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消費者法ニュース№119 2019.4 4 いった専門家が科学的言説を用いて消費者を 欺罔しようとすれば、消費者は無力です。し たがって、私たちに求められているのは、こ のような被害を減らすために、なぜこのよう な欺罔が許されるのか、このような言説がな ぜこの社会で罷り通るのか、どうすればこの ような虚偽または不適切な言説を是正し、被 害を軽減できるか、それを追究すべきだと考 えます。 本企画は、このような観点からニセ科学と 呼ばれる社会現象を解決すべき社会問題とし て捉え、実情を伝え、解決を模索するもので す。 第 2 ニセ科学の実情 社会問題としてのニセ科学(長島雅裕 「ニセ科学とはなんだろうか」) 科学的根拠がないのに科学的効果や効能を 謳う科学的言説は、商品や役務という市場に あふれかえっているだけでなく、公教育や公 的政策の世界に浸透しています(長島雅裕 「ニセ科学との向きあいかた~社会問題とし てのニセ科学」、本紙118157頁)。 第 1 ニセ科学 ニセ科学とは、科学的に実証されていない にもかかわらず、あたかも科学的根拠が存在 するように見せかける言説です。エセ科学と も呼ばれます。本稿では、科学的根拠が無 い・乏しい、あるいは効果を過大に表現する 不適切な科学的言説を一纏めにニセ科学と呼 ぶこととします。 私たちが取り組む消費者問題にはいたると ころにこのニセ科学が潜んでいます。特に、 健康効果を謳う商品や役務に関しては、消費 者を欺罔する手段として多用されています。 例えば、誰でも健康になれる科学的な力とし てのハンドパワーを取得できるとして多数の 消費者を欺罔し、その欺罔において、現役の 医師が登場し、科学的な実験の結果ハンドパ ワーの存在と効果が存在すると主張していま した(西岡里恵「泰道とアースハート」)。 このような詐欺的な手法について、騙され た被害者を考えが浅いと切り捨てることは容 易いことでしょう。しかし、知識に乏しく、 騙され易いのが消費者です。医者や学者と ニセ科学(概論) 弁護士(福岡) 青 木 歳 男 ニセ科学 ―科学を装った消費者被害―

特集1 ニセ科学ー科学を装った消費者被害― ニセ科学 · 科学的根拠がないのに科学的効果や効能を 謳う科学的言説は、商品や役務という市場に

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消費者法ニュース№119 2019.44

ニセ科学ー科学を装った消費者被害―特集1

いった専門家が科学的言説を用いて消費者を

欺罔しようとすれば、消費者は無力です。し

たがって、私たちに求められているのは、こ

のような被害を減らすために、なぜこのよう

な欺罔が許されるのか、このような言説がな

ぜこの社会で罷り通るのか、どうすればこの

ような虚偽または不適切な言説を是正し、被

害を軽減できるか、それを追究すべきだと考

えます。

 本企画は、このような観点からニセ科学と

呼ばれる社会現象を解決すべき社会問題とし

て捉え、実情を伝え、解決を模索するもので

す。

第2 ニセ科学の実情

1� 社会問題としてのニセ科学(長島雅裕

「ニセ科学とはなんだろうか」)

 科学的根拠がないのに科学的効果や効能を

謳う科学的言説は、商品や役務という市場に

あふれかえっているだけでなく、公教育や公

的政策の世界に浸透しています(長島雅裕

「ニセ科学との向きあいかた~社会問題とし

てのニセ科学」、本紙118号157頁)。

第1 ニセ科学

 ニセ科学とは、科学的に実証されていない

にもかかわらず、あたかも科学的根拠が存在

するように見せかける言説です。エセ科学と

も呼ばれます。本稿では、科学的根拠が無

い・乏しい、あるいは効果を過大に表現する

不適切な科学的言説を一纏めにニセ科学と呼

ぶこととします。

 私たちが取り組む消費者問題にはいたると

ころにこのニセ科学が潜んでいます。特に、

健康効果を謳う商品や役務に関しては、消費

者を欺罔する手段として多用されています。

例えば、誰でも健康になれる科学的な力とし

てのハンドパワーを取得できるとして多数の

消費者を欺罔し、その欺罔において、現役の

医師が登場し、科学的な実験の結果ハンドパ

ワーの存在と効果が存在すると主張していま

した(西岡里恵「泰道とアースハート」)。

 このような詐欺的な手法について、騙され

た被害者を考えが浅いと切り捨てることは容

易いことでしょう。しかし、知識に乏しく、

騙され易いのが消費者です。医者や学者と

ニセ科学(概論)

 弁護士(福岡) 青 木 歳 男

     ニセ科学―科学を装った消費者被害―

特集1

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5消費者法ニュース№119 2019.4

特集1ニセ科学ー科学を装った消費者被害―

学知識の是正には熱心ではなく、寧ろ誤った

科学知識の拡散に多大な貢献をしています。

 メディアには、科学的知識が不適切か否か

を判断する能力が基本的に欠けているのです

が、それでも需要があるため記事が書かれ、

番組が制作されます。科学的に適切か否かを

判断するには、その科学分野に精通した人

材、論文を精読するための時間と費用が必要

となりますが、メディアの現場では不要なコ

ストとされがちなものなのでしょう。

 メディアに対して何らか強い規制が必要で

はないかとの声が上がりますが、表現の自由

との関係から、メディア関係者の良心と自制

に期待する外ありません。しかし、その期待

は大きく裏切られています。

第3 ニセ科学に対抗する法的措置

1 民事的な司法救済

 ニセ科学に対して法的手段を期待する声が

ありますが、あまり大きな効果はありませ

ん。ニセ科学の団体が、誤った科学的知識を

用いて、商品を販売したり、役務を提供する

場合、このような科学的効用を偽った詐欺行

為に対して損害賠償請求等の法的措置を講じ

ることはありますが、それが不適切な科学的

言説を修正する力とはなりません。

 健康食品などの分野であると、その被害は

広く薄く分布し、被害が少額という理由で、

そもそも消費者が法的救済にまでたどり着け

ない傾向があります。

 また、このような少額かつ広範な被害に対

して集団訴訟が提起されることもあります

が、全体からすれば集団訴訟が提起される例

は例外的ですし、仮に提起されても集団訴訟

に参加する被害者はほんの一部です。そし

て、裁判の結果賠償金の支払いが命じられて

も、ニセ科学の科学的言説が否定されること

もなく、ニセ科学を標榜する団体が形を変え

て延命することはよくあることです(西岡理

 ニセ科学の問題は、効果効能に科学的根拠

がないのにあたかも根拠があると思わせる点

が欺罔なのですが、その科学的効能の欺罔が

人の健康や教育・環境問題にまで及ぶと、生

命への侵害や、誤った政策へと社会を導いて

しまいます。公教育にまで忍び込む場合には

個々人の合理的な判断力を育むことを阻害

し、氾濫した不適切な科学的情報に取り囲ま

れてしまう環境においては個々人の合理的思

考の基礎となる客観的な判断材料が奪われて

います。つまり、高学歴な一部の層を除き、

大部分の消費者が「確かなもの」と「不確か

なもの」の区別がつかない、また区別をつけ

ることに意味を見出さない、そういう状態に

あるのではないでしょうか。私たちが、個々

の詐欺事件や不適切な表示にかかる消費者問

題に取り組んでいても、世の中全体が非科学

的な言説を許容しているのですから、一向に

詐欺のネタ(欺罔方法)や不適切な商行為が

減らないのはある意味当然だと思えます。

2� ニセ科学とメディア(松永和紀「なぜ、

エセ科学は広がるのか~メディアの責任

と、食い止める市民の力」)

 ところで、「なぜ、ニセ科学はこの社会に

蔓延り、正しい科学的知識や言説によって駆

逐されないのか、あるいは批判の対象とされ

ることが少ないのか」と疑問が生じないで

しょうか。この国のニセ科学を取り巻くメ

ディアにも問題があります。

 ニセ科学が問題となるのは、誤った科学的

言説が科学との触れ込みでその効果効能を謳

い、それが拡散され、信じてしまう人がいる

からです。したがって、メディアが不適切な

科学的言説をその責任において報じなければ

よいし、誤った科学的言説が流布されていれ

ば積極的に注意を喚起するのがメディアの社

会的責務といえるでしょう。

 ところが、多くのメディアはこの誤った科

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消費者法ニュース№119 2019.46

ニセ科学ー科学を装った消費者被害―特集1

法5条1号と7条2項です。消費者庁は業者

に対して、表示の裏付けとなる合理的な根拠

を示す資料の提出を要求でき、提出がない場

合に行政処分が可能です。例えば、ある健康

食品が、痩身等の何らかの健康効果を謳って

いる場合、健康効果がいかなる合理的根拠に

基づくのか科学論文や検証実験の結果の提出

を求めることができる制度です。

 合理的根拠が提示できないことは科学的根

拠に欠けることを意味しますし、広告・宣伝

分野から排除されるわけですから、不適切な

科学的言説の拡散を抑止する効果を持ちま

す。資料の提出を要求された業者が合理的根

拠(科学的根拠)を提出できる例はほとんど

なく、今までTVや新聞で大々的に宣伝され

ていた有名な健康商品が姿を消したのはこの

規定のお陰といえます。仮に、消費者庁がこ

の制度を大々的に運用できるのであれば、宣

伝・広告分野におけるニセ科学は大きく排除

されるのではないかと期待できるところで

す。

 制度の運営主体である消費者庁に十分な人

員と予算が充てられていないという従前から

の問題があり、是非、消費者庁及びその活動

に対する国民からの強い支持が求められると

ころです。

4� 適格消費者団体(平林有里子「適格消費

者団体等の取組の必要―解決のための「科

学反応―」)

 適格消費者団体とは、消費者の利益を守る

ための活動を主な目的とした、内閣総理大臣

から認定を受けた団体で、消費者にかわっ

て、消費者契約法などに違反する事業者の不

当行為に対して差止請求をする団体です。

 適格消費者団体は、上記第1項で述べたよ

うに、個別に救済していくやり方では、被害

を未然に防いだり、被害の拡大を防いだりす

るのに限界があるために、消費者にかわっ

恵「泰道とアースハート」)。

 勿論、科学的言説を用いた詐欺的契約を消

費者契約法や特定商取引法(クーリング・オ

フなど)の消費者保護法制や民法の規定に基

づいて取り消し、返金を求めること等の法的

対応はできることになっています。しかし、

消費者が必ずしもこのような法律を知って活

用できるわけではありませんので、ニセ科学

を利用する業者や団体からすれば、返金等の

損害は避けることの出来ない必要経費といっ

たところが現実でしょう。

2 ニセ科学を拡散したメディアに対して

 メディアの法的責任を追及することで、ニ

セ科学の拡散を抑止する方法はどうだろうか

と考える向きもあります。ニセ科学はメディ

アを介して拡散され、被害が拡大されます。

したがって、無責任にニセ科学を取り上げる

メディアに対しても法的責任追及されるべき

だとの声は多いのですが、一般的な傾向とし

てメディアに対する損害賠償請求等の法的責

任を認容させるのは容易ではありません。私

たちが、メディアに対して“安易にニセ情報

を拡散した”と感じても、「安易に」という

基準が訴訟で認定されるには大きな壁が存在

しています。

 ただ、日本テレビが「超能力医療としてテ

レビ放映した治療行為が詐欺にあたるとされ

た事件」(東京地裁平成9年5月27日判決、

判タ92号267頁)において、被害者らと日本

テレビとの間には別途和解が成立しています

(『消費者法ニュース別冊 宗教トラブル特

集』42頁)。ハードルは高くとも弁護士とし

てチャレンジを諦めるべきでない選択肢の一

つといえるでしょう。

3 宣伝・広告に対して(合理的根拠の提出)

 ニセ科学を抑止することに大きな効果が期

待できるのが、不当景品類及び不当表示防止

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7消費者法ニュース№119 2019.4

特集1ニセ科学ー科学を装った消費者被害―

わけ公権力が介入してでも危険の除去を図ら

なければならない個別の分野において、介入

の必要性と弊害を検討しつつ、規制が行われ

ています。このような保護の必要性の高い分

野における、個々の規制の充実も、ニセ科学

の弊害を解決する手段となることでしょう

(例えば、薬機法における未承認医薬品の取

り締り強化などです。)。

 このように、ニセ科学の解決は、現象が社

会のあらゆる場面に生じており、学問や表現

の自由と規制(抑止・是正)の兼ね合いが難

しく、一律の解決が困難です。そのためどの

ような解決を目指すのかあまり活発に議論さ

れていないようです。ニセ科学が是正すべき

社会問題だとして、どのような形で是正すべ

きか考えていただきたいと思います(福賴尚

志「ニセ科学問題の公共政策デザイン」)。

て、事業者の不当な行為をやめさせるように

活動をしています。

 適格消費者団体による申し入れ、差し止め

訴訟によって、ニセ科学にかかる販売・広告

行為が是正されていますが、まだ世の中に認

知されもおらず、大きな力は無いと言っても

よいかもしれません。こちらに対しても、国

民からの強い支持が必要です。

第4 解決に向けて

 ニセ科学を抑止・是正するために何ができ

るかは、実は非常に難しい問題です。

 ニセ科学がいくら科学的根拠に乏しいとし

ても、それを発表する自由は憲法で保障され

ています。確かに、ニセ科学のまき散らす弊

害は非常に大きなもので、そのことを知って

いいただくことがこの企画の目的の一つで

す。しかし、だからと言って、それを公的機

関が一つ一つ、当該言説が科学的に不適切で

あると訂正してまわることは許されません。

特定の思想・信条・学説を、公権力が否定す

ることは、学問・宗教・表現の自由の保障を

蔑ろにすることに繋がりかねないからです。

 したがって、基本的には、不適切な科学的

言説は、科学者が批判し、メディアがそのこ

とを報道することによって是正されるべきこ

とになるわけですが、それは科学者やメディ

アの良心と行動力に期待するほかなく、残念

ながら現在十分に機能していません。

 ただ、明らかに誤った科学知識の蔓延によ

る生命身体への脅威を放置する訳にはいきま

せん。例えば、特定の健康食品の摂取が身体

への害悪となる場合、そのことを広く周知

し、注意喚起をする必要があります。思想・

学問・表現の自由の保障と生命身体等への侵

害などの不利益を衡量し、どう調整するかと

いうことになり、それは問題となっている分

野と事例ごとに丁寧に規制を考えていくこと

になります。現在でも、医療や薬品等、とり