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長坂裕二 三重県桑名保健所 所長 保健所って何するところ? 医師に必要な 公衆衛生的視点 地域集団をケアする Ⅱ- 1 特集 地域で学び,地域に学ぶ 地域医療のノウハウ Point 医師法第 1 条の,“医師は,公衆 衛生の向上及び増進に寄与するこ と”の意義を理解し,公衆衛生的 視点を身につけることができる. Point 今後大きく変化する医療政策のト レンドを説明できる.将来の進路 に迷う研修医は,キャリアデザイ ンを考える際の参考にできる. Point 保健所業務の概要を理解すること で,行政や関係機関と円滑な連携 ができる. Point 医師に義務づけされている法的な 届出や多くの医師意見書(診断書) の重要性を理解し,社会における 医師の役割の大きさを説明できる. レジデント 2015/3 Vol.8 No.3 71 はじめに 桑名保健所は,管内の 2 つの基幹型臨床研修病院の協力 施設であり,毎年,数名の研修医を 2 週間のプログラムで 受け入れている( 表1 ).病院からは,「病院で研修できな いことを経験させてほしい」との強い要望がある.ウィン スロー(Winslow)は公衆衛生を「組織された地域社会の 努力を通して,疾病を予防し,生命を延長し,身体的,精 神的機能の増進をはかる科学であり技術である」と定義 している(→メモ 1).また, “すべての”医師は,医師法 第1条により,「公衆衛生の向上及び増進に寄与」するこ とが求められている→メモ2).そのため,医師国家試 験において公衆衛生が 1992 年まで必須科目とされてきた. 1993年からは出題科目を全科とした総合問題形式となっ たが,研修医の話では今でも公衆衛生関連の問題比率が高 いという.桑名保健所は,公衆衛生という広い分野のごく 一部を担う行政の専門機関であることを自覚し,研修医が 公衆衛生の重要性を気づくことを目的として研修を実施し ている. 1. 桑名保健所研修の基本プログラム 全国保健所長会が,「地域保健」研修の内容について,「保 健所研修ノート」(2008 年 3 月)をとりまとめている( 図1 ). これをもとに,桑名保健所では 2 週間という研修期間を考 慮して基本プログラムを作成している( 図2 ).研修の 1か 月前までに事前アンケートにより研修医の意向を尊重し, プログラムの一部を変更することもある.将来,眼科医と して視覚障害者の治療に携わりたいという者には,本人の 希望をふまえ管内の規模の大きな眼科診療所や市の障害福 祉担当部局の研修メニューを用意するなど,研修医の将来 ビジョンに合わせたプログラムとしている. プログラムで重視すること 座学や見学が多くなりがちなプログラムであるが,“見 て”,“聞いて”,“実際にやって(疑似体験)”,“感じて”

特集 Ⅱ-1 · 2020-02-16 · 図3 食中毒を疑ったときには(厚生労働省,日本医師会,全国保健 所長会)3) 図4 死亡診断書記入マニュアル(厚生労働省)4)

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Page 1: 特集 Ⅱ-1 · 2020-02-16 · 図3 食中毒を疑ったときには(厚生労働省,日本医師会,全国保健 所長会)3) 図4 死亡診断書記入マニュアル(厚生労働省)4)

長坂裕二三重県桑名保健所 所長

保健所って何するところ?医師に必要な

公衆衛生的視点

地域集団をケアする

Ⅱ-1特集 地域で学び,地域に学ぶ 地域医療のノウハウ

Point ❶医師法第 1 条の,“医師は,公衆衛生の向上及び増進に寄与すること”の意義を理解し,公衆衛生的視点を身につけることができる.

Point ❸今後大きく変化する医療政策のトレンドを説明できる.将来の進路に迷う研修医は,キャリアデザインを考える際の参考にできる.

Point ❹保健所業務の概要を理解することで,行政や関係機関と円滑な連携ができる.

Point ❷医師に義務づけされている法的な届出や多くの医師意見書(診断書)の重要性を理解し,社会における医師の役割の大きさを説明できる.

レジデント 2015/3 Vol.8 No.3 71

はじめに 桑名保健所は,管内の2つの基幹型臨床研修病院の協力

施設であり,毎年,数名の研修医を2週間のプログラムで

受け入れている(表 1).病院からは,「病院で研修できな

いことを経験させてほしい」との強い要望がある.ウィン

スロー(Winslow)は公衆衛生を「組織された地域社会の

努力を通して,疾病を予防し,生命を延長し,身体的,精

神的機能の増進をはかる科学であり技術である」と定義

している(→メモ1).また,“すべての”医師は,医師法

第1条により,「公衆衛生の向上及び増進に寄与」するこ

とが求められている(→メモ2).そのため,医師国家試

験において公衆衛生が1992年まで必須科目とされてきた.

1993年からは出題科目を全科とした総合問題形式となっ

たが,研修医の話では今でも公衆衛生関連の問題比率が高

いという.桑名保健所は,公衆衛生という広い分野のごく

一部を担う行政の専門機関であることを自覚し,研修医が

公衆衛生の重要性を気づくことを目的として研修を実施し

ている.

1. 桑名保健所研修の基本プログラム 全国保健所長会が,「地域保健」研修の内容について,「保

健所研修ノート」(2008年3月)をとりまとめている(図1).

これをもとに,桑名保健所では2週間という研修期間を考

慮して基本プログラムを作成している(図 2).研修の1か

月前までに事前アンケートにより研修医の意向を尊重し,

プログラムの一部を変更することもある.将来,眼科医と

して視覚障害者の治療に携わりたいという者には,本人の

希望をふまえ管内の規模の大きな眼科診療所や市の障害福

祉担当部局の研修メニューを用意するなど,研修医の将来

ビジョンに合わせたプログラムとしている.

プログラムで重視すること

 座学や見学が多くなりがちなプログラムであるが,“見

て”,“聞いて”,“実際にやって(疑似体験)”,“感じて”

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特集 地域で学び,地域に学ぶ 地域医療のノウハウ

図1 保健所研修ノート2) 図 2 桑名保健所の基本プログラム

表 1 保健所の研修医受入数推移

年度 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014

受入れ実績 2 名 12 名 6 名 2 名 9 名 6 名 10 名

 2004 年(平成 16年)に医師研修制度が始まるにあたり,「地域保健・医療」が必修科目とされたことから作成された.公衆衛生の広い各分野について,一般目標,行動目標など,具体的にまとめられている.全国の保健所で研修が一定のレベルで実施されるように,実施方法や手順などの標準化が図られている.

週 曜日 午前

・オリエンテーション・保健所概要・所長講話

衛生統計・死亡診断書

食中毒・感染症の届出

結核対策

結核対策と公費負担申請事務

精神保健対策

乳児訪問など母子保健対策

健康づくり業務

医療機関(病院)立入検査に同行

在宅ケア研修(強化型在宅支援診療所)

狂犬病・薬事・食品衛生(食肉検査所の見学を含む)

HIV検査・感染症対策

難病対策・特定疾患申請事務

感染症診査会

就労支援B事業所実習

医療安全・医務

所長講話・個別面談

午後

第1週

第2週

72 レジデント 2015/3 Vol.8 No.3

もらうことを重視している.研修医に好評なメニューは,

「病院の医療監視」,「と畜場の見学」,「在宅ケア」である.

「在宅ケア」は,近年ニーズが高まっている「在宅医療」

を病院と遜色ない医療レベルで提供している訪問診療に特

化した強化型在宅療養支援診療所(開業5年で常勤医師5名,

非常勤2名)に,研修を依頼している.医療技術の習得に

余念のない研修医にとって,在宅における患者本人や家族

の高い満足度は新鮮に感じているようである.「在宅ケア」

メニューは,きわめて研修効果が高いと考えられ,委員と

して参加している基幹型病院の研修管理委員会にて「在宅

ケア」を「地域医療」の独立プログラムとすることを提案

している.

2. 医師の届出義務 医師が作成する書類は多岐にわたる.法律で医師に対し

届出義務が課されているものも多い.医師の保健所への届

出にもとづき,保健所職員の具体的な対応を知ることで,

医師の社会に対する義務,役割,影響力の大きさを実感し

てもらうことを目標としている.

研修の内容

 研修では,感染症の1つである結核について具体的な事

例をもとに,医師の届出,保健師の家庭訪問に同行,本人

の公費負担申請に係る医師意見書を作成,感染症診査会で

のプレゼンテーションなど一連の事務的な流れを経験させ

メモ 1 ウィンスローによる公衆衛生の定義Public health is “the science and art of preventing disease, prolonging life and promoting health through the organized efforts and informed choices of society, organizations, public and private, communities and individuals.”(Winslow, 1920)1)

メモ 2 医師法 第 1 条医師は,医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し,もつて国民の健康な生活を確保するものとする.

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図 3 食中毒を疑ったときには(厚生労働省,日本医師会,全国保健所長会)3)

図 4 死亡診断書記入マニュアル(厚生労働省)4)

 外来診療で,患者から「家族 5 人で A 店で食事をしたところ,2 人が下痢をした.A 店が原因の食中毒でしょう」と思い込み強く言われたときは,その場で保健所に電話してほしい. 過去に,患者からの情報をもとに,医師が「食中毒」と病名を記載した診断書を作成したため,保健所が苦労した経験がある.もし,診断書を書かざるをえない状況があるなら,「急性胃腸炎」の診断名でお願いしたい.

 医師には死亡診断書の作成交付の義務が,医師法によって規定されている.(参考)医師抄第19条第2項(応招義務等)

診察若しくは検案をし,又は出産に立ち会った医師は,診断書若しくは検案書又は出生証明書若しくは死産証書の交付の求があった場合には,正当な事由がなければ,これを拒んではならない. 厚生労働省からの疑義照会(90 歳)に,「(ア)直接死因」が“ 老衰 ”,「発病から死亡までの期間」は“90年”と記載があるものの,「(イ)(ア)の原因」以下が空欄となっている“ 哲学的な ”死亡診断書は,記憶に残っている.

Ⅱ-1. 保健所って何するところ? 医師に必要な公衆衛生的視点

レジデント 2015/3 Vol.8 No.3 73

ている.食中毒の届出については,食品衛生監視員から,「遠

慮なく疑いの段階で保健所に電話してほしい」との説明を

受け,お役所的でない保健所を身近に感じたとの言葉が聞

かれている(図 3).その他,特定疾患治療研究事業など

に添付される医師意見書は,保健所担当者が困るポイント

を研修医に伝えるよい機会となっており,研修医と保健所

職員の双方にとってメリットがある印象がある.

死亡診断書 死亡診断書(死体検案書)は,人の死亡に関する法的証

明であり,衛生統計において最も重要な資料となる.厚

生労働省が世界保健機関(World Health Organization;

WHO)の原死因選択ルールにもとづき,「原死因」を確

定する.この際,死亡診断書に記載不備があると,厚生労

働省から保健所に疑義照会がある.この実際の疑義照会事

例を題材に,マニュアルをもとに記載の不備な点を考えて

もらうようにしている.このマニュアルは厚労省のホーム

ページで最新版が公表されている(図 4).平成26年度版

では,在宅死亡が増加することで顕在化した医師法第20

条のただし書きの誤解(経験豊富な医師でも誤解があった)

についても,平成24年8月の国の通知について具体的な解

説がある(→メモ3).

メモ 3 医師法 第 20 条(無診療治療等の禁止)の解釈医師は,自ら診察しないで治療をし,若しくは診断書若しくは処方せんを交付し,自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し,又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない.但し,診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については,この限りでない.

この条文の解釈として,死亡診断書マニュアルに以下の記載がある.“診療継続中の患者が受診後 24 時間以内に診療中の疾患で死亡した場合については,異状がない限り,改めて死後診察しなくても,死亡診断書を交付することを認めています.これは,24 時間を超える場合には死体検案書を交付しなければならないとする趣旨ではありません.診療継続中の患者が,受診後 24 時間を超えている場合であっても,診療に係る傷病で死亡したことが予期できる場合であれば,まず診察を行い,そのうえで生前に診療していた傷病が死因と判定できれば,求めに応じて死亡診断書を発行することができます.ただし,死因の判定は十分注意して行う必要があります.”

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特集 地域で学び,地域に学ぶ 地域医療のノウハウ

図 5 四日市市 安心の地域医療検討委員会報告書(地域医療の推進に向けて〜 2年目の取組〜)11)

 四日市市に派遣された2008 年~ 2009 年(平成20 年~ 21 年)に,在宅医療推進に取り組んだ.医療と介護関係者とともに地域医療のシステムを構築した.現在の,地域包括ケアシステムに相当する. 四日市市の在宅死亡率は,訪問診療に特化した在宅療養支援診療所の開設も相まって,2008年の13.7% が,2012年に18.5%に,また,がんでは,7.3%から18.8%と飛躍的に上昇した.

表 2 近年の国内健康危機管理事例

1995 年 1 月 阪神・淡路大震災

1996 年 7 月 学校給食を原因とした腸管出血性大腸菌感染症

1998 年 7 月 和歌山市毒物混入カレー事件

1999 年 9 月 東海村臨界事故

2000 年 6 月 雪印乳業製品食中毒

2001 年 9 月 国内で牛海綿状脳症が確認

2002 年 冬 重症急性呼吸器症候群(SARS)

2004 年 10 月 新潟中越地震

2005 年 4 月 福知山線尼崎脱線事故

2007 年 7 月 新潟中越沖地震

2008 年 中国冷凍ギョーザ,事故米

2009 年 4 月 新型インフルエンザ(H1N1pdm)

SARS;severe acute respiratory syndrome

74 レジデント 2015/3 Vol.8 No.3

3. 医療制度改革の動向と 研修医のキャリアデザイン 研修医のなかには,将来のコース選択を迷っている者も

少なくない.2017年から開始予定とされる専門医制度の

開始,医療機関の機能分化,在宅医療の推進など医療制度

改革の不透明な潮流のなかで,自分はどのような医師とし

てのキャリアデザインを描くのかという迷いである.

 そのような研修医には,現時点における医療制度改革に

関係した行政情報や三重県における医師不足の現状などに

ついて,資料をもとに伝えている.筆者は,医療制度改革

の始期にあたる2008年(平成20年)に県内初の保健所政

令市に移行した四日市市に派遣され,在宅医療のシステム

化に取り組んだ経験がある(図 5).保健所は,臨床現場

から一歩離れた立ち位置で,医療政策の動向などについて

客観的な情報を入手することができる事務所であり,現在

急務となっている地域包括ケアシステム構築に一定の役割

を果たすことが可能と思われる.

 研修医たちは迷いながら進路を選択し,また,筆者のよ

うに臨床現場から行政へと進路を変更することがあるかも

しれない.医師という職種は,幅広く社会で活躍できる場

は多い.時代はワークライフバランスに配慮した社会シス

テムに変わりつつある.きちんと情報収集を行いながら前

向きに取り組んでいれば,ターニングポイントにおいて柔

軟なコース選択が可能と考えている.ぜひ,医療をとりま

く社会情勢についても関心を持ってほしい.

4. 地域における 健康危機管理の拠点としての保健所 公衆衛生行政の根拠となる地域保健法は,地方自治体に

おける地域保健対策を時代の変化に柔軟に対応させるため

「地域保健対策の推進に関する基本的な指針」を定めてい

る.この指針のなかで,保健所の重要な役割として,「地

域における健康危機管理体制の確保」を挙げている.近年,

発生した主な健康危機管理事例を表 2 に示す.ことに,感

染症については,グローバル化を背景として世界的な急速

な拡大が懸念されている.昨年のエボラ出血熱に関する世

界的な対応は記憶に新しいところである.

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図 6 桑員地域における災害医療対策検討報告書5)

DMAT:災害時派遣医療チーム(disaster medical assistance team)図 7 サルモネラ食中毒の防止対策〜卵関連の食中毒を防ぐために〜 6, 7)

 三重県は紀伊半島の東側に位置する南北に長い県土を有している.そのため,本県の災害対策は県防災計画にもとづき,県庁の災害対策本部のもとに,9 つの地域に設置された県の総合庁舎に属する事務所(保健所を含む)が,災害対策地方部として対応に当たることになっている. 災害医療対策は,県の防災計画との整合性を図り,9つの県庁舎に参集した地域災害医療コーディネーター(DMAT 有資格者や地域医療に精通した医師会など)が,県庁の本部災害医療コーディネーターと連携して,災害時における医療提供体制を構築することとしている.現在,年に 1 回,防災対策部局とともに関係機関および災害医療コーディネーター参加のもと,情報伝達訓練を実施している.

 平成のはじめの頃,鶏卵関与のサルモネラ食中毒が,日本のみならず世界中で猛威をふるっていた.桑名保健所では,2 年間で立て続けに 3件の鶏卵関与の食中毒を経験したことから,全国実態調査を実施し報告書をまとめた.報告書は,鶏卵の生産から流通調査も実施し,生産者の立場を理解するとともに,消費者の視点を重視した.この報告書を厚労省の食中毒関連の会議で説明する機会に恵まれ,食品衛生法の改正に寄与することができた.

Ⅱ-1. 保健所って何するところ? 医師に必要な公衆衛生的視点

レジデント 2015/3 Vol.8 No.3 75

災害医療対策

 また,災害発生時における災害医療対策は,医療法にも

とづき都道府県が作成する医療計画に具体的な記載が求め

られる5疾病5事業の1つとなっている(→メモ4).三重

県は,東海・東南海・南海の巨大地震の被災想定地域であ

り,災害医療は最重要課題となっている.桑名保健所では,

2010年から災害医療対策の検討を開始し,2011年の東日

本大震災を契機に,医療機関情報(病院,医科歯科診療所,

薬局)の集約システムを構築し,関係者との医療情報の共

有を目的として,情報伝達訓練を毎年実施している(図 6).

研修医に対しては,災害医療対策をもとに,すべての医療

機関は地域の重要な社会資源であり,地域における医療機

関の役割を認識するとともに,勤務する医療機関をとりま

く社会環境への関心を持つことの重要性を伝えている.

おわりに 研修プログラムでは,筆者が最初と最後の2コマを担当

することになっている.年老いた保健所長が若い医師に伝

えたいことは,“保健所長は原則として医師である”とい

う規定の重みと考えている.保健所には医師以外に獣医師,

薬剤師,保健師,放射線技師,臨床検査技師,管理栄養士

など多くの専門職が配置されている.いずれの職種も国家

試験で“公衆衛生”が必須科目とされている.そのため,

保健所の日常業務はこれらの専門職が実施することで問題

なく実施される.しかし,保健所業務には医師による公衆

衛生的視点が必要で,全所的な対応が必要となる事案も決

して少なくない.研修医が理解しやすい事例をもとに,保

健所長としての役割を話している.どの保健所長も,“小さ

なプロジェクトX”を持っている(図 7・図 8).興味のあ

メモ 4 5 疾病 5 事業とは…医療法の規定により医療計画に記載する事項として,がん,脳卒中,急性心筋梗塞,糖尿病,精神疾患の 5 疾病と,救急医療,災害時における医療,へき地の医療,周産期医療,小児医療(小児救急医療を含む)の 5 事業のこと.在宅医療を併せて「5 疾病・5 事業及び在宅医療」と呼ばれることもある.

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特集 地域で学び,地域に学ぶ 地域医療のノウハウ

図 8 精神病院で発生したインフルエンザ様疾患集団発生の疫学調査〜健康危機管理における保健所の役割〜 8, 9)

MRSA:メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(methicillin-resistant Staphylococcus aureus),TSS;toxic shock syndrome

 管内の精神病院で,10 数人の超過死亡を伴うインフルエンザの集団発生があった.インフルエンザの迅速キットやタミフルのない時代に,1か月前に発生した集団感染の調査を実施するという保健所にとって厳しい状況だった. インフルエンザの集団発生が,MRSAの院内感染がベースにあった病院で発生したため,毒素性ショック症候群(TSS)患者が多発したことが超過死亡の原因と考えた.MacDonald は,インフルエンザの合併症の 1 つとしてTSSを指摘している10).

76 レジデント 2015/3 Vol.8 No.3

る人は,保健所のホームページにアクセスをしてほしい.

 大多数の者が臨床を志す初期研修のなかで,2週間の短

い期間を保健所研修に費やすことは,決して無駄ではない

と思う.医師法第1条の規定にあるように,すべての医師

に公衆衛生マインドは必要であると考える.

引用文献 1) Winslow CE: The Untilled Fields of Public Health. Science, 51:

23-33, 1920.

2) 平成19年度地域保健総合推進事業費補助金:保健所研修ノート(改訂版).http://www.phcd.jp/02/kenkyu/chiikihoken/pdf/JN_ishi_tmp01_01.pdf(2014年12月閲覧)

3) 厚生労働省:食中毒を疑ったときには.http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/dl/iryou-pamph.pdf

(2014年12月閲覧)

4) 厚生労働省:死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル.http://www.mhlw.go.jp/toukei/manual/dl/manual_h26.pdf

(2014年12月閲覧)

5) 桑名保健所:桑員地域における災害医療対策検討報告書(平成22-24 年度の取組).http://www.pref.mie.lg.jp/WHOKEN/HP/download/saigaiiryou/houkokusyo.pdf(2014年12月閲覧)

6) 桑名保健所:サルモネラ食中毒の防止対策〜卵関連の食中毒を 防 ぐ た め に 〜.http://www.pref.mie.lg.jp/WHOKEN/HP/nenpouhoukoku/sarumo/sarumo.htm(2014年12月閲覧)

7) 長坂裕二・坂井温子・松林光和ほか:Salmonella enteritidis 食

中毒に関する全国調査と細菌学的実験の検討.厚生の指標,44:15-34,1997.

8) 桑名保健所:精神病院で発生したインフルエンザ様疾患集団発生の疫学調査〜健康危機管理における保健所の役割〜.http://www.pref.mie.lg.jp/WHOKEN/HP/nenpouhoukoku/infuru/infuru.htm(2014年12月閲覧)

9) 長坂裕二:精神病院におけるインフルエンザ集団感染について.臨床とウイルス,27:387-405,1999.

10) MacDonald KL, Osterholm MT, Hedberg CW, et al.: Toxic shock syndrome. A newly recognized complication of influenza and influenzalike illness. JAMA, 257: 1053-1058, 1987.

11) 三重県四日市市:四日市市 安心の地域医療検討委員会報告書 地域医療推進に向けて(2年目の取組).http://61.114.233.219/secure/8820/houkokusho.pdf(2014年12月閲覧)

Profile長坂裕二(ながさか ゆうじ)三重県桑名保健所 所長1955年 生まれ.1981年 三重大学 卒業.その後,胸部外科医として三重大学附属病院,兵庫県公立豊岡病院,国立静澄病院 勤務後,1987年 三重県 入職.1988年 三重県熊野保健所 所長となり,県の保健所をいくつか経験.2000年 県庁 障害福祉課長.2008年から2年間,保健所政令市となった四日市市に派遣.2010年 三重県に復職し,現職.