Upload
others
View
1
Download
0
Embed Size (px)
Citation preview
其
の勇まし
い進歩を見て、今
の所謂大家連中も大家
の名
に安ん
ぜずして
『なに若
い者なんかに敗けるものかと云ふ位
いに、う
んと
ヘビーを出して奮
つて研究し
て貰
いた
い』と思
つた。霞生
畫
趣
に
富
みた
る
淺
間社
在清水 清 茂
生
靜
岡市
へに清水港より、鐵路十銭行程三里です。市
の風致は
駿府城趾、安倍川、及び淺間社です。けれども其随
一は、淺間
社でせう。日光を見ざれば、結構
と
いはれずと
いゝますけれど
僕は實際見て、却て失望しました、これ
は人
々のいゝふらしの
えら
い割合に、社殿も狭小に、且つ色もあまり、華麗ではなか
つたからです。
僕は、今迄参拝した社
の中で、此社ぐら
い、何かと畫味
の調
ふて居るものは、先づ
な
いです。第
一心地よ
いのは、境内
の狭
くるしくな
いことです。老樹
の多
いことです。背後
に古杉欝蒼
たる山を負
ふて居ることです。第
二に社殿
の壯大な
ことてす、
建築物
の數の多
いことです。第
三に社殿
の丹精其他が、古雅蒼
然たることです。
一たび足を此地に入るれば、神
韻先づ人を襲
ひます。
社
は今より
一千餘
年前、聖武帝
の御宇
の創立と
やらです。今
の社殿は、徳川中葉以后
の建立です。社格は國幣中社、三面繞
らす
に、青苔紫蘚斑
々たる、石
の玉垣を以てします。他
の
一面
は、即ち森
々たる山な
のです。先づ
石
の大鳥居を入ると、石造
σ
、
ー
下馬橋
があ
ります
。
それを渡
つて、丹塗
銅瓦
の二王門
(維新
の
際
二王だけ
は佛
なればと
て他
へ移
され
ました)
があ
ります
。そ
れ
から敷石
の上を通つ
て行く
と、群鳩
の羽
音高
く飛び交
ふのを
見
ます
。さ
て前方
には、長
き廻
廊
があ
りまし
て、風雨
にさら
さ
れ
たる
瓦
の色面白
く、欄
間
に掲
げ
られ
た奉額
の色
亦愛
す
べしで
す
。中央
なる朱
色
二層
の樓門をく
ぐります
と、今度
は稚
子殿で
す
。
これは白木造
りです
が、
しかし今は中
々雅色豊です
。拜
殿
は十
三間
の丸
桂、殿宇
高く蒼穹
に聳
え、形態
色
調亦頗
る佳です
本社
は数
十階
の石段
上
にあ
りま
して、彫
刻等美麗精致
なも
りで
す
。
-
此外
又、俗
に百段
と申
します
百の
石段を杉樹
の影
を踏
みつゝ
登り
ます
と、
こゝ
は眺望
頗る佳、近隣
郊野
一眸
の下
に集
ります
こゝ
にも亦、
丹塗
の
一社があ
ります
。、此外
大歳
御祖
の神
曰く何
日
も何と、重要建築物
の數
が、總
てゞ
十棟
程あ
ります
。何
しろ
徳川家指
揮
の下
に出來
たも
のです
から、
た
しかにけち臭
くな
い
のです、
そし
て叉、久能
山
以上です
。
僕
此夏五
日間
此社
に寫
生
いた
しま
した。當
地山本氏
は、趣
め
て熱
心な
る寫
生家
です
が、
淺間
に關す
る寫
生、
百點
以上
はされ
た
と
いふことです
。此
一事
で
も、
いか
に畫
趣
に富
め
るかが推
測
でき
ます。諸
君或
は來
岡
の機を得給
はば、
一たび
は
こゝに
、彩
管を洗
ひ給へ
。
,