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龍谷大学 世界仏教文化研究センター アジア仏教文化研究センター ニューズレター 2019年度 1 通巻第8号 グループ 2 ユニット B(多文化共生社会における日本仏教の課題と展望)は、7 月 29 日(月)に龍谷大学大宮学舎西黌 2 階大会議室において、学術講演会を開 催した。講演者のベルン大学教授の Jens Schlieter 氏の専門は、チベット仏教学と 比較宗教学で、仏教の生命倫理にも造詣が深い。 20 世紀の半ばから、「臨死体験」というコンセプトが欧米で盛んに取り上げら れるようになるが、どのような要素がその動向に影響したか、先ずその点が確認 された。続いて、臨死体験の流行に関する立役者の一人である Raymond Moody の著書 “Life after Life”(1975)に注目し、その分析を通じて、臨死体験という概念 の大まかな内容と形成プロセス、さらに、Moody の分析方法や論拠について議論が試みられた。 もともと『チベット死者の書』は、今生と来世の真ん中にある「中有」と呼ばれる期間の体験と、より良い来世のた めに中有でなすべきことを教える書物である。起源は、チベット仏教のニンマ派で、本来は同派の口伝であったと伝え られる。20 世紀の初め、Evans Wentz が「チベット死者の書」と命名し、欧米に紹介した。 講演者によれば、Moodyは、自身の分析を通じて明らかになった「臨死体験」が、 この『チベット死者の書』の内容によく似ていると考える。例えば、清らかで明 るい光への言及がその一つである。加えて、類似の記述が、エジプトで発見され た『死者の書』にも見えることから、「臨死体験」というコンセプトは人類に普遍 とも主張する。何らかの文化的背景を想定するなら、Moody の議論はそれなりに 説得的ではある。しかし、そこには問題も多く残る。第一に原文をしっかり読めば、 細かな記述とニュアンスの点で、『チベット死者の書』の記述と Moody の考える 臨死体験はかなり違っていることが分かる。Moody の描写する臨死体験は、それこそ清らかな明るい光にあふれ、優し い神に出会う等、基本的にポジティブで幸福に満ちている。しかし『チベット死者の書』の場合、業の報いや地獄のビジョ ンが登場する等、死は痛みや恐れに満ちた体験としても描写される。 Moody が主張する統一的な臨死体験は、まったく西洋的な経験であり概念であると、講演者は指摘する。そして、本 来の文脈を無視して読み込まれた『チベット死者の書』が、その経験・概念の成立に小さからぬ影響を及ぼした。以上 の結論を踏まえて、Moodyが行ったインタビューの公正性、『チベット死者の書』の詳細、さらに『チベット死者の書』 が紹介される前の「臨死体験」がいかなるものだったか等、聴衆より質問が提起された。 学術講演会 The Influence of The Tibetan Book of the Dead on Near-death Experiences in the West(『チベット死者の書』が西洋の臨死体験に与える影響) 開催 講演風景 質疑応答風景

学術講演会 The Influence of The Tibetan Book of …...学術講演会 The Influence of The Tibetan Book of the Dead on Near-death Experiences in the West(『チベット死者の書』が西洋の臨死体験に与える影響)

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龍谷大学世界仏教文化研究センターアジア仏教文化研究センター ニューズレター

2019年度

第1号通巻第8号

 グループ 2 ユニット B(多文化共生社会における日本仏教の課題と展望)は、7

月 29 日(月)に龍谷大学大宮学舎西黌 2 階大会議室において、学術講演会を開

催した。講演者のベルン大学教授の Jens Schlieter 氏の専門は、チベット仏教学と

比較宗教学で、仏教の生命倫理にも造詣が深い。

 20 世紀の半ばから、「臨死体験」というコンセプトが欧米で盛んに取り上げら

れるようになるが、どのような要素がその動向に影響したか、先ずその点が確認

された。続いて、臨死体験の流行に関する立役者の一人である Raymond Moody

の著書 “Life after Life”(1975)に注目し、その分析を通じて、臨死体験という概念

の大まかな内容と形成プロセス、さらに、Moody の分析方法や論拠について議論が試みられた。

 もともと『チベット死者の書』は、今生と来世の真ん中にある「中有」と呼ばれる期間の体験と、より良い来世のた

めに中有でなすべきことを教える書物である。起源は、チベット仏教のニンマ派で、本来は同派の口伝であったと伝え

られる。20 世紀の初め、Evans Wentz が「チベット死者の書」と命名し、欧米に紹介した。

 講演者によれば、Moody は、自身の分析を通じて明らかになった「臨死体験」が、

この『チベット死者の書』の内容によく似ていると考える。例えば、清らかで明

るい光への言及がその一つである。加えて、類似の記述が、エジプトで発見され

た『死者の書』にも見えることから、「臨死体験」というコンセプトは人類に普遍

とも主張する。何らかの文化的背景を想定するなら、Moody の議論はそれなりに

説得的ではある。しかし、そこには問題も多く残る。第一に原文をしっかり読めば、

細かな記述とニュアンスの点で、『チベット死者の書』の記述と Moody の考える

臨死体験はかなり違っていることが分かる。Moody の描写する臨死体験は、それこそ清らかな明るい光にあふれ、優し

い神に出会う等、基本的にポジティブで幸福に満ちている。しかし『チベット死者の書』の場合、業の報いや地獄のビジョ

ンが登場する等、死は痛みや恐れに満ちた体験としても描写される。

 Moody が主張する統一的な臨死体験は、まったく西洋的な経験であり概念であると、講演者は指摘する。そして、本

来の文脈を無視して読み込まれた『チベット死者の書』が、その経験・概念の成立に小さからぬ影響を及ぼした。以上

の結論を踏まえて、Moody が行ったインタビューの公正性、『チベット死者の書』の詳細、さらに『チベット死者の書』

が紹介される前の「臨死体験」がいかなるものだったか等、聴衆より質問が提起された。

学術講演会 The Influence of The Tibetan Book of the Dead on Near-death Experiences in the West(『チベット死者の書』が西洋の臨死体験に与える影響) 開催

講演風景

質疑応答風景

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 8 月 5 日(月)、龍谷大学大宮学舎西黌 2 階大会議室において、世界仏教文化研究センターの基礎研究部門特定公募研

究(共同研究)「日本における仏教文化と聖者像に関する総合的研究」(代表:野呂 靖)が主催する公開研究会が開催され、

当センター博士研究員の亀山氏がコメンテーターとして出席した。

 一般的に「聖者」とは、所謂「祖師」が中心であり、その究極形態としては仏陀、釈尊を挙げることができ、大乗仏教以降、

広くアジア諸地域において、仏陀像は様々な展開を見せていく。この度の研究会は「聖者」のイメージの展開について、

近現代の日本における仏像の持つ意味の変遷より検討するものである。講師の駒沢大学仏教経済研究所研究員の君島彩

子氏は、宗教学における物質文化研究を専門とし、論文「現代の「マリア観音」と戦争死者慰霊―硫黄島、レイテ島、

グアム島、サイパン島の事例から」は 2019 年に涙骨賞を受賞した。

 君島氏は柴山清風(陶磁家)と芝良空(彫刻家)の具体的な活動を通して仏像にまつわる信仰を社会的に位置付けな

がら、いかに仏像の造形性が重要であったのかを示した。仏像は教義を単に視覚化したものではなく、物質としての存

在感を持っている。だからこそ、多様な意味づけが可能になり、信仰者による造形イメージの共有によって、仏教経典

に縛られない新たな宗教性が醸成されていくのだとまとめた(※主催の世界仏教文化研究センターの HP 内「活動報告

内容」より)。

 この後、大谷大学真宗総合研究所 PD 研究員の大澤絢子氏のコメントに続き、

亀山氏がコメントした。君島氏の宗教学における物質文化研究への着目は、日・

米における最新の仏教研究の動向に呼応するものであり、亀山氏も強い関心を

寄せている。そこで、本日の報告の一部を膨らませることができるアイデアを、

いくつか紹介した。先ずは Fabio Rambelli の “Buddhist Materiality” である。こ

れは「哲学」とは抽象的な教理ではなく、物を巡って日本の仏教者がどのよ

うに思考を展開したかということを跡づける研究である。また、フランスの哲

学者 Bruno Latour を挙げ、このなかの「エージェンシー(行為主体性)」や「アクター」は抽象的な理論としてだけで

はなく、今回のテーマに深く関わり、物質研究の 1 つのキーワードとして重要視している。そして、イギリスの人類学

者の Alfred Gell の “Art and Agency” である。行為の主体性についての議論を通し、主体と客体は最初から固定されてい

るものではなく、関係性のなかでその都度決まっていくものであり、人間が常に

行為主体であるということではなく、また逆に物が常に受動者であるということ

でもなく、その関係の上で両方あり得るのである。これらの理論に基づきながら、

物質文化研究の手法を用いた仏像研究のさらなる発展性を指摘した。

 君島氏は亀山氏のコメントにあった理論的な議論も重要であることに言及しな

がらも、これらの理論の必要性について疑問も投げかけた。個々の実状に応じな

がらの地道なフィールドワークの持つ意義を強く示し、自身が考える研究姿勢の

在り方をもって締め括った。

世界仏教文化研究センター公開研究会「社会の中の仏像-陶磁家、柴山清風と彫刻家、芝良空を中心に-」共催

龍谷大学世界仏教文化研究センター アジア仏教文化研究センター

発 行 2019 年 9 月 30 日発行者 龍谷大学世界仏教文化研究センター アジア仏教文化研究センター 住 所 〒 600-8268 京都市下京区七条通大宮東入大工町 125 番地の 1 龍谷大学大宮キャンパス 白亜館 3 階電 話 075-343-3811U R L 世界仏教文化研究センター http://rcwbc.ryukoku.ac.jp アジア仏教文化研究センター http://barc.ryukoku.ac.jp

■亀山氏(左側)と大澤氏(右側)

研究代表者の野呂先生(左側)と君島氏(右側)

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◆アジア仏教文化研究センター(BARC) 2019 年度 研究体制

グループ 1(通時的研究班)ユニット A:日本仏教の形成と展開楠  淳證(センター長) 入澤  崇 中川  修道元 徹心 土屋 和三藤丸  要長谷川 岳史 川添 泰信杉岡 孝紀(ユニット長)玉木 興慈 高田 文英村岡  倫渡邊  久蓑輪 顕量西谷  功 大谷 由香

龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 名誉教授龍谷大学 理工学部・教授龍谷大学 世界仏教文化研究センター・客員研究員龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 経営学部・教授龍谷大学 名誉教授龍谷大学 農学部・教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 文学部・准教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 文学部・教授東京大学大学院人文社会系研究科・教授泉涌寺宝物館・学芸員龍谷大学 文学部・講師

グループ 1(通時的研究班)ユニット B:近代日本仏教と国際社会赤松 徹眞                龍溪 章雄                中西 直樹(グループ長)         岩田 真美                能仁 正顕                三谷 真澄(ユニット長)         市川 良文                松居 竜五                林  行夫                吉永 進一                大澤 広嗣                リチャード・ジャフィ

龍谷大学 名誉教授、本願寺史料研究所所長龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 文学部・准教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 国際学部・教授龍谷大学 文学部・准教授龍谷大学 国際学部・教授龍谷大学 文学部・教授舞鶴工業高等専門学校・教授文化庁宗務課専門職デューク大学・准教授

グループ 2(共時的研究班)ユニット A:現代日本仏教の社会性・公益性嵩  満也(副センター長、グループ長)  藤  能成                若原 雄昭(ユニット長)         岡本 健資                長上 深雪                野呂  靖                竹本 了悟                マーク・ロウ        

龍谷大学 国際学部・教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 文学部・教授龍谷大学 政策学部・准教授龍谷大学 社会学部・教授龍谷大学 文学部・准教授京都女子大学・非常勤講師マクマスター大学・准教授

グループ 2(共時的研究班)ユニット B:多文化共生社会における日本仏教の課題と展望高田 信良                那須 英勝(ユニット長)          小原 克博                ダンカン・ウィリアムズ          本多  彩           

龍谷大学 名誉教授龍谷大学 文学部・教授同志社大学 神学部・教授、良心学研究センター長南カリフォルニア大学・教授兵庫大学共通教育機構・准教授

研究フェロー淺田 正博                桂  紹隆                佐藤 智水                廣田 デニス               宮治  昭

龍谷大学 世界仏教文化研究センター・研究フェロー龍谷大学 世界仏教文化研究センター・研究フェロー龍谷大学 世界仏教文化研究センター・研究フェロー龍谷大学 世界仏教文化研究センター・研究フェロー龍谷大学 世界仏教文化研究センター・研究フェロー

研究協力者礒村 良定                武  円超                金澤 豊                 大澤 絢子                野世 英水                舩田 淳一                貫名 譲                 河智 義邦                佐々木隆晃                早島 慧

比叡山延暦寺総務部主事比叡山延暦寺管理部主事龍谷大学 文学部・助手大谷大学真宗総合研究所 PD本願寺派萬福寺・住職金城学院大学 文学部・教授大阪大谷大学・教授岐阜聖徳学園大学・教授相愛大学・准教授龍谷大学 文学部・講師

博士研究員・リサーチアシスタント亀山 隆彦                桑原 昭信                村上 明也                魏   芸

博士研究員博士研究員リサーチアシスタントリサーチアシスタント

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◆世界仏教文化研究センター 2019 年度 研究体制

センター長久松 英二 龍谷大学国際学部教授

1) 基礎研究部門楠 淳證(部門長)龍谷大学文学部教授

1. 親鸞浄土教総合研究班杉岡 孝紀 ( 研究班長、真宗善本典籍研究プロジェクト研究代表者 )、玉木 興慈、高田 文英深川 宣暢 ( 真宗学研究プロジェクト研究代表者 )、龍溪 章雄、那須 英勝、鍋島 直樹、嵩 満也、杉岡 孝紀、殿内 恒、玉木 興慈、井上 善幸、高田 文英、井上 見淳、佐々木 大悟、能美 潤史、打本 弘祐、藤 能成、武田 晋、岩田 真美、田畑 正久、葛野 洋明、貴島 信行、森田 敬史、内田 准心

2. 西域総合研究班三谷 真澄 ( 研究班長、研究代表者 )、入澤 崇、村岡 倫、市川 良文、岩尾一史、岡田 至弘、曽我 麻佐子、岡本 健資、徐 光輝、福山 泰子、中田 裕子、石川 知彦、岩井 俊平、岩田 朋子、村松 加奈子、和田 秀寿、宮治 昭(研究フェロ-)

3. 古典籍・大蔵経総合研究班安井 重雄(古典籍資料研究プロジェクト研究代表者)、和田 恭幸若原 雄昭 ( 研究班長、大蔵経研究プロジェクト研究代表者 )、楠 淳證、能仁正顕、青原 令知、藤丸 要、野呂 靖、早島 慧、大谷 由香、吉田 哲、長谷川 岳史、道元 徹心、桂 紹隆(研究フェロー)、淺田 正博(研究フェロー)

4. 仏教史・真宗史総合研究班林 行夫 ( 研究班長、研究代表者 )、中西 直樹、市川 良文、佐藤 智水(研究フェロー)

5. 特定公募研究殿内 恒(共同研究①研究代表者)、井上 善幸、井上 見淳、能美 潤史岡本 健資(共同研究②研究代表者)、能仁 正顕、岩尾 一史、岩田 朋子、宮治 昭(研究フェロー)野呂 靖(共同研究③研究代表者)、楠 淳證早島 慧(共同研究④研究代表者)、吉田 哲佐野 東生(共同研究⑤研究代表者)、井上 善幸藤田 保幸(個人研究①研究代表者)亀山 隆彦(個人研究②研究代表者)

2) 応用研究部門(社会的諸課題への応答・仏教の現代的意義の追求)人間・科学・宗教オープン・リサーチ・センター (CHSR)鍋島 直樹(副センター長、部門長)龍谷大学文学部教授若原 雄昭、藤丸 要、田畑 正久、龍溪 章雄、深川 宣暢、那須 英勝、武田 晋、殿内 恒、玉木 興慈、森田 敬史、貴島 信行、葛野洋明、吾勝 常行、高田 文英、岩田 真美、能美 潤史、打本 弘祐、井上 善幸、井上 見淳、猪瀬 優理、嵩 満也、黒川 雅代子、内田 准心、佐々木大悟萌芽的公募研究龍溪 章雄(共同研究研究代表者)、中西 直樹、嵩 満也、岩田 真美大澤 絢子(個人研究研究代表者)

3) 国際研究部門 ( 国際的な発信と研究者交流 )嵩 満也 ( 部門長)龍谷大学国際学部教授那須 英勝、久松 英二、佐野 東生、廣田 デニス(研究フェロー)

博士研究員菊川 一道 ( 国際研究部門 )日髙 悠登 ( 応用研究部門 )

リサーチ・アシスタント坂 知尋 ( 国際研究部門 )李 曼寧 ( 基礎研究部門 )内手 弘太 ( 応用研究部門 )

アジア仏教文化研究センター (BARC)右表参照

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4 月 18 日 ( 木 )、花岡尚樹氏 ( あそかビハーラ病院院長補佐・ビハーラ室長・ビハーラ僧・本願寺派布教使 ) による特別講義「緩和ケアにおけるビハーラ僧とは」が開催された。 

花岡氏より、ビハーラ僧の役割について、あそかビハーラ病院での臨床経験に基づいた講義が行なわれた。患者を理解するためには、常に相手の目で見て、耳で聞いて、心で感じること、

「主語を相手におく」ことが重要であるという。あそかビハーラ病院のビハーラ僧は、こうした姿勢を保ちながら「患者からの解放」をめざし、出来る限り「生活者」として、一人の人間としての尊厳を守ることを大事にしていることが説明された。緩和ケアにおけるビハーラ僧の役割は、常に相手と共に悩み、そこから紡ぎだされる「問い」によって、お互いに人生を深めることである。

講義では涙を流して聴く受講生もおり、講義後、花岡氏に感謝の気持ちや自分の思いを伝える受講生もいた。

5 月 22 日 ( 水 )、Johnathan Silk 氏(オランダ・ライデン大学教授)による講演会「A Window into Sino-Tibetan Pure Land Practices at Dunhuang」(敦煌における中国・チベット浄土教研究のために)が開催された。Silk 氏は、敦煌写本中に見られるチベット文字表記の実例を取り上げ、テキストの内容把握と併せて言語学的・書誌学的分析を加えることで、中国浄土教的な信仰や実践がどのようにチベット語圏へ受容されたかについて議論した。

講 演 で 紹 介 さ れた事例のいくつかを挙げると、チベット語と漢文を対照させる形で仏教経典名が記され翻訳の際に使用されたとみられるリストや中国浄土経典のチベット語訳、中国語発音で読誦するために書かれたのであろう『阿弥陀経』のチベット文字による転写などがあった。また、寸法や筆跡などが異なるにもかかわらず、内容が継続していて、一つの経典書物を形作っていると考えられるチベット語写本群も示された。この写本群について、Silk 氏は、複数の写経者が各々の紙と筆を使用して制作した集団的写経実践の産物である可能性を指摘した。

このような考察を通して、8 ~ 10 世紀頃の敦煌において、チベット語教育を受けた人々が、東側の仏教、すなわち中国仏教の影響を受けつつ、浄土的な信仰や実践を行っていたという一

面が浮き彫りとなった。Silk 氏の文献調査によって、敦煌写本にはいわゆる浄土的な信仰の側面が反映されていることが解明された。

5 月 28 日(火)、米国仏教大学院(IBS、Institute of Buddhist Studies)と当センターの学術協定を記念して、講演会「Mid-century Transnational Japanese American Buddhism」(20 世紀中庸の越境する日系アメリカ仏教)が開催された。

講師を務めた IBS 教授の Scott A. Mitchell 氏は、浄土真宗本願寺派のバークレー仏教会(カリフォルニア州)が所蔵する仏教青年会の機関誌 Berkeley Bussei(1939-1956)を手がかりに、日系二世のアイデンティティや仏教の問題等について論じた。

Mitchell 氏 に よ れば、米国生まれの日系二世たちは、戦前には人種差別や反日感 情 の 煽 り の な かで、戦後には「日本」と「アメリカ」、そして「仏教」という三つの要素のなかで揺れ動きつつ、アイデンティティを確立していったという。戦後、仏教青年会の日系二世たちは、自身を日本とアメリカの架け橋と捉え、日本仏教をアメリカに伝えることで、人生をより豊かにできると考えた。その際、とくに重要な役割を担ったのが、日本へ留学した日系人であった。彼ら 越 境 者 た ち が 日 本 の 歴 史 や 文 化、 仏 教 に 関 す る 情 報 を“Berkeley Bussei” に定期的に提供し、読者は親の祖国「日本」と、受け継がれてきた「仏教」への理解と想像を深めた。ただし、「仏教」について彼らが抱いた関心は、信仰問題よりも、むしろ仏教を紐帯としたコミュニティが提供する社会的側面に向けられていた。事実、“Berkeley Bussei” にはスポーツや芸能、パーティ情報の他、大学ゴシップ情報などが掲載されており、こうした面に日系人の「アメリカ」的側面を見出すことが出来る。

従来、アメリカ仏教は西洋知識人の仏教理解などとの関連で論じられ、また、そうした研究の多くが「戦前」を中心に取り上げきた。Mitchell 氏はそれらの先行研究を参照しつつも、知識層とは異なる、戦後の日系アメリカ仏教の諸相をローカルな領域から再検討することで、アメリカにおける仏教近代化の新たな側面に着目した。

2019 年度前期 世界仏教文化研究センター主要活動報告

講師の花岡尚樹氏

講演者の Johnathan Silk 氏

学術協定の記念撮影

講演者の Scott A. Mitchell 氏

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2019 年度前期 世界仏教文化研究センター主要活動報告

6 月 5 日 ( 水 )、「特別公演 とびだせビャクドー! ジッセンジャー!」が開催された。ジッセンジャーは実践真宗学研究科大学院生有志によって製作された劇である。ジッセンジャーの公演は「世界の苦悩に向き合う仏教の智慧と慈悲」について考えさせるものであり、報道メディアなどでも、昨今注目されている。公演に先立ち、鍋島直樹教授からジッセンジャーの紹介とジッセンジャープロジェクト6 代目代表となる大学院生の宗本さんから、活動目的について説明が行なわれた。

登場するヒーローのビャクドーと悪役のジャカツは、それぞれの立場から主人公の願いを叶えようと戦い合う。公演では、参加者に相互理解の難しさについて考えさせ、善悪とは何かをも問いかける。また、登場人物の誰もが「阿弥陀さま」に見守られているというものである。公演後は、大学院生の宇野さんから物語を振り返る法話が行なわれ、鍋島教授から質問を受けた受講生から、ビャクドーとジャカツへの応援メッセージが贈られた。

6 月 21 日(金)から 23 日(日)にかけて、大谷大学を会場に第 6 回『歎異抄』ワークショップが開催された。

本ワークショップは、学術交流協定を結ぶ大谷大学真宗総合研究所と米国カリフォルニア大学バークレー校東アジア研究所、龍谷大学世界仏教文化研究センターの三研究機関が主催するもので、今回で 6 回目となる。この度も円智『歎異抄私記』(1662 年)・寿国『歎異抄可笑記』(1740 年)・香月院深励『歎異抄講義』(1801-8 年)・妙音院了祥『歎異抄聞記』(1841 年)という四つのテキストごとに班にわかれ、各註釈書の精読と英訳作業が行われた。また期間中には、親 鸞 仏 教 セ ン タ ー の 東 真 行 氏 が “Kaneko Daiei’s Understanding of the Tannishō” と題して、大谷大学の鶴留正智氏が “Ryōshō’s Methodology” と題して英語で講演した。アメリカ・カナダ・韓国・中国・日本・ミャンマーなど、世界各国から研究者が参集し、活発な議論が交わされた。なお次回のワークショップは 2020 年 3 月、アメリカ Berkley の浄土真宗センターを会場に行われる予定である。

6 月 28 日(金)、小島敬裕氏(津田塾大学准教授)による研究セミナー「戦前・戦後における日本とミャンマーの仏教交流史」が開催された。講演では、1940 年代にミャンマーに渡った仏教研究者・上田天瑞や世界平和パゴダ建立に尽力した市原瑞麿を紹介しつつ、戦後日本とミャンマー各地に建立された戦没者パゴダ供養塔をめぐる問題などについての議論がなされた。

上田天瑞は南方仏教研究のためタイへ渡航するも、直後に太平洋戦争が勃発。日本陸軍のミャンマーでの作戦に合流することになった。当時の上田の手記には、不殺生戒を理由に直接的な戦争協力を避けるミャンマー僧侶らの姿勢を批判する記述が目立つ。しかし、戦後には一転して、戒律厳守を評価するようになった。この変化について、小島氏は、上田の戦後の経験が影響していたと指摘する。上田は戦後、ミャンマーでの日本人戦没者の遺骨収集を通して戦争の悲惨な現実を目の当たりにした。そして帰国後、自身が住職を務める寺に戦没者供養塔を建設し、パゴダ納骨堂の建立も検討することとなる。

また、上田と共に遺骨収集に参加した市原瑞麿は、ミャンマー連邦仏教会と交渉し、世界平和パゴダの建設を進めた。

この際、戦没者の遺骨を釈尊像と一緒にパゴダに祀る構想をめぐり、ミャンマー側と諍いがあったものの、1958 年にミャンマー政府と日本人の寄進によって、戦没者出兵の地である福岡県北九州市門司区に世界平和パゴダが完成した。以降、日本人が同様のパゴダ型の戦没者供養塔を国内外に建立した。

講演後半では、パゴダ型供養塔に対するミャンマー人仏教徒の認識や、供養塔の存在意義の変遷、世話人たちの高齢化にともなう供養塔の維持困難な現状などが報告された。

ビャクドー(左)とジャカツ(右)

翻訳作業の様子

講演者の小島敬裕氏