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for riders with soul January 2000 K.O.G. Final / dig-it meeting for Y2K / Takeo's US Story / SHoe-G's J-E for men Rider: Hiroya "Kantoku" Morisaki Photo: Kuri-Bow

dig-it zine January 2000 issue

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japanese bmx magazine

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for riders with soulJanuary 2000

K.O.G. Final / dig-it meeting for Y2K / Takeo's US Story / SHoe-G's J-E for menR

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日本初の Flatland のシリーズ戦 KOG も遂に最終戦となった。 果たして初代チャンピオンは誰になるのか?今回も福岡から太郎はバスで、クスボボは飛行機で参加。 札幌からも和田直也等が参加、最終戦にふさわしく 80 人以上のエントラントが浅草 ROX3 集まった。今回は人数が多いため、予選が行われ決勝 10 人で争う方式となった。 キング争いではコンスタントに上位に食い込んでいる旭がかなりのポイントマージンを稼いでいるらしいので、Quamen のおやっさんとしては、旭に一服もろうかと思ったが、むなしいのでやめた。 そして来日予定だった Jason Brownが来れなくなったりして、正直言って第 3 戦に比べて、やや盛り上がりに欠けた気がした。 @skip

☆ノービス(本選)各地で行われる大会のノービスクラスの中でもっともレベルが高いと思われる KOG のノービス。出場したライダーの殆どがヒッチハイカー系をやるのが当たり前でしかも前回よりメイク率が上り、全体的なレベルが計られていたが、今一つ見ていて気になったのは皆、技の流れが似ている事。今の流れでも悪くは無いがもう少し人と違いをつけるルーティンを持っていたら良いのでは? 現在 、 免停中の平山浩輔。流行のヒッチハイカー、エレファントでクロスフッ

トスカッフやハーフヒッチハイカーで走りバーをスイッチしてクロスフットサークルKと、今まで練習して来た流れがだいぶ煮詰められてきた様だ。早く免許を取り返して八王子に遊びに来てくれ。 今年は吉祥寺で(bmx+パンチラ)という不動のタッグコンビを吉野孝則と立ち上げ多くの大会に出場した竹内竜男。予選では念願だったヒッチハイカーをついにメイク。本選で

は内回りのフロントヤードからハーフパッカー、大会に出る度にF技のグライドトリックに安定感が増していい感じだ。 R 技が得意らしい大分から出勤してきた牧弟の牧こうじ。カブースやバックヤー

ドグライドから抜けてローリーポーリ 、 ペダリングカブースと多彩な所を見せてくれた。 前回このクラスの覇者 、 群馬ローカルのマサ。F ブレーキを付けない程 、R 技に全力を注いでいる彼はカブースでノーハンド、ラードヤードからローリーポーリ、得意のスピン、さらにペダルスティク B と頑張ったが2連覇ならず。 竹内君の相棒、吉祥寺ローカルの吉野。グングン成長し技に磨きが掛かっている彼も R 技中心のトリックで、内回りスクラッチアローニやラードヤードからエドガー戻り、そしてお得意ヒッチハイカーを簡単にメイク。来年もこの調子で行ってくれ。 一年を通じて大会出場最多数だと思われる川崎ローカル箱崎。バックワードで勢い良くスピンし普通足の内回りカブースのルーティン

は練習中調子良かったが本選では本領発揮出来ず残念だった。最近熱いと噂される川崎に今度行ってみたいと思った。 小林大介は F 技中心でフロントヤードやピンキースクエイカー 、 ローリーポーリ、内回りサークル K を出し一年間を締めくくるライディングをしてくれた。 赤い EP にのる爆発ヘアーの菅原崇哉。Little Devil の広告に出てきそうだ。このクラスのシリーズチャンピオンに王手をかけている。マックサ

1 dig-it'zine January 2000

C O M P E T I T I O N

Akira Okamura

☆ King Of Ground 99 Final ☆ December 12nd, 1999 (Sun) 東京 浅草 ROX3

P h o t o s a n d T e x t b y K u r i - B o w & S k i p

KusuBoBo

Enoyang

Jyuku Taro

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ークルやバックヒッチハイカーを見事メイク。 尼ライダー

(尼崎ローカル)代表として大会で大活躍し 、 来年は渡米計画もある前畑悠樹。彼も年間チャンピオン候補だ。コンスタントに入賞しているけど初戦に出れなかったのが痛かった。それでも結果この大会に優勝してシリーズランキングも2位は立派だ。ワンハンドメガスピンからシートを掴みさらに早いメガスピンそしてリケイドや、流行のトマホークの様に回るスチームローラースピンしながらさらにハン

ドルを回し再びスピン。F 技だけで無く R 技もだいぶ煮詰まって来たので来年、更なるレベルアップが期待される彼は要チェックだ。 赤のサバスに赤のハンドルバーが目立っていた仲辻君。地元京都ではナッツと言われている。彼が愛する彼女もライダーで二人で京都駅前で日夜技の研究に余念がないらしい。実際予選は一位でこんなに上手いライダーが色んな所に隠れているのだと感心した。F 技のスカッフやグライドが得意な彼は、内側に回るフロントヤードや F トラックからハーフパッカーを入れてからバックパッカーをギリギリメイク。他にも文章では上手く書けない F 系のグライドトリックを見せてくれた。

☆☆エキスパートクラス(本選) ノービスクラスと同様、そのレベルの高さに驚かされるエキスパートクラス。いつも出場しているメンバーの他にめったにお目に掛かれないライダーもエントリーしており予選から混戦した戦いになった。 ノービスクラスに出ていた箱崎君と同じ川崎ローカル吉江。ディランのやっている様なフレームに体を絡ませるスクラッチアローニや、内回りラードヤード、R 技中心のトリックだったがまだ安定感が足りない様だった。 石川県からエントリーの黄色いボングに乗る三滝隆久は内回りバックヤード、メガスピン 、 グライドとスカッフを織り交ぜながら流す R 技が良かった。 新宿ローカル二宮玄洋は何故か片方しかクラ

ンクが付いていないショーティでライド。彼の凄い所は持ち技を全て左右対称でやってのける事だ。それを生かしたバックヒッチハイカーやペニーウイップス、右側や左側を交互に使いながら回すピンキーやメガスピンは本当に凄い。 九州からエントリーの楠本章雄、通称クスボボ。スイッチフットのエルクグライドからフレームを回してエレファント。前回の調子良さとうって変わって今回はイマイチ乗れていなかった感じがした。スキップ曰く彼は酒の飲み過ぎらしい。 大会当日、風邪ひいて体調が悪かった大槻真之介。久々に個性溢れる独特なバランス感のライディングを見せて貰った。デストラックからフレームを回して入るラードヤードやカブース 、 アップサイドダウンのメガスピン 、 最後は高速メ

ガスピンで勢いを付け、足を放しスピンしたが玉砕。来年も期待しています 。 北海道からお越しの河村卓馬は一つ目の技、ヒッチハイカーを簡単にメイク。ペダルスクエイカーをしながらピンキー、そしてお得意技のバックワードからフレームを回してアップサイドダウン(ここのでペダルに乗っていた)バックワードの繰り返し。この技は本当に凄い。 前日に八王子で一緒に乗った林 Rink。スチームローラーから F トラックやバックで進むハーフヒッチハイカー、カブースから一蹴りしてラードラードさらにもう一蹴りで再びカブースし締めはそこからアンダーテイカーと調子良よくライディングを見せてくれた。 前後ノーブレーキの河合秀樹。エルクグライドからハンドルを回し、一回スカッフを入れてグライド、そしてまたハンドルをスイッチ

してエルクグライドに戻す技を繰り返す、アナザーワールドに似た今流行りのルーティン。 Jikk と決別した小谷明生。エレファントでスカッフしている足をハンドルから跨いで走るグライドやヒッチハイカーやリケイドを見せてくれた。 エキスパートクラス 3 連勝中でポイントランキングも断然トップの新出。何故彼のハンドルにはグリップが無いのか気になるが、スチームローラーからバーを回してエルクグライド、内回りのサークル K、ヒッチハイカー、ペグウイリーで走りながらダイレクトに F タイアを落とし前に進むカールクルーザという文章で解説する意味不明な技を見せ皆を驚かせた。見事にチャンピオンにか輝いた。

☆マスタークラス(予選)前回と違い今回は予選を勝ち抜いた上位10位のライダーが本選に進めるという厳しい内容で、技の流れや見せ方、難易度、メイク率、どれか1つ抜けても勝ち残れる事が難しく、しかも予選は1トライのみ、練習の時からかなり気合を入れて技に取り

Toshiki Onizuka

York Uno

Kazuma Nakajima Hideki Kawai

Takuma Kawamura

Masayuki Nagashima

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組むライダー達をカメラで追うこちらもかなり緊張しました。マスタークラス最初のライダーは九州代表のエンターティナー、カメンライダー太郎君。バックライディングで皆の笑いを誘いハング5からピンキー、そしてオリジナルトリックレディースラードヤードやいつものカニ歩きを見せてくれたが、なにせ1番初めなので前回の様な派手なパフォーマンスを見せる事が出来ず不発に終わってしまった 。 前回調子が上がらず苦労していたカメンライダーのヒ

ロ。今回は違うぞとばかりに練習の時から気合が入ったルーティンを見せ予選ではルーパーローニからローリーポーリ、ピンキースクエイカー、いつものハーフヒッチハイカーからハンドルを回しスイッチフットで前に進むカールクルーザ。ラストは早いスピンで締めてくれた。 ヤンマーは F 技の流し技が中心でハング5から跳んでエルクグライド、ピンキースクエイカーで回しながらプラットホーム乗り前にスカッフ、カールクルーザからハンドルを回しハーフヒッチハイカーをこなし予選突破。 最近立川で乗っている渡辺英一郎。足をスイッチしながら繋げていくファンキーチキン系の技や、得意のデストラックでスカッフ、更にペダルに乗るという長い手足を生かしたルーティンだったが惜しくも予選通過ならず。 ノーブレーキにしてからもう1年が経過するエノヤン。最初にやったオールドトリックのシートとハンドルを掴みその上で逆立ちには驚きました。その後はいつもの最新トリック。速いスピードでスピンするエルクグライドやトマホーク、スクエイカーしながら前後にスカッフは凄過ぎです。 練習の時は余り調子が良くなかったアキラ。前に進みながらホップして入るペダルスピン。ペグウイリーからバックワードで流す R

技、内回りカブースしてからアップサイドダウンのメガスピンはいつも通りの安定したライディング。 宇野君と同じフレームに乗る堀川。ピンキースクエイカーや内回りサークル K や足を浮かせてから入るペダルサークル K をこなし無事予選突破。 KOG に久々の登場の中島和麻。F 技はエルクグライドから始まるグライド系トリック、R 技もペグウイリーから始まるグライド系トリックが中心。赤いフレームが目立っていた。 フレームが変わった宇野陽介。いつものヒッチハイカ

ーで前に進みながらフレームを回すルーティンや内回りサークル K から繋げていくトマホーク系のトリックが調子良く予選通過。 力強いライディングで毎回見せてくれる原君。前にスカッフを入れながら回すピンキースクエイカーや人生を掛けて回るトマホーク、内回りサークル K は相変わらず速い。 大会に久々に登場二宮、バックで進むエルクグライドから F トラックやヒ

ッチハイカーを見せたが緊張の為か決まらず撃沈。 新宿で毎日乗っている光太郎はカブースでスピンやフレームバリアル、ラードヤードからフレームを跨いでバックワードで進みダイレクトリケイドは相変わらずのカッコ良さで予選通過。 川村翼はお得意ルーティン、カブースから抜けてペダルラードヤードの内回りやサークル K から跳んでエレファント、ニュートリックのバックに進むクリフハンガーを見せたが調子上がらず予選を通過出来なかった。 マスタークラス予選を締めるライダー伊東高志。メガスピンからリケイド、F 技のグライドトリック、ハング5でスカッフを入れながら回るスピンからヒッチハイカー他のライダーと明らかに違う調子良さで 、 最後は期待させときながらオールドトリックのロンモアが良かった。見事予選トップだ。

☆☆☆マスタークラス(本選)14人のライダーの内、 本選にコマを進められたのは上位10人。ここに残ったライダー達の実力はいわば日本を代表するものだと思う。来年も更なる飛躍を目指して頑張ってもらいたいと思う 。 本選の一番初めは田中光太郎。緊張した会場を和らげるオールドトリックのグラスホッパーやカブースバリアル、ラードヤードからダイレクトにリケイド、更にラードヤードからフレームを跨いでバックワードに行く動きを繰り返して最後にリケイドで締めた。

3 dig-it'zine January 2000

Kenta YuriYoshie

Takanori Yoshino

Koutarou Tanaka Mitsutosi Ugajin

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原君はスクエイカーで進んだ後ペダルに乗りバースピン。予選でも見せてくれた速いトマホークから繋げて内回りサークル Kで男らしく回ってくれた。 クランクにスプロケットが無い中島和麻。バックワードからアップサイドダウンのバックワードで進み足をスイッチしていくルーティン。バックワードのエルクグライドからヒッチハイカーで進み体を回してクロスフットバックパッカーには驚きました。 堀川はサークル K で足を浮かせたり、カールクルーザから繋げたり、スイッチフットエレファントから内に回ったりと技の要所でサークル K が入っていた。 エノヤン。ピンキーでフレームを回しながら前後にスカッフ、エルクグライドで走りながらフレームを回すアナザーワールドや、高速トマホークからスチームローラースピン、ブレーキを使わずタイミングだけで体を動かしているので無駄な動きが無かった。 ヤンマーは逆側から入るアナザーワールド、フレームに乗り前にスカッフしながら回すピンキー、マックサークルからフレームを回し R ペグ着地 、 落ちそうになっても体全体で耐えるのが凄い。 宇野は予選でも見せたヒッチハイカーでフレームを回すルーティンやワンハンドのファンキーチキンからエルクグライドに持っていき、そこからトマホーク。ラストはスピンで締めた。 森崎ヒロはお得意のトマホーク。スイッチフットで回るフロントヤード、クロスフットのハーフヒッチハイカーから回してハーフパッカー、フレームスタンドのメガスピンでガンガン攻め見事 KOG 第4戦の優勝をさらった .。 アキラはアップサイドダウンのペグウイリーから右側のペグに足をスイッチして繋いでいくルーティン。メガスピンからリケイドの様なローリーポーリ、後ろにスカッフしながら回るスチー

ムローラーで勢いを付けてそこからペグに両足を付けハンドルの手を放しスピン。彼の凄いのは技に失敗して止まってもそこで上手くまとめてしまう所だ。世界で戦うにはこの臨機応変的な動きが重要なカギになるのだと感じた。 予選は順調だった高志。ペグとハンドルを持って走るペグウイリーから体だけ回しフォワードのペグウイリー。それの繰り返すルーティン

やお得意のスカッフを入れながら回るハング5、さらにそこからヒッチハイカーとガンガン攻めたが全体的な調子が最後まで上がらず辛そうだった 。 ◎総括 今年行われた4戦ある KOG の内、3戦、4戦を取材させて貰い率直に思った事はノービス、エキスパート、マスタークラス、それぞれエントリーしているライダーの出す技の流れ(技と技のつなぎ方)が余りにも似通っている事が見ていて気になる。確かに流行っていてカッコイイからやろうという気持ちも自分自身フラットライダーだから分からない事もないが、やっぱりフリースタイルという名目で BMX に乗っている以上、人がやっていない様な技や、つなぎをやってライバルと差を付ける事も一つの楽しみ方なのでは? これを読んでくれたライダーの皆さんどう思います?来年も今年以上に全ての BMX ジャンルが盛り上がる

様に期待するし自分自身も皆で盛り上げていく内の一人として頑張りたいと思います 。

@クリ坊

なかにはこの大会は楽しくないと言う声を聞くが、X-Game がそうである様に、ピリピリした大会も必要な時期に来ているという事だろう。この大会に僕がお願いしたい事はただ一つ、それはシリーズチャンピオンをかけて争っている以上、毎戦ごとに、ポイントランキングを公示するべきだと言う事だ。今回の最終戦でも始まるまで自分がランキング何

位なのか全く分からないライダーが沢山いた。稼いできたポイントと自分の現在のポジションが分かることでもっと上位を目指した熱い戦いが期待できると思う。表彰式では第一代キングオブグランドに輝いた旭が「かかってきなさい」と吠えて格好良かった。それにヒロが年間ランキングは 3 位に終わったが、4戦中 2 勝と最多勝を get し、最終戦も格好良く飾った

Takashi ItoTomomi Karakama

Tatsuo Takeuchi

Yuuki Maehata

Yoshihiro Shinde

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のでおやっさんとしては大興奮でヒロをぶっ飛ばしに乱入しようかと気分思ったしも良かった。 しかし、予選 1位で決勝で気合いが空回りして、相当落ち込んでいたタカシを見るのは辛かった。 旭は来年も手強そうだけど、2000 年はより激しい大会が期待出来そうだ。

○△ × 大会終了後僕らは ......

見事予選落ちして、活躍の場がなかった太郎は大会終了後に活躍した。 前回に引き続き、大会終了後浅草の白木屋に約10 名が集まった。 ここで太郎はたまっていた鬱憤を爆発させていた。 特にヒロの突っ込みは鋭く、さすがの太郎もたじたじだで自分でテンションを上げていった。そしてカラオケタイムとなり太郎は「冬のリヴィエラ」を熱唱した。 が、太郎は Key を調整しても一緒だった。僕と同じくらい下手だった。カナメも負けずに下手だったので九州人は歌がへたくそだった。 ナッソの彼女の歌う椎名林檎は上手く、太郎は目を閉じてよだれを流しながら、したっていた。 オーリーのヨウコも上手かった。人間一つは取り柄があるもの

だ。 ナッツもぶーやんも声が大きくて上手かった。 そして、太郎が最後に『真夏の出来事』を歌っているとき、時計を見るとすでに終電に間に合わない時間になっていた。 僕が帰ろうとすると、太郎は「今日は帰らんでいいですよ」と、一晩中遊ぶ気でいるようだった。 そして、僕は車で来ていたぶーやんに家に泊めてあげる代わりに、家まで送っ

て貰うことにした。 太郎が新宿のコータローの家に行って「奴らを寝かさん!」と息巻いていたので、ぶーやんの 6 人定員の車に 10 人乗り、先ずは新宿を目指すことになった。 が、東京人が誰もいないので、一番詳しそうな、にわか都会人であるカナメが指示して、僕がサポートする事になった。カナメの案内は素晴らしく、よく分からない内に上野を過ぎ、新橋、銀座、桜田門を過ぎた。 桜田門には本当に警視庁というのがあって、門番のお巡りさんが僕らの十人乗車の車をみてこちらに歩み寄ってきたが、運良く青信号で車は進み、今度はカナメの思惑通り国道 20 号に入ったのだが、何故か僕らは国会議事堂を目の前で見ることになり太郎以外の全員が大興奮だしていた。 後で地図を見てみたら、たいぶ遠回りをしていたみたいだけ

ど、とにかく、なんとかして新宿にたどり着いたのだ。 が、元気だった太郎はすでに撃沈していた。声をかけると『ちかっぱい元気やけんね!』と返事はするものの、次の瞬間寝ていた。僕らはコータローの家の近くどうやらまでは来たらしいのだが、最後の詰めが分からない。 ヒロが電話で確認すると、どうやら逆方向であることが判明。 運転手の

Daisuke Ueyama

Hiro Morisaki

Tsubasa Kawamura

Tomoaki "Nuts" Nakatsuji

Rink Hayashi

5 dig-it'zine January 2000

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king Of Ground 99 Series Champion

Norvice Class

1 位 菅原崇哉 2 位 前畑悠樹 3 位 平山浩輔

Expert Class

1 位 新出佳弘 2 位 楠本章雄 3 位 河村卓馬

Master Class

1 位 岡村旭 2 位 伊東高志 3 位 森崎弘也4 位 宇野陽介 5 位 山本亮二

Norvice Class 優勝 前畑悠樹 2 位 中辻智昭 3 位 小林大介 4 位 長島正行 5 位平山浩輔 6 位 吉野孝則 7 位 菅原崇哉 8 位 箱崎

Master Class 優勝 森崎弘也 2 位 山本亮二 3 位 宇野陽介 4 位 伊東高志 5 位岡村旭 6 位 堀川賢治 7 位 榎貴広 8 位 中島和麻

Expert Class 優勝 新出佳弘 2 位 河合秀樹 3 位 河村卓馬 4 位 小谷明生 5 位林和久 6 位 大槻真之介 7 位 三滝隆久 8 位 ヨシエ

KOG

最終

戦 R

anki

ngぶーやんは「他の地方だったら、こんな近くまで来てるんだから、絶対迎えに来てくれる。」とあきれていた。 ここで僕らは東京砂漠を実体験したのだ。 一旦車を降りた太郎はというと、歩道でLの字になって横たわっていた。何とかもう一度太郎を車に乗せて、コータローの家にたどり着いた。ところが着いて車を停めた、そこは交番の前だった。 帰りはヒロがこの道を引き返して大通りに出た方がいいと言うので、引き返えして見ると、大通りに出たところで、やっと一方通行だったと気が付いた間抜けな私たちは、純朴な地方人そのものだった。そして、京都勢は Skip 邸の物置部屋で熱い夜を過ごした。太郎はこの後、無理矢理戻して酒を抜き、光太郎達を意地で寝かさなかったそうだ。 @ Skip

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Shoe-G の Bike Rider のための英語講座 # 30*****************************

Merry Maron squirrelあけろおめ、今年もよろしくね !

YO! みんな元気かな?! この間の土曜日に 17 対 17 の Go.com を倉谷太郎様のために主催したが本人は出席をキャンセルした。僕は非常にブルーになってしまった。それはどうでもいいや。Go.com は最高だった、とても楽しかった。

Big Go.com をあなたたちもやってみてはどうだ?もちろん気に入った女の子がいたら携帯のストラップねたで口説いてみたり、ポケットにたくさんものをつめてから行くのが良いと思うよ。

ところで、オーストラリアは変な動物が動物園だけじゃなくてビル街にもいてびっくりな国だ。

では、さっそく英語講座に行ってみよう!

今月の単語☆ My arm exists for you.訳: 俺の腕はおまえのためにある。

この文章は自分が以前アメリカ人と僕が付き合っているときに I like your arms. と言われ 僕が返した言葉だ。 それに彼女はとても驚いていた。とても自然な英語でアメリカの男性が言いそうなことだからだ。みんなも言うチャンスがあったら言ってみてごらん

☆ Crap意味:ゲリ Crap はただ単に下痢という意味なんだけど、leave that crap 訳: そんなものほっとけという風につまらないものの代名詞として使える。もう一つ例文が以下のとおりだ、これはよく使うよ例文:Cut the crap and let's get to the meat.直訳:下痢を切って、肉をゲットしようぜ 訳: 余計なことは省いてポイントを言えよ。

☆ Whatever意味:なんども、 どうでもいいんじゃんこれは良く使う言葉だね、Props の Interview を見ててもよく出てくるよ。

今月のしょうもない会話:・その1Biz: I like your arm. It's so confortable.BoeG: My arm exsist for you, and myself exsist for you, too

訳:Biz: あなたの腕が好きよ、とても心地いいのBoeG: この腕はおまえのためにあるんだよ、それと俺自身もさ

・その2:BoeG: You are right. I don't care the crap. I just want to be a better rider.Bokazu: Yeah I know. You are like "whatever... fuck it..".BoeG: Whatever peolpe say. I do what I want to Just keep on riding. Just keep on riding. Pushin' myself above.

Bokazu: Yeah that's cool.

訳:BoeG: おまえの言う通りだよ、俺は細かいことは気にしないで、ただうまい ライダーになりたいんだ。Bokazu: 分かったいるよ、おまえは” そんなのどうでもいいよ ... ほっとけ ..” って感じじゃんBoeG: 人がなんと言おうと、俺は俺のやりたいことをやるよ 乗りつづけて 乗りつづけて、自分のレベルを上げるよBokazu: いけてるね

架空の登場人物商会 ¥¥¥BoeG: 自転車 Rider の彼の得意技は G.com。最高の Make は 17 対 17 だが、 その上の技 ” GAL お持ち帰り” は今だ Makeしたことがない。Y2K はもっと自転車に乗ろうと思っているが、GAL にも乗ってみたい今日 このごろだ。

Bokazu: BoeG の人生相談を請け負う反面。BoeG にパソコンの相談をしてい る。 Y2K はパソコンを始めようとするが、機会が苦手な本人はまず彼女に パソコンを覚えさせて教えてもらおうとしている。その辺効率のいい 人生の過ごし方を知っている。

大将の恋愛講座:昔々、僕に彼女がいたときのことだ。大将と話してて彼女に自転車と私のどっちが大事って聞かれて僕は 1 秒後に” 自転車” と俺が答えたと言ったら、大将に”馬鹿だなぁ〜 そういうときは おまえと自転車は比べられねぇよって言うんだよ”て言われた。俺はなんて大将はすごいんだと思い人生の師匠として今もあがめている。それからもいくつか生きるための知恵を師匠から授かった。これからの徐々にこの奥義たちを紹介していこうと思うみんなも何か恋愛についての相談があったらDig-itまで連絡をくれ! よろしく!Wossy 連絡を待っている!

JV 情報:・Y2K から JuicyVision は 5 本目の Video の制作・撮影に取り掛かる。今度のビデオは 20 世紀最強のビデオにしようと技術、お金をかけて制作をする予定だ。仮の題は”Color Of Styles” 日本のTop Riderたちを紹介するというものにする。今度のビデオはまじめな Riding ビデオにする予定だ。今の予定での紹介する主な Rider は以下のとおり SHoe-G、岡田一生、アトム、香西稔、高木ヒロキ、森本修介、小川大ちゃん、伊東高志、田中光太郎、などなど。なお以上の Rider は予定なので変更したり加わることもある。自分も日本 Topの BMX Skill があると思い JuicyVision に出たいという Rider いたら、SHoe-Gまで連絡してくれ。なおビデオの完成は 6 月を予定している。

最近、Shoe-G ったら・・・なのよ!のコーナー・SHoe-G は Props34 の Joe Rich のインタビューを寝る前に 3 回見て崇拝してから寝ている。・オーストラリアのレストランで会ったメグライアン似のウェートレスにけんじと SHoe-G は恋をした。・最近、大将、SHoe-G はお互いのことを” ちxxす”、” けxxあx” と呼び合ってはものを投げ合ったり、いたずらし放題だ。・NOB の新しい呼び名は” カリスマ” で無免許の象徴だ。・Props の WebSite 掲示板に Mr.BONSAI は子供の Show はするのかと問い合わせがあった。 Mr.BONSAI は 2 月まで予約でいっぱいとの返事を入れておいた。・アトムと SHoe-G は 1 月が Vert のショーをやることになった。スケジュールは以下の通りだよ1 月 8 日 京都 NAMCO WonderLand1 月 9 日 名古屋1 月 16 日 福岡1 月 22・23 日 千葉県幕張1 月 30 日 大阪ドームどんなイベントになるか分からんが Vert をやりまくれるので いい練習になると思う。俺はアトムといっしょに乗るから彼に Vert のいろはを教えてもらう予定だ。目標は 10Feet Air をすることだ。是非、俺に会いに来てくれ。待っている。

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岡田一生と鶴田ケンジの1999-2000年問題

新春特別企画'99 年 SHoe-G に何が起こったのか!

Shoe-G's Japanese Lesson:#30

Hey ladies and gentlmen. Happy new year. How was your Christmas?Did you have a nice one. I think my Christmas is 100% bike riding.Plus Y2K starts with a contest in Nagoya. This is awesome ,isn't it?By the way I want to know how many people is reading this artcle.I'm just writing whatever comes up in my mind If you read my artcle please e-mail me at "[email protected]".1999 had a lot of new things for me. Here's the things.1. Road Fools 3 came out. I was super psyched to be in the Road Fools Crew.That trip was so good and it was a super honor to be in there.2. I start my TV show BMX Gravity at Sports-i ESPN. It's a hilarious BMX TV show.3. I entered ESPN X-Trails Round 2 and I got to do Chad Kagy's interviewer. It was so funny. We fought and Chad dropped me in the river. The shit was dope.

4. I went to Woodward with my best friends Kazuo and Kenji. The trip was hiralious. One of the best trip ever.5. I attend Australia Summer Xtreme Game with Kazuo and Kenji.I got 2 Bronze Medal at Street and Vert. So I'm super happy with that.I got to know TJ Lavin and Alan Cook. They are the man.Also Sports-i ESPN covered out air ticket so 3 of us are super happy with that.6. Oooh I moved out of my house and start to live with my own. It's pretty fun.I think these were the main events of 99. I want to ride more in Y2K and be a better rider. Progress and surplus is the keyword for Y2K.

Have fun forks, and may the force be with you.LOVE

SHOe-G www.juicyvision.com

1 月:・99 年の正月はアメリカで過ごした。Props の Chris Rye と会い楽しい夜を過ごした。 帰る前日シカゴは大雪のため帰る日が 2 日延期になる。

2 月:・JuicyVision の撮影のためゴウコンをたまにやっていた。・長い間乗っていた S&M Dirt Bike NG から S&M Bennet に乗り換える。生涯でこのフレームほど乗りやすいフレームはない。

3 月:・JuicyVision の WebSite を立ちあげる! www.juicyvision.com のドメインも取得してルンルン気分・ADIDAS の広告に出る、Vert で大きくOneHandOneFoot をやっているところでかっこよかった。・大阪から藤原さんは来てアメージングに住み始めた。

4 月: ・Road Fools3 が発売になりビデオを見ながら、’ 98 年に行った旅を思い出して感動してた。・Sports-i ESPN で 僕が番組を持つことになった。なんだか分からなかったね。・大将、けんじ、SHoe-Gの3人でRideするときのテンションがすごい!3人ともMaxの技を出し合って乗っていた。誰もこの輪の中に入ってこれなかったけど、Yossyだけが入ってきた。

5 月:・ESPN X-Trails Round2 に参加した、Pro Class で出る大会は 2 度目だが、今までの中での最大の大会だったため、結構プレッシャーもあった。セクションに慣れるのに時間もかかったねX-game に出れたらいいなと思ってたがX-game への道は超〜険しかった。 ・ペニビーが東京にやってくる、毎週アメージングで 20 対 20 のゴウコンをやっていると太郎に報告してからかっていた。NOB は太郎の真似がうまい。

6 月:・JuicyVision3作目” In The Name Of LOVE"を発売、このビデオのテーマは愛で80% Riding、20%ゴウコンとなっていた。・足の小指を脱臼した、その後しばらくして富山のでらうま CUP に参加して優勝してうれしかった。・光太郎、国雄、大将、けんじとゴウコンをしてとても楽しんだ。・Props に出演、X-Trails での Riding とChad Kagy の Interview をしている。

7 月:・Sports-i ESPN で” BMX Gravity”が始まった。もう SHoe-G の喋り方が酔っ払っているみたいなのが、全国の人にばれた。視聴者が僕の喋りに慣れるのに時間がかかることが分かった。

8 月:・実家を出て 渋谷区に住むようになった。屋上で BBQ、バスケができる超高級マンションに引っ越した。・大将、けんじ、肇と Woodward Camp に行って乗りまくって楽しい旅をした。

9 月:・失恋した、もっと自転車に打ち込むようになった。・Yossy とよく輪行してアメージングに行った。彼に輪行の KnowHow を教わる。アメージングスクエアで大会を開催した。盛り上ったね。・JuicyVision のステッカーができあがった。超〜かっこいい!

10 月:・”BMX Gravity”2Cool 目に突入! AirWalk が番組スポンサーになった。もうBMX Gravity はどこに TV 局でも見れないような、無茶苦茶な TV SHow にしようと企んでいた。 ・お台場の TOYOTA、SHowRoom MegaWeb で SHoe-G を展示してた。

11 月:・サイクルショーで筋肉番付のロケに参加、楽しかった。20 万の賞金で Style を売るのはいやなので、無茶苦茶にして楽しんだ。応用のきかない TV 人間は怒っていたね。もっと頭の中の枠をとっぱらって自由にやろうよ、ねぇ〜・駒沢うたげ会に参加して FlatLand Old Classに出場、なんか優勝してしまった。光太郎自転車貸してくれてありがとう!お前のおかげだ !

12 月:・オーストラリア Summer Xtreme Game に大将、けんじの 3 人で参加。TJ Lavin、Alan Cook と友達になる。Street、Vert で 3 位になり2つ銅メダルを持ちかえる、Street ではうまい Rider ばかりだったので3 位はとても嬉しかった。また、生涯で一番いいRiding をしたかもしれない、JoyStick も披露して会場が大騒ぎして非常ベルが鳴った。・忘年会兼ゴウコンをして合計30人の男女が参加、楽しい一時を過ごせた、恋をした。・相変わらずクリスマスはRidingになりそう。年末は名古屋” Dela2000” でNewMeliniumを迎えようと思う。 NewBike を組んで Milenium に備える予定。

・恋をしてみたい・もっと自転車がうまくなりたい・JuicyVision5 作目の制作・3Cool 目に突入する BMX Gravity をもっともっと続ける

SHoe-G が語る、1999 年の感想常に自転車に乗れて最高の仲間に囲まれながら Rideできたから最高だったね。いつもいっしょに Ride してくれる大将、けんじ、Yossy、肇、NOB、DK に感謝します。最近はこの連中とは更に仲良くなった感じでお互いきつい冗談を言いまくって楽しい Riding Life を過ごしているね。あと、’ 99 年僕といっしょに Ride してくれた人たちにも感謝です、あとむ、クニオ、D-jin、軍曹、足立君、大島くん、サトスキー、ムレット、B-Bar、etcとりあえず、自分が Road Fools に参加した '98 年秋のとき よりはうまくなっていると思うね。'99 年は '98年よりも多く自転車に乗った年でもあるから、俺としては嬉しいね。これからはもっと乗りたいね!あと、僕をいつもサポートしてくれているS&M, Dragon, Dig-it, NIXON, Neil@FOX, MagicFruits, Arktzに心から感謝申し上げます。

Shoe-G2000 年の目標

はみだし Shoe-G:とにかくShoe-G は、恋がしたくてたまらないらしい。今年はポケットじゃない所を膨らませる恋が出来ると良いね。恋の一部上場を目指してね。

Q: 99 年は大将にとってどんな年だったか?a:お金を出してくれるスポンサーがいたおかげで海外にいっぱい行けた。BMXGravityなどBMXを扱うMediaなど増えたのがよかった。Q: Y2K はどうする?a:BMXをもちょっと楽しんで乗ろうかなと思うね。

Q: 99 年はけんじにとってどんな年だったか?a:大怪我も泣く自転車に乗れてよかった。あとアメリカに結構行ってよかった。いい経験になった。Q: Y2K はどうする?a:学校を卒業して何もしないから自転車を頑張ってもっとアメリカに行こうと思う。

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竹生 泰之の “真 “アメリカ漫遊記BSコンテスト第3戦、オーシャンサイドB3コンテストに出場すべく、再びアメリカに乗り込んだ。大会まで数日の余裕を取ってはいたものの、情報が少なく、いつレジストレーション(大会申し込み)が始まるかもはっきりせず、不安はつのる一方だった。「ま、明日考えりゃいーじゃん。」 のんきな声で相棒がいった。その相棒、宇野” YORK” 陽介とは、今年(1999)のKOG初戦で意気投合した。僕の方から今回の旅の話を持ちかけたのだ。 陽介は、僕のつたない英語を当てにしていたみたいだが、僕といえば、この1年、いろいろ思うところがあって相棒を探していて、偶然、2人の道が重なったのだった。陽介は本当に楽天的、かつ懐が広い。普通ならカチンときてしまうことも、なんかそういわれてみると、と納得させられてしまう雰囲気を作ってしまう、トクな性格の持ち主でもある。それで、うまくやって行けそうな予感がした。

とりあえず腹を満たそう、と、僕らは近くの店に向かった。陽介は、バンズ(ハンバーガー用のパン。)を1袋買い込み、ホステルに戻って食べはじめた。数分後、陽介の動きがフッと止まっ

た。「このパン、白くねー?」 よく見ると、パンの底に、白いカビらしきものが...。次の日、さすがの無神経も下痢に悩まされたらしい。

オーシャンサイド裏話あれこれ

大会会場を偵察に行ってみると、ストリートコースもバーティカルも組み立て中。ビーチ沿いの駐車場にテントがぽつん、と置いてあるだけ、誰もいないフラットランド会場で、陽介が乗るのを、駐車場の片隅で僕はずーっと眺めていた。僕は、日本を発つ数週間前、練習中に、メガスピンをしていて突然腰に鋭い痛みが走り、うずくまってしまった。病院で、腰の捻挫といわれ、起き上がるだけでも激痛が走る日々。まだ、痛みを引きずっていたのだ。会場から帰って、モーテルで休んでいると、突然誰かがドアを

ノックした。いぶかしがりながらドアを少し開けると、見知らぬ黒人がいきなりズカズカ部屋に入ってきて、なんかまくし立てる。陽介は硬直。僕は武器になるものを目で探しつつ、ソイツの言っていることを聞き取ると、「この部屋のカギを拾ったから、返す代わりに$10よこせ」といっている。後で何かされるのも嫌だったので、大人しく$10を渡すと、カギを返して、プイッと出て行った。時間にして5分ほどの出来事だったが、1時間くらいに感じた。この旅で一番凍りついた瞬間だった。

7月29日、レジストレーション。高志と原君、野田君の姿と、サンディエゴに語学留学している、ヒカルっち(稲生 光)の姿もあった。陽介と僕を合わせて、総勢6名の日本人ライダーがオーシャンサイドに集結した。レジストレーションが終わって、フラットランド会場でみんなでたむろってると、有名所のプロも続々姿を見せ、ポツポツ乗り始めた。 その中でも、みんなの目はアンドリューに釘付け。Cab540。180°して後ろ向きに走ってきて、180°しつつテイルウイップという、聞いただけではストリートの技としか思えないこのトリックは、今年のフラットランドシーンで、最もエキサイティングなトリックと言える。全員の視線が集まる中、何回かのトライの後、ついに炸裂!「Yeah!!!」と思わずみんな大喚声!夕方行なわれた、アマチュアのフラットランドでは、陽介がアマ、プロ通じて日

本人初のBSコンテストでの優勝!夕暮れのビーチをバックに、陽介はトロフィーを高々と挙げた。しかし陽介にとっては、プロ出場権を手に入れるための、1つの通過点でしかなかった。

7月31日プロ フラットランド予選ゲイブ ウイードと、プロデビューとなった陽介がタイブレーク、アマ優勝に引き続き、プロにおける日本人初予選突破か、と期待が高まったが、0.2ポイント差(5人のジャッジのうち、誰か一人、1点だけ、2人に差をつけた)という僅差で敗れた。

8月1日プロフラットランド決勝プロライダーが、善戦した陽介に話しかけてくる。

カナダのジェイソン ブラウンがすごく僕らに興味を持ってくれて、ポートランドの前に遊びに来いよ、といってくれた。 去年彼と大会では会っていたけど、そのときは全然喋れなくて、それを覚えていたジェイソンは、「随分喋れるようになったじゃん」と言ってくれた。小さくガッツポーズ。イギリス人ライダー、イファレム キャトロウは、典型的なイングランド気質、というか、話し方が頑固おやじっぽくて、最初、「なんだこいつ、全然愛想がねー。」と思っていたけど、話してみると、過激発言する、なんか怒らせたら怖いタイプ。自分でKingofConcreteっていうスケートパークを経営していて、そこでの大会(Kingofconcrete)にチェイスが来るから、楽しみだ、とか、KHEは、パーツやフレームをよこせ、っていっているのに全然送って来なかっただの、ハローに乗ってるけどイギリスのディストリビューターからフレームやパーツをもらってるだけで、サラリーは貰ってない等、いいたい放題。 オイラのお気に入りライダー、ショーン ピータースは、プロライダー、というより出世で取り残された会社員の印象を受けた。昔はワールドにも行ったりしたけど、今はアンドリューが勝てるライダーだから、自分はワールドに送ってくれない、みたいな話しから、厳しいプロの現実を見てしまった。決勝前の練習中にアンドリューが、ネイサンに向かって、「オメーのライディングなんてクソだ。」の様な事を言った。で、殴り合い寸前になったけど、ネイサンも口で返して事無きを得た。アンドリューは、大会に勝つのが全て、と強迫観念に囚われているようで、少し哀れだった。 でも、蛇の道は蛇。ケンカを売った相手を見極める目はさすが、ということか、決勝はブッチギリ、スーパーネイサンが優勝をかっさらって行った。暗くなってモーテルに帰ると、偶然チャドに会った。僕らはハローチームと同じモーテルに泊まっていたのだ。 チャドは陽介に気づくと、「次もプロで出るんだよな?」とたずね、それを聞いた陽介はおおはしゃぎしてた。車のトランク半開きでチャリンコ突っ込んで、タイヤから煙り吹かせながら走り去るのがチャドらしかった。 僕らは、次にニューヨークで行なわれる、2HIPコンテストまでは少し時間があるので、しばらくサンディエゴのダウンタウンにある、ユースホステルに泊まることにした。 そこはベッドが120もある大きなホステルで、夏真っ盛りということもあり、たくさんのバックパッカーたちと親交を深めることができた。

2度あることは何度でも? 初めての挫折。やってきましたニューヨーク。やっちまった大誤算。1人あたま$90近く、ということを運ちゃんにダメおしされると、車のシートにヘタりこんだ。 捨てる神あれば拾う神あり。シャトルの運ちゃん、ジョーは、自分でもレコードを回す大のヒップホップ好き。車でガンガンにヒップホップをかけていて、これまたヒップホップ好きの陽介が日本のヒップホップを聞かせると、多いに意気投合。ヒップホップ談議に夢中になっているうち、あたりは街灯もない一本道。あるのはヒップホップが刻むビート、車のライトだけ。 しばらくし

T r i pPhotos and Text by Yasuyuki Takeo

☆ August, 1999 -So.Cal - New York - No.Cal. - Vancouber - So.Cal. ☆

11 dig-it'zine January 2000

Andrew Faris

Takashi Ito

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て、インターネットで調べておいたモーテルに着いた。建物に向かって歩きだす僕らを見るなり、フロントのオヤジは首を振った。満室?!まだ木曜日なのに?理由を聞くと、このグリーンポー

トというとこは、観光地、それもとびっきり金持ちが、夏休みをのんびり2,3週間過ごすような土地だった。その日は8月6日。いうまでもなくバケーションの真っ只中。手当たり次第、辺りのモーテルを回ってたずねてみるが、空きはない。時計はすでに10時を回っている。 休憩に止まったセブンイレブンで、陽介と野宿しちゃいますか、と話していると、ジョーが、「そりゃいけねぇ。」と町外れまで車を走らせてくれた。間もなく、ダウンタウンから車で15分くらい離れたところに、ポツン、とあるモーテルを見つけた。 「今日だけなら泊まれる」という。値段を聞いてビックリ。朝飯もつかず、一番安い部屋で、1泊$90!僕らは4日グリーンポートに滞在する予定だったから、4日で最低$360。ホステルなら3週間は泊まれる値段だ。 1泊することに決め、慌ただしく荷物を部屋に突っ込んだ。 明かりが1つしかない薄暗い部屋で、セブンイレブンで買った冷えたハンバーガーにかぶりつきつつ、「いったいどーなっちゃうんだろう。のっけからこんなんで。」とうそぶいた。2人ですする粉末みそ汁の音が、寂しく部屋に響いた。

8月7日大会の申し込みよりも、泊まるところの確保が最優先。朝、フロントにたずねてみると、その日は空きがないが、次の日からは最終日までは空きがあるという。 ちょっと心配してくれたのか、フロントのおばちゃん、オーナーのコスタスさんが、「今日はどこに泊まるの?」と僕らに聞いた。「はぁ、野宿ですね。たぶん。」と答えると、「それはだめよ、私がどこか当たってあげるから。」と僕らの荷物を車に積み込んで、他のモーテルに当たってくれた。 ところがそこは$150もする!「あ、もういいです。やっぱり野宿します。」と僕らが断ると、「いいから、だまってついてきて。」というので、渋りながらもついて行った。 10分後、僕らはベッドに寝転んでいた。 コスタスさんは、日本からきた学生で、お金があまりないのだけど...とウソをついてくれて、1泊$150のところを$80にまで引き下げてくれた。まだ高いけど、そこまでしてくれたコスタスさんに感謝して、そこに宿を取った。「いい女優になれんじゃない?」と僕がおどけて聞くと、コスタスさんは苦笑いとも、まんざらでもないとも取れる笑みを浮かべていた。 やっと足場を固めて、大会会場のチェックへ向かった。森が開けた広場に、こぢんまりとしたスケートパークが見える。今度の舞台、グリーンポートスケートパークだ。できて半年も経たない、新しいスケートパークで、バートランプ、ミニランプ、ストリートコースと全部鉄板で覆われた、公営のスケートパークにしては作りのしっかりしたものだった。 フラットは、バートとジャンプランプで挟まれた、

バブルで売れ残った虫食いの土地みたいなところでやるらしい。 アスファルトがうねるほどの暑さの中、陽介はライディングをはじめた。このところのバタバタで、練習時間が取れなかった彼は、カンを取り戻すのに苦しんでいたが、ともかく量は練習出来、満足そうで、その日は久々にトラブルにも悩まされることなく床に就けた。

8月8日レジストレーション。10時くらいに訪れてみると、もうストリートライダーたちが練習をしていた。フラットの会場がジャンプランプの着地点にあたり、何度もジャンプランプを飛んでくるライダーとぶつかりそうになる。 有名所のプロは、マイク(マイケル スタイングラバー)とブライアン(ブライアン ターニー)がきていたが、中でもマイクは、相当カリカリ来ていた。 そんなライダーたちを尻目に、僕は、バーモントからきたという、まだ14歳のネクストジェネレーション、フラットライダーのゲイブと仲よくなったりして、結構楽しめた。こんなド田舎にもかかわらず、デイブ ミラや、ケビン ロビンソンなどの大物もきていて、ローカルの大会とはいえ、緊張感とリラックスが同居していて雰囲気はいい。でも大会設営はギモンだが。その日のうちにアマチュア フラット、ストリート

の予選が行なわれて、プロの競技はすべて次の日、ということでその日は夕方に解散した。

8月9日雨が激しく地面を叩く音で目が覚めた。どしゃぶり。大会中止。陽介は放心状態。昼間大会に出て、夜のうちに空港に行って野宿しようという計画も練り直しをしなきゃ、と妙にピンチに慣れた僕はフロントへと急いだ。 前日にその予定をコスタスさんに話してあったので、顔を見合わせるなりコスタスさんと僕は深いため息をついた。コスタスさんは、「今日の宿はなんとかしてあげるから、気分転換にダウンタウンに連れてってあげる。」と申し出てくれて、その言葉に甘えて、僕らはダウンタウンに繰り出した。 ダウンタウンは昔懐かしい、というか、小さな港町というのはかくある、といった風情で、僕らはウインドウショッピングをしたり、写真を撮って歩いた。 モーテルに戻って開口一番、「今夜は泊まれますか」とコスタスさんに切り出してみた。「ないけど、1つなんとか部屋を作ってあげるから、そこに泊まりなさい、代金はいいから。」、冷たいイメージがあるニューヨークで、こんなに人の暖かみに触れられるとは思ってもいなかった。このときほど「英語で喜びを表現できないのが、なんてまどろっこしいんだ」と思ったことはなかった。僕らは無意識にそれを体で表わそうとしていたのか、コスタスさんに何度もお礼をいって、幾度となく振り返りながら部屋に戻った。 ニューヨークを、朝6時に発つ飛行機に乗らなければならなかった僕らは、夜9時、コスタ

スさんの見送りに、顔一杯の笑顔で答えてシャトルで一路、JFK国際空港へ。デルタ航空の受付カウンター前の、待ち合い所へ行くと、眠りに着いた。

出会い硬い床と寒さで、十分な睡眠が取れないまま、飛行機に乗り込んだ僕ら。おかげで機内では泥のように眠れて、気がついたらポートランド。 大会まで3週間もあり、陽介も金が無くなってきて、ジェイソンの家で金を浮かそうと電話すると、ポートランドに迎えに行くのは遠すぎる、というので、もうちょい手前の、陽介の知り合いで、シアトルに本拠を構える、Dia-Techの小杉さんのところにお世話になることにした。小杉さんの家に着くと、僕と陽介は、地階の1部屋全部を使わせてもらい、ビュッフェで何日ぶりかにマトモな食事にありついた。 そこでは、昼はDia-Techで手伝いをさせてもらって、夜は小杉さんと、奥さんのジョニーさんと4人で近くをドライブしたり、僕はインターネットで日本の友達や、この旅で知り合ったやつらとメール交換をして過ごした。 今回、一番お世話になったと言える小杉さんは、根っからの大阪人。どこまで冗談で、どこまでマジなのか、分からないのが怖い。ジョニーさんは包容力のある人で、僕らを家族の一員のように扱ってくれた。

8月13日ジェイソンに連絡を取って、シアトルまで車で迎えにきてもらった。 深夜、小雨が降りしきる中、ジェイソンはサーキットを走るように車を飛ばす。国境もスムースに通過し、車は、小高い丘のてっぺんにある家の前に止まった。荷物をガレージに突っ込んで、部屋に案内されるや否や、それまでの疲れがドッと出て、僕らはベットに倒れ込んだ。 バンクーバの東、ダウンタウンから車で20分くらいの小都市、ポートコクィットラム。「トムソーヤの冒険」を読んで、想像していたような風景が見渡せる、そんな素晴らしい場所にジェイソンは、彼女と両親の4人、3匹の犬と住んでいる。知性を漂わせるコケテ

ィシュな美人。ソフィーは、社会保険局に務めている、お役所関係というだけあって、見た目、すごく堅そう。実際はユーモアのセンスあふれる、ぶっちゃけた人で、見た目と全然違うのだが、最初はちょっと近寄り難かった。 お父さん(確かジョン。)は会社を経営していたけど、50代で引退して、悠々自適の生活をしている。若いころはドラッグレーサーだったらしい。その血がジェイソンにもタップリ流れていて、自転車を引退したら、次は車のレースだ!といっていた。

8月14日遅い朝食を取った僕らは、昼、ジェイソンの普段練習している、” Canadian” ビデオで有名なショッピングモールの駐車場に行った。そこでコーリー(ストラティチャック)に会った。陽介が一番のお気に入りという、スタイルのある、スローで、コンスタントなトリックの持ち主だ。

Akira, Hara, Takashi

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練習が始まると、3人とも、100メーター四方くらいある駐車場を目一杯使い、そして1つ1つのコンボが長い。ジェイソン、コーリーは平気で2分くらいのコンボをバシバシやっていて、陽介も負けじとキメまくる。 彼らのライディングに見とれているうちにすっかり日も暮れて、さあ帰るか、というときになって、ジェイソンが「コンテストをやろう」といいはじめた。それは陽介の十八番、ヒッチハイカーウイップを何回できるか、というもので、ジェイソンも、コーリーもこのコンボができるのだが、よく考えるとそんな遊びができてしまう程、ハイレベルな練習が目の前で繰り広げられていたのだ。ジェイソンは、バックワーズならいくらでもできるといっていたが、フォワードは結構苦しんでいた。コーリーと陽介は熾烈な争いを繰り広げ、陽介とコーリーが10回をメイクしたところでコンテストは終了。僕らがいる間、帰る前にちょっとしたコンテストをやるのが恒例になって、僕はジャッジとして、観客として、この小さな、でも贅沢なコンテストを楽しんだ。 練習から帰ると、ジェイソンの家でフラットランドの歴史勉強会を兼ねてビデオ鑑賞会。10年以上昔に、伝説上のライダーたちがヒッチハイカーウイップを初めとする数々の、新しいと思っていたトリックを次々に決めていくのを目の当たりにして、ジェイソンがいっていた、「今ではオリジナルという言葉はあまり意味を持たない。高い技術がいいライダーの必要条件だ。」ということが実感できた。夜はストリップクラブ(!)にステフォン(ロイヤー)と4人で行ったりした。日本では触れるところもあるよ、と陽介がいうと、最初、ジェイソンは「むゎじでーえぇ!?!?ぜってー日本に行ったときにイクゼ!」と、やっけに意気込んでいたが、フッ、とマジになって、「タラに知られたら、IwouldgetSnipDick(ちんちん切られちゃう)からだまってて。」と、情けなくウチらに口止めするのだった。カナダの生活にも慣れてきたころ、ジェイソンが陽介にビデオを撮りたい、と申し出た。色んな所をまわって撮影したのだが、陽介は笑っちゃう位堅くなっていて、「大会なんかより、全然緊張する。」と、普段なら寝ててもキメるコンボを、20回位トライしていた。 途中、撮影のために立ち寄ったテニスコートで、コートの周りをグルグル走っていたオヤジが、「俺が走ってるところをビデオにとってくれ。」と訳の分からないことをジェイソンに向かって言いだした。ジェイソンは「アホかお前。」とあしらったが、撮影している間中ずーっと、ブツブツいいながらグルグル回ってた。今度のジェイソンのビデオに映っているかも。

滞在5日あたりを過ぎると、さすがに見ているだけでは飽きてくる。ジェイソンたちは普段、ショッピングモールの西側で乗っているのだが、ステフォンとか、アンドリュー(フェアリス)とかは東側で乗っているらしいので、散歩がてら東側に歩いて行くと、ステフォン(ロイヤー)が1人で練習しているを見つけた。 彼は、1年かけて1つのコンボを完成させる、という修行みたいな練習をする。いつも1人で練習していて、ひたすら同じコンボを繰り返し、決まるとスゴイのだが、ほとんど決まらない。大会には向かないライディングスタイルだが、それはそれで1つのスタイルなのかもしれない。ハードな練習のせいで、手首はボロボロ。怪我除けのために、練習中は必ず小さな仏像を3つ、置いていた。 家は、スティーブ フォングともう1人の3人でシェアしているらしい。彼の部屋に入ると、赤の裸電球が1つで、スパイダーマンのポスターが壁に怪しく浮かび上がり、所狭しとスパイダーマングッズ。はっきりいってアヤシイ。人はいいんだけどね。ジェイソンも少し分からないトコがある、といっていた。Canadianビデオにはよく登場するが、大会ではお目にかからないPussyWhipped(女のケツを追いかけてばかりのヤツをこう呼ぶ。)のスティーブ フォングは、BMX歴6年、21歳の彼は少しチャラチャラしてて、気分屋。ガキっぽかった。 あまり練習に来なかったけど、夜は雑貨屋で働き、昼はジェイ ミロンのチャリンコ屋(upandnorth)を手伝っている、インテリ(大学の経営学部を出てる。)のジェイミー マッキントッシュもポートコックィットラムローカルの1人。10年以上もジェイソンと共に、カナダのフラットランドシーンを引っ張ってきた大御所だ。ネイサンも、ジェイソンも、彼が1番すごいといっていた。ライディングは速い、の一言。原君の速さは、キビキビ、と表現できるのに対して、ジェイミーの速さはスパスパ、パキパキ。動きが軽い。彼もありとあらゆることができ、ジェイソン同様、陽介の言葉を借りれば「NEXTレベル」のすごさだった。最後に次世代のライダー、トラビス コーリア。乗りはじめて1年も経たないというのに、バックワーズヒッチハイカーウイップを軽々キメる、恐るべき15歳のライダーだ。ジェイソンいわく、「2年もすればプロだ。」と太鼓判を押していた。毎日、乗れなくてクサっていた僕だけど、真剣に取り組むライダーたちとこうして毎日話せるだけで刺激になった。ジェイソンに、「なんでカナダはこんなにレベルが高いの?」と聞くと、「最初、俺とジェイミーしかいなかったけど、うまくなりたい奴が皆ここに集まってくるようになって、今のシーンが出来上がった。お互い刺激し合えるのが大きいかな。」といっていた。うまいライダーが集まって、常に一緒に練習できる環境ができると、刺激し合ってレベルが上がり、全体の求心力となって行く。ライダーの絶対数的は、日本のほうが数百倍恵まれているのだから、ちょっと火がつけばすごいことになるだろう。カナダ滞在の最後の2日間は、コーリーの家に泊まった。結構ヤバメの地域にあるアパートにコーリーは住んでいた。駅が近くにあるのだが、その周りには、マリファナの売人とかが昼間からウロウロしているSketchy(怪しげな )なところだ。とにかく環境は良くない。 昼に、コーリーと陽介の練習について行ったのだが、僕と陽介は言葉を失った。彼がいつも1人で練習しているというその場所は、小さなスケートパークの中の、地面はコンクリートで舗装されているものの、相撲の土俵と同じ形、同じ大きさなのだ。 僕のようなスピンで、場所を取らないスタイルならまだしも、いつものコーリーの思い切り広くスペースをとるライディングからは、全く想像の出来ない場所だった。 陽介も最初は戸惑ったが、円形をうまく生かせるようになって

くると、普段と変わらないライディングを見せてくれた。コーリーは慣れているだけあって、なんら普段と変わらないライディングで、スイッチだけでなく、グライド系のトリックもバシバシ決めていた。よく乗る環境について文句をいっていた僕だが、これを見て恥ずかしくなった。ジェイソンのいうとおり、確かにコーリーは、真剣にフラットのことを考えているライダーだった。少し排他的な意見が気になったのと、将来のビジョンという面ではジェイソンほどしっかりしていなかったけど、なにより思いやりのあるいいやつだ。コーリーも僕らに興味を持ってくれたみたいで、「俺はまだカナダから出たことがないけれど、日本は機会があったら行ってみたいな。」といっていた。

そしてカナダを発つ日がきた。カナダでの生活は、僕の人生のある意味、ターニングポイントになった。 自転車に乗れなかった僕を、ジェイソンは、あまり「ライダー」としては見ていなかっただろうし、僕自身も、「ライダー」、というより「普通の人」の目でジェイソンを見れた気がする。四六時中、ジェイソンといることで、その感覚が僕の中に染み込んで、同じような感覚で、他のみんなとも付き合えたことが最大の収穫だった。結局、「ライダー」としてより、「人間」としてどうかが大切だ、ということを今更ながら感じた。

シアトル駅でアキラと小杉さんに再会した。週末に、小杉さんの家でパーティがあった。そこで、キーコさんが生でライディングを見たいというので、アメ車2台が軽く入るくらいの大きさの、小杉さん家のガレージで、陽介とアキラがライディングを見せることになった。狭いスペースをものともせず、計算し尽くした動きで普段と変わらない技を決めつづける2人。そんな熱いセッションに、パーティにきていた人は、最初は大喚声をあげていたが、そのうち口をあんぐり。見慣れている僕ですら、ただただ魅せられてしまった。アキラと陽介のすごさを改めて見せつけられた。

ジャッジという名の壁8月28日B3ポートランド大会

大会会場に入るのにリストバンドが必要なので、アキラについてきてもらって、アスリートの友達、というのでリストバンドを取りに行った。すると僕に向かって、ホフマンの役員の人いわく、「ドラゴンフライのマネージャー?」。オイラってそんなに老けてんのかな... 大会初日に行なわれたアマチュア フラットランドでは、原君は3位をゲット。高志の話では、「何でプロに上がらないのか?」と、しきりにみんなに聞かれていたらしい。 しかし、みんなが雪辱を期して臨んだプロ予選は、ジャッジの” えこひいき” か、としか思えないメチャクチャな結果に終わった。日本人ライダーに限らず、誰もが首をかしげる結果に、憤りを通り越してあきれかえった。 どうヒイキしても高志は、決勝進出を確信させる、鋭く、かつ安定

13 dig-it'zine January 2000

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したライディングを見せたが、惜しかった、とすらいえない順位がついていた。でもオーシャンサイドのときとは違って、だし切ったという顔をしていたので、結構サバサバしていたのが救いだった。 攻めあぐねた陽介は、その鬱憤がオリのように心に溜まっているようだった。 アキラは、少しまとまりを欠き、予選落ち。世界のトップライダーの注目を集め、感嘆させるだけの実力を持つアキラの結果は、立ちはだかる壁の大きさを、改めて思い知らされた気がした。

大会後、フラットランドのプロライダーで、再びミーティングが持たれた。だが、根本的な問題であるはずの、ジャッジについては何も話し合われず、どうテレビの枠を多く獲得するかという論議のみに時間が割かれていた。金に媚びている、といえばそれまでだが、近年、BMXが盛り上がる中、フラットランドだけは賞金額も少なく、TVも、バート、ストリートが1時間、たっぷり放映されるのに対し、フラットはいいとこ10分。 去年まで、ただ文句をいうだけだったライダーたちも、このような話し合いを持つまでに結束するようになったが、賞金がバートとかと等しくなった以外、反映されていない。そんなライダーたちの苦悩を代弁するように、スティーブ スウォープが口を開いた。「文句は俺が引き受ける。とにかく腹を割って話し合おう。」最初にスコット パウエルが口火を切り、エキサイティングに映像を作りたいなら、最初からハイライトフィルムを想定して撮影すればいい、という意見からミーティングは始まった。終始、その流れで話は進み、最後にジェイ ミロンが、「1人が長く乗ってしまうと、テレビ側の編集も難しく、アンドリューの持つようなエキサイティングなトリックを短く、ハイライトフィルムのようにして見せるほうが魅力的だ」という意見を述べて、フォーマットのアドバイザーとして、シカゴからきていたポール オシッカがそれを押す格好になって決まった。 結果は、20秒、1コンボのみのライディングを5回3セットに分けてやるという、前代未聞のフォーマット。 場は騒然。しかしスコット パウエル、ブライアン ターニー、スティーブ スウォープの3人が、このシーズンオフの間、意見を受け付けることで、泥沼化しそうな話し合いを、その場は強引にまとめた。 こうした試みのため、フォーマットが、たとえ大会中であっても頻繁に変更され、今年は、多くのライダーが、浮き沈みの激しいリザルトを残している。 その上、ESPNが、視聴率を取れないなら、フラットランドの放映を打ち切る、くらいの圧力をかけてきているらしく、それがさらに混迷を深くした。それを破るには、まず、オーガナイザーは世界中からジャッジを募るべきだ。それに加えて、僕は逆に、年間4戦、全部違うフォーマットでやるのも面白いと思う。新しいライダーが、決勝に食い込み易くなるだろうし、視聴者も色んなライダーを見れる。それによって、視聴者の目も肥えて来る。アメリカは、流行に左右され難く、好きなやつはとことん好きになるみたいだし、フラットランド人気の拡大に繋がるのではないだろうか。

Who’ s back in town?ポートランドから2時間のフライトでLAXに到着。

シャトルバスでハンチントンビーチのユースへ。入口を入ると、見覚えがある背中に「Who'sBackinTown?(誰が町に戻ってきた?)」の文字が入ったTシャツ。去年、オーストラリア訛りが強くて、全然英語が分からなくて苦労させられたニールさんが、まだホステルにいる!「Gooddaymate!」 懐かしいオージー(オーストラリア人)のあいさつに迎えられ、僕はホステルに帰ってきた。僕の英語も少し上達したのか、1年前より言っていることが聞き取れるようになった自分に驚いた。もう一人、去年いた根岸さんが、今もまだ、ホステルのスタッフとして働いていた。今はサーフィンにはまっているらしい。早速チェックインすると新しいルームメイトはマークとメルというオージーのカップル。人のいい2人で、2カ月の滞在中、僕の英語の師匠になっただけでなく、ホステルで1番仲のいい友達になった。最初の2週間は、” ストーム” の原稿書きで忙殺されて、他のホステルのやつらと友達となる機会がつかめなかった。学校に行ってみたりしたけれど、面白くない。予定していた、学校に通う計画はすぐにつまずいて、日がな一日ホステルでプラプラする、のっけから怠惰な生活をおくることになった。今年のホステルは、日本人の長期滞在者が多かった。みんな、それぞれの道を持っているやつらばかりだったので、すごく刺激になった。みんなガケっぷちで戦っているから、腰が痛てーなんていってるだけじゃだめだ、と僕もホステルで、英語を頑張った。 英語がうまくなるにつれ、みんなも手加減をしなくなってくる。それで、言葉の大失敗を2つした。 1つは、男の友達に、ふざけて「Fagot(オカマ野郎)」といってしまったこと。すぐ他の友達が、「それはヤバい。」と教えてくれて、謝ったから事なきを得たけど、Fagotはシリアスな言葉で、ふざけていうなら、Queenというのだそうだ。 もう一つは、日本語を教えていた女の子にChoby(チョビィ、スペルは正確には知らない。)と言ってしまったこと。これは贅肉、という意味なのだが、よくよく日本語で考えても、女の子に使うのはヤバイでしょう、と後になって後悔した。その子にもすぐ謝って、許してくれたからよかったようなものの。1カ月くらいそういった生活をしているうちに、足に痺れを感じるようになってきた。カイロプラクティクに行ってみると、椎間板ヘルニアであることが発覚。これで普通に自転車に乗ることも出来なくなってしまった。それでもチャリンコに乗れない分のエネルギーを、別に生かした。日本人の友達と、アメリカ人相手に英語で車を買う交渉をしたり、アメリカ人の女の子(!)に日本語を教えたり。 夜は、ルームメイトで、ギターをやるためにきていたタカさんが、ホステルで楽器ができる奴とセッションしていたのだが、狭い部屋にみんな押すな押すなで入ってきて、タカさんと、ブルースハープや、他のギターとの即興演奏に、みんな大興奮。音楽は偉大だ。 そんなある日、英語の師匠のマークとメルが、彼らの乗っているフォードのでかいバンの買い手を探していて、日本人の弁護士が名乗りを上げたらしいのだけれど、コミュニケーションがうまく取れないというので、僕が通訳することになった。 普通、アメリカでは、車を個人売買するときは、表示価格はあくまでも表示価格、値段はO.B.O(orbestoffer、交渉次第)というのが常識なのだが、その弁護士は、マークの言い値で車を買った。マークは「半年前に$4000で買ったから$4000っていったけど、まさかそのまま売れるとは思わなかった」とホクホクで、手伝ってくれたからと、スシバーで御馳走してくれた。 そこでアメリカンスタイルの鮨を食べたのだが、旨かったのがクラン

チロール。(カニとアボガドが入った巻き鮨をテンプラっぽく揚げてある。)他にハマッた料理は、メキシカンのナチョス。1週間に1回は自分で作って食べていた。自分で作れるようになると、タコベルとかのナチョスなんて目じゃない!2カ月のカリフォルニア生活で、すっかりナチョス評論家と化してしまった。プールバーにも最後の1週間はハマッて、ビリヤードも経験できた。けがの功名で、今年は、去年は味わえなかった、本当のアメリカンライフを、ここカリフォルニアで満喫できた。そうこうしているうちに、帰る日がきてしまった。みんな仕事を持っているにもかかわらず、朝早く、12,3人くらいの友達が起きてきて、見送ってくれた。シャトルバスから遠ざかるホステルとみんなを振り返りつつ、また、ここに帰ってくるぞ、と誓った。

さらなる飛躍をめざして 去年の1人旅で、独りで異国に生きる自信を身につけた僕は、今回の旅では宇野陽介というパートナーを選び、幸運にも陽介の能力と僕の能力が共鳴して、2倍にも3倍にも増幅された。ジェイソンと仲良くなれたのも、小杉さんと知り会えて、アメリカの家庭での生活を経験できたのも、絶対1人で旅していたら経験できなかったハズだ。 大会が終わった後のカリフォルニアの生活も、皮肉にも僕が自転車を乗れなくなってしまったことで、そのエネルギーというか、ストレスがすべて英語にぶつけられて、120%の効果を得られたのに違いない。今まで本当の意味で挫折を味わったことがなくて、今回はツケが一気に出た感じだった。それでも反動が良いほうに出たことで、燃え尽きれた3カ月間だった。 頑張れた分、来年に向けての課題も山ほど見つかった。自転車も、陽介や高志、アキラと親交を深められたことで、乗るだけでなく、もっと広い意味で自分をプッシュすることもできるだろう。 最後に、またこの旅行記を載せてくれたスキップさん、Dia-Techの小杉さん、ジョニーさん、キーコさん、矢島さん(ウチの社長)、陽介、アキラ、高志、原君、ジェィソン、ここに書き切れない人達、本当にありがとう!来年も、もっとスゴイ経験ができることを夢見て。Thankyouguys! Sagaisstillgoingon!

竹生 泰之 23歳 BMX暦 6年半。センター南ローカル (横浜)。(遊びにきて!)。普段はプログラマーとして働いる。去年からBSコンテストを転戦しつつ、BMXに関する造詣、自転車を通してワールドワイドな視野を養おうと奮闘中だが、現在椎間板ヘルニアで乗れない分、執筆活動、英語に燃えている。来年は、日本の大会も、関東に限らず、回れるところはたくさん回って多くの日本のライダーと交流を深めたいと思っている。僕を見かけたら” Digit Zineみたよ!” とか声をかけてください。ちなみに今は" グリーンジャイアント "と呼ばれてます。オイラも早く復活したい!もし感想、ライディング等があれば遠慮なく僕のアドレス[email protected]にメールください。

Page 14: dig-it zine January 2000 issue

今年二千年という区切りの年を迎えるに当たり、僕はおセンチにこのディギットジンについて思い出してみた。創刊から現在まで必死でやってきたので、いつ創刊したのか、全く思い出せない。確認してみたところ、1994年の 2月に創刊していた。最初は、ディギットジンという名前でなく、ディギットニュースと言っていた。表紙は当時十四才で中学生だった、Teamdig-it の Kow-C のハイエアーだった。内容は、80%がディギットの商品の紹介で残りが、当時僕の弟MagooがHoffmanBikeに行った時のJayMironの写真や、ちょっとした記事で構成されていた。文字だけは、Windows3.1 でタイプして、写真は実物を切ったりハッタリして貼り付け図画工作の時間のようにしてつくった。印刷は当然、コピーだ。このコピー機も性能が悪くて、両面にコピーするとすぐに紙詰まりして死ぬ思いだったことが懐かしい。いったい何人の人に送っていたのかは今はもう覚えていないが、恐らく今の百分の一くらいだったかなと思う。そんな訳で、創刊号を持っている人は、いったいどの位いるのか分からないけど、今とは違ってディギットの通販のお知らせの片隅に、身近な内輪ネタをほんの少し書いているだけだった。そして性懲りもなく作った第 2号は、先日バイシクルクラブの”BMXFreestyle完全マニュアル” でストリートの指南役をやっていた、当時まだ高校生だった桂君が表紙でフラットをやっていた。

今になると、各地で、お世辞もあるだろうが、面白いですよとか、よくやってますね、なんて、たいそうなことをよく言われたりもするけど、本当のことを言えば、とっても軽い気持ちで始めたのだ。こんなに続くなんて思ってもいなかったし、ディギットに来るBMX乗りの連中や、電話で聞く各地の話題がとっても面白くて、それを何とかみんなに伝えたかっただけのこと。

このディギットジンという名前にしたのは、rideBMX( 当時はライドも新聞みたいだった!)を見ていて、広いアメリカには、各地区にローカルな話題などをあつめた、マガジンになりきれない、ジンというものが沢山あると知ったときだ。それを作っている連中は、ジンメーカーといって、みんな金はないけど、熱い奴ばっかりだって。そこで、その中の一つにお金を送って、ジンを送ってもらうことが出来た。ディギットもお金はないけどローカルな話題だけなので、ジンにしようと決めた。ちょうどそのころ、ディギコン(ディギットが独自手やっている、内輪のコンテストのこと、現在は一時休止中)も始まって、これを記事にしたりして、住所を知っていたライダーに勝手に送っていたわけだ。本当にディギコンをやっていたことによって、コンテストのおもしろさ、ライダーの個性のぶつかり合いに興味を持つようになった。BMXはライフスタイルだと。そのことが今の取材の仕方の原点にある。さらに常連さんで面白い奴をピックアップしたりして、オガマサやカツオ、ダンナーなどの名キャラクターも誕生した。オがマサとダンナーは未だにライダーとしてがんばっている。一番活躍していた TeamDig-itのリーダーを自称していたカツオは残念な事に、今はゴルファーになってしまったようだ。そして、ライダーのみんなは色んな所に出かけてたくさんの面白い情報をくれるようになり、ライダーと近くなれたのがよかった。このディギットジンのお蔭で、本当に多くの出会いもあった。ディギットとしては、トシゴンとの出会いは本当に良かった。としごんは大学進学で沖縄からディギットのそばに引っ越してきた。最初の年の冬の寒さに耐えきれなくて、大学辞めて沖縄に帰ってしまったけど、トシゴンがいた約八ヶ月間はとにかくディギットは熱かった。トシゴンは僕が初めて見た身近な上手い、味のあるライダーだった。それにトシゴンには、人をその気にさせる、魅力を持っていて、リーダーカツオもダンナーもKow-C もオガマサも、トシゴンに関わった全てのライダーが彼を意識し、普段以上に乗りまくっている姿が、

目についた。今でもトシゴンは僕のお気に入りだ。ライディングもトシゴンの人間性もだ。今のディギットがあるのはトシゴンのお蔭だと今でも思っている。彼のお蔭でディギットジンのねたにも不自由しなかったしね。次は創刊四号目に、表紙を飾ったMongo 事、山さんとの出会いもディギジンを大きく変えた。山サンは九州で一番最初に僕に電話してくれたライダーだった。地元佐賀を離れて、現在関東に住んでいる僕は多少なりとも九州という土地に対して愛着を持っているので、もう最初の電話から、彼には何か特別な物を感じたのだ。そして帰省の度に僕は山サンと会ってくだらないことを話し合ったり、山サンもディギットに来て僕のアパートに泊まり、みんなにライディングを披露してくれたりと、今では年齢差は10歳以上有るのに敬語抜きで、いじめ会うあほな仲間になれた。ただし、僕は未だに彼の愛犬は苦手である。僕は山サンと知り合うまで、取材に行っても、ライダー達との年齢差を意識しすぎて、大人ぶっていたところがあって、堅苦しい人という印象を持つ人が多かったみたいだ。変な話だが、関東弁で、タメ口調の話し方が苦手なので、明らかに年下の人に対しても敬語になってしまう癖を持ってた。でも山サンと仲良くなってからは、自分を作のを止めることが出来る様になったのだ。だからみんに嫌がられようが、自分を隠さずさらけ出すようになった。話し方だって多少なまっても全く気にしないし、自分のやり方で取材も出来る様になったから、ほとんどのライダーがこんな年上のわけのわからん僕をどこに行っても温かく迎えてくれるのである。こんな世界、他にあるかと言ったら絶対にないと僕は思う。この世界だけだ。インタビューも楽しかった。僕の大好きなライダーを取材するというのは最高の気分だ。今度、dig-it を離れる伊東高志。彼と兄の416は最も身近なスーパーフラットライダー。二人とも僕が好きな乗り方をしていた。加太正英。個性の固まりの彼も僕がディギットジンをやってなかったら仲良くなれなかったライダーだ。

OPJ。ディスチャージで一番、お気楽っぽくて悪戯っぽいところが格好いい。加太君とのコンビは手が着けられなくていけている。細かい気配りもさりげない。オカズ。技も凄いけど、あの悪っぽいルックスで、いじわるなのに本当はいい人なところが、凄い。酒のむと悪戯はエスカレートしてもっと凄い。Shoe-G。最初はみんな取っつきにくいと言うけど、僕は最初からShoe-G と仲良くなりたかった。有言実行の彼は僕のあこがれでもある。英語講座は、読者がみる前に僕が原稿のぞき見して、一人で笑っている。Shoe-G にはこのまま、もっとスーパーになって自分の行く道を突き進んで欲しいな。それから、一人の女性の前でも裸になって欲しい物だ。藤原君を初めて見たとき、彼は名古屋の高架下のホームレスの人なんだと僕は信じていた。だから次の大会で彼をみたときは驚いた。で、彼に興味を引かれた。みんなが憧れる生き方を実践している藤原君だが、自然を愛し、人間を愛し、酒を愛している彼は、責任の上に立つ自

由を愛している。僕の中では一休さんだ。長生きして欲しい物だ。あれだけ一世を風靡してアットいう間に、去っていった西村ゲンジくん。初めてモト君のカメラをバイクではじき飛ばして破壊してくれて、僕をしびれさせてくれた。人間関係などに嫌気が差して止めたと聞いたけど、それが真実なら、そんなことで止めて欲しくはなかった。ライディングを止めさせる権利は誰にもない。最初の身近な大阪人が、岡村旭。彼のスピンは誰よりも速くて、カタチは世界一格好いい。表裏のないストレートな人間性も◎だ。

吉永大介。大ちゃんにはずーっとただの自転車乗りでいて欲しい。周りの環境に流されないで欲しい。彼とは何時もライディングの話がしたい。つるけん。まだ彼とは心を割って話していないと思うけど、近い内に酔わせて、本音を聞いてみたいものだ。最初の出会いから僕も本当に外人だと信じてしまった。D−ジンこと森本シュウちゃん。身近で一番インテリな彼だけど、どう考えてもライディングしているときはただの大バカ者にしか見えない。トシゴンによると昔は女の子に「ご趣味は何ですか?」と話しかけていたらしい。でも今は、可愛いいGF

の「ちーちゃん」とは最強タグ。誰もかなわない。シュウちゃんは日本一のリアルストリートライダーだと僕は思う。世界一を目指せ。親ばかライダーのロボ。僕はとってもロボとお近づきになりたかったのに、仲々機会に恵まれなかった。それもペニピーと太郎のお蔭で無理矢理彼の家に宿泊し、少しは彼を知ることが出来た。僕が思うには、ロボは誰よりも男ビームが格好いい優しいお父さんだ。是非今度は家族ぐるみでおつきあいがしたい。彼の中国首脳タイプの握手の感覚が僕を大分に向わせる。真面目な人かと思ったら、みんなのせいで化けの皮がはげれてきた、広島のごりさん。何を考えているのか未だに理解できない。ミクロマンと言われているが、僕の中でも宇宙人だ。彼のせいで、広島ではギャルライダーが育たないと言うのはホントだろうか?かっぱともペニピーと太郎のお蔭で、馴染むことが出来たが、未だに僕と彼の間には、人間と妖怪の壁かある。でも僕はカッパのライディングスタイルが大好きだ。お皿が乾かないように被っている昔の貧乏刑事みたいな、ハンチング帽は彼しか似合わない。それから何時も甲羅を忘れてくるのが彼の弱点だ。中村 ... いや、倉谷太郎。太郎はきっと最多インタビュー回数を数える、大スターだ。顔を合わせると、真面目なことは言えなくなるので、ここで少し言っておくけど、太郎がいなかったらこれだけ、ディギットジ

ン面白かったかわからない。ディギットライダーになってくれて感謝してるけど、顔合わせたら、また「二軍落ちだ!」とか、いってしまいそうだ。彼も早良区を捨てて、色々と大変だけど、このおやっさんに付いてきて欲しいぜ。2000年はアメリカで会おう。外国人では、特に Jesse,SeanMckinney,NathanPenonzek に感謝したい。みんな僕に色んなインスピレーションをさせてくれた。彼らのお蔭で海外でもディギットジンの取材を積極的にする事が出来た。日本にも来てくれて色んなネタを落としていってくれた。

15 dig-it'zine January 2000

Skipのディギジン回顧録。みんな有り難うねのコーナー。字は六ポイント。

これが創刊号

第 2号

もんごの表紙

Richard が亡くなったとき

Page 15: dig-it zine January 2000 issue

福岡 「DUB CUP」 レポート

 今回は大ちゃんとマタケさんが働いている Dub 博多店が 11 月 26 日に主催した福岡での大会をレポートします。 大ちゃんとの電話での話だと、「若い子や始めたばかりの子達を盛り上げたいから大会をする」ということで今回僕は興味津々だ。又福岡という土地柄きっと前夜祭が面白いに違いないと思いワクワクして、小雨が降る熊本から明日は晴れるだろうと期待して高速自動車道を福岡方面に向け快適に走らた。その後1時間ほど車を走らせ太宰府インターで降りようとしたときのことダッタ。なっ、なんと、最近買ったばかりのカーナビの画面から「CD-ROM 機能エラー」という文字が浮かび上がり、その後カーナビが動かなくなってしまったのだ。僕はあせって、料金所の手前で車を止めカーナビを点検をした。カーナビのおかげで、気が付いたら時計の針はもう深夜12時を過ぎようとしていた。途方に暮れて料金所を出ようとしたところ広島の広野君とカッパ君と偶然合流した。その後、先に行っている ROBO に電話して、みんなが親不孝通りに移動したとの情報を聞き、カッパくん達と親不孝通りに行くことにした。駐車場に車を止め、みんながいるクラブへ急いで行った。雨が降っている中、道が分からない僕らにガッタンとプップが道案内してくれた。 クラブに到着して太郎塾長達と最近の福岡の BMX 事情などを酒盛りをしながら熱く語った。その時部屋の片隅で一人荒れている人物を発見した。それはロカちゃんだった。新幹線で鬼塚君と一緒に来たらしいが、下半身の欲情には勝てなかった鬼塚君は福岡に着いてすぐ北九州に住んでいる彼女と一緒に消えらしく、ロカちゃんは置いてきぼりになり機嫌が悪そうだった。王様ゲームがパワー源のヒロは、福岡での連日連夜の王様ゲームで調子が最悪だったみたいでずっと寝ていた。その後、僕やカッパくん達は太郎塾長の部屋に泊めてもらった。明日は雨で中止だ!と、勝手に思いこんだ僕たちはビール片手に朝7時ぐらいまでビデオを見てしまった。太郎塾長がいい加減に寝ようということで、僕たちは床についたが、天候を心配するライダー達が 5 分から 10 分ぐらいの間隔で太郎塾長の PHS が鳴り響き寝れない状態だった。眠い目をこすりながら外を見ると、やっぱり天候はあまり良く、昨夜の雨で路面が乾いていなかった。ここで大ちゃんは微かな希望を賭け、大会会場を大濠公園から急遽中央公園に移動した。しかしこれ又雨に見舞われて残念ながら B-Class しか出来なかった。本当に残念だった。 今回は、経験豊富なライダー対象の A-Class、始めたばかり

のライダー対象の B-Class、女の子限定の G-Class といった具合に分けて大会が行われた。 B-Class の受付人数 20 名には驚きだ。寒さと、路面の状態が良くなかったので全体的にメイク率は悪かった。天候が良ければもっと凄いトリックが見ることが出来たのにと思った。今回兄弟で仲良く4位同着になった長尾兄弟。兄弟揃って今回が初の大会で、見てる側から分かるほど兄弟揃って緊張していた。特に長尾弟君の 10 回以上やってくれた、しつこい位の単発ブーメランは大変グットでした。僕が今回当然のごとく優勝争いに食込むと思ったファツクマンは、大分大会に続き今回もセックスネタで野次られて全くダメだった。3 位は、今回はかなり緊張しているみたいだったけど、安定したフロント系系の技が印象深ったダイ

サク君が見事獲得。今後がかなり期待できると僕は思う。2 位は、太郎塾の副塾長を務めるユウイチロウ。そしてこのクラスぶっちぎりの大差で 1 位を獲得したのは、沖縄出身のモンキーだった。オリジナルの新技のスーパーマンシートグラブラン?は本当に凄かった!この技を見た太郎塾長やカッパ君は大喜びで、観客の声援も人一倍大きかった。また今回は全く良いところがなかったかもしれないが、今後期待できそうなライダーをピックアップしてみると、大分の山脇君、2 回転半のヒョロッピー、僕が一押しで期待している堺裕次郎など沢山いる。次回にがんばれ。 丁度 B-Class クラスが終わった位に雨が本格的に降り出したので、本日の大会は中止となった。その後太郎塾長が JYUKU VISION 4 のビデオ試写会を Dub 博多店ですると言うことで、みんなで期待を膨らませ、Dub 博多店に移動した。店内に 60 人以上のライダーが満員電車のようにひしめき合っていた。そして待ちに待ったビデオ試写会が行われた。ここで1つ僕からお世辞抜きで言うと、このビデオはハッキリ言って凄いの一言です。映像の構成、技の内容、センスの良さは本当にグットで、今まであまり太郎塾長を尊敬したことがない僕とカッパくんは、今回は太郎塾長を尊敬して

しまった。涙ものです。このビデオを見れば見るほど、太郎塾長は映像関係の仕事の方がむいていると僕は思う。さすが太郎塾長。そんなこんなでビデオの試写会が大好評で幕を閉じた。 最後にチョコット書かせてもらいますが、大会を運営及び企画するには凄いパワーを使います。大会を開くのは簡単だけど、みんなが楽しめる大会を開くのは、本当に骨身を削る思いです。その点をみんなに踏まえてもらって、今回は雨が降って残念でしたけど、大ちゃんとマタケさんお疲れさまでした。それでは又楽しい次回の大会を期待して.........。またみなさんどこかで会いましょう。 @ ペニピー

C O M P E T I T I O N ☆ Dub Cup ☆ November 27nd, 1999 (Saturday) 福岡 大濠公園 Photos and Text by Peni-Pee

DUB CUP in Fukuoka

今までインタビューに出てもらったライダー以外にも感謝したい人が沢山いる。女性であるバイクラの新谷さんを男惚れさせてしまった恐るべき正太郎。自分のスタイルを強烈にアピールする彼に、僕は何時も感心させられる。今年は大怪我もしたけど、そのことで、彼はさらに大きく成長してしまった。これで家庭持ちなんだから恐れ入る。年下だけど、正太郎に教えられる事はおおいのだ。近日インタビューをさせてもらおうと思っている。田中光太郎。彼が大会で衝撃のデビューを飾った時、強烈に脳裏に焼き付いた。ディギットに来る途中に車で事故ったりと、ルックスの割に間抜けなところも気に入っている。エノヤンは誰よりもライダーの魂を感じさせてくれる、ソウルライダーだ。エノヤンが乗り始めたら他のライダーは道をあける!僕が思うにエノヤンは頭の回転が速い。話していても受け答えがスマートだし、BMX以外のことも色々知っていて、感心する。エロいところもいかしている。ビーバー。トシゴンがビーバーは悪い人でいじめられたと言っていたので極悪人をイメージしてたら、実はただのBMXバカだった。自転車好き度数は誰よりも高いかもしれない。そんなビーバーも僕のお気に入りだ。酒の飲み過ぎに注意してね。ロカちゃんは、ずーっとスタイルを変えないところが、素晴らしい。愛着のあるお気に入りのパーツをずーっと使い込んで、その良さを引き出す能力にたけている。乗れない日は暇で狂いそうなところが、可愛い。もっさんには仲々近づける機会が無くて、何時も狙っていたけど、やっと接近することに成功した。もっさんはBMXはライフスタイルだと言っていたけど、僕もその心をみんなが失わないで欲しいと願っている同志だ。もっさんがディギットジンを認めていてくれたことも嬉しかった。しかしもっさんの存在感は誰もまねできないと思う。オーラが有るね彼には。酒癖は良くないけどね。熊本のトレバーも、僕が地のままで馬鹿なことを話し合える、一人だ。おなじ種類の血が流れてると思う。「小便はちき」にはまいった。道産子絵里子の男らしさと濡れた唇に僕はノックアウト。す

ねが色っぽい。らしい .....。北九州の瓜生とも長い付き合いだ。大阪に行っていた苦悩の時代も、戻ってからの潔さも、奴はホントいいやつだ。大分で一緒に温泉に湯あたりしてふらふらして夜道を戻ったときは最高だった。温泉と言ったら、カキピーと温泉行ったとき、「ホモと温泉入ったの初めてですか?」と彼に言われた。カキピーは濃い髭と、きら星のような輝く目をしている。ぶーやんとは急速に仲良くなれた。彼と僕はきっと良いコンビになれると最初から分かった。つっこみのタイミングがピカイチだ。僕もロボとぶーやんの親ばか対決に加えて欲しい。ペニピーとは最初、歯車がかみ合わないと、思っていた。ところが、彼はそんな僕にお構いなしで、どんどんと近づいてきてくれた。どうやら僕よりも彼の方が一枚も二枚も上手だったようで、今ではすっかり僕は彼の虜だ。さすがに彼の薬の力にはかなわない。面倒見が良くて、本当に良い奴だ。お母さんは上品で、彼の家でみあげに出る椎茸は日本一うまい。ヒロ。今まで見たフラットライダーで、何者にも代え難い衝撃を受けたのは太郎とヒロだった。初めて見たときの太郎は当時駒沢でしか見たことがなかったフラットのライダーの誰よりも旨いと思った。僕が日本人で初めてデストラックを見たのは太郎だったのだ。それと同じ衝撃を感じたのがヒロだった。とにかくヒロはそれまで見たどのライダーとも違う危なげなトリックで僕をノックアウトしてくれた。だから、本気で心を込めてQuamenRider になってくれとラブコールを送り続けた。承諾の電話をもらったときは、嬉しくてノックアウトした。またヒロの、真面目な意気込みに責任も感じた。しかし今ではすっかり溶け込んで、エッチな活動も頑張っているみたいだし、徳島一、おしゃれなヒロと福岡一、ありのままの太郎のコンビは最高。かえってヒロの方が馬鹿なのがいい。1999は KOGでも最多勝も記録して、おやっさんは涙が出ましたよ。ほんと。有り難う。これからもよろぴく。八戸の清陽ちゃんとは実はまだお会いしたことがないのに、旧友のように感じている。田舎もの同志、はまったのかも。呼吸回数も一緒かも知れない。とにかく臭いが僕と一緒だ。頑張って長生きしようね。フラレ魔のカナメは、せからしいけど、やっぱり同じ九州人

と言う事で何かあったらやっぱりカナメには、言っておきたい。死ぬときは敵艦に体当たりせろと。元祖ディギットジンカメラマンのもと君はよく頑張って、本物の雑誌のカメラマンとして独立したけど、業界に溶け込まないで、自分の個性を見失うなと言いたい。ディギットジンをやっていたときのスピリッツをわすれるな。たまにはディギジンも手伝ってね。クリ坊は、写真が旨いと僕は思う。センスがあるとおもう。彼は写真を撮った瞬間に取った画像が頭に描けるので、旨く撮れているのかどうか自分自身で判断する事ができる。ディギットジンで写真を撮ることに、誇りを持ってくれているのも嬉しい。僕もクリ坊がカメラマンとしてもっと上手く個性的な写真が撮れるように少しでも力になりたいと思っている。それからライディングも格好いいし、仕事もこなしているので感心するので、制服が好きなのは彼の個性。竹生泰之。彼こそは誰もまねできない本物のオリジナルだ。僕の誰も気にしないバイタリティーには脱帽だ。僕の秘密結社SJC。みんな僕の奴隷だ。でも歯ごたえのある奴隷なので時々立場が逆転して、僕はいじめられているのではと感じるときもある。Kow-C はディギット生え抜きとして、頑張って欲しい。色々と違うことしてみたり会ったけど、僕が知っている中学生のKow-C と今も代わらない。とにかくKow-C の事が僕は可愛くて仕方ない。スタイルは最高に格好いいし、ライディングだけは続けろよ。ディギットお客さん第1号ドラゴももしこれを見る機会があったら、乗り続けて欲しい。色んな人に支えられて、ディギジン何とか続けてこれました。ぼくが唯一自慢できることは、ライダーの事が大好きだと言う事です。BMXライダーこそ飾りのない、社会の人達です。僕が見続けて来たライダーのみんなに共通するところは、自分のスタイルを変えず、出会った頃から何も代わっていないと言う事なのです。そんなライダーが僕は大好きなのだ。みんなライフスタイルとしてのフリースタイルライディングを見失わないでこれからも僕と遊んでやって下さい。但し僕は酒が苦手です。勘違いしないでね。

TankyouSkip@dig-it'zine

Page 16: dig-it zine January 2000 issue

東北支局青森支部八戸出張所四戸清陽特派員

Skip と同級生の Seiyo、お互いにチャ付けで呼び合う仲だ。若い世代には分からない事を話せる唯一の仲間。

★最高に盛り上がっている仙台BM

X事情、ライダーが五十人もいるら

しい、忘年会は店一軒借り切って悪

行の限りをつくしたと言う風の噂が

届いたが、定かではない。

★かの有名な、伊藤プロさんが仙台

に在住しているらしく近県のライダ

ーの仙台参りが続いている、十回お

参りしてスタンプを貯めると何か特

典が有るようだ、六根清浄と必ず唱

えてお参りしよう。★秋田ライダー

のヤスさんから、新年の三、四、五日

に仙台に東北のライダー達が集まる

と情報が入った、秋田出身の、カリ

オカ 

マリヤちゃんも乱入するとの

事SEIYO

も青森りんごを売りに行

きます、カズちゃんは運転手、みん

な遊びに行こう、そしてリンゴ買っ

てくれ。

★トミーちゃん、米海軍からのスポ

ンサーが決まった。早速の仕事はサ

ンタクロースの格好でビックジャン

プを飛ぶ海軍の募集PRビデオ用ら

しいけど、凄く笑える、おめでとう。

★OOOyoは自転車屋をやると言

いふらして多くの人達からカタログ

や試供品を調達している模様だが全

然それらしい行動が表面化していな

い、危ないかもね。本人は忙しいか

らと、言い訳を続けている。そのう

ち天声が聞こえるのが定説と言い出

したりして。★新人のライダー菊池

君が、ダートが上手いOO〜さんに

BMXメーカーのSアンドMの意味

を聞いたOO〜さんは頷いて、車か

ら鞭と蝋燭を取り出して

菊地ちゃんをバシッバシッと叩き出

した、納得したらしい、癖にならな

いことを祈る。★名前は自主規制し

てます。★今年はどうもありがとう

ございました、来年も楽しい遊びが

出来るように、よろしくお願いしま

す。へば、へば。

★寒い日が続きますがみなさんどう

お過ごしでしょうか。最近インター

ネットの掲示板などに勝手に熊本支

局の社名を使ってデマを掲載する悪

い奴らがいる。おかげで僕は大迷惑

だ!ホントに冗談じゃないよ。★も

うすぐ待ちに待った450ビデオが

発売だ!★京都の百君は毎回電話で

「お店が忙しくて大変!」と言って

るが、実は毎日お昼の1時過ぎまで

よだれを流しながら寝ている。★広

島の石井コージ君が膝の靱帯を負傷

した。お大事に。★熊本のイチミ君

が宇野ヨウスケを筆頭とする新星ブ

ランド「ARES」のサポートライ

ダーになった。今後の活躍がすごく

楽しみだ。★名言「僕のあそこをシ

ャクティーパット」を秘密兵器とし

て合コンで活躍している最近話題が

なにかと多い大分のファツクマン。

そんな彼の最大の悩みは「2000

人」問題だった。★仮面ライダーの

ヒロは、合コンでの王様ゲームがパ

ワーの源らしい。★カッパくんの体

型は流線型だ。★数々の高級乗用車

を所有しているネモーこと根本君。

なっ、なんと、愛車の660ccセ

ルシオの電気系統が故障した為、次

の高級車?の買換えを真剣に考えて

いるらしい。★OGPのポイントゲ

ッターカッパくんがスリ足トリック

に次ぐ第2弾のスーパートリックを

編み出した。このスーパートリック

は見ているだけでもとても危険だ。

★カッパ君やペニピー、ブーヤンな

どの何人かが「GURUGURU」

のサポートライダーになった。★海

上保安官の川端アズサ君が柔道の全

国大会で右肩を骨折した。★

最近

ネモーは、ビクビクしながらデギッ

ト新聞を読んでいるらしい。★

OGの終了後、西日本のライダーは

東京砂漠を体験した。

九州支局熊本支部片山智裕特派員

ペニピーと呼ばれる国家公務員。昨年は東京砂漠も体験、覚醒剤所持疑

惑をもたれている。

今回ペニピーにレポートして貰った

DU

BCUP

の原稿が開けなかった為、

大分で骨折した彼に、スキップは冷

酷にも「原稿が開けないんだけど?」

と言うと、彼は「それは、一度熊本

に帰れって事ですか?」と言ってい

たが、'翌日きちんと原稿は届いた。

やっぱりお薬を飲んでいるのか?

清陽チャンには、リンゴやジャガイ

モを頂き、生活を助けていただいて

いるスキップ一家なのであった。

有り難うございます。

今後とも宜

しくお願い申し上げます。

@ 1 月★ なんと、Shoe-G は 99 年 1 月号でも彼女を募集していた。★カナメ、寂しがり屋 coming out. インターネット始める。★ Skip、ペプシの人形欲しさに飲み過ぎて膨満感に悩まされる。★ Hang out 開店。★ペニピー足首骨折。 @ 2 月 ★カキピー大事故、VW 大破。Kの悲劇はここから始まっていた。★大五郎自転車商会開店。★ Shoe-G, Baco8 で Coming out. ★ SJC1 号、3 号をいじめに掛かる。★田中光太郎性病疑惑。★かぶーさん SD カード GET. @3 月 ★まこちん、おならに火がつくか実験、お尻をやけどする。★ Kow-C が借りてきたエロビデオに同級生の姿が。★ Skip,BB 弾でクリ坊を狙い撃ち、激怒される。★熊本では太郎に習って、WALL タイヤの事を「ワーム」と呼ぶ。 @4月★某スパームの客の女子高生、恥骨骨折する。★太郎塾長、東京初上陸。 その間に福岡では花見の宴を楽しむ。★ Skip の友人 H 氏、浮気しようと入ったホテルで車の一部破損。★名古屋の新人ライダー、練習中に転倒バーエンドが腹に刺さり入院。★ ROBO に第ニ子誕生。★藤原氏、東京へ移住。★編集長、新車を傷つける。 @ 5 月 ★ SJC2 号、Nathan のお世話に大活躍。★ Skip、美肌水を一気飲み。★ HangOut 夫妻に第一子誕生。百果と名付けられる。★まこちん、変質者と疑われ職務質問される。★熊本支局長、ペニピー東京転勤。★正太郎入院。 @ 6 月 ★太郎を乗せたホンコンの車、東名で破壊。★伊東高志骨折。★かぶーさん名古屋へ移住。★青森支部復活。★青森の和ちゃん、骨折。★大将のニックネームが「オカズ」に。★大五郎自転車商会倒産。★ペニピー、東京の大会で大暴れ。 @ 7 月★「BMX Gravity」第 1 回収録。★セイヨウ氏、バイクラのモニターに当選。★正太郎退院。★ヒロ、KOG で優勝!★福岡地方の豪雨で山内さんのアパートが危機。@ 8 月★調子に乗った Skip、X-Game の解説する。★ DK さん、大麻密輸容疑掛かる。★山内氏、レースで太郎を撃破。★ Skip 大阪で酒飲んで暴れる。★セイヨウ氏、椎間板ヘルニアに襲われる。★東京砂漠支局長のカッパさんの記事が大波紋を呼ぶ。★トシゴン小指骨折。★ペニピー東京砂漠脱出。★ Skip 一家、九州旅行へ行くがY氏に騙され、太郎さんのシンクロが見られず落胆。★ In the Name of Love で結婚を申し込む男出現。 @ 9 月★ D-jin、京大大学院合格。★ネモーの愛車はセルシオだった。★山内氏フラット引退。★関東地方豪雨、伊東宅床下浸水。★ディギット、MAC G3 を購入。 調子が悪くて困る。★太郎に一軍証明書発行。@10月★アメリカに実写版あんパンマン現る。★ SJC 中国支局開局。★台風 18 号、熊本支局を直撃。★カッパさん、無事に SUNN のスポンサーを受ける。★藤原氏、手首を骨折。★徳島支局開局。★太郎、原付で徳島に向かうが、大濠公園でガス欠。★編集長、ラスベガスで燃える。★くすぼぼ、ガンチャクする。★百、ラスベガスで歯をなくす。 @11月★ SJC1 号納車1日目の車を全損。★ゴリさん、Hip-Hop MC で盛り上がる。★太郎、浅草でニューハーフナンパ。★相模原のヨシ君、ホモの方からラブレターをもらう。それを見た skip は鳥肌を立てる。★ヒロに各地に愛の巣があることが発覚。★かぶーさん、神奈川へ戻る。★セイヨウ氏謎のホームページを始める。@ 12 月★ディギットの側にライフスペース。★ヒロのあだ名が「カントク」に。★車で 720 ゜を決める。★京都で放火事件発生、MO3 放火魔に間違えられる。

今年も楽しい情報お待ちしてます。

ディギット新聞社が選ぶ、1999 年笑わせて貰ったネタの数々

2 ディギットジン新聞 2000 年 1月 1日 月刊

海外に挑戦!太郎とスワンでアメリカに行くのだろうか。

ヒロ

自分なりに考えて、何かまたやる。

福岡へ行って、人間ハーレーに乗りたいね。嫁取りはまだ無い。

マサ

1999 Dig-it 忘年会 2000 年の抱負を語る

太郎とヒロが満員電車で窒素死寸前でたどり着いた日、Dig-it では日頃の感謝を込めて、関係者を集めてささやかな宴を開いた。

太郎とヒロが満員電車で窒素死寸前でたどり着いた日、Dig-it では日頃の感謝を込めて、関係者を集めてささやかな宴を開いた。

写真をもっと頑張る。Dig-itzine が日本のRide の様になれる様に。

クリ坊

勝負でも太郎君に勝つタカシ

上のクラスに挑戦。海外にも行き

たい悠樹

飛行機の免許を取って、自分で操縦する。だめだったら、ヒロとスワンでアメリカに行く。

太郎Riding、

頑張るよ! Kow-C

Page 17: dig-it zine January 2000 issue

2000 年 1 月 1 日号発行所 :ディギット新聞社編集長 あゆみ様毎月一回発行予定印刷所 アドタック

1 ディギットジン新聞 2000 年 1月 1日 月刊

Quamenライダー募集中

e-mail Address: [email protected] / FAX 046-246-5351 まで情報をお寄せください

♂京都支部長(裏筋連れてくぞ!)

メールアドレスm

[email protected]

★2月に超一流ホテルで結婚式を挙げることになった百夫妻。

おめでとう。

♂今月のQ

uamen

ライダー

★東京に来た太郎とヒロが、電車でディギットまで来ることになった。日本で一、ニを争う夕方のラッシ

ュの

小田急線に乗った太郎は、酸欠寸前で目をぱちくり、蒼くなっていた。

そして「ちかっぱい」を連

発していたところ、前に座っていたおばさんに「あんた、福岡の人でしょ」と言われたそうだ。

★ヒロはオービスでキャッチされ、スピード違反で捕まった。

免停だ。KOGで稼いだ賞金も全て罰金に

なる。

そして、新しいあだ名は『エロ大魔王』。

★ヒロは東京方面に出てくるときは、徳島で精一杯のおしゃれをしてくる。

が、先日東京で『福岡の時と

同じ服着てるね』と太郎に指摘されていた。

★太郎とヒロがスワンでアメリカへ出港するため、山中湖でスワンを調達しなければならない。

どうやっ

て大濠まで持っていくか、おやっさんは今から悩んでいる。

★タカシの移籍を知って、最初こそ悲しんだ太郎とヒロだが、程なく、太郎は『タカシが止めたら俺達の

待遇が良くなるのか?だったら早く辞めさせましょう。』

ヒロは『早くフレーム返して貰いましょう。』な

どと薄情な事を言っていた。

★ヒロは、「罰金も出してくれるんですか?」ととんでもない事を口にしていた。

今度何かしでかしたら、

解雇だ。

♂その他の情報筋(

今月もみんな、ありがとうね。)

★冬は、空気が乾燥して、濡れたくちびるを維持するのは、大変だ。道産子絵里子

★ディギット新聞社では、道産子絵里子の男らしい寝顔の写真を入手予定。こうご期待

★ある日、山崎肇さんからメールが届きました。『鉄腕DASH

がどこまで届くか実験中!

9人に送って下

さい。これは本物です。

国分太一チームです。

よろしくお願いします。署名をして、この文章をこのま

ま次ぎの友達に!』そして、そこには森本修介と言う名前も書き込まれていた。

暫くしてまた、メールが

届いた。『あれはガセネタだそうです。 では、ガセネタには注意しましょう。(俺がね。)』

このメールの

ことは、この日の夕刊にも載っていました。

皆さん、注意しましょう。

★福岡では、クリスマスイブの夜が熱かったらしい。

スパームでバイトするK君は、Cホークの最上階の

中華レストランに彼女のために予約を取った。

D博多でバイトするP君は、cホークの部屋を予約したら

しい。

このことを知った太郎は、先回りして中華を食べてから、cホークに泊まる。と言っていたが、ど

うしたのだろう?

★ディギット専属電気やさんの任命を受けた、横須賀のタツヤさんは、新しいフレームに傷つける間もな

く、骨折した。

お大事に。

★ディギット専属電気やさんタツヤさんをジックのけんさんが、引き抜きにかかっている。彼の電気工事

技術は高いらしい。

★達也さん電気屋は通称内電という。スキップは四国の温泉の路面電車と信じていた。

骨折した達也さんがカナメのホームページに嫌気が差し、自らパエージを立ち上げた。

電気やタッチャンのホームページアドレスは、http://w

ww.bea.hi-ho.ne.jp/tazz/

★先日来店したディギットのお客さんは、KoGでのヒロのライディングを見て、感動して涙したそうだ。

そして自分もフリースタイルをしようと自転車を買いに来てくれたのだが、何故かジャンプをするらしい。

★慌ただしい年末に、熊本支部長のペニピーが人差し指を骨折。

地元大分で行きつけのお店のマスターに

格好いい所を見せようと、ディケイドをしたところ、地面に叩きつけられ骨折。ペニピーは自転車だったが、

これも交通事故なのか?と言っている。

今年最後のKの悲劇でした。

★今、車で回転技を決めることを『カトオる』、中央分離帯に激突する事を『カッパる』、そして、フロン

トガラスから飛び出す事を『カナメる』と言われている。

★sJc3号はスキップとお揃いのリトルデビルのカーゴパンツを購入した。

心底スキップに憧れている

らしい。

そんな、幸薄い彼の口癖は「全く、なっちゃねーなー」だそうだ。

★sJc1号は今度カキピーと、どっちが髭が濃いか対決するそうだ。

★今、ちまたで塾ビジョン4の最初に出てくる女子高生は誰の妹なのか、掛けの対照になっている。

★SJC2号は先日歯科衛生士の彼女を連れてディギットにやってきた。

歯の磨き方にこだわりを持つス

キップと、歯の磨き方談義に花を咲かせていた。

★スパームの気が利く男、山内様から、娘にクリスマスプレゼントが届いた。

娘は大

喜びだった。

ありがとうございました。

DIG-IT'ZINE&ディギットジン新聞 :編集長(あゆみ様 )、編集員(スキップ、クリ坊、ルビー、マグー)、海外及び合コン営業部長(SHOE-G)、熊本支局長(ペニP)、京都支局長(Mr.100mile)、青森八戸支局長(Seiyo)、地球防衛隊員(KanameK.O.F)、福岡管理官(やまさん )、鎌倉出張t所(KAO大橋 )、中国上海支局長(三沢慎太郎)、四国徳島支局(ヒロ )、秘密諜報部員組織(S.J.C.)

全世界のライダー

先月お嫁さん募集をした三号こと笠

原貴志だが、応募してきた嫁候補の

年齢が若すぎると不満らしいので、

引き続き募集します。

KOG最終戦の後、浅草のたこ焼き

やでSJCのささやかな忘年会を行

った。

3号は辛い物が苦手らしく、

辛口ソースたこ焼きを『辛い、かっ

らーい!口の周りがピリピリする!』と絶叫しながら食し、お

口直しにソフトクリームを食べていた。

そんな3号を見たス

キップが、『血液型何型?』と聞くと、『B型』と答えた。 『ス

キップは?』と聞かれ、待ってましたとばかりに『僕はくわが

た。』とスキップは答えた。

暫くこらえていた3号だったが、

こらえきれずに不覚にも吹き出して笑ってしまった。

3号は

よほど悔しかったらしく『笑ってしまった、自分が悔しい。』

と諦めきれない様子だった。

それからは、3号を笑わせてや

ろうと、くだらない駄洒落をメールしているスキップである。

先日も「メリークリキントキ」などと、誰も思いつかない様な

ギャグをメールして楽しんでいた。 『寒すぎる』などと返事を

よこした3号だが、きっと笑ったに違いないと確信しているス

キップ。

このくだらない張り合いはいつまで続くのだろうか?

伊東高志

電撃移籍

QUAMEN脱退

★ 

北京の話・北京の某大学の近くの外人居留区では、手足等

を切られた女性が玩具として、見せ物として売られている。そ

こまではありがちな話だが、10年前、日本人の女の子がその

地区で行方不明になり、今でも母親が探している。そしてその

女性の前を通った時、その女性の目から涙が、ドッとこぼれた。

その母親は否定しているが、同伴していた友人が、もしかした

ら・・・と言っている。

★海南島の話・中国の最南に海南島というのがあります。そこ

は治安が悪く、公安と兵隊が、ドンパチやっているらしいです。

なにしろ、公安が売春をあっせんしていて、兵隊と、もめ事を

起こし、それがきっかけで続いているとのこ

と。また、海南島のお偉いさんと撮った写真が有れば、殺人し

ても公安は何も出来ないというメチャクチャな状態。(公安=

警察)

★天津の話・天津に行った留学友達は、全然太陽を見てないの

だそうです。天津は慢性の曇り、そして空気は乾燥していて、

喉が痛いといつも言ってます。

★上海野生動物園では虎が人間を殺害。

★中国の絵本は(中国語で)手榴弾、防弾チョッキ、戦車・・・

とか書いてある。

★中国、国内線の話・・・ある会社員が小型機をチャーターし

て、中国を移動したら、(小型機=低空を飛ぶ)下に見えたの

は国内線の残骸ばかりだった。(頻繁に落ちるがニュースにな

らない)

★あと、この手の情報を流し続ければ、政府から、日本への飛

行機代、しかも特別機、公安の護衛着き、銀のブレス、パスポ

ート永久欠番までおまけにつくらしい。別名、「強制送還」。

三沢君のレポートも早4弾。 来年も怖いのお待ちしてます。

先日行われたあきるジャムで見事Mクラスで優勝をした三沢君

でした。

おめでとう。

今月のKの悲劇

中国は凄い第三弾

QUAMENライダーとして活躍してきた、伊東高志が、今年からフ

ァンファンシーに移籍する事に決定した。

FA宣言の上、移籍した

ものだが、スキップは『戦力外通告だ』と強がっていた。

が、陰で

泣いていた姿が目撃されている。

と、言うわけで、QUAMENチ

ームは、太郎とヒロの二人になった。二人にはQUAMENライダー

として更なる活躍が期待される。

さて、3人めのQUAMENライダーをどうするかだが、オーディ

ションで決めようと言う話が持ち上がっている。 我こそはと思うラ

イダーの皆さん、あなたもQUAMENライダーになるチャンスです。

応募条件は、先ず第1に素晴らしいキャラクターの持ち主であること。

審査員はスキップと太郎、ヒロですので、かなりのキャラクターの持

ち主でなければ難しいかもしれません。

そして、そこそこライディ

ングが出きる事。

地区予選の予定は後日お知らせします。

スキップvS 3号

先月大分での大事故について報道したばかりだが、今月も早々

に事故のニュースが入った。

広島で山口出身のライダーの車、レガシイを運転していたのカ

ッパさんは、事も有ろうに信号無視して、右折しようとしたと

ころ、既に対向する信号が青になっており、慌てたカッパ君は

時速80キロで交差点を通貨しようとしたが、ハンドル操作を

誤り、中央分離帯に激突、大破した。

この事故で助手席に乗

っていた車の持ち主は、鎖骨を骨折。

後ろに乗っていた塾ガ

ールスの愛ちゃんは、前歯を折り、太郎もこの後鞭打ちに悩ま

されることになるのだった。

運転していたカッパさんはフロ

ントガラスに頭をぶつけ一瞬意識を失った上、大切なくちばし

を折ってしまったらしい。

現在、太郎は中央分離帯恐怖症に

悩まされている。

カッパ君はこの時酒気帯びだったらしい。

そして、いくら何でも、もう無いだろうと思っていたある日、

今度はカナメさんが事故に遭ったらしいとの情報が入った。

寂しがりやのカナメは2000

をアメリカで迎えると言う、生意

気な計画を立てていたが、留守中に忘れられたら。と不安にな

り計画を取りやめ、京都で遊んでくれるライダーがいたらしく、

京都に出かけた。

そして、事故にあった。

第一報ではカナメが運転する車が、人を跳ねて死にそうだ。と

の事で、国家公務員の彼は首になるのでは。との情報だった。

真実を確認すべく、カナメに直接電話取材したところ、いつも

と変らずに電話に出るではないか!本人の話では、友達の運転

する車で京都を移動中、対向車と正面衝突するという事故に見

舞われて、助手席に乗っていた要はシートベルトをしていなか

った為、その衝撃でフロントガラスを突き破り、人間魚雷して

しまったとの事だった。

しかし、普段から戦い慣れていたため、

大事に至らなかった。 「フロントガラスに勝った」などとお気

楽に言っていた。

しかし、鼻だけは守ることが出来ず、もげ

てしまったそうだ。

そして、今彼はこのネタを使って友達を

増やそうと計画中らしい。

これが99年最後のkの悲劇になるはずだったのに。。。片山さ

んが。

そして、倉谷さんは真剣にイニシャルをkからNに変えようか

と悩んでいる。

イベントinfomation★12月31日(金)★

Dela2000CountdownPartyin名古屋ドーム

RickThoneが来るかも。問:てしがはら正太郎

★Y2K1月1日(土)★Dela2000Freestylecontest会場:白川公園高架下問:てしがはら正太郎090-3578-5397

★2000年1月9日(日)★Flatlandcontest

会場:アメージングスクエアー問:伊東高志090-4930-4767

次回予告★あきる Jam★

★Dela2000CoutdownParty★★Dela2000FreestyleContest★★Shoe-Gの愛のE-JLesson★

☆ 1月のお休み☆ディギットは1月5日から営

業します。ディギット新聞社は1月10日より。SJCに休日は無い。

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