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85 科学・技術研究 第 2 巻 2 号 2013 年 Union Press まえがき 魚介類を食す日本人の形態の多様さは、世界的に見てもほ とんど例がない。刺身をはじめとして、焼く、煮る、揚げる、 蒸す等の調理法から、干物、くん製、缶詰などの加工品まで、 魚介類は広く親しまれている。一方、漁獲量の減少、価格の 高騰、国際的規制から、多くの魚種について養殖に依存する 割合が年々増加している。こうした背景の中、最近になって 養殖魚を食材としたときの安全性、すなわち魚の健全性が強 く求められるようになってきた。一般に、水産養殖業界では 生産効率を上げるために、多量の魚を高密度の状態で一つの イケスの中で飼育している。これにより、魚には多くのスト レスがかかり、体内の免疫力低下をはじめ、残餌や排泄物の 蓄積みよる水質環境の悪化も生じ、魚はしばしば病気に陥り やすい状態におかれている。養殖場では、これまでに抗生物 質等の薬剤投与により魚病の発生を防いできたが、近年の薬 事法の改正や薬剤の魚への残留などの懸念から、抗菌剤に頼 らない新しい養殖技術の確立が必要とされている。そのため、 魚の健康度を定期的に評価し、早期に異常を察知できるよう な養殖魚のための健康診断が注目されており、診断項目を迅 速・簡便に測定できる新しい検査システムの開発が望まれて いる。 一方、生体の持つ優れた機能とエレクトロニクス技術とを 組み合わせた「バイオセンサ」の開発研究が、国内外において 精力的に進められ、様々な物質の測定が可能になってきた。 バイオセンサは図 1 に示すように、目的となる物質を識別す るために、酵素、生物代謝、免疫反応などの生体機能を分子 識別素子として利用している。これら識別素子となる生体触 媒は、目的物質と反応する際、電極反応に関わる化学物質の 生成や消費、あるいは反応による熱量、蛍光強度、粘性等の 微小な変化を生じる。バイオセンサは、この時の変化を各種 電極や光学デバイス等の信号変換素子を用いて検出し、それ らを電気信号に置き換えることにより、目的物質を特異的か つ迅速・簡便に測定することができる。そこで筆者らは、こ の技術を養殖魚の健康管理に応用し、新しい健康診断法を確 立することにより、魚の健全性の向上に大きく貢献できると 考えた。すなわち、安心安全な養殖魚生産のために、魚類の 健康診断のための各種バイオセンサを考案し、人間ドックの 魚版ともいえる「さかなドッグ」システムを創出することを目 標に、現在まで研究を行ってきた。本稿では、養殖魚の健康 診断において、現在特に重要視されている血液成分測定、産 卵時期予測、魚病細菌検出等に焦点を絞り、これらの目的の ために開発された「さかなドック」のためのバイオセンサにつ いて紹介する。 血液成分リアルタイム診断用バイオセンサ 我々人間の健康診断では、血液成分の測定は欠かせない検 査項目となっている。魚類の場合も同様で、各種成分を測定 することにより、その健康状態をある程度把握することがで きる。例えば、血中グルコース濃度の変化は魚類のストレス の度合いをはじめ、呼吸障害、栄養状態を反映することが近 年の研究によって明らかにされている(Carballo et al., 2005)。 また血中総コレステロール濃度の低下も、細菌感染症に対す る抗病性の低下を示す重要な指標になることが知られている Maita et al., 1998)。さらに、血中コルチゾルや乳酸濃度の 変化も魚のストレスを知る上で重要な測定項目になっている Oliveira et al., 2007; Ramakritinan et al., 2005)。一般に魚類 の生理学的なストレス応答は、コルチゾルやカテコールアミ ンなどのホルモン系の変化よりなる一次応答から始まり、こ れらストレスホルモンの代謝活性化によって生じる血中グル コースの濃度変化としての二次応答、生き続けられるかどう かが決まるまでの三次応答に分類される。その要因となるも のは、外敵から威嚇されたときのような行動生理的要因をは じめ、流速、温度、接触などの物理的要因、アンモニア、亜 硝酸、毒物などの危害物質や感染による生化学的要因などが 挙げられる。現在までのストレス応答の研究では、上記の一 次及び二次応答におけるコルチゾルやグルコースの濃度変化 を指標とすることが一般的であった。しかしながら、これら ڕͷ߁ঢ়ଶΛΔΊͷϦΞϧλΠϜஅͷՄ ÆόΠΦηϯαΛ༻ʮͳυοΫʯͷग़Æ ԕ౻ ӳɹ東京海洋大学大学院 海洋科学技術研究科 1:バイオセンサの原理 ৴߸มૉԽ ʢܬʣ ۃɼಋମ αʔϛελʔ σόΠε ѹૉผૉ ؾ߸ଌఆର ʢૉɾඍੜɾ߅ମɾɾɾʣ

魚類の健康状態を知るためのリアルタイム診断の可 … data/2_85.pdf86 Studies in Science and Technology, Volume 2, Number 2, 2013 の物質の多くはヒト用臨床検査キットを用いて測定していた

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85科学・技術研究 第 2 巻 2 号 2013 年Union Press

まえがき 魚介類を食す日本人の形態の多様さは、世界的に見てもほとんど例がない。刺身をはじめとして、焼く、煮る、揚げる、蒸す等の調理法から、干物、くん製、缶詰などの加工品まで、魚介類は広く親しまれている。一方、漁獲量の減少、価格の高騰、国際的規制から、多くの魚種について養殖に依存する割合が年々増加している。こうした背景の中、最近になって養殖魚を食材としたときの安全性、すなわち魚の健全性が強く求められるようになってきた。一般に、水産養殖業界では生産効率を上げるために、多量の魚を高密度の状態で一つのイケスの中で飼育している。これにより、魚には多くのストレスがかかり、体内の免疫力低下をはじめ、残餌や排泄物の蓄積みよる水質環境の悪化も生じ、魚はしばしば病気に陥りやすい状態におかれている。養殖場では、これまでに抗生物質等の薬剤投与により魚病の発生を防いできたが、近年の薬事法の改正や薬剤の魚への残留などの懸念から、抗菌剤に頼らない新しい養殖技術の確立が必要とされている。そのため、魚の健康度を定期的に評価し、早期に異常を察知できるような養殖魚のための健康診断が注目されており、診断項目を迅速・簡便に測定できる新しい検査システムの開発が望まれている。  一方、生体の持つ優れた機能とエレクトロニクス技術とを組み合わせた「バイオセンサ」の開発研究が、国内外において精力的に進められ、様々な物質の測定が可能になってきた。バイオセンサは図 1 に示すように、目的となる物質を識別するために、酵素、生物代謝、免疫反応などの生体機能を分子識別素子として利用している。これら識別素子となる生体触媒は、目的物質と反応する際、電極反応に関わる化学物質の

生成や消費、あるいは反応による熱量、蛍光強度、粘性等の微小な変化を生じる。バイオセンサは、この時の変化を各種電極や光学デバイス等の信号変換素子を用いて検出し、それらを電気信号に置き換えることにより、目的物質を特異的かつ迅速・簡便に測定することができる。そこで筆者らは、この技術を養殖魚の健康管理に応用し、新しい健康診断法を確立することにより、魚の健全性の向上に大きく貢献できると考えた。すなわち、安心安全な養殖魚生産のために、魚類の健康診断のための各種バイオセンサを考案し、人間ドックの魚版ともいえる「さかなドッグ」システムを創出することを目標に、現在まで研究を行ってきた。本稿では、養殖魚の健康診断において、現在特に重要視されている血液成分測定、産卵時期予測、魚病細菌検出等に焦点を絞り、これらの目的のために開発された「さかなドック」のためのバイオセンサについて紹介する。

血液成分リアルタイム診断用バイオセンサ 我々人間の健康診断では、血液成分の測定は欠かせない検査項目となっている。魚類の場合も同様で、各種成分を測定することにより、その健康状態をある程度把握することができる。例えば、血中グルコース濃度の変化は魚類のストレスの度合いをはじめ、呼吸障害、栄養状態を反映することが近年の研究によって明らかにされている(Carballo et al., 2005)。また血中総コレステロール濃度の低下も、細菌感染症に対する抗病性の低下を示す重要な指標になることが知られている

(Maita et al., 1998)。さらに、血中コルチゾルや乳酸濃度の変化も魚のストレスを知る上で重要な測定項目になっている

(Oliveira et al., 2007; Ramakritinan et al., 2005)。 一 般 に 魚 類の生理学的なストレス応答は、コルチゾルやカテコールアミンなどのホルモン系の変化よりなる一次応答から始まり、これらストレスホルモンの代謝活性化によって生じる血中グルコースの濃度変化としての二次応答、生き続けられるかどうかが決まるまでの三次応答に分類される。その要因となるものは、外敵から威嚇されたときのような行動生理的要因をはじめ、流速、温度、接触などの物理的要因、アンモニア、亜硝酸、毒物などの危害物質や感染による生化学的要因などが挙げられる。現在までのストレス応答の研究では、上記の一次及び二次応答におけるコルチゾルやグルコースの濃度変化を指標とすることが一般的であった。しかしながら、これら

特 集

魚類の健康状態を知るためのリアルタイム診断の可能性̶バイオセンサを用いた「さかなドック」の創出̶

遠藤 英明 東京海洋大学大学院 海洋科学技術研究科

図 1:バイオセンサの原理

信号変換素子

変換

化学物質

光(蛍光)

電極,半導体

サーミスター

光学デバイス

物性 圧電素子

分子識別素子

分子認識

電気信号

測定対象物

(酵素・微生物・抗体・・・)

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86 Studies in Science and Technology, Volume 2, Number 2, 2013

の物質の多くはヒト用臨床検査キットを用いて測定していたため、これを魚類に適用した場合、網による捕獲、水外での血液の採取・血漿化が必要なことから、これらの操作自体が魚にとって大きなストレス因子となり、必ずしも適切な方法とはいえなかった。 そこで筆者らは、まず魚類のストレス(二次応答)のリアルタイム診断を可能にするために、魚体内に留置できるグルコース測定用バイオセンサを、微小電極と固定化酵素を用いて製作した。本センサは、世界的にみても例のない魚類のためのバイオセンシングシステムであり、図 2 に示すように魚

(ティラピア)を自由に遊泳させた状態で、血中グルコース濃度の陸上からのリアルタイムモニタリングを可能にした

(Endo et al., 2009)。本センサは、白金 - イリジウム線と銀塩化銀ペーストから構成される微小電極をベースとし、電極検出部にはグルコースオキシダーゼ(GOX)が固定化されている。この GOX と基質となるグルコースが酵素反応した際に生じる過酸化水素の変化量を電極上で測定することにより、グルコース濃度を求めることができる。そして本センサを、防水加工されたワイヤレスポテンシオスタットに接続し、センサの出力電流値を電波によって陸上へ送信することにより、グルコース濃度をリアルタイムにモニタリングすることができる。

 本システムの開発にあたり、筆者らが最初に取り組んだことは、センサの魚体への挿入箇所を検討することであった。一般に、魚類をはじめ動物やヒトの血中成分を測定する場合、センサを血管内に挿入すると、留置時間の経過に伴い血液中のフィブリノーゲン等の凝固因子の作用により血液凝固が生じ、センサの性能を著しく低下させることが知られていた。そこで筆者らは、魚の眼球外膜内部に存在する間質液に着目し、ここにセンサを挿入することを考案した。この間質液に含まれるグルコース濃度と血液中のそれとの間には良い

相関関係があり(Endo et al., 2009; Yonemori et al., 2009)、さらに間質液には血液に含まれるような凝固因子が存在しないため、ここにセンサを挿入しても長期に渡りその特性が維持できると考えた。 本システムを用いて魚を遊泳さながら、グルコースのモニタリングを行った結果を図 3 に示す。図中、縦軸は EISF 中にあるセンサの出力電流値と実際の血中グルコース濃度を示し、横軸は経過時間を示す。矢印(a)は溶存酸素量を減少させるために窒素ガスを添加した点を、矢印(b)は窒素ガスの添加を中止して、再び酸素を添加した点を示す。この図から、溶存酸素量の低下(6.2 → 2.0 ppm)により血中グルコース濃度の上昇が認められる。この現象は、呼吸難により魚のストレスが増加したものと推察される。一方、血中グルコース濃度の上昇に伴い、センサの出力も増加していることがわかる。さらに、再度酸素を添加(2.0 → 5.5 ppm)することにより、血中グルコース濃度およびセンサの測定値も定常値に戻っている。以上の結果から、本システムを用いることにより、魚の血中グルコース濃度をリアルタイムに測定できることが明らかとなった。また、血液中の総コレステロールや乳酸の測定についても、筆者らは同様の方法でワイヤレスバイオセンサを製作し、それらのリアルタイムモニタリングを可能にしている(Yoneyama et al., 2009; Hibi et al., 2012)。

 一方、上記センサはグルコースオキシダーゼ等の酸化酵素を利用しているため、魚の状態によっては体内の溶存酸素量が変動する場合もあり、センサの出力値に影響を及ぼすことが懸念されていた。また、測定時間の経過に伴う酵素活性の低下やセンサ出力の再現性なども、本センサを実際に使用する上での問題として残っていた。そこで最近では、電子受容体となるメディエーターを用いることにより、体内の溶存酸素量に影響されにくいグルコースセンサ(Takase et al., 2012a; 2012b)の構築や、酵素を生体適合性材料と共に固定化することにより、長時間の測定に適した生体留置型バイオセンサ

(Takase et al., 2013)の開発も試みている。

産卵時期の予測 近年の水産養殖場では、養殖魚を計画的に生産するために、排卵直後の良質な卵を安定かつ効率的に確保することが重要視されている。また最近では、養殖場における作業の軽減化

バイオセンサ

エアー窒素

PC

ワイヤレス・ポテンシオスタット

図 2:魚類のためのワイヤレスバイオセンサ

0 2 4 6 8 10 12 14

1.0

0

4.0

3.0

2.0

5.0

50

150

100

200

250

a

b

センサ出力

血中グルコース濃度センサ出力電流値

血中グルコース濃度(mg dl-1)

センサ出力電流値(nA)

経過時間(h)

図 3:血中グルコース濃度のリアルタイムモニタリング

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87科学・技術研究 第 2 巻 2 号 2013 年

特集:魚類の健康状態を知るためのリアルタイム診断の可能性

や卵の効率的採取のために、迅速・簡便な排卵時期予測法の確立も望まれている。一般に魚類の成熟・排卵は、種々の環境要因、生理的要因が大きく影響するため、その排卵時期を正確に予測することが困難であった。こうした中、卵成熟誘起ホルモンの 1 種である 17, 20 β-dihydroxy-4-pregnen-3-one

(DHP)が、卵成熟期になると血液中で急激に増加することが明らかとなり、これを指標として排卵時期を予測できることがわかってきた(Lou et al., 1984)。しかしながら、DHP をはじめとするステロイド系ホルモンの定量には、通常、液体クロマトグラフィーや蛍光検出等の方法が用いられており、いずれの方法も操作が煩雑で時間を要することが指摘されていた。 そこで筆者らは、迅速かつ簡便な産卵時期予測のためのDHP 測定用イムノセンサシステムの開発を試みた。 本システムは、DHP と抗 -DHP 抗体の反応における電極表面上の特性変化を、サイクリックボルタンメトリーを用いて解析することにより DHP を定量する原理に基づいている。図 4 にシステムの概略を示す。まず、ディスク型金電極の表面に自己組織化単分子膜(SAM)を形成させ、SAM 末端に抗-DHP 抗体を固定化する。そして金電極の導電性を高めるために CNT を抗体固定化電極の表面に塗布することにより、非標識イムノセンサを製作した。このセンサを DHP 含有試料溶液に浸漬し、フェリシアン化カリウム溶液中で酸化ピーク値におけるセンサの出力電流値を測定したところ、ブランクの電流値に対して DHP 濃度の増加に伴う電流値の減少が認めら

れた。この現象は、電極上で抗原抗体反応による複合体が形成されたことにより、電極表面の電子移動が阻害されたためと考えられる。 次に、本システムを用いて DHP の定量を試みたところ、 7.8~ 500 pg ml–1 の濃度範囲においてセンサの出力電流値との間に良好な直線関係が認められた(相関係数:0.9967)。1 検体の測定時間は、抗原抗体反応時間を含め僅か 15 分程度で完了した。また、魚類血中に存在する他のステロイドホルモン

(コルチゾル、エストリオール、テストステロン等)を用いて、本センサの出力に及ぼす影響を検討した。その結果、センサの出力はこれらのホルモンに対してほとんど変動しなかったため、DHP の特異的検出が可能であることがわかった。さらに実試料への適用として、催熟した魚(キンギョ)の血漿試料中 DHP 濃度の測定を行ない、従来法(ELISA)によって得られた測定結果と比較検討したところ、両測定法の間に良好な相関関係が認められた。このように本イムノセンサを用いることにより、排卵に先立った DHP 濃度の急激な増加を予測できることが明らかとなった(Endo et al., 2012)。 しかしながら、実際の魚類における排卵前の血中 DHP 量は最高で数十から数万 pg ml–1 まで変動するため、本システムの DHP 測定範囲(7.8 ~ 500 pg ml–1)では、採取した血漿試料を測定の度に希釈する必要があった。筆者らは、このセンサを将来的には血液成分測定と同様に魚体内に留置可能なシステムにまで構築することを目指しており、測定ダイナミックレンジの拡大は、今後のセンサ構築においてクリアーしなければならない必須項目 であった。 そこで、この非標識イムノセンサに高導電性材料のカーボンナノチューブ(CNT)を導入することにより、センサの測定範囲の拡大を試みた。CNT は 1991 年に Iijima ら(1991)によって発見され、多様な物理特性を有する高機能ナノマテリアルとして大きな注目を集めている。この物質は、炭素原子のsp2結合によって構成される六員環ネットワーク状のグラフェン(黒鉛)シートが直径 1 nm ほどの円筒状になった構造をしており、銅の 1,000 倍以上の電流密度耐性を有している。なかでも単層カーボンナノチューブ(SWCNT)は円筒の巻き方によって多彩な立体構造を持ちやすく、導電性の制御が容易であるという特徴を持つ高導電性物質である。そこで上記イムノセンサの検出部に、抗 -DHP 抗体と共に SWCNT を固定化することにより、DHP の測定ダイナミックレンジの拡大とセンサの高感度化を試みた。まず、SWCNT- 非標識イムノセンサの電気化学的評価を行なったところ、従来の非標識イムノセンサと比較して大幅なセンサの出力電流値の増加が確認された。また、SWCNT- イムノセンサの最適使用条件の影響を検討したところ、pH 6.5、温度 30 ˚C、反応時間 10 分間における条件で最も高い出力応答を示した。この条件下で DHP 標準試料を用いた検量線の作成を行ったところ、 15.6 ~ 50,000 pg ml–1 の濃度範囲において良好な直線関係(相関係数 0.9827)が確認された。このように SWCNT を固定化することにより、 DHP の最大測定範測定ダイナミックレンジを 500 pg ml–1 から 50,000 pg ml–1 に向上させることに成功した。また、キンギョ血漿試料を用いた DHP の測定においても、図 5 に示すように ELISA との間に良好な相関関係が認められた(Hirai et al.,

PC

イムノセンサ

電気化学アナライザー

出力電流

センサ応答値BlankSample(DHP)

抗 -DHP 抗体 DHP

抗体SAM

SAM金電極 金電極

SAMによる抗体の固定化(Blank)

DHP との抗原抗体反応(Sample)

80

60

40

20

0

-20

-40

-60

-80

Output Current (µA)

80

60

40

20

0

-20

-40

-60

-80

Output Current (µA)

Potential (V vs Ag/AgCl)-0.2 0 0.2 0.4 0.6

Potential (V vs Ag/AgCl)-0.2 0 0.2 0.4 0.6

図 4:DHP 測定用イムノセンサシステム

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88 Studies in Science and Technology, Volume 2, Number 2, 2013

2013)。以上、SWCNT- 非標識イムノセンサを用いることで、従来法のように煩雑な前処理や洗浄操作を必要とせずに、血漿中 DHP 濃度を迅速かつ簡便に測定することが可能となった。将来的には、魚体内に留置可能な DHP バイオセンサの構築を目標としており、ここでの知見は今後の DHP センサシステム構築のための第一ステップと考えている。

魚病細菌の検出 魚の病気の原因となる魚類病原性細菌の検出も、水産養殖において重要な検査項目となっている。魚病細菌の検出には、近年ではフローサイトメトリー(FCM)や PCR 等の検出法が開発され、迅速・簡便な測定が可能になってきた。これらの手法は、実際の水中や土壌試料中に含まれる細菌類を検出する場合、少量の検体量(100 µl 程度)での分析が可能である反面、菌体の高感度検出に必ずしも適しているとはいえなかった。すなわち、試料中の菌体数が極めて低い場合、100 µl 程度の検体量では菌体の存在確率が低くなってしまうため、その検出が困難になることがしばしばあった。また、試料中には菌体以外の夾雑物質が多数存在することも、その高感度検出に支障をきたしていた。  そこで筆者らは、試料中の目的の菌体のみを効率的に分離・濃縮し、これを検体試料とすることにより測定値の高感度化

が実現できると考えた。我々は、磁力を用いて微生物を濃縮する磁気分離技術の開発に数年前より着手し(Hibi et al., 2008; 2007; 2006)、最近になって高勾配免疫磁気分離(HGIMS)を用いた魚病細菌の高感度な検出法を考案している。本法は、ステンレス線のような細い金属磁性体をフィルターに利用し、これを磁化することにより磁場勾配を増大させ、効率的に菌体を濃縮する原理に基づいている(Ryumae et al., 2010)。 図 6 に、アユ冷水病細菌検出のための HGIMS システムの概略を示す。まず免疫反応槽において、試料中に含まれる冷水病細菌とそれに特異的に結合する免疫磁ビーズを反応させ

(A)、磁免疫磁性ビーズと特異的に結合した冷水病細菌はマイクロチューブポンプにより磁気分離反応器(B)に移送される。ここで磁性を帯びた冷水病細菌は、リング状磁石により帯磁されたステンレスフィルター上の HGIMS 効果(C)によりトラップされる。一方、冷水病以外の細菌や非生物粒子は磁性フィルターをそのまま通過し、廃液槽へと送られる。その後、リング状磁石を外して磁気を遮断し、バルブを調節して緩衝液を流すことによりフィルターから脱離した冷水病細菌を試料槽に集める。試料槽では濃縮された目的の菌体のみが集積されるため、これを FCM または PCR の測定試料として供することにより、これら測定法の高感度化が期待できる。 筆者らが考案した HGIMS による濃縮法は、フィルターの穴径を大きくできるところに特徴がある。従来から細菌濃縮に用いられてきたメンブレンフィルター法では、微生物のサイズ(1 ~ 10 µm)よりも孔径の小さな穴を膜上に設けて菌体を物理的にトラップして分離する原理に基づいていたため、菌体の目詰まりも生じやすく、流体の移送にも大きな圧力が必要とされてきた。これに対して本法は、ステンレスフィルターの穴径を大きくするほど磁場勾配が大きくなり、それに伴い磁気力も増加する特徴を有している。これにより穴径を 100~ 500 µm 程度に設定できることから、低圧での移送が可能となり、試料の目詰まりも生じにくくなる。さらに、フィルターに堆積した免疫磁性ビーズは、外部からの磁場を遮断することで分離可能なため、菌体の脱離を容易に行うことができる。 以上のような手法で菌体試料を濃縮し、FCM を用いてアユ冷水病細菌(Flavobacterium psychrophilum)の検出を試みたところ、菌体濃度 101 ~ 105 cfu ml–1 の範囲において、平板

1.0

2.0

3.0

4.0

5.0

6.0

7.0

8.0

0 3 6 9 12 15 18 21

センサ測定値ELISA測定値

排卵

時間(h)24

DHP 濃度(ng ml-1)

図 5:卵成熟誘起ホルモン(DHP)のモニタリング

図 6:高勾配免疫磁気分離システム

P

Sample

磁気分離反応器

マイクロチューブポンプ

(A)

(B)

リング状磁石

磁気フィルター

免疫反応槽緩衝液 廃液槽試料槽

バルブ バルブ

(C)N

S 高勾配磁気分離

アユ冷水病細菌

免疫磁性ビーズ

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89科学・技術研究 第 2 巻 2 号 2013 年

特集:魚類の健康状態を知るためのリアルタイム診断の可能性

培養法による測定値との間に良好な相関関係が認められた。FCM による測定所要時間は 1 分間であり、試料の前処理を含めても 150 分以内での測定が可能であった。次に、HGIMS システムによる最適濃縮条件を検討したところ、試料 500 mlに対して、磁性ビーズ添加量:500 µl、菌体と磁性ビーズの反応時間:30 分間、流速:20 ml min–1 が最適であった。また、本システムによる磁性ビーズの回収率は、約 80 % であった。このように HGMS と FCM を組み合わせることにより、F. psychrophilum の極めて迅速な測定が可能であった(Ryumae et al., 2010)。 一方、同様に HGIMS システムにより菌体を濃縮し、これを PCR を用いて検出を試みたところ、10–1 ~ 103 cfu ml–1 の範囲において、使用したプロトコルから予想されるサイズ(346 bp)の PCR 産物が認められた。すなわち、最小 10–1 cfu ml–1 までのF. psychrophilum の高感度検出を実現することができた。また、本法による検出所要時間は試料の前処理を含めて 3 時間半程度であった(Ryumae et al., 2012)。 アユ冷水病細菌の測定法において、HGIMS を使用しない場合の最小検出感度は、FCM では 104 cfu ml–1、PCR では 103 cfu ml–1 であった。これに対して、HGIMS を用いることによりFCM では 1,000 倍に、PCR では 10,000 倍に検出感度を向上させることができた。本システムは、養殖場や河川等の夾雑物質を含む試料中の菌体も効率的に濃縮でき、調製した濃縮試料は FCM 及び PCR への適用が共に可能である。FCM については、測定時間が 1 分間という迅速かつ定量的な菌数測定を行うことが可能であり、PCR では最小 10–1 cfu ml–1 と極めて高感度な検出を行うことができる。このことは、水産分野における魚類の飼育環境の保全・管理、かつ魚類の罹病を未然に防ぐことに貢献できるものと考えられる。さらに、HGIMS システムの原理は、抗体の種類を替えることにより、魚病細菌のみならず他の有害細菌の検出にも応用できる可能性を有しており、今後の更なる発展が期待される。

おわりに 本稿では、養殖魚のための「さかなドック」のために開発された各種バイオセンサシステムについて述べてきた。筆者らは、酵素、抗体等の分子識別素子と電気化学測定器、磁気分離技術等を組み合わせた魚類のためのバイオセンシングシステムを構築し、魚の健康診断において重要な検査項目の測定を可能にしてきた。特に血液成分の測定においては、魚を捕獲することなく遊泳させた状態で、そのリアルタイムモニタリングを実現することができた。この成果は将来的には、養殖魚の健康診断ばかりでなく、魚類をはじめとする水圏生物の生態調査にも応用することができると考えている。現在、マグロ、ウナギ等の天然魚類やイルカ、クジラ等の海獣類の水圏生物の調査には、テレメトリーや GPS 技術を駆使したモニタリングが精力的に行われている。しかし、そこで得られるデータの多くは、水温、水深、速度、方位等の物理的パラメーターであり、生体内の生理情報の連続モニタリングについての報告例はほとんどない。一方、本稿で述べたバイオセンサシステムは体内の生化学情報をモニタリングできる特徴を有している。したがって、水圏生物のストレスや排卵ホルモン

等の生理情報を測定し、これを前述の物理的なデータと組み合わせることにより、これまでの生態調査では得られなかった新しい知見を生み出す可能性も期待できると考えている。

引用文献Carballo, M., Jimenez, J. A., de la Torre, A., Roset, J. and Munoz, M.

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