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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の 様式と言語表現の差異 〔抄 録〕 日本語と英語の物語文を互いに翻訳した際、翻訳版では原文とは異なる表現形式や 構文が多く見られる。これを認知言語学(cognitive linguistics)の観点から見ると、 物語文中の事態を認識し、言語表現として概念化する主体(conceptualizer)の、当 該の事態を認識する認知様式の差異が、表現形式や構文の差異となって現われるのだ と考えられる。本論文では、主として Langackerらの論考を援用し、事態認識の対 極的な二つの様式として、概念化者が当該事態の外から客観的に把握する様式と、逆 に事態内部に入り込んで主体的に把握する様式が存在し、翻訳の前後において、前者 が英語の、後者が日本語の物語文に優勢的傾向で現われる事実を確認した。その際、 ①過去時物語中の現在時制、②事態経験者(主に主語)の明示、③擬音語・擬態語の 使用、を今後の具体的な日英語対照分析の有効な考察対象として示し、論を結んだ。 キーワード 事態認識、概念化、主体(性)、視点 はじめに ある研究で、夏目漱石の『吾輩は猫である』とその中国語訳との対比を、態の用法を中心に 行ったところ、受動態の原文を能動態に訳出するという例の方が、その逆よりもはるかに多か ったという。このことは、本来その文脈を受け身で表すことは中国語として誤用(または不自 然)になるとの観点から、意識して表現形態を中国語方式に改めたと言える。たとえ日本語の 発想では受け身が自然であっても、中国語には馴染まない、不自然な発想となるのだろう (1) 日本語と英語の物語文の翻訳についても同様のことが言える。日本語から英語に、また逆に英 語から日本語に訳す、いずれの場合であっても、翻訳後の言語で用いられている表現形式や構 文が、原文とは異なる場合が多くある。 翻訳において避けて通れないのが、このような原文と翻訳文との表現形式・構文上の相違で ある。翻訳が、ある言語から別の異なる言語への移植作業の側面を持つ以上、翻訳後の言語の 表現・構造上の制約を受けた結果、翻訳前の言語のそれとは異なったものになり得ることは当 然である。しかし、従来の日英対照言語学では、日本語と英語の表現形式や構文およびその背 ― 141― 佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の 様式と言語 ......と考えられる。本論文では、主としてLangackerらの論考を援用し、事態認識の対

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の

様式と言語表現の差異

澤 泰 人

〔抄 録〕

日本語と英語の物語文を互いに翻訳した際、翻訳版では原文とは異なる表現形式や

構文が多く見られる。これを認知言語学(cognitive linguistics)の観点から見ると、

物語文中の事態を認識し、言語表現として概念化する主体(conceptualizer)の、当

該の事態を認識する認知様式の差異が、表現形式や構文の差異となって現われるのだ

と考えられる。本論文では、主としてLangackerらの論考を援用し、事態認識の対

極的な二つの様式として、概念化者が当該事態の外から客観的に把握する様式と、逆

に事態内部に入り込んで主体的に把握する様式が存在し、翻訳の前後において、前者

が英語の、後者が日本語の物語文に優勢的傾向で現われる事実を確認した。その際、

①過去時物語中の現在時制、②事態経験者(主に主語)の明示、③擬音語・擬態語の

使用、を今後の具体的な日英語対照分析の有効な考察対象として示し、論を結んだ。

キーワード 事態認識、概念化、主体(性)、視点

はじめに

ある研究で、夏目漱石の『吾輩は猫である』とその中国語訳との対比を、態の用法を中心に

行ったところ、受動態の原文を能動態に訳出するという例の方が、その逆よりもはるかに多か

ったという。このことは、本来その文脈を受け身で表すことは中国語として誤用(または不自

然)になるとの観点から、意識して表現形態を中国語方式に改めたと言える。たとえ日本語の

発想では受け身が自然であっても、中国語には馴染まない、不自然な発想となるのだろう(1)。

日本語と英語の物語文の翻訳についても同様のことが言える。日本語から英語に、また逆に英

語から日本語に訳す、いずれの場合であっても、翻訳後の言語で用いられている表現形式や構

文が、原文とは異なる場合が多くある。

翻訳において避けて通れないのが、このような原文と翻訳文との表現形式・構文上の相違で

ある。翻訳が、ある言語から別の異なる言語への移植作業の側面を持つ以上、翻訳後の言語の

表現・構造上の制約を受けた結果、翻訳前の言語のそれとは異なったものになり得ることは当

然である。しかし、従来の日英対照言語学では、日本語と英語の表現形式や構文およびその背

―141―

佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

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後に存在する発想の相違を研究した論考は数多く存在するものの、その大多数は語彙や文、あ

るいは実際の一定量の発話から構成される談話レベルにおいて、統語論・意味論・語用論など

の観点から説明を試みたものであり、日英語の物語文とそれらの翻訳文とを比較対照した分析

は、実はそれほど多くない。

本論文では、日英語の物語文の翻訳において、上述の問題を認知言語学の枠組みで考えるも

のである。認知言語学では、あらゆる言語表現には、それが表す事態を認識する主体の主体的

な解釈が反映されている、換言すれば、主体は自ら認識する事態を主体的に概念化(conce-

ptualization)し、その産物が言語表現であるとする。であるならば、日英語翻訳の前後にお

いて、同一の事態を表すのに異なる表現形式や構文が採用されている場合には、そこに反映さ

れている認知主体の解釈の主体性の程度が異なると言える。

この考え方に基づき、本論文は以下の構成をとる。まず第1節で、主として先行研究を援用

し、この「主体性」と「概念化」およびそれと深く関連する「視点」・「パースペクティヴ」と

いった、分析の基盤となる認知言語学の諸概念を提示し、同時にそれらを基にした日本語と英

語における事態認識の様式の差異を記述しておく。第2節では、それを日本語と英語の物語文

の対照分析に応用するという「認知物語論」的対照研究という枠組みを提示し、続く第3節で

は、翻訳を介した日本語と英語それぞれの物語文において①過去時物語における現在時制の使

用、②事態認識者の明示、③擬音語・擬態語の使用という3つの観点において、翻訳前後の日

英語において相違が見られることを示し、そしてそれが日本語と英語における事態認識の様式

の差異に起因することを確認しておく。さらに第4節において、その具体例を実際の日英語の

物語文の翻訳の分析例でもって簡潔に示し、最終節においてその後の具体的な言語分析の礎と

展望を記述しておくこととする。すなわち、本論文は、今後、多くの日英語の物語文とその翻

訳版との対照分析を行い、翻訳の前後で見受けられる日英語の表現形式・構文上の差異を考察

する際に、認知言語学の枠組みから上記①~③の観点を中心に行い、もって日英語物語文翻訳

の観点から、言語類型論への貢献をも模索しようとするための基盤を記述しておくことが目的

である。

1.認知言語学的諸概念の定義

言語とは、人間の諸活動の一つの所産であるから、それ自体が言語使用者から自立したもの

では決してない。むしろ、あらゆる言語表現には、言語使用者たる主体の主体的・主観的な解

釈が反映されている。「主体」とは、具体的に言えば、ある事態を言語化する際の、その言語

化の主体のことであり、また同時に、その言語表現が表す事態を解釈する「概念化者(conce-

ptualizer)」である。つまり、言語使用者は、まず概念化者として自己を取り巻く事態を認識

し、そしてそれを主体的に概念化し、言語表現化する主体そのものなのである。あらゆる言語

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の様式と言語表現の差異 (澤 泰人)

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表現の背後には、必ず、その言語表現が表す事態を解釈する概念化者が存在するわけである。

「パースペクティヴ」とは、この概念化者の役割に焦点を当てた概念である。これには、(i)

視線の向き(orientation)、(ii)立脚点(vantage point)、(iii)方向性(directonality)、(iv)

ある存在をどの程度主体的╱客体的に解釈するか(how subjectively or objectively an

entity is construed)、という4つの要素が含まれる。ある事態を認識する場合、認識者(=

概念化者)は、ある立脚点に立ち、そこからその事態を認識する。そして、この概念化者の立

脚点と視線の向きを包括した概念が「視点」(viewpoint)である。つまり、「視点」とは、も

のを見るときの位置を指すだけでなく、ある事物をどの程度主体的╱客体的に解釈しているか

ということをも包括する概念であると言える(2)。主体は、自らが主体的に選択したパースペ

クティヴから、同じく主体的に選択した<存在>に注目して事態を解釈し、それを言葉に反映

させていく(3)。そして、それを基に個々の言語表現が産出されるわけである。

さて、認知言語学では、これらの諸概念が絡んで言語表現が産出されると考えるのであるが、

その言語表現を産み出す主体は、事態の概念化の際に、当該の事態を様々な認知様式で把握す

ることがわかっている。主体は、概念化の対象である客体的な事態を、外から客観的に把握す

る場合もあれば、その事態を構成する一部となってその事態を把握する場合もある。また、そ

の事態を形成する、主体とも客体とも言えない<存在>としてその事態を把握する場合もある。

つまり、主体がどのようなパースペクティヴを取るかで、同じ事態が幾通りにも解釈されるわ

けである(4)。

以上のような概念・考察を元に、先行の日英語対照研究で指摘されてきた事実を確認してお

く。従来、英語は客観的表現を好む言語で、日本語は主観的表現を好む言語であるといわれて

きた。これは、英語母語話者が事態を客観的に把握していく傾向があるのに対し、日本語母語

話者が事態を主観的に把握していく傾向があるためである(5)。日本語母語話者は、英語母語

話者とは異なり、事態の中に身を置き、事態全体を自分の身体で感じながら直接的に把握して

いく傾向が強い。日本語には、このような事態認知を反映した主体的な意味を表す言語表現が

多いのである(6)。言い換えるならば、英語においては、事態の外に取られた視点を反映する

言語表現がプロトタイプ的であり、そこから概念操作の顕在化という特殊なプロセスを経て、

主体的な意味を表す言語表現が成立する。しかし、少なくとも日本語においては、事態の中に

視点を取り、それによって主体的・主観的に把握された事態を表現していく方がプロトタイプ

的なのである(7)。

さらに、日本語の物語の言語表現に特徴的な性質として、次のような事実が挙げられている。

日本語の文章表現においての叙述の態度として、傍観者的に事態の推移を解説する姿勢もあれ

ば、執筆者自身の視点からこうであると描写する態度もある。さらに、話中の人物の視点に立

って事の成り行きを受け止める主体的な叙述の態度もある。しかも、それらを自由に使い分け、

時として異なる次元の叙述態度へと自由に移行することさえ許される(8)。例えば、執筆者の

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佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

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他に物語内にもう一人、人物が登場し、その人物の視点から描写が行われたりする。いわば物

語中の二者関係における視点の転移が行われたりするのである。つまり、傍観者から作中人物

への視点の転移である(9)。あるいは、話題のある場面を説明するのに、傍観者の目で全体の

地理的状況を俯瞰するのではなく、あくまで内側のその領域に己の視点を据えて、受身的にと

らえる場合もある。ここにも日本語的な発想の特殊性が見て取れるのである(10)。いずれにせ

よ、日本語においてプロトタイプ的なのは、事態の中に視点を置いて概念化し言語表現化する

という事態認識の様式なのである。

日本語と英語という言語全般に関わる特徴としての以上のような指摘は、日英語の物語文の

翻訳においては具体的にどのような現象となって現われているであろうか。ここで、西田谷の

言う「認知物語論」的対照研究が有効となる。

2.認知物語論

日英語物語文の具体的な翻訳分析に入る前に、その基盤となる「認知物語論」の基本的考え

方をここで述べておく必要があるだろう。

物語を、認知主体である話者が語り手を操作し受け手に向けて把握(=構築)した事態を伝

達する形式のテクストとして規定するならば、認知物語論の問題意識は、認知主体が事象・出

来事をどのように認識し、どのように表現しているか、という点にある(11)。このように考え

ると、事態を視点のどのようなあり方で捉えるかというパースペクティヴは、物語構造に重要

な役割を与えていると言える。同じ対象を叙述する場合でも、どんな立場から対象を眺めるか

によって叙述の仕方が異なる(12)。物語世界は、その世界を提示していく主体のダイナミック

な認知プロセスを反映しているのである。この種の認知プロセスは、視点投影、視線の移動・

変換等の主体の解釈モードによって作られている。主体の認知プロセスは、形態・構造をはじ

めとする物語表現の様々な側面に制約を与えている(13)。

この西田谷の言う認知物語論の考え方を援用するならば、日英語物語文の翻訳対照研究もま

た、究極的には各々の言語の認知様式の相違、すなわち、事態認識の主体かつ概念化者がどの

ような認知様式でもって当該の事態を認識し、言語表現化するかが、翻訳の前後において表現

形式や構文上の相違をもたらすと考えることができる。ゆえに、以下では、まず、一般的に見

られる人間の代表的な認知様式を記述し、次に日本語と英語が主にいずれの認知様式を優勢的

傾向として採用している言語であるかを確認しておく。両言語に反映されている、事態の認知

様式の優勢的傾向の差異が明らかになれば、それが同一の事態に対して翻訳の前後において産

出された表現形式や構文に差異が見られることの根拠となり得るからである。

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の様式と言語表現の差異 (澤 泰人)

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3.日本語と英語における主体の視点と事態認識の様式

一般的に、概念化者たる主体の事態認識の様式には、対極をなすものとして以下の2種が存

在する。

様式A.主体(C)は、事態の外から自らが参与者とはなっていない事態(O)を把握する。

Langackerの言う<最適視点配列>(optimal viewing arrangement)(14)、池上の

「客観的把握(15)」、中村の「Dモード」に対応する(16)。

様式B.主体(C)は、事態の中に入ってその事態(O)を把握する。Langacker の<自己中

心的視点配列>(egocentric viewing arrangement)(17)、池上の「主観的把握(18)」、

中村の「Iモード(19)」に対応する。

そして、これらの視点配列に関して言えば、英語は最適視点配列を、日本語は自己中心的視点

配列を、それぞれ好む傾向があると言える(20)。

上述の様式Bのように、言語主体が概念化の対象である事態の中に入り込み、その中でそ

の事態を主体的・主観的に解釈していくというパースペクティヴを取る場合には、それを反映

した言語表現、例えば以下の(1)a.は、主体性の度合が非常に高くなる。一方、様式Aのよ

うに、主体が概念化の対象である事態を外から客観的に解釈していくというパースペクティヴ

を取る場合には、それを反映した言語表現は、主体性の低い(言い換えれば、客体性の高い)

言語表現、例えば以下のb.や c.のようなものとなる。なお、b.では参照点としての主体の存

在が明示されているが、ここでは主体が自分自身を「観念的に分裂させ」、事態の外から事態

の中にいるもう一人の現実の自分を客観的に捉えている(21)。つまり、話し手が概念化の主体

としての役割とともに概念化の対象としての役割も担っている。これに対し、c.では、主体は、

概念化の主体として、その概念化の対象の中に入り込むことなく、外から客観的に捉えている。

したがって、c.は b.よりも主体性の度合が低いと言える。3つの言語表現の中で最も客体的

な意味を表す言語表現である。各々の言語表現に反映される主体性の度合は、その言語表現が

主体の主体的・主観的な解釈をどの程度反映しているかで異なる。言い換えれば、それぞれの

認知様式を基盤にした主体性の程度の差異が、結果として産出された言語の表現形式や構文の

差異となって具現化するのだと言える。

⑴ a.Vanessa is sitting across the table.

b.Vanessa is sitting across the table from me.

c.Vanessa is sitting across the table from Veronica.

(深田・仲本2008:171-172)

なお、本例に見るように、英語でも主体性の程度が異なる認知様式を基にした複数の言語表現

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佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

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が可能であるが、先述したように、相対的に様式Aを様式Bよりも多用する傾向がある。

ここで、Langackerのいう「ステージ・モデル」について触れておこう。「ステージ・モデ

ル」とは、言語表現の意味と「話者」の典型的な位置付けを理想化した認知モデルである。こ

のモデルによると、一般的には、話者はステージ上にあるものをその外から観察し、それを概

念化したものを言語表現に記号化する。この時、話者は概念の「主体(subject)」、表現の対

象物は概念化の「客体(object)」であり、両者の役割は完全に分離されている。つまり、話

者の視点は「オフ・ステージ」であると言える。この観点からすると、「主体化」とは、話者

自身を直接描写するのではなく、記述対象(客体)の意味構造の一部に話者が非明示的に組み

込まれる現象をいう。つまり、主体化された、主体性の高い言語表現においては、話者の視点

は「オン・ステージ」となる(22)。そして、英語と日本語を相対比較した場合、英語の表現形

式や構文には「オフ・ステージ」型が多く、日本語のそれらには「オン・ステージ」型が、優

勢的傾向として多いことがわかっている。

次に、中村の提示する二つの認知モードを見ておこう。これもまた、日本語と英語において、

傾向的差異が見られる。中村によると、主観性の側面から見ると、人間の事態認識には2種類

のモードが存在し(23)、各構文(言語表現)は、これら2つの認知モードのうち一方をより強

く反映していると考えられる。一つは「Iモード(状況密着型認知モード)」と呼ばれ、これ

は状況内に視点を置く日本語で優勢なモードである。Langackerとの関連で言えば、「オン・

ステージ」で、「状況中心」の見方がされ、話し手が事態の参与体であること(S-パースペク

ティブ)が多い。また視点が状況内にあるから、「直接的な経験」で、その表現は体験調で報

告調にはならない「非報告的」である。これらはまさに、これまで明らかにされてきた、日本

語の物語文の言語表現に優勢な特徴であると言えよう。これに対して、「Dモード(状況外か

らの認知モード)」は、状況の外に視点を置く英語で優勢なモードである。Langackerとの関

連で言えば、「オフ・ステージ」で、「状況の外から眺める」モードなので、視点は文字通り

「外置されていて」、「外部的」で、事態内の各参与体が注目されることになる(「人物中心」の

見方、O-パースペクティブ)。よってその表現は「報告的」となる。これらは、どちらかとい

うと、英語の物語文の言語表現に優勢な特徴であると言えるだろう。

日本語において優勢的傾向である、事態・対象とインタラクトしながらの認識は、状況密着

型による認識、つまり「Iモード」であり、話し手と経験者が同化する(その結果、話し手自

身が認知主体となる)認識、つまり主観的な認識である。すなわちこれは、認知主体と客体で

ある対象が融合している状態であり、いわば「主客合一」であるといえる。これに対して、英

語において優勢な、自分と事態・対象とのインタラクションを前提とせず、その事態・対象を

客観的に認知する認知モードが外置の認知モード、つまり「Dモード」である。この特徴は、

認知主体がインタラクティブな認知の場の外に出て、あたかも外から客観的に眺めるような視

点をとる点にある。その意味で、こちらは前者に対していわば「主客分離」であるといえる。

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の様式と言語表現の差異 (澤 泰人)

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以上のように考えると、日本語は自己中心的視点配列・Iモード優勢であり、逆に英語は最

適視点配列・Dモード優勢であるがゆえに、物語文中においては、以下①~③のような言語表

現上の相違が、傾向として出てくると考えられる。翻訳の際に、同一の事態に対して原文と異

なった構造や表現形式で訳文が産出されるのは、このような認知モードの相違が根底にあり、

それが言語表現の選択につながり、ひいては翻訳の際の原文と訳文の表現上の差異となって表

出するのではないかと考えられるわけである。

Iモード(日本語に優勢) Dモード(英語に優勢)

①過去時物語中の現在時制 多い(「る」形など) まれ

②事態経験者(主に主語)の明示 少ない 多い

③擬音語・擬態語 多い 少ない

Iモードが優勢な日本語における①・②の根拠としては、語り手がいわば状況内に身を置く

ようにして描写するためであると考えられる(24)。また、日本語物語文における現在形の多用

についての以下の主張も、この点を補強するであろう。下線部は、語り手が状況内に身を置く

ようにして描写してこそ可能になるからである(下線筆者)。

非現在の現在形の使用は、過去の出来事を現在に瞬間に効果的に移動させるので、読み手ま

たは聞き手は物語を再体験することができる(25)。

日本語の物語中の現在形の使用は immediacy(直接性、即時性)を与える効果があり、読

者はサスペンスを味わい、物語の進行している時間における作者の内面的世界に同化すること

になる(26)。

③の根拠としては、そもそも擬音語や擬態語が状況に密着した表現形式であるからである(27)。

一般に、日本語では、英語をはじめとする他の言語と比べて、擬音語・擬態語の使用頻度が高

い。それぞれ例えば、「ポチャン」・「しとしと」などといったものが挙げられるが、これらの

言語表現は、事態の中に入り込み、自らの身体(すなわち五感や身体感覚)を介して直接捉え

たその事態についての主体の解釈を、未分化なまま、言い換えれば、<何が何をどうした>と

分析することなく、ただ当該の事象を全体的に捉えて表現している言語表現である。主体自身

が事態の中に入り込み、事態に密着しなければ、事態がそのように全体的に捉えられることが

ないと考えれば、日本語の擬音語・擬態語は、事態を主体的に認識・解釈する主体の存在を顕

在化している主体的な意味を表す言語表現であると言える(28)。よって、これらは Iモードを反

映する形式であると考えることができる。となれば、擬音語・擬態語が英語に比して格段に豊

かな日本語の物語文においては、Iモード優勢ということになる。

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佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

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4.日英語物語文対照分析

ここでは、これまでの考察を確認するために、翻訳を介した実際の日英語の物語文を見て、

分析をしていくことにする。もっとも、本論文の目的は、翻訳前後の日本語と英語の物語文に

おける事態の認知様式がどのようにして言語表現に反映されているか、またそれが、結果いか

にして日英語の言語表現上の差異につながっているかを、特に前節で挙げた3点において提

示・確認していくことであり、十分な定量・数量的データ分析そのものは、紙幅の関係上、稿

を改めて行うこととしたい。したがって、本節では、事実の確認程度にとどめておく。

まず、概念化者のパースペクティヴの取り方によって、過去時物語文中の時制と事態認識者

の明示・非明示が、日本語と英語の場合でどのように異なるか見てみよう。これらは、前節で

挙げた①および②の観点に相当する。題材は、川端康成著の代表的な日本語小説『雪国』とそ

の英訳版から採用していくことにする。先の考察から、以下の1.から4.に行くにしたがっ

て、主体性の程度が増大していくことがわかる。つまり、1.が典型的なDモードであり英

語に優勢、4.が典型的な Iモードであり日本語に優勢なものである。

1.過去時制・経験者明示・視点「オフ・ステージ」

2.過去時制・経験者非明示・視点「オフ・ステージ」

3.現在時制・経験者明示・視点「オン・ステージ」

4.現在時制・経験者非明示・視点「オン・ステージ」

⑵ a.…女はぷいと窓へ立っていって国境の山々を眺めたが、そのうちに頰を染めて、…

《過去時制;経験者明示;概念化者の視点は「オフ・ステージ」》 (22)

b.She stood up abruptly and went over to the window,her face reddening as she

looked out at the mountains.

《過去時制;経験者明示;概念化者の視点は「オフ・ステージ」》 (20)

⑶ a. …島村が内湯から上がって来ると、もう全く寝静まっていた。古びた廊下は彼の踏

む度にガラス戸を微かに鳴らした。その長いはずれの帳場の曲り角に、裾を冷え

冷えと黒光りの板の上へ拡げて、女が高く立っていた。 (18)

《過去時制;経験者非明示;概念化者の視点は「オフ・ステージ」》

b. ...and by the time Shimamura had come up from the bath the place seemed to

be asleep. The glass doors rattled slightly each time he took a step down the

sagging corridor.At the end, where it turned past the office, he saw the tall

figure of the woman, her skirts trailing coldly off across the dark floor. (14)

《過去時制;経験者明示;概念化者の視点は「オフ・ステージ」》

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の様式と言語表現の差異 (澤 泰人)

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⑷ a.…島村はなぜかそれが心のどこかで見えるような気持ちもする。 (17)

《現在時制;経験者明示:概念化者の視点は「オン・ステージ」》

b. Somewhere in his heart Shimamura saw a question, as clearly as if it were

standing there before him. (14)

《過去時制;経験者明示;概念化者の視点は「オフ・ステージ」》

⑸ a.島村はその方を見て、ひょっと首を縮めた。鏡の奥が真白に光っているのは雪で

ある。その雪のなかに女の真赤な頰が浮んでいる。 (50)

《現在時制;経験者非明示:概念化者の視点は「オン・ステージ」》

b. Shimamura glanced up at her, and immediately lowered his head. The white

in the depths of the mirror was the snow, and floating in the middle of it

were the woman’s bright red cheeks. (48)

《過去時制;経験者非明示;概念化者の視点は「オフ・ステージ」》

上例から、原文の日本語に比べて英訳版の方が、主体性の程度が低減した表現形式になって

いることがわかる。

次に、前節③の観点、すなわち擬音語と擬態語の例を見てみよう。以下はHemingway著

The Old Man and the Sea”の英語原文とその日本語訳であるが、英語において主として動

詞句によって客体的に表現されていた事態が、日本語ではそれぞれ擬音語や擬態語となって主

体的に表現されている。日本語訳の表現においては、主体の視点が事態内部に入り込み、事態

に密着することによって、事態を全体的に捉えている。この点、英語に比して相対的に事態の

認識主体の主体性の程度が増大していると言える。

⑹ a. ...and he loved to walk on them on the beach after a storm and hear them

pop when he stepped on them with the horny soles of his feet. (32)

b. また彼は嵐のあとなど、海岸に打ちあげられた浮袋を、角のように硬くなった踵で

踏みつけては、それがプスッ、プスッと音をたてるのをききながら歩くのが好き

だった。 (37-38)

⑺ a. In the dark the old man could feel the morning coming and as he rowed he

heard the trembling sound as flying fish left the water and the hissing that

their stiff set wings made as they soared away in the darkness. (25)

b. 老人は暗黒のうちに朝の近寄る気配を感じとっていた。飛魚が水を離れるときに生

じるブルンという音、その硬い翼が暗い空をよぎるヒューという音、オールを操り

ながら老人はそれらの物音をはっきりききとっていた。 (28-29)

⑻ a. It floated cheerfully as a bubble with its long deadly purple filaments trailing

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佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

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a yard behind it in the water. (31)

b. 黒ずんだ紫色の細い糸が水中に一ヤードも尾を引いていたが、それはまるで水泡の

ように、のんきにふわふわと漂っていた。 (36-37)

⑼ a.The bird went higher in the air and circled again,his wings motionless. (29)

b. 鳥はさらに上空めがけて舞いあがり、ふたたびぐるぐる輪を描きはじめた。 (34)

おわりに

本論文では、翻訳を介した日本語と英語の物語文の対照研究の枠組みとその考察点を、特に

「視点」や「主体化」の概念を中心に、認知言語学の観点から提示し、日英語物語文の事態認

識の言語表現の分析の可能性・方法・実例の一部を見てきた。特に日英語対照分析では、

Langackerの提唱する自己中心的視点配列と最適視点配列、中村の言う IモードとDモード、

そして池上の主張する主観的把握と客観的把握の対立による観点からの分析が有効と思われる

が、今後さらに多くの作品に当り、データを集めて定量的分析を試みる必要があろう。とりわ

け、3節の①の項目については、概念化者の視点の位置が、過去時制を用いた場合と現在時制

を用いた場合で異なり、前者ではオフ・ステージに、後者ではオン・ステージにあると考えら

れる。また、3節の②の項目、すなわち事態の認識者が言語表現内に明示されているか否かは、

それが直接的スコープ内にプロファイルされているか否かということで説明できるのではない

かとも考えられる。これらも検証すべく、さらなるデータ分析を進める必要がある。なお、日

英語対照のこの研究によって、中村のいう「認知類型論」のさらなる前進にも寄与しうると考

える(29)。

〔注〕

(1) 森田良行 『話者の視点がつくる日本語』 ひつじ書房、2006年、pp.189-190.

(2) 籾山洋介・深田智 「意味の拡張」 松本曜編著『認知意味論』 大修館書店、2003年、p.108

(3) 深田智・仲本康一郎『概念化と意味の世界』研究社、2008年、p.43,170.

(4) 深田・仲本、前掲書、p.93.

(5) 森田良行 『日本人の発想、日本語の表現』 中央公論社、1998年.

中村芳久 「言語相対論から認知相対論へ」『研究年報』17、77-93.

池上嘉彦 「言語における 主観性>と 主観性>の言語的指標(1)」『認知言語学論考』3,

2003年,pp.1-49.

池上嘉彦 「言語における 主観性>と 主観性>の言語的指標(2)」『認知言語学論考』4,

2004年,pp.1-60.

Ikegami,Yoshihiko“Indices of a ‘Subjectivity-prominent’Language.”Annual Review of

Cognitive Linguistics 3:132-164.

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の様式と言語表現の差異 (澤 泰人)

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金谷武洋 『英語にも主語はなかった』 講談社、2004年.

(6) 深田・仲本、前掲書、p.191.

(7) 池上、前掲書.

深田・仲本、前掲書、p.173.

(8) 森田良行 『話者の視点がつくる日本語』 ひつじ書房、2006年、p.208.

(9) 森田、前掲書、pp.209,211.

(10) 森田、前掲書、p.197.

(11) 西田谷洋 『認知物語論とは何か 』 ひつじ書房、2006年、P.14.

(12) 西田谷、前掲書、p.137.

(13) 西田谷、前掲書、前掲箇所.

(14) Langacker, Ronald W. “Observations and Speculations on Subjectivity.” In: John

Heiman (ed.)Iconicity in Syntax,John Benjamins, 1985,pp.109-150.

Langacker,Ronald W.“Subjectification.”Cognitive Linguistics 1(1),1990,5-38.

(15) 池上嘉彦 「言語における 主観性>と 主観性>の言語的指標(1)」『認知言語学論考』3,

2003,pp.1-49.

池上嘉彦 「言語における 主観性>と 主観性>の言語的指標(2)」『認知言語学論考』4,

2004,pp.1-60.

(16) 中村芳久 「主観性の言語学:主観性と文法構造・構文」 中村芳久編『認知文法論Ⅱ』、大修

館書店、2004年、pp.3-51.

(17) Langacker,前掲書、前掲箇所.

(18) 池上、前掲書、前掲箇所.

(19) 中村、前掲書、前掲箇所.

(20) 深田・仲本、前掲書、p.95.

(21) 本多啓 『アフォーダンスの認知意味論』、東京大学出版会、2005年、p.521.

(22) Langacker, Ronald W. “Observations and Speculations on Subjectivity.” In: John

Heiman (ed.)Iconicity in Syntax,John Benjamins, 1985,pp.109-150.

(23) 中村、前掲書、前掲箇所.

(24) 中村、前掲書、p.44.

(25) 西口純代 「物語文の現在時制における視点と文脈の変化」 河上誓作・谷口一美共編『ことば

と視点』、英宝社、2007年、p.171.

(26) 西口、前掲書、前掲箇所.

(27) ベルク,オギュスタン 『空間の日本文化』(宮原信訳、ちくま学芸文庫)、筑摩書房、1994年,

p.29.

Kita,Sotaro “Two-dimensional semantic analysis of Japanese mimetics.”In:Linguistics

35,1997,pp.379-415.

Occhi, Debra J. ”Sounds of the heart and mind: Mimetics of emotional states in

Japanese.”In:Gary B. Palmer and Debra J. Occhi (ed.)Languages of sentiment, John

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佛教大学大学院紀要 文学研究科篇 第37号(2009年3月)

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Benjamins, 1999,pp.151-170.

(28) 深田・仲本、前掲書、pp.191-192.

(29) 中村、前掲書、p.49.

〔引用作品〕

川端康成 『雪国』、岩波書店、1952年.

Kawabata,Yasunari Snow Country. translated by Edward G.Seidensticker,Charles E.Tuttle

Company, 1957.

Hemingway,Ernest The Old Man and the Sea.Kodansha International, 1991.

アーネスト,ヘミングウェイ 『老人と海』(福田恒在訳)、新潮社、1966.

(さわ やすと 文学研究科英米文学専攻博士後期課程)

(指導:橘髙 眞一郎 教授)

2008年9月24日受理

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日英語の物語文翻訳に見られる事態認識の様式と言語表現の差異 (澤 泰人)