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石山月記」の授業 · 行き、そして最後に全文を音読(班対抗朗読テスト)し、まとめ 突然教師が右のように音読しても、生徒にはすぐには意味がわ

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Page 1: 石山月記」の授業 · 行き、そして最後に全文を音読(班対抗朗読テスト)し、まとめ 突然教師が右のように音読しても、生徒にはすぐには意味がわ

「朧西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎梼に連

ね、ついで江南尉に楠せられたが、性、絹介、自ら特むところす

こぶる厚く、賤吏に廿んずるを潔しとしなかった。」

では、作品と出会ったとは言えない。また、「「山月記』の言葉を

全部辞書で調べてきなさい」と生徒に一一一一口っても、現実には大変難

しい。では、どうすれば、普通の高校生と「山月記」を読んでい

けるのか?というのが、二○○七年度の私の出発点でした。そし

て、高校生たちと共に「山月記」読んで行くために、作品をいく

つかの場面に分け、その場面に描かれた情景や人物像、人物関係、

人物の変化などを読んで行く方法を取ることにしました。限られ

た範囲の中で、物語の続きがどうなるのかを気にしながら読んで

行き、そして最後に全文を音読(班対抗朗読テスト)し、まとめ

突然教師が右のように音読しても、生徒にはすぐには意味がわ

からない。しかし、だからといってリライトしたものを読んだの

石山月記」の授業

|、「山月記」をどう授業化するか?

うような授業が出来ないかとも考えました。

ということも考慮しながら授業に取り組むことにしました。

の課題レポートに取り組むという形で、全員が再読する形にしま

した。

また、文学作品に限らず「国語」は言葉の力をつける教科なの

ですから、作品の中で使われている言葉に生徒たちが丁寧に出会

一一一一口葉を手がかりにして、作品の中に描かれている「時」や、

「場所」を読み取り、言葉から作品の情景や舞台をイメージし映

像化し、作品世界を、想像力を豊かに使いながら、自分の心の中

に再現していく。また、言葉を手がかりにして、作品の中に登場

する人物の形象を丁寧に読んで行く。表面上にはあらわれていな

い、その人物の姿(外見・容貌)や年齢、職業、階層、そのとき

の言葉と出会う、立ち止まって考える、そのためには何が必要か、

二、文学作品の授業では何を読むのか?

九野里信夫

生徒たちが作品の中

五一

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’主人公「李徴」は当時の日本兵に似ていると思う。兵隊は、

ために家族や命を捨て、戦争やそれに勝つことばかり考え、

うことも大事だと思われます。

さらに、「山月記」が発表された当時の時代・社会、作品の中

に描かれている時代・社会を出来る限りイメージしながら読んで

行くことも大事だと思われます。

N君は、「第二次世界大戦中の日本と、「山月記」を比べると、

いて教室で交流し、それぞれの読みやその根拠(作品の中の言葉、

作品についての自分の理解)や価値観などを交流し合い、考え合

の平和な生活や人格を忘れてしまったりしていると思う。何もか

内面描写を通して、「語り手」が「読み手」に、何を語り伝えよ

うとしているのかを読み取って行く必要があるのではないかと思

われます。

また、登場人物に寄り添って読んで行くだけではなく、その人

物についての自分の意見・評価・批判も大事にし、そのことにっ

的に語られていることは何かを読んで行くことも大切だと思われ

ます。「山月記」〔中島敦〕では、「李徴」や「衰惨」の外面描写、

の気持ち、考え方、性格、言動、今後(未来)の言動などを(予

測しながら)読み取って行く。それは登場人物に寄り添った形の

読み方でもあり、文学体験の基本的な部分であると考えられま

す。人物相互の関係や、対立、葛藤、人物変化などを、前時までの

授業で読み取った形象と関連させて、読み深め、作品の中で中心

「山月記」の授業

国の

もと

「~実際、(李徴の)実力は群を抜いていて、そう思うだけの実

力もあった。ただ天才がゆえの高いプライドと人との付き合い方

のへたなことが李徴を孤独にし、周りとの温曉差に違和感やいら

部分を読んだ後で、Y君は次のように書いてきました。

また、一人一人の読みや意見が、クラスの中で読まれ、互いが新

たなことに気づいたり、自分の読みや意見について考え直したり

することが出来る場所に、教室ができたらと考えています。生徒

相互、生徒と教師にとっての再認識や、あらたな発見の場に教室

がなって行けばとも思っています。

多くの生徒は「李徴」に対して批判的で、どちらかと言えば

「衰惨」のように生きたいと書いてきましたが、その中には次の

ようなことを書いてきた生徒もいました。

授業の中での生徒達の発言や、問答を大事にしながらも、生徒

達が静かにじっくり考え、ノートにぽつぽつと自分の読みや思い

や疑問、意見、

も捨てて詩作に耽り、ノイローゼのようになったあげく、虎とな

れない。」と書いてきました。

ってしまった。この二つは自分を忘れ人間やその人格を失った結

果で、「山月記」はその当時の日本の姿が書かれているのかもし

三時間目の授業が終わった後、「李徴」と「衰惨」との再会の

三、|人一人の読みや表現も大事に

感想を書くことも大事にしたいと思っています。

五= ̄

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I うと思うあたりが自分の力を過大評価してるように思うし、李徴

の人生を大きくくるわせたと思う。~批判すべき部分は、そのプ

だちを感じさせたのだと思う。また、一度官職を退き詩家になろ

きない。」と書いてきました。

ライドをもちすぎることだと思う。へたにプライドがじゃまして、

普通の人とはしゃべれないのは、自分のはぱをせばめていると思

うし、周囲の信頼を失っていると思う。もう少し、応用のきくと

現代の世の中に置き換えて『李徴」を考えてみると、エリート官

僚だと思う。昔となにもかわらないと思う。今も昔もエリート官

僚というものは、だれもがプライドが高く、負けたくないという

気持ちが強いと思う。~強いていえば、(自分は)「李徴」に似て

いるし、言葉は悪いけど、自分より下の奴には、絶対に負けたく

ないし、負けたら悔しい。ただ(李徴と自分と)違う点は、自分

はあまり表にださない点だと思う。」

また、寡黙なZ君は、弓李徴」という人物は批判すべき人物で

あり、自分によく似た人物だと思う。なぜなら自分も人とのかか

いうか、ゆとりキーもっていろんなことにとりくむべきだと思う。

わりを極力持たないようにしているからだ。自分が人とかかわら

ない理由が尊大な差恥心からなのかはわからないけど、極力人と

見下したりしないけど、李徴は平然と人のことを見下すし、人を

信用しようとも思ってないから、自分に似ているけど、共感はで

かかわらない職業に将来つきたいと思ってたりするので似ている

と思う。けど自分はこの人を批判したくなる。それは自分は人を

いると思う。自分もけつこう学力にも野球にもプライドをもって

分の夢である「詩家」に全てを捨ててでもなった「李徴」という

男の生き様が僕は好きである。テレビ番組では、茶髪でチャラチ

またD君は、「高い金だけもらって、大したこともせず、好き

放題に生きる現代の政治家とも変わらぬ者たちに嫌気がさし、自

張演説が行われていたので、選挙権もなく知識も全くない一高校

生として聞いた感想は、自分の考えを主張し、最後はいつもと違

ヤラしているという話だが、ある番組では弁護士に訴えられるほ

ママ

ど、恐悪な事件への批判を述べたAという男が、現代でいう「李

徴』ではないだろうか。ある日大阪で、大阪知事選へ向けての主

ってすごく低姿勢で自分の考えを実現させるために地元大阪人の

力をかしてくれと聴衆に訴える目は本気であっただろうと思う。

族のためにも。

形にするごとができず、人の心を動かすことができない自分と

「李徴」の考えは共通するところが多く、他人事には思えなかっ

た。しかし、生きた体であり続ける限り、自分の意見を受け入れ

てくれる人が現れるまで、(自分も)主張し続けていこうと思っ

た。」と書いてきました。D君はタレント弁護士の演説の姿に、

「李徴」の姿をダブらせ、演説に聞き入っていた様子です。もち

そしてぜひ実現させて欲しいと思った。この世の全ての子供と家

「李徴」像が大阪の町を歩いていたときにも心の中に現れ、それ

にもとづいて現代の人物を読み取ろうとしたことは確かなようで

ろん、このD君の分析には大きな課題がありますが、

自分の考えやプランはあるがなかなか思い通りの

彼なりの

五四

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I「今まで学習していないものについても、個人や班の力で空欄

部分を埋めていこう」と生徒たちに話し、読みの出てきにくい文

妃などの様子を簡単に確かめて行きました。

(1)一時間目の授業

二年六組の教室に行き、まずはじめに「世界の三大美女は?」

と問いかけました。生徒たちは口々に、「クレオパトラ」、「小野

小町」、「楊貴妃」と答えます。A君の答えた「楊貴妃」を板書し

ます。「今日から読んで行く物語は、この楊貴妃のいた時代の小

説。まずはその時代を知ってもらうために、漫画を見てもらいた

い。」と言いながら、階の末期から盛唐の時代までを描いた漫画

プリントを生徒と一緒に読んでゆきます。季淵軍の旗の中心には

「季」の文字が入っていますが、そこはわざと空欄にしてありま

す。生徒と共に考えながら、「季」の文字を入れ、唐の時代の成

り立ちの様子を読み合い、長安や洛陽、長江などの地理的な位置

も確かめ、日本からの留学生の様子や、天宝の時代の玄宗と楊貴

その直後に、今日学ぶ「山月記』の冒頭の一文にかかわる言葉

のプリントを配布します。(漢字の読みや、言葉の意味の部分が

一部空欄になったプリント)

す◎

四、具体的な授業

「山月記」の授業

「今日から、読んで行く小説の最初の一文だけを読んでもらい

ます。今、配ったプリントをよく見てください。これから、先生

班の相談の後、クラス全体で読みや意味を確認しました。

そのあとで、胃頭部の一文だけを記したプリントを配布しま

す。

識や想像では、

「李」は果物の「すもも」のこと、さっきの漫画にも出てきた。

「傍」は、「傍』などの似た文字から考えてもらいたい。「尉」は

「軍隊や警察の役人』という意味から想像してほしい。「特」は

『自分で自分の力を頼りにする」という意味から考えると、どん

な読みになるだろう?「吏」は「歴史の史」と間違いやすいが、

「役人』という意味になる」と、プリントに向かっている生徒た

ちに語りながら作業を促して行きます。生徒たちの中には、「李」

についてはプロ野球選手の名前の発音から「イ」と書く者も出て

きます。また、「才穎」の「穎」という文字など、生徒たちの知

す。弓朧」の右側の「龍」は、「リュウ」と発音するけれども、

字については口頭でヒントを出しながら生徒たちの作業を促しま

ここではどう読んだらいいのだろう?二文字で読めるやろうか?

なかなか読みの出てこない文字もありました。

⑤瞳、着く

晒せられたが、

ぶる⑭園く、

:|蕊

五五

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I が読んで行きますが、○の部分に読みがなを入れていってくださ

い。その後で、指名して行きますから、一人ずつ読んでもらいま

す。」と言いながら、ゆっくりと一文を範読し、続けて読点ごと

で区切って生徒八人に指名読みしてもらい、続けて少し長めの部

徒たちに読んでもらったことになります。「この一文は次の授業

で暗唱してもらうよ」と言いながら、初めて出会う難解な一文に、

できるだけ体全体を使いながら出会ってもらおうという意味で、

このような方法をとっています。生徒の読みには、そのつど簡単

な評価を入れながら、一見難しそうな文だが、自分たちにも読め

るんだ、なんとかなるかもしれないな、という気持ちを生徒たち

分で区切っての指名読みを三人の生徒にしてもらいました。最後

に一文全体を二人の生徒に指名読みしてもらい、合計十三人の生

とともに、漢字の読みや言葉遣いについても、適宜注意もしなが

ら指名読みを終わり、読みの最後にクラス全体での一斉音読を行

います。

がもつことを大事にして行きたいと考えています。

この一文の中にあるけれど、わかるかな?」と問いかけます。生

徒たちからは、「性、狽介」、「自ら特むところすこぶる厚く」な

どの言葉が出されてきます。

どんな人物で、

らいたい。」と、

続けて、登場人物名を確認した後で、「では、この『李徴』と

いう人物は、どんな人物だったの?その性格を示している言葉が

どんな性格であったかのかを、

この授業でのまとめの課題を生徒に要求しまし

「では、これらの言葉から、

言葉から、李徴が

ノートに記しても

肯定的な評価

た。生徒たちはノートの課題に取り組んで行きました。

(2)二時間目の授業

授業に行くと、黒板を使って「山月記」の冒頭の一文を練習し

て書いていたり、自分の机のところで本文を読んだり、手で書い

たりしている生徒が何人かいます。まず、前時のノートを返しま

す。前時の授業で生徒一人一人が作業したところには、簡単な評

価がついています。z、○、。」など。この評価を楽しみにし

たり、気にしたりする生徒が多く、授業の中で自分が読み取った

り考えたりしたことが、作品の読みとしてどうなのかについての、

教員からの簡単な評価になっています。

かりとしながら、「李徴」が「ナルシスト」、「自己中」、「自意識

過剰で自尊心のかたまり」、「プライドが高くて負けず嫌い」、「自

分の事しか考えていない。自己中心的に考える人。天才。神童。」、

卜を実施した後で、授業プリントを配布します。プリントには、

「性、椙介、」「自ら特むところすこぶる厚く」という言葉を手が

自分以外を見下している。」という生徒たちの言葉が並んでいま

あるが、自らの力にうぬぼれすぎている。人との付き合いが悪い。

徴の人物像が十分出たものではありません。

す○

「自信家で自分が一番と思って、行動しているや2、「神童では

のものですが、最初の段階では、

つづいて暗唱テスト練習をクラス全体で行い、

このプリントは生徒各人の読みをクラス全体に紹介するため

一文だけからの読みであり、

しかし、生徒たちの

その後暗唱テス

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る厚く、賎更に#んずるを潔Lとしなかった。いくばくもなく官

を退いた後は、故山、鋳略に帰臥し、人と交わりを絶って、ひた

すら詩作に砿った。下吏とまって長く膝を俗悪な大官の前に厨す

るよりは、詩家としての名を死後百年に潰そうとしたのである。

という部分を読み、李徴一家や、李徴が唐の時代の中国を転々

としていったことを読み取って行きます。

李徴一家が、朧西から號略に移り、李徴が「科挙」の試験を受

けるために長安に移り、さらに李徴の仕事の赴任先である江南に

移り、再び號略に帰っていったこと。李徴が都から相当遠い「江

南」の地を去る理由の一端が地図からもおぼろげながら読めてく

ることを確かめて行きます。

授業の最後に「李徴は、なぜ、江南尉という役人を自ら辞めた

のか?」という問いを出します。生徒は本文を読み直しながら、

続けて、プリントで「天宝」時代から「広徳」時代までのおお

よその歴史を確かめ、「李白」、「杜甫」、「王維」などの詩人の活

躍や、「科挙」の試験のエピソードなどを確かめて行きます。そ

の後で、

ます。

からの読みなので、

に読み始めるのだなあという雰囲気を大事にしたものになってい

艤西の李徴は博学才穎、天宝の宋年、若くして名を虎傍に連ね、

ついで江南尉に楠せられたが、性、消介、自ら特ひところすこぶ

ストレートな読みが出始めてもいます。

「山月記」の授業

おおよその確認だけにとどめ、

この段階では、陣一文だけ

これから徐々

思わず、詩家として名を遺そうと思ったから。

F男酌李徴は今名誉をもらうより、一生、名前が残り、中国の李

徴と世界に名前を総かせたかったため。

G男”自分の本当にやりたいことをしたかった。

H男“神童なら自分が一番じゃないと気が済まない。キャリアを

E男》分の能力に合わない下級の役人でがまんするのを正しいと

D男“江南尉をやめ有名な詩人になることによっ

C男恥下級の役人ではがまんならない。だったら、詩人になって、

死後も、名声を得られるようにと役人をやめて、詩人を選

ぼうとした。

その理由を考えて行きました。

(生徒ノート)

B男坤(A)

かつたのではないか。また、自分の力を甘くみられた上の

役人に対するしっと(嫉妬)もあったかもしれない。

すてたのは、

し広めようとした。

れなら詩人となって名を遺したほうがましだ

と考えたから。

(B)証拠沖.ひたすら詩作に耽った.下吏となって長

く膝を俗悪な大官の前に屈する.詩家とし

理由”自分より身分が低いやつに頭を下げたり、

下吏から大官になるまでの時間がムダだと分

するのは自分のプライドが許さなかった。

ての名を死後百年に遺そうとしたのである。

て自分の名を遺

五七

そ屈

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量の死者を出していたことではなく、「安禄山の乱」などを頭に

置いた読みだと思われます。

I男唖李徴は神童で人と交わりを持つのが苦手で、だからこそ詩

を書くために役人をやめたのだと思う。天才はやっぱりち

ょっとぬけていると思う。

J男“レベルの低い役人の下で働きたくなかった。誰ともあわず

名を残せる。国のために命を落としたくなかった。この国

が崩壊するかもしれないから。

(3)三時間目の授業

はじめに暗唱テストを返し、つづけて生徒ノートを返します。

生徒プリント(前記)を配布し、生徒の読みをクラス全体に紹介

します。。ひたすら詩作に耽った」『下吏となって長く膝を俗悪

な大官の前に屈するよりは』「詩家としての名を死後百年に遺そ

うとした』「自分より(身分)が低いやつに頭を下げたり、屈す

るのは自分のプライドが許せなかった。それなら詩人となって名

を遺したほうが」とB男のノートにあるように、プライド高い李

徴が、下吏であると考えられる江南尉を辞し、名を残すために詩

家を目指そうとしたのだろうね」と口頭でおおよそを確認しまし

た。続けて語句プリントで本日出てくる言葉を確認し、次のように

板書して行きます。

J男の読みは、天宝の末年には江南の地に遠征軍が送られ、

「李徴は十代の頃に比べてどのように変化し

をこれから読み取って欲しい」と外面的な変化を読むことを予告

します。そして、本文のプリントを配布し、生徒と共に読んで行

きました。

(板書)

「李徴の変化

④顔つきT□□)

〔十代〕・豊□の□少年↓〔二十代〕・容貌も□刻・肉落

ち□秀で。□光のみ□□として」

「文名は容易に揚がらず、生活は日を迫うて苦しくなる。李徴

はようやく焦燥にかられてきた。~その後李徴がどうなったかを

知る者は、だれもなかった。」までを読み終わった後、顔つきの

変化についての問答を行ないます。生徒たちは口々に、板書の空

欄部分について発言します。「豊頬の美少年」であった李徴が、

「容貌も蛸刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみいたずらに畑々と

して」というように大きく変化したことを確認し、続けて「十代

の頃自信満々だった李徴の心は、二十代になってどのように精神

的に変わってきたのか?」と問いかけました。生徒達からは、

ていったのだろう?顔つきはどう変わっていったのか?そのこと

「焦燥」、「狂惇」、「絶望」、「貧窮」という言葉が出てきました。

授業の最後に「李徴はなぜ発狂したのか?本文の言葉を手がかり

文を読み直しながら、

ました。

にしながら考えて欲しい。」という問いを出しました。生徒は本

その理由を読み取る課題に取り組んで行き

五八

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生徒達は、

尊心の崩壊、

いった様子を読み取って行きました。

(科挙のときのように)かんたんになれると思っていた。

しかし文名は全く揚がらず、ひたすら焦りだけでて、自ら

の志で役人を辞したのにまた戻ってしまい、自分は一番と

いう考えが足元から崩壊していった。

N男》幼い頃に神童や天才と呼ばれ、理想はかなり高かったが、

M男

L男“自分は絶対百年後に名を残せると思っていたが、

(生徒ノート)

K男皿「文名は容易に揚がらず」、「節を屈して」、「李徴の自尊心

をいかに傷つけたかは」↓今まで優秀だった、うまいこと

いっていた李徴が初めて挫折をしたからおかしくなったと

思う。

”自信家で自分が

相手にもしなかった者に追いぬかれていったので高いプラ

自分のプライドのおかげで出世の道から外れ、

イドに守られていた弱い心が崩れた。

達は、詩業への絶望、下命を拝さねばならぬことによる自

た。しかし焦るあまり、思うような結果も残せず、自分が

て、土日、

う、プ三

う甘くなく、名はあがらない。ついには貧しさにたえかね

授業ですが、

思っていた詩業に絶望を感じたため、ついに発狂した。

プライドを大きく傷つけられ、尚且、自分が極めたと

再会」と記しながら、

「山月記」の授業

生活の貧窮などから李徴が精神的に追い詰められて

見下していた者の下で働かなくてはならないとい

一番だと思い続けていた李徴は詩家にも

詩家に逃げ

現実はそ

生徒達は、「(衰惨の)温和な性格」、「彼は咄瑳に思いあた

って」などを「出世できた証拠」としてあげてきました。その声

を板書しながら、授業の最後に三李徴と比べて、)哀惨はなぜこ

吏との関係性から見える衰儀の様子を示す言葉があげられてきま

哀惨。衰惨の地位の高さを示す言葉を見つけてもらいたい」と生

徒達に呼びかけながら、本文を読んで行きます。

「翌年、監察御史、陳郡の衰惨という者、勅命を奉じて~次の

朝未だ暗いうちに出発しようとしたところ、~馬から下りて叢に

近づき、懐かしげに久閼を叙した。」

生徒たちからは「監察御史」、「勅命を奉じて」、「供廻りの多勢」、

「馬から下りて」、「駅吏の言葉を斥けて」などの言葉があげられ

ました。役職名、皇帝の命令を受ける哀惨の立場、交通手段、駅

んなに出世できたのだろう?」と問いかけました。

した。そして、再び生徒たちに、「李徴と比べて、衰鯵はなぜこ

一一一一口葉をまず確認します。その後で黒板に、「李徴の親友衰僅との

(4)四時間目の授業

はじめに前時の生徒たちの読みを、プリントでクラス全体に紹

介します。「李徴」が精神的に追い詰められ、人間として二度と

人々の前に現れなかったことを確認した後、本日の授業の内容に

入って行きます。「衰惨」と「李徴」が再会する場面についての

形象を読むときに鍵になったり難解であったりする

「李徴に比べてずいぶん地位が高くなった

五九

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んなに出世できたのか?」と板書し、生徒達に「衰俸が出世でき

た理由」をノートに説明する作業を要求しました。

(生徒ノート)

とっさ

A男叩衰惨は温和な性格で心が広く咄瑳に何でもできる。彼は何

か急におこったとしても、正しく判断できる人だ(そのた

めに出世できたのではないか)。でも反対に李徴は心がせ

まく、精神的に弱くて、正しい判断ができずにいた。

O男廸李徴は頭も良く才能も抜群だったが、衰惨は李徴ほど頭は

H男⑰衰惨は進士の第に登れるほど頭はいい

たと思う。

J男“頭が良く温和な性格であり、驚擢の中でも冷静に考えられ

るような人間だから。

て取り乱すことはない。冷静な判断力と戦況眼をもち、さ

らに李徴のよう自分の考えに拘われることもなく、逆に他

人を惹き寄せるカリスマ性をもっている。

S男“きびしくはげしい性格の李徴にくらべ、衰惨は温和な性格

で部下を大事にしたのだろう。温和なため、大官の命令に

もよくしたがった(ために出世できたのではないか)。

他者と豊かに交流ができる「哀儀」。交流する力は出世の原動

良くないし才能もそんなに抜群ではなかったと思うけど、

ママ

李徴には持っていない温和な性格で人と接してきたから周

りの皆は哀惨についてきたと思う。李徴もそういった性格

を少しでももっていたら少なくとも虎になることはなかつ

が、

虎を目の前にし

力になっただけではなく、李徴に最も欠けているものでもあった。

生徒たちは「衰惨」を読みながら「李徴」の姿を読み取り始めた

といえるのかもしれません。昔の友人なのに声を聞いただけで

「李徴」だと咄瑳に判断できる力、虎にも冷静に対処する様子、

駅更に白昼の方がいいと言われながら、勅命を果たすために早朝

から働き出す勤勉さなど、「李徴」に欠けていたものを持つ

「衰惨」。二人を比較対照しながら、生徒たちは「李徴」に欠けて

(5)「李徴」を呼んだ声とは?

次の授業では、「李徴」が「衰惨」に虎になる過程を語りだす

場面を取り扱いました。言葉の確認、本文の読み合いの後、授業

の中で、「声は闇の中から頻りに自分を招く」という「李徴」の

言葉を取り上げ、「李徴を呼んだ声」とはいったい何だったのか

をクラスで考え合いました。

「李徴を呼んだ一どについてR君は、「李徴の心の声。このまま

ぐらいならもっと楽になればいいじゃないか(という声巨と書

き、T君は「李徴の中のもう一人の李徴のすがた。今まで理性で

おさえていた何か。「こっちこい。そうすればお前の望みは全て

かなう。」こう言われ李徴は見えない自分を追い続けた」と書い

てきました。A君は、「もう一人の自分。人として苦労するのな

ら虎となって自由に生きてみないか(という内容の声)」だった

でいいのか?お前はこんな生活で満足なのか?こんな生活をする

いたものが何かを考え出したようでした。

六○

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しかし、このままでは、

常に微妙な点において)

えて行きました。「李徴」の詩について「衰惨」は、「格調高雅、

意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。

しかし、哀惨は感嘆しながらも漠然と次のように感じていた。な

るほど、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。

となって自分を呼び出した。

きました。

自分への暗い思いが堆積し、ついには耐え難い状況になり、「今

の自分から逃れたい(あるいは、本来の自分の性質に則して生き

よ)」という思いが渦まき、堰を切り、ついにはその思いが「声」

する相手もいない孤独な状況の中で、

には、仲間である『

なかったその連中」

精神的に追い詰められていった「李徴」。しかも自尊心の高い彼

には、仲間であるはずの人間も「鈍物」に見え、「歯牙にもかけ

(6)「李徴」の詩に欠けていたものとは?

六時間目の授業では「李徴」の話に欠けていたものは何かを考

しかたないから虎として生きろという圭匡、

のではないか)」、W君は「自分自身の声。

のではないかと書き、I君は、「もう一人の自分。虎になればす

べての苦しみやかなしみから解放できるという内容(の声だった

詩業への絶望感や、貧窮の生活の中で深く自尊心を傷つけられ、

「山月記」の授業

に悩みを語りだすことはできなかった。

第一流の作品となるのには、どこか(非

欠けるところがあるのではないか、」

生徒達の多くはこのように読んで行

「李徴」の心のなかには、

このまま生きていても

と書いてきました。交流

「詩人になりそこなって虎になった哀れな男を」などの一言葉や、

今まで読み取って来た「李徴」像を手がかりにしながら、生徒た

にしながら、謎を解くように生徒たちは「李徴の詩」に欠けてい

たものを考えて行きます。

は明確にそのことを示す言葉は表現されていません。今まで読ん

できた「李徴」像や、本文にそれとなく示された言葉を手がかり

生徒たちは李徴の詩にはいったい何が欠けていたのかを考え出

して行きます。先ほどの「李徴を呼んだ声」と同様、本文の中に

いた。)そうだ。お笑いぐさついでに、今の思いを即席の詩に述

べてみようか。この虎の中に、まだ、かつての李徴が生きている

しるしにと語り、次の詩を朗読します。

偶因狂疾成殊類

災患相佃不可逃

今日爪牙誰敢敵

当時声跡共相高

我為異物蓬茅下

君已乗紹気勢豪

此夕渓山対明月

不成長輔但成喋」

語り出しています。「李徴」自身も、

(衰惨は昔の青年李徴の自瑚癖を思い出しながら、

本文の中に表現されている「青年李徴の自潮癖」、「噛ってくれ」、

「噛ってくれ。詩人になりそこなって虎になった哀れな男を。

哀しく聞いて

一ハ一

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ちは考え出して行きました。

U男は「李徴の即席の詩に「たまたま(偶)」、とか「なってし

まった(偶因狂疾成殊類)」、「逃れられない(災患相佃不可逃匡

といった、自分のせいではなく、まるで他人にされたみたいな言

い方で、しかも自分を皮肉に言って、自分はかわいそうな人間な

んだと、言いたいだけにしか聞こえない。そういう所が、自分で

わかっていない所が、欠けている。」と書いてきました。G男は

「李徴は自剛癖などから、自分は人と違う、己のことは誰にも分

からないなど、自分はつねに一人でいるようなことを言い、その

気持ちが詩の中にも入り、人々と共感できず、伝わらない。李徴

は少し心が欠けていた。」と書いてきました。

I男は、「(李徴は)人とかかわりをもたないため、人の心をう

っ詩を書くことができなかった。」と書き、O男は「李徴は昔か

物かわからなかったので読む気にならなかった」と書き、T男は、

「自分の悲しみや苦しさだけを伝えようとしている。聞き手に伝

えるものや、心動かされるものがない。聞き手の心を動かす何か

がない。」と書いてきました。

K男は「(恥ずかしさとかで)自分の本当の気持ちを詩に表わ

せられていないから。詩人となるものは一つ一つの作品に自分の

ら周りの人と接しなかったので周りの人も李徴のことがどんな人

気持ちとかをのせるのに、李徴はいつわりの気持ちを詩にのせる。

それが衰惨は気になったんだ。」と書き、S男は、「李徴」の詩や

本文に使われている「災」や「悲」という言葉を手がかりにしな

うな気になってくると思う」、R男は「自分をいやしめる癖があ

るので、読んでいて哀しさしか感じない(詩だったのでは)」と

書き、Z男は.李徴の詩は)自分の身の不幸をひたすら綴って

いる。詩を見ていると、マイナスのことしか書いていない。これ

じゃ読む気がしない。」と書き、I男は「自分のことを哀れ、み

じめに書きすぎている。誰も共感できない(詩だったのではない

か)」と書いてきました。

授業では生徒の読みを紹介し交流するとともに、「李徴の自潮

がら、「(李徴の詩は)全体的に悲しいイメージで、自分のことに

ついてばかり書かれている。あまり読んでいて良い気がしないよ

癖」や「虎となった李徴の詩に現れた弱点」を確かめながら、読

者の心に共感を与える力が不足していた可能性が高いことを確認

しました。

「自分を哀れむ自潮癖」、「本当の自分を深く語りだすことの弱

えられるものにまで高められていなかったのではないかと、

さ」、「他者認識の不足」、「自分自身や自分の運命への認識の甘さ」、

「他者と豊かに交流し、磨きあい、芸術性を高めることが少なか

たちは読み取っていったようです。

(7)他者とかかわることを恐れた「李徴」

「~人間であったとき、おれは努めて人との交わりを避けた。

人々はおれを偲傲だ、尊大だと言った。実は、それがほとんど蓋

ったこと」などから、「李徴」の詩は、読み手に共感や感動を与

一ハーー生徒

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とわかりながら(これが自尊心)、才能を評価されるのが怖かっ

た(差恥心)。だから人と交わりたくないⅡ獣になってしまった

んだと思う。だから、

であることを確かめた後で、なぜ「臆病な自尊心」と「尊大な差

恥心」が「おれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、

おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしま

った」について考えて行きました。

D男は、「李徴は自分の才能を周りに評価されるのが怖かった

を損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、おれの外形を

かくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。」

生徒たちは「李徴」の独白部分にある「尊大」と「自尊」とが

よく似た意味を持ち、「臆病」と「差恥」とが同じような心的状

況を示すこと、またそれらは人間誰もが心の中に持っているもの

いた。詩人として成功したい気持ちもあるし、できる才能もある

内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

合、この尊大な蓋恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

おれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、我が

臆病な自尊心と、尊大な蓋恥心とのせいである。~おれはしだい

成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わっ

て切瑳琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、

に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と惣害とによってますます己の

恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。~それは臆

病な自尊心とでも言うべきものであった。おれは詩によって名を

「山月記」の授業

自分の知らない内に人との交わりをたって

~おれの場

これがおれ

S男は、「自分の無力さ(を感じる心)と過信、ひとりよがり、

己を信じる心が混ざり、混乱させ、どんどん発狂へのカウントダ

ゥンを進めてしまった」と書いてきました。A男は、「人に自分

の弱い部分を見せられなくて、強がってばかりいたのに、その強

い部分が出せなくなってしまうと、ただ弱いだけの自分がいて、

それを人に見せたくないから、またそれをかくして、それがどん

どんとたまっていって、人とのかかわりをなくしたいと思ってし

まったから。」と語りだしています。高校生にとってなかなか難

解な部分の読み取りですが、人との豊かな交流や連帯を妨げる

「過剰な自尊心(尊大さ)と臆病さ(蓋恥心)から、人とのかか

わり合いを避け、他者と語り合い、自己を豊かにして行くことも

なく、孤立し、やがて詩業への志も消え、孤独の中で発狂し人虎

となった」とのではないかと、授業では確認しました。

/ ̄、

▼、§/

た」と書いてきました。B男は「同じ人間なのに、(他者のこと

を)見下して相手にもせず、命令も聞かず、この世の中から逃げ

は「人と交わることが苦手で、そのことについて努力しようとせ

ず、逃げてばかりいて、臆病な自尊心がまし、虎となってしまつ

てばっかりいたから、自分の人間という心を忘れてしまった」、

んだと思う。」と書いてきました。L男は、「自尊心や差恥心の為、

人とかかわろうとしなかったので常に孤独だった」と書き、N男

「李徴」の変化を読みとる(導入部との対比)

④事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な

一ハーーー

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危倶と、刻苦をいとう怠惰とがおれのすべてだったのだ。己よりり出されています。だから、限定することは難しいのですが、

もはるかに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがため「どの文のどの一一一一口葉に変化が表現されているか」を考えることで、

に、堂々たる詩家となった者がいくらでもいるのだ。③虎と成り物語の中で人間時代の「李徴」がどのように変化しているのかを

果てた今、己はようやくそれに気が付いた。◎それを思うと、己読み取ろうとするための問いかけでした。

は今も胸を灼かれるような悔いを感じる。己には最早人間として④を指摘したH男は、「他人の生き方を否定し、努めて人と交

の生活は出来ない。たとえ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩わることをさけて生きながら、所詮は人間だった李徴は、虎とな

を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、って初めて自分の人間だったころの生き方に、まさに凡人として

己の頭は日ごとに虎に近づいていく。。どうすればいいのだ。己の俗悪さが根幹にあることを思った。」とその変化を説明してい

の空費された過去は?己は堪らなくなる。③そういう時、己は、ます。

向こうの山の頂の巖に上り、空谷に向かって帆える。③この胸を⑧を指摘したY男は、「今までは、自分が一番すごいと思って

灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。己は昨夕も、あそこで月に向いて完壁だと思っていて、他人をあまりみとめようとしなかった

かって砲えた。◎誰かにこの苦しみが分かって貰えないかと。しけど、今は素直に認めている」と説明し、⑰に変化が最も現れて

かし、獣どもは己の声を聞いて、唯、催れ、ひれ伏すばかり。山いると指摘したP男は、「自分自身に悔いを感じたり、自分以外

も樹も露も、一匹の虎が怒り狂って、隊っているとしか考えない。の人間を認めるようになった。」、K男は「「誰かに」という一一一一口葉

⑪天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持ちを分かってくから、友人だろうが、家族だろうが、俗人だろうが、人やった時

れる者はない。①ちょうど、人間だった頃、己の傷つき易い内心には考えられないことだったが、本当に誰でもいいから今の自分

を誰も理解してくれなかったように。①己の毛皮の濡れたのは、の話を聞いてほしかった」、Z男は「他者との関わりを断ってい

た李徴だが、こうして虎になった今、自分の悲しみも、孤独とい

夜露のためばかりではない。

右のプリントの④~①は、「導入部とくらべて李徴の変化が表うものを他者に訴えたいといっている。~臆病な自尊心と尊大な

現されている一文はどれか」という問いに対して、生徒達が指摘毒恥心のせいでこんなになってしまった今をあわれに思ってい

したものです。「李徴」が「衰儀」に自らの思いを語り出す場面る」と、その理由を説明しています。。「誰かにこの苦しみが分

であり、どの文にも「李徴」の過去への悔いと「虎」になってしかって貰えないかと。」を指摘したR男は、「初めて李徴が他人を

まった自分の悲しさ、人間「李徴」であった時とは違う様子が語相手にし、助けを求めている。相談みたいな感じ」とその変化を

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①「己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。」を

指摘したD男は、「虎になってしまった事によって、自分のあや

まちに本当の意味で気付き、自分自身に正直になった。しかし、

徴」の時には考えられない他者との交流を切なく求める姿がにじ

み出ているこの一文に、「李徴」の変化が最も強く表現さている

ちを分かってくれる者はない。」という一文に、己の気持ちを他

者に理解して欲しいという思いが最も強く表わされており、その

思いが理解されない苦しさも強く語り出されている。

のではないかと言うまとめを行いました。

鎧をはずしながら、自分の孤独を理解して欲しいと願っている。

その姿に、生徒たちは大きな変化を感じ、右のように記してきて

臆病な自尊心から、人とのかかわり合いを避け、孤立し、やがて

詩業への志も消え、孤独の中で発狂し人虎となった「李徴」。そ

の「李徴」が、他者に助けを求め、重すぎたプライドや自尊心の

他者を尊重することもなく、他者に対して自分の率直な思いや

弱さを語り出すこともなかった「人間・李徴」。尊大な差恥心と

自ら孤独になり、自分の気持ちを見せることはなかったが、でも

今は誰でも、もしくは何でもいいから、自分の気持ちが分かって

いるのだと思います。

授業では、⑪「天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持

くれる者がいてほしいと思うようになった」と説明しています。

説明し、⑪「天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の気持ちを

分かってくれる者はない」を指摘したH男は、「今までの李徴は

「山月記」の授業

「人間・李

月を仰いで、一一声三声炮噂したかと思うと、また、もとの草むら

に躍り入って、再びその姿を見なかった。」

ラストシーンを読んだ生徒たちは、李徴の「別離の悲しみ」が

表現されている言葉に注目します。

A男は、「悲泣」、「働突」、「別れを告げねばならぬ」、「酔わね

ばならぬ」、「虎に還らねばならぬ」、「今日のことだけは明かさな

っていて故人を認めずに襲いかかるかもしれない~我が醜悪な姿

を示して、もって、再びここを過ぎて自分に会おうとの気持ちを

君に起こさせないためであると。~虎は、すでに白く光を失った

明かさないでほしい。~叢中から働突の声が聞こえた。哀もまた

涙を浮かべ、喜んで李徴の意に添いたい旨を答えた。~自分が酔

「もはや、別れを告げねばならぬ。酔わねばならぬときが、(虎

に還らねばならぬときが)近づいたから、と、李徴の声が言った。

だが、お別れする前にもう一つ頼みがある。~おれはすでに死ん

だと彼らに告げてもらえないだろうか。決して今日のことだけは

かもしれません。

が語るように、「自分自身のあやまちに本当の意味で気付き、自

分自身に正直になった。しかし、その時には、もうすでに自分の

真の気持ちを伝えられない姿となってしまっていた」所にあるの

(9)ラストシーン

その時には、もうすでに自分の真の気持ちを伝えられない姿とな

ってしまっていた」と語っています。「山月記」の悲劇は、D男

六五

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いで欲しい」、「(妻子には)死んだと告げて(ほしい)」、「己が人

間だったなら↓(もうもどれなど」、「帰途には決してこの途を

通らないでほしい」、「故人を認めずに襲いかかるかもしれないか

ら」、「我が醜悪な姿を示して自分に会おうとの気持ちを君に起こ

させない為であると」、「堪え得ざるが如き悲泣の声が洩れた」、

徴の悲しみ」が出ていると記してきました。

A男の指摘した「別れを告げねばならぬ」、「酔わねばならぬ」、

「虎に還らねばならぬ」という二重否定表現には、自分自身では

どうすることもできない強い悲しさが表現されていることを授業

「一一声三声炮噂した↓(最後の別れ)」という十三個の言葉に「季

では確認し合いました。この表現について、S夫は、「酔うとは

自分の本意から離れるということであろう。李徴は最早、虎とな

り、今になって悔い改めるようになった。しかし、虎となった以

上、その生き方に沿わなくては蕾ならない。だから、辛いが(虎と

して)生きるためには(人間としての)良心などを忘れるしかな

い、酔わなければならないのだろう」と記し、V夫は「李徴は~

他人との調和の大切さ、孤独のむなしさを虎になり気づく事にな

った・今なら人間としてやっていける人物になりつつあるが、酒

調和できない孤独の悲しみと、気づきながらも逃れられない苦し

み、悲しさ」がこめられていると表現していました。

に酔った人間のように、もはや普通の状態にはなれない。つまり

B男は「「こんな獣に」、「懇ろに別れの言葉を述べた」に別離

の悲しみがこめられている、『懇ろ』と言う言葉には、「悲しいほ

どにいとしい人(間)」への思いがこめられている」と語り、T

男は「哀もまた涙を浮かべ」と言う表現に、衰惨だけではなく李

徴も涙を浮かべていると読み取り、G男は「白く光を失った月を

仰いで」いる「李徴」の姿に、別離の悲しさが表現されていると

読みとっています。

D男は、「やりのこしたことをおえて(詩や妻子のことを衰惨

に語ること)、虎になる準備がおわってしまったので、これから

完全な虎になってしまうという悲しみ。故人との最後の別れ。も

う会えないという悲しみ」が表現されていると説明しています。

N男は「虎として生きる事を決意し、人間だった頃の自分と別れ

る悲しみ」と記し、M男は、「~時間がたつにしたがって言葉も

話せなくなる。何事にもかえられない、くやしく、悲しく、どう

することもできない悲しみ」と表現しています。

(Ⅲ)「山月記」の主題は?

場面ごとに読みとり、班ごとに各場面を朗読しあう形で再読し

た後、生徒たちは「山月記」の主題を次のように記してきまし

た。「尊大な蓋恥心と臆病な自尊心のせいで仲間も出来ず、孤立し、

詩を作ることも挫折し、発狂した李徴が、こうでありたいと思う

自分に戻りたくても戻れないことへの悲劇。」(T男)、「人、一人

として生きるためには、人との交流を深め、切瑳琢磨し(あうこ

とが大事。)相手の気持ちを知り〈心を知ることによって、自ら

ニハーハ

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この後、生徒たちは、まとめの感想を記し、授業を終えまし

た。

暦出来ずに、虎となってしまい、人間に戻りたいと思っても戻る

ことが出来ない悲しみ。」(Y男)、「自分のプライドや生まれつき

もちあわせた才能によって、自分を他人にうまく表現できず、一

人でかかえこみ、虎となった李徴。人はかならず、一人では生き

うな人は、

ていけないということ。」(K男)

才であった李徴が臆病な自尊心と尊大な差恥心によって、

いうこと。」(Z男)、「いくら才能がある者でも、蓋恥心や自尊心

のために自分を磨こうとせず、人との交わりを断った主人公のよ

の心の成長になるから、人と人との関係はとても大切である、と

後悔や悲しみしか残らないということ。」

「山月記」の授業

(くのりのぶお)

(N男)、)、「鬼

切瑳琢

六七