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1 中国通信機器産業の技術と経営 ー華為技術有限公司の事例を中心にー 今道 幸夫 20121013大阪市立大学大学院創造都市研究科 アジアビジネス研究分野共同研究会 (李教授)講演資料

中国通信機器産業の技術と経営1982 シーメンスが加入者線デジタル交換機(EWSD)を南ア連邦に販売 する 1983 電電公社が加入者線デジタル交換機(D-70)を実用化する

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1

中国通信機器産業の技術と経営

ー華為技術有限公司の事例を中心にー

今道 幸夫 2012年10月13日

大阪市立大学大学院創造都市研究科

アジアビジネス研究分野共同研究会(李教授)講演資料

2

研究の課題

・1990年代における

・中国通信機器産業の研究開発体制を、

・具体的事例に基づいて

・産業技術と経営主体の側面から

分析すること。

3

1-1 問題意識 短期間でのキャッチ・アップ

華為技術有限公司(以下、華為と略す)が短期間に先進国企業をキャッチ・アップできたのは何故か

後発工業国

• 先進国を中心とした国際分業システムの中で工業化を進めざるをえない。

• 技術形成の面で先進国に従属し、その従属関係から脱することは容易でない。

ハイテク分野(交換機)でのキャッチ・アップ

• 先進国大企業が長年にわたり多額の資金を投下して研究開発を積み重ねてきた。

• 現在(2011年)、華為は売上高(2兆5千億円)で、エリクソンに次ぐ世界第2位の通信機器企業に成長した。

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1-2 問題意識 技術優先型経営

華為の技術優先型経営を如何に捉えるか

販売優先型経営(自主技術形成よりは販売を優先)

• 海爾集団、TCL集団等多数の中国企業

• ①巨大市場で、②短期間で、③大量生産、大量販売するため、④モジュール部品を、⑤農村から非熟練労働者を大量に雇用して、⑥規模の経済で、競争優位を確保。

• 利益率が低い

技術優先型経営(販売よりは自主技術形成を優先)

• 華為、中興等の限られた中国企業

• ①研究開発技術者を大量に雇用して、②自主技術形成を目指す。

• 利益率が高い

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2-1 分析の視角 分析の方法

(1) ハイテク分野における短期間でのキャッチ・アップは、従来見られなかった新しい事象である。

演繹的な方法よりは帰納的な方法が有効。

(2) キャッチ・アップは技術の問題、技術優先型経営は経営の問題である。

両者が最も交差する部門は研究開発体制

(3) 従って、研究開発体制を具体的事例に基づいて、産業技術史アプローチ(産業技術)と経営史アプローチ(経営主体)で分析する。

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2-2 分析の視角 分析の対象

(1) 華為技術有限公司

・中国通信機器産業の先導企業である。

・産業内で研究開発活動を最も重視している企業である。

・著者がインタビューした企業である。

(2) 通信機器産業

・華為が属し、華為と同様に自主技術を有する地場企業が存在する。

・研究開発競争が最も激しく展開されている産業である。

・トランジスターの発明にはじまる新技術の影響を強く受けた産業である

2-3 分析の対象

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中国電子企業トップ10位 (2004年)

順位 企業名 売上高

(万元)

利益総額

(万元)

利益率

(%)

主な製品

1 海爾 10,162,893 181,943 1.8 カラーテレビ、冷蔵庫

2 京東方科技 4,510,657 130,595 2.9 液晶ディスプレイ

3 TCL 4,208,762 58,002 1.4 カラーテレビ、エアコン

4 聯想 4,192,245 148,129 3.5 パソコン、プリンター

5 上海広電 3,402,354 144,194 4.2 カラーテレビ、携帯電話

6 華為 3,152,126 502,324 15.9 交換機、通信伝送設備

7 美的 3,004,732 55,392 1.8 エアコン、電子レンジ

8 熊猫電子 2,800,388 77,138 2.8 携帯電話、カラーテレビ

9 海信 2,729,319 43,262 1.6 カラーテレビ、エアコン

10 中興 2,269,815 141,882 6.3 交換機、携帯電話

中国電子信息百強企業網に基づいて著者作成

8

2-4 分析の対象

企業名 特許(発明) 実用新案 意匠

華為技術有限公司 8859 548 521

中興通訊 3155 403 548

聨想 987 596 484

海爾 594 1601 2314

海信 232 558 698

TCL 183 332 762

北大方正 122 58 129

美的集団 51 532 1187

上海広電 117 87 109

熊猫電子 34 96 107

普天信息 51 2 0

康佳 114 229 174

長城計算機 19 19 20

出所:中国特許庁データに基づいて著者作成

中国電子産業主要企業の累積出願件数(1985~2005)

9

2-5 分析の対象

0

500

1000

1500

2000

2500

3000

3500

4000

1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005

出願件数

特許 実用 意匠

出所: 中国特許庁データベースに基づき著者作成

華為の特許・実用新案・意匠の出願件数推移

10

2-6 分析の対象

0

50

100

150

200

250

300

1985

1986

1987

1988

1989

1990

1991

1992

1993

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

2002

2003

2004

2005

出願件数

発明 実用新案 意匠

出所:中国特許庁データに基づいて著者作成

海爾の特許・実用新案・意匠の出願件数推移

3-1 中国通信機器産業の発展史

11

低迷期(輸入期)(1918~1991年) ・1978年の電話普及率は0.3% (新中国成立前は0.05%)

・先進国から輸入

確立期(国内生産期)(1992~1998年) ・1992年に国産局用デジタル交換機の自主開発

・5つ主要地場企業(巨龍、華為、中興、大唐、金鵬)の登場

・1998年に華為が国内交換機市場でトップシェアを獲得

拡張期(輸出期)(1999~現在) ・中東、アフリカ諸国に輸出を開始する。

・その後、欧州、アメリカ、日本に進出する。

3-2 中国通信機器産業の発展史

12

局用デジタル交換機の価格推移

出所:各種データに基づいて著者作成

年 価格 (US$/1回線) 市場の特徴

1980年代 300~500 輸入品

1990 180 外中合弁企業の参入

1995 100~120 地場企業の参入

1997 48 合弁・地場企業間の競争

1999 24~30 地場企業間の競争

3-3 中国通信機器産業の発展史

13

通信機器産業の構成(1995年)

出所:各種資料に基づいて著者作成

交換機の種類 外資系企業 地場企業 計

局用デジタル交換機 3 5 8

構内用デジタル交換機 7 38 45

構内用アナログ交換機 0 103 103

3-4 中国通信機器産業の発展史

14

局用デジタル交換機の製造者リスト (1995年)

通信機器企業名 型番号 構成員 販売開始日 生産量(回線)

郵電工業総公司と 巨龍通信設備有限公司

HJD-04

重慶515廠 長春513廠 洛陽537廠 杭州522廠 北京738廠 4057廠

1991年

300万

華為技術有限公司 C&C08 1994年 100万

中興通訊設備有限公司 ZXJ-10 1994年 60万

金鵬電子有限公司

EIM-601

電子工業部54所 華中理工大学 北京華科公司 常徳有線電廠 広州524廠

鞍山広電公司 河北電話設備廠

1995年

10万

西安大唐電信有限公司 SP-30 1995年 10万

出所:『通訊産品世界』1996年7月号より転載

3-5 中国通信機器産業の発展史

15

主要5社の企業類型

資金の調達ルート

華 為

連合型

金 鵬 中 興

独立型

巨 龍

大 唐

自前型

支援型

企業設立方式

4-1 産業技術史

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通信(伝送・交換)コストの推移

出所:Patrick E. White「The Changing Role of Switching

Systems in theTelecommunications Network(電気通信ネットワークにおける交換システムの変化する役割)」IEEE

Communications Magazine, Jan. 1993

4-2 産業技術史

17

電子・デジタル交換機の実用化の推移 年 実用化の内容

1948 トランジスタが発明される

1959 ICが発明される

1965 米国でアナログ電子交換機が実用化される

1972 日本でアナログ電子交換機(D-10)が実用化される

1976 AT&Tが中継線デジタル交換機(No.4-ESS・10万回線)を実用化する

1977 ノーザン・テレコムが米国の独立系電話会社に加入者線デジタル交換機(DMS10/2000回線)を販売する

1979 日本電気が加入者線デジタル交換機(NEAX61)を米国独立系に販売する

1981 電電公社が中継線デジタル交換機(D-60)を実用化する

1982 AT&Tが加入者線デジタル市内交換機(No.5-ESS/1000~10万回線)を実用化する

1982 富士通が中継線デジタル交換機(FETEX-150)をシンガポールに販売する

1982 シーメンスが加入者線デジタル交換機(EWSD)を南ア連邦に販売する

1983 電電公社が加入者線デジタル交換機(D-70)を実用化する

1985 エリクソンが加入者線デジタル交換機(AXE)を英国に販売する

出所:各種資料に基づいて著者作成

4-3 産業技術史

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手動電話交換機 自動デジタル電話交換機

新旧電話交換機の比較

出所:JICA(http://www.jica.go.jp/oda/project/0302700/field.html)

より転載

出所:石井昭『ふるさと横須賀』(http://s2s.jp/furusato/furusato_p62.html)

より転載

4-4 産業技術史

19

アナログ交換機に求められる技術能力

出所:各種資料に基づいて著者作成

部品 機 能 材 料 開 発 製造技術開発

クロスバスイッチ

高信頼性

量産対応

ばね材

接点材 トランスファライン

ワイヤスプリング継電器

高感度

多接点

長寿命

少品種

低原価

ばね材

接点材

磁性材

巻線材

耐摩耗性プラスチック速硬化性樹脂

自動巻線機

プラスチック成型機

トランスファライン

4-5 産業技術史

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ソフトウエアの登場

(1) デジタル交換機の出現によって、交換機の生産組織が電気機械的な部品製造とその組み立てから、ソフトウエアが中心になる。「国広敏郎[1980]「デジタルESSと交換機業」通信工業NO.5、1980年代日本電気株式会社の技術重役を務め、デジタル交換機の開発を指導してきた経験に基づいて論じている」

(2) 高い専門性を備えた人材が大量に必要になる。

・ソフトウエア生産の大半は設計(研究開発)工程 労働集約的である

・開発者と使用者との情報交換が重要 販売部門に専門人材が必要

・検査・保守作業が重要 検査・保守部門に専門人材が必要

5-1 華為の経営史

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創業期

(1987年~1993年) 確立期

(1994年~1997年) 飛躍期

(1998年~現在)

主要製品 構内用交換機 局用デジタル交換機 ルーター、携帯端末機

研究開発 デジタル交換 データ通信 移動通信

市場 中国農村部 中国都市部 海外

管理機構 創業者管理 集権的職能制 経営管理委員会制

統合活動 自然保有 華為基本法の制定 IPD体制の確立

発展過程

出所:各種資料に基づいて著者作成

5-2 華為の経営史

環境的要因

1.通信機器に対する厖大な需要

(1)1978年の電話普及率は0.3% 2004年には50%

(2)1990年代毎年回線数が2000~3000万増加

(2005年の日本の回線数は5000万)

2.通信事業の市場化

(1)1978年~1993年中央から地方に通信事業を移転

(2)1993年以降、競争企業の認可(中国電信、聯合通信、吉通通信等)

3.研究開発技術者の流動化

(1)1985年、中央集権的研究開発体制の改革

(2)1985年、「自主的職業選択制度」の導入

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5-3 華為の経営史

主体的要因

1.企業家的性質を備えた創業者

(1)任正非

(2)デジタル交換機の自主開発への挑戦

2.若手研究開発技術者の経営参加

(1)郭平、鄭宝用 大学の研究者より華為を選択

(2)研究開発をリード

3.創造的人材の人事管理

(1)破格の給料

(2)裁量労働制

(3)開放的内部昇進制

(4)持株制度

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5-4 華為の経営史

24

創業期の研究開発活動

出所:各種資料に基づいて著者作成

開発開始年 製 品 主な開発者 部品調達 従業員数

1989 BH01

構内用交換機

全部品を他社から調達

1990 BH03

構内用交換機

莫軍 一部部品を自主開発

1991 HJD48

構内用交換機

郭平、鄭宝用 主要部品を自主開発 20~100

1991 HJD04

構内用交換機

鄭宝用 主要部品を自主開発 20~100

1992 JK1000

アナログ

局用交換機

鄭宝用、徐文偉、王文勝

主要部品を自主開発

100~270

1993 C&C08

デジタル

局用交換機

鄭宝用、李一男、李暁涛、洪天峰、費敏、徐直軍

主要部品を自主開発

270~800

5-5 華為の経営史

創業者、任正非

深圳は2度バブル経済を経験した。1つは不動産、もう1つは株である。

華為は2つのどちらにも巻き込まれなかった。いかなる汚いものにも染まっていない。我々は終始技術を磨いてきた。不動産や株が上がった時は我々にも機会があった。しかし我々は知ってい

る、未来の世界は知識の世界で、このようなバブルの世界ではない、だからそのようなものには動じない。 [社内報「華為人71期」]

25

5-6 華為の経営史

郭平と鄭宝用の経歴

• 郭平は当時華中科技大学を卒業したばかりの青年で教師をしていたが任正非に口説かれて華為の開発技術者になり、その後華中科技大学の優秀な人材を華為に雇い入れるための斡旋人の役割を果す。郭平は現在(2010年)においても現役の経営幹部(副董事長)である。

• 鄭宝用は清華大学の博士を諦めて華為で勤務することを決断した人物である。鄭宝用は局用デジタル交換機開発の資金源となった構内用交換機(HJD-04)を開発し、華為が飛躍的に成長する礎を築き、その後も研究開発の中心にいた人物である。しかし病気のために2000年頃に華為を離れた。

26

5-7 華為の経営史

若手研究開発者 (劉平)

• 私の未来は既に見ることができた。副教授、教授、コンピュータネットワークの専門家、教員を退職した後はネットワーク研究所の

所長である。交通大学で8年教師をしてきて、突然飽きが来た。鉄のお椀(親方日の丸)を棄て、破産しそうな華為に入った。

• 鄭宝用が面接で「我々の会社は何の後ろ盾もない、一切全て自分の

奮闘による。ここでの仕事では、お世辞もコネも必要ない。あなたが頑張れば、会社はきっとあなたに報いる」と言った言葉が印象に残っている。その後私が面接を担当した時も、いつもこの言葉を応募者に言った。 劉平[2010]『華為往事』

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5-8 華為の経営史

破格の給料

私は上海交通大学の教師で、大学在職時の給料は月給400元余り(4800円)であった。その大学に8年勤務していた修士でその額であったが、1993年2月に華為に入ってその月末に1500元(1万8000円)貰い、この額に感激して「士は己を知る者のために死ぬ」と感じた。

1500元は上海交通大学学長の給料よりも高い額で、2か月後に給料は1500元から2600元(3万1200円)に増え、その年の末には6000元(7万2000円)になった。因みに当時の華為の給料の規定では、大学卒の新人社員で1000元(1万2000円)、修士で1500元(1万8000

円)、博士で2000元(2万4000円)であった。

劉平[2010]『華為往事』

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5-9 華為の経営史

裁量労働制

私はあの頃の華為の開発の雰囲気が大変好きだ。大学での開発の習

慣と同じで、開発者たちは出退勤時にタイムカードを押す必要はない。任務が完成すればよい。私たちは夜遅くまで仕事をして、午前11、12時に起きる。昼食を食べたあと仕事をする。皆の目標は明確で、交換機を早く開発することであった。皆は残業して、夜中の2、3

時に帰宅することは常だった。残業を強制する者は誰もいなかった。残業は全て自発的なものであった。任社長はよく開発者のところに来て、開発者と雑談した。 劉平[2010]『華為往事』

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5-10 華為の経営史

開放的内部昇進制

当時の華為の技術能力によって、モジュール交換機の開発が決定されたのであろう。もしこの方向で進んでいたら、華為はまもなく淘汰されていたであろう。幸いに曹貽安という人物がいて、任正非に何度もデジタ

ル交換機の開発に集中すべきであることを進言した。彼は生産ラインの工員であったが、任正非もその意見を入れて、モジュール交換機の開発が進行している時にデジタル交換機の開発を開始した。曹貽安は工員から開発部のチーフ技術者になり、デジタル交換機部の責任者になった。劉平[2010]『華為往事』

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5-11 華為の経営史

持株制度

研究開発費の増加で資金繰りが苦しくなり、20~30%の高利の資金を借りたり、社内に従業員銀行を作って生活費以外をその銀行に貯金さ

せたり、従業員持株制度で開発資金を工面した。程東昇・劉麗麗[2004]『華為真相』

従業員持株制度はストック・オプションと考えられるが、華為の株は未だ一般公開されていないので株価の上昇による利得を受けることはな

い。1990年よりこの制度は設けられていて、その後、華為の従業員に対して大きなインセンティブを与えた。

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5-12 華為の経営史

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1993年の経営管理機構

出所:張利華[2009]『華為研発』より転載

総裁

会社総務 市場部 製造部 デジタル部

端末総体組 部材組

局用ソフト組 局用ハード組

ISDN 組 加入者組

DU2000 組

回路板工程

電源工程

BH03U プロジェクト

BH03K プロジェクト

JK1000 プロジェクト

5-13 華為の経営史

33

1999年の経営管理機構

出所:華為研修用資料[2005]に基づいて著者作成

経営管理

委員会

技術サービス

系統

市場系統

研究開発

系統

中間試験

系統

製造系統 財務系統

深圳

総部

国内

業務所

海外

地区部

深圳

総部

各業務

派出機構

人事系統

5-14 華為の経営史

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2003年の経営管理機構

出所:各種資料に基づいて著者作成

会社経営管理委員会

研究開発

支援職能組織

業務単位組織

電信ネット

ワークと

ソフト

ネットワー

専業

サービス

市場単位組織

地区部

大顧客部

財務 人事 法務 フローIT 管理

戦略顧客委員会 変革指導委員会 製品投資評審委員会

戦略・マーケティング部門

供給サポート部門(購買、物流)

企業発展

35

5-15 華為の経営史

年 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004

総売上高

(億元) 8 14 26 41 89 120 220 255 221 317 462

海外売上高

(億元) ― ― ― ― ― 4.4 10.6 27.2 45.7 86.9 189

海外比率

(%)

― ― ― ― ― 3.67 4.82 10.7 20.7 27.4 40.9

出所: 華為技術有限公司のアニュアルレポートに基づいて著者作成

海外売上高の推移

まとめ (1)

キャッチ・アップについて

(1) 継電器スイッチ装置からソフトウエアへの移行 中国通信機器産業が確立される直前に、交換機生産技術においてアナログからデジタルへの産業技術の変容が生じていた。

(2) 国際分業システムからの脱却 精密機器の技術形成が不要となったことによって、基幹技術で先進国企業に依存することがなかった。

(3) 高級人材の労働集約型生産 ソフトウエアが中心技術になったことによって、中国企業に研究開発技術者に対する比較優位が生まれた。

技術優先型経営について

(1) 少量生産、急速な技術進歩 このような特質を有する局用交換機市場への参入は、技術優先型経営を必須とした。

(2) 若手研究開発技術者の経営への取り込み これによって技術優先型経営は確定された。

(3) 創造的人材を優遇した新しい人事制度 ソフトウエアと新しい人事制度が旨くかみ合って、技術優先型経営は成長した。

36

まとめ (2)

(1) 産業技術 本研究では、従来の研究で軽視されてきた産業技術を詳細に検討して、産業の中核装置である交換機におけるソフトウエアへの移行を見出すことができた。

(2) 経営主体 ソフトウエア生産の特質を明らかにしたことによって、華為の経営主体の形成(若手研究開発技術者を取り込み)と、新しい人事制度(①破格の給料、②裁量労働制、③開放的内部昇進制、 ④持株制度)との深い結びつきを明らかにすることができた。

(3) 創造的人材管理 華為の短期間でのキャッチ・アップも技術優先型経営も、ソフトウエアと深い関係があったことが、本研究で明らかになった。

この点では、華為の経験をソフトウエアと関係のない産業に適用することはできないが、創造的人材の管理という現代的課題の観点から見た場合、華為は先駆的な経営をしてきたと言えよう。この点で、華為は他の中国企業に一つの成長モデルを提供しているといえよう。

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