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1 ふるさと創生・人口減少調査特別委員会会議記録 ふるさと創生・人口減少調査特別委員会委員長 佐々木 朋和 1 日時 平成 28 年4月 14 日(木曜日) 午前 10 時1分開会、午前 11 時 50 分散会 2 場所 第1委員会室 3 出席委員 佐々木朋和委員長、川村伸浩副委員長、髙橋元委員、阿部盛重委員、工藤勝子委員、 岩崎友一委員、福井せいじ委員、飯澤匡委員、工藤大輔委員、五日市王委員、 斉藤信委員、小西和子委員 4 欠席委員 なし 5 事務局職員 大山担当書記、滝澤担当書記 6 説明のため出席した者 特定非営利活動法人SET 代表理事 三井俊介氏 7 一般傍聴者 1名 8 会議に付した事件 (1) 調査 新しい生き方、働き方を創る ~陸前高田市広田町での挑戦~ (2) その他 ア 委員会県内調査について イ 次回の委員会運営について 9 議事の内容 ○佐々木朋和委員長 それでは、時間になりましたから始めたいと思います。 おはようございます。ただいまからふるさと創生・人口減少調査特別委員会を開会いた します。 委員会を開きます前に、当特別委員会の担当書記に異動がありましたので、新任の書記 を紹介いたします。 滝澤担当書記。よろしくお願いいたします。 これより本日の会議を開きます。 本日は、お手元に配付しております日程のとおり、「新しい生き方、働き方を創る ~陸

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ふるさと創生・人口減少調査特別委員会会議記録

ふるさと創生・人口減少調査特別委員会委員長 佐々木 朋和

1 日時

平成 28年4月 14日(木曜日)

午前 10時1分開会、午前 11時 50分散会

2 場所

第1委員会室

3 出席委員

佐々木朋和委員長、川村伸浩副委員長、髙橋元委員、阿部盛重委員、工藤勝子委員、

岩崎友一委員、福井せいじ委員、飯澤匡委員、工藤大輔委員、五日市王委員、

斉藤信委員、小西和子委員

4 欠席委員

なし

5 事務局職員

大山担当書記、滝澤担当書記

6 説明のため出席した者

特定非営利活動法人SET 代表理事 三井俊介氏

7 一般傍聴者

1名

8 会議に付した事件

(1) 調査

新しい生き方、働き方を創る ~陸前高田市広田町での挑戦~

(2) その他

ア 委員会県内調査について

イ 次回の委員会運営について

9 議事の内容

○佐々木朋和委員長 それでは、時間になりましたから始めたいと思います。

おはようございます。ただいまからふるさと創生・人口減少調査特別委員会を開会いた

します。

委員会を開きます前に、当特別委員会の担当書記に異動がありましたので、新任の書記

を紹介いたします。

滝澤担当書記。よろしくお願いいたします。

これより本日の会議を開きます。

本日は、お手元に配付しております日程のとおり、「新しい生き方、働き方を創る ~陸

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2

前高田市広田町での挑戦~」について、調査を行いたいと思います。

本日は、講師として特定非営利活動法人SET、代表理事、三井俊介様をお招きしてお

りますので、御紹介いたします。

○三井俊介講師 三井です。よろしくお願いします。

〔拍手〕

○佐々木朋和委員長 三井様の御略歴につきましては、お手元に配付している資料のとお

りでございます。

本日は、「新しい生き方、働き方を創る ~陸前高田市広田町での挑戦~」と題しまして、

陸前高田市広田町において、交流人口の拡大や定住者の増加に向け、都市と地方の交流事

業や復興まちづくりの支援などを行っている特定非営利活動法人SETの活動についてお

話しいただくことになっております。

三井様におかれましては、御多忙のところ、このたびの御講演をお引き受けいただきま

して、まことにありがとうございます。改めて感謝を申し上げます。

これから講師のお話をいただくことといたしますが、後ほど三井様を交えての質疑、意

見交換の時間を設けておりますので、御了承願いたいと存じます。

それでは、三井様、よろしくお願いいたします。

○三井俊介講師 よろしくお願いいたします。それでは、立っていたほうが話しやすいの

で、立ったままお話しさせていただきます。

このたびは、貴重な機会をいただきまして、ありがとうございます。私たちは東日本大

震災が起こった直後から活動を始めていましたので、その歩みと今後の展望について、こ

れから 60分ほどお話をさせていただければと思います。

本日の流れですが、簡単に自己紹介をさせていただきまして、その後SETという私た

ちの組織の概要について、そして目指すこととこれまでの実績について、それに至るまで

の背景というかストーリーをお話しさせていただき、最後に4年間の学びと大切にしてき

たことをお話させていただければと思います。

自己紹介になりますが、1988 年に茨城県のつくば市で生まれました。ことしで 28 歳に

なります。

大学は法政大学の国際政治学科に入学しまして、専攻は開発協力で座学だけではなく、

自分自身でも開発協力を実践したいということで、私自身サッカーが好きだったのでサッ

カーと国際協力を結びつけて行う学生団体WorldFutを設立して、3年間代表とし

て組織を運営しておりました。この団体は、後輩に引き継ぎまして、今も学生のメンバー

で活動を続けて、7代目まで続いているようです。

大学3年生のときには、民間で初めてのソーシャルビジネスを専門に扱う社会起業大学

というビジネススクールに1期生として入学して、社会課題を解決しながらそれをどうビ

ジネスにしていくかということを勉強しておりました。

震災が起こった 2011年3月 11日の2日後には今の組織を立ち上げて、震災支援に関す

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る活動を開始しました。

2012年4月に大学を卒業して、それと同時に、就職をせずに陸前高田市へ移住しました。

その後1年間さまざま模索をする中で、これからもずっと震災支援に関する活動を続けて

いきたいという思いから、2013年6月にNPO法人化して理事長に就任しました。

そんな中、プライベートな話なのですけれども、2014年4月に、東京にいるときからお

つき合いしていた彼女を迎えて結婚し、昨年の5月に無事に子供が生まれて、今家族3人

で暮らしているところです。

昨年、2015年9月には陸前高田市議会議員の選挙がありまして、地元の方から推薦して

いただいたことと、自分自身そこに挑戦しようというふうに思ったことから挑戦しました。

無事に当選することができて、今はNPO法人SETの代表理事としてと、あとは市議会

議員として、両輪で移住定住をふやすような取り組みを行っております。

私たちNPOの組織概要になります。設立は3月 13日になりまして、現在は 57名のメ

ンバーで運営をしております。現地には、済みません、資料に4名と書いてあるのですけ

れども、現在は3名で活動をしております。首都圏の大学生、社会人がボランティアでか

かわってもらい、現在 54名活動をしているという状況になります。

私たちの法人の目指すことになります。どんな社会を創り出したいかといいますと、一

人一人のやりたいをできたに変え、日本の未来に対してGoodなChangeが起こっ

ている社会を創るということで、メンバー全員でこういうような社会を目指して活動して

いこうという文言をつくりました。

私たちは、陸前高田市の広田町という1個の町で活動をしていますが、その広田という

町だけがよくなればいいのかというとそうではなくて、やはり広田町が抱える問題、陸前

高田市が抱える問題というのは、これから日本全国でも起こり得る問題だと考えておりま

すので、広田町での課題を解決することで、日本がこれから直面するであろう問題の解決

策をつくっていきたい、それによって日本全体に対していい変化を起こせるような社会を

創っていきたいというふうに思っています。

その中でも大切にしていることとしては、大きいシステムをつくるのではなくて、目の

前の一人一人の方に向き合って、その方のやりたいという思いを一緒にできたに変えてい

くことを何よりも大切にしています。

そのために我々が行っていることは、スライドの下段にあります自分らしく、社会を創

る生き方、働き方をする人をふやす。もうちょっと落としていくと、自分らしく町をつく

る、町の担い手を育てるような人材育成の事業を展開しております。

簡単に広田町の説明をさせていただきますと、陸前高田市は気仙沼市と大船渡市に挟ま

れた岩手県の一番南のところにありまして、広田町という場所は半島の部分に突き出てい

る、ちょうどスライドの赤丸でくくられている場所になります。人口 3,500名で、約 1,000

世帯ぐらいの町になります。半島ですので、海が近くて、山あいにスライドの写真のよう

な形で家が建ち並んでいて、皆さん家庭菜園をしていて、半自給自足のような生活をされ

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ています。メーンの産業は漁業、主に養殖でワカメ、カキ、ホタテなどを行っております。

この写真のような古い日本の古民家というかそういうようなおうちに住まわれている方が

多くて、マンションとかそういうものはほとんどない町になります。伝統や文化を大切に

している場所になります。

これは、私が住んでいる地区の出し物で、20 メートルのはしごがあるのですけれども、

そこに命綱なしで上って虎舞を舞います。昨年ちょうどこの4年に一回のお祭りが行われ

て、私も参加させていただいて、写真のこの役をやらせてもらって、練習のときに父がい

わきから見にきてくれたのですけれども、やっぱりおまえはばかなんだなという感じで。

でも、私自身つくば市で生まれ育ちましたが、つくば市というのは移住者が多い町で、伝

統とか文化って余りない町だったのです。なので、こういう町の文化とか伝統に入れても

らえる、自分がそれを担わせてもらえるというのはすごくうれしい体験でした。

私たちの課題認識としましては、広田町、陸前高田市といってもさまざまな問題があり

ます。例えば高台移転に伴ってコミュニティーの問題が生まれたりですとか、高齢化に伴

う交通の問題、あとは本日のテーマであります若者の流出だったり、ほかは漁業などの産

業の衰退、あとは子供の教育の問題など、さまざまな問題があると言われています。

しかし、例えばそれにすばらしい解決策が出たとして、じゃあそれを誰が実行するのか

ということが考えていく中でだんだんわからなくなってきました。日本全体が 2100年には

5,000 万人、今の約2分の1から3分の1ぐらいの人口まで縮小するというふうに言われ

ている中で、すばらしい解決策をたとえ出したとしても、それを解決する人がいなければ、

こういうさまざまな問題というのは解決へ向かわないのではないかというふうに考えまし

た。

そこで、私たちはこういう問題に対して解決しようと思う、社会を担う、町を担ってい

く人を育てることが何より大事なのではないかという課題認識に基づいて活動をしていま

す。

その中で、広田町のために活動する人が住民の方でも少ないのですけれども、なぜ少な

くなっているのかということについて考えたのがこの図になります。一番上のところから

説明させていただくと、今広田町でも、陸前高田市全体でもですが、人はどんどん減って

いってしまっているし、仕事も少なくなっているというのは、データとして出ているので

す。ただ、それが続いたことで町がなくなってしまうというふうに地元住民の方が思うか

というと、そうではないと思うのです。隣の長男が帰ってこなくなったとか、漁業の売り

上げが伸びないんだよねというのは感じていても、自分の生活は続いているので、じゃあ

それが町の衰退とか町の消滅につながるというふうに思うかというと、町の住民の人は思

わないというのが普通だと思っています。

ただ、やっぱり目の前の日々の仕事とか家族を食わせていくために 40 代、50 代まで働

いて、60代で退職したときにやっぱり自分の息子も帰ってこないし、若い人もどんどん出

ていってしまっているという現状を見たときに、自分の時間があいたので、よし、じゃあ

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町のために何かやろうというふうに思う方がいます。ただ、いたとしても、もう御自身も

60歳以上で高齢者になられていたりとか、そもそももう周りに一緒にやる人がいないとい

うふうな状況、あとはよく言われるしがらみですとか、そういうものでなかなか行動しづ

らい状況が生まれています。

そうすると、やっぱりだめだということであきらめて、希望を失ってしまう。そういう

高齢者の方が、自分の息子や孫たちに、広田町はだめだ、陸前高田市はだめだから外に行

ったほうがいいんだという言葉を発してしまう。そうすると、さらに人は減って、仕事は

少なくなっていく。

こういうふうな悪循環が起こって、だんだん、だんだん人が減っていってしまって、産

業は衰退してしまうというふうに、私たちは考えています。

そこで、私たちが行うことは、私たちのような外部からの刺激と応援を入れ続けること

で、町のためにと活動する住民をふやしていくということを行っています。

私たちのように全くこの地に縁もゆかりもなかった人間からすると、ワカメを見るとい

うことがまず衝撃なのですね。あんなにワカメって大きいんだとか、メカブとワカメって

同じなんだとか、そういうのすら全然知らない状況です、僕たちは。それを来て、ああ、

すごいですねということで、当たり前だと地元の人が思っていたものがすごい価値がある

のだということを地元の方もだんだん認識してもらえるようになります。

そうすると、実はこのワカメよりもメカブのほうをこういうふうに加工して売りたいと

思っていたんだよねみたいな話をぽろっと出してくれるようになるのですね。それに対し

て、じゃあ、一緒にやりましょうということで、この図の一緒にやる人がいないというと

ころを私たちが一緒にやります、地元の方と。

それを通して、まず小さくても成功というか、一個形にしていく。そうすると、地元の

方も、あっ、何だ、こういうふうに思いを口にしたら、一緒にできるんだ、形になるんだ

ということで、だんだん希望が生まれてくる。

若い人たちも地元の人とかかわる中で、今まで自分の人生では経験したことのないよう

なことをこの東北の地で感じて、よし、じゃあ実際に僕と同じように引っ越してこっちの

町で活動しようと思う子がだんだん出てきています。

そういうふうになると、だんだんですが、人はふえていって、そういう若い人たちが新

しい仕事をつくり出していく。そういうふうにして仕事もふえてくるというふうな形で、

いい循環を生み出そうということで、今外からの人を受け入れながら、地元の人とさまざ

まなチャレンジをしています。

これまでの実績としましては、我々とともに外の若者を受け入れてくれる住民の方が

300 名ぐらいになりました。広田町は 3,500 人ぐらいの町ですので、住民の約1割の方々

に御協力をいただける状況に今はなってきたということです。

あと、外からの人がどのくらいこの5年間で来たかといいますと、1,700 人以上の方々

が我々の事業に来てくれました。

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私たちは、観光客をふやしたいのではなくて、町の担い手、交流人口というよりは活動

人口をふやしたいというふうに思っていますので、その中で5回以上来てくれた人という

のは約 100人以上になっております。

この春は、2月、3月、大学生の春休み期間だったのですけれども、合計 150名以上の

大学生がそれぞれ1週間以上滞在しました。延べに直すと 1,180名ぐらいの学生の皆さん

がまちづくりのために活動するというふうな状況をつくることができました。

そして、3つ目としては定住者が広田町に4名ふえましたということで、4名のうちの

3名は僕と奥さんと子供というところなのですけれども、あともう一人、法政大学の後輩

で昨年の3月に大学を卒業して引っ越してきた若者がいて、その子もプロポーズをして、

彼女が来年には引っ越してくるということで、少しずつなのですが、ふえてきました。あ

とは、1年半後にはさらに大学を卒業したらそのまま引っ越してきたいという子が3人確

定している状況で、あと3人は今親と相談中で、徐々になのですけれども、移住者が実際

にふえてくるというところまで来ました。

さまざまな取り組みをした中で継続した取り組みというものが 10件ほどありますので、

最初にそれを御紹介させていただきます。1つ目は、Change Maker Stud

y Programという事業を行っております。これは、大学生向けの1週間滞在型のプ

ログラムでして、年2回開催しております。現在、ごめんなさい、6期ではなくて9期ま

でを終えて、参加者は 120名になりました。年に2回開催し、現在9期を終えて、参加者

が 120名になりました。うち 50名が、継続してその後もまちづくりにかかわってくれてい

ます。

さまざま紆余曲折をして3年間いろいろプログラムが入ってきたのですけれども、地元

の人と大学生の参加者との1対1の関係、顔が見える関係、何々さん、何々君と呼び合え

る関係をつくり上げることが大事だということと、あとは町を変えよう、変えよう、人を

変えよう、変えようとするのではなくて、楽しく、若者とかかわっていたら、気づいたら

私の生活変わっていったとか、変わっちゃったというふうな、楽しくてやっていたら、気

づいたら変わっちゃったという、そういう状況をつくり出すことというのが大切なのだな

ということを感じました。

2つ目のものとしては、高田と僕らの未来開拓プロジェクト、僕たちは略してたかぷろ

と呼んでいるのですが、これは地元の高校生向けのキャリア教育になります。高校生がこ

の町で生きたい生き方ができるように、町のためになることを行っています。例えばサン

タさんとなって子供たちにプレゼントを配ったりですとか、夏には 100人以上参加するお

祭りを開催しているということで、地元の高校生と外の大学生が一緒になって町のために

企画を実行するというようなプロジェクトを行っています。

3つ目は、民泊の修学旅行誘致事業ということで、関東圏の中高生の修学旅行をこちら

に誘致しよう。ただの修学旅行ではなくて、地元の方の家に実際に宿泊する民泊を取り入

れた修学旅行を誘致しようということで行っております。陸前高田市広田町生活推進協議

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会というものを昨年の3月に設立しまして、地元の方が会長に就任しました。また、営業

してくれる会社や市役所や県庁などと連携を確立しています。現在2校が広田町に来るこ

とが決定しています。陸前高田市全体では、今年度は5校来ることが決定しています。

4つ目としましては、手作り浜野菜事業おすそわけ便という野菜の発送サービスを行っ

ています。これが私たちのさまざまな事業の中で一番最初のほうに行ったもので、地元の

お母さんたちと私たちとがともに行った大きな挑戦でした。今では、このお母さんたちが

一緒に何でもやる仲間になってくれました。

私の奥さんが中心になってこの事業はつくっていたのですけれども、現在出産をしたこ

とから育休中という形で一回サービスとしてはストップをして、また人がふえたりとか、

奥さん自身ができる状態になったら再開させていこうと、気長に無理せず長く行っていこ

うということでやっています。

そのほかにも、広田町のオリジナルTシャツを作成したりですとか、地元のお母さん向

けにパソコン教室を実施したり、地元の古民家を利用した古民家美術館三陸館というもの

の開館を支援したりですとか、被災した和菓子屋さんの再開を支援したりとか、古民家再

生をして、そこにピザ釜をつくって交流の拠点をつくったりですとか、こういうさまざま

な取り組みを発信するウェブサイトぴいろた研究所というサイトをオープンしたりとか、

ほかにもさまざまな取り組みを行っているというのが実績になります。

私たちは、広田町とは縁もゆかりもなかったのですけれども、5年間を通して本当にこ

ういう地元の方からさまざま御協力をいただきながら、多くの事業を生み出すことができ

ました。それをどういうふうにして事業を生み出していったのかという経緯について、こ

れからお話をさせていただきます。

2011年3月 11日に東日本大震災が発生したときは、私は大学3年生でした。ですので、

東京都の市ケ谷のキャンパスにおりました。東京都も大変大きな揺れがありまして、電車

はとまりましたし、携帯の電波もなくなったというような状況でした。当時私がひとり暮

らしをしていた場所まで歩いて5時間ぐらいかければ帰れるという状況でしたので、歩い

て帰って、夜 10時ぐらいに家に着いてテレビをつけたらこの写真の津波の映像が流されて

いて、そのときに初めて沿岸のほうに津波が来たのだということを知りました。それから

はもういても立ってもいられなくなって、何か自分にできることがあるのではないかとい

うことから、友人と連絡をとり合い、3月 12日の深夜に6人の仲間で集まって、スタッフ

募集の呼びかけとか、団体の趣旨とかを考えて、3月 13日の朝には復興支援団体SETと

いう団体を立ち上げて、支援活動を開始しました。

何ができるかわからなかったのですけれども、今できることをとにかくがむしゃらに頑

張ろうということで、さまざま模索する中で、物資の支援を最初に行いました。私たちの

知り合いのNPOで仙台市に既に入って支援活動をされている方がいらっしゃったことと、

また私たちのもとからのつながりで、会社で衣服を支援したいという方がいらっしゃって、

その両者をつなぐ形で私たちSETが物資の搬入、搬出、仕分け作業を行い、物資のルー

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トをつくるということを最初に行いました。3月 17日には第1便を出すことができました。

それから、3月いっぱいはその物資の支援活動をして、合計 1,000箱の衣服を仙台市のほ

うに送付するということが最初の活動になりました。

その後、やはり現地に行って私たちができることを探そうと、知人のつてを頼っていく

中で陸前高田市の広田町という町と出会いました。これが震災が起こって3週間後になり

ます。

そこで感じたものというのは、やっぱり行くまではテレビの四角い画面だけでしか見な

かったものが、もう 360度全部が瓦れきの状態のところに行って、ああ、本当に起こった

んだなということをまざまざと感じたことと、自分に何かできることが本当にあるんだろ

うかという絶望感というか、そういうものを感じたことを今でも強く覚えております。

それから2週間活動して、防災本部のお手伝いをさせてもらって、2週間後に広田半島

が一望できるところに行って、メンバーとさまざまな話をしたのですけれども、すごい自

分たちの無力感というものを感じました。写真の下の茶色いところは全部瓦れきになりま

す。2週間活動して本当に頑張ったけれども、この瓦れきとかに対して自分たちって何も

できなかったよねということでしたりとか、自然の脅威、人間の力の小ささというものを

すごく感じました。それが東日本全部が、沿岸全部がこういうふうな状況になっていると

いうことが、私たちにとってはすごい衝撃でした。

一方で、私たちはたまたま広田町に行ったのですけれども、広田町の方々は、おまえら

みたいな外から人が来てくれたおかげでこのつらい時期に笑って過ごせたぞとか、おまえ

らはもう家族みたいなもんなんだからいつでも来いよという言葉をかけてくれて、確かに

できたことは少ないかもしれないけれども、この目の前の人の笑顔を私たちはつくること

ができたのではないかな。ならば、この人たちのためにこれからSETとして活動してい

こうということをこのときに決めました。

それからは、大学4年生だったので、大学に通いながら月に1回、レンタカーを借りて

土日に来てボランティア活動をするというような活動をしていました。活動内容としては、

子供たちの勉強の支援だったり、スポーツの支援、農業や漁業のお手伝いや津波の被害地

図の作成、ボランティアバスツアーの実施など、さまざまなことを行いました。

そして、こちらに来て感じたこと、見たこと、聞かせていただいたことを、東京都で若

者を集めたイベントを企画して広く発信していく。そして、一緒に活動する仲間をふやし

ていくということを大学生のうちは行っておりました。

こういう活動を通して何度も足を運ぶ中で、地元の方からこんな言葉を聞きました。50

年後、この町はなくなってしまうかもしれない。その方は漁師なのですけれども、震災が

起ころうが、起こるまいが、人は減っていたし、漁業の売り上げは落ちてきていた、だか

ら 50年後、この町はなくなってしまうかもしれないという状況だったんだ。震災は悲しい

ことだけども、でもおまえらみたいに外から人が来るっていうのは今までなかった。たく

さん今人が来てくれているんだから、これをチャンスに変えて何とか 50年後もこの町が残

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り続けるようにしていくんだというふうな地元の方の言葉を聞きました。

それに対して私自身もすごいどおんと響いて、外から若者が来ていない、だからこそ自

分たちにできることがあるのではないかとか、この町が 50年後も残り続けるように私自身

も活動していきたいというふうに思ったり、何よりもこの広田町という町で僕自身がこれ

からも生きていきたいというふうに思ったということ、こういうようなものが重なり出し

て、大学を卒業したらこちらに引っ越してこようと決め、大学を卒業し、創設メンバーは

みんな社会人になる中で私一人広田町に引っ越してきて、さらに活動を展開していくとい

うふうな流れになります。

移住して最初に行ったことは、広田パソコン教室というものを実施しました。これは、

地元の 65歳のおじいちゃんの方が実務でパソコンやっていたから、そのスキルを生かして

何か地元の方に還元したいという言葉と、地元のお母ちゃんたちから、あんた若いんだか

らパソコンできるでしょう、教えてよみたいな言葉をもらったことを受けて、じゃあ、合

わせてみんなでパソコン教室をやりましょうというところから、4月にパソコン教室を実

施しました。これは、現在でも実施をしておりまして、延べ 70名の生徒が今まで通ってい

ました。3,500 人の町ですので、人口の2%の方々が来てくれるパソコン教室となりまし

た。

ほかにも幅広くいろんな方々からニーズを聞きながらさまざまな活動を行っています。

主に案内をして、あとはさまざまなお手伝いをするというようなコーディネート業みたい

なものを最初行っていました。

その中である日、野菜の産直を行っているお母ちゃんたちとお話をする機会がありまし

て、野菜が売りたいんだけどなかなか売れない、どうすればいいかなという相談をもらい

ました。私たち外からの若者と地元の方でいろいろ話をする中で、じゃあ、この野菜を東

京のほうに発送しませんかというようなことを思いつきました。地元の方も最初は、いや、

そんなのできないよ、例えばお客様商売だから何だかんだとか、量がとれないとか、いい

もんじゃないからって、いろいろなことができないということをたくさんお話しされてい

たのですけれども、でもこちらも、いや、こういうふうにやったらできるんじゃないです

か、こういうふうな考え方でやってみましょうということを2週間ぐらいかけてさまざま

な話をする中で、じゃあ、1箱だけやってみようということで、この写真が最初に 1箱や

っているときの様子です。

実際1箱送ってみたら、あれっ、案外これできるんじゃないみたいなふうに考え方が変

わって、じゃあ、次はこうしてみよう、次はああしてみようというふうなポジティブな意

見がどんどん、どんどん地元の方から出るようになりました。

それから約半年準備をして、手作り浜野菜事業おすそわけ便という名前もつけて、ホー

ムページもつくって、サービスを開始するところまで至りました。

初年度は毎月の売り上げの目標というものを達成することができて、生産者の収入を約

3倍にすることができました。

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私たちがこのときに学んだことは、広田町のことをよく知っている地元の方と広田町の

ことを全然知らない外からの若者たちが一緒に交流して、話し合って、挑戦することで、

広田町に今までなかった取り組みというものを生み出せるのだということを知りました。

そして、それをみんなで話し合うからこそ、地元のお母ちゃんたちもやらされているの

ではなくて、自分たちでやろうということで、ポジティブにさまざまな取り組みをしてく

れるのだということを学びました。

そこで、そうであるならば、外からの若者と地元の人が一緒に交流して挑戦できるよう

な場をこれからつくっていこうということでChange Maker Study Pr

ogramというものを始めました。これは、外部の大学生が1週間広田町に滞在し、広

田町の方とともに課題解決のアクション、具体的に実行までしてしまうというようなプロ

グラムです。

参加費は約7万円ぐらいなのですけれども、有志で参加する大学生を集めてやります。

日本全国から応募いただいて、今までだと沖縄から参加した子もいれば、関西とか、金沢

とか、九州とか、本当にいろんなところから全国の大学生がホームページを見つけたりと

か、あとは口コミなどを通してこのプログラムを知って、自費で、プログラムに参加して

くれる。

このプログラムの具体的な中身は、1週間広田町に滞在するのですが、その中で広田町

の生活を知れるような暮らし体験をしたりですとか、ただ単に地元の方が講演するのでは

なくて、お茶を飲みながらさまざまな話ができるような地元の方との対話の場、あとはフ

ィールドワークといってぽんと参加者を車で町に置いていき、2時間後に迎えに来るから、

じゃあねというふうな形にして、トントンと家を訪ねて行って地元の方に直接お話を聞き

にいくようなフィールドワークをしたりします。

こういうさまざまな体験を日中して、夜は大学生だけで会議を行います。その中で広田

町の魅力は何だろうとか、課題は何だろうという話をして、じゃあ、その魅力を生かすた

めにどんな取り組みができるかとか、課題をなくすためにどんな取り組みができるかとい

うことを大学生が考え、実際に1週間のうちの6日目にはアクションプランとして実行ま

でします。そして、最終日の7日目には報告会を実施するという形になっています。

アクションプランというもので具体的にどんなものを大学生が今まで実行してきたかと

いいますと、例えばこういうものがありまして、広田町の魅力は何ですかというふうに町

の方に聞くと、いやあ、広田町は魅力なんてないんで、何もないんだ、この町はというふ

うな言葉が地元の方から返ってきてしまう。でも、大学生は1週間いる中で、すごい多く

の魅力を感じています。ですので、その大学生の子たちが感じた広田町の魅力を地元の人

に伝えるバスツアーというものを大学生が考え、何かちょっと変な感じはするのですけれ

ども、でも実行しました。

ほかには、広田町も空き家がたくさんあります。その空き家を有効活用した何かができ

ないかということを大学生のみんなが考えて行ったのが、空き家を小展示室みたいな形に

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して、広田町の魅力、大学生が感じた魅力を写真で張って、地元の高校生とか子供たち向

けのツアーを実施するというようなことをして、空き家を有効活用した取り組みなどを行

いました。

今ではこういうふうにいろいろな形が決まってきたのですけれども、一番最初の第1回

目というのは私たちも余りわからないながら、でも無我夢中でやってみて、第1回目を無

事に開催したら、最後の報告会の場がすごく感動の場面になりました。大学生の子たちは、

1週間いる中で、今まで会ったことのない大学生、今まで会ったことのない場所の人たち、

今までいたことがない場所でさまざまな経験をして、苦労をする中で、でも目の前の人の

笑顔をつくりたいんだということで、時にぶつかり合いながら企画を何とか実行したその

経験を地元の方に話してくれました。私は、本当にこういうふうなつらいことがあったけ

れども、でも広田町の皆さんのおかげで乗り切れましたということを泣きながら話してく

れたのです。そうしたら、地元の元行政職員の方なのですけれども、この方からすごい言

葉をいただいて、今でもすごく覚えているのですけれども、俺はこの町にずっと住んでき

たけど、今まで町を変えるには行政が変わんなくちゃいけないとか、漁協が変わんなくち

ゃいけないとか、誰かの何かのせいにずっとしていた。でも君たち大学生の姿を見て、そ

れが違うということに気づいた。町を変えるためにはまず自分から変わんないといけない

んだ。人は変わるのは怖いし、この年になるとその変わることは怖いけど、でも君たちの

ような若者たちから涙を流しながら、私はこういうふうに変われたんだという言葉を聞い

たことで、俺自身人は変われるんだという勇気をもらった。俺はこれから自分ができる形

でまちづくりに、君たちの活動にかかわっていくぞと、そういうような言葉を言ってくれ

ました。

それから、この方はずっと私たちのプログラムにコアでというか主体的にかかわってく

れて、今ではSETの一番の後ろ盾の人というか、そういう形でともにずっと活動をして

くれています。

そして、プログラムを継続する中で、畠山孝一さんという広田町出身の画家なのですけ

れども、その方の絵の存在を知りました。現在は 80歳ぐらいになられて、御存命なのです

けれども、三陸の岩の絵を描かれていて、この部屋の後ろの壁一面ぐらいの大きい岩の絵

を描かれている方です。昔はパリに個展に行ったりとか、海外でも大活躍をされている方

だったのですけれども、その絵がもう家の中にあって、誰にも見られないという状態にな

っていることを知りました。

そこで、私たち外からの若者が行って見させてもらったときには、本当にすごい絵で、

これはもう絶対多くの人に見てもらうべき絵ですという話をしたところから、じゃあ、一

日だけ古民家、その家の中に絵を飾って美術館みたいな形にして外からの人を招いてみよ

うかということで一日美術館というものを行ってみました。

そうしたら、すごく反響がよくて、大学生の方も広田町にこんな魅力があったんだとい

うことをすごく話してくれました。

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そうしたら、画家の畠山孝一さんがそれを聞いてすごく喜んでくれて、あっ、俺の絵を

こんなに外からの人に喜んでもらえるんだ、だったらば俺が今まで生きたあかしを画集に

残そうと言って、今画集制作などに取り組み始めてくれるようになりました。

それにもう家の人が一番びっくりして、もうおじいちゃん、いつ死ぬかわからないみた

いな感じで言っていたのが、いきなり元気になってきて、画集づくりまで始めたりしてい

るということに家の方も驚いて、おじいちゃんがこんなに元気になってくれるんだったら、

一日だけのつもりで最初はやったけど、本格的に美術館としてオープンしようということ

で、町内初の美術館、三陸館として、古民家をそのまま利用してオープンをしました。

今でも、毎週日曜日の午後1時から午後4時までという限られた時間なのですけれども、

開館をしております。昨年1年間で 400名ぐらいの方が訪れてくれたようです。

家を美術館にすると言ったら、またその畠山孝一画伯が張り切ってくれて、いきなりふ

すまを全部剝がして、そこを白く染めて、そこに新作の岩の絵を描くというようなことで、

古民家美術館らしい作品づくりというものを始めてくれました。

私たちは、Change Maker Study Programという事業を行ってい

く中で、大切なことというのは、新しい何かをいきなりどんと持ってくることではなくて、

まずは広田町にあるありのままの暮らしというものをしっかり理解して、それをどういう

ふうに生かしていくかというふうに考えていくのがまず大事だということを感じました。

そしてもう一つは、地元の人と大学生の一人一人の確かなつながりというものをつくり

出していくということが大切なのだということを、この3年間の取り組みの中で学びまし

た。

Change Maker Study Programが 2013年に発足して、助成金な

どなしにして自分たちの事業というか、参加費をいただいての事業として今行い始めてい

るところです。

こういうふうに外から若者がどっと来る流れとか土台をつくりながら、実は 2014年の春

ごろから地元の高校生向けの高田と僕らの未来開拓プロジェクトいうものをスタートしま

した。

こちらは、先ほどのChange Maker Study Programに参加した1

期生の子が、その後も継続して広田町に通う中で、地元の子供たちに対して何かしたいと

いうふうな思いを持って、地元の中学生に向けてまず最初に 20代の自分を描くワークショ

ップというものを開催しました。

その中で、10人ぐらいの中学3年生が参加してくれたのですけれども、みんな共通して

いたのが 20歳の自分は人のために何かしてきている人間になりたいというようなことを、

それぞれ言葉は違ったのですけれども、話してくれました。それは、やはり震災を経験し

て、多くの人に助けてもらった、だからこそ自分自身もその恩返しとして誰かのために何

かできる人になりたいということを話してくれました。

地元の高校生の、人のために何かしたいという思いというのはすごくとうといものだな

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というふうに感じて、その1期生の子がその高校生と一緒にぜひこれを本格的に形にして

いきたいということで、高田と僕らの未来開拓プロジェクトというものを発足しました。

このプロジェクトの名前の意味としては、高田という陸前高田市の町の未来をつくって

いきたいという意味合いと、あとは僕ら、自分たち自身の生き方や働き方をつくっていき

たいという意味の二つをかけて高田と僕らの未来開拓プロジェクトという名前で活動をし

ています。

それからは大学生が月に1回来て、地元の高校生と一緒に会議をしながら、地元のため

に何ができるかというのを考えて、企画や会議の準備をしたり、あとは地元の方のところ

に一緒に打ち合わせに行ったりとかということをして、一番最初に企画をしたのが、地元

の中学生が外から来る大学生と一緒に将来のことを考えられるようなワークショップとい

うものを、楽しくやろうということでバーベキューをしながら行いました。

そして、2012年 12月には高校生と大学生と地元の人が一緒にサンタクロースになって、

地元の小学生以下の子供たちにプレゼントを一人一人手渡しで配っていくというプロジェ

クトを実行しました。

昨年の8月には、広田町は昔は夏祭りがあったけど、なくなっちゃったから夏祭りをし

たいんだということで、高校生が企画をして、みんなが集まれるような夏祭りというもの

を開催しました。当日は、地元の大人の方も含めて 80人の方が足を運んでくれるようなお

祭りを開催することができました。

昨年の 12月には、サンタのプロジェクトが大きく変わりまして、今までは小学生以下の

子供たちにプレゼントを配っていたのですけれども、おととしにサンタをした高校生の子

から、子供に渡して喜んでもらうのもうれしいけど、やっぱりおじいちゃん、おばあちゃ

んにも何か渡して喜んでもらいたいんだというような言葉を受けて、よし、じゃあ全世帯

に配ろうということで、高校生が手づくりのプレゼントをつくって、そこには高校生の夢

が書いてあったりとか、あとは思いが書いてあるような冊子をつくって、全世帯へ一軒一

軒歩いてプレゼントを配るということを行いました。

当日は、25人の地元の高校生と 25人の地元の中学生、25人の外からの大学生と、あと

は 25 人の地元の大人の方、合計 100 人がサンタになって、その4人が1チームになって

25チームに分かれてプレゼントを配るというようなことを実施しました。

これは、もう地元のお母ちゃんたち、おじいちゃんたちからすごく喜んでもらうことが

できて、80歳ぐらいのおばあちゃんになるともうなかなか高校生とか中学生とかかわる機

会ってないけど、わざわざ私の家に来てくれたんだよって、それが泣くほどすごくうれし

かったんだということを話してくれたりですとか、あとは高校生がつくったクリスマスカ

ードを家に飾っておいてくれて、今でもたまにこうやって見返しているんだよと話してく

れたり、本当に地元の方々に喜んでもらえるような企画ができたなというふうに感じてい

ます。

ことしの春には、ことし4月からの半年間の計画をみんなでつくって、高校生がこれか

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らさらに町のためのさまざまなプロジェクトができるような体制をつくって、今準備をし

ているところです。

このようにして、地元の高校生の子たちへのキャリア教育というものも2年ぐらい継続

して行うことができています。

2015年には、外からの若い人たちをもっと連れてこれるような仕組みをつくれないかと

いうことで、民泊の修学旅行の誘致の事業を開始しました。東京の会社の&Nature

という会社があるのですけれども、そこと協働で民泊旅行の誘致をしましょうということ

で話を進めていまして、昨年の3月に民泊を推進する協議会を地元の方々10名ぐらいを中

心に発足しました。

2015年5月には、先ほどの会社に東京都で営業に行ってもらう中で、2校来ることが決

定して、ことしの6月には 120名、10月には 320名の高校生、中学生が来るということが

決定しました。

そして、2015 年 11 月からは地域を歩いて説明会を開催しながら、順次受け入れをして

くれる地元の方の協力をお願いしているというふうな状況になります。

6月1日が初めての受け入れなので、あと1か月半ぐらいということで、地元の方々と

一緒にわくわく、どきどき、不安を抱えながら、今準備を進めているところになります。

そして、2015年の秋口に陸前高田市議会議員選挙がありました。これは、地元の方から

1月ごろに唐突に提案をもらって、9月に市議会議員選挙があるけど、三井、挑戦してみ

ないかということを言ってもらいました。私自身は、やはりこういうNPO畑で活動して

いたので、議員というものは考えたこともなかったですし、まず市議会議員ってそもそも

何をやっている人なのかというのも自分でもわからないような状況でした。

でも、さまざまな人と相談をしたりとか、話を聞いたり、話をしたり、自分で調べたり

する中で、ひとつまちづくりを行っていく上でNPOではできない役割があるのではない

かということを思い、挑戦することを決めました。

そして、その中で私自身がずっと訴え続けていたこととしては、地元の方ではなく僕ら

のような外からの風と、また地元の方でまちづくりを頑張っていきたいという中からの風

が合わさることで陸前高田市に今までなかった新しい風が吹くんですと、その新しい風を

僕は吹かせていきたいんですというようなことをキャッチコピーにして選挙戦を行いまし

て、無事に当選することができました。

昨年 12月に当法人の総会を東京のほうで開催しました。震災から4年が経過して、だん

だん、だんだん団体として下火になっていく団体とかも多いのかもしれないのですけれど

も、うちの団体は今ちょうど上り調子にようやくなってきたところで、多くのメンバーが

大学生、社会人含めて、下はゼロ歳児の我が子まで含めて総会に参加をして、日本の未来

に対してこれからもいい変化を起こしていこうということで、みんなで今一致団結して取

り組みを進めているところです。

これから今後の展望をお話しさせていただきます。私たちSETが行っていることは、

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自分らしく社会を創る生き方、働き方をする人を増やす、町の担い手をふやしていくとい

う人材育成の事業を行っています。

その中で大切にしていることは、外からの風で外部の人たちが頑張ればいいのではなく

て、中からの人と交流を生み出していくこと、中の人も一緒に考えることで新しい風を起

こしていきたい。だから、外のあんたたち頑張りなさい、頑張ってねとか言われるところ

に対して、地元の方に、いやいや一緒にやりましょう、一緒じゃないとできないんですと

いうことを話しながら、地元の人と必ず一緒にやって新しい風を吹かせていくことを大切

にしています。

SETが行っている事業全体像、今までの話の整理にもなるのですけれども、広田町の

町の担い手、外から引っ越してくる移住者をふやす。まちづくりにかかわる住民をふやす

と同時に、外から僕と同じように引っ越してくる人をふやすということをしていく中で、

広田町に移住、定住するということを花を咲かすということに例えると、まず種をまく期

間が必要で、広田町っていいところだな、将来また来たいなとか、帰ってきたいなと思う

ような期間が必要で、その後に広田町のために何か活動したいと思ったときに活動できる

ような水をやる期間が必要で、そして人が育っていったときに最後、よし、広田町に移住

しよう、定住しようという花を咲かす、そういう人がふえてくるだろうと考えています。

その中で、まず種をまく期間としてはUターン施策として地元の高校生向けのキャリア

教育を行っています。高校生のうちに町のために活動することで、この町が嫌いだから出

ていくという高校生を一人でも少なくしたいと思っています。それで、いや、この町は好

きだし、この町のためにやりたいけど、今の自分じゃ力不足だから大学に行って勉強する

んですというふうな子供たちをふやしていって、将来的にはUターンしてもらえたらなと

いうふうに考えて活動をしているのがこのたかぷろになります。

もう一つは、Iターン施策として民泊の修学旅行の誘致をしています。修学旅行で行っ

た場所って絶対忘れないのですよね。僕も中学生のときに京都府に行ったなとか覚えてい

るのですけれども、そういう関東の中高生が、私は修学旅行京都府に行った、沖縄県に行

ったという中で、私は広田町に行ったよという人を生み出していきたい。これから3年間

で 3,000人から 5,000人ぐらいの人の受け入れができるようにしていきたいと考えていま

す。

その中で、こういう高校生や中学生のうちに町のために活動した広田町のことを知った

子たちが大学生になります。大学生になると、大体都内の大学生とかになると、自分の人

生に対してとか進路に対してもやもやする期間というのが必ずと言っていいほど訪れます。

そういうふうになったときにChange Maker Study Programとい

う1週間のプログラムに参加できるよということで、ここに参加してもらうような流れを

つくりたいというふうに考えています。

地域で挑戦するだけではなくて、あとは田舎を体感して暮らすってちょっと言葉があれ

ですけれども、田舎生活をしたいという、ただ単純に、チャレンジしたいではなくて、田

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舎での生活をゆったり暮らしたいとか、そういう子たちもいると思っていて、そういう子

たちに向けた事業というものは今準備中というところになります。

こういうような企画を通して参加する、したい、広田町のために活動をし続ける中で、

大学を卒業したら引っ越そうというふうに思う子を一人でも多く育てていきたいというふ

うに考えています。

いざ引っ越そうという子が出た場合に、その子たちへのサポートというものはSETの

事業としては取り組まないというふうにして、そこからは市議として市の政策を提案した

り、実現したりというところで役割分担をして、NPOとしては人材育成、市議としては

移住、定住の環境整備というところを行えないかなということで、今それを両輪にして活

動、成果を出せるように取り組んでいます。

市議としては、このスライドのようにさまざまなことを考えたり、提案したりしていま

す。一つは、1年間の滞在型のプログラムで、終了後に起業・移住をしてもらうようなプ

ログラムはできないかというようなことを提案はしたのですけれども、市としてはまだ難

しいということで、今後どうするか検討中。

あとは、地域おこし協力隊の枠を使った3年間の起業支援プログラム、終了後は実用的

な広田町に今までなかった仕事の創出を狙うということで、これも提案はしているのです

けれども、なかなか難しいということで、検討中です。

あとは、先輩移住者による移住希望者、移住したての人のサポート体制の構築や空き家

を活用したシェアハウスでお試し居住のような形で気軽に住む経験ができるもの、これも

提案したのですけれども、提案が通ったのか、通らないのかわからないですが、市として

は計画には反映されているということになっています。

あとは、長期滞在者が自由に使えるシェアカーとかバイク、自転車などの足の確保とい

うものに関しても、難しいのでどうする、検討中というのが現在であります。

ほかにも定量データや定性情報が集まって、簡単に言うとビジネスチャンスやこの町の

課題や理想といったものが誰が見ても一目でわかるような地図のようなものを作成して、

情報をうまく使ってまちおこしをしていきましょうということを提案させていただいたの

ですが、これも市として何かやるというよりは、もう民間団体と今一緒に何かできないか、

一緒に形にできないかということで構想を進めています。

ほかには、気軽にアルバイトとして当市に滞在できるような仕組みを構築できないかと

いうことで、実は南三陸町でそういう取り組みをしている会社がありまして、その方々と

相談をした上で、今陸前高田市で展開しましょうということで誘致を進めているところで

す。夏ごろまでには何とか形になりそうだなということで準備をしています。

ほかには、外部出身者が起業・移住することを前提にした起業プランコンテストの開催

ということで、こちらはまち・ひと・しごとの戦略の中にも、計画の中にも入っていまし

て、平成 28年度の下旬に開催予定ということで、これからさまざま提案しながらいいもの

をつくっていければなというふうに考えています。

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こういうさまざまな市としての環境整備というのは市議のほうで行いながら、移住しよ

うというふうな人を育てるまでの人材育成はNPOでこれからもやっていこうというふう

に考えています。

最後に、4年間の学びと大切にしてきたことということで、すごくうさんくさい言葉で

はあるのですけれども、挑戦と感動は人々の行動を変えるというのは、これはまさに真実

だなということをこの4年間で感じてきました。挑戦というのは人それぞれ違うのですけ

れども、やはり何か今までと違うことをやるということというのはすごい勇気が要ること

で、でもそれはみんなと一緒にやる、外からの若者と地元の人と一緒にやるということで、

今まで自分が経験したことのないような感情というものを味わえて、それが心を動かして

感動する。その感動した結果、やっぱりまちづくりとか僕らの活動にかかわってくれる地

元の方というのはどんどん、どんどんふえてきたということをすごく感じていますので、

挑戦と感動の場というものがやっぱりすごく大事だし、それがあれば人は行動を変えてい

くことができるのだということを学びました。

挑戦というとすごくある意味強烈な言葉ではあって拒否反応とかも起こしやすい言葉で

あるのですけれども、一人一人その挑戦の度合いは違うので、本当に目の前の一人一人と

向き合いながら、その人に合った形で挑戦というものを一緒にしていくということがすご

く大事だなということを学びました。

そして、あとは楽しくやるということを大切にしています。それは、私たちも外から移

住してきた若者として自分たちの役割って何なのかというのをずっと模索し続けてきまし

た。その中で、復興とかまちづくりというものを楽しくやろうというふうに地元の人って

言えないと思うのです。やっぱり多かれ少なかれ自分の知り合い、知人の方が亡くなられ

ている人ばかりになります。特に陸前高田市の場合は被害も大きかったことから、そうい

うふうに誰か彼か自分の知り合いが亡くなっているというふうな中で、楽しくやろう、地

元の人からは言えないと思うのです。

でも、私たちはある意味それが言えますし、楽しいということがあれば人は必ず集まっ

てきます。なので、私たちは、厳しいこともありましたし、今までつらいこともあったの

ですけれども、でも楽しくやる、楽しいということを大事にしながら、地元の人と笑顔を

たくさんつくりながらやっていくということをこれまで大切にしてきましたし、これから

も楽しくやるということを大切にしていきたいというふうに考えています。

以上になります。長い間御清聴ありがとうございました。

〔拍手〕

○佐々木朋和委員長 大変貴重なお話、ありがとうございました。

これより質疑、意見交換を行いたいと存じます。ただいまお話をいただいたことに関し

まして、質疑、御意見がございましたら、お願いをいたします。

○工藤勝子委員 大変すばらしいお話を聞きまして、私も感動いたしました。本当にあり

がとうございました。

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まずもって陸前高田市の市議会議員の御当選、おめでとうございます。本当によかった

と思います。私は遠野市なのですけれども、結局市議会議員になるためには、遠野市は外

部から入ってきた人を受け入れる土壌は大体できています。けれども、その人をこういう

議員さんにして自分たちの代弁者になってもらおうかというところまでは、多分遠野市の

人たちは考えていない。結局地元の人でなければならないという先入観というか、しがら

みというのか、そういうのがある中で、陸前高田市もそうだったと思うのですけれども、

その殻を破って地域からそういう声が上がってきたということは、多分三井さんの今まで

の活動が本当に信頼を得て本物だということになったのではないかなと、私はそう思って

いるところであります。

それで、議員とNPOの仕事と両輪でやっているわけですけれども、市に対して、いろ

んな政策提案をされていますけれども、その中でやはり自分が提案したことがすぐには形

にならなくても形になってほしいと思っているわけで、そうするにはやはり議会というと

ころは多数決というところもあります。民間の人たちとはずっとうまくやってきたわけで

すけれども、では、議員の仲間との協力というのでしょうか、議員たちとの信頼関係と、

それからそういう政策提案に対して御協力いただくというような形の活動とまでいかなく

ても、どういうふうな動きをしているのか、そこも聞かせていただきたいと思います。

○三井俊介講師 御質問ありがとうございます。議員としての活動ということですよね。

私も、議員ってどういう人で、どういうことをやっているのかってわからないまま飛び込

んで、議会の傍聴とかもしたことがない中行ったのでわからない部分も多いのですけれど

も、陸前高田市の場合は 17名の市議会議員がおりまして、その中に会派が5個ぐらいに分

かれているのです。なので、最大会派で3人しかいないという、そういう中で、私もその

会派に所属をしています。その会派の中で2期目の方と5期目の方と一緒に組んでやって

いまして、その方々にうまく教えてもらいながらやっているので、敵対している人みたい

なのはいないとは思うのですけれども、議員とさまざまな意見交換をしながら、あとは実

際に若い人が来たら会ってもらいながら、僕の考えだけではなくて、外からの人の考えと

いうものをより知ってもらいたいなということで今活動をしています。

あと、市役所の方も僕のような活動ですとか考えですと企画課と、あとは商工観光課の

方々だと思うのですけれども、その方々とは意見交換させてもらったりしながら進んでい

ます。

ただ、提案したことは形にならないと、難しいと言われることが往々にしてありますし、

それはそのとおりだと思うのです。市としては動けないということもあると思うので、そ

ういうものに関しては民間として先に形をつくっていくことのほうが私は大事だと思うの

で、民間企業を誘致したりして、これでできます、できましたというところから、市とし

て何かかかわりとか持てませんかというような話をできないかなということで、今は模索

をしているという状況かなと思います。

ちょっと質問の答えになったかわからないです。

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○工藤勝子委員 ありがとうございました。ぜひ議員としても、今後を非常に期待したい

なと思って、今の質問をいたしました。

それからもう一つ、いろんな活動をしてきた中で、資金の支援をいただかないという言

葉をちょっと聞いたような気がするのですけれども、こういう活動をしていくためにやは

りある程度の資金というものもなければできないような事業もあるのではないかなと思っ

ているのですけれども、その辺のところはどうされているのか、お願いいたします。

○三井俊介講師 今私たちが実施しているのは、Change Maker Study

Program事業、漁師町ダイアリー、高田と僕らの未来開拓プロジェクト、民泊修学

旅行誘致事業の4つになるのですけれども、お話しさせてもらった中でChange Ma

ker Study Program事業に関しては今助成金をもらわずにやっているもの

です。これは大学生向けの1週間のプログラムなのですけれども、今もらわなくなったと

いうことで、この2年間はやはり助成金をいただいていました。その助成金は、赤い羽ボ

ランティアサポート基金でしたりとか、あとは民間のものでしたりというものが多くて、

市や県からというものはほとんどないような中で、民間のほうへ事業計画を書いて申請を

して、面接とかを受けたりしながら助成金をいただいて、2年間やって、ようやく今自走

できる状態になったという形です。

高田と僕らの未来開拓プロジェクトに関しては、昨年度1年間いただいておりました。

ことしはまだもらっていないのですけれども、何とかできるような体制というものを今つ

くっているところです。

民泊修学旅行誘致事業は完全にいただかないでやっていますので、今は手弁当でやって、

実際に誘致が決まって学校が来るようになったらようやくそこでお金が入り始めるという

ことで、ひいひい言いながらやっているのがこちらになります。

なので、もらっているものともらっていないものとある中で、Change Maker

Study Program事業に関しては自走できるようになったという形です。やはり

最初は全然自分たちのお金だけではできないので、助成金をいただかないとうまく展開で

きなかったので、それをうまく生かしながら、事業化できたという形です。

今後については、Change Maker Study Program事業と民泊修学

旅行誘致事業が収益を上げるような事業になって、そこからお金を子供たち向けのプログ

ラムに投資できないかなという形で考えて、助成金をもらわないでも自分たちだけで走れ

るような体制を何とかつくり上げたいというふうに思っているところです。

○工藤勝子委員 ありがとうございました。東日本大震災の3日後に陸前高田市に入って

きているのですよね。

○三井俊介講師 3週間後に。

○工藤勝子委員 3週間後ですか、多分まだ水も引けない全く瓦れきの山の状態のところ

に入られたったと思います。今5年が経過して、陸前高田市のかさ上げ等も進んでいるわ

けですけれども、震災に対する進捗というのでしょうか、瓦れきはなくなった、ああいう

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状態から今の状態を見ればここまでよく進んだという思いもあるかもしれませんけれども、

今の陸前高田市の新しい町をつくっていく中で、震災の復興状況をどう捉えていらっしゃ

るのか、お聞きしたいなと思います。

○三井俊介講師 そうですね。やっぱり僕もずっと見てきたし、一緒に暮らしてきたし、

取り組んできたので、遅いとかそういうのは全然感じていなくて、本当にすごく進んでき

たなという感じはしています。それこそ陸前高田市はことしから中心市街地も形を見せ始

めて、今年度中には形を見せ始める予定になっているので、単純にすごいなというふうに

思っている部分はあります。

一方で、私自身の役割としては、そういう箱がこれからできてくる、建物ができてくる

ので、そこにどう人の流れをつくるかというそのソフトの面に関して取り組んでいかない

といけないなというふうには思っていますし、そこは市の方ともよくよく相談しながら一

緒に進んでいけたらなというふうに考えています。

○髙橋元委員 私からもちょっとお尋ねしたいのですが、大学生とかああいうような方が

体験ということで1週間泊まったりして田舎暮らしを体験してもらうとか、あとは農業に

ついても少し携わってもらうとか、そんなことが今説明の中でありましたけれども、陸前

高田市は漁業の町ですよね。この漁業についてのいろいろな体験学習とかそういったもの

はなされたのでしょうかというのが一つ。

今、漁業に限らず全てなのですけれども、高齢化と、担い手不足に非常に悩んでおりま

す。担い手がどんどん少なくなるし、できれば農業ではなくて、漁業で生計が立つよと、

皆さん来ませんかというような形でのIターンの呼びかけとかそういったものをしていた

だければ大変ありがたいなという思いもしているのですけれども、大学生とかその体験者

は漁業についてどんな思いがあったのか、その辺、意見もありましたらあわせて。

○三井俊介講師 ありがとうございます。漁業に関しては、広田町は養殖のワカメが今す

ごく盛んな時期なのですけれども、実は私も今の時期は毎日船に乗って、ワカメの刈り方

に行って煮かたをしてと、日中そういうような仕事をしながら、午後から議員の活動をし

たり、NPOの活動をしたりと、そんなような形でやったりですとか、後は昨年から準組

合員の資格を取って、ウニとりとか、アワビとりとかに行けるようになって、私自身も今

やっているところではあります。

NPOとしては、ちょうどこの春に行ったこのスライドの漁師町ダイアリーというちょ

っとどこかの映画に似ているような名前なのですけれども、こういう取り組みをしました。

先日ニュースにもしてもらったものなのですけれども、ワカメをやっているお家に1週間

ホームステイをするというようなもので、大学生が 10名ほど参加して、3家庭で今回は受

け入れてもらうことができました。

その中で大学生の子たちが言っていた言葉としては、単純に財政的な支援とかは東京都

にいたらできるのかなと思ったけれども、それだけではないということに気づきます、一

緒に作業をする中で気づきました。大事なのは、やっぱりその方々が何を求めているかと

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いう生の声をしっかり聞いて、それに合ったことをするのがまず大事なんだなということ

を知りましたという声があったりします。

その担い手の育成という部分で言いますと、高収入化というのはよく言われると思うの

です。それこそ品質を上げたいとか、加工品をつくったりして漁師の収入を上げていくと

いうことは大事だと。私もそれはすごく賛成です。まず収入を上げていくというのは大事

だと思います。

ただ、私の専門性としてそういう商品開発の知識は全く持ち合わせていないので、それ

はできないと思っていて、できることとしては漁業をやったことがない都会の大学生って

たくさんいるので、その人たちにまず体験してもらうというのはすごく大事ですし、僕自

身ができることだなと感じています。私も引っ越してきてから漁に連れていってもらった

ときにすごい感動をしたのを覚えていますし、だからこそ今もワカメ船に乗って毎朝朝日

を眺めながら仕事に出る気持ちよさを味わいながらやっているのですけれども、そういう

ふうな知ってもらう、実際体験してもらうということと高収入化という出口の部分と入り

口の部分両方ないと担い手は育っていかないなというふうに思っていますので、私として

は入り口の部分をどういうふうに魅力的に見せていくかというところをこれからもやりた

いなと思っています。

漁師町ダイアリーも実際やることはワカメ船に乗ってワカメを刈ってワカメの作業を1

週間するというそれなのですけれども、それをそのままホームページに載せても大学生っ

て来ないのですね。なので、見せ方としてあこがれの田舎でホームステイというふうな名

前にして出したら、2週間ぐらいで 10人集まったということがあったので、やっぱり大学

生に刺さるような言葉というか入り口をどううまく設計するかというのが担い手を獲得し

ていく上ですごく大切なのかなというふうに感じています。

○髙橋元委員 大変ありがとうございました。私も今常任委員会のほうは農林水産の関係

の委員会でございまして、一つの漁業の家庭の収入、漁業をどれだけやるとどれだけの収

入があるか、あるいは工夫次第でこれがかなり収入がふえるよといった一つ一つのモデル

ケースみたいなものをつくっていかないと。しかし、漁業はなかなかいいよ、収入もいっ

ぱいふえるよと言いつつも、長年のさまざまな技術の積み重ねや、自然を相手にすること

もありますから、自然をどう分析してやっていくかという、そういう研究も必要なわけで

ございます。それらも含めて難しいところはあるのですけれども、ある程度漁業に人が来

るようにするためには、先ほど可視化という言葉を使いましたけれども、やっぱりモデル

ケースみたいなものをつくって、できれば安定収入あるいは高収入のある漁師に、こんな

感じでやればおまえさん来ても十分飯くえるぞとか、あるいは収入がふえるんだという講

義をしてもらうとか、そういったことも導入していただきながら、せっかくこれだけ高田

のほうに若い人たちが来ておられますので、何人かでも漁師のほうにこれから携わってい

ただければありがたいなということで、今後そういう取り組みをぜひお願いをしたいなと

いう、これは要望でございます。

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○福井せいじ委員 ありがとうございました。何点か聞きたいと思うのですけれども、ま

ず最初に三井さんが広田町でこの事業をやろうと、期間を定めてではなくて、長いスパン

で考えてここに住んでやっていこうという、その動機は何だったのでしょうかね。

それが一つと、東京都でつき合っていた奥さんに広田町に来て一緒に暮らしていこうと

いう、よく説得しましたね。私も女房は東京都で、大変だったのですけれども、その奥さ

んもその気になった、そこら辺やっぱり、私は広げるというのはそういったところから始

まると思うのです。人を説得するというそのことについてちょっとお聞きしたいのですけ

れども。

○三井俊介講師 私自身移住してこれをやっていこうという動機みたいな部分でいいま

すと、いろいろ理由づけはできるとは思うのですけれども、シンプルに言えば直観でここ

へ住みたいと思ったのが一番強くて、生まれ育ったつくば市は研究学園都市ですので、お

隣さんを知らないですね。マンションですし、核家族ですし、自然がそんなに豊かかとい

うと、別にそうでもないという場所で生まれ育ちました。もちろん伝統文化もない場所で

す。その後東京都に4年間暮らしまして、東京都だとなおひどいという感じなのですね。

その中で広田町に来たら、やたらめったら優しいしというか、もちろんしがらみというふ

うに捉えられる部分ももちろんありますけれども、僕らはそういう場所で暮らしてこなか

ったからこそ楽しめるというのがあるのですね、そういう環境を。なので、自然豊かで人

とのつながりが濃いこういう場所で僕自身生きていきたいと思ったのが、やっぱり強い動

機です。

どうせ生きていくならというか、どうせ仕事をするのだったら、誰かのためにやっぱり

働きたいし、誰かの笑顔をつくり出していきたいと思ったときに、東京都とかに暮らして

いるとお客の顔って見づらい仕事が多いと思うのです、人が多過ぎる中で。でも、広田町

でこういう活動をすると、お客はもう目の前のおじいちゃん、おばあちゃんですし、地元

高校生とかですし、そういう目の前の笑顔、この人が笑顔になったら、自分たちがやった

意味があるし、この人が笑顔にならなかったら自分たちがやっている意味がないという、

明確に自分のやるべきこととかやっている意義がわかるというところはすごいいいなと思

っています。なので人が少ないからこそ得られるやりがい、生きがいというものがこの町

にあるなと思って、この町で暮らしながらずっとやっていこうと思ったのはあります。

奥さんは説得したわけではなく、奥さんに逆に説得された部分もあるのです。いやいや、

じゃなくて、私も行きたいという感じですね。というのは、この団体を立ち上げた当初か

らの立ち上げメンバーなのですね。その立ち上げたときに知り合ったのですけれども。な

ので説得したというよりは彼女、奥さん自身も自分で通って、広田町に何回も来ています。

奥さんは東京都の両国出身で、小学生のころ文集に将来は田舎で暮らしたいと書いていた

みたいなのです。そのぐらい、都会で暮らしていたからこそ田舎で暮らしたいと思ってい

たけれども、その出会いがなかったのです。なので、広田町のために活動する中で広田町

も大好きになったし、この町で私も暮らしたいし、子供を育てるのだったら自分が生まれ

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育った東京都ではなくて、田舎で育てたいという思いがあった。そういうのもあって、僕

から説得して来なよということは一言も言ってなく、奥さんも来たいと言って来た。引っ

越してきてから1年たって、お互いがこの町でこれからも暮らしていきたいし、一緒に暮

らしたいと思ったら結婚しようという話で、引っ越してきた1年間は結婚はしていなくて、

恋人というかそういうふうにつき合っている中で1年間一緒に暮らして結婚したという、

そういう流れでした。

○福井せいじ委員 ありがとうございました。これからの参考になるので。さっき言った

都会に欠けているものがあったと、そしてまたどうせ仕事するなら笑顔を見たい、その目

の前にある笑顔をつくりたいという。ありがとうございます。私もそのつもりで頑張りた

いと思います。

あと、今度はシステム的なことなのですけれども、いろんな事業をやっていらっしゃる。

これをサポートする仕組みとか、組織とかというのはどうやってつくられたのですか。三

井さん一人でやれるわけではないですよね、これは。東京都にもある、広田町にもある、

この仕組み、組織のつくり方というのは、非常にマネジメント力が高いなと思うのですけ

れども、どうやってつくってきたのか。

○三井俊介講師 がむしゃらに走ってきた部分はあるので、うまく言葉にまだまとめられ

ないのですけれども、大学時代に学生組織をつくって、サッカー×国際協力WorldF

utをつくったというお話をしましたけれども、それは日本でチャリティーの国際大会を

開いて、サッカー好きな人がサッカーをすると、その収益をカンボジアでサッカーがした

くてもサッカーができない子供たちのためにグラウンドをつくったり、コーチを派遣した

りというようなことに使うということで、サッカー好きの人たちが楽しみながら国際協力

できるような、そういうものをやっていたのです。

この組織運営を3年間やったときに、代表でやっていましたので、40人ぐらいのメンバ

ーを抱えて、毎週会議をして、みんなボランティアの人たちが交通費とかも手出しでやる

中で、ノウハウを蓄積したというのが多分あると思うのです。

何より大事にしているのは、やっぱり会社と違って給料出すよということは言えないの

で、本当にその人がやりたいことをうちの組織でできるかどうかということは大事だなと

思っています。なので、そのメンバー一人一人のやりたいことというのをしっかり聞きな

がら、みんなでその企画の目的をつくったりとか、それこそうちのGoodなChang

eを起こすというミッションも僕がトップダウンで提案したものではなくて、みんなでゼ

ロからつくったものなのです。だから、所有感がある、所有感というか、もう自分のもの

なのです。そういうみんなで何事もつくり上げていく、その人が本当にやりたいことをで

きる組織にしていくということだけはこれまでまず大事にしてきましたし、これからもし

ていきたいなというふうに思っています。

○福井せいじ委員 ありがとうございます。ここに来て5年間たったわけですけれども、

三井さんの幸せというのは何なのですかね。夢とか、幸せとか。

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○三井俊介講師 どうなのですかね、でも今ですかね。それこそ何か将来 10 年後こうな

りたいから今こういうふうに生きようとか、そういう考えって余りない。どっちかという

と、もう今自分がやりたいと思うこととかしたいと思うことを全力でやり切るという、や

っぱりそういう生き方のほうが僕は好きだなと思っていまして、なのでそういう意味でい

うと今やりたいことができている、もちろんつらいこととかもいっぱいあるのですけれど

も、こういう自分たちが思い描くものが一個、一個形になっている今はやっぱりいいなあ

とは思います。

○福井せいじ委員 済みません、最後に、新しい何かを持ってくるものではない、ありの

ままの暮らしを生かして一人一人の確かなつながりをつくり出すということだったのです

けれども、実は三井さんという新しいものが広田町に来たからこそ僕はできたのではない

かなというような気がします。そういった意味では、これからも実は新しいものとか、外

からのものというものを注ぎ込み続けなければいけないと私は思います。神があなたとい

う新しいものを陸前高田市に持ってきたのだなというふうな気がします。これからも新し

いものを持ってきてください。要望で終わります。

○三井俊介講師 そうですね、あそこの意味合いとしては全く新しいもの、例えば工場を

誘致すればいいんだとかいう地元の方って結構いるのですけれども、そういうものではな

いという意味です。なので、若い人とか僕らの新しい視点というのはこれからももちろん

対話をする中で入れるのですけれども、でも地元にあるいいものってたくさんあって、そ

れは外から来るとすごく感じるので、それをしっかり生かせるような形というものを考え

ていきたいという意味合いで使っていました。なので、僕らは、じゃあ、このタイミング

で若者が来なくていいよというふうにするかというとそうではなくて、ずっと新しい外か

らの風というか、価値観というものは注ぎ込んでいきたいなというふうに思っています。

○福井せいじ委員 ありがとうございました。

○三井俊介講師 あと、ちょっとさっきの補足の説明で、しゃべりたいなと思ったことが

飛んでしまったのですけれども、今を全力でやり切るみたいなところに幸せを感じるとい

う話をさせてもらったのですけれども、そう思うようになったのはこっちに来てからなの

ですね。それは何かというと、震災が起こった地域で、あしたがなくなるということをみ

んな知っている方々なのですよね。あすは来ないかもしれないというか、突然なくなって

しまうわけではないですか。そういう中で地元の人たちが、だから今を楽しく生きるのっ

て大事なんだというのをひしひしと、言葉にしなくてもすごく感じて、そういうところか

ら将来 50年後とかを見て今を積み立てるのではなくて、今一瞬、一瞬を生き切ることがす

ごく大事なんだなということは、こっちに来て地元の人と話す中ですごく学ばせてもらい

ましたし、それは東京都では感じることができなかったものだなというふうに思っていま

す。なので、ちょっとそれだけ補足をさせてもらいました。

○福井せいじ委員 ありがとうございました。

○飯澤匡委員 どうもありがとうございます。私は、一種ヒエラルキーのある時代に育っ

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てきたので、三井さんのように、震災という大きな事象があるにもかかわらず、社会との

接点を学生時代から模索というか、そのフィールドワークの中でやってきて、それを実行

に移すということ自体がとても、私の価値観の中には、恐らく私と同世代を生きている人

たちには、そういう時代背景というのはなかったと思うのですよね。そういう意味で時代

はもう変わっているのだなというのを改めて確認をさせていただいたと思いますし、それ

から行政に対するアプローチについても、若者についても、少し既存の考え方でないやり

方をやっぱり考えていかなければならないのだなということをきょうは学ばさせていただ

いたと思います。

それで、一つお聞きしたいのは、これまでの話をお聞きすると、三井さん自体はそうい

う何か助けたいという思いの延長上から、接点を厚くしているうちにやはり広田町に住み

たいという気持ちが出てきて、NPOという団体ではあるけれども、事業化を進めてきた

わけですが、例えば学生の方々をこういうふうにまとめるという言い方はちょっと違うか

もしれませんけれども、広田町に呼んでくる、そういうときのアプローチの仕方、そして

結構女子の学生の方々も積極的に参加しているようですけれども、そこら辺はどういうよ

うなやり方でやっているのかなと。その後社会に、自分のいろんな希望をかなえるために

職業に就くのでしょうけれども、その後は何か、バックアップみたいなことはやっている

のかなという、この点は軽くでいいです。そこら辺は僕の価値観から言うと、やはり自分

以外の利益に対して熱心になるというのはなかなかちょっと考えづらいものがあるので、

そこはあえて強調させていただいて。どっちにしろ学生時代、自分の中心の周りの中でし

かなかった時代ですから、そこら辺えらく不思議なのですよね。ですから、その点を、感

覚的な表現で結構ですから、ちょっと教えていただきたいなと思います。

○三井俊介講師 そうですね、私たちの世代、私たちよりさらに下の世代というふうには

なると思うのですけれども、どういう特徴があるかというと、高度経済成長が終わってバ

ブルがはじけたぐらいに生まれたり、そのころ、それ以降に物心がついている世代なので

すね。なので、お金を稼げば幸せになれるというような価値観を一切、一切と言ったらあ

れですけれども、知らないのですね。肌感覚としてわからない世代です。一方で、親とか

周りの人たちを見ていて、あっ、お金を稼ぐだけでは幸せになれないんだということを知

っている世代でもあるわけです、肌感覚で。なので、お金だけのために何かを、自分の人

生を費やすということにもう違和感がある人が多いと思います、僕らから下の世代は。そ

う考えたときにどうなるかというと、何か誰かのためにしたい、社会のためになりたいと

いう思いを持っている大学生の子たちとか若い人たちはふえているのだと思うのです。な

ので、私が大学生のころはWorldFutという社会貢献のための学生の組織を始めた

ときは、まだまだそういう団体って少なかったのですけれども、もう今はかなりふえてい

ます。なので、そういう自分の遊びのためとか、何か利益のためだけではなく、社会のた

めに何かしたいと思っている若い人というのはふえていますし、その人たちの根源的にあ

るのはお金を稼ぐだけでは幸せになれないということに気づいた世代、肌感覚で知ってい

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る世代だなというふうに感じています。なので、広田町で町の人の一人の笑顔をつくろう

という、こういう取り組みというのは大学生たちに刺さるというか、ニーズを捉えている

のかもしれないなというのは思っています。

あとは、どういうふうに学生の皆さんに来てもらうかとか、動員しているかというとこ

ろでいいますと、完全に口コミですね。一応Change Maker Study Pro

gram事業とかはウェブ上で募集を出すのですけれども、そのウェブ上から申し込みが

来る人ってほとんどいなくて、全部スタッフの口コミですね。そこも逆に言うと、口コミ

のネットワークづくりというものはしっかりこれまでノウハウをためてやってきました。

Change Maker Study Program事業が約7万円の参加費で、プラ

スで交通費かかるので、10万円弱ぐらいを大学生が自分でバイト代とかから払って来るプ

ログラムなのですね。それが、ことしの春 45人募集をかけて 45人集まったのですね。集

めたのは僕らではなくて、大学生のスタッフの子たちがいて、その子たちが声をかけて集

めました。まず、無料説明会があったのですけれども、それには1か月間で 120名の大学

生が興味を持って実際来てくれています。その中で7万円、10万円近くを自分に投資して

1週間という春休みの貴重な期間を使って来るという選択をした子が 45人、それは全部大

学生の口コミでできたという形になります。

あとは、その子たちが社会人になった後の定期的な集まりというのは提供というか、つ

くって、そこでいろんな話をしながら、悩みとかを聞かせてもらったり、逆に僕らにはそ

こが若手社会人のニーズというものを正確に把握する場になっています。というのは、僕

は大学を卒業してそのまま移住してきたので、一般企業に就職したことがなくよくわから

ないので、そういう若手社員が抱えるリアルな悩みというのはその子たちから聞かせても

らいながら、ちょっと次の展開というのは今考えているところです。

○飯澤匡委員 大変わかりやすい、よくわかりました。私は、人間の欲というのは果てし

ないと思っているので、そこをどうかわしていくかということに終始をしているわけです

が、考え方を変えていかなければだめだなと思います。

あと、やはり今後恐らく間違いなくいろんな壁にはぶち当たると思うのですけれども、

三井さん、きょうのお話の仕方だとか、今までの活動を見ても、自分のためにというより

も、社会だとか地域のためという考え方が前面に出ているので、ぜひともその考え方でこ

れからも頑張っていただきたいというふうに思います。

議員の活動もなさっている中でいろんな不合理な点はかなり出てきますので、そこもあ

わせ持って頑張っていただくことを願います。

○斉藤信委員 大変感心しました。それで、一つは民泊修学旅行、これは二つ誘致をした

というので、6月に 120人、10月に 320人、大変おもしろい企画というか、これから長く

続くというか、交流人口をふやすというか、いい取り組みだと思います。しかし民泊です

から、例えば 120 人だと、50 戸なり何十戸のところで2泊3日とか、3泊4日とか、320

人になるとそれこそ 100戸くらいが協力しないといけないのではないかと思うのですけれ

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ども、地元との関係でどんな取り組みに今なっているのかというのを一つ教えてください。

あともう一つは、春に 45人来たという、この方々はどういうところに泊まられて、もう

ちょっとリアルにどんな取り組みをされたのか。

あと、最後ですけれども、この間の活動の話は大変すばらしいと思うのですけれども、

この間困ったこと、障害になったこと、いろいろあると思うのですけれども、どういうこ

とで困ったか、どういう障害があったか、それをどういうふうに乗り越えていったのかと

いうことをちょっと教えていただければ。

○三井俊介講師 まず最初に民泊についてなのですけれども、来る学校が決まって、その

後から地元の方に説明会を開催しているという話の流れで、ちょっとおかしさを感じると

思うのですよね。先に来ることが決まっちゃってるのみたいな感じがあると思うのですけ

れども、実は沖縄県での民泊修学旅行と奈良県での民泊の修学旅行を誘致した人たちが株

式会社&Natureという会社の人たちで、一緒にそこと組んでやっているのですね。

その方々からよくよく話を聞くと、沖縄県でも、奈良県でもそういうふうな形で、まずお

客、ニーズを先につくっていた。その後に受け入れの体制を整備した。そうじゃないと民

泊って開拓できないよという話を聞きました。なぜかというと、地元の方にいつか泊まり

に来るかもしれないのですけれども、来たら泊めてもらえますかと言っても、誰もうんと

は言わないそうです。でも、来年の6月に 120人来ます、何とかお願いしますというふう

にやると受け入れてもらえるというふうな話で、僕も首をかけて取り組んでいます。

現在でいいますと、6月に関しては大体集まり終わっているよという形なのと、6月を

終えてから次の 80軒、320名の受け入れに関してはまた頑張っていくという形で、何とも

危ない橋を渡っている感じなのです。ただ僕らは広田町で活動しているのですけれども、

一般社団法人マルゴト陸前高田という陸前高田市の交流人口の受け入れの窓口があるので

すけれども、そこが陸前高田市全体の民泊はやっているのです。なので、広田町だけで賄

えない場合にはそっちのほうでも受け入れられるように連携をしながらやっているところ

です。なので、何とかなるのではないかなというふうに思っています。

Change Maker Study Program事業はどういうことをしたかと

いう話なのですけれども、まず7日間あるうちの基本的な宿泊場所というのは空き家を借

りています。空き家を1か月だけ貸してくださいという形で借りて、2階建ての空き家に

20人、15人ぐらいの大学生が入るという形で泊まっています。

最初に来た1泊目は民泊をします。それが民泊修学旅行誘致事業との連携にもなるので

すけれども、Change Maker Study Program事業で大学生のスタッ

フの子たちがいるので、その子たちがこの人と一緒に民泊をやりたいという地元の人たち

を一人ずつ口説いて 18軒の民泊の受け入れをしてくれる人をふやして、今回の春で。そこ

から民泊修学旅行誘致事業もあわせてお願いしますという形でやりました。

1日目は民泊をしたり、あとは具体的にはカキのお手伝いをしたりとか、おばあちゃん

と一緒に何かお餅つくったりとか、お茶っこしたりとか、あとは散歩というか、歩きなが

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ら会った人と話したり、本当にそういう生の地元の人の声が聞けるような企画だったり、

ものをつくっています。

ただ大事にしているのは、地元の人もいつもと変わったことをするのではなくて、いつ

もの生活に大学生をちょこんと置いてくださいということで、地元の人も気軽に、楽に、

ふだんの話ができるようなものというのは意識してやっています。やっぱり何か頼んでつ

くってもらうとすごく負担がふえてしまうので、次から大変だとか、嫌だというふうにな

ってしまうので、まずはふだんやっているところに大学生をちょこんと置いてください、

そうしたら楽しいですよと言って、楽しんでもらうということを大事にしています。

あとは障害になったことですね、そうですね、つらかったことみたいなもので言います

と、引っ越してきて最初の半年間がやっぱり一番大変でした。それこそ私が移住したのは、

100 世帯ぐらいしかないところに引っ越したのですね。私のように全くの外部から移住し

てきた人が実に 50年ぶりぐらいという話で、半世紀ぐらい外から一切来なかったような地

域にぽんといきなり入ったような感じなので、地元の人も多分わけがわからなかったと思

いますし、僕も田舎の御近所さんとのつき合い方も全くわからない中で、お互い大変な思

いをしたのが最初の話だったかなと思います。

最初というのは広田町の課題とか何かというのが明確にわかっていたわけでもないです

し、こういう形ができていたわけでもないので、闇雲に何だりかんだりやっていてという

中で、かなり多くの批判をもらったりしたこともありました。あとは宛名不明の恐怖の手

紙と僕らは言うのですけれども、あなたは出ていけみたいなのとか、あなたの大切な人が

いますね、奥さんも移住していたので、その人を津波で亡くなった人と同じ場所に連れて

いくことも私はできるのですよみたいな、そういうのが届いたときもありましたね。

ただ、そのときに思ったこととしては、自分の身の振り方がそういうのをつくっている

というふうに思って、自分自身が振る舞いを変えないといけないんだなというところに立

ちかえることができて、なぜ移住したかといえば、ここの人たちの笑顔をつくるためなの

に、その批判が出るということは自分の振る舞いが悪いからそういうふうに言ってくれた、

教えてくれたと思うしかない。じゃあ、目の前の人のとか地元の人の笑顔をつくるために

自分たちは本当に何をしなくてはいけないのかというのを改めて考え直したときに、ちょ

うどそういう話をしていたら、コンサルティング会社勤務の人と会って、すごいいい方で、

その方がいろいろサポートしてくれて、その後3年ぐらい一緒にやってこの体制を形づく

ったり、地元の人とのコミュニケーション教えてもらったりというので救われました。障

害になったのはそのようなことで、乗り越えられたのはやっぱり移住した動機を思い出し

たことだったかなというふうに感じています。

○斉藤信委員 ありがとうございました。

○岩崎友一委員 1点だけですけれども、感じたことをちょっと教えていただきたいのは、

今地方創生ということで人の流れを首都圏というか東京都の周辺から地方へということで

国のほうでも動いている。それに基づいて地方でも、陸前高田市もそうでしょうけれども、

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総合戦略をそれぞれつくって、定住人口、交流人口をふやそうという流れがあると思うの

ですが、実際三井さんがこっちに移住してきた一人として、本当に都市部から地方に人を

促すために何をすべきかというのをどのように感じているかというか、捉えているか、そ

の辺ちょっと率直にお考えをお聞きしたいのですが、いかがですか。

○三井俊介講師 難しいなと思うのですけれども、それこそ今やるべきことはまさにこれ

だと思っていて、やっぱり地域で暮らす、地域に引っ越してくる人材を育成する機能が足

りていないと思うので、人材育成の機能と、あとは引っ越してきやすい環境がないと思う

ので環境整備というので、新しい人の流れをつくる上で私自身はやっぱりここが一番大事

だなと思って今取り組んでいるという形です。

あとはもうどれだけ差別化を出せるかということだと思うのです。各沿岸にしろ、内陸

にしろ、東京都の人からしたら岩手県は岩手県ですし、宮城県は宮城県で、それ以上でも、

それ以下でもなくて、そこに陸前高田市があろうが、一関市があろうが、余りわからない

と思うのです。その中で岩手県の移住のサイトとか最近できたと思うのですけれども、そ

ういうのを見るときに、どこがどれだけどう違うのかというのがやっぱりわからないと、

結局選べない。その選ぶ基準になるのは、住む場所と仕事というそれだけではなくて、や

っぱり地元の人の顔なのかなという気はします。ふだんの生活というか。東京都からとか、

都会からこっちに引っ越してくる人が本質的に何を求めてくるかというと、多分仕事だけ

ではなくて、トータルの生活全部の豊かさだと思っているのです。それこそ東京都で暮ら

していると、仕事して、夜遅くまで働いて寝るだけに帰るみたいな話とかもよく聞くので

すね。特に僕の年代だとみんなそうですし、となるともう仕事だけになるのですよ、生活

が。土日も会社仲間とだけ会って、上の人とか同年代としか会わないみたいな。そうする

と、仕事が生活そのものになってしまう。でも、こっちに暮らしているとそういうのでは

なくて、やっぱり地域のおじいちゃん、おばあちゃん、多年代とかかわったりとか、あと

は仕事だけではなくてウニとりに行ったりとか、みんなで海でバーベキューしたりとか、

その暮らし全部のトータルの豊かさというものはこっちのほうが高い、はるかに高いなと

思って、そういうのが見えるようになるというのはすごく大事なのかな、ちょっと感覚的

なものなのですけれども、大事なのかなというふうには思います。

○岩崎友一委員 ありがとうございました。実際、幸せイコール経済的豊かさで東京都と

張り合おうたって絶対地方は無理なわけですよね。だから、何とか、三井さんがおっしゃ

るようにトータル的にメリットを地方がこう出して、やっぱりそれをちゃんと都会の人た

ちにもわかってもらって、それから人の流れが地方に向くというようなことが大事だと思

います。

ハードはハードで大事なのでしょうけれども、やっぱり三井さんがやっている丁寧なソ

フト的な対策というのも本当に大事だと思いますので、これからも頑張っていただいて、

ぜひ地方創生のモデルとなるような取り組みに育てていただければと思いますので、よろ

しくお願いします。以上です。

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○佐々木朋和委員長 ありがとうございました。

ほかに委員からの質問はございませんでしょうか。

〔「なし」と呼ぶ者あり〕

○佐々木朋和委員長 ありがとうございます。

本当に三井様にはあしたもまたワカメ漁があるというところ、お忙しい中お越しいただ

きまして、貴重なお話をいただきました。まことにありがとうございました。

〔拍手〕

○佐々木朋和委員長 ありがとうございました。

では、委員の皆様には、次回の委員会運営等につきまして御相談がありますので、しば

しお残りいただきたいと思います。

○佐々木朋和委員長 次に、当委員会の今年度の委員会調査についてでありますが、お手

元に配付しております委員会調査計画(案)のとおり実施することとし、5月の調査の詳

細については当職に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○飯澤匡委員 場所は。

○佐々木朋和委員長 場所、まだ決まっておりません。

次に、8月に予定されております当委員会の調査事項についてでありますが、御意見等

はありますか。

〔「特になし」と呼ぶ者あり〕

○佐々木朋和委員長 御意見等がなければ当職に御一任を願いたいと思いますが、これに

御異議ありませんか。

〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

○佐々木朋和委員長 異議なしと認め、さよう決定いたしました。

以上をもって本日の日程は全部終了いたしました。本日はこれをもって散会します。あ

りがとうございました。