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教師研修におけるポートフォリオの意味 ―教師研修ポートフォリオとティーチング・ポートフォリオ― 松浦とも子・佐藤修・柳坪幸佳 〔キーワード〕ポートフォリオ、教師研修、評価、中国大学日本語教師 〔要 旨〕 本稿では、中国で行った大学日本語教師研修にポートフォリオを導入した経過を振り返り、参加者の 教師研修ポートフォリオを、キーワードの取り込み(アプロプリエーション)の実態、再文脈化の実態、 実践的思考様式の実態という3つの観点から分析することで、教師研修におけるポートフォリオの意味 を考察した。その結果、研修参加者は教師研修ポートフォリオを作成することで、研修からの知見を再 文脈化し、実践経験を表象化していることが明らかになり、教師の成長過程における実践の表象化を支 える手段としての教師研修ポートフォリオの意義の認識が可能となった。ポートフォリオ導入時の目的 は、第一に研修の評価方法の模索、第二に参加者にポートフォリオを体験的に理解してもらうことであ った。二点の目的はそれぞれ達成されたが、それに加えてポートフォリオ作成の過程が教師の成長過程 に与える影響も、分析を通して新たに明らかになった。 1.はじめに 北京日本文化センターでは、 2012 年の「大学教師日本語教育学研修」において、教師研修ポ ートフォリオの導入を試みた。本研修は、週1回3時間、3ヶ月間、計 11 回のコースで、内省 と気づきを促し参加者の現場の改善につなげられる内容の提供を目指している。本研修に、研 修ポートフォリオを導入する理由は、(1)研修における評価方法を確立する、(2)教師自 らが研修ポートフォリオを作成することにより学習ポートフォリオの特徴を理解する、という 2点である。 本稿では、 2012 年「大学教師日本語教育学研修」に教師研修ポートフォリオを導入した経過 を振り返り、教師の成長過程という観点から参加者の教師研修ポートフォリオを分析し、教師 研修におけるポートフォリオの意味を探求する。 2.研修の内容とポートフォリオの位置づけ 「大学教師日本語教育学研修」の内容 本研修は北京日本文化センターと北京日本学研究センターの共催で 2010 年から毎年3月~6 月に開催されている。今回の目標は以下の通りである。 -7-

教師研修におけるポートフォリオの意味 - Japan …...教師研修におけるポートフォリオの意味 ―教師研修ポートフォリオとティーチング・ポートフォリオ―

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教師研修におけるポートフォリオの意味―教師研修ポートフォリオとティーチング・ポートフォリオ―

松浦とも子・佐藤修・柳坪幸佳

〔キーワード〕ポートフォリオ、教師研修、評価、中国大学日本語教師

〔要 旨〕

本稿では、中国で行った大学日本語教師研修にポートフォリオを導入した経過を振り返り、参加者の

教師研修ポートフォリオを、キーワードの取り込み(アプロプリエーション)の実態、再文脈化の実態、

実践的思考様式の実態という3つの観点から分析することで、教師研修におけるポートフォリオの意味

を考察した。その結果、研修参加者は教師研修ポートフォリオを作成することで、研修からの知見を再

文脈化し、実践経験を表象化していることが明らかになり、教師の成長過程における実践の表象化を支

える手段としての教師研修ポートフォリオの意義の認識が可能となった。ポートフォリオ導入時の目的

は、第一に研修の評価方法の模索、第二に参加者にポートフォリオを体験的に理解してもらうことであ

った。二点の目的はそれぞれ達成されたが、それに加えてポートフォリオ作成の過程が教師の成長過程

に与える影響も、分析を通して新たに明らかになった。

1.はじめに北京日本文化センターでは、2012年の「大学教師日本語教育学研修」において、教師研修ポ

ートフォリオの導入を試みた。本研修は、週1回3時間、3ヶ月間、計11回のコースで、内省

と気づきを促し参加者の現場の改善につなげられる内容の提供を目指している。本研修に、研

修ポートフォリオを導入する理由は、(1)研修における評価方法を確立する、(2)教師自

らが研修ポートフォリオを作成することにより学習ポートフォリオの特徴を理解する、という

2点である。

本稿では、2012年「大学教師日本語教育学研修」に教師研修ポートフォリオを導入した経過

を振り返り、教師の成長過程という観点から参加者の教師研修ポートフォリオを分析し、教師

研修におけるポートフォリオの意味を探求する。

2.研修の内容とポートフォリオの位置づけ2.1 「大学教師日本語教育学研修」の内容

本研修は北京日本文化センターと北京日本学研究センターの共催で2010年から毎年3月~6

月に開催されている。今回の目標は以下の通りである。

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授業日 講義内容(毎回3時間)

1 3.22 オリエンテーション

2 3.29 教材改革の理念 ポートフォリオ講義

3 4.5 教師の成長を考える

4 4.12 第二言語習得理論

5 4.19 読むこと・聞くことを考える

6 4.26 話すこと・書くことを考える

7 5.10 日本事情

8 5.17 JF日本語教育スタンダード紹介

9 5.24 実践授業の発表と分析

10 5.31 実践授業の発表と分析

11 6.7 振り返りとまとめ

年齢 教授歴 学歴

参加者 A 36歳 8年 修士

参加者 B 44歳 9年 修士

参加者 C 32歳 2年 博士

参加者 D 30歳 5年 博士

参加者 E 33歳 2年 博士

参加者 F 29歳 7年 博士

参加者 G 31歳 1年 博士

表2.シラバス

(1)日本語教育を実践と研究の両面から捉え、自らの問題意識を確認する。

(2)実践の内省を通して、授業の更なる改善を目指す。

(3)教師研修ポートフォリオを作成し、各自の教育活動の中に本研修を位置づける。

表1.参加者概要

研修の第1回~第8回までは講義(またはワークショップ)とディスカッションで展開し、

第9回、第10回は、8回までの内容を受けて、問題意識に基づき各自の大学で実践授業を実施

した結果をまとめ、発表してもらった。発表時間は一人20分。毎回の講義後、レポートを提出

し、研修期間を通してポートフォリオを作成することを初回で説明した。

2.2 ポートフォリオの位置付け

2.2.1 教師研修ポートフォリオとティーチング・ポートフォリオ

ポートフォリオは「第一に自己の成長を査定し省察する機能、第二に学習プログラムのなか

でいかに進歩したかを査定することを促す機能、そしてそれを他者に開陳あるいは共有するな

らば、第三に外的リソースに対しての自己表現を促す機能」(山川2003:230)を持つとされ、

日本では大学の教職実践演習の場でも利用され始めている(1)。鞍馬(2010:25)は、教職課程

におけるポートフォリオ導入について「知識や経験を統合して実践に移し、その実践を省察し

て明示化してポートフォリオとして蓄積していくことは、自らを絶えず説明可能な状態にする

ことを意味する」と述べている。

一方、1990年代以降アメリカで急速に広まったというティーチング・ポートフォリオも、教

育業績の記録を整理・活用する仕組みとして日本でも注目を集め、大学評価などで試行されて

国際交流基金 日本語教育紀要 第9号(2013年)

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いる。「自らの教育活動について振り返り、自らの言葉で記し、多様なエビデンスによってこ

れらの記述を裏づけた教育業績についての厳選された記録」(大学評価・学位授与機構2009:1)

と定義されるティーチング・ポートフォリオは、教員個人のための教育活動を記録し、振り返

るための手段であると同時に、教員の教育業績を評価する資料とされる。

中国では現段階で、まだ学習ポートフォリオも普及しておらず、その特徴を理解するために

も教師自らが教師研修ポートフォリオを作成することを本研修の狙いにしている。また、研修

ポートフォリオを研修における評価の一つと位置付けている。一方、中国の大学では教師評価

に関して独自の方法が研究、実施されているようだが、自らの教育活動について振り返りを重

視するティーチング・ポートフォリオという概念は取り入れられていない。

日本語教師研修での研修ポートフォリオ導入については、小玉・木山・有馬(2007)の報告

及び2009年の国際交流基金海外日本語教育研究会でのマレーシア教師養成講座プログラムに関

する Ang Chooi氏の発表がある。

松浦・佐藤(2012)では、「大学教師日本語教育学研修」の参加者である中国人現職教師10

名からインタビューデータを取り分析したところ、自身の経験や問題意識を踏まえポートフォ

リオの意義や特徴を理解し、具体的に現場に生かすイメージを持ったということがわかった。

また、研修の評価をどうするべきかについて、「研修の前後での変化を内省することが大事」

や「他者評価よりも自己評価が重要」という意見があり、「教育現場での実践を評価するべき」

という言葉が複数見られた。このことから筆者らは、研修から教育現場への連続性が必要だと

いう認識を得た。

その結果を受けて、北京日本文化センターでは、「大学教師日本語教育学研修」のためのポ

ートフォリオの構成要素とその活用法について、以下のように考えた。

2.2.2 ポートフォリオ導入のデザイン

「大学教師日本語教育学研修」は、講義及びワークショップと実践授業で構成され、参加者

の気づきと内省を促す対話中心の「現場に密着した研修」である。研修という学びの場での知

識の獲得及び内省と、現職教師としての教育活動の内省は連続しており、教育活動は研修での

思考を取り込みながら継続していくはずであることから、「現場に密着した研修」のポートフ

ォリオのデザインとして、参加者の教育実践での振り返りを記述するティーチング・ポートフ

ォリオに研修ポートフォリオが組み込まれた、入れ子型ポートフォリオの導入の可能性がある

と考えた。図1はそのイメージ図である。

また、ポートフォリオを導入した研修をデザインするにあたり、研修と教師の成長プロセス

について以下のように考えた。

秋田(2008)では、教師の学びは単線モデルでは説明がつかず、講演などを受けてビリーフ

教師研修におけるポートフォリオの意味

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や知識が変化して行為するわけではなく、「とりあえず試してみて、そこで何か生徒に変化が

生じたと実感して初めて、これまでの信念が解凍して新たな信念へと変わり、知識が活用され

るようになる」と述べている。このことからすると、教師研修の講座で語られたこと、討論の

中での共通理解も、ある教師にとっては学習の一契機となるが、ある教師にとっては学習や実

践化とは直結しないといえる。秋田(2008)が言うように、研修は「教師の問題意識や信念、

知識、技能との関連で、学習として成立するかどうかが決まってくる始まりとなる場」(下線

著者)であり、丸野・松尾(2008)の図の一部を借りると図2のようなモデルを描くことができる。

教師の成長過程と研修の関係を以上のように認知レベルと行為レベルの往還を通して、新た

図1.ポートフォリオ導入のイメージ図

図2.対話重視の研修における教師の成長モデル

丸野・松尾(2008)「協同構成的な対話による授業研究における教師の成長モデル」一部(2)

国際交流基金 日本語教育紀要 第9号(2013年)

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な枠組みが内在化されていくプロセスと捉え、研修が参加者自身の教育活動の継続に取り込ま

れていることを意識した教師研修のデザイン、及びポートフォリオの位置づけを考えた。

ティーチング・ポートフォリオに関しては大学評価・学位授与機構がまとめた報告書『日本

におけるティーチング・ポートフォリオの可能性と課題』(2009)が挙げている構成内容「理

念:自らの信念、価値」「今後の目標:短期的・長期的目標」「評価と成果:授業評価、学生の

提出物、受賞、同僚の所見、学生の学会発表」「改善活動:研修会参加、授業の改善」「目的と

方法:試験シラバス、小テスト、講義スタイル」などの項目を記述させることにした。

上記報告書に実践例として挙げられている方法に従い、研修では、まず、ティーチング・ポ

ートフォリオ作成の際に基礎資料となるスタートアップシート(3)を事前課題として用意させた。

研修が教育現場と切り離された所で行われるものではないことを参加者である現職教師たちに

意識させる必要があると考えたからである。

研修開始時にスタートアップシートを講師と共有し、研修での目標を確認する。研修期間中

は、研修で得た新しい知識や方法を記録すると共に、数回のメンタリングを通して、教師研修

ポートフォリオを作成していく。そこには計画表や実習の記録、内省の記述も含まれる。研修

中には、学習ポートフォリオについての講義を用意するが、研修参加者は自らが教師研修ポー

トフォリオを作成し、利用することで、学習ポートフォリオについてより理解を深めることを

期待した。

2.3 研修参加者のポートフォリオ作成のプロセス

2.3.1 スタートアップシート

図1の構想をもとに、実際に展開された研修参加者のポートフォリオ作成過程は表3のとお

りである。

参加者たちは、各講義後、講義内容に関してのレポート(4)を書く課題のほかに、研修の前半

表3.研修の流れと研修参加者のポートフォリオ作成過程

教師研修におけるポートフォリオの意味

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1 自身の教授歴等に関する基本情報

2 大学の教育目標

3 担当講義

4-1 3に共通する方法や方針

4-2 授業での独自の工夫

5 4-1及び4-2で挙げた方法や方針をなぜとっているのか

6 エビデンスの有無

7 教材の開発経験

8 学生に身につけてほしいこと、成長してほしい点

9 自身の短期的ゴール及び長期的ゴール

表5.エビデンスの有無

でスタートアップシートの記入、中盤からティーチング・ポートフォリオの作成が課題となっ

た。

大学評価・学位授与機構(2009)はティーチング・ポートフォリオ作成ワークショップのた

めに独自のスタートアップシートを設計した際、その目的として、第一に参加者にティーチン

グ・ポートフォリオの下地を用意してもらうということ、第二に初回のメンタリングにスムー

ズに入るためのコミュニケーション手段としての役割を持っているということを挙げている。

本研修でもスタートアップシートにはこの2点の目的を持たせた。

本研修で課題としたスタートアップシートの内容(5)は、表4、表5のとおりである。

表4.スタートアップシートの質問内容

2.3.2 メンタリング

当初の計画では、ポートフォリオの講義のあとに、研修中に3回メンタリングを実施してテ

ィーチング・ポートフォリオを完成させる予定であったが、実際は、仕事をしながら通ってく

る参加者にとって時間的に余裕がなく、ティーチング・ポートフォリオを書くための負担が大

きかったようで提出が遅れ、メンタリングができたのはスタートアップシートを見ながらの1

回だけであった。

参加者から提出されたスタートアップシートは、想像したより簡単な記述ですまされている

ものが多かった。講師は、その原因を2つの点から考えた。まず、教授歴の浅い教師の中に実

践の経験が少なく、問題意識があまりないのではないか。また、ティーチング・ポートフォリ

オの概念がないため、何のためのスタートアップシートなのかが研修参加者に理解されておら

ず、記述が簡単になるのではないかと推測した。

そこで、メンタリングでは、スタートアップシートを見ながら講師と参加者が話し合い、実

国際交流基金 日本語教育紀要 第9号(2013年)

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践に対する問題意識を深め、ティーチング・ポートフォリオ作成に向けて記述を詳細にしてい

くことを目的とした。その際、「記述してあることの確認」「記述の一貫性の確認」「記述され

ていない項目を口頭で言語化させること」に焦点を置き、確認していくことにした。

メンタリングの方法は、講師1名と参加者2、3名のグループで行った。グループは教授歴

の近い者同士をグループにした。スタートアップシートの時点で言語化ができていない参加者

がいたため、比較的記入ができている他の参加者の取り組みが参考、または刺激になるのでは

ないかという期待もあった。参加者1名に20分の時間をかけ録音した。

以下はメンタリングの例である。

(1) 記述してあることの確認

例:「4-2 独自の工夫」の箇所に、「教師の立場だけでなく、学習者の立場に立って

教育内容を選ぶ」という記述があった。(参加者 C)

メンターの質問「『学習者の立場に立って教育内容を選ぶ』とはどういうことですか」

(2) 記述の一貫性の確認

例:「4-1 講義に共通する方法や方針」「4-2 独自の工夫」と「8 学生に身につけ

てほしいこと、成長してほしいこと」の一貫性がない場合。(参加者 C)

メンターの質問「8に倫理なども学生に教えていきたいと書いていますが、そのために何

をしていますか。上のどことつながりますか」

(3) 記述されていない項目を口頭で言語化させること

例:教授歴1年の教師が「4-1 講義に共通する方法や方針」「4-2 独自の工夫」を

空欄で提出してきた。(参加者 G)

メンターの質問「授業で気を付けていることがありますか」

参加者の答え「間違うことを怖がらなくて話すようにさせています」

メンターの質問「なぜ間違いを恐れずに話してほしいと思うんですか?」

参加者の答え「一人っ子が多くて、プライドが高いので、間違いを恐れて手をあげないこ

とが多いんです。話さなければ上手になりませんから」

メンターの質問「そのために工夫していることがありますか」

参加者の答え「毎回の授業15分を使って、スピーチをしてもらっています」

2.3.3 ティーチング・ポートフォリオ提出

メンタリングの後、次の段階としてスタートアップシートを参考にティーチング・ポートフ

ォリオ記述に取り掛かってもらったが、その際、ティーチング・ポートフォリオの目次として、

以下の項目をあげた。これは大学評価・学位授与機構(2009)の実践例を参考にしている。参

加者の現場での教育活動の内省を促し、かつ活動を裏付ける証拠が提示されることが考えられ

教師研修におけるポートフォリオの意味

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ている。

(1)教育の責任 (2)教育の理念 (3)教育の目標と方法論

(4)授業を改善する努力 (5)学生及び同僚の評価

(6)学生の学習状況 (7)短期及び長期の教育目標 (8)添付資料

スタートアップシートはティーチング・ポートフォリオ作成の参考となるように設計されて

いるはずであり、スタートアップシートを前にしてメンタリングをした後なので、ティーチン

グ・ポートフォリオ作成はそれほど大きな負担にはならないだろうと考えた。しかし、実際は、

非常に簡潔なものを提出してきた参加者が数人いた。普段の授業態度から、それは怠慢からで

はなく趣旨が理解されていないからであると判断し、ティーチング・ポートフォリオの概念が

つかめるようサンプル(6)を示し、再度提出してもらった。サンプルを参考に再度提出されたテ

ィーチング・ポートフォリオは枚数も増え、深い考察の記述が見られた。

3.教師研修ポートフォリオの分析3.1 研修内容の取り込み方

本研修を通して、参加者である現職教師たちはどのような学びを経験しているのだろうか。

教師研修ポートフォリオの意味を検討するため、参加者が記述した教師研修ポートフォリオの

内容を分析し、研修での学びを確認する。

現職教師の研修内容の取り込み方は、「他者が語る実践の表象を自身の中で再文脈化、すな

わち自身の経験や知識、事実関係の情報に基づいて推論し再解釈しなければならない。そうし

て理解された表象がリソースとなり、教師は授業実践について思考する」(秋田2008)と考え

られる。また、再文脈化については、「他者の言葉を再文脈化して、他者が語る授業の状況を

理解する」場合と「他者が語る授業の事実を、自身が捉えている事実及び解釈と照らし合わせ

て、自身の授業の見方と他者の見方を省察し吟味する」場合の2種類に分けられ、教師が研修

での学びを行為レベルでも実践的知識として内在化していくためには、長期的な実践と省察の

繰り返しが求められるとしている。しかし、その第一歩として、講師の使用した言葉(キーワ

ード)を取り込むこと(アプロプリエーション)(7)から、そのキーワードの概念を思考し、そ

こから自らの授業を内省するということは、始まりの一歩ではあるが、意味のある一歩だと筆

者らは考える。

また、佐藤他(1992)では、「実践的知識」を基礎としていとなまれる教師の実践的な状況

への関与と問題の発見、表象、解決の思考の様式を「実践的思考様式」と定義している。そし

て、熟練教師の実践的思考様式は、実践場面における即興的思考、状況に対する積極的で熟考

的な関与、多元的な視点からの認識の総合、文脈化された思考、発見的反省的な問題構成の方

国際交流基金 日本語教育紀要 第9号(2013年)

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略の5つの性格で特徴づけている。

これら研修内容の取り込み方に関しての先行研究を参考に、研修での学びを分析する観点と

して、(1)言葉の取り込み(アプロプリエーション)の実態、(2)再文脈化の実態、(3)

実践的思考様式の実態に着目し、以下のデータを筆者3名で分析した。

a.スタートアップシート b.メンタリングの録音データ

c.各講義に関するレポート d.ティーチング・ポートフォリオ

e.研修後のポートフォリオに関するレポート

3.2 ポートフォリオ分析結果

3.2.1 研修で講師が使用した言葉の取り込みの実態

参加者 Aの場合、言葉の取り込み(アプロプリエーション)が顕著であった。スタートア

ップの時点で、「自分の講義に共通する方針」として「言語総合運用能力を身につけること」

と述べていた参加者 Aだが、ティーチング・ポートフォリオの「教育の責任」には「(1)専

門知識を身につけ、社会で自力で生きていける人間に育てること。その上、目標意識を持ち、

生涯学習能力を持つような人間になれたら、一番望ましい、(2)精神的に健康で、協調性の

ある人間に育てること」と記述してきた。また、「教育の目標」と「授業を改善する努力」の

項目に「(学生に)自律的な学習習慣が身につくように」という言葉が見られる。これは、スタ

ートアップシート記入の時点では「学校教育以外の時間でも随時に言語学習できる能力」と述

べていたことに近いが、研修の中で「自律的な」という言葉が多く見られたところからの取り

込みといえる。表6は、参加者 Aの記述の抜粋であるが、スタートアップシート記入時点で

は総合運用能力にこだわっていた教師が、第2回目の講義の振り返りシートに「人間育成、協

働能力の育成をいつも念頭に授業すること」とメモしていることから講義で使用された言葉を

積極的に取り入れながら、その点を強調して言語化していることが明らかである。

表6.参加者 Aの記述の抜粋

スタートアップシート学生に成長してほしい点

(1)総合運用能力。そのベースとして、記憶力、理解力、表現能力。

(2)場や相手に対応する適切なコミュニケーション能力。(3)学校教育以外の時間でも随時に言語学習できる能力。

第2回講義振り返り 人間育成、協働能力の育成をいつも念頭に授業をすること。

第3回講義振り返り おもしろい授業を目指してきた。しかし、おもしろさを過剰意識していた。いい授業にはおもしろさ以外にも大事な要素がある。

教師研修におけるポートフォリオの意味

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第4回講義振り返り これから、もっともっと根気よく学生の学習の困難と向き合うべきだと思います。

第5回講義振り返り 「読解」という枠組みを超えて、積極的な態度や協調性などを身につけることにもなるんだとわかりました。

第6回講義振り返り 「先生から与える」という授業形式から「学生が考えることをサポートする」形式への変換を図るには、どうしたらいいか、これからしっかり考えていく問題です。

ティーチング・ポートフォリオ教育の責任

(1)専門知識を身につけ、社会で自力で生きていける人間に育てること。その上、目標意識を持ち、生涯学習能力を持つような人間になれたら、一番望ましい。

(2)精神的に健康で、協調性のある人間に育てること。

また、もう一人言葉の取り込みが顕著に見られたのは参加者 Bであった。参加者 Aの教授

歴が8年、参加者 Bは9年であることを考え合わせると、教授経験の長い教師は言語化され

ていなかった経験知が、研修の場の講義やグループディスカッションを通して実践を表象とし

て捉える機会を持ちやすく、進んで講義の言葉を自分の文脈の中に取り込んでいった可能性が

ある。

しかしそれに対して、スタートアップシート記述当初から、メタ認知が働き「自律的学習」

と「論理的思考」というキーワードを一貫して使用している参加者 Fの場合は教授歴こそ7

年であるが、講義後の振り返りレポートの中でも新しい言葉を取り込んでいる形跡が見られな

かった。

3.2.2 再文脈化の実態

参加者 Eの場合、再文脈化が顕著であった。参加者 Eは文学が専門で、古典文学をテーマ

に博士号を取得している。大学では一般の日本語授業の他に、3年生を対象とした「中日文学

比較」(選択)と「日本文学研究」(必修)を教えている。参加者 Eはスタートアップシート

には「文学への態度は生徒の中で分かれている。好きな人は好きであるが、嫌いな人は嫌い」

と書き、文学を教えることの目的を尋ねられると、「(文学は)あの人たちにとって意味のない

勉強」としている。これが、実践授業を行った後の感想では、「授業の重点は『文学鑑賞』か

『文学研究』かについて」思考し、「文学の授業はつまらないという印象をもたらしがちです

が、これをどう改善すればいいか考えさせられます」と述べるようになっている。このことは、

研修を通じて参加者 Eが自身の授業と向き合い、文学を教えることの意味や目標を捉え直し

たためと見ることができる。講義を受けながら、参加者 Eは一貫して自分自身の経験に立ち

戻りながら考えており、例として、日本語教育文法の講義を受けた第二回講義振り返りでは「古

典文法の教え方を考えました」と自身の専門に照らし合わせている。最終的に参加者 Eが実

国際交流基金 日本語教育紀要 第9号(2013年)

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践研修で選んだテーマは『城の崎にて』の文学の授業で、その時に講義で学んだピア・リーデ

ィングの手法を応用し、結果として「生徒の興味を引き出し、うまく完成」できたとして、手

ごたえを感じている。最終的に提出されたティーチング・ポートフォリオには長期的目標とし

て「自分の教育システムを確立する」ことが述べられている。

スタートアップシートでは文学の授業に関心を持たせることに苦心し、出席により管理して

いた参加者 Eが、研修を通じて文学や古典文法の授業について振り返り、文学教育の意味を

改めて考察した結果が、「自身の教育システム」という言葉で表現されたと見ることができる。

以上のように参加者 Eは講義の内容を自身が捉えている文学教育の事実及び解釈と照らし合

わせ、自らの授業の見方を再吟味しており、再文脈化が顕著に表れた例と言うことができる。

次の表7は参加者 Eの再文脈化の過程である。他の教師に関しては、教授歴8、9年の参

加者 Aと参加者 Bにも自分自身の授業を振り返る様子を見ることができるが、対照的に再文

脈化の様子があまり見られない教師も複数いた。参加者 Eを除く新人教師たちにその傾向が

見られた。彼らの記述は質量ともに乏しい。特に特徴的なのは、自分の授業を振り返っている

場合でも「いろいろ工夫して、学生に興味をもってやってもらえるよう頑張ります」のように

具体性に欠けた内容が多い点である。また、「いろいろ勉強したいです」のように講義の内容

を知識として捉える傾向も強い。このことは、新人教師がその経験の短さから、自分自身の通

常の授業を内省したり講義の内容を自己の経験に引き付けて考察したりする土壌がまだ十分に

育っていないためと考えられるが、必ずしも経験の多少だけが要因ではないと言える。参加者

Eは教授歴2年ではあるが、文学教育を通じて学生の動機を中心として授業に対する葛藤に直

面していたことがあり、そのことで再文脈化が活発に機能したと考えられる。

表7.参加者 Eの記述の抜粋

スタートアップシート共通する方針と理由短期的目標長期的目標

(1)出席を取る、(2)分かりやすく説明する、(3)宿題を検査する。文学への態度は生徒の中で分かれている。好きな人は好きであるが、嫌いな人は嫌い。今学期の授業を無事に終わりたい。自分でテキストを作りたい。

メンタリング(1回目)

出席とらないと、試験の前だけ来ればいいという生徒が多い。特に文学の授業で。(文学は)あの人たちにとって意味のない勉強。

第2回講義振り返り 古典文法の教え方について考えました。

教師研修におけるポートフォリオの意味

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実践発表後フィードバックを受けての感想

授業で、一つの作品について「皆で一緒に訳す」という形で、生徒の興味を引き出し、うまく完成しました。文学の授業はつまらないという印象をもたらしがちですが、これをどう改善すればいいか考えさせられます。

ティーチング・ポートフォリオへの感想

初めて先生として反省した感じがしました。そして、先生としての責任も感じました。やはり目標を明らかにし、それを実現する方法を明確にしたほうがよいと思います。

ティーチング・ポートフォリオ短期的目標長期的目標

毎回授業の後、授業の内容と生徒の反応を振り返りながら、授業を改善する。学期の初め、学校から授業の目標を設定させるが、いまの段階は実現できるとは言わなくても、自分の設定する目標に少しずつ近づくように努力する。自分の教育システムができる。

3.2.3 実践的思考様式の実態

教授経験によると見られる実践的思考様式の差は、例えば第二言語習得の講義後の感想でも

うかがえる。新人教師は、「第二言語習得理論は、私たち日本語を教える中国人教師にとって

きわめて重要な理論である。この理論は、文法学、教育理論、心理学などとても複雑な分野で

ありますが、面白そうなフィールドでもあるような気がします」「一番印象に残ったのは、『学

習者の不安』と『インプットについて工夫できること』です」などと述べているのに比べ、教

授歴8、9年の教師は「今まで、学生が答える前に長く考えたりしたら、わたしはいらいらし

て、待ちきれない場合がよくありました。これから、もっともっと根気よく学生の学習の困難

と向き合うべきだと思います」や「学生の不安を取り除くについての配慮は足りなかったとい

う点に気付いた」のように、自身の教室に再文脈化し反省的に思考している。また、メタ認知

能力により、自分の思考や体験を言語化することに優れているともいえる。

教授歴9年の参加者 Bは、スタートアップ記入の時点から学生の「考える力」を意識して

いたが、各講義の振り返りの記述には、熟練教師の実践的思考様式の特徴が見いだせる。

参加者 Bは、実践授業実施にあたり、「今までの問題」を以下のように捉えている。

「今まで、社会で求められている能力から授業を考えることができなかった」「本作業

の段階では学生同士の交流はほとんどなかった。後作業の話し合う段階ではいつも漠然と

学生に関連話題について話してもらったが、何がいい発表なのかはっきりと指示すること

ができなかった」

そして実践授業では「授業を通して、日本語の力だけでなく、現代社会で生き抜くために必

要な能力も身につけてもらうことができれば、『一石二鳥』の効果になるのではないかと思う」

と、視聴覚授業を試みたが、結果は「一石二鳥」ではなかった。実践授業では、視聴覚リソー

スを利用しての学生同士の討論は活発にできた。が、参加者 Bが目指したもう一つの目標「日

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本語の力」を身につけることは達成することができなかった。特に語彙習得が重要であると考

えていたが、時間の制限から達成できなかった。他の参加者や講師からのフィードバックでも

そのことを指摘された。しかし、発表の一週間後、学生が宿題を提出した後に、以下のような

感想を書いている。

「第一目標としての自主的勉強する能力と協働的能力を養うことと、第二目標としての

日本語の力が伸びることという一石二鳥の効果を目指したが、第一目標が達成したと思う

が、言葉の確認が足りないという心配があるので、第二の目標はうまく達成できなかった

と思う。ところが、学生の宿題の発表を聞くと、みんなちゃんと資料を調べ、調査し、イ

ンタビューをすることによって、まとまった意見を打ち出すことができたということが分

かった。視聴覚授業以上の役割を果たしたような達成感を持つことができた」。

参加者 Bは、研修により、新たな授業観、教育観を取り入れた(または言語化することが

できた)が、実践授業を通して、考え通りにいかない現実を体験した。しかし、その後、学生

が提出してきた宿題の内容を見て、「視聴覚授業以上の役割を果たした」と述べている。これ

は教師の実践的思考が活性化し、図2に示した教師の成長モデルの「認知レベル」と「行為レ

ベル」の循環が有機的に作用している例であろう。

教授歴1、2年の教師たちの記述からは、(1)実践場面における即興的思考、(2)状況

に対する積極的で熟考的な関与、(3)多元的な視点からの認識の総合、(4)文脈化された

思考、(5)発見的反省的な問題構成の方略という5つの特徴に支えられる「実践的思考様式」

が読み取れなかった。

4.考察以上、ティーチング・ポートフォリオの分析から、研修参加者それぞれの学びの様子が浮か

び上がってきた。参加者の中でも教授歴8、9年の教師は自分の思考や行動を対象化し、言語

化して語ることができる能力も影響して、実践的思考が活発に機能していたと読み取れる。し

かし、教授歴の長さのみが実践的思考に影響を与えるとは言い切れない。参加者 Eのように

教授歴が短くても顕著な再文脈化をしている場合もあり、それが何に起因するのかは今後さら

に追求する必要がある。

研修全体を振り返ると、ティーチング・ポートフォリオに教師研修ポートフォリオが組み込

まれた、入れ子型のポートフォリオ(図1)を導入する試みは、当初計画していた理想的な形

では実現することができなかった。現実は、図3のように、ティーチング・ポートフォリオと

教師研修ポートフォリオが分かれた状態で作成された。

その原因は、当初予定していた計3回のメンタリングが時間の都合上、1回しか実施できな

かったことが大きい。ティーチング・ポートフォリオでは、書き上げる過程そのものが最終的

教師研修におけるポートフォリオの意味

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な文書と同じぐらい重視される。大学評価・学位授与機構(2009)の報告でも、メンターは教

師の「共同者」とされており、メンターとの作業過程によって、教師は深い反省、注意深い分

析、入念な表現、多くの書き直しを行い、心の奥底の価値観と方向性を十分に表現していくこ

とが指摘されている。メンタリングを1回しか行わなかったことによって、教師の内省が十分

に深まらなかった可能性がある。

上述のような問題点は残ったが、それでも参加した教師にとって、教師研修ポートフォリオ

作成は内省と学びにつながったと考えられる。ポートフォリオについての感想を見ると、ポー

トフォリオの機能を知識として整理するに留まるものもあるが、実践的思考が見られた教師か

らは、「ティーチング・ポートフォリオを書くとき、理念や方針や目標など書く場合、非常に

苦しんでいた。普段それについての考えは足りなかったからだと思う。ポートフォリオがあっ

たからこそ、自分の成長が見られるようになった」(参加者 B)、「初めて先生として反省した

みたいな感じがしました」(参加者 E)、「これから更に工夫していく方向をしっかり考えさせ

られました」(参加者 A)といった感想が出ている。このことは、ポートフォリオの作成を通

じて参加者の中に学びが生まれたことを意味している。図3のように、教師研修ポートフォリ

オはティーチング・ポートフォリオと交わりがなく、平行して作成された感があるが、実は研

修の取り込み方や実践的思考様式について見てみると、教師研修ポートフォリオの作成がティ

ーチング・ポートフォリオの内容に影響を与えていることがわかる。より丁寧にメンタリング

を行うことで、その影響を各参加者に意識化させることができれば、当初考えていた図1の入

図3.研修へのポートフォリオ導入結果

国際交流基金 日本語教育紀要 第9号(2013年)

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れ子型ポートフォリオに近づくのではないだろうか。

5.結論本稿では「大学教師日本語教育学研修」にポートフォリオを導入した経過を振り返り、研修

での学びを分析する枠組みとして、言葉の取り込み(アプロプリエーション)の実態、再文脈

化の実態、実践的思考様式の実態という3つの観点から参加者の教師研修ポートフォリオを分

析し、教師研修におけるポートフォリオの意味を考察した。

その結果、研修参加者は教師研修ポートフォリオを作成することで、研修からの知見を再文

脈化し、実践経験を表象化していることがわかった。特に教授歴の長い教師は積極的な言葉の

取り込みから、実践的思考が深まっている様子が見られた。また、教師研修ポートフォリオは

ティーチング・ポートフォリオの内容に影響を与えており、より丁寧なメンタリングを実施し

て、参加者に研修と教育活動の連続性を意識させることの必要性も課題として見えた。

以上のように、分析の結果、教師の成長過程における実践の表象化を支える手段としての教

師研修ポートフォリオの意義の認識が可能となった。今回「大学教師日本語教育学研修」に教

師研修ポートフォリオを導入した段階では、(1)研修における評価方法を確立する、(2)

教師自らが研修ポートフォリオを作成することにより学習ポートフォリオの特徴を理解する、

という2点を目的としていた。提出されたポートフォリオの記述を検討した結果、2点目は十

分に理解されており、自分の授業にも取り入れたいという声が多く見られることがわかった。

また1点目に関しては、教師研修ポートフォリオを最後に共有する時間が十分に取れなかった

ということと、メンタリングが1回に終わり、研修と教育活動の連続性の意識づけが不十分だ

ったことが課題に残った。従って、2点の目的はそれぞれに成果と課題があったと言うことが

できる。しかし、それらに加え、ポートフォリオの記述を詳細に分析した結果、新たに発見さ

れた視点として重要なのは、先に述べた教師の成長過程における教師研修ポートフォリオの意

義の認識と言うことができよう。

今後、「大学教師日本語教育学研修」では、引き続きティーチング・ポートフォリオ作成に

教師研修ポートフォリオが組み込まれた、研修と教育活動の連続性が強調された研修をデザイ

ンし実施していきたい。

教師研修におけるポートフォリオの意味

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〔注〕(1)日本の大学の教職実践演習において注目されているポートフォリオに関しては、岡山大学教育学部「教

職実践ポートフォリオ」<http : //www.okayama−u.ac.jp/user/ed/ed/kyoiku/port.html>及び秋田大学「あきた

教職.net」<http : //gppts.cerp.akita−u.ac.jp/kyousyoku/>(2012年12月12日参照)を参照のこと。(2)丸野・松尾(2008:95)図5-3「協同構成的な対話による授業研究における教師の成長モデル」上部

を利用した。(3)スタートアップシートとは研修開始前に参加者に記入してもらう事前課題であり、教師自身にそれまで

の教育活動の整理、エビデンスの収集及び簡単な振り返りを行ってもらうことを目的とする。スタート

アップシートは、大学評価・学位授与機構(2009)報告書を参考にひな形を作った。(4)講義に関して、各講師が設問を設け、主に講義を受けて考えたことを記入させる形式。A4用紙1枚以

内。(5)本来のティーチング・ポートフォリオは教育活動の自己省察以外に教育評価ツールとして、その根拠を

示すエビデンスによる裏付けも重視されるが、本研修では教育活動の自己省察を主目的としている。し

かし、本来のティーチング・ポートフォリオの意義も理解してもらいたいので、エビデンスについては、

その提出が可能かどうかの一覧表を記入してもらうことを要求した。(6)参考資料として大学評価・学位授与機構(2009)報告書から、H大学ドイツ語教師のティーチング・ポ

ートフォリオ(pp.364-372)をコピーして配布した。(7)バフチンの考え方からヴィゴツキーの理論を拡張させたワーチが、他者との対話を通して、他者に属す

るものを自己のものにする過程を「アプロプリエーション」とした。ここでは講義のキーワードを取り

入れることも含めて「言葉の取り込み(アプロプリエーション)」とする。

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