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熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University Repository System Title Author(s) Citation Issue date 2009-03-25 Type Research Paper URL http://hdl.handle.net/2298/14429 Right

熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University …reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/14429/25/...2008 表紙写真:ギリシア古代都市メッセネの古代劇場(メッセネ考古学協会撮影)

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熊本大学学術リポジトリ

Kumamoto University Repository System

Title ヘレニズム建築の設計法と施工法に関する研究

Author(s) 吉武隆一

Citation

Issue date 2009-03-25

Type Research Paper

URL http://hdl.handle.net/2298/14429

Right

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ヘレニズム建築の設計法と施工法に関する研究

日本学術振興会科学研究費補助金 若手研究(B)

課題番号 19760453

研究代表者 吉武隆一

国士舘大学イラク古代文化研究所

2008

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表紙写真:ギリシア古代都市メッセネの古代劇場(メッセネ考古学協会撮影)

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ヘレニズム建築の設計法と施工法に関する研究

日本学術振興会科学研究費補助金 若手研究(B)

課題番号 19760453

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緒言

本書は、日本学術振興会科研費若手研究(B)『ヘレニズム建築の設計法と施工法に関する研

究』の報告書である。本研究は、2007~2008 年までの 2年間の計画で行われた。その間、筆

者は国士舘大学イラク古代文化研究所の共同研究者として籍を置きつつ、同時にギリシャ政

府給費奨学生および国際ロータリー財団の奨学生として、ギリシャのテッサロニキ大学へ留

学する機会を得た。したがって、研究期間の大半はギリシャに滞在し、必要が生じたときに

日本へ戻って分析を進めるというかたちを取った。

当初の研究計画では、表題の研究課題の具体的な課題として、ギリシャ北部にあるヴェル

ギナ遺跡の宮殿の調査と研究に従事する予定であった。ところが、研究開始後間もなくして、

ギリシャ政府文化省の方針が変わったこともあり、調査の許可が下りないことが明らかにな

った。そこで研究1年目の途中からは、第二の課題として掲げていたヘレニズム期のコリン

ト式柱頭に関する研究に重点をシフトさせ、全体として研究成果に支障が出ないように工夫

せざるを得なかった。海外の調査研究では、こうした権利問題が常につきまとうが、研究者

として経験の浅い筆者にとっては初めての体験で、今後の反省材料としたい。

一方、2007 年 10 月からギリシア古代都市メッセネの古代劇場の調査研究をする機会を得

た。これはギリシアのペロポネソス半島にあるメッセネ遺跡を長年発掘する、ペトロス・テ

メリス元教授(メッセネ考古学協会会長)が、熊本大学ギリシア古代建築調査団(団長:伊

藤重剛)に建築調査を依頼したものである。筆者は、本調査団の一員として古代劇場の調査

を担当した。劇場メッセネの劇場の大半はローマ時代の再建であるが、舞台建物を中心に、

ヘレニズム期の遺構が残っており、本研究の対象として取り上げた。劇場の研究はまだ初期

の段階であって、十分な研究成果をまとめるに至っておらず、今回はその一部を報告するに

止めたい。

結果として、表題のような大きな課題を掲げながら、中身はヘレニズム期のコリント式柱

頭に関する様式分析と、メッセネの古代劇場の調査と分析という2本柱となっている。全体

としてまとまりが無くなってしまったが、それはひとえに筆者の非力によるものであって、

先輩諸氏の叱責を乞う次第である。

最後に、本研究に助成いただいた日本学術振興会、日本科学協会、および前田記念工学振

興財団に対して、深く謝意を表する。

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助成金

日本学術振興会科研費 若手研究(B)

平成 19 年(2007) 1,100,000 直接経費

平成 20 年(2008) 500,000 直接経費

150,000 間接経費

合計 ¥1,750,000

その他の助成金

平成 19 年(2007) ¥ 450,000 日本科学協会

平成 20 年(2008) ¥1,000,000 前田記念工学振興財団

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目次

第一章 序章

第二章 メッセネのアスクレピオス神域におけるコリント式オーダー 3

2-1.はじめに 3

2-2.アスクレピオス神域の概要 4

2-3.コリント式柱頭 5

2-4.スタイルと特徴 9

2-5.小結 10

第三章 メッセネの古代劇場 17

3-1.劇場と調査の概要 17

3-2.劇場の擁壁とその周辺 17

3-3.オルケストラと客席 18

3-4.パラドス 19

3-5.スケーネ(舞台建物) 20

1)プロスケニオン 20

2)舞台 20

3)スカエナエ・フロンス 21

4)ポストスケニオン 22

3-6.スカエナエ・フロンスのオーダー 22

1)柱身 22

2)柱頭 25

3)礎盤 32

4)アーキトレイブ・フリーズ 35

5)ゲイソン 35

3-6.石工の印(メイソンズ・マーク) 36

3-7.まとめ 36

第四章 終章 37

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図版 38

写真 53

発表論文 63

1. R. YOSHITAKE, “The Corinthian Capital of the Asklepieion of the Ancient

Messene,”AL-RĀFIDĀN Vol. XXIX 2008, pp. 105-116.

2. R.YOSHITAKE, J. Ito, “The Use of 3D reconstruction for Architectural Study: the

Asklepieion of Ancient Messene,” The ICOMOS & ISPRS Committee for Documentation of

Cultural Heritage, CIPA 2007, XXI International Symposium, Athens, October 2007, pp.

752-757.

3. 谷皓司、伊藤重剛、林田義伸、吉武隆一、中之丸諭志、足立義幸、國竹真由美

『地中海古代都市の研究(123)古代都市メッセネにおける劇場調査報告 2008 (1)概

況』 日本建築学会九州支部研究報告(計画系)、沖縄、第 48 号、2009 年 3 月, pp.

773-776.

4. 中之丸諭志、伊藤重剛、林田義伸、吉武隆一、谷皓司、足立義幸、國竹真由美

『地中海古代都市の研究 (124)古代都市メッセネにおける劇場調査報告 2008 (2)

出土部材』日本建築学会九州支部研究報告(計画系)、沖縄、第 48 号、2009 年 3 月 pp.

777-780.

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第一章

序章

本研究では、ヘレニズム建築の設計法や施工法の一端を明らかにするために、ギリ

シアの古代都市メッセネに建設されたアスクレピオス神域のストアと、古代劇場の二

つの建物を例に、調査と分析を行った。ヘレニズム建築については、これまで多くの

概論書がある。最近では、ナンシーがヘレニズム期の建築を、タイプ別に概説した部

厚な概論書を発表している1。しかし、ここの建物の具体的な情報は、結局は発掘報

告書などの基礎研究に頼らざるを得ず、得てしてこうした報告書の発表は遅れがちで

あるため、十分な情報を共有し得ないのが現状である。したがって本研究では、ギリ

シアのペロポネソス半島にある、古代都市メッセネを例に詳細な現地調査を行い、こ

の分析によって、ヘレニズム建築の一端を明らかにしようとするものである。

アスクレピオス神域のストアは、ヘレニズム期に建設された医神アスクレピオスを

奉る神域にある列柱廊建物で、その列柱にはコリント式オーダーが採用されていた。

ヘレニズム期のコリント式は、実例が少ないことから、これまで詳細は不明であった。

今回の研究によって、その建築的な特徴を明らかにする。また、メッセネの古代劇場

は、ヘレニズム期に一度建設され、ローマ時代になって二度改築された建物である。

ヘレニズム期の劇場を一部取り壊して、ローマ時代の劇場を増築しているため、ヘレ

ニズム期に建設された最初の姿を知るためには、丁寧に現地で調査を行う必要がある。

事実、これまでギリシア劇場、ローマ劇場に関する研究書がこれまで発表されている

が2、より詳しい情報は、長年の発掘で発表が遅れているのが実情である。幸い、メ

ッセネの古代劇場はここ 10 年あまりの間に、活発な発掘が行われ、このほど初めて

本格的な建築調査が可能になった。劇場については、2007 年秋から継続的に現地調査

を行い、必要な情報を収集した3。以上、二つの具体的課題を通して、ヘレニズム建

築の特徴の一端を解明する。

1 F. Nanncy, Studies in Hellenistic Architecture, Toronto, 2006.

2 F. Sear, Roman Theatres: An Architectural Study,Oxford, 2006: M. Bieber, The History

of the Greek and Roman Theater, Princeton, 1961.

3 なお、古代都市メッセネの現地調査は、熊本大学古代ギリシア建築調査団(団長:伊藤重剛)

が主導して行い、研究代表者はその調査研究の一部を担当している。したがって、本研究の一

部は、調査団の調査成果の一部であることを明記しておく。

1

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メッセネのアスクレピオス神域(メッセネ考古学協会撮影)

2

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第二章

メッセネのアスクレピオス神域におけるコリント式柱頭

2-1.はじめに

ギリシアの古代都市メッセネは、ペロポネソス半島南西にあるカラマタ市から北へ

約 17kmの山中に位置する、重要なヘレニズム都市遺跡である。紀元後1世紀にギリシ

アを旅したパウサニアスの『旅行記』によると、レウクトラの戦いでスパルタを下し

たテーベの英雄エパミノンダスが、紀元前 369 年に建設したとされる。1その後 19 世

紀になって、フランス人考古学者・地理学者がペロポネソス半島南部を旅行し、メッ

セネのアルカディア門、市壁、劇場などのスケッチを残している。2本格的な発掘調

査が始まったのは、1950 年代に入ってからで、ギリシア人でアテネ大学の教授であっ

たオルランドス教授が発掘したのが 初である。この発掘で、アスクレピオス神域が

発見され、その概要が明らかになったが、オルランドス教授が高齢だったこともあり、

終的な発掘報告書は発表されずに終わった。3 1987 年からは、クレタ大学の教授

であったテメリス教授が率いるメッセネ考古学協会が中心となって、アスクレピオス

神域の再調査を皮切りに、劇場、スタディオン、ローマ時代の住居地区などが次々と

発掘されている。4 筆者は、熊本大学ギリシア古代建築調査団(団長:伊藤重剛教

授)の一員として、メッセネ考古学協会と合同で古代建築の調査研究に参加し、アス

クレピオス神域のストアの建築調査を行った。5実測調査によって、ストアの平・立・

断面図を作成し、重要な建築部材の展開図を作成した。

この調査によって、アスクレピオス神域のストアは 2 種類のコリント式の列柱を持

っていることが分かった。6古代ギリシアの神域におけるペリスタイルの中庭に、コ

リント式オーダーが用いられたのは、このメッセネが初めての例である。ヘレニズム

期には、富を持つようになった王が好んでコリント式オーダーを用いるようになった。

7 これまでヘレニズム期になってコリント式オーダーが発達し、ローマ建築で好ん

で使われるようになったことは一般によく知られているが、その変遷過程は十分明ら

3

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かになっていない。8そこで本章では、メッセネのアスクレピオス神域のコリント式

オーダー、特に柱頭の様式に着目し、ヘレニズム期のコリント式柱頭との比較を通し

て、その歴史的特徴を明らかにする。

2―2.アスクレピオス神域の概要

メッセネのアスクレピオス神域は、アゴラの南側に位置し、北側と東側が大きな通

りに面している(図1)。神域から約 250m南には競走場、約 200 北東には劇場がある。

アスクレピオス神域は、医神アスクレピオスを奉る神域でありながら、民会場や会議

場を併設し、政治的機能も持ち合わせていた。神域の中央には、ドリス式のアスクレ

ピオス神殿とその祭壇の建物が、東西方向に並んで建っている。神殿の置かれた矩形

の中庭には、縁に沿って多数の彫像の台座と 5 つのエクセドラが並んでいる(図 2、

写真 1)。中庭を四方から取り囲むストアは、基壇までしか残っておらず、周囲に上部

の部材が散乱している。東ストアの後方には、メッセネ遺跡で も残りのよい建物、

民会場、東プロピロン、議会場、文書館が残っている。西ストアの後方は、小さな 8

つの部屋で構成されており、そのうち北端の部屋がアルテミス神域である。北ストア

の後方には、ローマ時代のセバステイオンがある。この建物は、ヘレニズム期には祭

事に使われる食堂であったらしい。セバステイオンのちょうど真ん中に、階段のある

北プロピロンがあって、主要道路とつながっていた。南ストアの後方には、小さな浴

場施設があるが、建物としては連続していない。アスクレピオス神域全体は、ヒッポ

ダモス式の格子状プランに沿って建っているが、その南北方向の軸線は、実際の正確

な南北軸よりも時計方向に20度ずれている9。発掘者であるテメリス元教授によると、

アスクレピオス神域は紀元後 2 世紀の第四四半期ごろに建てられたらしい10。

4 つのストアは、全て二重の列柱をもつ、いわゆるダブル・ストアである(図 3)。

正面列柱は、北と南で約 52m、東と西で約 47mであった。4 つのストアは、四隅でほぼ

正確に 90 度をなしている11。正面列柱のクレピス部材は、すべて元位置で発見された。

一方、基壇の 上段となるスタイロベイトは、比較的取り外しやすかった為に、隅部

のみ残っている。スタイロベイトの上には、円柱を支える正方形平面のプリンスが、

基壇の北東隅に残っている。

ストアの上部を支える 200 以上の部材が、メッセネの発見された。石灰岩のシーマ

を除いて、ほとんどの部材はポロスで出来ている。石材は、おそらくポロスのもろさ

のため、長年の風雨などによってかなり痛んでいる。その為、建築部材の実測寸法に

は、こうした風化などによる変形の誤差が含まれている可能性を考慮する必要がある。

4

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また、円柱ドラムには、20 本のフルートが着いている。ローマ時代のコリント式円柱

では、通常 24 本のフルートがあるが、このメッセネでは 20 本であった12。されに、

円柱の下方は胡麻柄繰型のフルートがある13。

2-3.コリント式柱頭

アスクレピオス神域を 初に発掘した考古学者オルランドス教授は、コリント式柱

頭を 初に発見した人物である。オルランドス教授は、ギリシャ国内の発掘年報に写

真付きで出土状況を述べている14。メッセネのコリント式柱頭は、ベルを逆さまにし

たボディ(カラソス)の周りに、二段のアカンサスの葉と大きな外渦巻きと内渦巻き

がある。二段目のアカンサスの葉の間から、カリクスが伸び、そのの頂部には、二枚

のアカンサスの葉がある。カリクスから、二本の茎がわき出ていていて、それぞれ外

渦巻きと内kずまきを支えている。また側面には、柱頭の中心軸を通るようにカリク

スが伸びていて、その頂部には人あるいは植物(または半人間、半植物)の彫像がつ

いている。柱頭の一番上にはアバクスがある。柱頭のネッキング、すなわち付け根の

部分にはモールディングはなく、直接円柱と繋がっている(図 4:コリント式柱頭の

用語)。

熊本大学ギリシャ古代建築調査団の調査によって、コリント式柱頭が 37 個残って

いることを確認した。アスクレピオス神域のコリント式柱頭は、大きいものと小さい

ものに大別できる15。明らかに古代ギリシア・ローマの柱頭とは思えないもの、ある

いは後代の再利用によって形状が極端に異なるものを除けば、通常のコリント式柱頭

は全部で 29 個である。この内大きい柱頭は 11 個、小さい柱頭は 18 個であった。こ

の 2種類のコリント式柱頭は、以下のポイントで特徴が異なる。

1) アカンサスの葉の数

2) アカンサスの葉と、外渦巻きの大きさ

3) 柱頭の中でのアカンサスの葉の位置

このように、大小のコリント式柱頭の相違は、主にアカンサスの葉の作りの違いで

あり、これは柱頭の大きさと関係している。小さいコリント式柱頭は、大きい渦巻き

と 8 枚のアカンサスの葉がある(図 5、写真 2)。これに対し大きいコリント式柱頭は、

小さな渦巻きと 12 枚のアカンサスの葉がある(図 6、写真 3)。小さい柱頭の高さは、

平均 0.533 m(残りのよい 2部材の平均実測値)、円柱上部直径は平均 0.455 m(5 つ

の部材の平均実測値)、1 枚のアカンサスの葉の高さは、平均 20cmであった。大きい

柱頭の高さは、平均 0.593 m(4 つの部材の平均実測値)、円柱上部直径は平均 0.552 m

5

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(4つの部材の平均実測値)、1 段のアカンサスの葉の高さは平均 15 cmであった16。(表

1)従って、大きい柱頭は円柱下部直径の大きい内部円柱と、小さい柱頭は円柱下部

直径の小さい外部円柱と、それぞれ組み合わさっていたと考えてほぼ間違いないであ

ろう17。

C02 0.551 0.19 0.684 0.601C03 0.561 0.19 0.752 0.595C04 0.20 0.65 0.591C05 0.55 0.20 - -C06 - 0.21 - -C08 - 0.18 - -C14 - - - -C16 0.544 0.19 - -C20 - 0.20 - -C24 - 0.21 0.619 0.586C26 - 0.16 - -Av. 0.552 0.197 0.676 0.593C07 - 0.14 0.622 0.451C09 - - - -C10 0.517 0.15 0.589 -C11 - 0.145 0.522 0.458C12 - - - -C15 - 0.15 0.626 -C17 - 0.12 0.529 0.450C18 - 0.15 0.657 0.454C19 - 0.18 - -C21 - 0.15 0.66 -C22 - 0.16 - -C25 0.536 0.16 - -C27 0.548 0.16 0.565 0.463C28 - - - -C29 - - - -C30 0.504 0.127 0.567 0.464Av. 0.526 0.149 0.593 0.457

Big

Cap

ital

(w

ith

eigh

t aca

nthu

s le

aves

)S

mal

l Cap

ital

(w

ith

twel

ve a

cant

hus

leav

es)

Measurements of Corinthian Capitals

No. of blocks

Upper column diameter

Height of the first acanthus tie

Height of the block

Height of the capital

表1.メッセネのコリント式柱頭の各部寸法

アバクスは、上から見れば矩形の形をし、四辺が四分の一円あるいは放物線の円弧

を描いて内側に沿っている。アバクスの 4 つの角は、中心に向かって水平に切り取ら

れるように作られている。アバクスに接するカラトスの 上部には一本の帯がついて

いる.

6

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アカンサスの葉は、側面の中心軸の沿って置かれており、その上に丁度小さな彫刻の

装飾が載るようになっている18。二段目のアカンサスの葉は、一段目のアカンサスの

葉の間に来るように作られている。大きい柱頭の外渦巻きは、二段目のアカンサスの

葉の間からわき出る茎で支えられている。これに対し、小さい柱頭の外渦巻きは二段

目のアカンサスの葉に直接支えられている(図 7)19。これは、高さを低く作った小

さい柱頭には、茎を挿入する十分なスペースがなかったためである。その結果、外渦

巻きの真下にある二段目のアカンサスの葉は、潰れた形になっている20。C17 の外渦

巻きは非常に大きいために、この柱頭のアカンサスの葉は特に高さが低い(およそ 12

cm)。

すべてのコリント式柱頭に、人物や植物の彫刻が作られているものがある。彫刻が

ある柱頭では、かならず手の部分が内渦巻き上に載せるように置かれている。逆に彫

刻のない柱頭では、内渦巻きがそもそも作られていない。残念ながら、大きいタイプ

の柱頭で、外渦巻きが完全に残っているものは、一つも発見されなかった。しかしな

がら、多くの渦巻きの破片が発掘時に発見され、博物館に保管されることから、大き

いタイプの柱頭にも外渦巻きがあったたことは疑いない。

先述の通り、コリント式柱頭の中央には、人物または植物の彫刻が作られているこ

とが多い。柱頭側面の中心軸に沿って伸びるカリクスが立ち上がり、その上部にある

二枚の小さなアカンサスの葉の上に彫刻は立っている。彫刻はアカンサスの葉からな

る下部と、人物または植物からなる上部とで構成されている。人物の彫刻は、矢筒を

背負い、背中に翼があることから、エロスまたはニケであると考えられている(写真

2、3)21。翼はアバクスの上に載るように突き出し、左右に大きく広げた両腕は内渦巻

きの上に置かれている。無論、大きいタイプの柱頭の彫刻は小さいタイプの柱頭の彫

刻よりも大きい。C12 は、他と異なる植物装飾と非常に大きな外渦巻きがある。この

C12 の場合、二枚のアカンサスの葉があるカリクスの間から、まっすぐな茎が伸びて

いて、アバクスの上にあるパルメットまで届いている。アバクスの上にパルメットが

ある装飾は、ローマのコリント式柱頭で典型的に見られる特徴である。

メッセネのコリント式柱頭では、植物のモチーフと人物像のモチーフが一つ

の柱頭に同時に使われることは、全くなかった22。また彫刻モチーフの選択と柱位置

には、特に関係は見られない23。小さいタイプの柱頭のうち、人物像のモチーフが使

われた柱頭が 4個、植物のモチーフが使われた柱頭が 4個あった。大きなタイプの柱

頭のうち、じんぶつ像モチーフが使われた柱頭が 7個、植物のモチーフが使われた柱

頭が 5個あった。つまり、装飾モチーフの選択と柱頭の大小の違いには、特段の関係

は見られない。装飾モチーフの選択は、建築家・彫刻家の自由な発想に任されていた

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のであろう。

通常のコリント式柱頭とは異なる柱頭が 3個あった。C01 は大きなタイプの柱頭と

よく似ているが、一段目のアカンサスの葉は、柱頭側面の中心軸に置かれていない。

(従って、外渦巻きは小さいタイプの柱頭と同様に、アカンサスの葉を直接支える格

好になっている。)人物像の彫刻は、明らかに他の柱頭の彫刻よりも大きい24。またC23

は、矩形のカラトスと大きな外渦巻きを持ち、一段目のアカンサスの葉の高さは約 15

cmで、一段に 8枚のアカンサスの葉がある。おそらくこの柱頭は、キリスト教時代に

再利用され、形状を作り替えられたものであろう。(C23 と同じ様に矩形のカラトスを

持つ柱頭が、メッセネ遺跡内のバシリカ(キリスト教教会堂)跡から発見されている。)

C26 は、大きなタイプの柱頭の中でも、小さなアカンサスの葉(高さ約 16 cm)があ

り、第二段目のアカンサスの葉が、柱頭側面の中心軸に沿って作られている25。

調査の中で、長さ約 12 mに及ぶ東ストアのエンタブラチュアが発見された26。この

エンタブラチュアは、東ストアのクレピスから約 5.3 mの位置に、正面を地面に面す

る形で、丁度ゲイソンの基壇にぶつかるように倒れていた。同様に、西ストアのエン

タブラチュアの一部が、神殿の西側で発見された。このエンタブラチュアの長さは約

9.5 m、西ストアのクレピスから約 5.3 mの位置にあった。このエンタブラチュアも、

東ストアのものと同様に、ゲイソンが丁度神殿の基壇にぶつかるように倒れていた。

西ストアのエンタブラチュアは、倒れたときの衝撃のためか、東ストアのエンタブラ

チュアほど残りはよくない。小さなコリント式柱頭の破片が一つだけ、東ストアのエ

ンタブラチュアの中から発見された。この破片は、コリント式柱頭(C28)の上部で

ある。この破片は、アカンサスの葉の大きさから、小さなタイプの柱頭に属すること

が分かる。この事実は、円柱上部直径の大きさから小さいタイプの柱頭が外部円柱に

属するとした、先の仮定を保証するものである。

スタッコ仕上げの残っているコリント式柱頭一つが、調査で確認された。このスタ

ッコは、厚さがわずか数ミリしかなかった。従って、他のヘレニズム建築にも見られ

るように、コリント式柱頭がスタッコで仕上げられていた可能性がある。しかし紀元

後1世紀ごろに発生した地震後の再建部材である可能性も排除できず、スタッコで

初からかどうかは確定できない。柱頭の上面中央には小さな穴(約 3×9 cm)があり、

底部で広がっている。この穴は、よくギリシア建築で知られているとおり、金属を挿

入して石材をつり上げるための穴だったと考えられる。特に、柱頭は円柱の高い位置

に置かれるので、ほぼ完全な仕上げをした後に部材をつり上げたと考えられる。その

場合、例えば縄を柱頭の側面に括り付けてつり上げると、コリント式柱頭のような装

飾が多い部材は、細部が破損する可能性が高く(事実、現場で実測調査を行った際に

8

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部材を移動させた時に、傷が付きやすいことがよく分かったが)、上面に穴を作って

これからつり上げる方がより現実的である27。また、柱頭上面には小さな梃子穴があ

り、柱頭の上に載るアーキトレイブ部材を設置する際に用いられたと考えられる。

メッセネのコリント式柱頭は、すべてポロス(多孔質の柔らかい石灰岩)で作られ

ていた28。ギリシア建築としてはかなり質の悪いポロスを用いている。重要なアスク

レピオス神域のファサードを構成する建築部材になぜポロスを用いたか、はっきりし

たことは不明だが、おそらくポロスの石切場が都市の近くにあったことと、柱頭のよ

うな複雑な形状の部材を作るには、やわらかいポロスで作り、スタッコで仕上げる方

が施工が優しかっただろうことが指摘できる。柱頭の上面には円形の突起部があり、

その直径は約 0.27 m、高さは約 1 cmであった。この柱頭上面の仕上げは、ギリシア・

ローマ建築でよく見られるが、何のためであるかはよく分かっていない。考え得る一

つの可能性は、アバクスの端部とアーキトレイブが接する際に、その鋭い仕上げがか

けないように、わずかな隙間を作るためだったのではないだろうか29。筆者の知る限

り、この突起部の機能や目的をうまく説明できた説は、これまで出ていない。

2-4.スタイルと特徴

上記の通り、メッセネのコリント式柱頭には二つの種類がある。一つは大きなタイ

プで 8 枚のアカンサスの葉があり、もう一つは小さなタイプで 12 枚のアカンサスの

葉がある。ディンズムアは、バッサエのアポロン神殿(紀元前 430-400 年ごろ)のコ

リント式柱頭が、ギリシア建築において 初に作られたコリント式柱頭であると述べ

ている。F.クーパーはこのコリント式柱頭について も新しく、かつ緻密な研究を行

っている30。クーパーらによるバッサエのコリント式柱頭には、16 枚のアカンサス

(?)の葉がついている(図 8)。デルフィのトロス(紀元前 400 年ごろ)の内部に使

われていたコリント式柱頭は、14 枚のアカンサスの葉がついてたものとして復元図が

描かれている。しかし、これらの柱頭はいずれも残りが悪く、アカンサスの葉の数を

確定できる証拠はない。リシキュラテスの記念碑(紀元前 334 年)にあるコリント式

柱頭を除いて、紀元後4世紀以降、コリント式柱頭のアカンサスの葉は8枚になった。

メッセネのアスクレピオス神域は、紀元前 3世紀第四四半世紀に建設されたと考えら

れており、コリント式柱頭が建設当初のものと考えれば、小さなタイプのコリント式

柱頭は、ヘレニズム期でありながら12枚のアカンサスの葉を用いた唯一の例となる。

コリント式柱頭はギリシアのヘレニズム期から発生し、ローマになって完成したと

考えられている。したがって、ギリシアのヘレニズム期におけるコリント式柱頭には、

様式的に完成する前の、様々な形態の柱頭があった。ヘレニズム期のペロポネソス半

9

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島で発見されたコリント式柱頭は、柱頭側面の中央を通る縦の軸線にアカンサスの葉

などの装飾を置く傾向がある。例えばバッサエのアポロン神殿のコリント式柱頭には、

縦の中心軸に沿ってパルメットが置かれている(図 8)。メッセネのコリント式柱頭に

も近い類例は、テゲアとネメアにあるコリント式柱頭である(図 9)。これらのコリ

ント式柱頭には側面の中心軸に沿って植物葉の装飾が置かれている31。おそらく、こ

うしたペロポネソス半島における中心軸に植物葉の装飾を置くスタイルが、メッセネ

のコリント式柱頭に影響を与えたのであろう32。ただし、エピダウロスのトロスのコ

リント式柱頭は、内渦巻きが残っているが、側面の中心軸には何の装飾も残っていな

い。メッセネのコリント式柱頭は、ヘレニズム期のギリシアのコリント式柱頭の中で、

側面の中心軸に沿って人物像を用いた 初の例と言える。

初に本格的な発掘をしたオルランドス氏と、現在の発掘者であるテメリス元教授

によると、大きいタイプの柱頭にある人物像はエロス、小さいタイプの柱頭にある人

物像はニケであると考えられている33。ギリシア本土において、柱頭の装飾にエロス

あるいはニケが使われた柱頭は、全く確認されていないが、古代地中海世界まで視野

を広げれば、エロスのある柱頭が 4 例、ニケのある柱頭が 3例あることが分かってい

る34。小アジアのペルガモンには、建築の装飾モチーフとしてエロスが使われたこと

が分かっているものの、柱頭に使われたものではない35。ディデイマのアポロン神殿

の付柱の柱頭(アンタ・キャピタル:いわゆる神殿のアンタの位置に使われた矩形の

柱頭)は、メッセネの柱頭と同じように人物像の装飾モチーフが使われている(図 10)。

すなわち、半植物(アカンサスの葉)と半人間(キトンをまとった女性の上半身)の

装飾がある。この半植物・半人間の装飾モチーフは、メッセネの柱頭の装飾モチーフ

ときわめてよく似ている。また、キプロスにあるサラミスのアゴラ(紀元前 2 世紀?)

で発見された柱頭にも、半植物・半人間の装飾モチーフが使われている。このサラミ

スの柱頭には、丁度イオニア式の渦巻きのように、左右に牛頭の装飾があって、側面

には半植物・半人間の彫像が中心軸に沿って作られている36。したがって、半植物・

半人間の装飾モチーフはヘレニズム期のギリシアでは、一般的な装飾モチーフであっ

たと考えられるが、ペロポネソス半島に限れば、メッセネの柱頭が 初の例であると

言えよう。

2-5.小結

メッセネのアスクレピオス神域におけるコリント式柱頭は、オルランドス氏が 1950

年代に発見されたが、これまで調査がされてこなかった。本研究において、ギリシア

本土に残る数少ないヘレニズム期のコリント式柱頭の詳細を調査し、明らかにした。

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大小 2つのタイプのコリント式柱頭は、アスクレピオス神域のストアに同時に使われ

たものである。メッセネのコリント式柱頭は、側面の装飾が中心軸線を通る特徴があ

るが、これはペロポネソス半島に見られる、より古いコリント式柱頭の特徴を踏襲し

たものであろう。建築全般に目を転ずれば、軸線的な建築計画は、ヘレニズム期以降

に広まった手法である37。また、人物像や植物模様の装飾モチーフは、ヘレニズム期

には広く使われたモチーフである。しかし、人物像と植物模様(半人物・半植物)を

組み合わせたモチーフは、当時のギリシア本土においては、きわめてユニークなもの

であって、茎の上にニケとエロスの像を置き、両手を内渦巻きの上に載せる装飾の構

図は、おそらくメッセネの建築家・彫刻家の自由な発想に基づくものであったに違い

ない。ペロポネソス半島の中心軸的な構図の伝統に従いながらも、メッセネのコリン

ト式柱頭に装飾は複雑化し、側面の上方に高く装飾を持ち上げており、ヘレニズム文

化の影響を強く受けていると言えよう。メッセネのコリント式柱頭の作成年代は、不

明な点が多いが、おそらくアスクレピオス神域が建設された紀元前3世紀の第四四半

期と考えてよいだろう。この年代決定は、発掘による複合的な情報に基づいている。

メッセネのアスクレピオス神域において、コリント式オーダーが使われたことは、ヘ

レニズム期に台頭してきた富豪の意向が影響していることは疑いないが、建設当時の

政治的・経済的状況は不明な点が多く、誰が出資者であるか、いまだに分かっていな

い。

1 パウサニアス、『ギリシア旅行記』 IV, 27, 5-7.

2 A. Blouet, Expédition Scientifique du Morée, Paris vol. 1, 1831, pp. 19-46, Pls. 18-47.

3 オルランドス教授は、毎年の発掘成果をギリシア国内の考古学雑誌に発表している。し

かし、発掘半ばで死去したため、 終的な発掘報告書は発表されないまま、貴重な資料は

眠ってしまった。考古学雑誌(ΠΑΕ, ΕΡΓΟΝ)の資料では、1/500 の簡易な平面図が発表

されただけである。Α. Κ. Ολάνδως, “Νεάτεραι Έρευναι εν Μεσεήνη (1957-1973),” in H. von U.

Jantzen (ed.), Neue Forschungen in Griechischen Heiligtumern, Tubingen, 1974; id, “Ανασκαφή

Μεσεήνη,” ΠΑΕ 1957, ss. 121-125, Pls. 53-58; 1958, ss.177-183, Pls.137-142; 1959, ss.162-173,

Pls.136-145; 1960, ss.210-227, Pls.162-169; 1962, ss.99-112, Pls.103-120; 1963 ss.122-129,

Pls.94-105; 1964, ss.96-101, Pls.99-109; 1969, ss.98-120, Pls. 121-136; 1970, ss.125-141,

Pls.172-184; 1971, ss.157-171, Pls. 191-03; 1972, ss.127-138, Pls. 103-116; 1973, ss.108-111;

“Ανασκαφή Μεssεήνη,” Έrgon 1957, ss. 75-80; 1958, ss. 142-148; 1959, ss. 110-117; 1960, ss.

159-167; 1962, ss. 119-132; 1963, ss. 88-102; 1964, ss. 90-101; 1969, ss. 97-132; 1970, ss.

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100-131; 1971, ss. 144-173; 1972, ss. 67-83; 1973, ss. 79-82; 1974, ss. 62-73; 1975, ss. 107-116;

id, “Messene,” BCH 82, 1958, pp. 714-717; 83, 1959, pp. 636-639; 84, 1960, pp. 695-700; 85,

1961, pp. 697-703; 87, 1963, pp. 768-777; 88, 1964, pp. 734-742; 89, 1965, pp. 729-732; 94, 1970,

pp. 984-989; 95, 1971, pp. 892-895; 96, 1972, pp. 60-66; id, “Messene,” American Journal of

Archaeology (AJA) 67, 1963, pp. 281-282; 75, 1971, pp. 308-310.

4 Π. Θέμελης, “Ανασκαφή Μεssεήνη,” ΠΑΕ 1986, ss. 74-82, Pls. 17-22; 1987, ss. 73-104, Pls.

64-80; 1988, ss. 43-79, Pls. 31-57, 1989, ss. 63-122, Pls. 54-94; 1990, ss. 56-103, Pls. 31-74; 1991,

ss. 85-128, Pls. 50-78; 1992, ss. 60-87, Pls. 20-27; 1993, ss. 48-72, Pls. 25-49; 1994, ss. 69-99, Pls.

19-48; 1995, ss. 55-86, Pls. 13-42; 1996, ss. 139-171, Pls. 53-72; 1997, ss. 79-113, Pls.32-65;

Έrgon 1986, ss. 100-105, Pls. 76-80; 1987, ss. 98-104, Pls. 119-127; 1988, ss. 27-46; 1989, ss.

30-37; 1990, ss. 26-35; 1991, ss. 28-35; 1992, ss. 27-41; 1993, ss. 26-43; 1994, ss. 37-42; 1995, ss.

34-42; 1996, ss. 47-57; 1997, ss. 34-42; 1998, ss. 39-50; 1999, ss. 45-56; 2000, ss. 58-70; 2001, ss.

46-53; 2002, ss. 27-3; id, “Das Gymnasion von Messene in der Römischen Zeit,” Griechenland in

der Kaiserzit, Bern.

5 我々の調査権限は、アスクレピオス神域のストアと、神域北側にあるセバステイオンに

限られていた。他の建物、例えばメッセネ(あるいはアスクレピオス神域)、民会場、百

人会議場、アルテミスの神域などは、他の建築家あるいは考古学者・建築家に任せられて

いる。この件については以下を参照。 A. Orlandos, ΠΑΕ 1970 ss. 137-138, Πίν. 182-183.

6 See also, R. Yoshitake, et. al., “A Survey of the Stoas of the Asklepieion in Messene,” Journal of

Architecture, Planning and Environmental Engineering, Architectural Institute of Japan, No. 576,

2004, pp. 207-214.

7 J.J. Coulton, “Why choose Doric? The significance of the orders in Hellenistic architecture,” in

Symposium for International Collaborative Studies on Ancient Messene, Tokyo, June 29, 2002, pp.

40-55.

8 W. B. Dinsmoor, The Architecture of Ancient Greece, 1950, p. 157.

9 メッセネのヒッポダモス式都市計画は、ドイツのミューズ・ヘルダ氏が調査研究を行っ

ている。詳しくは、以下を参照。Müth S., Eigene Wege: Topographie und Stadtplan von Messene

in spätklassisch - hellenistischer Zeit, Rahden/Westf. 2007: id., “Street Network and Town

Planning of Ancient Messene,” στο Ito J. (ed.) Symposium for International Collaborative Studies

on Ancient Messene, Kumamoto 2002, pp. 16-30.

10 発掘者であるテメリス氏によると、メッセネの彫刻家ダモフォンの手による彫刻の編

年によると、アスクレピオス神域の第一期の建設は紀元前3世紀の終わりか紀元前2世紀

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の初め頃であり、当時の都市の政治的状況に深く関係しているらしい。:Themelis, P. G.,

Ancient Messene - Site and Monuments Athens, 1998, p.17, id., “Damphon von Messene - Sein

ZWerk im Lichte der neuen Ausgrabungen,” Antike Kunst 36, 1993, pp. 24-40, pls. 3-9.この説は、

神域中庭の南側で見つかった、古い神域の発掘遺物の情報(主に陶器とコイン)とも一致

するし、紀元前 4 世紀にアスクレピオス神域の北西に作られたアルテミス・オルシア神殿

の発掘情報(碑文とコイン)とも整合する。: Χλέπα, Ε. Α., Μεssήνη: το Αρτεμίσιο και οι οίκοι

της δυτικής πτέρυγας του Ασκληπιειού, Αθήνα, 2001. シンバラ・エリザ氏が行った、アスクレ

ピオス神殿(あるいは単にドリス式神殿)の博士研究によれば、紀元前2世紀前半と推定

している。:Sioumpara, E. A., Der Asklepiostempel von Messene auf der Peloponnes -

Untersuchungen zur hellenistischen Tempelarchitektur, Institut für Klassische Archäologie der

Freien Universität Berlin, Berlin 2006 (in print). この中でシンバラ氏は、第一にこの建物に古

典期の建築的特徴が多く認められることと、第二にこれ以上厳密な年代決定はヘレニズム

建築については難しく、特にドリス式オーダーについては困難であることから、神殿の年

代付けをこれ以上限定すべきではないとしている。F. Rumscheid, Kleinasiatische

Bauornamentik des Hellenismus (1994).アスクレピオス神域内の複数の建物から、古代に修

復を行った痕跡が残っている(例えば、民会場やプロピロン、アスクレピオス神殿など)

が、ローマ時代のいつごろこの修復が行われたかを推定するのは非常に困難である。スト

アの修復については、碑文が残っている。

11 実測の結果、クレピスの入り隅の角度は、東ストアと北ストアが 90.008 度、西ストア

と北ストアが 89.973 度、西ストアと南ストアが 90.022 度、東ストアと南ストアが 89.997

度であった。

12 これは一般論であって、イオニア式やコリント式円柱の中にもフルートが 20 本のもの

がある。例えば、ネメアのゼウス神殿のコリント式円柱ではフルートが 20 本である。B. H.

Hill, The Temple of Zeus at Nemea, Princeton, 1966, p. 28.

13 このような、美的効果を施す必要は日光が直接当たることのない内部円柱には必要な

く、それ故内部円柱の全周に胡麻柄繰型のフルートをつけたのである。クールトンは、胡

麻柄繰型フルートはヘレニズム期のストアで一般的に使われたテクニックであるとし、胡

麻柄繰型フルートや多角形型のフルートは、そもそも列柱の間を行き来する際にフルート

のエッジが破損するのをさけるために作られたと述べている。例えば、アテネのアッタロ

スのストアの外部列柱はドリス式であるが、その下方は多角形のフルートとして作られて

おり、内部列柱はフルートのない丸彫りの円柱を用いている。 J. J. Coulton, The

Architectural Development of the Greek Stoa, Oxford, 1976, p.112.

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14 オルランドスは、1970 年にアスクレピオス神域を発掘した際に、「ストアの柱頭はポロ

スでできたコリント式柱頭が使われており、(発掘時よりも)何年も前から見つかってい

る。柱頭の下部はアカンサスの葉でできており、上部にはニケあるいはエロスの彫像があ

る。」と報告している。ΠΑΕ 1970, p. 137, pl. 182 α, β.

15 コリント式柱頭を定義するのはそれほど簡単ではないが、本研究ではベルを逆さまに

したカラトスを持ち、アカンサスの葉が下段にあって、大きな外渦巻きを持つものを『コ

リント式柱頭』であると仮に定義する。

16 ここでは柱頭高さとは、アカンサスの葉の 下部からアバクスの 上端までのことで、

柱頭の部材にしばしば付属する柱身の上部(いわゆるネッキング)は含まない。

17 この仮説は、別の証拠からも裏付けることができる。祭壇の近くから発見された柱頭

の小片は、アバクスの高さから小さいタイプのコリント式柱頭であることが分かった。こ

の小片は、古代の地震で倒壊した数メートルにおよぶエンタブラチュアと共に見つかった

ものである。したがって、小さいタイプの柱頭が外部列柱に使われていたことは明らかで

ある。

18 一部のコリント式柱頭には、二段目のアカンサスの葉が側面の中央にあるものもあっ

た。 (C01, C26)

19 このコリント式柱頭は (C11) 、一段に 12 枚のアカンサスの葉があり、他の柱頭よりも

大きい外渦巻きがある (表 1)。

20 いくつかのカウリスは、大きな外渦巻きを支えるために十分なスペースをつくるため、

茎からではなく、二段目のアカンサスの葉の間では頂部から始まっているものもある

(C11, C17) 。

21 コリント式柱頭の彫刻モチーフに関する、考古学的・美術史的な研究として、以下の

修士論文がある。Natalia-Mihaela Toma, Die Bauromantik der Stoen des Asklepieions von

Messene – Zur Typologie, Chronologischen Einordnung und Funktion der Figuralkapitelle,

Institut für Klassiche Archäologie der Freien Universität Berlin, June 2006.

22 一つの柱頭に人物モチーフと植物モチーフが同時に使われた柱頭が一つだけあった

(C12) 。

23 ストアごとに異なるモチーフを用いた可能性はほぼないと考えられる。もしそうであ

れば、入り隅の柱頭は隣り合う二つの側面に、人物モチーフと植物モチーフがないといけ

ない。そのような柱頭は、C12 しか見つかっていない。また大きなタイプの柱頭にも、人

物と植物のモチーフが使われていたので、外部円柱と内部円柱とでモチーフを使い分けて

いたわけでもない。つまり、ストアの中での円柱位置とモチーフの選択には何の関係もか

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ったと考えられる。

24 この特別大きな柱頭(C01)は、直径が 0.698 mもあり、ストアの二つの柱頭(平均 0.626

mと平均 0.667 m)よりもはるかに大きいことから、ストアのものではなく、北プロピロ

ンの正面オーダーに用いられていたと考えられる。北プロピロンは、ストアに面しており、

南側の正面は、ストアと一体になっていた。したがって、北プロピロンでストア同じ形態

の柱頭を用いた可能性が高い。

25 これら 3 つの柱頭は、寸法の分析対象から外している(表 1)。

26 アスクレピオス神域と同様に、地震によって倒壊したストアの列柱が、メッセネの競

走場で発見されている。多数の円柱とエンタブラチュアが、一列に並んで倒れていたが、

現在は復元されている。Themelis: ΠΑΕ 1997, 図 51 参照。

27 G. Roux, L’Architecture de l’Argolide aux IV et III siecles av. J-C, Paris, 1961.

28 メッセネの建築家は、建物の中でも装飾の多い部位にポロスを用いている。ストアで

も、シーマとアンティフィクス(軒瓦)を除いて、ほとんどはポロスを用いた。

29 共和制ローマ時代のポンペイでは、コリント式オーダー公共建築だけでなく、一般住

宅にも用いられていた。筆者は 2003 年にポンペイのコリント式柱頭を調査する機会がっ

たが、その結果ポンペイ市内で 199 個のコリント式柱頭があり、凝灰岩、石灰岩および大

理石の 3 種類の石材が使われていたことが分かった。大理石部材を除いて、柱頭の上面に

は円形のふくらみがあった。凝灰岩の部材は、主に住宅に使われ、その上面にある膨らみ

は大きかった。おそらくこれは、石材の強度と石工の技術力に関係しているのであろう。

30 F. A. Cooper, The Temple of Apollo Bassitas, vol.1-4, 1992, Princeton: Vol. I, pp. 305-310. 特に

第 29 章のコリント式柱頭の章を参照。これまでに多くの研究者が、バッサエのコリント

式柱頭を図面に起こしているが、いずれの図面も極端に異なった形状を示している。しか

し、残念ながら柱頭そのものは盗難にあって、現在見ることができない。

31 See B. H. Hill, The Temple of Zeus at Nemea, Princeton, 1966, pp. 29-33, Fig. 35-36, Plate. 26;

N. J. Norman, The Temple of Athena Alea at Tegea, AJA 88, 1984, pp. 169-94, Pls. 29-31. ヒルに

よれば、『ネメアとテゲアの神殿に使われたコリント式柱頭は、中心に大きな葉っぱがあ

り、アバクスの中程にまで届いている』としている。しかし、この時の復元図は、元の形

が分からないほど粉々になった破片から推定して描いたものであった。現在、その復元の

資料となった破片の写真やヒルのメモが、アテネのアメリカ研究所にあるブレッゲン図書

館で見ることができる。

32 さらに広い比較分析を行うためには、ヘレニズム建築全体に視野を広げる必要がある。

フラーザーは、『・・・要するに、(サモトラケの)プロピロンの西側ファサードにあるコ

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リント式柱頭は、より古いネメアやテゲアの神殿に使われたコリント式柱頭にきわめて類

似している』と述べている。K. Lehmann and P. W. Lehmann, Samothrace; Excavations

Conducted by the Institute of Fine Arts, New York University (Bollingen Series 60, 1958- ); vol.

10, A. Frazer, The Propylon of Ptolemy II, 1990, p. 177.

33 Themelis 1994。テメリスは、メッセネのエロスやニケのモチーフがローマのトラヤヌス

のフォロにあるレリーフ装飾に表された、半人物-半植物で翼のある少年のモチーフに引

き継がれたと主張している。無論、紀元後 100 年に建設されたトラヤヌスのフォロと、紀

元後 3 世紀第四四半期に建設されたメッセネのアスクレピオス神域の間には、300 年以上

もの開きがあるので、直接影響を与えたとは言えないだろう。

34 柱頭に用いられたエロス像とニケ像については、For Eros, see Eugen von Mercklin, Antike

Figuralkapitelle, Berlin, 1962, pp. 55-56, pl. 248, 251, pp. 252-255, pp. 56-57, pls. 255, 258, and

260.

35 Pamela A. Webb, Hellenistic Architectural Sculpture - Figural Motifs in Western Anatolia and

the Aegean Islands, London, 1996, pp. 31-32.

36 Webb, ibid.

37 ヘレニズムの神域における軸線的平面計画については、以下を参照。J. Ito, Theory and

Practice of Site Planning in Classical Sanctuaries, Fukuoka, 2002.

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第三章

メッセネの古代劇場

3-1.劇場と調査の概要

劇場の存在は、古くから知られ、19 世紀のフランス人建築家ブルエのスケッチにも、

劇場の壁が描かれている。1987 年から、当時クレタ大学考古学科の教授であったペトロ

ス・テメリス氏がメッセネ考古学協会を組織して発掘を開始し、劇場の全容がほぼらかに

なってきた。筆者は、熊本大学ギリシア古代建築調査団(団長:伊藤重剛)の団員の一人

として、2007 年 10 月から現地での調査を開始した。劇場の発掘は、まだ一部が残ってい

るが、劇場の客席、スケーネの上部部材などが出土し、整理が終わりつつある。また、東

側のパラドスが現在発掘中であり、これも 2009 年夏までに終了する予定である。調査団

は、2008 年夏(2008 年 8 月 6 日~9月 23 日)に、現地調査を行い、ローマ時代のスケー

ネの平面・断面、および建築部材の詳細図を作成した。

劇場は、メッセネ市域の北西部、アゴラの西側にある(図 1、写真 4)。北から南へ傾く

緩やかな斜面を利用して建てられている。劇場のすぐ東には石畳の道路を挟んでアルシノ

エの泉水場がある。西側は、南北に延びる道路が走り、ローマ時代には住宅地に改築され

た為、モザイク床のある住居跡が発見されている。

現在はオルケストラ、スケーネ、パラドスの壁、西側から北側にかけての外壁などが残

っている(図 11)。しかし、オーケストラに接する 下部を除いて座席部分の殆どが破壊

された状態で出土し、現在は土砂がむき出しの状態となっており、座席がないゆえに一般

的な古代劇場の姿を想像するのがやや困難な状態である。劇場全体の幅は約 98.60 m、オ

ルケストラの直径は約 23.46 m ある。これまでの発掘で、大量の彫刻、碑文、建築部材

などが出土し、その数は 2000 点を超える。発掘者のテメリス氏によると、ヘレニズム(紀

元前 3 世紀終わり頃)に建設され、ローマ時代になって二度改築されたと考えられてい

る。ローマ時代の改築時に、ヘレニズムのプロスケニオンが舞台ステージに改築され、背

後におそらく 3 階建てのオーダーを伴ったスケーネが増築されたと推定されている。

3-2.劇場の擁壁とその周辺

劇場は斜面を利用して建てられているが、 も高い客席後部は、当時の地上レベルより

も高い位置まで作られている。そのため客席の後部には高さ約 4mの擁壁がある。石積み

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は高いところで約 10 段あった。現在のまでに、西側から北側にかけての部分が当時の地

上レベルまで発掘されており、擁壁と出入口が露出している。現存している擁壁は、平面

で半円形ではなくU字形をなしている。北西の隅には、この擁壁から外側に向かって幅約

2.5 m、長さ約 10 m の階段が残っており、これが劇場の主階段の一つだったと思われる(写

真 5)。この階段の石積みは、擁壁と組み合わせて作られているので、現在の擁壁と同時

期に作られたものと思われる。同様の階段が、東側に 3つ残っているが、こちらは半円形

の擁壁跡につながっている。また、西の出入り口よりも崩れており、ポロスの基礎部分が

むき出しになり、石灰岩のステップが数段残っているだけである。

擁壁の西側に沿って北から南へ真っ直ぐに、下水道が約 50cm の長さで出土している。

下水道は長さ 1~2 m、厚さ 10 cm ほどの石板を手荒に敷き詰めたもので、これは競走場

のプロピロンに通ずる道路の下水道と同じものである。この下水道の面が当時の地表面と

考えられる。西側の擁壁には、細い急な階段が 3か所に残っている。幅はともに約 1.2 m、

北側のそれは階段数 12 段、中央が 9段、南側が 5段残っている(写真 6)。中央と南側の

階段の上部は、コーベリング・アーチになっている。擁壁は石灰岩の切り石で整層積みに

積まれた非常に堅固なもので、ところどころ段差の違う石も使われている。積み方は、水

平方向は直線だが、鉛直方向は斜めになっているものもある。

劇場の北東部には、劇場と泉水場をはさむ位置に、石灰岩の道路がある。道路の幅は約

3.5mで、中央の大きな石敷きの真下を下水道が走っている。この道路とちょうど直行す

るように、石灰岩を敷いた通路が地表に現れている。この石灰岩敷きの道路は、半円形の

擁壁へ続く階段へ続いている。この通路は、左右をポロスの石列で挟まれている。擁壁が

あった位置は、後世に作られた別の壁で作り直されている。壁の下方は小さな石を敷き詰

めたもの、上部は二段の石灰岩でできているので、ローマ時代以降の修復であろう。

擁壁の東側は、上部の石材が崩れ落ち、そのままの状態になっている。2009 年 2 月現

在、メッセネ考古学協会の手で石材を移動する作業が行われており、2009 年夏以降に発

掘が行われる予定である。

3-3.オルケストラと客席

オルケストラの半径は、約 10.5m(一番内側の外縁部まで)である(写真 7)。少なく

ともローマ時代には小さな石板で舗装しており、その一部が出土し、修復保存されている。

石板は一辺約 27cmの正方形で、白、赤、グレーなど様々な色をしている。オルケスト

ラの北側には、祭壇の部材が出土し、現在復元されている。オルケストラの外縁部は、矩

形の石材で縁取ってある。外縁部の石列には、数メートルおきに、10~15cmの矩形の穴

が開いている。石列の外側には、幅約 50cmの側溝(エウリポス、euripos)があり、そ

の外側から一段目の座席が始まる。メッセニア地方は古代から水が豊富なところで、劇場

のエウリポスは今も現役であり、特に冬場の雨水を排出するためには不可欠である。その

ためオルケストラの北東部分には、石造の小さな水瓶がある。エウリポスの上には、とこ

ろどころで幅約 85cm、奥行き約 1.2mの矩形の石材を置き、オルケストラから階段通路

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へ上がれるようになっている。また、階段通路の間には、彫刻や碑文の台座が立っていた

ことが分かっており、その一部が復元されつつある。オルケストラからは、放射状に階段

通路が 12 あり、客席は 11 のゾーンに区切られていた。座席部材は、オルケストラへ崩れ

落ちていて、発掘時に通し番号を打った後で、別の位置に移動させられた。客席を支えて

いた盛土の形状からして、客席の中程に 低一つはディアゾーマがあったと考えられる。

3-4.パラドス

オルケストラの両端には、それぞれパラドスと呼ばれる通路がある。ギリシア・ローマ

の古代劇場は、パラドスのすぐ隣まで高い座席を用意するため、パラドスのすぐ隣は客席

を支える高い壁を設ける必要がある。メッセネでも、東西のパラドスに高い壁を観察する

ことができる(写真 8)。ギリシアの劇場は、スケーネが一階建てかせいぜい二階建てで

あったが、ローマ時代にはスケーネを高く立ち上げ、客席と一体化するため、パラドスは

トンネル・ヴォールトの地下通路となることが多い。メッセネの場合は、オルケストラの

すぐ脇のところだけ通路をもうけ、その外側には巨大な壁の跡がないので、おそらく外部

へ直接つながっていたと考えられる。

また、平面上でもギリシアからローマ時代の間に幾度も改築されていたことが分かる。

東パラドスには、 低二つの壁があり、外側のパラドスはスケーネと平行だが、西パラド

スよりも外側に飛び出している。東パラドスの内側の壁は、スケーネと平行でなく、オル

ケストラの中心に向かっている。しかも、東パラドスと西パラドスの石積みは全く異なる。

従って、これら3つのパラドスの壁の建設プロセスは、慎重に検討する必要がある。

東パラドスの壁のうち、内側のものは、オルケストラの中心に向かって伸びている。途

中で途切れてながらも、客席の一番下段から、後ろの擁壁付近まで約 49mの長さがある。

南側からはポロスの基礎がよく観察できる。一部で石灰岩の石積みが残っているが、壁の

上段ではないところもあり、あとで改築された可能性もある。壁の擁壁側の端部には、

三段の階段がある。一方、外側にある東パラドスの壁は、スケーネと平行してたっている。

内側の古いパラドスの壁との間に石材や土を詰め、南側に新しく作ったものである。外側

のパラドスの壁は、全部で 25m程度である。東側には、擁壁に沿って、さらに 6.7m南側

に壁がつきだしている。入り隅の石積みからみて、同時期に建てたものと見られるので、

この L字型の壁は、あるいはストアの様な建物があったのかもしれない。石積みは、高さ

をそろえて水平に積んでいるが、左右に隣り合う石材は、必ずしも垂直に切っていない。

東パラドス一体は、ビザンチン時代に墓地として使用されたため、発掘が遅れている。ギ

リシア・ローマ時代の壁面を掘り出すには、まずビザンチン時代の墓の記録をとる必要が

あるためである。2009 年 2 月現在、東パラドスの西側半分まで発掘が進んでおり、可動

式スケーネが発見された(写真 9)。これは3本の石造レールで、1本目と2本目の幅は、

心心距離で約 2m、1本目と3本目の幅は、心心距離で 7.5mある。このレールはパラド

スの壁と平行に走っており、さらに南側には幅 2.10mの長い石列が出土した。大きな石

材を二列に並べており、上面を平らに仕上げている。パラドスの壁の基礎も、幅 2.10m

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で同じ様な作りであることから、この上に高い壁が立ち上がっていた可能性がある。ある

いは、可動式スケーネを収納する格納庫だったのかもしれない。詳しくは今後の発掘と、

2009 年以降の調査結果を待たねばならない。いずれにしても、このような石材レールは、

スパルタの劇場以外では見つかっておらず、メッセネ劇場復元での重要なポイントになる

であろう。

西パラドスは、東パラドスほど複雑な改築を受けていない。西パラドスの壁は、スケー

ネとほぼ水平になっている。石灰岩で丁寧に積まれているが、壁厚は約 60cmと薄く、

内側はポロスで押さえている。3つの添壁がある点も、東パラドスと異なる。石灰岩の石

材は、上面と側面にアルファベットが打たれ、どの層の何番目の石材であるかが分かるよ

うになっていた。このようにアルファベットを石材に打って、設置順序を指示する方法は、

同じメッセネの競走場のストアにも見られる。現在の西パラドスの壁は、すでに修復を受

けており、一度石材をはずして積み直されている。西パラドスの壁と平行して、Π 字型

の建物があるが、何の為のものであるか分かっていない。

3-5.スケーネ(舞台建物)

現在残っている主な遺構は、ローマ時代のスケーネ(写真 10)である。ローマ劇場の

スケーネは、オルケストラに面するプロスケニオン(proscaenium)と、テラスのような

舞台(pulptiumn)、さらにその背後のスカエナエ・フロンス(scaenae frons)、スケーネ

の背後にある通路(postscaenium)からなる。プロスケニオンには、しばしばパラスケニ

オン(parascaenium)が付属する。メッセネ劇場の場合、オルケストラの前に、煉瓦造の

プロスケニオンがあり、左右の両脇に舞台ステージへ上がる階段がある。ステージの背後

は平面が Π 字型のスカエナエ・フロンスがある。スカエナエ・フロンスには、3 つのニ

ッチがあり、その背後の通路につながっている。背後の通路は、Π 字型のスカエナエ・

フロンスを丁度取り囲むようになっており、舞台ステージの左右にまでつながっている。

1)プロスケニオン

プロスケニオンは、煉瓦像であり腰ぐらいまでの高さまでしか残っていない。オルケス

トラ付近を発掘した際に出土し、あまり強固な作りではなかったために、新しい煉瓦で補

強し、修復されている。プロスケニオンの長さは、オルケストラに向かってつきだしてい

る部分で約 16.5m、全体で約 25.5mある。壁の奥行きは も大きなところで約 1.5mで

あった。中央に2つの半円形ニッチがあり、その直径は約 1.85mである。その西側に小

さな矩形のニッチがあり、その長さは約 1.6m、奥行きは約 0.25mである。この矩形のニ

ッチは、おそらく反対側にもあったと思われる。プロスケニオンの両端には、復元された

4段の階段があって、舞台まで上がるようになっていた。

2)舞台

舞台の床は木製であったため、現在は基礎しか残っていない(写真 11)。ヘレニズムの

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スケーネの壁と思われるポロスの基礎、舞台を支える床柱として再利用されたポロスのコ

リント式あるいはイオニア式の円柱、石灰岩の矩形の石列など、全部で4列の石列が観察

できる。円柱は全部で 27 本残っており、プロスケニオンの壁と、スカエナエ・フロンス

の壁の丁度間に立っている(壁の端から円柱中心までの距離は、ほぼ 2.7m)。円柱は、

約 1.5mの間隔で並んでいる。ほぼ同様に、矩形の石材が円柱よりもオルケストラ寄りに

並んでいて(その一部は円柱)、その間隔は約 1.5~2.0mである。もし床梁をかけるなら

ば、それを載せる部分か壁にないといけないが、何の痕跡もない。

3)スカエナエ・フロンス

スカエナエ・フロンスは、平面が Π 字型をした建物で、ステージの背景であった。建

物を詳しく観察すると、何度か改築をされた跡が残っている。スカエナエ・フロンスの全

長は、ステージ側の基壇が 29.47m、 終段階の舞台前面でったところまで張り出した両

側の袖の長さは、6.10mである。中央に半円形ニッチ(regia)が、左右に矩形のニッチ

(hospitalia)がある。これらのニッチには、それぞれ2本の柱が載る台座あるいはその

痕跡が残っている。現存する台座は、東ニッチのみで、一辺 1.10cmの正方形である。

西ニッチに残る台座の痕跡も、東ニッチの台座とほぼ同じ大きさである。中央ニッチに残

る台座の痕跡は一辺 1.2mの正方形で、他のものよりも大きい。ニッチの平面寸法は、以

下の通り。

東ニッチ 中央ニッチ 西ニッチ

正面幅 4.59 m 5.02 m 4.58 m

奥行き 2.58 m 2.35 m 2.61 m

出入口幅 1.63 m 1.82m 1.63 m

東ニッチは、矩形の平面をしている(図 12)。柱の台座部材の心心間距離は、2.647m

である。出入口の敷居は、幅 1.635m、奥行き 0.86mである。出入口の左右に付け柱があ

り、このうち東側は白い石灰岩で、西側はポロスでできている。石灰岩の方は、後から付

け足した様に見えるが、ポロスの方は壁に組み込んで作られている。

中央ニッチは、半円形の平面をしてる(図 13)。壁の円弧から推定すると、円の半径は

約 2.5mで、円の中心は正確にトイコベイトの端にあたる。二つの円柱台座の痕跡があり、

このうち一つは大小 2 つの痕跡がある。小さい台座の跡は、一辺約 1.10mの正方形で、

大きい台座の跡は、一辺約 1.25mの正方形である。どちらが古いか分からないが、改築

時に取り替えられたものであろう。二つの台座の心心間距離は、約 2.75mである。出入

口の敷居は2枚の石材で作られていて、幅 1.782m、奥行き 0.995

mである。

西ニッチは、矩形の平面をしている(図 14)。二つの円柱台座の痕跡があり、それぞれ

大小二つの痕跡がある。このうち東側では、小さい台座の痕跡は、一辺 1.11mの正方形

で、大きい台座の痕跡は、1.74×1.37mである。西側では、小さい台座の痕跡が、一辺

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1.13mの正方形で、大きい台座の痕跡は、1.39×1.38mである。

スカエナエ・フロンスは、基礎からトイコベイトまで白い石灰岩で作られている。トイ

コベイトは舞台に面するニッチの部分にだけ、モールディングがある。トイコベイトから

上の壁は、ポロスで作られている。ポロスの石材の高さは、約 0.43~0.47mとやや大き

く、ニッチに面するポロスは、蝶ネクタイあるいは鳩の尾の形をした鎹跡が見られる。ポ

ロスの石材には、現在の建物としては必要のない鎹があいてることから、ヘレニズム期の

スケーネから転用したものと思われる。舞台とニッチに面する壁の表面には、約 3cm角

の小さな穴が多数開いており、これは大理石化粧材を支える鎹の跡である。発掘時に多数

の化粧材の破片が発見されており、現在は博物館に保管されている。

4)ポストスケニオン

ポストスケニオンは本来一続きの通路であり、3つのニッチに対応して出入口があった。

ポストスケニオンは、東西の通路を除くと長さ 31m、内法幅 2.9mである。後の時代に仕

切り壁を設け、3つに分割されたらしい。南側には、さらに3つの出入口があって、外部

へ通じていた。南側の壁は、石灰岩の大きな石材を二枚並べて作られており、壁厚は約

70~90cmである。

スカエナエ・フロンスの両脇には、南北に延びる通路があり、パラドスとポストスケニ

オンをつないでいた。東側の通路の幅は約 2.3m、長さ約 8.9m、西側の通路の幅は約 2.3

m、長さ約 8.8mある。この壁は約 70cmあり、おそらくトンネル・ヴォールトをかけて

いたと思われるが、上部の部材は残っていない。東側の通路は、オルケストラへ抜ける出

入口があったが、西側の通路は、壁が増築され、出入口がつぶされている。増築された壁

の一部は、煉瓦造である。

東西にあるこれらの通路の、さらにその外側には、劇場の外側に向かって開いた、やや

大きめの部屋があり、間口は約 6.0m、奥行きは約 3.75mある。

3-6.スカエナエ・フロンスのオーダー

スカエナエ・フロンスのオーダーの部材は、オルケストラからスケーネにかけて発掘さ

れた際に発見されたものである(写真 12)。ビザンチン時代には、劇場は石切場として使

われたらしく、多くの部材が持ち出されている。幸いにして、オーダーの形を復元できる

程度の部材が残っていることが、今回の調査で明らかになった。現在、オーダー部材は、

劇場から離れた場所に移され、修復中である。

1)柱身(写真 13)

円柱部材は、柱頭、柱身、礎盤それぞれがひとつの石材で作られている。したがって柱

身部材も礎盤に接する下面から柱頭に接する上面までは単石でできている。円柱柱身は、

大理石の丸彫りであるが、一本として完全な形で残っているものはなく、破片ふを組み合

わせて復元された。断片のいくつかには再利用のために、割ろうとして彫られた溝があっ

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た。現在はメッセネ考古学協会により、接合可能な部材は接合され、数本が一本の柱身と

して復原されている。施工精度は悪くはないが、風化によって削られたと見られる部分も

あり、同じ高さの部位でも方向によってわずかに直径が異なるものもある。

石材の材質は、外見の観察から以下の7種類に分類される。

1) 灰色花崗岩

2) 赤白の斑模様の大理石

3) 赤白の縞模様の大理石

4) 薄緑の縞模様の大理石

5) 灰色大理石

6) 砂岩状粒子のある大理石

7) 白色の結晶質大理石

この内、1)の花崗岩はギリシアでは算出しないことから、エジプトなど外国からの輸

入品であると思われる。2)赤白の斑模様の大理石は、産地がよく分からないが、3)赤

白の縞模様の大理石は、スパルタ南部にあるマニ半島で産する大理石とよく似ているとい

われる。その他の大理石についても、産地は未だに不明で、これより成分分析などで産地

を特定したい。

柱身の全体的形状は、下部から中程にかけてはほぼ同じ太さで続き、上部は次第に太さ

が低減している。下部のモールディングは、下面から真っ直ぐ立ち上がり、そこから凹面

で柱身下部へと繋がっている。上面については、 上部がトルスで、その下に垂直のフィ

レットがつき、そこから凹面で柱身上部へと繋がっている。上面にはダボ穴が空けられ鉛

を流し込む溝が付けられており、また下面にもダボ穴があるが、鉛用の溝は付けられてい

ない。

柱身の高さがはっきり異なっており、1)約 4.05m、2)約 3.5m、3)約 2.9m、4)

2.3mの4種類の分類できる。下部直径と上部直径の比は、1:7.1~8.1 の範囲であり、

柱身の高さが高いほど、この比率は小さい。

柱身 柱身高さ 上部直径 下部直径

No. 100+100α 4.068 0.439 0.516

No. 11+12+1398 4.034 0.462 0.507

Νο. 70+92 4.012 0.46 0.516

Νο. 3+3α 3.524 0.38 0.433

No. 809+1236 2.906 0.347 0.376

No. 10+34+47 2.87 0.315 0.375

No. 1400+1512 2.392 0.289 0.337

No. 44+804+1409 2.29 0.4 -

No. 16+34 1.74 - 0.317

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柱身部材 No. 11+12+1395

赤と白の斑の大理石円柱。赤と白の斑模様が右上から左下に向かって縞状に走っており、

非常に綺麗な円柱である。高さ 4.034 m 上部直径 0.462 m 下部直径 0.508 m。円柱の高

さの半分までは 0.508~0.518 m の範囲の直径であるが、それより上部は次第に低減し

上部の直径は 0.462 m である。下部は 0.110 m まで垂直に立ち上がり、その上は凹面で柱

身下部に繋がっている。上部は高さ0.022 mのトルスの下に高さ0.047 mの垂直面があり、

その下に凹面となって柱身上部に繋がっている。

下面中央に直径 0.097 m、深さ 0.112 m のダボ穴があり、その両脇にも 0.049 m 角で、

深さ 0.048 m のダボ穴があり、これら3個のダボ穴が一列に並んでいる。上面中央にも3

個のダボ穴があり、中央のそれが直径 0.105 m、深さ 0.075 m、両脇のそれは直径 0.087 m

深さ 0.065 m、さらに直径 0.091 m、深さ 0.072 m である。

柱身部材 No. 10+34+47

大きく三つの部材に割れている。小さな砂粒のような粒子が表面を覆うざらざらした手

触りで、一見砂岩状の明るい灰色の大理石である。上端部モールディングは欠損して高さ

は不明だが、現状の高さは 2.870 m、No.809 と同じ形状なので、本来の高さは 2.906 m

と推定される。下端部は 0.073 m の垂直の立ち上がりをもち、凹面で柱身下部に繋がる。

下部直径は 0.375 m 上部直径は 0.332 m。下端部には 0.071 x 0.064 m 深さ 0.053 m の

ダボ穴がある。

柱身部材 No. 100+100a

大きく三つに割れた花崗岩の部材で、割れてはいるが全体に保存状態はよい。高さ

4.068 m、下部直径 0.526 m、上部直径 0.431 m。柱身上端部下端部ともに破損しているが、

一部の面が残っているので、高さは明確である。下端部ダボ穴は 0.068 x 0.070 m、深さ

0.088 m で、上端部ダボ穴は 0.074 x 0.070 m で深さ 0.068 m。

柱身部材 No. 70+92

花崗岩部材。上部直径は 0.460 m、下部直径は 0.528 m。下端部は割れて欠損している

が、形状は No. 100+100a と同じなので、高さは 4.068 m と推定される。上端部ダボ穴は

不規則な円形で、深さ 0.060 m。

柱身部材 No. 1400+1512

白と薄緑の縞模様の大理石割れて一部欠損しているが、下端から上端まで残っている。

高さは 2.232 m、上部直径 0.286 m、下部直径 0.337 m。下部モールディングの直径は 0.367

m。柱身中央部の直径が も大きく下部が少し細くなっているが、おそらくこれは下部が

風化のために削られたためと思われる。下面に 0.034 x 0.04 0 m 深さ 0.045 の矩形のダ

ボ穴がある。上面にも直径約 0.06 m、深さ 0.056 m の円形のダボ穴があり、鉛を流す溝

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が付けられている。

柱身部材 No. 809+1236

灰色の大理石。大きく三つの部分に割れているが、接合され完形となっている。高さ

2.906 m、上部直径 0.347 m、下部直径 0.376 m。下部の垂直に立ち上がるモールディング

は高さ 0.090 m で直径は 0.410 m。上部のトルスの直径は 0.390 m である。下面のダボ穴

は?。上面ダボ穴は直径が 0.055~0.060 m の不規則な円形で、深さは 0.055 m。

柱身部材 No. 3+3a

灰色大理石で、二つに割れているがほぼ完全に残った部材である。高さ 3.524 m、上部

直径 0.380 m、下部直径 0.433 m。下部の垂直モールディングは高さ 0.090 m、直径は 0.494

m。下面にはダボ穴の小痕跡があり鉛が残存している。上面には直径 0.050~0.065 m、深

さ 0.050 m の円形のダボ穴。上部トロスの直径は 0.441 m。上面にはダボ穴に鉛を注ぐ溝

が彫られている。

2)柱頭

柱頭は、コリント式柱頭(写真 14、図 15)、イオニア式柱頭(写真 15、図 16)、アーカ

ンサス・ロータス式柱頭(写真 16、図 17)の3種類がある。いずれの柱頭も、大理石で

できている。コリント式柱頭は 2個あるが、大きさは同じで1種類である。イオニア式柱

頭は 5個あり、そのうち 1つが水平方向に渦巻きがあるもので、残る 4つが四隅に渦巻き

が突き出している。渦巻きの間には、卵鏃装飾(egg-and-dart)の装飾がある。アーカン

サス・ロータス式柱頭は、一段のアカンサスの葉の上に、ヤシの葉の装飾がつく柱頭であ

る。柱頭は全部で 17 個実測したが、アーカンサス・ロータス式柱頭は、その中で も数

が多かった。

コリント式柱頭 上面幅 底面直径 柱頭高さ 全体幅

No. 808 ca. 0.63 ca. 0.40 0.571 ca. 0.630

No. - - ca. 0.40 ca. 0.562 -

イオニア式柱頭 上面幅 底面直径 柱頭高さ 全体幅

No. 1912 0.45 0.416 0.222 0.55

No. 11085 - 0.408 0.22 0.59

No. 1910 0.506 0.358 0.221 ca. 0.590

No. 1911 0.463 0.347 0.153 0.463

No. 1423 0.493 0.345 0.258 -

アカンサス・ロータ

ス式柱頭

上面幅 底面直径 柱頭高さ 全体幅

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No. T11 0.81 0.57 0.662 0.81

No. 1905 - ca. 0.420 0.441 -

No. 1906 - ca. 0.420 0.445 -

No. 1908 0.59 0.402 0.515 0.59

No. 1909 0.556 0.396 0.496 0.556

No. 14 0.547 0.374 0.425 0.547

No. 102 0.552 0.37 0.46 0.552

No. 1101 0.465 0.311 0.363 0.465

No. 971 0.593 - 0.5 0.593

コリント式柱頭、部材番号 808(博物館)

大理石のコリント式柱頭部材。コリント式柱頭は、劇場で2つ発掘され、博物館に保管

してあった。この他にもコリント式柱頭の破片と思われる、アカンサスの葉が二段ある破

片が見つかっているので、少なくとも3~4つはあったと考えるべきである。ただし、こ

れら破片となった柱頭が、現在見つかっているコリント式柱頭と同じタイプかどうかは不

明。

柱頭高さ 571 ㎜、アバクスの幅約 620 ㎜、アバクス高さ 91 ㎜、底面直径約 405 ㎜。柱

頭部材は、中心となる部材(番号 808)を中心に、小さな破片が約 15 片見つかっており、

修復されている。大きく見えるが、底面の直径は約 40cm と意外に小さい。

コリント式柱頭は、8枚のアーカンサスの葉が二段ある。立面の中央に大きなアーカンサ

スの葉が位置する。小さなアーカンサスの葉の間から、すじのあるカリキュラスがまっす

ぐに伸び、カリクスから二枚一対のアカンサスの葉がある。カリクスから、外側と内側の

2方向にツルが飛び出している。内側のツルは、立面の中央部分に到達し、反対側のツル

と左右対称に、二つの内渦巻きを作っている。他方、外側のツルは、アバクスに沿って平

面で斜め45度方向に飛び出し、隣の立面からのびるもう一つのツルと併せて外渦巻きを

形作る。カリクスのアカンサスの葉は大きく発達していて、そのため内渦巻きが高く押し

上げられた格好になっている。したがって、内渦巻きの上側にある花弁装飾もアバクスに

押し上げられている。

アバクスは、上面から見て斜め 45 度方向に伸び、先がとがっている。外渦巻きは、ちょ

うどアバクスの角を支える形になっている。外渦巻きの大きさは、柱頭に比べるとさほど

大きくないが、渦が柱頭の中心軸から外側に大きく飛び出していて、その印象を強くして

いる。柱頭上面には、ダボや鎹の痕跡は全くない。

このコリント式柱頭はカラトスが太く、その周りにアカンサスの葉や渦を取り付けてい

る。そのため、アカンサスの葉などの装飾を大きく作らなくとも、豪華な印象を与えてい

る。カリキュラスは小さなアカンサスの葉の上にのり、下から上までほぼまっすぐに伸び

ている。すなわち、一段目のアカンサスの葉の軸からカリクスまでが、まっすぐの軸線に

なるように作られている。全体的には、ヘレニズムのコリント式柱頭よりもカラトスが太

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く、アカンサスの葉が鋭くとがり、外渦巻きは大きく飛び出して、一層壮麗な印象を与え

ている。

コリント式柱頭、部材番号なし(博物館)

大理石のコリント式柱頭部材。劇場から発見され、博物館に保管されていた。アーカン

サスの葉や渦巻きなどの小さな破片が発見され、現場で接合して復元された。

円柱高さ約 562mm、アバクス高さ 83 mm、底面直径 約 400mm で、もう一つのコリント式

柱頭(部材番号 808)とほぼ同じ大きさである。

柱頭の形は、もう一つの柱頭とほぼ同じである。大きなベル型のカラトスの周りに、大小

2段のアーカンサスの葉と外側と内側に渦巻きがある。大きな渦巻きの間から、やや斜め

のすじがあるカリキュラスがあり、その上にアーカンサスの葉でできたカリクスがある。

カリクスとカリキュラスの間には、細いリング状の節がある。内渦巻きは、カリキュラス

からのびる内側のツル(tendril)から飛び出し、外渦巻きは外側のツル(tendril)から

伸びている。内渦巻きの下には、側面中央の大アーカンサスの葉から上方にツルが伸びて

いて、S字型をしている。これは、もう一つの柱頭(部材番号 808)には見られない。

アバクス中央には花がある。4つのうち全体の形が分かるのは2つだけで、1つは4枚の

花びらがある。もう一つの花は、中央に一本のすじがある。

底面はあまり残っていない。底面のあるアーカンサンスの葉の破片が見つかり、この柱頭

と一致したので、修復された。この結果得られた柱頭高さは、もう一つのコリント式柱頭

と比べてやや低い。底面には3つのダボ穴がある。一方、上面には全くダボ穴がない。

アバクスは3段のモールディングが着いていて、これはコリント式柱頭にだけに見られる

特徴である。4側面の内、一つの側面だけはアバクスのモールディングがなく、 後まで

仕上げられなかったと思われる。

イオニア式柱頭、部材番号 1423

大理石のイオニア式柱頭部材。

イオニア式柱頭、部材番号 11085(博物館)

大理石のイオニア式柱頭部材。部材高さ 0.220m、幅 0.590m、外渦巻きの対角線上の幅

は、約 0.780m ある。底面の直径は約 0.408m、アバクスの高さは 0.045m であった。2000

年に劇場から発掘された部材で、三つに割れていた部材を接合して復元した((XVI)1

Α02 7/8/2000 + (XNI)1 Β01 16/8/2000 (Λ7/99) + (Λ20/112))ものである。イオニ

ア式柱頭で、斜め方向に飛び出す渦巻きが 3つ残っている。3つの側面の内、背後の当た

る面が欠損している。アバクスの下には装飾部分があり、エッグ・アンド・ダーツの模様

で装飾されている。エッグ・アンド・ダーツと渦巻きの間には、花弁の装飾がある。背面

はこの部分の大半が欠損して分かりにくいが、おそらく装飾はなかった。というのは、背

後に面する渦巻きは中央の軸以外を掘らずに残し、省略した表現になっているからである。

(他のイオニア式柱頭部材番号 1911 を参照)

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アバクスは、四角形の星型をしていて、四隅で外に飛び出している。渦巻きは、隣り合う

側面から伸びるアバクスがそのまま渦巻きに繋がっていて、斜め 45 度方向に突き出して

いる。渦巻きは 780 度回転して、中央の中心軸に収まっている。渦の外側には、幅 10~

6mm の縁がついている。渦の中心部分は直径 28mm の円形に掘られており、渦巻きの面よ

りも少し外側に少し飛び出している。3つ残っている渦巻きのうち、正面から見て右側の

渦巻きには、中心の円形部分にコンパス痕が残っていた。このコンパス痕は、円の中心に

1 つ、その周囲を 45 度ずつに分割する位置に 8 つ、全部で 9 つあった。おそらく渦巻き

の施工時に基準となる線を引くために用いたものと思われる。ちなみに、円の中心からこ

れら 45 度の延長線上にある渦巻きの縁までの半径は、それぞれ 96mm、86mm、78mm、75mm、

72mm、70mm、65mm、62mm、51mm、44mm、40mm、36mm、30mm、26mm、24mm、23mm、16mm と

なっており、規則的に低減している。また、渦巻きの中心の高さは、円柱が乗る柱頭底面

と同じ高さ、すなわち上面から 137mm であった。したがって、設計・施工時には、柱頭底

面の位置を渦巻きの中心と定め、この中心から 45 度おきに渦巻きの半径を決定して、滑

らかな渦巻きを作ったと考えられる。斜め 45 度の位置に面する渦巻きの外側は、隣り合

う二つの渦巻きの間に溝がある。この溝は、正面から向かって右側の渦巻きでは、ほぼ渦

と同じ高さで止まっているが、正面から向かって左側の渦巻きは、右側よりも高い位置ま

で続き、細くなって終わる。

アバクス上面には、中心にコンパスの痕があり、また 45 度方向に放射状に伸びる線、お

よびアバクスのラインと並行して走る正方形の線が残っている。背面にあたる外渦巻きの

表面は、中心部分以外は省略した表現になっている。柱頭底面には柱身と接合するダボ穴

(53×41mm、深さ 50mm)と、面を仕上げた鑿の痕が残っている。ダボの金属は残ってい

ない。

イオニア式柱頭、部材番号 1910

渦が斜め 45 度に飛び出す、部材番号 11085 と同じタイプのイオニア式柱頭。大理石製。

発掘時の番号はない。スケーネの東側のニッチに置かれていた。

部材高さ 221mmm、柱頭高さ 141mm、アバクス高さ 42mm、アバクスの幅 506mm

全体が半分に割れているみのの、2つの渦巻きがよく残っている。上面に設計線が残って

いる。半分に割れているために、円の中心がないものの、対角線上に伸びる2つの設計線

を延長することで、部材の中心を推定できた。その結果、アバクスの上面にはアバクスの

端に沿って、中心から 181mm、206mm の位置に正方形を描く細い線が彫ってあることが分

かった。中心から 206mm の線は、丁度アバクスの円弧が内接している。さらに中心から

314mm の位置にも線がある。また僅かながら、部材を中心とする円も描かれている事が分

かった。また、アバクス上面にはクランプの穴(深さ 58mm)があり、柱頭の背面、すな

わち円柱が立っていたとすると、その背後に向かってクランプが伸びていたと考えられる。

渦巻きは2つほぼ完全に残っている。二つの渦巻きの中心は、直線上で 358mm 離れてい

る。渦巻きは外から内に向かって緩やかに低減し、中心から外縁までの距離は 45 度ごと

に、118、103、87、90、84、89、54、48、43、36、26、21、17、15mm となっている。側

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面の渦巻きと渦巻きの間には、エッグ・アンド・ダーツの装飾がある。底面はノミで定年

に仕上げられているが、部材が半部に割れているので、ダボ穴は確認できない。

イオニア式柱頭、部材番号 1911

斜め 45 度方向の、渦がすべて欠損している。復原できる渦巻きの破片も見つかってい

ない(2008 年 7 月現在)。円柱高さ 153 ㎜、下部直径 347 ㎜。アバクス高さ 88 ㎜。決め

の細かな良質の大理石で出来ている。三面にエッグ・アンド・ダーツの装飾があり、一面

は省略されている。上面には、中央にコンパスの穴があったが、設計線などは見あたらな

かった。表面は細かな鑿で、丁寧に仕上げられている。底面には中央にダボ穴(53×48

㎜)があり、深さは 52 ㎜であった。表面はやや大きな鑿の跡と小さな鑿の跡と、両方が

観察された。

柱頭の中央にあるエッグ・アンド・ダーツの装飾は、他のイオニア式柱頭(部材番号 11085)

に比べ、ややパターン化されている。エッグは丸みが無く、ダーツは鏃の中央にある尾根

がはっきり彫られていない。3つあるエッグのうち、左右の二つは省略されている。

イオニア式柱頭、部材番号 1912(博物館)

イオニア式柱頭。メッセネに残る大理石製の建築部材でも、特にきめ細かい大理石で出

来ている。斜め 45 度方向に渦巻きが飛び出すイオニア式柱頭(部材番号 11085)と異な

り、二つの渦巻きが平行に並ぶイオニア式柱頭である。全幅 0.550m、部材高さ 0.220m、

アバクス高さ 0.036m、アバクスの大きさ 0.418×0.418m である。渦巻きの幅 0.360m で渦

巻きの中心(渦の目)の直径は 0.030m、左右の渦の中心軸の心心距離は 0.350m であった。

上面から見たアバクスは完全な正方形平面で、表面に先の細い鑿で仕上げた鑿痕が残っ

ている。中央にはコンパスの痕があり、途切れてはいるが、この点を中心に直行する二本

の中心線と、二つの円が観察できる。

アバクスの下に、2つの渦巻きがある。二つの渦巻きは、外側から内側に巻き込んでい

て、丁度 2回転(780 度)回転したところで渦の目に収縮する。渦の目から円周部までの

半径は、100mm から始まって 79、69、52、33、30、24mm と、外側から内側へなめらかに

低減している。渦の目には、かすかにコンパスの痕が残っている。

二つの渦の間には、エッグ・アンド・ダーツの装飾帯がある。この装飾隊は、反対側の面

にはなく、こちらはオルケストラに面しない背後に向いていたと思われる。

柱頭の側面は、渦巻きの側面が占めていて、アカンサスの葉(?)の束で装飾されている。

底面の中央にはダボ穴がある。円柱と接する円形の部分は鑿で丁寧に削られている。ダ

ボ穴のすぐ横に、石工が記したマーク「k」が残っている。

アカンサス・ロータス式柱頭(大)、部材番号 102

大理石のアーカンサス・ロータス式柱頭の部材。現場に保管されていたアーカンサス・

ロータス式柱頭の中で、一番残りがよい部材である。部材高さ 0.460m、アバクス幅

0.552×0.552m、アバクス高さ 0.083m、カラトスの 上部のタエニアの高さは 0.034m、ア

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カンサスの葉の高さは av. 0.207m(葉の先端の高さは、av. 158 m)、底面の直径は 0.370m。

アバクス高さと柱頭高さの比は、0.180/1 である。ベル型のカラトスに、パームの葉とア

カンサスの葉が 1 段ずつ着く、いわゆるアーカンサス・ロータス式(あるいはエジプト

式?)の柱頭である。アカンサスの葉は、円周を 8 分割するように 45 度間隔で置かれ、

パームの葉は、円周を 16 等分するように置かれている。アカンサスの葉とパームの葉の

軸線は一致していて、丁度側面の中央に作れている。アカンサスの葉は、中央に葉脈があ

って左右に 4つずつ対称に、小さな葉のまとまりが飛び出している。彫り方は、写実的と

いうより、簡略化してやや記号的な表現になっている。底面の中央にはダボ穴が残ってい

る。またアカンサスの葉を設計したときの設計線が中心から放射状に延びている。

アカンサスの葉は、二枚欠損しているが、他のアーカンサス・ロータス式柱頭は円周の

アカンサスの葉が残っていることから、再利用されたときに人工的に削り取られたものと

思われる。アバクスは全体的に残っていて、上から見ると完全な正方形平面をしている。

上面の端に、てこ穴(深さ 0.034m)がある。アバクスのほぼアバクスのほぼ中心にある

ことから、上部に乗るアーキトレイブを乗せるときに使われた梃子の穴と考えられる。こ

の梃子穴は、大きなアーカンサス・ロータス式柱頭(102、他)には見られるが、小さな

アーカンサス・ロータス式柱頭(1100、1101)には見られない。おそらく小さなアーカン

サス・ロータス式柱頭の上に乗るアーキトレイブは、設置する際に梃子が必要なほど重く

なかったからであろう。

柱頭の底面は、全体的によく残っており、鑿痕が全面に見られる。中央にダボ穴

(0.025×0.025m、深さ 0.038m)がある。しかし人工的に若干削られており、傾斜してい

る。一部の側面が未完成の状態で終わっており、この面がアバクスよりも突き出している

ことから、背面を省略して削ったか、付柱の半柱頭として作った可能性がある。

アーカンサス・ロータス式柱頭(小)、部材番号 1100

小さいアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石の部材。部材高さ 0.395m、アバクス高

さ 0.076m、カラトス 上部のタエニアの高さ 0.012m、アカンサスの葉の高さ 0.140m、ア

バクス大きさ 0.466×0.467m、底面の直径 0.310m。大きなアーカンサス・ロータス式柱頭

とほぼ同じつくりである。ベル型のカラトスに、パームの葉とアカンサスの葉が 1段ずつ

ある、アーカンサス・ロータス式柱頭である。アカンサスの葉は、円周を 8分割するよう

に 45 度間隔で置かれ、パームの葉は、円周を 16 分割するように置かれている。底面の中

央に一つだけダボ穴があり、残りが良くないため形がはっきりしないが、おそらく円形の

ダボが使われたらしく、直径は約 0.030m、深さは 0.048m ある。アバクス高さと柱頭高さ

の比は、0.192/1 で、大きなアーカンサス・ロータス式柱頭よりも大きくなっている。

アーカンサス・ロータス式柱頭(小)、部材番号 1101

小さいアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石部材。部材高さ 0.363m、アバクス高さ

0.080m、カラトス 上部のタエニアの高さ 0.007m、アカンサスの葉の高さ 0.140m、アバ

クスの大きさ 0.466×0.465m、底面の直径 0.310m。もう一つの小さなアーカンサス・ロー

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タス式柱頭(部材番号 1100)と同じつくりで、底面の直径も同じだが、この柱頭の高さ

(1101)がもう一つの柱頭(部材番号 1100)よりも 0.032m 低い。したがって、円柱高さ

を調節するために、高さだけ変更したものであろう。底面の中央に一つだけダボ穴があり、

残りが良くないため形がはっきりしないが、おそらく円形のダボが使われたらしく、直径

は約 0.030m、深さは 0.050m ある。また、この柱頭で も残りの良いアカンサスの葉は、

上端が欠損しており、ここを修復する際に用いた鉄のダボが残っている。アバクス高さと

柱頭高さの比は、0.220/1 で、アバクスが大きくなっている。

アーカンサス・ロータス式柱頭、部材番号 14

大理石のアーカンサス・ロータス式柱頭。底面がかなり割れており、見つかった破片で

修復された。また、アバクスの角の破片も見つかり、接合された。

柱頭高さ 425 ㎜、アバクス高さ 82 ㎜、底面直径約 400 ㎜。アバクス大きさ 547×553 ㎜。

柱頭高さが異なるが、アバクスの大きさがアーカンサス・ロータス式柱頭(部材番号 102)

と近似することから、おそらくペアであったと思われる。

アーカンサス・ロータス式柱頭(特大)、部材番号 1905

下部直径が も大きなアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石部材。柱頭高さ 441mm、

下部直径約 420mm。もう一つのアーカンサス・ロータス式柱頭(部材番号 1906)と共に、

劇場西側の墓場の現代教会から発見された。アバクスは破損して、あまり残っていない。

アバクスが残っていないので、一見小さく見えるが、下部直径は他のアーカンサス・ロー

タス式柱頭よりも大きい。そのため、パームの葉は一周で 24 枚あり、他のアーカンサス・

ロータス式柱頭では 20 枚しか内のに比べて明らかに多い。長い期間風雨にさらされたた

め、外気に露出していた部分が黒ずんでいる。底面に「Π」の字が見える。

アーカンサス・ロータス式柱頭(特大)、部材番号 1906

下部直径が も大きなアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石部材。柱頭高さ 445mm、

下部直径約 420mm。アバクスは破損して、ほとんど残っていない。下部直径は他のアーカ

ンサス・ロータス式柱頭よりも大きい。カラトスに着いているパームの葉も 24 枚と多く、

そのためアカンサスの葉と葉の間が、間が抜けたように見える。より長い期間風雨にさら

されたため、外気に露出していた部分が黒ずんでいる。底面の中心にコンパスの芯の跡が

ある。

アーカンサス・ロータス式柱頭(大)、部材番号 1909 (博物館)

も残りのよいアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石部材。アバクスの破片 2つが見

つかり、セメントで固定された(2007 年 11 月)。柱頭高さ 0.496m、アバクス高さ 0.081

~0.078m、カラトス 上部のタエニア 0.022m、アカンサスの葉の高さ av. 207m(葉の先

端までの高さ 0.142m)、アバクスの大きさ(0.556×0.553m)、底面の直径は 0.396m。ほと

んど全て残っているため、復元図と現状図との両方を作成した。現場に残されていたアー

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カンサス・ロータス式柱頭(部材番号 102)よりも一回り大きい。アカンサスの葉が、ア

バクスよりも外側に飛び出している。底面には、鉄と鉛のダボがしっかり残っている。底

面には、アカンサスの葉とパームの葉を施工する際につけた、設計線が放射状に残ってい

る。底面周縁部には、縁よりも数 cm 内側に円の設計線もある。アバクス高さと柱頭高さ

の比は、0.157/1~0.163/1 である。

アーカンサス・ロータス式柱頭(大)、部材番号 1908 (博物館)

も残りのよいアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石部材。部材高さ 0.515m、アバ

クス高さ 0.086m、カラトス 上部のタエニア 0.024m、アカンサスの葉の高さ av. 207m(葉

の先端までの高さ 0.142m)、アバクスの大きさは、0.590×0.562m(もとは 0.590m の正方

形であったと思われる)、底面の直径は 0.402m。現場に残されていたアーカンサス・ロー

タス式柱頭(部材番号 102)よりも一回り大きい。また、ペアになっていたと思われるも

うひとつのアーカンサス・ロータス式柱頭と比べて、アバクスの大きさはほぼ同じだが、

円柱高さは 19mmm 高い。またアカンサスの葉は、アバクスから外側には飛び出していない。

アバクスの上面は、幅約 60cm の幅を残して高さ 10mm ほど削り取られている。鑿跡が他

の部材の仕上げ面と比べて荒いことから、再利用されたときに付けたものかもしれない。

劇場から見つかったアバクスの破片の中にも、同様に削り取ったあとがある。底面には、

ダボ穴(約 40×33mm、深さ 61mm)があるが、ダボは残っていない。アバクス高さと柱頭

高さの比は、0.167/1 であった。

アーカンサス・ロータス式柱頭(大)、部材番号 971

やや残りの悪いアーカンサス・ロータス式柱頭。大理石でできているが、風化して黒ず

んでいる。部材高さ約 500mm、アバクス高さ 74~88mm。底面がすべて欠けているため、正

確な高さや下部直径は分からないが、割れたアバクスが発見されたことから、アバクスの

大きさが復原できた。その結果、アバクスの大きさは、一辺が 592mm あった。別のアーカ

ンサス・ロータス式柱頭(部材番号 1908)のアバクスの長さが、一辺 590mm あったこと

からこれと同じ大きさの直径があったと推定できるが、残念ながら 1908 も下部直径が確

認できていない。仮に、アバクス幅と円柱高さが一定の比例関係にあるとするなら、約

380mm と推定できる。

アバクスの上面は、2辺の端がふくらんでおり、反面中央部分が削られている。ふくらみ

の幅は、それぞれ 60 mm、62 mm であった。パームの葉と葉の間は、やや隙間があいてい

る。アカンサスの葉は解けていて、形が不明瞭である。

3)礎盤(写真 17、図 18)

実測した礎盤は、全部で 15 個である。大きさは大小様々で、すべて大理石造である。

礎盤の一部は、劇場南側の建物(名称不明、ストア?)やバシリカ式教会堂からも見つか

っている。礎盤のモールディングは、トルス・スコティア・トルスのいわゆるアッティカ

式で、下段に円形か正方形のプリンスがある。プリンスの高さは、モールディングの高さ

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の比と関係なく、高かったり低かったり、様々である。上面中央に、上に乗る円柱を支え

る、大きな円筒形のダボ穴がある。ダボ穴の横には、鉛を流し込む導線が深く刻まれてい

る。底面にはダボが三つあることもあれば、全くないこともある。プリンスが正方形のも

のと円形のものと、2種類あること以外は、特徴にばらつきが多く、あまり細かな分類は

できない。

礎盤 部材高さ 礎盤高さ プリンス幅 上面直径

No. 108 0.273 0.165 0.58 0.45

No. 1115 0.321 0.185 0.61 0.486

No. 119 0.297 0.188 - 0.512

No. 53 0.456 0.302 -0.924 0.726

No. 63+64 0.377 0.234 0.665 0.555

No. 817 0.27 0.158 0.695 0.579

No. 818 0.223 0.144 0.558 -0.41

No. 819 0.265 0.154 0.57 -

No. T10 0.293 0.173 0.573 -

No. T17 0.318 0.18 0.535 0.436

No. T18 0.283 0.193 0.728 0.58

No. T5 0.281 0.159 0.572 0.456

No. T8 0.22 0.144 0.576 0.498

礎盤、部材番号 63+64

礎盤高さ 377mm、モールディングの高さ 234mm、プリンス高さ 143mm。プリンスの大き

さ 665×658mm、上面直径 475mm。

大理石製の礎盤部材。2つに大きく割れていた部材から復原された。小さな破片も見つか

り、順次接合している。大きく2つに割れていたため、プリンスの一辺の長さは、665mm

がより正確で、もう一辺の 658mm は接合した長さである。したがって、プリンスの元も大

きさは一辺 665mm の正方形だったと思われる。上面の大部分は欠損しているが、ノミ跡の

ある仕上げ面や矩形のダボ穴(60×60、深さ 49mm)があり、上面直径も 475mm あること

が分かった。モールディングの高さは、上からトルス・スコティア・トルスの順に 62:

42:72mm である。底面にはダボ穴が2つあり、部材番号 119 と共通している。底面の表

面は、荒いノミで仕上げてある。

礎盤、部材番号 108

礎盤高さ 273mm、モールディングの高さ 165mm、プリンス高さ 108mm。プリンスの大き

さ 580×582mm、上面直径 410mm。

プリンスの2隅が欠けているものの、プリンスの四つの辺が残っており、全体としては残

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りの良い礎盤。礎盤の上面中央には、大きなダボ穴(直径 70mm、深さ 60mm)があり、周

りが削り取られている。底面にはダボ穴が3つあり、中央が大きな円筒形のダボ穴(直径

70mm、深さ 56mm)で、対角線上に小さな矩形のダボ穴(18×20mm、深さ 79mm)があるが、

片方は割れているために形が不明。

モールディングの高さは、上からトルス・スコティア・トルスの順で、34:39:60mm で

ある(隙間のタエニアは除く)。

礎盤、部材番号 119

礎盤高さ 297mm、モールディングの高さ 188mm、プリンス高さ 109mm。プリンスの大き

さ 607×(607)mm、上面直径 472mm。

全体に残りの良い大理石の礎盤部材。プリンスの大きさや、上面直径、底面にあるダボの

位置が近似しているので、部材番号 63+64 とペアだったと思われる。

上面中央に円筒形のダボ穴(直径 61~68mm、深さ 68mm)と鉛導線(幅 30mm、深さ 12mm)

がある。プリンスの4辺のうち、3辺が残っているので、プリンスの一辺の長さだけが実

測でき、それは 607mm だった。モールディングの高さは、上からトルス・スコティア・ト

ルスの順に、47:53:60 である。

底面には、ダボ穴が中央付近に2つ並んで作られている(30×32mm、40×37mm、深さは共

に 53mm)。

礎盤、部材番号 817

礎盤高さ 270mm、モールディング高さ 156mm、プリンス高さ 114mm、プリンスの大きさ

695×(695)mm、上面直径 515mm

大理石の礎盤部材。底面が大きく割れているが、上面のモールディングはよく残ってい

る。上面の中央には円筒形のダボ穴(直径 77~83mm、深さ 66mm)と鉛導線がある。表面

は細いノミの痕がはっきりと残っている。モールディングの高さは、トルス・スコティア・

トルスの順に、44:34:52 である。プリンスはあまり残っていないために、一辺の長さ

(695 mm)しか確定できないが、他の礎盤のプリンスが正方形であるので、このプリンス

も正方形であったに違いない。底面は、中央付近が少し残っていてノミ跡がある。中央に

はダボはない。他方、割れている底面の中にダボ穴(30×30mm)があるが、他の礎盤のよ

うに対角線上にはない。おそらく底面の左右に2つダボがあったのであろう。

礎盤、部材番号 818

礎盤高さ 223mm、モールディング高さ 146mm、プリンス高さ 77mm、上面直径 410mm、底

面直径 558mmm

プリンスが丸い礎盤部材。大理石製。2カ所で大きく欠損している。上面中央には直径

60mm、深さ 59mm の円筒形のダボ穴がある。上面は細かいノミで仕上げてある。モールデ

ィングは、上からトルス・スコティア・トルスの順に 35:43:44 の高さになっており、

上段のトルスがやや低い。

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底面は一部割れている。おそらく3つの一直線に並ぶダボがあったと思われる。現在は、

中央の大きなダボ穴(直径 55mm、深さ 38mm)と小さなダボ穴(17×24mm、深さ 56mm)が

残っている。底面には全体にやや荒いノミ痕がある。

礎盤、部材番号 819

礎盤高さ 265mm、モールディング高さ 154mm、プリンス高さ 111mm、プリンスの大きさ

570×570mm。

大理石製の礎盤部材。上面が全体的に欠けていて、円柱が乗っていた上面の直径は実測で

きない。上面の中央にダボ(55×57mm)が残っていて、鉄と鉛が確認できる。鉄はねじり

切れており、おそらく地震などの過重を受けた際に、円柱が回転しながら倒れた時に出来

たものだろう。ダボから円の縁に向かって、鉛導線(幅 28mm、深さ 11mm)がある。モー

ルディングの高さは、上からトルス・スコティア・トルスの順で、38:40:56 である。

プリンスは 4つの辺が残っていて、そのうちの 1つに「A」の石工印がある。底面には 3

つのダボが対角線上に並んでいる。中央のダボは円筒形のダボ穴があるが、金属は残って

いない。残る2つのダボ穴には、いずれも金属が残っており、特にその内の1つは、礎盤

の下側にあたる鉄と鉛全体がくっついて残っている。その直径は 55mm、高さは 70mm もあ

り、鉛導線に残っていた鉛も一緒に残っている。

礎盤、部材番号 1115

礎盤高さ 321mm、モールディングの高さ 185mm、プリンス高さ 185mm。プリンスの大き

さ 610×610mm、上面直径 440mm。

プリンスの2辺が大きく欠損している。上面には大きな円筒形のダボ穴がある。モールデ

ィングのある上部は半分ほどがかけている。底面には全くダボ穴がない。残りの良い底面

の一部は、やや荒い鑿跡が見える。プリンスの側面には、細かい仕上げの鑿跡がある、底

面には、中心軸を通る二本の細い設計線が確認できた。モールディングの高さは、上から

トルス・スコティア・トルスの順で、53:43:64mm である。

4)アーキトレイブ・フリーズ(写真 18、図 19)

アーキトレイブとフリーズは、一つの石材として作られている。今回実測を行った部材

は、7個である。アーキトレイブは3段のファスキアに分かれており、ブリーズには装飾

はなく、S字形断面をしている。部材の種類は、高さで見ると3種類に分かれる。形状か

ら見ると、長方形のものと、円弧状のものとあり、円弧状のものは半円形平面の中央ニッ

チにあったものと考えてよいだろう。ファスキアの段差には、アストラガルスが掘られた

り、部材底面の縄目模様があるなど、細かな装飾がある。

5)ゲイソン(写真 19、図 20)

ゲイソンは、元々ギリシア建築において軒に相当するが、スカエナエ・フロンスにおい

ては、垂直方向の円柱の列の上に載った水平材のアーキトレイブの上にあって、さらに全

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面の突き出す部材である。今回実測した部材は、10 個である。高さの違いや装飾の有無

などで、大まかに3種類に分類できると考えられる。 も大きいのは、高さ 0.4mほど、

次の大きいものは 0.3mほどである。この2種類のゲイソンには、中央の突出部よりも上

に、心鏃模様(heart-and-dart)、その下に葉舌模様(leaf-and-tongue)が付けられてい

る。 も小さい種類では、高さが 0.25m前後で、これには装飾を付けられていない。装

飾の部分は、風化によって削れているものもあるが、大半は非常によく残っている。ゲイ

ソン上面の多くは、全面に傾斜おり、おそらく水勾配をつけたものであろう。

3-6.石工の印(写真 20)

この調査で、劇場の多くの部材に石工の記号が記されていることが分かった。スケーネ

を構成するオーダーの部材にも記されており、礎盤、円柱、柱頭で確認された。記号は、

「Κ」、「Δ」、「Π」などのアルファベットで、施工順序や位置関係を示したものと推測で

きる。ゲイソンの底面には、「ΠΔ」、イオニア式柱頭の底面には「Κ」、アーカンサス・

ロータス式柱頭の底面には「Π」、円柱の底部には「Δ」、「Ε」、礎盤のプリンスには「A」

が確認できた。

同様に、劇場西側のパラドスにある、客席建物を支える壁には、積み方順序を記したア

ルファベットが見られる。一段目のはじめは「ΑΑ」、二つめは「ΑΒ」・・・。二段目の

はじめは「ΒΑ」、二つめは「ΒΒ」・・・。部材の上面には、さらにその上に来る石材の

番号(二つめなら「Β」)が書いてあり、施工時に混乱しないように配慮されていた。壁

の石は、二つの石が立てに置かれて上端でクランプで固定するか、一つの石で作られてい

た。石が二つの場合は、それぞれの石の上面のアルファベットが書いてある。

3-7.まとめ

劇場は、アゴラの西に自然の傾斜を利用しながら作られており、ギリシア式劇場から2

度の改修を経てローマ式劇場へと変遷し、現在はオルケストラ、スケーネ、パラドスの壁、

および客席後部の擁壁がよく残っている。パラドスの壁が幾度も改築されており、ヘレニ

ズムとローマのスカエナエ・フロンスが観察されるなど、至る所にギリシアからローマへ

の劇場の変遷を見ることができる。ローマ劇場のスカエナエ・フロンスは、舞台の背景と

なり役者がそこから舞台に登場した。そのため単なる舞台背景というよりも、ローマ神殿

のファサードと同様、大理石の柱を用い、装飾的につくられている。スカエナエ・フロン

スの部材の大半は、大理石でできている。メッセネ劇場の大理石は、あまり質がよくなく、

部材寸法にもかなりばらつきがある。

これまでの調査によって、スケーネの平面図、断面図、および 59 部材の図面を作成し

た。今後の調査で、劇場全体の実測を行い、スカエナエ・フロンスの復元考察を行う必要

がある。さらに、ヘレニズムからローマへの変遷過程を詳しく明らかにし、当時のメッセ

ネでの劇場の果たした建築的役割を明らかにしたい。

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第四章

終章

以上のように、ペロポネソス半島にある古代都市メッセネのヘレニズム建築を中心

に、建築的特徴を見てきた。パウサニアスの言う通り、メッセネはヘレニズムになっ

て建設された、いわば新都市である。パウサニアスは、紀元前 369 年に建設されたと

述べているが、考古学的成果および建築的特徴からみて、紀元前3世紀第4四半世紀

(テメリス氏によれば紀元前215年ごろ)と考えるべきだろう。アスクレピオス神域、

競走場、アゴラ、劇場などの主要な都市施設は、この時に一度に建設されたと考えら

れ、そのスポンサーとなったのは、マケドニアのフィリップス5世とも言われるが、

詳しくは分かっていない。

このメッセネで最も重要な建物は、無論アスクレピオス神域である。本研究では、

アスクレピオス神域のストアにコリント式オーダーを採用したことに注目し、コリン

ト式柱頭の様式を詳しく分析した(第二章)。従来のギリシア建築では、コリント式

オーダーは、バッサエのアポロン神殿などに見られるように、内部柱として使われて

きた。サモトラケのプロピロン(紀元前 285-281)で最初に外部柱として使われたと

されるが、他に例は多くない。メッセネのアスクレピオス神域では、紀元前 215 年ご

ろにコリント式オーダーを外部柱として用いたわけで、きわめて初期の例と言えよう。

また、本研究によってテゲアやネメアのコリント式柱頭にある中心軸のアカンサスの

葉の伝統が、メッセネの柱頭にも影響を与えた可能性があることが分かってきた。テ

ゲアとネメアの柱頭は、サモトラケのプロピロンやロトンダのコリント式柱頭との類

似性が指摘されており、メッセネの柱頭も広い意味でこのグループに属すると見てよ

いのかもしれない。いずれにせよ、ヘレニズムに台頭した王が、コリント式オーダー

を好むようになったことが、このメッセネの例からも改めて裏付けられたと言えよう。

また、メッセネの古代劇場は、ヘレニズムとローマの遺構の両方を観察できる貴重

な遺構である。これまでの調査によって、スケーネの平面図、断面図、および 59 部材の

図面を作成した。未だに一部が発掘中であるし、まだ調査途中であるため、十分な成

果を上げるに至っていないが、1)ローマ時代のスカエナエ・フロンスの復元、2)

ヘレニズムとローマにおけるスケーネの変遷、3)劇場建物全体の設計法、などが明

らかになることが期待できる。

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図1- A 古代都市メッセネ都市図(メッセネ考古学協会作成)

図1- B メッセネ市域中心部(メッセネ考古学協会作成)

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図2 アスクレピオス神域平面図(熊本大学ギリシア古代建築調査団作成)

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図3 アスクレピオス神域のストア復元図

図4 コリント式柱頭、部位名称(アテネのゼウス神殿のコリント式柱頭)

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図5 メッセネのコリント式柱頭(小さいタイプ、C25)

図6 メッセネのコリント式柱頭(大きいタイプ、C24)

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図7 アカンサスの葉と外渦巻きの位置関係

図8 バッサエのアポロン神殿のコリント式柱頭復元図 (F. A.

Cooper, The Temple of Apollo Bassitas. vol. 4, 1992, Plate 4)

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図9 テゲアのアテネ神殿のコリント式柱頭復元図 (A. Frazer, The Propylon of Ptolemy II

(1990), p. 175, Plate 11)

図10 ディディマ、アポロン神殿のアンタ・キャピタル ( T. Weigand, Didyma, Berlin,

1941, Plate 219)

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図 11 メッセネ劇場 平面図(Th. Chatzitheodorou の測量図を元に,筆者が変更)

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図12 メッセネ劇場、スカエナエ・フロンスの西ニッチの平面図

図13 メッセネ劇場、スカエナエ・フロンスの中央ニッチ平面図

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図14 メッセネ劇場、スカエナエ・フロンスの東ニッチの平面図

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図15 スカエナエ・フロンスのコリント式柱頭復元図

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図16 スカエナエ・フロンスのイオニア式柱頭

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図17 スカエナエ・フロンスのアーカンサス・ロータス式柱頭

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図18 スカエナエ・フロンスの礎盤部材

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図19 スカエナエ・フロンスのアーキトレイブ・フリーズ部材

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図20 スカエナエ・フロンスのゲイソン部材

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写真1 メッセネ、アスクレピオス神域の外観(北東から望む)

写真2 アスクレピオス神域のコリント式柱頭(小さいタイプ、C25)

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写真3 アスクレピオス神域のコリント式柱頭(大きいタイプ、C24)

写真4 メッセネ、古代劇場とその周辺(メッセネ考古学協会撮影、2008年7月現在)

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写真5 メッセネ劇場、西側の擁壁

写真6 メッセネ劇場、擁壁の階段

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写真7 メッセネ劇場、オルケストラの現状(2008年4月現在)

写真8 メッセネ劇場、東パラドス(手前に見えているのは、キリスト教時代の墓)

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写真9 メッセネ劇場、可動式ステージと思われるレールの跡

写真10 メッセネ劇場、舞台

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写真11 メッセネ劇場、スカエナエ・フロンスと舞台

写真12 メッセネ劇場、オルケストラ発掘前の合成航空写真(メッセネ考古学協会撮影、20

04年ごろ)

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写真13 スカエナエ・フロンス、柱身部材

写真14 スカエナエ・フロンス、コリント式柱頭

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写真15 スカエナエ・フロンス、イオニア式柱頭

写真16 スカエナエ・フロンス、アカンサス・ロータス式柱頭

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写真17 スカエナエ・フロンス、礎盤部材

写真18 スカエナエ・フロンス、アーキトレイブ・フリーズ部材

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Page 71: 熊本大学学術リポジトリ Kumamoto University …reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/14429/25/...2008 表紙写真:ギリシア古代都市メッセネの古代劇場(メッセネ考古学協会撮影)

写真19 スカエナエ・フロンス、ゲイソン部材

写真20 スカエナエ・フロンス、ゲイソン底面の石工印(ΠΑあるいは ΠΔ)

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