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環境建築研究の進展 〜空気環境・換気の視点から〜 Progress in research on green buildings From the viewpoint of air environment and ventilation 山中俊夫 1) Toshio Yamanaka 1) 大阪大学大学院工学研究科,教授,博士(工学)(〒565-0871 吹田市山田丘 2-1[email protected]Graduate School of Engineering, Osaka University, Professor, Dr. Eng. 環境建築にとってふさわしい空気環境のあり方を考えるために、CO 2 濃度基準など、現状の換気基準の問題点を述べ るとともに、知的生産性を考慮し、より積極的な快適性を求める考え方について紹介する。さらに、外気を容易に導 入し、省エネルギーを達成できる自然換気技術の研究動向と自然換気を導入する最新現代建築の先進的事例について 解説する。また、自然換気と空調とを併用するハイブリッド換気の考え方を述べ、室内での温度分布を予測すること の重要性と最近の研究例を概観し、最後に、換気量の削減と快適な空気環境を実現できる置換換気や準置換換気につ いて述べ、室内の汚染物濃度分布を予測するための簡易なゾーンモデルの例を紹介する。 室内空気質,換気基準,自然換気,ハイブリッド空調,換気効率 IAQ, Standard for Ventilation, Natural Ventilation, Hybrid Air Conditioning, Ventilation Efficiency 1.はじめに 環境建築研究の進展について、空気環境と換気の観点 から論ずるというお題を頂いた。環境建築、環境共生建 築、環境配慮型建築、グリーンビルディング、様々な言 い方があり、それぞれがどう異なるのかについては多少 の議論もあるかもしれないが、本稿では、パッシブな環 境調整技術と最新の設備技術を用いて実現される、環境 負荷が小さい、省エネルギー・低炭素な建物という意味 として捉え、その様な建物における空気環境調整技術に ついて考えてみたい。 一般に、空気環境と言う場合、空気の持つ物理的特性、 つまり、温度と湿度とともに、新鮮空気に不純物として 混入しているエアロゾルやガス状汚染物質のことを意味 する。しかし、空気の温湿度については、換気の原動力 としての密度変化に影響を与えるものの、空気環境では あまり取り扱わないことも多く、温冷感についてはもっ ぱら熱環境の分野での関心事となる。本稿でも、この様 な旧来の学術領域の慣習に則り、温冷感については触れ ないが、空気の物理特性としての温度については、その 分布の形成など、必要に応じて参照させていただくこと にしたい。 さて、環境建築における室内空気質はどうあるべきだ ろうか。どんな建築であっても、建物内の空気質は在室 者の健康と快適性に悪影響があってはならないことは自 明であり、ことさらに、環境建築特有の空気質について 論ずる必要はないかもしれない。しかし、環境建築を成 り立たせるための必要条件として、最低限空気質はどう あるべきか、という議論はあり得る。その条件は一般的 にどの様な思想で作られた建築であっても、そこに人間 が居る限りは、共通の条件であるが、本稿で改めて議論 し、いま問題となっていることは何であり、今後我々研 究者や技術者は何を目指すべきなのか、問題意識を共有 したいと思う。 一方、健康で快適な空気環境をどの様な環境制御技術 で維持するか、という点で、環境建築の独自性はより明 確になると考えられる。建築家、建築技術者、研究者の みならず、一般的な認識として、建築を機械と見る様な 設計によって立てられた建築は、およそ環境建築とは言 えないだろう。松原 1) が紹介する様に、レイナー・バン ハム 2) は、ミース・ファン・デルローエのファンスワー ス邸とフィリップ・ジョンソンの自邸(グラスハウス) いう非常に良く似たガラス張りのモダニズム建築を例と して、外観が似ていても、環境的という観点で見ると二 つの建物は大きく異なっており、快適な環境を維持する ためのパッシブな環境調節機能が重要であることを説い た。環境に負荷を与えないだけではなく、それを実現す るパッシブな環境調整技術が最大限取り入れられている ことが、環境建築のもう一つの条件であると考えられる。 日射遮蔽、地中熱・気化熱・熱容量の利用など、数ある パッシブ環境制御技術のなかで、空気に関係するものと しては、いわゆる自然換気・通風と漏気を防ぐ気密性能 が代表的である。なかでも自然風や室内外の温度差を利 用した自然換気は日本の環境建築にとって必須とも言え るものであろう。本稿では、空気流動に基づく環境調整 技術としての自然換気・通風に関する研究の進展につい て述べたいと思う。 一方、パッシブな環境制御だけで健康で快適な環境を 維持することはできないことは言うまでもない。現代建

環境建築研究の進展 〜空気環境・換気の視点から〜 Progress in …labo4/www/paper-top... · 現在米国では、ASHRAE Standard 62.1-2013としてさま ざまな空気汚染物質に対応した詳細な基準となっている

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環境建築研究の進展 〜空気環境・換気の視点から〜

Progress in research on green buildings From the viewpoint of air environment and ventilation

山中俊夫 1)

Toshio Yamanaka 1) 大阪大学大学院工学研究科,教授,博士(工学)(〒565-0871吹田市山田丘 2-1,[email protected]) Graduate School of Engineering, Osaka University, Professor, Dr. Eng. 環境建築にとってふさわしい空気環境のあり方を考えるために、CO2濃度基準など、現状の換気基準の問題点を述べ

るとともに、知的生産性を考慮し、より積極的な快適性を求める考え方について紹介する。さらに、外気を容易に導

入し、省エネルギーを達成できる自然換気技術の研究動向と自然換気を導入する最新現代建築の先進的事例について

解説する。また、自然換気と空調とを併用するハイブリッド換気の考え方を述べ、室内での温度分布を予測すること

の重要性と最近の研究例を概観し、最後に、換気量の削減と快適な空気環境を実現できる置換換気や準置換換気につ

いて述べ、室内の汚染物濃度分布を予測するための簡易なゾーンモデルの例を紹介する。

室内空気質,換気基準,自然換気,ハイブリッド空調,換気効率 IAQ, Standard for Ventilation, Natural Ventilation, Hybrid Air Conditioning, Ventilation Efficiency

1.はじめに

環境建築研究の進展について、空気環境と換気の観点

から論ずるというお題を頂いた。環境建築、環境共生建

築、環境配慮型建築、グリーンビルディング、様々な言

い方があり、それぞれがどう異なるのかについては多少

の議論もあるかもしれないが、本稿では、パッシブな環

境調整技術と最新の設備技術を用いて実現される、環境

負荷が小さい、省エネルギー・低炭素な建物という意味

として捉え、その様な建物における空気環境調整技術に

ついて考えてみたい。 一般に、空気環境と言う場合、空気の持つ物理的特性、

つまり、温度と湿度とともに、新鮮空気に不純物として

混入しているエアロゾルやガス状汚染物質のことを意味

する。しかし、空気の温湿度については、換気の原動力

としての密度変化に影響を与えるものの、空気環境では

あまり取り扱わないことも多く、温冷感についてはもっ

ぱら熱環境の分野での関心事となる。本稿でも、この様

な旧来の学術領域の慣習に則り、温冷感については触れ

ないが、空気の物理特性としての温度については、その

分布の形成など、必要に応じて参照させていただくこと

にしたい。 さて、環境建築における室内空気質はどうあるべきだ

ろうか。どんな建築であっても、建物内の空気質は在室

者の健康と快適性に悪影響があってはならないことは自

明であり、ことさらに、環境建築特有の空気質について

論ずる必要はないかもしれない。しかし、環境建築を成

り立たせるための必要条件として、最低限空気質はどう

あるべきか、という議論はあり得る。その条件は一般的

にどの様な思想で作られた建築であっても、そこに人間

が居る限りは、共通の条件であるが、本稿で改めて議論

し、いま問題となっていることは何であり、今後我々研

究者や技術者は何を目指すべきなのか、問題意識を共有

したいと思う。 一方、健康で快適な空気環境をどの様な環境制御技術

で維持するか、という点で、環境建築の独自性はより明

確になると考えられる。建築家、建築技術者、研究者の

みならず、一般的な認識として、建築を機械と見る様な

設計によって立てられた建築は、およそ環境建築とは言

えないだろう。松原 1)が紹介する様に、レイナー・バン

ハム 2)は、ミース・ファン・デルローエのファンスワー

ス邸とフィリップ・ジョンソンの自邸(グラスハウス)

いう非常に良く似たガラス張りのモダニズム建築を例と

して、外観が似ていても、環境的という観点で見ると二

つの建物は大きく異なっており、快適な環境を維持する

ためのパッシブな環境調節機能が重要であることを説い

た。環境に負荷を与えないだけではなく、それを実現す

るパッシブな環境調整技術が最大限取り入れられている

ことが、環境建築のもう一つの条件であると考えられる。

日射遮蔽、地中熱・気化熱・熱容量の利用など、数ある

パッシブ環境制御技術のなかで、空気に関係するものと

しては、いわゆる自然換気・通風と漏気を防ぐ気密性能

が代表的である。なかでも自然風や室内外の温度差を利

用した自然換気は日本の環境建築にとって必須とも言え

るものであろう。本稿では、空気流動に基づく環境調整

技術としての自然換気・通風に関する研究の進展につい

て述べたいと思う。 一方、パッシブな環境制御だけで健康で快適な環境を

維持することはできないことは言うまでもない。現代建

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築においては、電気やガスといったエネルギーの投入に

よる環境制御は不可欠であり、その投入エネルギーを最

小化するための様々な工夫が必要となる。そのための方

策の一つとして、室内の気流制御技術が挙げられる。気

流制御の目的には、室内発生汚染物の制御と、冷暖房の

ための熱移動・拡散の制御、及びファンによる気流の付

加の様な人体の温冷感の改善のための気流制御に大別さ

れる。汚染物の除去と新鮮空気の分配のために行うのが

換気であることから、換気時の気流制御は換気効率とし

て評価され、より少ない換気量で良好な空気質が維持で

きれば、それだけ外気の熱処理にかかるエネルギーの削

減が可能となり、省エネルギーとなる。よって本稿では、

省エネルギーのための室内換気効率向上のための技術に

ついてその研究の進展について述べたい。 2.室内空気質と換気基準

1990年代、日本でシックハウスと呼ばれる住宅での空気の化学物質汚染が問題とされ、2003年の建築基準法の改正で 24 時間機械換気が実質義務化され建材のホルムアルデヒド発散性能の等級化とその使用面積が法律で規

制される様になり、同年の健康増進法の施行により受動

喫煙の状況も以前よりは改善されたかの様に見える。し

かし、ホルムアルデヒド以外の化学物質については規制

対象となっておらず、ウイルスや真菌、細菌などの微生

物汚染も病院を筆頭として、様々な建物で問題視されて

いる。一方、いま問題となっていることの一つが、建築

物衛生法や建築基準法で規定されている室内空気の二酸

化炭素(以下CO2)濃度基準 1000ppmが守られない建物の数が増えていることである。東京都内の特定建物につ

いての調査事例では、1997年以降、室内のCO2濃度の不

適率が徐々に増加しており、1997年で約 15%程度だった不適率が、2011年には 30%程度にまで増加している。この原因の一つが外気のCO2濃度の増加と考えられ、建築

物衛生法の CO2濃度基準のもととなった Yaglou が研究を行っていたころの外気の CO2濃度が 300ppm程度と考えると、およそ 100ppm上昇していることになる。また、都市部では、400ppm以上となる箇所も多いと考えられ、同じ換気量、同じ在室者数でも、室内の濃度は 10年で約20ppm 増加することになる。周知の通り、CO2 濃度

1000ppmはCO2の毒性によって決められたわけではなく、

体臭の除去が主眼であるため、外気濃度の上昇に伴う換

気量の増加は、本来は意味のないことである。 現在米国では、ASHRAE Standard 62.1-2013としてさまざまな空気汚染物質に対応した詳細な基準となっている

が、CO2濃度に基づいて換気量を決める場合には,外気

濃度+700ppm とするべきであるとしている。ただし、CO2は信頼できる確実な空気質指標ではないとも付記さ

れており、体臭だけを対象とする汚染物指標だけで、良

好な室内空気環境を維持できるとは考えられていない。 ただいずれにしても、CO2濃度の基準値については、

現状 1000ppmとされているわけであるから、環境建築においても、建築物衛生法を遵守する立場からは 1000ppmを維持するための換気を行わざるを得ないが、CO2自身

の人体影響は本当に問題ないのであろうか。 一般的に、CO2の毒性としては、1000ppm程度の濃度では、目立った影響はないとされる。しかし、呼吸・循

環と大脳の電気活動に著しい変化を起こすという研究4)もある。低濃度とは言え、血液中の酸素濃度には影響が

ある筈であり、人によっては頭痛や能率の低下につなが

るであろう。以下、換気量と知的生産性に関する研究例

を紹介する。

図1は若年層について、教室環境と学習効率の関係に

ついて調査を行った後藤ら 5)の結果である。学習効率は

ビデオ講義の後に行った確認テストによるものである。

図より、学習効果が換気量と相関があることがわかる。

これまで温熱環境と知的生産性との相関性については知

られていたが、知的生産性にも影響する要因であること

がわかる。 換気量 5m3/hでCO2濃度 4000ppm程度、換気量 30m3/hで 1000ppm程度であることから、この図に示される様な知的生産性への影響が見られるのはかなりの高濃度の場

合であることがわかる。しかし、換気量が大きいほど、

学習効率が高くなっており、環境建築の換気量としては、

可能な限り換気量は大きくするのがよい、とも言えるで

あろう。ただし、ここで学習効率への影響が高濃度のCO2

のせいとは限らず、人体から発生する様々な汚染物、或

いは他の発生源からの汚染物質が原因しているのかもし

れない。 では、現在のCO2濃度の基準値 1000ppm付近では、知的生産性(Workplace productivity)への悪影響はないのであろうか。この問題については、話題となっている研究

例がある。 図2は、600ppm、1000ppm、250ppm の3通りの CO2

濃度の環境下で、22名の被験者に対して、意志決定能力を測定した結果を示したものである。600ppm の CO2は

人の呼吸によるものであるが、1000ppmと 2500ppmについては、600ppmの室空気に 100%のCO2ガスをボンベか

ら発生させている。意志決定能力の測定には、PCを使っ

図1 換気量と平均学習効率との関係 5)

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た戦略マネジメントシミュレーション(Strategic Management Simulation ; SMS )試験が使われ、9種類の意志決定能力が測定された。その結果、1000ppm程度の濃度であっても、600ppm と比較して、明らかに CO2濃

度増加の影響が見られることがわかる。多くの項目で、

統計的に有意な差異が見られている。一方、2500ppmの環境下においても、差異の見られない項目として、

Focused Activity, Information Searchが挙げられる。何かを集中して行う場合や、情報検索では影響がないというこ

とになる。この SMS による意志決定能力への影響だけで、すぐにCO2の有害性を示すものと考えることは早計

かもしれない。しかしいずれにしても、CO2濃度 1000ppmすらも、場合によっては決して十分な空気質レベルでは

ないこともあり、よりグレードの高い空気質の維持を目

指す必要もあるということである。

図2 CO2濃度と意志決定能力との関係 6)

かつて、Fanger は、来るべき時代の換気の考え方を次の様に予見した。 「室内の空気はただ許容されることをだけを目標とし

て設計されるのではなく、最上なる外気と同じくらい快

適で、新鮮で、刺激を受けるものとして知覚されるよう

に設計されることであろう。」 環境時代の建築は、空気質は最上なる外気と同等の快

適さを保つことを目標に設計することも検討してしかる

べきかもしれない。 3.自然換気の理論研究と実建物での活用

たかが自然換気と思う人もいるかもしれないが、され

ど自然換気なのである。これまで、学会で数多くの自然

換気に関する研究が行われて来たことはいまさら言うま

でもないであろう。自然換気のメカニズムについては、

何もそれほど難しいものではないが、窓などの大開口を

通した通風の場合には、その開口部風量の予測は必ずし

も簡単ではない。この通風量計算の問題は以下の三点に

集約される。 ① 大開口通風時に開口がない場合に、通風現象によっ

て建物周辺気流が影響を受けるため、無開口で測定

した風圧係数と通風時の風上開口全圧が等しくなら

ない。 ② 開放窓などの単純大開口では、建物の壁面に沿った

気流の影響によって、流入風向が開口面に対して角

度を持つことが多く、その場合開口部の流量係数が

流入角度に依存する。 ③ 風上開口から室内に流入する気流が動圧を保ったま

ま風下開口に流入するため、いわゆる有効開口面積

(αA:流量係数と開口面積の積)の直列合成の前提である室内での動圧の消滅が完全ではなく、室形

状や開口間距離によって通風量が異なってくる。 この大開口通風時の流量問題については、古くは石原

8)が用いた干渉係数の考え方があり、最近では倉渕ら 10)

の局所相似モデルや甲谷ら 11)のベクトル合成による方法

などがあり、実用的な予測法が開発されつつあると言え

る。一時期、通風現象の画期的モデルとしてパワーバラ

ンスモデルが脚光を浴び(例えば赤林ら 12))、小林ら 13)

による検討も行われたが、データ整備が容易ではないた

め、実用的な予測法にまで発展、確立していない。 以上の様な問題は、住宅や工場など、壁面の面積に比

して大きな開口を有する建物の場合に顕著となるが、例

えば自然換気を採用した事務所建築などに設けられる開

口部の場合には、旧来の換気理論を適用することで大き

な問題はないと考えてよい。 自然換気を利用した事務所建築などの場合には、むし

ろ室内気流に依存する風速、温度、汚染物濃度の分布を

いかに予測するかということが問題となる。特に、一般

に大きな床面積を有する事務所ビルの場合には、窓から

取り入れた外気が水平方向に流れるため、風上側から風

下側に移動する間で、室内発熱による昇温と汚染発生に

よる汚染物濃度上昇が生じ、室内に大きな温度・汚染物

濃度の分布が生じてしまう。この分布をできるだけ小さ

くする様な工夫が必要で、そのための予測手法として、

CFDは得られる情報量が多く、視覚的なわかりやすさはあるものの、実用的には確認に使う程度であり、パラメ

ータ検討を行うためには、簡単に解の得られるゾーンモ

デルの活用が望ましい。 図3は、水平換気に加えてコーナーボイド(以下CV)と呼ばれるガラス張りのいわゆるソーラーチムニーを四

隅に配置した 39階建て超高層事務所建築の例である。室内のCFDを行う前段階として、室内を一つの質点と考えたゾーンモデルを用いて 24階における各開口の流入・流出流量を計算した結果が図4である。ここでは、外気温

度 16℃、室内熱負荷 20W/m2、風向W、直達日射 0 W/m2、

天空日射 100W/m2の場合に、上空風(地上 22.9m)の風速と開口部流量との関係を示したものである。図中に

(Opening Area Increase)とあるのは、CVを閉じた条件でも CVがあるケースと比較するために、水平換気用の

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窓面開口を大きくした条件での結果である。 図より、水平風力換気だけだと換気量が 0となってしまう上空風が 0 の場合でも、CV と併用することによって、25000 m3/h以上の換気量が確保できていることがわかる。CVがある条件でも、風速 4.0m/s 以上では外壁開口からの室内空気が流出し、水平換気が生じる。しかし、

水平風力換気に比べると、外壁からの流出流量は小さい

ことから、室内の温度・汚染物濃度の分布は小さいもの

と予想される。

図3 コーナーボイドを併用する自然換気建物の例14)

図4 上空風速と各開口部流量との関係(24階)14)

この建物と同様に、中

規模の事務所ビルにおい

ても、ソーラーチムニー

を採用した例(図5)も

あり、チムニー内にアシ

スト用のファンが設置さ

れ、潜熱蓄熱材も利用さ

れている意欲的な例と言

えよう。 この様な自然換気の採

用は主として中間期の室

内熱環境の改善を目的と

することが多い。それは、

ファンを用いずに大量の

外気導入ができるという

点に最大のメリットがあ

るからである。もちろん、

駆動力が自然力まかせであることから、ある程度の不確

定さは伴う。故に、その不確定さを補うために、空気調

和設備との併用とする、いわゆるハイブリッド空調シス

テムが構成される。 自然換気をしながら空調を行うハイブリッド空調の研

究は 1990 年代から行われており、初期には近本ら 16)の

研究が代表的である。ハイブリッド空調の基本は、室内

空気よりもエンタルピーの低い外気を導入することによ

って、冷房負荷の削減を図ることであり、そのためには

室内の高温となる部位から室内空気を排出し、外気は居

住域にできるだけまんべんなく供給することが必要とな

る。つまり、室内の気流性状によって外気導入効果が異な

る。この問題に対して、LIMらは水平方向の自然換気を用いる中規模事務所ビルを対象として、表1の様な自然

風の取り入れ方と空調の給排気方式についての8つの組

み合わせ条件に対して、CFD計算による省エネルギー効果の検討を行った。

表1 空調吹き出しと自然換気方式の組み合わせ 17)

図6 空調吹き出しと自然換気方式の組み合わせ 17)

図6は自然換気を併用する場合の、空調負荷と居住

域平均温度の関係を示している。この様な図より、各

方式の特徴を明確にすることができ、基本設計の一助

になる。この場合には、AC-NWH、AC-NWL、つまり、空調の吹き出し・吸い込みは天井、自然換気は窓面同

士という、方式が最も省エネであると読める。しかし、

この図では室内の温度を平均値だけで評価しているた

め、温度の分布に関する検討が不可欠である。典型的

な問題としては、窓面付近で外気を取り入れる場合、

局所的に寒い領域ができてしまい、そのドラフト回避

のために自然換気の利用期間が短くなるという問題が

生じる。そのため、水平換気の場合には、天井面に沿

った吹き出しを行うことで、コアンダ効果による到達図5 PCMとファン併用例 15)

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距離の確保を行うことが重要である。 前章で、環境建築の空気質には、空気質は最上なる外

気と同等の快適さも必要かもしれないと書いたが、自然

換気は大量の外気が利用できることから、その場所の外

気の質に依存するものの、空気質的に必要以上の外気を

使える点でより理想的な換気方式と言える。年中使える

わけではないが、中間期の快適さを保つ有効な手段であ

り、今後も有望な換気方式である。 ところで、本稿ではあえて外気の質については論じて

いないが、PM2.5などの大気汚染物質や花粉の問題はあり、立地条件によっては配慮が必要な場合もあるかもし

れない。騒音や虫の問題も重要であろう。しかし大げさ

に言えば、年間完全空調を至上とした現代建築思想のア

ンチテーゼとしても、自然換気建物は重要な意味を持っ

ており、ナイトパージの有効な手段でもあり得ることか

ら、今後も様々な検討と挑戦が行われると期待される。 4.室内の汚染物濃度分布と換気効率

ハイブリッド空調は分布が重要であることを前章で述

べたが、空気質の観点からは汚染物の濃度分布が重要で

ある。換気の最も大きな目的が居住者が呼吸する空気の

質の確保であることから、換気効率の高い換気方式に関

する研究は非常に重要である。 効率の良い換気の代表格が、置換換気(Displacement

Ventilation)である。欧米、特に北欧で発展した置換換気は、断熱性の高い室において、人体などの発熱に伴う上

昇気流を利用して、汚染物の室上部に滞留させたのち排

気することで、濃度境界面より下部の居住空間の空気質

を給気濃度と同等に保つ効率的な換気方式のことを指す。

もともとは工場などの大空間で採用された手法と聞く。

一般には、室温より低温空気を室下部から低風速で供給

し・・・という様な説明がされるが、基本的に置換換気

は冷房であり、室内表面に窓面の様な冷熱源がある場合

には、別途その処理はしなければならない。 置換換気は北欧では実施例が多いが、日本ではそれほ

ど多用されることがない。その理由は、床面積の有効利

用とディフューザーの高額さ、全外気運転の難しさ、室

の断熱性・気密性の低さ、空気質に対する意識の低さな

どが原因ではないかと推察する。一方床吹きだし空調は

様々な建築で採用され、置換換気に近い換気効率を実現

できる方式として採用の事例も多い。 日本での置換換気普及の阻害要因となっていると思わ

れるのが、室の窓面での貫流熱の影響である。この問題

に対して、山田らは、放射パネルを設置した病室(図7

参照)を対象として、窓が面している外気温度を変化さ

せて、模擬人体から発生させたCO2濃度の鉛直分布がど

のように想定外気温度によって影響を受けるかについて

検討を行った。図8はパネルの表側と裏側でのCO2濃度

の鉛直分布を比較したものである。ベッドとパネルとの

間に 30cm の隙間があることから、パネルの上昇気流、

人体からの上昇気流、窓面からの下降(上昇)気流のエ

図7 放射パネルと置換換気を併用する病室実験室

図8 想定外気温度が汚染物濃度の鉛直分布に及ぼす影響 (吹き出し温度 25℃、パネル温度 40℃、換気量 200m3/h、 人体発熱 40W)

レメントが室温に影響を及ぼして、低温の外気温度で濃

度分布の崩壊が生じ、高温の外気の場合には、人体から

の上昇気流の停滞現象が見られることがわかる。 一方、この様な現象は実験によらずとも、比較的簡単

なゾーンモデルで予測計算を行うための研究も行われて

おり、Yamanakaら 19)、鈴木ら 20)の汚染物濃度に関する

ゾーンモデル、稲垣ら 21)の温度分布との連成モデル(図

9参照)などがある。これらのモデルを活用することに

より、必要な外皮の断熱性が検討され、日本でも置換換

気システムの本格導入時代が来ることを期待する。しか

し、前章で述べた自然換気との併用を考えるとき、置換

換気の採用はインテリア側の個室にこそ活路があると言

えるであろう。

図9 置換換気室の温度・汚染物濃度分布予測モデル 21)

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ただし、病室での置換換気の採用に関しては、ウイル

スを含む飛沫核が気中に停滞する恐れがあることを懸念

する意見もあり、すべての病室で採用可能とは言えない

かもしれない。これらの問題については、今後のさらな

る研究が必要である。 ところで、床吹きだし空調については、熱的な観点か

らの研究が多く、室内の汚染物濃度分布については議論

されることが少ない様に感じる。山中ら 22)は、床吹きだ

し空調の換気効率に着目し、人体発生する室内の汚染物

濃度の鉛直濃度分布について検討し、その予測モデルを

開発している。換気効率の良い換気設計は省エネルギー

のみならず、新鮮で清浄な空気の供給という大きな利点

を持つ。

図10 床吹き準置換換気モデル 22)

a) 給気:253m3/h・0.64m/s b) 給気:432m3/h・1.13m/s 図11 床吹き準置換換気での室内汚染物濃度分布 22)

5.おわりに

環境建築に相応しい空気質や換気技術はどの様なもの

であるか、シンポジウムでの議論ができればよいと考え

ている。本稿については、多少我田引水的な展開となっ

たかもしれないが、読者の方々にとって、何かしら参考

になるところがあったとすれば、幸いである。 参考文献 1) 大野秀夫,久野覚,松原斎樹ら:「快適環境の科学」,朝倉

書店,1993年 2) レイナー・バンハム(訳:堀江 悟郎):「環境としての建

築―建築デザインと環境技術」,鹿島出版会,1981年 3) (財)日本建築衛生教育センター:「改訂 建築物の環境

衛生管理」,p.385,2014年 4) 楢崎正也:「室空気質と必要換気量」,GBRC,Vol.38,

pp.21-30,1985年 4月 5) 後藤伴延,伊藤一秀:「若年層(16~22歳)を対象とした

温熱・空気環境の質が学習効率に及ぼす影響の検討」,日本建築学会環境系論文集,No.655,pp.767-774,2010年 9

月 6) Usha Satish, Mark J. Mendell, Krishnamurthy Shekhar,

Toshifumi Hotchi, Douglas Sullivan, Siegfried Streufert and William J. Fisk : “Is CO2 an Indoor Pollutant? Direct Effects of Low-to-Moderate CO2 Concentrations on Human Decision-Making Performance”, Environmental Health Perspectives, Vol.120, No.12, December, 2012

7) P. O. Fanger : "THE PHILOSOPHY BEHIND VENTILATION : PAST, PRESENT AND FUTURE", Proceedings of INDOOR AIR '96, Vol.4, pp.3-12, 1996

8) 石原正雄:「建築換気設計」,朝倉書店,1969 年 10) 倉渕 隆,大場正昭,遠藤智行,赤嶺嘉彦:「局所相似モデ

ルの概念と風洞実験による検証 : 通風時の換気量予測法に関する研究(第 1報)」,日本建築学会環境系論文集,第607号,pp.37-41,2006年 9月

11) 甲谷寿史,山中俊夫:「Prediction of Inflow Direction at Large Opening of Cross Ventilated Apartment Building」,日本建築学会環境系論文集,第 609号,pp.39-45,2006年 11月

12) Murakami, Kato, Akabayashi et al.: ”Wind Tunnel Test on Velocity Pessure Field of Cross-Ventilation with Open Windows”, ASHRAE Transactions 97 Part1, pp.525-538, 1991.

13) Tomohiro Kobayashi, Kazunobu Sagara, Toshio Yamanaka, Hisashi Kotani, Mats Sandberg : “Power transportation inside stream tube of cross-ventilated simple shaped model and pitched roof house”, Building and Environment, 44, pp.1440–1451, 2009

14) 大森啓充, 山中俊夫, 甲谷寿史, 桃井良尚, 相良和伸, 環翼, 高山眞, 田辺慎吾, 岡本尚, 和田一樹, 田中規敏:「コーナーボイドを有する高層オフィスビルの自然換気性能に関する研究(その6)熱・換気回路網計算による自然換気特性の検討」,空気調和・衛生工学会近畿支部学術研究発表会論文集,pp.277-280,2014年 3月

15) 長谷川巌,山中俊夫,甲谷寿史,桃井良尚,相良和伸,落合奈津子:「太陽熱・ファン併用型シャフトを有するテナントオフィスビルの自然換気に関する研究(その1)自然換気システムの特徴と自然換気運用状況」,日本建築学会大会学術講演梗概集,pp.717-718,2013年 9月

16) 近本智行,村上周三,加藤信介,北村規明,HO Wen Yue,金 泰延:「冷房時のオフィス空間における自然換気併用ハイブリッド空調方式に関する研究(その1)自然換気併用空調の必要性と効果」,学術講演梗概集 D-2,環境工学 II,pp.597-598,1997年 7月

17) LIM EUNSU, 山中俊夫, 相良和伸, 甲谷寿史, 桃井良尚:「風力換気併用ハイブリッド空調を導入したオフィス室内における温度・汚染物質濃度分布及び省エネルギー性」,日本建築学会環境系論文集,第75巻,第648号,pp.171-178,2010年 2月

18) 山田順也,山中俊夫,相良和伸,甲谷寿史,桃井良尚,CHOI NARAE,山下植也:「置換換気と放射パネルを併用した病室のセミパーソナル空調に関する研究(その 14)窓面の上昇・下降気流が汚染物濃度分布に与える影響及び予測モデルの精度検討」,空気調和・衛生工学会学術講演会講演論文集,pp.217-220,2009年 9月

19) Toshio Yamanaka, Hisashi Kotani and Ming Xu : “Zonal Models to Predict Vertical Contaminant Distribution in Room with Displacement Ventilation Accounting for Convection Flows along Walls”, Proceedings of ROOMVENT 2007, Helsinki, June, 2007

20) 鈴木智也,相良和伸,山中俊夫,甲谷寿史,岩村集,山下植也:「置換換気される病室の放射パネル設置時における室内鉛直汚染物濃度分布予測に関する研究」,空気調和・衛生工学会論文集,No.140,pp.21-28,2008年 11月

21) 稲垣達也,山中俊夫,相良和伸,甲谷寿史,桃井良尚,山下植也:「置換換気を導入した病室内の鉛直温度・汚染物濃度分布予測法に関する研究(第2報)鉛直温度・汚染物濃度分布の予測モデルに関する提案」,空気調和・衛生工学会学術講演会講演論文集,pp.2021-2024,2011年 9月

22) 山中俊夫,甲谷寿史,宮本敬介:「床吹出し空調システムの換気性能に関する研究(第1報)円形吹き出し口の場合における室内汚染物濃度の鉛直分布予測手法,空気調和・衛生工学論文集,No.112,pp.13-21,2006年 7月