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杉浦君の表紙畵 - TNRICP(TOBUNKEN) Top Page...と 思 ひ ま す 畵 家 と し て の 希 か ら 私 の 個 人 と し て の 覺 を 言 ひ ま す れ ば 只 一

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  • ◎日比谷の圖書館で表紙畵裝幀藏書印等の展

    會があるといふ事は新聞でも見ましたし

    杉浦君から招待

    狀を貰つたので知りましたが私は第一に恁ういふ計畫のあるのは誠に結構な事であると思ひました

    元來書籍

    の裝幀に重きを置かぬといふのは費用の點もある事でせうが外國では古くから裝幀に就ては餘

    硏究されて

    居まして之が陳列會などもあるやうですが我國では今まで一向さういふ話も聞きませんでした

    ところが今度

    日比谷圖書館で企てられたのですから私は非常に面白い事だと思つて居ました之から先も恁ういふ事は度々や

    つて見たいものです

    ◎一體書籍の裝幀を美しくするといふ事は裝

    ばかりでなく或意味に於ての實用であつて表紙の意匠は其內

    容と相俟つて深い關係がなければなりませんが日本の書籍-

    殊に洋書の如きは

    年になるまで餘り見るべき

    ものがありませんでした藏書印にしても外國の如く美

    的の圖案を拵へてそれを自

    の藏書の證とするとい

    ふ事は誠に面白い事ですから日本でも恁ういふ方面を開拓して何とかすれば

    に面白いものが出來ることで

    せう

    ◎あの展

    會にある表紙畵は杉浦非水君一人のものでありますが表紙畵は最も日本の現代では必

    なもの

    一です之とても十四五年

    に溯れば誠に幼稚極るものであつて確三十年頃かと思ひますが『新小說』の表紙に

    杉浦君の表紙畵

    黑田淸輝氏(談)

  • 私共の關係ある人どもで懸賞の表紙畵の圖案を募集した事がありましたが其當時當

    した人で今では有名にな

    つて居る人もあります

    其時代に比

    すれば今日の圖案の

    步といふものは非常なもので現今では雜誌の表紙

    とも云はれるもので幾

    を施してないものはなくなりました

    ◎然し其中でも杉浦非水君の圖案-

    殊に『みつこしタイムス』『三越』などの表紙圖案の如きは實に巧妙なもの

    であります數年

    の表紙畵は殆ど多くは

    紗形だとか

    襟のやうなもので內容とは何等の關係もなくまた

    口繪にしても色

    の配合線の配置に何等の工風がなく單に繪や色をあしらつてあるといふまで

    したが今日

    の非水君の圖案を見れば誠に行き渡つたものであつて表紙を見れば之は凡そ何ういふ內容のものであるといふ

    事も伺ひ知れる

    季節に應じて誠に目新しいものを書き現はし然も色

    の配合にしても人目を惹くのみなら

    决してた

    廣吿一

    の野

    なものと

    ひ寔に優しい線を用ゐて

    和好き色を配してあります

    ◎それが『三越』『みつこしタイムス』に於て殊に完

    に見えますが夫

    印刷に費用を

    して居ない簡單に制

    限されたものさへもなか〳〵立

    なるものがあつて人の目を惹く點に於て

    敢て下品でない

    杉浦君は書生時

    代から私の知れる人でありますが極めて

    面目な修業をした人であつて天然の趣味があの人

    圖案に

    した

    人は誠に尠いと思ひます

    明治三十六年には大阪で『三十六年』といふ雜誌の表紙を書いた事がありましたが其

    時既に變

    に富んだ面白味のある表紙畵を每號つ

    けて書かれて今日あるは其時既に伺ひ知られました

    ◎然し『みつこしタイムス』あつて杉浦非水君の

    倆は益

    發展して來ました

    先づ今日少し賞め

    ぎる

    かも知れぬが私の知れる範圍ではあの人位に表紙の圖案を完

    に書く頭のある人は他に見出す事が出來ん

    杉浦君の表紙畵

  • と思ひます

    畵家としての希

    から私の個人としての

    覺を言ひますれば只一の缺點があります

    缺點とは言

    へぬかも知れぬが-

    餘り上手

    ぎる上手

    ぎるといふは缺點といへぬけれども餘りに器用で餘り立

    で餘り

    綺麗である爲め私個人として

    ずるのは今少し拙い事がです-

    拙いと言つても見

    しいではない 

    今までの

    如く立

    であつてそして今少しく

    者とか巧妙とかいふ事が見えなければと思ふ

    之は杉浦君は出來ぬ事はな

    いしやうと思へば彼の

    量では屹度出來るけれども私の希

    するやうな事は『三越』『みつこしタイムス』や現

    代の雜誌には不必

    の事であらう

    ◎氣が付いてもやらぬやらうと思へば何でもないが之をやれば或は人の氣に入らぬ事になりはしまいか結

    局私の申した缺點とか希

    とかいふのは私個人としての考へで决して非

    した譯ではない

    倆が

    する

    せぬかの疑を

    いて居るといふのでは决してない

    先づ之を申せば實に思想

    の上に現代に

    當した圖

    案畵家は他に求むる能はずと私は深く

    じて居ります

    ですから『三越』

    び『みつこしタイムス』は杉浦君に依

    つて益

    表紙として廣く世間の雜誌を凌駕し杉浦君は之に依つて十

    に其

    量を揮はれん事を希

    します

    ◎あの『子寳』の如きも誰でも氣の附く事でせうが表紙の色なども友禪染になつて居るこれ抔も甚だ面白い

    色取りをして斯

    までに

    心して居るかといふ事は一見しても知られるので一

    の責ふさぎの物などとは大に

    を異にして居ます恁ういふやうな

    意が其

    倆の發

    を助けるといふのは决して偶然の事ではなからうと

    私は信じます

    『三越』二五

    明治四五年五月

    杉浦君の表紙畵

  • 明治四五年三月三一日

    四月一二日に日比谷図書館で開催された杉浦非水の「書籍装幀雑誌表紙図案展覧会」を受けての

    所感

    非水は明治四一年より三越呉服店に勤務しその

    誌である『みつこしタイムス』や『三越』の表紙デザインを担

    当日比谷図書館での展覧会はそれらの仕事を含めた書籍装幀や雑誌表紙等により構成された

    図案家として名を馳せた杉浦非水(一八七六

    一九六五年)は

    明治三〇年に合田清の紹介により黒田の知遇を得

    三四年には一時期黒田家に寄寓し

    その門人とな

    一九〇〇年パリ万国博覧会を見聞した黒田の持ち帰

    た諸資料に

    より

    非水はア

    ル・ヌ

    に開眼したという

    黒田と非水の交流については

    黒田の逝去に際し非水が『都新聞』

    に寄せた「黒田清輝先生」(大正一三年七月一七

    二〇日)を参照

    杉浦君の表紙畵