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香辛料の機能特 性に 関す る栄養生化学的研究 53 香辛料の機能特性 に関する栄養生化学的研究 夫(京 都大学 農学部教授,現在:京都大学 名誉教授,神 戸女子大学教授) 香 辛料 は,味 覚,嗅 覚,視 覚,痛 覚 な どさ ま ざ まな感 覚 神 経 の刺 激 を介 して,食 味 を向上 さ せ た り,単調 な食 品 の風 味 に 変化 を与 え て食欲 増 進 を もた ら し,現 代 の食 品 加工 な らび に調 理 に は必 要 不 可欠 な調 味料 とな って い る。 とこ ろ で,近 年 にお け るわ が 国 の食 生活 の 多様 化,特 に欧 風化 は高 カ ロ リー 食摂 取 の機 会 を顕 著 に増 大 させ,中 高 年 の みな らず,若 年者 や 幼 児 の 肥満 を も招 来 して い る。 この こ とは食 品栄 養 学 上 の重 要 課 題 の ひ とつ で あ る。 そ こ で我 々は,香 辛 料 を有用な機能特性 をもつ食品成分 と位置づ け, 高 エ ネル ギー摂 取 の観 点 か ら,そ の 有用 性 を明 ら か にす る こ とを 目的 と して 実験 を行 った。 我 々は 先 に,代 表 的 な 香 辛料 のひ とつ で あ る ト ウガ ラシ 辛味 成 分(カ プサ イ シ ン)が,ラ ー ドを 主成 分 とす る高 カ ロ リー 食(脂 肪 エ ネ ルギ ー比60 %)摂 取 の ラ ッ トの体 内脂 肪 蓄 積 及 び血 清 ト リグ リセ リド値 を,そ の日常摂取 レベルで,抑制,改 善す るこ とを見い出 した1)。さらにその後 の実験 で,カ プ サイ シ ン は,ラ ッ トの 酸素 消 費量 を増 大 させ,エ ネル ギ ー代 謝(体 熱 産 生)を 顕著 に充 進 す る こ と,及 び その 作 用 は生 理 学的 ・薬理 学 的 手 法 に よ っ て,副 腎 か らの エ ピネ フ リン(別 名 ア ド レナ リン)の 分泌 充進 を介す るβ一ア ドレナ リン 作 動性 作 用 に基 づ く もの で あ るこ と をは じめて 明 らか に したz-a)。 た さ らに,そ の 作用 機 構 につ いて受 容 体 レベル で の検 討 も併せ て 行 っ た。 そ して最後 に,食 事 性 肥 満 の主 要 因 として,交 感 神 経 活 動 の低 下 が指 摘 さ れ て きて い る こ とか ら,これ に対す る香 辛料 の 有 効性 を検討 す るこ と を試 みた 。 今 回 はinSltUラ ッ トにお け る交感 神 経 一 副 腎髄 質 系 の カテ コー ル ア ミン分 泌応 答 に対 す る香 辛料 辛 味成 分 の影 響 に つ いて 検討 した 結果 を報 告 す る。 本研 究 題 目にお い て は,上 記 の よ うな副 腎 由 来 の エ ピネ フ リン を介 す るエ ネ ル ギー 代謝 充 進作 用 が トウ ガ ラシ辛 味 成分 のみ な らず,他 の辛 味香 辛 料 の辛 味 成 分に つ い て も認 め られ るか否 か を,ま Fig.1Adrenalvenousbloodsamplingproc

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Page 1: 香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究 53 香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究

香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究 53

香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究

岩 井 和 夫(京 都大学農学部教授,現 在:京 都大学名誉教授,神 戸女子大学教授)

香辛料 は,味 覚,嗅 覚,視 覚,痛 覚な どさまざ

まな感覚神経の刺激 を介 して,食 味 を向上 させた

り,単 調 な食品の風味に変化 を与えて食欲増進 を

もた らし,現 代の食品加工 ならびに調理には必要

不可欠 な調味料 となっている。

ところで,近 年 におけるわが国の食生活の 多様

化,特 に欧風化 は高 カロリー食摂取の機会 を顕著

に増大 させ,中 高年のみな らず,若 年者や幼児の

肥満 をも招来 してい る。この ことは食品栄養学上

の重要課題のひとつである。そこで我々は,香 辛

料 を有用な機能特性 をもつ食品成分 と位置づ け,

高エネル ギー摂取の観点か ら,そ の有用性 を明 ら

かにす ることを目的 として実験 を行 った。

我 々は先に,代 表的な香辛料 のひ とつであ るト

ウガラシ辛味成分(カ プサイシン)が,ラ ー ドを

主成分 とする高カ ロリー食(脂 肪エネルギー比60

%)摂 取のラッ トの体内脂肪蓄積及び血清 トリグ

リセ リド値 を,そ の日常摂取 レベルで,抑 制,改

善す るこ とを見い出 した1)。さらにその後 の実験

で,カ プサイシンは,ラ ットの酸素消費量 を増大

させ,エ ネルギー代謝(体 熱産生)を 顕著 に充進

す ること,及 びその作用は生理学的 ・薬理学的手

法によって,副 腎か らのエピネフ リン(別 名 ア ド

レナ リン)の 分泌 充進 を介す るβ一ア ドレナ リン

作動性作用に基づ くものであることをは じめて明

らかに したz-a)。

た さらに,そ の作用機構につ いて受容体 レベルで

の検討 も併せて行った。そ して最後 に,食 事性肥

満の主要因 として,交 感神経活動の低下が指摘 さ

れてきていることか ら,こ れ に対す る香辛料の有

効性 を検討す ることを試みた 。

闘 今回はinSltUラ ッ トにおける交感神経一副

腎髄質系のカテコールア ミン分泌応答に対す る香

辛料辛味成分の影響について検討 した結果 を報告

する。

本研究題 目においては,上 記 のような副腎由来

のエ ピネフリンを介するエネルギー代謝充進作 用

が トウガラシ辛味成分 のみな らず,他 の辛味香 辛

料の辛味成分についても認め られ るか否か を,ま Fig.1Adrenalvenousbloodsamplingprocedure.

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54 浦上財団研究報告書Vol.1(1989)

〔方 法〕

(1)insitu実 験

体重250~3009前 後の ウィスター系雄 ラッ トを

ウレタンー クロラロース麻酔 し,気 管力ニュー レ

に人工呼吸器 を接続 して呼吸 を一定に維持 した。

また,ヒ ーテ ィングパッ ドによ り直腸温 を一定に

保持 しなが ら,大 腿 静脈 力ニ ュー レに よ り輸液

(ヘ パ リン化生理食塩水)を インヒュージョンポ

ンプを用いて一定速度で注入 した。正 中線に沿 っ

て開腹後,左 腎静脈 の両端 を縫合糸で結紮 し,翼

付 き静注針 またはポ リエチ レンチューブを用いて

副腎静脈に カニ ュー レし,採 血量に見合 うだけの

輸液を注入 しながら一定時間採血 した。 この時検

定に供す る香辛料辛味成分(各650nmol/kg)を,

大腿静脈内にカニュー レによって一定速度で注入

した。その概略 を模式的にFig.1に 示 した。さら

に,ア セ チル コ リン受容 体 の 遮 断剤,ア トロ ピン

(1mg/kg,i.v.)と ヘ キ サ メ ソニ ュ ウム(5mg/kg,

i.v.)の 前 投 与 が,こ れ ら辛味 成 分 に よ る カ テ コ

ー ル ア ミンの 分泌 充 進 に及 ぼ す影 響 を検討 した。

香 辛料 辛 味 成 分 と して は,Table1に 示 した よ う

に,カ プサ イ シ ンの 他 に,コ シ ョウの ピペ リン,

シ ョ ウガの ジ ン ゲ ロ ン,マ ス ター ドな どの ア リル

イ ソチ オ シア ネ ー ト,お よび ニ ン ニ クな ど の ジァ

リル ジ スル フ ィ ドを用 い た。

(2)HPLC一 電 気化 学 検 出器 を用 い た血 中 カ

テ コー ル ア ミ ンの微 量 分別 定 量 法

種 々分 析 条件 を検討 した結果,下 記 に示 す 条件

で,カ テ コー ルア ミン類(エ ピネ フ リン,ノ ル エ

ピネ フ リ ン,ド ー パ ミン)が 良好 に 分別 定 量 で き

るこ とが 判 明 した 。

分析 装 置;

ポ ン プ:日 本 分 光SP-048型

TablelThecommonnames,plantoriginsandchemicalstructuresoftypical

pungentprinciplesofspices.

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香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究 55

イ ン ジ ェ クタ ー:医 理 化 工業 Σ一80型

分 離 カ ラム:ケ ムコCHEMCOSORB

5-ODS-H(4.6¢mmx150mm)

検 出 器:医 理 化 工業Amperometric

DetectorE-502型

加 電 圧:十700mV

デ ー タ処理 装 置:島 津製 作所 ク ロマ トパ

ックC-R3A

移 動 相;

10%メ タ ノー ル,10μMEDTA・2Na,オ

ク タ ン ス ル ホ ン酸一ナ トリウム塩(100mg/

2)を 含 む100mMリ ン酸 一カ リ溶 液(正 リ

ン酸 でpH3.5に 調 整)

流 速;1.Om〃min

カ ラム温 度;室 温(22±2℃)

抽 出 方法;

血 し ょ う中の カテ コールア ミンは,insitu実

験 系 で採 血 した血液 を10,800×9で2分 問遠 心

分 離 し,血 しょ う を分 離後,直 ちに10%ソ ジ ウ

ム ピ ロサ ル フ ァ イ ト(Na2S205)を50μ 〃mZ

酸化 防止 剤 と して加 え,-20℃ で 分析 に供 す る

まで保 存 した 。凍 結,融 解 した血 しょ う(50~

100,1)を マ イ ク ロチ ュー ブ に と り,こ れ にD

HBA(ジ ヒ ドロキ シベ ン ジル ア ミ ン,4ng/50

~90μ1)と 活 性 ア ル ミナ(50mg)を 加 え,さ ら

に10mMEDTA-2Naを 含む2Mト リ スー 塩 酸

緩 衝 液(pH8.6)500μ1を 加 え,pHを8.0~

8.5に 調 製 した 。 さ らに これ を ミキ サ ーに て10

分 間振 と う後 静 置 し,上 清 を除 去 して 活性 ア ル

ミナ を メ タ ノー ル とHzOで それ ぞれ2回 洗 浄

した 。そ の後 活 性 ア ル ミナ に吸 着 させ たカ テ コ

ー ル ア ミ ン(エ ピネ フ リン)は0 .4N過 塩 素酸

(200~500μZ)で 溶 出 させ,0.45μmの フ ィル

ター を通 した後HPLC一 電 気 化 学 検 出 器 分 析

に供 した 。

尚,上 記 の抽 出 操 作 での カ テ コー ルア ミンの 回

収 率 は,ほ ぼ65~75%で あ った。

ま た,上 記条 件 で の血 し ょ う中 の カテ コー ル ァ

ミ ン分 析 の クロ マ トグラム の一 例 をFig.2に 示 し

た 。

Fig.2 Chromatogramofadrenalvenousplasmacontainingepinephrine

(E)andnorepinephrine(NE)byHPLC-ECmethod.

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56 浦上財団研究報告書Vdi.1(1989)

〔結果 ・考察〕

ラ ッ ト副 腎 か らの カテ コー ルア ミン,特 にエ ピ

ネ フ リ ンの 分泌 が カ プサ イ シ ン以外 の辛 味成 分,

即 ち,ピ ペ リン,ジ ンゲ ロンの 投与 で も顕 著 に 認

め られ た(Fig.3)。 一 方,辛 味成 分 の な か で も,

イ オ ウ原 子 を含 み 揮 発性 の高 い辛 味 成 分 で あ るア

リル イ ソチ オ シァ ナ ー トと ジァ リル ジス ル フ ィ ド

は,カ テ コー ル ア ミンの分 泌 をほ とん ど促 さな か

った 。 さ らに,カ テ コール ア ミ ンの 分泌 を促 進 し

た カ プサ イ シ ン以 外 の ピペ リン とジ ンゲ ロ リンに

つ い て,そ れ らの カ テ コー ル ア ミン分泌 の タイ ム

コー ス及 び アセ チ ル コ リン受容 体 阻害 剤 の 影響 を

Fig.4Effectsofcholinergicblockersontheadre-

nalepinephrinesecretioncausedbypipe-

rineandzingerone.A,piperine(PIP)

administration;B,zingerone(ZIN)admini-

stra[ion;closedcircles,PIPorZIN(650

nmol/kg,i.v.)wasadministeredforlmin

attimeOwithoutcholinergicblockers;clo-

sedsquares,hexamethoniumbromideand

atropinesulfate(lmg%kgand5mg/kg,i.v.,

respectively)injected5minbefore650

nmol/kgofPIPorZINadministration;

opencircles,thevehicle,aO.9%NaClsolu-

tioncontainingO.1%ethanolandO.5%

Tween80.Thevaluesaremeans±SEM

for6^'9rats.

insitu実 験 系 を用 い て検 討 した。そ の結 果,Fig.

4に 示 した よ うにア トロ ピンお よ びヘ キ サ メ ソ ニ

ユウムの前 投与によって,こ れ ら2種 類の辛味成

分によるカテコールア ミン分泌充進は,ほ ぼ完全

Fig.3EffectsofcapsaicinCCAP),piperine(PIP),

zingerone(ZIN),allylisothiocyanate(AIT

S)anddiallyldisulfide(DADS)onadrenal

epinephrinesecretion.Ratswereintrave-

nouslyinfusedwitheachpungentprinciple

solution(650nmol/kg)orthevehicle(aO.9

NaCIsolutioncontainingO.1%ethanol

andO.5%Tween80)forlmin.Adrenal

venousbloodwascollectedforI5minafrer

thesolutionadministration.Thevaluesare

means±SEMfor4~9rats.Meansnotsha・

ringacommonsuperscriptletteraresigni-

ficantlydifferentatp<0.05.

に抑制 され た。

従 って,ピ ペ リン と ジ ンゲ ロ ンの カテ コー ルァ

ミン分泌充進機構 には,カ プサイシンと同様 にア

セチルコ リンの分泌およびその受容体が深 く関与

していることが推察 された。 これらの辛味成分の

作用機構の概略 は下記のスキームのようであると

推定 された。

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香辛料の機能特性に関する栄養生化学的研究 57

辛味成分の作用機構 尚,こ れ ら の結果 の一 部 は,ア メ リカ合 衆国,

実験生物学 ・医学 会誌,1988年6月 号に 発表 し

た5)。

以上の我々の得た実験結果 は,香 辛料食品の摂

取が,肥 満誘発の主要因のひ とつである交感 神経

活動 の低下 を改善 し,賦 活化 しうることを生 体 レ

ベルでは じめて科学的に実証 したものである。 こ

のよ うな香辛料 の発現 しうる有用機能特性は,従

来,人 々が充分認識 していなかった潜在的な機能

特性であ り,今 後有用な機能性食品開発 の基盤 と

な るべき知見であると考 えられる。

文 献

1)T.Kawada,K.-1.HagiharaandK.Iwai.,J.Nutr.,

116,1272(1986)

2)T.Kawada,T.Watanabe,T.Takahashi,T.Tana-

ka,andK.Iwai.,Proc.Soc.Exp.Biol.Med.,183,

250(1986)

3)T.Watanabe,T.Kawada,andK.Iwai,Agric.

Biol.Chem.,51,75(1987)

4)T.Watanabe,T.Kawada,M.YamamotoandK.

Iwai.,Biochem.Biophys.Res.Commun.,142,256

(1987)

5)T.Kawada,S-1.Sakabe,T.Watanabe,M.Yama-

moto,K.Iwai.,Proc.Soc.Exp.Biol.Med.,188,

229(1988)