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鋳 わ 押 外 板 ② 型 考 型 を 紙 外 か し の 細 型 に 鉄 し (図 工 か … · 張 り し 、 そ れ に そ っ て ヘ ラ 押 し す る 。 【 考 察

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Page 1: 鋳 わ 押 外 板 ② 型 考 型 を 紙 外 か し の 細 型 に 鉄 し (図 工 か … · 張 り し 、 そ れ に そ っ て ヘ ラ 押 し す る 。 【 考 察

奨励研究

研究報告書

研究課題

芦屋釜の鋳造技術的研究

芦屋町教育委員会芦屋釜の里学芸員

新郷

英弘

Page 2: 鋳 わ 押 外 板 ② 型 考 型 を 紙 外 か し の 細 型 に 鉄 し (図 工 か … · 張 り し 、 そ れ に そ っ て ヘ ラ 押 し す る 。 【 考 察

一.

じめ

に~

研究

の目的

ちくぜんのくにあ

つか

芦屋釜は、筑前国芦屋津金屋

(現在

の福岡県遠賀郡芦屋町中ノ浜)で製作された鋳鉄製

の茶

わにくち

湯釜である。そ

の職人集団は芦屋鋳物師とよばれ、茶

の湯釜だけでなく、梵鐘、鰐

口、香炉、銅像、

かけぼとけ

掛仏など、

仏教具を中心とす

る様

々な鋳物製

品を製作

した。芦屋金屋

の発生

は、梵鐘が造られた

時期からみて十四世紀半ば頃と推定され、芦屋釜

の始まりもその時期を遡ることはな

いと考えら

れる。十五世紀初頭には、芦屋釜と思われる釜が記録にあら

われることから、

その製作

の始まり

は十四世紀以前

に遡

ることは間違

いな

い。すなわち、芦屋釜が製作され始

めた時期

は、十四世紀

後半頃とみ

てよ

いだろう。

十五世紀

には、京

の貴人

の日記類に芦屋釜

の名が散

見され、贈答品と

して高

い人気を博

した

ことがう

かがえ

る。特

に文明十年

(一四七八)

の大内政弘による筑前奪還

以後、大内

氏や

その関係者

から、足利義政や義尚らをはじめ、室

町幕府周辺

の人

々に、多数

の芦

屋釜が贈られたことが記録にみえ

る。十五世紀後半

は芦屋釜需要

の最盛期であ

ったと

いえ

るだろ

う。しかし、十六世紀にな

ると、芦屋釜

の名

は記録にほとんど

みられなくな

る。佗び茶

の考え方

が広まるに

つれ茶人

の道具

の好

みが変化した

ことや、芦屋鋳物師

の庇護者

であ

った大内

氏が滅亡

した

ことなどによ

つて、江戸時代初期頃にはそ

の製作が途絶えたと考えられる。

現在、国指定重要文化財

の茶

の湯釜九点

のうち八点ま

でを芦屋釜が占めており、そ

の美術

工芸

品と

しての評価

は高

い。

一方

で、近世以降、多く

の芦屋写しが造られ、

それらが芦屋釜として流

通しているも

のも極め

て多

い。また、芦屋釜

の特徴

である真形

の形状や、胴部

の文様など

一要

素が芦屋釜鑑定

の基準となり、筑前芦屋産

以外

の茶

の湯釜を芦屋釜として大量

に流通させること

とな

った。芦屋釜は、真贋と

いう点

にお

いて混沌と

した状態

にあると

いえよう。

本稿

では、芦屋釜

の鋳造技術

の解明を目的

とす

る。鋳造技術

は、産地や集団ごとにそれぞれ伝

承された技術

があ

り、それは製品に特有

の痕跡を残す

ことがあ

る。

の痕跡

から技術

を紐解

いて

いく

こと

で、

それぞれ

の集団

の技術的特徴

を探

ることは、将来的に釜

の分類や編年を行う

ため

有力な情

報とな

るも

のと思われ

る。そ

のため、本報告

では筑前芦屋産以外

の釜を調査資料

に選定

ることを極力避けた

いと考えた。

そこで、以下の条件を設定

し、調査資料を選択した。

①形状が真形釜であるも

の。もしくは、替底などで原形をとどめな

い場合、真形釜であ

ったと

推測されるも

の。

②鎧付が鬼面

であり、細部まで表現された厳し

い表情

のも

(後世

の芦屋写しと考えられるも

のの中には、鎧付

の表情が細部まで表現されず、甘

い表情

のも

のがあるため)。

③釜肌を故意に荒らしていな

いも

(肌を荒らして古作にみせる考え方

は、佗び茶

の隆盛以降

の考え方と思われ

るため)。

④中

(中型)が挽き中子法

によ

って製作されたと考えられるも

の。すなわち、内部

に挽き目

があるも

の、もしくは内面に凹凸がなく挽き中子法によ

る中

子成型と考えられるも

(詳細後

述)。

ここでは以上

の条件に合致す

るも

のとして、調査作

の中

から芦屋釜

の鋳造技術的

特徴

が顕著

な次

の作

品を

選択

した。

以下、芦屋釜

の里

の茶

の湯釜製作

工程

にそ

って、芦屋釜

の鋳造技術

の考

察を行う。なお、芦屋町から出土した無地平釜に

ついても、参考資料として取り上げ

てみた

い。

芦屋松竹図真形釜

(湯木美術館蔵)

(図

1)

芦屋霰地真形釜

(美術

工藝振興佐藤基金蔵)

(図

2)

重要文化財

芦屋霰地松梅図真形釜

(根津美術館蔵)

(図3)

芦屋霰地真形釜

(芦屋釜

の里蔵)

(図

4)

無地平釜

(芦屋歴史

の里蔵)

(図

5)

21

二.茶

の湯釜

の製作工程と考察

①紙型

・下絵

の形状や鎧付など全体

のデザイ

ンを決め、縦断面図を実寸

で紙に描

き、

型と

いう。また、釜

の文様となる下絵を決める。

切り抜く。

これを紙

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②外型造型

・ヘラ押

紙型

の半面を木や鉄

の板に写し取り、回転さ

せるため

の軸と取

っ手となる横

木を取り付け

て挽

板を作

る。型枠

の中

に、鋳物土を荒

い土から徐

々に細

かくしながら塗

つけ、挽板を回転させ

外型を造型する。外型

の表面が乾

かな

いうちに下絵を描

いた和紙を水張り

し、それ

にそ

って

ヘラ

しする。

【考察

】芦屋釜のきめ細

かい鉄肌は総肌とも

いわれ、外型造型に細か

い粒度

の肌土を用

いたことが

かる。芦

屋鋳物師

の工房跡

であ

る芦屋金屋遺跡

から

は、胴部

に霰文を施文した真形釜

の羽部

鋳型が出土

しており

(図6)、

その断面も鋳物土

の粒度

によ

って層状にな

っていることから、現代

の外型造型法と大きくは変わらな

いものと想定される。

ヘラ押

しに関しては、文様際に凹状痕跡が

みられる

(図

7

・図

8)。これは、

文様

ヘラ押し

際、

ヘラ

の筆致が

早く、文様周

辺の土が盛

り上が

ることによ

って製品

に凹状

の痕跡が残

ったため

と考えられ

る。現代

の釜師

の多

くは、和紙に墨

で絵を描きそれを鋳型

に水張りして、そ

の上から

ヘラ押しする方法をとる。

一方、芦屋釜

の場合

は、直接鋳型に墨など

で下絵を描き

ヘラ押

しするか、

和紙を水張りし

ヘラ押しし、ある程度

あたりを

つけた

のち

に、、和紙をはがして

ヘラ押

ししたも

のと考えられる。

同様

の凹状痕跡

は、重要文化財芦屋浜松図真形釜

(東京国立博物館蔵)、重要文

化財芦屋浜松図真形釜

(文化庁蔵)などにもみられる。

③鎧付

鎧付

は、粘土

で造

った原型を焼成

して固め、

それに薄く土を付

けて原型

の形を抜き取り、鎧付

の穴となる芯を付け

て鋳型とする。外型を掘

り込んで穴をあけ、

そこに鎧

の鋳型を埋め

こんで

周囲を補修する。鎧付

の原型

は破損

しな

い以上何度も使用

でき、

同じような鎧付を

いく

つも製作

できる。

瀦考察

湿芦屋釜の製作当時も同様な方法だ

ったと想定され

るが、同じ鎧付

の原型を用

いたと考えら

れる作例は極めて少な

い。

の稀有な例として、芦屋松竹図真形

(湯木美術館蔵)と芦屋霰地

真形釜

(芦屋釜

の里蔵)を挙げ

ておきたい

(図

9・図10・図

11)。芦屋松竹図真形釜

(図

9)は、

原型から被

せた土を抜き取

って割

り口を補修す

る際、若干鼻先が

つぶれたよう

であ

るが、

それ以

の形状や

大きさ

はほぼ同じ

であり、同じ原型を用

いた可能

性が高

い。さらには、釜自体

の形状

や寸法、

胴部

の鎧付

の位置なども近似し

ており、同じ挽板を用

いた

のではな

いかと思われる。

の挽板から数個

の釜造りをす

ることは特

に珍

しいことではな

いが、今

に残

る芦屋釜に関してい

えば、そ

のような例は極めて稀

であり注目される。

また、鎧付

の原型に土を被

せて形を抜き取

る際、そ

のままでは抜きにく

いため、鬼

の鼻先よ

り上部、も

しくは下部

のどちらかを、中心から縦

つに割

って原型を抜き取る。芦屋霰

地松梅図

形釜

の鎧付

の頭頂部

には、バリーがさ

しているところから

(図

12)、鎧付鋳型

の上部を割

って

原型を取り出

した

ことがわ

かる。

このような細か

いと

ころにも、産地や職人集団

の違

いがあらわ

てくるも

ので、芦屋鋳物師

の技術的特徴

一つと

いえ

るだ

ろう。なお、

それに近

い頭頂部

の痕

は、重要文化財芦屋無地真形釜

(相国寺蔵)などにも

みることができる。

なお、芦屋釜

の鬼

面鎧付

ついては、その表現法から大きく二種類

に分類

できるも

のと思われる。

それは、頭上に

こぶ状

の表現を施し鼻筋

一本

のタイプ

(図

9

・図

10

・図

11)と、頭上に巻

の表現を施し鼻筋

が二本

のタイプ

(図

12

・図

13)

であ

る。

の違

いは、製作集団による

差異とも考えられ、後者は大江宣秀

の作例

である芦屋霰地松梅図真形釜が知られることから、芦

屋鋳物師

の中

で最

も多

の作品に名を残す

「大江」

の鎧付と

みることも

できる。

調査点数が増

えれば、将来的

に芦屋釜

の分類や編年を行う際

の重要な要素となると思われ、問題提起として

言記しておきた

い。

22

④中子造型

2

中子は釜

の内

の鋳型

であり、釜

の厚み

の分だけ、外型と

の問

に隙間ができ

るよう考慮

して造

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型す

る。芦

屋釜

の中

子造

は、挽き中

子法と

いう技法

を用

いて

いる。挽

き中

子法

とは、中

縦断面

の形を切り抜

いた挽板を回転さ

せ、それに土を付けながら鋳型

を造型す

る方法である

(図

14)。梵鐘や花生等

の中子造型

には、

現在も挽き中子法を用

いることがある。芦屋鋳物師活動期

の製作

に関する史

料は全く残

っていな

いが、宝永六年

(一七〇九)成立

『筑前国続

風土記』土

キナ

産考

の芦屋釜

の条には、

「京江戸

の釜匠も、芦屋流

に伝ふる引中心と

云精巧

の法を知らす」と記さ

れており、

「引中心

(ヒキナカゴ)」法が、芦屋鋳物師

の伝統だ

った

ことを伝え

ている。

ここでは、

現代的な表記に直

「挽き中

子」を用

いる。

四考察

】芦屋釜

の中子を実

見す

ると、

口裏

に同心円状

の筋状痕跡が残るも

のがあ

(図

15)。

れが挽き中

子法

の痕跡

である。芦屋釜

の里

の製作実験から、挽き中子法を用

いても必ずしも挽き

目が入るわけではな

いことがわ

ってきたが、総

じてそ

の内部

は凹凸がなく美し

い。

この挽き中

子法

の痕跡

は、芦屋釜をみる上で最も重要な技術的ポイ

ント

であ

る。

⑤中子納め

外型・中子を焼成

し、それらに鉄の焼き

つきを防ぐため

の煤や黒味

(炭汁)を塗布す

る。外型

(上

かたもち

型)に中

子を納

め、厚みを保

つための鉄の型持をお

いて外型

(下型)を被せる

(図16)。

四考察

】芦

屋霰

地真

形釜

(美術

工藝振興佐藤基金蔵)

には、

口裏内部

一条

の段差が

みえ

(図

まま

17)。

この痕跡

は、外型

に中子を納める際、幅,置

の部分が若干合わず、中子が浮

いたためにでき

た痕跡と考えられ

る。

これは外型と中

の鋳型を別

々の挽板

で造型す

る挽き中

子法に稀

にあらわ

れる痕跡

であり、挽き中

子法を用

いた傍

証ともな

ろう。芦屋釜

の里における復元製作にお

いても、

同様

の痕跡がみられた

(図18)。な

お、これに近

い痕跡は、重要文化財芦屋無地真形釜

(相国寺蔵)

にもみられる。

⑥鋳

込み

(吹き)

.醜燵

(溶解

炉)

に木炭と鉄を交互に入れ

て熱

し、鉄を溶

かす。溶けた鉄を杓

で受け、鋳

型に流

し込む。なお、芦屋金屋遺跡から

は、甑炉を据えるため

の基底部が出土

している。

四考察

囲芦屋釜

の胴部

の厚

みは、薄

いも

のでニミリ程度

のも

のもあ

り、明らかに軽さを意識

して製

作された

ことがわかる。薄物

の製作

には、甑炉による金属溶解

が適

していることが、近年

の芦屋

の里

の製作実験によ

って明らかにされ

つつあ

る。

溶湯

は鋳型

の釜底にあた

る部分に設けた湯

口から流

し入れ

る。芦

屋釜

で製作当初

の底を残す例

はほとんどなく、未だ

その例を知らな

い。伝承では、芦屋釜

の湯

口は梵鐘などと同じよう

一文

字形

の湯

口であ

ったとさ

れているが、実際

はよくわからな

い。芦屋町出土

の無地平釜は、中

子成

に挽き中子法を用

いて

いると

みられ、芦屋鋳物師

に関連す

るも

のと考

えられるが、そ

の底

は生

底であり、湯

口は丸湯

口であ

(図19)。あるいは、芦屋釜

の湯

口も丸湯

口であ

ったかも

しれな

い。

23

⑦仕上げ

吹き

の翌

日、鋳型

から釜を取り出す。

の表面を銃びさ

せ、錆色を

つける。

砥石や土を付けたワラなど

で表面や内面をみがき、整え

る。

三.おわりに

本報告

では、芦屋釜に残る痕跡

から芦屋釜

の鋳造技術

の解

明を試

みた。頁数

の制約からすべて

の調査資

料を掲載

できなか

ったが、

いずれ発表

の機会をもちた

い。

これま

での調査

で、芦屋真形

釜に関しては鋳造技術に関す

るデ

ータが徐

々に蓄積され

ている。今後

は、他産地

の釜

の鋳造技術

ついても調査を行

い、

可能な限

りその産地

の特異な技術を明らかにした

いと考え

ている。

ては、各産地の釜

の学術的分類を、多

少なりとも進めることができればと思う次第

である。

なお、『野村美術館研究紀要』第

19号

の拙稿

「芦

屋釜

の鋳造技術

(二〇

一〇年)

にも同様

条件

で作品を選択し、芦屋釜

の鋳造技術

の解明を試みている。今

回の報告と合わせて参照されたい。

Page 5: 鋳 わ 押 外 板 ② 型 考 型 を 紙 外 か し の 細 型 に 鉄 し (図 工 か … · 張 り し 、 そ れ に そ っ て ヘ ラ 押 し す る 。 【 考 察

図12鎧 付(部 分)

◎芦屋霰地松梅図真形釜 根津美術館蔵

図9鎧 付(部 分)

芦屋松竹図真形釜 湯木美術館蔵

図10鎧 付(部 分)

芦屋霰地真形釜 芦屋釜の里蔵

図13鎧 付(部 分)

◎芦屋霰地松梅図真形釜 根津美術館蔵

図11鎧 付(部 分)

芦屋松竹図真形釜 湯木美術館蔵

図7文 様際の凹状痕跡(部 分)

芦犀松竹図真形釜 湯木美術館蔵

繍 雛糖鞭縫 〆1緊難翼くく緒 ∵

場.無`ノ 無

嘱 劉 諺 ㌣

図8文 様際の凹状痕跡(部 分)

◎芦屋霰地松梅図真形釜 根津美術館蔵

図4芦 屋霰地真形釜 芦屋釜の里蔵

増鶴

・島ぞ㍉ く

図5無 地平釜 芦屋歴史の里蔵

「塗㍗

なケ

ゆぼジ

.

露殴

灘辮儲嶽

 

壌〆

図6金 屋遺跡出土鋳型 芦屋歴史の里蔵

24

図1芦 屋松竹図真形釜 湯木美術館蔵

繋難 嚢撫 ξべ \醜 藁藩 詣 ∫ノ曝 ギ ゴ塗脚 ∵脳雪℃ 天響 パ 碁 鯵}㌦ ご劉

綜乾.望..一 ξギ 編

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図2芦 屋霰i地真形釜 美術工藝振興佐藤基金蔵

'

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∴1二∫1ご ぐ礁,

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∵窒艶 議 ∫墾 ジ 瀬

図3◎ 芦屋霰地松梅図真形釜 根津美術館蔵

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図14i挽 き中子法の様子

芦屋釜 の里 工房

し._鑛 諦

幾1鱒菱 ゆ一 ㌧ ㌧ ㌻ す

図15釜 内部の挽き 目(部 分)

芦屋霰地真形釜 芦屋釜の里蔵

♂∴㌔

・♂ ・包 湯 口 ∵.・ .・ 、じ 巳59gb●L

rσ β

・外 型 い ・砲1」'(下型)一

,・ ●`

…型 持 い ∵、●轄 「.、'… じ

曾6.囁

・縣

識∴

≒渉 毒:1藍:撮;ぎ璽1

1

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ii..1・ 曜

、 ㌦:辱

萄 管 儀

、..1

㌔ 瓢.』,

外 型 ・1(上型)

、9●

:fゴ ・

.h:

鵬1∴r!1,

●●

畢 ● ・

●駈\ 見切り

噛o匹

o

幅置

図16釜 鋳 型断面模式 図

蕪灘灘i購難 鞭i騨織繰騨ヤ禦警灘霧驚鰻臨

∵灘 撫 

図17口 裏内部の段差(部 分)

芦屋霰地真形釜 美術工藝振興佐藤基金蔵

轟 麟 羅 韓   ㍉磯鴇輪 糠 ・一晦 露 ,醤難黙 奪鍵灘 轟i鉾論瀞 難難環 鰭 羅 、

惣轡 響撫響鞭i噸 苧v冒'鞠

。 ∴ 一 ボ1㌧ ぐ

図18口 裏 内部の段差(部 分)

芦屋釜 の里復 元製 作釜

,礁図19湯 口の痕跡(部 分)

無地平釜 芦屋歴史の里蔵

25

※◎は重要文化財

謝辞本

稿

を成す

にあたり、

石洞美術館

・根津美術館

・湯木美術館

・芦屋

町の各機関

の方

々にご協力

を賜

った。記して、深く感謝

の意を申

し上げる。

註-

鋳型

の隙間に溶湯がさ

しこんで固ま

ったも

の。

2

現代

の釜師

の中子造型法

は、削り中子法

(込め中子法)が多

い。削

り中子法

は、外型に中子砂

を込め、製品と同じ土塊を

つく

って抜き取り、それを厚

みの分

だけを削

って溶湯

の入る隙間を作

り出す方法

である。