3
琉球の中継貿易の成功は明を中心とした冊封朝 貢体制という前提がなければ成立し得なかったが、 琉球がほかの朝貢国に比べ優遇されていたことも 有利に働いた。例えば、1474年までは貢期に制限 がなく、年に数回朝貢することも許されていた (後に二年一貢に改められる)。ここで生徒には、 明初期において、琉球がほかの朝貢国とくらべて、 上位の朝貢回数を誇ることを確認させたい。また 日本の朝貢回数が少ないことから、足利幕府の勘 合貿易の推移と関連づけて考察させるのもよいだ ろう。 また、朝貢の際に必要な大型海船も無償支給さ れ、1385〜1540年ごろまで、その支給合計は30艘 を超えた。ちなみに、1406年海寇の討伐の功が認 められ、足利義満も「海舟二艘」を下賜されている が、琉球のように長期間支給された例はほかにない。 世界史 授業実践例 B 琉球が動かした世界史 -15世紀の東・東南アジア交易- 沖縄県立浦添高等学校 野 村 直 美 1 はじめに 新学習指導要領の改訂では、世界史Bの学習に おいて「諸資料に基づき地理的条件や日本の歴史 と関連付けながら理解」(世界史B「1目標」)さ せ、また「同時代性に着目して主題を設定し、諸 地域世界の接触や交流などを地図上に表したり、 世紀ごとに比較したりするなどの活動を通して、 世界史を空間的なつながりに着目して整理し、表 現する技能を習得させる。」(「2内容(3)諸地 域世界の交流と再編 エ.空間軸からみる諸地域 世界」)としている。 今回取り上げる15・16世紀の琉球と東・東南ア ジア交流史の主題学習は、琉球を軸に日本を含む 東アジア世界全体を空間的に理解する上での好教 材であり、新学習指導要領改訂の主旨を反映させ るものとしてますます重視されるものと考える。 本稿では、上記のような視点に、さらに文献史料 を用いながら、琉球と東南アジアとの結びつきに ついて強く意識させる実践内容を紹介したい。 2 琉球と明の関係 -東・東南アジアの朝貢冊封体制- 1372年、琉球国中山王の察度は、開国間もない 明国へ王弟泰期らを派遣し、朝貢貿易の道を開き、 1404年には武寧が永楽帝より正式に冊封され、こ こに以後約500年続く、朝貢冊封体制が完成した。 当時、明の大陸部沿岸では、倭寇などの海賊によ る襲撃・略奪行為や密貿易が横行し、その対応策 として、民間の海上貿易を禁止し、正式な朝貢使 節とのみ貿易を行うという海禁が行われていた。 琉球は、この明の海禁政策のなかで、その存在を 際立たせることになる。授業の導入部分では、こ のような明の冊封体制と海禁政策を理解させたい。 『最新世界史図説 タペストリー 九訂版』p.29「日本と東アジア海域」 ワークシート資料① 明初期の朝貢回数(1368〜1405年) 1位 朝鮮(高麗) …………… 95回  2位 琉球………………………… 70回  3位 シャム(暹羅) ………… 46回  4位 ヴェトナム(安南) 35回  5位 チャンパ(占城) …… 30回  6位 ジャワ(爪哇) ………… 20回  7位 日本、真臘……………… 14回  8位 三仏斉……………………… 6回  『明実録』より ※ただし、哈密、チベット(鳥斯蔵)、マラッカ(満刺加)を除く − 10 −

琉球が動かした世界史 - 帝国書院...琉球の中継貿易の成功は明を中心とした冊封朝 貢体制という前提がなければ成立し得なかったが、

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Page 1: 琉球が動かした世界史 - 帝国書院...琉球の中継貿易の成功は明を中心とした冊封朝 貢体制という前提がなければ成立し得なかったが、

 琉球の中継貿易の成功は明を中心とした冊封朝

貢体制という前提がなければ成立し得なかったが、

琉球がほかの朝貢国に比べ優遇されていたことも

有利に働いた。例えば、1474年までは貢期に制限

がなく、年に数回朝貢することも許されていた

(後に二年一貢に改められる)。ここで生徒には、

明初期において、琉球がほかの朝貢国とくらべて、

上位の朝貢回数を誇ることを確認させたい。また

日本の朝貢回数が少ないことから、足利幕府の勘

合貿易の推移と関連づけて考察させるのもよいだ

ろう。

 また、朝貢の際に必要な大型海船も無償支給さ

れ、1385〜1540年ごろまで、その支給合計は30艘

を超えた。ちなみに、1406年海寇の討伐の功が認

められ、足利義満も「海舟二艘」を下賜されている

が、琉球のように長期間支給された例はほかにない。

世界史� 授業実践例B

琉球が動かした世界史-15世紀の東・東南アジア交易-

沖縄県立浦添高等学校 野 村 直 美

1 はじめに

 新学習指導要領の改訂では、世界史Bの学習に

おいて「諸資料に基づき地理的条件や日本の歴史

と関連付けながら理解」(世界史B「1目標」)さ

せ、また「同時代性に着目して主題を設定し、諸

地域世界の接触や交流などを地図上に表したり、

世紀ごとに比較したりするなどの活動を通して、

世界史を空間的なつながりに着目して整理し、表

現する技能を習得させる。」(「2内容(3)諸地

域世界の交流と再編 エ.空間軸からみる諸地域

世界」)としている。

 今回取り上げる15・16世紀の琉球と東・東南ア

ジア交流史の主題学習は、琉球を軸に日本を含む

東アジア世界全体を空間的に理解する上での好教

材であり、新学習指導要領改訂の主旨を反映させ

るものとしてますます重視されるものと考える。

 本稿では、上記のような視点に、さらに文献史料

を用いながら、琉球と東南アジアとの結びつきに

ついて強く意識させる実践内容を紹介したい。

2 琉球と明の関係  -東・東南アジアの朝貢冊封体制-

 1372年、琉球国中山王の察度は、開国間もない

明国へ王弟泰期らを派遣し、朝貢貿易の道を開き、

1404年には武寧が永楽帝より正式に冊封され、こ

こに以後約500年続く、朝貢冊封体制が完成した。

当時、明の大陸部沿岸では、倭寇などの海賊によ

る襲撃・略奪行為や密貿易が横行し、その対応策

として、民間の海上貿易を禁止し、正式な朝貢使

節とのみ貿易を行うという海禁が行われていた。

琉球は、この明の海禁政策のなかで、その存在を

際立たせることになる。授業の導入部分では、こ

のような明の冊封体制と海禁政策を理解させたい。

『最新世界史図説 タペストリー 九訂版』p.29「日本と東アジア海域」

ワークシート資料①

 明初期の朝貢回数(1368〜1405年)

  1位 朝鮮(高麗)… …………… 95回 

  2位 琉球… ………………………… 70回 

  3位 シャム(暹羅)…………… 46回 

  4位 ヴェトナム(安南)…… 35回 

  5位 チャンパ(占城)… …… 30回 

  6位 ジャワ(爪哇)…………… 20回 

  7位 日本、真臘………………… 14回 

  8位 三仏斉…………………………   6回 

『明実録』より

※ただし、哈密、チベット(鳥斯蔵)、マラッカ(満刺加)を除く

− 10 − − 11 −

Page 2: 琉球が動かした世界史 - 帝国書院...琉球の中継貿易の成功は明を中心とした冊封朝 貢体制という前提がなければ成立し得なかったが、

 船だけでなく、船舶の乗組員や通つう

事じ

(通訳)な

どの朝貢貿易に関わる専門集団も明から派遣され

た。彼らは私的に来琉してきた華人と共に「閩びん

三十六姓」と呼ばれ、「久く

米め

村むら

」(現那覇市久米付

近)という居住スペースを与えられ帰化し、対中

国外交の重要な担い手となっていく。このように、

明の朝貢国への物質的・人的援助などの「撫ぶ

恤じゅつ

(あわれむ)策を最大限に生かし、琉球は、明とい

う大きな後ろ盾=スポンサーを手に入れたのだった。

3 琉球と東南アジア-琉球版「大交易時代」-

 1429年、尚巴志が琉球を統一、琉球王国が成立

し、琉球は朝鮮・日本を含む東アジアから東南ア

ジアにいたるまでの海域において、海上貿易で一

時代を築くことになる。この15世紀、琉球が海外

交易で栄えた時代を、琉球史では「大交易時代」

と呼ぶことがある。

 当時の琉球の海外交易における繁栄ぶりを、「万

国津梁の鐘」として有名な旧首里城正殿鐘(1458

年鋳造)の銘文は、つぎのように表現している。

 琉球国は南海の勝地にして、三韓の秀をあつ

め、大明をもって輔ほ

車しゃ

となし、日域をもって唇しん

歯し

となす。この二中間にありて湧出せる蓬ほう

莱らい

島なり。舟しゅう

楫しゅう

をもって万国の津梁となし、異産

至宝は十じゅっ

方ぽう

刹さつ

に充満せり。

 琉球のおもな貿易相手国はシャム(暹羅、当時

はアユタヤ朝、現在のタイに相当)、マラッカ

(満刺加、マレー半島南部の港市国家)、パレンバ

ン(旧港、スマトラ島南東部の港市国家)、サム

ドラ、マジャパヒト、スンダ・カラパ、ヴェトナ

ムなどであった。なかでも、シャムとの交易は盛

んだったようで、現存史料で48回、琉球から貿易

船が訪れていることが確認されている。琉球側の

外交文書(『歴代寳案』)によると、すでに洪武・

永楽年間(1368〜1424年)から両国の交易は始ま

っており、事実、1389年の琉球から高麗への献上

品のなかに、東南アジア産の蘇木(600斤)や胡

椒(300斤)の品目が見える(『高麗史』)。

 このシャムとの交易の様子を表すものとして、

生徒に両国の間でかわされた外交史料の一例を提

示し、その文面から両国の交易品を確認させたい。

 琉球から明への朝貢品としては、琉球産の硫黄、

馬のほかに、東南アジア産の蘇木、胡椒、象牙が

あげられる。また、琉球からシャム・マラッカへ

の交易品(あるいは国王への贈答品)のなかには、

硫黄のほかに中国産陶磁器や日本産の金、日本刀、

扇、絹織物などの品目が必ずといっていいほど見

受けられる。また、朝鮮(李氏朝鮮)からは仏教

経典や漢籍などが琉球にもたらされた。生徒には、

これら琉球の中継貿易の交易品を、関係国の地理

的位置を地図上で確認させながらワークシートな

どでまとめさせたい。

『新詳 世界史B』p.106「②進貢船が並ぶ那覇港(17世紀)」

『新詳 世界史B』p.106「①15世紀のアジア交易」

− 10 − − 11 −

Page 3: 琉球が動かした世界史 - 帝国書院...琉球の中継貿易の成功は明を中心とした冊封朝 貢体制という前提がなければ成立し得なかったが、

4 西洋人の目から見た琉球人-「大交易時代」  の終わりと大航海時代のはじまり-

 東・東南アジア海域で活躍する琉球人の姿、ま

たはそのうわさは、ヨーロッパ人の関心を引いた

らしい。ここでは、16世紀はじめ、ポルトガル商

館の書記兼会計係職員として東南アジアへ渡った

トメ=ピレスの『東方諸国記』を紹介し、当時の

ヨーロッパ人の見た(あるいは中国人、東南アジ

ア人の間での)「レキオ人」(=琉球人)評につい

て考察させたい。

 同じく、ポルトガル人のディオゴ=デ=フレイタ

スはシャムで実際に琉球人と言葉を交わし、後に

彼は海上で暴風雨に遭った際、「レキオス」のと

ある島へ漂着し、島々の国王から手厚いもてなし

を受けたという。いうまでもなく「レキオス」と

は琉球のことである。これは1542年のことで、種

子島にポルトガル人によって鉄砲が伝来する前年

にあたる。この頃になると日本近海にヨーロッパ

船が頻繁に姿を現すようになっており、琉球への

来航も黄金島「ジパング」への途上であったのだ

ろう。

 日本を目指したヨーロッパ人にとって、琉球は

航海上の重要な目印であり、16世紀のヨーロッパ

の地図には、琉球・台湾にあたる「レキオ・グラ

ンデ」(大琉球)、「レキオ・ミノール」(小琉球)

との表記が見られる。

 しかし、インド航路を発見したポルトガル、ス

ペイン、オランダをはじめとしたヨーロッパの

国々が直接、東南アジアに貿易の拠点を構え、日

本との交易を本格化したことにより、琉球の中継

貿易は衰退の一途をたどることになる。ヨーロッ

パによる大航海時代の到来と、日本との出会いは、

琉球にとってはまさしく「大交易時代」の終わり

を告げるものであった。

 1609年、島津の琉球侵攻により、その後の琉球

は日本にとって海外へ開かれた「四つの口」の一

つ、薩摩藩の窓としての役割を担うことになる。

このような当時の世界情勢の変化と共に歩んだ琉

球の歴史について、生徒たちに議論させるのも面

白いのではないだろうか。

5 最後に

 琉球(沖縄)はその地理的要因により政治的に

翻弄されてきた。幕末のペリー来航、明治政府に

よる琉球処分、戦後のアメリカによる直接統治、

そして現代の米軍基地問題である。筆者は、逆に

その地理的要因を武器に、かつて海外へ挑戦した

レキオ人たちの姿を学ぶことは、我々に現在の沖

縄を理解し、未来の沖縄、日本を考えるヒントを

与えてくれると信じる。ご意見ご批判いただけれ

ば幸甚である。

参考文献豊見山和行・高良倉吉編 『街道の日本史56 琉球・沖縄

と海上の道』 吉川弘文館 2005年桃木至朗編 『海域アジア史研究入門』 岩波書店 2008年沖縄県文化振興会史料編集室編 『沖縄県史各論編3 古

琉球』沖縄県教育委員会 2010年

琉球王国の中継貿易

明(中国) 日 本

琉球王国

東南アジア

陶磁器・銅銭硫

黄・馬

ワークシート資料②

ワークシート資料③

 われわれの諸王国でミラノについて語るように、中

国人やその他のすべての国民は( A )人について

語る。

 彼らは正直な人間で、奴隷を買わないし、たとえ全

世界とひきかえてでも自分たちの同胞を売ることはし

ない。かれらはそれについては死を賭ける。

 (中略)彼らはシナ(中国)に渡航して、マラッカ

からシナへ来た商品を持ち帰る。

 ( A )人は自分の商品を自由に掛け売りする。

そして、代金を受け取る際、もし人々がかれらを欺い

たとしたら、彼らは剣を手にして代金を取り立てる。

  トメ=ピレス『東方諸国記』

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