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小
川
陽
子
二〇一一年十二月
山陰研究
第四号
抜刷
島根大学法文学部山陰研究センター
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【資料紹介】
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小
川
陽
子
(松江工業高等専門学校)
摘
要
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』は、幸若舞曲「烏帽子折」の絵入り本を屏風に仕立て直したものである。その紹介を兼ねて、全文
を翻刻する。
キーワード:
屏風、奈良絵本、手錢記念館
はじめに
大社町で三百年あまり続く手錢家は、江戸期に酒造業を営み、貴重
な典籍や絵画その他の美術工芸品を多数所蔵している。このたび紹介
・翻刻する『烏帽子折屏風』もその一つである。ただし、いつ頃どの
ような経緯によって同家に収められたのかは定かでない。
当該屏風は六曲一双で、奈良絵本を屏風に仕立て直したものである。
もととなった奈良絵本の題名は明記されていないが、その内容から、
幸若舞曲「烏帽子折」を絵入り本としたものと判断される。幸若舞曲
「烏帽子折」は人気の演目であり、読み物としても人気が高かった。そ
の絵入り本としては、京都大学附属図書館蔵本、実践女子大学蔵本、
都立中央図書館加賀文庫蔵本などが知られている。
当該屏風は、右隻左隻ともに三段にわたって奈良絵本が貼られてい
る。一枚の欠けも錯簡もない逸品であるが、各曲の左右端にあたる部
分が一部判読できなくなっている。このたびの翻刻にあたっては、「(一
行判読不能)」との形で示した。
挿絵は基本的に各面の三分の二から下半分に描かれ、上部に物語本
文が書かれている。当該屏風の精細な画像は島根大学附属図書館デジ
タルアーカイブにて公開予定のため、詳しくはそちらを参照されたい。
〔参考文献〕
・『京都大学蔵
むろまちものがたり』第2巻(平13・臨川書店)
山陰研究(第四号)二〇一一年十二月
-148-
一七
・宮腰直人氏「語り物と絵画の交錯―絵入本『烏帽子折』小考」(『国
文学解釈と鑑賞』第74巻10号
平21・10)
〔付
記〕
貴重な御所蔵品の調査をお許しくださった手錢白三郎氏、手錢裕子
氏、調査にあたりさまざまご教示を賜った手錢記念館学芸員佐々木杏
里氏に記して厚く御礼申し上げます。
なお、本稿は山陰研究センターの山陰研究プロジェクト「山陰地域
文学・歴史関係資料の研究」(研究代表者・要木純一)による研究成果
の一部である。
右 隻一八
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
-147-
左 隻
(右 1)
-146-
一九
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
翻刻凡例
一、底本の変体仮名は、すべて現行の字体に改めた。
一、漢字については、できるだけ底本の字体を尊重して、印字可能な
範囲で底本の字体の再現を試みた。
一、判読不能の文字がある場合は、その個所を■で記した。ただし、
一行全体が判読不能の場合は、「(一行判読不能)」と記した。
一、底本の誤写・誤脱と思われる箇所もそのままとした。
一、奈良絵本の丁移りと曲の境とが必ずしも一致しないため、便宜的
に、各曲の右上段から順に、曲ごとに(右1)〜(右18)、(左1)〜
(左18)の通し番号を付した。
翻
刻
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か殿くらまの寺を御出ありけふよろこひにあふみなるのちのしゆくに
てきちしのふたかにゆきあはせたまふその日のとまりはかゝみのしゆ
くきちしかやとはきくやなりかゝみのしゆくのゆふくんともさつしや
うかまへきちし殿をもてなすされともきちしよに有かほなるふせいに
てしゆんのさかつきめくらしきやくのさかつきとはせけれはそのゝち
はさかもりになるあらいたはしやうしわか殿は人めをつゝませ給ふあ
ひたきり(右1)(一行判読不能)たゝすみ給ふこゝに平家のさふらひ
大しやうにけんもん大郎よりかたあく七ひやうへかけきよひたの三郎
左衛門はやむまにのつてはんはのしゆくよりもふれてとをりけるやう
はこのろしを十六七なるせうしんのとをらせ給ふ事のあらはみやこへ
御とも申てのほりたらんするともからに上下をゑらますくんこうある
へしとふれてその日にみやこへとをりけりうしわか殿きこしめしあら
くちをしやこのきにてあるならはなにしにくらま寺をは出けるそやそ
れはつしやうのおうちひろしと申せともとしにもたらぬうしわか身の
をきところのなき事こそなによりもつてくちをしう候へさりなからたゝ
いまはちことこそふれて候へおとことふれてあらはこそしよせんおと
こになりてくたらはやとおほしめしやとの下女をちかつけこのへんに
ゑほしおりはし候か下女うけたまはつて今日みやこよりくたらせ給ふ
人のこれにてゑほしのおたつねさふらふかさりなからあのむかひに見
へたるたかもかりのうちこそ五郎大夫と申てゑほしのしやうすにてさ
ふらふおたつね候へうしわかなのめにおほしめしもかりのうちへたつ
ね入あんない申さううちよりもたそとこたふるいやくるしうも候はす
きちしのふたか■ともして(右2)くたるくわしやにて候かゑほしの
しよまふにて候大夫きいてうしわか殿をしやうし申くわしやとのゝめ
されうするゑほしは大さひさうかこさひかしんせいやうかたうせいや
うかいかやうなるをめされうそうしわか殿はきこしめしあらくちをし
やゑほしはたゝくろけれはくろいとはかり心得たるにあまたのなのあ
りけることよなにとなおらせうなあふおもひいたしたりわれらかせん
そはひたりおりをめさるゝとうけたまはりおよへは人かすならぬうし
わかもひたりへおらせきはやとおほしめしなふ大夫殿このくわしやか
きうするゑほしはそれなる大さひにつふのちつとあららかなるをひと
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二〇
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
-145-
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あのゝ御さうし五郎はとをたふみのかはの御さうしのりより六は大こ
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たまふたう寺くらま寺に御さあるうしわか殿さまこそめされうするや
はわ殿はらかやうに吉次かともをするくわしやかひたりおりをきうす
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-144-
二一
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
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しくらまの大ひたもんをとり申さうすたちはたもんのつるきかたなは
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も三々九とかたなのまへにも三々九とをたむけあつてそのゝちわか身
もおめしありさてもこよひのきやくしんかなをは何とつかうそけみや
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てしきのゆわひをとけさせ給ふあらいたはしやこのきみ御代か御世に
て御けんふくましまさはあめかしたのしよさふらひまいりほうこう申
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くめてたき中にもさきたつ物はなみたなりあけゝれはかゝみのしゆく
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もにひとりことをして大郎の八郎のたもんの八まんのあれをめし候へ
これおめし候へと夜とともひとりことをしつるおかしさなんととてと
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てめされ吉次か前にかしこまつておはします吉次きつとみていやくわ
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ならいのあると申かさてくわしや殿はたれをゑほしおやにめされ候そ
うしわか殿はきこしめしさん候人々のゑほしめしつれたるかうら山し
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けてめしつかはれ候へ吉次きゝあふその其迄はちからおよはすけふよ
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しと申に御身かやうになまめひたるわかものをかちにてろしをつれん
するか大事けふよりして吉次かたちをかついておくへくたり候へそれ
二二
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
-143-
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めしこれかたとへに申かや世はまつせにおよふといへとも日月はいま
たちにおちつてんしやうのからにしきくたつててんしやにましはる事
なしなにとしてけんしのちやく��かうきよをわたる吉次かたちをも
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ますちゝよしともの御はかせをもつにこそとおほしめしひけきりの御
はかせをわつそくにかけ吉次かたちをかついておくへくたらせたまひ
けりなみたのあめはたまかつらむかしはかけて見し物を吉次やう��
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のしゆつしの御とも申ししき(右9)(一行判読不能)■■さやうのほ
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にをしへてめしつかはれ候へきちしきいてやあさやうのことはわたく
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-142-
二三
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
其ために奥へおくたりましますかこのしゆくにおつきあり夜とともふ
ゑをあそはせしおんせいいきさしほとひやうし物あひすんたるところ
はからはし殿のふゑにはみきわまさつておほへたりこれほとのふゑに
てさためてかくはふくらんにかくひとてあそはせみなもときこしめし
とてもてうしをふくうゑふかはやとおほしめし一こつてうに(右12)
ねをかへしゆつこんらくをあそはすやかてをしかへしくわいはいらく
をあそはすちやうこのよしをきこしめしおもしろのふゑの音やあらお
もしろのかくのなやくわいはいらくといふかくさかつきをめくらすた
のしみけこもしやうこもをしなへてさけをのめとのふゑの音やしかる
へくはあすはかり吉次とのかとゝまれかしきやうとうたにふゑをふか
ちやう
せくわけんしてあそははやきみの○はきこしめしあらおもしろのふゑさ
ふらふやみつから一つたまはつてたゝいまのふゑのとのにおもひさし
申さう吉次きいていかにきやうたいうちのものちかうまいりて物をき
けされはそれかしかみやこにて申せし事はこれそとよふゑをはふかす
ともこしにさせまひはまわすともつねにあふきをもてと申せし事はこ
れそとよあのきやうとうたかふゑふかぬ物ならはしやうらうさまの御
さかつきをなにとしてたまはらふそそれ一つたまはつてけんせのみや
うもんこしやうのうつたへにせようら山しの京藤大とさかつきをうら
やみしはことはりとこそきこへけれそのゝちうしわか殿の御さかつき
をかなたこなたへめくらし夜もふけゝれははまちとりのおつほねさか
つきをおさめみなつほね��へそかへられけるさるあひたはまちとり
のおつほねこせたちをあつめいせんにふゑふひたるきやうとうたとや
らんはみめもいつくしきものふゑもしやうすたゝしと申におかしきこ
とを申つるものかなそれ笛(一行判読不能)(右13)天人の一ゑかくし
こうほう大しのせみおれさてわかてうのふゑにはうちやまとしま竹よ
り竹なんとゝこそ申せまたこそしらねくさかりふゑとはあふむかしの
人は心にいたりかなふしてふゑにてくさをかりたれはこそくさかりふ
ゑとは申つらんおかしさなんとゝてとり��にこそわらわれけれきみ
のちやうは物こしにてきこしめしあらわこせたちはそのくさかりふゑ
のいわれをしつてわらふかしらてわらふかひやくやうをしつたりとも
一やうをしらすはあらそふことなかれと申たとへのさふらふそやいて
��そのくさかりふゑのいはれをかたつてきかせ申さうむかしわかて
ふにようめいてんわうと申せしは十六にならせ給ふまてきさきのみや
もましまさすあるとき天上人さしあつまつてあふきを六十六ほんおり
六十六本にゑ女はうをかゝせくに��ゑまはしいかなるしつのめしつ
の子なりともこのあふきのゑににたる女はうやあるいそき大りへまい
らせよ一のきさきにいわふへしと日本國をふれらるゝ日本ひろしと申
せとも此あふきのゑににたる女はうは一人もなくしてあふきはみやこ
へかへりけるかゝりけるところにつくしふんこの國うち山とい■とこ
ろに(右14)ちやうしや一人ありかのちやうしや四はうに四まんのく
らをたてすめはしまのちやうしやと申せしを人の申やすきまゝにまの
殿とこそ申けれかのまの殿四十のいんに入まて子のなきことをかなし
みうち山のしやうくわんおんにまいり申子をこそし給ひけれいまには
しめぬくわんおんのねかいのほともはやみちてほうしゆをたまわると
(右15)(一行判読不能)御らんして御ちやくたいの御身となり七月のわ
つらい九月のくるしみ十月半と申にはさんのひほたいらかなりとりあ
け見給へはたまをのへたることくなるひめ君にておはします御むさう
によそへてたまよのひめとなつけ申いつきかしつきたてまつるあると
きこのひめ十四のはるのころかのゑあふきのくたるにひきあはせて見
てあれはものいうものとおもひなはあふきのゑかねたむへうに見ゆる
二四
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
-141-
大りへ(右16)そうもん申たりけれは御かとゑいらんまし��ていそ
き大りへまいらせよ一のきさきにいはうへしとやかてちよくしたつち
やうしやうけたまはつてたとひせんしにてもあれたゝ一人のひめなれ
はおもひもよらぬことなりとせんしをそむき申さるゝ御かとゑいらん
まし��てそのきならはまの殿日のうちにけしのたねを一まんこく大
りへそなへまいらせよそれかかなはぬものならはひめを大りへまいら
すへしとかさねてちよくしたちけれはちやうしやうけたまわつてこは
いかにたとひ日かすをふるならはいかていのものをももとむへきかこ
とさら日のうちにけしのたねを一まんこくなにとしてかいもとむへき
そや(一行判読不能)(右17)(一行判読不能)しやの女はうこれをきゝ
なふまの殿いたうなさわきたまひそとよ御身十八みつから十四のあき
よりもちやうしやのいんかうかうふつうちのけんそくなにわにつきて
とほしきことはなけれともかゝるものはときとしてくさあはせにもあ
ふやとてあのいぬいのすみにあたつてかやくらをつくらせとし��た
ねをとりあつめてをひたるか一まん石はそはしらす十まんこくもある
らんちやうしやなのめによろこふてさらはくるまをかされとて車のか
すをかさつて日のうちに一万石大りへそなたへたてまつる御かとゑい
らんまし��てしよせんたゝまの殿はさて三國一のちやうしやてあり
御かとゑいらんまし��てそのきならはまの殿しよつかうのにしきを
もつてりやうかいのまんたらをはたいろに七なかれおりつけてまいら
せよそれかかなはぬ物ならはひめを大りへまいらすへしと■■ねての
■■■したつちやう(右18)
しやうけたまわつてこはいかにしよつかうのにしきをもつてりやうか
いのまんたらとやらんはそれはほとけたちのしやうとにてはすのいと
をもつておらせ給ふとうけたまわることさらわれらはほんふの身とし
いかにとしてはもとむへきそやあ女はうたゝひめを大りへまいらすへ
し長者の女はうこれをきゝたゝ一人のひめなるを大りへそなへまいら
せきよくろうきんてんのうてなのうちのすまゐをせはわか子とはおも
ふとも見んすることもかたかるへしゆふさりは夜とゝものなこりをし
みのくわんけんなりされともあかつきかたはまとろみたまふかゝりけ
る所にうち山のしやうくわんおんちやうしやふうふまくらかみにたち
よらせ給ひいかにきくか長者御身かむすめはみつからに申子よなをし
む所もふひんなれはもろ��のほとけ立をしやうし申長者か中のてい
ちやう
にてにしきをおるそちやうもんせようけ給て長もんするたなはたひこ
ほしのおるひのおとはていほろゝこれはさなからみのりなりはたいろ
に七なかれおりつけて長者殿の中のていにをき給ふ長者なのめによろ
こうていそき大りへまいらせけり御かとゑいらんまし��てしよせん
たゝまの殿はほとけにてましますやほとけのむすめをこひかねて十せ
んのくらゐをすへるともなにかはくるしかるへきとくらゐをおすへり
まし��て(左1)十六の春のころたとろ��とくたらせたまひける
ほとに十八日と申にはふんこのくにゝきこへたるはやうち山につき給
ふさるあひた御かとはとある小家に一夜のやとをかり給ふやとの大夫
御かとを見まいらせあらいつくしのせうしんや御身はさていつくの人
そ御かとゑいらんまし��てみやこのものにて候さん候これはならは
ぬたひをうきくものとまりさためぬしゆきやうしやにて候大夫きいて
花のみやこの人はなんのためにかゝるおんこくへはおくたり候そ御か
とゑいらんまし��てほうこうののそみにて候大夫きいてあらしよう
のくわしや殿かほうこうこのみやこの大夫はちやうしや殿のししんに
て候かこのとしになるまて子といふものをもたす候けふよりして子に
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二五
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
なり候へてんちをかうさくせんするとも又くわいせんをせうするとも
それは御身のまゝさうよ御かとゑいらんまし��て御らんせられ候こ
とくやうりうの風にふけたることくにててんちおかうさくせんことも
又くわいせんとやらんも中��おもひもよらぬ事にて候たゝほうこう
ならはとおほせけれは大夫きいてそのうゑはちからおよはすさらはち
やうしやに申さんとてちやうしやにかくと申ちやうしやきこしめされ
ていそいて■■てまいれうけ(左2)たまはると申て御かとをくそく
したてまつるちやうしやいてあひ給ひあらいつくしのせうしんや御身
はいつくの人そ御かとゑいらんまし��てみやこのものにて候ちやう
しやきこしめされてなをはなにと申さんろと申候ちやうしやきこしめ
されてさんろとは山のみち人なにははしめてきいたりおもしろひなや
なふいかにさんろ殿このちやうしやこそうしを千ひきもちたるか九百
九十九ひきにはとねりかつきてかいさうかあれなるあめなるうしをは
とねりかはつたとにくんてくさをも水をもかいさうぬけふよりしてさ
んろ殿にたてまつるくさをも水をもよきにかうてたひ候へあらいたは
しや御かとはこひゆへりやうしやうし給ひてあくれはうしのくちをひ
き千人のとねりとうちつれてうしろの野へにいてさせ給ふかゝりける
ところに千人のとねりともはかりならひたる事なれはてんてにかまを
ひつさけてかきよせ��くさをかるいたはしや御かとはいつかりなら
わせたまはねは牛にうちかゝりふゑ打ふいてましますむまははとうく
わんおんうしは大日によらいのけしんとうけたまはるかけにやさあり
けるか人間は見しり申さねとちくしやうなれともいろふせいを見しり
たるかとおほしくてくさをもはますつのをかたむけしたをたれ御かと
のふゑをちやうもんす千人のとね(左3)りともこのよしをきくより
もさんろ殿かふく物のなをはなにといふやらんよこふゑと申さうあふ
おもしろひそやさんろ殿くさはしかるなふゑをふけなんちかうしくさ
をかりてかけふそやうふけよ��といふほとに一ともくさをかりたま
はすこれをもつてこそ夜ふけてこゝろすめるをはさんろのくさかりよ
るのふゑわかめかるはたこのうらわかくさかるはむさしのよわかめわ
かくさわかのうらようめいてんわうのこひゆへあそはすふゑをこそく
さかりふゑと申なれこれはつくしの物かたりさてみやこには御かとを
うしないたてまつりくきやうてんしやう人さしあつまつてはかせをめ
さるゝはかせまいりてうらない申こうする八月十五日にうさ八まんの
御前にておはうしやうゑと申事をとりおこなわせ給へてんしやう人は
きこしめしそれはさていかていの物にさすへきそはかせうけたまはつ
てさん候つくしふんこのくにうち山と申ところにちやうしや一人あり
かのものに御神事をつとめさせらるゝものならは御かとはみやこへく
わんきよあつて天下はめてたかるへしとれいもんをひきて申天上人は
きこしめしさらはつくしへししやをたてよとてちやうしやのかとにさ
か木をたつるちやうしやおりふしいてあひたまひこはなにといへるし
さひそさん候こうする八月十五日にうさ八まんの御前にておほうしや
うゑと申事をとりおこなわせ給へち(左4)やうしやきこしめされて
それはさていかていの物か入さうそさん候まつしきしやうこくしやう
しんくわんみや人八人のやおとめ五人の神くらおとこまいりていとう
のつゝみをうちさつ��のすゝをふりあけけいはあけむま御子のむら
しゝてんかくとをつてのちやふさめさうよちやうしやきこしめされて
あらむつかしけなる事やとてきんりきんかうをたつぬるにのこる物は
みなそろへつれともかのやふさめとやらんにはつたとことをかくその
ときちやうしや千人のとねりともをあつめもしなんちか中にやふさめ
はししつたるかとねりうけたまわつてかみたにもしろしめされぬにこ
二六
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
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とさらわれらはあけくれうしにこそのりならひて候へそのやふさめと
やらんは中��おもひもよらすにて候ちやうしやきこしめされてけに
��それはさそあるらんあのめのさんろはみやこのものときゝつるか
もしやふさめしつて御神事をつとめ(左5)むこにとらふす其ときみ
かとにつことおわらひあつてさん候やふさめとやらんはなによりもめ
てやすきさうなる物にて候さてもみやこには十ちやうにはゝをやつて
二ちやうはのけはゝとなつけ八所にまとをたてゝあそはすをは八つめ
のまとゝ申てこれはくきやう天上人のわささて神の御前には三ちやう
にはゝをやつてまとをたてゝあそはすをはこれはやふさめとなつけて
これはふしのしわさにてなによりもつてやすさうなる物にて候ものち
やうしやきこしめされてさてはなんちはよくこゝろへけるよなやふさ
めしつて御神事をつとむる物ならは(左6)むこにとつて四方に四万
のくらをたてすたのたからをそへてゑさせうするとかたくけいやくし
たまひけりすてにたう日にもなりけれはきん國りんこくの大名せうみ
やうさしきをうちらちをいひおの��見物すちやうしやふうふさしき
をうつて見物すさるあひたしきしやうこくしやう神くわんみや人八人
のやおとめ五人のかくらおとこまいりていとうのつゝみをうちさつ��
のすゝをふりあけけいはあけむま御このむらしゝてんかくとをつてそ
のゝちやふさめになるさるあひたみかとにはいろよきしやうそくたて
まつりかけなるこまにかいくらをひて御かとにひつたてたてまつる御
かとなのめにおほしめしゆらりとめされはゝわたしとつてかへし一の
まとちやうと(左7)あそはす二のまとはたとあそはす三のまとにこ
のたひひらいてかゝらせ給ひけるに神てんにわかにしんとうしてしろ
きすいかんたてゑほし■んのしやくをおもちありかたしけなくも八ま
ん御ゆるき出させ給ひてしらすにかしこまりいかなる御事候そ(左8)
わうは十せん神は九せん九せんの神のしんしを十せんの御身にしてつ
とめさせ給へはいよ��五すいをもふなりさういまは御かとにくわん
きよあれくわんきよあらぬ物ならはまつせのしゆしやうをはつせうす
るて候そ人おゝきその中にちやうしやふうふは桟敷よりこほれおちさ
せ給ひてしらすにかしこまりいかなる御事候そ十せんの御身を三とせ
かあひたつかい申事とものくちをしさよと申てりうていこかれたりけ
れは御かとゑひらんまし��てくるしかるまし御身かむすめをこふる
ゆへに三とせはほうこうありつるそいまはひめをまいらせようけたま
はると申てかたしけなくもうさ八まんのかいしやくにてたまよのひめ
は十六ようめいてんわう十八と申に御かとにくわんきよありきよくろ
うきんてんのうてなのうちのすまゐしゑんなふひよくのかたらひあさ
からすとそきこへけるそのゝち御子まふけさせ給ひてしやうとく太子
と申てわかてふにふつほうをひろめさせ給ふなりたまよのひめはしや
うくわんをんよふめいてんわうあみたによらいのけしんしやうとく太
子くせくわんおんのけむけなりようめいてんわうこひゆへあそはすふ
ゑをこそくさかりふゑと申なれしらぬ事をはわこせたちわらはぬこと
そかまひてきみのちやうははまちとりをめされいせんにふゑふひたる
きやうとたとやらんはおもへは見る所のあるそこなたへくしてまいれ
うけたまはると申てうしわか殿をくそくし申さるあひたうしわか殿さ
しきになをらせ給ふちやうこのよし御らんしてあらふしきのくわしや
殿やさしきになをるふせひはよしともにたかはす御めのうちはひとへ
にあくけんたにておはします物のたまふこわいろはともなかにたかは
すもしもけんしのゆかりにてましまさははや��おなのりさふらへや
うしわか殿はきこしめしこれはしやうらふの子にて候わすみやこは三
条よねまちにすまゐする下らうの子にて候物ちやうこのよしおきこし
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二七
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
めしなふみうちはなにをの給ふそ身つからはよしとものさいちよなり
まんしゆのひめと申てわすれかたの(左9)(一行判読不能)寺のふも
とに出家になしをき申なりさてこのあたりに一けん四めんにひかりた
うをたてあみたの三そんをあんし申よしともあくけんたともなかふし
三人の御ゑいにあらはし申なりもしもけんしのゆかりかゝりにてまし
まさはせうかうなんとあれかしなふあら心ふかのくわしやとのやみな
もときこしめしのきの玉水ちり��くさつゝめともつゝまれすさてか
くせともかくされすちゝよといへるこゑをきゝ山ふきかほにうちにほ
ひいまはなにをかつゝむへきよしともには八なんときははらには三な
んくらまのうしわか殿にて御さありけりわかきみをおかみ申せはしゝ
てひさしくなり給ふよしともの御すかたを見まいらする心ちのありて
なつかしさよとの給へはみなもとも二さいのとしはなれ申せしちゝこ
をはゆめともさらにわきまへすたゝいまかやうにおほせらるれはめい
とにましますちゝこせをおかみ申心ちのありてなつかしさよとの給ひ
て御たもとにすかりつきふししつみてそなき給ふたかひにつきぬその
なみたよそのたもともぬれぬへしきみのちやうははまちとりをめされ
あれ��うしわか殿をしやうし申御ゑいおかませ申せうけたまはると
申て(左10)たち入御らんありけれはけにとやらんよしともあくけん
たともなかふし三人の人々を御ゑいにあらはし申なりうしわかなのめ
におほしめししやうかうらいをあそはすならはぬたひの御つかれらい
はんひきよせまくらとさためてすこしまとろみたまひけりかゝりける
ところによしともあくけんたともなかふし三人の人々はまつくろによ
ろひうしわか殿のまくらかみにたちよらせたまひうれしくもおさなこゝ
ろにおもひたちておくへくたる物哉吉次吉内吉六とてきやうたい三人
のものともかいふ事をわれらふし三人の物ともかいふ事と心へにしを
ひかしきたをみなみへともそむくへからす吉次かたちをかつきておく
へくたり候へいとま申てさらはとて立かへらんとし給ひしかそよまこ
とわすれたり日本こくのぬす人ともか吉次かかわこにめをかけゆふさ
り夜うちによせうつようしんよきにつかまつれわれふし三人の物とも
とて
もくさのかけにてくろかねのたてとならふすいとま申てうしわか殿た
ちかへらんとし給ひしときみなもと御らんしてあら御なさけなやなふ
しはらくとおほせあつてよろひのそてにすかるとおほしめしりやうか
んさめて御らんすれは御ゑいのそてとりつき申さてはゆめにてありけ
る(一行判読不能)(左11)とてりうていこかれ給ひけりさるあひたう
しわか殿たしかに御むさうのありつる物をとおほしめしもとのさしき
におかへりあつてもよきにほひのはらまきをくさすりなかにさつくと
めしこんねんとうのこしの物を一もんしにおさしありかうかひぬき出
まくらとしひけきりの御はかせをわつそくにとうとをきゆんてのあし
をさしのへめてのあしをきつとたてゆんての御めのまとろむひまには
めての御まなこかてんしやうをはつたとにらんてとのいをしてこそふ
されけれかゝりけるところにあほのかはらによりきしてつかまつるぬ
す人ともはたれ��そまつゑちことしなのゝさかいなるくまさかのち
やうはんふし六人さすせんくわうしのなむ大もんのいはからひのむま
のせう五てうの与次さいくちの七郎はつたのきやうふかいつかみのわ
し二郎まとをのそくはそらめくらよいにぬつたるなまあせをあかつき
はしるけら二郎てんかくかくほにてともをまよはすきつね三郎おなし
くいたち二郎ふしにはつとうしはんとうないいつのお山のやけしたの
小六この人々をさきとして大將は七十人そのほかつかうこぬす人とも
は三百人にはすきさりけりあほのかはらによりきしておうまく三えに
うたせ大つゝたいへいをかきすへわれらかたからをのまゝはこそ吉次
二八
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
-137-
かかわこをのむなるにのめやうたへやもつともとてまふつうたふつさ
かもりするすてに其夜もやはんはかりの事なるにくまさかのちやうは
んはとうさいのなりをしつとゝしつめめん��はなにとさたむるしさ
いによつてさけをはまいるそいて��ちやうはんかぬすみしはしめし
ゆらいをかたつてきかせんさてもそれかしかおやにて候物はゑちこと
しなのゝさかいなるくまさかと(左12)いふところにてほとけのやう
なるまくうとなりわれらはいかなるふつしんのはからいによつて七さ
いのとしおかのかうといふところにておちのむまをぬすみとつてなら
ひのいゝたのいちにてうつたるにちつともしさいかさうすそれよりも
ぬすみにはもとてもいらすよきあきないとおもひさため日本國をはし
りまわつてぬすみをするに一ともふかくをかゝすされはそれかしは子
を五人もちたる大郎はひるかんたうかしやうす二郎は夜うちかしやう
す三郎はしのひか上手四郎はよくむまをぬすみさう五郎は人をかとへ
とりてあのさとしまにてうるにちつともしさいかさうすきやつはらと
もはみないちこすきうするのうをもちて候かたゝしと申に今夜ちやう
はんかむねこそさわけあつはれ三百七十よ人か中にさいかくまわつた
る人やましますあのきみのちやうへうちこえ吉次かやとをそつとみて
やかておもとり候へたれたれと申ともいつのお山にやけしたの小六な
にかし見てまいらんといふまゝにかきのすゝかけしかまのときんまゆ
はつかにひつこうてあふはかのちやうへのゝめきかゝつて大おんあけ
てよはわるそも��くまのさんの山ふしかふつ(左13)(一行判読不能)
おくまつしまへくたるなり山ふしは十人にあまつて候今夜一夜のほい
たうたへやつとよはわつてうちのけこをしつかに見てとをるやゝしつ
かに候ひてうちよりもよねのたはらをなけ出す小六きつとみていや物
ゑのかといてになわかゝつたる物をとおもひこしのかたなをぬいてか
けなわはらりときつてよねをすこしとつてあをのかはらにはしりかへ
つて中さにとうとゐて二のいきほつとつくちやうはんこれをみていか
にやけした殿なに事かある小六うけたまわつてさん候八十四のかわこ
をきりとのわきにつんたるはたゝたからの山のことし四十二ひきのさ
うた三ひきののりむまいつれもよきむまにて候四十二人のひやうしの
ものゆみやなくいたちかたなをおつとりそへようしんするかほには見
えて候へともれいのとうつきをあつる物ならはきやつはらともはみな
ゑんのしたへかくれうすむまもかわこもやす��ととらふすかこゝに
大事か候ちやうはんきいていまにはしめてやけした殿の大事とはなに
事そ小六うけたまはつてまつかたらせてきこしめされよいにしへはつ
れてもくたらぬ十六七なるしよくわんか候かこのわつはかいしやうの
ていそつと見たる所はいろもしろくしんしや■■■かはたにはとんき
んといふ物をきて候きたるひたゝれは(左14)日本のきぬにても候は
すからきぬをもつてちをは山はといろにひとはけはいて十八五しきの
いとをもつて物の上手かぬい物をあり��とぬふて候まつゆんてのひ
ほつけにはいかきとりゐしやたんをぬいめてのひほつけにはたけくら
へにすきを三ほんぬふてけんしのうち神しらはとか十二のかいこをか
いそたてはふしとはしをくいちかへはつとたつてはさつとはおりまひ
あそんたるいわひの所をあり��とぬふて候さてうしろのきくとちに
はきた山殿のさんさうすみよしのすいひんおむろの御所のけいきをあ
り��とぬふて候さてうしろのはかまをくたりにはしくうせいくわん
をまなんてたうとのましも千ひき日本のましも千ひきたうとのましは
大こくなれはとてせいを大きうおもてをしろくぬふて候日本のましは
せうこくなれはとてせいをちいさくおもてをあかふぬふて候日本とた
うとのしほさかいちくらかおきといふ所にてたうとのましは日本へこ
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二九
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
さんとする日本のましはたうとへこさんとするこさうこさしのかまの
さうの所をはあふあり��とぬふてさうさてはかまのけまはしいわに
松つるにかめいせきにかゝる川やなきをきのなみかとうとうつてさつ
さか
とひいてゆくしほ○いをぬふてさうきたるはらまきのけはもえき(一行
判読不能)(左15)(一行判読不能)さくるかこのくさすり八十二まい十
二まいのくさすりにしろかねこかねをもつてやくしの十二神をいか��
とあらはすさいたるかたなはみなこかねつくりなりとつつけさやくち
にくりからふとうみやうわうたきつほへとんておりけんをのうたる所
をあり��とほつてさうおもてのめぬきはふとうのたいうらのめぬき
はくらまの大ひたもんの御しんたいをあらはすさけをにはほけきやう
の七のまきやくわうほんをみなかれくんてさけてさうもつたるたちは
二しやく六寸か七寸かとおほへたりせつはもゝよせうむとうかかふと
かねまことのめぬきそらめぬきせめしはひきいしつきにいたるまてし
やうほんのこかねをもつてひかめきたつて見えてさうきたるゑほしは
六はらやうのたうせいむきのつふのちつとあららかなるをひとくせみ
くせませひなかたにあひをあらせくしかたをいか��とひとため��
てひたりへおつたゑほしなりひんのかみはちしんたりまゆのけはかつ
たりきのふかけふかの山出このわつはかありさまを物によく��たと
ふれは木ならはしたん鳥ならはほうわふかねならはしやきんむかしを
とるならはけんしの大しやうたうせいをならはきよもりむねもりの御
きんたちてましますかけいほの中ににくまれあつまときいて吉次をた
のふておくへくたるとおほへたりこのわつはかめのうちをたゝ一め見
てさうかゆたんする物ならは三百七十よ人のぬす人のほそくひはたす
(左16)かりかたくおほえたりちやうはんきゝやけした殿の物語はさう
��きもさんせぬ事にて候其わつはかなにともはやらははやれれいの
ちやうはんかはうをもつてたゝ一うちのしようふさうよ夜はなん時そ
八つのころときはよいにうつたてうけたまはると申ててんてにたいま
つとほしつれあふはかのきみのちやうへのゝめきかゝつてをしよする
さるあひたくまさかの大郎はれいのとうつきをとつてとう��とあて
たみなもときこしめしあわ夜たうよとおほしめしわさとおもてのしと
みを二三けんとつてゑんよりしもへなけおろしよするぬす人いまや��
とまちさせ給ふくまさかの大郎はくろかわおとしのとう丸きかみをは
つとみたいてなきなたひきすつて人はなひそたゝまいれやうまいれや
まいれとけしをなすみなもと御らんしてきやつはくせ物かなきらはや
とおほしめしはしりかゝつていかつちきりとなつけてちやうときつて
御らんすれはむさんやな大郎はあへなくくひをうちおとしてくひはう
ちへころひけれはとうはそとへそたをれたるくまさかの四郎かいそき
はしりかへつていかになふちやうはん大郎殿こそておうてましませち
やうはんきいていたてかうすてか四郎うけたまわりていたてやらんう
すてやらんくひかうせてさうはこそちやうはんこのよしきくよりもむ
ねんのしたひかなそのわつはにてなみ見せんといふまゝに八しやく(左
17)五寸のさてもはうをはくきなかにおつとりのへみなもとにわたり
あふみなもと御らんしてちやうはんかはうをは一しやくおひてはつつ
と切二しやくおひてはちやうときつててもとはかりのこされたり三百
七十よ人のぬす人みもとをまん中におつとりこめ火水になれともうた
りけりみなもと御らんして玉になれたるほうらいのとりのふせいもか
くやらんおとろくけしきもましまさす大せいの中にわつて入にしから
ひかしきたからみなみくもてかくなは十もんし八つ花かたといふ物に
わりたておんまはしさん��にきつてまわるてんはうすまいてちはあ
けにそめかへれうか水をえ雲をわけこくうへあかることくなりいまた
三〇
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
-135-
ときもうつさぬまにくつきやうのつわ物を八十三ききりふせたりちや
うはんこのよし見るよりもせひそれかしてなみ見せんといふまゝに六
しやく三寸のさてもなきなた水くるまにまわいてみなもとにわたりあ
ふみなもと御らんしておゝくのかたきにわたりあひほねはおつたりけ
にやちやうはんあらてのむしやなり大なきなたにてたゝきたてられう
けたちになつてきつ��とひき給ふちやうはんこれを見てあわひそと
こゝろへすきまなくうつてかゝりけりさるあひたみなもとそうしやう
のかけにてならひしさてもてんくのほうは出合所とおほしめしきりの
ほうをむすんてかたきのかたへなけかけこたかのいんをむすんてわか
身にさつとうちかけちやうときつて御らんすれはむさんやなくまさか
まつかう二つにうちわられあしたの露ときへにけりそれよりもみなも
とおくへくたらせ給ひて天下をおさめたまひけり(左18)
-134-
三一
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
A reprint : Eboshiori−Byobu owned bythe Tezen Museum
OGAWA Yoko
(Matsue College of Technology)
〔A b s t r a c t〕
“Eboshiori−Byobu” owned by the Tezen Museum is the screens, which was a Nara
picture−book originally. This is a reprint of the screens.
Keywords:screens, Nara picture−books, Tezen Museum
三二
翻刻
手錢記念館蔵『烏帽子折屏風』(小川陽子)
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