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29 日常的な言語活動中の発音を考える時、普段のコミュニケーションに用いる発音を学習モデルとす るのが普通である。しかし歌唱時の発音の場合は、メロディーに言葉を載せるという点で大きな制約 が生じる。したがって基本的には日常会話モデルとは異なる発音が用いられることになる。歌唱発音 に関して長い歴史をもつクラシック音楽(classical music)においては、こうした制約から生じる問 題に対応した特殊な発音法がある。特にイタリア語、ドイツ語、フランス語などではオペラや芸術歌 曲などの分野で、長い伝統により積み上げられてきた歌唱時の発音法やこれに関連して、歌唱の指導 システム等 1) も確立している。いずれの言語も長年月にわたり改良を加えてきた発音法であるが、論 文や文献等で厳密に体系付けられたというよりは、指導者(コーチ)が技能面から実地に歌手に伝授 する形で受け継がれてきたという側面がある。 英語の歌唱発音法については、基本的にイギリス英語の標準型(RP)が基本モデルとされてきたが、 声楽上の制約が生じる発音の処理方法が複数存在 2) するなどして、必ずしも統一されているとはいい 難い状況 3) にある。また近代以降、英語自体が世界的に普及した後、新音楽ジャンルが相次いで生ま れたことなどに伴なって、現在では2大標準型のうち、RPに加えてアメリカ英語(GA)の使用範囲 が急激に拡大してきた。英語の歌唱発音法はこのような複雑な要因が絡み合った形で複数のスタイル が混在 4) している。本稿ではクラシック音楽における声楽の英語発音法について音声学的観点から分 析を行い、各発音処理の仕方を検証する。 1.はじめに Masahiro IMANAKA 国際言語文化学科(Department of International Language and Culture) 声楽のための英語発音法に関する分析(1) 仲 昌 An Analysis of English Diction for Vocal Music (1) Masahiro IMANAKA

声楽のための英語発音法に関する分析(1) · 2015-04-21 · 明瞭にしようとすればするほど、発音器官によって声道が遮られる頻度や度合いが多くなり、声の滑

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日常的な言語活動中の発音を考える時、普段のコミュニケーションに用いる発音を学習モデルとす

るのが普通である。しかし歌唱時の発音の場合は、メロディーに言葉を載せるという点で大きな制約

が生じる。したがって基本的には日常会話モデルとは異なる発音が用いられることになる。歌唱発音

に関して長い歴史をもつクラシック音楽(classical music)においては、こうした制約から生じる問

題に対応した特殊な発音法がある。特にイタリア語、ドイツ語、フランス語などではオペラや芸術歌

曲などの分野で、長い伝統により積み上げられてきた歌唱時の発音法やこれに関連して、歌唱の指導

システム等1)も確立している。いずれの言語も長年月にわたり改良を加えてきた発音法であるが、論

文や文献等で厳密に体系付けられたというよりは、指導者(コーチ)が技能面から実地に歌手に伝授

する形で受け継がれてきたという側面がある。

英語の歌唱発音法については、基本的にイギリス英語の標準型(RP)が基本モデルとされてきたが、

声楽上の制約が生じる発音の処理方法が複数存在2)するなどして、必ずしも統一されているとはいい

難い状況3)にある。また近代以降、英語自体が世界的に普及した後、新音楽ジャンルが相次いで生ま

れたことなどに伴なって、現在では2大標準型のうち、RPに加えてアメリカ英語(GA)の使用範囲

が急激に拡大してきた。英語の歌唱発音法はこのような複雑な要因が絡み合った形で複数のスタイル

が混在4)している。本稿ではクラシック音楽における声楽の英語発音法について音声学的観点から分

析を行い、各発音処理の仕方を検証する。

1.はじめに

*Masahiro IMANAKA 国際言語文化学科(Department of International Language and Culture)

声楽のための英語発音法に関する分析(1)

今 仲 昌 宏*

An Analysis of English Diction for Vocal Music (1)

Masahiro IMANAKA

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東京成徳大学人文学部研究紀要 第 15 号(2008)

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西洋音楽において、器楽と声楽とでは指導方法や体制が大きく異なっている。器楽では大抵楽器演

奏の指導者が指導を行うだけであるが、声楽では声楽教師、コーチ、コレペティトール(Korrepetitor)5)、

伴奏者などが必要である。Emmons & Thomas(1998)はコーチの役割を1)ピアニスト、2)音楽の技

能、3)言語の指導、4)本番までの手助け、であると述べている。

こうした指導者が必要な理由は大きく分けて二つある。まず声楽は身体が楽器であるため、仮に歌

手が児童合唱の経験者であったとしても、聴音などの音感教育は別として基本的には変声期を経た後

でなければ本格的な声楽・発声・歌唱法などの訓練6)はできないため、器楽と比較して技術的な練習

はかなり遅く始まるという点である。

次に、器楽では技術面を除けば演奏者固有の楽器としての音色が問題となるだけなのに対し、言葉

という複雑な要素を曲の中にもつ声楽はその表出方法を音楽とは別個に学習し、演奏できるようにな

らなければならない。また器楽の分野でオーケストラや小編成のアンサンブルでは、譜面を見ながら

演奏するのが普通であり、独奏者のみが暗譜で演奏することを求められる。しかし声楽分野ではオラ

トリオやバロック音楽の演奏では一部譜面を見ることは許される場合があるものの、独唱者、合唱団

はオペラ、芸術歌曲、合唱曲いずれも基本的にすべて暗譜で演奏するのが通常である。声楽曲の暗譜

についてはメロディーだけでなく、かなりの分量からなる歌詞がある。さらに歌手の立場からすれば、

母語で書かれた曲のみを演奏するわけではないので、発音法については複数の言語について学ばなけ

ればならない。

加えてオペラでは舞台上での所作・演技が求められるので、独唱者は舞台衣装を身にまとい、演技

を行いながら歌うという作業が求められる。コーチやコレペティトールと本番までに繰り返し練習を

行って多岐にわたる作業について記憶する項目が数多くある。このようにして歌手をサポートする指

導体制ができあがった。このような指導者は頻繁に演奏される人気の高い曲目や演目があってこそ存

在意義があるのであり、英語発音法についての指導体制の不備は英語で書かれた名曲が少なかったこ

とが大きな理由と考えられよう。歌手が本番までに準備することをまとめると1)音楽的要素、2)声楽

的要素、3)言語的要素、〔4)演技〕)ということになる。

歌唱に用いられる発音が様々な制約から日常的発音とは異なる基本的理由は、次の4点に集約され

よう。第一にことばを聴き取りやすくすること。第二に声楽上の要因、第三に美学上の要因、第四に

様式上の要因である。

3.歌唱時の発音

2.声楽における指導方法の特殊性

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声楽のための英語発音法に関する分析(1)

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3.1 歌詞の明瞭性

声楽がその性格上器楽と大きく異なる側面として、ヴォカリーズ(vocalize)のようにもともと意

味を持った言語ではなく、母音のみを音素材として用いる曲を除けば、通常声楽曲には歌詞があると

いう点である。歌詞の存在は聴き手が詞を理解することが前提であることは自明である。日常会話で

は言語の余剰性がある上に部分的にわからない発音があっても、聞き返したりすることで話し手のメ

ッセージが伝わらないということはほとんど生じない。しかし歌唱においては朗読や演劇等と同様に、

聴衆に対して一方通行の形で詩、テクストを提示するために、十分に聴き取れるように歌う側が発音

の細部に配慮しなければならない。器楽と異なり、優れた歌唱とは歌詞の意味を伝えるだけでなく、

発音の仕方を工夫することなどにより、歌詞の持つ感情や表情をつけることが必要となるために歌手

は細かいニュアンスを表現できるような発音法7)を身につけなければならない。

作曲者が特に戯詩(nonsense verse)のように、詩の理解を聴き手に必ずしも求めていないような

特殊な場合を除き、歌詞が聴き取れない演奏は根本的な問題があることになる。しかしこれは第二の

点の問題とも深く関わるので詳細は後述するが、公演芸術(performing arts)の中でも言葉がその重

要な鍵となる、朗読や演劇と声楽が決定的に異なる点は、音楽的に美しいと感じられる歌唱とその歌

唱の発音の明瞭度は必ずしも一致しない場合があるということである。つまり歌手自身がもつ声の美

しさや歌い回しのうまさなど、言葉の意味とは無関係に聴き手の感性に訴えるという音楽的側面があ

るために、歌詞が十分に聴き取れない場合でも聴き手が音楽的な満足を得てしまうことがある。例え

ば外国曲などにありがちなことだが、未知の外国語の歌詞がわからない場合であっても、聴き手は器

楽演奏を楽しむように音楽的に好きになってしまう歌唱があるというのも事実である。しかし、聴き

手が真に演奏を評価できる能力をもつ場合、優れた歌唱とは音楽、言語発音、発音上のニュアンス等

あらゆる条件について高いレベルを示すものであることは論を俟たない。したがって理想的な歌唱と

は音楽的にも言語の明瞭度の点でもすぐれていなければならない。

3.2 声楽上の要因

クラシック音楽では演奏会場で拡声装置(public-address system)(以下PA system)を用いずに歌

うこと、つまり歌手の声をじかに聴き手の耳に届けることにより、声と聴衆の間に何も介在させずに

直接的な空気振動を通じて歌を聴かせるという伝統がある。これは後述するように、音の純度を高め

るという歴史的な過程が西洋音楽に存在したからである。このため歌手は発声訓練によって声の純度

を高めるとともに、声の共鳴を拡大し、演奏会場の隅々にまで十分届くような声量を獲得する必要が

出てくる。

イタリアオペラなどでは、通常ベルカント(bel canto)唱法8)が用いられるが、これは人間の上半

身を楽器に見立てて発声器官を広い音域にわたって効率よく使用し、純度の高い声を共鳴腔に共鳴さ

せることにより、大幅な声量拡大を図る発声法9)である。

十分な共鳴をもたせて発声する場合、口をメガホンの形状に例えると、声の出口(口腔)で調音器

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官の動き(両唇、舌の動き等)によってこのメガホンを遮る度合いや頻度数を極力抑え、声道を広く

保てば保つほど共鳴によって声が良く拡散するので、声量確保には望ましい。一方、歌唱時の発音を

明瞭にしようとすればするほど、発音器官によって声道が遮られる頻度や度合いが多くなり、声の滑

らかな放出に制限が加わることになる。すなわち発音の明瞭性と発声(声の拡散)のしやすさとはあ

る種反比例の関係にある。このためオペラなどのようにオーケストラと協演する舞台上での歌唱にお

いては、音量的にオーケストラと競合することになるので、ある一定以上の声量を確保することが課

題となる。したがって歌詞の明瞭性をある程度犠牲にしても、美しい声を十分な声量をもって聴かせ

なければならない面が出てくる。両者を天秤にかけると、歌詞の意味内容の伝達よりも、声自体の美

しさや声がよく通ることへの比重が高くならざるを得ない側面がある。

他方、芸術歌曲などでは、通常ピアノ伴奏であるために歌とピアノの音量との競合に関してはオー

ケストラの場合と比較して歌う側の負担が少なくてすむ。演奏者が少ないので歌もピアノも小回りを

利かせることができる。しかも細かい発音上のニュアンスを歌唱に生かすことが可能になるので、声

量の確保よりは歌詞の発音の明瞭性や発音方法への比重が増すことになり、自然に発音の明瞭度を高

める方向に傾斜することになる。

3.3 美学上の要因

クラシック音楽が代表する西洋音楽の特徴の一つとして、他のジャンルの音楽と比較して、対象と

する「音」についてひたすら雑音成分を排除してきたという歴史がある。西洋音楽では、邦楽器(尺

八、三味線など)に観察されるような不協和音的なノイズ的傾向のある波形をもつ楽器音は基本的に

好まれない。西洋音楽における音楽的な音の定義は混じりけのないクリアな音であり、より純音に近

い、周期的な音を理想としている。人の声についても同様で、いわゆるハスキーな声とは対極にある、

より研ぎ澄まされた純度の高いスピント(spinto)した音色を追究してきた結果、発音についても音

楽的に美しいと考えられる母音部分(共鳴音)を損なわないように子音を発音することが重要となっ

た。従って芸術歌曲などにおいては明瞭な発音を損なわない範囲で子音的要素を弱めることが伝統的

に行われてきた10)。歌詞の伝達を主たる目的とするならば、子音全体の明瞭度をひたすら高めればよ

いということになるが、歌全体としてみた時の各発音の自然さやバランス、声や音自体の美しさ、音

楽性を大切な要素とする場合にはこれらの兼ね合いが重要となる。

3.4 様式上の側面

美学的要因と深く関わる点であるが、会話時の発音とは異なる発音法であるために、歌手は母語で

あっても専門的に歌唱のための発音法を習得する必要がある。母語話者は自らの発音について母語で

あるがゆえに無頓着であり、特別な配慮が必要であるという認識に欠ける傾向がある。日常に用いる

母語発音は個人方言(idiolect)や話者個人独特の癖が色濃く出たものになることが多いので、聴衆に

対してはニュートラルで標準的な発音に変更する必要がある。アナウンサーなどが標準発音の訓練を

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声楽のための英語発音法に関する分析(1)

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受けるのと同じ理由である。少しでも地域性や個人的癖を修正し、あらゆる聴衆に受け入れられる発

音にすることが肝要となる。

歌唱とは、様式化された芸術の一形式である。バレエが歩行や踊りを様式化した芸術であるとすれ

ば、歌唱は語りないしは会話を様式化したものといえよう。既述したようにオペラや芸術歌曲が生ま

れた時代にはPA systemが存在しなかったので、発声器官の効率的使い方、声量拡大、音楽的な声の

確保などの理由から生まれたのがオペラの発声に向いたベルカント唱法であるが、いわゆるクラシッ

ク歌手の歌唱の典型がこのベルカントだといってよい。11)

クラシックの声楽家の独特な歌い方はこの歌唱法の特徴から来ているといってよいが、そのメカニ

ズムはまず声帯振動によって作られた声を可能な限り共鳴腔に共鳴させることにより、声量を拡大す

るというのが主たる目的である。

ベルカント式発声法の特徴は2点あり、第一に咽頭から口腔にかけての空間を広く保ちながら共鳴

を拡大するのだが、普段は接近した(閉じた)状態にある声帯の上にある仮声帯という粘膜に覆われ

た隆起部分を広げることにより、喉頭室が会話時よりも拡大する。この広い空間、すなわち空気振動

の容積を会話時よりも広く保つことで声帯振動の共鳴を大きくする。第二に声帯自体を振動させる際

に、左右の声帯の接触面を極力薄くすることで声門下圧が低い状態でも敏感に声帯が振動できるよう

な状態になる。これにより、音程の微妙な調節や音色の変化に対応できるだけでなく、呼気を効率よ

く使えるので、より長いフレーズを呼吸法の訓練と連動させることでブレスの回数を少なくして歌う

ことが可能になる。歌唱時の感覚としては、いわゆる欠伸をすると喉頭室が拡大し咽頭が自然に広が

るので、この状態で発声するのである。

上記のような形で調音器官の状態を保ちながら発声するため、会話の際の発音とはかなり異なる聴

覚上の印象がある。これは発音器官を効率的に共鳴させる方法として開発された発声法であり、ある

意味で特殊な様式感をもたらす歌い方といえる。これは雑音成分を極力減らすこと、澄んだ音色を獲

得すること、声帯に負担をかけないという目的に合致した発声法である。したがって声帯は音程をつ

けて発声する場合(歌をうたう時)の方が、普通に話す場合12)よりも疲労がはるかに少ないのである。

声楽的観点からの英語発音の分類は音韻論における音響音声学の研究によって得られた音響上の特

徴である、弁別素性(distinctive features)による分類とほぼ一致する。音韻論では聞こえ度

(sonority)の高い、周期的な音の要素を最も強くもった言語音は分類上、表113)にみられるように、

まず(1)母音であり、次に(2)共鳴音(sonorant or resonant)(鼻音、流音、渡り音)、最も聞こえ度の低

い音とみなされるのは(3)阻害音(妨げ音)(閉鎖音、破擦音、摩擦音)である。母音は共鳴性と音節

形成可能な音節主音性を合わせもつという点から、最も聞こえ度が高い音群である。

4.発音の分類と音楽的な声との関係

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(2)、(3)のうち声楽上の制約を最も多く受ける発音は(2)に分類される共鳴音である。共鳴音はすべて

有声音(共鳴性が+、継続性が+)であり、声道が母音ほどではないが、阻害音よりも広く保たれた

状態で発音される。音楽的な範疇に分類可能な音と判断できる一方で、言語音識別上は子音に分類さ

れる。このように両方の性格をもっている上に、阻害音よりも母音に近い位置にあることもあって、

調音上制約の多い音素群となっている。子音に分類されていることからもわかるように、音楽的なひ

びきを保ちながら明瞭な発音をしようとする場合、発音上の制約を最も受ける音であるために、後述

するように歌唱においては会話発音とかなり異なる形で音楽的に聞こえるように発音を処理しなけれ

ばならない。阻害音は基本的には音素として正しく発音される必要があるが、子音の目録(inventory)

の中では聞こえ度の低い音であるために、もともと音楽的にひびくように発音することが難しく、発

音法上は音の強弱の調節をする以外にはあまり発音上の操作ができない子音群である。声帯振動の有

無が共鳴性および聞こえ度との関係が深いので、共鳴性をもつ子音で聞こえ度の高いものほど音楽的

と考えられている。こうした観点から聞こえ度が高い順に子音群を分類すると、共鳴音>有声阻害

音>無声阻害音の順になる。

表2の17種の阻害音は(4)調音様式と(5)無声―有声の相違などの条件の違いによるだけではなく、各

弁別特徴による分類によってもわずかながら聞こえ度に差がある。(4)では表2にある雑音成分の強い

音に関して、例えば調音器官が完全に閉鎖する閉鎖音( )、音の前半部分のみが閉鎖す

る破擦音( )、狭めの小さい摩擦音( )は音楽的に処理することが困難で

ある。

表2 英語子音音素の弁別特徴表

/ /, , , , , , , ,/ /,

/ /, , , , ,

/+ + + – – – + + + + – – – – + – + – – –

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声楽のための英語発音法に関する分析(1)

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しかし、阻害音のうち(5)の無声と有声の区分の比較をすると無声音は声帯振動を伴わないため、阻

害音の中でも最も母音から遠く、聞こえ度が低い位置にある音と解釈される。このように基本的に声

帯振動を伴う母音、次に共鳴音的子音の順で音楽的な音(musical sound)と解釈され、母音的性質か

ら最も遠い位置にある閉鎖性の最も高い無声閉鎖音( )ほど音楽的感性への訴求力が弱い。

裏返していえば歌唱においてはもっぱら意味の伝達に貢献する音であるといえる。

実際の歌唱にあたっては音符に附された歌詞を歌うため、各楽曲に指定されたテンポで音符の進行

に合わせて歌唱の中で音声化してゆく。音符上の歌詞を発音する場合、母音中心の発声が必要となる。

すなわち各音符の長さに沿って歌詞(音節)を歌うことになるので、例えば長い音符を歌う場合は主

として音符に割り振られた音節中の音楽的要素の強い母音部分を引き伸ばして歌うのが普通である。

メロディーはつながった形で歌わなければならないので、会話時とは異なった形で発音をつないでい

く必要があり、基本的に音節主音的な母音が音符の核として歌われることになる。例外的に子音の中

でも成節子音は音節主音的な特徴をもつので発音処理の際には母音的な歌い方に変更されるのである。

子音中にも継続音(continuant)と非継続音(non-continuant)があり、摩擦音など継続性をもつ音

は母音のように引き伸ばすことは可能だが、既述したように阻害音であることや音節主音にはなれな

い子音を継続的に長く発音すれば、その音符が音楽的な要素を失ってしまうおそれがあるため、継続

音であっても短く発音し、母音部分を可能な限り長くする必要が出てくる。

子音に重きを置いた歌唱では演奏上母音部分がより少なくなるために、言葉への傾斜が強いものと

なり、母音部分を重視した演奏は音楽的要素への比重が大となる。この相違は曲の性格14)や歌手の個

性などにより差が出てくる点である。

1)声楽が器楽と大きく異なるのは言葉が音楽と一体化しているために、後述するように声楽教師、コーチ、

コレペティトールといった指導体制が必要となる点である。オペラにおいてはさらに演出家による舞台

上での演技指導等も含まれる。

2)Labouff (2008 : 6-7)は3つの標準型を提案している。1. American standard 2. RP 3. Mid-Atlantic Dialect.

3)ルネッサンス音楽以降、近代にかけてイギリス人作曲家による音楽は合唱曲関連の作品については多く

作曲されたものの、イタリア語やドイツ語の曲などと比べ、器楽やオペラ、芸術歌曲の分野では国際的

に傑出した作曲家が輩出することはなかった(皆川 1965:417-419)。英語による優れたオペラ・声楽作

品が生みだされ、繰り返し演奏されるという状況になかったことも伊、独、仏語のように統一した形で

発音法や指導体制が形成されなかった要因の一つと考えられる。つまり国際的なレベルの優れたオペラ

や声楽曲が各国の劇場で繰り返し上演されることで、演奏技術の向上やさらなる研究が積み重ねられ、

独唱者や合唱団員を支援するための声楽教師、コーチ等の指導体制や英語発音法が十分な形で育たなか

ったということである。ただしイギリスでは外国人としてではあるが、G. F. ヘンデルが帰化したり、大

バッハの息子J. C. バッハ、J. ハイドンが人気を博して活躍した当時、国際レベルの楽曲が英語の詩で一

部作曲されたという事例はある。

4)人口の面や政治、経済、文化等の言語外の要因をも考慮するとむしろアメリカ英語の存在感はクラシッ

ク音楽のジャンルを除けば、イギリス英語を凌駕してしまった感がある。歌唱発音という点では、他の

ジャンルでは例えばジャズやポピュラー音楽などもともと米国で生まれ、世界に向けて発信された音楽

が巨大なマーケットを形成し、世界中で聴かれる時代になったこともあって、アメリカ英語発音の方が

広範囲で用いられる状況になった。

/ /, ,

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東京成徳大学人文学部研究紀要 第 15 号(2008)

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英語の歌唱についてはこうした観点から、音楽ジャンルや歌詞の内容などによって歌唱スタイルが大幅

に異なるため、実際には単に英米の発音の相違だけでなく、発音スタイルそのものを状況に応じて変え

る必要が出てきた。特に英語においてはヨーロッパの他言語にはない、複数の標準型が存在するように

なったために使い分ける必要が出てきたといえよう。

5)オペラやオラトリオの独唱者が歌唱練習をする際の、下稽古の指導者のことで、オペラ指揮者の見習い

が担当することが多い。ゲネプロ、本番などで正指揮者がオーケストラと独唱のリハーサルをする前に、

ピアノ伴奏で合わせる練習をするのが普通である。

6)声帯の長さや感覚が変声期の前と後とでは大幅に変わってしまうために、声域の変化だけでなく児童合

唱で積み上げた声楽的技術をそのまま移行させることが難しいからである。

7)この問題も朗読や演劇と同様であるが、ありとあらゆる技術を駆使して言葉の明瞭度を高めるとしても、

聴衆には可能な限り「自然に」聞こえるようにしなければならない。実際には歌う側は様々なテクニッ

クを労している点では、大いに「不自然さ」を感じながら歌唱を行っているわけである。

8)「ベルカント」とは「美しい歌」の意で、18世紀にイタリア歌劇の伝統から生まれた歌唱法である。あら

ゆる声域にわたって声音の美しさ、滑らかさに重点を置いて歌えるというのがその特徴といわれている。

9)ベルカント唱法は基本的にイタリア語発音に適した形で発展したものなので、日本語の歌唱に向いてい

るとはいえないが、声量の確保に大変優れている側面があるため、多くの日本人オペラ歌手は日本歌曲

の歌唱でもベルカント的なうたい方をしてしまうことが多く、日本語の歌の発音としては大いに違和感

のあるものになってしまう。

例えば、日本語の「ウ」は正しくは非円唇母音の/ /であるが、イタリア語や英語などの円唇の/u/で歌

ってしまうことがほとんどである。西洋音楽の審美的観点から、円唇の方が立体的で音楽的に聞こえる

のに対し、非円唇母音は浅く、深みがない聴覚印象をもたらすので、西洋音楽を聞き慣れた耳には浅薄

に聞こえてしまうという理由も指摘しておくべきであろう。

また歌唱法とは無関係だが演歌を除くポピュラー系の歌手も、おそらくは英語文化に影響されて日本語

の歌を英語的子母音を用い、リズムも英語的な感覚で歌うケースが非常に多くみられる。このような意

味で、ジャンルにかかわらず日本語の歌は外国語発音風に歌われている傾向がある。

10)例えば、摩擦音/s/, /∫/などは曲中で明瞭度を高めようと、強く発音し過ぎると音楽的には耳障りになる

ので、意味理解において質・量ともに必要最小限の摩擦にとどめることで音楽的美しさを保とうとする

努力がなされる。摩擦音には音響的に鋭く聞こえる音(例:/s/, /∫/, etc.)と聴き取りにくい音(例:

/ /, / /, etc.)があり、すぐれた歌手はこれらの音量のバランスを考慮した発音を行っている。

11)一方ドイツ語圏でもオラトリオの要素の強いオペラを作曲したヘンデル以降では、モーツァルトが22曲

のオペラを作曲した。そのうち19曲がイタリア語のリブレットに作曲されている。ドイツ語のリブレッ

トに作曲されたのはジングシュピール(唱歌劇、軽歌劇)の「魔笛」(1791)からであった。モーツァルト

はイタリアオペラの枠の中にドイツ音楽を組み込む形をとった。その後ウェーバーを始めとするドイツ

ロマン派のオペラ群にみられるように、ドイツ語によるオペラが数多く作曲され、オペラにおけるドイ

ツ語発音法が発展した。ドイツオペラはその国民性が影響してか、音楽の形式に複雑さが加えられ、思

想内容を深化させ、オーケストラの役割を拡大した。

またドイツ音楽の特徴として、オペラとは別に芸術歌曲がハイドン、モーツァルトからロマン派以降、

シューベルトを中心に優れたドイツ歌曲が数多く作曲され隆盛を誇った。この間にドイツ語発音の微細

なニュアンスが曲中で生かせるような発音法が成立した。

フランスにおいてもオペラ、フランス芸術歌曲などにおいて同様の発音法が生まれた。このように伊、

独、仏の各言語や楽曲の特徴に関して独特の様式をもつ発音法ができあがった。この結果、声楽分野で

の歌手の指導においては、発声法指導と発音指導が分業化した形で今日に至っている。

12)会話などに使う話し声の声域は歌唱時と比較して音域が狭く、通常の会話の場合は話し手のもつ声域の

下限に近い方の4~5度が用いられる。(石井 1982 : 72)

13)川越 (1999 : 76-78)

14)静謐性の高い内容をもった歌詞の場合は子音発音を極力抑え、激情を伴う歌詞の場合は子音を強調して

強い感情を押し出すなど、曲の性格によって発音の仕方や声量はかなり幅が出てくると考えられる。

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声楽のための英語発音法に関する分析(1)

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参考文献

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