〒 950-2022 新潟市西区小針4丁目5番18号 真宗仏光寺派 瑞林寺 光輪会 電 話 (025)266-1846 F A X (025)266-1907 瑞林寺ホームページ http://www.zuirinji.com 第 74 号 修正会 平成 24 年 1 月 1 日発行 観音様と龍 渡部 越山画 (瑞林寺の孫に当たる人です) ※おせち料理を用意しております。 気軽にお立ち寄り下さい

修正会法要ご案内 お年始参り - zuirinji.com · 〒950-2022新潟市西区小針4丁目5番18号 真宗仏光寺派 瑞林寺 光輪会 電 話 (025)266-1846 f a x (025)266-1907

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  〒 950-2022 新潟市西区小針4丁目5番18号

真宗仏光寺派 瑞林寺 光輪会      電 話 (025)266-1846

      F A X (025)266-1907

   瑞林寺ホームページ http://www.zuirinji.com

第 74 号 修正会

平成 24年 1月 1日発行

修正会

おつとめ

○『正信偈』唱和

○ 

住職年頭のことば

○ 

光輪会会長あいさつ

おとそ

大広間にて

     

    

お年始参り

修正会法要ご案内

家族そろってお参り下さい

観音様と龍  渡部 越山画

                (瑞林寺の孫に当たる人です)

旦 十一時より

※おせち料理を用意しております。

    気軽にお立ち寄り下さい

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修  正  会 

★正月の付け届けは

「御年始」か「お年賀」

と表書きし、

     

赤のしを用います。

お寺よりのお届けもの

 

新年に向けてお寺より

皆様に心ばかりの

 

気持ちでございます。

  

本山より

      

ともしび

  

瑞林寺より

      

光輪正月号

      

カレンダー

      

年始のお香

      (今回まにあわず次回

             

お配り致します)

平成二十四年の法要

 

一    

周忌     

平成二十三年

 

三    

年忌     

平成二十二年

 

七    

年忌     

平成  

十八年

 

十三  

年忌     

平成  

十二年

 

十七  

年忌     

平成    

八年

 

二十三年忌     

平成    

二年

 

二十七年忌     

昭和六十一年

 

三十三年忌     

昭和五十五年

 

五十  

年忌     

昭和三十八年

 

百    

年忌     

大正    

二年

親鸞聖人750回忌 報 恩 講

法事に当たっているお宅には年忌札が届きます。年の初めに法事のご予定をお立てください。   法要のしおりをよくお読み下さい。

新年明けましておめでとうございます。

 毎年新しい年を迎えると、今年はこれをやろう、この事に挑戦

しようと一応計画をたてるのですが、年の暮れになるとその半分

もできず悔いをのこすばかりです。そしてまた新しい年を迎えま

した。

 「時は得難し失いやすし」とか、「時は人を待たず」などと言っ

た昔からの多くのことわざが有ります。これらのことわざはいず

れも、年月、一日一日という時間が人間にとっていかに大切であるかを説いています。光陰矢の

如しと、この年になってつくづく思わされます。

 今年は四季それぞれに咲く鉢木の花々を咲かせ味わいながら、毎月の二十八日講の『正信偈』、

また宝池の会での『歎異抄』に学んでまいりたいと存じます。

「人身受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」、まさにこの人生の有り難さを教えて

頂く仏さまの言葉です。一日一日を大切に歩んで、また光輪会をよりいっそう盛りあげていきたく、

年頭のご挨拶とさせていただきます。

明けましておめでとうございます。

 昨年は親鸞聖人七五〇回大遠忌という大きな節目となりました。そ

の節目の年に東北大震災という未曾有の災害に、多くの人命が亡くな

り未だ行方不明の方も多数おられます。また原発事故による放射能汚

染はどこまで被害を及ぼすか見当もつきません。放射能も風評被害も

また社会不安も直接目には見えないものです。親鸞聖人はそれを魔と

か鬼神と呼びました。その魔や鬼神に人間は脅え、それは誰もが持つ生老病死の苦しみにも通ず

るのです。親鸞聖人の時代もまた毎年続く災害と戦乱、そして飢饉とまったく先が見えない時代

でした。その中で精神の拠り処をただ一つ阿弥陀仏に求められたのです。阿弥陀仏の本願は「ど

んなことがあっても我々衆生を救う」と誓われた仏さまです。それは同時に「我々人間はどんな

ことがあっても生きていける」という仏さまからの証明でもあるのです。

 先が見えない今だからこそ「どんなことがあっても衆生を救う」と誓われた阿弥陀さまの願い

が発揮される時。その仏の願いを聞いて生きる人生、それが我々の救いでもあります。その仏の

願いを聞く場がお寺。是非ともお寺に足を運ばれるよう、よろしくお願い申し上げます。

 

光輪会会長  

樋口 

住 

職    

廣澤

晃隆

年頭のごあいさつ

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七日お日中・

  お逮夜

丸山

文雄

東北大震災の

時、実際に仙台

に布教に行かれ

ていて、その時の状況に遭遇さ

れたお話をまじえながら、人間

の本当の拠り処は何かの熱演。

修  正  会    

樋口 仁左衛門

巖念寺

公益社

渡辺石材

相沢企業

川崎 五郎

金田 善衛

仲由久四郎

北村 フミ

伊藤 与七

諸原 末吉

石渡 勝春

梨本 太七

大坂・小林

佐藤四郎右衛門

田村三太郎

高橋 長七

樋口半助(小針)

青木 ノブ

小島 綾子

樋口作十郎

中由 正男

渡部 角平

樋口弥之助

伊藤 徳雄

山下 俊栄

梨本 正義

長田  猛

高橋 忠男

石井 秀志

細川 功一

中由久右衛門

中沢角左衛門

樋口 豊作

新野 健三

野元 トシ

梅田 輝子

梨本 直孝

福田 久雄

宮島 和子

坪谷 四郎

佐藤 友厚

佐藤 浩治

増田 愛子

郷  秀人

剱物 チイ

霜鳥 徳治

柏  美代

前川 龍輔

白石  馨

樋口日出義

笠原 フサ

片野 セツ

小山 高志

丸山 信也

刈田 和子

渡部 正二

宮尾 益治

山崎 有美

倉本 万里

長谷川貞平

前田 五助

小西 七平

近藤  守

佐山 康昭

古谷 常敏

渡部 八司

丸山 勝利

前田 隆夫

小柳 権平

渡辺 武彦

近藤 俊男

宮島 成雄

齋藤 憲行

野沢 恒男

高橋 利男

高橋 泰明

小林 賢治

赤原 又助

佐藤 与平

渡部八右衛門

渡部 久平

内山 富夫

仲由 静江

渡部 美和

水落 義樹

梨本 明巳

今井  博

本間 一路

佐藤 ワカ

阿部 アサ

平  フミ

片岡 初江

横山 嘉男

高橋 洋明

樋口  隆

酒井 達雄

斎藤  仁

小宮山文康

樋口 健二

小林 治男

山下いつ子

高橋仙一郎

前田 芳幸

本間 雅弘

渡辺 荘松

松木 徹男

青柳 テル

前田 公治

岡  スイ

小林喜代忠

荒木 貫一

真藤 政春

小西エミ子

小西  勲

真貝 正巳

高坂  愛

田中 修一

佐藤  茂

斎藤 和子

成沢 幸七

豊島登美枝

西野 恭子

田村 定文

中川 捷栄

石川 松江

大矢 正雄

笹川 太一

樋口 弘子

佐野 秀竹

大橋 忠俊

小山 辰悦

窪田  浩

高津 スミ

中林 忠博

野瀬 正廣

丸山 哲司

竹内 ミツ

栗原  勇

渡部 芳道

樋口ハルイ

山田 政美

小出  実

沢田 建設

有波 裕介

佐藤 隆夫

鈴木 孝一

磯田 ミヨ

渡辺 茂之

片岡栄太郎

長井  徹

村山  寛

森林 貞夫

畠山 美津

園部 邦彦

小林 静江

山田 啓一

田中 正夫

鷲津 清一

青山 圭二

伊部 節子

田中  寛

佐藤 重樹

栃倉 房江

広川 芳雄

北村 治樹

吉田  皎

木村 昌子

森田百合子

樋口 平蔵

小林 六助

水野満州雄

山下嘉津美

吉原 春男

横野 トミ

小林 貞夫

小林ヒデ子

樋口 信一

騰川重次郎

田中ナツノ

吉田 昭一

礒部 幸子

渡部 一郎

新宅 昭平

鈴木 浩司

石塚 智子

金巻 ミキ

高岡 保也

大図 英子

西原 靖臣

樋口佐次平

小畑 恭子

樋口定命也

赤原  功

関口  剛

水落 義樹

赤原佐二平

渡部 徳七

遠藤 昭雄

山崎みよ子

上村 宏三

碇  要二

永松 勝亜

玉木  隆

吉川 龍一

渡辺 義博

広川 ヒサ

花野 雅文

壱万円

六千円

五千円

三千円

報恩講懇志

   志納者     

          

(敬称略)  

親鸞聖人750回忌 報 恩 講

小山 国仲

熊谷カツイ

鶴谷 栄子

縄   聡

西潟純一郎

関  孝至

関 タカ子

久住トシイ

川内 トメ

梨本 高幸

本間 義学

渡部 三六

下川 照雄

保刈 敏夫

梨本満里子

新保  渉

池 しず子

樋口 政直

安川一二三

三浦 武雄

阿部  徹

樋口日出男

樋口 半助

樋口 林八

寺井  功

大橋  勉

勝本美佐子

森本 正勝

泉  銀蔵

和久井正義

吉田  智

山下 美香

市川 利夫

村上 芳枝

五十嵐春司

川口  聡

お仏ぶ

供米

尊い御懇志

ありがとう 

ございました

(記載漏れが

ありましたら

ご連絡ください)

    

 報恩講を迎える準備として、門徒世話方の

皆様方にお集まり願い、お内陣のお仏具のお

磨きの仕事があります。一段と輝きが増し、

気持ちいいものです。打敷をかけ、お荘厳で

ある七つの華瓶に色どられる絢爛豪華な華を

も生ける大仕事もあります。お華束として供

えるお餅。昔は杵と臼でついていたと聞き、

大変さを感じます。年末の大掃除ならぬ報恩

講前に大掃除です。

 お参りされる方々への、二日間のお斉の準

備には、お勝手仕事をお願いして手伝ってい

ただきます。お料理の数の心配から、ご飯の

固さ具合までも気が抜けません。

 お勝手一日目は小針、二日目は新通の農家

の奥さま方によるチームワークでどこまでも

敬いの心で温かいお給仕をして下さいます。

 法要が終え後かたづけの後、「まな板直し」

で、お供えしたお仏飯を味噌と醤油で焼いて

頂く味は格別なものがあります。

 お磨きや当日の準備、受付をされる世話方

のみなさま。布教師の接待、写真にビデオに

と撮り続けて下さった長田さん諸原さん。お

勝手衆の姿など。皆様のお姿を通しまして、

お寺のあり方を今一度考え直すような次第で

す。

 腸閉塞を患い腸が半分となってから、お陰

様で一年が経ちました。病いのお陰で生まれ

変われたように思います。皆様のお力添えが

あっての瑞林寺です。

 み仏に帰依し、ご先祖様を偲びつつ報恩感

謝の仏事のいとなみを要とし、どうかこれか

らも瑞林寺の門徒として精進くださることを

願います。

 それに私には、まだまだ宿題が山積みのよ

うに思う今日この頃です。    合 掌

今年も熱演の

 

布教使さまの面々

六日お初夜

細川

好円

人間の物の豊か

さを求める姿が

人間を滅ぼす。

原発の問題を通

してこれからの子ども達はどう

なるのか、保育園々長先生の眼

で語る。

七日お初夜

八日

お日中・ご満座

吉峰 教範

念仏は呪文では

ありません「勿

体ない、有り難

い」という言葉を言いながら念仏

を称えていた昔のおばあちゃんた

ちの姿を思い浮かべながら名調子

の法話。

坊守の報恩講

弐万円

八千円

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       修  正  会  平成 24年 1月 1日発行

月参り

 

一月六日より始めます。

初お講

 

一月二十八日

   

午後一時半より

    お年始参り  

 真宗門徒の正月は静かなものです。昔から

門徒は門松も飾らないので「門徒もの知らず」

と言われる理由のひとつでした。

 各家庭では年の暮れには御仏壇のお掃除、

お仏具のお磨き、お花飾り、打敷をかけ、お

餅を供え新年を迎えます。

 元旦はお寺の本堂へご挨拶、お年始参りか

ら始まります。

 お寺では朝早くから夕方まで、さみだれ式

にお参りになる。そのおり、お屠蘇を用意す

る。またその年に当たっている家の法事の日

取りを相談する習いでした。

 お寺への年始参りがすむと鎮守の宮参りや

親戚の御仏壇参りに廻る、これが伝統的な真

宗門徒の元旦でした。

 當山では昭和五十年頃より長年の習いを改

めて、時間を定め、門徒の皆さん一同に会し

て一緒に新年の修正会法要をつとめる。住職、

総代の年頭の辞の後、お庫裏でお屠蘇で祝っ

ています。

 真宗の伝統では、どんな離れている門徒で

も、お年始参り・お盆参り・報恩講のお参り

を「三期の参り」という言葉で伝えてきまし

た。これだけは欠かしてはいけないというこ

とです。

   雪の冬は仏法の季節

 小針が月遅れの二月正月から今のように

元旦に正月を迎えるようになったのは昭和

三十五年頃かと思います。

 坂井輪村が新潟市に合併したのが昭和

二十九年の十月、その頃までは一月は町の正

月、二月は在郷の正月と云って二度の正月を

雪の中で過ごしました。

 二月の正月をはさんで春耕の始まる春彼岸

ころまでは「お取り越し」(在家報恩講)「せ

きじさい」「春じさい」が門徒家庭では村親

戚を招いてつとまります。また、東西別院か

らの巡回のお講や、熱心な門徒は自分の帰依

するお坊さんを招待して法座を開く。在家で

開かれる法座のことを「在会」といいます。

 蒲原の深い雪の中は毎日、毎晩お寺やどこ

かの家で法事や法座がつとまり、聴聞、聞法

の座があり、互いに信心を深める座談を交わ

し、お念仏の声が響いていました。越後の冬

は春に備えての心のエネルギーの充電の大切

な季節でした。

    お取り越し

 お寺の十二月の報恩講が終わると在家の報

恩講「お取り越し」が各家でつとまる。

 浄土真宗の門徒は各家庭ではご開山さま、

親鸞聖人のご法要を必ずおつとめする。これ

が流儀でした。

 遠く離れた門徒には、住職は一年に一度は

必ず檀家のお取り越しのおつとめに廻る、こ

れを蒲原一帯では「廻檀」といい、また報恩

講廻りとも、北陸地方では秋廻りともいって

おります。

 住職は村から村へ各家のおつとめをして夕

べには村の檀家が集まって一緒にお斎、その

後宿を会場に法座が開かれる。

 門徒の多い寺では住職は何日も泊まりがけ

が続き、また、その際に法事をつとめたり、

また仮葬していたのを正式な葬式をつとめる

所もありました。

    じさい(持斎)

 お取り越しが終わると旧正月の一月は「せ

きじさい」がつとまります。「せき」とは節

季のなまった言葉で年の暮れのことで一年の

総まとめのお勤め、この場合は村内の親類(じ

さい親類)を招待し、読経のあとお斎、お説

教と続きます。同じように二月の正月も松の

内を過ぎると「春じさい」が始まります。こ

れを「月忌初め」とも云いました。

 このように、越後の深い雪は念仏が大地に

染みとおる大切な冬です。仏事をサイクルに

して一年の生活がある。これが越後の精神的

風土です。

★小針小学校の六年生十二名が

お寺に職業体験に来ました。お

寺の仕事をお話しし、境内の落

ち葉を掃除をした後、ちょうど

水子の法要があり若いカップル

といっしょに『正信偈』を唱和

しました。赤ちゃんが生まれて

こなかった悲しみをいっしょに

感じたようで真剣に法話も聞い

ていました。

★報恩講も終わり梵鐘が朝の六

時から七時に冬時間となりまし

た。稚児の海真が土日だけ朝、

鐘をつくようになりました。ふ

とんから飛び起きて走っていく

姿はけなげです。

★先日、鐘をつきに行くと女子

中学生が梵鐘の下で友達と待ち

合わせをしていました。「鐘つ

いてみる?」と聞くと、「つく

つく!」と喜んでかけよってき

ました。後から来た友達とはじ

めてつく梵鐘に感動して登校し

て行きました。

★できるだけ毎朝、小学校の登

校時に大堀幹線の十字路で交通

安全のために立っています。元

気いっぱいに挨拶をしてくれる

子、眠たい目をして来る子、い

ろんな子供たちに出会います。

雨の日も寒い日も一生懸命登校

する子ども達に元気をもらいま

す。子ども達は未来の希望です。

         (住職記)

淤お

泥でい

華げ

年の始めのお講です

どうぞお参り下さい

 瑞林寺本堂にてインドの

古典楽器シタール・タブ

ラ・サントゥールを奏でる

演奏会を開きます。インド

音楽とは神々への賛歌より

発展した北インドの宮廷音

楽です。楽譜のない即興演

奏で幻想的な世界へ誘いま

す。お釈迦さまもその音を

聞きながら人生を考えたの

でしょう。どうぞ聞きにい

らして下さい。

日時 一月二十二日(日)

 

一時半開場 二時開演

会場 瑞林寺本堂

 チケット 

  前売り 一千円

  当日  一千五百円

瑞林寺にてお求め下さい。

インド音楽コンサート

 ~お寺に響く天竺の音楽~

きじさい」「春じさい」が門徒家庭では村親

戚を招いてつとまります。また、東西別院か

らの巡回のお講や、熱心な門徒は自分の帰依

するお坊さんを招待して法座を開く。在家で

開かれる法座のことを「在会」といいます。

老院の語る

  

親鸞聖人の越後②

お念仏の歳時記