狭する見識は更にみる事を得ず、学問の進歩は

世界的ならざるべからず、彼是長短相補ひ、以て二十世紀の文明場

裏に駆逐せられん事余が切に本校に望む所なり、もし此見解を誤ら

ば或は東洋の学問上の一の撰夷論を現出すべし、㌔是れ最も催る可し

となす、終りに臨んで厚く本日の御懇招を謝し、併せて当校の万福

を祈る云々。

 〔時事新報 明治三十五年十月二十日〕

10

早稲田大学開校式

 早稲田大学にては予定の如く昨日午後一時より開校式を挙行し兼

ねて東京専門学校創立二十年祝典を挙げたり来賓は大隈伯爵同夫

人、菊地文部大臣、伊藤(博文)、前田、黒田、鍋島の各侯爵、榎

本、鳥尾の両枢密顧問、松浦伯爵、英、独、伊の各国公使、岡部、

鍋島、長岡、三島、曽我、酒井、谷、森、千坂、高木(兼寛)、加

(88、

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藤、錦織、加藤(弘之)等の各貴族院議員、加藤(高明)神鞭、大

石、犬養、杉田(定一)田口、柴等の各代議士千家東京府知事、芳

野府会議長、穂積博士(陳重)波多野司法総務長官、山本日本銀行

総裁、高橋同副総裁、小幡篤次郎、三井、安田両家の人々其他朝野

の貴紳各新聞記者及び両校講師校友学生等を合せ式場に参列せし人

々無慮五千余名にして鳩山校長先づ開会の辞を述べ次で高田学監の

報告大隈伯爵の演説校友総代山沢俊夫氏の祝詞あり次で来賓菊地文

部大臣、山本日本銀行総裁、加藤男爵、伊藤侯爵等の祝詞演説あり

終て大隈伯邸に於て園遊会を開き午後五時半より提灯行列を催ほし

行列は全員を六隊に分ち神楽坂より順路万世橋を経て大通りを新橋

に出で夫より道を分ちて宮城前へ集り、両陛下万才を三唱して随意

散会したり当日の演説は左の如し

  ▲大隈伯の演説

 回顧すれば今を去ること二十年前東京専門学校を早稲田の片ほと

りに創立せし当時に於て世上の状態は如何なりしそ教育の必要は未

だ多く世人の認むる所とならず一方には又官学独り旺にして私立学

校の如きは世人重きを置かず我輩微力を以て敢て東京専門学校なる

一校を設立せんとするに至りし所以のもの蓋し故なきにあらず抑も

政府の意思は時として国家の意思と相背馳し動もすれぽ一権力者の

為めに正義を躁晒されるの恐あり従つて国民教育の如きものも単に

之を政府の設立するのみに委する時は或は恐る国民教育は片輪教育

となりて遂に国家を毒するに至らんことを是に於てか権勢情実を離

れ自由に学問を講じ得る私立学校の必要あり思ふに学問の独立は一

国独立の基礎にして国家生存の最大要件なりとす然るに当時に於け

る官学の状態は如何甲教場に於ては仏語を以て授業をなし乙教場.に

於ては英語により丙教場は独語によりて教授すると云ふ有様にして

学生も亦其受けたる所の原語を崇拝し仏学生は英学生と争ひ英学生

は独学生と争ふと云ふ有様にして唯に其の学問に統一なきのみなら

ず延ては一国の独立を危殆ならしむるに至るは明なりし抑も言語は

一国統一の要素なり而して吾人が三千年来祖先より受け継来れる日

本語は高等なる学問をなすに適せざるや否や若し邦語を以て学問を

なし得ずんば即ち止む萄も三千年来熟し来れる邦語豊に泰西の学術

を融化し得ざらんや学問の独立を計らんと欲せば先づ言語の独立を

計らざるべからず是れ東京専門学校創立の精神にして二十年一日の

如くに教鞭を取りつつある高田、天野、坪内三博士の如きは当時に

於て尚ほ大学々生として研鐙中に在りしが吾人の意思を賛し直に専

門学校創立の業に従事され以て今日の盛運を見るに至れり早稲田大

学が此三博士の力に待つ所ある頗る大なり

 尚ほ我輩は今日の盛況を目撃して転た懐旧の情に堪へざるものあ

りそは故小野梓君にして君が当時有為の才を抱いて我輩と意思を同

じくし東京専門学校創立に熱心尽力されたるにも拘らず不幸二竪の

犯す所となりて今日の盛況を見るに及ぼざりしことは実に遺憾の極

と云ふべし我輩は本日の盛式に際し以上高田、天野、坪内三博士の

功労を謝すると共に故小野君の功績を数ふるを禁じ能はぬのである

 尚ほ終りに臨み早稲田大学は学問の独立を標楴し国家教育の足ら

ざる所を補はんと欲すと錐其費用に至ては向後尚ほ世人の寄附尽力

に待つ所頗る大なるものあらん是れ宜しく来会諸君の諒察を希ふ所

である云々

  ▲伊藤侯爵の演説

 早稲田大学は畏友大隈伯の創立にかかり伯の熱心と職員の奮励は

(89)

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終に今日の隆運を来せるに依ると錐も亦学校経済の途宜しきを得た

るに依らずんばあらず今日は官民挙つて無用の費を省き有為の人材

を養成せんと苦心するの時にして本校の如き幸ひに其目的を達した

る者と謂ふべし然れども其今日に至る迄には幾多の困難に遭遇し特

に本校を以て伯が政党拡張の資に供する者の如く誤認する者多かり

しは最も本校の発達に大なる障害を与へしなるべし乍併此事たる有

眠者は均しく其誕妄なるを知る余は局外者として公平なる観地より

伯が決して本校を政党拡張の資に供せずして教育の神聖を重んじ超

然として政争の外に置かれたるは断言するに躊躇せず

 次に学問の目的は実用にありて学校は社会に出で之を活用する能

力を養成する所且つ教育の主眼は之をして偏侮なからしむるにある

を以て学問に国境なしとの理に依り各国特殊に発達せる学問を能く

取捨撰択して人材を養成せざるべからず若し之を誤ることあらんか

日本の進歩は得て望むべからざるのみならず東洋の一隅に偏在せる

機夷的感念を脱却せざる国民として終るの虞あれば人材養成の任に

当らるる諸君は最も注意せられんことを望む云々

  △加藤文学博士の演説

 余り永からぬ年間に於て四個の公私大学を有するに至りしは我邦

の進歩なるも他邦に比せば未だ吼泥たらざるを得ず欧州は往古より

学問は盛なりしも大学なる者は無く僅に七、八百年前伊国に起り次

で、西、蘭、英、仏、独等に普及したるが乍併其制度たる耶蘇教僧

侶の管掌に帰し居り又学科として神学最も発達し法医の二科之に次

げり理科の如きは実に最近の発達に属す而して其学制は各国各々歴

史を異にするを以て独逸の如きは哲学なる名目O下に法律経済等を

包含し居る如きこれなり我国は之に反し其発達近年なるを以て克く

名実相叶,ふを見る我邦王朝時代の大学寮は範を支那に取り我固有の

制度を斜酌したるものにて明経堂、明法堂、記伝堂、算堂等あり之

が教授を博士と称したる如き恰も今日の大学制度の淵源たる者の如

し次に幕府時代も学問盛大なりしが其制度は王朝時代に異り唯無暗

に読書するを以て能事としたり其後維新となり王朝時代学制の精神

を保持して更に能く発達したる者なり次に現今の公私四個大学を以

てするも之を欧米に比する時は未だ甚しき遜色を免れざるを以て今

後大に大学制度の普及を計ると共に能く其実用に好適する人材の養

成に務めざるべからず云々

  ▲山本日本銀行総裁の演説

 抑も今日の時勢は実業振興の時代にして小にしては一家の経営大

にしては国力の充実皆実業作興の力に待たざるべからず然るに由来

実業家なる者は学問と遠かり学者又実業を軽蔑するの風ありたるが

今日は最早学問なくしては正当に実業に従事し得ないのであつて実

業を軽蔑する学者の如きは到底国家有用の才とは云はれぬのである

我輩の関係する日本銀行の如きは行員凡そ六百名計りあるが其二百

名は皆学校の卒業生にして相当の学問の素養ある者である而して将

来事業界に雄飛せんとする者は学問の外に品性を養ふ必要があるの

で其品性とは堅忍不抜の精神と徳義規律を重んずるの観念である英

国の今日ある独乙の興れる将た米国の富を極むる皆此品性の然らし

めた所である将来我日本の地利を利導して富国強兵を計るは一に学

生諸子の品性の修養に在りと云ふべきである云々

  ▲菊地文部大臣の祝詞大要

 抑も学校の制や単に之を国家の手にのみ委すべからず宜しく私立

の大学を起し国家の足らざる所を補ふべきは今日の急務とする所な

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り大隈伯等夙に蝕に見るあり去る明治十五年東京専門学校を創立し

爾来今に二十年数千の卒業生は天下に普ねく其学海に貢献する所あ

る知るべきなり今や時勢の進歩と共に組織を変更し蝕に早稲田大学

の開校を見るに至るは欣喜に堪へざるなり一言祝意を表す

 〔読売新聞 明治三十五年十月二十日 一面、二段1五段、四号〕

11

@学制改革に対する大学の意見

  (中等補習科と大学予備門に反対)

 文部省が学制改革案を高等数育会議の議に附するに先ち中学校の

補習科と大学予備門とに関し一夜大学教授会の意見を徴せし由なる

が今東京大学教授会の決議の要領なりといふを洩れ聞くに補習科予

備門の両者とも大体に於て文部省の案に不賛成にして補習科を否認

する重なる理由は

第一 大学に進学する者の為めに設くる予備的教育を二分して其一

部分を中学校に附属せしむる時は其教師の学力は大学予備の生徒を

教授するに不充分なるべし

第二 中学補習科より大学予備門に進学するには試験を要せずとは

制度上の空文に過ぎずして実際に於ては各地の補習科より予備門に

上る者多く競争試験にて淘汰するにあらずんば到底収容し切れざる

に至るべし若し斯の如くなる時は淘汰せられたる生徒は其迄に一ケ

年及至一ケ年三ケ月の課程を踏み乍ら今更方向を転じて他の高等実

業学校に入るを快しとせずして次の予備門入学試験迄又候一ケ年又

はニケ年を費やすこととなり空しく年月を経過するか或は一生方向

を誤るに至るべきこと現時の学制に附帯せる弊害と選ぶこと無かる

べし

第三 現時の高等学校に於ては第一学年より既に分科的の予備教育

を施しっっあるに一年乃至一年三ケ月の補習科に於て各科の志望者

を混同して教授する時は勢ひ比較的不必要なる学科をも習学せざる

可からざることと為り為めに必要なる学科の素養が現時の高等学校

生徒よりも劣れることとならん、改革案を以て現制に比較するに学

年は更に短縮せられたる所無きに生徒の学力は勢ひ劣らざるを得ざ

る傾あるは策の得たるものにあらざるべし

第四 現制によれば高等学校生徒は第一学年より第二外国語を学ぶ

事を得るに改革案にては其一学年が補充科に移る事となるべきを以

て大学の予備教育を受くる生徒の第二外国語の学力の著く減退する

の恐ありといふにありて大学予備門に就ては改革案に依れば文部省

の直轄校となるべき筈なるに教授会にては大学の予備門は大学をし

て監督せしむるの利便なるに如かずとの理由を以て諮問案に反対せ

しものなりといふ

 〔読売新聞 明治三十五年十一月十三日 一面、三1五段、四号〕

12

学制研究会の意饗

    △文部省の学制改革案に対し伊沢修二氏談話

 文部省の発表したる学制改革案に就て伊沢修二氏ハ日く一両日中

学制研究会の意見を定め然る後高等教育会議に臨む見込なるが扱文

部省の学制案に対する研究会の意見如何といふに我々ハ既に昨年学

制案を作りて文部大臣に建議したれ.ハ今ハ其建議と今回の学制案と

を照合し案中果して我々の建議の趣意を採用しあるや否やを調査す

れバ会の意見ハ蝕に解決せらる二訳にて賛否何れとも決すべく而し

て若し反対と決すれバ将来執らんと欲する学制に就てハ尚ほ考慮を

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要する事もあるべし、昨年我々研究会の決定したる建議案ハ学制を

法律案と為す事及び中学、大学の組織変更の件にして之を今回文部

省の立案したる学制案に比較すれバ大に径庭ありて俄に賛成を表し

難し試に会の意見と文部省案の違う処を対照せんに小学教育ハ会の

意見も文部省案も別段差違なけれ.ハ之ハ言ふに及ぼずして双方とも

重きを中学、大学に置きたり、

 先づ文部の案より言はんに文部省ハ成るべく大学を緊縮せんとの

主意より大学生を制限せん事を企て之に代ゆるに実業家専門家を養

成する為め新に実業、専門学校を設けんと欲すと称し為に中学より

大学に入るの連絡を絶ちて中学よりハ直に実業、専門両校に入るの

順序となし、別に大学に入らんと欲する者ハ中学の科程を予りし後

尚地方にて一年間中学の補習科に入らしめ更に入学希望者多き時ハ

試験を行なひて大学直轄の予備門に入らしむる方法を執りたり是れ

従来高等学校より大学に入らんとする者の大学狭隆の為め止むを得

ず拒絶的落第を行ふの弊を矯め高等教育まで修めて落第せしむるよ

りハ寧ろ中等教育の中に関門を設くるに如かずとの趣意に出でたる

ものと見えたり

 研究会の意見は全く之と異り智識を具備せる有為の人物を成るべ

く多数に養成するの趣意を以て大学の数も増加し現今の高等工業、

高等商業を始め熊本の工科仙台の理工科等ハ之を大学組識に改正し

此大学を卒業したる者にハ学位を授与せしめんといふに在りて文部

省にてハ大学ハ東京と京都の二大学の外ハ之を建設せざる意見なれ

ども研究会にてハ此二大学を帝国大学としてコンバーシチ!の性質

を帯ばしめ他の大学ハコレージの性質を帯ばしめて各府県に数多設

置し中学校中に三年の高等中学を置きて此科程を了りし者より大学

に入らしめんと欲するなり

 この制度と文部省案とを対照するに文部省の実業学校若くハ専門

学校を大学の名称に改むれバ研究会案と同様なるが如く思はるれど

実際ハ決して然らずして文部省の実業、専門両校ハ中学五年級を了

へし者より採用すれども研究会の大学ハ此五年中学の上に尚ほ三年

の高等中学の科程を修めしめ然る後大学に入らしめんとするにあり

て智識の程度ハ素より同日の談にあらず

 之を軍隊について言へ」.ハ文部省案ハ将官を作る大学の組織なきも

のにて我々研究会にてハ此点に最も重きを置き居るものと知られた

し云々。

 〔読売新聞 明治三十五年十一月二十一日 一面、三段、四号〕

15

学制研究会の報告

第五 大学の数に就て

 甲案に従ヘバ東京、京都の両帝国大学を現在のまL存続するの外

 九州に於てハ福岡医科大学を完成し東北にも亦↓大学を起し其他

 高等学校及び高等実業学校をも完備して漸次大学に改めんとする

 に依り大学の数ハ大に増加すべし

 乙案に従ヘバ大学ハ必ず帝国大学と定め東京京都の二大学校に限

 ることXし現今の福岡医科大学さへも京都帝国大学の一部に改変

 せんとするに依り当分大学の数ハ日本帝国内に二個の外存立を見

 ざるべし

利害 甲案に従ヘバ

の略    、

 口 〃

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 日 〃

 四 私立の学校にても高等完備なる者ハ認めて大学と為すべきに

  依り会て官立大学の企て及ぼざる校風を作り又私人興学の美挙

  をも催すに至るべし

  乙案に従ヘバ

 e 略

 口 〃

 コ  〃

   私立大学ハ永く大学令以外に置かれ各種学校と同一以上の待

  遇を受くる能はざるにより現存の私立学校中大学部と称するも

  の瓦発達を害するのみならず将来完全なる私立大学の興起を見

  ること甚だ難かるべし是れ国家教育の経論として決して妥当な

  りと云ふ可らず

 〔読売新聞 明治三十五年十一月二十五日 五面、二段、四号〕

   明治三十六年(一九〇三)

 - 専門学校令

勅令

朕、枢密顧問ノ諮ヲ経テ、専門学校令ヲ裁可シ、妓二之ヲ公布セシ

ム。

御名御霊

  明治三十六年三月二十六日

           文部大臣 理学博士 男爵 菊地大麓

勅令第六十一号

 専門学校令

第}条 高等ノ学術技芸ヲ教授スル学校ハ専門学校トス。

  専門学校ハ特別ノ規定アル場合ヲ除クノ外、本令ノ規定二依ル

 ベシ。

第二条 北海道府県又ハ市ハ、土地ノ情況二依リ必要アル場二限

 リ、専門学校ヲ設置スルコトヲ得。但シ沖縄県ハ此ノ限二在ラ

  ズ。

第三条 私人ハ専門学校ヲ設置スルコトヲ得。〔中略〕

第十六条 千葉医学専門学校、仙台医学専門学校、岡山医学専門学

 校、金沢医学専門学校、長崎医学専門学校、東京外国語学校、東

 京美術学校、及東京音楽学校ハ本令施行ノ日ヨリ専門学校トス。

 〔官報 明治三十六年三月二十七日〕

 2 私立大学認可

 私立東京法学院を私立東京法学院大学と改称し専門学校令に依る

の件昨日文部大臣より認可告示せり

 〔読売新聞 明治三十六年八月十四日 五面、四段、五号〕

 3 日本法律学校の大学組織

 同校ハ今回愈文部省の認可を経て大学組織に変更し現在の高等予

備科を大学予科に高等法学科を大学部に改め且つ校名を日本大学と

改称せり

 〔読売新聞 明治三十六年八月二十四日 二面、七段、五号〕

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