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1 フェリス教養講義科目 21 世紀のオリンピックとパラリンピック 第 12 回テーマ 建築の世界に与えるオリンピック・パラリンピックのインパクト 担当 文学部 近藤 存志 I. 芸術と機能美 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770- 1831)のことば 家や神殿などの建造物において、ここでとくに問題としたい本質的な点は、そうした建物が、その 外に目的をもつような、たんなる手段にすぎないという点です。小屋や神殿は、そこに住む人間や 神像などを前提とし、そのために作りあげられる。つまり、まずなんらかの必要が存在するのだが、 その必要たるや、芸術の外にあるもので、それをうまく満たすことは芸術とはかかわりのないこと だし、それでもって芸術作品が生みだされることもありません。 1 ・・・・・・建築の使命は、独立自存する精神としての人間や、人間によって造形され設置された客観的 な神像のために、精神そのものの力によって美しく造形された芸術的な囲いを、外なる自然として 打ちたてることにあるからです。この囲いは、もはや自分の内部に意味をもたず、自分の外部に ――人間や、人間の家族生活、国家、儀礼などの必要や目的のうちに――意味を見いだすものとな り、したがって、建築作品としての自立性を放棄しています。 2 ・・・・・・世俗の建築には芸術の入りこむ余地は少ないので、というのも、さまざまな必要のもとに目 的が狭く限定され、それをきちんと満たすことが強く要求されるため、美しさへの配慮は装飾ぐら いにしかゆるされないからです。全体が調和と均衡のとれた形であるという以外には、芸術の出番 があるのは、主として正面玄関、階段、階段の間、窓、戸、切妻、塔などの装飾だけで、全体を通 して機能性が優先されます。 3 ・・・・・・芸術の対象は独立自存する存在として鑑賞されねばならず、それは外からながめる知的なつ きあいの相手であって、欲望や意志をもって実践的につきあうものではありません。 4 ヘーゲル『美学講義』より シャルル・ボードレール(Charles Baudelaire, 1821-67)のことば 役に立つ人間であるということが、私には常に何かひどく醜悪なことに思われた。 5 ボードレール「赤裸の心」より テオフィル・ゴーチエ(Théophile Gautier, 1811-72)のことば 19 世紀フランスの文人。ロマン派の擁護者。「芸術のための芸術」の価値を主張。 功利的に整備された町が、いかなる点でペール・ラシェーズ墓地(ショパン、ビゼー、モディリアーニなど の墓があるパリ市内東部の墓地)より快適な住処になりうるのか、私には納得できない。 美しいものは、何であれ、生活に欠くべからざるものでない。――仮に花をなきものにしてみよ う。物質面では世界はまったく困らない。だが、花のない世界を望む人がいるだろうか? 私だっ たら、薔薇を残して馬鈴薯(ジャガイモ・ばれいしょ)をあきらめる。……

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フェリス教養講義科目

21 世紀のオリンピックとパラリンピック

第 12 回テーマ

建築の世界に与えるオリンピック・パラリンピックのインパクト

担当 文学部 近藤 存志

I. 芸術と機能美

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel, 1770-

1831)のことば

家や神殿などの建造物において、ここでとくに問題としたい本質的な点は、そうした建物が、その

外に目的をもつような、たんなる手段にすぎないという点です。小屋や神殿は、そこに住む人間や

神像などを前提とし、そのために作りあげられる。つまり、まずなんらかの必要が存在するのだが、

その必要たるや、芸術の外にあるもので、それをうまく満たすことは芸術とはかかわりのないこと

だし、それでもって芸術作品が生みだされることもありません。1

・・・・・・建築の使命は、独立自存する精神としての人間や、人間によって造形され設置された客観的

な神像のために、精神そのものの力によって美しく造形された芸術的な囲いを、外なる自然として

打ちたてることにあるからです。この囲いは、もはや自分の内部に意味をもたず、自分の外部に

――人間や、人間の家族生活、国家、儀礼などの必要や目的のうちに――意味を見いだすものとな

り、したがって、建築作品としての自立性を放棄しています。2

・・・・・・世俗の建築には芸術の入りこむ余地は少ないので、というのも、さまざまな必要のもとに目

的が狭く限定され、それをきちんと満たすことが強く要求されるため、美しさへの配慮は装飾ぐら

いにしかゆるされないからです。全体が調和と均衡のとれた形であるという以外には、芸術の出番

があるのは、主として正面玄関、階段、階段の間、窓、戸、切妻、塔などの装飾だけで、全体を通

して機能性が優先されます。3

・・・・・・芸術の対象は独立自存する存在として鑑賞されねばならず、それは外からながめる知的なつ

きあいの相手であって、欲望や意志をもって実践的につきあうものではありません。4

ヘーゲル『美学講義』より

シャルル・ボードレール(Charles Baudelaire, 1821-67)のことば

役に立つ人間であるということが、私には常に何かひどく醜悪なことに思われた。5

ボードレール「赤裸の心」より

テオフィル・ゴーチエ(Théophile Gautier, 1811-72)のことば

19 世紀フランスの文人。ロマン派の擁護者。「芸術のための芸術」の価値を主張。

功利的に整備された町が、いかなる点でペール・ラシェーズ墓地(ショパン、ビゼー、モディリアーニなど

の墓があるパリ市内東部の墓地)より快適な住処になりうるのか、私には納得できない。

美しいものは、何であれ、生活に欠くべからざるものでない。――仮に花をなきものにしてみよ

う。物質面では世界はまったく困らない。だが、花のない世界を望む人がいるだろうか? 私だっ

たら、薔薇を残して馬鈴薯(ジャガイモ・ばれいしょ)をあきらめる。……

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真に美しいものは、何の役にも立たないものに限られる。有益なものはすべて醜い。何らかの欲

求の現れだからだ。そして人間の生理的欲求は、貧相かつ脆弱な本性と同様に、不潔で嫌悪すべき

ものだ。――一軒の家のなかで、何よりも有用な場所は便所である。

功利派諸氏には申し訳ないが、私は余計なものを必要とする人間だ。――事物や友人に寄せる私

の愛情は、それが私に役立つ程度に反比例して深まる。私は使用中の壺よりも、まったく役に立た

ない、竜や清の高官の絵柄をもつシナの壺のほうが好きだ。6

ゴーチエ『モーパン嬢』より

しかしこうした主張は正当なものなのだろうか?

↓ 西洋美術の歴史は機能美の発見、認識、追求とともに発展の歴史を刻んできたではないか。

II. 機能美の原点としての〈身体〉

ギリシア美術(アルカイック期 → クラシック期 → ヘレニズム期)

エーゲ海周辺におこったクレタ、ミケーネ美術の流れを受けて紀元前 10 世紀頃にギリシア美術は誕生。

ギリシア美術は以後 1000 年間にわたって続き、その後の西洋美術に大きな影響を与えた。

→ アルカイック期

アルカイック・スマイル

この時期の彫刻はいずれも「アルカイック・スマイル」と呼ばれる、口の両端をわずかに引き上げ

る微笑みを見せている。

→ クーロスと呼ばれる男性像

→ コレーと呼ばれる女性像

クーロス ➡

どれも正面向きで、直立した姿勢。

両腕をしっかり胴体につけ、かならず左足を一歩前に踏み出

している。

こうした特徴にはエジプト彫刻の強い影響が見られるが、両

足に均等に体重をかけている点と、裸体で表現されている点

で異なる。

以後、裸体像はギリシア彫刻の重要なテーマとなる。

→ クラシック期

オリエントの名残りの消失。

アテネ中心にギリシア様式としてのクラ

シック様式が完成。

ハルモニア(調和)としての完全調和の

人間把握。

カノン

ギリシア語で「基準」。人体各部の理想

的な比率をあらわす。

コントラポスト ➡

人体の立像で、立脚と遊脚を区別するこ

とによって生じる像全体がS字形を描く

ポーズ。

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ルネサンス

知的エリートであった人文主義者は「人間尊重」ということを繰り返し主張、各芸術に人間的尺度を要求。

現実を正確に観察し、自然の諸法則に科学と同様、芸術も従うべきだと唱えた。数学と芸術がもっとも接

近した芸術史上の時代。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

① 理想的な美と自然の原理を解明しようとする実験的情熱

② 科学的研究への集中

③ 視覚的観察を通じた自然界のあらゆる側面への関心とその記録

④ 画家でありながら、彫刻家、建築家としての関心も追求(彫刻、建築の

分野での作品は完成に至っていない)

⑤ 圧倒的な芸術的・知的探求の偉業としての多数の素描および膨大な手稿

具体的事例 → 解剖図素描

建築素描

光と空気遠近法の研究

水流の研究

ミケランジェロ

① 彫刻家、画家、建築家

② ルネサンス最大の影響力を持った人物

システィーナ礼拝堂天井画(1512 年完成)

システィーナ礼拝堂壁画(1541 年完成)

サン・ピエトロ大聖堂建築主任(1557 年、円蓋の模型作成)

③ 盛期ルネサンスの終焉期以降も、盛期ルネサンスの古典主義的理想から大

胆な逸脱を示しながら独自の作風・境地を開拓 → 自在な人体表現を確立

④ プロポーションにおいても、運動においても、自然主義的な標準に囚われ

ることなく高度に内的・精神的な「表現」を追求

三島由紀夫(1925-70)のことば

飛行機が美しく、自動車が美しいように、人体は美しい。女が美しければ、男も美しい。しかしそ

の美しさの性質がちがうのは、ひとえに機能がちがうからである。飛行機の美しさは飛行という機

能にすべてが集中しているからであり、自動車もそうである。しかし、人体が美しくなくなったの

は、男女の人体が自然の与えた機能を逸脱し、あるいは文明の進歩によって、そういう機能を必要

としなくなったからである。7

三島由紀夫「機能と美」より

III. 建築と機能美

ヘーゲルは、建築が「実用」と切り離しては捉えることのできない芸術的創造行為であることを根拠に、

建築を低級な芸術と結論。このことは、ヘーゲルが「実用に奉仕すること」を、建築の本質的な成立要件、

建築が本来有すべき特性である、と考えていたことを示す。

↓ 「実用に奉仕する」ことが「建築が建築たる所以」・「建築が建築であるための要件」と考える伝統

ヴァルター・グロピウス(Walter Gropius, 1883-1969)のことば

20 世紀近代建築を牽引した建築家。バウハウスの教師を務め、ナチス・ドイツによってドイツを追われ

た後、ハーバード大学デザイン学部の学部長に迎えられた。その近代建築思想の影響は今なお絶大。

建築することは生命過程の造形を意味する。家という組織体は家のなかで起っている過程の推移か

ら生ずる。住宅においては住む、寝る、入浴する、料理する、食べる、という機能が、家の全体像

に強制的に形態を授ける。駅、工場、教会堂においては過程は別個であるが、しかしその過程の結

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果としてのみ真の形が生ずるのである。建築造形はそれ自体のために存在しているのではなく、た

だ建築の本性に、建築のみたすべき機能にのみ起因する。8

ニコラウス・ペヴスナー(Nikolaus Pevsner, 1902-1983)のことば

20 世紀を代表する芸術文化史家。芸術文化史研究の視点から、建築をその実用性のゆえに最高位の芸術

創造行為として捉えた人物の一人。フランス印象派の標語「芸術のための芸術」の価値を強く否定。

1902 年にライプツィヒのロシヤ系ユダヤ人家庭に生まれた。ライプツィヒ、ミュンヘン、ベルリン、フ

ランクフルトの各大学で芸術文化史(美術史・建築史)を学び、ライプツィヒ大学で博士号を取得。その

後ドレスデン美術館に勤務し、1929 年からゲッティンゲン大学において美術史・建築史を講義。1933

年ナチスが勢力を拡大する中、ナチスの民族純化法によって大学の教壇を追われ、以後イギリスを拠点に

建築史、美術史、デザイン史、デザイン理論等の分野で活発な研究、教育、執筆活動を展開した。

ペヴスナーは、「ハイ・アート」の研究の傍ら、かなり早い時期から美術

史、建築史研究の視点によって、一般大衆の日常生活を支える実用的生活

空間としての建築や大量生産品に注目。そうした関心の背景には、1930

年代初頭、第2次世界大戦目前の混乱期を生きた彼自身の経験があった。

ワイマール共和国の崩壊から、国家社会主義の台頭、そして全体主義の拡

大へと、目まぐるしく変わる政治・社会情勢の中で、一般社会の様々な営

みが否応なしにその影響を受ける様を目撃し、青年ペヴスナーには「政治

や権力者に利用されない芸術」、「政権や権力者に媚びない芸術」を尊ぶ

意識が芽生えた。戦後、彼は 1928 年から 30 年代にかけての自分を振り

返り、自分の生きた現実社会を直視した時に「美辞麗句をもてあそぶこと

なく、現実の社会問題に対してより一層責任を果たし得る芸術・デザイン

の必要性を感じはじめた」 と述懐した。彼は、芸術には必ず役割と用途

があり、その役割と用途は作者である芸術家の功名心に応えるものでも、

一部の権力者に与するものでも決してない、と主張するとともに、建築は

用途、機能、実用性が備わっているという点で、他のいかなる芸術にも優

る存在であることを確信していた。

・・・・・・建築はすべての視覚芸術の中で最も総合的であり、他の芸術より上位にあるといってよい。

この建築の美的上位性に加えて、社会的上位性が付け加えられる。彫刻も絵画も基本的には共に

創造と模倣の本能に根ざしているが、建築ほど広くわれわれを取り囲むわけではなく、建築ほど絶

え間なく、あまねくわれわれに影響をあたえてはいない。われわれは美術とよばれるものとの交渉

を絶つこともできるが、建物からのがれることはできない。上品にせよ下品にせよ、控えめであろ

うと派手であろうと、また誠実であろうと俗悪であろうと、建築の性格のもつ漠然とはしているが

徹底した影響からのがれることはできない。芸術が人生を豊かにすると信じている人は誰も望むは

ずもないが、絵画のない時代もありえよう。壁にかける絵のなかった時代を考えるのはたやすい。

19 世紀の壁かけ絵の氾濫を思えば、それは望ましい到達点とも言えよう。だがこの世に人間が住

むかぎり、建築を欠く時代はあり得ないのである。

19 世紀に壁かけ絵が壁画を犠牲にし、しまいには建築をも犠牲にして栄えた事実は、病める芸

術が(西ヨーロッパの文明が)墜ちゆく先を見せている。今日美術がその建築的性格を回復してい

るかに見える事実は、将来の探求に望みをもたせる。というのはギリシア芸術も中世芸術も、育ち

盛りであった際、建築が支配的であったからである。まだラファエロもミケランジェロも、建築と

絵画の釣合の立場から思考していた。ティツィアーノやレンブラント、それにベラスケスはそうで

はなかった。壁かけ絵には非常にすぐれた美をつくりだす可能性があるが、その業績は人生の共通

地盤から引き裂かれたものである。芸術における 19 世紀と、もっと強力なごく最近の傾向は、独

立した、うぬぼれの強い画家の付かず離れずの態度が危険なことを明らかにしている。救いは人生

に必要なもの、そして直接に使うもの、そして機能や構造の基本に密着している、芸術としての建

築にのみ求めることができる。9

Nikolaus Pevsner, An Outline of European Architecture より

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IV. 芸術文化の中の〈建築〉

バウハウス(Bauhaus)

第一次世界大戦後、1919 年に、ワイマール美術学校を改組する形でワイマールに開校した総合美術工芸

学校「国立バウハウス」として創立。その歴史はわずか 15 年に満たなかったが、近代デザインの発展に

著しい影響を残したことで世界的に有名な教育機関。1925 年には政治的圧力によって、バウハウスはデ

ッサウに移転され、デッサウ市当局によって運営されることになった。教師陣には、グロピウスの他、マ

ルセル・ブロイヤー(Marcel Breuer, 1902-81)やルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ

(Ludwig Mies van der Rohe, 1886-1969)など、20 世紀建築界を牽引する建築家たちが名を連ねた。

彼らは、人間の生活を取り巻く環境を形成するすべての造形物の統合として建築を捉え、工業技術の発展

と普及が建築に国際的共通性をもたらすことを主張。その後、バウハウスはナチス・ドイツの勢力拡大の

煽りを受けて 1932 年ベルリンへ移転、翌 1933 年には完全に消滅した。バウハウスの教師たちの多くは

アメリカへ渡り、戦後も近代建築の設計・デザイン教育に重要な役割を果たすことになった。

グロピウスが 1961 年、自らのバウハウス時代の日々を振り返って語ったことば

↓ 「人はいかに居住し、いかに働き、動き回り、くつろぐのか。そしてどうすれば生命を与える環境を造り

出すことができるのか。――こうした事柄で我々の頭は一杯だった。 」

↓ 建築 = 人が身にまとう〈衣〉のような存在 =〈皮膚〉としての建築

バウハウスのメッセージ

「すべての造形活動の終着点は建築である。」

V. オリンピック・パラリンピックと建築

〈機能美〉について考える絶好の機会としてのオリンピック・パラリンピック

美を〈競う〉、芸術とコンクール

→ 新しい芸術表現・新しい建築技術の可能性を世に問う絶好の機会

→ 新しい建築の誕生を世に提示する絶好の機会

文化プログラム

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VI. オリンピック・パラリンピック施設の建築

ザハ・ハディドの幻のスタジアム

ザハ・ハディド(Zaha Hadid, 1950-2016)の世界

20 世紀末から 21 世紀初頭にかけて活躍した世界最高

の女性建築家。1950 年、イラクのバグダッド生まれ。

ベイルート・アメリカン大学で学んだ後、ロンドンのA

Aスクール( Architectural Association School of

Architecture/世界最高峰の建築デザイン・スクール)

で建築を専攻。1979 年に独立後も、1987 年までAA

スクール教授として建築デザイン教育に従事。2004 年、

建築界のノーベル賞、プリツカー賞(The Pritzker

Architecture Prize)を受賞、2016 年 2 月には英国建

築家協会のゴールドメダルを受賞。2016 年 3 月 31 日、

米国マイアミを訪問中に急逝。現在も、国際的建築設計

会社「ザハ・ハディド・アーキテクツ」は 400 人の所

員を中心に、世界 55 か国で 900 を超えるプロジェクト

を展開中。

代表作の紹介

■ 香港ピーク計画(アンビルドの傑作)

■ オーストリア、インスブルクのスキージャンプ台

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■ アゼルバイジャン、バクーの文化センター

■ 2012 年ロンドン・オリンピック、ロンドン五輪水泳センター

■ アラブ首長国連邦(UAE)の大手環境管理会社 Bee'ah 本社社屋計画(進行中)

VII. デザインと〈技術〉の問題

→ 西洋の建築芸術文化の伝統に無知だった日本

→ 西洋の建築芸術文化の伝統に無知だった日本の世論を利用した〈政治〉と〈建築・建設業界〉

→ 世界の視線から ―― 建築コンペティション後進国?それとも差別国家?

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VIII. オリンピック・パラリンピック都市の建築文化

都市の観光施設・交通機関他

1964 年――清潔な街をめざした生活向上の試み、マナー向上の啓発活動

2020 年――バリアフリーな社会の真の実現

→ 建築・空間的のみならず、意識とマナーのレベルにおいても

IX. オリンピック・パラリンピック関連の〈建築遺産〉の再評価

事例)国立代々木競技場

1964 年の東京オリンピックの開催に際して建設された競技会場(水泳とバスケットボール)のひとつ。

2020 年の東京オリンピック・パラリンピックでは、オリンピック競技ではハンドボール、パラリンピッ

ク競技ではバドミントンとウィルチェアーラグビーの競技会場として使用される予定。

設計: 丹下健三都市建築研究所

施工: 清水建設、大林組

→〈新しい技術〉と〈美〉の融合

→ 1964 年当時の〈建築的挑戦〉の具現

X. オリンピックとパラリンピックが建築に与えるインパクト

〈新しい挑戦〉のチャンス、〈新しい挑戦〉への情熱

↓ 肉体と精神が「偉大な結婚」をして、〈新しい挑戦〉に立ち向かうチャンス

2020 年東京オリンピック・パラリンピックの場合

〈新しい挑戦〉とは?

↓ たとえば、〈真のバリアフリー社会〉の芸術的・建築的・空間的・市民社会的実現

1 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル『美学講義(中巻)』(長谷川宏訳、作品社、2006 年)229 頁。 2 ヘーゲル『美学講義(中巻)』230 頁。 3 ヘーゲル『美学講義(中巻)』298 頁。

4 ヘーゲル『美学講義(中巻)』219 頁。 5 邦訳は、齊藤磯雄『齊藤磯雄著作集』第3巻(東京創元社、1991 年)439 頁。訳文には一部、手を加えた。 6 テオフィル・ゴーチエ『モーパン嬢(上)』(岩波書店、2006 年)53‐54 頁。

7 谷川渥編『三島由紀夫の美学講座』(筑摩書房、2000 年)182 頁。 8 ヴァルター・グロピウス『デッサウのバウハウス建築』(中央公論美術出版、1995 年)92 頁。 9 Nikolaus Pevsner, An Outline of European Architecture, Harmondsworth: Penguin Books, 1966, p. 16.