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2007 年 7 月 30 日発行 愛媛県の地域活性化事例 文学作品によるイメージ戦略 ~「坂の上の雲」フィールドミュージアム構想 ②まちづくりの自主財源を確保~株式会社まちづくり松山

愛媛県の地域活性化事例...2007年7月30日発行 愛媛県の地域活性化事例 ① 文学作品によるイメージ戦略 ~「坂の上の雲」フィールドミュージアム構想

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2007 年 7 月 30 日発行

愛媛県の地域活性化事例

① 文学作品によるイメージ戦略

~「坂の上の雲」フィールドミュージアム構想

②まちづくりの自主財源を確保~株式会社まちづくり松山

要 旨

非三大都市圏の県庁所在地の人口はこれまで県内各地から人口が流入してきたことか

ら、比較的順調に伸びてきた。しかし県内全域での人口減少、それによる人口流入の減

少の影響を受けて、非三大都市圏の県庁所在地でも人口はかなり伸び悩み、なかには減

少を経験するところも増えている。現在、中心市街地の衰退が目立つのは、そのような

非三大都市圏の県庁所在地である。こうした状況下にありながら、中心市街地活性化に

向けたユニークな施策が目立つ愛媛県の事例を本稿では取り上げたい。具体的には、「文

学作品によるイメージ戦略」「まちづくりの自主財源確保」の事例について調査した。

まず「文学作品によるイメージ戦略」では、松山を題材にした「坂の上の雲」という文

学作品のイメージを松山市の目指すべきイメージとしている事例を取り上げる。松山市

には以前より同市を舞台にした「坊っちゃん」を利用した様々な観光資源があるが、さ

らに新たな文学作品を利用することで、それらに関連するあまり知られていない観光資

源にも注目が集まり、観光客の松山市での滞留時間が長くなることが期待されている。

上記イメージ戦略の効果を高める事業としては、松山城の周辺道路整備に施された工夫

がある。松山城は道後温泉に並ぶ、松山市の非常に重要な観光資源であるが、松山城に

立ち寄る観光客の松山市中心市街地の滞留時間の短さが問題になっていた。以前取り上

げた原爆ドームという世界遺産を持つ広島市でさえ、同様の問題を抱えており、全国各

地で観光客の滞留時間を長くする取り組みが模索されている。松山市では、観光客が松

山城に至るロープウェー乗り場と「『坂の上の雲』ミュージアム」などの周辺観光施設

の間を回遊できるよう、ロープウェー乗り場の1階にあった観光バスの駐車場をなくし

た。加えて同市ではロープウェー乗り場に至る通りの車道部分をくねくね曲がったもの

とすることで、車や自転車のスピードを減じ、歩行者にやさしい通りに整備した。その

結果、この通りは歩行者で賑わうようになりつつあり、周辺では新しい店の開店が進む

などの波及効果が見られている。道路整備も工夫をすれば、地域活性化に大きな貢献が

期待できる分野であることを証明している事例といえる。

次に「まちづくりの自主財源確保」では、まちづくり組織が商店街の潜在的な資源であ

る「人通り」を利用して、新たな自主財源確保に成功している事例を取り上げる。全国

各地のまちづくりで自主財源の乏しさから、対策が常に行政の補助金頼りになってしま

い、時宜にかなった対策や継続的な対策があまり打てていない。松山のまちづくり組織

は商店街のアーケードに数多くの大型ビジョンを設け、そこに通行人向けの広告を流す

という事業で収益をあげ、それを商店街の活性化に投資するというスキームを築いた。

これまで見逃されがちだった「資源」に目をつけ、他の商店街のモデルになりうる収益

事業を見出した功績は大きい。また商店街の活性化のために、若手のリーダーが率先し

てリーダーシップを発揮し、商店街外部から商業のプロを活性化対策のマネージャーに

迎え、できる範囲の小さな改革を積み重ねて個々の商店主の信頼感を徐々に醸成し、そ

れを背景に大きな事業を成し遂げていくプロセスは興味深く、他の商店街が模範とすべ

き活性化事例といえよう。

〔政策調査部 岡田豊〕

本誌に関するお問い合わせは みずほ総合研究所株式会社 調査本部 電話(03)3201-0579 まで。

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1. 文学作品によるイメージ戦略~「坂の上の雲」フィールドミュージアム構想 松山市は長い歴史を誇る道後温泉を郊外に抱えるなど、四国屈指の観光・宿泊拠点であっ

た。しかしバブル崩壊後、全国的に国内旅行が不振に陥る中、松山市でも宿泊者数の減少に

より旅館等の売上げも減少傾向にある。観光振興が松山市の地域活性化のためには不可欠と

なっている。 そのため松山市では、近代国家を築いた明治という時代をひたむきに生きた同市出身の正

岡子規らを主人公にした司馬遼太郎の『坂の上の雲』1にちなみ、皆で協力して頑張ってまち

づくりに取り組もうという思いを生かすため、官民協働のまちづくりを強力に推し進めてい

る。特に「フィールドミュージアム」構想は既存の施設を出来る限り生かし、まち全体を一

つのミュージアムとみたてたもので、美術館、博物館などを核にしたまちづくりの先駆け的

存在である。政府の地域再生本部にも代表的な成功事例として取り上げられるなど、まちづ

くりの成功事例として松山市に注目が集まる機会が増えつつある。

(1) 文学作品のイメージを都市ブランドに 松山市の観光産業が抱えている課題は、観光客の滞留時間の短さといえる。顕著な事例で

いえば、宿泊せずに著名観光施設だけ回ってしまい、宿泊は他の都道府県で、という観光客

が少なくない。著名観光施設である松山城に通じるロープウェー・リフトの利用客は 100 万

人弱、道後温泉「本館・椿の湯」(『坊っちゃん』に登場する伝統ある立寄り湯)が 150 万

人弱でありながら、道後温泉の宿泊者数はそれらを下回っている。 その背景には観光客に知られる著名観光施設の少なさがある。松山城と道後温泉「本館・

椿の湯」を除けば、どの観光施設もかなり知名度が劣る。それゆえ松山市には主要観光施設

だけ効率よく回って、その後は他の都市へ移動するという観光客が少なくない。四国に張り

巡らされた安価な高速バス網や、瀬戸内海の対岸である広島と松山を結ぶ高速船の存在は、

そのような観光客の行動を後押ししている。つまり人口約 50 万人の四国最大の都市であり、

人口を大幅に上回る観光客を集めながら、観光客には「松山市全体のイメージ」があまりな

く、松山市をイメージする以前に、松山城、道後温泉といった「点として」の観光施設しか

認識されていないのである。 観光客の滞留時間を長くするためには、松山市を「面として」観光客に意識してもらう必

要がある。観光客向けにまち全体のブランド力を強化し、現段階では著名でない観光施設の

周知を徹底して、多くの観光施設に足を運んでもらうことで、中心市街地の商業施設にうま

く導き、中心市街地でショッピングを楽しんでもらう、といった「滞在型」観光の魅力を伝

えていくことが肝要と思われる。 そこで松山市は 1999 年より司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を題材にしたまちづくりに取

り組んでいる2。『坂の上の雲』は正岡子規、秋山好古、秋山真之の松山出身者が主人公とし

1 産経新聞にて 1968~72 年に連載された。 2 松山市はこの構想を担当する課として「坂の上の雲まちづくりチーム」という部署を設けた。

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て登場する小説である。明治時代を舞台にしたこの小説は、東洋の小国にすぎなかった日本

が西欧列強に追いつこうと国づくりに励むなか、当時を生きた松山出身の3人がそれぞれの

道で懸命に努力していく姿を描いたものである3。「目標の共有」「進取の精神」といった明

治の人々の生き方の理想像4が記されている小説で、明治・大正時代に対する前向きなイメー

ジをうまく現代人に伝えているとされる。松山市は明治・大正時代の観光資源が多数残って

いることから、明治・大正時代のイメージを都市ブランドとして活用するとともに、まちづ

くりに対する理想的な姿勢を表わすものと考えて、この小説のイメージを採用したまちづく

りを進めている。 このように松山市は全国でもほかに例を見ない、一小説を都市ブランドに生かす独特の手

法で、都市全体のイメージアップやまちづくりにつなげようとしている。実はこの『坂の上

の雲』はNHKの大河ドラマの特別版5として撮影が進められている。放映が開始される 2009年以降には松山市の観光分野に大きな波及効果が期待できる。松山市はNHK放映開始までに

『坂の上の雲』のまちづくりを全国的に浸透させておきたいところであろう。

(2) まち全体を「屋根のない博物館」ととらえる 『坂の上の雲』のイメージを具体化するのは、「『坂の上の雲』フィールドミュージアム

構想」である。『坂の上の雲』の主人公にゆかりのある、または明治時代に関係する、様々

な史跡などを積極的に取り上げて、それらを有機的に結び付けて観光客に認識してもらい、

回遊してもらうという構想である。広島県の尾道市が映画のまちとして、映画の撮影場所を

回遊しながら映画を振り返るという回遊型の観光をウリにしているが、松山市もまち全体を

回遊性・物語性のあるまちにしようと考えているのである。『坂の上の雲』という知名度の

ある小説にちなんだまちのブランド力向上の結果、松山市で点在し、それぞれがあまり知名

度のない施設であっても、観光客がそれらを一体として認識し、一つでも多くの施設を回遊

して、結果的にまちの滞留時間が長くなることを目指したものといえる。松山市ではこれを、

まち全体を「屋根のない博物館」ととらえ、フィールドミュージアム構想という形にまとめ

あげている。松山城と道後温泉だけでない松山のイメージをこの構想によって明確にしてい

くためである。 この構想で重要な地域となったのが、既存の著名観光施設である道後温泉と松山城周辺で

ある。まず道後温泉は松山市郊外にあるので、道後温泉と松山市中心市街地を結ぶ交通機関

に、明治時代の主要な乗り物である機関車のレプリカを導入して「坊っちゃん列車」と名づ

3 『坂の上の雲』の題名には、当時小国であった日本が目標としていた欧米列強を「坂の上にみえる一筋の雲」

にたとえ、努力して着実に坂を登りさえすれば雲=欧米列強がつかめるのではないか、という思いがこめら

れているとされる。 4 松山市では『坂の上の雲』の基本理念として、①理想を追求する姿勢としての「若さ」「明るさ」、②知識・

情報を「集め」「比較する」ことによる独自の価値観の創造、③先例にとらわれず問題解決していく「リア

リズム」と「合理主義」、④生涯学び続ける姿勢と人と人とのつながりを大切にする「励む」「励ます」、

の4つを掲げている。 5 通常の大河ドラマのように年間完結型でなく、十数回の放送を 3 年に分けて行なう予定とされている。

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、路面電車でまちなかを巡る楽しさを観光客に提供できるようにした。 6け

道後温泉

松山城

(松山市の中心市街地の概観。真ん中上が道後温泉、真ん中下の緑地帯が松山城周辺。なお本稿

の画像は全て、筆者が撮影したもの)

(左画像:松山市駅前の路面電車乗り場。左は一般車両で、右は観光振興のための「坊っちゃん

列車」。「坊っちゃん列車」は道後温泉へ行く路線で日に何本か運行され、観光客には人気とな

っている。右画像:路面電車の大街道前停車場<商店街やデパートの近隣>。松山市では路面電

車は重要な公共交通機関の一つである。一般車両は一両編成ながら、利用者はなかなか多い)

6 機関車のレプリカを使った「坊っちゃん列車」はこれまでも正岡子規生誕 100 周年記念イベントなど、県

内外の様々なイベントで何度か臨時運行していたが、定期運行は 2001 年 10 月に開始された。なお定期運

行のために「坊っちゃん列車」は新調された。

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また松山城周辺は『坂の上の雲』の主人公の一人である「秋山兄弟生誕地跡」の史跡や、

旧松山藩主が大正時代に建設した西洋風の趣ある「萬翠荘」といった、あまり知られていな

い観光資源が点在している。「秋山兄弟生誕地跡」や「萬翠荘」は松山城からみて松山市駅

側にあり、松山城-秋山兄弟生誕地跡、萬翠荘―中心市街地の商店街、という回遊性を生む

ことができれば、中心市街地への波及効果が期待できる。これまでは小高い山の上にある松

山城に行くため、ロープウェー乗り場の1階部分に観光バスの駐車場が設けられており、観

光客は道後温泉、松山城を観光バスで巡ってしまえば、それ以外にあまり立ち寄らずに松山

観光を終えることが可能であった。そのため、ロープウェー乗り場の観光バスの駐車場をな

くし、その跡地を利用してロープウェーの駅舎を増築した。 さらに「萬翠荘」近辺に「『坂の上の雲』ミュージアム」を新設し、2007 年にオープンし

た。一小説をテーマにしたミュージアムは全国的にも珍しく、小説にゆかりのある様々な資

料などを展示して、観光客が小説そのものをより深く理解できる場所として期待されている。

初年度は小説の主人公「子規と真之」をテーマに、2人の松山での暮らしぶりがわかるパネ

ルなどが設けられ、また産経新聞に連載された 1,296 回分の小説全てが当時の新聞掲載時の

ままパネルにて紹介されている。今後は収蔵される資料のさらなる充実が望まれよう。

(著者を記念した「司馬遼太郎記念館」(大阪府)のデザインを手掛けた安藤忠雄氏がこちらも

デザインを担当。ガラス張りの建物で、見学者は見学しながら、近隣の萬翠荘や松山城の城山な

どを一望でき、自然・文化・歴史を一体として感じ取ることが可能となっている)

(3) 観光客の「動線」に工夫を重ねる

また今回の構想の目玉の一つは「ロープウェー通り」の整備である。松山城に至るロープ

ウェー乗り場から、「萬翠荘」「『坂の上の雲』ミュージアム」までは徒歩でも十分行ける

距離であるが、歩いて楽しめるための何らかの工夫がなければ、周辺施設を歩いて回遊して

もらえない。 そこで「ロープウェー通り」の整備に一工夫を施した。車道、歩道ともに直線で通さず、

あえてくねくね曲がった通りにすることで、車や自転車のスピードの出しすぎを防ぐように

した。また歩道のスペースを十分に確保して歩きやすくし、歩道と車道の間に障害物を置い

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て車が駐車できないようにした。これらの工夫は全て、観光客が安心して回遊できるための

ものである。 さらにロープウェー通りは中心市街地から愛媛大学、松山大学に続く道でもあるので、お

しゃれな雰囲気を持たせようと、歩道を石畳風とし、車道を歩道に合うカラーに舗装し、電

柱の地中化を進め、街灯、電話ボックスなども通りの雰囲気に合うデザインに変えた。通り

に面する建物は景観を守るために、建物の通りに面した部分にデザインコード(デザインの

基準)が推奨され、通り周辺に統一されたデザインのまち並みが広がるように工夫している。

この結果、通りには徐々に若者向けの店が出店するようになり、賑わいを生みつつある。雰

囲気のよい通りになることで、今まで以上に観光客がまちなかを歩くことが期待されている。

(左上、右上、左下:ロープウェー通りは非常に工夫されており、歩行者は安心かつ楽しんで歩

くことができる。右下:おしゃれな店がいくつか開業している)

通りに昔からある店などでは、景観への配慮にいまだ十分でないところが少なくなく、ま

ちづくりにおける私権の制限のあり方についてはさらなる議論が必要であろう。しかし単純

な道路整備でなく、一工夫することで、賑わいを生むことができる。地域活性化において、

ハード整備における工夫は非常に重要なキーであると考えられる。

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2. まちづくりの自主財源を確保~株式会社まちづくり松山 松山市は 80 年代まで人口は順調に増加していた。県庁所在地として県内各地から人口が流

入し、加えて周辺自治体との合併が進められてきたためである。しかし少子高齢化の影響か

ら出生と死亡の差である自然増減は漸減傾向にあり、ついに 2006 年には 1000 人を割り込ん

だ。一方転入と転出の差である社会増減は 90 年代に入り、何度かマイナス、つまり転入より

転出が多い事態を迎えている。松山市の人口は今後も大きな増加はほとんど望めそうにない

であろう。 そうした中で、松山市にとって中心市街地の活性化は今まで以上に重要になってきている。

中心市街地の活況なくしてはまち全体の活力が失われ、まちのブランド力が低下して、人口

や企業の流出が進むであろう。そうなれば、四国単位の道州制が導入された場合の「州都」

を高松と競っている松山市としては大問題だ。まちの活力低下はその州都争いに敗れるきっ

かけになりかねない。

(1) バラバラだった4つの商店街組合 松山市の中心市街地は「松山市駅」と「松山城」の堀に囲まれた地域が該当する。松山市

駅前にはデパートが立地し、そこから北にまっすぐ伸びるのが「銀天街」である。銀天街を

北に進むと、松山城方向に左に直角に曲がる大きな商店街が出現する。これが「大街道」で

ある。この二つはともに「アーケード付き商店街」であり、駅前周辺とあわせて、中心市街

地の商業を担っている。この二つのアーケード街に囲まれた地域は商業とオフィス街の混在

地域であり、アーケード街から離れて、松山城の堀近辺に立つ市役所や県庁に近づくほどオ

フィスが増える。非三大都市圏の県庁所在地では最寄りの駅と離れて中心市街地が立地して

いるところが少なくなく、またオフィス街と商業地区もあまり混在していない地域が多い。

それが中心市街地の商業活性化の障害になりやすいのであるが、松山市の中心市街地の商店

は駅近、かつオフィス近隣という、非常に恵まれた環境にあるといえる。

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(松山市中心市街地の拡大図。左にある緑の部分が松山城周辺。右下が松山市駅で、そこから L字型に銀天街、大街道が続いている)

そのうえ松山市は路面電車が発達している。四国随一の温泉街「道後温泉」は松山市駅か

ら路面電車でわずか 30 分ほどのところにあり、そこまで路面電車は頻繁に運行している。近

年、中心市街地における公共交通網の発達が中心市街地活性化に大きく寄与するという考え

が広まり、各地で多額の公費を投入して路面電車の復活を図る動きがみられる。松山市はす

でに立派な路面電車網を中心市街地に有するという点で、これも他都市からみればうらやま

しい限りである。つまり松山市は中心市街地に主要施設が集積し、住民の足となるべき公共

交通網も生きているという、理想的な「コンパクトシティ」の条件を兼ね備えている。 しかしこれほど恵まれた松山市の中心市街地の商業であったが、衰退は一気に訪れた。99

年には銀天街にあったサティが撤退し、銀天街と大街道の交差するところ、つまり最も人通

りが多い地点にあったダイエーが撤退した。二つの大規模集客施設の撤退の影響は大きく、

賑わいは一気に失われ、その余波で老舗の店舗は相次いで閉鎖され、元気なのはパチンコ店、

カラオケ店、ドラッグストアくらいという状況に陥った。 松山市の中心市街地の商業の衰退は、商業の環境整備だけでは商業が生き残れないという

ことを鋭く示唆していると思われる。銀天街、大街道では商店街の組合が4つ(松山大街道、

大街道中央、銀天街第一、銀天街第二)に分かれ、ライバル意識が根深かったこともあり、

相互にあまり連携のないまま、それぞれの振興策を推進していた。例えば地域の商店街にと

って非常に大きなイベントである年末年始の商戦でも、ある商店街は購入金額に応じたくじ

引きを配布するなどの販促活動を推進する一方、違う商店街では賑わい創出を狙ったイベン

ト開催など、バラバラの商戦が展開されてきた。

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(左:空き店舗が散見するアーケード街。昔ながらの商売を続けるのはかなり厳しいようだ。右:

映画館も閉鎖してしまった)

(2) 小さな成功を重ねて信頼感を醸成する このような状態を危惧したパチンコ屋の経営者が現状を抜本的に改革するため、パチンコ

屋としては全国的に珍しく商店街組合のトップに就任し、矢継ぎ早に様々な改革を仕掛けて

いった。若手中心に勉強会を行なう「松山青年塾」では、駐車場確保や販促などで様々な企

画を練り上げ、また消費者などの外部から率直な意見を吸い上げ、実行していった。この「松

山青年塾」は若手経営者の育成や、各商店街横断的な連携の促進にも大きな力を発揮した。さ

らに外部から大型商業施設である三越松山店出身者を商店街のマネージャーにスカウトし、

専門家として、また「外部の視点」を持つ者として、商店街が抱える問題点を解決してもら

うことになった。当然財源は商店街組合の会費くらいしかなかったが、財源のないなかでで

きることをすぐにやっていくという姿勢を貫き、小さな成果を重ねることで信頼を勝ち取り、

商店街全体をまとめる力としていった。財源がないため、外部組織と連携することも少なく

なく、警備強化では NPO の「ガーディアンエンジェルス」と組んで、また清掃と来客者案内

事業では学生を中心としたまちづくり組織である「M スターターズ」と組んで、さらに駐車

場管理では行政から指定管理者を担うことで、成果を着々と積み重ねてきた。 このような甲斐あって、4つの商店街すべての振興を担う統一的な組織として、2002 年に

は「中央商店街連合会」の結成にこぎつけ、その中に「商店街マネジメント事業推進委員会」

なるまちづくりを一体的に運営・実施する組織が設けられた。 (3) 商店街の最大の「資産」を活用したビジネス しかしこのように小さな成果を積み重ねたとしても、地域活性化に大きく影響するような

抜本的な施策を講じるにはあまりにも予算が少なかった。そこで財源確保の一環として、銀

天街、大街道を通り過ぎる大勢の人並みに着目した。何も買わずにただ通り過ぎるだけの人

も少なくないが、そのような人相手の「広告」ができれば、通り過ぎるだけの人も広告収入

を得るための、非常に有益な商店街の「資産」に変わる。そこでアーケードの下に、巨大な

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映像器=大型ビジョンを何台も設けて、そこに通行人向けに広告を掲載し、広告料をもらう

というビジネスモデルを構築した。 大型ビジョンは銀天街入り口に設置されているほか、銀天街と大街道のアーケード内にも

等間隔で数多く設置された。この費用は合計で約1億円かかるが、広告料が毎年 1000 万円以

上になるので、なかなか「投資効率の良い」事業といえる。これはまさに活性化事業のため

の財源確保という社会問題に対してビジネス手法で解決しようとする「ソーシャルビジネス」

であろう。全国各地の、特に人通りがある程度確保できている県庁所在地や三大都市圏縁辺

部の駅前商店街は大いに参考にすべきスキームと考えられる。 この事業は経済産業省から「道路空間活用まちづくりモデル構築事業」として全国の中心

市街地活性化のモデルとして推奨すべき「戦略的中心市街地商業等活性化支援事業」に認定

され、2005 年に事業費の半額の補助を受けた。また「中央商店街連合会」を発展する形で株

式会社まちづくり松山が 2005 年に立ち上げられ、この事業を推進、管理している。

(左上:「銀天街」の松山市駅側入り口。大型ビジョンが目立つ。右上:銀天街のアーケード内

にある大型ビジョンの一つ。非常に薄く、天井から吊るされている。 左下:銀天街の中にはこのようにほぼ等間隔で大型ビジョンが次々と吊るされている。大型ビジ

ョン自体は歩行者からみればかなりの高さにあるが、長いアーケードの奥まで連なっているので

歩行者にはいやおうなく視界に入る「目立つ存在」。右下:「大街道」も銀天街同様に非常に立

派なアーケードをもっているが、大型ビジョンも同様に設置されている)

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この事業にいたる道のりは規制との戦いでもあった。銀天街、大街道ともにアーケードが

設けられているものの、松山市の管理する「公道」である。したがって、公道の上部空間を

商店街が収益事業に利用するためには、松山市からの許可が必要であった。松山市と話し合

いを進めた結果、松山市と株式会社まちづくり松山は以下の3つの協定書を締結し、中心市

街地活性化のために公共空間を収益事業に利用することが許可されることとなった。 ① 松山市中心市街地活性化事業連携協定書:中心市街地活性化区域内の商業等活性化重点地

区における活性化事業の実施にあたり、官民連携して地域のまちづくりに積極的に取り組

むための協定 ② 道路管理協定書:安全で円滑な通行が確保された道路の機能維持と商店街の活性化事業と

の調和を図り、本市のメインストリートにふさわしい安全で快適な道路とするための協定 ③ 中央商店街広告物活用地区協定書:屋外広告物に関する必要事項を定めて、まちなみの活

力維持に資するための協定

商店街がシャッター通りに変わり、中心市街地が衰退している背景には、地域の少子高齢

化・人口減少、地域経済の衰退、モータリゼーションの進展、適切な政策の欠如など、商店

街を取り巻く環境の問題もあるが、一方で消費者のニーズの変化にうまく対応できないとい

った商店街の能力不足の問題もある。そのような商店街ではたとえ交通の要所に立地し、中

心市街地に定住する人やオフィスが増えたとしても、消費者に魅力ある商品、サービスが提

供できないため、消費者にとって基本的に商店街はただ通りすぎるだけの場所になってしま

う。商店街が繁栄するためには、結局は商店街自らが努力して消費者に魅力ある商品、サー

ビスを提供するほかはない。 しかしこのような商店街のミッションに対し、商店街はうまく対応できていない。商店街

に具体的に求められていることは、商店街を一つの大型集客施設とみたてて、郊外の大型集

客施設に劣らない魅力ある場所に変貌させることであり、そのためには商店街を構成する

個々の店舗に対して誰かがリーダーシップを発揮して様々な意見を調整して商店街自らの対

策をまとめあげることと、対策を施すための安定した自主財源を確保することが必要である。

ところが全国の商店街の多くは、「個店の自主尊重」「総論賛成、各論反対」という状況が

うまく打破できず、商店街自らの対策に向けたリーダーシップ発揮と自主財源確保に失敗し、

その結果、自らの「痛み」の少ない、行政による商業の環境整備を要求する活動に傾倒して

きたと思われる。 まちづくり松山の取り組みは、これまでの商店街運営の悪弊を打破するために、専門家を

招聘し、小さなことでもできることから成功体験を積み重ね、個店の信頼を勝ち得ることで

リーダーシップを確保し、商店街の最大の「潜在的資源」を活用して、活性化事業のための

自主的な収益源を確保するに至った。成功体験を積み重ねて、最終的に大きな事業に結び付

けるという手法は、中心市街地活性化に成功事例の多いとされる英国で推奨されているもの

で、全国各地の商店街は行政に「ないものねだり」をする前にぜひ参考にすべきであろう。

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