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略 歴
生年月日 明治42年(1909)2月28日本籍 福井県三方郡八村北前町昭和9年4月 東京帝國大学医学部卒業 東京帝國大学医学部副手(皮膚科泌尿器科教室)昭和17年3月 東京帝國大学医学部助手昭和19年4月 東京帝國大学医学部講師(外来医長) 召集,昭和21年3月復員昭和21年6月 東京逓信講習所医務嘱託昭和22年11月 東京逓信病院勤務昭和22年12月 東京逓信病院皮膚科医長昭和24年6月 東京逓信病院皮膚科部長昭和27年4月 軟膏療法の研究により逓信大臣賞受賞昭和32年1月 東京大学医学部講師併任昭和36年4月 白癖菌の生態の研究により逓信医学協会賞を受賞昭和41年2月 医師試験審議会委員(2年間)昭和42年10月 東京逓信病院副院長昭和45年4月 鳥取大学医学部講師併任昭和47年11月 国際シンポジウム「光と皮膚」事務局長昭和50年4月 横浜逓信病院院長,東京逓信病院副院長(兼務)昭和50年10月 国際シンポジウム「毛の生物学と疾患」会頭 第39回日本皮膚科学会東日本連合地方会会長昭和54年1月 横浜逓信病院を退職昭和54年n月 勲三等旭日中授章叙勲平成4年5月24日 逝去(享年83歳)
学会関係役職歴 (国内)日本皮膚科学会評議員,日本皮膚科学会名誉会員,日本内分泌学会評議員,日本アレルギー学会評 議員,日本形成外科学会評議員 (国外)AmericanAcademyofDermatology会員,AmericanDermatologicalAssociation名誉会員, 北アタリカ臨床皮膚科学会名誉会員,シンガポール皮膚科学会名誉会員
日本皮膚科学会名誉会員
故 小堀 辰治先生を偲んで
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小堀辰治先生は数年前より体調を崩され,長期間に亙り入院,加療を続けておられましたが平成4年5月24
日早朝,肺炎のため東京逓信病院で83年3ヵ月の御生涯を閉じられました.心よりお悔み申し上げます.
先生は明治42年(1909)2月28日福井県で出生され,旧制第四高等学校を経て東京帝國大学医学部を昭和9
年に卒業され,皮膚科泌尿器科教室に入局,東京帝國大学医学部副手,助手,講師を歴任,軍隊に召集され,
昭和21年3月復員後,昭和54年まで33年の長きに亙り,東京逓信病院では皮膚科医長,部長および副院長,横
演逓信病院では院長として勤務されました.
私は先生に長い間お付き合い頂いた1人で,昭和22年,まだ学生の3年生の時の夏休みに,自宅が東京逓信
病院に近いことから皮膚科の実習を土屋文雄部長にお願いし,小堀先生を紹介して頂いたのが初対面でした.
夏休みの1ヵ月間,皮膚科外来および手術の手伝いと御指導を受けました.先生のその頃の研究は頚動脈体と
皮膚との関連性についてでした.私は皮膚科教室に入局後,昭和25年4月より東京逓信病院皮膚科に勤務する
ことになり,またお世話になりました.既に東京逓信病院では皮膚科は泌尿器科より分離独立しており,先生
は皮膚科部長として勤務しておられました.昭和26年4月の第13回日本医学会総会が東京都で行われるに当っ
ては,東大教授北村包彦先生が第50回日本皮膚科学会総会の会頭としての宿題報告「湿疹ならびに湿疹様疾患
の治療」を発表されるに際し,そのうちの軟膏療法を東京逓信病院皮膚科が担当することとなりました.先生
は軟膏療法の理論付けに意を用いられ,新型の軟膏基剤(乳剤性軟膏,水溶性軟膏)を用いて湿疹類の治療の
研究をされ,併せてそれ等軟膏基剤よりの薬物の皮膚吸収実験を行い新しい治療分野を開かれました.この研
究の発表では本邦医学会で初めて,カラースライドを使用され,その成果により先生は昭和27年度逓信大臣賞
を受賞されました.先生はその後も新しい試みを次々と実行され,昭和29年の日本皮膚科学会総会では宿題報
告の発表に螢光塗料による図表の作製,昭和50年秋には第39回日本皮膚科学会東日本連合地方会の会長を務め
られ,皮膚科領域におけるテレビ診断のシンポジウムを開催し,ビデオテープによる皮膚疾患の診断および生
放映による患者の診断は画期的な事でした.
先生は国際的にも大いに活躍されました.昭和30年秋には米国皮膚科学会に出席のために渡米され,オレゴ
ソ大学,シカゴ大学等を歴訪,シカゴ大学のStephenRothman教授,オレゴソ大学のThomasB.Fitzpatrick
教授等と親交を結ばれ,その後昭和31年に仙台市で開催された日本皮膚科学会総会では,会頭伊藤実教授,理
事長の東大教授北村包彦先生と相談されFitzpatrick教授の来日が実現しました.これは戦後外国皮膚科学者
の本邦学会への招待の嘴矢となりました.当時私はオレゴン大学に宮本正光先生と留学中で,先生の滞在中お
世話をさせて頂きました.滞在中の先生は皮膚科レジデントに対する講義,入院患者の回診等,忙しく過され,
シカゴ市での米国皮膚科学会に出発されましたが,学会終了後のニューヨーク市滞在中盗難に遭われ,再度オ
レゴン大学を訪問され,オレゴンで作製した旅行小切手を換金して,奥様へ当時日本では珍しい大型電気冷蔵
庫を購入されました.これは現在でも御自宅で使用されているとのことです.この先生との数週間は私にとり
一生の思い出となる貴重な経験になりました.帰国後先生はFitzpatrick教授が提唱された土肥記念国際交換
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講座の設立を当時の皮膚科学会理事長北村包彦先生および理事の先生方と相談され,昭和33年新潟市で行われ
た第57回日本皮膚科学会総会(会頭田中宏教授)においてシカゴ大学のStephenRothman教授を招待して第
1回土肥記念国際交換講座が開設されました.本講座は現在世界の最も権威ある講座として注目されており,
日本と世界皮膚科学会との交流に本講座が果した役割の大きさを思うとき,先生の将来への洞察力にあらため
て敬意を表するものであります.その後も2回の国際皮膚科学会を含めて数次に亙る外国出張を行い,海外の
多くの皮膚科学会との親交を深め,絆を結ばれました.一方,先生の医局は海外より留学者を受け入れ,この
間の研究により医学博士を授与されて帰国するものも多く,また多くの医局員の先生方も国外留学され,それ
ぞれの分野で帰国後活躍されています.そうして一方では,昭和47年に国際シンポジウム「光と皮膚」の事務
局長,昭和50年には国際シンポジウム「毛の生物学と疾患」の会頭を歴任され,研究面でも先生の医局は大学
医学部の皮膚科教室並みで,文部省,厚生省の総合研究班の班員として真菌の研究,日光光線と皮膚障害,ソ
ラニンの研究,皮膚科領域におけるレソトゲソ療法,薬物の異常反応と,多くの課題につき研究が行われ,そ
の分野で医局員の多くの先生が医学博士の称号を授与されています.
先生の日本医学会および日本の皮膚科学へのこれ等の絶大な貢献に対して,昭和54年11月勲三等旭日中授章
が叙勲されました.
朗らかさと旺盛な指導力で私どもを導いて下さった先生の死は,さらに国際化を目指すロ本皮膚科学会はも
とより,世界の庫膚科学会にとっても大いなる損失であります.心より先生の御冥福をお祈りすると共に御遺
族の方々の今後の御平安を心よりお祈り致します.
平成4年8月
帝京大学医学部客員教授(溝口病院)
東京大学名誉教授
久 木 田 淳